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_福島県内の飲食店に、バカとか死ねとか汚染水はお飲みになりましたか?などと、つべこべ罵詈雑言を吹っかける国際電話が殺到しているようだ。しかも、福島県と何の関係も無い公共施設にも同様の国際電話が殺到し、業務に支障が生じていると云う。発信源は中国である。 御存じのとおり、中国は「国家の総力を挙げて」処理水放出に対するネガティブ・キャンペーンを強行している。もちろん、自分らで垂れ流している原発の汚染水なんか棚に上げている。諸先輩方の御意見で、「だったら中共は、日本近海で違法操業する中国漁船を取り締まれよ」との名言に「その通り!」と叫んでしまった。云ってることとやってることがアベコベなのが中国四千年の流儀なのだろう。上念司著「日本分断計画」 この中国の動きは、日本分断計画 中国共産党の仕掛ける保守分裂と選挙介入 [ 上念司 ]ほか、様々な文献から察するに、恐らく「超限戦(あらゆるものが戦争の手段となり、またあらゆる場所が戦場となりうる)」の一環としか思えない。迷惑電話もサイバー攻撃と同じく組織的に行っているのだろう。日本国民を動揺させる為の心理戦と云える。上は主席から下は売春婦まで、全人民がありとあらゆる手腕で戦いに挑むのが超限戦の恐ろしいところで、その本領が既に発揮されている。我が国の農相が、この中国の動きを「全く想定外だった」と云って周囲を驚かせた。なるほど狂人の言動など予測不能であるのは確かだが、我が国に公式の諜報機関が無いことが対処を難しくさせているのではないか。 国内に目を向ければ、対日有害活動に同調するような危うい動きも一部に見られ、風評被害について政府や電力会社を提訴する動きもあるようだ。是について諸先輩方の御意見で「風評被害を誘発するような言動を意図的に垂れ流す個人・団体等に賠償を求めるべきだ」との名言に「その通り!」と叫んでしまった。その加害者の最たるものが中国ではないか。怒りの矛先を間違えてはならない。海上保安庁巡視船を見学! 中国の「超限戦」で懸念されるのは、漁民を動員して尖閣諸島の奪取に動くことだ。日本近海の違法操業も「超限戦」の一環であるとすれば、処理水放出に地元漁業者の理解を取り付けることすら満足にできない我が国と比べて、やはり指導者の力の差が歴然としている。その狭間で苦労させられるのが現場で働く人達で、海上保安庁は其の最たるものだろう。我々にできるのは「応援することぐらい」である。 去る7月XX日に鹿児島港において、第十管区海上保安部の巡視船「しゅんこう」一般公開が行なわれたので、応援がてら行って来ました。 第十管区は、九州南部地方の東シナ海、八代海、太平洋ならびに熊本県、宮崎県、鹿児島県を管轄範囲としています。船のデカさに圧倒されますが、中国海警の巡視船も大型化しており、南西の海は非常に危険な状況であります。 濛々と煙を上げる桜島、鹿児島港を見守るブロンズ像、優美な巡視船、まことに美しい光景であります。隊員の皆様の御活躍をお祈りいたします。
2023.08.28
夜の飛行機は景色が見えなくて退屈だから、なるべく読書をして過ごす。今回読んだのは、「日本分断計画~中国共産党の仕掛ける保守分裂と選挙介入(上念司著)」と云う怖い本。冒頭、令和参年八月に実施された東京五輪の話になった。スタジアムを取り巻く反対派の人々が、いざ花火が上がった直後に一斉にスマホを向けて写真撮影に興じていたそうで、早速ネットの世界では、「こいつらが一番愉しんでいる」「特等席で撮ってんじゃねーよ」と云う鋭い突っ込みがあったそうな。拙者は此のエピソードを読んで、もう少しで珈琲を吹くところだった。誰だってこのヘンから撮りたい 話の真偽はともかく、こうした人々がいたとすれば、彼らの姿は其のまま日本国民の映し鏡なのかも知れない。あれだけ絶対反対などと喚いていて、いざ始まったら日本選手のメダルラッシュに国中が湧いていた訳だ。朝日新聞社が、五輪中止の英断を求めるなどと云う社説を発表しながら、スポンサーを降りる気なんて毛頭無かったことにも通じる。 自分一人が助かりたいが為に、選手達をSNSで中傷し、海外からやって来るアスリート達なんかバイキン扱い、今思えば見苦しい限りだが、モヤモヤした不安感に脆弱な自己が圧し潰された故の現象なのだろう。論理でなく情緒のレベルでしか無いから、何かの拍子に其の重圧感が抜けた瞬間、手の平を返したように態度も豹変してしまう。アスリート達の活躍は別ですよなどと苦しい言い訳をする人達を見て、中等症に分類される程の苦しさを感じたまでだ。上念司著「日本分断計画」 拙者がもし人民解放軍の諜報担当官だったら、千載一遇の好機とばかり、日本人の情緒不安定感に付け込む数々の工作を仕掛けたであろう。日本語が堪能だったら、ヤフコメに政権与党や大会関係者の悪口やデマを書き込んだり、オリンピック賛成派を装いながら大会開催の「矛盾点」を突くような書き込みを大々的にやる。そして不祥事を起こした企業を徹底的に吊るし上げ、不買運動を仕掛ける。何しろ、武漢ウイルスなどと云われて批判されたく無いから必死だと思う(笑)。政争の具にしたい野党や一部メディアなんか、大事なお客様だ。 安倍元首相の、地球儀を俯瞰する外交姿勢を理解しているのなら、以上のような対日有害活動を仕掛ける国々の姑息な手口をあらかじめ警戒し、付け入る隙を見せるような愚かなことはしない。まぁ現実はそうも行かないから、数々の汚点を残すことになるのだが、そりゃ人間のやることに錯誤や不祥事は付きものだから、冷静に是々非々で考える。其れでいいのである。いや、一昔前の日本人はもっと大らかで楽観的だったのではないのか。 JAXAのロケット打ち上げに失敗した際の、某通信社による「吊るし上げ」のような追及によく現れている。極端と云えるほど他人の失敗を許さず、むしろ粗探しに悦に入ってゐる風潮とは、衰退途上で自信を失った我々の映し鏡かも知れない。こんなの、中露の諜報機関にとって格好の餌食だ。拙者が先の諜報担当官なら、ロケット開発を中止に追い込む世論操作を展開したであろう。失敗して謝罪するのがそもそもおかしい ゼロリスク(=ゼロコロナ)で如何なるリターンも得られない。例えば米国のスペースX何某などと、あれだけ失敗しまくってもへこたれる気配が無いのは何故か。困難であればあるほどテンションが高まるとは、人類の未来に希望を抱いているからこそなのだろう。こうした前向きな姿勢があれば、コロナ禍に抗いながら練習を続けるアスリート達を初めから素直に応援する訳だし、数々の困難に直面している大会関係者に労いの言葉くらい自然と出て来るはずだ。これほどの心の余裕を併せ持つ大国民が相手なら、中共が超限戦を仕掛けるのも困難であろう。 あれほど華々しい光の祭典を、誰だって特等席で撮りたい。撮りたいなら撮りたいと主張する勇気も無い私達。そりゃ、誰かに舐められ、誰かに利用される訳である。そんなに用心深く生きるつもりだったら、自らの行動が外国勢力に利用されていないか、立ち止まって顧みた方がいい。何もかも忘却の彼方へ
2023.07.29
_今年もまた、広島・長崎の「原爆の日」がやって来た。毎年毎年、平和宣言やら核廃絶のメッセージやらが発せられるものの、一体何の役に立っているのかいよいよ疑問ばかりが募る。ロシアによる核の恫喝を見たまえ。広島や長崎の人々が何を訴えようが屁のカッパ、これが覇権主義国家の現実ではないか。 そもそも日本人に対して説教してどうする。人は、話を聞いてくれそうな善良な相手に対して大きな態度に出るが、本当に厄介な相手に対して見ぬフリをしたりお茶を濁そうとする。別に不思議でも何でも無い。拙者だってそうだ。元KGBだったプーチンは、人間のこうした弱さを知っている。それ故に、人の弱みに付け込み、あそこまで増長するに至った。気が付いたら、あれよあれよと云う間に核戦争が現実になりそうな気配だ。 日本やNATO諸国は、自由と民主主義の国だ。だから核兵器反対を訴えても逮捕される訳でもないし、政治家も話くらい聞いてくれるから、賛同する人間を増やすことも出来る。中国やロシアや北朝鮮はどうか。思想の自由も表現の自由も無い世界に反核運動など根付く訳が無い。ロシアや中国の諜報機関は、むしろ日本やNATO諸国で起きる反核運動を好ましく思っているかも知れない。そうやって声を上げさせれば、民主主義なのだから国の指導層は無視が出来なくなる。国防予算を増やせなくさせたり、基地建設を頓挫させたり出来れば万々歳ではないか。実際、旧ソ連のKGBが、西側諸国の反核運動を裏で煽っていたという事実がある。もちろん、プーチンはそれを知っているはずだし、どうやってアメリカやNATO諸国に怒りの矛先を向けさせるか熱心に研究しているのだろう。表現の自由があることに付け込んで、例えば「ヤフコメ」に自国に有利なコメントを投稿する工作活動などと、当たり前のように行われている。反核運動を指導する人々は、こうしたことをちゃんと認識しているのか。 そう、ロシアや中国や北朝鮮の一般国民を動かさなければ意味が無いのだ。彼らは当局の厳しい管理下にあり、核兵器廃絶の声を上げる以前の問題に置かれている。こうした状況を打開しなければ、核廃絶の訴えは、プーチンや習近平や、あの妙なヘアスタイルの男を利するだけである。然しながら、思想の自由、表現の自由を、あの専制主義的国家群に伝播させるなどと、気の遠くなるような話だ。これはもう、国家レベルの機関が関与しないと何も出来そうにない。拙者もどうすればいいか知恵を持たない。もちろん、アメリカや同盟諸国は、情報戦や心理戦の範疇でそれなりに努力はしているのだろう。我が国に至っては、諜報機関さえ無いのだから全くお話にならない。だから何を訴えようが、あの国々にしてみれば「屁のカッパ」なのである。 イスラエルの諜報機関「モサド」は、イランの核技術者を暗殺してまで核開発を阻止しようとした。核拡散を本気で止めるなら、そこまでやるしか無いのである。平和は祈っているだけでは獲得出来ないと云う一つの好例であるが、このことを可能にしたのは、イスラエル国民に「覚悟と信念」があるからであろう。北朝鮮の核施設を空爆することは無理だとしても、拉致被害者すら救出出来ない私達は、全く不勉強で不誠実だと途方に暮れるばかりである。
2022.08.06
