『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』100万部?日記

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2012.05.27
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カテゴリ: 歴史の話
大河ドラマ『平清盛』第21回「保元の乱」の感想です。


マニアックに面白かった です!



藤原頼長と信西の「孫子」の解釈の違いや後白河天皇の演説、為朝のヘタレ返上、

白河法皇からの呪縛解放など見所が満載でした。


「孫子読みの孫子知らず」 をここまで見事にドラマにできたのは

大河史上初ではないでしょうか?


弟・頼盛を戦場から追い返したのも、今後の伏線になるのでしょうしね。


『保元物語』を読んだのが随分と前なので、どこまでが物語通りなのかは

解らなかったのですが、当時の戦闘を見事に再現できたのはないでしょうか。



まあ、総じて 一般の人には訳がわからず 厳しかったかもしれませんが……。



にしても、また清盛が脇役でしたね。

その辺りも史実通りなのが、このドラマの一番凄いところなのですが。



―――――
第21回 「保元の乱」 あらすじ

 1156年7月10日深夜、ついに戦いの火ぶたが切られようとしていた。後白河天皇(松田翔太)方には平清盛(松山ケンイチ)以下300騎、源義朝(玉木宏)以下200騎などが陣をおく高松殿に集結。同じころ源為義(小日向文世)ら源氏勢や、平忠正(豊原功補)とその一党は崇徳上皇(井浦新)がいる白河北殿に入った。

 それぞれの軍議の中で、天皇方の義朝と上皇方の源為朝(橋本さとし)は、ともに戦慣れした武士らしく、「夜討ちこそが最上策」と提言。夜討ちを恥ずべき行為とする頼長がこれを退けたため、上皇方は夜明けを待つことになった。一方、天皇方の信西は、勝つためには手段を選ばずとばかり義朝の案を取り入れる。信西は義朝の献策を褒めあげると、清盛も負けじと発奮する。

 清盛は早速一門に指示を出す。平氏の武功をあげるため為朝を狙えと。
―――――




今回は、裏番組がちょうどロンドン五輪出場が決まるかどうかの

女子バレーの生放送 だったんですよねえ……。


それも、五輪出場決定の瞬間が「大河ドラマの番組終了直後」という間の悪さ。


視聴率はどうだったのでしょうか――― (・。・;)






    だったのに対し、「平清盛」は10.2%でした。1ケタは免れましたね^^;











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最終更新日  2012.05.28 12:49:14
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