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人間の普遍性を描く児童小説作家 村上 政彦 グエン・ニヤット・アイン「草原に黄色い花を見つける」本を手にして想像の旅に出かけよう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、グエン・ニヤット・アインの児童文学『草原に黄色い花を見つける』です。作者はベトナムのベストセラー作家です。日本の出版不況がいわれて久しいですが、かの国の事情も厳しいようで、文学の類いは、初版が500部から1000部。重版はほとんどなし。そんな中、本作は10万部も売れたというのですから、けた外れの人気です。訳者によれば、グエン・ニヤット・アインがこれだけ読まれる理由は二つあります。子どもの心に寄り添って彼らの心情を代弁すること、悪童を書くときに筆がさえること。それでは、作品の世界へダイブしましょう。語り手で主人公の「僕」ティユウ(13歳)は、弟トゥオン(12歳)と2人兄弟です。家族は、躾に厳しい父と、ごく普通の母との4人暮らし。兄妹は父の弟ダンおじさんと仲がいい。家は農業を営んでいます。ティユウは勉強がよくできるのですが、あまり出来のよくないトゥオンの方が兄ではないかと思うことがある。彼は兄を慕っていて、勉強の妨げにならないよう、我慢して家の仕事を手伝っているからです。兄妹は、いつも一緒に遊んでいます。石投げをしたり、花相撲をしたり、そこへ作者は、ベトナムの、のどかな風景を描きます。「水牛の首にはベルが付けられていて、行方不明になった時にはじゃらんじゃらんという音をたよりに行方を探した。ベルが付けられたばかりの頃、水牛がいくところには村の子供たちの人だかりができた。ベルの音を聴いて、彼らはアイスキャンデー売りが来たと勘違いしたらしい」村にはヴィンという美しい娘がいます。ダンおじさんは、彼女の住む立派な瓦葺きの家のホウオウボク(花の名の一つ)の下で、一晩中、ハーモニカを吹いたことがあった。それは愛の告白。以来、トゥオンはラブレターを渡す「青い鳥」の役目を引き受けます。それを叱咤ティユウは同じクラスの少女シンにラブレターを書いた。ダンおじさんのラブレターにあった詩を引用して。しかし少女はそれを教師に手渡し、ティユウは教師から、ちぎれるかと思うほどの勢いで耳をひっぱられる―—。作者は、この後も次ぎから次へと物語を転じ、広げ、読者を飽きさせません。このあたりは、ベストセラー作家の面目躍如です。ベトナムの児童文学というと、なかなか想像しづらいかもしれません。私もよく分かりませんでした。しかし、本作を読んで、子どもはどの国でも、虫や動物が好きで(トゥオンはガマガエルを飼っています)、思春期の少年少女たちは同じような悩みを抱え、父母や教師に叱られ、恋をしているのだと知りました。文学は人間の普遍性を教えてくれます。[参考文献]『草原に黄色い花を見つける』 加藤栄訳 カナリアコミュニケーションズ 【ぶら~り文学の旅㉔海外編】聖教新聞2023.4.26
July 1, 2024
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社会問題を映し出す転落や試練作家 村上 政彦クッツエー「恥辱」本を手にして想像の旅に出よう。「用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、J・M・クッツエーの『恥辱』です。作者は、南アフリカ(南ア)の白人です。オランダからの移民をルーツに持つ、いわゆるアフリカーナー。2003年にノーベル文学賞を受賞していますが、それ以前に英国のブッカー賞を2度受賞する快挙を成し遂げています。本作は、その2度目の受賞作です。南アといえば、20世紀後半まで悪名高いアパルトヘイト政策で、公然と人種差別をしていた国です。長い間、土着の黒人が植民者の白人に虐げられていた。本作にも、その歴史をうかがうことができます。主人公のデヴィット・ラウリーは52歳の独身。2度の離婚を経験している。ケープタウンの大学で電台文学を教えていたが、大規模な合理化で文学部が閉鎖され(日本でも似たような状況があります!)、今は主にコミュニケーション学を担当している。専門はバイロンで、詩人を主人公にしたオペラを構想。大学教員は、ただの稼ぎ仕事と割り切っている。鬱屈する主人公の心を解放してくれるのは、週に1度の高級娼婦との逢瀬。しかし、身元を知られた彼女は娼館を去ってしまう。そこへ現れた女子学生のメラニー・アイザックス。デヴィッとは彼女を自宅に誘って食事し、乾いていた性愛の泉を満たした。その後、メラニーは授業をたびたび欠席するが、彼は出席とし、単位も認める。それが大学で問題になり、査問会で弁明の機会を与えられるが、楽聖との条項や不正な成績操作を肯い、頑なに謝罪を拒む。そして、失職。デヴィッドは、娘ルーシーの元へ向かった。東ケープ州の町セレーム。「娘の小さな次作農園は、町のはずれから数マイル、舗装もない曲がりくねった田舎道の行きづまりにある。五ヘクタールの土地は大方耕作に適しており、風車ポンプ、厩舎、離れ屋が並び、まとまりなく広がった背の低い母屋がある」彼は、この農園でしばらく暮らすことになった。ある日、事件が起きる。2人の男と1人の少年に押し入られ、金目の物、自動車を盗まれ、ルーシーは暴行を受けた。デヴィッドは彼女にオランダへ行くことを勧めるが、頑なに、この土地を離れないという(親子ですね)。そのうち彼女は、農園の共同経営者・黒人ペトラスの家で、あの少年を見かける。どうやら親族の一人で、ペトラスは「かんべんしてやれ!」と守る。そして、今度はルーシーのことも守るというが……。クッツエーは、仕掛けに満ちた小説を書く作者ですが、本作は正攻法のリアリズム。ただ、やはり手だれの小説家です。教え子と情交を交わしたデヴィッドが無垢な少年の姿をさらし、読み手の共感を誘うのです。南アの歴史の変遷もたどれる秀作です。[参考文献]『恥辱』 鳩里友季子訳 早川書房 【ぶら~り文学の旅㉒海外編】聖教新聞2023.3.22
June 5, 2024
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この世界の問い方大澤 真幸著残るのは権威主義的資本主義か創価大学教授 前田 幸男評本書は、著者が2020年6月から22年8月までに執筆した時事的な評論集である。構成は、➀ロシアのウクライナ侵攻②中国の権威主義的資本主義③ベーシックインカムとその向こう側④アメリカの変質―バイデンの勝利と黒人差別問題、そして⑤日本国憲法の特質という⑤章立てである。いずれも重要なテーマで、とくに米露中といった大国に対する議論は、国際政治学で言うリアリズムのリバイバルとして人口に膾炙してきた。しかし、本書はそうした紋切り型の議論とは一線を画する。なぜなら、これは著者の最大の魅力ひとつだが、半ば論じ尽くされたと思われる資本主義、宗教、帝国、ナショナリズムなどの論点にも、さらなるクリティカル・シンキングをかけることで、新たな議論の地平切り開いていくからだ。中でも資本主義の存続に関する議論は一読に値する。本書で中国は国民国家の体をなしながら実質的には秩序を非常に重視する帝国であると把握している。資本主義は自由民主主義と組み合わさることで歴史は終わるとされたはずなのに、中国では法の支配よりも工程や共産党が上位に来る権威主義が資本主義とうまく接合している。しかも、この権威主義的資本主義は一種の金権政治と化している米国の中にもじわじわと浸透しており、世界にはこの「権威主義的資本主義」だけが残るのではないかと、考察を進めていくのだ。加えて、この権威主義的資本主義の問題がウクライナや台湾の問題とも連動しながら、21世紀にも関わらず「戦争」の二文字から逃れられない状況が現代である。しかし、そのような状況だからこそ、本書は日本人として憲法9条を変えることなく、それを現代にどう生かせるのかを考える機会も提供してくれている。他方で本書は、➀「資本主義は残らないかもしれない」2「の頃としたら権威主義的資本主義だけである」として、②への考察を深めるものの、人々はなぜ➀のような不安を覚えているのか、その源泉はどこにあるのかへの考察は充分ではなかった。この点は、真木悠介が論じたような別様の「この世界の問い方」を展開する必要があるように思われる。◇おおさわ・まさち 1958年生まれ。社会学者。【読書】公明新聞2023.3.20
June 3, 2024
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アフター・アベノミクス軽部 謙介著経済政策の背景に政治の現実慶応義塾大学名誉教授 小林良影評黒田日銀総裁の後任人事が決まり、これまでのアベノミクスが採用してきた量的緩和や財政出動などの政策が変わるかの同課に注目が集まっている。本書は『官僚たちのアベノミクス』(2018年)や『ドキュメント 強権の経済成長』(2020年)に続く、アベノミクス三部作の最期を飾る内容となっている。具体的には、安倍首相は2013年に黒田東彦氏を日銀総裁に就任させて「2年間で2%の物価上昇を達成する」ために、大規模な量的緩和という金融政策を打ち出した。財務省も金融緩和であれば財政規律と両立できると了解した。このため2015年に初会合が開かれた自民党財政再建に関する特命委員会で積極財政派の意見は出たものの、最終的には重視されず、プライマリーバランスの達成時期も明記されていた。しかし、現実には2%の物価目標を実現することができない中で、著書によれば安倍首相も金融政策だけでなく財政出動も併せて実施しなくてはならないと考えるようになっていった。その結果プライマリー・バランスの達成時期が明示されなくなり、安倍元首相は退任後も自民党財政政策検討本部の最高顧問に就任し、財政拡大による需要創造への議論をリードしていった。そして、同本部の提言には安倍元首相を背景とした積極財政派の意見が取り入れられ、自民党内の財政再建派は追い込まれることになった。このように安部元首相は首相退任後も経済政策に大きな影響を持ち、その結果、日銀が巨額な国債を保有して長期金利の決定権を持つ巨大な存在となった。また、アベノミクスの結果、1ドル80円台の極端な円高が是正され、株価上昇や雇用創設がもたらされる一方、財政規律が緩んだという指摘もある。著者は、こうした経緯を客観的に書き残すことで、政治が総裁人事による日銀への影響力をもつことの是非をジャーナリストの矜持として問うている。アベノミクスを巡る自民党内の攻防や財務省と日銀の関係など、経済政策の背景にある政治の現実を見事に描き出している。◇まるべ・けんすけ ジャーナリスト、帝京大学経済学部教授。時事通信社解説委員長等を経て現職。 【読書】公明新聞2023.3.20
June 2, 2024
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内戦下、無人の高層ビルで生きる作家 村上 政彦 アグアルーザ「忘却についての一般論」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザの『忘却についての一般論』です。作者は、アフリカ大陸・アンゴラ共和国の小説家ですが、アンゴラといってもピンとこない方が多いのでは? 私も本を読むまでは、国名を知っている程度でした。アンゴラは、400年にわたるポルトガル支配の後、1975年に独立を果たしました。しかしその後も国内の政治勢力の主導権争いが起こり、27年もの内戦が続いた。長い紛争で国も人も疲弊する。本作は、その時代を一つの物語にしています。登場人物の女性ルドヴィカ(ルド)は、良心を事故で失い、姉のオデッテの家で暮らしていた。やがて姉は偶然に出会った男性オルランドから求婚され、首都ルアンダの豪奢な建物〈羨望館〉の、最上階の部屋へ妹と引っ越す。「客間と屋上テラスは古式蒼然とした錬鉄製の急な螺旋階段でつながっていた。屋上からは街のほとんどを見渡すことができた。湾、島、そして更に向こうには波で編んだレースの合間に砂浜の首飾りが打ち捨てられていた。オルランドは屋上に庭園を造っていた。あずまやからはブーケンビリアが荒いレンガ造りの床に届かんばかりに咲き誇り、薫り高い紫色の影をつくっていた。ザクロの木が一本と、たくさんのバナナの木が植えてある一角もあった」オルランドは義妹ルドにジャーマン・シェパードの子犬を贈る。彼女はかわいがるが、この犬がパートナーになる。内戦が始まった。〈羨望館〉の住人は、次々に安全な国外へ逃れ、オデッテは夫に自分たちもアンゴラを離れようと言う。反対していたオルランドもリスボン行きを決める。翌日の夜、姉夫婦は国外へ逃れる知人の送別会に出かける。だが深夜になっても帰らない。翌日、ポルトガル軍を名乗る男から電話があり、「ブツを渡してくれれば、オデッテさんを解放する」と。ルドには何のことかわからない。混乱しているところへ、3人の暴漢が現れ、部屋へ侵入しようとしていた。彼女は義兄の隠していたピストルをドアにめがけて撃つ。ルドは身を守るために人を殺した。ここは安全ではない。オルランドはテラスに小さなプールを造ろうとしており、「セメントの袋や、砂、煉瓦」などが置いてあった。彼女は意を決してドアを開け、廊下に壁を造り始めた。建物のほかの場所と、自分の住居を隔てるために。壁は出来上がった。その日からだった、ルドが27年にわたって自分を閉じ込めたのは――。このコラムでは、これまでも様々な海外文学を紹介してきましたが、アンゴラ文学は初めてです。世界は広い。まだまだ面白い作品があります。【参考文献】『忘却についての一般論』木下眞穂訳 水平社 【ぶら~り文学の旅㉑海外編】聖教新聞2023.3.8
May 24, 2024
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プーチン戦争の論理下斗米 伸夫著注目すべきオルタナティブ北海度大学教授 服部 倫卓 評 プーチン政権のロシアがウクライナへの全面侵攻を開始してから、1年余が過ぎた。この間、日本のマスコミでも、国際政治学者、ロシア・ウクライナ研修者などが連日登場し、解説を提供している。ただ、侵略の非道さが目に余るため、ロシア全否定の一面的な協調になりがちなことも否めない。本書は、まさにそうした現在主流となっている論調への注目すべきオルタナティブである。ロシアが歩んできた歴史的な背景と、プーチン体制の内部的な論理から、この戦争を説き明かそうとしている。著者は、社会主義から長くソ連~ロシアの歴史・政治研究をリードしてきた第一人者だ。プーチンその人との対話経験もある。本書では、歴史・宗教から説き起こし、国際政治、ウクライナ論、プーチン論、ロシアの近隣諸国外交など、あらゆる角度から今般の戦争への重要な視点を示している。此れだけ幅広い考察が、新書という手に取りやすい形で得られることは、意義が大きい。我々は、戦争批判は継続しつつも、時には立ち止まり、「本当にこれで正しいのか」と自らに問うてみることも必要だろう。そんな時、一つの座標軸となり得るのが本書であり、立場のいかんにかかわらず、必読の書といえる。その上で、評者の個人的な見解を申し上げれば、プーチンの戦争を理解する上で、歴史・言語・宗教といったアイデンティティの要因を過大視すべきではないと考える。むしろ、現代的なソフトパワーで完敗したプーチン・ロシアが、政治的思惑からアナログな価値観で国民を動員しようとし、ウクライナはその巻き添えになったというのが真相ではないか。本書では市幅を割かれていないが、重要なヒントは、2019年初頭に実現したウクライナ正教会のロシアからの独立だろう。ウクライナは、正教会という形でロシアと文化的ルーツを同じくしながら、現代の国民的選択としてロシアと袂を分かったわけである。◇しもとまい・のぶお 1948年生まれ。東京大学法学部卒、東京大学陀学院法学政治学研究科博士課程修了。法政大学名誉教授、神奈川大学特別招聘教授。専攻はロシア・CIS政治史。 【読書】公明新聞2023.3.6
May 23, 2024
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口伝の民話から現代文芸を創作作家 村上 政彦ボウルズ編「モロッコ幻想物語」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、ポ-ル・ボウルズの『モロッコ幻想物語』です。ポール・ボウルズと言えば、知る人ぞ知る実力派の小説ですが、彼の名前が広く知られるようになったのは、ベルナルド・ベルトリッチ監督の映画『シェルタリング・スカイ』の原作者としてでしょう。音楽を担当して坂本龍一はこの映画で2度のゴールデングローブ賞を手にしました。『モロッコ幻想物語』はモロッコを舞台にして語られる、かなり不思議で、少し怖いアンソロジーです。ボウルズは、ニューヨーク出身の小説家。旅好きで世界各地を巡り、モロッコに魅せられました。そして、半世紀にわたって彼の地で暮らし、生涯を終えたのです。本作は、複雑な成立の仕方をしています。まず語り手は、モロッコの識字能力のない若者たち。彼らが語るマグレブ語(モロッコ訛りのアラビア語)の物語をテープレコーダーで録音し、ボウルズが英語に翻訳する。翻訳は、言葉の単純な移し替えでなく、文体=「コエ(ヴォイス)」をつくる営みです。この作品は、ボウルズとモロッコの若者たちとの共同制作と言っていいでしょう。満足な識字教育を受けていない彼らが選ばれたのは、あまりヨーロッパ文明に馴染んでいたからだと思います。ボウルズは「モロッコの民衆的想像力が作り出してきた世界」(解説・四方田犬彦)に新しい文学の価値力を求めた。本作に収録されている、代表的な短編を読んでみましょう。「異父兄弟」。10歳の僕は弟ムハンマドを可愛がっているが、義父はそれをよく思わず、妻(僕の実母)に、堕落するからあれをムハンマドに近づけるなと注意する。兄妹は仲がいい。僕が漁師の親方のもとで網引きをしていると弟も加わる。それが義父に知られ、殴られ、家から追い出された。やがて「僕は浜で生きることになった」。作者のラルビー・ライやシーはカフェでの夜警でした。モロッコ社会の最も底辺で生きる一人。ボウルズは、そこに引かれたようです。「竪琴」。青年マウルは怪しい者が近づくと、竪琴を鳴らしていた。ある日、その音が突然聞こえた時、人語を操るラクダがやって来て「コンニチハ」と挨拶された。それは嫉妬深い姉の魔法でラクダにされた少女だった。ウマルは一計を案じて魔法を解き、美しい少女と暮らし始めた。姉は妹夫婦の邪魔をしようとするが、魔法を封じられ、絶命する。作者のムハンマド・ムラーベトはライヤーシーを知っていて、俺ならもっと面白い物語が語れると自慢した。そこでボウルズは、彼の物語を録音する作業に取り組みました。モロッコの土着の民話から現代文学へと昇華された物語は、とても刺激的です。[参考文献]『モロッコ幻想物語」越川芳明訳 岩波書店 【ぶら~り文学の旅⓴海外編】聖教新聞2023.2.22