前回、「オリンピック」の記事を書いたところ、読者の方から反響があった。泣きそうになった、との言葉までいただく。実は、賛成めいた記事を書くのは勇気が要る時分のことである。メディアによる手のひら返しが起きる直前のことだったので。久しぶりに、亡き祖母から譲り受けた切手帳を眺める。もちろんオリンピックの記念切手もあるんだが、よく見ると切手ではないシートがあった。オリンピック募金シールと云うやつ。どうも、オリンピックの資金集めの為に募金を募っていたらしいのだ。当時、祖父母の家計は決して豊かでは無いはずだったが、こうして国家事業に協力を惜しまない、と云うところが祖父母の世代の生き様なのだろう。戦争に行って、家も焼かれて、散々な目にも遭って、である。我々の親世代は、あの世代に何かと反抗したものだが、逆に自分から見た祖父母の生き様は、ある意味新鮮な輝きを放って見えてしまう。大河ドラマ「いだてん」を一年間見させていただき、1964年の東京オリンピックが如何なる経緯で開催されたのか、いろいろ勉強させていただいた。歴史的経過を辿ると、祖父母が募金までした気持ちが分かるような気もしてくる。今の我々よりも「大きな物語」を敏感に感じとれる時代だったんだろう。札幌冬季五輪のシート拙者は、募金などと云う大それたことの一つも出来なかったが、その代わり携帯電話を三台分、当時住んでた土地の役場の回収箱に入れた。メダルの材料となる貴金属は、携帯電話等からリサイクルされた材料で作る、初めての試みがなされている。大橋悠依選手の金メダルも、拙者が寄贈した携帯の零コンマ何パーセントが使われているのかな?と勝手に妄想して幸せな気分になっちゃってたが。こんなの使ってましたねぇ切手帳を引き継いだのだから、やはり記念切手ぐらい買っておこうと逓信省のホームページを見たら凄いことになっている。メダリストの切手シートが続々と発売されていて、メダリストが増えに増えたもんだから、まことに賑やかである。切手はビジュアルが命だから、やっぱり大橋悠依選手に目が行ってしまうけど、お写真がいま一つで、なんかこう、活かし切れてない(笑)。結局、買ったのは各競技がアーティスティックに描かれた記念シート。オリンピックだけ買うのも申し訳ないから、パラリンピックも買ってしまった!買ったはいいが、サイズが大きくて切手帳に収まらなかった。仕方ないからJR九州のクリアホルダーにて阪堺電車百周年切手と共に暫く保存。特急「指宿のたまてばこ」のフォルダに収納ありがとう!チャイコフスキーを流してくれて今回のオリンピックは、ロシアはドーピング問題で国としての参加が認められていない。だから、個人資格の選手が金メダルを取っても流れる曲はチャイコフスキーピアノ協奏曲の冒頭部分。「奴らにはクラシック音楽を聴かせておけばいい」などと、ロシア外務省の高官が悪態をついた。オリンピック反対派も、商業主義より旧共産圏の国家ぐるみのドーピングを批判すべきと思うのだが、なんでかこの方面への言及が出て来ないのが不思議。実を言うと、拙者はチャイコフスキーが好きでたまらない。ロシア国歌なんかより、こっちの方が断然有難い。久々に、チャイコフスキー交響曲第四番のCDを聴きまくった。親から買ってもらって30年以上聴いてるCDだ。自分の持ち物も、次第に年季が入るようになった。余談だが、拙者の小説の次回作に、こんな台詞がある。「やっぱり此処(北海道)はロシアに近いんだなぁ。国家としてはクソなのに、芸術は何だってこう惹かれるんだろう。困っちゃうなぁ」マラソンコースとなった道庁本館前女子マラソンは、嫁さんが早起きして中継を見ている。札幌市内の景色が映る訳で、拙者も札幌在住時代が少し思い出されたので一緒に中継を見た。札幌在住時代なんて、もう10年近い昔の出来事だ。鹿児島出身の一山選手が入賞を果たし、ホッとする。男子マラソンも中継を見た。見てて退屈しなかったのが不思議だ。大迫選手が粘りに粘って途中から二人を追い抜いたので大騒ぎした。ゴール地点で、2位の選手が後ろの選手に「俺について来い!」と鼓舞するシーンも印象に残った。国籍の違う選手になんで?と思ったら、二人ともソマリア出身の難民だったそうだ。一瞬のドラマだったが、是だけでも「世界」を感じとることが出来る。感無量~タカラジェンヌが堂々の国家斉唱もはや何も言うことはない。閉会式にジェンヌ様達が堂々の国家斉唱を披露したのだ。小林一三先生が見たら泣いて喜ぶ光景だ。拙者も阪急阪神ホールディングスの一株主として、我慢して投資した甲斐があったと感無量。しかも、池田泉州銀行イメージガールの有紗瞳様も参加されていた。本当に良かった!抑制の効いた袴姿は、祝賀ムードと云う訳にもいかない式典を厳粛に引き締めていた。本当は、モン・パリとかベルバラとか、フランスを意識した出し物の一つでもやって欲しかったけど。先ほど、「祝賀ムードと云うわけにもいかない」と書いたが、引継ぎ先のパリ市内は完全な祝賀ムード。同じ時代である事が信じられなかった。此の違いは何なのか?少なくとも彼らは「大きな物語」を確実に感じ取っている雰囲気である。では何故我々は「小さな物語」に引き籠るばかりなのか・・・心の中のモヤモヤを抱えたまま、あゝ明日から再び、終わりの無い閉塞感に呻く日々が始まる。自作バナーであります
2021.08.09
国連はオリンピック休戦を決議した。百八十六ヵ国が賛同して取り決めたものだ。東京五輪の開催期間中と云っても、せいぜい数週間ではあるが、世界各地の紛争地域では「撃ち方やめ!」が下達される。本当に其の通りになる保証は無いのだが、是はオリンピックが「ただのスポーツイベントではない」一つの良い例であろう。ピース折り鶴と広電の「謎のコラボ」オリンピックが平和の為の祭典であることを、此のピース折り鶴が象徴している訳だが、多くのメディアやネット媒体を見る限り、其の崇高な理想も理解されることなく、逆に憎悪の対象にさえなりつつある。はっきり言ってオリンピックも大いなる被害者である。本当に問題なのはコロナウイルスそのものや中国の対応なのであって、怒りを向ける矛先を間違えている。 ロックフェスが中止になってオリンピックが開催されるのが許せないと人は云うが、ロックフェスの中止とオリンピックに、何の因果関係があるのか。イベントの主催者は、様々なリスクを総合的に判断してそれぞれの決断を行なっているのであって、イベントによって開催・中止の判断が割れる事象は、もはや日常の光景となった。結果としてプロ野球や高校野球は実施されてはいる。我々阪神ファンが勝っても負けても連日大騒ぎしていることが槍玉に上がらないのは、ロックフェスと阪神戦の間に何の関係も無いからだ。ところが、人々は何故かオリンピックをわざわざ引っ張り出して叩こうとする。ちなみに、最近の感染者の急増は、残念ながらオリンピックとは何の関係もない。 オリンピック日本選手団の壮行会をニュースで拝見したが、代表選手達が怯えたように言葉を選んで決意表明を語っている光景を見て涙が出そうになった。逆境に耐えるのが仕事になっているかのようだ。結局、怖いのはコロナより人間の方ではないのか。 なんでこう、悲愴感しか無いのか。是では鬱病患者が増えて当然である。しかも、なんでこう、どうでもいいことに人々は怒るのか。例えば、無観客なのに五輪ファミリーが観戦するなんて許せない、だなんて、子供じゃあるまいし。主催者が見学して何が悪いのか。逆に隅々まで全部見ろと言いたい。せっかく関係者の皆さんが苦労して創り上げた作品である。ちゃんと見て正当な評価を下すべきだ。 バッハ会長が高級ホテルに泊まったところで、誰が困ると云うのか。将来に向けて富裕層のインバウンド需要を開拓する足掛かりになるではないか。どうして物事をポジティブに考えられないのか。是では我々の給与はいつまで経っても増えない。 ちなみに、バッハ会長のある発言が「炎上」したのは、新聞社の誤訳が原因だと云うではないか。ポツダム宣言に対する日本側の回答を誤訳したことが原爆の惨禍を招いたと言われている。歴史を狂わす恐ろしい事象だと云うのに、なぜ此の問題をもっと取り上げないのか。 お蔭で、バッハ会長が広島を訪問することに「大ひんしゅく」なのだそうだ。誤訳で被害を被った街で、誤訳で悪者にされた会長が平和へのメッセージを発する訳だ。「誤訳には気を付けましょう」と、嫌味の一言ぐらい言っていい。 そもそも、折角来るVIPをなぜ積極的に利用しようとしないのか。それこそ会長と一緒に折り鶴を百八十六個作って各国指導者に送りつければいい。何処かの反日的な国家指導者も、バッハ会長からのプレゼントなら受け取らざるを得ないだろう。 我が国よりもっともっと大変な思いをしている国は沢山ある。其れでも各国は国を挙げて選手団を送り出しているのだ。国家の庇護を受けられない難民達の選手団が結成されるのも、平和の祭典だからこそ。WHOも事務局長自らが来日すると言っているし、もう世界レベルの協力体制にある。なのに、いきなり国際公約を一方的に破棄しますなどと云う、一国の安全保障にもかかわる判断を、そう軽々しく口に出来るはずが無い。オリンピックは昔も今も「特別」なのである。 皮肉なのは、其れが「特別」であるが故に政争の道具にされ、外交上の駆け引きに使われる宿命を抱えている。だからって、其処から逃げては行けない!逃げて引き籠るのは、江戸時代の鎖国と同じだ。大会関係者から陽性者が出たからってバイキン扱いする風潮があるが、何だか幕末に攘夷を叫んで外国人を斬ったりしていた時代に戻ったかのようだ。是がG7の国と云えるのか。 最近の東京都内は、感染者が再び急増しているから、不安や不満で頭が一杯になる気持ちも分からなくない。コロナ禍は「人間性を判定するリトマス試験紙」と言った人がいるが、上手く表現したものだ。紳士・淑女を気取るなら、ボランティアに敬意を示し、海外のアスリート達に感染させない配慮を示すのが人間の道であろう。大会関係者をバイキン扱いしている人間は、結局のところエッセンシャルワーカーに対しても同じような態度に出ているのだ。「よかど鹿児島」に展示コーナーを発見!聖火リレーのユニフォームやトーチ、聖火の特別輸送機の模型が飾ってあった。雑誌で、女優の若村麻由美さんがトーチを掲げてポーズをとる姿が載っていたが、其の素晴らしさと云うか、独特のオーラは「さすが女優さんだなぁー」と感心させられた。ちなみに、ピース折り鶴は、翼にメッセージを書くことになっている。拙者としては、と行きたいところだ。自作バナーであります
2021.07.11
小学生の時分、大人というのはカッコいいものだと思ってた。何時か自分も日産セドリックに乗るんだ!という、無邪気な憧れを抱いていた。スカイラインもカッコいいが、セドリックが一番カッコいいクルマだと思っていたらしい。とにかく、日産車はカッコいいクルマだらけだったのだ。今思えば、ある種の「古き善き時代」なのだろう。日産自動車にとっては黄金時代だったに違いない。拙者のコレクティオン一生懸命働いたら報われる、と信じられていた時代が続いていた頃だ。あの番組では、日産を筆頭に多くのスポンサー企業が登場する。頑張って会社を大きくして、やっとこんな事も出来るようになりました!そんな手応えが伝わる訳で、スポンサーさんの大盤振る舞いに驚くばかりだ。会社だけでは無い。撮影の為に首都高速や銀座のど真ん中、国会議事堂の目の前でも公道を貸してくれるという、世の中の懐の大きさに驚く。どんなに無茶をやっても、大目に見てくれるのだ。何という大らかな時代であろう。その意味でも「古き善き時代」なんだと思う。懐かしい!日産サファリ!でも世の中すっかり変わってしまった。かつて憧れを抱いていたセドリックも消えてしまい、そもそも自分がカッコいい!と思えるクルマの理想像を、最近のクルマに見い出す事は出来ない。みんな電化製品のようで、セドリック330の「生き物みたいな躍動感」などと、到底感じる余地が無い。クルマにお金をかける、という意欲も消え失せた。自分が描くライフスタイルも変わってしまったのだ。それでも遠い時代のノスタルジーが消える事は無く、いい歳して西部警察のミニカーは随分と買った。西部警察~あんな話、こんな話西部警察で最も印象に残ったシーンと言えば、広島ロケである。広島電鉄の路面電車を街中で爆破するという、永遠に語り継がれるであろう伝説のロケだ。「にしき堂のもみじ饅頭」の看板がデカデカと貼り付けられた電車、このインパクトは強烈だった。ゲスト出演にB&Bが出演するというのも粋で、思えば広島の路面電車に興味を抱くきっかけになったかも知れない。→詳しくはこちら爆破された「もみじ号」広島の路面電車と言えば、被爆電車も有名である。この被爆電車をテーマに、拙者が人生初の小説を書いた、ということも付け加えておく。もちろん大真面目な小説ですよ。題名は「相生橋にて」~「東部警察という刑事ドラマの撮影のために電車を爆破してしまった!」というエピソードを入れてます。→詳しくはこちら小説「相生橋にて」かつて小樽に石原裕次郎さんの記念館があって、札幌赴任時代に行った事がある。懐かしい思い出である。西部警察の車両が飾ってあるのはもちろんで、本物を間近に見た時の興奮は今でも忘れられない。あのクルマ達は何処にあるんだろうか。→詳しくはこちら小樽の裕次郎記念館にてちなみに、サファリの車体なんだけど、東京都内のある会社で大事に保管されていた。何年か前にブログで記事を書いています。見学に行ったら、店員さんがパトランプ付けてくれて、本当に感謝でした。新車のような状態で、車内の電飾とかもちゃんと光ったりして、すぐにでもロケに出られるような感じ。→詳しくはこちら日産サファリの車内 渡哲也さんの訃報を聞いて、あぁ、さらに昭和は遠くなりにけり、と思うばかりだ。拙者はサングラスは使わない主義だけど、冬のスーツは三つ揃えと決まってます。恐らく何処かで影響されてんだなー。本当に楽しい番組を有難うございました。
2020.08.16
