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渋野日向子、全英スタッフに取った行動を海外称賛「愛嬌と敬意。ヒナコは皆の模範」2022.08.06渋野日向子がスタッフに取った行動とは 米女子ゴルフの海外メジャー今季最終戦・AIG全英女子オープンが5日、英北部ガレーンのミュアフィールド(6680ヤード、パー71)で第2日が行われた。単独首位で出た2019年女王の渋野日向子(サントリー)は1バーディー、3ボギーの73で回り、通算4アンダーの7位に後退。大会公式は「みんなの模範」と渋野がスタッフに頭を下げる動画を公開すると、海外ファンから「一流の振る舞い」と話題を集めている。渋野がペコペコと頭を下げていた。第2日のコースで取った行動。青のキャップに白いシャツを着たボランティアと思われるスタッフ2人と対面した。「昨日の65おめでとう」「今日も頑張ってね」と笑顔で話しかけられ、握手を交わした渋野。「Thank you」と返し、ティーグラウンドへ向かった。 動画を公開した大会公式インスタグラムは、文面に「愛嬌と敬意。ヒナコ・シブノはみんなにとっての模範」と記して投稿。海外ファンから「純粋な上品さだ」「このツアーでは一流の振る舞いが多いね」と称賛の声が上がった。 首位のチョン・インジ(韓国)に4打差。12人が出場した日本勢の最上位には、山下美夢有(加賀電子)も3打差5位につけている。巻き返しが必要な渋野は、日本時間6日午後11時5分に第3日をスタートする。
2022年08月06日
『#山口環境大臣に祝電を頼もう』トレンド入り 旧統一教会イベントに祝電送った事実問われ「頼まれたら全部出す」と笑みを浮かべ発言8/6(土) 日本テレビ系の情報番組「情報ライブ ミヤネ屋」では、過去に旧統一教会のイベントに祝電を送ったことを報道陣に問われた山口壯(つよし)環境相に関して報道。「こういうのって、どこでもそうだと思うけど、いろんなとこから頼まれたら全部出しますね。だから、そんな中で機械的に出したようですけれども全く意識はありません」などと、笑みを浮かべながら発言をしたことを放送した。「#山口環境大臣に祝電を頼もう」のハッシュタグがトレンド入り。2万を超えるツイートに広がり「誰にでも祝電を出すそうです」「今日まさにうちの子の誕生日。頼もうかしら」「蚊を2匹たたき落としたので祝電お願いします」「できればハローキティ電報で頼む」「このタグ、センスいいわあ」読売テレビ・野村解説委員氏はこの会見について「表情も半笑いで全然悪びれるところがないのが驚き」と感想。そして山口環境相が「よっぽどおかしい団体でなければ」と語ったことに「“よっぽどの場合以外は”って、今回旧統一教会がその“よっぽど”じゃないかっていうことで、これだけ社会問題として大きくなっているわけで」「その中でこういう発言は国民感情から相当ずれている」
2022年08月06日
中国・海南島のリゾートでコロナ感染拡大 市外に脱出しようと観光客が空港殺到…約8万人が足止め8/6(土) 海南島の三亜で6日早朝に撮影された映像を見ると、市外に脱出しようとする観光客が空港に殺到している。夏の旅行シーズンで多くの観光客が訪れている三亜では、今月に入り437人の感染者が確認されている。その多くはオミクロン株の「BA.5」の系統だという。 三亜の地元政府は現地時間6日未明、3時間後から公共交通機関をすべて停止すると発表した。中国メディアによると、この影響で約8万人の観光客が足止めされている。 三亜の軍港は、台湾周辺の大規模演習に参加している空母「山東」の母港となっている。中国義烏市、コロナ再拡大で一部地域封鎖 製造業輸出拠点8/3(水) 中国浙江省義烏市は3日、新型コロナウイルスの感染再拡大に対処するため、一部の集会やレストランでの飲食を禁止するとともに、複数の娯楽施設を閉鎖し一部地域を封鎖したと発表した。同市は中国東部の主要な製造業輸出拠点で、人口は190万人。中国の気温上昇、世界平均上回る 今後も大幅上昇へ=国家気候センター8/4(木) 中国国家気候センターは4日、国内の平均気温が過去70年間、世界の平均気温を大幅に上回るペースで上昇しており、今後も大幅な気温上昇が続くとの見通しを示した。今週公表された同国の年次気候評価によると、中国の平均気温は1951年以降、10年間で0.26度上昇。これに対し世界平均は0.15度の上昇だった。会見した国家気候センターの幹部は、気象パターンの変化により、水資源のバランスが崩れ、生態系の脆弱性が高まると予測。作物の収穫量が減少するとの見方を示した。中国はここ数週間猛暑に見舞われており、雲南省や河北省では最高気温が44度を超えた。国家気候センターによると、国内の131の観測地点で気温が過去最高か並ぶ水準を記録。昨年1年間の62地点を上回った。年次気候評価によると、昨年の沿岸部の水位は1980年以降で最高。氷河の後退も加速した。青海チベット幹線道路沿いの永久凍土の活動層は過去最高となり、海氷の減少も続いている。
2022年08月06日
古写真募集の自治体、八田與一夫妻の写真も台南市六甲区公所(=区役所)は2年以上前から、六甲の「人、物、地、産、景」をテーマに古写真を募集してきた。現在までに約350枚が集まり、冊子にまとめる用意を進めている。今年11月には出版される予定だ。これはそのうちの一枚で、烏山頭ダムを建設し、不毛だった嘉南平野を穀倉地帯に変えたことから「嘉南大圳の父」と呼ばれる日本人技師、八田與一(左から3人目)とその妻・外代樹(左から4人目)が並んで写る写真だ。 いまから93年前、昭和3年(1928年)に赤山龍湖巖の前で撮影したもので、八田與一の孫である八田修一さんがわざわざ提供してくれたという。六甲区の陳啓栄区長は「この古写真は私たちの歴史の記憶と感動を呼び起こすものだ。赤山龍湖巖という古刹の約100年前の様子を伝えるものでもあり、非常に貴重だ」と述べている。Taiwan Today:2021年9月23日
2022年08月06日