May 14, 2024
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迫りくる核リスク<核抑止>を解体する吉田 文彦著 「地球と人類の安全保障」を構想するNPO法人ピースデポ特別顧問 梅林 宏道 評本書の「はじめに」で述べられているように、本書に込められている著者の意図は明白である。「核使用の脅しで相手の核使用を封じる『恐怖の均衡』で平和の維持を図る核抑止の考え方は、…現実味を欠く」と述べ、「核兵器は存在する限り使われるのであり、人間と核兵器は共存できない」という被爆者の訴えに、著者は共感する。その立場から、著者は「核抑止」の考え方や政策の中身を解剖しつつ、解体させ、「核兵器のない世界」への道を探る。実際には、著者にはもう一つの譲れない目標がある。それは「長崎を最後の被爆地にする」ことである。「…核廃絶は、核使用がないままの核廃絶でなければならず、…長崎が最期の被爆地であり続ける必要がある。」つまり、著者は、核抑止に依存する世界は、意図的であるか否かに関わらず核爆発に至る危険にさらされ続けていることを丁寧に読者に知らせつつ、いっぽうで、それを起こさせない。「発明」を促しながら核兵器廃絶の道を探る。核抑止の実態を解剖する著作はこれまでも少なくない。本書の特色として述べておきたいのは、著者が「新興リスクの台頭」という章で紹介している新しいリスクである。そこには、近年、新しい軍事ドキュメントとして日本政府に強調するサイバー空間と宇宙空間が核抑止システムにかかわることによって発生するリスクや、人工頭脳(AI)ガスステムの意思決定過程に介入するリスクが論じられている。核抑止を解剖する作業よりも解体のプロセスを論じることのほうが困難であることは読者も容易に想像できるであろう。しかも、解体のプロセスで核兵器が使用される事態を招いてはならない。このようなプロセスを考察するに当たっては、実際に核抑止政策の近くに身を置きつつ核軍事管理を論じている専門家の意見が参考になるであろう。おそらく、そのような事情から米欧の軍備管理論者の知見が多く紹介されるのも、本書の特色の一つになっている。たとえば、タカ派でもハト派でもなく、その中間にいる「フクロウ派」によって取り組まれている核リスク低減を推進する「正しい抑止力」のアプローチが紹介され、著者は、一定の共感を得る」と予想している。読者は読み進むなかで方向を見失わないで欲しい。著者が別のところで説明しているように、「フクロウ派の勢力の商会は「核抑止の退場をうながす試みではない。…核抑止の遺児を念頭においたもの」という理解を前提に、かど的な効用を述べたものにすぎない。核抑止を解体し退場させる著者の戦略は遠大である。核禁止条約は直接的には「すべての人類の安全保障」の考え方に依処している。しかし、そこに内包されている「地球と人類の安全保障」という考え方への転換が重要であると著者は訴える。そうすることによって、核兵器、気候変動、パンデミックなどが一つの大きな共通の安全保障の目標となる。ここには、私たち市民一人ひとりが自分ごととして核兵器廃絶の問題を考える必要があるという、著者の願いが込められている。◇よしだ・ふみひこ 1955年生まれ。東京大学文学部卒業。元・朝日新聞社論説副主幹。長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)センター長・教授。 【読書】公明新聞2023.2.20
May 12, 2024
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心をつかんで離さない物語作家 村上 政彦ディネセン「夢みる人びと」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、イサク・ディネセンの『夢みる人びと』です。前回書いたとり、イサク・ディネセンは男性名ですが、実はデンマークの女性作家カレン・ブリクセンで、長くケニアで農園を営んでいました。当時、愛する人が物語を聞くことが好きで、よく〝話をしてくれ〟とせがまれたそうです。すると、ブリクセンは『千夜一夜物語』のシェヘラザードのように、即興で物語を語って聞かせる。そうしたやりとりが『七つのゴシック物語』に結晶したようです。表題に「物語」と銘打っているように、『七つのゴシック物語』は物語の楽しみに満ちていて、次はどうなるかと読者をワクワクさせながら、作品世界へ引き込みます。読者は、いつの間にか渦に巻き込まれた木の葉のように翻弄され、結末で「あっ!」と言う。タ大抵の小説家の最初の作品には、その小説家の中に、潜んでいるものが全て詰まっていますが、ブリクセンも例に漏れず、どの作品も濃厚な「物語」を味合わせてくれます。特に『夢みる人びと』は、練りに練った物語で、冒頭から読者をグリップして離さず、物語が進むにつれて、さらにその力は増していきます。時代は19世紀半ば、舞台は満月の夜のアラビア帆船です。甲板にかけられた小さなランタンの明かりを3人の男が囲んでいる。まず、サイイド・ベン・アハメドイド・ベン・アハメド。敵の罠にはまって2年間の獄中生活を強いられたが、脱走して復讐を果たすために母国に向かっている。次に、物語の名手ミラ・ジャマ。何らかの事情で耳と鼻をそぎ落とされているが、彼の語った物語は、百の部族に愛されているという。そして、赤毛の英国人リンカン・フォーズナー。裕福な資産家のもとに生まれたが、今やサイイドの行く末を見定めたいと放浪する身の上。リンカンはミラに物語を求めるが、話の種が尽きたと言われ、問わず語りに自身の来し方を語り始める。リンカンはローマでオララという娼婦を愛するようになり、行方が分からない彼女を今も捜しているという。そして物語は、その途次に出会ったパイロットという渾名の若者の身の上に映る。彼は革命家のマダム・ローラと名乗る女を愛するようになり、やはり姿を消した彼女を捜している。そこから物語を引き取るのは、パイロットの友人ギルデスタン男爵。彼はマダム・ロサルパという聖女を愛したが、彼女は体に悪魔の印を持っている多。「左の耳から鎖骨にかけて、長い傷跡が走っていた。小さな白い蛇のように――」。するとパイロットは〝それはマダム・ローラのことだ!〟と。こうして物語は予想もしなかった展開を迎えます。どうなったでしょう? 先が聞きたくなりませんか。[参考文献]『夢みる人びと 七つのゴシック物語2』 横山貞子訳 白水Uブックス 【ぶら~り文学の旅 海外編⓳】聖教新聞2023.2.8
May 4, 2024
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評伝モハメド・アリジョナサン・アイグ著押野 素子訳 スポーツジャーナリスト 二宮 清純評大衆が恋した「反逆のアイコン」 昨年12月、英国のポール・バトラーを11回KOで下し、アジア人初の4団体統一王者(バンタム級)となった井上尚弥が、米リング誌が定める「バウンド・フォー・バウンド」最強に選ばれたのは、その半年前のことである。日本人としては初の快挙である。この「バウンド・フォー・バウンド」がボクサーの実力を調べる上での横軸の指標なら、縦軸の指標が「オール・タイム・ランキング」である。あらゆる時代を通じ、その階級で最強のボクサーは誰か。バンタム級においては、ブラジルのエデル・ジョフレが1位にランクされている。モハメド・アリは長きに渡り「ザ・グレイテスト・オブ・オール・タイムズ」を自称していた。すなわち「史上もっとも偉大」なボクサーということである。なぜ「オール・タイム」ではなく、「オール・タイムズ」なのか。著者の考察が興味深い。<複数形を使っていいたのは、一時の「永遠」では足りないと示唆しているかのようだった。>近代ボクシングが誕生して、およそ300年。実際、アリは未だに「グレイテスト」であり続けている。ただ強さを比較するだけなら、アリに比肩する評価を得ているヘビーウェイトは何人もいる。世界王座を25回連続で防衛したジョー・ルイス、黒人初の世界王者ジャック・ジョンソン、最大瞬間風速的な強さならマイク・タイソンも浮上してくるだろう。しかし、グレイテストはアリひとりなのだ。唯一無二のフォークヒーロー。しいたげられた黒人を中心とする名もなき民衆に支えられた英雄の闘いはリングの中だけにとどまらず、WASP的価値観に染まる米国を変え、世界を動かした。己の拳と言葉のみを武器に。アリはいかにして、「反逆のアイコン」となりえたのか。その答は、弔辞で夫人のロニーが述べた言葉の中にある。「モハメド・アリは大衆も彼に恋をした」。評伝の評価は、おおよそ研究資料の質と証言の信憑性で決まるが、数あるアリ本の中でも、本書は真打といっていいだろう。◇ジョナサン・アイグ 1964年生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。 【読書】公明新聞2023・2・6
May 1, 2024
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想像の翼を羽ばたかせた名作作家 村上 政彦ディネセン「ピサへの道」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、イサク・ディネセンの『ピサへの道』です。1934年、アメリカでディネセンの著作『七つのゴシック物語』が出版されました。ゴシック小説とはもともと中世建築の様式を表すものに用いられた用語であるが、文学ではゴシックの城や僧院からイメージされ、18世紀後半のロマン主義前期にイギリスで流行した中世風の怪奇恐怖小説の一群(ブルタニカ国際大百科事典 小項目辞典)です。出版当時のヨーロッパの文学界では、すでに小説家のジェイムス・ジョイスや詩人のT・S・エリオットなどが活躍していて、モダニズム文学が興隆していましたが、そこへあえて、古い「ゴシック物語」を持ってきたところに、作者の個性があります。イサク・ディネセンは男性名ですが、本書がアメリカで刊行されて評判になり、出版社が写真を求めると、届いたのは美しい夫人の肖像。作者は、デンマーク人のカレン・ブリクセンという女性だったのです。カレンは結婚後、アフリカに渡り、コーヒー園を始めましたが、夫と不仲、生業の破綻に見舞われ、17年間のアフリカ生活を終えて帰国。実弟に生活を支えてもらいながら、2年間で本書を書きあげました。文学で身を立てるという彼女の試みは成功したわけですが、当時の女性としては、なかなか腹の据わった決断だったと思います。さて、作者の身辺をみたところで、作品の世界へタイプしましょう。本書の題名にもなっている「ピサへの道」は物語の現在が、1823年と設定されています(他の作品もすべて19世紀が舞台)。古い時代を選んだ作者は「完全に自由になれるから」と述べる。言葉通り、作者は物語の翼を自由に広げています。ピサは「ピサの斜塔」で知られたイタリアの都市です。冒頭、ピサ近郊の宿で一人の男が、家庭を捨てたわけを友人に伝える手紙を書いている。名前はアウグストス・フォン・シメルマン伯爵。結局、彼は手紙を書きあぐね、散歩に出る。すると、目の前で大型馬車が暴走し、馬が逃げ出した。アウグストスが駆け寄ると、一人の老人が車内に横たわっている。悲鳴を上げる同行の侍女から帽子を受け取って被ると、威厳のある老貴婦人に変貌した。彼女はアウグストスに、ピサにいるはずの孫娘ロジーナを探し出してほしいと頼む。この娘はある公爵と結婚したが、若者マリオと恋仲になり、とこ入りが行われなかったことを理由に結婚の取り消しを求めた。性的不能者だった公爵は、二人の結婚を認める……。ピサへ向かうアウグストスの前に現れたのは、謎の男装の麗人。彼女とロジーナは、どのような関係にあるのか――物語の面白さで溺れそうになる小説です。[参考文献]『ピサへの道 七つのゴシック物語1』 横山貞子訳、白水Uブックス 【ぶら~り文学の旅⓲海外編】聖教新聞2023.1.25
April 24, 2024
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日本仏教の社会倫理――正法を生きる島薗 進著 世俗への関与を捉え直す創価大学名誉教授 中野 毅評 近現代の仏教研究は、いわゆる仏教学者によって、文献学的交渉を手がかりに仏陀の教えを解明し、主要な仏教者や宗祖の思想を研究してきた。その帰結として、原始仏教の中心思想は個人の悟りを目指すものとされ、他者や社会・国家との関係は軽視されてきた。このような原始仏教理解が、中国や日本において末法思想に強く影響された浄土教や禅の理解にもおよび、仏教からは世俗社会と積極的に関わるような理論性は出てこないとされてきた。宗教学者である著者は、このような理解は「正法」理念や戒律、サンガの意義を見落とし、根本的に誤っていると強調する。王に守護され、厳格に戒律を守る僧侶集団サンガの形成によって、社会に正法を行き渡らせ、正法に導かれた幸せな王国・社会が具現するという、仏教思想のもう一つの面の重要性を指摘する。この仏教社会倫理の基礎概念とも言える「正法」理念は、原始仏教から上座部仏教へ、さらに大乗仏教でも実は重視され、十善戒や慈悲に基づく統治をすべきと、金光明経や華厳経に説かれていた。日本に入った仏教が、「鎮護国家」の法として重視されたのは、この伝統が生きていたからである。鎌倉時代にかけて、社会の混乱と共に末法思想が広がると、正法を否定する浄土系新仏教を軸にした宗派仏教が伸張した。しかし、それに対抗した正法復興運動も起こり、その中心が法華経を重視した日蓮である。その系譜は近代日本にも受け継がれ、田中地学、霊友会、立正佼成会、創価学会において展開した。また近年の大災害への伝統仏教による救済事業や社会参加にも、同様の意義があると締めくくっている。「正法」概念や仏教史の把握などで疑問もあるが、近代主義的で個人主義的な仏教理解に挑戦し、社会や国家に関与する仏教を正面から捉え直そうとした意欲を賞賛したい。筆者個人としては、戸田城聖が戦後主張した「国立戒壇」建立の思想的意義を担当する手がかりを提供されたと考えている。◇しまぞの・すすむ 1948年生まれ。東京大学名誉教授、大正大学客員教授。日本宗教学会元会長。宗教学、近代日本宗教史、死生学。近著に『戦後日本と国家神道』ほか。 【読書】公明新聞2023.1.16
April 19, 2024
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イェリネク「光のない。」作家 村上 政彦 大震災・原発事故がモチーフ本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、エルフリーデ・イェリネクの『光のない。』です。イェリネクといえば、文学に関心のある方は聞き覚えがあるのではないでしょうか。2004年のノーベル文学賞を受けたオーストリアの作家です。彼女は、小説も書きますが、劇作家としても活躍しています。本作は上演用の戯曲として書かれました。といっても、リアリズムの戯曲を創造した読者は、ページをめくってみて、驚くでしょう。注意深く読んでいかないと、何が起きているのかわからない。かなりシュールな作品です。第1部は『光のない。』。登場人物は、ヴァイオリン奏者のAとB。2人の会話から成り立っています。(言葉遣いからすると)彼女たちは、なぜか互いの演奏が聞こえない。そして、ひどく混乱している。筋らしい筋はなく、2人の言葉が代わる代わる続く――。イェリネクは、東日本大震災による福島県原発事故の衝撃から、この作品を書きました。ヴァイオリン奏者は、ドイツ語で「ガイガー」。これはガイガーカウンター(放射線量計測器)の「ガイガー」も示している。機器の「ガイガー」は、開発者である物理学者ハンス・ガイガーの名前からとられました。また、AとBという名は、原子核の放射性崩壊のα崩壊とβ崩壊を示すといいます。つまり、イェリネクは、原発事故によるカオスを描いた。ただし、日本、福島、原発などの言葉は使われません。これは世界のどこでも起き得る出来事として書かれたのです。調所に見られる核による災害を示す言葉たち。「底が抜けてしまった」「一つの緊張が支配する、地殻の中まで、大地の髪の先端まで、草の中、野菜の中、きのこの中、野生の動物の肉の中」「それはわたしたちがつくったものなのに! わたしは、わたしたちがそれを制御できるということが、あってほしい。けれどどこから手をすければいいだろう?」「わたしたちの体内に他界値が計測されることを、わたしは恐れている」などなど。第2部『エピローグ?』ここからは独白が続きます。「あなたは先を進んでほしい、ここには見えるものはなにもない! ここにいた者たちはみなもういない。わたしはからっぽの場所を守る」第3部『プロローグ?』。やはり、独白。「人間たちは出て行った、かれらは(中略)これ以上とどまりたくないから、健康な者たちは。ざわめきは過ぎた、聞いて、もし聞こえるなら、そのざわめきはすっと前のもの、あなたは聞き逃した、もう誰もあなたのためにざわめかない、あとはあなたの耳の中だけ」イェリネクが、この戯曲を書いてから11年以上が経ちました。しかし、私たちは、ここに書かれた世界を過去にできていません。[参考文献]『光のない。〔3部作〕』林立騎、白水Uブックス 【ぶら~り文学の旅⓱海外編】聖教新聞2023.1.11
April 16, 2024
