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つくっちょりました。 もうこんなに進んじゃったよ… 午後からは今マイブームのブラックジャックさんでも読もっと。
2007年05月31日
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**************************************************世々の物1なお漂う硝煙だけは立ち込めていたが、一令のもとに、そこはしいんと静まり返った。佐馬介光春は、狭間から半身を乗り出すようにして敵勢を見ながら、「寄せ手の大将、堀殿はあたりにおらぬか。かくいうは、守将の佐馬介光春でござる。堀秀政どのに物申したい」敵も急に喚声をひそめた。そして堀秀政の従兄弟にあたる監物(けんもつ)の姿が矢倉の下に立った。「佐馬介どのか。今ほどは寔(まこと)にお見事であった。よい語り草をお残しなされたぞ。はや最後のお支度と察しるが、此方に物申したいとはいかなる儀か」「やれ、監物どのか」と、覗き下ろして.....「なお少々さし上げる矢弾はあれど、武門のごあいさつもはや打ち切る。やがて全城火となり申さん。そのあとで、われらの骨すらお求めあるも難しかろう。ついては、可惜(あたら)、灰となすにも忍びぬ品々を、貴公の手を経て、世にお戻しいたしたい。お受け取りあれや」云い終わると、蒲団包みや、筵(むしろ)ぐるみの荷物を、細引きにからげて、狭間から下へするする降ろして来た。堀監物は意外な感に打たれた。寄せ手の将士もみな一様な眼をそこにこらした。矢倉の下なる監物と、上なる光春との間に、なお数語が取り交わされた。光春はいう。「いま、お手元へお渡し申した品々は、亡き光秀様が、故信長公より生前功あるごとに拝領いたした物ばかりでござる。.....それに添えてある目録を一見ねがいたい。.....虚堂(きょどう)の墨蹟、茶の湯釜、名物の茶入れ、他に太刀、その他数点」監物は下で目録を見ていた。そして兵に荷を解かせ、照らし合わせて、すぐ答えた。「お目録どおり確かに受け取り申した。が、せっかくの御秘蔵を、憎き敵の手へお譲りあるとは、いかなる思し召しのことか。特に何人へお譲りありたいとかいうお望みでもあらるるか」「何の」と、光春は高き所から一笑を見せて、「敗れ去れば天下さえ、次代の勝者に移ってゆくものを、一箇の茶器名刀の如き何かあらん.....です。ただ、それがしの思うところは、かかる重器は、命あって、持つべき人が持つあいだこそ、その人の物なれ、決して、私の物ではなく、天下の物、世々の宝と信じ申す。.....人一代に持つあいだは短く、名器名宝の命は世々かけて長くあれかしと祈るのでござる。これを火中に滅すのは、国の損失、部門の者の心無さを、後の世に嘆じられるを口惜しと、かくはお託し申す次第。.....依って、その名器名刀が、やがて誰のご所有になろうと、左様なことは、ただいま、この世に暇する光春の知った事ではありません。.....流玩転賞(るがんてんしょう).....それでいい。持つべき資格のある者に持たれ、世の流れにまかせてゆけばよいのです」告げ終わると、光春は、はや死を急ぐらしく、そこの狭間から姿をかくした。堀監物はあわてて、再び、矢倉の上へ向かってこういった。「佐馬どの、佐馬どの。なおお聞きしたいことがある。もういちど姿を見せられたい」「おう、何事」ちらと、また光春が下を覗いた。「ほかでもないが、いま受け取った数々の重器のうちにも、かねて明智衆にありと聞く、世に名高い吉広江(よしひろえ)の脇差は、目録にも見えぬが、お取り出しを忘れたのではないか。.....もし御失念なれば、庫中からお持ちだしになる間、お待ちいたしてもよいが?」すると、佐馬介光春は、呵々(かか)と笑って、「あれは平常、日向守様が、特に御鍾愛の名刀。わけて明智家には、由緒深い品でもあれば、やがて死出の山にて、光秀様にお会いしたとき、お手渡しいたさんものと思うて、わざと取りのぞいておいたのでござる。.....はや火も本丸まで燃えついて来たようですから、余事を申しておる暇もない。監物どの、いざ、攻めかかられよ」言葉の下から、ぐわんッと異様な音がした。光春は一閃の火光と黒煙のうちにかくれ、矢倉の狭間のすべてから、同時に濛々(もうもう)と硝煙がふき出した。つぎの一瞬には、轟然(ごうぜん)と、全楼ことごとく、一火となって崩れて来た。火薬を積んで自爆したのである。坂本城は、明智方最後の一拠地だった。佐馬介光春以下、一族とその股肱は、思い残りなく、生涯の終わりを飾った。かくて地上にはこの日限り、明智方と名のつくものは、一城一兵もなくなったわけである。自爆した矢倉の崩壊とともに、全城また火の海となったので、寄せ手の勢は、いったんその火勢から、囲みを開いた。ところが、その焔の下から、まだ生きていた一人の敵が躍り出した。「寄せ手の若い者に物申さん」と、その老武者は、熱風の中から駆け出して、「われは光春の叔父、明智長閑斎光廉である。欲しくば寄れ、この首さずけん」そしてりゅうりゅう槍をしごき、堀勢の一角へ猛突して来たのだ。日頃、家庭の児女や、坂本の家中一般からも、「のん気なお方」といわれ「おひゃらくな御老人」と、まるで奥曲輪(おくぐるわ)の玩具みたいに見られていた長閑斎は、この日、光秀光春の妻子から老幼すべての者の最後までを見届け終わると、やがて矢倉にのぼっていた。そして甥の光春に切腹をすすめて、その介錯をつとめ、さらにまた、三宅周防守らの将士が、すべて自害し終わってから、矢倉下の火薬に点火するという.....最後の一役までもしていたのであった。「やあ、口ほどにもないぞ。当年六十七歳の老武者の槍先から逃げまどうような奴は、この先ともに世に生きていたところで、世の役には立つまい。われと思わん若い者なら、この首を取れ。取ってみよ」長閑斎は、高言を吐きぬいていた。実際、彼の槍に立ちえる者もなかった。真実死を決めた人の働きには、老若の差もありとは見えない。まさに老獅子の奮迅(ふんじん)に似ていた。突き崩された寄せ手は、ついに鉄砲を揃えてこれを撃とうとした。すると堀秀政の旗下、薬師寺某は、「さすがに、甥も甥なり、叔父も叔父なり、あわれにも、見事な死に振りよ。願わくば、あの入道首はそれがしに給われ」と鉄砲組みの狙撃を制して、一槍(いっそう)をもって立ち向かい、ついに突き伏せてその首級をあげた。長閑斎は、さきに甥の光春を介錯した光春所持の刀を帯していた。首級はその品とともに、やがて、堀秀政の手から三井寺へ送られ、秀吉の実検に供えられた。「死んだか。.....この長閑斎も、面白い老人だったが、とりわけ、光春は惜しい男だった」秀吉は、首と刀を前にして、左右の諸将にこんな思い出を語った。「あれはもう.....だいぶ以前のことになるが、光秀が始めて坂本城を拝領した頃、信長公のお使いで、この筑前が祝いに参った事がある。そのとき、光秀は下へも措かずわしをもてなし、またしきりに、従兄弟の光春をも会わせたがって、何度も、佐馬介を呼びにやったらしいが、ついに出て来なかった。.....その帰りがけじゃ。わしが湖畔の道へかかると、松原の中で、茜の陣羽織を着た男が、余念なく、馬の稽古を励んでおる。この方の行列にさえ一顧(いっこ)もくれず馬ばかり飛ばしているのだ。.....あとで聞くと、それが佐馬介光春であったそうな。その時分から、わしもひそかに骨のある男と見ていたが、果たして今日、その真価を天下に示した。.....もしこの男が、わしの麾下であったらと真実思う。しかしこう惜しまるるもまた人の華(はな)だが」**************************************************世々の物2参考 吉川英治・新書太閤記第8巻/橋上橋下・志賀の浦風・世々の物より終わり吉川英治的お部屋へ戻る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2007年05月30日
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昨晩、いちど自宅へ戻り子供をつれてイオン倉敷のトイザラスさんへ行き、こいつをゲットしてきました。この間の日曜日、満を持して発売された、誰もが知るシャアザクです♪モノコック系モビルスーツには一切手を出していなかった私ですが、シャア専用の赤い魂はやはり手を出しておかなければいけないでしょう。いぜん、どこぞのサイトで"MG MS-06F"をシャア専用に改造・塗装している写真を見かけ、心を震わせ、それ以来いつか作ってしまおうと思っていたところ、Ver.1.0の出来の悪さに手が出せずじまいにいたのですが....ヤッタ。早速いつものごとく足から製作しました。すごいことになっています。このザク、爪先・カカトの内部までフレームになっているのです。大体、最近のマスターグレードでもそこまではしていないのですが。バンダイの力の入れよう、凄まじいものがあります。やっぱりシャア専用だからかな?ガンプラルームへ戻る
2007年05月29日
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世々の物光春は城に入ると、ここに留守していた全家の老幼男女から、そのすがたを、焦土に降った菩薩のように取り囲まれた。坂本にとどまっていた光秀の夫人や一族の者も、かならず彼が一度はここへ来るものと信じて、必然、取らねばならぬ最後とは知りながらも、「佐馬どのがここへ見えられた上でも遅くはあるまい」と、待ちに待っていたのであった。光春はすぐ令を下して、「云い渡すことがある。将士はみな本丸へ集まれ。場外の木戸へ出ておる者も呼び戻せ」と、下知(げち)させた。やがて集まった頭数は三、四百に足らなかった。半数以上は、光秀の死を伝え聞くとともに、ゆうべのうち何処(いずこ)ともなく逃げ落ちてしまったものとみえる。「よく今までここを支えていてくれた。しかし、事こころざしと違(たが)い、味方は山崎にやぶれ、大殿も昨夜小栗栖のあたりで敢(あえ)なき御最後と聞く。すでにわれらの惟任(これとう)日向守様の亡き今日となっては、われらの望みも同時に終わった。.....かさねていう。この最後の最後まで、異心なく、踏みとどまってくれた各々の善戦に対して、佐馬介は、故光秀様を始め、御内方(ごないほう)、ほか一族になり代わって、心からお礼を申す。かくてこの一城は、わが明智一党の最後の墳墓と相成ったが、各々にはもう武士として恥なき本分を尽くし果たされた事でもあれば、この上、求めて死を急ぐにはあたらぬこと、それぞれの郷土に帰ってさらに、士魂をみがき、今日の教えを生涯に活かし、よい侍として終わってくれるように。.....これは光春が命じる最後の命令である。かならず守ってもらいたい」佐馬介はそう告げ終わると、やがて庫中の金銀から何くれとない器物や身の廻りの物など、すべてをそれらの人々に分かち、「はやく落ちてゆけ。搦手を出て山づたいに、四明ヶ嶽(しめいがたけ)を越えればなお遁れる先はあろう。とかくして、われら一族どもの足手まといになってくれるな。はやく、はやく」と急(せ)いて、ほとんどそのあらましの者を、追うように、搦手の一門から落としてしまった。あとの城中は、空洞(うつろ)のような広さだった。その寂寞(せきばく)のうちには限られた血縁の人々と、かしずく少数の女人たちと、そして極く内輪の近臣しか残されていなかった。.....