韓国国会議長の不遜なる態度が韓国民の総意であるならば、日韓関係の将来は絶望的だ。ビスマルクだったら、このような事態をどう捉え、行動に移したのだろう。何とまあ、2012年10月5日の中央日報でこんなコラムがあった。ビスマルク外交の優れた点は、常に先を眺めて駒を動かすことにあったと指摘しつつ、「現在の韓日中関係が最悪であるのも、3カ国指導者の言行が瞬間のムード、新聞の見出しやニュースだけに合わされるからだ。」と、当時の指導者の不甲斐なさを嘆いている。「瞬間のムード」で最も盛り上がっているつもりなのは、言うまでも無くお宅さんらの指導者であろう。 レーダー照射を受けた哨戒機 ~ 訪韓中止の護衛艦いずも海上自衛隊が日韓対立の矢面に立たされている。そもそも我が国は島国だから、陸上自衛隊がどんなに気合を入れたところで直接韓国軍と対峙することが無い。接触する現場は必然的に海となる訳だ。哨戒機へのレーダー照射事件の前から不穏な空気があった。それは韓国で開催された国際観艦式でのゴタゴタ。韓国は日本に対し、自衛艦旗の掲揚自粛を要求→軍艦旗を掲げないなどとあり得ない→観艦式への参加は不可能、という流れはご承知のとおり。これには珍妙なオチがついた。韓国は参加各国に対し「韓国と各国の国旗を掲揚してほしい」と要請しながら、自分達はなぜか「李舜臣の旗(豊臣秀吉時代の)」を掲げたのだ。あり得ない対応と言っていい。では、こっちは松浦党の旗でも掲げて乗り込めばいいというのか(笑)。豚コレラ並みに危険な某プロパガンダ韓国が言いたいのは旭日旗=カギ十字、という「あり得ない解釈」だ。第三帝国のハーケンクロイツ旗は、国家社会主義ドイツ労働者党という一政党のシンボルマークであり、そこには政党としての政治的メッセージを含まざるを得ない。第三帝国が崩壊すると、必然的に国旗や軍艦旗としての使用はあり得ないこととなる。ソ連の旗だって似たような意味合いだ。それに対して旭日旗は、当の日本人でさえ起源をよく承知しておらず、それこそチコちゃんに叱られる可能性が高い。そんな曖昧なモノに政治的な意味合いなど無いに等しい。そもそも自然発生的なシンボルだから、軍旗に限らずいろいろと汎用性がある。朝日新聞社の旗など、旭日デザインの最たるものだ。他国を侵略して植民地にした国の旗だとか言い出したら、ユニオンジャックやフランスの三色旗はどうなるというのだろう。彼らの罵詈雑言を追っていくと、必ずどこかで何かが行き詰る。ちなみに、フランスの植民地獲得熱を陰で煽ったのはビスマルクだと言われている。対独復讐の国民感情が強いフランスの意識を外に向けさせることでフランスの軍事的圧力を軽減させ、その間に国力の増強を図ったのである。さすが「常に先を眺めて駒を動かす」とはこのことだ。ドイツ軍旗で旭日旗に近いのは、拙者の自宅Barに掲揚してる帝政ドイツの軍旗であろうか。でもやっぱり旧プロイセン王国の紋章が入っているから、同質とは言い難い。鉄十字と同等というのが妥当かも知れない。もちろん、鉄十字もドイツ連邦軍に引き継がれている。あの独特の意匠は、ドイツ軍らしさを象徴するものだが、ドイツ騎士団以来の伝統あるマークである。「旭日」だって武家の家紋として用いられて来た歴史があるので、両者はやっぱり似ている訳だ。くだらないプロパガンダが既成事実となる前に、我々が物事の本質を理解しなければならない。ボーッと生きてる場合じゃないのだ。海上自衛隊の写真集もあります →写真集はこちらから・・・。
2019.02.27
帝政ドイツヲタである拙者は、第一次大戦終結から100年に当たる本年をまことに複雑な思いで過ごした。そもそも我が大日本帝国が日英同盟を口実にドイツに宣戦、青島や南洋諸島を制圧した行為は何だか火事場泥棒のように感じるのだが、これによって帝国は酷寒の千島列島から南十字星輝く赤道直下に至る大海洋国家になったというから、さらに気持ちは複雑だ。 広大な海を支配するために、日本海軍は航空母艦を中心とした海軍航空兵力を整備するに至るのは多くの人の知るところ。現在の我が国が支配する海域は大幅に狭まったとはいえ、それなりの規模を有する訳で、やはり航空母艦が必要となるのは現代でも変わっていないようだ。いよいよ海上自衛隊の「いずも型護衛艦」を空母化する計画が現実味を帯びてきた。今年6月、横浜港にて護衛艦「いずも」の一般公開があったので嫁さんと見学しに行ったが、ヘリコプター搭載護衛艦などと仮の姿で、将来的に艦載機を搭載できるであろうことは素人でも理解できた。しかしながら、艦上戦闘機を運用するとなると人材育成に莫大な時間と経費がかかると思われ、かなり長期的な計画になるのかもしれない。当分の間は「練習空母」とでも言うべき立場なのだろうか。バウムクーヘンカフェでゲミュートリッヒな一時を・・さて、帝政ドイツを極東から一掃した我が国は、多くのドイツ人俘虜を内地に連行した。とは言っても、ビスマルク首相をはじめとして、明治維新前後から様々な物事を教えてくれたドイツ人に対して日本人は親切であり、開放的な収容所運営の中から日独の活発な文化交流が行われたことはよく知られている。先月、嫁さんとユーハイム直営のバウムクーヘンカフェに行って来た。丸太のようなバウムクーヘンを見慣れない切り方で切り分けているのを見て、これが本物のバウムクーヘンなのかと感じ入った。そう、ユーハイムとは、日本に連行されたことがきっかけで日本に店を開くこととなった職人さんの名前なのだ。原爆ドームが美しい洋館だった頃、そこで初めてバウムクーヘンが出品され好評を博したという。本場ドイツの頑固職人が作った会社だけに、100年前からずっと変わらない味なのだろう。エカテリンブルクの惨劇から100年~ニコライ一家の無念拙者は「宝塚歌劇:神々の土地~ロマノフたちの黄昏」が随分とお気に入りである。当時の帝政ロシアは、英仏を中心とする協商国側に位置し、独墺を中心とする中央同盟国と東部戦線で激闘を演じていた。ところが・・・ドイツ陸軍を中核とする中央同盟軍に敗北を重ね、国内の混乱も重なって革命が勃発、皇帝一家はエカテリンブルクで処刑されるに至る。 そう、今年のエカテリンブルクは残念だった。まるでニコライ一家の怨念が尾を引いているように感じたのは拙者だけなのか?お陰様で2025年の万博はめでたく大阪に決定!これは素直に嬉しかった。阪急阪神HDの株主なので、ホテルの需要増、伊丹空港の準アクセス路線である阪急宝塚線の需要増、さらに万博記念公園の活用も検討されているから阪急千里線の需要増も見込まれ、万歳三唱といったところ。亡き祖父からもらった大阪万博記念100円硬貨を久々に磨いておいた。あの栄光を再び~とおまじないをかけて磨く! 話が脱線してしまった。「宝塚歌劇:神々の土地」が、ロシア革命から100年経った2017年に公演されたのも、何かを意識してのことか分からないが、このところ「あれから100年」を感じることが何かと多い。はいからさんが通る~大正浪漫の時代~嫁さんは、宝塚で「はいからさんが通る」を観たかったらしく、どうやらご学友とそんな話で盛り上がったのか、ご学友から原作マンガ本を借りて来た。 これもまた、今から約100年前の時代設定なのだが、少女マンガの王道を行くようなストーリーで、突っ込みどころあり過ぎて怒る気もなくなる。彼氏である尉官風情が、大元帥(天皇)しか乗れないような白馬に跨って、しかも長髪で金髪というのもナメてるが、日本人離れした風貌の理由は母君がドイツ人であるからという、少女マンガだからって何でもありの脚色ぶり。丸顔のイガグリ坊主では話にならんのだ。何やら、その母君は訳あってロシア貴族と結婚することとなり、革命によって命を落とすところが「神々の土地」と微妙に重なり合う。 ロシア革命によってモロゾフとかゴンチャロフとか、お菓子好きの拙者にとって有り難い人々が亡命してくれたのは嬉しいが、その後の大日本帝国は、「はいからさんが通る」のストーリーにあるとおり、泥沼のシベリア出兵に足元をすくわれていくのだ。大正浪漫の時代もまた、光と影があったのである・・・。
2018.12.15
17日未明、静岡県南伊豆町の石廊崎からおよそ20キロ沖合で米海軍のイージス艦がコンテナ船と衝突した。米艦の名称が「フィッツジェラルド」と知って、どっかで聞いた名前だなと思って昔撮った写真とかを探していたら・・・これ乗ったことがある!ことが分かった。もう7年前か、横須賀港のイベントで自衛艦が一般公開していたが、その僚艦としてフィッツジェラルドがいたのだ。 そのときの画像がこちら。174と書いてあるのはイージス艦きりしま。その横の「62」と書いてあるのがフィッツジェラルドだ。なにせ快晴だったもんだから、モノクロの鋼鉄の塊もキラキラと輝いていた訳で、その美しさに見惚れていたような気がする。お目当ては「自衛艦の最新イージス艦きりしま」だったので、米艦の方はついでに見てきただけだった。覚えていることと言えば、案内のお姉さんが「教会で歌ってそうな恰幅のいい黒人のお姉さん」で、いったい何の仕事をしているのかと思った、それくらいかな。 はるか遠くの敵機を探知して撃墜できるハイテク艦が、近隣を航行する船との衝突を避けられないという事実に、ネットで驚きの声が上がっている。「いの一番は見張りだ見張り」という海難防止協会の標語があるそうだが、航海の安全に必要なのは結局のところ人の目だという、ナポレオン時代とほとんど変わらないような次元に行き尽くというのも、かえって奥が深いというか、システムに頼れない難しさがあるのだろう。「きりしま」から見た横須賀港の光景だが、天候に恵まれて絶景だったね。青空の元、潮風に揺れる自衛艦旗が美しい。港内で異彩を放っていたのは南極観測船。近くで見ると巨大な船で、こんな大きな船体で氷を割る迫力がいかほどか想像もつかない。
2017.06.18
本日6月28日、第一次世界大戦の発端となったサラエボ事件から100年を迎えた。オーストリアの皇太子がセルビア人民族主義者に射殺されたのをきっかけに、オーストリアがセルビアに宣戦布告、セルビアを後押しするロシア、オーストリアを後押しするドイツ、ロシアと協商関係の英仏が瞬く間に戦争状態に突入した。欧州では様々な関連行事が行われているらしく、あの戦争はいったい何だったのか、あらゆる方角から再検証なりが行われるのだろう。 皇太子を射殺されたオーストリアの怒りはもっともだが、戦争を思いとどまってくれたら、こんなことにはならなかった。そもそも、オーストリアは戦争に強くない。さすが文化大国だけあって、軍楽隊の演奏は超一流で、皇帝は華やかな軍装で兵士達が行進するのを眺めていれば満足していたらしい。こんな訳で、ドイツ統一戦争ではプロイセン軍に散々蹴散らされる体たらく・・・その彼らが戦争を始める気になったのは、ドイツ帝国の支援を当てにしていたからだ。 大変だったのはドイツだ。自軍の倍以上ある連合国軍相手に互角に戦ったが、最後は敗れた。敗戦の結果、旧プロイセン領の多くを失うこととなる。いったい、ドイツは何の為に戦争をしたんだか・・・。 その約20年後、ナチスドイツは旧プロイセン領の失地回復を狙ってポーランド領に侵攻、第二次世界大戦が始まった。そして結局のところ彼らは敗れ、旧プロイセン領のほとんどを奪われることになる。ドイツ軍の最高司令官はヒトラー総統。彼はオーストリアの田舎町出身・・・。伝統を誇ったプロイセン貴族達は、たかがオーストリア出身の元伍長に全てを潰されたのである。 ずぅーっと昔のドイツ統一戦争ではどうか。ドイツ人の多くは、オーストリアが統一国家の国造りに協力してくれればと思っていた訳だが、オーストリアは承知せず、プロイセン王国は統一国家の成立に向けて血のにじむ苦労を強いられた。 プロイセンは優秀な軍人を数多く輩出し、ドイツ統一以後、ドイツ軍の中核となった。プロイセン貴族の中には、新興勢力ナチスに嫌悪を示した者も数多い。その彼らが生真面目に戦えば戦うほど、自分たちの領地が奪われるという不運に見舞われることになる。 そう、災いの元はオーストリアにあるのだ。でも最後に悪者になったのは「プロイセン=軍国主義」・・・この奇妙な歴史認識、なんかおかしくねーか?
