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まともな文房具を揃ってない ※久しぶりに(3年半ぶりに)このシリーズを書きます。 ◆勉強の苦手な子を見ていると文房具の選択がマズいです。まずは文房具から変えましょう。 ◆学力中間層から下位層の子の文房具を見ると、キャラクターグッズが大変多いことに気がつきます。マジメに勉強するためには、デザイン性より機能性が大切なのですが、彼らにはそうした観点がありません。 一般に、学力が低くなればなるほど、中身より外見でものごとを選択する傾向が強くなります。例えば、高校選びに関しても、大学進学実績や授業内容など高校の中身で決めるのではなく、制服(見た目)や文化祭の面白さ(ある意味、見た目。年1回しかない行事)で決めます。 同様に、文房具に関しても、勉強が苦手な子は見た目重視です。 キャラクターグッズが中心。シャーペンの上部にはなんだか余計な人形みたいなのが付いて絶えずグルグル回り続けていますし、消しゴムもカラフルで変なキャラが描かれています。しかも、あまりよく消えない。消しゴムとしての機能を全く果たしていません。 中には、正統派の「MONO」消しゴムを使っている子もいるかと思えば、よく見てみると筆箱に入らないくらいデッカい。試験で見直しを行い、ミスを発見できたところまでは良いのですが、そのミスを消しゴムで消した際に、消しゴムがデカいために誤って余計な部分まで消してしまい減点される。こうしたアホな事態を招きます。 下敷きも今イチです。勉強が苦手な子が使用している下敷きを見ると、アイドルや野球選手などのキャラクターグッズを使っているケースが多いです。 ヒドイ子になると、下敷きに大好きなアイドルのシールをペタペタ貼っています。その結果、表面がデコボコしてしまい、コンパスを使っているわけでもないのにノートはシャーペンの穴だらけ。 中には、正統派の透明な下敷きを使っている子もいますが、ノートがB5サイズなのに、下敷きはなぜかA4サイズ。ノートから大幅にはみ出し、とにかく勉強しづらそう。ノートのサイズと異なる大きさの下敷きを選ぶセンスが私には理解不能です。 とにかく、勉強が苦手な子を見ると、もう文房具の選び方がめちゃくちゃなのです。成績を上げたいのなら、まずはまともな文房具を選んでください。 「勉強では目立てないから、せめて文房具で目立ってやろう!」というその歪んだ動機を変えるところが出発点です。
2017年07月08日
◆前々回のブログで、精密コードを聞き取るには、「落ち着いて聞くこと」「細かい点に注意すること」「分析的に理解すること」の3点が必要と書きましたが、今回はそのうちの2点目「細かい点に注意すること」についてのお話です。◆高校受験においては、国語力の有る無しが、全体(国語を含めた5科目)の偏差値の伸びに大きく影響します。端的に言えば、国語力があれば伸びるし、なければ伸びづらいということです。今年の中3クラスや2年前(2014年度)の中3クラスにもその傾向は顕著で、この両学年の偏差値が伸び悩んだ最大の理由が「国語力の弱さ」です(※)。※今年の中3クラス国語偏差値は平均で40後半~50前半あたりで推移しており、これが国語の点数を下げているだけでなく、他の4教科の偏差値まで下げています。ただ、一概に「国語力が弱い」と言いましても、その要因は様々です。たとえば、今回のテーマ「細かい点に注意が向かない」というのも、国語力向上を阻む要因となります。◆When my father came home, I was watching TV.ある中2用テキストに載っていた英文です。「父が帰宅した時、私はテレビを見ていました」という意味です。この例文を当塾の中3クラスや中2クラスで訳させると、経験則ですが3~4割の生徒が 「父は帰宅したとき、私はテレビを見ていました」と訳してしまいます。細かい部分かもしれませんが、上記の黄色部分の訳は日本語としては不自然です。「は」を使うか「が」を使うかで、日本語の意味は大きく変わってしまいます。日本語を勉強している外国人学習者の方にとって、この辺りの助詞のニュアンスは大変難しいそうですが、今年の当塾の塾生もこの辺りの日本語感覚を持っていない子が非常に多く、それが彼らの言語生活を苦しめています。そして、この助詞・助動詞感覚の欠如が、1 思考力の弱さ2 誤読の多さに結びついていきます。