すると、奥の丸の橋廊下を、幾人もの幼子を、その母なる人や侍女(こしもと)たちと供に両手をひいて、こなたへ渡ってくる老人があった。光春の叔父で明智光廉入道長閑斎(みつかどにゅうどうちょうかんさい)という、あの面白い人であった。「じじ様。みんなして、どこへ行くの」光秀の末の子、乙寿丸(おとじゅまる)は八つであった。こうして、奥の者が揃って局(つぼね)を出ることは珍しいので、ふしぎそうに訊いていた。「さあ、いずこへ行きましょう。嵯峨(さが)の花見か、竹生島(ちくぶしま)へお船で月見か」この人の常として、洒々楽々(しゃしゃらくらく)と子供相手に戯れている様子は、今日も平生と少しも変わりがなかった。婦人や侍女や乳母たちは、さすがに、折々面をそむけて、そっと涙を拭いていたが、長閑斎の言葉を聞くと、涙の中でも、ふと笑ってしまう事がままある程であった。もちろんここには佐馬介光春の妻子もいる。そのうえに亀山から光秀の妻子眷属までここへ引き取っていたので、ひと口に奥の者といっても、縁類を加えた老幼男女の数は何にしてもずいぶん大勢である。光春は、それを見な、叔父の長閑斎に頼んで、騒ぎ乱れぬように、本丸の広い一間に寄せ集めさせたのである。長閑斎の役目はなかなか難しくて辛いはずだった。しかしこの老人は辛い顔も悲しい様子もしていない。例のとおり子らと戯れながら、何度にも渡って、橋廊下を往復し、やがて滞(とどこお)りなく奥の者を全部、ひとつ広間にあつめた。「賑やかなことじゃな。このような多数の道連れでは、どこへ参ろうと、寂しゅうない」彼は、その真ん中に座って、たえず何か喋(しゃべ)っていた。けれど多くの女性は泣きぬれている。それが子たちの童心をも異様にしめやかにするので、いつもなら彼の肩や膝に取り付いて、よい遊び相手とせずに措(お)かない子らも、各々、その乳母やその母の側にすがって離れなかった。「叔父上、みな、御そろいなさいましたか」やがて光春はそれへ臨んで、光秀の夫人へ向かい、「はや敵は、城下近くに迫りました。今はお心措きなく、お始末遊ばしますように。.....光春もすぐおあとを慕うて参りますれば」と、最後をうながした。光秀の夫人は、わが子、身寄りの子など、幼い者を左右に置いて、光春の妻と並んでいたが、「何かと、こまやかに、嬉しゅう思います。わけてお許に一目でも会えたのは、またとない幸せでした。ここには気づかいなく、お許の思いのままよい死に場所を取って、敵に嗤(わら)われないようにして下さい」「ありがとうぞんじまする.....では」今生これきりの一礼をのこして、「叔父上。お願いします」「承知した」「女房。みだれるなよ」妻へも、一言行って、彼はすぐ去った。城壁の外には、もう鉄砲の音が聞こえていた。それと、たった今、ここにいる者が立って来た奥の丸から突然、濃い煙が立ちはじめた。これは光春の命によって、小姓の奥田清十郎と船木八之丞がみずから放った火であった。その火炎が橋廊下のある中庭を距てて此方の広間の障子へ赤く映った。「.....怖いッ」取りすがる子の叫びや、急に泣きたてる子の声が流れた。その中にも、長閑斎の声だけは、なんとなく明るく、「泣くじゃない、泣くじゃない。さむらいの子は、泣かないもの。.....じじも行きますぞ。母後も参ろうぞ。みなも来い。お手々をつないで死出の旅出じゃ。さあ、お行儀よく、おすわりなさい。順々に、じじが連れて行ってさしあげる」黒煙の漂いだした障子のいちめんに、こまかい血しおの霧が打った。みだるる黒髪の下から最後の息で子の名を呼ぶ母の声ももれた。しかしすべては一瞬の震撼(しんかん)に似ていた。刺し交(ちが)え、刺し交え、おくれる親も子もなかった。.....一人なお生き残って、やがてそこから廊下へ出てきたのは、長閑斎だけであった。その頃、大手の城門は、ぱりぱりと響きを立てていた。寄せ手の勢が破壊にかかりだしたのだ。石垣の彼方此方からも、先を争う兵の影がよじ上がって来る。搦手からは火であった。この方面の火は、さきに城中の者がみずから放った奥曲輪(おくぐるわ)の火とつながって、忽ち半城を蔽うばかりの火勢となった。「八之丞、清十郎。いちいち玉込めしていては手鈍(てのろ)い。鉄砲を取り替え取り替え、弾のあるかぎり撃て」光春は矢倉に登って、残り少ない左右の者に、なお下知していた。そして自身も、鉄砲を構えて、狭間(はざ)から筒先下がりに敵兵を狙撃していた。すでに城兵の大部分を逃散(ちょうさん)させた後なので、武器だけは夥(おびただ)しく残っている。一弾放っては、またほかの鉄砲を取って撃ち、使い捨てに撃ち続けていた。同じ矢倉にいる七、八名の小姓も武将もみなそれに倣(なら)って敵に猛射を浴びせた。「佐馬どの。居るか」「居るッ。周防(すおう)か」「そうじゃ」「申しつけた品々は」「矢倉の下まで運ばせたが、如何なされる?」「何でもよい。すぐこれへ運び上げさせてくれい」「心得た」階段口から半身だけあらわして、そこから光春の背へこう云っていたのは三宅周防守だった。周防守はすぐ矢倉の二階辺りまで降りて行って、下に待っているさむらいたちにむかい、「上げろ。上がって来い。それらの品を持って、お矢倉のうえまで」と、手を振っていた。その間も、光春は、鉄砲を撃ち続けていたが、程なく、三宅周防守と、ほか四、五名の味方が、なにやら布団包みにした荷物や、筵ぐるみにした梱(こり)などを三、四個ほど、すぐ後ろまで担(にな)い上げて来たのを見ると、「鉄砲止めッ」と、四方の狭間へ向かって、不意に休戦を命じた。**************************************************参考 吉川英治・新書太閤記第8巻/橋上橋下・志賀の浦風・世々の物よりつづく吉川英治的お部屋へ戻る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2007年05月28日
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日曜夜の蹴鞠団に行ってきました。昨晩はKSLの第一節と言うことで大ゲでした♪どんなレベルだろうとヤッパリ大ゲはいいですね。相手は前期負け越してたチームなのかな?ブレーブさん。 私はめずらしくフルゲームださせていただきました。いつもは後半だけ参加のハンドンじんさん。昨日もそのつもりだったので土曜日はフォースに出かけて結構疲れていたのですが、ハッキリイッテ35分2本フルでうれっすぃです。^^フォースの練習で45分とか50分休憩なしのゲームばっかりやっているのでKSLクラスくらいのスピードなら70分余裕で持ちましたね。オジさんでも動けるもんです。エヘンエヘン 結果は前半1点目、先制点はアゴーラ所属の近ちゃん。センターリングから近ちゃんが頭で合わせたところを相手ディフェンダーがハンドではじき笛がなる前にコボレを逃さず藤井さんが押し込んで1点目。 続いて2点目が相手ディ左サイド裏に飛び出したじんさんが裏パスをそのままダイレで中にいる近ちゃんへ。近ちゃんがヘッドでドンピシャ!!その後は蹴鞠の攻撃が少し単調になり相手に中盤で何度か回される場面が出て来て「嫌な流れになってきたナァ...」と思っていた矢先相手フォワードとキーパー1:1。コイツを前に出てNiceセーブあそこで1点取り返されていたら嫌な雰囲気になっていたと思う。(センキュー!キムさん!)2-0のまま前半を折り返して後半開始早々帰ってきたウルトラマンことイナーキーさんが相手でいフェンダーがこぼしたペナ外のルーズボールをミドルでドンッ!! これで3点目。まってよ、稲垣さん。そーゆーシュートは オイラの仕事だぜ!! と、僕は心の中で非常に悔しかったっす。実際に顔に出ていたらしく (*´Д`)=3コンナカンジクリ君が点が入っても嬉しくナサソーな僕の顔をみて、笑ってました。^^; その後、相手の動きは完全にとまって蹴鞠団のやりたい放題。まずはコーナーキックから私が頭であわし4点目。その少し後クリ君がミドルレンジから打ったシュートを相手がクリアミス!?か、ナニカよくわかんないプレーでおうんごーる♪ んでもって相手ディの裏をつきまくって私が6点目。 それからまたクリ君からのグッドな落としでまたまた私が7点目。 気がついたら7-0の完璧勝利でした。 前半の最後終わり方がよくなかったのでトップの近ちゃん・じんさんが前線からアタックに行ったら二列目にクリ君およびボランチがゾーンで参加。 よーは、今井さんがフォースの練習試合でやってたアタックかけるラインの設定B設定・C設定。(B・Cってのは半コート3分割ラインの位置) どのラインでアタックかけるかは僕がスタートしてラインを指示。上手い事隣で近ちゃんがプレスを連動してトップ下のクリ君が二列目に参加そしたら相手が出したルーズボールをボラボラの荒さん、稲垣さんあたりが楽にカットそのまま前線へボールを供給という理想的なゲームが出来たと思います。あいてはほとんどサッカーやったような気がしてないのでは? 後半の最後、ディフェンスラインの押し上げが遅くなり前線と最終ラインが間延びした部分が何度かあったけど技術に関係なくこーゆー戦い方したら楽に戦えると思うな。 って、これはフォースの戦い方パクってますから~~~!!!ヘヘヘイマイサンゴチソーサマデ-ス。 結局昨日はじんさんハットリ君でした♪チャンチャン
2007年05月28日
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よかつたよ~~~↑(ちょっと東北なまりで)(●´∀`)ノ+゜*。゜マンセ~イ+゜。*゜+昨晩もフォースの練習で火曜日忘れたスパイクがあることを祈りつつ参加したのですが、現地についたとたんかのう君となあ君が「じんさん、スパイクあったっすか?」って今井さんがわざわざみんなにメールで聞いていた頂いてたらしいっす。ご面倒おかけしました。冷汗三斗 火曜の夜に僕の横で着替えていたカノウ君が、「あの晩、もし気づいてたら、またじんさん忘れとるって言ってますからねそんな話出てなかったっすからわかんないっすよ」って以前にお気に入りのヤフオクでゲッチュした”ユベントスのスタジアムジャンパー”忘れてまたまた今井さんに拾って頂いた前科あり こりゃあきらめるしかないかな~。と、アップにグラウンド1週廻りにスパイク落ちていないか目を凝らしながら走っていたら、ありました!!!(∩.∩)ニンマ~~♪ トイレの横でほかの忘れ物スパイクたちと整列しているではありませんか!!! よかったっす~~~~♪ 僕が想像していた以上に倉敷西中の教員の方々はじぇんとるめんだったのね。 というわけで心置きなく球蹴りすることが出来ました。 昨晩は僕含めて9人しかいなく地元の高校生相手にミニミニゲームを楽しみました。いつもは半コートでやっているので死ぬほどえらいのですが昨日は楽でした。(そのわりにハァハァいってましたけど^^;) そうそう今井さんスパイクの一件ありがとうございました。(ご迷惑おかけしました。)でも嫁さんの前で昨日のブログの内容あんなおっきい声で言ってはいけませんよ~~♪空気を読んでくださいね~♪ 後で「そんな事まで書いとんかな!」って叱られましたから。笑
2007年05月27日
