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まだまだ先のことだけどある再会三日前、人形作家の土田早苗さんから電話がありました。『身も心も捧げた女は飽きられる』にエピソードを紹介した方です。本の中の「私の出会ったいい女列伝」の登場人物の一人です。昨年の秋、私の日記の中でもご紹介したことがあります。そのとき偶然、土田さんのお嬢さんが私の日記を見たそうです。「お母さんのことが載っているよ」と教えられたそうです。私が土田さんの本を作ってから18年もの歳月が過ぎ去りました。だから先日大阪でお会いしたときは18年ぶりの再会です。ブログは新しい出会いだけでなく懐かしい方との再会ももたらしました。可愛いいお婆ちゃんになっておられました。笑顔は昔と少しも変わりません。弾むような声も昔のままです。たぶん二年後の話です以前に私が作らせて頂いたのは、フランスでの個展へ向けての本です。今度はポーランドでの個展の話がほぼ決まったそうです。さらにはドイツやベルギーでも検討されているそうです。「前に作って頂いたような本を作りたいんです」「ヨーロッパの個展が終わったら国内の主要都市でも出来ないかしら」「図録を兼ねて、作品集を作って下さい」「いいですね。そして全国行脚をやりましょうよ」「もちろん私も行きますよ。本を担いで」「私のブログに来て下さる人にも会えるしね」まだまだ先の話です。でも今からワクワクしています。皆さんにも見て頂きたいと思っています。土田さんの作品と私の手掛ける作品集。ほかにも一杯おられますよね日本画のmikkuさんは明後日上京されます。いつかきっと、mikkuさんの作品集も実現するでしょう。ほかにも様々な作品が楽天日記に紹介されています。ウルトラ・シンデレラさんの作品も楽しそうです。個展と作品集とオフ会。何かが出来そうな気がしています。これもブログが運んでくれた新しい可能性です。人と人とが出会うから何かが生まれる。もっともっと出会いを大切にして夢を育んでいきたいと思います。私はご相談に乗っているだけでも幸せです。私の道楽がますます過熱しそうでちょっぴり心配ですけどね。でも何かを創造しようとしている方のお手伝いって楽しいですよ。自分にそんな能力がないだけに、皆さんが輝いて見えます。土田早苗さんのホームページはこちらです。一度覗いて見て下さい。↓土田早苗 アトリエからのメッセージまだ『身も心も捧げた女は飽きられる』をお読みになっておられない方のために、土田早苗さんのことを書いた部分を抜粋しました。人形作家 土田早苗さんの場合楽天仲間のYuki☆Roseさんの絵本が楽天ブックスでも注文出来るようになりました。白血病で亡くなった息子さんの思い出のこもった絵本です。私もお手伝いをさせて頂きました。小部数印刷なので定価はちょっぴり高めですが、思いの込められた一冊の絵本です。↓コンちゃん 著者:Yuki・Rose そして、私の本のご注文はこちらから↓『38万円で本ができた』『身も心も捧げた女は飽きられる』
Feb 28, 2005
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本作りの基本コンセプトを「不特定多数から特定多数」にしました今では、若気の至りと言い訳できますが様々な本を作ってきました。何点作ったかさえも考えられないくらい手掛けました。「ほら、またベストセラーだ」有頂天になって、鼻高々になって、みんなのお世辞を聞いていました。ベストセラーを作りたいのは出版人では当然のことかも知れません。それが目標であり、努力の結果だと思っていました。ベストセラーにするために様々の戦術と作戦を駆使します。テーマ、タイトル、装丁、キャッチコピー、宣伝。出版取次や本屋さんへの販売戦略も欠かせません。さらに私の場合はテレビと新聞、週刊誌を利用しました。すべてを総動員したからこそ、そこそこ売れました。また販売からマスコミ戦略までを知っていたのが私の強みでした。いつの頃からか手段が目的になっていたそこまでしても売りたい本だと思っていたことも事実です。自分の手掛けた本だという思い入れもありました。それが、いつの間にか、手段先行型に変質していきました。本当は自分でも分かっています。十年ちょっと前、自分の会社を躓かせた直後からです。あちこちの出版社の雇われ社長をしました。膨大な借金を返すための出稼ぎです。私を経営に迎えたそれぞれのオーナーの要望は明白です。「もっと売れる本を作って欲しい。もっと売って欲しい」借金返済のための出版活動です。「本を作りたい。感動を与える本を」の思いは希薄になっていきました。タレント本を中心にマスコミを煽り立てました。結局は言い訳にしか過ぎなかった売れました。子供たちが飛びついて来ました。「同じ暴露本でも、ファンの夢を壊す内容はやらないよ」「本なんて見向きもしない子供たちに本を読ませるんだ」自分なりに正当化して、私の雇用条件にしていました。「○○がうーんと好きになりました」「努力したからスターになれたんだって、よく分かりました」中学生ぐらいの子供たちからの手紙も毎日山のように届きました。10万部ぐらいはすぐに売れてしまいます。それも以前の日記で書いたように常に完売に近い売上げです。ベストセラーになったけれど返品に悩まされるなんてありません。実売率90%以上。ほぼ完璧な営業戦略です。そのコントロールが出来ることで出版取次の評価も高まりました。たぶん、捨てたかったのは自分自身「これだけ売れているんだから、もっと売れるはずだ」オーナーたちがそのように思い始めたとき、私は社長を辞めました。私がやっているのはマネーゲームに過ぎないと気付いたからです。やはり何かが違っていました。ビジネスではあったのですが……。後に残ったのはインディーズ時代のビデオや写真のお宝ブームだけです。そして私の借金も少しだけ減りました。その直後、山里に隠れ住むようになりました。削除される以前の日記に書いた「黒い子猫の棲む里にて」の一年間です。食うや食わずの生活の始まりです。そして今、のこのこと都会へ戻ってきました。隠れるように下町、両国に住み着いて一年半になります。半年ちょっと前にブログに出会い、何かが弾けました。声が聞こえる。これです。長年求めてきたものはKURAさんやマンションミモザの城主さんとの出会いもありました。大阪や山口や北九州の人たちとの出会いも実現しました。東京でも多くの方たちが訪ねて来てくれました。私の中で何かが変わろうとしています。少しは自分のやりたいことが見えてきたようにも思います。もう一度、出版です。私の仕事ってそこにしかありません。自分の作った本を、一人でも多くの人に届けたいのは同じです。でも、一方的な情報の垂れ流しをする気はなくなってしまいました。反応が返ってくる範囲、相手の声が聞こえる範囲に限定します。「不特定多数」から「特定多数」へ。等身大の自分と向き合うことが可能になってきたようにも思います。もう爪先立って歩くことも、背伸びすることもないでしょう。先ず千人。それが今年の目標です本作りのための、私の基本コンセプトは決まりました。自分を主張する前に相手のことを理解しなければと思っています昨日も400件ぐらいのブログを読みました。さまざまな人がいるものだと感心しています。このような人たちに自分の声で語りかけたいと思っています。そしてまた、その答を聞きたいのです。この世の中で、人間こそが一番面白い。ヒューマンウォッチング。こんな楽しいことがあったなんて、今さらながらの気付きです。済みません。千人のうちの一人は、私のブログを読んでいるあなたです。楽天日記のいいところは足跡を辿って相手の日記を読めるところです。私の本も買って下さいね。ちょっぴりはお役に立てると思います。それともし、自分の本を作りたい人がいたら何でも相談に乗りますよ。もちろんボランティア。一緒に本作りを楽しみたいのです。私は今も世捨て人に変わりはありません。たぶんこれからも。胸を張って自分の本の宣伝をしています。私の本のご注文はこちらから↓
Feb 27, 2005