2014.06.28
韓国・珍島付近で起きた旅客船セウォル号の沈没事故~インターネットでは、船長が下着姿で海洋警察に保護される場面がこれでもか、と出て来る。何でも乗客の救助を放棄して逃げたとかで、韓国社会から袋叩きに遭っているらしい。あそこまで船が傾いたら、もはや打つ手は無いはずであり、自分の身を守るのも精一杯だったろう。だが、船長だからこそ逃げる術を理解していた訳で、乗客たちはどうして良いのか分からぬまま、大勢が犠牲となった。 船といえば、今年見たテレビで忘れられない番組がある。NHK‐ETV特集「戦時徴用船~知られざる民間商船の悲劇~」だ。太平洋戦争当時、旧大阪商船の嘱託画家だった大久保一郎画伯が、撃沈された商船の生存者の証言をもとに、沈みゆく自社の商船や乗組員達の姿を描いていくという話だ。 太平洋戦争では、多くの民間商船とその乗組員達が戦場に動員された。戦争のために作られる軍艦と違い、民間商船は装備も貧弱であり、優勢な連合国軍の攻撃を前に次々と撃沈されていく。乗組員はもちろん丸腰のままであり、多くの人が犠牲となった。 大久保画伯は、船の専門知識がある訳でもないため、生存者の証言だけを頼りに絵を描いていく訳だが、その一枚一枚があまりにも生々しい。 ある絵は、満員になった救命いかだが描かれていた。女性客をいかだに乗せるために、海に入る若い船員の姿も認められる。証言によると、彼は「私は大丈夫です!」と笑顔を振りまいてみせたが、後に救助艇が駆け付けた時には、あの若い船員の姿はなかったという。 またある絵は、沈みゆく商船の船首に立ち、「天皇陛下万歳」を叫ぶ船長の姿が描かれていた。それは決して美化されたものではなく、生存者が見た船長の最期の姿を、証言のとおりにそのまま描いたのだという。この船長は、なにも操船を誤った訳でもない。敵艦の攻撃を一方的に受けた、どうしようもない状況下にあっただけだ。 日本海軍の艦長なら、艦と運命を共にすべき立場であっただろうが、民間商船の船長でさえ、そこまでの決意で乗船したのである。これが、「韓国人が死ぬほど嫌う旭日旗の旗の元にあった、日本の船乗り達の生き様と死に様」である。韓国社会は、「下着姿で逃げた船長」より立派な人物が、旭日旗の旗の元に存在したことを認めることは永久に無いであろうが・・・。 ちなみに大阪商船という会社は既に存在せず、商船三井が業務を引き継いで現在に至っている。その商船三井が、戦後補償をめぐる中国の損害賠償訴訟で、船舶の差し押さえを受けた問題が注目された。会社側も、軍部による徴用で大きな損害を受けた訳だが、NHKの番組によると、日本政府からの補償は全く支払われなかったという。島国である日本は、船が無くては経済が成り立たないが、その船舶が今になっても「標的」となり、「犠牲」とされるとは・・・。
2014.05.06
北朝鮮による弾道ミサイル発射に備え、自衛隊ではパトリオット(PAC3)を全国各地に配備し、警戒に当たっている。 そういえば、3年前に海上自衛隊横須賀基地を見物した際、少し場違いな展示物を見たことがある。カーキ色の軍用車両の数々だ。碧い海と青空に映える造形美に惹かれて写真を撮りにいったまでで、実はカーキ色というのは好きな色ではない。でもついでに写真を撮っておくか・・・と何も考えないで撮った写真がである。 後で調べたら、これこそがパトリオットであるらしいのだ。 安倍首相は、東京都内の寺で1時間ほど座禅を組んだ。かつての執権:相模太郎こと北条時宗も、元寇という国難に際して禅を修めつつ国のかじ取りをしたという。それに引っ掛けてかどうかは分からないが、周囲の喧騒を離れて落ち着いて考える必要は大いにありだ。 北朝鮮から発せられる一言一句が、既に「ギャグ」として消費されている以上、パトリオットだのイージス艦だの、今回も「造形美」として消費される程度で収まることを節に祈る。海上自衛隊横須賀基地の写真集もあります(ヤフーフォト使用))写真集はこちらから・・(ヤフーフォト使用)海上保安資料館で展示されている北朝鮮の工作船の写真もあります写真集はこちらから・・・
2013.04.14
「日本を滅ぼし、沖縄を取り戻せ!」 デモで声高に叫ぶ市民・・・ すわ日中開戦かとパニックになり、塩を買いだめする市民・・・ これ、中国で本当に起きている事象である。日系百貨店を襲った中国人らは、電化製品やら日用雑貨やら、ありとあらゆる 「日本製品」 を強奪していく。反日なのにね。日系工場は市民の焼き討ちに遭い、操業停止している所も。中には日本製品を違法にコピーしている会社が襲撃されるという「オチ」もついたらしい。 日中開戦どころか、既に彼らは 「内戦状態」 に突入している。一方、日本の横浜中華街は普段と何も変わらぬ雰囲気で、観光客でごった返していた。横浜中華街は、もはや日本の観光地。となりで何を騒ごうが、中華まんは相変わらず旨いに決まっている・・・。日本国内は信じられないほどの静けさを保っている。元寇の時分の鎌倉も、信じられないくらい静かだったなぁ(?)。 そんななか、尖閣諸島に中国船1千隻が来襲するというニュースがあった。「元寇」 の時分を思い出すなぁ・・・。 おい、元寇の頃を思い出すってお前フザけてんのか!と思われた方々・・・拙者の管理者名をご覧いただきたい。相模太郎とは、北条時宗の別名でござるよ。あの頃は苦労したなぁ・・・御家人の招集、面倒くさい石築の建築、そしてもっと面倒くさかった終戦処理・・・元軍を追っ払ったところで御家人衆に分けるものが何も無くて閉口しましたわい・・・。拙者を祀ってある円覚寺~右の写真は仏日庵といって、ここで禅の修行をしたのじゃ・・・元軍の敗因ねぇ・・・たまたま 神風が吹いた、なんて言われるけど、元軍には弱点があった。モンゴル人指揮官の下には、征服された高麗や南宋の兵隊ばかり・・・士気が高いはずはない。でも鎌倉の御家人衆は強かったよ!いざ鎌倉っていつでも飛び出す気風を持っていた。質素倹約・・・いい心構えだと思いませぬか?拙者は今もそれを実行しています。 小国日本?上等々々・・・たとえ小さな国であっても、国民に信念さえあれば、いかなる大国といえども手を引かざるを得なくなるのは、ベトナム戦争や中越戦争で既に証明されている。そうそう、ベトナム人とは仲良くなっておきたい。あちらさんも元軍相手に徹底抗戦した歴史を持ってるし、今現在は南沙諸島の領有を巡っていろいろ苦労させられてる。プロイセン首相ビスマルクは 「賢者は歴史から学ぶ」 と言われたが、元寇は古すぎ!と笑うことなかれ。何か一つでも学び取るものがあるはずだ。
2012.09.19
1963年阪急ブレーブス監督に就任後、1967年に初優勝。1973年までの11年間に5度のリーグ優勝・・・阪急ブレーブスの黄金時代だ。 拙者はその頃、まだ生まれていない。両親の思い出話によると、阪急優勝直後の阪急百貨店梅田本店の優勝セールがすさまじかった、とのこと。大真面目にタイムスリップしたくなるような話だ。 西本監督死去のニュースを見聞きし、自分の中のかすかな 「阪急ブレーブス」 を思い出してみると・・・残念ながら記憶に残っているものは僅かでしかない。確か阪急宝塚線の車内で上田監督を見たことがあったっけ。「うぁー、上田さんや」 と、車内はちょっとした騒ぎになったような。上田監督といえば 「ええでええで」 という口癖も懐かしい。1984年阪急ブレーブス優勝!~そのとき拙者は相模原市に住んで間もない頃だった。ああ、阪急が優勝した!だけどもう自分は阪急沿線の住民じゃないんだよなぁ、阪急百貨店のセールも行けないんだよなぁ、そんな寂しさをかみしめた気がする。父親が日本シリーズの中継に釘付けになっていた。そう、広島との息も詰まるような戦いは第7戦までもつれ込んだのだ。我らがブーマー(ひゃー、懐かしい!) が全く打てなかったっけ。当時の広島カープが憎たらしいほど強かった時代のこと、古葉監督の無表情ながらも何かを秘めているような姿は今でも思い出す。 我らがブーマー!その阪急ブレーブスも、西宮球場も今は無い。今年5月に西宮を訪れて驚いたのは、球場跡は阪急西宮ガーデンズという巨大ショッピングモールに変わっていたことだろうか。西宮北口駅の名物 「ダイヤモンドクロス=阪急電車の平面交差」 もとっくの昔に無くなっていた。 阪急西宮ガーデンズの中に、阪急西宮ギャラリーというのがあって、阪急ブレーブスの各種展示物が並べてあった。一昔前の西宮球場のミニチュアも。もちろん西宮北口駅の 「ダイヤモンドクロス」 も再現されていて、ちょっと涙が出そうになったなぁ。相模太郎ポータルサイト~遥かなる阪急電車~こちらもぜひご覧下さい。写真とか豊富です。・阪急のモダニズム ・宝塚大劇場のある風景 ・震災そして復興へ ・懐かしの車両達 ・映画「阪急電車」の世界阪急ブレーブスや山田久志さんに詳しいサイトを見つけました。ブーマー、福本、小林一三先生の画像なんかもあり、古き善き阪急文化の保存を訴えるサイト管理者様のご意見には「そのとおり!」という感じ。「阪急マルーン」の変更案に、沿線住民・社員の猛反発をくらったという話に大笑いしました。
2011.12.04
私にとって、「監督」 といえばマイケル・ムーア氏、「教授」 といえば虎エコノミスト国定浩一氏、そして 「せんせい」 といえば香山リカ女史、という傾向になりつつある。全く違ったジャンルで活躍している方々だが、よく考えてみると 「いずれも、敗者の立場に立った」 見方をしていることは確かだ。マイケル・ムーア監督は、アメリカ社会の病理を底辺の側から告発しているし、国定教授は、タイガースを応援する意義を 「敗北から人生は始まる!」 と説いている。リカ先生は、それこそ精神科医として 「人生に敗れた」 人々の治療にあたる立場から発言する。勝ち組、負け組という二極分化が鮮明となる中で、負け組に転落する恐怖から、敗者に対する侮蔑のようなものを、人々が無意識のうちに感じている訳だ。そこから来る 「勝ち馬に乗りたい願望」 「人間の狭量化」 が、人間を 「何かにしがみつかせる」 訳で、社会にあらゆるひずみをもたらす。だからこそ、敗者を受け入れ、許容し、敗者の立場に立って発言する人を応援したくなる訳だ。リカ先生にとって、勝間さんは「いじり甲斐があるんだろうなあ」と苦笑「しがみつかない生き方」で、最も話題になったのは、「勝間和代を目指さない」という頁であったようだ。私は勝間さんの本を読んだことがない。「世界がもっとも注目すべき女性50人・・・」 等の自己PRを見て、「そんな偉い人の本を読んでも自分には関係ない」 と思い込んでいた。「結局、女はキレイが勝ち!」と言われても、さらにさらに自分には関係ないなと思う訳である。勝間和代を目指さないどころか、初めから目指す気にもなれない、と思う私は重症なのか、軽症なのか?それより、リカ先生が勝間和代さんを 「いじる」 様子に、何とも興味本位的な感情を抱いてしまうところに、自分の 「人の悪さ」 を意識してしまった。ちなみに、私は「ブログでは自虐ネタ」を多用する方だと思っている。そう断っておかないと、真に受けられてしまうのが現状のようだ。とにかく、謙遜という態度が裏目に出るほど「みんな自慢話に必死」なのだ。救いを求めるのもNGリカ先生のツッコミが絶妙見直す価値アリ?「なにわ節だよ人生は」「自慢競争をやめる」 「物事の曖昧さやムダを楽しむ」 「他人の弱さを受け入れる」 というリカ先生の持論は、言葉を直すと「誠実一番、寡黙なら、なおよろしい」 「気っ風がいい」 「任侠、判官贔屓」 ・・・とても英訳不能の古くさい美徳に通じる。先生は、そんなつもりで書いたのではないかも知れないが、私はなぜか 「なにわ節的なもの」 を感じてしまった。 私は 「家族・親戚・近所付き合い、自分の手の届く範囲から、お節介をやき、義理を絶やさないでおく」 ということを、一昔前よりも意識するようになっている。人間臭いコテコテ人生観が、なぜか光り輝いて見えてくるのも、殺伐?とした時代故であろうか。→メンタルヘルスマネジメント検定のコーナーやってます。参考までに・・
