皆さん、こんばんは~。かりんママです
さて…西軍有利な状況から
東軍勝利へのきっかけとなった
小早川陣跡に向かいます
松尾山は標高300メートル程…と聞いたので
夏休みに登った、標高700メートル超えの岩村城行けたし
大した事なく登れるだろう…と思ってたんですが…
最初は、ゆるやかな感じで
楽勝っぽい…と思ってたけど…
やはり途中からキツクなって来て…
結局ゼーゼー言いながら登ってましたよ
なんでか…折角登ったのに
また下って…そこからまた登る…みたいな道なんですよね~
やたら登り下りを繰り返して…
ようやく山頂の陣跡に到着しました
やっと着いた~って感じです
途中…まだ着かないのか…と嫌になりかけてましたよ
でもやっぱり、苦労して到着した山頂からの眺めは良いですね~
こちらでも、地元の方が烽火をあげておりました。
しばし休憩してから
お次のチェックポイントに向かいます
松尾山を下り、民家の間を抜け…
しばし、平坦な道をず~っと歩いて行きます
途中、神社もありましたが…
とにかく次のチェックポイントを目指し歩き続けます
コースからちょっと外れますが
道案内の地元の方がお勧めしてたので
常磐御前のお地蔵様を見に行く
またコースに戻り、
常磐御前の墓に到着。
こちらは、チェックポイントではないのですが
常磐御前の特別千社札が貰えます。
休憩所にもなっていて
到着した時、お茶とお菓子も頂いたので
ちょっと休憩。
↓こんなスタンプも押させてくれました。
一息ついてから、お次のチェックポイントへ…
お次もちょっとした山の中にありますが…
小早川の所ほど大変じゃないので一安心
到着したのは、絶対来たかった
大谷 吉継陣跡。
ここから、小早川に睨みをきかせていたのですね~!
すぐ側に、大谷 吉継の墓もあります。
右側が吉継の墓で
左側が湯淺 五助の墓。
湯淺 五助は吉継の側近ですが
吉継自害の際、その首を埋め隠した人物ですね。
藤堂 高虎の甥 藤堂 高刑(仁右衛門)に捕まった際
主人の首の在処を藤堂に正直に伝え
供養を頼んだ上で討たれました。
敵ながらに感心した藤堂は、
家康からの詰問にも決して吉継の首の所在を口外せず、
合戦後、約束通り吉継の墓をこの地に建てたとされてるんだそうです。
関ヶ原は、沢山の裏切りなどあったけど
負け戦と分かって参戦した吉継とか
この湯淺 五助の話とか…
仁義や忠義を感じさせるお話も多いですよね~。
西軍の方に、やっぱりどうしてもそういうお話多いけどね
だから、西軍派の人が多いのかな~とか思っちゃいます。
またも長々しちゃったので
続きはまた明日~。
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