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遅くなりましたが旅先で食ったものの記録なぞ。1日目新幹線内。崎陽軒の「チャーハン弁当」名古屋駅の喫茶でちょっと一服してから弥冨へ。ドーナツは黒糖味。一日目夕飯。味噌カツ丼ときしめんのセット。ハシゴしないで楽でした。この後喫茶店で「小倉トースト」とコーヒーと行きたかったけどお腹いっぱいでコーヒーだけいただきました。(写真なし)。二日目朝、ホテルの朝食。みそ汁はちゃんと赤だし。お昼前に食べてしまった「ももの木」さんのマンゴーロールケーキのセット。弥冨駅前の定食屋さんの肉じゃが定食。赤だし汁は名古屋人の血液です。二日目夕飯。さんざん歩いたのでエネルギー補給に奮発しました。名古屋名物「うなぎ櫃まぶし」。ここのお店はうなぎ以外にもとり、牛など変わりものの櫃まぶしが選べます。食後の一服。全国展開しているし近所にもあるという事でコメダ珈琲には立ち寄りませんでした。あそこはいつでも名古屋風喫茶を楽しめるし。アイスコーヒーとアーモンドなんとか。三日目朝、ホテルの朝食。三日目はお土産買って帰るだけだったのですが、優柔不断なために11~13時ごろまで何を食べようか迷いまくってました。結果喫茶店で「鉄板ナポリタン」に落ち着きました。ナポリタンを熱した鉄板に乗っけて周りに溶き卵を巡らせるのが名古屋流なのです。以下は名古屋~弥冨で見たもの。近鉄電車の連結部分。人が絶対に入りこめないように凶悪そうな仕掛けをしてあります。弥冨のゆるキャラさん。金魚には「きんちゃん」の名があるのに相棒はそっけなく「文鳥」と呼ばれてるだけだそうです。ちゃんと名前つけて欲しいのは全国の文鳥ファンからの願いです。きんちゃんは着ぐるみまであるのに。又八地区の田園風景。道路に車は多かったけどひと気のない静かなところでした。かつては駅に降りるだけで文鳥の鳴き声がお出迎えしてくれたそうです。最後は家に帰ってからいただいた銘菓「文鳥の里」。文鳥のイラスト?は焼き印で押したのでしょうか?粗削りな雰囲気ですがもうちょっとシャープでもいいかなぁと思いました。
2015年08月30日
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洋菓子店「ももの木」を出て直線距離で10分ほど歩いて「弥富市歴史民俗資料館」へ。こちらは「金魚の泳ぐ資料館」の別名の通り、現在の弥冨の特産物である金魚の生きた姿(20種類)を見ることが出来ます。中には宇宙飛行士の向井千秋さんとともにスペースシャトルへ乗った「宇宙金魚」の子孫もいるそうです。しかし今回は金魚関連は一切パスしました。金魚だって文鳥並みに歴史があるというのに関係者の方々ごめんなさい。二階へ通じる階段の壁には金魚と文鳥のレリーフがあります。白を基調としているのは白文鳥へのごひいきと思いたいです。弥冨の文化人や「その昔は信長に楯突いたために領地では女子供まで皆殺しにされた」という凄惨な歴史を大まかにすっ飛ばして(ごめんなさい)文鳥関連の資料へ。こちらが文鳥飼育の農家が使っていた道具類。手乗りに育てるための「いずみ」と呼ばれるワラの容器や、出荷時に使われた「通い箱」、「庭箱」と呼ばれる飼育カゴなどが観られます。写真の説明はなかったけど、ヒナたちの出荷のためにチェックをしている様子と思われます。「弥生出荷所」の中の風景でしょうか?木製の「通い箱」から使い捨て出来る紙製の出荷箱へ。おそらく最盛期の頃に切り替わったのだと思います。展示室の外のロビーには映像展示が。 弥冨の歴史や金魚のボタンが並んでますが、当然迷わず白文鳥の映像を選びました。「縮小しているけどまだ頑張ってますよ!」という内容でしたが、これでもまだ数年前の様子みたいで、今は生産者の規模はさらに小さくなっているようです。