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信仰の現代中国イアン・ジョンソン 著 秋元 由紀 訳 神戸大学教授 梶谷 懷 評 付きまとう「集団と個」の矛盾国家と宗教との関係は難しい。欧米を始めとした近代国家の仕組みでは、宗教を私的な領域に押し込め、それとは異なる次元に公共空間を築くことで難しさを解消してきた。だが、理性によって宗教を「無害化」する近代的な解決法は、次第にその限界を見せ始めている。元首相の暗殺という衝撃的な事件の後、政治と宗教への巡る議論が巻き起こった日本に住む私たちは、そのことを身にしみて感じているはずだ。では、党と国家が一体化し、しばしば「政治」が人々の私的な領域まで介入してくる中国では、「宗教」「信仰」の問題はどのように扱われてきたのだろうか?本書は、中国での豊富な長期滞在・調査の経験がある研究者が、急速な変化を遂げつつある21世紀の中国社会の様々な場面を、「侵攻」という共通の切り口で描いた濃厚なノンフィクションだ。人権派弁護士として当局から弾圧された経験を持つキリスト者、気孔の実践者としてカリスマ的な人気を誇る道教の伝道者、天安門事件で犠牲になった息子の追悼のため、清明節にその墓を訪れる女性など、本書は実に多数な信仰のかたちを扱っている。それらの信仰を貫く共通点は、第一に、毛沢東時代を通じて政府から厳しい弾圧を受けてきたということ、第二に、そのご急成長を遂げた中国社会において、実質豊かさでは満たされない精神のよりどころを求める人々によってそれらが支えきた、という点である。著書によれば、近年の中国政府は、宗教団体を制圧するよりも、むしろ取り込もうとする努力を強めてきた。著者は、これからの中国では、とくに仏教、儒教、道教といった「伝統的」宗教が勝者となるだろう、と指摘している。すなわち、政府はそれらの宗教が自らの政策に従うことと引き換えに、より大きな活動の余地を与える、というわけだ。しかし、そのことはまた、紙を唯一の権威とするキリスト教、特に地下教会での活動が大きな困難に直面していることの裏返しである。本書では、イスラム教の信仰については扱われていない。しかし、同じ一神教の信者として、本書に描かれたキリスト教信者と同様、もしくはより苛烈な状況におかれていることは想像に難くない。原書が出版されたのは2017年だが、その後、外国人による中国社会の調査や取材はますます困難になってきている。おそらく、現在では本書のようなノンフィクション作品を外国人が描くことはほぼ不可能に近いだろう。だが、いかに権力集中がすすんだとしても、中国共産党には宗教の持つアポリアを根本的に解決することはできないだろう。「自分が死んだらどうなるのか」という根源的な問いに答えを与えるものは宗教しかなく、それゆえに宗教は人間社会につきまとう「集団と個」の矛盾を最もストレートに顕在化させるものだからだ。この矛盾がこれからの中国社会にどんな「裂け目」を生み出すのか。本書は、そのことを考える上での大きなヒントを与えてくれる。◇イアン・ジョンソン 1962年、カナダ生まれ。米外交問題評議会のシニアフェロー。2009年から中国に滞在。20年、米中関係悪化の影響で退去。01年、法輪功に関する報道でピュリツァー賞を受賞。 【読書】公明新聞2023.1.9
April 15, 2024
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水不足・対立の解決を図る青年作家 村上 政彦 ルーマン「朝露の主たち」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、ジャック・ルーマンの『朝露の主たち』です。ルーマンはカリブ海に浮かぶ島にあるハイチの出身です。この国は、かつてフランスの植民地で、独立国となるのですが、北部のハイチ王国と南部のハイチ共和国の分裂。その後、ハイチ王国が崩壊し、ハイチ共和国として統一されました。しかし、今度はアメリカの支配下に置かれ、長く白人たちによる暴政に悩まされました。本作には、このような国際政治の状況は記されていません。ハイチの首都付近にある町ラ・クロワデブケと隣のドミニカ共和国のはざまにある農村を舞台とした、農民たちの物語です。冒頭、主人公の母デリラの歎きで始まります。「わたしたちはみんなおしまいよ…・」「砂埃がデリラの指の間から流れ落ちる。荒れたアワの畑や緑青にむしばまれたサボテンの垣根や木々、バヤオンド(原註:サボテンの一種)に降りかかるのと同じ、乾いた風のため息が吹き付ける砂埃だ」村は深刻な水不足に苦しんでいる。雨がまったく降らない。そのせいで、畑の作物を育てることができない。炭や家畜を町の市場で売って、わずかな金を得る。誰もが食うや食わずの暮らしです。そこにキューバへ出稼ぎに行っていたデリラの息子マニュエルが15年ぶりに帰ってきた。彼は村の荒れ果てた様子を見て、なんとか立て直さねばと努める。村は、ある殺人事件をきっかけに分断されている。水を見つけ、村人を一つにすること――それがマニュエルの考えだった。彼の父のグループが敵と目している一段の、美しい娘アナイズと恋に落ちる。2人は人目を忍んで密会を続け、マニュエルはついに水脈を見つけた。彼は危険を冒して敵方の集まりに出向いていき、村人が結束しないと、この村に水を引くことはできないと説得するが――。作者ルーマンは裕福なムラード(白人と黒人の混血)の出身で、ヨーロッパで教育を受け、帰国してからは、政治活動に取り組んで閣外追放になりました。しかし、彼が書いたのは、あくまでも、一寒村で生きる人々の暮らしです。荒れ果てた村から少し離れたところには、美しい景色が広がり、みずみずしい木の下から水がわきでていた。自分は土だというマニュエルにとって、涸れていた村のいのちを蘇らせることができる魔法の泉です。水は、いのちの象徴です。土もそうです。作者は、農という人間の本源的な営みにとって欠かせない、水を、土を、そして農に生きる人間を書くことに徹しました。だから、本作はハイチ文学の傑作として誕生したのです。政治を語らず、政治の真髄を欠く。これはジャック・ルーマンの慧眼でした。[参考文献]『朝露の主たち』 松井裕史訳 作品社 【ぶら~り文学の旅⓰海外編】聖教新聞2022.12.28
April 7, 2024
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「徳川家康」を読む文芸評論家 末國 善巳 従来の君子像から凡人へ二〇二三年のNHK大河ドラマ『どうする家康』は、弱さを実感していた徳川家康が、家臣の個性や特技を活かし「チーム徳川」を作る物語とされている。歴史小説で描かれる家康は、難癖をつけて豊臣かを滅ぼした狸親父と、幼少期に人質になるなど我慢を重ねて天下人になった苦労人というイメージに引き裂かれていた。我慢強く義理堅い家康が、乱世を終わらせるため奮闘する山岡荘八『徳川家康』は、高度成長期にベストセラーになり、家康を苦労人で平和国家建設を目指す君子とする人物像が広まっていった。これに対し池宮彰一郎『遁げろ家康』は、威厳も独創性もないが家臣からは好かれていた家康が、敗け続けながら天下を取る物語を作った。池宮は、家康を「平凡人」とした徳富蘇峰の通史『近世日本国民史』を参考にしたようにも思えるが、近年は家康を凡人とする小説が増えている。晩年の家康が、武田信玄、真田昌幸、石田三成、黒田如水らを恐れを抱いた八人の武将について語る吉川永青の『家康が最も恐れた男たち』も、その一作だ。凡庸さを自覚する家康は、窮地に追い込まれた偉大な男たちから学び、政策を修正し続けた。愚かさと敗北を認めるには勇気が必要で、そこから教訓を得るのも難しいので、現実を直視した家康の凄さが伝わってくる。最新の歴史研究を踏まえて関ケ原の戦いを活写した伊東潤『天下大乱』は、家康の相手を従来の石田三成ではなく毛利輝元としており、同じ題材の司馬遼太郎『関ケ原』と読み比べてみるのも一興だ。天下人ではなく、豊臣家を補佐する形で徳川家が実権を握る体制を作ろうとしていた家康は、同格の五大老の排除を進める。いずれ家康の刃が毛利家に向かうと考えた五大老の輝元は、生き残るために動き出し、これが関ケ原の戦いに繋がっていく。二人が隙のない戦略を組み立てていくだけに、勝敗を分けた要因が物語の鍵になっている。家康が勝利した理由を知ると、日本の組織が陥りがちなミスを犯さない手段も見えてくる。 利益と安全保障 バランスに苦しむ姿も 植松三十里『家康の海』は、江戸初期の外交に着目している。秀吉の朝鮮出兵に批判的だった家康は、朝鮮との国交回復に尽力するが、最も苦労したのは欧州諸国との関係だった。欧州との交易は推進していたが、西日本にはキリシタン大名が多く、それがスペインなどのカトリック国が支援すると幕府への脅威となるので、家康は難しい舵取りを迫られる。多様性と国内事情、利益と安全保障のバランスに悩む家康は、グローバル化が進む現代日本が直面している問題を先取りしたといえるだけに、その葛藤が生々しく感じられるはずだ。家康を主人公にした最新の歴史小説を紹介したが、これらを読んで予習しながら『どうする家康』がどんな家康を描くのか、想像してみるもの楽しいのではないだろうか。(すえくに・よしみ) 【ブック・サロン】公明新聞2022.12.19
March 30, 2024
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アラブの衝撃的な悲劇を小説化作家 村上 政彦ベン=ジェッルーン「火によって」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、タハール・ベン=ジェッルーンの『火によって』です。作者は、モロッコ出身のフランス語作家です。代表作『聖なる夜』は、フランスで最も名のあるゴンクール賞を受けました。実力のある小説家です。本作『火によって』の主人公は、30歳になったばかりの若者ムハンマド。急に父を失って、病気がちの母、弟3人、妹2人の、大所帯を支えなければならくなった。歴史学の学位を持ち、ひところは教師も務めていたものの、今は張職探しに忙しい。ろくな仕事もないことにいら立ち、ムハンマドは大学の卒業証書など、重要な文書を流し台で燃やした。「火はまさに自分の名前と生年月日を取り囲んでいた」亡くなった父は、荷車を引いて行商をしていた。ムハンマドは、その後を継ごうと考える。しかし古びた荷車を修繕し、商品の果物を仕入れる資金をどうするか。父が病に倒れた時、宝飾品などを全て売り払っていた。ムハンマドは、大学の記事引きで引き当てた航空券を巡礼者に安く売って、ようやくオレンジとリンゴの行商を始めることができた。行商は難しい。人通りの多い、いい場所には既にほかの行商人がいる。町をさまよい、ようやく半分以上の商品を売った。彼にはゼイネブという恋人がいる。互いに愛し合っているが、ムハンマドが貧しいので結婚できない。彼女は親の実家で一緒に暮らそうというが、男のプライドが許さない。行商中には、わいろを渡さないため、警官に邪魔される。そして後日、出頭の要請を受ける。大学生の頃、政治運動に関わっていた彼が警察に出向くと、持ちかけられたのは、警察の密告者になるか、行商をやめるかの二択。彼は警察の協力者にはならない。「この句には不正義が溢れかえり、不平等と恥辱に満ちていた」行商を初めて1カ月。市場に出向いた時、警官に荷物を没収された。市長に面会を求めて叶わず、警察署長からは追い返された。ある日、早朝に起きて清潔な衣服を身につけ、ガソリンスタンドでペットボトルに軽油を満たした。彼は、また市長に面会を求めたが叶わず、衝撃的な悲劇が起きる――。この小説は、チュニジア中部シディプジトで起きた事件を思わせる。だが、作者が与える情報は、アラブ世界の独裁者が支配する国で、貧しい暮らしを送る無職の若者の物語というだけだ。作者は、チュニジアの事件を小説として虚構化することで、ムハンマドを普遍的な存在とした。作中、大規模なデモが起き、「我々みながムハンマドだ」という叫びが轟く時、小説のたくらみは成就する。【参考文献】『火によって』岡真理訳 以文社 【ぶら~り文学の旅⑭】聖教新聞2022.11.23
March 14, 2024
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正しい核戦略とは何かブラッド・ロバーツ著 村野 将 監修・解説 現実を理想の方向に動かすために長崎大学教授 西田 充 評 本書は、米ソ二大核超大国が対峙した冷戦期の核戦略から、地域の核保有国との関係を中心とする21世紀の世界に適応した核戦略の視点も交えながら議論を展開している稀有な文献である。核兵器は人類を滅亡の淵に追いやることのできる唯一の兵器である。したがって、人類の生存のために核兵器は廃絶すべきというのはいたってシンプルな結論である。特に唯一の被爆国である日本人にとっては。だからこそ、時には日本が震源地となって世界中で反核運動が巻き起こり、核抑止論は核廃絶の障壁として批判の対象になってきた。本書は、核抑止論について、核兵器の使用がもたらす悲惨な終末を認識しているからこそ、核兵器が存在する限りにおいては、核兵器の使用や全面核戦争を防ぐために人知を尽くして編み出された理論の結果であるといえる。とは言え、核抑止論は、核廃絶が実現するまでの暫定的措置であるべきで、少数国による核保有を正当化・固定化するための理論であってはならない。そのために核廃絶・核軍縮の運動を続けることは必要なことであり、また、非常に尊いことである。他方で、そうした運動が、核抑止論をたんなる核兵器保持のための正当化理論であると批判の対象にする限りにおいて、そこで意味のある対話を生み出すことは難しい。むしろ反発を招き、ますますそれぞれの貝の中に閉じこもってしまうだけのことになる。現実の脅威や核抑止論を正確に理解した上で、現実を理想の方向に少しでも動かすためにはどうすればいいのかを議論することで、意味のある対話が生まれるのではないだろうか。ある脅威に対処するための核抑止を含む核戦略において過剰な部分や非論理的な部分があればそれを指摘する。あるいは、脅威そのものを変化させるための具体的な方策を議論し、それが実現した段階で、核戦略を新たな現実に適応させるよう議論を進める。こうした対話を通じて核抑止論が、核兵器を「正当化」「固定化」するための理論になり下がらないことを担保することができる。また、環境が整った暁には取りうる各軍略措置や、必要な措置(例えば、新たな核軍縮検証技術の開発)を今のうちから検討する。こうした地道な対話や取り組みは、観念的な軍縮論にくらべるとそれほど見栄えせず、アピーリングでもない。しかし、核廃絶を達成するためには、世の中の価値観を根本から変えるような反核運動のみならず、こうした地味な作業も必要なのである。本書の核軍縮に関する結論は、今は大幅に核軍縮を進めることは難しいというものであるが、同時に未来永劫可能ではなく、その目標は決して捨てるべきでないとも力説している。核抑止論者でありながら核軍縮論者でもある。ロシアによる核の恫喝もあって、世の中はどちらかの立場にますます分裂するばかりの中、本書が提唱する抑止と軍縮に対する「バランスのとれたアプローチ」がこれからの世界においてますます重要となろう。核軍縮を進めたい人々にこそ是非一読をお勧めする。◇ブラッド・ロバーツ スタンフォード大学教授などを歴任。オバマ政権下で国防次官補代理として「核体制見直し」等の策定を主導。 【読書】公明新聞2022.11.21
March 12, 2024
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植民地化する前のアフリカ社会作家 村上 政彦アチェベ「崩れゆく絆」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、チヌア・アチェベの『崩れゆく絆』です。アチェベは、まだイギリスの植民地だったナイジェリアのオギディ(現・アナンプラ州)に生まれました。両親が熱心なキリスト教徒だったため、その感化を受けましたが、故郷の伝統文化や祭礼などには親しんでいたようです。彼は、ナイジェリアにあったロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ・イバダンで、植民者の言語である英語、ラテン語などを学びます。このころ読んだヨーロッパ作家たちの小説――ジョゼフ・コンラッド、グレアム・グリーンなどが描く「野蛮なアフリカ人」というステレオタイプなアフリカ人像に反発し、真のアフリカを知らせようとして書かれたのが本作です。物語の時代は19世紀の終わり(故郷がまだイギリスの植民地になる前の時代です)。舞台はウムオフィア(森の人々)という架空の村。主人公の若者オコンクォは18歳でレスリング大会に出場し、7年間もチャンピオンだった力自慢の男を倒す。以来、彼の勇名は周辺の土地まで広がった。父のウノカは椰子酒に溺れて、働きが悪い。好きな季節は「ちょうど雨季が終わり、毎朝うつくしくまばゆい太陽が昇る。それに北から冷たく乾いたハルマッタン(乾季に吹く貿易風)が吹き付けるので、さほど暑くならない。年によっては猛烈にハルマッタンが吹きすさび、あたり一面濃い靄に包まれる。そんなときには、老人や子どもは丸太をくべた炉のまわりに座って暖をとった」。父がこういう調子なので、オコンクォは早くから家族を養うようになった。やがて「二つの納屋いっぱいにヤム芋を蓄え、三番目の妻を迎え」る裕福な農民になる。2度の氏族間戦争で勇敢に戦い、故郷では「もっとも傑出した人物」として尊敬を勝ち得ていた。物語は3部に分かれて、1部と2部では、ウムオフィアの豊かな自然や、集落を合議制で営む様子、祭礼などの伝統行事や、婚礼、呪術師のふるまい、といたイボ族の生活や文化が描かれます。3部は、銃の爆発で少年を殺してしまったオコンクォが罪を償って村にもどった7年後が描かれ、そこに植民者の白人が現れます。彼らはキリスト教の伝道師といて村に教会を立て、ついで学校を造ります。村人たちは、白人を受け入れる者と彼らの支配から逃れようとする者に分断され、長く保ち続けてきた「絆」が断たれてしまう。オコンクォのとった行動は――。アチェベは、あえて植民地となる前の故郷を描き、すでに忘れ去られている文化や伝統を再生し、ヨーロッパとの接触によって曖昧になったアフリカ人としてのアイデンティティーを回復しようとしました。彼が「アフリカ文学の父」と称されるゆえんです。[参考文献]『崩れゆく絆』 栗飯原文子訳、光文社古典新訳文庫 【ぶら~り文学の旅⓭海外編】聖教新聞2022.11.9