感性的な悩みをしない稲盛和夫氏「人生では、誰でも失敗をしますし、間違いを起こします。しかし、そうした過失を繰り返しながら人は成長していくのですから、失敗をしても悔やみ続ける必要はありません。「覆水盆に返らず」という言葉がありますように、一度こぼれた水は元に戻りません。起こってしまったことを、いつまでも思い悩んでいても何の役にも立ちません。それどころか心の病のもとになり、人生を不幸なものにしてしまいます。自分のどこが悪かったのかは反省しなければなりませんが、十分に反省した後は、くよくよせずに新しい道を歩み始めることが大切です。済んだことに対して、いつまでも悩み、心労を重ねるのではなく、理性で考え、新たな行動に移るべきです。そうすることが、すばらしい人生を切り拓いていくのです。」「感性的な悩みをしない」で森信三先生の『修身教授禄』第28講に「我々も「暑い」「寒い」と言わなくなったら小学校教師としては一流の人間になれるでしょう」とあります」を思い出した。「鎌倉殿の十三人」で北条時連がのちの泰時に「なんとかしろ!と言われたらなんとかする。お前の父上(義時)もそうやってずっとなんとかしてきたのだ」という場面があった。K先生の「はい!(私ですね)」を思いだした。K先生「「受けたもう」と引き受ける覚悟ができた時、、あらゆる方法がある事を教えられました。」
2022年08月06日
「鶏を殺して猿を脅す」??杀鸡给猴看(殺鶏給猴看)、殺鶏嚇猴は、中国ではよく知られたことわざだという。次のようなお話がもとだそうだ。==ある男が山で野ザルを捕まえました。彼はこのサルを鎖で家の玄関に繋ぎ、外出の際にお留守番してもらうことにしました。ある日、この男が出かけている間に家で飼っている鶏が狐に盗まれてしまいました。腹が立った男は、懲らしめてやろうと、サルを叩きました。けど、サルは反省の色を見せず、平気な顔して全く恐れていませんでした。鶏が日に日に減っていって、最後の何羽が残っていたところ、男は、狐に食われてしまうなら、自分で食べたほうがましだと、包丁を持って鶏を殺そうとしました。それを見たサルは目を隠して、怖がっていました。どんなに叩いても怖がっていなかったのに、これなら怖いんだと、男が外出する際に鶏を殺す格好して、サルに見せておきました。それからサルはちゃんとお留守番をするようになりました。==米第7艦隊所属のイージス艦「マスティン」の艦長(左)と副艦長(右)が、海上訓練中の中国空母「遼寧」を両足を欄干にのせたまま監視している。(2021.05.04)ペロシ氏に脅し効かず中国は守勢に-習主席はリスク排除に集中8/4(木)ペロシ氏の訪台に先立ち、中国の習近平国家主席はバイデン米大統領に「火遊びをする者はやけどを負う」と警告。中国のナショナリストの識者らはペロシ氏が台湾を訪問すれば「火薬庫に火を付ける」ことになるだろうと述べていた。しかし実際にペロシ氏が訪台し、蔡英文総統との会談で米国と台湾の関係を確認すると、中国の好戦的な態度は守勢へと転じた。中国外務省の華春瑩報道官は北京で3日開いた記者会見で国民に対し、米国と台湾を罰するとした警告の実行について政府に時間を与えるように呼び掛け、「われわれは言ったことは実行する。しばらく辛抱してほしい」と語った。中国のペロシ氏への対応は台湾問題の複雑さに加え、中国共産党のプラグマティズムや習近平総書記(国家主席)自身の置かれた政治的状況も反映している。続投を目指す習主席は5年に1度の共産党大会を年内に控え、リスクの排除に集中しており、制御できなくなる恐れがある紛争を選択する考えはほとんどない。仮にペロシ氏の訪台によって中国指導部が平和的な問題解決は不可能との結論に最終的に至ったとしても、習主席が今すぐに動くことを望むとは限らない。中国は既に不動産危機や、厳格なゼロコロナ政策による経済成長鈍化の問題を抱えているからだ。台湾の国立政治大学の南楽助教は「習主席にとって強硬な対応は重要だが、強硬な対応と紛争関与は全く別物だ」とし、「米中台のいずれもが望んでいないことから、激しい紛争は起こらないだろう」と指摘した。
2022年08月05日
北条時連「頼時(泰時)は鎌倉殿のそばにいない方がいい」義時「そういうお前こそ大丈夫か?」時連「私は大丈夫です。鎌倉殿に蹴鞠の才能を引き出してもらいました。」義時「単なる遊びではないか?」時連「都で公家と渡り合えるように励んでいるのです。」「鎌倉殿を諌めるだけでなく、わかってさしあげることも大事だと私は思います。」*北条時房(ほうじょうときふさ)は、1175年( 安元元年)、北条時政の三男として誕生。 北条政子・北条義時の異母弟。 1189年(文治5年)4月18日、元服。 源頼朝の命により三浦義連が烏帽子親となり、時連(ときつら)と名乗る(1202年(建仁2年)に時房と改名。)。1203年(建仁3年)9月2日、頼家の外戚として権勢を握った比企能員とその一族が北条時政の謀略によって滅ぼされ、9月29日には頼家が修禅寺に幽閉されたが、時房は処罰されずに済んでいる。 1205年(元久2年)の畠山重忠の乱に従軍。 乱後、北条時政とその後妻・牧の方による平賀朝雅を将軍に据えようとする企てが発覚。 時政は伊豆国に追放され、京都にいた平賀朝雅は、閏7月26日、追討軍によって討たれた(牧の方の陰謀)。 1213年(建暦3年)の和田合戦に従軍。 1215年(建保3年)1月6日、伊豆国で父時政死去。 1218年(建保6年)、北条政子に随って上洛。 政子の上洛は、子ができない将軍源実朝の跡継ぎについて、朝廷に親王将軍の斡旋を相談するためだった。 この時の上洛で、時房は子の時村とともに後鳥羽上皇の蹴鞠の会に列している 1221年(承久3年)5月15日、後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を発すると、5月22日、北条泰時・北条時氏・足利義氏・三浦義村・千葉胤綱らとともに東海道の大将軍として出陣。 6月15日、時房が瀬田、泰時が宇治を守る朝廷軍を破って入京。 乱後、新たに設置された六波羅探題の南方に就任し、京都に留まった(北方は泰時)。 1224年(貞応3年)6月13日、北条義時が死去すると、6月23日、北条泰時が執権に就任。 6月28日、北条政子は時房を後見役に任命した(連署)。
2022年08月04日