<1 「助詞・助動詞感覚の欠如 → 思考力の弱さ」 について>助詞に関しては、5歳から6歳くらいの段階で自然に身につけると言われており、この段階を過ぎてしまった場合は外国人学習者と同じように一つ一つ暗記していくしかありません。ただ、ご家庭での会話できちんと助詞と助動詞を使うことによって、今からでも「ある程度まで」は挽回可能です。百ます計算を生み出した岸本裕史氏は、『見える学力、見えない学力』の中で「物事を正確に認知したり、微妙に表現するときには、助詞や助動詞は欠かせないことばです。助詞、助動詞が家庭の会話でも軽視されることなく、正しく使われておれば、それは物事を厳密に考えていく力にも転移していくのです。」「思考を組み立てる場合のかぎになることばを駆使できるまでになってるかどうかは、家庭で交わされることばづかいによって、ほぼ決まってきます。一夜づけで身につくものではありません。何ヶ月も何年もかかって身につけていくのです。子どもの思考力は、ゆたかな言語環境の中で、その素地が培われます。」と述べています。助詞や助動詞などの細かい点にまで注意を払うことは、日本語表現力を研ぎ澄ますだけでなく、思考力の養成にも結びつくということです。そして、その養成のカギはご家庭の会話にあるということです。<2 「助詞・助動詞感覚の欠如 → 誤読の多さ」 について>もう1つ。助詞・助動詞感覚の欠如は、誤読にも結びつきます。◆中1、中2クラスでは、毎日の勉強開始時に本を読むように指導しています。http://plaza.rakuten.co.jp/jukucaravel/diary/201612070001/のブログで、学力を上げるという観点からすると、小説は効果的ではありませんとは書きましたが、この小説とはライトノベルや推理小説などのことであり、いわゆる文学作品については、少しずつ触れていった方が良いと思います。◆ところで、昨日の中2クラスで、「日本でノーベル文学賞を取った作家2人を挙げてください」と聞いたところ、誰も答えられませんでした。それほど現在の中学生は文学作品とは縁の無い生活をしているということです。文学作品は、確かに宮部みゆき、東野圭吾、池井戸潤などに比べると面白くないかもしれませんが、文学作品に触れることで日本語表現力は増していきますし、何よりこうした作品は感受性の鋭い中学、高校時代に読んでおくべきです。さて、ノーベル文学賞受賞者の一人である川端康成の代表作『伊豆の踊子』に次のような文章があります。踊子はやはり脣(くちびる)をきっと閉じたまま一方を見つめていた。私が縄梯子(なわばしご)に捉まろうとして振り返った時、さよならを言おうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなずいて見せた。上の文章の下線部「さよならを言おうとした」のが誰だか分かるでしょうか。なお、上記の部分での登場人物は「私」と「踊子」の2名のみです。答えは「踊子」です。講談社文芸文庫『一草一花』の中で、川端康成自身が「踊子に決まっているではないか」と書いています。更に続けて、川端康成は「この場の私と踊子の様子からしても、踊子であるのは明らかではないか。私か踊子かと疑ったり迷ったりするのは、読みが足りないのではなかろうか。」と述べています。これはもちろん、川端康成本人がおっしゃるように文脈から判断できますし、本来は文脈から読み取るのが筋でしょう。ただ、このブログの冒頭に書いた When my father came home, I was watching TV.「父が帰宅した時、私はテレビを見ていました」の英文を思い出してみてください。ここで助詞の感覚が生きてくるのです。中2、中3生は分かると思いますが、「父が帰宅した時」の部分を従属節と言います。また、「私はテレビを見ていました」の部分を主節と言います。従属節には、原則「が」を使い、主節には「は」を用いるのが日本語として自然な場合が多い(もちろん絶対ではありません)ということを理解していれば、川端康成の文章も「私が・・・・・・振り返った時、」までが従属節であり、したがって「が」が使われていると分かります。すると、その後ろに続く「さよならを言おうとしたが」の部分から主節になっており、主語の「踊子は」が省略されていると分かります。(日本語は主語の省略が頻繁に起こります)こうした「細部を読み取る力」も国語力の1つです。国語力の弱い子は、細部にまで気が回りません。というより、細部なんてどうでも良いと考えている子がほとんどです。まずはその姿勢・意識を改善しないことには国語力はいつまで経っても上がることはありません。
