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「夜の花」などというと酔っ払いが夜の盛り場をほっつき歩いた話のように思われるが、ただ単にわが家の庭に咲いた花を夜に撮ったというだけのことである。梅や桜の花を撮りに出かけ大量の写真の整理に追われていたが、わが家の小さな庭にも春は忘れずやって来ていくつか花が咲きだした。夕食を食べ終えた後、その庭の花のことを思い出して、写真を撮ろうと思い立った。 昨年からの熊の出没騒ぎは治まらず、4月に入ってからも市内の住宅街で麻酔銃を使って捕獲するというニュースもあった。春になれば山に入って、山草、野草の花の写真を撮っていたのだが、近郊の山こそ危険なように思えて山に入るのは避けようと思っていた。その山の写真を撮るためにLEDリングフラッシュを用意していた。小さな花のマクロ写真に必要な光量が不足するときや花だけを際立たせたいときにレンズに装着して使おうと思っていたのだが、じつはまだ一度見つかったことがない。花を撮りたいという気持ちもあったがリングフラッシュを使ってみたいという気持ちも強かった。 先ずは使用説明書を10分ほど読んでからマクロレンズに装着してから庭に出た。シャッターを押すと光る普通のフラッシュのようにも使えるが、LEDを付けっぱなしでも使える。その方が見たままでオートフォーカスが使えるので、明るい時に取るときと全く同じでなんの工夫も技術もいらない(それがいい写真のなるという保証はないが)。 はじめにシラネアオイとニホンサクラソウを撮った。どちらも山草で、思い出せないくらい昔に入手したものだ。一時期山野草に夢中になったことがあったが気難しいもの多く、枯れたものには二度と手を出さないと決めていたのであっという間に熱が冷めてしまった。このシラネアオイとサクラソウは延々と生き延びてきたのだ。 次に下草用にと購入した背丈5㎝ほどのベロニカ オックスフードブルー、日蔭に咲くプルモナリヤを撮った。 地べた付近の花の後は、生け垣の椿の花である。生け垣のほとんどはヤブツバキなのだが、なかに何本か40年近く前に購入した品種が混じっている。昔のことなので品種名はすっかり忘れてしまっている。花の名を忘れても、何の不都合なく楽しめるので特に調べる気にもならない。 写真をPCで整理していて気付いたのだが、何となく写真の色温度が低いように思えた。LEDが完全に昼色光を再現しているかどうか確かめようがない。色温度を上げるようにほんのわずか修正してみた。私が実際に見た色に近づくが、あまり修正するのもためらわれる。人工的な写真にしたくないのである。ネットで真っ赤な(ほんとに真紅の)太陽を見せられてうんざりするすることがある。朝陽や夕陽の写真を過剰修正(修正の域を出て)すれば可能なのだが、写真なんかやめて絵を描けばいいと思う(人それぞれと言えばそれまでだが………)。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.05.17
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西公園、榴岡公園、松音寺と続けて桜の写真を撮りに行った。もう一ヵ所、桜の季節ではなかったが松音寺と同じ日に訪ねた陸奥国分寺跡・薬師堂の庭にもたくさんの桜の古木があって気になっていた。仙台に10年ほど住んでいたという人に「仙台では薬師堂の桜が一番良かった」と聞かされていたこともあって、榴岡公園に行った翌日に出かけることにした。直通の地下鉄の6駅目に薬師堂駅があってアクセスはすごく容易なので、妻も行くということになった。 西公園や榴岡公園と違って人出は多くないし、もちろん朝からブルーシートをひいて花見の場所取りをするなんて人はまったくいない(もっとも、寺内の庭で花見宴会をするのはさすがに憚れるのかもしれないが)。桜の木はたくさんあるのだが、花見用宴会場向けの公園のようにやたらたくさん植えられているわけではない。庭園らしい配置で植えられているのでとても落ち着きがあっていい。それでもカメラの構図の中には必ず桜の木が入るので、ある意味、カメラマンの構図決めの才能が試されている感じがしないでもない。 私がカメラ位置を探してどんどん歩いて回っている間、妻はゆったりとしたぺースで桜を見て回っている。薬師堂は広い陸奥国分寺跡のほんの一部で、それ以外は公園になっていて、桜木は多くないがそれなりに桜の古木が配置されていて、かなり歩き回ることになった。 妻を探して薬師堂前まで来ると、ベンチに座っている妻を見つけたが隣で熱心に話しかけている人がいる。薬師堂の近くの人で、薬師堂についていろいろ説明してくれているのだった。山形城跡の霞城公園に行った時も懇切丁寧に解説してくれた人がいたが、若いころ山形を離れ、退職してから故郷に戻ってきたという人だった。こちらの人は転勤で仙台に来て退職後も住んでいるという人だった。どうも、生れついたところでずっと暮らしている人よりもそこの場所に強い愛着を持つためにはそこから離れて暮らした経験があるほうがよいのでないかと思えるのだった。 薬師堂の桜も撮り終えた。これで私の桜のシーズンは終った(と思う)。もっとも、遅咲きの山桜や八重咲の種類はまだ咲いていないのが気にはなるが………。 「来年は桜を追って北上する旅行をしようか」と妻に言ってみると笑いながら「いいわね」と返事をするが、たぶん実現しないと高をくくっていい加減に相槌を打っているのがありありと見えるのだった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.05.06
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榴岡公園と隣の天満宮の桜の写真をたっぷりとって、十分にカメラ遊びを満喫したので終了ということにしようとカメラをバッグにしまいかけたとき、松音寺に行こうと思い立った。足にはまだ余裕がある。松音寺は、朝歩きだした宮城野通駅の一駅先、連坊小路駅近くにある。ふたつの駅と榴岡公園はほぼ正三角形に頂点に位置する。その三角形の一辺を歩けばいいので、とくに歩行距離が増えるわけでもない。 20年ほど前、休日にはよく長散歩と称して犬と一緒に遠くの街まで徒歩で出かけたものだった。そんな散歩で桜の時期に松音寺の前を通ったことがある。道から奥まったところに山門があり、そこまでの参道と桜が醸し出す雰囲気がとてもよかったのでずっと記憶に残っていた。犬連れなので寺内に入ることは遠慮して通り過ぎただけだった。先日、桜の季節ではなかったが松音寺を訪ねて寺内を一通り見る(撮る)ことができた。 今日こそ松音寺の桜が撮れると意気込んでいったのだが、山門前の参道は遠足の幼稚園児たちがあふれていた。桜の季節からなのか参道には長椅子が並べられていて、子供たちのリュックや水筒が置かれていた。子供たちの顔が写りこむのは避けたいのでレンズは上を向くしかないのだが、桜だけが写っても参道の雰囲気はどうに名ならないのだった。 子供たちがいっせいに参道わきの庭園の方に移動したのでチャンスと思ったもののかならず数人の子供と先生が残っているのだった。非常に窮屈な感じの撮影になったが、これもカメラ遊びの妙味の一つだろうとけっこう納得してシャッターを押し続けた。 構図は思ったように自由には撮れなかったもののそれなりに満足して、道向かいの松音寺の墓地に移動した。ここにも大きな桜の木があって、「墓石と桜」など言うテーマが思い浮かんだが、どうにもいまいち良い立ち位置が見つからなかった。 帰りは連坊小路駅から地下鉄に乗るのだが、もう一つ先の駅は薬師堂駅である。陸奥国分寺跡の薬師堂の庭にもたくさんの桜の木があったが、それは後日ということにしては逆方向の電車に乗って帰ってきた。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.28
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西公園の桜の木と花はたっぷり写した。西公園は仙台旧市街の西端近く、仙台城跡の広瀬川向かいにある。旧市街の東部には榴岡公園があって、こちらも桜の(花見の)名所である。とはいうものの、榴岡公園の桜が咲いているのを一度も見たことがなかった。20年ほど前、季節外れに犬と一緒に1時間ちょっと歩いて公園で遊んだことがある。つい先日は、榴岡天満宮の梅の写真を撮りに行ったとき、梅の花を探しに公園に入って少しだけ歩いた。梅の木は少しだけ、冬木姿の桜木をたくさん見ただけだった。 西公園で桜をどう撮ったらいいのか、その入り口がほんのちょっとだけ見えたような気がして、もう少し桜を撮っておこうと榴岡公園に出かけることにした。この年ではさすがに徒歩は無理なので、ちょっと距離があるが地下鉄の宮城野通駅から歩くことにした。 西公園の経験から、広角レンズで撮る桜木の景色がとてもいい感じに写ることが分かったので、今日は一眼レフに広角レンズ、ミラーレス一眼にズームレンズを装着して左右の肩に振り分けての撮影である。野外でのレンズ交換というのはけっこう気を遣うので、大げさな恰好ながら気楽に歩き回れるのである。午前9時頃、もうけっこう人出がある。外国人らしきグループもあちこちにいた。そのような団体が、気に入った場所では入れ代わり立ち代わりして記念写真を撮っているので、ひと廻りしてからそこの写真を撮ろうと戻ったら、まだ終わらずに一塊になって撮影が続いているということもあった。 榴岡公園の桜風景は、西公園に比べるとかなり赤みが強い。ベニシダレの木が多いのである。ベニシダレが並木のように並んでいる場所もあった。どういうわけか、「シダレザクラ」とや「ヤエベニシダレ」の表記だけがあった。いろんな桜があるのだが、品種名がわからないのが残念で、先日の梅園のようにほぼ全ての木に品種表示があるのと比べると淋しい限りである。もっとも、花見酒に浮かれる人たちには桜が咲いていれば(咲いていなくても)品種などはまったく気にしないのだろうけれども。むかし、西公園の桜には品種名がついているときがあったが、今は一つもない。公園というところはそんなものなんだろうか、と改めて不思議に思う。梅園のように桜園というものがあっていろんな品種が集められ、きちんと品種名が表記されている施設がどこにあるのだろうか(あればぜひ教えてほしい)。 さて、榴岡公園の撮影が終わって、先日梅の花を撮った榴岡天満宮へ回った。まだ花の咲いていなかった桜の古木が気になっていたのである。広くない天満宮に大きな桜木が4、5本あった。どれも高木なので花の近接写真は無理だったが、ここでも広角レンズが大いに役立ったのである。 もう帰る時間だが、まだまだ足に余裕があったので、これから西音寺まで足をのばして山門前の桜を狙うのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.25
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モミジの芽吹きの写真を整理しているとき、西公園の桜が見ごろになっていた。今年の春は梅の花の写真をたくさん撮ったあとに、桜も撮らなきゃという気分が盛り上がっていた。なるべく早い時間にと思ったが、家を出たのは9時ごろだった。 西公園では、まだ勤めていたころ職場の行事として2度ほど花見をしたことがある。その他にはとくに桜を見に西公園へ行くということはなかったが、そこの桜はしこたま見ていた。西公園は30年ほど私の通勤路の一部だったのである。桜の時期の朝、出勤で公園を抜けるときはアルコール臭も混じった異様な匂いに悩まされ、暗くなって帰宅するときにはふらふら歩く酔っ払いにぶつからないように歩くというのが嫌だった。いい記憶がないのだが、もちろん桜のせいではなくひたすら人間のせいなのである。 公園に着いたが、開花して日が浅いせいか、管理が行き届くようになったのか、人間がおとなしくなったのかよく分からないが、昔のような悪臭は全くないのだった。通勤路に使わなくなっておよそ25年、変われば変わるものだと少し気をよくしてカメラを取り出した。今日は初めに広角レンズで遠景、桜の木の全景などを撮りながら一回りし、次にズームレンズで様々な距離、アングルで撮って、さいごにマクロレンズで花の拡大写真を撮りながら一回りするという計画である。この計画には歩数を稼いで健康に資するという欲も絡んでいる。 レンズを替えてたくさん写真を撮ったのだが、結局気に入ったのは広角レンズで撮った写真ばかりになった。花のアップの写真もきれいなものが多いが、梅の写真で見慣れているせいか、広角レンズのため周囲が歪んだ写真の方がとても新鮮に見えるのである。 西公園から広瀬川向かいの青葉山公園の「桜の小径」に回ってそこの写真も撮った。 梅は品種名が表記されている梅園で撮ったが、公園の桜にはそれがない。いずれ、種名を調べることになりそうだが、そのときにはマクロレンズで撮った写真が役に立つだろうと思う。 さて、西公園の桜だけで終わりそうもない。市内のいくつかは回ろうと思っている。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.23
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「斜面に蕗の薹がいっぱい生えてたよ」と妻が言う。車の窓から見たというのだが、どこの斜面なのか、さっぱり要領を得ない。地理の説明がへたくそなのである(たとえば、Aに行きたいと言われ、どこかと訪ねるとBの隣という。Bはどこにあるのかと尋ねるとCの向かいといわれる。AもBもCも知らない私は行きようがないのである)。どこを通ったかきくと、順序はばらばらだがおおよその見当がついた。そのコースで斜面に蕗の薹がたくさん生えて場所は1か所しかない。私が去年の春、蕗の薹を採ったところである。 さっそく翌日の早朝に蕗の薹を採りに出かけた。梅花の写真をたくさん撮り、その整理に夢中になっていて、蕗の薹のことはすっかり忘れていて、少し大きくなりすぎていた。とはいえ、漬物にする予定なので柔らかそうな部分だけを摘んできた。大きくなっていた分だけ、袋は15分ほどで満杯になって帰ってきた。 今日の本題は、その帰り道から始まる。東北大学の川内キャンパスの間を千貫沢が流れていてその斜面に生えている木々が芽吹き始めていて、冬木の廻りをうっすらと淡く赤みがかった空気が包み込んでいるように見えて、しばらく眺めて楽しんだのだが、これを写真に撮ろうと決めた。 その翌日、陽が昇り始めるころ千貫沢の遊歩道に入った。ところが沢が深くて、沢底からは高い木の芽吹きの写真は無理だった。さいわい両岸に沿った道もあるので、そこからカメラを向けることにした。 同じような芽吹きなのに色合いが違うもの、葉だけの芽吹き、葉と花芽が同時に芽吹いているものなどいろいろあるのだが、そのどれもが、モミジ、カエデの類なのだった。ほかの木々も芽吹いているのだが、モミジ類と比べるとぱらぱらとしか目がついていないので私の腕では絵にならないのである。 梅の花の写真を撮りながら「仙台の春」を感じていたのだが、それより後の木々の芽吹きの方がはるかに「春が来」たという実感がする。「芽吹き」と「落葉」こそが季節をよく象徴するのではないか、などと大げさなことを考えた。いずれにせよ、来年以降もカメラ生活が続けられるのなら、「芽吹き」と「落葉」も大切なテーマにしたいとは思っている。 そんなことを考えながら写真の整理をしていたら、テレビで開花宣言の出た仙台の桜は数日後に見ごろになるのではないかというニュースがあった。梅花をたくさん撮ったので、桜花も撮らなければ落ち着きが悪い。そう思っただけで忙しない感じになるのだ。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.21
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生まれ故郷の墓参に出かけた翌日、せんだい農業園芸センターの梅園に急遽行くことにした。テレビのローカルニュースがセンターで観梅会を開いたと報じていた。観梅会を開くぐらいなら、今頃が梅の盛りなのではないかと思ったのである。 「行くか?」「行く!」いうことで今回も妻も一緒に車に乗り込む。二度目だが仙台の中心部を通り抜けるのでやはりナビを使った。街中ということもあって1分ほどの違うコース候補が何本もあって、考えると混乱するのでナビが教える最短コースなるものにひたすら従うだけである。 さすがに今日の人出は多いが混んでるというほどではない。人数的には先日の倍くらいであろうか。一目眺め渡すと、梅花満開という体である。しかし、写真を撮り始めて気づいたのだが、その多くは先日にも咲いていて撮り終えているものも多く、中には満開の時期を過ぎてしまってややくたびれた花になっているものもある。 数枚のシャッターを押して横を見ると大きなインコを歩かせながら散歩している女性がいた。会釈しようとしたらインコがわらわらと急ぎ足で私に近づいてくる。びっくりしていると女性が抱き上げて道に戻したのだが、やはり急ぎ足で私に近寄ってくる。写真を撮ろうと思っても動くのが早すぎてピントを合わせるのが難しい。それでも何とかしようと構えていたらもうレンズにくっつくほど近くに寄っている。しょうがなくて手を出してみたら私の手の乗るのである。犬と猫はお手のもだがこんな大きなナインコは初めてでどうしたものか戸惑ったが、そのまま女性のところに行って手渡した。その次に寄ってきたときには「写真の邪魔になるでしょ」といってすぐに抱き上げてくれた。せっかくのお言葉なのであらためて写真を撮り始めたものの、振り向いてみれば面白がって集まってきた人の手や肩に乗ってぞろぞろと梅を見ない集団散歩が始まっていた。 グリーンカラーのインコで、私がたまたま着ていたグリーンのジャケットを見て仲間や親兄弟、とくに自分のおじいさんとかを思い出したのかなどと思ったが、飼い主さんとずっとおしゃべりしていた妻が「男の人が好きなんだって!」と興味半減の結論を言うのだった。 この日新しく撮った品種は15種類だった。満開状態の梅園にやや興奮して次々シャッターを切っていたのでかなりの種類を撮ったと思っていたが、先日の品種とかなり重なっていた。撮った記憶がある種類はスルーしていたつもりだったが、老人の記憶があてにならないことを再確認する始末だった。 2回目の梅園撮影で手際よくなったのかけっこう早く撮影は終わった。昼にはだいぶ時間があったのでさっさと帰ることにした。もうちょっとぐずぐず行動してここで昼食できたら食事の用意が1回減るのにと気が付いたときには車に乗っていたので後の祭りである。シャッターを押すのに夢中になるという年甲斐もない戦略ミスをしたのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.11
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榴岡天満宮と西公園で続けて梅の花を見た。すこしばかり勢いがでたので、次は梅園でたくさんの梅を見ようと思い立った。ネットで調べると仙台で梅園と呼べる(宮城県に範囲を拡大しても同じだった)のは「せんだい農業園芸センター」の中の梅園だけだった。かつて梅園があった「養種園」が、郊外の広い敷地に移転してせんだい農業園芸センターになったとき、その梅園も移設された。養種園時代には2度ほど行ったことがあったが、移転した後は行ったことがない。 絶対に行くと言い張る妻と9時半ごろ家を出た。ひたすら東に向かい、まもなく太平洋に突っ込むのではないかと思えるころ、ようやくセンターに着いた。駐車場にはかなりの数の車が停まっていたが、広い施設に人はまばらにしか見えない。梅園を見渡しても7、8人の姿が見えるだけで、ゆっくりカメラを持って回れそうで少しばかりほっとした。 それぞれの梅の木には品種名が表示されていて、混乱しないように初めに品種名を写し、それからその木の花を写すということを繰り返した。 だいぶシャッターを押したのだが、まだ梅園の半分ほどしか歩いていない。私から離れてあちこち見て歩いていた妻が「蔵王がきれいに見えているよ」とトイレの裏から呼んでいる。しかし、蔵王は見えるもののごちゃごちゃと夾雑物も映るので、いったんセンターを出て広い田んぼのほうにしばらく歩いて仙台市街の向こう、雪をかぶった冬の蔵王連山の写真を撮った。仙台市街から蔵王を見ることは難しいので、とてもいい機会になった。 ふたたび梅園に戻って撮影を再開したが、どこまで撮ったか忘れてしまって少しうろうろした。その時に目に入ったのは、先日西公園で写したのと同じ臥竜梅である。説明によると、政宗が持ち帰った二本のうち一本は、政宗の隠居所である若林城に植えられたがその後継樹が養種園を経てここに植えられているのだという。この木もまたその樹形が人目を引き付けるらしく、その周りに人が絶えないのでどこから映しても人影が入ってしまうのだった。 帰宅してからの写真整理で27品種の写真を撮っていたことを確認した。たくさん撮ったと言えばそう言えるのだが、梅園にはまだ開花していない木がたくさんあったし、写すことができた木でも一本に4、5輪しか咲いていない木もあった。仙台の3月6日は梅の開花の最盛期には早いのかもしれない。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.09