「日本と台湾の絆を紡いだ土木技師 八田與一」 6.13 漁火会 八田修一氏講演2022年6月18日名古屋の経営者団体の名古屋経営者漁火会主催の講演会が6月13日、名古屋国際センターで行われた。名古屋地域の中小企業の経営者を中心に「立派な日本人たれ」をスローガンに、正しい歴史を学ぶ事で健全な経営を目指す目的で毎月勉強会を行っているもの。今回は、台湾世界遺産登録応援会の代表理事八田修一氏を招き「日本と台湾の絆を紡いだ土木技師 八田與一」を題材に講演された。冒頭、八田與一を祖父に持つ八田修一氏が代表理事を務める「台湾世界遺産登録応援会」の紹介から始まり、「台湾には世界遺産候補地が18か所あるがUNESCOに加盟していないため世界遺産が一つもないという事実」「日本から台湾の世界遺産登録を応援する目的で当会が活動をしている」などの説明がなされた。八田與一は、東京帝国大学土木学科の卒業後、1910年(明治43年)に台湾に渡り、台南上水道の調査を経て、嘉南大圳(烏山頭ダム)の調査を開始した。嘉南平原は雨季には洪水、乾季には干ばつが襲い、塩害も加わり、農民は三重苦の状況であった。この嘉南平原を何とかして灌漑するため、與一は大学で教えを受けた広井勇教授の言葉「橋を架けるなら人々が安心して渡れる橋を造れ、工学はそれを使う人たちのためにある」を忘れなかった。1920年(大正9年)、地震に強いセミハイドロリック工法(中心部はコンクリート、周りは礫、粘土で固める工法)を採用し、大型土木機械を米国から導入して烏山頭ダムは着工された。途中導水管トンネル爆発で約50人が殉職し、難工事であったが與一の指揮により1930年(昭和5年)に嘉南大圳(烏山頭ダム)がついに完成した。ダムの堰堤は長さ1274m×高さ56mで濁水渓と曽文渓との間の嘉南平原92km×32kmを潤し、給配水路は地球半周の1万6,000kmになった。嘉南大圳完成により平原は台湾第一の穀倉地帯となった。講演は「助け合う日本と台湾 分かち合う精神で実践」と「日本精神」が主な内容だった。與一は嘉南大圳(烏山頭ダム)の工事、その後の灌漑の方法による「分かち合う精神」(差別をしない平等の精神)を実践。具体的には次の5点。トンネルガス爆発事故対応で台湾人と日本人を同等に扱った。関東大震災後の解雇の際、優秀な技師から解雇し地元作業員の雇用を守った。殉工碑は亡くなった順に台湾人、日本人を問わず氏名を彫った。三年輪作給水法で嘉南大圳全域に水を供給。(15万町歩、60万人農民)導水源の濁水渓と曽文溪の間に麻魚寮分水工を設け、南北間で渇水時の水供給を準備。90年間で2回使用。さらに「日本精神」とは約束を守る、礼節を重んじる、嘘をつかない、浪費しない、法を守る、勤勉である、時間を守る、人の手柄を横取りしないなど台湾人の間で語り継がれてきた、である。李登輝元総統が2002年の「日本人の精神」講演論文で、第一に「公に奉ずる」精神こそが日本人本来の精神的価値観である事。第二に嘉南大圳工事のように伝統的なものと進歩を適当に調整し、三年輪作灌漑の例のように新しい方法がとられても農民を思いやる心には伝統的な価値観「公義」は変わることがない事。第三は八田與一夫妻が今でも台湾の人々によって尊敬され、大事にされる理由に、義を重んじ、誠を持って率先垂範、実践躬行する日本精神が脈々と存在している事。以上が列挙された。日本精神の良さは「口先だけではなく実際に行い、真心をもって行うというところにある」と強調された。「当時の日本人は気概を持って生きていた」とも加えた。
2022年08月04日
『水明り 故八田與一追偲録』、台南市の高校へ寄贈https://www.roc-taiwan.org/jp_ja/post/86405.html台湾南部・台南市を拠点とする成功獅子会(ライオンズクラブ)はこのほど、日本の北國新聞社(石川県)が出版した『水明り 故八田與一追偲録』52冊を購入し、台南市に寄贈した。市を通して、市内の普通高校や職業高校に配布する。この書籍は、烏山頭ダム(台南市)を建設した八田與一技師の妻・外代樹さんが、夫の一周忌の1943年に制作。少量印刷して親しい人たちに配った私家版を復刻したもの。八田技師が東京から家族に宛てた手紙や絵はがき、親族による追憶集や関係者による追悼座談会の内容など貴重な資料が収められている。復刻版は2020年、北國新聞社が出版したもので、日本語と中国語訳の併記となっている。寄贈を受けた台南市の黄偉哲市長は、「八田技師は数日前に亡くなった安倍晋三元首相と同じで、心で台湾とつながり、台湾を熱愛した日本人だった。八田技師が残した烏山頭ダムと嘉南大圳は現在も嘉南平野を潤し、台湾と日本の絆をつないでいる」とし、この書籍が台南市と石川県の距離を縮めることになるよう期待を寄せた。Taiwan Today:2022年7月12日
2022年08月04日
大谷翔平「2番・投手」で先発 初10勝、104年ぶり偉業、球団記録7戦連続2ケタKで記録ラッシュへ8/4(木) エンゼルス・大谷翔平投手(28)が3日(日本時間4日午前10時38分開始予定)、本拠地・アスレチックス戦のスタメンに「2番・投手」で名を連ねた。38試合連続のスタメン出場になる。 記録ラッシュのかかるマウンドだ。これまで投手としては17登板で9勝6敗、防御率2・81。「メジャー初の10勝目」、「1918年ベーブ・ルース以来104年ぶりの2ケタ勝利&2ケタ本塁打」、「ノーラン・ライアンが持つ球団タイ記録の7試合連続2ケタ奪三振」をかけたマウンドになる。昨季は9勝を挙げてから3戦勝ちなしでシーズンを終え、今季も10勝にリーチをかけてから2連敗中。“6度目の正直”で「10勝はやっぱり節目として大事かなと思ってはいますし、プレーヤーとしては大きなことだと思う」と話していた大台到達を狙う。
2022年08月04日
「たけしのこれがホントのニッポン芸能史」で「衣装〜太陽族からトレンディドラマ、紅白、漫才、大河まで!」初回放送日: 2022年5月21日」をみていたら「篤姫」 が特集されていた。NHK大河で衣装部がいちばん大変だったのは「篤姫」だったと口をそろえていう。なにより大奥の話では女性の人数が多い。しかも新資料の発見によると、篤姫は家定がなくなるまで振袖をきていたという。また日に5回着替えるという新資料が出ると、宮崎あおいさんも5回着替えたという。「衣装」特集がなければ、衣装のみなさんの大変さや 主演を務めた宮崎あおいさんや衣装部の熊谷さんなどの思い出、きずながわかって貴重だった。
2022年08月03日