2010.01.24
1月13日の新聞朝刊「読者:声の欄」に、久々目に留まる投稿があった。お題は、「批判は簡単 参画・提言型になろう」というものだ。確かに・・・新聞の投稿欄は、業者へのクレームや、もの申す式の苦情のたぐいが実に多い。思わず 「だから?」 と逆に問いたくなることもある。「だから、どうすればいいのですか?」と。例えば、後期高齢者医療制度は廃止せよ、という批判は数多い。「それでは、廃止した後は各自でしのいで下さいね」ということだろうか。それは違う、とみんなが言うだろう。ところが、 「こういう制度がマシだと思うので、そっちに変えた方がいいと思います」 というたぐいの意見を、私は見たことがない。 社会構造が成熟し、パイの分け前が少なくなっている以上、バラ色のようなお話は簡単に出て来ないのは明らかだ。しかしながら、誰かが苦し紛れに素案なるものを示したとして、待ってましたと叩く人しかいないのでは、バカバカしくなって誰も考えることをやめてしまう。投稿欄の辛辣な 「批判」 を見るたび、こうした閉塞感を強く感じてはいた。 職場の提案制度~単なる不平・不満を述べるだけだと却下職場に 「提案制度」 なるものがあり、問題点を改善するための提案を考える、ということを私もやっている。上司からは常に、改善策の具体例を必ず挙げること、という注意が出る。現場で起きる問題点・不満は確かに 「上」 への批判めいた言動につながる訳だが、いざ 「たたき台」 をこしらえるとなると、それが 「他人の批評・批判」 の的になることを覚悟せねばならない。「批判はしたいが、批判の矢面には立ちたくない」 という、卑怯な態度を悔い改めるところから始めなければならない。これは、言うは易いが、けっこう難しいものだ。結局のところ、先の投稿者がおっしゃるように、「参画・提言型」 に気持ちを切り替え、クリエイティブな発想を尊重する職場文化をみんなで作っていかねばならない訳だ。まずは自分の手の届くところから取り組むべし・・・か。
2010.01.17
今年はノモンハン事件から70年ということで、新聞の特集記事やシンポジウム等が散見された。この事件は今から70年前、旧満州を支配した関東軍と、モンゴルを支配したソ連軍との間で起こった大規模な衝突事件である。衝突の原因は、満蒙国境の係争地を巡る駆け引きから戦闘がエスカレート、最後は機甲部隊を集中させたソ連軍に、関東軍第23師団が壊滅、要は日本軍の敗北に終わった。 この事件の特徴は、作戦の失敗を現場の指揮官のせいにした、ということであろうか。関東軍では、辻政信・服部卓四郎という二人の「秀才」参謀がいた。いずれも陸大卒業のエリート参謀である。彼らは「満ソ国境紛争処理要綱」なるものを作成し、軍中央に捻じ込んだ。好戦的な内容だけに懸念を示す人もいたが、積極策を否定しにくい空気に圧され、大本営も追認してしまう。 いざ、辻参謀の強攻策に従った第23師団は、ソ連機甲部隊に惨敗した。惨敗と言っても、個々の部隊はソ連軍に多大な損害を与えたのも事実であり、まずその偉功を認めるべきであるが、「陣地から後退した」などと難癖をつけられ、何人もの連隊長や中隊長らが自決させられた。例えば、捜索第23連隊長の井置栄一中佐は、補給が絶たれ全滅寸前の部下を包囲陣から脱出させたが、無断退却の罪を着せられ自決させられた。 そのくせ独断専行で惨敗を招いた辻・服部両参謀は、自決どころか一時的に左遷させられたぐらいで、再び軍中央に返り咲き、太平洋戦争を「指導」するのである。辻・服部などの「佐官風情」が、一師団の運命どころか国家の運命を左右する立場に居座り続けたのも異様だ。作戦成功なら指導層の功績、失敗なら末端の人間の責任か 陸軍中央も、惨憺たる結果に手をこまねいていた訳ではない。研究委員会が組織され、事件の教訓を活かすべく議論が行われた。ところが研究員の人々は、せいぜい末端部隊のあら捜しくらいしかさせてもらえず、A級戦犯格の辻政信に尋問することも許されなかった。彼らは、師団・軍全体の装備、関東軍の位置づけ、対ソ戦略はどうあるべきか、こうした高級統帥に関わる問題が根底にあることを認識していた。しかし、そのことを声を大に発言することが出来なかった。 作戦失敗の原因を身をもって知った隊長さん達も、多くが自決・粛清させられた。根本的な仕組みがおかしいのに、現場はその通りの対応を余儀なくされ、そして結果責任まで負わされたのだ。制度・組織・現場、これらの間の矛盾、まさに現代の私たちにも共通するテーマだと思う。戦死者の追悼という意味からも、この事件から大いに学びたいと思った。
2009.12.26
今から35年前、アメリカはフォード大統領の時代、ホワイトハウスでは「訪日の際、広島訪問も検討しては」と議論していたことが分かった。まだ「戦後」の余韻が残る当時だけに、真の日米和解が必要だ、というニュアンスが強かったようだ。しかしながら、政治的に混乱してはまずいと、取りやめになったらしい。 さて、広島・長崎両市では、オバマ大統領を招待しようという動きが活発だ。オバマ大統領が2009年4月にプラハで行った演説で「核兵器のない世界」を提唱したことが波紋を呼んだらしい。高齢化した被爆者の方々にとって、大統領は息子のような年齢だ。次の世代に、ヒロシマ・ナガサキのメッセージを託したい、という思いは大きいに違いない。オバマ大統領に手紙を書こう!と呼びかけているサイトがある。賛否は人それぞれだろうが、ホワイトハウス行きのメールフォームのことや、投稿のやり方、などがよく分かって面白い。バナーもなかなか上手に出来ていると感心してしまった。 さて、核の軍事利用に目を光らせる国際原子力機関の事務局長に、天野 之弥(あまの ゆきや)氏が選出された。何と言っても北朝鮮、そしてイラン、これらの処置が難題として残されている。 オバマ大統領自身が、核兵器廃絶を口にした訳だが、先進国にとって、核は既に魅力の無い兵器なのではないか。素人的に考えると、所得が高いけど人口が少ない国が核兵器を唯一の抑止力などと高言しそうだが、実態は反対だ。核を持ちたがるのは、今や貧乏人の方である。 核兵器廃絶を訴えるならば、まずは貧困という問題に向き合わなければならない訳だが、国民の所得「格差」の拡大したアメリカも我が国も、そのことを考えるべきだと思う。戦争こそ、究極の貧困ビジネスなのだから・・・。原爆ドームは、管理者が作りました。原爆資料館で販売しているプラモデル版です。→製作過程、説明してます。
2009.09.22
★最近思ったことを一つふたつ・・・ 治安が悪くなったと言われて、もう10何年くらい経ってると思う。治安が悪くなった、ということは昔は治安が良かった訳で、それは一体いつの時代なのか?といつも不思議に思ってしまう。 とにかく戦後の混乱期は治安以前の問題だったはずだから、それが収まってから、一時期えらく平和な時代があったことになる。昭和40年代はどうだろう。学生運動で大学の授業はほとんどマヒ、新宿駅では暴動が起き、国鉄ストに怒った乗客が投石などを始めて警官隊が出動、阪神タイガースが巨人のV9を阻止出来ず、ファンが暴動を起こした。この頃の人たちもキレることは間違いなく、現代人がついていけないほどの高いテンションを持ち合わせている。だからすぐにケンカになる訳だが、そういうのを治安が悪い証拠と見る人は意外に少ないような気がする。 昭和50年代となると、なんだか社会も落ち着いているような気がする。マンガに登場するお巡りさんは、交番でラーメンをすすってた。110番しようにも、タバコ屋の赤電話を探しているうちに逃げられる時代(しかも赤電話は通信司令室に即座に届かない!)。 ドリフ大爆笑では、飲酒運転を取り締まるコントや身体障害者のフリして電車で痴漢をカマすコントに全国のお茶の間が腹を抱えて笑っていた。飲酒運転が罪であることもあまり浸透していない時代だ。もちろん交通事故の死者は今よりはるかに多い。大阪の親戚がもう少しで「三菱銀行北畠支店」で人質になる寸前だったし、しかも泥棒にも入られたという「平和な時代?」である。 これらの「平和そうな時代」も、よくよく考えるとあやしい。なぜドリフのコントを引き合いに出したのかと言うと、「あの当時は犯罪とも思ってなかった」 そういうものがゴロゴロ転がっていた、と思われるのだ。どこまでを刑法犯として認知するかという問題である。 それと、情報処理が不正確であることも、隠れた違法行為を見逃してきたのではないか。「組織内でもみ消す」ことが当然のこととされ、犯罪の認識もあいまいで、そもそも通信手段が幼稚である。ある程度のインパクトがないと、交通事故も殺人事件も新聞に載らない。つまり、みんな「知らぬが仏」だったのではないかと。中年男性はみんな不審者~「犯罪不安社会」のむなしい現実 平成の世になって、警察が積極的に犯罪認知に取り組み、マスコミは事件報道を質・量ともに充実させてきた。結果として我々が陥っているのは「犯罪社会」ではなく「犯罪不安社会」であるという。なぜか不審者が大勢いることになっている。グーグルで「不審者」と検索してみた。「他のキーワード:不審者 イラスト」と表示されているのを見て、世の人々は不審者のマンガを求めているのか?としばし考え込む。 「防犯担当者」の実務上のニーズが多いのだろう。ニーズがあれば供給が釣り合わねばならない。こうして不審者情報は「量産」される。体感治安はいいはずない。↑先生向け「不審者素材」の例 情報量の乏しい昭和の方が、不審な点ばかりだと思うのだが、気付かないと人間は安心するのだろう。結局我々は、情報過多と言われる現状の中で、ただ情報に振り回されて本質を見失っている気がする。警察や行政が、無作為の批判をかわすために情報を一方的に放流し続け、マスコミの煽り行為が人々をさらに不安にさせる。そのうち他人を信用できなくなってくる。治安が悪くなったのは、自分以外の誰かの性だとみんなが思っている。 他人を信用できないのなら、自分も信用されていない訳で、まずそれを悔い改めることこそ人間の道だが、困ったことに、身近な信頼関係を構築する場は次々と失われている。学校も一般家庭も、塀を高くするあまり、死角を増やしているような気がした。「治安」を支える地域社会の再構築こそ求められているといえるのだが、子供の見守り活動をしてる人間が事件を起こしたりしてるんだから何が何だか・・・。