March 3, 2024
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民主主義のルールと精神ヤン=ヴェルナー・ミュラー著/山岡由美 訳 メディアと政党の自由な議論を喚起民主主義とは何か。はたして私たちはそこに明確な答えをもっているだろうか――。本書はこの問いかけから始まる。ty者は『ポピュリズムと何か』で有名になった米国の政治学者だ。英国のEU離脱、米国のトランプ現象を見て、〝民主主義は危機に瀕している〟との感を抱く人は多い。そのような中で著者は「私たちは民主主義国の制度を再検討しなければならず、特定の人物を辱めることにうつつを抜かしてはいけない」と警告する。権力者を罵倒しても、危機は去るわけではないからだ。右派左派を問わず、ポピュリズムは〝権力者への監視〟という、まっとうな行為を装って市民を分断すると著者は語る。自分たちだけが「真の人民」「サイレント・マジョリティ」で、〝自分たちに同意しない人々はニセモノだ〟という論法を使うのだ。では、民主主義を守るためには何が重要か。著者が着目するのは「民主主義のインフラ(社会基盤)」としてのメディアと政党だ。こうした仲介機関の必要性を認めたい人々は、これらを「人民の声を書き換えてしまう」「歪曲の可能性を秘めている」と見なし、先導的な政治家は自らのSNSやブログに直接、人びとを動員しようとする。一方、メディアや政党の本来の役割は、人々の活発な議論を喚起し、それぞれの意見の違いを微調整することにある。この点はSNSが政治活動から切り離せなくなった今だからこそ、再認識されるべきであろう。代表制民主主義への信頼が揺らぐ時代に抗して、著者はその可能性を疑わない。他方、政党や政治家が政治的選択肢を示す上では、新たな創意工夫やルールをつくり直すことも必要と指摘。ユーモアを交えながら、前に向かう道を示す一書だ。(東) ▲「民主主義と縁を切ることを決めるのはどうやら人民ではなく、エリートのようだ」と著者は語る。 【読書Books】聖教新聞2022.11.1
February 27, 2024
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ファシズムに抗い、生き抜く作家 村上 政彦ナタリア・ギンズブルグ「ある家族の会話」 本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。青相手きょうは、ナタリア・ギンズブルグの「ある家族の会話」です。ナタリア・ギングズブルグ(1916~91年)は、イタリアのパレルモに生まれた作家です。父のジュゼッペ・レーヴィはトリノ大学の医学部教授で、彼女は裕福な家庭に育ちました。家には住み込みのお手伝いさんがいて「学校に行くといろいろな黴菌をうつされる」という父の考えで、小学校の勉強は母から教わったそうです。ナタリアのうえには3人の兄がいたのですが、彼らも同じ理由で家庭教師をつけられました。本作は、この家族を中心として、時代の変遷を描いた自伝的な小説です。父が高い評価を与えたのは「社会主義と英国、ゾラの小説とロックフェラー財団と山とアオスタ渓谷のガイドたち」。母が好きなものは「社会主義とヴェレーヌの詩と音楽」。家族には、他人には通じない言葉がいくつもあって、それを分かることがレーヴィ家の一因である証です。例えば父は、ばかな人物を「愚かなもの」、不作法で礼儀を知らない人物は「ロバ」、妻の友達を「ぺちゃくちゃ」、妻や子どもたちが熱中するものを皮肉まじりに「新星」などと呼ぶ。母は、憂鬱や孤独が一緒になって胃が変調をきたすのを「コールタールの気分」と言う。物語は、レーヴィ家の日常を巡って語られるのですが、途中からイタリアの現代史が介入してくる。父はファシズムを忌み嫌っていて、ムッソリーニは「愚かもの」の範疇にすら入らない。ナタリアの兄マリオ(次男)は、反ファシスト運動をやっていて官憲に見つかり、スイスへ亡命する。ジーノ(長男)の親友レオーネ・ギングズブルグとアルベルト(三男)は政治犯として捕らわれた。父のジュゼッペは、そんな息子たちを誇りに思います。やがて、自身も刑務所に収監されるのですが、ぼろぼろの姿で帰宅したときには、大いに満足していました。ナタリアはレオーネと結婚。イタリアにも人種差別運動が起こり、父は大学教授の職を追われ、招聘されたベルギーの研究所へ夫婦で移った。ジュゼッペはユダヤ系イタリア人だったのです。そして、とうとうナチスが侵攻してくる――。本作は、イタリアの一家族の肖像と現代史を自然に融合させるとともに、暗い時代に抗いながら、精いっぱい生きてみせる人々の姿を描いています。翻訳は須賀敦子。ナタリアは「日本語みたいに、まったく違うことばに訳せるのかしら」と案じたらしいのですが、彼女が日本語を読めたら、大いに喜んだことでしょう。訳文は、読んでいて気持ちのいい、極めて流露感のある日本語の文章になっています。[参考文献]『ある家族の会話』 須賀敦子訳 白水Uブックス 【ぶら~り文学の旅⓬】聖教新聞2022.10.26
February 24, 2024
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没後30年を迎えた松本清張を読む立教大学名誉教授 藤井 淑禎 今年で没後30年を迎えた松本清張(一九〇九~九二)は、今でこそ江戸川乱歩と並んで日本ミステリーの二大巨人と目されているが、当初は歴史小説から娯楽小説、純文学小説と何でもこなすマルチプレイヤーだった。乱歩がそうした清張を「文壇作家」(=推理作家ではなく「ふつうの小説」を書く作家)の仲間に入れていたことは有名だが、もちろんそれはまだ清張が『点と線』(昭和三二年)を書く前のことであった。つまり昭和二六年のデビューから『点と線』迄の時期を清張の文壇作家時代と呼ぶことができるわけだが、その時期の代表作が『張り込み』(昭和三〇年)である。強盗犯の男が昔の恋人の嫁ぎ先に立ち回るのではないかと、刑事が家の前の宿の二階から張り込みをする話だ。予想通り男は現れ、二人は山の中の温泉宿に逃げ込む。結局男は逮捕され、女は帰宅させられるが、刑事には女のつかのまの解放感が感じ取られたとオチがつく。緊迫感に飛んでいるがもちろん推理小説ではなく、といって単なる娯楽でも純文学でもない形で、男尊女卑の時代を取り巻く厳しい現実が描かれている。『点と線』以降、推理作家として飛躍の時代を迎えるが、それは成長が二つの大敵と熾烈な戦いを繰り広げた時期でもあった。一つは、トリックと謎解きをもっぱらとする本格派ミステリーとの対決であり、もう一つは、通俗性や娯楽性を蔑視する純文学(私小説)派との対決である。 江戸川乱歩に並ぶミステリーの2大巨人作家としての闘争心が創作の原動力 一時期の清張はきわめて戦略的に乱歩を元締めとする本格派に攻撃を仕掛けていた。本格派のトリックを児戯的非現実的としておとしめ、自らが率いる社会派の動機重視と人間描写のほうを持ち上げたのである。『地方紙を買う女」(昭和三二年)の犯行動機などはまさに究極のそれだろう。戦後抑留されていた夫がようやく帰国するとの報が入る。ところが妻は生活苦から下劣な男につきまとわれ、その関係を清算するために男を毒殺するという話である。清算なくして再出発はありえないという苛烈で、しかも戦争・抑留という社会性をも帯びた動機なのだ。過ちを犯した女に再出発は可能かという疑問への答えを読者にゆだねた書き方となっているのも傑出している。純文学派との対決を象徴するのが『天城越え』(昭和三四年)という作品である。舞台を文豪・川端康成の『伊豆の踊子』と同じ天城峠として、従来見過ごされてきたこの「名作」の暗部を摘出した挑発的な作であった。五十銭銀貨をばらまく裕福な一高生の踊子に対する高慢ぶりに、十六銭しか持たずに出郷した鍛冶屋の息子の足抜き酌婦への純情ぶりを対置することで、『伊豆の踊子』や作者川端の無意識の優越感をあぶり出してみせたのである。本格派と純文学に戦いを挑む清張の姿はまさに『闘う作家』と呼ぶにふさわしい。その闘争心こそが清張躍進の原動力だったのだ。(ふじい・ひでただ) 【ブック・サロン】公明新聞2022.10.24
February 22, 2024
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多様な解釈を生んだ〝謎の世界〟作家 村上 政彦カフカ「変身」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、フランツ・カフカの『変身』です。カフカは20世紀文学の源流の一人ですが、生前はほとんど無名の小説家でした。作品も本人がエンドマークを打ったものは、それほど多くありません。のちに世界の多くの芸術・文学に携わる人々に影響を与えたのは、未完の作品ばかりです。『審判』『城』『失踪者』――どれも完成されてはいません。これはカフカの読者にとっては有名な逸話ですが、彼はそれらの遺稿を親友のマックス・プロートに託して「全部、焼き捨ててほしい」と言い残しました。しかし、プロートは遺言を守りませんでした。未完の作品を手ずから編集し、亡友の作品を世界に問うたのです。ある文学者は「ほんとうに焼き捨てたいのなら、それを他人に依頼したりはしない」とカフカの真意について述べています。つまり、焼却してほしいとは〝あとは、君がうまくやってくれ〟という意味だった。プロートは実際うまくやりました。人類の遺産ともいうべき名作を残したのですから。『変身』を読んだ人は、少なくないと思います。書き出しは、こうです。「ある朝、不安な夢から目を覚ますと、グレーゴル・ザムザは、自分ベッドの中で馬鹿でかい虫に変わっているのに気がついた」現実にはあり得ないことですが、小説世界では、どんなことでも起こります。ただし、それがリアリティーを持つかどうかは、別です。ザムザが虫に変身してからの出来事は、作中で極めてリアルに語られます。彼はある会社のセールスマンで、総長から勤めに出かけなければならない。虫の姿になっても、仕事が待っていると仕度を始める。ところが身体が虫になっているから、うまく働くことができない。どうやってベッドから降りるか――虫になったザムザの苦心は、写実的なリアリズムで描かれます。読者には、彼の困難が手に取るように分かる。結局、虫になったザムザは、会社のマネジャーには見放され、家族からも嫌われてしまうのです。この小説を巡り、さまざまな解釈が現れましたが、私の考えでは、カフカは世界を謎として描いたのです。なぜ、ザムザが虫に変身したのか、作者は無数の解を用意した。逆に言えば、一つの正解は存在しない。これはカフカという小説家の発明でした。それまでの小説は、テーマやメッセージがあっても、ある程度は解釈の幅が限られていた。ところが、カフカの小説は、解釈の幅が限りなく広がっているのです。一つの正解がない、謎そのものを描いたのですから。カフカはチェコのプラハに生まれて、短い生涯を送りました。『変身』の舞台も、おそらく彼の見知ったところでしょう。【参考文献】『変身/掟の前で 他2編』 丘沢静世訳 光文社古典新訳文庫 【ぶら~り文学の旅⓫海外編】聖教新聞2022.10.12
February 14, 2024
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集団残慮政策決定と大失敗の心理学研究アーヴィング・L・ジャニス著 細江達郎訳 なぜエリートたちは誤ったのか同志社大学教授 池田謙一評 ロシアがウクライナに侵攻してから7カ月。わずか数日で目的を達する意図であったとされるが、それは幻に過ぎず、世界的に多大な負の衝撃は続いたままである。こうしたプーチンの意思決定の「失敗」はしかし、強権国家ならではの特質ではない。民主国家で重大な誤りは起こりうる。原著出版40年後の『集団残慮』邦訳の意義の一つにはここにある。どんな「ベスト・エンド・プライテスト」と呼ばれる知的な思慮に飛んだエリート集団を擁した民主的政府でも、ときに決断の大失敗を免れないのはなぜか。集団の心理学の広範な知見を踏まえ、厖大な歴史資料を一次資料にまでさかのぼって精査して説き明かしたのが本書である。ケネディ政権初期のキューバ侵攻の大惨敗、ベトナム戦争の泥沼的拡大、「大統領の陰謀」として知られるウォーターゲート事件といった歴史的失敗事例を、隔絶されたトップの意思決定集団の判断の過ち、つまり「集団残慮」という観点から見事に描き出している。また反対の成功事例として、ケネディのキューバ危機対応や第二次世界大戦後のヨーロッパ復興のマーシャルプランの策定といった歴史的に名高い決断を検討することで、さらにその論点を詰め、処方箋を示していく手順は鮮やかである。重要な意思決定がなぜ集団残慮に陥るのか、ジャニスは新しい視点を提供した。第一に、リーダーグループの集団環境の重要性である。私たちはリーダーの失敗の原因をパーソナリティなどの「心」中心に求めるバイアスを強く持っているが、ジャニスは集団環境がもたらす意見一致追及傾向という要因の重要性を強調する。とくにそれは仲の良い中で生じやすい。第二に、意見一致追及傾向から生じる集団同調圧力は、しばしば多数派の数による受け身の同調圧力として解釈されがちだが、それは誤りである。そうでなくて、集団自身が作り出した一致を求める規範がもたらす縛りでもある。それは、我々は正しいに違いない、勝つに違いないといった幻想を正当化し、進んで共有する心理的インパクトをもたらし、その縛りこそが手に入る情報の判断を偏らせ、未熟な判断を合理化させ、反論を封じ、意思決定の質を格段に落として失敗に陥らせる。著者のジャニスは危機下の意思決定の熟知した著作(邦訳『リーダーが判断する時』首藤信彦訳、日本実業舎出版社)でも知られており、本書も長きにわたって政治学、社会心理学、経営学、組織論などの研究分野で重く受け止められてきた。スペースシャトル・チャレンジャー号打ち上げ失敗やトヨタ車暴走のリコール問題の解明にまで応用され、今後も広い範囲で有益である。多大な歴史的事件を扱う翻訳の苦労はいかばかりかと想像されるが、この良訳を歓迎したい。なお「集団残慮」の語はgroupthinkという造語の訳語であり、ジョージ・オーウェルの名著『一九八四』に登場したdoublethink(二重思考)に由来し、ときに「集団思考」と訳される。◇アーヴィング・レスター・ジャニス(1918~1990)心理学者。 【読書】公明新聞2022.10.10
February 14, 2024
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一九三九年 誰も望まなかった戦争フレデリック・テイラー著、清水 雅大訳 破滅に至る平時の感覚を描く京都大学教授 佐藤 卓己評第二次世界大戦前後、すなわち一九三八年九月のスデーテン危機から翌年九月のドイツ軍ポーランド侵攻までの一年間、イギリスとドイツの「普通の人びと」が残した日記、手紙、回送など自己語り資料(エゴ・ドキュメント)を駆使して描いた社会史の傑作である。本書執筆の動機をイギリスのドイツ現代史家はこう述べている。「最終的には破滅へと至る時代を〝普通の〟人として生き抜くことは、どのような感覚を伴っていたのだろうか?」この問いは原著刊行の二〇一九年(第二次世界大戦勃発八〇周年)よりも二〇二二年現在の方が切実なはずだ。ドンバス地域でのロシア系住民保護を口実としてウクライナに侵攻したプーチン大統領に、ドイツ系住民保護を唱えてチェコスロヴァキアにスデーテン地方の割譲を迫ったヒトラーを重ねてイメージする人は多い。チェンバレン英首相が「平和のために」ヒトラーが譲歩した一九三八年九月のミュンヘン協定の記憶が呼び覚まされるからだ。この「平和」の一年間で、ドイツのユダヤ人は「水晶の夜」に虐殺され、チェコは保護国化され、ポーランドは国境の修正を求められた。ミュンヘン協定は第二次世界大戦へ突き進む回帰不能転(ポイント・オブ・ノーリターン)である。いま欧米諸国がロシアへの妥協を拒否してウクライナへ全面的な軍事支援を続けるのは、ミュンヘンの過ちを教訓としているためだろう。それにしても、「誰も望まなかった戦争」という副題は誤解を招く可能性がありそうだ。著者も十分自覚しており、冒頭でこう説明している。「第二次世界大戦が始まったとき、人びとのあいだには、四半世紀前の第一次世界大戦が始まったときに見られたような、広範囲にわたる戦争熱の爆発は起こらなかった」若きヒトラーも第一次世界大戦勃発時には、「戦争熱の爆発」に身を委ねて街頭に飛び出している。総統ヒトラーでさえ、イギリスとの全面戦争を望んでいたわけではない。それを裏付けるべく、伝統学が依拠する外交文書や政治指導者の発言には十分に目配りしている。しかし、本書の読みどころは何といても「普通の人びと」の実感である。個人の日常生活のミクロな感覚を国際政治のマクロな動きにつなぐメディアとして、大衆新聞の三面記事、流行の娯楽映画、ニューメディアだったテレビ放送(ドイツで一九三五年、イギリスで翌三六年に開始)などのデーターがふんだんに使われている。危機の時代の日常性に著者が固執するのは、陰田ビュースタ戦争経験世代が「戦争の記憶と比べて、平和な時期のことはほとんど覚えていない」からだろう。当事者にとって、戦争体験は忘れることの方が難しいはずだ。しかし、私たちが次の戦争を本気で回避しようと思うなら、「平和な時期のこと」を正しく記憶しその変質を吟味するべきである。そのためにも、破滅に至る平時の感覚を描く本書から学ぶことは決して少なくない。◇フレデリック・テイラー1947年、英バッキンガムシャー生まれ。ゲッペルスの日記を編集と英訳を手掛け、欧州とドイツ現代史の研究所を多数刊行している歴史家。 【読書】公明新聞2022.10.3
February 10, 2024