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いい天気になりました。本当は見に行ってあげたいのですが最近の運動会は5月にやるんですね。5月は、うっとこの会社の決算月なので店を閉めて見に行くってわけにゃ行きません。 まあ、嫁さんが見に行ってるからいっかナ。 今日はいい天気になりました。2人とも元気よく学校へ出かけたのですが朝から「今日はランドセルかぶっていくんかな?」と和志君。「そりゃ和志、ランドセルはかぶれんぜ!」と私。しかも、運動会の日なのにランドセルはいらんでしょう。そー言ってるのに、「いや、一応もっていくわ」と愛ちゃんは先にスタコラ出かけていったのですけどすぐに帰ってきて「みんなランドセル持ってきてねーわ!」と、叫んでました!アタリマエジャ!ちょっと考えりゃいいんですけどね。まあ、かわいい(オモロイ)から見守ってましたけど。笑 嫁は嫁で、今日、子供の弁当作るの忘れてて結局2人のお昼はコンビニのサンドイッチっす。ハハハ この親にしてこの子あり!っすね。そんな家族のオヤジは私なのでおして知るべし!!! 一視同仁四海万民皆兄弟♪ がんばれ!和志に愛ちゃん。
2007年05月26日
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なきそー。ちゅうか泣いてます。昨日、吉備中の練習いったのですがさあ、練習しようかと車からスパイクを取り出そうとすると無いのです。スパイクが。忘れちゃったのです。火曜日フォースの練習のあと。 ああぁぁぁぁぁぁぁぁああ 2月に買ったばかりなのに... 誰か拾っててくれないかなと淡い期待を抱きつつ水曜も練習していた監督の今井さんに問い合わせてみたのですが 先ほど、今井さんからメールが入って「見てないよ♪」とのこと。トホホ 多分....オキッパっすね。。・゚゚・o(iДi)o・゚゚・。 今頃、僕のスパイクは西中の教員A「お。なんじゃ?このスパイクは」 西中の教員B「誰かが忘れたんでしょう」西中の教員A「どうしようもないな。焼却処分!」..... ってかんじかな。まったく、道具が大事に出来ない男です。ワタシハ 昨晩は仕方がないので以前使っていたツルッツルの穴あきスパイク君で蹴ったのですがヤッパリだめっす。明日の練習に行って トイレの壁に掛かっていること(よく忘れ物スパイクは掛かってる)を神仏に祈りまセウ。 最悪は買うしかないな。
2007年05月25日
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**************************************************遠巻きにしていた敵勢は、多寡をくくって見ていた自己の心理をにわかにたしなめて、「逃げうせたぞ」「どこかへ影をかくした」急にあわて出した様子である。そして無性に、光春の姿の消えたあたりに向かって、矢弾を盲射(もうしゃ)しだした。各々、一騎討ちに自信があるらしい武者が、東の森からも、西の街道からも、三騎、七騎、十騎と前後して駆け出した。もちろん光春に近づいて、雌雄を決する気ぐみにちがいなかった。その面々は馬上から味方の方へ手を振って、「射るな」「しばし撃つな」と、制しながら、何か、口々に呼ばわり呼ばわり駆け巡って、光春の姿を探しているふうだった。すると、彼方の葭(よし)の茂りが、風でも分けてゆくように、一筋、際立って戦(そよ)いでいた。**************************************************つづき1参考 吉川英治・新書太閤記第8巻/橋上橋下・志賀の浦風よりつづく続きを読む*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2007年05月24日
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最近、フォースの監督今井さんが読んでいてくれると言うことでみょ~にモチベーションが上がって書いてます。笑**************************************************坂上にある彼の床机場は、燃えさかる町屋の煙のため、すぐ下の戦況すら透視できなかった。「どれでしょうか」側に彼を囲んでいる家臣の堀監物や近藤重勝は、眼をこすりながら、秀政の指先を見わたしていた。「あれ、あの白地の陣羽織じゃよ。乗っているのも良い馬らしい」「オオ、なるほど」「光春だろう」「しかと分かりませぬが」「光春ならで、あれほどの武者が、部下のうちにいるとは思われぬ。久太郎秀政の前に立たせて不足のない敵だ。どれ.....」いうや否、彼は、傍らの馬に飛び乗って、坂下へ駆け降りていた。堀久太郎秀政は、この年、ちょうど三十歳である。天王山、山崎などで、彼の名は、羽柴軍のうちでも断然重きをなして来たが、なおまだ帷幕にかくれて計謀に参ずるよりは、陣頭の勇将であった。彼は、味方を押し分けて、敵勢の直前に馬を立てた。同時に、大音声で何か敵へ言ったが、あたりの叫喚(きょうかん)や炎の音で、到底、言葉の意味は届かない。けれど、その態度や物の具などで、大将秀政ということは、すぐ知れた。明智勢の眼が、皆それへ集まった。「死ぬならあれと刺し交(ちが)えて」と、雑兵までが、どッと秀政の姿の下へ寄って来た。「われと見て、後ろを見せるか。佐馬介(さまのすけ)。佐馬介」秀政は、馬前の敵を見ず、彼方の白い陣羽織を見ていた。およその敵は、馬蹄(ばてい)に駆け散らし、槍を持って叩き伏せた。そしてただ白い陣羽織のみを目がけていた。光春は、煙の中から、ちらと此方(こちら)を振り向いた。.....と、猛然、彼の影は、あたりの敵をふりすてて、秀政の方へ馬首をめぐらせて来たが、突然、前に立ちふさがった味方の若者の二人が、左右から主人の口輪をつかんで、ぐるりと、反対な方へ駆け出してしまった。それは光春が、日頃眼をかけていた二人の小姓だった。うしろからは、堀秀政が、「きたなし!」と罵(ののし)り、「返せ」と呼ばわり、「.....逃げんとしても、逃げ得る道もあるまいに、佐馬介光春は、死に場所を知らないのか」と、乗れる駿足(しゅんそく)にまかせて、その追撃は物凄いばかり急だった。堪(たま)りかねて、光春も、「放せッ」と、駒を止めて、二人の手を、馬の口輪から振り飛ばそうとしたが、二人の小姓はなお、「いけませんッ。殿には、お落ち下さいまし」「あとは、われら二人で」と、必死に拒んで、しかも一人は槍の柄で、光春の馬の三頭のあたりを、力まかせに撲りつけた。馬は驚いて、光春を乗せたまま、盲目的に彼方へ飛んでいった。二人の小姓は、もとの道へ取って返して、健気にも、堀秀政と槍を交え、枕をならべて戦死した。.....止(とど)まるを知らない奔馬(ほんば)の手綱をやっと締めて、.....光春が、田の畦の、湖に注いでゆく小川の縁から振り向いたときは、もうその二人も見えず、追って来る秀政の姿も見えなかった。そのかわりに、近くに望まれる街道にも、うしろの畑道の土橋や森の付近にも、百騎、二百騎ぐらいな敵の集団が、あだかも空から網の中へ翔(か)けこんで来た鳥を眺めているように、そう物々しく動きもせず、此方を見ている様子であった。危地は決して脱していない。むしろ反対に、光春の危険は加わった。混乱の重囲から、完全な重囲のうちへ移って来ただけのものである。こういうとき慌てふためくと、後々までの語り草になされる。包囲している敵の意志も、(佐馬介光春が、どういう死にざまをするか、これは見ものである。見ていてやろう)というような落ち着き払った意地悪さを示しているのだ。どう緩慢(かんまん)に放っておいても、初戦は檻の中のものに等しい。佐馬介が逃げきれるものではない.....という自信たっぷりな気持ちを前提としてであるということはいうまでもない。「叱(し)いッ.....」光春も悠々たるものだ。手綱の一方をぐいと挙げて、馬を叱った。無理にここで馬を止めたはずみに、馬の前脚が柔らかい田土にふかく入ってしまっている。その前脚を怪我なく抜かせておもむろに馬首をめぐらすためだった。駒は、田と小川のあいだを、ゆるやかに湖の方へ向かって歩み出した。軽い速度になって、しきりと鬣(たてがみ)を振りながら、白い泡を口輪に吹いているのは、なお馬が悍気(かんき)をしずめていない表情である。光春の手綱は、努めてそれを宥(なだ)めながら歩ませていた。びゅんッ.....と、一矢、風を切って彼の面と鬣のあいだを通った。ぶすッと、そこらの畝にも、銃弾のもぐる鈍い音がした。が、多くは、矢も弾も、田の面(も)に落ちた。まだ彼の位置は射程圏外にある。しかし彼の駒はどこへ出る気であろう。行こうとする道はすべて敵にふさがれている。それ以外は琵琶湖の水あるのみである。そのうちにふと光春の姿が見えなくなった。**************************************************参考 吉川英治・新書太閤記第8巻/橋上橋下・志賀の浦風よりつづく吉川英治的お部屋へ戻る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2007年05月23日
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今朝、通勤途中の事なんですが直線道路を走っていたら点滅信号を左から一時不停止の白いワゴン車が無理やり直進の車列の中に割り込んできて僕の4台か5台くらいの前の車がまあ、譲らずに直進したんですね。ほったらその白いワゴンのオッサン逆切れしてその車を数キロにわたってピッタリくっつけたり追い越そうとしたり煽りまくってたんですね。「バカなやつも居るもんだ」とずーっと後から眺めてたんですが片側2斜線の広い道路になるとずーっと後の方からパトカーがものすごいスピードで僕を追い越し、右折専用のレーンに入って信号待ちしてたその白いワゴンを止めてすぐ近くにある岡山西署に連行して行ってました。 バカナヤツめッ!!! そう思ったのは僕だけではないはず。あまりに見苦しゅうございましたから。 なんだか朝から溜飲の下がる思いをしました。パトカーも遠くから見てたんでしょうね。キット
2007年05月22日
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昨晩は蹴鞠団に行ってきました。なんか、急遽こーちゃんとこのルーシアと合同練習っちゅうことで楽しみに現地へ出かけるといるわいるわ。蹴鞠とルーシアで試合が出来るくらい人数いてました。合練なのにバラバラで練習してっからもしかして大ゲでもすんのかなと楽しみにしてましたが案の定、大ゲすることになり楽しんできました。ドコにも登録できない僕にとっては大ゲはヤッパリ魅力的です。とは言いつつ、土曜日のフォースで心も体もズタボロな私にはかなりキツカッタ... 体があったまるまでは、動くのが苦痛でしたね。 それにしてわれながら昨日のシュートはショボかった。 あのくらいの寄せのスピードならスイスイドリも出来ッけど最後がどうもなぁ....まだまだ修行を積まねば。 次回は火曜日。また気張っていくぞん♪
2007年05月21日