2016年12月13日
◆前回のブログで、学校の先生は、情報を正確に伝え、生徒に理解させようとするために、「精密コード的な発話」を重視します。また、その精密コードを聞き取るには、「落ち着いて聞くこと」「細かい点に注意すること」「分析的に理解すること」の3点が必要と書きました。この3点のうち、「落ち着いて聞くこと」が出来ない子が今年の塾生には大勢います。それが国語力の無さに結びつき、学校成績の低迷に結びつき、トータルで皆さんの学力向上を大きく阻害しています。<「落ち着いて聞く」ということ>◆昨日の中2クラスでは、英語の総合問題(全分野の総合)を解きました。案の定、適当にやっている子が大勢いました。間違えた問題があっても、解答集も見て、ただ答えを赤で修正して終わり。なぜ間違ったのか、どうしてその答えになるのかを考えもせず、単に答えを直すだけ。理屈を全く理解せずに丸暗記しているのみです。これでは、初めての問題には全く対応できません。頭だってどんどん悪くなってしまいます。だって、全く思考力を使っていないのですから。※そんなやり方で、不安にもならず平気でいられる神経が私には理解できません。赤で答えを直すだけなら小学生でも、いや幼稚園児でも出来るわけで、そういうのを「機械的作業」というのです。機械的ですから、人間というよりは機械の方により近い状態です◆そこで、問題演習の時間を中断し、それぞれの設問について、「どの単元(テーマ)に関する問題なのか」、「どのページの知識が必要なのか」を一つ一つ私から発問しながら進めていきました。その際に、「問1の知識は何章に載っていますか」「問2の知識は何ページに書いてありますか」と微妙に発問の表現を変え、生徒を指名していきました。まず、「5科目440点未満の子達(当塾での下位層)」は、そもそも何ページに書いてあるのか覚えていないため全く答えられない、というケースが多かったです。やはり、5科目440点に満たない子は、記憶力に大きな弱点を抱えています。ここをクリアすることが第一段階です。(ちなみに、その記憶力訓練は中2の夏休みに終了しました。夏休みのテストをサボっていた子達が、見事なまでにこの層にとどまっています。)次に、一応どのページで学習したのかまでは判断できるのですが、私の質問に「正確に」答えることが出来ない子も数名いました。例えば、私が「何ページに書いてありますか」と質問しているにもかかわらず、「●●章です」と答えたり、反対に、私が「何章に載っていますか」と尋ねているにもかかわらず、「●●ページです」と答えたりします。これが学力が低迷する要因です。この層の子達は、先生の話を「落ち着いて聞く」ということができないのです。先生の話や指示を正確に聞き取ることは学力向上の第一段階です。ところが、5科目450未満の子達は、ほぼ例外なく、先生の要求した通りに答えることができません。「右と左どちらですか」と質問しているにもかかわらず、「東です」と答えてしまいます。1つ前のブログでも書きましたが、学校で使用されている言語は「精密コード」と呼ばれるものであり、そこでは(教育現場では)、言葉を正確に聞き取ることが要求されます。そのためには、「落ち着いて聞く」ということが不可欠です。今年の塾生は全学年、人の話を聞くことが大変苦手です。まずは、ここをクリアする必要があります。◆中には、「落ち着いて聞く」以前の子も数名います。すなわち、そもそも「全く聞いていない」という子達です。たとえば、もう2ヵ月前の話になりますが、中1クラスでこんなことがありました。問題演習中、ちょっと気になることがあったため、全体へ指示を出していました。そのとき、私の指示を遮るように、「先生、この問題が分かりません」と大きな声を発した子がいたのです。この子の場合は、そもそも私の声など全く耳に入っていない状態です。おそらく学校でも同じような状態が頻繁に起こっているはずで、2学期中間から期末にかけて、やはり成績は下降し始めました。学校の成績を上げるためには、まずは先生の話を聞くことが大切です。ところが、この「聞く」という行為が大変苦手なため、集団の中でどうしても「聞き漏らし」をしてしまう子が一定割合います。学校ではそのあたりのケアはなかなか出来ないのが現状です。これは学校の先生の能力の問題ではなく、現状の学校システムの問題で致し方ない面があります。したがって、学校に責任をなすりつけても、お子様に関しては無意味であり、きちんとご家庭で自己防衛することが重要です。こうした子のトレーニングは原則塾側でやっていくことがメインになりますが、ご自宅でも正確にコミュニケーションが出来るようにトレーニングを欠かさぬようにしてください。