2009.06.21
ブログをやってる方の多くが目にされたかもしれない。6月6日に配信されたITmediaニュースの記事だ。はじめの数行を読んで私もびっくりした。~ここから引用~ ブログの発展が一番恐い。これまでテレビや映画、新聞が差別を拡大再生産させてきたが、もっとひどいことが起きてしまうのでは・・・「改訂版 実例・差別表現」(ソフトバンククリエイティブ)を出版したジャーナリストの堀田貢得さんはそう危ぐする。 同書によると差別表現とは「他者の人権を侵害し、人間性を深く傷つけ、苦しめ悲しませるような表現」。誰もが持つ基本的人権――自由と平等の権利や人間らしく幸福になる権利――を侵害するような表現だ。 差別意識が向けられるのは「弱い」人たち。日本では被差別部落出身の人々や、さまざまな障害のある人、在日外国人、アイヌ民族、女性、老人、子どもなど。世界に目を向ければ、少数先住民族や黒人などが、いわれのない差別の対象になってきた。 出版やテレビ業界は、差別表現について、1960年代から人権団体の激しい糾弾を受けてきた。人権団体が番組や記事、広告などで差別表現を見つけると、責任者を呼んで糾弾会を開き、根底にある差別意識を厳しく問いただす。場合によっては謝罪広告を出したり、書籍や雑誌の場合は絶版になるなど、経営的にも痛手を受けることになる。 糾弾の経験を経て学習したマスメディアでは、自主規制が進んだ。堀田さんが小学館在籍当時にいた部署も、自主規制の最前線。差別表現に関するレクチャーを開いたり、編集者からの差別表現に関する問い合わせに対応し、「なぜその言葉がダメなのか」を、納得するまで説明していたという。 堀田さんが心配するのは、そういった経験のない一般個人が、ブログなどを通じて、自由に情報発信するようになった現状だ。SNSの日記やケータイ小説、バナー広告の宣伝文句――ネットが広げた表現手段すべてに、差別表現の危険がひそむ。 「テレビでも雑誌でもネットも同じ。表現者は、何が特定の人を傷つけるかに思いをはせ、表現するための知識を持たなくてはならない。それを全く意識せずに発信している人がいるとしたら、強い危ぐを感じる」~引用ここまで~上からの「教育的指導」を思わせる雰囲気にブロガーは猛反発? ジャーナリストとして経験を踏んだ筆者が、無知なブロガーのみなさんに教育的指導を施してあげますよ、という雰囲気に、「絵に書いたようなマスコミ関係者の傲慢さ」というのを感じてしまった。「ネット社会には、世論を形成し、体制を動かすパワーは存在しない。ジャーナリズムが存在しないからである。」という堀田氏の考えそのものが、なんとも前時代的なものを感じさせる。ニュースのコメント欄に、批判のコメントが殺到しており、ブロガーの間の反響も大きかったようだ。まるで「記者ブログの炎上」を思わせる。ブログで発信する=人に読まれる、とは限らない ブログを開設し、こまめに更新していても、読み手はなかなか増えない。無人島にお店を開いて、漂流してくる人を待つのと同じ、というのが個人ブログの宿命だ。堀田氏は「ブログの発展が一番恐い」というが、恐い存在になれるほどアクセス数をとるブログは、ごく一部ではないか?ブログが匿名の、無責任な書き込み媒体に過ぎないと定義するならば、もともとそこに期待するものはしれている。堀田氏も自分で「ネット社会に世論を形成する力はない」と言いきるのだから、ほとんどのブログは無視してもいい存在、ということになる。それより圧倒的存在感のある某掲示板についてどうお考えなのだろうか。言葉狩りへの不満・既存のマスメディアへの不満 ブログや匿名掲示板が爆発的に発展していった背景には、既存のマスメディアに対する不満と裏表であることを、堀田氏はどれほど認識しているのだろうか。確かに「糾弾の経験を経て学習したマスメディアでは、自主規制が進んだ」のは事実だ。ところが自主規制が進んだ挙句、差別の実態が何であるのか、非常に分かりにくくなった、と言える。既存のマスメディアが「人を傷つけないから自分も傷つかない」という偽善の世界を演出し、そのくせ糾弾してくる恐れがない対象には、なりふりかまわずバッシングの嵐・・・マス・メディア上の弱者とは、マスコミという権力に徒党を組んで対抗できない人、というのが実情ではないか。「弱者の定義」が実社会の実態とズレてくると、人々は不満を持って当然だと思う。人々の本音と真実が見える「利点」を活かす方法は? ブログや匿名掲示板で、差別用語が野晒しになっているのは、既に多くの人々にとって織り込み済み、というのが実情だと思う。そこから人々の本音や真実を見い出し、背景にある問題を探っていこう、とする意欲的な取り組みがなぜ無いのか。ネット社会も、既にいろんな意味で「自主規制」が進んでいるが、言葉狩りばかり進んでしまえば、さらに社会の根底にある諸問題を掘り起こすことは難しくなる。とある差別表現がネット上で散見されるならば、それはなぜなのかを考えるのは、それこそジャーナリストの役目だ。
2008.06.14
さぁ今晩のおかずは何にいたしましょうか・・・相澤仁・・そういう意味でなく、食べる方!とりあえずスーパーに行った後の展開はFMさがみ「サンセット・コースト」に投稿した。 伊藤はるかさん、こんにちは スーパーで今日の「晩飯」を買いに行って来たんですが、今日も冷凍食品売り場は閑散としてました。淋しい独身男にとって冷凍食品はなくてはならないものなので、ここぞとばかり買い込んでおきました。割引セールでとにかく安いんです。中国製ギョーザ事件のダメージが大きいようですね。 内心、冷凍食品に頼りたくない、と思いつつ結局面倒臭くなってごまかしてるわたし。淋しいな、つくってくれるひと、今年こそ現れないかな?なぁーんて言ってるうちに来週で34歳になってしまいます。四捨五入したらかろうじて30ですけど・・・。~応援します~投稿もします~FMさがみ 最後は自虐ネタでしめる~もうクセになっているが・・・番組では「男性も年齢を重ねてこそじゃないですか!」という流れになったが・・・私には「20代にやり残したことがあまりにも多すぎる」という一身上の理由があるんでございます。安価で安全な食品というのも難しい話 ぜんぜん関係ない話になってしまったが、中国製ギョーザ事件の影響はかなり深刻のようだ。宇都宮市の餃子専門店にあまり影響がなかったようだが、横浜中華街ではかなりのダメージだったらしい。「餃子」「冷凍食品」という文言より「中国製」という文言に、消費者は完全に拒否反応を示したようだ。↑宇都宮餃子~もちろん楽天でも買えます。 中には「冷凍食品に頼る食生活を見直そう!」という声もある。私にとって痛い一言だが、冷凍食品の利点はいろんな意味で大きい。冷凍保存できることから、原材料の価格高騰リスクを中和することができ、食品流通の安定に貢献している。外食産業向けに業務用冷凍食品も大いに活用されており、冷凍食品なしの生活は不可能だ。 結局のところ、中国側の問題に尽きる訳だが、中国からの輸入に頼る現実も無視できない。「国産」を大いに見直すことで、日本の農業が大きく躍進することになればいい話だが、急に何でもシフトできるものではない。国産の価格高騰ということになれば、さらに悩みの種が・・・。冷凍食品は楽天でも買える!「北海道産の素材でつくったコロッケ」を探してみた!↑牛肉コロッケ↑こちらはかぼちゃ
2008.04.20
年末恒例「今年の漢字」が清水寺で発表された。その一文字とは「偽」~筆をとった森清範貫主の「情けない」という慨嘆の表情に、今年の世相が滲み出ている、などと新聞では報じている。食品偽装・年金問題・防衛省のスキャンダル~様々な「偽り」に世論・マスコミは激高した。 しかしながら、「これまでの偽がばれた」「真相の一部が見えた」という肯定的な見方をする人がほとんどいないことに疑問を呈したい。例えば食品の賞味期限云々、材料を偽って云々、これらは何も今に始まったことではない。これまでの嘘が隠せなくなった訳だし、検査機器の精度も格段に上がっているのだろう。今年を騒がせた数々の「偽」の疑惑も、長年にわたる「粗」が表に出てしまった、という感をぬぐえない。言い換えるならば、「今年もさらに『偽』が隠せなくなった1年」だったと思う。 週刊誌でこんなことを言ってる評論家がいた。レコードの音はいい。昭和という、アナログの世界独特の温かさがある、と。レコードに記録されている情報の精度は極めて低い。だからこそ細かい粗が目立つことは無い。それはまた「昭和」というアバウトな時代を現している。全てにアバウトであるから、多少の嘘や粗は見えないし、そこからくる錯誤もある程度許容する人間の温かさがあった。 多少のごまかしは通用したのである。思えば個人情報という概念もなかったし、企業会計基準も緩やかだった。総会屋に便宜を図ってしゃんしゃんとシメても良かったのである。ケータイも無いからアリバイは何とでもなったし、営業マンは外に出てしまえばそれっきりという自由があった。人間様の味覚や嗅覚、長年の勘と経験等など、あいまいな基準で真偽の多くが決められた牧歌的な時代である。 それに比べて、現代における「0」と「1」の数字の羅列で情報が精査されるデジタル社会において、もはや昔のごまかしは利かない。日々、膨大な情報の処理をせねばならず、計算結果の不一致はただちにシステム障害、ひいては公共インフラの停止を招きかねない。そこから来るストレスは、人々の神経をすり減らし、メンタルヘルスに関わる問題となってくる。このようなシビアな時代に多くの人々がそれなりの努力をし、苦労をさせられている訳で、だからこそ今年も様々な事実が解明されていった訳である。それでもなお、日本全体が「偽」であると決め付けていいのだろうか。不本意な結果が出ることは多少あるだろうが、少なくとも現実世界で働き生活する人々の「真」を現している一語とは思えない。無数の人々の努力を認めない、高見の見物を決め込んだ傲慢な物言いに聞こえてならない。 もっとも、マスコミの報じる見出しだけ追っていけば、日本全体が「偽」に染まった1年だったと思えなくもない。ちなみに今年最初の「偽」を飾ったのは偽科学を垂れ流した「テレビ番組におけるデータ捏造」であったから皮肉だった。 最後に時代のウェブログさんのブログに興味深いお話が。「偽」をよく見ると「人」と「為」に分けられる。人の為に努力すれば「偽」もやがて本物になる、と。これには感銘を受けた。
2007.12.31