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蹴ってきましたよ!久しぶりに!きつかったぁ~。土曜日の練習はあまり枚数が多くないのでサボれないんですよね。おまけに少し広めにグラウンドを使うから攻めたり守ったり、走るのしんどい。オジサンニハ僕のスタイルはディの裏へダッシュするってのが多いから攻め込まれたときディに戻るのが大変。オトウサンハさらにフォースは他のとこの練習より攻守の切り替えがハヤイことハヤイこと。 毎回土曜日は体力の限界まで走らされちゃいます。まあ、それが良いっちゃ良いんですケドネ。 たぶん私、その辺の地区リーグ下部の連中よりよっぽど走れるようになっていると思います。ワレナガラ 昨晩は、また一つ勉強しました。今井さんご教授ありがとうございました。感動 最近、フィニッシュで力が入りすぎて上手くボールにミート?ゴールできないんですね。で監督の今井さんなんかも一緒にゲームやってんだけど、ぜんぜんチカラいれずさくっとスゲエゴールするんですね。「僕も今井さんみたいにチカラ抜いてシュートうたなイカンですね」と練習後アドバイスを聞いたんですが「力を抜くってのがナカナカ簡単じゃないんだよね。ヘナヘナなシュート打つのとは違うし時間の使い方なんだよ。一瞬でボール受けたらここに落としてこう打つってのをイメージできてないと。ディフェンスがいなくてもあわてて打っちゃうし、打つ前にイメージが出来てないんなら打たずに回りに出す。そっちの方がよっぽど良いよね」 なるほどv(o´ з`o)━ゥ♪ そーいえばきれいにシュートが入る時はシュート打つ前に受ける位置・受け方・タイミング・シュートコース・さらに弾道すべて一瞬でイメージできてますもんね。逆に入らないシュート打った時は、その辺があいまいで極端な話、行き当たりばったり的な打ちかたしてます。フィニッシュに限らずクサビで顔を出す時も同じような事が言えますもんね。 よしよし。 と言うことで今日は蹴鞠団なのでその辺を少しおさらいしてみようかな。
2007年05月20日
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先週土曜日から蹴ってないや。痛涙 この間の日曜日(蹴鞠団)→場所が遠いからヤメタ火曜日(フォース)→夜の勉強会水曜日(フォース)→雨ッッッッ ぐはッ!!木曜日(吉備中)→あ...め....振ってないのに中止 ひでぶッ!!!金曜日(庄小学校)→雨ッッッッッッッッッッッッッ!!! あべしッ!!! そして やっとこさ本日実に七日間ぶりここのところの私のペースからすると全然蹴ってない。 やっと蹴れるやっと蹴れるやっと蹴れるやっと蹴れる~~~~ッ!!! たわばッ!!! ふふのふ。
2007年05月19日
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志賀の浦風山岡景隆兄弟や、同苗美作守などの一族は、いわゆる甲賀武士の頭目だった。こんどの大乱に際して、さきに旅行先の堺からあわてて本国へ帰った徳川家康の道中の難儀を甲賀山中で助けた一種の山侍も皆、この山岡一族の配下に属する者どもだったといわれている。この一族が、節義を立てて、当初から光秀の誘降をしりぞけ、断乎として、反明智を守り通した事は、筒井順慶などに比べると、多いに異としなければならない。.....要するにこの瀬田城は、以前、瀬田掃部助(かもんのすけ)の居城であったのを、信長の代に、山岡一族に与えられた事を、深く恩としていたことによる。こういう山岡勢に加えて、堀秀政の先鋒隊が合しているので、その強さは言うまでもない。しかも、光春が安土から率いてきた手勢一千余に対しては、彼は少なくもその三倍に近い兵力を擁(よう)していた。辛(から)くも、勢田の大橋口は、遮二無二突破して、光春以下、その大軍のうちへ、面も振らず駆け入るまでの果敢(かかん)は示したが.....到底、それはみずから求めて苦戦の中へ自軍を投じたというしかない戦闘であった。「散るな、崩すな、まんまると円陣をむすび、円を旋(めぐ)らしながら北進せよ。.....味方の旗を離れて遠く戦うなよ」光春は声をからして、その馬上すがたを、戦う喚声と馬けむりの中に、揉みに揉まれていた。この場合、軍の分裂は、敵のねがうところで、光春にとっては、自滅を意味する。彼はあくまで千余人の力を一団として、台風のごとく、旋回陣を取りながら、大津まで突破しようと試みたのだ。しかし、その大津まで出る事に成功しても、それは決して勝利をつかんだ事にもならないし、大勢の上に曙光(しょこう)を見ることでもなかった。ここで勝っても、ここに敗るるも、彼のゆくてにはただひとつ。死、それあるのみだった。山崎すでに敗れ、一族みな四散し、主将光秀もまた非業(ひごう)の死を遂げたり!と聞こゆる今、彼として赴いて何かせん、生きて何かせん.....である。とはいえ、その光春にも、なおまだ、これだけの苦戦をなしても果たそうとする一つの望みはあったに違いない。それはもちろん(ただは死なぬぞ)であり、日頃からの覚悟と願いながらも、(こころよく果てたいもの)とする生涯最高の場と時とに今や直面していることの自覚であった。(.....さむらいの道、一生涯の華(はな)も実も、成るか成らぬかは、ただ死に際の一瞬にあること。生涯のつつしみも守りも研(みが)きも、もしその死を誤まてば、生涯の言行すべて真を失い、ふたたび生きてその汚名を拭い直すことは出来ない)日頃、彼が家中の子弟にも言っていた言葉を、彼は今、我と我が身に言い聞かせながら、馬上、槍を横たえて、怒涛(どとう)と怒涛の相打つごとき血戦の中を、悠々、少しずつ、粟津(あわつ)の方へ進んでいた。.....こうして、ようやく、大津の町の東口まで突破して来たものの、ふと炎のような息のひまに、前後につづく兵を見ると、わずか二百騎ぐらいしか見えなかった。多くは、途中で討たれたか、あるいは負傷をしたものだろうが粟津の辺りで、有力な部隊に味方を中断され、それからは四分五裂となってきた結果である。「坂本へ。坂本までは」佐馬介光春は胸の中で、不断にそこの目標を意識していた。行き着くまでは、死なぬぞと誓った。坂本の城には、なお多くの家中の者と、そして亀山城から移した光秀の夫人や子達や、そのほかたくさんな老若男女の眷族(けんぞく)が籠(こ)めている。もちろん自分の妻子もいる。「あれらの者にも、心安く逝けるように、よい死に方を取らねばならぬ」光秀の亡き後は、当然、彼が一族の家長であった。光春は一番後から死のうと思っていた。その坂本は程近い。もう一里半か二里である。しかし大津の町へ入ると、町屋は煙に包まれている。光春の先に立って駆けていた荒木山城の子荒木源之丞(げんのじょう)、乙之丞(おとのじょう)の兄弟は、忽ち駒を返して、「殿々。この道は通れませぬ。.....道を変えねば」と、手を振った。兄弟に倣(なら)って、ほかの徒歩勢(かちぜい)も、どっと後戻りして来た。両側の家々から火を噴いているので、所詮、熱くて通れないのである。「なぜ通れぬ」光春は、先へ出た。荒木兄弟が、「新手の敵が、町屋に火を放(つ)けて、この先の辻に充満しておりまする」と告げると、光春は、「この小勢で、田や畑を奔(はし)らば、それこそ、敵に迂回されて、よい獲物と包まれよう。敵の真っただ中を割って通るのが、どこよりも一番安いのだ。わしについて通れ」と、やにわに、馬に鞭打って、焔の町中を駆け出した。火ばかりではない。その姿を狙って、矢や弾丸も彼へあつまった。光春は、左の肱(ひじ)を曲げて、鎧の袖を額の前に翳(かざ)し、馬のたてがみにうつ伏し気味に突撃していった。「それ、殿につづけ」兄弟も、他の部下もわあッと、咽(むせ)びながら、火の下を駆けた。辻へ出た。登れば逢坂(おうさか)、西は三井寺(みいでら)。また一方の道は柳ヶ崎の浜辺へ出る。ここの要所を占めていたのは、堀秀政の本隊だった。もちろん久太郎秀政自身も、この中にいるはずである。当然、光春以下、明智勢はそれへぶつかって行き、堀隊も猛然と迎え撃った。馬の動きも槍の柄も意のままにならないほど道幅の狭い辻である。しばしの市街戦は、焼け落ちる建物のひびきと、人間の咆哮と、血の黒煙で、夜か昼かも分からなかった。ここの辻は、坂の裾の三叉路(さんさろ)なので、当然、坂上を取っている堀軍は、地形上からも有利であった。そのほかすべての条件からも、光春主従の終わりは、今ここが、その時と場所であるとしか見えなかった。けれど光春以下二百の兵は、その絶対的なものを、いわゆる「ものともしない」死に物狂いをもって驚くべき勇戦を持ち続けていた。ここまで、光春を離れず、従(つ)いて来ただけでも、その兵は、尋常一様な兵数の質ではないことがわかるのである。.....為に。地の利を占め、黒煙猛火を味方とし、あまつさえ数倍の兵力をもって、それを喚(わめ)き包んでいた堀隊も、却って、少数の敵に、まったく一泡吹かせられた形となった。刻々敵も討ち減らしてはいるが、味方もそれに数倍する死傷者を累々と路上に重ねている有様であった。「あれが佐馬介光春か」堀秀政は指さしていた。**************************************************参考 吉川英治・新書太閤記第8巻/志賀の浦風よりつづく最初から読んでみる*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2007年05月19日
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山崎合戦で光秀が秀吉に負けて小栗栖での最後を遂げた後、秀吉の先発隊が光秀の居城亀山を包囲するあたりからです。**************************************************昨夜来、丹波越えに向かった高山、中川のニ隊は、十四日朝、亀山城を包囲していた。けれどここにはもう光秀の家族はいなかった。一子十兵衛光慶(みつよし)が留守している筈と思われたが、それも見当たらなかった。老臣隠岐五郎兵衛は前日病死していた。そのほかこれという程な将士もいない。為に、ここではほとんど何らの抵抗も受けることなく寄せ手の入城を見ていた。あけて十四日というこの日頃には、中央以外の地方諸侯は、どういう方策を決していたろうか。まだ以前たる混迷中にあったといっていいが、さすがに海道の徳川家康と、越前の柴田勝家とは、やや積極的な動きを示していた。勝家は、養子勝豊、勝政、その他の諸将をすでに先発させ、自信も北ノ庄を出て、山越に、近江へ急いでいる頃であった。.....もちろん上洛を遂げて、故主のあだ光秀と一戦を果たさんために。家康の徳川勢も、同様の目的のもとに、今十四日には、すでに熱田まで来ていた。そしてなお京都へ向かって続々行軍中であった。すでに遅しというほかはない。光秀はすでに破られていた。しかもその光秀と同様な誤算を、家康もまた勝家も抱いていた。.....秀吉の反転突進が、さまで鮮やかに迅速に、てきぱきとこの大世転を処理し終わっていようとは、なおまだ思いもよらぬこととしていたのである。世人もまた同じだった。昨日一日で、明智の存在が泡沫(ほうまつ)のごとく、地上から抹殺されてしまった今朝、その起こるときの急なるに驚いた世人は、ふたたび、その散滅の呆気なさに、呆然としているふうに見える。しかしまだこの日となっても、まったく無傷な兵力を擁している明智方の一族があった。安土を占領してそこに拠(よ)っていた約一千余人と、坂本の城にある千数百という人数である。そしてこの方面の将は光秀の従兄弟にあたるかの明智左馬介光春だったことはいうまでもない。あわせれば二城で約三千の兵力はある。むなしくこれを近江口へ置いたことは光秀として用兵上すこぶる下策であったと酷評する戦略家もあるが、光秀とて決してそれだけの軍を遊ばしておくつもりではなかった。