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肉食べず、木になろうとする女性作家 村上 政彦ハン・ガン「菜食主義者」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、ハン・ガンの『菜食主義者』です。『冬のソナタ』を覚えている人は多いと思います。このドラマで一気に韓流ブームが起こりました。その後Kポップと名付けられた韓国初のポップミュージックが、日本ばかりか、欧米でも流行することに。そして、近年はK文学が流行しています。韓国・光州生まれのハン・ガンは本作で、韓国の芥川賞といわれる「李箱(イサン)文学賞」を受賞。2016年には、アジア人で初めて英国のマン・ブッカー国際賞に輝きました。ブッカー賞は、ノーベル文学賞を意識した賞運営をしているようで、このところよく話題に上がります。『菜食主義者』を代表作とする書籍には『蒙古斑』『気の花火』の中編小説2作も収められています。どの作品にも登場する女性ヨンヘは、取り立て変ったところのない、平凡な主婦。『菜食主義者』の語り手「私」は、その普通さが気に入って結婚しました。ところが、ある朝、ヨンヘが肉類を袋に詰めて捨てようとしているのを見つけた。何をしているのか尋ねると、「夢を見たの」としか言わない。仕事があるので急いで出勤した私は帰宅後、夕飯のメニューを見て驚く。「サンチュと味噌、牛肉もアサリも入っていないワカメのすまし汁とキムチ、それで全部だった」冷蔵庫には、卵も牛乳もない。皆、捨てたという。ヨンヘは付き合っている頃から、肉料理が好きだった。結婚してからも、牛、豚、鶏の肉を使って、美味しい料理を作った。それが急に極度のベジタリアンになるとは、よく理解できなかった。ヨンヘは、だんだん痩せていく。夜もあまり眠っていないようだ。決定的だったのは、私が社長に招かれた会食で、肉を食べないと宣言したことだった。専務夫人がベジタリアンになった理由を聞くと、「……夢を見たのです」と。彼女は夢を見るたび、肉を食べるからだと思い、ベジタリアンになった。私のメンツは潰されてしまった。ヨンヘの奇行は、彼女の両親、兄弟も知るところになり、父は無理に肉を食べさせようとして、争いになる。そして、ヨンヘは、果物ナイフで手首を切ってしまう―。ヨンヘは病院に入るが、そこで半裸になって陽を浴び、水さえあれば生きていけると言う。彼女は、どうやら木になろうとしている。『菜食主義者』の原案は「一人の女がマンションのベランダで植物になり、一緒に暮らしていた男が彼女を植木鉢に植えるという話」だという。『蒙古斑』『木の花火』と物語が進むにつれ、ヨンヘは植物に近づいていく。何が彼女をそうさせるのか。読者は作品世界に没入して手探りするしかない。【参考文献】『菜食主義者』 きむふな訳 クオン 【ぶら~り文学の旅 海外編❿】聖教新聞2022.9.28
February 6, 2024
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切り詰めた表現で描く日常生活トレヴァー「足の不自由な男」作家 村上 政彦本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、ウイリアム・トレヴァーの『足の不自由な男』です。トレヴァーは、アイルランド・コーク州出身の小説家です。長編も書きますが、イギリスのある小説家が、トレヴァーは『アイルランドが生んだチェーホフといわれることもありますが、トレヴァーは「アイルランドが生んだチェーホフ」ではなく、「彼はかつても、これからも、アイルランドが生んだウイリアム・トレヴァーなのだ」と最上級の賛辞を贈っているのです。『足の不自由な男』は、彼の死後に発表された短編集『ラスト・ストリーズ』に収められている作品です。カラの街近くの農場に生まれつき足の不自由な男が暮らしています。同居人は従姉妹のマーティーナ。男の母が12歳で亡くなり、翌年の冬に父が逝いた。独りで生活のできない男は、施設に入るしかない。そこで親戚が話し合って、当時はまだ30歳だったマティーナと一緒に生活させることにした。この土地では、何も起きません。まるで時間が止まったよう。象徴的な風景の一つを紹介しましょう。「泥炭地を突き切って走っていくと、泥炭活用(ポード・ナ・モーナ)機構の所有する機会が採掘用の溝の脇にはぽつんと止めてある。トラクターに繋がれていないので移動不可能。おそらく九か月のほどの長期間、この場所では何もおこなわれず、何ひとつ変化もない。ここにさしかかるたびに停滞が垂れこまれているのを目の当たりにさせられたが、今日もまたこの前と全く同じ状態だった」こんな街の農場でマーティーナが男と同居することにしたのは、彼が死んだら「いくばくかの財産」を相続できるからです。男もそれを分かっていて、口論になることがある。そういうところへ流れ者の兄弟が現れ、仕事を求めた。男は二人をポーランド人だと思って、家の外壁の塗装を依頼する。物語は主にマーティーナと兄妹の視点から語られます。仕事を始めた兄弟は、ポーランド人ではなく、少数民族の出身。外壁の塗装などやったことはないが、金のために引き受ける。マーティーナは、午前11時と午後3時半に軽食とお茶を運んでくる。ある時、天候が荒れて塗装の作業ができなくなって、兄弟はいったん農場を離れた。9日後に戻ってくると、マーティーナの様子が、人が変わったように違っている。作業を進める兄弟は、男の姿が見えないのに気付く――。トレヴァーは、何の変哲もない、アイルランドの人々の日常を、ぎりぎりまで切り詰めた言葉で、極めてリアルに描きました。ストーリーテリングと人間観察は秀逸であり、どの短編も読み返したくなります。タンポン小説の醍醐味を存分に味わってください。【参考文献】『ラスト・ストーリーズ』相木伸明訳 国書刊行会 【ぶら~り文学の旅 海外編❽】聖教新聞2022.8.24
January 16, 2024
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没後100年を迎える森鷗外を読む拓殖大学准教授 村上 祐紀 多様性重視の今こそ手にしたい作品60年の生涯は近代国家への歩みと符合二〇二二(令和四)年は、明治大正期を代表する文豪、森鷗外(一八六二~一九二二年)の生誕一六〇年、没後百年に当たる年である。森鷗外と聞くと、遠い過去の歴史上の人物という印象を持つ人も多いかもしれない。しかし、没後百年ということは、わずか百年前まで森鴎外は確かに生きていたということである。百歳まで生きる人も少なくない現代において、鷗外と同時代に生きていた人や鷗外が亡くなった頃に生まれた人もいるというわけだ。そのように考えると、鷗外という存在はもう少し身近に感じられるかもしれない。鷗外は、江戸時代末期(文久二年)に、現在の島根県津和野で生まれた。江戸幕府の崩壊後、明治維新を経て、日本は近代国家への道を歩み始めるが、鷗外の六十年の生涯は、まさに日本の近代化の過程と重なり合っている。鷗外は文学者であると同時に、陸軍軍医として国家を支える立場にもある知識人であった。鷗外の没後百年にあたり、数多くの著作の中から、近代日本をどのように捉えていたか、考えることのできる作品を紹介したい。一つは『普請中』(「三田文学」明治四十三年六月)である。精養軒ホテルで主人公の渡辺参事官は、かつて留学先で恋仲だった女性と再会する。彼女は歌手であり、旅の興行中に日本に立ち寄ったとされる。一貫して彼女に冷たい態度をとる渡辺は、なれなれしく振る舞う彼女に、「ここは日本だ」と繰り返し述べ、「日本はまだ普請中だ」と言い放つ。渡辺のこの台詞からは、西洋を体験した知識人に見えていた表面的な日本の近代化への苦い思いを読み取ることができよう。渡辺が、「普請中」だと捉えた、急速かつ表面的な近代化のゆがみとして起こったのが、大逆事件である。明治四三年、幸徳秋水をはじめとした社会主義者たちが大量検挙された。この事件を彷彿とさせる作品が、『沈黙の塔』(『三田文学』明治四三年一一月)である。本作は、パアシイ族の寓意というスタンスをとっているが、政府が学問芸術の分野にまで理不尽に干渉してくる日本の現状を風刺しているとも読むことができる。「どこの国、いつの世でも、新しい道を歩いて行く人の背後には、必ず反動者の群がゐて隙を窺がってゐる」という鋭い一文は、百年を経た現代にも当てはまるものであろう。「かのように」(『中央公論』明治四五年一月)は、ドイツから帰国したばかりの青年五條秀麿を主人公とする連作の第一作目である。日本の歴史を書くことを志す秀麿は、神をそのまま信じることができない近代において、「神話と歴史との限界をはっきり」させる必要があると考える。ここでの秀麿の思索を、鷗外がその後歴史小説・史伝に着手し、歴史に取り組み始めることに重ね合わせると興味深い。以上紹介してきた作品からは、近代かとともに歩み、時に戦った鷗外の姿が浮かび上がってくる。多様性を重視する現代にこそ、さまざまな顔を見せる鷗外の作品は読まれるべきなのかもしれない。(むらかみ・ゆき) 【ブック・サロン】公明新聞2022.8.22
January 15, 2024
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社会的弱者への温かいまなざし作家 村上 政彦黄春明「海を訪ねる日」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、王春明の『海を訪ねる日』です。王春明は、台湾の作家です。日本ではあまり知られていませんが、台湾では作品が映画化されるなど、広く読者を得ています。物語は、南方澳漁港に台湾各地から漁船が集まるところから始まります。「海水が都市の初めの温かい太陽を吸い取り、塩独特の香りを醸し出し、それが漁港の空気中に広がり海の旋律につれて人々の鼻に漂ってくる」時は、4月から5月にかけてのこと。漁師たちが狙うのは、暖流に乗ってやってくる鰹の群です。彼らは一仕事終えると、慰安を求めて娼家へ足を運ぶ。名妓・白梅(パイメイ)は14歳の時から働いている。父が早くに他界。多くの子を抱える母は、経済的理由で娘を手放した。家族の暮らしは立つようになったが、本人は苦しい生活を続けた。 そこへ鶯鶯(インイン)という少女がやってきた。白梅は彼女にかつての自分の姿を見て、妹のようにかわいがり、借金を払ってやり、もっと稼ぎのいい娼家へ流れていく。白梅が言う。「私の涙は何年か前に、みんな流れてしまった。涙を流せないということが、どんなに苦しいかということを、私は知っている。(中略)泣こうとして泣けない時があったら、この歌を歌えばよい」「雨の夜の花/風に吹かれて地に降りる/見る人もなく、目を閉じて恨み嘆く/花は散り、地に落ちて再び帰らず」雨の夜の花とは、彼女たちのことです。2人は姉妹のように生きる。しかし鶯鶯は、たちの悪い養父によそへ売られてしまいます。ある日、瑞芳九份(ルイファンジョウフェン)へ向かおう汽車の中、偶然に2人は再会。鶯鶯は可愛い赤ん坊を抱いていて、傍らにはやさしそうな夫がいた。その幸せそうな様子が記憶に残っていいた白梅は、やがて子供を産んで一人で育てる決意をします。父親に善良そうな若い漁師・阿榕(アロン)そして、彼女はめでたく身ごもり、生家で出産しようとする――。王春明の作品は、このような娼婦、貧しい人々、障害者、老人など、社会的な弱者を描いたものが多い。彼は述べています。「文学には二つの道があります。一つは人生と向き合って芸術を創造する。もう一つは芸術のための芸術」「私は人生のために、もっといい社会のために、文学や芸術をやりたい」私は、王春明の、生きるための文学・芸術という考えに共感を覚えます。一つの文章が、一つの言葉が、人の心に残り、生きるための支えとなっていく―そういう小説が1作でも書ければ小説家として本望です。彼の作品は、改めてそのことを教えてくれました。[参考文献]『黄春明選集 溺死した老描』 西田勝編訳 法政大学出版局 【ぶら~り文学の旅➐】聖教新聞2022.8.10
December 28, 2023
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命がけで一本の苗を守る老人作家 村上 政彦閻連科「年月日」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、閻連科の『年月日』です。閻連科は、ノーベル文学賞を受けた莫言と並んで、とてもセンセーショナルな小説で話題を呼ぶ中国の作家です。ところが、この作品は、そういう小説を書く作家とは、別の閻連科を見ることができると彼自身が言っています。舞台は、苛烈な干ばつに見舞われた中国の農村。村民たちは、いったん村を出て、徐州を目指します。主人公の先じいも一緒に村を出たのですが、72歳になった彼は、生まれた村で死にたいと戻ってきます。一人ではなく、パートナーがいました。村を焦がし続ける日照りから逃れようと、迷信による儀式を行った村人たちは太陽に向かって犬を吠えさせ続けた。しかし太陽は衰えることなく、犬は目を焼かれて盲目になった。先じいは、この犬を引き取ってメナシと名付け、共に暮らし始めました。村に戻った先じいとメナシ。彼らは先じいの畑に芽を出した一本のトウモロコシを育て上げようと、必死に努力します。強風のせいで、トウモロコシの苗が折れた。残った苗を守るため、先じいは簡易的な風除けの小屋をこしらえ、そこに住み込む。食料を求めて村に行くと、すべての家に鍵がかかって中へ入れない。先じいは思い付いて村人たちの畑を掘り返し、お碗一杯のトウモロコシを手に入れた。けれど、そうして得たトウモロコシの粒は、長く食つなぐことができる量にはならなかった。井戸も枯れてしまった。一方で、先じいのトウモロコシは芽を出し、だんだん育っていきます。水を探しに行った先じいは、谷で池を見つけたが、そこは狼が獲物を待っていた。やがて先じいはオオカミの群と対峙。彼は一昼夜、にらみ合い、連中を退けた。水は確保した。あとは食料です。先じいはネズミを捕まえ、メナシと食べた。先じいがトウモロコシを育てるのは、自分のためばかりではなかった。彼は天に祈ります。「ひと雨降って山から逃げ出した村人たちが戻ってきたら、このトウモロコシを分け与えてやりたいんです。これはこの山脈が生き返るための大事な種なんです」先じいは未来のために戦っていたのです。やがて食料にしていたネズミもいなくなり、飢えに襲われる。トウモロコシに与える肥料もなくなる。先じいは、メナシに語り掛けます。「私の来世がもし獣なら、わしはお前に生まれ変わる。お前の来世がもし人間なら、わしの子どもに生まれ変わるんだ。一生平安に暮らそうじゃないか」そして先じいはトウモロコシを育てるため、ある行動に移るのです。[参考文献]『年月日』 谷川毅訳 白水社 【ぶら~り文学の旅⑥海外編】聖教新聞2022.7.27
December 16, 2023
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死の恐怖、苦しみからの解放作家 村上 政彦トルストイ「イワン・イリッチの死」本を手にして住象の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、トルストイの『イワン・イリッチの死』です。日本の近代文学は、ロシア文学から大きな影響を受けました。トルストイの『戦争と平和』や『アンナ・カレニーナ』などの長編小説は、日本人の小説家にとって、北極星のような存在でした。『イワン・イリッチの死』は中編小説です。まず、手に取りやすい。おそらく2時間もあれば読了できる。しかし内容は深い。濃い。テーマは「死と、どう向き合うか」です。イワン・イリッチは、サンクトペテルブルクの管理の次男として生まれました。法律学校を出て、地方都市の県知事付特務官の仕事を父に世話してもらい、一人で赴任。5年間務め、新しくできた司法制度の予審判事の地位を提供され、他県にいきます。2年後に美しい娘と結婚しましたが、この女性が癇癪持ちの上にわがままで彼を困らせる。イリッチは仕事に打ち込むことで、結婚生活の苦悩を逃れようとし、検事補に昇進した。やがて検事となって他県へ栄転することに。結婚して17年がたち、イリッチも検事としてはベテランになって、裁判長の座を望んでいたら、ホッペという男に出し抜かれた。イリッチは職場で不平を述べ立てるようになり、上司とも諍いを起こす。そんな人物に昇進の流れが向くわけもなく、彼は出世のレースから取り残された。イリッチは、小言を並べるばかりの妻と兄弟の領地へ出かけ、一夏を過ごし、生まれて初めて退屈を味わう。そこで、年俸を上げ、自分を認めない連中を見返すため、新しい地位を求めてサンクトペテルブルクへ旅をした。思いがけなく親友が昇進し、彼に確かな地位を約束してくれた。運が向いたのです。彼は新しく赴任する町で新居の準備をするべく、出発した。部屋の模様替えで職人の要領が悪かったので手を出し、梯子を踏み外して横腹を取っ手に打ちつけた。ただの打ち身のはずだった。だが4カ月後、イリッチは死の床に就いていた。医師の見立ては、腎臓遊動症――腎臓がちぎれて、ふらふら動いている。なぜ、こんなことになったのか。なぜ、自分が死ななければならないのか。阿片やモルヒネを処方してもらっても楽にならない。もしかすると生き方が間違っていたのかもしれない――この疑いは重いものでした。考えてみてください。これまでの生き方が間違っていたから改める。十分に人生の残りの時間がある人ならできるでしょうが、イリッチは死が目の前にある。しかし死の2時間前、こう思い返すのです。『それは別にかまやしない(中略)「本当のこと」をすることもできる』このことに気付いた時、彼は死の恐怖や苦しみから解放されるのです。[参考文献]『イワン・イリッチの死』米川正夫訳 岩波文庫 【ぶら~り文学の旅 海外編】聖教新聞2022.7.13
December 1, 2023
