2011年06月16日
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ここの関係から 川越丈雄という人という人をピックアップしてみると

川越丈雄という人物がおりまして、この人は皆さん御存じだと思いますが、かつては大蔵政務次官であって、平和相互銀行の会長であった人だ。この人が中央観光株式会社の――これは銀行局長御存じないと思いますけれども、裏話を申し上げます、裏話だけれども事実でありますから。そこで平和相互銀行の会長であった人で、かつて大蔵政務次官であって昨年なくなりました川越さんは、その関係で、中央観光株式会社の役員であった関係上、平和相互銀行との取引が持たれたと、そこで平和相互銀行も、その他の銀行もだんだん手控えるようになったときに東海銀行が乗り出してきたという裏にはこういうお話がございます。これは銀行局長の答弁は答弁として了承いたしますけれども、あなたの答弁の中でも、やっぱり前半のほうはちょっと行き過ぎのような言い方ではありませんけれども、少し金融常識上ちょっと異例のような融資の姿勢、そういうニュアンスは含んでの御答弁のように私は感じましたので申し上げますが、その間の事情は重要です。いま申し上げたように川越丈雄さんがいて、中央観光の役員で、そこである有力閣僚、名前はっきり申し上げます。これは中央観光の社長自身も言明していることだし、それから当時の中央観光の経理部長の滝川さんという人も御存じだし、従業員も知っているし、それから世間に知っている人が非常に多いので申し上げます。これは増田甲子七防衛庁長官が東海銀行に対するあっせんの労をとったということであります。私は、その川越さんという人がかつて上司であって、個人としての義理上政治家として東海銀行にあっせんをするということについては別に悪いこととは思っておりません。そういうことを云々したくはございません。ただ言えることは、政治家というものは一私企業に対してそこまでのあっせんの労をとるべきかどうかということは、政治姿勢としては問題ではあろうと思います。だけれども、川越さんに対する義理として東海のほうにあっせんの労を若干とったということについては、私は大目に見てもいいだろうと思うんです。大目に見ると言ったって、私はどうかわかりませんが、世間の人はどう解釈するかわかりませんが、そう思います。そこで、そういうことでなくて問題は、官房副長官ひとつお聞きいただきたいと思うんですが、こういうことなんですね、

この方の経歴を wikiからもってくると 下記の通り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E4%B8%88%E9%9B%84

川越 丈雄(かわごえ たけお、1884年11月1日 - 1966年3月11日[1])は、日本の大蔵官僚、銀行家。大蔵次官、法制局長官。
[編集] 経歴
鹿児島県出身。川越武助の長男として生まれる。加治木中学、第一高等学校を経て、1910年10月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験に合格し大蔵省に入省。専売局書記兼大蔵属・専売局長官官房兼理財局勤務となる。
1918年6月、大蔵省主計官・主計局予算決算課に配属され、以後、大蔵書記官、主計局司計課長、同決算課長、同予算決算課長、預金部長などを歴任。1934年5月、銀行局長に就任。対満事務局次長を経て、1936年3月、大蔵次官となる。1937年2月、林内閣の法制局長官となり同年6月まで在任した。1938年1月、大蔵省から中華民国の財政経済の状況調査を委嘱された。
退官後、庶民金庫理事長、東北興業会社(現:三菱マテリアル)総裁を歴任。戦後、1946年9月から1951年8月まで公職追放となった。さらに、日本殖産(株)会長、平和殖産無尽(株)会長、平和相互銀行社長、同会長を歴任した

今でいうなら 新橋の金融屋に 大蔵次官が会長でくるような感じですかね 誰が 仲介したのか 興味深いです






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最終更新日  2011年06月16日 18時32分01秒
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