ただ秀吉の猛撃が余りにも一瀉千里(いっしゃせんり)の急潮をもって押して来たため、予備軍としていた安土、坂本の新手を加えて反撃に出るいとまもない結果となってしまったのである。光秀が山崎へ臨む前に、急遽、従兄弟の光春へ当てて早打ちした書面は、本来、遅くも十三日の朝には着いてよいはずだが、途中の連絡が困難なために、これが光春の手に届いたのは、すでに十三日の夜半を過ぎていた頃だった。急を知ると、光春は、「これに遅れたら取り返しはつくまい」と観(み)て、すぐ安土の一千余名にことごとく出軍を命じ、未明、城門を出て、日の昇るころ、勢田の板橋へかかった。.....もし光秀が小栗栖に死なず、もう数里を遁(のが)れ得ていたなら、この朝、山科から大津へ出て、たとえ勝てないまでも、光春と共に最後の一戦を華やかにする事ができたであろうに。すべては全く手遅れだった。ここ勢田の橋口も、光春の最後を見るべき所ときめて、夥しい敵影が手ぐすねひいて待ちうけていた。橋は中断されていた。板橋を剥がして、桁(けた)と杭(くい)ばかりになっている箇所だの、放火して焼き壊した跡など見える。「近くの民家を潰して、すぐ架け渡せ」馬上の佐馬介光春の面(おもて)には、何のうろたえも見えない。付近の民家はどしどし潰された。古材木の柱や戸板はわいわい担がれてくる。或る者は、勢田の河流に身を沈めて、橋杭を補強し、或る者は、桁を這い渡って彼方から綱を投げ、長い板を引っ張っている。頃あいを計っていたらしく、対岸の敵勢はこの機を見ると、銃を揃えて一度に弾丸を浴びせてきた。「身を伏せろッ」と、部下へ命じながら、自分は毅然(きぜん)と立ったままで、敵の弾(たま)けむりを睨んでいた明智方の足軽頭は、こめかみの辺りを撃ちぬかれて、橋桁(はしげた)からもんどり打って河中に墜(お)ち、ドボンと、大砲の弾が落ちたようなしぶきを揚げた。「怯(ひる)むな、怯むな」なおそこへ、長い棟木(むなぎ)だの、床板だのは、絶え間なく運ばれてくる。一歩一歩、決死の修理をつづけて、見方の突撃路は作られてゆく。屍(かばね)は橋上を埋め、血は橋桁からしたたって、勢田の流れを紅(あか)くした。対岸の敵勢もなかなか重厚らしい。銃手が弾込めに時を移している間には、弓隊が矢風矢唸(うな)りをたてて、これまた凄まじい鏃(やじり)の数を射て来るのだった。この一軍は、事変の初めから反明智態度を明らかに示していた勢田の城主山岡景隆の全家中と、先に山崎から急派されていた堀秀政の先鋒の一隊である。昨日以来の勝ち戦に続いて、光秀以下、敵の一族諸将の終わりも聞き知って、いまや意気のあがりぬいている軍勢であるから、その矢弾といい、喊声(かんせい)といい、ほとんど、佐馬介光春の率いる一千余の兵力の如きは、主を失って路頭に迷う敗残のあわれなる群れを揶揄(やゆ)するような概でしかなかった。「明智の者どもよ、まだ聞き及ばないか」「山崎の総敗軍を知らずに、ここを通ろうとするのか、知って通ろうとするのか」「日向守光秀さえ、昨夜、小栗栖で相果てているぞよ」「土民の竹槍で」「悪因悪果(あくいんあっか)の見せしめを身に示して」「それとも知らぬか」「知ってか。ばか者」「うつけたる、うろたえ軍」「何のために通るぞ」「どこへ落ちる気で.....」こう口々に罵(ののし)る敵側の弾けむりの裡(うち)に、時には、どっと笑う声すらするのである。それに対して、光春の部下は、見方の作業隊のために、必死の援護射撃を酬(むく)いながら、尺歩丈進(せきほじょうしん)、押し詰め押し詰め、見方の屍を塁として、徐々に大橋の半ば以上を踏み取り、やがて佐馬介の号令一下の下から、千余騎いちどに、対岸の敵陣中に突貫した。それは橋上ばかりではなく、橋下の急流を、馬で渡し、筏(いかだ)で進み、或いは、半裸体になって、泳ぎ渡ってゆく者もあったのである。**************************************************参考 吉川英治・新書太閤記第8巻/橋上橋下よりつづく吉川英治的お部屋へ戻る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2007年05月18日
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さあ、ラストスパートっす。昨日はお休みだったので一気に仕上げようとおもいマッスル。ダブルビームライフルを作りました。この部分はコアトップ機首部分を務めるだけあってパーツ数も多く複雑なつくりになっています。以前作ったとき、コアトップ変形時ヘッド部分を隠す機構のところへ接着剤(しかも瞬接)をつけてしまい、取り外すのにパーツを折っちゃったことがあるので今回は慎重に作りました。ビームライフル先端部も、以前作ったMGサザビーさんみたく、メッキシルバーで塗装してみました。ナカナカイクナイ?はい!組み上げました!次は最後のシールド部分と、バックパックです。メインバーニア周辺は、あらかじめ塗装しておいたのであとは組み上げるだけです。はい完成。今回は失敗部分のないパーフェクトなつくりなので満足です。色塗りもわれながら上出来。このチロリと見えるバーニアのメッキシルバーが手間かかっているように見えてなんとも言えないですね。(実際はペンでチロチロ塗ってるだけっす)後はシール・デカール張って完成ですね。以前作った完成写真、全部削除して取り直そうかな?最初から見る
2007年05月18日
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ほとんどあきらめてたのに… 晴れたっすo(^-^)o 今週の初蹴りだ。ヤタッ! 今日は一日中ガンプラつくっちょりました。とうとう完成しちゃった… 後はシール張だけ。 詳しくはまたアップしま~す。
2007年05月17日
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昨晩は勉強会だったから今日は蹴っておきたいナァ。先週の日曜日蹴鞠団はいけなかったから4日ぶりっすか。21時から雨になってるけど今晩降って明日の午後ははれたら明日の木曜日は久しぶりにがくさんが来るって言ってられるし晴れたらいいな。
2007年05月16日
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昨日はショルダースラスターアーマーとマニュピレーターを作りました。マニュピレーターはさすがに1999年ものと言うことで、親指と人差し指のみの独立可動となっています。まあ、これだけでも結構表情は出せるもんです。肩から指先まで、本体に組み上げました。さすがにここまで来ると完全にダブルさんですね。今回は部分塗装と墨入れも気合を入れて創っているので満足な仕上がりです♪全部読む
2007年05月15日
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昨晩の事です。僕が自宅に帰り、晩御飯を食べた後ビデオを見ていた愛ちゃんに「愛ちゃん、ちゃんと宿題したんかい?」と聞くと「あっ!やべっ!!やってないわ」と、いそいで宿題をはじめて「愛ちゃん、お父さんお風呂はいるけど、ちゃんと宿題しといてよ」と、和志と一緒に風呂に入ったのですが(和志も無論、やってません。笑)風呂から出ると、和志が「父さん!愛ちゃん、勉強せずに寝とるわ!」と、見てみるとハハハ力尽きてました。よく遊んで疲れたんでしょうね。結局宿題は半分くらいしか出来てませんがかわいいから許してやる事にしました。その後は、和志の宿題を10時30分くらいまで見てやりましたとさ。
2007年05月15日
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昨日はお店がかなりパタパタしたので、おうちに帰ると大河ドラマを見て10時ごろには寝てしまいました。で、本日6時に起床して1時間ほど製作しました。最近はこんなリズムばっかで作ってるナァ...肘から下の腕部分です。ここにもでっかいバーニアが回転して出てくる機構がついているので複雑なつくりになっています。でももし、Ver.2.0が出てくるならこの変形機構に内部フレームを加えたもので再現して欲しいものです。(がんばれバンダイさん!)組み上げました。足のパーツもそうでしたが、細かい部品構成なのに組み上げるときれいに納まります。後はマニュピレーターを作って本体完成ですね。今晩やろっと。ガンプラルームへ戻る
2007年05月14日
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「.....が、殿.....あなた様こそは、かかる時代に、生まれあわせ、また選ばれたるものぞ、御自身、お思いになりませぬが.....つらつら半兵衛が、見上げ奉るところでは、あなた様は、夢、天下人たらんなどとは、野望しておいででない」ここで、また間をおいて、「それが、今日までは、あなた様の御長所で特徴でもありました。.....失礼ながら、あなた様は、お草履取りであるときは、お草履取りの職分に万念をつくし、また、一士分のみであるときは一士分の職分に全能をつくし、決して、徒(いたずら)に上ばかり見て足を浮かしているような妄想家ではおわさなかった。いまとても恐らくは、そのお心にたがいなく、いかにせば中国探題の職分を完(まっと)うしうるか、いかにせばよく信長公の御委嘱(ごいしょく)に最善なご満足をおこたえし得るか、またいかにせば目前の三木城を陥(おと)し得るか.....それに御専念のほか、また他事や一身の栄達などはお考えないものに相違ございますまい」「............」房中は寂(せき)として他に人はないようであった。秀吉はふかく垂れた頭を上げることも身ゆるぎも、まったく忘れ果てたもののごとくじっと聞いていた。「しかし.....です。かかる時代を収拾する大器量は、かならず天のお選びによって、どこかに用意されてあるものです。群雄天下にみち、各々、この乱世の黎明(れいめい)を担うもの、万民の塗炭をすくうもの、われなり、われを措(お)いて、人はあらじと、自負し自尊し、ここに中原の覇業を争っておりますが、すでに、偉材謙信は逝き、甲山の信玄亡く、西国の雄元就は、おのれを知って、子孫に守るを訓えて世を終え、そのほか浅井朝倉は当然の自滅をとげ、何人かよくこの大くくりを成し遂げて、次代の国土に文化に万民をして心から箪食壷漿(たんしこしょう)せしめるような大人物がおりましょうか、残っておりましょうや.....指を折ってみるまでもないではございませぬか」「............」秀吉は、そのとき、むくと面をもたげた.....と、半兵衛の眼の窪からも、らんとして、射るような光が彼の面へ向かって来た.....いま死なんとする臨終のものの眼と、なおどこまでも生きるかしれない秀吉の眼とが、せつなに、葛藤した。無言のうちに、射あったのである。「信長公.....右大臣家をさしおいて何を申すかと、あなたは心中に半兵衛の言葉を迷惑がっておられましょう....そうです、そのお心持ちはわかります.....けれど、信長公には信長公でなくては能(あた)わぬ使命を持って、天意は十分に、公に振舞わせておられます。現在の状態を打ち破るあの御威勢、今日までの百難をふみこえられてきたあの御信念、それは徳川どのでも、あなた様でも、よくなしうることではありません。