<ちょっと一息> オードリー・ヘップバーンの愛した詩と二宮尊徳のたとえ報徳道いまいち一円会報158号に木村浩先生の「ローマの休日 今もなお」というエッセーが掲載されている。その随想の最後に「ヘップバーンにならいたい」という素敵な一文があった。「オードリー・ヘップバーンは、サム・レベンソン(米国人作家)の詩『時の試練を経た人生の知恵』が好きだったという。魅力的な唇のためには、優しい言葉を口にしなさい。愛らしい瞳を持ちたいなら、他人の良いところを探しなさい。ほっそりとした体型を保ちたいなら、おなかをすかした人に食べ物を分けてあげなさい。」木村先生は、この詩を掲げて、こう言われる。「二宮尊徳翁の『報徳の精神』に共通することだろう。心がけたい。」この詩がとても素敵だったので、原文を探してみた。Time Tested Beauty Tips by Sam LevensonFor attractive lips,Speak words of kindness.For lovely eyes,Seek out the good in people.For a slim fi gure,Share your food with the hungry.For beautiful hair,Let a child run his or her fi ngers through it once a day.For poise,Walk with the knowledge you'll never walk alone.People, even more than things, have to be restored,renewed, revived, reclaimed andredeemed;Never throw out anybody.Remember, if you ever need a helping hand,you'll fi nd one at the end of your arm.As you grow older you will discover that you have two hands;one for helping yourself,the other for helping others.詩の最後のフレーズを訳すとこうなろうか。「あなたが大きくなったら見出すでしょう。あなたには2つの手があることを。一つはあなた自身を助けるため、もう一つは人々を助けるために」まさにこれは二宮尊徳先生が風呂のたとえで言われた言葉でもある。尊徳先生は福住正兄の兄、大澤精一と一緒に小田原湯本の温泉に入られたとき、こう教えられた。(二宮翁夜話38)「この手を見るがいい。人間の手はつかむこともできるし、人に譲ることもできる。だが鳥やケモノは自分のためにつかむことしかできない。人間の手の仕組みはこうなっているのだ。人は自分のために取ることもできるし、人のために譲ることもできる。人は譲らなくてはならない。」尊徳先生はよく譬えで農民を諭された。お椀のたとえが「桜町治蹟」という本に載っている。「【29】翁は常に門人に語った。『私が巡回するのは、村民に勤勉の習慣をつけさせたいという趣旨から来ている。これをたとえるとお椀の中に箸(はし)を入れて回わしていると、はじめのうちは箸だけ回って水はそのままだが、暫くすると水も回りはじめ、水の回る勢いが段々強くなると箸は回さなくても自然と水の勢いで箸が回るようになる。私が巡回するのもその通りで、はじめ村民に惰弱の者があっても自然と感化されて勤めるようになる、だから早起きをして巡回するのである』と。」また、巡回のときに、盥(たらい)のたとえもよくされた。「【31】人夫などが仕事の休みなどに盥に水をくんで置いていると、翁はそれを見て教えられた。『その水を前の方にかいて見よ。いくら汗水流して前へかいてもその水は向うに行ってしまう。反対にその水を向うにばかり押してみよ。いくら押してもこちらに帰って来る。欲が深く自分の方にばかりかきこんでも、自分の方に来るものでない。人に推し譲ると自然とかえってくる』と。」2011 年4 月2 日、東日本大震災の地震・津波、放射能汚染の三重苦に苦しむ南相馬の桜井勝延市長はYouTube で世界に継続的な救援を訴え話題になった。相馬は報徳ゆかりの地でもある。市長は、最後にこう言われている。「人はお互いに助け合ってこそ人だと思います。(Helping each other is what makes us humanbeing.)」
2022年08月03日
報徳の精神とはなにか。 「報徳」について「静岡県報徳社事蹟」では「起源」と「大意」にに分けて次のように説明する。 報徳の起源 徳川幕府の末頃、二宮尊徳は幼い頃から艱難をなめ、刻苦勉励して民力を活用し、生活を豊かにする道を窮めた。社会救済の念を起こし、空理空論を排除し、実理実行、「徳をもって徳に報いる」道を起こした。至誠・勤労・分度・推譲の四つを説いて、道徳と経済が調和し、並び行われるように図り、人を導き、世を益そうとした。その教義は一つだが、治者のために計画実施したものと、平民のために説いたものと、二つの方法がある。一つは興国安民の方法。もう一つは報徳結社の方法だ。興国安民の方法は、幕府及び諸侯のため国を治める要道で、上より下に及ぼすもの。この方法は命令的に行うもので、その効果は迅速だ。この方法は善い方法だが、治者に人物を得ない時はたちまち廃絶して永続できない。報徳結社の方法は、身を修め家庭を整える方法を説き、専ら個人を指導し、報徳社の団結の力で相互の福利社会の利益を増進する方法だ。下館藩士のため信友講を設け、また相模国片岡村の同志が克譲社を創設し、これが報徳の名を付した始めだ。団結の力により報徳の教義を調べ、本質を究明実践し、一身一家一村の福祉を増進しようとするものだ。この方法は個人相互の結合により設立するもので、興国安民の方法に比べ遅々としているが、廃絶のおそれが少ない。現在各地に設立する報徳社団は皆この系統に属するもので、専ら個人の福利増進と社会の公益を図っている。報徳の発達については、尊徳の高弟富田高慶と福住正兄等の功績が大きく、この二人は尊徳に親しく仕え、その薫陶を長く受け、報徳の教義並びに尊徳の言行などを記述し、報徳の教えの啓発に努力した。報徳の大意報徳の教説は、二宮尊徳が社会救済の目的を実現するために唱導したものが一個の道徳の教えとなったもので、上は政治の原則より下は個人の家庭経済まで含み、理論を後にし、実行を先にする。 