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原爆投下で変わり果てた世界
作家 村上 政彦
原民喜「夏の花」
本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の日本地図。そして今日は、原民喜の『夏の花』です。
原民喜( 1905 ~ 51 年)は、広島出身の詩人・小説家で、第 2 次世界大戦中、東京にいたのですが、戦況が厳しくなり、広島市の生家に疎開します。そこで 8 月 6 日の原爆を経験しました。
『夏の花』は、妻に先立たれた「私」(原民喜自身と思われる)が、墓参のために花を買う。それが「黄色の小弁を可憐な野趣」を帯びた〝夏の花〟だったという書き出しから始まります。
そして、翌々日の朝、私が厠に入っていたとき、原爆が投下されたのです。私は崩落する家から逃れるため、外へ出る。そこには見たことのない人々の群れがあった。
「男であるのか、女であるのか、殆ど区別もつかないほど、顔がくちゃくちゃに腫れ上がって、随って目は糸のように細まり、唇は思いきり爛れ、それに痛々しい肢体を露出させ、虫の息で彼らは横たわっているのであった」
つまり、被爆した人々を目撃しました。逃れる途中、小さな姪が寺の避難所にいると知って訪ねます。そこで夜を明かしたのですが、しょっちゅう念仏の声が聞こえてくる。絶えず誰かが死に、遺体はそのまま捨て置かれる。やがてこの寺に避難していた私の家族は調達した馬車で八幡村へ向かった。その道中で目にしたのは「精密巧緻な方法で実現された新地獄」。私はそれを書き留めるにはカタカナがふさわしいと、次の一節を記します。
ギラギラ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヨウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキミョウナリズム
スベテアッタコトカ アリエタコトナノカ
パット剥ギトッテシマッタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
プスプストムケル電線ノニオイ
いかにも詩人であった小説家らしい文章です。作者は、核兵器による破壊という未曽有の出来事に遭遇したわけですが、作家として冷静な観察眼を働かせ言葉を選んで、変わり果てた世界を記録しています。
人間の記憶は当てになりません。忘却という安産装置を備えているからです。だから、文学が必要なのです。文学は、見たまま、聴いたまま、感じたままを言葉に残します。私たちも、原民喜の『夏の花』のおかげで、核兵器が世界に何をもたらすのか、知ることができます。
いま私たちに求められているのは、この作品を過去のものとすることですが、『夏の花』は、残念ながら、現在の文学であり続けています。
〔参考文献〕
『小説集 夏の花』 岩波文庫
文 学 の旅㊳】聖教新聞 2021.9.8
人間の普遍性を描く児童小説 July 1, 2024
社会問題を映し出す転落や試練 June 5, 2024
この世界の問い方 June 3, 2024
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