2016年12月13日
<授業前後の質問>各学年、授業前に質問をしてくる子が数名います。※中3Aクラスが最も多いです。ただし、特定の女子数名のみですが。この授業前後の質問をしてくる子の中で、ほとんど成績の上がらない子がいます。 <質問してくる子で成績の上がらない子 第3位>◆質問回数が多いにもかかわらず、あまり成績の上がらないタイプ第2位は、「先生のことを辞書代わりにしている子」です。自分で辞書や参考書やインターネットを調べれば分かるようなこと(主に英単語の意味や用法、社会の知識)を聞いてくる子は、塾生にも大変多いです。このレベルの質問は早めに卒業してもらいたいものです。辞書を引けば分かるような質問は、「辞書をひきなさい」で終えることもあれば、あるいは、私が分かっている内容でもわざわざ生徒の前で2,3冊辞書を開き、調べる姿を見させるようにしています。<質問してくる子で成績の上がらない子 第2位>先生に質問をしてくる子の中で、全くと言って良いほど成績が上がらないタイプがいます。それは・・・「質問のための質問」をしてくる子です。要するに、本人はそれほど疑問に思っているわけでもなく(もう少し正確に言えば、「これから質問する内容」に関して、特段興味があるわけでも、本当知りたいわけでもなく)、単に先生に対して「勉強してますアピール」のためにしてくる質問のことです。いわゆる、「ポーズとしての質問」です。この質問をしてくる子の特徴は2つあります。◆1つめは、せっかく私が回答した内容を全く覚えていないということです。生徒からの質問に対し私が答えます。そして、その解説した内容について、次回の授業で(あるいは数分後に)その生徒に再度聞き直すと、全く答えることが出来ないのです。(既に忘れてしまっているということ)そりゃあ、そうでしょう。なぜなら、その質問内容に本当に興味があったわけではなく、単に「質問するという行為を作り出すための質問」だったのですから。別に塾の先生に対しては、内申点を稼ぐ必要なんてありませんから、以後このような「見せかけの質問」はやめてください。こちらも暇ではないのです。◆さて、ここからが本題です。見せかけの質問をしてくる生徒の2つめの特徴は、学校の内申点が悪いということです。一見、学校の先生に対してもポーズとしての質問をして内申点を稼いでいると思いきや、意外と学校の先生には質問していないことが結構あります。ただ、こうした子の抱えている問題点はそこではありません。この子達の問題点は、「先生が口頭で解説してくれた内容やテキストに載っていない知識を覚えることが出来ない」という点です。先生に対して質問をしてくるということは、多くの場合、テキストに載っていない内容です。当然、先生に解説を受けた内容はメモを残しておく必要があるのです。ところが、このタイプの子は、まずメモを残すことをしない。なぜなら、あくまでも「ポーズとしての質問」ですから、先生が説明してくれた内容に関して、本人は全く重要性を感じていないからです。(自分から質問をしているくせに、本人は全く興味関心がないのです。ひどい話ですよね。)また、仮にメモを残しておいたとしても、「そのメモを覚えることができない」ということも、このタイプの生徒の特徴です。したがって、こうしたタイプの子は学校においても、先生が口頭で説明した内容(教科書やプリントに載っていない内容)がテストに出されると、ことごとく答えることができないのです。つまり、先生に質問した内容を覚えていないタイプの子は、概して内申点は低めです。グループ作成校に出願するための条件を満たせずに、第一志望校を受験することすらできずに高校受験を終えることになります。不合格になる人、成績の上がらない人・・・結果には必ず原因があるわけです。<最後に>質問をしない生徒で上位校へ合格したケースは過去ほとんどありませんでしたが、「見せかけの質問をする子」で上位校に合格した子も過去ほとんどいません。塾生のみなさんは1 質問のレベルを上げる2 質問した内容は覚える3 テキストに載っていない内容は必ずメモをする4 メモした内容は覚える以上を実践すること。各学年、これらが出来ている子は数名のみです。中3Aの数名をのぞき、ほとんど出来ていません。特に、中1と中3Bと中3A男子はひどいです。<おまけ 質問してくる子で成績の上がらない子 第1位>授業中に話した内容を聞き漏らして質問してくる生徒。論外!