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春の彼岸なので3月21日にわが家の墓参をすませた。早朝6時ころに出かけ7時ころには帰るという墓参はいつものことである。今年の彼岸は、元のわが家(生まれ故郷の)の墓参りにも行くことにしていた。6月に腎臓病を発病し7月は入院だったのでその年の盆には行けなかった。次の年の盆は百日咳で行けなかった。なんだかんだの理由があってしばらくは行くことがかなわなかった。 田舎には、長兄と次兄の家をそれぞれ息子が継いでおり、共に働き盛りということもあって宅を訪ねることはせず、二つの墓地の墓参りだけで戻ってくるのである。 生れ故郷というもののとても近い。今や高速を使えば40分で行ける。故郷が遠いのは心の問題である。親も5人の兄弟もなくなり、生まれ育った家もとうの昔になくなって、いわば私には他郷のように感じられるのである。甥や姪には残されたった一人の叔父だが、気を遣わせるばかりで心苦しいのでいっそう足が遠のくということになる。 ゆっくり朝食をとって10時ころに家を出発した。まず本家の墓に行った。本家は次兄が継いで、祖母、両親、次兄夫婦の骨が収められている。いま、墓に供えらえている花は造花が多くなって、この墓にも造花が供えらえていた。何とか持って行った生花を供え、やや強めの風が吹く中でようやく線香に火を移し、なんとか墓参を終えた。いつものことだが、あとで甥たちの家に電話して、適当な時期に枯れた花を片付けてくれるよう頼むのである。 なにかいい被写体が見つかるだろうとカメラも車に積んでいったのだが、墓石の前の妻の写真を撮ったらあとは何を写せばいいのかわからないのである。供えた花の写真を撮っていると、墓石が鏡のように花を写していて、面白そうに思えてそれも撮ってみた。墓地の上に広がる青空もきれいだと思ってシャッターを押したが、墓参りの気分で見なければ良さがわからない写真にしかならないだろう。 そこから車で南に7分ほどのところの別の墓地に向かった。そこは長兄が養子に入った一族の墓があって、長兄夫婦が眠っている。私の父親代わりだった長兄は中学の教師で私の学業に期待していることは痛いほどわかっていた。長兄がなくなったとき、義姉が「十分に期待に応えたよ」と言ってくれた時、すごく大きな何かを兄に返すことができたような気がして泣きそうになった。そんなことを思い出しながらの墓参りになった。 帰り道の高速で昼食にした。SAのレストランに入ったら「野菜湯麺」があったので、二人ともそれにした。最近の私の小さなマイブームの一つが野菜湯麺(ラーメン)なのである。ラーメン店でも町中華の店でもまずは野菜湯麺を探すのである。どちらかといえば町中華の店のほうがおいしいような気がする。 私と妻が店で麺類を食べるときは妻が麺を少し分けてくれるのだが、この日に限って私の胸が詰まるようになって途中でギブアップしてしまった。胃切除の影響で詰まることはよくあるのだが、昼食の麺類ではほとんどないことなので妻は心配していたが、半分は喜びながら自分の分だけでなく私の残した分まで平らげてしまった。母親譲りの健啖家らしさがすぐに発揮されるのである。 次の墓参ができるのはいつのことやら………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.07
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正午ちょうどに外出から帰ってきた妻が、「西公園の臥竜梅が満開だったよ」と言うので、さっそく出かけた。わが家の川向い、広瀬川の左岸にある西公園に「臥竜梅」という梅の木がある。伊達政宗が秀吉の朝鮮出兵のおりにかの地から持ち帰った二本の朝鮮梅の一本である。 西公園に臥龍梅の近くに20人ほどの人がいてテレビの撮影か何かをしていたが臥龍梅とは全く関係がないようなので、周囲をまわりながらシャッターを押した。臥竜梅そのものは何度も(通勤の時、この木のそばを通っていた)見ていたが、花をじっくり見たのは初めてのような気がする。やや大輪の端正な白梅で、気品高い花である。混みすぎずまばら過ぎず花付きも適当なのだが、樹そのものはうねうねと横に伸びるので大庭園でもなければ庭木には向いていないだろう。 カメラを構えていると、ヒヨドリが飛んできて眼の前(カメラの前)で花の蜜を吸いだした。いいお客さんである。ヒヨドリもモデルにしながら撮影していると、10人ほどの観光客がやってきて木のそばを動き回ったので、ヒヨドリはどこかにとんでいってしまった。 一通り撮り終えたので、急いで帰って昼食を用意しなければと思ったのだが、遠目に桜の花らしいのが見えたので寄り道をした。西公園は桜の名所(というよりも花見の名所)の一つなのだが、まだ桜の季節には早い。寄ってみると、花の小ぶりな寒梅の一種らしい木だった。公園内の道の並木のように植えられた若木だった。 朝鮮から持ち帰った二本の臥龍梅のもう一本は、旧養種園(現せんだい農業園芸センター)にあるということは知っていたが、見たことはない。せんだい農業園芸センターには立派な梅園があるということなので、行ってみようと思っている。 さて、急いで帰って昼食を作らなければ………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.04.05
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ブログの更新が著しく遅れている。忙しいのである(気分だけかもしれないが)。昨年の暮から新しい終活の一つとしてたくさん読んできた詩の読み直しを始めたのだが、本が見つからないことが多くそれを探すことが一仕事で、家のなかで見つからなければ図書館で探したり(ネット検索で)、それでもなければ古本を探して注文したりしなければならない(これもネットで)。 詩の読み直しだけでもけっこう時間がとられるが、そのほかに短歌や俳句も読んで気に入ったものを抜き書き(PCに)しているのが大量にある。これの見直しも始めた。そこで気が付いたことは、かなりたくさんの本を読んでいると思っていたが、詩人でも歌人でも俳人でもまったく読まないですっぽりと抜けている人がいるということだった。読んでいない人の中にいい詩、いい短歌、いい俳句を書いている人がいたら、せっかくの読書人生が台無しになると思い始めたのである。そこで現代短歌全集とか俳句全集で網羅的に読んでないものを探すことにしたのである。これは、まったくいくら時間あっても足りないような作業になった。とにかく忙しいのである。という言い訳をしたうえで、かなり前(3月2日)のカメラ散歩について書き始めるのである。 ネットには季節に応じて梅の花の写真があふれている。そんな写真を見ても仙台ではまだまだと思っていたのだが、仙台でも十分に開花する時期になった。梅の花といえば天満宮である。菅原道真である。というわけで、仙台の天満宮、榴岡天満宮に行ってみることにした。とはいうものの、一度も行ったことがなくて梅の木があるかどうかも定かではない。 仙台では桜の名所として知られている榴岡公園の横を通って天満宮に入ると、古木は少ないが若木の梅がたくさん植えられていた。長いこと仙台に住んでいるが榴岡天満宮に来たのは初めてである。社務所の横の小さな門から入ったので、改めて参道の階段を下って大鳥居のところから入りなおしてみた。 若い梅の木は目の高さ付近に花があるので、カメラには都合がよい。品種名は分からないが、たくさんの白梅の中に種類の違う紅梅も混じっていて行きつ戻りつしながらシャッターを切った。梅の花の写真をきちんと撮るのはこれが始めてである。マクロレンズも持って行ったのだが、ズームレンズでサイズを変えながらとるほうが楽なのでそればっかりになった(手間を惜しんではいい写真は散れないとは思うのだが)。 小さな紅梅の前でカメラを構えていると3人連れの年配の女性に話しかけられた。といっても、「きれいですね」、「そうですね」というようなたわいのない話だが、写真を撮っているときに話しかけられるのは珍しい。 梅の写真もだが、社務所の横に桜の古木があって目を引いた。桜の時期に再訪して、隣の榴岡公園の桜とあわせてとって見たい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.03.28
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筋トレ散歩は順調に進んでいる。真っ暗なうちに家を出て神社の石段の上り下りの後に登る仙台城跡の天守台には日の出ごろに着くように出かける。朝日の写真を撮るのがしっかりと目的の中に入っているのである。 1月16日の再開筋トレ散歩で筋トレに失敗して途中棄権という時のためにカメラ持参ということにしたら、文字通り途中で疲れ果てて棄権せざるをえなかったのだが写真はそれなりに撮れた。それで筋トレ散歩はカメラ散歩と変わらないことになって、それぞれ別の(独立した)就活であるという決意と自負は崩れかけている。いまは筋トレ散歩にカメラは必須という感じなのだ。天守台での日の出撮影に間に合わせようと急坂を急ぎ足で歩いて、私にとっては過負荷状態ということもあった。いずれにせよ、その後の筋トレ散歩はコースを予定通り歩くことができて、とにかく順調なのである。 その時々の朝日の写真も私的にはそれなりに面白いものが取れるのである。あたりまえだが、日の出はそのたびにどこか違うのである。2月13日の散歩では太陽の位置と撮影場所のマッチングが悪かったものの以前とは少し違う感じの写真が数枚撮れた。 2月17日は川内城跡から降りてきて仙台市博物館(三の丸跡)の敷地で日の出に出合った。ビルの上に登る日の出を木々の間から眺め、博物館の大きなガラス窓に映る木の間越しの写真や、朝陽が庭の大きな木の影を壁いっぱいに映し出している写真などを撮った。 2月22日は天守台から仙台湾(太平洋)に水平線が見えるほど晴れ渡っていて、海から直接昇る太陽を写せると期待して待ったが、筋トレ散歩で汗をかいた体にはあまりにも寒くてうろうろ動き回っているうちに太陽が半分ほど顔を出しているのに慌てた。 2月24日も日の出の時間にうまく合わせることができたのだが、太平洋のうえには雲が出ていた。これはこれで変化のある写真になるだろうと期待した。寒いのだが前回のこともあるのでじっと我慢して撮影場所を動かないようにしていた。 雲の隙間から半分ほど太陽が見えたり、薄い雲を通して全体が見えたりとこれはこれで楽しい撮影タイムになった。 カメラ散歩のようだが、筋トレ散歩としてはほぼ予定通りこなせている。24日の日には、出がけに家猫の一匹が絨毯の上に吐き戻したので、その掃除の分だけ時間が遅れ、仙台城跡の坂道を大股の急ぎ足で登るというオマケもあったが、これはいくぶん体力に自信が持てる感じになれてよかったのである。 調子良く進んでいるので、疲れがたまっていつか熱が出たりはしないかと心配している。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.03.12
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1泊ミニ旅行の宿泊は、温泉ホテル「大船渡温泉」である。日帰り温泉としても人気があるらしい。1週間ほど前に予約したものの近所に夕食をとれる店がなく、夕食を追加で頼みたいと3日前に電話をしたら、その日から予約日まで施設の点検で休館だという音声案内である。ちょっと慌てたが宿泊は私たちが予約した日から再開、それ以外はその日の朝から電話を受け付けるということだった。当日、家を出る前に電話して追加の夕食をお願いして出発したのである。 これまで小旅行での夕食は、全て地元料理の店やレストランを探していて、一度も宿で食べたことがない。小食の私は日本旅館(温泉旅館も含めて)で出される夕食の種類、量の多さに圧倒されてきわめて苦手なのである。このホテルも海のもの満載の料理をうたっていて、いくぶん不安なのである。 ホテルにチェックインした後、妻と一緒に車で近所の下見に出た。このミニ旅行の最大の目的、大船戸湾に昇る朝日を撮る最適の場所を探そうというのだったが、ことはそんなに簡単ではなかった。大船渡湾は沿岸に人家の多い地形ということもあって太平洋から波が直激するような地域はたいてい高い防潮堤が築かれていて海べりに出るのを妨げていた。海で仕事するための出入り口(防潮門)はあるのだが、開いている所もあったものの、問題は設備の性格上いつでも開いているわけではないらしいということだった。日の出の方角に開いた場所という条件も加えると地元不案内な身では最適な場所を特定するというのはかなり難しいのだった。 諦めてホテルに戻って、4階の部屋に入って窓のカーテンを開けたら目の前に大船渡湾が広がっている。太平洋に開けた湾口もすべて視界の範囲内である。さっそく岩手県の日の出の時間、方角を調べ、方位磁石(というスマホアプリ)で調べたら、湾口に出ている岬にかかるもののほぼ部屋の正面から太陽は昇るらしい。暗い夜明け前に寒い外に出ることなく、ぬくぬくとしたこの部屋から写真を撮ることに決めて、夕食に向かったのである。 夕食は「漁師飯プラン」というのだが、他に選択肢があるわけでもなさそうだった。皿数、碗数は数えきれなかった(献立表では15の皿や碗が出たはず)。すべて海のものの料理だった。私としてはけっこう箸が進んだと思う。手つかずで残したものは一皿だけ、手を付けて残したのが2皿だった。妻は私が残したものも食べて、そのうえで食べ残した皿が二つほどあった。 部屋に戻ったが満腹すぎて2時間ほどテレビや居眠りでお腹がこなれるのを待って、それから大浴場の温泉をのんびり楽しんだ。10時半を回っていたので恐ろしく広い浴室にたった一人(妻も一人だったという)。 目が覚めたのは午前5時50分、寒くないようにしっかり着替えてカーテンを開ける。少し空が白み始めてきた。テーブルを窓近くに寄せて交換レンズを並べておく。太陽が昇るあたりの雲が色づき始めたころ窓を開けて撮影を始めた。妻は昨夜からの2枚重ね布団に潜り込んで寝ている。 小さな漁船が2隻、養殖棚のまわりで仕事をはじめている、一艘は明るく灯をともし、一艘は無灯火で。もう一艘の小舟はまっすぐ湾の外へ出て行った。昨夕、港で見た大きな漁船の出航は、季節のせいかこの時間にはなかった。 岬の先端あたりに太陽は登ってくるらしく、雲が輝き始めた。朝日といえども輝く太陽を撮るのは簡単ではない。レンズを変え、撮影条件を様々に変えながら撮影しているとあっという間に太陽が飛び出してくるように感じる。一通り撮り終えたころ、妻が朝風呂から戻ってきた。 窓を閉め、私も風呂に向かった。夕べは入らなかった露天風呂に体を入れて海を眺めると、海面から少し離れた太陽の光が海面に反射してまっすぐこちらに光の道を作っているのだった。これを撮らなきゃ、慌てて風呂を出て部屋に戻り、数枚そんな写真を撮った。烏の行水より短い温泉浴という経験は初めてである。 私としてはもうこの旅行の目的はほぼ完ぺきに達成したのだが、これからは妻に約束した道の駅巡りである。ゆっくりホテルを後にして向かったのは陸前高田市の「奇跡の一本松」のそばにある「道の駅 高田松原」である。 奇蹟の一本松は、大津波をかぶった松原でたった1本残った松の木である。今でも最上部にだけ枝葉を残し少し傾いて立っている。一帯は「高田松原津波復興祈念公園」になっている。 次に向かったのは宮城県に入って南三陸町の「南三陸さんさん商店街」である。ここも東日本大震災後、被害に遭った商店が寄り集まって店を並べる商店街としてつくられた施設である。道の駅と銘打っていないが、地元の魚ならここだろうと考えたのである。道の駅 高田松原とここで刺身や蒲鉾やワカメなどを買った。 そろそろ昼飯という時間になって妻が「昨日のうどんおいしかったね、またあそこに寄ろう」というのだが、三陸道で1時間も前に通り過ぎていたのである。妻の食欲には勝てず、三陸道を大谷海岸まで引き返したのである。 道の駅 大谷海岸で季節限定と銘打った「石鍋かきうどん」を再び食べて大満足の後、息子にお土産を買うのだと妻は道の駅の中を元気に歩き回るのだった。道の駅の予定は三か所だったが、ここから仙台までの運転は時間が伸びてしまったので、途中休憩をかねて昨日下調べした石巻市の道の駅 上品の里にも立ち寄ることにした。 道の駅 上品の里に入ると地元産の野菜売り場に白菜も並んでいて、そのなかの二つがとても大きく立派でゴロンという趣きで自己主張していた。わが家の白菜漬けがそろそろなくなりかけているので思わずその一つをバスケットに入れた。妻は安い「ひとめぼれ」を買うと主張した。食事担当は私なのだが、買い物の時には妻は突然主婦に完全復帰するのだった。ここでは野菜をあれもこれもという感じになった。大きな段ボール箱をもらい、駐車場までカートを借りて運んだ。 仙台に入ればいつものように夕食用の弁当を買って家に帰るだけである。真冬の海岸ドライブという以前には考えもしなかったミニ旅行が突然始まり、当然のように突然終わった(そんな感じである)。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.20
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最初に訪れた神割崎は石巻市北上町、立ち寄った道の駅大矢海岸は気仙沼市本吉町、偶然入った唐桑半島休憩地は気仙沼市唐桑町である。町村大合併が行われたが、宮城県で生まれて県外で暮らしたことのない身には、北上町、本吉町、唐桑町という旧町名が馴染みで、いちいち石巻市や気仙沼市を先に付けるのは煩わしい。かといって、気仙沼市、石巻市だけではどの辺やら皆目見当がつかない。 私は栗原郡瀬峰町で生まれたが、今は群が市に変わった。「栗原市で民家の火事で一人死亡」などとテレビのニュースが流れても、行ったこともない旧栗駒町だったり一迫町だったりすると遠い話に聞こえてしまう。まあ、故郷はずいぶんと遠くなってしまった、ということである。 唐桑半島にある巨釜半造は当然ながら唐桑町にある。駐車場に着くと大きな野良猫の出迎えである。駐車場の前には食堂のような建物があるが周りをトタン板でしっかりと囲んで人の出入りができないようになっている。かなり以前から閉鎖しているようで、周りにはそのほかの人家は見えない。このノラ君はどこで餌を調達すのか心配になったがそれほど痩せてもいない。空腹らしく熱心にねだるのだが、あいにく飲料水しか持っていない。家のカリカリを持ってくればよかったと思ったもののどうにもならない。人家の少ない寂しい場所の旅には必需品のようだ。 ここでも妻を駐車場に残して緩やかなけっこう長い階段道を下った。複雑な岩組の海岸に寄せる冬の波は、ときには大きな飛沫を噴き上げるので、しばらくは飛沫のタイミング狙いでカメラを構え続けた。また、高さ16mの大理石の石柱「折石」も撮ったが、このネーミングは1896年の大津波で先端が折れたことによると案内看板にあった。 巨釜からすぐ近くの半造の駐車場に行ったが、こちらはけっこう長い散策路を歩かねばならないようだったので写真は諦めた。ここには小さいが立派なレストハウスがあったのでコーヒーを頼んだ。海の景色が眺められるように窓際に高い椅子の席が用意されていたが、残念ながら二人の前には松の木の太い幹があるのだった。二人連れが同じようにコーヒーを飲んでいて、外にも二組ほどの観光客がいた。このレストハウスのコーヒーはとてもおいしいのだった。この二日の旅で何倍もコーヒーを飲んだが、ここのが一番だったと後で妻が強調していた。 コーヒータイムの休憩が入ったので、今日の最後のスポット「碁石岬」に向かうことにする。碁石岬は、県境を越えて岩手県に入り大船渡市末崎町にある。広い駐車場にレストハウスやインフォメーションの建物があり、道向かいには「世界の椿館」という施設がある。三陸復興国立公園の主要な場所らしく観光に力が入っているようだ。私(たち)は観光旅行だが興味は自然の方、自然の写真の方なので建物にはトイレ以外は入ることはなかったが………。 岬には遊歩道が巡らされていて、妻は林の中の遊歩道を歩きながら楽なところで海を覗き、私は岬の突端「碁石岬灯台」をまわり、碁石浜の見えるところまで下って写真を撮って引き返すというコースだった。 碁石岬に着いたのは午後3時半過ぎ、冬の日の傾くのは早く、岬の突端あたりからカメラの興味は傾いた太陽ということになった。とくに碁石浜の海に映える午後の日差しをどう撮るか、ああでもない、こうでもない、とけっこう遊べるのだった。 妻もそこそこ遊歩道や景色を楽しんだらしい。少し安心して、今日の宿泊先「大船渡温泉」に向かうことにする。大船渡温泉は大船渡湾に面しており、妻は温泉を、私は大船渡湾の夜明けをカメラ抱えて待ち構えるのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.18