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葉室麟の新刊『読書の森で寝転んで」を読む文学評論家 細谷 正充司馬遼太郎、上野英信らの作品を血肉に歴史時代作家の葉室麟が亡くなったのは、二〇一七年の年末であった。作家という枠を超えて、司馬遼太郎のようなオピニオン・リーダーとなれるであろう存在だっただけに、喪失感は計り知れない。そして作家のファンとしては何よりも、新たな作品が詠めないことが淋しいのである。その葉室麟の新刊が刊行された。小説ではなくエッセイ集だが、嬉しくてならない。全四章で構成されており、作者の人生や思想を、多角的に捉えることができるようになっている。第一章「読書の森で寝転んで」は、読書録だ。冒頭の「わたしを時代小説家へと導いた本」で、いきなり白戸三平の漫画『忍者武芸帳 影丸伝』を挙げているのに意表を突かれるが、続けて花田清輝の『東洋的回帰』と『もう一つの修羅』、上野英信の『追われゆく抗夫たち』、長谷川伸の『相楽総三とその同志』、山本常朝の『葉隠』といったタイトルが、次々と出てくる。このように取り上げる本は自由自在。以降も、カート・ヴォネガット。ジュニアのSF『スローだ―ハウス5』など、バラエティ豊かなラインアップが楽しめた。そうした作品への感想が実に面白いなのだが、他に注目すべき点がある。葉室麟の人格がいかにして形成され、作家になり、何を表現しようとしたのかが、見えてくるのである。司馬遼太郎と上野英信の影響が強いが、他にも藤沢周平や石川淳など、多くの作家の作品を己の骨肉としている。作者を理解するための、重要な知識を得ることができた。続く第二章「歴史随筆ほか」では、歴史上の人物への興味や、私生活が窺えて興味が尽きない。芥川龍之介の短編「猿蟹合戦」を引き合いに出して、集団的自衛権の危うさを指摘するなど、自分の思想も臆することなく述べている。第三章「小説講座で語る」は、小説講座での講談集。さまざまなことを率直に語っており、こちらも興味深いものがあった。そうそう、先に〝小説ではなくエッセイ集〟と書いたが、第四章「掌編 絶筆」では、小説が収録されている。「芦刈」は、熊の〈芦刈〉を巧みに使いながら、扇面絵師が過去と決別する瞬間を捉えている。優れたショートショートだ。このような作品があったことに、感謝感激である。また、「我に一片の心あり 西郷回転賦」は、西郷隆盛を主人公にした『大獄 西郷青嵐賦』の第二部の序盤部分だ。作者が最後まで推敲を重ねたものだという。ここからどのような物語世界が広がっていったかと思うと、あらためて作者の逝去が無念でならない。しかし私たちには、残された多数の葉室作品がある。本書から得た知見を携えて本を手にすれば、いくつもの新たな発見がありそうだ。じっくりと腰を添えて、再読しようと思っているのである。 【文化】公明新聞2022.7.8
November 27, 2023
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ウクライナ出身の作家アレクシエーヴィッチを読む日本大学特任教授 安本 隆子名も無き人々の証言から真実を描く私たちがこれまで生きてきた20世紀とは、戦争、科学技術の進歩、そして、社会主義・共産主義の生成と衰退の時代であった。まさにセヴェトラ―ナ・アレクシエーヴィッチはこのような20世紀を描いた作家である。すなわち、『戦争は女の顔をしていない』ではソ連の様々な女性兵士の証言を通して、そして、『最後の証言者たち』(邦題『ボタン穴から見た戦争』)では当時子どもであった人々の証言を通して独ソ戦の実態を描いた。また、『亜鉛の少女たち』(邦題『アフガン帰還兵の証言」』では、勝利無きソ連のアフガニスタン侵攻の真実を描いている。『チェルノブイリの祈り』では、科学の粋を凝らしたはずのチェルノブイリ原子力発電所の事故に遭遇した人々の戸惑いを、そして、『死に魅了された人々』『セカンドハンドの時代』では、ソ連邦崩壊後のロシア人の姿を描いて社会主義・共戦主義とは何であったのかを問うた。いずれも名もなき小さき人々の声を集め、多声的叙述の中にこの時代を生きた人々の苦難と精神の軌跡を浮き彫りにしている。『戦争は女の顔をしていない」では、男たちが語る「事実」としての戦争、つまり、戦車が何台投入され死者が何名といったことではなく、純粋な愛国心や戦場でも忘れることのなかった女性としての感性など……女性兵士たちの「気持ち」が描かれている。では、この女たちの捉えた戦争は私たちに何を教えるだろうか。言うまでもなくナチスドイツの残虐な行為への憎悪は彼女たちを戦闘に駆り立てたが、アレクシエーヴィッチが伝えたかったのはそれだけではない。内なる葛藤を抱えながら傷ついたドイツ兵の治療をしたり、飢えたドイツ人捕虜にパンを与えた自分に人間らしさが喜ぶ声がある。 敵味方を超えた「人類愛」が通低音また、ソ連兵に暴行されたドイツ人女性はこれ以上血を見たくないと犯人を告発せず許すことを選んだ。戦争の醜さだけでなく、このような「人を愛すること」、敵味方を超えた「人類愛」というテーマがあることを忘れてはならない。そして、これはアレクシエーヴィッチの文学に通低音として流れているものでもある。アレクシエーヴィッチはかつて「ロシアは重篤な状態で、世界にとって危険です。プーチンは『力』で解決しようとし、核の使用の可能性も口にしました。」と、ロシアの「意識の軍国化」を指摘し、「いずれロシアは戦争をするでしょう(略)ウクライナと戦争し、征服すべきだと言っている。」語った(2016年12月16日『朝日新聞』)。この危機は現実となり、今年2月、独善的な「ネオナチ殲滅」の大義名分を掲げロシアはウクライナに侵攻した。今も行方の見えない激しい戦闘にはウクライナの女性兵士も加わっている。その数は兵士の約15%、3万人とされる。戦時か、女性は「感情の動員」利用されがちである。「女性なのに」「女性さえ」戦う状況に人々は感情を揺さぶられる。それを為政者は利用するのだ。しかし、私たちは武器を執る女性兵士たちの真実の気持ちをアレクシエーヴィッチの著書を通して知ることができる。ウクライナの女性兵士たちも思っているはずだ。「私たちは敵を倒すためではなく、『戦争を殺すため』に戦っている」と。(やすもと・たかこ) 【ブック・サロン】公明新聞2022.6.27
November 11, 2023
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巨大カジキマグロと戦う老漁師作家 村上 政彦ヘミングウェイ「老人と海」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、アーネスト・ヘミングウェイの『海と老人』です。ヘミングウェイは短篇の作家として出発して、いくつもの名作を残しました。長編も書いて、ベストセラーになり、映画化もされました。しかし私がヘミングウェイの作品を選ぶとしたら、1位になるのは、この作品です。最近、『○○は✕✕が9割」というタイトルの本をよく見かけますが、○○を小説に書きかえれば、✕✕は人物です。小説は、人物が9割――あとは、物語と文章です。『老人と海』は、主人公のサンチャゴという老漁師が実によくかけています。作品の中で生きているのはもちろん、現実の世界でこういう老漁師とすれ違っても、おかしくないと感じます。メキシコ湾に面したキューバの港町から、物語は始まります。「風が東から吹くと対岸から鮫の臭いが漂うのだが、きょうは風が北へ回ってから凪いだので、ほんのりと鼻先をかすめるかどうかという日になっていた」一人の置いた漁師が船に乗って漁に出掛ける。彼にとって、海は「ラ・マール」。これは女を海に見立てた言い方で、老人にとって海は女性なのです。つまり、「大きな行為を寄せてくれるのかくれないのかのどっちかだ」(彼は妻と死別しています)。この日の漁では、大きな好意を寄せてくれたといえる。これまでに出あったことのない大物カジキマグロを仕留めたのですから。しかしそれほどの大物がすぐ手に入るわけもない。サンチャゴは3日間にわたって、相手とやり合った。このくだりが本作の読みどころ。そして――。「老人はロープを手から離し、足で踏んだ。そして銛を高々と上げると、渾身の力を込めた上に、さらになお力を振り絞って、老人の胸ほどの高さまで持ち上がった大きな胸ひれの直下の横腹に、この銛を突き下ろした。(中略)すると、死を打ち込まれた魚が、びくんと生気を取り戻し、海面から伸び上がるように巨体の全容を現して力と美を見せつけた」このあたりになると、サンチャゴは、獲物にシンパシーさえ感じて、どちらが死んでもかまわないと思っている。だが、ついに漁師は大物を仕留めた。これで終わりと思いきや、カジキマグロの血のにおいに引かれ、次々に鮫がやってくる。老人の死闘はまだ終わらない。結局、港へ戻ったとき、カジキマグロは巨大な頭と骨だけになっていて、老漁師は力尽きている。ところが、彼はどこか満足そうに眠りにつきます。潮のにおい、波しぶき、海風――そういうものまでがとてもリアルに感じられる本作。どうです、久しぶりに海に出てみませんか。[参考文献]『海と老人』 小川高義訳 光文社古典新訳文庫 【ぶら~り文学の旅④】聖教新聞2022.6.22
November 5, 2023
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権力や差別を再考する機会に作家 村上 政彦オーウェル「動物農場」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、ジョージ・オーウェルの『動物農場』です。オーウェルと言えば『一九八四年』が代表作とされて、政治的なテーマを扱う作家のように思われています。『動物農場』も旧ソ連時代のスターリニズムを風刺した小説として読まれ、作者自身がそういう意味のことを書いてもいます。しかしこのコラムでは、そういう読み方を踏襲しない。『動物農場』は、人間に搾取されていた動物たちが反乱を起こし、動物による、動物のための農場を作る物語です。その「裏」にあるのが政治的な諷刺。だから、そのまた「裏」――つまり「表」の、人間と動物の関係についての作品として、あえて読み直してみるのはどうでしょう? 実は、作者自身がこんなことを書いています。「ある日(中略)十歳くらいに見える少年が、狭い道で巨大な馬車ウマを御していて、それが曲がろうとするたびに鞭を当てているのを目撃した」「動物の収奪が必要なときは常に、あらゆる人類は力を合わせて動物たちに敵対した」「信の闘争は、動物たちと人類との間のものだ」オーウェルは、人間と動物の関係が資本家と労働者の関係と同じだと見て、『動物農場』のアイデアを得たのです。物語は、イングランド南東部、イーストサセックスにある農場で始まります。農場主は土曜から町で飲んだくれ、日曜の昼まで帰ってこなかった。使用人は動物たちにエサも与えず、ウサギ狩りに行ってしまう。我慢できなくなった動物たちは、穀物置場にあった作物を勝手に食べ始め、それを見つけた農場主と使用人は鞭を振るう。しかし動物たちは彼らに従うことなく、反乱を起こし、逆に人間たちを追放した。動物たちの先頭に立ち、農場の経営に乗り出したのはブタたち。中でも、スノーボールとナポレオンが指導的な立場になった。動物たちは農場の名を「メイナー農場」から「動物農場」に変える。そして、互いを同志と呼び合って、農作業に取り組む。農場を取り戻しに来た人間たちと戦って勝利もした。この頃の動物たちは平等でした。自分たちを搾取する人間を追放したのですから。ところが、次第に様子が変わっていく。ブタたちが特権を持ち始めるのです。やがてナポレオンはライバルのスノーボールを追放し、絶対的な指導者の地位を得た。邪魔な動物を粛正し、「すべての動物は平等である。だが一部の動物は他よりももっと平等である」という戒律を作り、ブタたちは鞭をもって2本足で歩くようになった。人間が動物を家畜にした瞬間から、人類差別は始まったという考え方があります。本作を読み、人間と動物の関係を考え直すところから、人類差別を解きほぐしてみてはどうでしょうか。[参考文献]『動物農場』 山形浩生訳 ハヤカワ文庫 【ぶら~り文学の旅 海外編➌】聖教新聞2022.6.8
October 19, 2023
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<洗う>文化史国立歴史民俗博物語、花王株式会社 編 清潔に伏在する差別と排除東京大学教授 菅 豊 評 新型コロナウイルス感染症は、現代人の清潔感を大きく変容させた。通勤電車のつり革やエレベーターのボタン、ATMの画面など、これまで何げなく触れていたものが、何か特別なものに感じられる。とくに潔癖症でなくとも、それらに触れることは躊躇される。もし仕方なく触れてしまったら、手を洗うために近くの洗面所へ駆け込むしかない。しかし手を洗う水道の蛇口のレバーだって、ウイルスに汚染されているかもしれない……。物理的にきれいに洗浄しても、必ずしも心理的に清潔と感じられるわけではない。目に見えないウイルスが身近に迫りくるなか、戦場と清潔とをめぐって世界中の人びとは疑心暗鬼になっている。本書は、「洗浄という行為」と「洗浄という感覚」に関する古代から現在までの歴史を、総合的に理解したタイムリーなプロジェクトの成果論集である。そのプロジェクトは、洗剤やトイレタリーの日本有数の企業でもある花王と、国の研究機関である国立歴史民俗博物館という異色の産学コンビによって行われた。それは古代文献に見える「洗う」という言葉の字義に始まり、埃まみれの江戸で清潔と洗浄を巡って苦闘していた勤番武士、さらに近代における地方の入浴の実態や虫歯予防と歯磨き習慣の形成と普及など、時代を超えた興味深い話題を取り扱っている。評者がとくに示唆を受けたのが、帝国日本の清潔と清潔感について考究した論考である。浴槽の湯につかる入浴習慣が日本から朝鮮などの植民地に広がるとともに、「風呂好き=清潔=文明的・近代的」という偏見が朝鮮人を差別し排除する根拠となった。一方で、その感覚が民族的な劣等感として朝鮮人の内面に深く入り込んで、蔑視や差別から脱するために日本人よりも清潔であろうとする民族的強迫観念が形成された。コロナ禍のいま、私たちを取り巻く洗浄と清潔の背後にも、差別と排除、そして強迫観念が伏在していることに、私たちはもっと敏感であらねばならない。◇国立歴史民俗博物館 千葉県佐倉市城内町にある日本の考古学・歴史・民俗について総合的に研究・展示する博物館。通称、歴博。花王株式会社 日本の洗剤・化粧品の消費財化学メーカー。 【読書】公明新聞2022.5.2
September 10, 2023
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ファシズムとロシアマルレーヌ・ラリュエル著 知的・文化的底流を解明神奈川大学特別招聘教授 下斗米 伸夫 評 ロシアは欧米の一部で言うようにファシズムで、プーチンはファシストなのか。それともウクライナの方がプーチンの言うように「ネオ・ナチ」なのか?プーチンは昨年7月、東スラブ3民族を同じナロード〈民〉という論文を書いたが、なぜ主要TV・新聞、ウクライナ研究者の多くは意図的か「民族」と誤訳した。それほど民族主義と権威主義の問題は難しい。ましてやイデオロギーの終焉から30年、旧ソ連・東欧地域では、極右や極左、サブカルチャ―、各種の宗教・せくと、またはバイクや柔道愛好団体まで世論形成に表れてきた。これが今のウクライナ戦争を巡る議論の混乱となっている。とくに2014年マイダン革命以降のウクライナではソ連赤軍がファシズムからの「解放者」から、「ロシア帝国主義」の体現者と捉えるような理解が出ている。バルト3国や東中欧でも「ヨーロッパの解放」の意味が変わり、赤軍の元帥像が同様の扱いを受けている。こうした中ロシア学者マルレーヌ・ラリュエルの『ファシズムとロシア』は、この難しい論争に挑戦した。彼女はプーチンをファシストと考えることに反対しているものの、その誤解を与える現代ロシア・ウクライナの知的、そして文化的底流の解明に新しい頁を開いた。中でもウクライナ戦争を支持しZ革命を唱えるドゥーギンのような反ウクライナの地政学的極右潮流がプーチン政権の中心にいるという米国の一誌にまである誤解に批判的である。プーチンをファシストや「悪魔」であるという言説の背景になるのは、NATO東欧拡大に熱心だった旧中東欧出身の北米ディアスポラ(移民)の世界観からウクライナを中心に浸透したからだ。彼らからみればプーチンはファシストとなる。しかし日本でのソ連ロシア論の見方とは一致しない。実際のプーチンにはそれほど一貫性はない。保守派や軍産複合体、正教会などに取り囲まれているものの、基本的には各派の勢力からバランスをとって権力を運営しているという彼女の見方に賛成だ。これほど米国とロシアとはお互いに誤解した結果ウクライナ戦争に至ったという意味では現在を読み解くための必要書だ。◇マルレーヌ・ラリュエル フランス出身の研究者 【読書】公明新聞2022.5.2
September 7, 2023
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検証 安倍政権アジア・パシフィック・イニシアティブ 著 慶応義塾大学名誉教授 小林 良彰 評 ヒアリングに基づく貴重な記録本書は、日本の憲政史上、最長の7年8カ月にわたった安倍政権の関係者である安倍首相や菅官房長官をはじめ主要閣僚や官邸官僚やなど54名に対するヒアリングに基づいて、何故、長期政権を維持できたのか、安倍政権が何を成し得て何が課題として残されたのかを明らかにしたものである。ヒアリング対象が政権関係者に限定されているために、ヒアリング内容をどのように咀嚼して公正中立にまとまるのかという点で、各章の執筆者の力量が試される一冊でもある。9つの興味ある章の中で特筆すべきは、まず「第1章 アベノミクス 首相に支配された財務省と日本銀行」(上川龍之進)で、金融安定化を最優先する日本銀行や財政健全化を最優先とする財務省に対して、アベノミクスとして経済成長を最優先とする財政金融政策を実施していく際の関係者間の葛藤を筆者の視点で見事に描いている。そして、大規模な国債発行に積極的なリフレ派により限界ギリギリまで金融緩和策を行ったにもかかわらず物価上昇率2%を実現できなかったことを指摘することを忘れていない。また「第4章 外交・安全保障 戦略性の追求」(神保謙)では、台頭する中国を意識して大きな議論となった安保法制の成立や日米同盟切り離しを阻止したことを評価しつつ、ロシアとの平和条約交渉挫折や北朝鮮の核ミサイル開発を止めることができなかったことを課題として指摘している。さらに「第5章 TPP・通商 世界でも有数のFTA国家に」(寺田貴)は、トランプ政権で米国が離脱したために消滅しかかったTPPについて米国を除く加盟国11カ国によるTPP11実現に主導的役割を果たす一方、米国がTPP11に反対しないための交渉を並行して進めた戦略性を詳細に紹介している。また、国内農業自由化反対に対してTPP対策委員長に農林族を起用して抑えるなど、「族をもって族を制す」人事の妙を評価している。そして「第7章 与党統制 「首相支配」の浸透」(竹中治堅)では、自民党内人事について信頼する特定の政治化(麻生太郎、菅義偉、加藤勝信、世耕弘成など)を重要な職に起用し続けた一方で、派閥の規模と閣僚数の間の相関(関連の度合い)があまり高くないことから、安倍首相が派閥にそれほど配慮せずに閣僚人事を行ったことを示している。その一方、副大臣や政務官については衆参それぞれの方法で各派閥に一定の配慮をした手法を詳しく説明している。なお、公明党との関係については消費税の軽減税率をめぐり両党の税制調査会長の意見が異なった際に、安倍首相が自民党税制調査会長を後退して消費税の軽減税率導入を支持した経緯を明らかにしている。全体に、関係者のヒアリングに基づく記述だけに安倍政権に対するイデオロギー的な評価とは無縁であり、記録として残すべき貴重な一冊となっている。敢えて言えば、後手後手になりがちであったコロナ感染対策についても一つの章を設けてもらいたかった。◇アジア・パシフィック・イニシアティブ 福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)をプロヂュースした日本再建イニシアティブを前身とするシンクタンク。2017年7月設立。理事長は舟橋洋一元朝日新聞社主筆。 【読書】公明新聞2022.5.2