2016年04月19日
鈍感(感度が悪い)勉強の苦手な子には、「感度」の悪い子が多く、これはかなりの割合で当てはまります。感度が悪いとは、言い換えれば「鈍感」ということです。気配りや目配りが出来ないとも言えます。<「鈍感さ」は日常生活でも出ています>これは日常生活でも当てはまります。「塾のルール」がいつまで経ってもルーティン化せず、何度も何度も同じ注意を受けます。「ぶつからないで欲しい」、「踏まないで欲しい」と何度頼んでも、平気でぶつかりますし、踏みます。ノートの使い方やテキストへの書き込み方法も、何度言っても習慣化しません。ゴミが落ちていても気づかず、平気で跨ぎます(ちなみに、俳優の哀川翔さんのご家庭では、ゴミを跨いだら半殺しだそうです)。要するに、いろいろなモノに対して鈍感なのです。目配りができないので、10のルールがあるとしたら、そのうち4~5つを落とします(忘れてしまいます)。当塾では、3月冒頭の授業で、塾のルールをいくつかお話しします。途中入塾の子には個別にお話しします。そして、その塾ルールを説明した次の来塾時、その子の入室の様子を見ます。その瞬間、「あ~、この子は伸び悩むだろうな・・・」と分かってしまうのです。前回伝えたルール通りに入室できない子は、やはり成績も伸び悩みます。なぜなら、こうした子達は、勉強面の注意事項もきちんと守ることができないからです。これは今まで指導してきて、ほぼ例外がないため、入塾2日目で私は悲しくなってしまいます。<「鈍感さ」は問題を解く際にも現れます>当然、勉強もできるようになりません。「目配りの無さ」は、問題を解く際にも顔を出します。応用問題の中には、注意しなければならないポイントが5つも6つも入っている問題がたくさんあります。ところが、鈍感な子は、そのうち2つから3つを必ず忘れます。全てのポイントに注意を払うことができないのです。ですから、当然難問は出来ません。解き方をマスターしても、計算でミスをしたり、書くべき事を書き忘れたりと、細かい失点を重ねます。<「鈍感さ」は授業を聞く際にも現れます>また、鈍感な子は、「周りからの声が耳に入らない」という特徴を持っています。たとえば、先生が何か重要な話を始めても、自分の名前が直接呼びかけられない限り、気づかないことも多々あります。サッと黒板の方に顔を向けることができないのです。常に周りよりワンテンポ遅れます。このように書くと、中には「それは集中しているからではないか?」と疑問をお持ちになる方がいるかもしれませんが、このタイプの子は、決して集中しているわけではありません。むしろ、集中力は平均的な子よりも劣ります。単純に周りの声が耳に入らないのです。この特徴を持っていると将来厄介です。どこの会社(職場)にも、自分の仕事をしている際は、電話が鳴ってもお客さんが来ても気づかないタイプの社員が必ずいます。このタイプで「仕事ができる」という人はまずいません。仕事の出来る人は、集中している時でも、周りへの気配り、目配りは行えるものです。鈍感な人は、決して集中しているわけではないのですが、でも周りの声が耳に入ってこないのです。社会的にはあまり好ましくない個性なので、これは早めに矯正すべきでしょう。(ひとりで生きていくなら構わないと思います)<「鈍感さ」は他の子が質問している時にも現れます>問題演習をしている時も同様です。生徒が問題を解き、先生が教室内を机間巡視しながら質問を受けている場面を想像してみてください。ある生徒が先生に質問をしました。それに対して何やら先生が答えています。ここで、成績上位層は、他の子が先生にしている質問にも耳を傾けています。そして、重要だと思うことは密かにメモしています。当然ですが、他の子がした質問と同じ質問をすることは決してありません。ところが、鈍感な子は、他の子が先生に質問している内容には全く興味を示しません。そもそも、誰かが先生に質問していること自体に気づいていない場合すらあります。そのため、「他の子が先生にしたのと同じ質問を、その数分後に再びする」ということが度々あるのです。<「鈍感」な子は自分の実力を客観視できません>鈍感な子は、自分の実力不足についても鈍感です。いや、それどころか自分の実力を過信する傾向が強いです。たとえば、前回出した宿題に関して、ある生徒から質問が出たとします。なかなかの難問です。先生側も、「これは必ず質問が出るだろうな・・・」と授業前に予測していた問題です。そこで、「では、今○○君から質問が出た問題を解説します。分からなかった人は解説を聞きなさい。大丈夫な人は、次のページを進めていなさい。」と先生が指示を出したとします。ここで、成績の良い子は、たとえ自分が解けた問題でもきちんと解説を聞きます。