信長公を措いて誰が時代の混乱をここまで統率してくる事が出来ましょう.....さはいえ、それを持って宇内の全てが革(あらた)まるとはいえないでしょう。中国を征し、九州を略し、四国を治め、陸奥(みちのく)を伐(う)つとも、それのみでは、上(かみ)朝廷を安んじ奉り、四民を和楽せしめ、しかも次の文化の建設、世々の隆昌の礎(いしずえ)がすえられるとはいえません.....いえません」時代が英雄を生み、英雄が時代を創(つく)る。また、破壊の英雄があり、建設の英雄もある。天数人命、宇宙のふしぎな配置をかりに天意と呼ぶならば、天意は、その時代に応じて英雄をつくり、その器量に応じて、任じる使命を局限しているようである。春秋三国の史に照らして、またかつての日本の治乱興亡をかえりみて.....半兵衛はふかくそう観じているらしい。歴史の実を持って、現状の変を洞察(どつさつ)し、また時局の底流を按(あん)じ、多年、身は秀吉の一幕下に置いては来たが、心は高く栗原山の山巓から日本中の動きと、時代の帰趨とを大観して.....或る結論を、(こうだ。こうなる)と、かたく胸奥に秘めていたものの如くである。彼は信じている。縁あって、多年、自分が補佐したこの主人こそ、いわゆる破壊の時代を承(う)けて必然現れなければならない.....次の人ではないかと。明け暮れ、余りに側近くいて、時には、婦人の寧々と夫婦喧嘩をしたり、時には、愚にもつかないことを喜んだり、鬱(ふさ)いだり、馬鹿をいったり.....風采ときてはまた、他家のどの主人と見比べても、優とは思えない.....御主君であるので、とかく、そう偉材な天質と観るものは、まず、羽柴家の家中でさえ、十人のうちに一人とはないらしいが、竹中半兵衛は、この人に侍側(じそく)し、この人のために半生を送ったことを、今とても、決して後悔していないどころか、(よくぞ、かかる御主君に)と、結ばれた天縁にたいして、大きな喜びと、そして臨終(いまわ)の間際までも、確呼(しっか)とした生きがいを感じているのであった。(この殿が、かねて自分の信じているような役割を持ち、また将来の大を成し遂げてくれるなら、重治そのものの形骸は、ここにおいて事の中道に死すとも、決して、空しき生命を終わったものとはならない.....この君の精神(こころ)をとおし、この殿の将来をとおし、自分の理想は、何らかの象(かたち)で世に行われよう。自分はこの喬木(きょうぼく)を大ならしめる根元の肥料(こえ)であっていい。)ただこの喬木が、亭々、次代にそびえ、爛漫、この世を君が代の春とのどかにする日があれば.....わが願いは足れりといえる。人は若死と言うかもしれないが、以って半兵衛重治は十分に瞑すことができるというものである)「.....以上、申上げた事のほか、もう.....もう言うべき言葉は、何もございませぬ。どうぞ.....殿。ご自身をお大切にしてください。またとなきご自身であることを信じて、重治亡きのちも、一層、御勉強あそばして.....」.....と、いったとき、半兵衛の胸は、朽木の折れるように、前へ曲がった。それを支えるべく、細い手を畳へ落としたが、手にも、すでにその力さえなく、ガバと、筵(むしろ)の上へ顔をうつ伏せてしまった。顔と蓆のあいだから、とたんにパッと、紅(くれない)の牡丹(ぼたん)が咲いたように、血しおが拡がった。もちろん吐いたのである。.....秀吉はとびつくように、半兵衛のこうべを抱えた。なお、こんこんと流れるものが、自分の膝、胸へかかって汚れるのも意識せずに、「重治ッ、重治ッ。わしを置いて。わ、わしを残して.....そちひとりはや逝(ゆ)くか。そちに別れて、この後の戦に、秀吉は何としよう.....重治ッ」と、掻(か)き口説いて、秀吉は大声で泣いた。醜態といえば醜態ともいえるくらい、見栄(みえ)も外聞もなく、おいおいと泣くのであった。.....がくりと、その膝に、項(うなじ)を折っている白い顔は、今は主君の胸に甘えて、(否とよ。これからのあなたには、もうそんな憂いはありません)と、微笑みながら、秀吉の繰言(くりごと)を、否定しているようであった。**************************************************参考 吉川英治・新書太閤記第6巻/秋風平井山よりおわり最初から読んでみる*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2007年05月13日
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2007.05.12 練習試合 対ガイスト行ってきました。以前"戸村工運"時代は、同チームの試合を何度か見学したことはあったのですが、生まれ変わった"フォース"の試合は見たことがありませんでしたので、監督の「10分くらいなら出してやるよ」の言葉を期待しつつ、出してもらえなくても価値はあるなと見学に行ってきました。試合の様子を写真に撮りたかったのですが、いかんせん素人カメラマンの安物デジカメ(しかも使いこなせない!)と来ては、やや照度の低い西中グラウンドの試合の模様は上手く収められませんでした。(^^;)まあ、その代わりいくらか写真として見られるものだけココに紹介したいと思います。 現地に到着したところで、すでに1本目終了間際。監督の今井さんに聞いてみるともうすでに4点取っているらしい....まぁ、実力差から言うと当たり前なんですが、今井さんからするとかなり納得がいかない部分があるらしく、ハーフタイム中は厳しく指示を出していました。ちなみに写真の一番先頭歩いてんのが"のぶ君"なる中野君。その後の黄色ビブが藤田さん。隣歩いてんのがキーパーのユウ君。その後がいつも僕が練習中に叱られてるシュージ君。(言っている事は勉強になります)休憩中のみんなをパシャパシャ撮っちゃいました♪撮っている僕がなんだか照れちゃって上手く取れませんでしたが....真ん中の子は自工の拓志君。.....って....君も出るの?そいつは反則でしょう...と思ったのは僕だけでしょうか?その右隣は上杉君。この子がイケメンキーパーのユウ君。基本的にフォースはみんな良い男。帰ってうちの嫁さんに写真見せてもイケメンばっかりじゃな...と言ってました。おまけっす。我が家の愛ちゃんと和志くん。隣の女の子は誰の奥さんなんでしょ?この人が現在キャップのタクヤ君。以前日記にも書いたけど、僕がフォースの練習中足首を捻挫した時、「じんさん!シュミレーションはもういいっすよ!」と、優しい言葉をかけてくれ、おまけにそのあと、立派なイガグリも見せてくれた男です。笑「こーゆー写真とってもらうの苦手なんすよ!」と言いつつポーズまで付けてくれたチーム一のナイスガイです。ハハハ左手がタクヤ君、右手がシュージ君、真ん中が....ゴメン...まだ名前インプットしてないの。こんど教えてね。細かいタッチの上手なNiceプレーヤーです。で最後に、試合終了後、残ったみんなでこの一枚。ちょっとボケ気味ですが許してチョ。え~~っと一番右が藤田さんと並ぶフォースの古株・心の柱、まなぶさん。その前でセーフってやってんのがテクニシャンのコーダ君。スゲェ上手いっす。そのコーダ君の左隣がフォースの点取りやナア君こと中尾君。あのシュート感覚は脱帽ものです。ナア君の後ろ二人、右がウッキー君。この試合いいクロスボールを何度かあげてました。僕も残り10分出して頂いてウッキー君にグッボーを供給してもらったんですが...空振りでした。ハハそのウッキー君の左がノブ君。この子もナア君と並ぶフォース2トップの双璧(すいません僕が思ってるだけかも...)。前線へのロングボールを上手く落ち着かせる技術は唸らせるものがあります。真似したい。その隣がシゲさん。入ってきたのはこの1・2年かな?この日は中距離のNiceシュートを1本拝ませて頂きました。おなか一杯です。ありゃりゃっっっ!!!???今井さんと藤田さんが入ってないっすね!!お二人はまた特別ページもうけて特集組みますからね!!ヨロオネッスってこの日はこれだけしか上手く取れてませんでした。また試合を見学できたら、もうちょっときれいに取れるよう球蹴りともども精進しておきます。そうそう、この試合、確か結果は1本目 4-02本目 1-03本目 2-0だったと思います。ご苦労様でした。また呼んでね♪フォースのお部屋(開発中)
2007年05月13日
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**************************************************というのは.....その年の雨季も過ぎ、炎暑の夏もこえて、ようやく涼秋の八月になりかけた頃、半兵衛重治の病がどっと重くなって、もう今度は二度と、その病骨に、鎧具足(よろいぐそく)もまとえまいと思われるような状態に陥(おちい)った事であった。「ああ、天もついに秀吉を見捨てたもうか。まだ若い英才半兵衛に、余命をかし給わぬか」と嘆いて、借家の一囲いに、秀吉も共に閉じ篭って、昼夜、看病に怠りなかったが、半兵衛の様子には、その夕べ、刻々と、危険が迫っているように見られた。鷹ノ尾、八幡山などの、敵の支塁も、夕靄(ゆうもや)につつまれていた。宵が迫る.....白い靄の中から、銃声がこだましていた。秀吉は、平井山の一角に佇(たたず)みながら、「また、あの跛行(びっこ)どのが、あまりに深追いせねばよいが」と、敵へ迫っていったまま、まだ帰って来ない官兵衛孝高を、案じていた。あわただしい足音が、その時、彼の横へ来て止まった。見ると、ぺたと、大地へ両手をついて、泣いている者がある。「於松ではないか」「はいッ」官兵衛孝高の子、松寿丸は、半兵衛重治に伴われて、この平井山の味方へ初陣として加わって以来、もう幾たびか戦場も駆け、生まれて初めて、鉄砲槍の中も歩き、わずかな間に、見違えるほど、気丈となり、骨太になり、また大人びていた。七日ほど前から、半兵衛の容態が急変したので、秀吉は於松に向かって、(誰が枕元にいるよりは、そなたがいてやるのが病人にとっても嬉しかろう。わしが看取りしてやりたいが、気をつかっては、却って病気によくあるまい)と、自分に代わる丹精を彼に命じておいたのである。於松にとっても、半兵衛は、数年訓育を受けた恩人、また命の親でもある。ここ昼夜その人の枕元に持したまま具足も解かず、薬餌(やくじ)の世話に精魂を傾けていた。.....その黒田松寿丸が今、これへ駆けて来るなり大地へ泣き伏したのである。直感に秀吉は、はっと胸を衝かれた。「泣いていては分からぬ。於松何事か」わざと叱咤すると、「おゆるし下さい」と、於松は、籠手を曲げて、瞼(まぶた)を拭(ぬぐ)いながら、「重治様には、もうものいうお力も弱られ、お命は、今宵の夜半を待つまいとのこと。.....どうぞ、戦いのお暇に、ちょっと、お越しねがいとうございます」「.....危篤とな」「は、はい」「医師のことばか」「さようでございます。.....が半兵衛様ご自身は、私に向かって、かならずとも、自分の容態をわが殿へも、陣中の人々へも、告げるなかれと、固く仰せられておりますが.....。今生のお別れももはや間のないことなれば、ひと言、殿のお耳へ達しておいたほうがよかろうと医師、御家士方の仰せのままに、急いで、これまで、お知らせに伺いました」「そうか」と、答えた時には、秀吉もすでに観念の眼を心に閉じていた。