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2023.01.28
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年末に知人と会った時の話で、この本を知り、面白そうでもあり、買ってみた。



品川区戸越銀座の町工場の家庭で育った著者(昭和41年生まれ)は、創業者の祖父が生前に残した手記に肉付けし、文献も調べ、第二次世界大戦前から現在までを語る、私的エッセーになっている。

冒頭で、著者が(Greater LondonやGreater New Yorkのノリで)「大五反田圏」を示しており、僕の実家や母校(中学・高校)など…12歳-34歳の主要な生活範囲が「圏内」に入っている。

戦争期に、旧荏原郡(円の左半分)は満蒙開拓に大量入植した記録があること、戦況悪化による総動員体制で、母校(高校=旧制中学)の生徒も大田区・品川区の軍需工場で勤労奉仕していたことは「まあ、そうだったんだろう」と思ってはいたが、史実を示されることはなかった。

著者の生活圏としてよく出てくる地名は、戸越銀座・五反田・清正公前(白金・明治学院大学)・泉岳寺・下神明(品川区役所周辺)あたり。

起点の戸越銀座・五反田はわかるが、その先には微妙なズレ(違和感)を感じながら読み続ける。

星薬科大学・武蔵小山・桐ケ谷斎場などについて掘っていたりするので「圏内の話だなぁ」と思いながらも、戸越銀座ベースの著者と思いが重なった箇所は案外と少なかった。

この「ズレ」は、恐らく最も多感だったはずの「10代」を過ごしたエリアの違いからくるのではないか…「中原街道」が、その境界線だろうと思う。

中原街道を挟んで、著者は南東側の小・中・高校、僕は北西側の中・高校だった。

或いは、もっとマニアックな切り口で「都道・補助26号線」が境界線で「東側の著者、西側の僕」かも知れない。

どちらかの地域幹線道路が理由で、10代に交雑した文化圏が、やや違うのかもしれない。

青春は旧目蒲線(西小山・武蔵小山)だった。

五反田はよく行く街ではあるが、個人的には「蒲田文化圏」の影響を強く受けて現在に至っている。

高校は蒲田を含む大田区と同じ学区であり、虎ノ門本社の会社に入り、初期の4年間は、蒲田の事業所配属だった。

「大蒲田圏」を考えるか…。

東急電鉄によって解体された悲運の「旧目蒲線」について、著者は『目黒線・多摩川線分離は認めがたく、敢えて旧称の「目蒲線」と呼んでいる』と述べているが、この点は全く同感である。






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最終更新日  2023.01.28 00:00:14


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