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一月一日が誕生日の私は、2026年元旦をもって満80歳になった。妻は3カ月後に80歳になる。二人分を合わせて、子供たちが傘寿の祝いをしてくれた。その時、二人とも小遣いまでもらった。それを使ってどこかへ行こう、ということになった。 昨夏の百日咳で消耗した体力の回復に手間取ったこともあって、秋には日帰りのミニ旅行をなんとか2回こなしただけだった。体力もほとんど戻ったのだが、真冬ということでまったく考えていなかったが、カメラ心が疼いたのである。 昨秋に実現できなかったミニ旅行の一つの案に、三陸沿岸を北上しながら宮城、岩手、青森のリアス式海岸の写真を撮る、というのがあった。写真のことしか考えていないということや、三陸の観光地はたいてい崖を降りるとか階段で海辺まで行くという案内があって、足の弱った妻向きでないのが問題だった。 そこで、海べりのスポットには立ち寄るが妻の好きな温泉のあるホテル泊まりの1泊旅行にして、2日目は妻の好きな道の駅ショッピングをたっぷりと、ということで折り合いがついた。 初日の朝食も道の駅で摂ろうと出発したが、東北道から三陸道に入ると「むすび丸春日PA」に食事の看板があって、松屋が営業していてそれぞれラーメンと蕎麦で朝食とした。それでも朝食を予定していた道の駅「上品の里」に寄って帰り道での買い物の下調べをした。 この道の駅を出れば、あとは最初のスポット「神割崎」へ向かうだけである。途中、北上川の川岸を走るとあちこちに川面に白鳥が群れている。川幅が広くて白鳥までの距離が遠くて、点々と白いものが見える風景を撮るならまだしも、白鳥を撮るには持参の400㎜望遠でも無理である。「あんなに白鳥がいるよ!」などと妻と語り合いながらひたすらに道を急ぐのである。 シーズンオフそのものなので当然のように神割崎の広い駐車場には1台も止まっていなかったが、神割崎へ下る道の入り口近くにトイレがあってその前に1台駐車していた。もう2台ほどスペースがあったのでそこに駐車した(その車はすぐに若い人が戻ってきて出て行ってしまったが)。 妻を車に残して坂道を神割崎の前まで下った。大岩が真っ二つに割れていて、その隙間から太平洋の水平線が見え、岩の割れ目から波が押し寄せてくる。岩の隙間の幅に応じて波頭が高くなり、隙間を過ぎるとどーっと広がる様子などを写した。個人的な好みで言えば割れた岩よりも回りの岩礁の景色の方が気に入ったのだが………。 神割崎の写真を撮っているとき男性(たぶん40歳くらい)が下りてきて、景色を一眺めして帰っていった。私が車に戻ると駐車場から出てきた車の中から笑顔で会釈してどこかに走っていった。回りをぶらぶらしていると言った妻は車でスマホをいじっていた。次は唐桑半島の巨釜半造の行くことを告げて車を出した。 再び三陸道に乗ってしばらく走ったら「道の駅 大谷海岸」の看板があった。昼を回っていたのでそこで昼食を摂ろうということに予定を変更した。ここでの昼食は二人一致して「石鍋牡蠣うどん」ということになった。中太うどんの鍋焼き風に二人とも大満足だった(このおいしさがずっと後を引くことになるのだが……)。 大矢海岸から三陸道を気仙沼市の唐桑半島にある巨釜半造に向かう。巨釜と半造はちょっとだけ離れているらしくナビでは最初に巨釜に向かうことにした。海沿いの道を走っていると海側にPの看板があったので入ってみた。その駐車場から階段を下ると小さな漁港があった。なんという漁港かわからなかったが、あとで地図を見ると「唐桑半島休憩地」という名前で出ているところらしい。 小さな漁港で漁船や漁具の写真を撮ってみたいと思っていたが、そういう場所はほとんどないのだった。東日本大震災の後、人の住む海岸縁には高い防潮堤が築かれていて、地図に不案内な旅人が走っている車の中からそんな漁港を見つけるのは難しいのだった。偶然ながら唐桑半島休憩地に立ち寄って数枚の写真を撮れたのはとてもラッキーに思えたのだった さて、今度こそ巨釜半造に向かうのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.16
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荒町の昌伝庵と泰心院へ行き、次には仙台東照宮と、寺と神社へのカメラ散歩が続いて、その流れで陸奥国分寺薬師堂へ行くことにした。その足で新寺小路の松音寺も廻ろうと考えた。どちらもかなり以前に犬連れの街歩きで行ったことがあって、きちんと写真を撮っておきたいと思ったのである。それに、どちらも乗り換えなしで行ける地下鉄沿線の隣り合った駅の近くにあって数時間で回るのは便利だということもあった。 陸奥国分寺薬師堂は文字通りの地下鉄「薬師堂」駅から直ぐに参道に出られる。陸奥国分寺は奈良時代、聖武天皇の詔で全国に創建された国分寺の一つで、地上の建物は失われて遺跡として残っている。伊達政宗がその講堂跡に薬師堂を建て、その西隣に伊達藩7代宗村が准胝観音堂を建立して今に至っている。 長い参道の仁王門をくぐれば正面は薬師堂、右手に鐘楼がある。広い寺庭には大きな桜の木が何本もあり、春にもう一度来られたらと思った。冬のカメラ散歩は他の季節のためのロケ地探索でもある。 薬師堂の西隣にある准胝観音堂は、周囲の石碑、石仏が印象的だった記憶がある。石仏が多いが、中には松尾芭蕉などの立派な句碑などもある。同じような姿の観音像を刻んだ小さな石仏に目を魅かれたが、何という仏様か判然としない。右手に蓮華を持っている勢至菩薩を見たような記憶があるのでそれかもしれないなどと考えたのだが、ここは准胝観音堂なので石仏は准胝観音と考えるのが妥当だと気づいた(家に帰って調べてみたら、准胝観音の十八臂とも言われている腕を省いた形のようである)。 薬師堂駅から一駅の「連坊小路」駅に移動し、松音寺までスマホナビを片手に歩いた。以前の街歩きのとき、道路から見る山門までの道の雰囲気がとても感じが良かった寺である。犬連れの散歩なので寺内に入ることは遠慮して通り過ぎただけだったが、ずっと心に残っていたのである。 寺内には誰もいなかったが、山門の写真を撮っていると、女性が一人入ってきて本堂でお参りをしていた。その本堂の横には鐘楼があり、その下をくぐって道を渡ると墓地があった。また、山門の横に大きな岩があり、そのてっぺんに小さな木が芽生えていた。大きく育つのは難しいかもしれないができるだけ長くそこにへばりついて生き抜いてほしい、などと思いながらシャッターを押した。 スマホの地図を見ると、松音寺の近くに栽松院という寺があったので行ってみることにした。山門には「千躰観音」と書かれた大きな提灯が下げられていた。山門をくぐると樫の木が斜めに参道の上に伸びていて、その枝葉に注意せよという案内があった。伊達政宗が目印にした白樫の木だという。本堂の脇に千躰観音を納めたお堂があり、その近くに桜が咲いていた。四季咲きの変異種だという。仙台の1月では早いと思われる梅も咲いていた。松音寺ではロウバイの花も見ていて、仙台の春も近いと思わされた寺廻りになった。 栽松院から地下鉄「五橋」駅まで歩いていく途中で妻に「急いで帰って昼食を用意する」と電話したら、「無理しないで外で食べておいで」ということになった。すぐそばの店でラーメンを食べたが、このごろは、外で食べるラーメンはどこでもおいしいと思うようになったのがいい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.14
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筋トレ散歩を1月16日に再開して19日にも出かけることができた。何とか普通にこなせることを確認したので、家族それぞれの都合を勘案してこれから差し当たって春4月までは月曜に筋トレ散歩、金曜に長いカメラ散歩をやろうと計画した。 計画の初日は1月26日の月曜日だったが、夜のうちに少し雪が降っていた。それでも陽が射していたので9時ごろ家を出た。亀岡神社に着いて見上げれば、石段は真っ白に雪をかぶっている。これでは仙台城跡の日陰の道も雪は解けていないだろう。そう考えて筋トレ散歩は中断した。6年前、こんな日の筋トレ散歩で仙台城跡の下り坂で転んで左手首を骨折したことがある。かなり慎重に歩いていたのに転んでしまったので、歩かないことが最大の予防だと考えるようになっている。 慎重に判断したことは何も問題はないのだが、使わなくなった時間は退屈だろうし、体力維持も必要だろうと考えて、とにかくカメラを持って平地だけでも歩こうと考えた。カメラに400㎜望遠レンズを装着して、近所の平地(坂道はタブー)を歩き回って鳥を写そうと思ったのである。「筋トレ散歩」変じて「鳥撮り散歩」である。 広瀬川の堤防に出て岸を下りながら水辺でハクセキレイ、セグロセキレイ、オナガガモ、マガモを撮った。これまでは一眼レフ3000㎜相当の望遠を誇るニコンのP1000というカメラで撮っていた鳥たちだが、ニコンのミラーレスZ8に装着した28-400㎜の望遠ズームでとても良く撮れるのだった。鳥との距離にもよるが、あの重いP1000はもう少し離れた鳥用にと使い分けることができそうだ。 500mほど下ったところから引き返し、上流の河川敷公園まで歩いた。堤防や公園ではジョウビタキ(雄)、ヒヨドリ、キジバト、アオジ、カケス、ツグミなどを撮ることができた。アオジは初めて撮る鳥だったが、後ろ姿だけを見せて飛び去ってしまった。また、昨年はジョウビタキの雌しか写せなかったが、今年はなぜか雄ばかりを見かけている。 鳥撮りとしてはとてもいい散歩になったので、次の日(27日)にも同じコースを歩いた。その時写した鳥たちもほとんど同じメンバーだったので、写真は日付で区別していない。 鳥撮りは日によってはまったく鳥に出合えないこともあって、計画や予定を立てにくい。何も考えず、暇なときにふらりと出かけるのがいいのかもしれない。張り切って出かけた日に限って鳥がいない、そんな経験の記憶が多いのである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.09
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私のカメラ散歩は、朝昼晩の3食の食事の用意に間に合うように2、3時間で戻ってこられる場所に限られる。早朝や夕暮れにも出かけることがあるが、やはりその条件は変わらない。先日は何とか昔歩いた荒町の商店街を思い出して行ってみたのだが、3つの寺を見ただけだった。ただ漫然と歩いてもカメラ心をくすぐる何かが見つかるような気がしないし、近場にめぼしい場所も見つからず困っている。 前回は寺廻だったので、今度は神社にしようとごくごく安易に仙台東照宮に行くことにした。徒歩では1時間ほど要する場所なので、地下鉄、JR仙山線と乗り継いで仙台駅から一駅の「東照宮駅」から散歩開始とすることにした。帰りは、東照宮から地下鉄北仙台駅まで歩くと散歩らしい距離になる。 仙台には60年以上住んでいるが東照宮には足を踏み入れたことはない。近くを何度も通ったことがあるし、愛犬がいたころには東照宮の周囲を回ったのだが、犬連れなので境内に入ることはなかった。 東照宮駅を出るとすぐに宮町通りに出る。仙台東照宮は仙台伊達藩2代藩主忠宗によって創建され、宮町はその時に由来する町である。宮町通りをまっすぐ北に進み大鳥居から長い緩やかな石段を上って随身門をくぐると拝殿前に出る。金曜日の午前10時過ぎ、ポツポツとだが参詣客が絶えない。 拝殿の後ろに本殿が控えているが、唐門と透塀に囲まれている。東照宮には金ぴかのイメージがあるが、中学3年の修学旅行で見た日光東照宮の記憶によるものだろう。とはいえ、実際に日光東照宮が金ぴかだったかどうかの記憶はないのである。 仙台東照宮は落ち着いた雰囲気の神社だが、本殿の建物には金張りの装飾があった。考えてみれば、寺や神社が金色に施されていることは普通にあることで東照宮に限ったことではない。 本殿を写し終えれば帰るだけなのだが、本殿の裏から外に出ることができた。妻は幼いころ近くに住んでいて「東照宮の裏山で遊んだ」と言っているが、もう裏山はすべて住宅街になっている。裏の道は、愛犬と歩いた道でもある。イオという名の犬のことを思い出して切ない気持ちで道を急いだ。 東照宮の周りを半周するように坂道を降りるとJR仙山線の踏切に出る。ちょうど電車が通りかかったので「撮り鉄」でもないのにシャッターを押した。「撮り鉄」さんのようにひたすら追いかける被写体というものが私にはない。というよりいろんな対象を撮ってみたいのである。高齢ながら初心者なのでまだまだ執着するようなものが見つからないということだ。 踏切を過ぎて線路の上の空を見上げたら、あっと思ってカメラを向けた。たぶんこの空の色が今日の散歩で「カメラ心」をいちばんくすぐった被写体だったかもしれない。 北仙台駅の近くの歩道橋からまっすぐ西に向かう道も撮った。この道の先、低い丘陵の山裾にわが家がある。イオと歩き回った日々のことが重なって少しばかり感傷的な気分で地下鉄北仙台駅の階段を下りたのである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.08
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平地を歩くカメラ散歩はシャッターを押すたびに休憩が入るので何の問題もなくこなしているが、衰えた脚力を回復するにはそれほど効果がないのではないか、そんな不安がある。少し気が急いて春まで待たず筋トレ散歩に出ようと思った。 亀岡神社の石段の上り下りと仙台城跡天守台までの坂道の上り下りというコースは十年以上も続けたコースで、カメラを持って出かけたことも何度となくあった。今さらカメラでもないかと思ったが、途中棄権がありそうなしばらくぶりの再開なので、その時にはカメラ散歩でぶらぶら歩けるようにカメラを持って家を出た。 いつもの筋トレ散歩よりはゆっくり家を出たが、外は真っ暗である。神社の石段を半分ほど上って振り返ると、各部屋に灯りのともる高層住宅の向こう、東の空が明るみ始めた。小雨がぱらついているが、東から南の方の空は晴れあがっているようだ。石段は2度ほど息継ぎ休憩を入れて何とかのぼりおりを完了した。 青葉城跡に向かう途中、南の空に細い月が浮かんでいる。もしかしたら大手門跡の脇櫓と月を一緒に写せるかもしれないと考えたが、脇櫓の背後は仙台城跡になっていて月は城跡よりも低くてまったく見えないのだった。 天守台までの坂道をゆっくり大股で上がっていったが、8割ほど登ったあたりで諦めて引きかえし、三の丸跡(仙台市博物館)への道を下った。博物館庭の東の土手から眺めると、まだ太陽は顔を出していなくて、朝焼けの優しいグラデーションが美しかった。真っ赤な派手な朝焼けは苦手だが、こういうのはとてもいい。 博物館の庭を抜けると、五色沼の水面に二の丸跡の白塀が反射して逆さに移っている。数えきれないほど歩いた道だが、こんな写真を撮ったのは初めてである。これでもうひたすら帰うるだけと歩き始めると、樹々の間、仙台市街の向こうに太陽が姿を現した。輝く太陽そのままでも良かったが、太陽の丸さを写したくていろいろと撮影条件を変えて撮ってみた。 筋トレ散歩再開は8、9割でとん挫したが、まずは石段登りができたことで満足することにした。期待していなかったカメラの方は、数が少ないが結構気に入った写真が撮れた。日の出・朝焼けの写真は何度も撮ったが、今日の日の出は昨日の日の出とは違うのだ、そんな当たり前のことをあらためて気づいたのもラッキーだった。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.03
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体調不良とそれが引き起こしたらしい気持ちの不調とで「筋トレ散歩」は休んでいた。それでも筋肉の衰えが怖くてできるだけ歩こうとカメラ散歩には出かけたいとずっと考えている。平地でシャッターチャンスに促されて歩くと比較的楽に歩けるのである。とはいえ、歩いていける散歩コースはほとんどなくなった。一昨日のように雪が降ったことで近所でも楽しいカメラ散歩ができたのだが、そんな偶然は期待できない。 地下鉄やバスで出かけられて、朝夕晩の食事の用意に支障がないように数時間で戻って来られる場所を考えてみるが、カメラ心をくすぐる場所が思い当たらない。なんとか思いついたのは「荒町」である。ずいぶん前に仙台七夕の時期に荒町商店街の七夕を見に行って、素朴な七夕を飾る雰囲気のいい街だったことを思い出したのである。 地下鉄を乗り換え南北線「五橋」駅から荒町の通りに入る。街の雰囲気はむかし歩いた時とは様変わりしていて、ポツポツと店はあるものの商店街というイメージはかなり薄くなっていた。シャッターを押したいと思う場所が見つからない。地図を見るといくつか寺や神社がある。前に歩いたときは愛犬連れの街歩きだったので、山門や鳥居をくぐって入ることはしないようにしていた。今日はカメラだけの連れなので一番近い「奕葉山昌傳庵」という曹洞宗の寺に入ってみることにした。 山門の前には禅宗の寺らしく「不用葷酒入山門」という石碑がある。ところが山門の柱に掛かっている文言は「いろは歌」の後半部分だったことが分かって少し驚いた。「有為のおく山けふこえて」と右の柱にあり、左の柱には「浅き夢みし酔ひもせず」とある。寺の山門にこのような文言を掲げるということが普通にあることなのかどうか私にはまったく知識がないのだが、こうやって寺の入り口で読むと、意味不明と言われているいろは歌に深淵な人生の意味が隠されているように思えるのだ。 この山は、越えていく(乗り切る)ことが人生にとって大切な意味がある「有為のおく山」なのだ。その山を今日は越えることができ、日ごろの夢がかなったが、決してその成功に酔うことはない。そんな風に人生を生きなさい。そういうことではないのか、などと考えた。 山門をくぐって本堂の前に行くと、階段に鬼瓦や蓮華鉢、「山上に山あり山また山」という東北大学医学部教授だった黒川利雄さんの座右の銘を彫った石板などが置かれていた(飾っていたのかもしれない)。本堂の上には死んだ者に花を供えることに意味を説く言葉が掲げられていた。小さなお寺さんだが何かとても新鮮なのだった。 次に向かったのは満福寺にある毘沙門堂である。寛永年間に立てられたという唐門の奥に毘沙門堂があり、さらにその奥に満福寺の本堂がある。毘沙門堂には3組ほどの参詣者がいた。奥の本堂前の庭には蕾の膨らんだ植木があり、冬真っ最中の仙台ではとても魅かれる被写体だった。毘沙門堂の前には松の大木があり、毘沙門堂のカラフルな幕との取り合わせをカメラに収めた。 荒町の通りから細い路地に入ってぐるぐる回ってみたがめぼしい被写体を見つけられずまた荒町の通りに向かうと道向こうに寺の山門が見えた。泰心院である。山門に近づくと年数を経た柱の表情に驚いた。この山門は、200年以上も前に建てられた仙台藩の藩校「養賢堂」の正門を移設したものだという。確かに柱の飾り彫りを見てもとくに仏教に由来するような彫りは見られなかった。 三つの寺を見終えると荒町を通りすぎてしまった。今日は南北線五橋駅から東西線連坊駅まで歩く予定だった。連坊駅近くまで歩いてもシャッターチャンスはなかった。お寺周りだけではカメラ散歩としてはいくぶん不満で、もう一度五橋駅まで引き返しながら荒町を丁寧に歩くことにした。シャッターチャンスに恵まれなくても、せめて鍛錬不足の脚には役に立つだろうと考えたのだ。 予想通り、シャッターを押すことなく五橋駅に着いてしまった。まあ、おとなしく帰るしかない。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.02
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暮れから正月にかけて疲れ切ってしまうのはここ数年の習いのようになっている。その疲れがようやく収まりかけた12日の朝、夜の間に降った雪で外が真っ白になっている。慌てて雪掻きに飛び出したが、5㎝も積もっていなくて雪掻きというよりただ雪面に箒の跡を残すだけの作業をした。 朝から晴れあがっているのに気温が低いので、浅い雪も解ける気配がない。ゆっくり朝食をとってからカメラを持って家を出た。じつのところ、雪が降るのを待っていたのである。ちょっと雪は少ないが、雪景色は雪景色だろうとちょっとばかり気負いこんでいた。 いつも歩いていてもうカメラを向けるものもなくなってしまったような道が、ちょっとの雪でそれなりに新鮮に見える。青葉山公園に向かう途中の案内看板にも始めてカメラを向けた。雪をかぶったベンチは、サイモン&ガーファンクルの「ブックエンドのテーマ」のイメージが強く、老人にはたまらなく切なく迫ってくる。もっとも、この国には街中の広場のベンチというのはほとんどないが………。 地面は雪で白く、青空を背景にする木々だってほれぼれするほど美しく思える。その木々の向こう、地下鉄の車両が広瀬川を渡っていくのが見えて、どんどんカメラ散歩が楽しくなってくる。 広瀬川大橋の石灯籠には小さな氷柱(つらら)ができていて、その向こうに仙台城跡の大石垣の急斜面も雪で白くなっているのが見える。仙台城のお堀だった長沼沿いの桜の老木の向こうに朝陽が上がって、桜の幹に張り付いた雪を輝かせている。ときどき強く吹く西風で雪煙が舞い上がる。 五色沼は水面の4分の1ほどが凍り、氷面には木々の影、水面には朝陽が写り込んでいる。ときおりの風で水面にさざ波が立つと、映り込んだ太陽の表情が変わる。 大手門後までの坂道を上がり、二の丸跡の大きな木々に間の狭い「三太郎の小径」に入ると木々の写真を撮っていた女性とすれ違った。その女性は私の前に小径に入って引き返してきたらしく、途中から誰も通った跡がない雪道になった。誰も通っていない雪道を歩くのは子供のころから嬉しくて、こんな年になっても同じ気分になるのが妙な感じがする。 そろそろカメラを終わりにしようかと思ったころに歩道の植え込みに山茶花が咲いているのを見つけた。赤い花に白い雪である。花の位置が高くていいアングルで撮るのに苦労したが、何枚か撮ることができた。 山茶花の脇を通り過ぎる人を花の背景に入れようと少し無理な姿勢でシャッターを切って、今日のカメ ラ散歩は終わった。 雪の少ない仙台でももう何回かチャンスはあるだろうと期待するが、春に近づけば近づくほどあっという間に雪が消えるのが心配になっている。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.01