September 5, 2023
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ジョン・ロールズ斎藤 純一、田中将人著正義を探求した政治哲学者一橋大学教授 田中拓道評正義にかなった社会とは何だろうか。交際的に暴力が支配する世界に逆戻りしているかのように見える今日、正義を問うことにどのような意味があるのだろうか。本書は、生涯にわたって正義を探求した政治哲学者ジョン・ロールズの思想と人生をコンパクトにたどった一冊である。ロールズが1971年に公刊した。『正義論』は、だれもが自分で選んだ人生の目標を自由に探究できるために、「リベラルな平等」を保障すべきだと説いた。その精緻な議論は世界に衝撃を与えた。ただし、彼の著作はどれも大部で、議論は細部にわたり、全体像を見通すことは難しかった。本書は、2010年代にハーバード大学で公開されたアーカイブスなどに基づいて、ロールズの思想的発展と全体像を分かりやすく読者に与えてくれる。特に重要なのは、彼の思想につきまとってきた誤解を丁寧に修正している点である。『正義論』は普遍的な正義を探求していたが、1993年に公刊された『政治的リベラリズム』は、リベラル政治文化を持つ(欧米的な)社会を前提とし、そこで成り立つ正義を探求しているように見える。ロールズは普遍的な正義の探求を断念したのではないか、と言われてきた。しかし本紙によれば、ロールズの一貫した関心は「現実主義的ユートピア」の構築にあった。実際に人びとに受け入れられ、安定した秩序をもたらせる原理を、思想実験を重ねて導こうとしていた。『正義論』から『政治的リベラリズム』への変化は、一貫した問題関心に基づく思想の発展として読めるという。さらに、ロールズが象牙の塔に閉じこもった思想家でもなかった。本書には、若い頃の戦争体験、ヒロシマ体験、公民権運動、新自由主義政権の批判など、折々の体験が思想に与えた影響も描かれる。晩年には、リベラルな政治文化を持たない国と共存し、国際主義を実現する方途についても思索が深められた。現代における正義の可能性を考えるうえで、本書は有益な出発点となるだろう。◇さいとう・じゅんいち 1958年生まれ。早稲田大学教授。元・日本政治学会理事長。たなか・まさと 1982年生まれ。博士(政治学) 【読書】公明新聞2022.4.18
August 24, 2023
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内在的に現在を再考するために東京大学教授 本宮 正史 評 韓国「建国」の起源を探る小野 容照 著 本書は朝鮮近代詩研究者による一九一九年の三・一独立運動に関する研究であるが、一九四五年以後の朝鮮半島の現代史を研究する評者のような者にとっても、関心を惹く魅力的な著書である。朝鮮近代史研究に内在して評価する学問力量を持ち合わせていないので、ここでは、現在においても韓国で展開される歴史認識をめぐる論争に照らして本書の意義を論じることにする。韓国(大韓民国)の起源は当然のごとく一九四八年八月の大韓民国の建国だというのが従来の通説であった。しかし、この大韓民国は、日本の植民地支配からの解放後、米ソの分割占領を経て成立した分断国家であり、「あるべき国家」ではなかった。当初は、北朝鮮よりも劣勢であったが、南北体制競争を「勝ち抜く」ことで、現在では韓国主導の統一の可能性の方が高まっている。二〇〇〇年代に入り、保守勢力と進歩リベラル勢力との間で歴史観の違いが先鋭化する。顕著な違いは民主化以前の「独裁」をどう評価するのかということである。発展のためには「独裁」はやむを得なかったと評価する保守に対して、「独裁「を肯定することはできないと進歩は主張する。また、保守派、分断国家はやむを得ない選択であったと主張するが、進歩は文壇以前の「あるべき国家」の起源として、一九一九年の「大韓民国臨時政府」に注目する。現在韓国で展開される保守と進歩の歴史認識をめぐる論争に関して、三・一独立運動と、その帰結としての「大韓民国臨時政府」への評価が、なぜ、どのように重要なのかを、本書は明らかにする。文壇と統一をめぐって挑戦のナショナリズムは展開されるのだが、左右を含む多様な挑戦ナショナリズムが三・一独立運動という形で収斂しながらも、その後どのような政治力学が働いて分岐していったのかを解説する。さらに、三・一独立運動が、同時代の国際関係をどのように認識し、それとどのような相互作用をもって展開されたのかも明らかにする。こうした知的作業は、挑戦の独立運動の視点から戦間期の国際関係を逆照射しようとするものである。そして、なぜ、それまでの帝政ではなく共和制を指向したのかという問題について、実証的な検討を加える部分は、本書の最も秀逸な箇所である。韓国憲法は、政治体制の違いを超えて、制憲憲法から現在の第六共和国憲法まで、すべて第1条は「大韓民国は民主共和国である」から始まる。現在でも、保守も進歩も若干異なる意味ではあるが、この点を強調する。最後に、日韓関係は益々緊張の度を深めている。日韓の政権交代がもたらすのか注目される。日本では、メディアなどを通じて韓国という国家の「異常さ」が時に強調される傾向にある。ただ、その理解の木方は日本の基準を尺度とした一方的な決めつけという側面が強い。現在の勧告を内在的に再考するためにも、本書はぜひとも読まれるべき書物の一つだと考える。◇おの・やすてる 1982年生まれ。九州大学大学院人文科学研究員准教授。専門は朝鮮近代史。博士(文学)。 【読書】公明新聞2022.4.4
July 30, 2023
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奏鳴曲 北里と鷗外海童 尊 著文芸評論家 末國 善己 感染症と闘った2人の栄光と失敗 医師で、医療ミステリーの傑作を発表している作家でもある海堂尊の新作は、日本の衛生行政を確立した北里柴三郎と森鷗外を主人公にした歴史小説である。感染症の予防や栄養状態を改善する衛生という新たな学問に関心を持った二人は、同時期に現在の東京大学医学部で学び、鷗外は陸軍の軍医として、北里は内務官僚としてその手腕を発揮する。だが親分肌の北里と文学者の顔を持ち繊細な鷗外の性格は対照的で、同じ理想を抱いたがゆえに確執を深めることになる。当時の日本は脚気が国民病で、その原因と治療法の発見が急務だった。漢方医や海軍は玄米食で脚気の患者を減らしたが(これはビタミンを投与する現代の治療法の原点といえる)、伝染病説を採る陸軍は玄米食に科学的な根拠はないとして白米食を続け多くの死者を出す。鷗外は白米を重視する上官の石黒忠徳を援護する論文を書き、陸軍の方針転換を遅らせてしまう。一方、ドイツに留学し細菌学の権威コッホの研究所で学ぶ北里は、破傷風菌の純粋培養と血清療法の開発で注目を集めるが、新薬ツベルクリンが結核の治療には効果がないのに、師のコッホが開発したため治療薬として使い続ける判断ミスをすることもあった。著者は、コレラ、ペスト、脚気などと戦った北里と鷗外の栄光はもちろん、失敗も丹念に追うことで、研究者の功名争い、恩師や上司への忖度を生む学閥、各省庁の縄張り争いによる連携の悪さなどが、感染症への対処を遅らせた歴史を丹念に掘り起こしていく。作中には、日清戦争後、鷗外がこれらの発生を報告し、陸軍の児玉源太郎が反対押しきって帰還兵に大規模な検疫を行い流行を抑えたエピソードがある。新型コロナ下で経済と感染症対策の両立を目指す政府は、検査をせず陽性としたり、水際対策の段階的緩和を打ち出したりしているが、これは科学的で合理的な判断なのか。それらも含め、本書には新型コロナ対策を検証し改善する手がかりが詰まっているのである。 【本のひととき】公明新聞2022.3.26
July 21, 2023
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戦国の世に翻弄された姫の生涯作家 村上 政彦谷崎潤一郎「盲目物語」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の日本地図。そして今日は、谷崎潤一郎の『盲目物語』です。谷崎潤一郎は「大谷崎」と称されるほどの文章家で、日本筋土井文学の小説家の中でも、隋一の明文を書きます。『盲目物語』は、その作家が山籠もりをして、一日に1,2枚しか書けなかったという逸話があるくらいの作品です。少し冒頭のあたりを引いてみましょう。「わたくし生国は近江のくに長浜在でござりまして、たんじょう(誕生)は天文にじゅう一ねん、みづのえねのとしでござりますから、当年は幾つになりまするやら」語り手は与一という盲目の按摩。親は農民をしていたが、両親とも失い、もみ治療の術を身につけて暮らしていました。それがある人の仲介で、戦国大名・浅井氏に召し抱えられ、小谷山の居城へ住み込みで働くことになりました。主の浅井備前守長政は、1人目の妻と折り合いが悪く、2人目の妻を迎えた。織田信長の妹・お市です。長政と信長は縁を取り結んだわけですが、戦国の世のこと、仲違いをして、合戦をなりました。信長は、長政の武士としての器量を高く評価していたので、何度も降伏を呼びかけるのですが、結局、お市と茶々たち娘3人を引き取り、小谷の城の主は腹を切りました。その後、お市母子は尾州清州の里へ帰り、弥市もお供をした。それから10年ほどは平穏な日々が続いて、盲目の弥市にとって、最も幸せだったといいます。やがてお市は柴田勝家に嫁すことになり、またも弥市はお供を仰せつかった。木下藤吉郎から豊臣秀吉を名乗るようになった秀吉は、かつてお市に恋情を抱いていた。そして、出兵となる――。この小説は、ちょっとしたミステリーの趣向もあります。あとの物語は実際に読んでいただくとして、さすが大谷崎と唸らせる文章がいくつかあります。例えば、お市のもみ治療をするくだり。「おんはだえのなみらかさ、こまかさ、お手でおもみあしでもしっとり露をふくんだようなねばりを持っていらっしゃったのは、あれこそまことに玉の肌」――盲人の触角の鋭さを見事にとらえています。また、ことを引きつつ歌うお市の声の描写。「はれやかなうちにもえんなるうるおいをお持ちにならされて、うぐいすの甲だかい張りのあるねいろと、鳩のほろほろと啼くふくみごえとを一つにしたようなたえなるおんせい」――これも見事です。弥市が盲目になったのは4歳です。その時までは、ぼんやり物のかたちが見えていたといいます。「おうみの湖の水の色がはれたひなどにひとみに今に覚えております」この湖は、どれほどか美しいことでしょう。[参考文献]『盲目物語 他三篇』中央文庫 【ぶら~り文学の旅㊿】聖教新聞2022.3.9
June 26, 2023
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歌人・長塚節の作品と生活を描く作家 村上 政彦藤沢周平「白き瓶」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の日本地図。そして今日は、藤沢周平の「白き瓶」です。藤沢周平と言えば、時代小説の名手ですが、本作は評伝です。取り上げた作家は長塚節(たかし)。この人は農民文学の頂点とも言える『土』の作者として名高い。しかし文学者としてのキャリアは歌人として始まりました。親友と呼べる歌人に伊藤佐千夫がいました。二人は切磋琢磨しながら稼働に励みます。長塚は万葉集の作風を持っていましたが、正岡子規と師弟の絆を結び、〝見えるままのもの〟を詠うようになります。稼働を究めようとする一方、茨城県の豪農の長男として生まれた長塚は、家産を維持しようと心を砕きます。乳が政治好きで、若くして県会議員になり、政治に入れあげて借金が増えるばかりだったのです。『白き瓶』は、長塚の文学と生活の両方を描いていきます。当時、稼働には与謝野鉄幹の「明星」グループが重きをなしており、長塚や伊藤は新興勢力で、「馬酔木(あしび)」という雑誌を発表して対抗しました。長塚は、子規が始めた写生文にも手を染め、農村の風景を描き始めます。彼が見ていたのは、例えばこのような眺め――。「節は雑木を抜けて、開墾地の端に出た。まだ丈の低い麦が一面にひろがり、その先には名をつけはじめた菜の花畑が見えた。花の出そろわない一例の菜の花畑は、高低も不揃いで貧しげに見えたが、それでも四方を灰色の雑木林に囲まれた開墾地の色どりになっている」そんな中で、彼のかいた写生文が、ある作家の目に留まりました。夏目漱石です。大学を辞して朝日新聞社に入り、盛んに新聞小説を発表をしていました。漱石は、長塚が長篇小説を書ける作家だと判断しました。長塚のもとへ記者から新聞連載の依頼がありました。彼はいったん断ります。長編小説を書く自信がなかったのです。しかし再び丁寧な依頼があった時には、一篇の物語が構想されていた。それが『土』です。自分が見てきた農の世界を、そのままに描こう――長塚は、そう思いました。「はげしい西風が眼に見えぬ大きな塊をごうっと打ちつけて皆やせこけた落葉木の林を一日いじめ通した。木の枝は時々ひゅうひゅうと悲痛の響きを立てて泣いた」『土』の冒頭の文章です。この小説は、文学少女が喜ぶ作品ではない。30~40回で終わる予定。担当記者もできるだけ早く完結させたかった。それが151回まで続いたのは「これは到底余に書けるものではないと思った」という漱石の激賞と、作品の価値を評価した朝日新聞主筆・池辺三山の裁量によるものでした。この評伝の作者は、その辺りも詳細に調べています。作家・藤沢周平の〝新しい貌〟を見た思いです。【参考文献】『白き瓶 小説 長塚節』文春文庫/長塚節著『土』岩波文庫 【ぶら~り文学の旅㊽】聖教新聞2022.2.9
May 26, 2023
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俯瞰して思考する回路を政治学者 姜 尚中さん右往左往せぬよう歴史に目を開く精神的な言論活動と共に熊本県立劇場の館長、鎮西学院大学学長としても多忙な姜尚中さん。現代日本を代表する知性は、現下のコロナ禍をどう捉えているのか。「オミクロン株」による第6波を、どう超克するかが今後の分岐点になると思います」疫病も災害も、月単位や週単位、あるいは時間刻みの生活などおかまいなしで到来する。姜さんの現在、劇場の運営、留学生の問題などで課題は山積という。「昨年の第5波が収まり、このまま終息してほしいと思いました。でも、第6波の感染拡大で正直、ガクンときた。この次、さらに新たな変異株の大流行があれば、経済的にも心理的にも多くの人にとって大変厳しい状況ができます」しかし、こんな時代にこそ、読書が重要だと姜さんは強調する。特に、〈大文字の歴史(HISTORY)〉への絵を開き、物事を俯瞰すべきだ、と。つまり、個々人の〈微細な歴史〉から離れた、思索の時間が必要なのだ。「目先のことに汲々とすれば、人は右往左往します。心がおれ、ささくれる。ですから、毎日の切実な時間間隔とは別次元の長い時間軸で試行する回路を持ちたい。長いスパンで考えないと、見えないこともあります。歴史に関する本からは、私も多くの啓発を受けてきました。池田先生も、歴史かトインビーの対談集『二十位世紀の対話』を出されましたが、そこで語られた通りです」 現実と知識のチューニングが大切優れた歴史書として姜さんが挙げるのは、ホブズボーム著『20世紀の歴史』。1914年勃発の第1次世界大戦を起点に現代史を俯瞰した名著である。「日本は第1次大戦の戦場とならなかったので、なじみが薄いかもしれませんが、第1次大戦と、同時期のスペイン風邪の現代への影響は多大です。これを読めば、歴史を俯瞰しながら日常を刻んでいく大切さも分かると思います」姜さんは、これに関連して、バーバラ・W/タックマン著『八月の砲声』や、E・H・カー著『危機の二十年』、中村隆英著『昭和史』も薦める。「かたい本ばかりで恐縮です(笑い)。さらに、私が好きなのはトーマス・マンの『魔の山』です。やがては第1次大戦の戦地へ行く若者の生涯が〈大文字の歴史〉と織りなすドラマになっている。作中、雑多な人々が自分の世界史を交換し合っているのが示唆的です。高橋義孝さんの訳書が素晴らしい」娯楽や趣味の読書は尊重すべきとしつつ、共産は読書量を誇示する〈本の好事家〉を忌み嫌う。「娯楽は、読書の半分、あとは現実と切り結ぶために読書します。〈好事家〉を免れるには、アクチュアル(時事的)な現象と知識がチューニング(同調)できるかどうか。これは、加藤修一さんが教えてくれました。現実社会への関心が薄ければ、読書の成果を生かすことはできません。その意味でも、新聞は重要ですね」 カン・サンジュン 1950年、熊本県生まれ。専攻は政治学、政治思想史。現在、東京大学名誉教授、熊本県立劇場館長兼理事長、鎮西学院学院長、同大学学長。新著『『それでも生きていく』(集英社)など著書多数。 【インタビュー私の読書観】聖教新聞2022.2.2
May 23, 2023