「於松。.....そちはわしに変わって、しばしこれに立っておれ。やがて鷹ノ尾の戦場から、そちの父、官兵衛が引き揚げてくるであろうから」「父は、鷹ノ尾に出て、戦っておりますか」「むむ、例のごとく、輿に乗って指揮にあたっておる」「.....では、私のほうから、鷹ノ尾に行って、父に代わって、兵を指揮し、父を半兵衛様の枕辺へ呼び戻してはいけないでしょうか」「よくいうた。.....そちにその勇気があるなら」「行って参ります」と、すぐ起って、「半兵衛様の息のあるうち、父もひと目会いたいでしょう。口にこそ出さね、半兵衛様も、父の孝高(よしたか)に会いたいと思っているにちがいありません」松寿丸は、健気に、そういうと、身なりに較べては、大き過ぎて見える槍の柄(え)を横にかかえて、山すそへ、駆け下りて行った。秀吉は、その踝(くびす)を、反対の方へ回(めぐ)らして、途中から次第に歩速を大股に運んでいた。営中、幾棟にもわかれている仮屋の一つに、燈火(ともしび)の影が漏(も)れていた。そこが半兵衛の寝ている病棟で、折りふし、そこの屋根越しに宵の月が淡くのぼりかけていた。枕元には秀吉から附けていた医師もいる。竹中家の臣もいる。ほんの板囲いに過ぎない借家の藺筵(いむしろ)の上ではあるが、白い衾(ふすま)は厚く重ねられ、片隅には、職人図を描いた屏風(びょうぶ)が一張り立てられてあった。「半兵衛.....。わかるか。秀吉じゃ、筑前じゃ、どうだの、気分は」そっと、側へ座って、枕の上の顔をさしのぞいた。夕闇のせいか、半兵衛の面は、琅かん(ろうかん)のようにきれいである。.....かくまで人は痩せるものかと、涙なきを得なかった。秀吉は、辛くなった。見ているのが、どうにも傷ましい。「医師」「はい」「.....どうだなあ」「..........」医者はなんとも答えないのである。もちろん時間の問題とその無言は答えているのだが.....秀吉としてはなお、何とかならないものかと、云いたいのだった。昏々としていた病人は、そのとき微かに手をうごかした。秀吉の声が耳にとおったらしく、うっすら眸をあけて、何か、近侍に意思を告げようとしていた。「殿が、お見舞いに成らせられました。.....殿が、お枕べに」「........」うにずいて、なお、何かもどかしがる。.....自分のみを抱き起こせと、命じるらしいのであった。「いかがでしょう」医師をかえりみて、近侍が諮(はか)ると、さあ、と医師も答えきれない顔をした。秀吉は半兵衛の意を覚(さと)って、「なに、起きたいと。まあ、そうしておれ、そうしておれ」と、子をあやすように宥(なだ)めた。半兵衛は、微かに、顔を振ってさらに、近侍を叱った。といっても、もとより大きな声も出ないが、とたんに、落ち窪んでいる眼にそれが見えたので、はっと一も二もなく、近侍は彼の命のまま、二人ほどして、板のような病人の半身をそっと抱え起した。夜具で身の回りを支えようとすると、半兵衛は、無用と、退けて、唇をかみしめながら、寝床の上から徐々に身をずり降ろした。それは、今、息もたえんとする病人にとっては、必死な努力にちがいなかった。すさまじいばかりな懸命さである。凝視したまま.....秀吉も医師も並み居る家臣たちも、息をのんで見守っているしかない。ようやく、寝床を離れることニ尺ばかり、藺筵(いむしろ)のうえに、半兵衛重治は、きちと座った。何たる肩の尖(とが)り、膝の薄さ、また両手の細さ。女にもみまほしい姿だった。ひそかに、唇(くち)をしめて、息を整えているらしい。やがて、折れるように、ぺたと両手をつかえた。そして、「はや、おわかれも、今夕(こんせき)にせまりました.....多年の御鴻恩(ごこうおん)、あらためて、お礼申しあげまする」と云い、またすこし間をおいて、「散るも咲くも、死ぬるも生まるるも、深く観じてみれば、宇宙一円の中の、春秋の色相(しきそう)のみ.....おもしろの世かな。さようにも思われます.....殿には、ご縁あってかく御厚遇を受けましたが、顧(かえり)みるに、何の御奉公も仕らず、ただそれのみが、臨終(いまわ)の心のこりにござりまする」糸のような声であるが、ふしぎにすらすらと唇からもれて来る。或る厳粛なる奇蹟に対する心地で、一同は、粛として容(かたち)をあらためていた。わけて秀吉は、襟(えり)を正し、項(うなじ)を垂れ、両手を膝に乗せたまま、慎んでその一語一語も聞きもらすまいとしていた。まさに、消えなんとする灯は、滅前、鮮(あきら)かな一閃(いっせん)の光を放つ。いま、半兵衛のすがたは、その生命は、あたかもそうした崇高な一瞬に似ていた。.....必死に、彼はなお、この世に最後の言葉を、秀吉へ告げようとし、そして言いつづけた。「多事、これからの多事多端、世のうつり変わりは、寔(まこと)に、思いやらるるばかりです.....大きな変革期(かわりめ)のさかいにある今の日本.....生きられるものなら、半兵衛ごときも、生きてその行く手を見とどけたい。真実、左様に存じますれど.....天寿、いかんとも成し得ません」次第にことばも明晰(めいせき)になってくる。生命力だけでものをいっているようだった。肉体そのものはさすがに時々大きく喘(あえ)ぎ、肩を抑えては、次のことばまでの呼吸をやめていた。**************************************************参考 吉川英治・新書太閤記第6巻/秋風平井山よりつづく最初から読む*この書き込みは営利目的としておりません。個人的かつ純粋に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2007年05月12日
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昨晩は母の日を兼ねて私方の両親とじんさん家族で回転すしを食べに行きました。なので夜は製作ができず、今朝もいつもより少し早起きして製作しました。ダブルさんの方からにの腕にかけてです。このダブルさん、内部フレームが全然ないのですが部品数は内部フレームがある場合より多いんで手間がかかります。この部品、二の腕部分なのですがココ要注意!以前作った時は両腕とも保っきり折れちゃいました。バンダイさんに頼んで新しく部品取り替えてもヤッパリ折れちゃいました。原因は多分ばっくの説明書に書いてあるJ4パーツ、この片方のパーツのみで接続部分を負担しているから折れるのだと思います。ホントはパテ埋めして補強すればいいんですが、そんな技は持ち合わせていないので接続部分の周りにたっぷり接着剤をつけて、かみ合わせのパーツにも負担を分散させるようにしました。(この商品買いたい人はココ注意!!)組み上げてみました。二の腕部分は接着剤が乾くまで待たなきゃいけないので、まだ取り付けてません。肩の部分は複雑なパーツ構成がすっかりまとまりました。次は肘から下マニュピレーターですね。全部読んでみましょう♪
2007年05月12日
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昨日はお休みでしたので、朝から延々とダブルさんの整作をしました。基本的に一度作った事のある機体なのに、部品数が多いしガンプラ作り出して最初の頃の作品だったと言うことでまた違う角度から見ることが出来るので全然新鮮に製作する事ができます。足首から上のすね部分内フレームを作りました。ここはコアベースに変形する時くるりと回ってノズルが全開する部分なので細かく稼働するようになっています。膝下の装甲を作りました。この部分では左右対照の作りになっておりまったく同じものを2つ作るだけになってます。脹脛部分(下の赤色に塗ってある装甲)の色分けが全然なっていなかったので少し手間がかかりました。黒い部分が黄色で赤い部分が白色の成型色となっていました。こんなイマイチな色分けはF91くらいなもんでしたね。ちゃちゃっと組み上げました。左側のものが変形した形のものです。くるりとも割る部分がビス止めになっており力加減がムヅカシイです。プラスチックにビス止め...以前イクスェス君でグズグズにした覚えが...太もも部分まで組み上げました。右が最大に折り曲げた上体です....全然ダメな可動範囲ですね。まぁ、3次元でこの変形合体を可能にしたぶん可動はどうしても捨てざるを得ないでしょうね。この作品が1999年のものなので今後のバンダイさんの技術発展に期待してVer.2.0を待ち望みます(もちろん出たら即買いです。^^)WAISTパーツを作りました。ダブルさんは背中にでっかいランドセルを背負うためそいつを支えるフレームがこの部分に接続されるようになっています。昔、僕が小学6年の頃"フル稼働1/100ダブルさん"を作った折、すぐにグズングズンになった部分です。コチラ様には軽いロック機構がついているのでその心配はナッシングです。くわしくはボディを組んだときに書きますね。足とつなげてみました。だいぶダブルさんになってきました。これに上半身とでっかいランドセルを背負う事によって、こんなスマートな立ちポーズが出来なくなるんです。(1回作ってますから^^;)コアブロック部分を作りました。中にはちゃんとジュドーさんが搭乗しております。前回作った時は色塗りを全然していなかったので、今回は部分塗装・隅入れをちゃんとやっておきました。はい。乗っかりました。このダブルさんはコアブロックシステムのために腰を回転される機能は付いておりません。多分現在のバンダイさんならやってくれるでしょうね。今度8月にRX-78 Ver.2.0の時にコアブロック付きで腰が可動!ってなるんでしょう。タノシミダあっ!?長女の愛ちゃんがナニゲに写っちゃってます。ハハハコアベースになる胸部分を作りました。確かこの辺になると、もう夕方の17時ごろになっていたと思います。一気に進んでしまいました。この部分はゼータガンダムと同じような変形機構になっており、部品数も多く複雑でかなりムヅカシイつくりになっています。胸部分のエアインテークが付いているフレームとそいつを稼働させるフレームがダボ1個のみの接続になっていますから、よく接着しておかないとすぐに外れてしまいます。要注意!!ハイ組み上げました。最近は17時過ぎてもまだ外が明るいから、写真撮影が助かります。ちなみにこれは携帯電話で撮っています。300万画素っすよ!しかもメモリ容量が1ギガ!!僕が持っているデジカメ、200万画素で16メガバイト....もう使えないっすよ。コイツが背中のランドセルを固定させるロック機構。これならランドセルがだれてしまう事はないです。でも現実ではこれだけの接続じゃあ持たないでしょうね。多分。ダブルさんのNiceフェイスです。何度作ってみてもMk-2によく似ています。Zプロジェクトの百式・Zは一般で言うゼータ顔なのに対して、ダブルさんはファースト顔っすね。どっちも好き!!!今までのデジカメならこんな近くでの撮影はピンボケしてしまって不可能だったのに、僕の持っている携帯では可能です!しかもオートフォーカスまで付いてます。今まで使っていたデジカメ....どうしようかな。ボディに装着しました。かなりダブルさんになりましたね。昨日はここまでの整作で終了しました。今日からまたチビチビヤッテコっと。全部読む
2007年05月11日