なぜなら、もしかしたら自分とは違う考え方や別解を先生が示すかもしれないからです。あるいは、「自分の考え方で間違いはなかったのだ」と確認するためかもしれません。あるいは、「一応自力で出来たけど、先生の話を聞けば、自然と復習になるから聞いていよう!」という考えかもしれません。毎年自校作成校に合格する子の多くはそうです。ところが、成績の悪い子は、ここでも鈍感です。「自宅で答えを見て、何となく分かった大丈夫だろう」と先生の解説を聞かないのです。実は今週も、ある学年でこのケースがありました。ある男子生徒が数学の質問をしてきました。なかなか難しい問題でしたし、重要な問題でもあったので、黒板で10分ほど解説を行いました。ところが、クラスで最も「数学が苦手な子」が全く聞いていない。それ以外の子は解説を聞き、板書をきちんとメモしているにもかかわらず・・・。そして、その数分後、先ほど黒板で解説した問題と全く同じタイプの問題がテキストに出てきました。先ほど解説を聞いていた子達は解けているのですが、案の定、ひとりだけ解けずに苦しんでいる子がいます。先ほどの解説を聞いていなかった「数学が苦手な子」です。万事がこのような感じです。<鈍感であることのメリットは、勉強面においてほとんどなし>「鈍感」という言葉の持つニュアンスはなかなかキツいのですが、でもやはり「鈍感」という言葉がイメージとぴったりなので、今回は「鈍感な子」という言葉を選択しました。「鈍感力」なんて本が以前ベストセラーになりましたが、勉強に関しては敏感(ビンカン)さの方が数倍重要です。敏感さこそが知的好奇心を呼び起こし、勉強ができるようになることに貢献します。一方、鈍感(ドンカン)な子は、何に対しても鈍感であり、興味を示しません。「どうでもいいや」という覇気のない生活を送る子もいます。時に鈍感さは、たくましさや精神的なゆとりを生むこともあるでしょうが、こと勉強に関しては、鈍感であることのメリットは1つもないと言えます。タグ:都立高校入試 自校作成入試 西東京市 塾 難関校 トップ校 自校作成校 グループ作成校 西 国立 日比谷 戸山 新宿 西武柳沢 田無 東伏見 ひばりヶ丘 保谷 進学塾 東京都立 塾 高校入試 東京都立 都立専門 鈍感 成績の伸びない子
2014年05月28日
ポーズとして質問する子なかなか成果の出ない子の中には「ポーズとしての質問」をする子が多いように感じています。なお、この「ポーズとしての質問」とは、先月いらっしゃった礎義塾柳先生のお言葉をお借りしました。「ポーズ」には「見せかけだけの態度」という意味があります。すなわち、「ポーズとしての質問」とは「見せかけだけの質問」と言い換えることが出来ます。もう少し具体的に書きます。「ポーズとしての質問」とは、一応本人の中では質問をしているつもりなのですが、実際は「質問することそれ自体」が目的になっており、質問内容にはそれほど意味がない、というものです。本人にとって、質問の中身はどうでも良く、「先生に質問した」という事実こそが大切なのです。彼らのする質問は、あくまでも「先生に質問するために作った質問」(仮に本人にそのつもりはなくても)であり、質問内容は二の次です。それでも彼らがわざわざ職員室を訪れ、先生に質問や相談をする理由は、本人の自己満足の場合もあれば、単なる点数稼ぎの場合もあります。時にはただ単に先生と話したかっただけという場合もあれば、親に言われて仕方なく質問しに来たという場合もあります。いずれの場合も、本当に質問したいわけではないので、質問タイムが終われば、その瞬間目標達成です。そして、当然のことですが、彼らの実力が向上することはありません。なぜなら、このタイプの子は、先生から受けたアドバイスを決して実行することがないのですから。質問する前とした後で彼らの中で「変化する事」は何一つないのです。ただ単に「先生と会話した」(本人の中では「質問した」ことになっている)という事実が1つ加わっただけです。質問それ自体が目的ですから、本人の行動は質問前後で全く変わりません。以上が「ポーズとしての質問」をするタイプの子です。先生に質問や相談をたくさんしているのに、一向に実力が変わらないのは、この「ポーズとしての質問」をする子に多いです。実はこれは塾で行われている「一斉内部面談」にも当てはまります。多くの塾では、「内部面談の時期になりました」と言って、年に3回程度(夏期講習前、冬期講習前、新年度前)、一斉内部面談を行います。この面談こそ「ポーズとしての面談」(見せかけだけの面談)です。単なる「恒例行事」「年間行事予定」となっていますから、塾側も保護者側もアリバイ的に面談を「こなしている」だけです。