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夕暮れから夜に入る時間帯のカメラ散歩が面白かったし自分なりに気に入った写真が撮れたので、次は朝の暗い時間に、と考えた。ただ、私の散歩はほとんど早朝なので朝日の昇る時間帯がカメラ散歩だったのは何度もあった。ということで、夜明けではなく夜明け前、どんな店も閉まっていて街には一番人が少ない真っ暗な時間帯に歩いてみようと考えた。陽が昇り始めたらおしまいのカメラ散歩ということにした。その時間帯なら、家族が起き出す前に帰ってきて、暮れの仕事にも影響はないだろうと考えた。 5時30分ころ家を出て、5時44分に最初のシャッターを押した。見慣れた交差点でも新鮮に感じるのが不思議だ。大通り(青葉通り)を仙台駅に向かって歩く。葉を振るい落としたケヤキが大きなマンションの壁面を背にして、影絵のような立ち姿を見せている。車が通らないのでビルのガラスがありったけの街の光を映し出している。その前を歩いて行く人がいて、コンビニに入って行った。そうなんだ、コンビニは24時間営業なんだ、とそんなつまらない再確認をする。 文化横丁、いろは横丁という飲食店の多い路地を覗いてみたが、当然のように人っ子一人いない。一番町近くのショーウィンドウには等身大のマネキンが飾られていて、暗い街に映画のスクリーンのように目立っていた。さすがにこの辺には朝帰りらしいグループがいる(まだ朝になっていないが)。 駅近くに「仙台銀座」という飲み屋の連なる路地があったはずなので覗いてみたが、飲み屋の数はだいぶ減ったように思う(もっとも30年近く前と比べるのは無理があるが)。どことなく暗く寂しいその路地をり抜けて「仙台朝市」の路地に出ると、魚屋さんが荷下ろししていたり、開店の準備にかかっていた。 暮れの今日(29日)はこの路地が正月の買い物客ですれ違うのもむずかしいほどごった返すのである。少なくとも4年前まではそうだった。私たち夫婦も以前はここで正月用の買い物をしていた。私が登山用のザックを背負い、妻が買った品を後ろからザックに詰め込みながら雑踏を通り抜けていたのである。この戦いのような買い物から撤退して3年目である。老兵には無理だと判断した。 朝市を抜けて駅前通りに出ると東の空が白みだした。半地下通路でJR線をくぐって仙台駅の東口に出る。陽が昇る前にカメラ散歩を終わりにする。仙台駅の2階の自由通路に植えられている木の冬姿を写して最後にした。 帰りは動き始めた地下鉄に乗ってあっという間である。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.31
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ブログの題を決めて本文を書きだそうとして、このタイトルのイメージに愕然とした。まるで人生の黄昏どきとなった老人が(認知症を患って)徘徊を繰り返している事態のブログのようだ。それを全面的に否定する自信がなくて、まんざら当たっていなくもないと思ってしまう自分にまた愕然とするのである。 タイトルの意味は、先日の夕暮れのカメラ散歩が楽しかったのでその思いをもう一度と一週間後にふたたび夕方のカメラ散歩に出かけたというだけのことである。たしかにあっちにフラフラ、こっちにフラフラしながらの散歩なので徘徊と言えば徘徊なのである。なんかこんなふうに言い訳しているとどんどん深みにはまって戻れなくなりそうなのがいくぶんつらい。 とにかく、12月26日夕暮れ、青葉区の本町近辺のカメラ散歩に出かけたのである。この辺は繁華街に近く、坂道があり、変形6差路などもあって、カメラ向きではないかと期待したのである。 広瀬通りからビルの間の抜け道を通って本町の中心部に入っていく。この辺はかつてたくさんの家具屋が並んでいて、結婚したばかりのときと家を建て直したときに何度も足を運んで家具を選んだところである。「家具の街」と呼ばれていたが、今は私の知る限り1軒しか残っていない。今は大きな予備校などがあって、若い学生さんが大勢歩いているところでもある。 レストランやカフェなどもあるが、飲食店街とは違う落ち着いた雰囲気の店が多い。夕暮れが進んで暗さが増していくと、そんな店から漏れる灯が意味ありげに見える。暗さとともに家路を急ぐ人たちが目立つようになる。乳母車を押して坂道を急ぐ若いお母さん、仕事帰りらしい二人連れ、三人連れ。そういう人物にピントを合わせてシャッターチャンスを狙うのだが、人物を撮るのはいろんな意味で難しい。 法で定められているのかどうか定かではないが、新しいビルの前には植込みのスペースが作られていて、丈の低い茂みの中に灯がともっていたり、木立を透かして見える窓の中の灯りも魅力的だったが、ピント合わせが難しい。 黄昏どきが「ゴールデンアワー」でも、その時間はあっという間に終わる。本町を出て自宅への帰り道、一番町、稲荷小路、国分町と繁華街(飲食店街)を抜ける。飲み屋が並んでいるはずの小さな路地で1軒だけが活気にあふれた店先を見せているだけで他の店の灯は消えていた。古くからある路地のひとつである。 時代はどんどん変わり、私は老いる。徘徊老人にはならないように頑張ろう。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.26
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もう傘寿の年だが、私にもまだ仕事がある。県の委員会の委員を25年ほど続けていて、ここ13年ほどは会長職にある。閑職には違いないが、当然ながら仕事に行くことがある。午後からの会議がほとんどなので、冬のこの時期は帰りが夕暮れ時になる。 12月19日のカメラ散歩で夕暮れ時の写真はとても楽しくシャッターを押しつ続けることができ、それに味を占めてバッグにカメラを突っ込んで会議に出た(この仕事にカメラを持って行ったのは初めてである)。 会議が終わったのはいつもより早い3時半ころで夕暮れにはまだ早い。蕎麦屋で鍋焼きうどんを食べて時間を過ごしたので、少し夕暮れめいてきた。それでも写真に写る空は昼とほとんど同じにしか見えない。いろいろ撮影条件の設定を変えれば夕暮れ風にすることもできるだろうが、あまり人工的な写真にはいくぶん逡巡するところがある。少しずつ細かなカメラ操作も覚えつつあるが、使いたくない設定もあるのだ。 帰り道には国分町とか稲荷小路とかの飲食店街(つまり飲み屋街)を選んで歩いてみた。ビルの間の空は西の下の方がわずかに色づき始めた程度で、南はふつうの青空である。 店先にはクリスマスらしい飾りつけがあったりするが、夕暮れと言えどもはやはりまだ時間が早くて飲み屋街らしい雰囲気はそれほどない。狭い路地で小さな店の明るい光がよく目立っている。今は(というよりかなり以前から)外飲みをほとんどしないので惹きつけられそうな店構えでも、シャッターを押してそのまま通り過ぎるだけである。そんな店にふらっと入っていく若いときのおのれの姿を想像するだけで気分を味わうのである。ゆふぐれの微光ただよふ美しき町すぢは往くに誰にも肖(に)たくなし 佐々木幸綱『現代短歌全集 第十五巻』(筑摩書房、1981年)(p. 528) 仙台市街中心部から西に向かう帰路は、あっという間に広瀬川に架かる仲の瀬橋を渡ることになる。ちょうど仙台市営地下鉄東西線の電車が地上に出て広瀬川を渡っていて、電車の窓明かりに惹かれて写真を撮った。私はカメラ好きだが決して「撮り鉄」ではない。それでも目の前を電車が走っていればシャッターを押してしまう。ちょっと子供の心理っぽい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.24
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12月19日の投稿以来、ブログ投稿をずっとさぼっていた。カメラ散歩に行ったことなどの終活の記録をできるだけに書き記しておこうと決めていたのだが、まったくブログを書く気になれなかった。だいぶ気分が落ち込んでいたように思う。やる気が起きなかった。12月19日の投稿では「筋トレ散歩は春までのんびりやる」などと言い訳めいたことを書いていた。そこでは12月8日、10日のカメラ散歩で街に出たことも書いてはいたが………。 じつは、それ以降も12月19日、22日、26日、29日、翌1月12日、14日とカメラ散歩に出かけている。1月26日にはしばらくぶりで筋トレ散歩を再開した。もっとも、足に自信がなかったのでカメラ持参でただのカメラ散歩になってもいいようにしていた。完ぺきではなかったがそれなりの筋トレにはなって気をよくして、1月19日にも筋トレ散歩に行った。 つまり、少しずつやる気が出てきたのである。筋トレ散歩を再開できたことでだいぶ気分が上がったようだ。それで書くべきだったブログを一つずつ片付けていくことにした。今日は、12月19日に大崎八幡宮近くの坂道の多い住宅街を夕暮れから夜が始まるまでの時間に歩いてみた、そのことを書いておく。 「おさんどん」を引き受けている身なので、陽が落ちるのが早いこの時期なら台所仕事に間に合うように帰って来られるのである。小旅行に出かけたときは、台所仕事がないので夕暮れ時はほんとうに楽しいカメラ時間だった。そのことを思い出してずっと思っていたのが実現したということである。 家を出てすぐ、雲一つない夕空を短い飛行機雲をひきながら飛行機が飛んでいて、それが最初の一枚となった。八幡町の大通りを行くと個人宅の庭先に石灯籠があって、街灯の光を受けてとても雰囲気がいい。何度も通っている道なのに知らないでいた。その気になって歩かなければ目を開いていても何も見えないということこんなところでも教えられる。 大通りから逸れて坂道のある細道を住宅街に入ってみる。石垣の上から垂れ下がる枯れ薄の穂が街灯の光で輝いていたりする。立派な門構えのお宅の門灯が照らす庭木の枝ぶりに見いることもあった。原付バイクで細道の坂を大通りに向かって急いでいる様子も意味ありげである。 途中、自転車を押して坂道を上る人、坂の上で待っている人、大きな犬を散歩させている人。そのそばを終業式の日の荷物をいっぱい抱えて通り過ぎる小学生、手をつないで夜道を帰る親子連れ、それぞれとてもいい被写体に見えた。狭い住宅街をサイレンを鳴らして走り抜ける救急車の光が住宅を明るく照らしているのも撮れた。 夕暮れには、へたくそなカメラマンもいい写真が撮れたような気分にひたれるのである。いい時間だ。カメラマンは、これを「ゴールデンアワー」と呼ぶらしい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.01.22
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筋トレ散歩は無理というより、ちょっと筋トレをやろうという気にならない。これはただの言い訳だが、脚力の恢復はゆっくりでいいと考えている。もう冬に入ったので、春の山歩きに間に合うようにやればいいだろうとのんびり構えている。 12月5日に続いて8日、10日とカメラ散歩で街に出た。街角のちょっとしたもののスナップ写真を撮ろうというのは5日のときと同じである。それでもまだ街の中にも秋の気配は残っていて、かろうじて残っている紅葉(黄葉)の木もあった。 とはいえ、木々の多くは葉を振り落とし、残っているものはすっかり枯葉色のなっているのだった。実だけが残った柿の木が小さな紅葉もみじを従えている姿や市の駐車場の壁面一杯に広がっている蔦の葉の複雑な枯葉色が印象的だった。 街を歩けばポツポツと被写体になりそうなものが見つかる。私の興味を引く街角スナップの対象は、たいてい小さな店の前にあるのだった。たいていは店の装飾の一部だったりするが、配達用のバイクや自転車、玄関わきの鉢植えなどにも面白いものが多い。 街角のカメラ散歩も歩いて行ける範囲は限られている。仙台の輪王寺庭園と山形市のもみじ公園はカメラ散歩としては絶好の場所だったので、近く(宮城県内)の庭園を探したところ車で1時間ほどのところに「齋藤氏庭園」があることを知った。妻も行きたいということで12月16日のミニ旅行(道の駅と日帰り温泉も組み込んだ)を計画した。 ところがミニ旅行の二日前、仙台市の朝は慌てて雪掻きをするほどの雪降りだった。それほど寒くないせいかとても重い雪でまだ5cmmほどの積雪でもそこそこ疲れる雪掻きになった。 降る雪を眺めながら、「齋藤氏庭園」へのミニ旅行は春まで延期ということに妻と意見が一致した。脚力つくりのカメラ散歩計画はあらためて考えることにして、年末仕事をこなそうとミニ旅行が「障子張り」に変更になった。たしか5年ほど前にも障子張りをしたのだが、慣れない姿勢の仕事でこてこてに疲れたことを思い出して去年やるべき仕事をさぼっていたのだ。そのときのいくつかの小さな破れを家の猫(3匹の内、若い2匹)が面白がって見るも無残な大きな破れに広げてしまった。さぼる口実が完全に潰えたのだった。 障子張りが終われば、年賀状の準備である。私は来年の1月1日(この日が誕生日)で満80歳になる。これを区切りで年賀状での新年の挨拶は終わりにしようと考え、そのような文面を作った。妻は来年以降も出すというので、昨年同様の家猫の写真入りの文面を用意した。親戚には従来通り私と妻の連名で出すということで、3種類の年賀状を準備した。 私の友人、知人たちへの年賀状は今回で終わるが、季節の挨拶など折々の便りは出そうと思っていて、その旨も今回の年賀状に書いた。今も何人かの友人には私が撮った写真の絵葉書をときどき送っている。便りばかりではなく自分の写真を見てもらいたいという気分も強い。つまり、年賀状はやめるが折々の便りと写真自慢を友人、知人全体に拡大できることにしたのである。パソコンで一挙に仕上げるこれまでの年賀状よりははるかに労働量は増える。しかし、幼馴染、大学時代の友人、大学勤務中の先輩・同僚・教え子、遊び(釣り)仲間などそれぞれにふさわしい絵葉書と作ろうと思っている。これが80歳を区切りとした新しい終活である。 もうひとつの終活は、10歳ぐらいから読み始めた「詩」の読み返しである。私は文学の中では詩がとくに好きなのである。好きな詩人も多いし、感動した作品もたくさんある(あった)。古い詩集を読み返して、80歳の今でも感動が続いていたら改めてその詩を抜き出しておこうという作業である。こちらは思い立ってすぐに始めたので、15冊ほどの詩集は読み終えた。家にある詩集が終われば、いずれ借りて読んだ図書館にも通わなければならない。そこそこの期間を費やするだろうと思う。 新しい二つの終活は、カメラなどと比べたらはるかに「終活」らしい。一つは、人生で出会った人々それぞれに「便り」を出そうというのだから、出会いそのものをきちんと振り返らざるを得ない。もう一つは、幼いころから感じてきたこと、考えてきたことのおさらいのような作業である。どちらも作業量が多くなりそうで、私の人生に間に合うかどうかわからない。人生の終わりまで終わらなかった「終活」はどう評価されるのか。これは私がどう考えても答えは出せそうにない。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.12.19
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体力回復の第一は脚力づくりだと思うのだが、神社の階段や天守台までの坂登りはまだやる気がしない。自信がないというより、不安が先に立つのである。鍛えるどころか身体を毀損するのではないかと不安なのである。カメラを持てばけっこう歩けるのでので、当面は平地の散歩で何とかしのぎたい。それにミニ旅行の行く先を見つけて動き回れば何とかなるのではないかと思っている。 さっそくカメラ散歩に出かけた。最近は紅葉と鳥ばかりだったので、街の写真を撮ろうと西公園経由で一番町、国分町あたりを歩くことにして家を出た。 西公園に入ると大きな木の紅葉はほぼ終わっていたが、陽が強く当たり始めた大木の下の小木の紅葉はまだ残っていた。この秋はだいぶ紅葉の写真を撮ったのだが、それでもやはり晴れやかな色に眼が向く。淡い色に色づく木が多いいのが私の好みにぴったりでシャッターの押し甲斐がある。この秋、たくさんの紅葉写真を見せてもらったが、全面に真っ赤が広がる写真には少し辟易するようになった。そういう派手な写真の方が人気のようだが、私としてはあまりそんなふうに撮る気にはならないのである。 西公園の彫刻(「牧神の午後」、バレーダンサー東勇作がモデル)と定禅寺通りの彫刻(「水浴の女」、クロチェッティ作)も撮ってみた。結果はさておき、彫刻を立体的に写すにはどうしたらいいか少しばかり試してみた。カメラ趣味とは畢竟そんな遊びなのである。 定禅寺通をまっすぐ一番町に向かい、仙台三越の地下にある大きな本屋に入ると、『茨木のり子全詩集(新編)』があったので購入した。私の本棚には茨木のり子の詩集としては『見えない配達夫』しかないので、ちょっと長年の宿題ができたような気がした。 三越を出て稲荷小路、国分町あたりを歩いた。今日は街の風景ではなく「町の細部」を撮ってみようと思っていた。「神は細部に宿る」というほどのことではないが、ごくごく個人的な香りのする小物が店の前に置かれたりしていて、そのものの陰にある人生が匂うことがる。そんな街角のスナップ写真が撮れればいいと高望みしているのである。 街角スナップと呼べそうな写真がそれなりに撮れた。おまけに「ビル街の秋」と呼んでもいいような写真も撮れた。カメラ散歩としてはまずまずである。総歩数は7500歩ほどで、こちらはもう少し頑張った方がよさそうである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.12.09
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東北高速道を村田ジャンクションから山形道に入る。道の周囲の景色はほぼ枯葉色である。積雪が始まってもおかしくはないどころか、昨日わが家も含めて仙台市街は真っ白になった。すぐに溶けてしまったこともあって、車で山形市に行くことに変更はなかったが………。 先日の岩出山・旧有備館庭園訪問は完全な失敗で、紅葉が完全に終わった鳴子峡へ行く先を変更してお茶を濁したが、悔しまぎれにそれでも「小旅行」を実行したことにしたものの不満は残った。 とはいえ、日帰り小旅行(ミニ旅行)なら下調べも準備もほとんど不要(そして費用の心配もない)なのでさっそく実行することにした。日帰りの距離から考えて候補はそれほどあるわけでもない。あっさりと山形市ということにしてネットを開いたら「もみじ公園」という観光スポットがいの一番に出てきた。もみじは期待できないだろうが、庭園なのでカメラ散歩に持ってこいである。 山形市内には循環バスがあっていくつかの観光スポットを便利に行き来できる。もみじ公園も循環バスの系統に入っているがここだけは中心部か少し離れて時間がかかる。駐車場もあるが狭いので「公共交通機関を利用するように」という案内である。モミジの紅葉真っ盛りの休日には近くの小学校校庭を臨時駐車場にするという情報もあるが、最盛期は過ぎたろうから駐車場の空きを期待できないわけでもない。そう都合よく思い込んで直接もみじ公園に向かった。 「池泉回遊式古庭園」のもみじ公園はもともとこの地にあった宝幢寺の庭園で、宝幢寺が廃寺になった後残った書院「清風荘」と庭園は山形市の所有になったということである。 駐車場は十分に空いていた。観光客で混みあっているどころか、園内にいるのは私たち二人と庭の手入れをしている一人の職員だけだった。紅葉は無理だろうと思ったが、それでも大木の下に生えている小さなモミジにはまだきれいな色が残っていた。 この庭園は、先日の輪王寺庭園を一回り小さくした規模でとても歩きやすい。池の風情もいいし、名残りの紅葉の色合いも淡いグラデーションのものが多く雰囲気がいい。池には2羽のカルガモ、錦鯉も群れていた。 望遠ズームで一回りしてから50㎜短焦点レンズに替えてもう一回りした。そのころには日も差していて、それもカメラには何よりだった。 庭園の写真は十分に撮ったので、市街中心部の3か所の観光スポットに移動することにした。中心部の時間外駐車場に車を入れて循環バスで回るのである。初めに「御殿堰」という観光施設に行った。藩政時代、農業用水、生活用水を供給するために城下に堀(堰)が張り巡らされていて、山形城のお堀にも給水していたので御殿堰と言うのだそうである。 ここはその堀を再現し、周囲に昔風の建物にお土産店や食事処が設けられている施設になっている。堀に沿ってしだれ柳が植えられていて、それなりにカメラ向きではあった。 次に向かったのは霞城公園(山形城跡)である。広い城跡の内、東大手門付近だけが観光向きになっている。この公園には山形の脱原発デモに参加する前に立ち寄ったことがある。東大手門の前にはお堀があり、それに沿って奥羽本線(山形新幹線)が走っていて、私たちが着いたときには普通電車が山形駅に向かって走っていた。 私たちが公園内でウロウロしていると、年配の男性が霞城のパンフレットを持て来ていろいろ説明してくれた。東大手門付近以外の史跡はほとんど埋まっていて、発掘作業の真っ最中ということだった。おまけに、次々と替わった山形城主と石高の表まで持ってきてくれた。それによれば徳川家康に戦功を認められた最上義光の時代は57万石で、その後はじり貧状態の2万石という時代もあったようだ。最上家は三代で移封されたが、公園の中央には最上義光を称揚する騎馬像があった(観光旅行なのに写真を撮り忘れた)。 最後に「山形まるごと舘 虹の蔵」という観光施設で遅い昼食をとり、お土産(地元の野菜)も仕入れた。「虹の蔵」は小旅行のときの道の駅と同じ役割を果たすことになって、ミニ旅行の形式はそれなりに整ったのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.12.07