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幾らなんでも誇大広告が多過ぎるベストセラーランキングに載る本の中には、確かにいい本でぜひ読んでみたい本も数多くあります。またそのようないい本があることを知ってもらうことも大切です。そのための売上げランキングの発表だろうと思います。それなのにランキングを利用して誇大宣伝をする出版業者が増えて来ました。悪価は良貨を駆逐するといったことにならないようにと憂えています。発行部数はどこまで信用できるのか「重版出来」「第○刷り発売」「○万部突破」景気のいい広告が目立つ昨今の新聞広告です。事実、そのとおりであることも多々あります。一方で言葉だけの誇大広告が多いのも否めません。その背景は「売れているから買う」人の多さです。このような付和雷同型の読者が多いのは世界共通のようです。2刷目なのに8刷や10刷と奥付に載せる出版社も多くあります。「うちは千冊を1刷で計算しています」「そのほうが如何にも売れているように見えるでしょ」「トータルで何冊印刷したかも分かりやすいしね」実用書出版社から始まったこの方法も結構浸透しています。でも、引っかかる読者が悪いんだという考えには問題があります。誇大広告とは言えないかも知れないけど効能の宣伝ではないので誇大広告には当たらないかも知れません。でも昨今の加熱する宣伝合戦を見るとため息が出てきます。「いい本だから買って下さい」と紹介するのが基本ではないでしょうか。食品やクルマや家電ならば生命や健康への影響があります。出版物はその心配がないことへの甘えがあるように思います。「ともかく買わせてしまおう」とあの手この手を使っています。同じことが雑誌にも言えます。いわゆる「公称部数」の問題です。実際の部数の三倍程度ならまだ可愛いいほうです。実際の十倍、時には二十倍なんてのもざらにあります。もとは、たぶんこの程度の人は見ているという予測から始まりました。美容院の待合室などにも置かれているのが根拠でした。1万冊しか印刷はしていないが3万人は見ているといったふうにです。歯止めの効かない誇大宣伝それが広告スポンサー獲得合戦で膨れ上がって来ました。スポンサーだってある程度は知っています。たぶん公称部数の三分の一程度だろうと予測します。そうすると実態の四倍の公称部数へ増やさざるを得ません。実際の印刷部数が減っても、公称部数はどんどん増えていきます。当然、広告スポンサーも気付きます。実態がどうなのか気になります。日本ABC協会や雑誌協会などが「公査レポート」を発行しています。これらは、ほぼ実態を反映していると言うことは出来ます。でも、「ほぼ」なのです。後はキツネとタヌキの馬鹿しあいです。幾つかの例を挙げてみます。その一は、印刷所からの部数証明です。印刷所は雑誌社から仕事をもらっているのです。「○万冊と書いてくれ」と言われれば断れません。次々と新手が考えられていきます請求金額だけ合っていれば税務署もOKです。最終的な断裁部数証明だって適当なものなのです。断裁を引き受ける古紙業者だって懐が痛みません。次には出版取次などへの納品書です。納品書と返品伝票だけが行ったり来たりすることだってあります。その伝票を元に発行部数を報告するのです。証明のでっち上げです。あるビジネス系の雑誌社では、ご丁寧に実物を動かしています。3万部ほど余分に印刷しています。中小取次店へ納品します。事前に話がついているのです。取次店はそのまま返品倉庫へ放り込みます。二ヵ月後には古紙屋さんに渡され断裁です。たぶんトイレットペーパーにでもなるのでしょう。賢明な読者、賢い消費者を増やさなければ誇大広告合戦や売上げランキングを止めさせたいとすら思っています。先入観抜きで、本は手にとって自分で選んで頂くものだと思っています。でもそれもまず不可能でしょう。たぶん100%不可能です。ますます加熱していくだろうことは目に見えています。せいぜい私に出来ることは、実態を報告することぐらいです。それさえも何の役にも立たないかも知れません。だから私は自分の手の届く範囲で話しかけることにしました。暗躍する自費出版業者のこと、出版業界の裏側。話を聞いて頂ける方のところへなら、どこへでも出かけます。『38万円で本ができた』を出版したのも同じような目的です。本が好きだから。本を作る楽しさを忘れられないから。そしてまだまだ出版業界に未練を残しているからでしょう。その年になって、まだ甘い夢を見ているのかと言われそうですね。それとね、このニ三日書いたことは、まさに出版社側の責任の問題なのです。このような風潮のために、一生懸命努力して素晴らしい本をまとめた著者の方が同じように扱われたり見られたりすることのほうが腹立たしいことです。本当の才能ある著者の方たちをスポイルしてしまうのではないかと危惧しています。出版に関わる業界人が襟を正さなくてはますます読者にそっぽを向かれます。
Feb 26, 2005
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ベストセラー作家の憂鬱あるベストセラー作家の場合私のお付き合いしているベストセラー作家さんの話です。5万部を超える著作を3点ものにしました。ビジネス書です。講演会も数多くこなしています。それなのに会うたびに愚痴を延々と聞かされます。お酒の量もだいぶ増え、ちょっと酒グセも悪くなってきています。愚痴の中身はどうでもいい話ばかりです。本業は経営コンサルタントです。元は大手コンビニの部長さんです。いらいらの原因はどうやら本の売上げランキングにあるようです。最初は、上がったと言って嬉しそうに祝杯をあげていました。そのうちにランキングばかりを気にするようになってきました。ちょっとノイローゼ気味なんじゃないだろうかと思うほどです。周りからもランキングのことを言われるので気になるようです。作られたランキングも多いのです「上がって良かったね」「残念だね、下がっちゃったね」聞かされるたびに憂鬱になるようです。彼も必死です。講演会で使う本は大型店で買ってもらっています。「そりゃ、ランキングに乗ることでもっと売れることはありますよ」「でもね。ベストテンなんて大したことじゃないんです」「アマゾンへ50冊ぐらい本を注文してみなさい」「一気にベストテン入りですよ。その程度なのですから」「だから宗教団体などはベストテンを発表する本屋さんで買うんです」「本当の実売数だけは私も気にはしますけどね」「販売戦略で売上げベストテンは使いますよ。話題にするために」「あとは地方の本屋さんがそれを見て仕入れてくれるから」「でも実態と一致しないことも多いんですよ」ベストテンの裏側私の本にも書いた、作られたベストセラーの何と多いことか。宗教書とビジネス書の主要な販売戦略の一つです。今から40年以上前にある出版社が始めた手口です。そのときには学生アルバイトを使って主要書店で本を買いました。実は私も学生アルバイトで小遣いを稼がせてもらいました。一回りするとカバンに一杯です。けっこうな肉体労働でした。ある大きな宗教団体の本を作ったことがあります。普通は断るのですが原稿がまともで買取り部数も多かったのです。その団体の信者さんが経営する書店チェーンの社長さんに会いました。「うちじゃ売れないんですよ。紀伊国屋あたりでないとね」「信者もみんなベストテンを気にして、そっちへ行ってしまうんです」「置きますけどね。あてにしないほうがいいですよ。まず売れません」「うちで買ってくれるのは同じ支部の人たちくらいですよ」「だからうちの店頭にはほとんど置いていないんです」「前はうちが信者だってことでみんな買いに来てくれたんですけどね」気にするなと言っても無駄でしょうが一人でも多くの人に読んでもらいたいのは物書きなら当然です。そのために販売戦略を立てることも大切なことです。ただ最近の本のベストセラーランキングには問題が多いようです。以前は、ランキングに注目するのは地方の書店さんぐらいでした。一方で新聞などの書評欄は凄まじいまでの効果がありました。ちょっと載っかっただけで数千冊が売れたことも多々ありました。今では書評欄を読む人が少なくなったのでしょうか。書評に取り上げられて数百冊売れれば驚異的なことです。ビジネス書の場合は、みんなが読んでいるから読む人も多いようです。自ずからベストテンへ登場させることが主要な販売戦略になってきます。作られたベストテンをどのように判断するかは読者の問題かもしれません。倉庫に山積みになったベストセラー本を見かけることの多い昨今です。
Feb 25, 2005