本人不在のまま面談が行われ、保護者側が面談の必要性をイマイチ感じられない中で「義務的に」行われているケースも多々あり、その後生徒本人の行動が改善されることも一切ありません。あくまでも保護者の方の「ガス抜き」のためのアリバイ面談、これが「ポーズとしての面談」です。ちなみに、塾側の本心ですが、面談の時期を見れば明らかです。夏期講習前と冬期講習前の面談は、「コマ数アップ」と「特別ゼミや合宿の動員」が目標であり、新年度前の面談は、「次年度への継続」と「次年度のコマ数アップ」が目的です。保護者の方が本当に相談したい内容は,この時期の面談では不可能というわけです。「塾に呼び出されて面談に行ったら、あらいやだ、来月の出費が倍になっちゃった・・・」というのがオチです。(笑えないですが・・・)今現在、大手塾に通っているという方は、塾側の設定した「一斉内部面談」には出席せず、自分が本当に必要だと思った時に相談するというのが最良です。ただし、嫌がられるかもしれませんのでご注意ください。
2014年05月19日
試験前になると自習室に来る子このタイプは、まず例外なく成績が上がりません。いや、正確に言うと、成績は上がるかもしれませんが、偏差値が上がりません。その結果、高校受験では上位校に合格できませんし、その延長上にある大学受験については言うまでもありません。(大学受験は付け焼き刃の知識や詰め込み学習でどうにかなるものではありません) 試験前になると、急に塾の自習室に来る子がいます。理由を聞くと「家だと集中できないので塾に来ました。」と答えます。ところが、こういう子達は、試験前以外には一切塾の自習室に来たことはありません。上記の事実(2つの青文字)をミックスして考えるとどうなるでしょうか。つまり、試験前ではない期間(1年の大部分の期間)は集中できていません。ということになるのです。これでは成績は上がるはずもないですし、偏差値は絶対に上がりません。 百歩譲って、「試験前は、家より塾の方が集中できるので、塾でやりたい」という理由を認めるとしましょう。しかし、これは大問題です。なぜなら、「集中力がイマイチの状態でも、普段の塾の宿題程度なら何とかなる」と考えているからです。つまり、完全に「塾の勉強<学校のテスト勉強」という順列が本人の中で出来上がっているタイプです。このタイプは学校の定期試験が、勉強の最大目的になっており、毎回毎回付け焼き刃の勉強を繰り返します。そもそも、試験前だけ集中的にやる子の成績が上がらない理由は、歯磨きに喩えればすぐに分かると思います。歯の検診があるからと言って、検診の1週間前だけ歯磨きする人が果たしているでしょうか。これでは、絶対に虫歯になります。歯磨きは毎日すべきものです。勉強も同様です。日々集中して勉強を行わないから、中3や高校生になって偏差値が上がらないのです。学校の内申があっても実力がないと都立高校も私立高校も上位校はまず不可能です。 昨年、塾生の約半数が自校作成校および駒場、日本女子大などの上位校に合格しました。一昨年も塾生の約半数が自校作成校や武蔵野北・小金井北、中杉などのトップ校に合格していきました。彼らのうち自習室利用者は1名のみ。残り全員は自宅学習派です。一方で、試験前だけ勉強に来る子が昨年も3名ほどいました。高校受験の結果は残念ながら、上位校というわけにはいきませんでした。 彼ら3名は「家だと集中できないので、塾でやります」派だったのですが、要するに、試験前以外は集中出来ていなかったのです。上位校に受からなかったのは(正確に言えば、上位校を受験すらできなかったのは)必然的な結果だと思います。自宅で学習できる環境がないと、受験では勝てません。大学受験でも同様です。図書館や塾の自習室でないと勉強できない子は、図書館や塾が閉まっている日はどうするのでしょうか。受験勉強のメインは自宅に持っていくべきです。それが天候や外部的な要因(図書館の休館日など)に左右されず、安定した勉強量が確保できる最高の状態です。これについては、ご家庭のご協力も不可欠です。当塾のある生徒の家では、子供が勉強を始めると、家のテレビを消し、携帯電話の電源も切り、家族全員で勉強や読書を始めるそうです。子供の勉強に合わせて、親も読書タイムになるというわけです。親御さんの中には、「おれは昼間働いているのだから、夜くらいはゆっくりテレビを見たい」という方も多いでしょうが、子どもたちだって朝から学校に行き、部活をやり、その上で夜は勉強なのです。したがって、家族全体で子供の勉強に対して協力態勢を作ることが、お子さんの学力を上げる近道です。学力というのは子供だけの力では残念ながら上がりません。家族全体で戦わないと学力が上がらないのです。これは病気と同じです。家族の誰かが重病になった時、本人だけに頑張らせるということはありません。家族全体で戦うはずです。食事も生活習慣も家族全員が変えるはずです。 勉強も同様で、子供だけに戦わせるのではなく、家族全員の協力が不可欠であることを付け加えておきます。
