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東電福島第1原発の事故以来、購読している朝日新聞の「朝日歌壇・俳壇」に採用された短歌と俳句の中から原発、原発事故に関わる作品(原爆を詠んだものを含めて)の抜き書きを ブログ
にまとめて投稿しているが、事故から10年を経た最近はそのような作品は極端に少なくなった。
人はそのようなことを原発事故への関心の「風化」と呼ぶことが多いのだが、そうそう簡単に「風化」ということで括れないのではないか。もとより、新聞の投稿欄である以上、自ずとその時々のトピックに主題が集まってしまうのは避けられない。マスコミは〈事件〉を消費せずにはいられないのだ。
原発事故の直接的な被害を受けた歌人や俳人、わが家(故郷)を捨てて避難した俳人や歌人も投稿を続けているが、しだいに投稿数が減っている。しかし、これはけっして「風化」などではない。10年前と同じような思いや感情が続いていたにせよ、それを短詩形式で表現しようとすれば、類型的な作品を避けるために自ずと同じ主題の作品数は減ることは大いにありうるだろう。これは風化などではなく、単に表出の問題に過ぎない。
風化が起こるとすれば、それは事故・事件の周辺(の人々)で起きるだろう。つまり、事故・事件後をどう生きるかに関わっているのだと思う。それは、辺見庸さんが語った(『週間金曜日』2014年4月11日号、p20)ように、原発事故後に原発事故を「サブスタンス」として生きるか、「ロール」として生きるかの違いに依っているのだと思う。
事故・事件をまっただ中で生死を賭けるように体験した当事者は、否応なくそれをサブスタンスとして生きるしかない。そこには「風化」などというものはない。一方、原発事故の周辺だった人々(の多く)は、事故後の反原発、脱原発を「ロール」として生きることが多いだろう。「風化」はそういう人々の間で起きるだろう。事故から2、3年後まで国会周辺、首相官邸前に集まった圧倒的な数の人々の姿はもうない(もちろん、風化しない、風化させない人々の抗議活動は続いてはいるが)。
だから、「風化」も「サブスタンス」も「ロール」もわたし自身の問題なのである。
元鍛冶丁公園から一番町へ。(2021/10/15 18:16~18:30)
夏の疲れが出たせいか、体調不良で金デモを二週続けて休んでしまった。仕事をしていたころには、同じような秋の体調不良が2ヶ月ほど続くこともあった。退職後は、そのような不調は2日ほど休んでいれば回復していたのだが、最近は回復までの期間が少しずつ長くなり始めている気がする。今回は8日ほど要した。少し嫌な気分である。
10月の半ば、夕方どころか十分な夜の暗さのなかで金デモの集会は進行する。元鍛冶丁公園について、カメラを取り出し初めて押したシャッターは暗すぎて下りないのだった。
30人のデモが出発してからも、シャッターが下りない場面が何度かあった。こういう時には、シャッターが下りてもあまりいい写真にはならないのである(帰宅して確認したら、その通りだった)。
一番町。(2021/10/15 18:35~18:42)
衆議院選挙選挙が10月31日になった。自民党総裁の首のすげ替えが選挙に好結果をもたらすだろうというだけの新自民党総裁の姑息な判断である(とはいえ、スガ前総裁の就任時より内閣支持率が低いという世論調査があったのだが)。
コロナ禍で多くの(ほとんどの、と言ってもいい)国民が苦しんでいるときに新しく就任した首相が国会審議よりも闇討ちのような選挙を選ぶという行いは明らかに政治的暴力である。
もとより権力は政治的暴力を内包しているというのは、保守であれ、リベラルであれ、ほとんどの政治家が認めているのだが、かのハンナ・アレントは権力と暴力のそのような関係を否定しつつ、全体主義(ナチズムとスターリニズム)を歴史的に断罪しているのである。
いまや、自公政権が単なる保守主義を踏み外して右翼ファシズムを体現しつつあるのは、資本主義社会の良識的規範たる現憲法を無視して、国会開催義務を忌避しつつ、ご都合主義的に国会解散権を乱用する今次の衆議院選挙日程の決定の経緯にも見ることができる。
暴力と無縁である権力の実現というのは、今の日本には理想どころか、その片鱗すらうかがえないのである。ハンナ・アレントという稀有な政治哲学者の労苦など「どこ吹く風」なのだ。いや、政治哲学と呼べるような何ものかを有している自民党の政治家はたぶん存在していないだろう。
私のごく常識的な予想より半月以上も選挙が早まって、個人的には少しばかりアタフタした。8月の仙台市長選挙のときから、町内の高齢者の投票支援を始めたのだが、しっかりした支援体制ができていなかったのである。
市長選挙のときは初めての試みで、支援依頼が少なかったこともあって、投票所までの送迎は私一人だけで行うことができたが、投票支援のことがきちんと知られるようになれば一人では無理になるだろう。それなりに十分な告知と支援体制構築のスケジュールを考えていたのだが、予想より早い選挙となって慌てたのである。
自公政権というのは本質的に「はた迷惑な政権」なのだが、選挙日程という点でも町内の福祉活動には「はた迷惑」そのものなのである。もっとも、とにもかくにも支援組織(3人だけだが)ができて、私自身は半日の選挙立ち会い、半日の投票支援ということになった。その点では、なんとか私の31日は充実した日曜日にできそうな予感がする(選挙結果が伴えば最高だが)。
青葉通り。(2021/10/15 18:47~18:54)
なぜか今日は夜の闇が深く硬いように感じる。もとよりカメラと闇とは相性が悪いのだが、カメラそのものが闇に拒否されているような感じなのだ。案の定、帰宅して写真データを整理してると、いつもよりはるかに出来が悪い。いつもならdeleteするような写真を頼りにこのブログを書いているのである。
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