大昔のドリフ大爆笑で、こんなコントがあった。加トちゃんが「ウヰスキー」を飲みながら運転しているのを志村巡査に呼び止められる。「飲んでないよ!これは酒じゃないですから」と、ひょろひょろになりながら「ウヰスキー」と書いたビンをかざしてみせる。二人のヤリトリに腹を抱えて笑ったものだった。わたしだけでない、日本全国のお茶の間が腹を抱えて笑い転げていたのである。 現在は、おそらくこのようなコントは許されない。そういう厳しい「倫理観」に生きているらしい現代の私たちは、「ヒゲダンスごときで苦情を言ってた」その当時の大人達を「昔の人はカタいね」と笑っている。昔の「カタい」大人達は、飲酒運転摘発のコントをテレビで放映するという、倫理観の欠如した人たちなのだから不思議である。ちなみに交通事故の死亡者数は、昔の方が数的に多い訳である。シートベルトもいい加減な、道徳のない「カタい」大人達の社会だった。 そう、明らかにおかしいのである。悲惨な交通事故は昔だって多かった。けれども当時の大人は、ドリフのコントを笑って済ます器の大きさがあった。そういう言い方でもしなければまとまらないような気がする。 わたしはまだ人生経験が浅いので、ドリフ全盛の時代=子供の時分、の社会と現代を比較して語ることは猛烈に苦しいことだ。だけど、コントの衰退、あるいは風刺漫画の衰退と表現すればいいのだろうか。ヒゲダンスごときで大騒ぎしてた牧歌的なあの頃に比べ、現代の吐き気をもよおす息苦しさは、表現に対する制約を日々強めているような気がしてならない。 まず、政治を風刺するコントなど見たことがない。海外の番組(ブッシュの人形が登場し、♪アメリカさえ良ければいいのだぁーと歌うシーンを見て腹を抱えて笑ってしまった)を見ると、これはお国柄で片付けて終わるものなのかと考えさせられてしまう。大衆は、タブーを叩き割ってくれる「笑い」の一瞬に、一抹の充実感と、自らの存在を噛み締めるという時代は過ぎたらしい。だからタブーに手を触れず、弱い者いじめに通じるバッシングだけが流行る。 いい年こいた大人は、バッシングにもタブーにも中立であるべきだと思う。ドリフの古典芸能とも言えるあのコントは、もちろんそういう大人が見る前提がある。倫理観を各個人に委ねていた牧歌的な時代である。今やそんな悠長なことは許されない!それが公共の福祉に適う!と信じ込まされ、自ら判断すべき「個」を売り渡しているかもしれないのだ。気がついたら、むやみやたらと制約が多くなっている息苦しさに、もっと気づくべきだと思うのだが・・・。(国境なき記者団:日本の報道の自由度37位という低い数字も、この種の「制約」の影響の一つと思うが)
2006.11.26
個人情報個人情報・・・みんなとっくに漏れている。漏れていることを前提に、どうやって「悪用する者」へ対抗するかを考えた方が生産的ではないか、と思うようになった。個人情報のリスク・・・それを正当な目的で使用する者が過大な義務を負わされることで、活動が萎縮することの方が大きいのではないかな?権利あるところに必ず義務があるが、個人情報云々の問題については、国民に片務的義務感ばかりが増大しているよううに思う。 ということで、毎週土曜日のFMさがみ「サンセットコースト」で、ちょっと気になる話題、ということで投稿してみた。伊藤はるかさんこんにちは、相模太郎です。 わたしの気になる話題の一つに「個人情報の保護」があります。わたしは毎月一回、とあるボランティア活動に参加しているのですが、そこで「個人情報保護同意書」なるものに署名することになり、気持ちが萎えたことがあります。個人のひとかけらの善意にまでそんな書類が要る時代になったのかーと、複雑な気分です。 伊藤はるかさん、毎週ラジオで自分の声を発信し続けることで、プライバシーの面で不安を感じたり、なんてことはありますか?(パーソナリティーの伊藤はるかさん、メッセージの放送ありがとうございました) というのは、この番組のパーソナリティーやスタッフさんもボランティア活動であり、もちろん投稿にあたってはその辺も考慮に入れなければならない、という心情が働く。 ラジオの投稿一つにも、「自分が特定されないこと」「ボランティアの参加者も特定されないこと」に全力が注がれていると言っていい。もちろんホームページの運営も「自分が特定されないこと」に、頭の半分が持っていかれているような気がする。 ブログやホームページの運営は、「個人名を出せる人」と「個人名を出せない人」に分かれる。堂々と個人名を出せる人はある意味幸せである。自分自身の自己完結性を一貫して主張できる自信が無ければ不可能なことだろう。(中には、ご商売の必要に迫られてやってるというケースもあるのだろうが・・・)匿名のブログや書き込みは、無責任の典型のような否定的なイメージが強いようだ。わたし自身を考えると、自らの能力の無さから、自分を偽ってまで生きていかねばならない現実をつきつけられてる以前に、個人情報の保護=セキュリティーのためでもある。つまり、外部の脅威に対して対抗する能力と気力が無いだけの話である。 そのことを考えると、実名ブログに匿名の書き込みをして炎上させる行為はフェアプレーに反する。だんだん話がそれてしまったが、映画「バッシング」公開の記事を見てふとそのことを思った。この映画は、「イラク人質事件」の被害者を新たに架空のモデルとして設定し、帰国後のバッシングの生々しい様子を描いた作品である。はっきり言って精神衛生上非常に悪い映画だと思うので見る気にはなれない。だから自分もバッシングには加わらない。 しかし何度考えてもイラク人質事件は異様だった。映画の主人公は、ちゃんと「現実の人間像」を浮き彫りにさせる。コンビニで我がままを言うシーンに「主人公のくだらない一面」を写すが、完璧な人間など世の中にいない。ボランティアに対する甘い考え方も浮き彫りにさせるが、ボランティアに参加したことのない人間が偉そうなことを言う資格はない。わたしだって偉そうに言えない。ボランティアと言っても・・・わたしはボウリングをして遊んでいるだけだ。申し訳ないから1500円を出して個人で「ミニレジ」を買ったぐらいのことしか出来やしない。 主人公の行動には議論の余地があるのだろう。議論ならまだいい、バッシングだ。バッシングなんてうまい表現の現実は単なるいじめだ。 バッシングは、めぐりめぐって自分に跳ね返ってくる可能性もある。だから匿名のブログでごまかして満足する。外部の脅威に対抗できる能力も気力も無いのは先に述べた。だからと言って、何もしないで萎縮するのは一番よくない。イラク人質事件の被害者達も、事件さえ起こらなければ、広く公衆にその成果を披露できたはずだった。なのに誰かが邪魔をした。人の善意を踏みにじるテロリストだ。なのに国民はテロリストを憎もうとしない。それはブッシュがバカだからという情勢判断に基づくものではなく、脅威ある対象に無力なだけだ。「人質にとられたのは我々の方でしょ」という「サンデーモーニング出演者の大宅女史」のセリフが当たっていたように思う。大宅女史の発言の直前、正義の味方毎日新聞を代弁する役である岸井氏が「イラク3バカまがいの」発言をして、他の出演者を唖然とさせた。実名で勝負する知識人の世界も、態度は真っ二つに割れたのだった。
2006.06.18
年末から風邪に悩まされた相模太郎、年末年始のお休みは、事実上自宅療養となってしまった。FMさがみ「サンセットコースト」の本日のお題「今年のお正月はどのように過ごされましたか?」ということで、相模太郎のむなしいお正月休みを投稿した。伊藤はるかさん、こんばんは、明けましておめでとうございます。 年末にかけて風邪がなかなか治らなかったのです。ところが1月3日になって、突然元気になりました。1月3日からテンション上がっても困るんですね。今さら何すればいいんだと(笑)。もう時間もろくに無いのでレンタルショップでCDでも借りました。借りたCDは鈴木亜美さん、おかげで仕事はじめからずっと、頭の中がユーロビートのままです(笑)。(パーソナリティーの伊藤はるかさん、メッセージのオンエアありがとうございました) ぐだぐだ寝正月で過ごしたものの、突然1月3日になって「ああ、何かやらなきゃ」とくるむなしさ。そして結局「ビートまでかかっちゃって」仕事はじめからテンションが高くなっちゃってる現実・・・。ま、お正月にはしゃぎ過ぎて、仕事はじめに疲れているより良かったのではないかな。
2006.01.07
政界のご意見番と呼ばれ、戦後政治の一時代を担った後藤田正晴さんがお亡くなりになった。警察官僚トップとしてあさま山荘事件などを処理し、中曽根内閣時の官房長官、宮沢内閣で副総理・法相を勤めた後藤田さん、テレビのインタビュー等で「君ねえ、それはだねえ・・・」と独特のしゃがれ声が語りだしたとたん「おー、後藤田さんがなんかしゃべってるぞー!」と聞き耳を立てたものだった。 後藤田さんの発言は、いつになく重みを持ち始めていることを私も身に染みて感じていた。特に平和に関する発言だ。軍人としての戦争経験もある後藤田さん、最近の世論の右傾化や、アジアの中の日本のあり方についても、活発な発言を行っていた。その中での発言の一つ「東京裁判はだねえ、結果責任じゃないの?」という持論。 当時の日本軍や、政府首脳に対して批判的な考え方を持つことを「東京裁判史観」などと非難される今日このごろ、誰もが「東京裁判とは連合国による報復裁判だった」「そんな過去に縛られては駄目だ」とこれまでの自己批判を試みようとした。そんな中で「冷や水をあびせるような」この一言・・・。「無条件降伏なんだよ、結果責任でしょ?今更どうのこうの言うのはただの負け惜しみだよ・・・」と。 後藤田さんがそう言うのなら仕方ない、この人にはそのくらいの迫力があった。それもある政治家のように、国民をバカにしたようなふてぶてしい態度ではない。人間は年とともに成熟していくものである、という大人の美学から自然と伝わる「迫力」だ。こうした「大人」がまた一人世を去った。そして今日、第3次小泉内閣がスタート。また時代が一つ変わるのである。
2005.09.21
石綿(アスベスト)の被害拡大が心配されている。中皮腫やガンの原因になるとして、その危険性が指摘されてきた訳だが、アスベストが吹き付けられた建物も数多く現存し、それらの解体で飛散するケース、また建物だけでなくあらゆる産業機械等製造の現場で使用されていたケース、あらゆる原因でアスベストを吸い込む事例が報告されている。人々の不安が高まるなか、とにかく「もしかして自分にも当てはまる場合はどうすればいい?」ことを確認することから始めなければならないようだ。○まず、アスベスト被害が想定されるケースとなると、・アスベストを製造する工場で働いていた・アスベストを使用する材料・製品をつくる工場で働いていた・工場等の天井や壁にアスベストが吹き付けられていた・アスベストを使用した建物の解体に携わった(過去に経験がある)こうしたケースは「労災」に該当する。厚生労働省は、労災認定事業所を発表、新聞にも掲載済みである。新聞では「事業所名」のみ発表され、具体的な住所まで言及しなかった。風評被害を防ぐ意味と、事業所=アスベストを使用した現場そのものとは限らないこと、等の理由がある。各都道府県労働局・労災病院・保健所で相談窓口を設置しているので、これらを利用することが考えられる。 また、独立行政法人労働者健康福祉機構では「そもそもどこで相談すればいいか」を教えてくれる。*「一般住民」としての立場でも様々なケースが・上記の工場周辺に住んでいた・建物の大規模解体工事があったので心配・自分の住む家にそのような素材が使われていないか心配 工場や建物解体現場近くに住む人は労働者ではないので労災の適用にならない。石綿の用途の広さを考えると、普通の一般市民がアスベストを吸い込むケースは様々な可能性がある。これらは「公害」になるわけだが、現行の公害健康被害補償制度などの枠組みでは救済や補償ができないとされている。特別立法での措置を政府で検討するとしている。 とりあえず相談については各都道府県や、保健所、アスベストを取り扱った事業所自ら相談窓口を開設しているところもある。相談もかなり殺到しているようだ。*とりあえず、個人として調べてまとめました。詳しいお問い合わせは各機関へお願いいたします。