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物書きの憂鬱物書きなんてとんでもないよ「小説を書きなよ。そっちのほうがあんたらしよ」そのように言ってくれる出版社の社長も何人かいます。「気楽に言うなよ。どんなに大変かは、あんただって知ってるだろ」「人に書かせて、とやかく言っているほうがよっぽどいいよ」私は、物書きにならなくて良かったと心底思っています。ときどきはゴーストライターをやってはいますが、余技の範囲です。適当なライターさんが見つからないときに自分で書いてしまいます。「著者」に名前を出す人からのご指名の場合もあります。それと予算がない場合にも自分で書いてしまいます。スランプに陥った小説家さんの代役で短編を書いたこともあります。急ぎの原稿で、趣旨説明するより自分で書いたほうが早い場合もあります。でもすべて余技の範囲内だと自分では思っています。当たり前のことで抜きん出ることの大変さ文章は、巧拙を除けば誰でも書けるものなのです。その誰でも書ける文章で、抜きん出るなんて大変です。文字の書けない赤ん坊とよほどのお年寄り以外はすべて競争相手です。たとえ周りが認めてくれても自分では納得いかない場合も多々あります。これは私だけではありません。多くの物書きさんが悩んでいます。自分で上手いという物書きさんで、まともな人にはまだ出会っていません。どの物書きさんも悩み苦しんで一つひとつを仕上げていきます。締め切り日だけがゴールです。いつも不完全燃焼です。完璧だから脱稿(書き終える)した原稿なんて在り得ません。これ以上は書けないからお仕舞いにするだけなのです。だから私はライターという肩書きを使ったことはありません。ときどき「食えない物書きです」と自嘲気味に書く程度です。私が見てきた物書きさんたちはた目で見るより大変な苦労をしています。まず自分を売り出さなければ仕事が来ません。でもまあ、自分を売り出すことは努力で何とかなります。資格試験もなく、「私はライターです」と表明するだけです。仕事だって出版社回りをすればそこそこあります。ただし生活費分を稼げるかどうかは能力次第です。もし、人より抜きん出た、そこそこの能力もあったとします。次の問題です。ようやく一人前に扱ってもらえるようになりました。そうすると出版社にとってそのライターを使う費用対効果が発生します。あちこちから声が掛かって一人前のライターとして扱われるのは短期間です。一、二年で仕事が激減するのです。原稿料は一人前、仕事は半分です。実は、出版社は安いくて使いやすいライターさんを血眼で探しているのです。ライター定年40歳、そして著者定年は……編集部が若返ったときに端的に現れます。自分より年上のライターさんは使いづらいのです。いつの間にか声も掛からなくなり疎遠になっていきます。残された方法は自分を売れる著者に仕立て上げることです。ここでは企画と文章力がものを言います。売れ筋を提供することが出来るかどうか。余技ならばいいのです。生活がかかっていなければ。千円の本を書いて十万冊売れれば印税10%で一千万円の収入です。諸経費を考えれば著作で食っていく年商の最低ラインだと思います。毎年2~3万冊売れる本を5点はものにしないと維持できません。おうおうにして、物書きさんは世間迎合型に走ってしまいます。そして自滅していきます。一般的で面白くなくなってしまうのです。物書きは、出来れば余技のほうがいい文章って不思議なものです。怖いと思うこともときどきあります。書いている人の精神状況が知らず知らずのうちに伝わるのです。経済的な余裕の問題よりも、その人の精神状況が伝わってきます。それとライターだけをやってきた人の実体験不足も文章に表れます。多くの人を取材し、どれほどの現場を見てきたとしても同じです。読む人が読めば、底は割れてしまいます。最近のビジネス書などでは、言葉の遊びだけの本も多く見かけます。第一線で血みどろの闘いを繰り広げている経営者には参考になりません。ビジネス戦士たらんと夢見る未経験者にはそれでいいかも知れません。私は物書き志望の方たちへ、二足の草鞋を履くことを勧めています。文章は自分の主張や思いを伝える最高の手段です。でも大切なのは、その手段や方法ではありません。特にライター志望の学生さんへ昨年来、幾人かの方がライター志望ということで相談に見えました。素晴らしいことだし、出版人としては嬉しい限りです。その夢は持ち続けて頂きたいと思っています。その上で、皆さんには先ずどこでもいいから就職してみなさいと勧めました。率直に言って、最初からフリーライターになるべきではないと思っています。いくら才能があっても、すぐに底をついてしまいます。人に伝えたいような思いを熟成することが一番大切なことのように思います。ライター志望の方たちにはまず実社会へ飛び込んでもらいたいと思っています。お腹の底からの自分の思いのこもった文章が書けるなら、最高の幸せです。
Feb 24, 2005
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一人ひとりに本を売り歩いています昔の知人を一人ひとり訪ね、今日も自分で作った本を売りに行きます。本を買ってもらい、話を聞いてもらい、意見を聞かせてもらいます。それが、今回の二冊の本を作った目的です。私は出版人です。物書きが本職ではありません。何かを伝えたい著者と、何かを知りたい読者の間をつなぐのが出版人です。出版人たるもの黒子の存在、影の存在に徹するべきだと今も思っています。たまたま今回は、自費出版業者の無謀ぶりへの反発から本にまとめました。ブログに出合ったことがきっかけです。自分の本を作りたい人がこんなにもいると知ったことが出発点です。本作りはお手のものなので、個人出版の見本を兼ねて作りました。自費出版業者の口車に乗せられる人が一人でも少なくなればと思っています。合わせて本作りの楽しさも知ってもらいたいのです。先ずは1,000人の方に出会いたい「売れればいいですね」「重版になればいいですね」多くの方に、そのように言って頂きました。もちろん一人でも多くの方に読んでもらいたいと思っています。ただし、私の一方的な話だけでは意味がないとも思っています。出版業界の現状や自費出版業者の暗躍を知って頂くことは予備知識です。読者の方が何かを考えたり、何かを始めるきっかけにしたいのです。そのために、本を読んで下さった方と一緒に考えなければなりません。初版の千冊は、印刷部数からいけば小部数です。でも千人の人って、とてつもない人数です。一過性に終わらせることなく一緒に考えたいのです。本作りを共に考えて頂ける人を先ず一人でもいいから増やしたいのです。そして皆さんの本作りのお手伝いが出来れば最高です。ブログならではの本作りがあるはずです目の前の原稿を本にするだけが編集者の仕事ではないと思っています。ブログの双方向性を利用して、企画から本作り、さらには売り方まで。まだ本を作ったことのない人とも、共に考え、共に楽しみたいと考えています。これでも私、けっこうアマノジャクなんです。大量生産大量消費を考えると一般性(共通性)を追いかけることになります。独自性を追いかけると読者対象は限られてきます。今回の私の本は、そんなに売れなくてもいいと考えています。「38万円で本はできた」は自分の本を作りたい人が対象です。誰もがみんな興味のあることとも思えません。合わせて、実際に本を作りたい人の役に立つものでなければと考えています。この本を読んで「自分の本を作ろう」と思ったとしても、それは出発点です。具体化出来なければ意味がありません。そのお手伝いも出来なければ。だから、先ず千冊なのです初版の千冊は、疑問に応え、具体的に対応できる限度だと思っています。読んで頂いた方の疑問や要望に応えられなければ無責任だとも思っています。半ばボランティア、半ば趣味の領域です。それが私のライフワークです。物書きなら自分の本を出来るだけ多くの人に読んでもらいたいでしょう。私は出版人。著者に出会い、いい企画や原稿に出会うことが最高の喜びです。「両国の隠居」の名前で出したのも、影の存在であるべきだと思うからです。
Feb 23, 2005
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ちょっぴり疲れが取れません。こんな時って、ポケーっとしているほうがいいんです。きっと明日は、書きたいことがドッと出てくるでしょう。
Feb 20, 2005
