今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2014.10.02
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満百三歳渡辺つぎさんの歌の鑑賞(NO.2)

同人誌「賀茂短歌」(平成26年4月号から9月号)の作品より



百三年生きれば浦島太郎組白髪なれど白煙は浴びず         



 「百三年生きれば浦島太郎組」、特に「浦島太郎組」という言い方がおもしろいとおもいました。これは、浦島太郎が竜宮城からの帰りにもらってきた玉手箱を開けると、突然白髪の翁となり、知人もいない変わり果てた古里に放り出されるといった話です。作者は、百三歳となられ、世の中を見渡すとまるで浦島太郎が玉手箱を開けて一瞬にして年老いたような気分となられたのでしょう。見るもの聞くものだんだん自分とかけ離れてゆく気分なのでしょうか。結句の「白煙は浴びず」というのがなんとも、ものかなしくもユーモアのある表現に感じました。「浦島太郎のように白煙を浴びて突然老人になったのではないけれども…」。



明日よりは百四歳を歩み出す古りし脚をばもみほごしやる        (5月号より)



 「明日よりは百四歳を歩み出す」、これが事実であり、この事実の重みに感動します。この事実の重みだけですばらしい作品だと思います。この事実によって「古りし脚」も「もみほごしやる」ということばもきらきら輝くように感じるのです。事実の大切さを再認識する作品です。



半世紀遺愛の蘭を守りたり遂に手入れのできなくなりぬ         (6月号より)



 遺愛の蘭、亡くなられたご主人が生前大切にしておられた蘭のことでしょう。その大切な蘭を五十年の間、まるでなくなられたご主人のように大切に手入れをなさっていたのでしょう。それは、ご主人に対する作者の愛情でもあったのだと思います。その手入れが遂に出来なくなったといっているのです。このことだけはどんなことがあってもやり遂げようと思っていたかもしれません。それができなくなってしまった。そんな無念の気持が余韻として伝わってきます。満百三歳になられた作者のたいへんつらい作品です。



窓外の一木一草個性なすわれは一〇四のただの老人          (7月号より)



 この作は、養護施設のデイサービスのおりに作られたと聞きました。「窓外」が強く響きます。施設の外の景色を見ている作者。実に、「一木一草個性なす」と思われたのでしょう。それにひきかえ窓の内なるわたしは、施設の中から外をみているわたしたちは、皆ただの老人、みなかわりばえのしない老いた人間なんだ。いやいや、この歌はそう単純ではなさそうです。それは、「一○四」という数字です。いうまでもなく、百四歳のことです。百四歳がただの老人であるわけはないのです。個性をもつ一木一草たちよ、同じように、わたしだって、百四歳の老人なのよ、と言外にりんと姿勢を正す作者の声が聞えるようです。





なつかしいわが家へ帰る心地してみくらの里の門内に入る       (8月号より)



 「なつかしきわが家」、わが家に「なつかしき」としていることにまず注目しました。過去のことをふりかえるときわたしたちは、「なつかしい」という言葉を使います。「なつかしきわが家」とは、どういうことでしょうか。今住んでいらっしゃるご自宅ではないでしょう。想像されるのは、ご結婚する前の、生家のことかもしれません。

 作者は、満百三歳六ヶ月になられます。「みくらの里」というのは、介護施設で作者はときどき利用されているようです。たとえば五日くらい宿泊を伴って利用されているようです。介護施設の利用について、よく聞く話は、利用するご当人がかたくなに利用を拒否される話です。それにひきかえこの作者は、なんということでしょうか。「なつかしいわが家へ帰る心地して」と歌っています。これは、どういう意味でしょうか。文字通りの意味にとってもちろんいいんですが、正直なところは…。なにか、この歌の底には、言葉には、ちょっと表現できないのですが、それは、表現できないのは私の力不足だからですが…。愛といいますか、…母性愛といいますか、なにか深い、ふかいものを感じるのです。もちろん、介護施設の職員がほんとうによくしてくれて、まるで自分の生家に帰ったような、子供時代にかにかえったような心地良さを与えてくれる、そのように解するのが正しい解釈なのだと思うのですが…。なにか、一緒に生活をされていられるご家族に対するなにか心配りのようなものをわたしは感じたのです。



百歳を越えてはじめて知りしこと長生きの宝ひろうことあり        (9月号より)



 百歳を越えてはじめて知ったことがあったと作者は言っています。それが、長生きの宝をひろうことだと言っているように思います。「長生きの宝」とはどういうことか、あるいは物かは具体的にはこの歌では分かりません。作者自身が百歳になって初めて知ったことなのですから、七十一歳のわたしにわかろうはずがないとも思われるのです。いやあるいは作者自身もそのような含みをもってこの作品を作っているようにも思われます。つまり、百歳になると、ああやっぱり長生きしてよかったというような、おもいもよらぬ宝物をひろうことがありますよ。だから、どうか百歳になってみてください。ならなければいくら説明してもきっと分からないでしょうから…。そう作者が言っているように思えます。








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最終更新日  2014.11.26 05:17:52
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