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水俣病患者と家族の内面を描く作家 村上 政彦石牟礼道子「苦海浄土」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の日本地図。そして今日は、石牟礼道子の『苦海浄土 わが水俣病』です。「魚は天のくれらすもんでございます。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい」不知火海の漁師が語るこの栄華を、水俣病は滅ぼしました。水俣病とは、熊本県水俣市の新日本窒素肥料水俣工場の廃液に含まれるメチル水銀化合物を原因とする世枚です。海に混じったメチル水銀化合物を魚介類が摂取し、それを食べた人間や動物が発症する中毒性中枢神経疾患をいいます。本作の冒頭を引きます。「年に一度か二度、台風でもやってこぬかぎり、波立つこともない小さな入り江を囲んで、湯堂部落がある。湯堂湾は、こそばゆいまぶたのようなさざ波の上に、小さな舟や鰯籠などを浮かべていた。子どもたちは真っ裸で、船から船へ飛び移ったり、海の中にどぼんと落ち込んでみたりして、遊ぶのだった」このような穏やかな海が、日本で初の公害ともいわれる水俣病に襲われたのです。作者の石牟礼道子は、土地の人びとの異変を見過ごすことなく、彼らの声に耳を傾け、文章に残しました。副題に「わが水俣病」とあるように、彼女自身はこの病に罹患しなかったものの、悲惨な出来事をおのれの身の上に引き受け、言葉を持たない人のために、語り始めたのです。当初、本作はノンフィクションと受け止められ、大宅壮一賞の対象になったのですが、作者は辞退しました。それは水俣病の人びとへの配慮ももちろんあったでしょうが、この作品のなりたちとも関わっているように思います。『苦海浄土』という作品の山場は「ゆき女さき書」と「天の魚」の章でしょう。両省とも危機が木の体裁で、水俣病の患者や家族の言葉で語られているのですが、実は、これは記録ではないのです。作者は「あの人が心の中でい言っていることを文字にするとああなるんだもの」と語っています。石牟礼道子は、患者や家族の内面に深く入り込み、その言葉にならぬ言葉を、私たちにも理解できる言葉にしたのです。 この言葉は、透明な哀しみをたたえている子どもとともに、詩的な美しさも併せ持っています。これが『苦海浄土』という作品の魅力でしょう。 例えば、杢太郎という少年の患者の世話をする祖父の言葉――「この子ば葬ってから、一つの穴に、わしどもが後から入って抱いてやろうごたるばい」 「あねさん、この杢のやつこそ仏さんでござんす」。 『苦海浄土』は、水俣病の単なる記録ではなく、いのちというものが、どういうものかを表現した文学になり得ています。 【参考文献】『新装版 苦海浄土 わが水俣病』講談社新書 【ぶら~り文学の旅47】聖教新聞2022.1.26
May 19, 2023
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宗教の凋落?100カ国・40年間の世界価値観調査からロナルド・イングルハート著 山崎 聖子訳 2010年代に顕著になった世俗化の進行東京大学名誉教授 島薗 進 評著者はミシガン大学の名誉教授で本書の刊行と前後して亡くなっているが、百を超える国や地域を対象とする世界価値観調査(WVS)が始まった一九八一年から二〇一三年まで、世界価値観調査協会の初代会長を務め、意識調査の定量分析を長期にわたって続けた政治学者である。原著の代をそのまま訳すと「宗教の突然の衰退(suddenn dectine)――何がそれを起こしたのか、その次に何が来るのか?」となる。原著の表紙に掲げられた折れ線グラフが示すように、信仰心を計る二四の指標に基づく指数でアメリカ人の「総合宗教性」を三年ごとに分析すると、一九三〇年代から九〇年代までは八五から八〇年代までは八五から八〇ぐらいで推移していたものが、以後、急速に低落し二〇一八年には六五近くまで下落した。WVSでも米国の「神の存在を信じない」という人の数は九九年には四%に過ぎなかったが、二〇一一年に一一%、一七年では一八%、最少年層では26%に達している。二〇〇〇年頃までは世俗化は西ヨーロッパ諸国では進んでも米国は異なると捉えられていたが、今では米国も西欧諸国と同じパターンとみられるようになった。この変化は特に二〇一〇年代に顕著で、この時期に宗教性が上昇していたりさほど変化していない旧共産圏や儒教文化圏やイスラーム圏諸国の動向を踏まえても、世俗化の信仰は明白だとする。著者はこの状況をかねてより持論である「進化論的近代化論」で説明する。科学技術の進歩や生活環境の向上により不安感が減少すると伝統宗教の衰退が進む。それをよく示すのは、「生殖・繫殖規範」が後退しかわって「個人選択規範」が指示されるようになることである。これを示すWVSの質問項目は、「生活における神の重要度」、「生活における宗教の重要性」、「離婚の需要」、「中絶の需要」である。生存の不安が濃い社会で多産が望まれ、それが「生殖・繁殖規範」を掲げる宗教への支持を引き寄せる。かつての世俗化論が重視していた科学的知識の普及とか宗教集団の自由競争の有無とかではなく、社会の進化に伴う生存への主要因だとする。このような人類進化の行先を代表するのは北欧諸国であり、民主主義の指標においても最上位に位置するが、そこでも排外主義の台頭の兆しがないわけではない。宗教がそうした傾向を後押しする傾向もまだ見える。仏教や「宗教は信じないがスピリチャル」現象について触れていないなど、「宗教」の捉え方が疑問が残るが、宗教と世俗化の現在について示唆するところの多い書物である。◇ロナルド・イングルハート ミシガン大学社会研究所名誉教授。シカゴ大学博士号(政治学)。物質主義社会や政治意識の研究で知られる政治学者。著書には『文化的進化論――人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』など三〇以上。二〇一一年五月逝去。やまざき・せいこ 電通総研研究主幹。 【読書】公明新聞2022.1.17
May 10, 2023
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仏(フランス)軍人が残した明治期の記録作家 村上 政彦ピエール・ロチ「日本秋景」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の日本地図。そして今日は、ピエール・ロチの『日本秋景』です。ロチは、フランス海軍士官です。1885年(明治18年)7月に軍務で日本を訪れ、母国が清と戦闘状態にあったため、中国へ向かいますが、9月にまた来日します。それから2カ月ほど滞在し、京都、鎌倉、日光、東京を旅しました。今回は、ロチが日光へ行った時のことを取り上げます。彼は10月のある日、早朝から日光の聖山巡礼の旅に出ます。列車の客室には夫婦らしい日本人の男女がいます。夫は軍人らしく、ヨーロッパ式の軍服を身にまとい、トルコ風の巻煙草を吸っている。婦人は立派な着物に身をつつみ、椿油をたっぷり使って複雑な髷を結い、煙管を吸っている。ロチは、2人の日本人を子細に観察する。彼にとっての旅は、もう始まっているのです。人との出会いも旅の楽しみの一つです。降りた駅は宇都宮。「駅を出ると、広くまっすぐな、真新しい道路が広がっているが、おそらくは鉄道敷設以後のにわか造りだろう。それでもいかにも日本らしい。飴、提灯、タバコや香料を売る小店が、いろいろ変わったごちゃごちゃとした看板を掲げ、長棹の先につけられたたくさんの幟がはためいている」江戸時代から明治時代になって、まだ18年。確かに「にわか造り」の町の様子がよく伝わってきます。当時、ロチの母国フランスではジャポニズム(日本趣味、日本美術愛好)が隆盛を迎えつつあり、彼はその流れを見極め、この日本滞在記を書いたのです。本作の現代は「ジャポリヌリー・ドトンヌ」。訳者によれば、「秋における『日本的なるもの』」というような意味だそうで、モーパッサンやゾラの小説と並び、ベストセラーになった。宇都宮に降り立ったロチは、ガイドと人力車を雇って、8時間かけて日光へ辿り着きました。旅館で日本的なもてなしを受け、翌朝、「帝王(将軍)の墓所」へ向かいます。彼が最も目を凝らしているのは、日光東照宮です。「どこもかしこも黄金(きん)、光り輝く黄金である」。そして、ロチは建物の装飾に至るまで詳細に書きのこしています。珍しい東洋の美を前にして、メモを片手に歩き回る西洋人の姿が見えてきそうです。午後になって見学を終え、帰り道を辿っていると、行きに小遣いをあげた少年に出会った。どうやら待っていてくれていたらしい。その子は、摘んだツリガネ草の花束を渡すと、かわいいお辞儀をして去った。「これは私が日本で受けた、唯一の心のこもった記念の贈り物だった」とロチは記します。いまや世界遺産となっている日光の東照宮ですが、不滅の輝きを放っています。[参考文献]『日本秋景 ピエール・ロチの日本印象記』 市川裕見子訳 中央公論新社 【ぶら~り文学の旅㊻】聖教新聞2022.1.12
May 5, 2023
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少年の成長を描いた自伝小説作家 村上 政彦下村湖人「次郎物語」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の日本地図。そして今日は、下村湖人の『次郎物語』です。下村湖人は佐賀県出身の作家で、『次郎物語』は元々大人のための小説として執筆されました。しかし、作者は主人公・次郎の少年時期を書き直します。そこには、この作品を詠むことで子どもたちにまっすぐ育ってもらいたいという教育的な配慮がありました。物語は、主人公の本田次郎が陰暦8月15日に生まれるところから始まります。次郎は、生母お民の乳の出が悪く、乳母・お浜に預けられます。そこで5歳まで育てられ、大人たちは、そろそろ実家に戻そうとするのですが、うまくいきません。次郎は、お浜に懐いていて離れようとしない。そこで、とうとうお民に連れ帰られることになります。「なわて道がすぎて、村にはいると、お民は、やっと足どりをゆるめ、にぎっていた次郎の手を離しました。/村といっても、一本筋の場末町みたいなところで、曲がりくねった道の両側には、駄菓子屋、とうふ屋、散髪屋、さかな屋などがならんでいました。その間に種油をしぼる家が何件もあり、その前を通ると、こうばしいにおいが鼻をうちました。/どの家からも、まだ明かりが道を照らし、蚊やりのけむりがもうもうと流れだしていました」次郎は、なかなか実家に馴染めず、特に同居している父方の祖母は、兄・恭一、弟・俊三を可愛がり、次郎には露骨な冷淡さを見せます。子どもの心は繊細なもの。次郎は、反抗するように、小さな生き物を殺したり、兄の学校の教科書を便所に投げ入れたり、悪戯を繰り返すのです。本田家で次郎を理解してくれるのは父・俊亮だけでした。彼は本田家が破産して、先祖伝来の宝物を売立した後も、次郎に、本当の家の宝は「自分がしなければならないことは、どんなに苦しくなっても、やりとげるということだ」と訓戒する大きな人物です。お民の実家の正木の祖父が、差別される次郎をかわいそうに思って、この子を預かると申し出たときも承諾しました。ところで、作者の湖人はちょくちょく作中に顔を出します。例えば、俊亮が家の宝について説いたが、次郎はちゃんと理解できたのか、と問い掛け、こんな台詞を残す。「この答えは、みなさんで、めいめい考えていただくほうがいいと思いますので、わたしからは、なにもいわないでおくことにたしましょう」湖人は、長く教師を務めていたので、こんな按配なのでしょうか。起伏に富んだ物語がテンポ良く展開するので、説教臭さはあまり感じません。結末で、お民が死病の床に伏し、母子の心が通じ合うくだりは泣かせます。湖人の小説家としての高い力量がうかがえます。[参考文献]『次郎物語 上下』 講談社 青い鳥文庫 【ぶら~り文学の旅㊺】聖教新聞2021.12.22
April 18, 2023
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経済の都市に一体 何が起きていたのか法政大学名誉教授 菱田 雅晴 評 香港政治危機倉田 徹著 グルメと観光の都市、アジアの国際金融センター——こうしたソフトなイメージの香港から映し出されるのは、激しい衝突場面の映像だった。反国民教育運動(2012年)、雨傘運動(14年)、逃亡犯条例改正反対(19年)等々、デモ隊と警官隊の衝突場面は北京の六四天安門事件(1989年)すら思い起こされる。97年の中国本土への〝復帰〟により、「一国両制」の下、経済活動に一層邁進するはずのノンポリ香港がいつの間にやら政治を主旋律とするようになってしまったのか、一体何が起きてきたのか。本書は、香港研究の第一人者による、この問いへの格闘の軌跡である。010年代香港では激しい政治化が進行したと捉えた上で、その変貌の原因は単一の事象・減少等に求めることはできないと論断する。香港・中国・世界のレベルにおける政治・経済・国際関係などの側面の変化が、香港の政治化を加速させる方向に作用した結果が、10年代の激変であり、19年以降の民主化の頓挫、政治危機をもたらしたという。著者は、中央政府の対香港政策の変遷(第1章)を辿った上で、大規模な民主化運動における変化を追う(第2章)。とりわけ「中香矛盾」と言われるような中央政府や大陸中国人に対する香港市民の反発の原因(第3章)を探り、選挙制度の民主化過程の複雑さ(第4章)を指摘する。香港の自律的な市民社会と共産党政権がどう向き合ってきたか(第5章)が焦点であり、19年の抗議活動発生後に起きた香港をめぐる国際社会と北京の対立の背後にある構造変化(第6章)を剔抉している。確かに、北京中央政府の態度、香港自身の課題、そして米国等の国際社会それぞれが香港の変貌に作用したのは紛れもない。だが、著者はさらに問いを進める。例えば、香港の政治化過程と習近平体制の強権姿勢という関連も、抑圧の不自由のゆえに香港市民が抗議活動を起こしたとする解釈の一方で、大陸の立場からは過度に自由だからこそ抗議活動が発生したとなる。果たして、どちらなのか。香港自身の内的要因を巡っても、住宅問題、若者の社会的地位上昇の困難といった経済社会問題こそが政治家の根本原因なのか、それとも香港人がこうした物質的な価値よりも民主・自由・環境といった非物質的価値を追求するようになったことに政治家の要因を見出すべきなのか。香港人への開国教育の不足が反中感情の原因なのか、それとも愛国教育が生んだアレルギー反応なのか。さらには、国際要因の文脈でも、米国の扇動を介入の根拠とする中国に対し、中国に対し、中国の強権化を介入の根拠とする米国他大国が香港を翻弄しているのか、香港の事態が大国を巻き込んだのか……。これらのパラドキシカルな状況に対して「一国両制」下の香港そのものが二律背反的で逆説的な土地なのだと著者は慨嘆しているが、本書が、香港の変貌に衝撃を受け、そこに民主主義の危機を見出す人々に大きな手掛かりを与えてくれることは間違いない。なお、ジョン・M・キャロル『香港の歴史』(倉田明子・倉田徹訳、明石書店)を併読すれば、より長いスパンで香港の物語を感得できる。◇くらた・とおる 立教大学法学部政治学科教授 【読書】公明新聞2021.12.20
April 17, 2023
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子どもたちの権力闘争を描く作家 村上 政彦柏原兵三「長い道」本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の日本地図。そして今日は、柏原兵三の『長い道』です。作者の柏原兵三は、千葉県に生まれ、東京育ちます。その間に太平洋戦争があって、富山へ疎開しているので、『長い道』は、ほぼ実体験だと思っていいでしょう。昭和19年、主人公の「僕」潔は、父の故郷で、北原の日本海沿いにある舟原村へやって来ます。「海辺では、に、三人の小さな子供たちが真裸で水浴びをしているだけだった。海は波一つなかった。ぼくは持参した赤い褌を閉めると簡単な準備体操をしたのち、海の中に入っていった。水は少し冷たかったがすぐになれた。海はすぐに深くなった。ぼくははるかかなたにぼんやりと見える能登半島に向かって得意のクロールで泳いだ」半農半漁の地域は、のどかで穏やか身見えます。この小説は「少年時代」というタイトルで、漫画家、映画化され、映画の主人公はシンガー・ソング・ライターの井上陽水が歌いました。あの郷愁を誘う詞やメロディーに魅せられて、カラオケで歌った方もいるのでは? ちなみに、私の持ち歌の一つです。しかし、原作には、映画や主題歌のもつ郷愁はあまりないようです。5年生男組の級長は、進むという少年。勉強も運動も良くできて、大人たちには、評判のいい子です。しかし、裏の顔があって、気に入らない生徒は、のけ者(仲間外れ)にし、級友からも旨いものを徴発。横暴な権力者として振る舞うのです。東京で級長を務め、勉強ができた潔は、最初こそ、一緒に受験勉強をしようと持ち掛けられ、いい友ができたと喜んでいたのですが、何が進の癇に障ったのか仲間外れにされました。それも、何度も、何度も。潔は読書家で、進に命令されて集団登校の行き帰りに物語をするのですが、貶められている屈辱を偲びます。そして、進むに反発しながらも、他の級友を押しのけ、御機嫌を取る自分を〝本当の自分が壊された〟と感じます。あの時、ついに反乱が起きました。しいたげられてきた少年たちが結束して、進を権力の座からひきずり下ろしたのです。潔は、自由になれる! と喜んだものの、変わってトップに立ったのは、乱暴で素行の悪い松という少年。これならまだ進の方がましだったと思います。『長い道』は、子ども社会の葛藤を描いていますが、この時期、大人の世界では戦争が続いていることを忘れてはいけません。作者の目は冷徹です。子どもたちの幼い権力闘争を、軍事力を使った大人たちの権力闘争の縮図と見ている節があります。力で支配する者は、力で倒される。力が現実を動かすのです。原作は、かなりビターな味わいがします。[参考文献]『長い道・同窓会』 小学館 【ぶら~り文学の旅㊹】聖教新聞2021.12.8
March 28, 2023
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