2013年09月05日
「早く終わらせたい」と焦ってやっている子 端的に言えば、勉強とは入試に受かるためにやっています。「一次方程式を解けること」や「裸子植物と被子植物を区別できること」が、将来直接役立つことはあまりないでしょう。ではなぜ勉強するかといえば、受験で出題されるからです。そして、受験に合格しないと、「学歴」という武器を手に入れられないからです。「学歴」を持たずに社会に出るのは、武器を持たずに戦場に赴くようなもの。運が良ければ生きて帰れますが、命を落とす危険性の方が遙かに高くなります。だから、社会に出る前に学歴を手に入れる必要があるのです。学歴がなくても食べていけるような子もいます。AKBのメンバーやプロスポーツ選手です。彼らは、その方面の才能があるからそれでいいのです(ただ、個人的には、私は「芸がないからこそ芸能人になる」という考えです。一般社会で生きていくための一芸があるのなら、芸能人にならない方が安定した人生を歩めると考えています)。しかし、そうした特別な才能がない場合は、やはり勉強し、学歴を手に入れてしまうのが一番安全です。そして、その学歴を手に入れるために不可欠なのが、現在では学校の教科書内容をマスターすることなのです。(何が必要とされるかは、時代により地域により異なります。現在の日本では、勉強の価値観が相対的に高いという話です。パラダイムシフトが起これば、また価値観も変わるでしょう。) さて、前置きが長くなりました。冒頭の「早く終わらせたいと考え、焦って勉強している子」の話です。このタイプは成績が伸びません。誤解なきよう断っておきますが、入試(テスト)ということを考えた場合、ゆっくりやっていてはいけません。早く解かなければ制限時間に間に合わないですし、ゆっくりやっていては入試までに全範囲終了しないからです。そういう点では、「素早く解くこと」は重要です。ここで言いたいのは、「スピードを上げよう」「制限時間に収まるように素早く解こう」と考えている子ではなく、ただ単に「勉強を早く終わらせたい」と考えている子のことです。このタイプは成績が上がりません。なぜなら、根本的に勉強が好きではないからです。そして、嫌々やっているので頭にも残らないからです。彼らは,その単元をマスターすることが目的ではなく、そのページを終わらせることが目的になっています。もっと正確に言えば、そのページを終わらせて、「早くテレビを見たい」「早くマンガを読みたい」「早く遊びに行きたい」「早く寝たい」が目的になっています。つまり、勉強よりも、勉強終了後の趣味の時間が目的なのです。これでは成績が上がるわけがありません。 たとえば、ジクソーパズルの話です。500ピースのものと3000ピースのものでは、3000ピースの方が値段が高くなります。しかし、ジグソーパズル好きの人は、必ずや値段の高い3000ピースの方を購入するはずです。なぜなら、好きなことや楽しいことは、長い時間をかけて楽しみたいと思うからです。そして、実際に長い時間かけて仕上げたパズルは、短時間で仕上がる500ピースのパズルよりも、素晴らしい絵柄になっているはずです。500ピースと3000ピースとでは、迫力が違います。料理でも同様です。何度も何度も煮て、焼いて、時間をかけた料理というのは、短時間で作ったレトルト食品よりも深い味が出るはずです。2013年9月現在休業していますが、「藪そば」のつゆなどは完成までに何日間も寝かせておくとのことです。勉強も同様です。「長い時間かけじっくりと養成した力」と「短時間で詰め込んだ付け焼き刃の知識」とでは、深みも違えば、定着度も異なります。試験前だけちょこちょとと勉強したり、早く終わらせたい一心で適当に仕上げた宿題や提出物というのは、全くみなさんの力にはなっていません。そもそも「早く終わらせたい」という焦る気持ちが常に頭の片隅にあるのですから、集中力という点でも疑問符が付きます。したがって、早く終わらせたいという気持ちで行う勉強というのは、全く意味がなく、みなさんの力になりません。そのため、成績が伸びないのです。(この「成績が伸びない子」シリーズ。実は100話ほど書きためてあるのですが、少しずつブログに書いていきます)
2013年09月04日
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