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信じられないほど多くの方と会って来ました。大阪ではさすらいのもの書きさんが主催してくれたオフ会もありました。参加者の皆さんには、二次会も最終電車ギリギリまでお付き合い頂きました。ほかにも、京都からはpegaさん、社労士小見山さん、はればれさん。奈良からマグノリアさんが駆けつけて下さいました。リボンリボンさんのご自宅にもお邪魔させて頂きました。おさむっちさんやぽんぽこ小倉さんとの出会いもありました。大阪滞在中にお会いした方だけでも40人を超えます。全員初対面です。北九州へ着いた日には、さっそく河豚料理です。それも最高のセッティング。和布刈(めかり)神社の境内にある沈潮閣というところです。打ち寄せる波の音を聞きながら、至福の時を過ごさせて頂きました。マンションミモザの城主さんの心憎いまでのおもてなしに甘えさせて頂きました。KURAさんには小倉に着いた瞬間から、何から何まで面倒を見て頂きました。菊池先生やウントットさん、磯マガジン発行の中島さんとも会えました。大事な人を忘れるところでした。ミモザの城主さんのお母さん。お心配り有難うございました。ミモザの方々にもすっかりお世話になりました。山口県では具志さんに姫ちゃん、姫路での菅野さん、神戸ではソフィーさん。凄いですよね。九日間の旅でこんなにも多くの人に出会えるなんて。まもなく夜明けです。睡眠不足のはずなのに、まだ興奮していて眠れません。皆さん有難うございました。今後とも宜しくお願いします。
Feb 18, 2005
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ちょっと旅に出ています会いに行きますブログを始めたおかげで、新しい世界が広がりました。楽天日記でお知り合いになった人たちとの出会いの旅に出ています。大阪・九州方面を回ります。ほとんど初対面の人ばかりです。ブログを始めたのは昨年の7月です。途中で削除も経験しました。最初は私が作ったナタマメ茶を売るためでした。でもすぐに、出版のことがメインテーマになりました。この間のアクセス数は累計で15万件以上になります。リンクを張って下さった方も350人を超えました。わずか7カ月で、こんなに多くの方と出会えたなんて、凄いです。昨年の初夏まで、インターネットさえ使ったことのなかった私です。だから私のブログは文字ばかりでした。今も余り変わりません。そんな私の楽天日記なのに、こんなに多くの人に出会えるなんて。旅から戻ったら全力疾走です出版業界の変質。自費出版業者の暗躍。一方で本を作りたい人の増加。ここ数年胸につかえていたものが、少しですが解決の糸が見えてきました。ブログのおかげで、もう一度、本作りに夢が描けそうな予感がします。あと少しで出版業界に関わって四十年を迎えます。夢を持って飛び込んだ業界です。選択は間違っていなかったと思っています。でも、まだまだ不完全燃焼です。やり残した思いに苛まれていました。偶然始めたブログが、新たな可能性を開いてくれました。もう事業家として仕事をするつもりはありません。一出版人として、やれること、やらなければならないことを追いかけます。『38万円で本ができた』は、儲け主義の自費出版業者への宣戦布告です。同じく昔の仲間たちへ、「もう一度参戦するよ」との呼びかけです。もともとが戦人の私です。三年半の冬眠から、まもなく目覚めます。今回の旅のきっかけになったのは、北九州市にお住まいの元小学校の校長先生との出会いです。次の一歩を踏み出せなかった私に刺激を与えて下さいました。今回の旅の最大の目的はその方と美味しい河豚料理を食べることです。一つの出会いが新たな出会いを呼び、今回の旅では信じられないほど多くの方々と会えることになりました。パソコンを使いこなせない私です。旅の途中で楽天日記を覗くことは出来るでしょうが書き込む自信はありません。急用の場合は「求む連絡」と掲示板に書き込んで下さい。何らかの方法を使って連絡します。
Feb 9, 2005
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出版業界でメシを食う方法(その二十九)ある日突然、出版傾向が変わってしまった。そのような出版社も数多く見られます。その背景には昨日の日記に書いた幽霊口座の売買のような事例があります。一方で、その出版社の実績やブランドを残すための方策も取られています。出版事業は水商売本が売れなくて経営危機に陥り、ベストセラーを出しては反動に苦しむ。制御の出来ない荒駒が出版社の経営かも知れません。だからバブル景気の直前までは金融機関からは水商売と言われていました。出版社や中小出版取次、特価卸などは、神保町や本郷などに集中しました。お互いに助け合わないと生きていけなかったのです。出版業界が村社会と呼ばれ、顔の業界と呼ばれた由縁です。私の独立以前に働いていた出版社でも死に物狂いの金策をしていました。まだ出来上がってもいない本の納品伝票を持って出版取次に行きます。納品窓口で、「ねえ、頼むよ」で受領印をもらいます。架空納品です。さらに仕入れの部長に泣きついて、経理へ話を通してもらいます。そして出版取次の支払手形を持って信用組合に飛び込むのです。翌月には赤伝(返品伝票)だけが出版社に届けられます。支払い期日が来ていない分の先払いを頼むのなんて日常茶飯事でした。経理の社員が行かされた先が街金なんて、当然の如くありました。社歴100年を誇る中堅出版社でさえもこの有り様でした。吹き溜まりと称された出版業界それでも本を出したい出版人。本の世界から離れられない人種の集まりです。会社が潰れようと全財産を失くそうと、この業界から離れません。社名が変わり、会社が変わろうと、誰もがこの業界に棲息し続けます。出版業界に魅せられ、虜にされた人たちの溜まり場が神保町や本郷です。「また始めたよ。宜しく」「今度はここへ移ったからね」このような会話があちこちで、それも毎日のように飛び交う業界でした。まさに顔の業界です。お互いが長い付き合いなのです。少々のムリは聞いてもらえます。だって、みんな明日は我が身なのです。「まあ、あいつに頼まれたんじゃ、しょうがない」高度経済成長は、徐々に出版業界の様相を変えていきました。出版社と出版取次の寡占化です。合理化も進み事業規模も拡大しました。編集プロダクションや商品管理会社への外注も多くなりました。外面だけは企業の形を整えたけれどそれでも経営の不安定さは付きまといます。倒産も後を絶ちません。出版社で、経営危機に陥ったことのない企業のほうが少ないのが実態です。一度は、あるいは二度、倒産したはずなのに事業は続いています。よく見ると○○新社と「新」の文字が加わっています。二度目の倒産で「新」の文字を外して元の社名に戻った出版社もあります。法人としては全くの別法人になったけれど、企業の中身は変わりません。お互いに出版事業継続の困難さを知っているがゆえの支えあいでした。でもそれも、バブルの崩壊以降、さらに様相を変えていきます。本も売れなくなりました。夢を追いかけていては生きられなくなったのです。従来の出版社は売れる著者や売れた商品の類似商品を追いかけ始めました。前に書いた「ものまね出版社」へ変身です。事業維持に汲々となっています。一方で、○芸社。○風舎、○天社など自費出版業者の進出です。読者でなく著者がお客さんとドライに割り切った出版社もどきの隆盛です。そこには昔からの見知った出版仲間は一人も居ません。他業界から乗り込んで来た人たちです。果たして出版人と言えるのか………。話をもとに戻しますある出版社の例です。名前は書けませんが、歴史もある著名な出版社です。どうやら不動産投機で失敗したようです。風前のともし火状況に陥りました。ある日、別の行政区に、まったく同じ名前の出版社を登記しました。そして、旧社から新社への営業権譲渡です。すべてが極秘に進められました。その後、旧社はどこにでもありそうなカタカナ文字の社名に変更です。そしてすぐに倒産しました。闇から闇へ。(これは昔の話ではありません。)倒産会社として著名な出版社の名前はどこにも出て来ません。一部の雑誌の発行元は変わったけれど、従来の出版物はそのままです。読者どころか出版業界の中にも知られずに、出版事業は続いています。今日の日記も分かりづらいかも知れません。明確に書き切れない事情をご理解下さい。既存の出版社の変質、そして自費出版業者の進出が、出版業界のこの十年の特徴です。昔の出版業界が良かったなどとは申しません。いつの時代にも様々な問題を抱えていたのが出版業界です。ただし、本を作ることの原点だけは忘れてはならないと思っています。「儲かるから」「やむを得ないから」「仕事だからしょうがない」と言葉にする前に、本を作りたい人や本を読みたい人の存在を思い出すべきだと思っています。