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前日までの天気予報では夕方6時ごろから雨が振るって予報だったのが朝方の雨のみで無事球蹴りすることが出来ました。昨日のゲームではいつもどおり僕のチームは”ランダム”主体のチームでその中に蹴鞠の僕とクリ君とコンちゃん。前半はかなりケチョンケチョンにしました。後半はかなりやられちゃったけどね。昨日のゲームは結構ハイレベルでした。よくフォースの練習に行っている私でもかなりのレベルだなぁと感じるくらい。まあ、一人ひとりの技術差はよく考えるとあまりないっすもんね。 県一部で勝てるチームと地区一部で勝ったり負けたりのチーム何が違うのかなぁ...と先ほどから考えていましたがまぁチームとしての明確な方向性は別として(これはよく出来た監督がいないとね)後者は調子のいいときと悪いときの差が激しい。それに比べて前者はいつ参加しても同じようなレベルをキープしているかな。 そうそう昨日はなにかしらゲームの初めからランダムの平尾君が「2タッチでいこうや」とあえて自分たちに縛りをしていた。フォースの場合もほとんど(チーム練習の場合)ゲームになるとダイレが2タッチの縛りが付くこの辺で多分ボールを持っていない人間のボールと相手と自分、この3つの距離感を意識してできるようになるのかな。もともとランダムの連中は東岡工のOBばらで基本的に技術が高いからちょっとした工夫で多分県リーグ行ってもおかしくないんじゃないかな?まあ、木曜日来ている連中以外は知らないからわかんないけど。 明日はフォースの練習試合。カメラマンで行くつもりだけど今井さんの「10分くらいなら出してやろうか?」って言う言葉に期待をよせて顔をだそっかな。
2007年05月10日
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昨日も行ってきました。楽しかった。よく外しもしたけど、得点もよくしたので気持ちいかったっす。イッコおおコケして受身が取れず(前周り受身くらいかな)変なこけ方をしたから今日は擦り傷したひじと首がイティッス。 そうそう昨日からトップページにFORCEの戦績なるものを乗っけました。こうやってたらなんだか自分も戦ってる気分になれるからね。ヘヘヘちゃんと監督の今井氏にも公認して頂きました。せっかくなら写真も乗っけようと言う話になり今度の土曜日、備前一部のどこぞのチームと練習試合するってことで そのときユニフォーム着てるときの写真を撮る話にまで発展しました。う~~~むそーなってくるとフォース専用のフリーページもこさえようかなぁぁってこで土曜日はフォースのイケメンたちを撮ってきたいと思っております。監督の今井さんもかっこいいよ。
2007年05月09日
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昨晩は、嫁さんがお仕事に行っていたので子供の晩飯と自分の晩飯を作らなきゃ行けなかったので、コレマタ全然進みませんでした。でもうちの嫁さん、紀文食品の仕分け作業(夜間)やっているので時々おいしいかまぼこもって帰ってくれるからウレッスィです。^^昨晩作ったのは、つま先とアンクルアーマーです。変形機構がついているので、部品の構成が細かくなっています。んでもって、今朝はいつもより30分早く起きてつくったダブルさんのかかと部分です。コチラも変形機構がついている分、可動ヶ所が多くヤヤコイイつくりになっています。さすが分離変形型MS!!!これで昨晩作ったアンクル部分とかかと部分をあわせてダブルさんの足首部分が完成です。ちなみに左側の方が変形した形になっています。今晩は球蹴りに行くから次回はあさって整作かな?ガンプラルームへ戻る
2007年05月08日
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さすが!スゲェ...イマイサン勝ってるとは思ったけどヤッパリ勝ったな。今のところ一番年数・回数ともに参加させてもらってるフォースこれで2勝目。でも他のところも順調に勝っているからマダマダわからんっすね。こっから1月ほど試合がないとか言っていたからいっちょ私がディフェンスラインにいやらしい刺激を与えようかな...今晩もよろしく!
2007年05月08日
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コアファイターのバーニア部分を作りました。昨日はお仕事終わって帰宅したらガッツリ製作しようと思っていたのですが、大河ドラマ"風林火山"を見ていたら全然進まず、その後立て続けに映画"すぱいだーめん"を見て結局全然作らずに眠ってしまいました。これ作ったの朝早くおきて少し進めただけっす。前日に色付けしていたので簡単に済みました。やっぱりコアファイターは僕にとってファーストよりダブル君の方がしびれますね。さて、次はコアファイターのラインディング・ギア(車輪)をつくって本体の製作に入ろうかな。最初から読んでみようか....
2007年05月07日
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って言ってました。倉敷の市民大会で1-0で勝ってはいたけど監督曰く内容は大差で勝ててた今回は向こう3年、フォースと戦うとき嫌な思いがわくくらい点を取って勝っておこう.....と言ってました。天気は悪いけどがんばって欲しいな。只今フォース1勝0敗0分け今期は上位ではなくまた中国リーグ挑戦辞退まで行って欲しい。 明日の山陽新聞が楽しみだ。
2007年05月06日
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昨晩は球蹴りに行っていたので製作できず今朝方少し早めに起床してここまで製作しました。いつもなら足から作るんですが、このMG、コアブロックシステムからなっているのでコアファイターから製作してみようと思います。前回作った時は、墨入れした後、消しゴムで消すと言う技を覚えていなかったのでかなり汚いファイター君になっていたのですが、今回は手間をかけてチマチマ部分塗装・墨入れしました。朝から製作していると嫁さんに「まだこれだけしか出来んのかな?こまけぇなぁ...」と言われてしまいました。その細かい作業が楽しいのですよ。アムロ君!今朝はここまでしか出来なかったのでオマケのもう一枚は少し変形させてみました。今晩は雨で蹴鞠団が中止になるから帰ったら作るぞ!!!ガンプラルームへ戻る
2007年05月06日
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昨晩はまず、組み立てる前にバーニア類の部分塗装をしておきました。バーニア類は組み上げた後に塗装すると塗りにくい部分も出てくるので、僕はいつも組み上げる前にランナーからバーニアを探し出してあらかじめ塗っておきます。こいつはパイロットのフィギュアとかコアファイターの赤い部分を塗りました。前回製作した時、組み上げた後に塗り忘れた部分があって、ガンダムマーカーではペン先が他の部品に当たってしまいぬれずに断念した部分があったから、今回は気を付けてあらかじめ塗っておきました。そうそう、この"ガンダムマーカー"ってのがすごいんですよ!最近のガンプラはあらかじめ成型色が上手い事色分けされているのですがどうしても細かい部分までは色分けが出来ていないんですね。そーいったところを塗りこむのに昔は、筆やスプレーで塗っていたのに今は"ガンダムマーカー"といって、ガンプラ用のシンナーの臭いがしない大変便利な物が売ってあるのです!これっす。だいぶ本数もたまってきましたが、最初は4本くらい...赤・黒・黄色・墨入れ極細、この4本からはじまりましたが、今では色々溜まってきました。1本200円と価格もリーズナボーで、お父さんのお小遣いでも買っていくことが出来るようになってます。コイツのおかげでよく僕のお友達に「じんのガンプラ、きれいに塗ってるね」って言われちゃうんです。笑実は、ほとんど成型色ですけどね。ポリポリコクピットハッチのクリアパーツです。以前作った時は縁の黄色いフレームしか塗りませんでしたが、今回は設定どおり黒く塗りました。この黒く塗るのも、せっかくクリアパーツなんでパーツの外側を塗らず内側を塗ることによってクリアー感を出せました。カックイイさて、次回からポツポツ作っていこうと思います。全部読んでみましょうかナ~~ッ↑
2007年05月05日
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また一つ買ってしまった.....このMGダブルさんは以前作った事があるんですけど、ガンプラ作り出したばかりの頃の製作なので、どうも部分塗装・墨入れ細部にわたって気に入らなかったのです。んでもって、つい最近子供が遊んでいると壊れちゃって「作り変えたいなぁ」と思っていたところトイザラスさんで買うと3500円、ヤフオクでも人気があるのか、どうしても3000円は越えちゃうのでナカナカ購入できなかったのですが、つい最近ヤフオクで"説明書がなし。なので特別価格"と言うのを発見し、説明書を持っている僕は運よく1600円で落札できました。送料込みで2200円。かなり安い買い物です。そいつが先ほど到着いたしました。嬉また少しずつ製作過程をアップして行こうと思っています。ガンプラルームへ戻る
2007年05月04日
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木曜日。いつもならお休みなんですが今日は祭日、ゴールデンWEAKのセール中ってことで祭日出勤っす。雨とか曇ってたらお客さん来るでしょうが今日はかなりいい天気。僕なら子供つれてどっかでかけるなぁ.... ちまたでは連休を謳歌してんだろうけど盆正月あーんどゴールデンウイイクなっしんぐなのはなかなかつらいなぁ。ふぅ~~~~今晩はサッカーないし今週日曜は蹴鞠団がある予定だったけどどうやら雨で中止になりそー。あそこのグラウンド前日雨でも中止だから無理だろうな今週は。きのうフォースに行っとけばよかったんだけどあそこを2日連続ってのはちょっと辛すぎるもんがあるから遠慮したけど無理した方がよかったかな。ま土曜日イコ。
2007年05月03日
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本日は我が家のイモムシ2匹遠足日っす♪さすがに今日はかなり早起きしてました。いつも7時過ぎないとお布団から出ようとしない(特に愛ちゃん)お二人なのに6時30分には起きだしてさっさと準備を始めてました。いつも行なら楽なんですがね。笑和志君は近所のマスカットスタジアムの公園で徒歩遠足。愛ちゃんはどうやらバスでお出かけらしいっす。今朝は曇りですが子供の遠足に天気は関係ないですからね。楽しんで来いよ!!!
2007年05月02日
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歳を取ると年月がはやいっすねぇ。5月は我が社の決算月です。年間で一番気合を入れなきゃいけない月ですね。あー、前回の決算からもう1年か....今期は大変だったなぁいろいろと。あと一ヶ月だけどお客様が喜んでスーツを作ってもらえるようにがんばろ。これしかないね。^^
2007年05月01日
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