世の中には天道と人道とがあり、天道は自然の法則で、天道に従い植物は成長し、動物は自由に行動する。しかし人類はこの自然の法則に一任できない。もし天道にまかせたままだと、人類は怠慢と悪行により生存を遂げることができない。人類が生存するためには、相互の共存をはかり、法によって善悪の標準を定め、人類の共存に害があるものを悪として除去し、利益のある方法を行うことを善行としなければならない。共存の必要上、各人個々が互いに勤労し、社会を完全にし、社会全体の福利を増進しなければならない。人と生まれた者は各自の本分を尽し勤労しなければならない。この勤労と推譲を人道における善とする。各人の勤労勤労で生産したもので生計を行い、その生計には一定の限度を置いて、この限度以外のものを生産の元資に供し、更に他人に譲渡する。これを分度・推譲という。分度は、自己の所得と消費に対して限度を加え、非生産的費用を制限し生産的資本の充実をはかるために定めるものだ。 富田高慶は報徳の教えをわけて四綱領とし、「至誠を本とし、勤労を主とし、分度を立てることを体とし、推譲を用とした」。尊徳は「報徳訓」で、自己が存在するのは父母の保護・養育による。そのまた父母は天地の令命による。私は父母・天地の賜物で、その生活は父母の財産・教養により、人がこの世に安んじることができるのは天地、君主、父母の保護による。人はその徳に報いなければならない。徳に報いるには自己の徳行で行うべきで、これが人間が人道を守るべき理由である。報徳によれば、他人に恩恵を施すことも結局自己が人と社会とに対する義務とする。報徳の根元は、道徳と経済の調和された教えであり、その活動は天地人の三つの働きに報いるに自己の徳行をもってするということに帰着する。
2022年08月03日
「プロテスタンティズムの倫理」と「札幌農学校精神」ヴェーバーは、「資本主義の精神の発展は合理主義の巨大な発展の部分現象」としつつも、「過去および現在において資本主義文化のもっとも特徴的な構成要素となっている『天職(Beruf)』思想と職業労働への献身と生活の具体的形態は、いったい、どんな精神的系譜に連なるものだったのか」と自問する。(p.94)そしてそれは「禁欲的プロテスタンティズム」(カルヴィニズム、敬虔派、メソジスト派、洗礼派運動から発生した諸派)から生まれたとする。メソジスト派は最初十八世紀なかばにイギリス国教会で生まれ、その発展の過程で国教会かた分離してアメリカへと伝道される。敬虔派はイギリス、ことにオランダで発展した。「ピューリタニズムと呼ばれた禁欲的運動はオランダおよびイギリスで発展し、「独立派、組合教会派、パプティスト派、メノナイト派、クエイカー派を含む」(p.142)ヴェーバーは、十六、七世紀に資本主義が発達がもっとも高度だった文明諸国、すなわちオランダ、イギリス、フランス」(p.144)とする。そしてカルヴィニズムの最も特徴的な教義が「恩寵による選びの教説(予定説)」であった。一六四七年の「ウェストミンスター信仰告白」第三章第三項では、神は人類のうちある人々を永遠の生命に予定し、他の人々を永遠の死滅に予定したとする。この教説が人々に与えたのは「個々人の内面的孤独化の感情」だった。人間は永遠の昔から定められている運命に向かって孤独の道をたどらなければならない。誰も彼を助けることはできない。聖礼典も教会も助けえない。真のピューリタンは埋葬に際しても一切の宗教的儀式を排した。ピューリタン文学のバニヤンの『天路歴程』で、「滅亡の町」に住んでいること気づくと、妻子をふり捨てて「生命を、永遠の生命を!」と野原をかけ去る情景の筆致に描きだされている。「選びの教説」で信徒一人一人に生じた疑問は「私はいったい選ばれているのか」「どうすればこの選びの確信が得られるのか」だった。その中で二つの類型の勧告が生じた。「その一つは、誰もが自分は選ばれているのだとあくまでも考えて、すべての疑惑を悪魔の誘惑として斥けることを無条件に義務づける」己に召命に「堅く立て」という使徒の勧めが、「あの資本主義の英雄時代の鋼鉄のようなピューリタン商人にみられる「聖徒」が練成されてくる。」「いま一つは、そうした自己確信を獲得するための最もすぐれた方法として、絶え間ない職業労働を厳しく教えこむということだった。つまり職業労働によって救われているとの確信が与えられる」と、いうのだ。(p.179)中世では通常のカトリック信徒は、倫理の上では「その日暮らし」で、伝統的な義務を誠実に実行したが、それ以上の「善き行為」は一定の生活体系となっていなかった。しかしカルヴィニズムが信徒に求めたのは、個々の「善き行為」ではなく組織にまで高められた行為主義だった。生活態度の全体にわたって、一貫した方法が形づくられた。十八世紀のピューリタン的思想の担い手が、「メソジスト」(方法派)と呼ばれた。あらゆる時と行為にわたって生活様式の意味を根本的に変革することによって自然の地位から恩恵の地位へと開放する恩恵を確知しうる。そのために現世の生活は徹底的に合理化され、独特な禁欲的性格を与えた。いわゆる「紳士」(ジェントルマン)の「類型」がこれである。ピューリタニズムの禁欲は「持続的な動機」を固守し主張する能力を与え、意識的な、覚醒しかつ明敏な生活をなし、無軌道な本能的享楽を絶滅することを課題とし、生活態度を秩序あるものにした。こうした「資本主義の精神」は近世ヨーロッパとアメリカにおいて展開されたとされるが、「ボーイズ・ビー・アンビシャス・シリーズ」(二宮尊徳の会)全五集が主張するのは、「そうではない、日本においてもプロテスタンティズムの倫理は、札幌農学校、特にクラーク先生――を通じて、直接日本にもたらされた。そして、内村鑑三・新渡戸稲造・広井勇らによって、「倫理的な色彩を帯びた札幌農学校精神」が日本中に影響を与えたとする。*これこそが「ボーイズ・ビー・アンビシャス」シリーズにおいて資料を通じて解明してきたことがらにほかならない。
2022年08月03日