Feb 8, 2005
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出版業界でメシを食う方法(その二十八)以前の日記で出版社のM&A(企業の売買)に数多くかかわったことを書きました。実はこのM&A、出版業界では昔から多かったのです。私がかかわった企業譲渡だけで30社以上に昇ります。あまり具体例を紹介できないのですが、今日はそのことに触れてみます。幽霊口座の売買出版取次との取引口座がなかなか開設出来ないことは以前紹介しました。また、たとえ開設出来たとしても、低い条件を飲まざるを得ないのです。新規だとほとんどの場合、卸値は定価の67%程度です。昔からの出版社だと卸値は定価の69%だったり、71%だったりします。さらに配本手数料とも言える『歩戻』と言うものがあります。新刊配本時に搬入した本の定価合計の5%程度を控除されてしまうのです。これも昔からの出版社だと、せいぜい1~2%程度です。年商1億円程度の出版社だと、一年間で五百万円以上の差額が出てきます。十年間で五千万円の差額です。この差がそのまま純利益の差額となります。新規に作るより、従来在った出版社を買うほうが有利なのは当然です。以前から数千万円の値段を付けて出版社が売買されていました。資産もなければ従業員もいない赤字だらけの会社が数千万円なのです。これを出版業界では「幽霊口座の売買」と呼んできました。債権債務の整理と出版取次との関係での円滑な移行が前提条件になります。私の倒産以降、それこそ次々と相談が持ち込まれました。「なんでオレなの?」私のところに最初に相談を持ち込んだのは私の会社の債権者です。ある出版社が経営危機に陥ったので債権者集会に出てくれと言うのです。「あんたでないと処理できない」と押し切られて出席しました。その出版社は社長が亡くなって未亡人が後を継いでいました。新刊企画も立てられず、細々と重版したり在庫を売っていました。借金も溜まる一方で、もう続けられないと窮地に陥っていました。「売りましょう、この会社。四千万円で」「エッ、こんな会社が四千万円?」「いいです。私が買い手を見つけます」「その代わり、売りやすいように事業を整理します」債権者に債務減額の協力を求めて赤字を三千万円に圧縮しました。次に買い手を見つけてきて契約をしました。売買価格四千万円です。未亡人に今後の生活費として一千万円渡しました。別に特別のことではない新規に出版社を起こしたい人にとってもいい話だったのです。実は四千万円のうち一千万円は現金、残りは分割支払いです。債務の三千万円をそのまま引き継いで分割返済すればいいのです。新しい経営者の事業計画では年間売り上げ二億円が目標でした。新規口座とこの会社の口座の取引条件の違いを計算しました。わずか三年で元が取れるのです。その後は毎年一千万円の利益増です。それも出版社を新規に起こして販売システムを構築する手間も不要です。遅れていたシステムは私が改善しました。おまけに社歴が付いてきました。創業40周年を迎える老舗の看板です。この会社のM&Aを終わらせた頃から次々と話が来るようになりました。どの出版社も創業社長の高齢化が進んでいたのです。一方で新たに出版社を始めたい人も私のところへ来るようになりました。再建屋にされてしまった会社が倒産すると債権者集会が開かれます。頼まれて出席することが多くなりました。「アレ、お宅もまた」。知った顔が並んでいます。印刷屋さん、製本屋さん、紙屋さん、広告代理店、倉庫屋さんなどです。「お宅の場合どうだっけ?」私の倒産のときの処理の仕方を聞かれるのが常です。私が再建途上であるにもかかわらず、「よし、それで行こう」となります。私の会社のミニ版の再建計画が次々と出来ていきます。さらに会社の売買へと話が進んでいきます。「Mさんやってよ、債権者会議の委員長」「冗談でしょう。私は債権者じゃないですよ。私の会社も倒産会社ですよ」「そんなこと言わずにさー。あんたは業界に顔が利くからさー」月光仮面は今日も行く先日の日記に書いた特価卸のゆりさんからも電話が入ります。取引先の出版社の手形事故などの処置です。「今どこ? ○○出版が不渡りを出したみたい」「うちも○千万円貸付があるのよ。何とかしなきゃ」「いま迎えに行くからね。待っててよ」90ccのホンダカブで素っ飛んできます。「ハイ、これ」ってヘルメットを渡され後部座席です。ゆりさんのデッカイ背中にしがみ付いて出動です。一度パンクしたことがあります。たぶん重量オーバーです。何しろ三人分の体重で90ccのカブですから当然かも知れません。ゆりさんが二人分、私が一人分なのは言うまでもありません。でもこのデコボココンビでよく飛び回りました。ウーム、書きづらい。具体例を挙げるわけにはいかないものね。それぞれの出版社が今も頑張っているのです。でもまあ、出版社の幽霊口座の売買の一端だけは紹介できたかな。このような企業の売買以外にも「新社」方式による事業や口座の継続も数限りなくあるのが出版業界です。明日はそのことにもちょっと触れたいと思っています。
Feb 7, 2005
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ちょっとここらで一休み以前、「三日坊主の薦め」って書いたことがあります。「継続こそ力なり」と言う人もいますが、私はマンネリのほうが怖いのです。常に、真っ白なキャンバスに絵を描きたいと思っています。白紙から考えると、自分では想像すら出来なかったことが浮かんできます。自分の中の意外性を楽しんでいるのが、昨日今日の私です。もしかすると今までも、常に白いキャンバスを探していたのかも知れません。二冊の本も出来ました。依頼を受けた絵本の目処も付きました。9日(水曜日)の夜からは旅に出掛けます。出会いの旅です。いろいろな方とアポイントも取れました。今のところ18名のブログ仲間です。住んでいる所も違えば、生い立ちも、性別も、暮らし方も違います。また何かが始まりそうな期待で、修学旅行前の子供みたいなものです。ありのままの私で出向きます。子供みたいなオヤジです。でも、出掛ける前に、今の連載も一応の目処を付けようと思っています。出掛けるまでの、あと四日間で一気に書き上げます。そのためにも今日は、ここまでにしておきます。【追伸】私の二冊の本。買わなくても結構ですから機会があれば店頭で手に取ってみて下さい。「なるほど、38万円で作った本がこれかー」と知って頂くだけで十分です。配本部数が少ないので大きな本屋さんしか置いていませんが、ついでの時で結構ですから、ぜひ見てやって下さい。
Feb 5, 2005
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出版業界でメシを食う方法(その二十七)今日ご紹介するのも倒産時の備忘録の中に書いてあった一節です。お蔭さまで、交友関係だけは見事に広がりました。ダンスビデオの発売を機にメジャーデビューしたグループも幾つかあります。そんな彼らとの話です。オレも仲間みたい以前にディスコダンスのハウツービデオを作ったのがキッカケで、ヒップホップのDJやラッパー、ダンサーなどをやっている連中との付き合いが出来た。その頃は十代、二十代だった彼らもすでに二十代、三十代となり、いっぱしに若い連中を仕切っている。元々は原宿のホコ天(歩行者天国のこと)にたむろしていた連中だ。自分たちのライフスタイルにこだわり、いまだにライブハウスやクラブ(ブのところで音を下げて発音する)にたむろしたり、自分たちのステージに出演したりしている。親父のように思われたのだろうか。私が倒産した後も、彼らのパーティーに呼んでくれたり、レコーディングなどの仕事の相談を持って来てくれた。最初のうちは気分転換の意味もあり、ほかに行くところもなかったせいか、時どき顔を出していた。「いい加減にしてよ。またー」私の息子たちはスポーツ大好き人間で、比較的体育会系ともいえる。息子たちは、彼らのことが余り好きではない。