2005.08.03
昨日の11時のニュースの中で、ある高校生が自殺するまでのメールのやりとりが取り上げられ、衝撃を受けた。会ったことのない他人とのメールのやりとりから「一緒に死にたい」「では○○駅で会おう」という話に始まる訳だが、その見知らぬ相手と出会うまでの淡々としたメールのやりとりがあまりにもリアルでならなかった。○○駅は南口と中央口があるだとか、来るまでマンガ喫茶で時間をつぶすだとか、自分は○色のシャツで○○色のジーンズだからまあすぐ見て分かるでしょうとか、これからこの世と決別するにあたっての特別な感傷のかけらもない。その高校生は、朝いつもどおり起きて学校へ行き、いつもどおり下校しつつ、普段から沸いている虚無と失望感から沸いた自殺願望に導かれるままに淡々と死に赴いたのである。 ○○駅で出会った二人は、近くの公団住宅の最上階へ上がり、靴を脱いで二人は飛び降りたのであった。 その淡々とした一部始終を見て、自分自身が生きているということの当事者意識が希薄なことに驚かされる。自分の目から見える現実が、実は仮想の、バーチャルな認識でもって観念されているというか、頭脳そのものがマイクロチップを人工的に埋め込んだような代物な訳で、マウスでの操作と同じく消去もリセットも思うがままだと感じていたのではないか。 いつだったかNHKの深夜放送で、永遠の生命は有り得るのかという科学者の研究についての番組があった。もちろん海外製作の番組である。そこである教授は、永遠の生命を得たいのなら、我々の頭脳そのものをコンピュータプログラミング化(つまり現世と全く同じ「それ」を感じ取れる超高度なプログラム)を組み込むことで実現されるのでは、という「一つの考え」を出した。これに他の科学者達は「そんなのは意味が無い!」と反発したそうだ。この「反論」に彼は冷静に「だって、プログラムの中にいる『わたし』が、そもそもコンピュータプログラムで生かされていることさえも認識し得ないから、意味の無い訳ではない!」と答えた。はっきり言って私は気が動転するほどのショックを受けた。肉体と精神が不可分だというのが当たり前のように認識していた訳で、その関係に何らかの人工的な作用を許すものなのかと・・・。 我々の肉体と精神の不可分性は今のところは一体のものであるし、死の恐怖があるが故に日々の精神活動が成り立っている。その均衡をくずす社会的病理はみんなで真剣に考えていかなければならないかも・・・。
2005.06.22
今日は早目に家を出た。なぜかというと、今日から管理者の利用路線で女性専用車が登場し、他の車両はむやみに混みそうだと思ったからだ。案の定、普段より車内は混んでいるような感じであった。ちなみに、ご婦人の方々の多くは女性専用車の方へ足を向けておられるようだった。 早朝の都庁前では、電鉄会社の関係者が、何やら「痴漢撲滅」と銘打った対外向け出陣式とやらを行ったようである。車内の痴漢発生件数も、年々最悪ペースで増加しているとのことで、新聞では概ねこうした取り組みの様子をそのままの形で伝えている。しかしながら、男性諸氏の99.9%は普段の通勤電車が混んでいることに内心腹を立てながらも、くだらない冤罪に巻き込まれるリスクも減ってほっとした、という感想ではないか?もしもということが起きた時の日常生活の破滅を想像するだけで気が滅入る。会社生活、結婚生活、全てが崩壊することは必至で、冤罪保険を作ってはどうか、男性専用車を逆に作ってはどうか、など相模太郎もいろいろ思案を重ねてきたところである。テレビのインタビューで、とある女性が前置きに「私もこの前痴漢に遭ったんですけど、」と平然と言ってのけるのを見て「そんな訳ないでしょう!」と突っ込みを入れに行きたい気持ちになったことがあった。中には、ゆすり・たかり行為を行う確信犯もあるらしく、こうした現状が真の被害者の救済を狭めているという言い方もできる。ともかく、痴漢に間違われるかも知れない症候群に陥っている男性諸氏にとっては、今日のところは「まずは一歩前進」と評価するべきか。痴漢冤罪の恐怖~見るのも読むのも気が滅入るだけです。↑それでもボクはやってない↑彼女は嘘をついている
2005.05.09
どうしてもやらねばならない運転免許の更新のために、警察署へ行ってきた。雑然とした雰囲気は5年前と何も変わっていない。窓口の婦警さんが「婦警さん」と分かるまでに数秒間を必要とせねばならなかったことに、いかにテレビの刑事ドラマが現実離れしたものであるかを思い知った。視力検査に自信がなくて適当にやり過ごした感があったが、婦警さんは「合格でーす」の一声。何なく手続きも終了した。逮捕しちゃうぞ SECOND SEASON(8)【BCBA-928】 =>20%OFF!《発売日:02/02/25》 もう一つ、どうしても店舗まで直接来てくださいと言われたのが「東京三菱VISAカード」の手続きであった。要は「手のひら認証を取るため」である。警察署の帰りに三菱銀行へ行ってきた。 ご承知のとおり、キャッシュカードによる犯罪が後を絶たない現在、従前のキャッシュカードに代わる新たな商品としてICチップを搭載した新カードを各銀行は投入している。東京三菱VISAカードは、手のひらの静脈で認証を取る、という方式のカードである。最初に投入したカードは、年会費約1万円という敷居の高いものだったが、情勢を反映して「年会費無料」のカードを出した。無料である反面、補償金額500万円という制限がある。私はこれで十分であるが・・・。 銀行の窓口では、やはり手のひらをあてる機械を出して何回も手をかざした。行員さんはマニュアルで確認しながら、機械の読み取り状況を確認している。行員さんの感じからして、このカードを申し込んだ人は少ないように見えた。それはやはり「使い勝手が悪い」からだろう。銀行店舗以外の引き出しは全てクレジット対応になってしまう。便利さの裏返しがキャッシュカード犯罪である訳で、安全を得るためには便利でなくしてしまう必要があるのだ。 行員さんの表情からきちっと認証できてるのか不安だったが、ATMでご自身で一回試してください、と言われたのでやってみる。残高照会を試みたところ、動作確認はOKだった。 キャッシュカード犯罪を撲滅するため、一人でも多くの人が、何らかの行動を取ることでそれへの抑止力になると考えている。詐欺の手口 現代ニッポン ( 著者: | 出版社: 宝島社 )
2005.04.14
相次ぐスキミング被害の増大に、銀行側の対応が求められているところだが、新型ICカードの発行が発表されるなど、徐々に動き出しているようだ。まず、東京三菱銀行は、邦銀初の「手のひらによる認証」機能の付いたキャッシュカードを投入した。といっても預金者全てが持てる訳ではない。そもそもこのカードはVISA付きの「銀行系クレジットカード」に近いもので、年会費約1万円という敷居の高いものだ。これでは大幅な普及は無理な話であり、近く「補償限度額を抑える変わりに年会費無料」の新カードを投入するそうだ。 三井住友・住友信託銀行も、セキュリティーを重視した新型キャッシュカードを投入するそうで、近い将来、主な邦銀は何らかの新しいカードを出すそうだ。このとおり、低金利にもかかわらずみんなが銀行にお金を預ける理由の一つは「安心だから」だったはずで、銀行はそれに応える義務はあるだろう。 筆者の「スキミング対策」は至って単純だ。毎日持ち歩くキャッシュカードは、生活資金専用の口座として設定し、常に適当な残高に抑えておく。「ためる」方の口座のカードは極力持ち出さない。それと、口座も分散に心がける。そもそも株や投資信託、外貨などに分散投資しているから、これもある意味スキミング対策にもなろうか。 しかも、買い物は極力クレジットカードで決済する。これも場合によっては危ない場面もあるが、クレジットカードは限度額があること、クレジット決済によってATMで現金を引き出す頻度が少なくなること等、メリットはあると考える。
2005.02.05
ミニ株・投資信託・外貨MMFに分散投資する我が「相模太郎ファンド」の12月の運用成績は、基準価格9970円、まだ元本割れの状況だが、11月より若干持ち直した。投資信託がどれも堅調で、長期投資の成果がじわっとにじみ出て来たことがうれしい。○プラスに貢献した部門 ・ミニ株 :京セラ、ソニー、デンソー 元気の無かったハイテク関連もかなり持ち直した。デンソーは相変わらず堅調。各社の配当金も振りこまれた。若干増配なのはうれしいところ。武田薬品とデンソーは配当金は手厚い。 ・投資信託 :フィデリティ欧州中小株、東京三菱欧州株 投資信託はどれも持ち直している。米国の金利が上昇気味にもかかわらず、グローバルソブリンや東京三菱外国債券、フィデリティハイイールドファンド等、堅調だった。 ・MMF ユーロMMF。ユーロ高が進んだので。○マイナスに作用した部門 ・ミニ株 :日産自動車、新生銀行 ただし下落はほんの少しだけ。 ・投資信託 :野村米国アセットバックオープンDコース 要は、金利は上がる+ドルは安くなるの二重パンチの典型。損切りも視野に入ってきた。それとUSリートファンド、これも若干下げた。これも利益確定売りを考えている。米国の住宅市場は少々バブリーで、不動産市況もそんなに堅調なのかは疑わしいところ。 ・米ドルMMF :相変わらず101円~105円の間を行ったり来たりの状態。本格的ドル安ともならないが、専門家は今年中に90~95を予想する向きもある。損切りもいよいよ視野に入ってきたが、ドル安もそう一方的になっている訳ではないので慎重に見極めたいところ。※ファンドの構成も少し見直そうか・・・ 相変わらずだらしのない成績の我がファンド、少してこ入れも考えていきたい。例えば米ドルMMF、辛抱強く持っているやりかたが果たしていいのかも少し考えたいし、投資信託の「超分散法」も「結果まで分散してしまう」ことが果たしていいのかも考え直したいところ。 ★ところで話は全く変わりますが。 もう花粉の季節?そんなバカなと思いつつ、仕事初めから何だかつらかった。帰りの電車では目を開けるのもつらくて一人で涙を流していた(笑)。今からこんなで一体今年はどーなるんだと非常に心配だ。今年の花粉の飛散量は過去最大規模だそうだ。去年の猛暑が効いているそうで、異常気象が様々な問題を引き起こすことを身に染みて感じる今日この頃だ。 今年から筆者も「外出時はマスクをしめて」出ることになってしまった。鼻は何とかブロックされてるそうだが、目だけはどうしようもないからつらい。例年、いつもいい加減な対応しかして来なかったが、今年だけはいろいろ対策も考えなければならないようだ。
2005.01.08
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