文鳥をはじめとするフィンチ類の人気がインコに押されているという今、フィンチの再評価が切望されます。残念だったのは「節電のため一部の展示に電気を入れてません」と書かれていた一文を忘れていた事です。頼めば電気を入れてくれる展示物に「文鳥の立体映像」があったようなのです。これから行かれる方は忘れずに見てやってほしいです。この後、先ほど「ももの木」さんで手に入れた弥富市紹介のパンフレットに、たった2軒まで減ってしまった文鳥飼育農家の住所が載っていたのを見つけ、遠くからその様子だけでも見てみようとその住所まで歩いてみました(携帯の地図アプリで大まかな場所は特定出来た)。が、この思い付きが良くありませんでした。実際は弥冨と隣の佐古木駅の間ぐらいまで歩いてゆくことになってしまいました。冷静に考えれば連絡もなしによそ者がフラリとやって来て「文鳥見せて」というのも無礼な話です。ましてや売り物の文鳥を買って帰ることも出来ない冷やかし客では申し訳もありません。電話番号も記載されていたのですが、どうすべきか葛藤しながら『どうやら鳥がたくさんさんざめいてる声が聞こえるな』というところまで近づいた時点で、踏み込むのを止めにして半分まで来た足で佐古木駅へ向かい、この日の探訪を終わりにしたのでした。この辺りは写真なんか撮ってると不審者と間違えられそうなので撮影はしませんでした。そこまでの道すがら、市営のコミュニティバスが通ったりそのバス停をたくさん見かけたりしたので、これから行かれる方はコミュニティバスを利用した方がスマートに回れると思います。
2015年08月29日
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二日目は資料の見学をメインにしました。まずは再び近鉄弥富へ。昨日と打って変わって雨模様。コンビニへ行ったら傘が売り切れていたものの、店員さんのご厚意で一本骨の曲がった傘をゆずっていただきました。文鳥電話ボックス近くのファミリーマート店員さん、大変に感謝いたします。三日目に傘を電車に置き忘れてしまい申し訳ありません。時折激しく降る雨をぬって弥富市役所となりの図書館へ。入口には巨大看板が!あまり大きくて1枚に収まりませんでしたが「日本一の金魚と文鳥のまち 愛知万博やとみの日 平成十七年九月九日~十一日」と書かれています。愛知万博は今からちょうど十年前で、この日に弥富の催事が行われたようです。周辺を見てもその催事がどんなものだったかは知る事が出来ませんでしたが、まだ文鳥組合があった頃なので、金魚と並んでそれなりの大きなPRをしていたのではないでしょうか。図書館へ行ったのは「弥冨文鳥盛衰記」を読みたかったからです。弥冨文鳥組合が解散した2009年に、組合長の大島氏がまとめたものです。もう一冊はちょうど見つける事が出来た「お爺ちゃんの玉手箱~語りべ小劇場」。これは弥冨の昔の風物を詩にしたためたもので、大島氏や弥冨の長老ともいうべき方々が当時の生活の様子を書き記したもの。「~盛衰記」は組合内で内々に配っただけの本なので、よそ者はこの図書館で閲覧するしか読む手段がありません。(貸し出しも禁止です)。そんなにページ数がないのですぐ読み終わりましたが、弥冨白文鳥と文鳥組合の辿った道をたどるには欠かせないものでした。図書館を出るとすぐ近くにこんな看板が。ショッピングモール「ウィングプラザ・パディー」の名前とマークからして、今や数少なくなった「文鳥推し」な物件です。ここでは後述するお菓子屋さん「ももの木」の銘菓『文鳥の里』を買う事が出来ます。ここからまた歩いてゆける距離に、その『文鳥の里』を生産している洋菓子店「ももの木」があります。こちらの屋根には白文鳥の屋根飾りがありました。やっぱり一つがいの仲の良さそうな文鳥でした。こちらで『文鳥の里』を買い込み、まだ昼食前ですが喫茶コーナーのケーキセットで一服して、次の「弥冨市歴史民俗資料館」へ向かいました。長くなったので続きます。