*鈴木藤三郎が今市の報徳二宮神社に報徳全書を奉納した時の願文 その2而しかシテ其実践躬行そのじっせんきゅうこうノ跡あとハ歴々れきれきトシテ先生せんせいノ遺書いしょニ存そんシ其その書しょ殆ほとんどド万巻まんがんヲ以もっテ算さんス然しかリト雖いえどモ之これヲ知しル者もの多おおカラズ知しラザレバ行おこなフコト能あたハズ行おこハザレバ世よヲ済すくヒ民たみヲ理りスルコト能あたハズ是これ猶なお名玉めいぎょくヲ懐中かいちゅうニ蔵ぞうスルガ如ごとシ豈あに痛つう惜せきセザルベケムヤ是これヲ以もっテ令孫れいそん尊親先生たかちかせんせいノ允許いんきょヲ得えテ之これヲ謄写とうしゃセシメ全部ぜんぶ九千巻かんヲ得えタリ之これヲ二千五百冊さつト為なシ文庫ぶんこ一宇うニ収おさメ併あわセテ之これヲ神社じんじゃニ奉納ほうのうシ衆庶しゅうしょノ熟覧研究じゅくらんけんきゅうニ備そなフ将来しょうらい幸さいわいニ有志ゆうしノ士し之これヲ繙ひもとキ明晰めいせきナル識見しきけんヲ以もっテ先生せんせいノ教旨きょうしヲ解釈かいしゃくシ熱誠ねっせい以もっテ之これヲ世よニ拡張かくちょうシ忍にん耐たい以もっテ実践じっせんシテ息やマザレバ民風みんぷう頓とみニ興おこリ富ふ強きょう期きシテ竢まツバシ仰あおギ冀こいねがクバ先生せんせいガ神霊しんれいノ冥護みょうごニ依よリ人類じんるい必至ひっしノ要道ようどうタル報徳ほうとく教義きょうぎノ広ひろク天下てんかニ普及ふきゅうシ真正しんせいナル文明ぶんめいノ実じつヲ見みルヲ得えンコトヲ不肖藤三郎ふしょうとうさぶろう誠恐せいきょう頓首とんしゅ頓首とんしゅ敬うやまっテ白もうス 明治四十二年五月三十日 報徳社徒 鈴木藤三郎 九拝
2022年08月03日
*鈴木藤三郎が今市の報徳二宮神社に報徳全書を奉納した時の願文報徳社徒(ほうとくしゃと)不肖藤三郎(ふしょうとうさぶろう)誠恐誠惶(せいきょうせいこう)謹(つつしん)デ二宮尊徳(にのみやそんとく)先生(せんせい)ノ神霊(しんれい)ニ白(もう)ス恭(うやうやし)ク惟(おもんみ)レバ先生畢生唱道(せんせいひっせいしょうどう)シ給(たま)ヘル報徳(ほうとく)ノ教義(きょうぎ)は洋(よう)ノ東西(とうざい)ヲ論(ろん)ゼズ宗教(しゅうきょう)ノ如何(いかん)ヲ問(と)ハズ古往今来幾千万歳(ここんこんらいいくせんまんさい)ヲ経(ふ)ルモ凡(およ)ソ世界(せかい)ニ生存(せいぞん)スル人類(じんるい)ニ於(おい)テ貴賎(きせん)貧富(ひんぷ)男女(だんじょ)老幼(ろうよう)ノ別(べつ)ナク允(まこと)ニ克(よ)ク遵守(じゅんしゅ)セザル可(べ)カラザル要道(ようどう)ニシテ若(も)シ之(こ)レ無(な)クバ人道(じんどう)廃頽(はいたい)シテ民衆(みんしゅう)安息(あんそく)スルコト能(あた)ハザルナリ 先生(せんせい)ノ世(よ)ニ在(いま)スヤ憂国(ゆうこく)ノ至誠外(しせいそと)ニ溢(あふ)レ熱血(ねっけつ)ノ注(そそ)グトコロ感奮興起(かんぷんこうき)セザル者(もの)ナク済世恤民(さいせいじゅつみん)ノ良法諸州(りょうほうしょしゅう)ニ亙(わた)ツテ其効実(そのこうじつ)ニ(に)顕著(けんちょ)ナリ
2022年08月03日
屏東部落之心啟用 引入百年二峰圳水源7月30日、台湾初の部落の心が屏東県の新来迎部落にオープンしました。 この地域は日本統治時代にはサトウキビ畑であり、二峰圳の灌漑用地でもあったそうです。2021年、先住民評議会は8つの「部落の心模範地建設補助金」を承認し、屏東県の「新来迎部落心」が最初に開設されました。 "莱西郷のダンリン族の環境改善プロジェクトに1千万円。屏東県の新しい「来迎部落の心」の実証現場は、大武山の隣にあり、面積は3.3ヘクタール、芝生が多く、二峰圳から常に水が供給されており、特に意義がある場所です。大武山に隣接する3.3ヘクタールの敷地に建設されました。 先住民協会のイシアン・パロッド会長はメディアの取材に応じ、「部族の心は、文化の継承に重要な部族の言葉による教育も行っている」と述べた。屏東県の潘孟安県長は、「部落の心」のオープンが、先住民協会の助成による二峰圳運河の100周年記念と重なったことで、環境が完成したと指摘した。 さらに、県政府は公園やスポーツ・レジャー競技場にも投資しており、部族遺産の重要な拠点となることでしょう。
2022年08月03日
部落之心暨二峰圳水源地 啟用全国初の「部落の心」と二峰圳の水源地が屏東県の新来迎部落に完成し、30日に落成式を行い、原住民の長老、青年、児童の文化、教育、産業、社会福祉の発展のための全人全周のサービスエリアとして機能しています。オープニングセレモニーでは、パン・メンガン郡長が100人近い部族のメンバーを率いて、部族の伝統植物「羊歯シダ」で編んだ180メートルもの花輪を掲げ、地元のアーティストが彫った木の儀式用ナイフを一人ひとりが持って、テープカットを行ったのです。 また、100年以上にわたって地元の人々に豊かな水源を提供してきた二峰圳の水源開通記念式典も行われました。3.3ヘクタールの「部落の心」は、北大武山の麓の新来迎部落にあり、サービス・学習スペースだけでなく、広い芝生広場もあり、二峰圳の無限の水源が水を供給し、原住民の無限の源と活力を表現しています。潘夢安は、「トライバルハート」が、高齢者のための長い写真、子供たちのための学習空間、部族大学の教室、南北の中間地点という組み合わせだけでなく、今後、この空間をもっと活用し、より多様な意味合いを持たせていきたいと強調している。 今年のアボリジナル収穫祭は、9月24日にトライバル・センターで開催されました。また、部落センターのオープンに伴い、平県部落大学では4日間の若者向け文化探検キャンプを開催し、参加者が土地や自国の文化に親しみ、コミュニティの文化的価値を継承していくことを続けています。
2022年08月03日
