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2011.10.05
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カテゴリ: 戦争映画
あゝ決戦航空隊.jpg


ポツダム宣言、広島原爆、ソ連宣戦布告と続き
太平洋戦争敗戦決定的となった1945年8月11日
日本軍の大本営はそれでも徹底抗戦を唱えていた。
この光景を描いたのが1974年公開の東映戦争映画
「あゝ決戦航空隊」である。

太平洋戦争開幕以来、進撃を続けた日本軍ではあったが
その成功もわずか半年たらずで停滞した。

大西滝治郎中将(鶴田浩二)は海軍軍需省局長として
物資調達に奔走し、児玉誉士夫機関長(小林旭)は
大西の合理的な判断と奔放な行動力に心服していた。

やがて米内海相(池部良)は大西を第一航艦司令長官に任命。
参謀本部は最後の決戦案として捷一号作戦を決行、
クラーク基地に姿を現わした大西は猪口参謀(室田日出男)
玉井中佐(梅宮辰夫)を呼び特攻の編成を命じた。

かくして関行男大尉(北大路欣也)を指揮官とする
神風特別攻撃隊が編成され戦史にその例を見ない
必死必殺の特攻作戦が生まれたのである。

だが捷一号作戦もまた失敗に終り
戦局は益々苛烈なる退勢を辿り、硫黄島の全滅、
沖縄の激戦と日本は追い詰められ、
本土決戦は時間の問題となっていた。

そして特攻作戦は今や大本営作戦として命令され
連日、全基地から特攻隊が出撃していった。

軍令部次長として帰国した大西は本土空襲によって焼けた
我が家で妻・淑恵(中村玉緒)と再会したが、
家庭を暖める暇はなく児玉機関と協力して飛行機材料の
入手に努める一方、和平論に傾いてきた軍令部、
米内海相に徹底抗戦を説得し続けた。

だが大西、小園(菅原文太)らの動きにも関わらず
最高戦争指導会議ではソ連を仲介とした和平に期待していた。

しかしソ連は対日宣戦を布告し満州に侵入、
アメリカは広島、長崎に原爆を投下、
日本はポツダム宣言を受諾するかどうかの岐路に立たされた。

大西は必死に豊田連合艦隊司令長官(大木実)を口説き
米内海相にぶつかり主戦論を通すべく奔走した。

「このまま何もせずに敗戦では軍人として申し訳なし」
これが大西の本土徹底抗戦論の原点であり
彼の胸中には彼の命令で出撃し散華していった
若い特攻隊員の姿が焼きついていた。

和平の動きを察知した小園は以後独自行動をとる事を宣言、
若手士官たちも小園に従い叛軍を決意した!

この映画はドキュメント的な要素を持っており
鶴田浩二が演じた大西滝治郎とは実在した人物であり
真珠湾攻撃の作戦計画の原案を作成し
特攻隊の生みの親である。

大西は日本の敗戦を見とどけると8月16日
「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して割腹自決。

遺書には特攻で散華した兵士達への謝罪と共に
生き残った若者に対して軽挙妄動を慎み日本の復興
発展に尽くすよう諭している。


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Last updated  2011.10.05 21:41:07
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