アンダーグラウンドの彼らと付き合うことを、「何で?」と馬鹿にされている。でも、飛び込んでみると、なるほどと彼らの生態も見えてくる。彼らの口から、「社長、もし若い連中が口論してても止めに入ったりしないでよネ」「最近の若い奴らときたら我慢ができねえんでサー、すぐにナイフを抜くんだから」「社長にもしものことがあったら俺ら、困るんだよ」「ヤバイとこへ出かける時は声掛けてよ。付き合ったげるからサー」と、一丁前に忠告してくる。彼らのライブが終わっても、階段に腰かけ、虚ろに座り続けている女の子たちも多い。明け方まで座り続けている。みんな自分の居場所を探しているんだよ「私サーァ、これでも学校の成績だけは凄くいいんだよ。東大行くかもしれないよ。卒業したら雇ってくれる」年を聞いたら中学三年生だという。成績が下がらなくて、進学のための勉強をキッチリとやっていれば親は文句を言わないという。何度も何度も、彼らのことを見ているうちに、『みんな寂しいんだ。家にも、学校にも、塾にも、自分の居場所が見つからないんだ』と思うようになってきた。友だちが欲しくても、どのようにすればいいのかわからない。自分の息子たちよりさらに年下の彼らを見ていると、自分たちのフィーリングに合う、こんなところが彼らの隠れ家なんだと気が付いた。TOKYOアンダーグラウンドでも将来、彼らがこの国の主人公であることは疑いのない事実なのだ。太古の昔から「最近の若い者は」と言われ続けてきた。今の子供たちの置かれている状況や、今の子供たちの心情を理解できなくて、将来のビジネスなんて考えられないではないか。いつのことになるのかわからないが、いずれ雑誌を創刊したい。タイトルはもう決まっている『ストリートカルチャーマガジン:TOKYOアンダーグラウンド』と名付けた。鏡もなく、自分で自分の姿が見えないものだから、きょうも、若いつもりで彼らと一緒になって騒いでいる。五十を過ぎてこんなことやっているのは私ぐらいだと思うが、胸がキュンとなったり、ドキドキするような、若い頃の感覚が今でも残っていることが嬉しくなる。周りから見れば何を馬鹿なことをと笑われるのもわかってはいるのだが。この文章も今から5年ほど前に私の備忘録『負けてたまるか』に書きました。この備忘録、いずれは本にしようかとは思いつつ、まだ原稿のままにしてあります。倒産によって多くの人たちに迷惑を掛けました。そのことをネタに本を出すことには抵抗があります。いずれ……。
Feb 4, 2005
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出版業界でメシを食う方法(その二十六)私の倒産時の話が続き、本題から少しずれています。でも脱線は、私の人生に付き物なので勘弁して下さい。今日掲載するのも以前書いた備忘録からの抜粋です。本邦初公開。事件屋さんと私との確執です。今日も小さな文字ですがご勘弁のほどを。街金さんコンニチワ。ない袖は振れません倒産後三年ほど過ぎたある日、一通の内容証明郵便が届いた。四千三百万円也の債権譲渡通知書だった。倒産直後、四苦八苦していた時、面倒を見てくれるという印刷会社が現われた。千葉県にある印刷会社だった。倒産で迷惑をかけた印刷所には、これ以上の面倒をお願いすることも出来ない。千葉県の印刷会社の社長の好意に甘えて、次々と仕事を依頼することになった。最初は順調だったこの印刷会社も、長引く不況には勝てない。経過は知らないが、積もり積もった私の会社への売掛け債権を、『Kリース』という街金に譲り渡したのだ。これにはもう一つ、私の失敗がある。不覚にも『公正証書』を交わしてしまっていたことだ。「銀行借入れのための返済計画の材料として公正証書を交わして欲しい。銀行に提出するだけだから頼む」と言われ、不承不承印をついてしまった。女房には、「だからあれほど止めたのに」と言われても返す言葉もない。どうしようかと考えているうちに、先方から電話がかかってきた。こうなれば腹を決めるしかない。押しかけられては面倒なので、こちらから出向く約束をした。絵に描いたような街金さんの登場約束の場所には、大柄で、白髪にパンチパーマをかけた、いかにもヤーさんふうのKリース社長と、お供のような背の高い男がベンツに乗って現われた。当然のように「まとめて払ってくれ」という。「支払う意思はあるが、到底支払える状況ではない」と答えると、それは半ば予想していたのだろう、分割でもいいという。分割の金額の交渉になったが、こちらから毎月十万円と切り出すと呆れられて、すったもんだの繰り返しになった。「五千万円近い金額を、毎月十万円ずつで、いったいいつになったら返し終わるのか」「延滞金だって発生している」とも付け加えられた。「金利や延滞金は一切払えない。ほかにも一銭も返していない債権者がいっぱいいる」また掛け合いになる。「ない袖は振れない。その代わり約束したことは守る」。強引に言い張り、ついに毎月二十万円の返済で押し切った。この街金の社長とは、この後もいく度か会う機会もあったが、その後に知り合ったKリースのオーナーに、私のことを「インテリヤクザふうの社長だ」と報告していたらしい。クソ真面目に生きている俺に対して何だとも思ったが、知り合ってみるとこの社長も雇われ社長の身で、人も良さそうだ。こっちもヤーさんふうと思ったのだから、どっちもどっち。まあ許してやろう。この話には後日談がある。Kリースの社長に出会って二年ほど経ってからKリースのオーナーと出会った。ある商品の仕入れ先を教えてくれと言うのだ。オーナーは『中村』と名乗ったが、本名でないことはその後で知った。商売は不調に終わったが、それから半年後、事件が起きた。この事件の内容は、少しほとぼりを冷ましてからでないと紹介できないが、この事件の対応に追われているうちに、その月の返済が出来なくなってしまった。これはシマッタと思ったが支払い延期を頼むしかない。恐る恐る自称『中村さん』に電話を入れた。酒に飲まれてしまった恐る恐る『中村さん』に電話を入れた。「ともかく顔を出せ」と言う。平日は忙しいので土曜日にして欲しいと頼んで、出向くことになった。前に出向いた、いかがわしそうな事務所ではなく、駅で待ち合わせたいという。千葉駅からモノレールに乗り、指定の駅に着いた。改札口に待っていた『中村さん』はニコニコと笑いながら、「昼飯は食ったか? 寿司でも食いに行こう」と声をかけてきた。こちらは謝りに来たつもりだから調子が狂ってしまった。ともかく寿司屋に入って真昼間からビールを飲み始めたのだが、支払いが遅れた理由を、相変わらずニコニコと笑いながら聞いているだけだ。前日まで事件に追われてあまり寝ていなかったせいもあり、ビールから焼酎に替わり、杯を傾けているうちにすっかり酔っぱらってしまった。いつ頃店を出たのか覚えていない。ほかの店へも連れて行かれたそうだが、だらしないことに丸っきり覚えていない。翌朝、目を覚ますと知らない家にいた。私が起きたのを見て、これまた知らない女の人が「お客さん起きたよ」と奥へ声をかけた。「オウ」と現われたのはくだんの『中村さん』だ。アレッ、またヘマをしたと謝る前に、「バアさん、酒だ」と叫んでいる。あとで聞いた話だが、その家に泊まっていった客は私が最初らしい。三十年ほど連れ添って、初めてだと奥さんも言っていた。アレ、借金が消えた何を気に入ってくれたのか、その後、たびたびご馳走になる機会が増えた。「俺はホトケの中村と呼ばれている」と本人が言うとおり、いつもニコニコ聞き役に回っている。でも、若い時は結構悪さもして、いく度もブタ箱の世話にもなっているらしい。前科六犯だそうで、事件物の金融屋と正体不明の不動産屋をやっているらしいが、実体が掴めない。腹を決めれば恐いものなしが私の本性なので、飲みに行くと先に酔っ払ったほうが勝ちと勝手に振る舞わせてもらう。何度目にか飲みに行った時、酔いに任せて、「借金をチャラにして欲しい」と持ちかけた。『中村さん』はギョッと一瞬黙ってしまったが、全部をチャラにすることは出来ないと言う。「いくら払えば、残りを放棄してもらえますか?」せめて一千万円は払ってもらわなければとの答えだ。そんな金、逆立ちしても出来っこない。「それは無理ですよ」と言うと、百万円ずつ下げてきて、最後は五百万円まで折れて来た。それさえも不可能だというところでお開きになってしまった。家に帰って女房に話すと、なんとか処理したいという。でもそんな金もなく、「やっぱり駄目か」とのつぶやきで、話も終わってしまった。