新潟県佐渡市の黄土水氏彫塑作品『山本悌二郎銅像』が台湾に里帰りへ台湾の彫塑家、黄土水氏による『山本悌二郎銅像』が台湾高雄市に里帰りすることになった。台北駐日経済文化代表処(以下、駐日代表処)の謝長廷代表は7月27日、新潟県佐渡市で行われた高雄市との友好交流協力覚書調印式に渡辺竜五・佐渡市長とともに出席し、台日友好と芸術交流の大切な瞬間に立ち会った。 『山本悌二郎銅像』はもともと日本統治時代の台湾・高雄に開設された橋仔頭製糖工場に設置され、戦後に佐渡市の真野公園に移設された。調印式で挨拶した謝・駐日代表は、駐日代表処と台湾文化センター、並びに佐渡在住の台湾出身舞踏家である若林素子さんの働きかけにより、佐渡市の同意を得て高雄市に「里帰り」することになった経緯を説明し、佐渡市の善意に感謝の意を表した。さらに、謝・駐日代表は、先日台湾の屏東県で蔡英文総統が自ら出席した「二峰圳」100周年記念式典に言及し、「二峰」とは山本悌二郎氏の「号」であり、台湾と日本の深い絆は、100年前に先人がまいた種によるものであることが分かると強調した。渡辺市長は、佐渡出身の山本悌二郎氏が台湾の近代化に貢献できたことを誇りに思うと挨拶し、今回の銅像の帰台については市民の声にも耳を傾け、民意にしたがって佐渡の重要な文化資産を台湾への移設に応じたことを説明し、これを通して、今後の台日友好交流が深まり、末永くこの貴重な歴史の記憶が語り継がれることを期待した。 黄土水は台湾の近代における代表的な彫塑家で、台湾から初めて東京美術学校(東京藝術大学の前身)で学び、在学中の作品『蕃童(山童吹笛)』が台湾人で初めて帝国美術院展覧会(帝展)に入選した。その後も3回連続で帝展に入賞し、その作品は彫塑の技巧とともに濃厚な郷土愛が込められており、台日芸術文化界の新しい星として注目され、日本の皇室や政財界からも高く評価された。人物の彫像も多く依頼され、『山本悌二郎銅像』はそのうちの一つである。山本悌二郎氏は佐渡市出身の政治家で、農林大臣を務め、台湾製糖株式会社(台糖の前身)の設立に参画し、社長も務めたことから、台湾と深い縁がある。
2022年08月03日
「鎌倉殿」三浦義澄「一緒に逝こう!」天寿目前で悪友時政とモメる「道連れw」退場惜しむ声8/2(火) NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は7月31日に第29回「ままならぬ玉」が放送され、ドラマ初回から登場していた有力御家人の三浦義澄が退場した。体調がすぐれず床に伏し、息子義村の言葉にも「死んだ後のことは、正直どうでもいいや…」と静かに息を引き取ろうとしていたが、若い頃からの悪友で命運を共にしてきた北条時政が駆けつけてきて「次郎!死ぬんじゃねえぞ!」と呼びかけると、義澄は突然ガバッと起き上がって時政に「待っておったぞ。一緒に逝こう!」「一緒に逝こう!」とすがりついた。 ジイ2人のもみ合いがはじまり、時政が「ばか言え!」と叫んで突き放すと、そのまま床にバタン!とぶつかって事切れた。 御家人たちが権力を争って裏切ったり、命を奪い合う中で、対照的なまさかの臨終場面にネット上では「悪友を道連れにしようとする義澄」「時政のトドメw」「泣く準備してたんだけど!?」「つらい。しかし笑った」「すごいものを見せられてしまって後の話が入ってこん」「まさかの『一緒に行こう死』」「言われたらヤダなぁw」「一緒に行こうはあかんw」「畳の上で友人に見送られて退場とは。幸せな最期なんでしょうね」と話題に。 「ずっと一緒にいたからねぇ」「三浦のじいさんと時政ぱっぱの友情、最期まで良かったなあ」「時政の信頼できる人がまた一人いなくなってしまったよ…」「この関係最高だったな」と退場を惜しむ投稿が相次いだ。 三浦館の騒動とは対照的に、源頼朝(大泉洋)に流人時代から仕えた安達盛長(野添義弘)は館の縁側で、陽光を浴びながら静かに眠りについた。💛歴史に「もし」はないが、三浦義澄が北条時政を道ずれにして逝っていたら、歴史は変わっていたであろう。 おそらくは二代将軍はそのままいすわり、壮絶な御家人同士の争いのまま鎌倉幕府はついえ、京都に権力が移譲していたかも。それくらい時宗とりくの暗躍による二代将軍の失墜、暗殺、有力御家人の実力排除が続いていく。・樹木希林「お父さん(内田裕也)を残していったら大変よ!」「イギリスの占い師には、『死ぬときは(内田も)一緒に連れて行くから大丈夫』と言われた」・あるとき、一人娘の也哉子さんがタロット占いをしてもらったら、占い師から「大丈夫ですよ。お父さんはお母さんが死ぬときに首根っこを掴まえて一緒に連れて行きますから」といわれたらしく、希林さんは占いを信じる人ではないけど、ホッとしたんだとか。そして、その話を裕也さんにしたら「頼むからおまえ1人で逝ってくれ」とため息をついたそうです。結局、希林さんが亡くなって半年後に裕也さんも後を追うように逝きました。
2022年08月02日
百年不曾間斷的水 二峰圳百年紀念2022年08月02日屏東県政府はこのほど、莱依郷の哈爾法森林公園で二峰圳の100周年記念式典を開催しました。 式典には、蔡英文総統、蘇晨昌行政院長、潘夢安県長、日本台湾交流協会高雄事務所長の小野和彦、鳥居信平の孫の鳥居徹、部族の人たちが出席しました。式典では、鳥居信平の出身地である静岡県袋井市の大場紀行市長からお祝いのビデオメッセージが、海の向こうの静岡県の平田川勝知事から特別メッセージが寄せられました。蔡英文総統はスピーチの中で、二峰圳プロジェクトは台湾の民族統合と農業発展のモデルであるだけでなく、台湾と日本の友好を証明する最高のものであると述べました。 政府は今後も、水資源の保全と持続可能な開発のためのレジリエンスを高める努力を続けていきます。潘夢願は、百年以上にわたって豊かな水を供給してきた福水河から水を引くために、莱依の林辺渓上流に二峰圳を建設した先見性のある技術者鳥居信平に感謝の意を表しました。 屏東は、その遺産を受け継ぎ、次の100年に向けて邁進し、持続可能な採水のモデルを作るという重要な任務を担っているのです。二峰圳100周年記念の一連の活動は、100周年記念特別展、国際セミナー、文化景観ツアー、環境演劇、絵本の読み聞かせ、「豊順」市場、紙風船一座のパフォーマンスなど、水利と文化・歴史、人文が融合したものです。7/23から8/14までの毎週土曜・日曜には、地元の部族の人たちの案内で二峰圳や部族の様子を見学し、古代の歌や原住民族の音楽・踊りを楽しむ文化ツアーが開催されます。 ◇
2022年08月02日
