鑑賞:歌集「悲しき玩具」(五十五)下書き
後藤瑞義
(
注 )
歌の順序は歌集の順序によります。
家に帰る時間となるを、
ただ一つの待つことにして、
今日も働けり。
「家に帰る時間となるを、」、この一行目では、「家に帰る時間」がクローズアップされていま
す。ただ、これだけですと、「帰る時間を忘れていた」のか、「帰る時間を気にしている」のか、
「帰る時間を待っている」のか分かりません。二行目でやっとはっきりします。つまり、「ただ一
つの待つことにして、」です。家に帰る時間となるのを、ただ一つの待つことにしているので
す。「ただ一つ」という言葉が重く心に迫ります。
「待つ」にも色々あります。「春を待つ」「人を待つ」「便りを待つ」「時を待つ」といろいろ待つ
ことがあります。そのなかで、「家に帰る時間となるのを」待つのです、それも「ただ一つ」その
ことだけを待つというのです。そして、三行目に続くわけです。
「今日も働けり。」これで、作者の現在の置かれている状況が分かります。作者は、仕事を
しているのです、それも自分の意に介していないような、たぶん苦痛を伴うような、肉体的な
のか精神的なのか不明ですが、そうした仕事に従事しているのでしょう。
結句でわたしが注意したのは、「今日も」です。ただ「働けり」「働いており」ではないところで
す。
短歌は一行詩、瞬間の文芸、短歌に時間(期間)を入れてはいけない、そう教えられてきま
した。そういう観点から言えば、結句は「働いており」くらいになるのだと思います。「今日も」と
いうことは、「昨日も」あるいは、「一昨日も」、一か月も、あるいは半年も、一年もかもしれま
せが、時間(期間)が入って来るのです。それだけ、重くなるように思われます。この歌では時
間を入れたのは、成功しているように思います。ただ、安易に時間をいれると散文的になり、
説明的になり、だらけてしまうと言われます。
啄木は作家志望でした、やはり、短歌にストーリーを導入したかったのでしょう。短歌を三行
に分け、間(ま)を入れる、これ自体も時間を入れていることなのでしょう。そして、一つのス
トーリーを作りたかったのかもしれません。
家に帰る時間となるを、
ただ一つの待つことにして、
今日も働けり。
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