翌朝、女房から、無理して息子の貯金などをかき集めれば二百万円なら出来そうだとの話が出た。早速、『中村さん』に電話を入れたのだが、「二百万じゃねえ」と言葉を濁された。一週間ほどして『中村さん』から電話がかかって来た。「また飲みに行こう」との誘いだ。ちゅうちょしていると、様子を察したのか急に「わかった。二百万でいい」と言い出した。そして、また酒シメタと思ったが、いくら良さそうな人とは言っても街金業に変わりはない。こちらで残債放棄の約定書を作成して判を貰うことと印鑑証明も準備してもらうことを申し出た。「お前って奴は、俺を信用してないな」との言葉が返ってきたが、すぐ後に「わかった用意させる」「これで対等に付き合えるだろう」と言う。翌週、弁護士さんに頼んで約定書を作成してもらい、なけなしの二百万円を持って千葉へと出向いた。その日、すべてを終えた後に、例によって「さあ、飲みに行こう」との声がかかった。無事終わったのかどうか女房も心配していることだし、一軒だけと言うと、「そうかい、借金がなくなったら俺とは付き合えないんだ」と軽口を叩かれた。酒を飲んでいる先で、どのようにして金を作ったのかを話していると、急に財布を取り出し、輪ゴムで止めた札束から一万円札を十枚引っ張り出した。「土産でも買って、家へ持って帰ってくれ」。固持しようとすると、俺に恥をかかすな一度出した金が引っ込められるかと言う。踊り出したいような気分で家に帰ったが、これは息子に返す分とすぐに取り上げられた。そりゃそうだろうな。今でも『中村さん』とは毎週のように飲んでいる。千葉まで出向くのはチョッピリ遠いのだが、街金の苦労話や、地上げで儲けた話、中には詐欺まがいの商売など、聞けば聞くほど面白い。中村さん自身、最近六百億円の負債を抱えて倒産した会社の社長だった。新聞にも大きく取り上げられ、千葉県内では史上5本の指に数えられる大型倒産の当事者だった。最近になって、彼は自分の不動産会社を手放してしまった。街金のほうの会社も、もう辞めたいと言い出した。新しい事業をいろいろと考えているそうだ。一緒になんかやろうよと言う。私のせいではないとは思うが、まっとうな商売なら、ぜひ一緒に組んでやりたいものだと思っている。以上は6年前に書いた備忘録です。ところで、削除される前の私の楽天日記には、『黒い子猫の棲む里にて』の表題で一昨年の秋まで山里で暮らしたときのことを掲載していました。今日の話の前段に出てきた街金の社長こそ、何とそのとき一緒に暮らしていた『幸ちゃん』なのです。私の食事を作ったり、私の運転手役をやったりと、甲斐甲斐しく働いてくれました。ヘンでしょ。取立てに来たはずの街金の社長が私の雑用係になってしまったのですから。そして中村さんは、私が千葉の山里に暮らしていた時期のスポンサーでした。
Feb 3, 2005
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出版業界でメシを食う方法(その二十五)自分の会社を倒産させたにもかかわらず、いつの間にか出版取次などで「再建屋」「整理屋」、時には「出版ジャンク屋」という有難い称号を付けてもらいました。でも、自分自身の会社の再建は遅々として進みません。次々と社員にも辞めてもらいました。そのような時の話です。ダボハゼ症候群に陥った何しろ借金は数億円です。両親の家も取り上げられてしまいました。新刊を出すお金もないので、売上げも減少していきます。おまけに先日書いたような詐欺被害にもあいました。相談に来る人には手立てが取れるのに、自分のことは皆目無策です。全ての手立てを尽くしてしまっていたとも言えます。こうなれば世間体なんてかまっていられません。売れるものならば……。アダルトビデオの話が持ち込まれてきました。倒産したビデオメーカーのアダルト作品の版権の話です。不思議な話を聞きました。廃棄されたはずの原版があるというのです。「きららかおり」と言う名のアダルト女優の出演作です。実は彼女、18歳以下だったそうです。制作会社は告訴され、廃盤にすることと賠償金で決着が付いていました。「被告は裁判所だよ」それなのに破産管財人が売り出した原版の中に、それが含まれていました。「やってみよう。文句を言われたら、裁判所を告訴してくれと言えばいい」すでに彼女は二十歳を過ぎています。出してしまいました。そのうちに、新東宝からもビデオを作らないかと話がきました。昔の3本立て映画の名残りです。昔のピンク映画です。「○○名作選」と銘打って販売しました。このことがきっかけでビデオの自動販売機業者と付き合いが始まりました。「ビニ本を作ってよ。売ってあげるよ」またまたダボハゼのように食いつきました。実はアダルトビデオ用のジャケット写真の原画が一杯あったのです。確かにアダルトもそこそこは売れたのですが、空しさが押し寄せて来ます。以下に、当時のことを書いた私の備忘録から抜粋します。【私の備忘録『負けてたまるか -倒産、そしてラストチャンス-』からの抜粋】高級クラブからの遠足の日々倒産後のどん底の時、ビデオなどの商品を主に手掛けた。書籍などの印刷物と違って製作期間も短く、小さなロットで手掛ければリスクも少ないと判断したからだ。幸い協力してくれる業者さんもいた。ビデオの業者さんたちは、利益率が高いのか夜の遊びには金を使う。新宿、赤坂、渋谷、六本木と飲み歩く。誘われることも多くなるが、何しろ私には金はない。「イャア、手持ちがなくて」と断っても、「気にするな、ご馳走するよ」と誘われて断れない。飲み歩けば夜中の一時、二時になる。一人何万円もの支払いは取引き先の社長がしてくれるが、最終電車はもうない。お店でタクシーを呼んでくれるのだが、「クルマ代がないので貸してください」とまでは言えない。タクシーに乗って、ワンメーターが上がる前に、「ごめん、もう一軒寄って行くからこの辺でいいよ」と降りることにした。家までは到底歩いて帰れないので、会社まで歩く。遠い場所なら二時間、比較的近い新宿からでも一時間ほどかかってしまう。やるっきゃない暖かい季節はまだそれでも我慢出来たが、雨の日や寒い時には本当に堪えた。雪の日もあったっけ。会社へ戻って寝袋に潜り込む。コンクリートの床の上なので身体中痛くなるが、それでも結構寝られたものだ。普通の日も、交通費をケチって出来るだけ歩くようにした。電車の場合、三駅程度なら歩いて行った。倒産前まで持病の胃潰瘍の痛みで青くなっていたことが多かったのだが、いつの間にか治まっている。どうやら歩き続けたことと、ジタバタしても始まらねえと覚悟を決めて、悩むことが少なくなったせいだろう。疲れ切っているせいかベッドに入れば、一瞬にして眠ってしまう。夢を見る暇もなくなった。と同時に、悩む暇もなくなった。すこしでも現金を稼ぎたい。働きに出ることも考えたが、会社の仕事を優先したい。そこで相談に乗ってもらったのが、ビデオのアッセンブリ(テープをケースに入れたりパッケージしたりすること)の請負いをやっていた町工場の社長だ。時給八百円也三人ぐらいの社員を使って夜遅くまで仕事をしていることに目を付けた。社長の自宅と同じところに工場があるので、社員が帰ってからも一人で機械を動かしていると聞いていた。「何日手伝えるかわかりませんが働かしてください」「こっちから頼みてえぐれえだ。でも時給八百円しか払えねえぞ」と言うことで商談成立。自分の会社の仕事を終えてから通い始めた。最終電車ギリギリの十二時まで働くのだが、立ちっぱなし。町工場の社長も七十を過ぎているというのにTシャツ一枚になって機械と格闘している。途中で、お茶にしようと声がかかる。三十分ほど休憩してまた格闘が始まる。毎日その場で現金でくれるのだが、「ハイ、休憩の時間を引いて三時間半の分」。休憩時間の分はチャッカリと引かれてしまう。一度、どうしても手が足りないと言うので息子にも手伝わせたが、「お父さん社長だろう。こんな仕事、お父さんはやっちゃ駄目だよ」と言われてしまった。あまりにも惨めな姿に映ったのだろう。それでも結構長い間働かせてもらった。わずか二、三千円でも現金が入ったのは嬉しかったし、単純作業で汗をかいていると余計な悩みも忘れることが出来た。つづく
Feb 2, 2005