時政「次郎!死ぬんじゃねぇぞ!」義澄「待っておったぞ、四郎。一緒に行(逝)こう!」抱きつく義澄を時政が「馬鹿言え!」と振り払うと、義澄はコテンと倒れ込む。脈を確かめた息子・義村は首を横に振る。時政は「次郎ー!」と泣き叫んだ。・見事に三谷さんの術にはまって、ふきだしてしまった。第9話(3月6日)の「富士川の戦い」。源頼朝と武田信義は黄瀬川の陣で対面。出陣は翌々日と合意したものの、頼朝軍が寝静まった深夜、信義軍が出陣。頼朝を出し抜いた。時政と義澄は川辺。平維盛率いる対岸の追討軍を前に話をしている。義澄「四郎、頼むから、もう少し、ちゃんとしてくれ。もう前とは違うのだ。わしらの肩には、大勢の坂東武者の命が懸かっておる。己が何をすべきか、よく考えろ!しっかりしてくれ、四郎時政。この世で一番みすぼらしいのは何か知っているか。しょげている、じじいだ」時政は頬を思い切り殴ってくれと懇願。いざ義澄が頬を張ると、時政は「やりやがったな」と突き返し、義澄が川の中に転んでしまう。「その時、辺りの水辺で休んでいた無数の水鳥たちが、一斉に羽ばたいた。数万羽の羽音が夜空に響き渡る」。追討軍は羽音を敵の襲来と勘違い。総崩れとなった。佐藤「脚本家の三谷(幸喜)くんから連絡をいただいたときは、『個性の強い侍がどんどん出てくるんですけど、三浦義澄についてはその中であまり個性がなくて、商店街の気のいいおやじだと思ってやってください』というふうに言われました」「それでも三浦を調べていろいろ分かってくると、三浦一族がすごい一族なんだということが見えてきた。三浦半島のトップですからね」彌十郎について「すごい気のいい方で、時政のあの役のように人のいい感じ、本当にあのとおりなんです。お酒も大好きで、昔はよく一緒に飲みましたね」「最初はすごく緊張していましたので、『俺を頼りに頑張れ』と声をかけました(笑い)。だからこの2人で喜ぶ第1回のシーンを、まさにドラマのクランクイン当日に収録したんですけども、けっこううまく撮れたのでよかったなと思いました」雨により三浦党が酒匂川を渡ることができなかったシーン(第5話)「現場に着いたときに大型の散水車が2台止まってました。『2台分も降らせるのかよ? 俺歳いくつだと思ってんだよ』みたいなね」源氏側についた義澄に「やっぱり人間にとって、新しく何かをしようということはすごい魅力だと思うんですよね。若者だったらその新しい方につくんじゃないのかな、人生をかけるんじゃないかな、と思いますね」
2022年08月01日
昨日(7月31日)の鎌倉殿の十三人で江間太郎(北条泰時)が伊豆で行った証文を百性の目前で破り捨て、別に1斗ずつ米を給付した場面があった。これは吾妻鏡の記事に由来する。・義時は頼時へ伊豆の領地へ赴くよう指示を出す。 凶作にあえぐ百姓が借りた米を返さず逃亡しているのを収めてこい。義時「なんとかしろ!」泰時「どうすれば?」時連「なんとかしろ!と言われたらなんとかする。お前の父上もそうやってずっとなんとかしてきた」泰時「なんとかします」の掛け合いが面白かった。
2022年08月01日
山口広弁護士が明かす旧統一教会と政治の闇「警察庁出身の政治家の横やりで撃ち方やめ」に8/1(月) ・──霊感商法をめぐっては、教団の組織的関与が認定された民事事件がおよそ30件に上るほか、2007年から10年にかけて警察による摘発も相次ぎました。ジャーナリストの有田芳生前参院議員は「95年秋に警察庁幹部らが〈オウム真理教の次は統一教会を摘発する〉と言っていた」と発言。動きがなかった理由は「政治の力」とも言っています。なぜ教団に大きなメスが入らなかったのでしょうか。 警察の対応が始まったのは05年。09年には刑事裁判で統一教会の組織的犯行が認定された新世事件(特定商取引法違反)に至りました。一連の摘発によって統一教会の動きが少しは収まるかと考え、正直言って喜んでいた。私自身、警察の捜査に協力していたんですが、現場は相当苦労していました。信者の身柄を取っても、彼らは自白しないからです。組織活動の一環であるという実態を隠し、一般的な商売だと供述する。全く口を割らない。現場のフラストレーションがたまる中、新世事件以降の政治の横やりも影響したのか、10年ごろに撃ち方やめとなってしまったんです。警視庁は当初、統一教会の松濤本部までガサ入れする方針だったのに、警察庁出身の自民党有力議員から圧力がかかり、強制捜査は渋谷教会などにとどまった。この話はいろんなところから何回も聞きました。──銃撃犯の山上徹也容疑者は動機のひとつとして、教団のフロント団体「天宙平和連合」(UPF)のイベント(21年9月12日開催)に元首相が寄せたビデオメッセージを挙げています。教祖の妻である韓鶴子総裁に元首相が「敬意を表します」などと基調演説する衝撃的な内容でした。 全国弁連は抗議文とともに、メッセージ提供の経緯について説明を求める内容証明郵便を安倍さん宛てに送付しました。しかし、衆院議員会館の安倍事務所は受け取り拒否。地元事務所は受け取ったものの、回答はありません。第2次安倍政権以降、自民党が統一教会との関わりを隠さなくなったことに強い懸念を抱いていました。自民党の変化には2つの理由がある。安倍さん自身が統一教会との親和性に気づき、統一教会とつながりのある議員を積極的に登用するようになったことです。──97年以降、教団が求め続けてきた名称変更を文化庁が15年に認証しました。第2次安倍政権下でした。 安倍政権が統一教会に協力的なスタンスであったことは間違いない。私どもは宗務課に「名称変更を認証しないでください」と何度も申し入れましたし、担当者も「そんなことはしませんよ」と応じていた。そうした中での突然の認証でしたから、非常にビックリして「なぜ認証したんですか!」と抗議に行ったんです。すると、担当者は「言えません」と。警察はなぜ旧統一教会を放置し続けた? 1995年の摘発を退けた「政治圧力」2022/07/22・「後に統一教会の機関誌で、新世事件の責任者が<政治家との絆が弱かったから、警察の摘発を受けた。今後は政治家と一生懸命つながっていかないといけない>と語ったことが、彼らの反省点でした。我々が国会議員に『統一教会の応援をするのはやめてください』と呼び掛けている理由もそこにある」・昨年までの35年間で消費生活センターなどが受けた統一教会に関する相談は3万4537件、被害総額は約1237億円に上る。弁護団によるとそれも「氷山の一角」だという。これほど被害が膨らんでいるのに、なぜ警察は一向に捜査に動かないのか。・紀藤正樹弁護士「統一教会のような伝道、経済活動、合同結婚式の3点セットがすべて違法となる集団は世界中どこにもありません。我々はすべて民事事件で解決してきました。普通はどこの国でも、これだけ問題を起こせば途中で刑事事件になります。日本だけが放置され、信教の自由の御旗の下に許されてきたから現実に今、統一教会がある」
2022年08月01日
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