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暑さが治まる秋には再開しようと計画していた2泊3日の小旅行は来春まで延期となった。2ヵ所ほど旅行先も決めて下調べもしていたのだが、8月に罹患した百日咳による体力消耗が不安だったことによる(資金も心細かったが)。 私自身は近場のカメラ散歩を楽しんでいたし、妻も映画やコンサートに出かけてはいたが、二人で出かけたのは片道25分の日帰り温泉だけだった。 天守閣自然公園や輪王寺庭園などでカメラ散歩を十分に楽しめたので、どこかいい庭園はないかと探していたとき、岩出山(大崎市)の旧有備館の庭園を思い出した。思い出したと言っても名前を知っているだけで行ったことはない。岩出山には「あ・ら・伊達な道の駅」という名前の道の駅があって、こちらは山登りの帰りに数回立ち寄ったことがある。 高速を使えば1時間で行ける距離だが、庭園と道の駅に行くことに妻は大賛成で、道の駅で昼食をとってから旧有備館庭園に行くことを考えて11時ころに家を出た。 「あ・ら・伊達な道の駅」はけっこう混みあっていたが、まずは地元野菜などをたっぷり買い込んで車に詰め込んだ。それからゆっくりと昼食を思ったのだが、けっこう待たされた。 午後1時半くらいに旧有備館に向かう。車の中で「観光スポットと道の駅の買い物、これに温泉が入ったら立派な小旅行だね」という話になった。「日帰りだけど小旅行ということにしよう」などと話しているうちに旧有備館の駐車場に着いた。案内看板がしっかりしていてスムーズに辿りつけたのである。 車を止めようと思ったら、目の前に「本日休館」の看板が出ていた。月曜休みの公的施設なのに火曜日休館ということが納得できなかったが、昨日の月曜日が勤労感謝の日の振り替え休日だということに気がついた。月曜定休の公的施設は火曜日が振り替え休日(月曜日)の振り替え休日なのだった。 日帰り旅行の主目的が消えてしまって「さあ、どうしよう?」ということになり、時間がある限りどっか探そうという妻の主張にしたがって、駐車場の車の中で二人ともスマホ操作である。探すというほどのこともなく、二人とも「鳴子峡にしよう!」ということになった。ここから車で40分くらいで行ける観光スポットである。 奥羽山地にむかって車を走らせていると山の赤みはどんどん減って行く。秋が終わりかけているのである。14時30分ころ鳴子峡レストハウスに着いた。広い駐車場には4台ほどの乗用車が止まっていた(観光客は15人くらい)。 深い鳴子峡の谷底から峰まですっかり冬枯れでもう雪を待つ準備ができたという風情である。せっかくなので谷底まで遊歩道を降りてみることにした(妻はレストハウスで待機である)。 谷底に降りる遊歩道にはゲートがあって16時には閉鎖するとあった。遊歩道をどれだけ歩けば底につき、急斜面をどれだけの速さで戻れるかわからないので、ちょっと不安になる。うねりながら絶壁に近い崖を降りるのでけっこう時間がかかるが、谷底に着いたらそこが終点だった。古い遊歩道跡が見えるが道は塞がれていた。 谷はすっかり冬枯れだが、もう少し立てば落葉樹が完全に葉を落とし、すっかりと谷の素顔が見られるようになるだろう。昔、山登りのとき土地の老人に山は冬に歩いて見ておけば道に迷わなくなると教えられたことを思い出した。 閉門の時間が気になって急いで周囲の写真を撮り、急ぎ足(本人はそのつもり)にかなり急激にブレーキがかかる斜面を登った。なんとか斜面を登り終える(16時までにはだいぶ間があった)と、退屈していたらしい妻が両手でストックをついて遊歩道を少し降りかけていた。戻ろうとしたがちょっとばかり降りた斜面を上がれず、腕を組んでぐいと引き上げてやった。 レストハウスに戻って妻はコーヒー、私はソフトクリームを頼んだ。観光客は若い女性7人ほどの団体客だけになっていた。彼女たちはタクシーを呼んで分乗して帰って行った。「さっきも中国人らしい人たちがタクシーで帰って行った」と妻が言う。そういえば私はタクシーを使って観光をしたことがない、などとつまらないことを思い出した。 主要な目的地には行けず、一日中曇り空というカメラ日和だったが、日帰り旅行と呼べば呼べないこともない、ということにして、妻にそう宣言した。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.12.01
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土曜日の午後、妻はパイプオルガンの演奏会に行くという。何度か行っている会場に地下鉄で行くので、送り迎えの必要はないという。それで、私もカメラを持って出かけることにした。昼食後、夕方のコンサートに行く妻を置いて先に家を出た。 2017年に死んだイオという犬と何度か歩き回ったことがある新寺小路に行くことにして地下鉄に乗った。先日の輪王寺でとても良い被写体にたくさん出会ったので、カメラ向きの寺があるのではないかという狙いである。 新寺小路には地名の通り、たくさんの寺がある。いわゆる寺町である。仙台には元寺小路という地名が残っているが、今では寺はほとんどなくなっている(私が知っているのは万願寺という寺だけである)。 新寺小路が東の寺町だとすれば、西の寺町は北七番丁から北山にかけての一帯であろう。先日の輪王寺は北山にあってその南や東には多くの寺がある。今日の寺参り(宗教心がないので妥当な言い方ではないが)がうまくいけば、西の寺町もこれからの候補地に入ることになろう。 地下鉄東西線「宮城野通」駅で降りて銀杏並木の東八番丁の大通りから左折して新寺小路緑道の西の入り口に向かう。 緑道を1ブロック分歩くと交差する道の右手に塀からあふれるようなモミジが紅葉しているのが見える。正楽寺である。北の裏門辺りには数人がカメラを持って出たり入ったりしている。私も急いでその門から中に入る。道路沿いの塀に沿って墓石、石塔が並んでいて、そのうえを広葉樹が覆っている。西に傾き始めた太陽の日が当たって輝く部分と翳っている部分がいい塩梅である。 墓石と紅葉と午後の斜光、私のカメラにどう写るかはさておいて、シチュエーションとしては申し分ない。ここは誰にとってもいい撮影場所らしく、何人かと競合することがあっても「どうぞ」「あっ、すいません」などとみんな機嫌よくシャッターを押している。きっと、私と同じようにいい場所を見つけたとワクワクしているに違いない。 北から寺に入ったので、南の本殿前から山門の方へ出る。山門でも数人がカメラを持って行ったり来たりしている。阿吽の金剛力士像などは置かれておらず、文字通り山門だけが建っていて、その「しのびやかな」たたずまいがとてもいい。そういう雰囲気をカメラで写し取れたらいいだろうとずいぶん考えたが、まずはシャッターを押すしかないと思い直すしかなかった。 シャッターを押しながら北口の方に移動し、最後に緑道向かいにある墓地から正楽寺を写して、次に移動することにした。 道1本を挟んで正楽寺の東に隣接する善導寺に入った。善導寺の前の歩道もいい雰囲気で、山門に向かって歩いていると「しぃーん」という音が聞こえてくるのではないかと思えるほどじつに静かである。山門をくぐると、夫婦らしい二人がいて男性がカメラを鐘楼に向けていた。二人はすぐに本堂横の石畳の細道を通って出て行かれた。 この寺には山門のほかにいくつか門があって、お互いが石畳の小径でつながりながら本堂前に出ることができる。樹々に覆われた石畳の道はどこか気品を感じさせる趣きがある。これもまた、私のカメラで写し取ることは難しい。 善導寺の写真を撮り終えて周囲の寺院を探してみたが、近くはどこか近代化の雰囲気が漂っている寺ばかりだったので、今日のカメラ散歩を終えることにした。時間はまだ早く、妻が行ったコンサートは始まったばかりの頃だろう。私の方は、4時頃には帰り着くので、ひと休みしてゆっくりと夕食の準備に取りかかれる。 帰り道、正楽寺の東門の前を通ったので、私を寺に誘い入れた塀越しの紅葉を写真に収めた。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.24
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鳥撮り散歩は、昨日で連続の三度目となった。三脚をきちんと使えば私でもそれなりに遠くの鳥の写真が撮れることにすっかり有頂天になって、鳥撮りにのめり込みそうな自分がいる。しかし、冬が進めば今よりずっと水鳥は増えるし、木々の葉が落ちて林の中の鳥も撮りやすくなる。今よりずっと鳥撮りの機会が増えることになる。 それは問題だ、ということに気がついた。カメラを終活の趣味にすると決めたとき、(ごくごく大袈裟に言えば)私を囲繞する世界のすべてを撮ってみたいということだったはずなのである。鳥だけを撮るプロのカメラマンや趣味人もたくさんいるが、私の望みはそうではないのだ。いずれ、鳥撮りは必ずやるのだから、しばらくは別の被写体を探そうと考えたのである。 どこかの庭園などは、まるで写真用に誂えているかのようなことがあって苦労なく被写体を探せるだろうと考えて、候補に上がったのは輪王寺である。仙台市の共同墓地のすぐそばにある伊達政宗ゆかりの寺で良く見知っているのだが、庭園も含めてじっくりと見たことがなかった。車で数分くらいの近くには、市を上げて「青葉まつり」をやっている当の青葉神社がある。こちらも参道の大鳥居を見かけている程度なので併せていってみることにした。仙台生まれの妻も、私と似たような経験しかないので一緒に行く言い出して、9時半ころに家を出た。 輪王寺の本堂横の駐車場に着いた頃には小雨が降り出していた。珍しいことに駐車場には5台分ほどの駐車スペースの上に一台の観光バスが停まっていた。私たちが本堂の方に歩いていると中国人らしい人たちが三々五々バスの方へ戻ってくるのだった。外国からの観光客が仙台の輪王寺にも来るようになったらしい(もっともこれからは「高市リスク」の一環で中国からの観光客は激減するのかもしれないが………)。 本堂前付近の樹々の紅葉は小雨の中でもやはり美しい。被写体にはまったく困ることなくシャッターを押していると雨が少し強くなった。 しばらく四阿で雨宿りをしてから、庭園を見に行くことした。中央に大きな池があり周遊できるようになっていて、西の高台には三重塔が見える。きちんと整備された日本庭園で、雨の中で一生懸命写真を撮っているカメラマンがいた。彼のカメラの視界に入らないように気をつけて移動していたが、どうも彼も私のカメラを気にしながら移動しているようだった。 輪王寺庭園を一通り撮影し終わって庭園を出るころには雨が上がっているばかりではなく陽もさし始めている。先ほどたくさん写真を撮った本堂前もまるで雰囲気が変わったように輝いて見える。行きつ戻りつしながらシャッターを押して駐車場まで帰った。 青葉神社も長い階段の参道を避けて、細い急坂を本殿近くの駐車場まで上がった。そこで改めて気がついたのだが、神社の多くは本殿を囲む森と参道脇の樹々ばかりという構成になっていて、広い庭はあっても寺院のような庭園になっている例は少ないのではないか。青葉神社も本殿前には広いにはあるが、参道脇の広場という感じである。 妻を本殿近くに残して、参道の階段を下りてあらためて大鳥居を潜り、カメラを構えながら参道を登り返した。階段の上に次第に見えてくる広葉樹の姿にワクワクしながらだいぶシャッターを押した。 結局は、今日のカメラ散歩も昨日のカメラ散歩と同じくらい楽しかった。私のレベルから見れば十分に満足できる写真が何枚も撮れた。 一週間後には別の庭園施設に行ってみようということになった。一緒に行く妻の方が私よりはるかに張り切っているし、日程は妻の都合で決まったののである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.22
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重い超望遠デジカメをきちんと三脚に据えて遠く離れた鳥を撮影すれば、私にとってはかなり満足できる写真を撮ることができる、三日前そういうことをしみじみと味わった。すっかりその気になって、三日前と同じ心構えになって、今日は自宅から下流に向かって広瀬川の右岸を下ることにする。 家から堤防に出ると広瀬川の広い浅瀬に小さな鳥影がいくつか見える。堤防を遠回りして降りて、できるだけ川岸に近づいて三脚を広げてカメラを据えた。三日前には撮った写真をJPEGファイルで保存したが、今日はソフトでいろいろ修正できるようにすべてRAWファイルで記録する設定にした。 小さな鳥の一羽は夢中になって餌を探しているコチドリだった。もう一はセグロセキレイで、こちらはせわしなく動き回っているものの餌を探しているのかどうか見当がつかなかった。 三脚を使うと余裕が出るので、シャッターを押す回数が増えるのだが、見切り時が難しい。まだまだ、シャッターを押した瞬間にいい写真を撮ったという確信が持てるレベルではないのだ。家に帰って、パソコンで拡大して見るまでは何とも言えないのである。 コチドリとセグロセキレイを撮った中ノ瀬緑地の周囲をぐるりと回ってできれば木陰で鳴いている鳥も撮りたいと思ったが、それはまったく叶わなかった。 河川敷から高い崖の上の道に出て広い道路(大橋が架かる道)を一つ越えて青葉山公園前の広瀬川右岸に出た。先日、それぞれ番になったマガモとカルガモがいたところには何もいなくて、少し下流に下ると向こう岸にアオサギ、ダイサギ、コサギの混群が見えた。 草を静かに踏みながら少しずつ川岸に近づいて三脚を広げカメラを据え終わるころには、私の姿に気づいたらしくコサギが飛び立っていた。かろうじてダイサギの最後の一羽が飛び出す姿を捉えた。 一羽だけだったアオサギは居残って何枚か撮ることができたが、残念なことにカメラから目を離した隙に飛び立ってしまった。 向こう岸(左岸)から飛び立ったサギたちは、こちら側(右岸)の下流部に向かったのが見えた。少し川岸から離れて繁茂するススキのこちら側を鳥たちから見えないように川を下った。もうこれ以上下れないという所で河原に出てゆっくりと上流方向に歩いた。やはり右岸にダイサギとコサギ一羽ずついて、周りにカルガモ、マガモなどもいた。沖には十数羽のオナガガモが泳いでいた。 カルガモ、コサギとカルガモ、ダイサギとマガモなどいい構図がたくさんあったのだが、半分身を隠そうとした近くの草木にピント合わせを邪魔されて使えない写真の方が多くなった。こういうあたりが当面の修行のしどころかもしれない。 これ以上下れないので引き上げようと歩き始めたとき、川の上を数羽のダイサギとコサギが上流へ飛んでいき、大橋を越えて右岸側の方に降りたように見えた。そこは青葉山公園に来た道の崖下で、右岸側からそこを撮影することができない。ぐるっと回って大橋を渡り上流左岸側に行ってみることにした。 橋の上から見ると崖下の岸にダイサギとコサギが群れている。つい急ぎ足になる心を抑えながら川岸に降りて撮影を始めた。数人で橋の上を通る人らが何か言っているようだったが、無視してカメラを覗いていた。どっちみち私は聴力が落ちているので聞き取れないのである(実のところちゃんと補聴器を両耳に装着はしていたのだが)。 とても良い時間になった。ときどきコサギが飛んでみせるし、肉眼ではよくわからなかったがサギのまわりにカルガモとカワウがいて、カワウはときどき潜って見せたりした。昨年あたりは白いサギが単独でいるとコサギかダイサギかよく判断できなかったが、目の当たりにした大きさの違いでこれから迷うことはないだろうと思う。 三脚を持って出るだけで、結果は一変すると言いたいところだが、その功は姿を見せてくれた鳥たちにある。せいぜい三脚を使うとじっくりと鳥たちにつき合えるということだろう。 今思い出しても悔しいのは、アオサギが飛び立つ瞬間を捉えられなかったことである。アオサギは留鳥だから一年中チャンスがあるのは救いでもあるのだが………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.20
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コンパクトデジカメとは言いながら超望遠を誇る重いカメラを抱えて水鳥を撮りに行ったのは4日前、水鳥は少なかったが紅葉を写して何とか帳尻を合わせて帰ってきた。カメラが趣味と広言しながら三脚を使うのをさぼったというのはどうにも心苦しい感じが残ったのだった。 家の前の水辺でちょっととカメラだけ持って出かけてしまうので、午前中いっぱい時間をかけてじっくり鳥を撮ることに決めて三脚を用意した。先日は、家の前から少し下って鳥を探したので、今日は時間の許すかぎり上流へ遡ってみようと家を出た。 川内緑地という河川敷公園の最下流部から石の上にいるカワウを見つけた。三脚に固定したカメラでカワウを覗いて観察していたが、いっこうに動く気配がない。いくらシャッターを押しても同じポーズしか取れないのである。三脚に乗せたカメラを覗いているだけなので体にはいっこう負担がかからないのでけっこう長いあいだ見ていることができるのだが。 その公園の最上流部は澱橋の真下で、そこから対岸にいるダイサギを写した。ずっと観察を続けて餌をとる姿、最後には飛び立つ姿まで写すことができた。三脚の効果は抜群である。短気なこの私がカメラを抱えて(じっさいは抱えていないが)じっと待つことができるのである。気を良くして澱橋を渡って上流側の澱緑地(河川敷公園)に入る。 澱緑地でもすぐに対岸のダイサギを見つけた。カメラを覗いてじっと待っていればよいことが起きると念仏のようにくり返し自分に言い聞かせながらじっと待っていると、ダイサギが飛び立ち、その羽ばたく様子をカメラに収めることができた。 マガモやセグロセキレイなどを写しながら上流に遡って行った。澱緑地は細長くけっこうな距離があるのだが、ブッシュで川岸に近づけない所、近づけても水鳥の寄らないところがあって、あっという間に緑地の最上流端(牛越橋下)についた。端の直ぐ上には三居沢発電所があり、2kmほど上流の広瀬川から取水して牛越橋のすぐ下で放流している。そのため、牛越橋上流の水量はほぼ半減している。それでも橋の下を通って700mほど上流まで歩いたが、飛んでいるセキレイ3羽、カワウ1羽を見ただけだった。そこから先は川の岸を通して歩くことができなくなった。 帰り道、見渡せば周囲は紅葉の木々が溢れるように輝いている。見上げる山の上、左岸も右岸も紅葉である。右岸の木々は逆光を受けて輝いている。水が見えれば水鳥をいちおう探すのだが、けっこう満足しているせいか気が入らない。紅葉の写真を撮りながら帰ることになった。 今日の鳥撮りはおしまいのはずだったが、自宅近くの堤防から覗くと家を出たときはいなかった水鳥がけっこう多くいる。さっそく三脚を広げて覗いてみると見慣れないカモがいる。ちょっと遠いが何とかなるだろうと、ほかのカモにもピントを合わせた。第1陣で飛来したオナガガモとマガモもいたがそれよりも小型の鴨だった。留鳥のカルガモも3羽混じっていた。カルガモを望遠で撮ったのは初めてである。帰宅後調べると、見慣れない鴨は、カワアイサの雌雄だった。 疲れたが、カメラ散歩には収穫の多い良い日だった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.19