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出版業界でメシを食う方法(その二十四)さて。昨日の特価卸とゆりさんとの再会の話を記憶の片隅に留めて置いて頂いて、私があちこちの出版社の倒産事件や再建や企業買収や新社設立に関わった件に話を移します。「何でー? だってオレ、倒産の当事者だよ」普通じゃ考えられないことが起きてきました。私が銀行取引停止になった頃から経営相談が相次ぐようになりました。知り合いの中小出版社の社長さんたちです。私に相談を持ち込むのは、幾つかの理由がありました。一つは、私の会社が倒産したにも関わらず、経営を続けていたことです。事務所も電話番号も同じです。代表者も同じです。私もカラ元気で、以前にも増して仕事で飛び回っていました。「どうすれば、そのように出来るの?」。明日は我が身と切実です。経営不安におののく中小出版社の社長にしてみれば、夢のような話です。余りに相談が多いものだから、「じゃあ、会でも作るか」と呼びかけました。中小出版社の経営者十数人が集まり、「出版野武士の会」と名付けました。でも一、二回の飲み会だけで続きませんでした。個別相談が多過ぎるのです。「そんなことやっているヒマがどこにあるの?」相談に来る社長連中の相談に時間を割かれるので女房の叱責が飛びます。でも相手だって必死です。「時間を取ってください」と食い下がります。「いいよ、いいよ。お宅も大変だねー」と倒産した本人が慰め役です。銀行交渉、在庫調整の仕方、販売ルートの開拓、取次との条件交渉、etc.ついには経営計画のたて方から債権債務の整理に、人事まで相談されます。もともと顔は広い方でしたが、さらに一気に、人の輪が広がりました私のところの債権者に紹介されて来た方も大勢います。「お宅も大変だろうけど、ちょっと相談に乗ってやってよ」迷惑を掛けた相手からの紹介だけに断れません。そのうち出版取次からも相談が飛び込むようになりました。私の倒産時に業界の大物が揃ったので、「こいつ顔が広い」となったのです。実は倒産後も私のために「面倒を見てやってよ」と取次に連絡が相次ぎました。「エッ、社長さんもご存知なんですか?」大手の出版社の営業部長や専務さんなどです。社長さんもいます。「えー、あなたもお知り合いなんですか?」「うん、昔からね。あいつが二十歳くらいの時から知っているよ」実は、そのほとんどが組合運動をやっていたときの知人です。みんな出世して、それぞれの会社の役員になっていました。猪突猛進型の私は、幸いなことにみんなの記憶に残っていたようです。常に私は最年少の仲間です。みなさん私よりはるかに年上でした。「あいつは若いんだから、面倒を見てやらなきゃ」そのような思いをいつまでも持ってくれていました。今度は出版取次からの紹介です。出版社の社長が相談に来ます。「あの出版社に倒産されるとウチも困るんだよ。相談に乗ってやってよ」いつの間にか取次の管理部にも足繁く通うありさまです。ついには弁護士さんまで紹介してきた私の倒産事件の後、お世話になった弁護士さんがいます。一円も払っていません。それなのに面倒を見てもらいました。その弁護士さんから話を聞いたと昔の知り合いが飛び込んで来ました。その件については前にも引用した私の備忘録『負けてたまるか -倒産、そしてラストチャンス』にも書いておいたので一部抜粋して掲載します。ある日突然事件は突然飛び込んできた。ある出版社が、きょうの仕手決済が出来ないという。保証人にもなっている私の友人、I氏のところへ飛び込んだが、これといった手が思いつかない。思い余って弁護士さんのところへ相談に行ったらしい。彼の会社がつまずけば、I氏の会社も連鎖倒産の憂き目にあうと言う。ノンバンクやサラ金、果ては暴力金融にまで手を出している。それも手形帳がないので、ほとんどが先付けの小切手を差し入れている。ほかにも業者さんへの支払いに多額の先付け小切手を振り出していた。それこそ一度でも不渡りを出したら収拾がつかなくなる。いくら弁護士さんでも、これでは手の打ちようがない。自己破産を勧めるしかないのだが、それではI氏の会社も連鎖倒産を免れない。「Iさんもご存じの、あの人しか相談出来る相手はいないでしょう」と弁護士の先生が言ったということで私のところへ相談に来た。概要を聞くと、難関はあるものの、整理出来ないでもない。時間もないので古書の卸問屋の社長に協力をしてもらうことにした。三時間の勝負無茶を承知で、「今すぐ○○万円用意しておいてくれないか。事情は後で説明するから」とだけ電話で話して、すぐに飛び込んだ。卸問屋の女社長も何がなんだかわからずに、それでも頼んだ金額を用意してくれていた。説明のために私は残り、F氏は現金を掴んで銀行へ走って行った。「悪いっ、もし返せなくても、彼のところの商品は古本市場で捌ける商品だから面倒を見て欲しい」当座の手当てが出来てすぐ、次の段取りにかかった。すぐにも次の決済が押し寄せてくる。一息入れる時間もなかった。F氏が銀行から戻って来ると、さっそく主な取引き先へ電話を入れさせて、アポを取る。大口債権者から順に回り始めた。「このままではすべてがなくなってしまいます。ぜひ協力してください」「事業継続が出来れば全部とは言えませんが返済の方法もあると思います」なんで私まで頭を下げなければならないのかと思ったが、ほかに説得のしようがない。当面の危機を回避期日を定めて債権者集会を開催した。「私も役員に入って責任を持って再建します。そのためには皆さんのところへ出回っている先付けの小切手を返してください。もし一枚でも残っていて、それが回ってくるようでは再建の見込みはありません」「私が名を連ねている会社が倒産しようものなら、せっかくここまで頑張ってきた自分の会社への影響も出てきます。一枚でも先付けの小切手が市中に残るようなら、残念ですが私は手を引かせてもらいます」半ば脅迫に近い言い方だったかも知れないが、なんとかそれで債権者の方たちも了解してくれた。一気に不良債務整理債権者集会に集まってもらった取引き先の人たちの了解は得られた。暴利の違法金融は弁護士さんに動いてもらい処置をした。次にはノンバンクやサラ金の処理が控えている。ノンバンク・サラ金とはいえ上場しているようなところばかりなので、金利が高いとはいっても法定利息や出資法ギリギリだ。ここまで来ると、逆に不渡りも出していないので思い切った手は打てない。そうかと言って高利の借金を残していては再建のメドも立たない。なんとか金を作って、債務を消すしかない。そこで目を付けたのがF氏が遺産相続で所有している静岡の土地だ。細長くて地形はあまり良くないうえに十七坪しかない。それでも売れれば借金の穴埋めになる。その時、私の両親の土地が競売になった時に落札したのがお隣さんだったことを思い出した。まず隣の土地の持ち主に交渉しよう。これ以外にすこしでも高く売る方法はない。何度かの連絡の末、私とF氏、さらには最初に私のところへこの件の相談を持って来た友人のI氏の三人で出向くことになった。「わかりました。協力させてもらいましょう」先方は謄本も取り寄せてあるらしく、サラ金業者の担保が付いているのも知っていた。さらに、「この辺の評価額を知っていますか」と聞いてきた。相場は、こちらの言い値の半分以下だと、暗に語っていた。まともな交渉なら、かないっこない。率直にこちらの状況を説明して、協力してもらうしかない。「売りにくい土地だということも重々承知しています。いずれ競売にかけられるような状況になるのも目に見えています。競売になれば評価よりはるかに安くなるでしょう。お願いするしかありません。彼は千七百万円どうしても必要なんです」延々とこの間の経過を、何度も、何度も繰り返して説明した。私の話を聞きながら、しばらく考えていた先方の社長は、突然、「わかりました。買いましょう。お隣さんの息子さんが困っておられる。聞けば大したお付き合いでもないのに、お二人さんが彼のために静岡くんだりまで頼みに来る。同じ静岡の人間として協力させてもらわんわけにはいかないでしょう」気の短い方なのか事務員に、早速「小切手を切るように」と言い出した。「いやそれは、正式に書類を整えてからでないと」と辞退して席を立ったが、本当に嬉しかった。帰りに今日出会った社長の経営する駅弁会社の『鯛めし』を買って新幹線に乗り込んだ。皆さ~ん。静岡へ行ったら駅弁は『鯛めし』ですよ。続きます。静岡の『鯛めし』の会社の名前は何ていったっけ。ちいさんなら知っているよね。
Feb 1, 2005
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