2015年08月28日
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文鳥について勉強すると必ず行き当たる、文鳥マニアには必須とも言える場所が「愛知県弥富市」です。ピコちゃんに巡り合って始まった文鳥との関わりを深めようと、夏の終わりにこの聖地へ行く決意をしました。まずは旅の起点となる名古屋市へ。中京へ降り立つのは初めてです。名古屋は平日でも人でごった返しです。お昼時についたため旅行者やサラリーマンなどでどこのお店も混雑してました。いわゆる「名古屋メシ」と言われるソウルフーズは決して観光客向けのものではなく、地元の人たちは並んでまでして食べていました。私はその前に新幹線で食事を済ませてしまったのでお昼に名古屋メシをいただけませんでした。弥冨市は名古屋から近鉄線に乗って行きます。まずは「近鉄弥富駅」の一つ手前の「佐古木駅」に降りました。 ここの又八地区は文鳥生産の農家が集中していたところです。町のあちこちに、今は縮小してしまった文鳥生産の往時の面影があります。駅から歩いてしばらく行ったところの「白文鳥発祥の碑」。昭和45年建立です。白文鳥は明治初期に突然変異でこの地に生まれたもので、以後弥冨の生産者さんが苦心努力の末品種として固定化され、文鳥といえば白、白といえば弥冨というくらいに普及したのだそうです。そしてこの石碑はまさに手乗り文鳥の人気がピークの頃に建てられたという事です。弥冨は昔から干拓で土地を増やした場所だったためにこのように海抜より低く、1959年の伊勢湾台風で壊滅的な打撃を受けたそうです。いまだに語り草になる伊勢湾台風と、戦後間もなくの物資の欠乏は弥冨文鳥にとって厳しい試練の時でした。その二つの試練を乗り越えて、この地の白文鳥は生産量日本一を誇ったのです。しかし70年代のピーク以降、それらの試練よりも厳しい波が少しづつ積み重なって文鳥生産は勢いを失ってゆき、今では1/100まで農家の数は減ってしまいました。その新しい波で決定的だったのは「子供の小鳥飼育離れ」と「鳥インフルエンザの風評被害」だったといいます。又八地区には「白鳥」という地名がつけられ、小学校などの名前になっています。この白鳥は当然白文鳥から付けられたものです。この辺は通称「文鳥村」とも呼ばれていたそうです。となり駅の「近鉄弥富」へ行きました。駅のロータリーには市の特産物である金魚と文鳥をあしらったモニュメントがあります。そしてここにしか見れない全国の文鳥マニアの聖地であるこの電話ボックスが、歩いて10分ほどの国道1号線沿いに鎮座しているのです。高村光太郎の文鳥のように右の背の高いのがオス、低くしている方がメスと思われます。道路沿いの駐車場の一角にポツリと立っていて周囲に何もなかったので一周まわって写真を撮りまくりました。道路は車ばかり通って人通りもなく、車の運転手は「なんでこんなもん撮ってるんだろう?」と思っていたかも知れません(でもいいのです)。このボックスはこれ一つだと思われますが、これや弥生地区にあったという「文鳥出荷所」やキャラクターを起こしてのアピールや「文鳥まつり」などで町を挙げて販路拡大を頑張ってたのが想像できます。それでも文鳥販売の規模は今に至るまで回復する見通しがなく、とても寂しい現状となっています。 ブームで生き物の命が振り回されることは許されませんが、文鳥の、そして弥冨の白文鳥の血筋が絶えてしまわない事を願わずにはいられません。続きます。
2015年08月27日
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