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1週間ほど前、自宅前の広瀬川で数羽のカモ類を見た。最初の渡りらしい。その鳥の写真を撮ろうと朝食後に川に出てみた。持ち出したカメラはNikon COOLPIX P1000である。コンパクトデジカメに分類されるが、たぶん世界最大のデジカメだと思う。鳥や天体撮影用に特化したカメラでフルサイズ一眼レフやミラーレスの3000㎜相当の望遠がうたい文句で、とにかく大きく重いカメラである。三脚を使って撮影することが期待されているが、昨年の冬鳥撮影では条件次第では手持ちで撮れないこともないという経験をしたので、カメラだけ持って家を出た(装備が大袈裟になるのが嫌だっただけである)。 ところが家の近くの川には一羽の鳥も見えない。岸から離れて少し下流へ向かった。その道々、樹々が紅葉にも黄葉にも彩られていて、何枚も写真を撮った。P1000だってコンデジだからそれなりに撮れるはずと、カメラの種類にお構いなしである。やはり「秋色探し」は楽しいし、そこそこ写したのでだいぶ満足した。 午後直ぐの予定もあるし帰ろうかとも思ったのだが、念のために川を覗いてみるとカモたちが泳いでいるではないか。この辺りは中州があってカモたちは分流のこちら側に居るので、手持ちでも撮影できそうである。 マガモとオナガガモの2組のつがいが一緒に泳いでいた。その少し下流にはダイサギが岸辺に佇んでいた。これで何とか「鳥撮り」が「葉っぱ撮り」にならずにすんだし、P1000も本来らしい仕事ができたとことになった。 故障している風呂の給湯器を新品に取り替える工事は2日後なので、今日も日帰り温泉に行くことにしていた。それで、115歳まで長生きした義母を亡くなるまで長いこと親身になってお世話してくれたヘルパーさんをお誘いしてランチと温泉を、という計画である。 先日のようにはカメラは持参せず、ゆっくりとした長風呂の日帰り温泉になった。どういうことか理由はわからないが、体がすっきりとする感じがしていい気分での帰宅になった。リハビリ、リハビリと言い募っているが、これは単なる病後の養生である。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.12
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夏の終わりの百日咳罹患でかなり体重も体力も減らして少しずつ回復して、いるものの体調は万全ではない。昨年の秋から始めた2泊3日の小旅行もこの秋には2回計画していたのだが、取り止めることにした。計画した一つの小旅行の目的地は秋田で行き帰りに奥羽山地を越えるので、紅葉見物に最適なコースを探していたのだがこれもダメになった。クマの出没騒ぎで近郊の山に出かけるのも憚られて、紅葉の写真は諦めていた。 5日ほど前に風呂の湯沸かし器が故障して、シャワーしか使えなくなった。だいぶ使い古した機種なので修理は無理ということで買い替えるけることにした。年寄り夫婦はシャワーだけでは満足できず、日帰り温泉に行こうということになった。じつは以前から秋保温泉の中の日帰り入浴施設に回数券を買ってときどき通っていたのだが、これも百日咳トラブルで沙汰止みになっていたのだ。 この「市太郎の湯」という日帰り温泉は「天守閣自然公園」の一部で、入浴券でどちらも入れるのだった。初めてカメラ持参での温泉行きとなった。公園で紅葉を撮ろうということである。 天守閣自然公園は、山塊北側の一部が崩落した麓に造られているため天然の巨岩がゴロゴロしていて、南はところどころ岩肌が見える急斜面になっている。崖の上の台地にはかつて秋保一族の館(城)があったので天守閣自然公園と名付けられたらしい。広い園内にはモミジ、カエデの類が多く植えられていて期待通り紅葉、黄葉が盛りだった。11時前に園内に入ったので陽射しも日陰もあったが、南に急な断崖があるので午後には陽が射さなくなる場所が増えていくようだ。 園内には小さな滝や池があって、錦鯉が泳いでいた。水の中の魚の写真を撮ったのはこれが初めてのような気がする。交換レンズなども持たずカメラとレンズ1本だけしかもっていかなかったのでそのまま写したが、変更レンズがあればもう少しいろいろと写せたのかもしれない。 ほんとうにモミジやカエデが多くて黄色か赤ばかりという感じだが、うまく撮れないもののグラデーションもあって楽しむことができる。杉木立の向こうに覗いている紅葉という良い構図にも出会えた。黄葉樹にレンズを向けていると視野にヤマガラが飛び込んできて枝にとまった。ちょっと遠かったがヤマガラ登坂bつできる程度の写真は撮れた。 園内を回り終えるころ、白のシュウメイギクとホトトギスが咲いていた(植えられていた)。その写真とこれから入浴する温泉施設側の庭に生えている紅葉木を撮って私たちのささやかな「紅葉狩り」は終わった。 「市太郎の湯」には男女用ともそれぞれ大きな浴槽が3つずつあって、いつでもゆっくりと入浴できるのがいい。県内の日帰り温泉を探していくつか行ってみたが、距離も近いということもあって今ではここばかりに通っている。 良い湯だったが、帰ってきたら体の数か所が痛み出した。弱った体で動き回っていたことで痛んでいた個所が顕われてきたらしい。これで少し回復が早まっただろうと期待して、わが家の風呂が使えるようになる前にもう一度行こうと画策している。日帰り温泉もリハビリの一貫ということになりそうである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.10
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カメラ(写真)を終活(趣味)の中心に据えて夢中になっていたのだが、百日咳に罹患後、2ヶ月ほどカメラを手にすることはなかった。カメラどころか、何をするにも気力が沸き立たないのだった。罹患中の体力消耗は激しかったが、体力の無さは気力の無さに直結しているのだった。私の精神力などこんなものだとしみじみと味わう日々が続いた。 読書は1日に1~2ページほどは読んで、地を這うようにじわじわ進めた。激しい咳き込みで七転八倒していた5日ほどは妻に食事の用意をしてもらったが、それ以外の日は三食すべて私が用意した。2カ月の間、何かをやったと言えばそれぐらいである。 その間、県の委員会が一度開催され議長を務めた。またその委員会の関係で一泊の東京出張が1回あった。過失なくこなした(と自分では思っている)とはいえ、以前の5~6割の気力で辛うじてこなしたという感じであった。東京駅や新宿駅の広い構内を歩かなければならないと思うといくぶん恐怖ですらあった。もちろん歩くことはできたのだが、そんな気分でいっそう気が滅入るのだった。 とにかく少しずつリハビリしなければならない。無理をせず、体力、気力に応じたリハビリが必要だと考えた。手始めにカメラを持って、家の前の広瀬川の河川敷に出て野草の花の写真を撮った(10月22日)。リハビリと言うのも憚られるほどの時間だったが、マメアサガオ、ヤナギハナガサなどという始めて見る花もあって写真を撮ることにいくぶん夢中になれた。紅葉を始めているなじみ深いイヌタデを見るのも楽しかった。 それから2日後、暗いうちから起き出して近くの橋の上から夜明けの空を撮りに出かけた。空に散らばった雲に朝焼けが広がる様子を写し終えての帰り道、十分に明るくなっていたので河川敷に降りて花を写した。そこの河川敷にはノコンギクが驚くほどたくさん生えていた。そのほかの花は少なかったが、コセンダングサの線香花火のような実を見つけた。もっともこの種はとても厄介なひっつき虫で、野歩きの好きな私はいつも悩まされている。 早朝のカメラ散歩は私なりに満足だったこともあって、その日の午後から仙台城址と広瀬川の間にある青葉山公園に出かけた。まず最初に、毎年の楽しみだった色づいているノブドウの実を探した。朝の河川敷にはたくさんのノコンギクがあったが、こちらの河川敷にはコヨメナがあった。花のサイズは同じくらいなのに草姿が小型のコヨメナの方が好もしい。逆光に透けているハナミズキの美しい色も撮ることができた。この写真で次回のカメラ散歩のテーマは「秋色を探す」としようと思いついた。 カメラ散歩でリハビリと言うのは調子よくやれそうである。諸々の雑用がなくなった土曜日(10月31日)、きめていた「秋色を探す」というテーマで青葉山公園付近をゆっくりと回った。いろんな木の紅葉した葉を写そうというのである。サクラ、カツラ、ヤマボウシ、ニシキギなど、それぞれはそれぞれの色で十分に楽しませてくれた。 さらに翌日の11月1日、散歩コースの一つの仙台城跡天守台に暗いうちに出かけた。日の出の写真をよく撮っている場所だが、今日は「天守台」そのものがテーマ(つまり、天守台で撮れる写真であれば何でもということ)である。夜明けの空、枯れかけた古木、朝日に映える樹々、修復が終わったものの昭忠碑の台座に戻されない鳶の彫刻、朝日を反射するビル群、仙台湾を航行する大型船(400㎜望遠で)など、気に入った被写体なら手当たり次第なのである。 こんなけっこう気楽なリハビリだが本人はけっこう真剣なのである。2ヶ月後くらいには以前の筋トレ散歩ができるように計画している。「ゆっくり」が成功の鍵だろうと本人は(たいした根拠もないのだが)信じているのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.02
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暮らしぶりは前のように戻ったが、まだ咳きこむことがある。百日咳に罹患した。日曜日の8月24日は朝から何やら体調不良で、夏の疲れが出たのだろうと考えていたのだが、翌日から咳が出始めた。熱はまったくの平熱で咳だけが出る症状なのだが、百日咳という病名をいただいた。 ネットで調べると、比較的軽い咳だけの症状が1~2週間続いて、これが病状経過の第1期(カタル期)、第2期は激しい発作的(痙攣的)な咳と嘔吐食欲が2~3週間(痙咳期)、第3期は2~3週間の回復期でしだいに咳は治まる。 私の場合は、カタル期が1週間と短く、痙咳期も1週間と短かったが激しい咳と嘔吐に苦しめられた。何よりも辛かったのは食欲不振で、4日ほどほとんど物が食べられず、痙咳期の1週間で5kgほど体重を落とすことになった。 抗生物質と咳止めと胃腸薬を処方されていた痙咳期が終わると数日分の咳止め薬だけが処方されて「あとはほっとけば治ります」と病院から解放された。ほっとけば治ると言われたもののあれから4週間経ったが、まだ咳は続いていて「百日咳」というネーミングの実質をしみじみと味わっている。じっとしている時や睡眠時にはほとんど出ないので助かっているが、話したり、ちょっと体を動かしたりすると軽い咳が出始めて止まらなくなることがある。1日3度の台所仕事の時にはよく咳が出るのである。厳密に百日だったら11月中旬まで続くことになるが、どうなることやら………。 体力を大幅に落としてしまったせいで、回復期に入ってもまったく「やる気」まで失せてしまっていて、ずっとぼんやりと過ごしていた。1週間ほど前からやっと少しずつ本が読めるようになって、2,3日前から以前と同じくらいの気力になったような気がする(それでブログを書きだした)。 長くなるだろうと予想される腎臓病は、終活として積極的に向き合って闘病生活を楽しみながら頑張ろうと心に決めていたが、百日咳まで終活というのはご免蒙りたい。5日ほど前に腎臓病の定期検診があったが、百日咳で激しく体力消耗したのに、検査(尿と血液)数値は、健常者と変わりないほどよくなっていて、処方薬は少し減ることになって、こちらは極めて順調である(終活はこうでなくちゃ)。 カメラに夢中になっていたが、この期間はカメラそのものを手にしていない。症状の軽い第1期(カタル期)の8月29日には川向うの公園まで軽いカメラ散歩をしただけである。公園で見た優しい朝焼けを撮った。体も気力も衰えているときには激しい色の朝焼け、夕焼けでない方がいいらしい。 公園からの帰り足、広瀬川に架かる橋の上から秋らしい雲を写した。その時は、まだまだ暑いのに空はもう秋なのだなぁとちょっと感動もしていたのだが、今はもうすっかり秋も深まって、うろこ雲に心がとくに動かされる時期ではなくなってしまった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.10.05
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昨年四月から終活を始めて、1年以上経った。予定外の腎ネフローゼ症候群の発病というアクシデント(?)もあったが、闘病もちゃんとした終活の一つにするということで気持ちだけは持ち直した 「病気にもかかわらず」と言うべきか、「病気になってなおさら」と言うべきかわからないが、終活は順調で忙しいと思えるくらいの勢いで暮らしてきた(と私自身は思い込んでいる)。ところがここ十日ばかり、少し時間が空くと「退屈だ」と思うようになってきた。酷暑ということもあって、昼日中は外に出ないということもあるが、終活が偏っているということもある。【カメラ】 いま、一番はまっていて時間を割いているのは、間違いなくカメラである。4月から6月までは月一度の小旅行に出かけ、その都度大量の写真を撮ってきた。写真の整理はかなりの時間を食うし、取捨選択のうえ、ネット上の二つのカメラ愛好グループに投稿する。山野の風景、市街の様子、夕焼けや夜景などと分けると一回の旅行の写真では20回ほどの投稿になるのでそれなりに忙しい。 日々の散歩は同じ場所なので一時はカメラを持たないで出かけていたが、最近は同じ散歩道でも天候やレンズ次第で様々なヴァリエーションを持つ写真が撮れることが分かって、撮れる写真は増えるばかりである。 そのうえ、これまで撮ったことのないポートレート写真を撮ってみたいと思い立ち、国立西洋美術館の展覧会を見に行った折に、上野恩賜公園を撮影場所に設定して妻のポートレート写真を撮った。これを「79歳がとった79歳のポートレート」と題してネットの写真グループに投稿したら、驚いたのかあきれたのか判然としないがけっこう反応があった。何人かからは励ましのようなコメントも届いて、「妻のポートレート」という分野も続けざるを得ないのである。 こうして今は、終活はカメラに関わっていることが多い(多すぎる)。【庭仕事】 終活を始めたときに一番最初に体を動かしたのは、庭仕事である。まず、西側の隣家との間のフェンスに3本のつる性の花木を植え、狭い通路には日陰に強い草花を植えて、これは順調に育っている。 西側の広瀬川堤防の間には垣根がわりに椿を植えているが、その堤防側の椿の根元に季節の花が咲くように球根やなんやら背の低い草花を植えて、堤防を散歩する人楽しんでもらおうと思っている。これは7割がた完成に近くなっている。 東の庭も南の庭も狭いので、去年と今年でほぼ満杯状態になって、これからは改良をどうするかが課題になっている。庭仕事は順調なのだが、この夏は日中に作業ができない。一昨日と昨日は朝4時半に起きて1時間半ほど雑草抜きをした。これは珍しく妻も一緒に起き出して手伝ってくれた。 庭仕事という終活もまぁまぁ順調である。草取りには終わりがないというのが辛いが………。【台所仕事】 三食の食事を作るというのも終活の一つで、毎日やっていると終活感がなくなって義務のような感じになって嫌になることもあるが、まずまずこれも順調である。水曜日に一週間分のレシピを作り、印刷したレシピを妻に渡して意見をうかがい、木曜日に一週間分の食料の買い出しに出かける(木曜日は生協の高齢者サービス日になっている)。 レシピ作りも最近は30分もあれば一週間分を作れるようになった。スマホには材料別のレシピが山のように入っているので、スマホ片手にパソコンでレシピを作るのである。この終活も順調と言えるだろうが、順調でないと飢えてしまうので困るし、さぼれない終活というのもなんか変な感じがする(私にとって終活は趣味と同義なのである)。【山歩き】 今年は春先から初夏まで6回ほど山に入った。1000mを越える標高までいって花の写真を撮るという山歩きは、実に楽しい。今では頂上直前でもあっさりと引き返すという年寄りの知恵もある。無理をしつつ無理はしないという極意が見えてきた、などと妻に自慢しているほどである。 次に行く山もいくつかあって下調べも済んでいる(もっとも若い時に何度か登った山ばかりだが)。【釣り】 今年は、釣りを一度もしていない。春から初夏まで山、旅行、庭で釣りにかける時間はなかった。若いころ失業するのではないかと周囲が心配するほどやったので、あまり釣りに飢えるということはなくなっていて、終活の順位は低いらしい。 夏は鮎釣りの季節で、昨年は8月中旬に3回ほどわが家の前に広瀬川に入って、わが家と隣近所で食べる分は釣ることができた。7月1日解禁のアユ漁だが、8月半ばには鮎はそうとう大きく成長するのである。 今年も大きな鮎を釣ろうと8月まで待っていたのだが、酷暑で川が渇水し、鮎の餌となる石苔が腐ってしまい、鮎が成長できずにいる。県の内水面漁業の会議で、県内の河川の状況報告があったが、どの川もよくないのだった。その会議の席で、私は自分のアユ釣りを諦めてしまったのである。小鮎といえども秋には成熟して産卵に参加できるだろうから来年の遡上に期待するという気分もあったが、一方で、釣り人の大半は強欲だから小鮎でも何でも釣るだろうなとも思ったのだった。【闘病という終活】 これは、8月5日の診察日に医者が「ほんとうに順調ですね」と言ったほど順調である。ネフローゼ症候群の最大の病状は、尿中の蛋白質が異常に増加することである。健常者はその値が0~150mg/g・creなのだが、昨年7月の退院時には5000ほどだった。それが今年の4月には737、6月には169、8月には61と何とか正常範囲に達した。 こうした結果は薬の効果で、4月から徐々に薬を減らしていっているのだが、どうも先はけっこう長いようだ。4月には主要薬量が1日12㎎だったのが、10、9と減って現在は8mgである。0になるのはだいぶ先のようだ。 完治はしていないのだが、体調は発病以前と変わらない。入院でげっそりと落ちた筋肉量もほぼ回復することができた。 釣り以外の終活は順調というしかないのに、退屈しているのである。さて、どうしたものか。仙台城跡の朝と仙台展望(2025年8月8日)読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.08.11
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『スウェーデン国立美術館 素描コレクション展』に妻と出かけた。退職してから10年ほど、かなりの頻度でいろんな美術館に行き、私なりに熱心に絵を見ていた時期があった。登山の相棒犬が亡くなったあたりから私の行動は次第に不活発になり、地域のいろんな役を引き受けた忙しさを理由にさらに不活発になり、登山、、魚釣り、街歩きなどの趣味の激減、読書量の半減の日々が続いた。昨年の4月に決意して始まった終活の中には美術展に行くことも含まれていたが、新しく始まったカメラ修行という趣味や長引きそうな病気にじっくりつき合うという終活も突然加わってけっこう忙しくしていた。終活開始後の初めての美術展である。 妻を国立西洋美術館に誘ったのはちょっとした別の思惑もあった。夜明け、夕景、山や街の風景、花、鳥などを私のカメラは対象にしているのだが、人は含まれていない。もちろん、家族や旅先での記念写真のような人を写した写真はあるけれども、いわゆるポートレートと呼べるような写真を撮ったことがない。それで、ポートレート写真の手始めは妻をモデルにしようと企んだのである。美術館と上野恩賜公園での「79歳のモデル」も悪くない。そんなこと企んだ。美術展とカメラ、良い終活になるだろう(という予感)。 7時に家を出て、10時30分ころに国立西洋美術館に入った。妻の障害者手帳を見せると付き添いの私も美術館はすべてフリーパスである。今回は車椅子を借りた。妻はそれを歩行器がわりに押しながら絵を見て歩くのである。車椅子を私が押してもいいのだが、それでは視線が低くなって絵がよく見えないので嫌だという。たしかに美術展の絵は成人の目の高さに展示されていることが多い。 画家の個展の場合、その画家の素描も展示されることがあって、抽象画家の若い頃の素描の描写力に驚くことがある(優れた抽象画が優れた描写力をベースにしているというのは当然なのだが)。ただし、今回の素描が「ルネサンスからバロックまで」と副題にあるように抽象画家の素描は望むべくもない。 私には、素描の中でも手や腕のような人間の体の部分の絵が好きである。今、思い出せるのはアンドリュー・ワイエスが草原に座る女性像のために描いた手や背中の素描ぐらいしかないが、展示室ではそんな絵を眼で追ったが、一点しか展示されていなかった。多くは、大作のための全体構成のスケッチだったり、その一部の人間像の素描だった。中には、素描らしからぬ彩色された絵もそれなりにあった。 すごく良い絵だと感動したのは、「下から見た若い男性の頭部」という素描画である。ハンス・ハルドゥング・グリーンという始めて知った画家が1545年に描いた作品である。下絵とか習作としての素描ではなく、もうこれで完成された作品でいいのではないかと思うほどである。素描の良さは、観る者の想像力をかき立てる力が大きいことだと思う。これに彩色し、人間の顔として写実性を高めていくにつれて観る者の想像力は少しずつ削がれていくのではないかと思う。完成された顔の写実性に打たれるということはまた別の鑑賞の話である。 「眠る犬」(コルネルス・フィッセル、1658年)という小さな絵があって、評価が高いらしく、ミュージアムショップではこの絵をあしらった商品が何種類も並べられていた。私が図録と一緒に買った小さなノートの表紙もこの絵だった。ショップでは妻は必ずと言っていいほど一筆箋を探すのだが、この犬の絵の一筆箋しかなかった。いらないと頑張っていたが、ショップを出る直前に買う決心をしたらしい。この絵を見ると「ホシ」が死んだ時の事を思い出して嫌だったのだと言う。「ホシ」というのは27年前に亡くなった飼犬で、私が仕事でブラジルに行った翌日に危篤になって、動物病院に連れて行き、遺骸を引き取り、火葬にするという一切を妻が一人でやったのだ。「眠る犬」は病院で死んで戻ってきたホシの姿を思い出させるのだと言うのである。 二人ともシュンとして美術館をあとにしたが、上野公園の数か所でポートレート写真を撮った。初めてのことなので出来、不出来を語れるレベルではないが、少なくとも次のときはこうすればよいと分かったことがいくつかあった。いつか「79歳が撮った79歳のモデルのポートレート」が人に見せられるレベルになることがあるかもしれない、という気分にだけはなった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして
2025.07.27
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昨日は豪雨に悩まされたが、それでも順調に観光をこなすことができた。もっとも、初日の「山口集落」に行くことを除けば、何も決めていなかったと言っていい程度の計画である。まずは、市の中心部から遠いところから行きたい場所を決め、あとはそのつど観光スポットを見つけて動き回るというパターンである。とはいえ、今日はまず倒木に遮られて行くことのできなかった「五百羅漢」へ行くことは昨日の段階で決まっていた。 宝暦5(1755)年から翌年にかけて東北地方から北関東まで冷害による大飢饉が発生し、遠野領内だけでも二千数百人の餓死者が出たという。そうした凶作、不作による餓死者を悼んで500もの自然石に羅漢像が彫られたのだという。写真で見ると浅い谷あいにたくさんの石が苔むしているようにしか見えないのだが、無数の死者を500もの羅漢像で鎮魂しようとする人間の意志や情の篤さを考えれば見に行くしか選択肢はないのだった。 昨日立ち寄った「卯子酉神社」前を過ぎてすぐ案内板に従って山道に入る。狭い山道(と言ってもきちんと舗装されている)がうねうねと曲がりくねった坂を登って行く。2ヵ所ほどの分岐も間違えることなく「五百羅漢」の看板にたどり着いた。十分な駐車スペースには四阿もある。道の山側の杉林の浅い谷間に自然石がゴロゴロしていて、小さな沢に掛けられた木橋を通って行くのである。 初めはどれも苔むした石にしか見えなかったが、慣れてくると次々と羅漢を見つけることができた。どれも線彫りの素朴なもので、苔の中からお顔を見せているのだった。どれだけの羅漢様を見つけることができるのかと気分が上がったが、妻が下の道で待っているので早めに切り上げた。 これで遠野観光は十分という気持ちだったが、時間が有り余っている。せめて昼までは観光に充てることにした。遠野市街に近い一本の道沿いに観光スポットが並んでいるモデルコースがあったので、そこを回ることにした。 最初の「清心尼公の碑」は坂道を徒歩で登らなければならないためパスした(清心尼公は遠野南部家21代の女性の殿様だったという)。そこからすぐに河童伝説の太郎淵がある。駐車場もトイレもある観光スポットである。太郎淵は川の流れが変わって今では池になっているが、淵らしい面影は十分である。淵を囲む樹々を抜けると田んぼの向こうに半分雲に隠れた六角牛山が見える。池の水が流れだす付近の木の間からは田んぼが広がる農村の風景が広がっている。 小旅行先を遠野にと考えた最初の動機は、典型的な東北の農村の風景が残っていて、その写真を撮ることができるのでないかということだった。つまり、河童淵の木々の間から覗いたような風景を期待したのだが、車で走り回る観光ではなかなか難しいのだった。 案内看板を見落としたり、案内看板に従ったつもりなのに辿りつけなかったりして3ヵ所のスポットをパスする形で次に行ったのは「元八幡宮境内地および夫婦杉桜」である。八幡宮が新しい地に遷された後に、鳥居と杉と桜が根本で融合した夫婦杉桜が残されている。二本の杉が根元で融合した夫婦杉はよく見ることがあるが、杉と桜というのは初めてである。落葉広葉樹と針葉樹という異種どうしでも融合するのかと思ったが、これは融合ではなくて物理的に押し合ってくっついているだけなのである。 コースの道の脇にある「飢饉の碑」も宝暦の大飢饉の餓死者の供養碑で宝暦7年に建てられたという。南部曲り家では家のなかに馬小屋をつくっていたように、大事に育てていた馬も人間の餓死者と同じくらいあったという。 他の観音には行っていないが「松崎観音」は遠野七観音の一つだという。石段を上がらなければならなかったが、手すりを伝って妻も行くことができた。木造の観音菩薩立像が本尊だというので妻と二人で暗いお堂の中を一生懸命覗いてみたのだが見ることは叶わなかった。もう一度案内看板を読むと、年に一度の例祭で開帳されるのだと書いてある。最後の観光スポットは「母也明神と巫女像」である。『遠野物語拾遺』第28話のその由来が語られている。娘婿を疎ましく思った巫女が生贄として殺してしまおうとしたが娘も一緒に堰に沈んで死んでしまい、それを哀しんで後を追って入水した巫女を祀ったものだという。この母也明神も山の中腹にあり、そこへ行く細い道を見つけるのに苦労した。とても妻が歩ける道ではないので、一人で登り、写真を撮って帰ってきた。下で案内看板に寄りかかって妻が待っていたが、その看板に「母也」はボナリと読むこと、小さな金属製の碑には「ボナリ・オナリは巫女を意味する古代語と推定されている」と書いてあった。 これで遠野観光は終わった。ほんとうに典型的な観光旅行だった。遠野郷の景色を撮りたいという希望はあったが、どんな景色が撮れるのか確信がなかった。とにかく全体を大雑把にでも掴みたい、そのために車で広く回りたいと考えて車を最大限利用した遠野の観光旅行ということになった。つまり、ひそかに2回目の遠野はありうると考えているのである。 最後の母也明神から遠野IC近くの道の駅に行き、昼食をとり、お土産や地産の野菜など購入して高速に乗ろうとしたが遠野ICと宮森IC間は復旧工事のため不通となっていた。昨日の豪雨の影響かもしれない。初日にめがね橋(宮森橋梁)を見に行った道を通って宮森ICから釜石道に乗り、あとは東北道を仙台宮城ICまでひたすら運転である。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして
2025.07.11
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目が覚めた5時ころには天気予報通り小雨が降っていたが、朝食を食べるころにはもう止んでいて、予定通り行動することにした。午前中は車でしか行けない所をスポット毎に訪ね歩き、昼頃にホテルに引き上げて、午後からは徒歩で街に出て、適当なところで昼食をとり、あとはと徒歩向けのモデルコースを参考にしてのんびりと街歩きである。幸いなことに、今日の気温は23℃くらいという涼しい日になるという予報である。 今日の一番目は、妻も私も「五百羅漢」と決めていたのだが、常用のナビではうまくルートが見つからず、もう一つのナビでなんとか10分ほどで行けるという近い道を見つけた。ホテルは「鍋倉城跡」のある山の麓にあって、そこから城山の斜面を抜ける細道である。この道を利用して五百羅漢と「鍋倉城跡」の2か所を目指すのである。9時少し前にホテルを出て裏山の道に入って登って行くと倒木が道を塞いでいる。動かしてみても私に力ではピクリともしない。どこに連絡してよいのか見当がつかないので、ホテルのフロントに電話して状況を伝え、しかるべきところに連絡を頼んだ。 五百羅漢へ行くことは諦めて、次のスポット「卯子酉(うねとり)神社」へ向かった。駐車場は広く公衆トイレもある小さな神社である、参道は民家に隣接していて、団体の観光客などではだいぶ迷惑をかけるだろうなと思えるほどである(観光客は私たち二人だけだったが)。縁結びの神様で、赤い布に願い事を書いて祀るのだそうである。 次は、田んぼの中に小さな社、「荒神神社」である。田んぼの中のほんとうに小さい茅葺屋根の神社で、「日本の原風景、また遠野を代表する風景」と形容されている。遠く西の方では権力者たちが壮大な神殿を建て一族の栄華(と権力の維持)を祈願したことを思えば、貧しい農民の祈りがこの小さな社を通じてなされる切なさ、愛おしさに打たれる。 荒神神社に「六角牛(ろっこうし)神社」の案内があったのでそこに向かった。ホテルを出てからここまでときどきパラパラと降り出すのだが、なぜか目指すスポットに着くと雨がやんで観光は順調に進む。道は六角牛山の方に向かい、道々雨が降っていたが、細い山道で六角牛神社についたときにはもう降っていない。信仰心を持たない私にも、もしかしたらそれぞれの神社の加護ではないかと思えるほどの塩梅である。 卯子酉神社や荒神神社と違い、六角牛神社の境内は広く、立派な社務所もあったが人はいないようであった。ここに着いて気づいたのだが、遠野の神社仏閣の周囲の木々は長寿の大きな木が多いのだった。車で走りながら見ていても、民家のまわりの木々も道端に固まった数本の樹木もみんな大きく立派なのだった。家々は建替えられていてもそのような部分はずっと残されているような雰囲気がある。だいたい、とても小さな神社が「遠野遺産」としてたくさん残されていることが貴重だ(私の生まれ育った農村にもいくつか小さな祠があったが今はもうない)。 伝説の六角牛山を祀る神社を見た後は、もう一つの山、石上山を祀る「石上神社」である。少し距離があるが、これで正午ごろにはホテルに戻れるという算段だ。道を荒神神社まで戻り、それを過ぎて小さな山を越えたあたりからまた雨が降り出した。その雨は次第に強くなり、土砂降りになった。車の運転を始めて以来こんな土砂降りは初めてと思えるほどの降りで、前方も後方も見通しが効かなくなった。すべてのライトはもちろん、ハザードランプも点灯してそろそろと走っていたが、5、6m先も見えなくなったので道路わきに空き地に止めて様子見をした。 少し待てば弱まるだろうとは思ったが、この豪雨ではどこか道路まで水が上がって通行不能になる恐れがある、遠野は盆地のうえに地理不案内でどこが危険(安全)なのか全く見当がつかない。じっと待っているのも安全とは言えない、ということに気づいた。少しばかり雨脚が弱まったような気がしたので、計画を変更して、ホテルに戻って様子を見ることにした。 雨は少しずつ弱まってきてもうすぐホテルというあたりですっかり上がってしまった。正午までには40分ほどあるものの私はすっかりやる気が失せていてホテルに戻りたかったが、妻は「折角なのにもったいないね」と主張するのである。そこで再び計画を変更して石上神社に向かった(運転させている者とさせられている者の身分差が厳しい)。 道は朝一番に行った卯子酉神社横を通るのだが、少し神社を過ぎたところに「五百羅漢」への立派な案内看板が立っていた。この道を利用して明日朝一番に行こうと妻と話して、石上神社に急ぐ。西に向かう道は次第に人家がまばらな道に入って行き、ナビが「目的地に到着しました」というのだが、案内看板もなければそれらしきものも見えない。杉林の斜面を見上げていた妻が「何か見えるよ」というので、けもの道のような斜面の細道を濡れた草をかき分けながら登ってみると石上神社の境内に出た。参道は私たちが着いた道の反対側に伸びていて、裏参道は少し遠回りで車の道まで続いていた。裏参道を戻り、カメラを持ってもう一度斜面を登った(妻は車の中)。こうして、五百羅漢には行けなかったが、何とか午前中の計画は終わった。気がつけば、神社ばかりを見て歩いたのである。 ホテルでベッドにひっくり返って大休憩、まったくの高齢老人の旅である。雨はすっかり上がり、青空をのぞかせ始めている空がホテルの窓から見える。午後1時半ごろホテルを出た。ホテルからまっすぐ遠野駅まで伸びる道の二つ目の信号の左手に大きな蕎麦屋があってそこで昼食をとった。 蕎麦屋の道向かいに白壁の蔵造りの建物が並んでいる。「蔵の道」と名付けられた通り(車は通れない)を抜けて行くと、すぐに遠野駅に出る。途中に神社があるはずだったが見つけられなかった。駅前には大きな観光案内所があり、それも白壁づくりなのだった。おまけに火の見やぐらまで再現してある。 そこから北の方をぐるっと大回りして、来内川という小さな橋に架かる「柳玄寺橋」(『遠野物語拾遺』第137話)と「新橋」(同、第229話)を見に行く。柳玄寺橋は木造の小さな橋で、西詰のお寺が柳玄寺である。新橋は、今ではどこにでもあるような橋で、その近くの木造の橋の方に目が引かれた。 その辺りで、もう見たいものが見つからなくなったので、どこかでコーヒーでも飲もうとさっきの蔵の道まで戻って探したが、店があっても閉まっていたりして見つけられないままホテルに戻ってロビーでコーヒーを飲んだ(少し飲んで残りは部屋でゆっくり飲んだ)。その後は、疲れてもいないのに大休憩という昼寝タイムになった。 今日の7時予約の夕食を30分遅らせてもらうことになっているので、少し多くの夕景を撮れそうである。私は6時10分ごろにホテルを出て街を歩き回り、妻は7時10分ごろに出てレストランへの道の途上で落ち合うことにした。夕景の写真はそれなりに取ることができた。とくに橋を自転車で渡る中学生を影絵のように撮ることができたこと、寺の山門越しの夕空を撮れたことは私にとっては上出来だった。 それなりに写真が撮れて満足したのだが、それ以上に満足したのは夕食だった。高齢なので量は少なめにとお願いしていたイタリアン(と私は思ったがフレンチかもしれない)のフルコースがどれもおいしくて夢中になって食べた。妻が娘に送る料理の写真を撮るように命じられているのだが、カメラより先に出てきた料理に手が出てしまう。オーナーシェフが選んでくれたシャルドネの白もおいしくて、こちらは飲みすぎないようにセーブするのが大変だった。 昨日の夕食は、家庭料理と銘打った和食でこれも素晴らしくおいしかった。とくに珍しい食材ではないもののどれも新鮮で優しく料理されている感じがするものばかりだった。主夫としてはぜひとも真似をしたい料理ばかりだったが、その到達地点は絶望的に遠く思えるのだった。 昨日の店も今日の店も小さな店だったが、客は私たちだけだった。予約した私たち(だけ)のために準備してくれていたのかという思いが、ホテルまでの帰り道でじわっときた。 それにしても遠野は観光地だと思っていたのだが、観光客が少ない。これまで観光スポットで出会ったのは、遠野ふるさと村の高校生の団体(私たちと入れ替わりだったので、実質的には広大な施設に私たち二人だけ)と山口集落の水車小屋に車で来た夫婦らしい二人連れだけだった。夏の暑い時期、しかも梅雨時に観光旅行する愚か者は少ないということかもしれないが、遠野物語などに観光気分を誘発される世代は私たちぐらいで終わっているのかもしれない。ましてや、いまやどこの観光地にもあふれかえっている外国人にはさすがに遠野物語がどうのということはないだろう。静かな旅になって私たちにはとてもいいのだが、遠野のことが少しばかり心配になるのだった。いつかまた来てみたい、またおいしい夕食を食べたいと心秘かに考え、妻に打診する時期のことまで考える日となった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして
2025.07.10
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遠野に行こうと思い立って計画していたのだが、一ヶ月以上も遅れて実現した。6月に計画して2泊のホテル予約までしていたのだが、その日時が近づくにつれ天気予報がどんどん悪化していき、3日間とも雨という予報に変わった。4月の坂田、5月の弘前とも雨の合い間を縫うような旅だったので、今回は晴れの日に行きたいということでホテルをキャンセルして、7月に再チャレンジということになった(梅雨時なのに高望みしている、ということ)。 旅行中の3日も晴天というのは高齢旅行者には熱中症の危険が増すわけで、、今回はなるべく歩く時間を少なくして観光スポットをひたすら車で訪ね歩くという計画にした。さいわい、遠野市観光協会が車、自転車、徒歩などのモデルコースをそれぞれいくつか作ってくれているのでそれを大いに参考にした。 3日ともずっと晴天という予報が、前日には2日目の朝に少し雨が降るという予報に変わったが、問題ないということで出発した。東北自動車道から花巻ジャンクションで釜石自動車道に入り、遠野ICで降りたのは10時前だった。インターを出たところに「道の駅 遠野風の丘」があった。トイレ休憩をかねて地元産品などを探索(だけ)して、道の駅のすぐ北にある高清水山の展望台に向かう。これから歩く地域が一望できればいいということと、早池峰山、六角牛(ろっこうし)山、石上山、白身山など遠野物語の伝説の山の写真を撮りたいと思ったのだが、展望は南にだけ開けていて、遠野市街の向こうに見えるはずの六角牛山も雲の切れ目からその山稜の一部を見せているだけだった。 高清水展望台の山道から農道に出ると道端に古い墓石をびっしりと並べている場所があって、傍に二つの石碑が立っていた。車を木陰に止めて、石碑の写真を撮った。「路傍に石塔の多きこと諸国其比を知らず」(『遠野物語』新潮文庫 p. 7)とあるように、たぶん石碑、石塔を撮り出すときりがなくなる懼れがあるとは思ったが、成り行き次第にまかせることにした。 次に行ったのは、遠野市街とは反対方向にある「道の駅 みやもり」で、この道の駅に隣接しているJR釜石線宮守川橋梁(めがね橋)の写真を撮りたかったのである(観光モデルコースには含まれていない)。ついでに、ここの道の駅で早昼にして、午後の観光に入ることにした。 午後一番に行ったのは、この旅行で絶対に欠かせないとおもっていた「山口集落」である。『遠野物語』は柳田國男の著作ということになっているが、この山口集落の佐々木喜善という人から聞いて書き上げたものである。そういうこともあって、「ダンノハナ」、「デンデラノ」という伝説の地名に因む場所を見ることができるのである。観光施設はない。 「山口集落」に入る追分に「火石の石碑群」があって、追分の碑、庚申塔、馬頭観音の碑などがある。有名な「オシラサマ」に関連する新出来の石碑もあった。「山口集落」ではモデルコース通りにまず集落の一番奥にある「水車小屋」に行く。茅葺の水車小屋の頂には草が生え、背後の田んぼの向こうには農家の家が何軒か見える。この配置、この距離感は昔から変わっていないだろう、そう思える。次は「薬師堂」だが、古びた木製の鳥居だけを写した。参道は田んぼの奥の山道に続いていて、私はさておき妻に無理強いはできないと判断した。 「佐々木家」の曲り家は道(というより車の中)から眺めるだけにした(人が住んでいるので)。つぎに「デンデラノ」へ行ったが、何の変哲もない野草が生えしげる小さな野原で、奥に藁づくりの小さな小屋があった。「山口、飯豊(中略)に、ともにダンノハナと云ふ地名あり。その近傍に之と相対して蓮台野(デンデラノ)と云ふ地あり。昔は六十を超えたる老人はすべて此蓮台野へ追ひ遣るの習ありき。」(同上 p. 76)とある。藁づくりの小屋は、姥捨ての身の老人たちが暮らした小屋を模したものだろう。やや高台にあるデンデラノからは集落の家々が見えるのが異様なリアリティを感じさせる。 デンデラノを記述する遠野物語第111話には続きがある。デンデラノに追いやられた老人たちは生きていくため日中は里へ下りて農作業を手伝うことで糊口をしのいだ。それでこうした地区では、朝に農作業に出ることを「ハカダチ」、夕べに帰ることを「ハカアガリ」というそうである。デンデラノは墓と同じ、追いやられた老人たちは死すべきもの、もはや死者と同じと考えられていたのであり、しかし、生きている間は里に下りて働くことで口をしのいでいたという言い伝えのリアリティに戦慄を覚えるほどである。こういう話を柳田國男はいかなる主情を交えることなく書き切っており、それがかえって読み手(私)のイメージを強く揺さぶるのである。 デンデラノの山向かいにある「ダンノハナ」は今でも集落の墓所らしいので行かないことにした。山の上ということもあったが、現に生きている人の墓というのはその家族のプライベートな場所というイメージが私には強く、特段の理由がなければ観光の具にはしたくないという気持ちがある。というわけで、モデルコースには入っていない「田尻の石碑群」を見て「山口集落」観光は終わった。 ホテルのチェックインには少し早いので「遠野ふるさと村」に向かった。さっき「佐々木家」の曲り家風の住宅を車から眺めただけでは「南部曲り家」を見たとは言えない。遠野ふるさと村は、何軒か南部曲り家で集落を構成している施設で、敷地が広いうえに気温が高くなっていたが、妻は受付で麦わら帽子を借りて頑張って歩くと言う。 ゆるい坂道で一番近い曲り家に入る。家の管理をしているらしい人がいていろいろ教えてもらい。家の中も見せてもらった。家の中の馬小屋があるという曲り家の特徴を除いて、人が暮らす部屋は私が生まれ育った東北の農村の家とさほどの違いがあるわけではないが、ひたすら懐かしい感じがした。私が育った家は、農村とはいえ町屋風の借家で、懐かしいのはいっしょに遊んだ友達の家々なのである。 二軒先の曲り家にはポニーが飼われていると聞いて、妻が是非にと言うのでそこまで行った。ポニーは曲り家の馬小屋ではなく隣接する牧場の向こう隅でせっせと草を食んでいた。それを見て、曲り家見物を終わりとして、ホテルまでの道の途中にある「福泉寺」に寄ってみた。 福泉寺に安置されている高さ17mの木彫としては日本最大の観音像を見たいと、これも妻の強い希望だった。さいわい、山麓の受付で入館料を払うとそのまま中腹の本堂まで車で上がることができた。撮影禁止の観音様は驚くほど大きくてやや面長のお顔を見入ってしまった。この観音像はこの寺の2代目住職が12年かけて彫り上げた、という説明文があった。感動した妻が目の前の賽銭箱を指さしたのでなにがしかのお金を投入した。クリスチャンの妻と無信心者の私は宗教心から「お賽銭」を上げるということはしないが、良いものを見せていただいたお礼はしたいのである。本堂の入り口にいたお坊さんにお礼を言って第1日目の観光は終わりである。 夕食の予約の午後7時前の1時間くらいを遠野市街の夕景の写真撮影に充てるというのは、この旅行の大切なスケジュールである。ところがホテルの窓にはいっこうに夕暮れの気配が見えてこない。日の入りは7時ちょうどくらいで盆地の遠野では夕暮れはそこそこ早いとだろうと見ていたが、暮色が見え始めたのは6時20分ころだった。ゆっくりとホテルを出て道々写真を撮ったが、やはりちょっと早すぎた。明日の夕食の予約を7時から7時半に変更することに決めた。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして
2025.07.09
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5月16日の戸神山(504.4m)は、頂上周回コースで登山口からの標高差250mほどを4時間40分ぐらいで上り下りした。6月9日の山形神室岳では笹谷峠登山口(906m)から中腹のハマグリ山(1146m)までの標高差240mを3時間40分ほどで上り下りした。同じ程度の標高差を1時間ほど短い時間で歩いたということもあるかもしれないが、神室岳の最初の急登が長いこともあって、戸神山よりはかなり疲労は大きかった。翌日まで筋肉疲労が残っていたが、3日後の筋トレ散歩はいつもよりずっと楽に歩くことができた。 多少、肉体的にきつい山歩きの方が筋トレ散歩よりもよほど良い筋トレになっているようである。少しばかり気をよくして、次は禿(かむろ)岳に行ってみようと決めた。こちらのカムロ岳も鳴子温泉の奥、鬼首地区から最上鬼首線で標高796mの登山口の花立峠まで車で入れて、ずっと以前に2回ほど登ったことがある。13年前の山行では、花立峠と頂上を4時間30分で往復しているが、頂上から別のコースの途中まで往復1時間ほど歩いてみたので、朝食の時間を入れて実質往復3時間30分での上り下りだった。ゆっくり時間をかければ頂上まで行けるかもしれないとちょっとした期待もあった。 しかし、7合目を過ぎたあたりで頂上を諦めた。4合目から5合目にかけての長い急登をなんとか登り終えたときには、頂上まで行けると考えたのだが、5合目からの緩やかな登りを歩いているのに明らかに足がきつくなってきて、7合目付近から頂上直下の急登の道を眺めたとき、あれを頑張って登ることができても下りの歩きが難しくなる。5合目下の急坂を下るのは無理になるだろう。先日の山形神室の急坂を下るときには筋肉のきしみばかりではなく、一度バランスを崩したとき足の踏ん張りがきかなくて転びそうになったことを思い出した。それで完全に諦めたのである。 登山口からは5合目手前の急坂までは、花の写真を撮りながら順調に歩いた。登り始めてすぐ石礫の丘に着く。前に登ったときには一面の雲海に沈んでいた地区である。そこから山形県側の集落の上に薄雲が浮かんでいるのが見える。そこから林の道に入るとすぐに1合目標があり、花の写真を撮りながら歩けば快適な林の道が続く。アザミ、アキグミ、シロバナヘビイチゴ(実)、ユキザサなどをカメラに収めた。5合目の急坂の途中で屈みこんで写真を撮っていると若い登山者が上がってきて挨拶をした。この人は、私が7合目手前でやはり花の写真を撮っているころには頂上から下ってきた。素晴らしい健脚だと感心したが、よく考えてみたら私もこれほどではないにしてもそこそこの時間で上り下りしていたはずである(昔は本当に遠くなってしまった)。 7合目を過ぎて、頂上を眺めて、そして引き返すことに決め、遅い朝食をとった。今日は長時間の歩きになりそう(したい)と考えて、おにぎりを多めに買ってきたのに1個しか食べられなくなった(今になって思えば、疲労で食欲が落ちていたのである)。 下りでは景色を中心に写そうとレンズをマクロから標準ズームに替えて、まずは登れなかった頂上の写真を撮った。栗駒山の前景の写真などを撮ったが、花を見ればマクロレンズに替え、しゃがみこんでそれを撮る。またズームレンズに替えて景色を撮る。そんなふうに、タニギキョウ、サワハコベ、ギンリョウソウ、ミツバツチグリなどを写しながら、時間をかけながらゆっくりと下ってきた。登山口手前の石礫の丘で振り返り禿岳を写して全行程を終えた。 花立峠を6時40分に出発して、帰り着いたのは11時30分だった。戸神山も山形神室岳ではどちらも250mほどの標高差を4時間前後で歩いた。禿岳では標高差300mを5時間ほどで歩いたことになる。明らかに体への負荷は大きくて、疲労は翌日まで、筋肉痛は翌々日まで続いた。とはいえ、3日目にはすっかり回復して、神社の石段や仙台城跡の坂道を上り下りするいつもの筋トレ散歩はかなり楽に歩くことができた。今のところ、足の筋肉、心肺機能についてはいい結果になっている。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.06.23
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一昨日の天気予報で今日は晴天になるというので、山形神室岳(1344.2m)に行こうと決めた。この山には5、6回以上は登っているが、今日は頂上まで登るつもりはまったくない。中腹の尾根で見たアズマギクのことを思い出して、その尾根で花の写真を撮ろうと計画したのである。体力に合わせた計画である。 山形神室岳のメリットは、標高906mの笹谷峠に登山口があることである。今は高速山形道の笹谷トンネルで宮城から山形に抜けられるが、旧道の笹谷峠を利用すればアプローチが楽なのが今の私には向いている。 6時10分ころに笹谷峠の駐車場に入った。ヤマツツジとタニウツギがあちこちに咲いている。登り始めの急斜面がしばらく続くが、山道はヤマツツジとタニウツギに彩られていて楽しい。急斜面もゆっくり登ればそこそこ行けるのは、先日の戸神山で確認している。問題は、最後のこの山の登山から10年以上も経っていて、この急登がどれくらい続くのかすっかり忘れていて実感がないことである。足下にはキイチゴ(たぶんカジイチゴ)の白い花や輝くような黄色のミヤマキンポウゲの花などが次々現れて、その写真を撮っている間に疲れが引いて、あまり頑張らなくても高度が稼げる。 ポツん、ポツンとアズマギクが見え出すと最初の峰(大関山 1112m)である。アズマギクのちょっとした群落や、レンゲツツジなどが絶妙に配置されていて、しばらくは花の写真を撮るのに夢中になった。落ち着いて見渡せば、雁戸山の向こうにまだ雪の残っている蔵王連山(熊野岳)が少し青く霞んで見える。遠くに見えるはずの飯豊連山などはカスミの向こうである。 大関山頂ではまだ7時30分くらいだったので、もう一つ先の峰(ハマグリ山 1146m)まで行って朝食にする。そこまではほとんど平坦な尾根道なので歩くのは楽なのだが、登山道の両脇はネマガリザサが密生していて花はそれほど多くない。それでもみごとなサラサドウダンが姿を現わし、足元には草の葉に隠れるようにツマトリソウの小さな白い花も見つけることができた。ハマグリ山到着は8時ちょっと前で、さっそくコンビニおにぎりの朝食である。 目の前にはトンガリ山の急斜面を直登する登山道が見え、その向こうに山形神室岳の頂上とそれから続く頂上台地、さらにその向こうには少し霞んで籠を伏せたような仙台神室岳(1356m)が見える。仙台神室の正式名称は「神室岳」なのだが、山形神室岳との対照で、仙台神室と呼びならわしている。最初の二度ほどの登山は、山形神室岳(頂上は背丈を越える木々で眺望はあまりよくない)から仙台神室岳頂上まで行って引き返して来るコースだったのだが、仙台神室の急登がきつくて、それ以降は山形神室までの登山ばかりになった。 それでも、宮城県人としては仙台神室岳に敬意を表して12年前の6月24日にずっと下の仙人沢から仙台神室と山形神室の鞍部のダンゴ平まで直登して仙台神室山頂へ行くコースを往復したことがある。その登山が私と相棒(イオという名の雑種犬)の最後の登山となった。下り道の最後で相棒が少し後ずさりしたときに腰が砕けるように尻をついたのである。往復8時間の山行は13歳になっていた相棒には大きな負担になっていたということである。 昔登った峰々を眺めながら少し感傷的になりかけていたのだが、目の前にミネカエデの小さな花があることに気づいて、また花の写真を撮り始めた。近くにガクウラジロヨウラク(萼裏白瓔珞)の立派な木もあって、どちらも小さな花なので少しばかり集中してシャッターを押し続けた。眼を上げれば、山々の間に山形市街が見える。カメラのレンズを替えてそんな景色も撮ってみた。 もう十分、そんな気持ちでハマグリ山頂上から引き返すことにする。先ほど出会った二人連れがトンガリ山の直登をどこまで登ったのか、ときどき振り返り確認しながら大関山に向かう。大関山からは蔵王連山の上に見える空を「今日の空」として写した。 大関山から登山口までの急坂は足にこたえた。高い段差の岩を下るとき、太腿の筋肉がきしむような感じがするのである。その急坂で二組の登山者と出会ったが、どちらも親切に私を待っていてくれるので休みなく下るしかないのだった。何度かの戸神山よりも少しばかりきつい行程だったが、足の筋肉にはいい結果をもたらすだろう(と期待している)。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.06.09
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小旅行で弘前に出かけ、市内に二泊した。両日とも朝は雨、午後には晴れるという観光旅行だった。二日とも予約していた夕食の時間よりずっと早くホテルを出て、夕方の弘前の街歩きをした。 一日目は、ホテルから弘前城まで歩き、ホテル近くの日本料理店まで引き返して夕食を採るというコースだった。飲食店のある路地が見えれば入って行き、遠くに珍しそうな建物があれば角を曲がり、ゆっくりとした散歩だった。 二日目は、弘前城近くのレストランまで歩き、帰りはすっかり暗くなった弘前の街を戻った。往きはそこそこ距離があったので予約の時間に間に合うようにまっすぐ歩き、帰りは暗くなったのでやはりまっすぐホテルに向かうという散歩(?)だった。歩き出しの初めに、夕焼け空に浮ぶ岩木山がビルの向こうに見えた。暗い夜道の帰り足では、弘南鉄道大鰐線の始発駅「中央弘前」駅を出発する二両編成の列車を撮ることができたのも何よりだった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして
2025.06.02
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弘前にはずっと行きたいと思っていたのだが、その機会がなかった。仕事をしていたころは、全国の主要な都市には出かけていたが、青森県は青森市だけだった。昨秋から妻との小旅行を始めたものの高速を使っても車で2時間程度の街を選んでいた。弘前は4時間以上のドライブが必要なので後回しになっていて、この春になっても桜の季節の観光客のことを考えて、4月は酒田に行くことにした。 やはり弘前に行きたいというのは妻の思いでもあった。電車で行ってレンタカーを借りるということで一致してホテルを予約したのだが、4時間の運転ならSAで休みながらならなんとかなりそう、と車で行くことに決めた。天気予報はあまり良くないのだが、雨は雨の風情を楽しむということで朝の6時半に出発した。 東北道を北上するにつれて空が暗くなってくる。宮城県を出ないうちに長者原SAで早々に朝食をとった。その後も、帰り道でおみやげにできそうなものを探していくつかのSAに入った(もちろん休憩も兼ねている)。正午ごろには弘前に着きそうだったので、まずは大鰐温泉で風呂に入ることにした。大鰐町の日帰り温泉施設にはレストランが併設してあったので、名物の温泉もやしのラーメンを食べた。ゆっくりと入浴した後は、早めにホテルに入って10階の南東向きの部屋で妻と二人で昼寝である。 夕方には雨が上がっていたので、街を歩いて弘前城の追手門まで行ってみた。夕暮れの弘前市街は素敵な散歩道が続く。レンガ造りの弘前昇天教会の傍には、弘南鉄道大鰐線の始発駅「中央弘前」駅があって、小川の橋の上から小さな駅のホームや線路を眺めることができた。昔は土蔵造りの呉服店だった「百石町展示館」や「日本キリスト教団 弘前教会」、「青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館)」などいわば典型的な観光スポットが次々と現れるのだった。 弘前城は平城なので、城下町は城を中心に発達したらしく、繁華街や夜の飲食店街も城の近くにあって、夕暮れ時に歩くと心惹かれるままに路地に入り込むことになる。二日の逗留の夕食前にはそんな弘前市街の夕景の写真をたくさん撮ることができた(帰ってからの写真の整理に泣くことになるのもかまわず本当にたくさんの写真を撮った)。1日目は弘前城追手門から直接日本料理店に向かい、地元料理などの夕食を採って終わった。 2日目、天気予報では朝のうちに雨が上がるということだったので、ホテルの部屋で外を眺めながら時間をつぶした。10時近くにようやく雨が上がって、ホテルを出て弘前城に向かい、初めに「津軽藩ねぷた村」に立ち寄り、大きな扇ねぷたや人ねぷたを見、大太鼓の囃子や津軽三味線の演奏も聞いたが、私が一番感動したのは、そこの2階の窓から雨模様で眺めることのできなかった岩木山が雲の上に顔を出していてその写真を撮ることができたことだった。 弘前城にも入ったが、広い城跡を歩きまわるのは妻には大変なので、城内の武徳殿跡にできたカフェ「北の郭」で昼食とした。カフェは有料の区域にあったが、入場券売り場の人が「食事だけなら」とそのまま入れてくれた。このカフェでは、「アップルパイ食べ比べ」というメニューがあって、「弘前アップルパイガイドマップ」なるものを入手していた妻が「ここは外せない」という選択なのであった。津軽蕎麦と津軽細うどん、それにアップルパイとコーヒーという奇妙な組み合わせの昼食となった。 昼食後は、「景勝院」の五重塔、すぐ近くの「弘前レンガ倉庫美術館」を見て、ホテルに戻り夕食まで休憩ということにした。美術館では、美術作品よりも併設されているカフェのアップルパイが妻の狙いだった。ホテルでゆっくり休んでから、夕暮れの弘前市街を街歩きしながら弘前城近くの店でフレンチの夕食を採って二日目は終わった。 三日目は、途中で二つほど道の駅に寄りながら(めぼしい買い物はできなかった)、十和田湖に向かった。途中、「虹の湖」という優雅な名前の湖の岸辺の道を走ったが、谷に沿って伸びる細長いダム湖だった。 十和田湖に着いてすぐ、発荷峠展望台に上った。ここでは十和田湖の展望よりも八甲田連山の全景が見えたことがカメラ人間には最高だった。雨模様が続いていたが、かろうじて岩木山を見ることができ、ここで八甲田山も見ることができたので、今回の旅行は私にとっては上々だった(もう少しアップルパイが食べたかった妻にはどうかわからない)。十和田湖では、定番通り「乙女の像」まで歩き、湖畔のベンチで道の駅で買っていたパンで昼食とした。二日間の雨の後の晴天の湖畔での気持ちの良いランチタイムだった。 十和田湖からはひたすら帰宅の道である。途中、雲が切れて岩手山の遠望もできた。高速の渋滞に悩まされたものの、なんとか無事に帰り着いた。長いドライブにいくぶん自信がついた小旅行だった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして
2025.05.23
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定点観測ふうの花探しにしようとまた戸神山に行った。これで4月11日、4月28日、5月16日、6月7日(昨年)と、ほぼ半月に一度の戸神山の山歩きである。昨年の戸神山は頂上を経る周回コース(要するに普通の登山)で、直後にネフローゼ症候群を発症して入院暮らしになったこともあって、4月の2回は、頂上まで行かずに適当なところで引き返してきたのだが、そんなに疲れもせず快適だったので気をよくしていた。できれば今日は頂上まで行って周回コースの全部の花を見てみたいと思って、朝5時前に家を出た。 国道48号をまっすぐ西進して途中のコンビニでおにぎりとお茶とコーヒーを買った。10年ぶりくらいに立ち寄ったこのコンビニは、大東岳、面白山、寒風山、後白髪山、船形山など山形県境の山々の登山のときに立ち寄って食料を購入していた店である。そのころは助手席にはイオという雑種犬の登山の相棒がいつも一緒だった。そこから戸神山まではあっという間で思い出や感傷にふける暇はないのだった 登り始め、藪の向こうに2種類の白い花をたっぷり咲かせている木があったが、野ばらに茂みに遮られて諦めた。すぐ後に黒いテンナンショウ属の花を見つけ、クロマムシグサと思って写真を撮ったが、帰宅後の検索でクロマムシグサよりヤマザトマムシグサに花の形がそっくりだったので一応それだろうと判断したが、テンナンショウ属は同定が難しいということなので、これは「ヤマザトマムシグサに花の形がよく似ているクロマムシグサ」という可能性も捨てきれない。 タニウツギの木も目を引いたが、足元にはヒメシャガ(姫射干)が目立ち始め、あっという間に全山ヒメシャガだらけという雰囲気になった。前回の山行で花の咲いていない大株のヒメシャガの群落を見つけていたのでそこで写真を撮ろうと思っていたが、白花のヒメシャガを見つけた。このあと無数のヒメシャガを見たが白花はこれきりだった。これを手始めにたくさんの花の写真を撮ったが、とても掲載しきれない(というよりも、それぞれの花の種の同定、確認に時間がかかりそうなので諦めた)。 普通種のヒメシャガの群落で写真を撮り終えてから、山麓めぐりのトレッキングコースの分岐点の広場で横から差し込む朝日に光る蜘蛛の巣に朝露が輝いていた。なんという種類の蜘蛛の巣かわからないが半球形をしていた。その少し横には同じように朝露に濡れたヤマツツジが朝日に照らされていて、少しばかり感動しながら蜘蛛の巣ともどもカメラに収めた。 山頂への急坂が始まる手前で、少し大きめのフキ(蕗)が生えていたので摘んだ。杉林の中の沢沿いで好物のシドケ(モミジガサ、紅葉笠)も摘んでから、急坂を登り始めた。歩幅も小さく、とにかくゆっくり静かに登る。自分が短気であることを忘れ、高齢の老人であることを繰り返し確認しながら歩いていると、さほど息も切れずに登ることができる。急坂の途中では、昨年の6月に見たミヤマヨメナ(深山嫁菜)やマルハダケブキ(丸葉岳蕗)がようやく蕾を上げていた。頂上直下の急坂(熊落坂という木標があった)にはシロヤシオ(白八汐)の花がたくさん落ちていたが、木が高く写真には撮れなかった。頂上に着くと目の高さにシロヤシオの花が見え、ようやく写真を撮ることができた。 頂上で朝食のおにぎりを食べながらひと休みをしてから、晴天ながら春霞で煙る景色を写真に収めた。地平線上に仙台市街のビルの影がかろうじて見えていて、(写真の技術はさておき)何か雰囲気のある影絵のような景色だった。頂上には熊蜂や蝶たちがたくさん飛びかっていてそれも写真に撮ろうとレンズを交換したのだが、そこで電池切れになった。もちろん予備の電池は持参したのでバッグから取り出すと別の一眼レフ用の予備電池ばかりが3個も出てきた。カメラをバッグに仕舞いこんで、下りコースの花はスマホで撮ることにして下り始めた。 最初の急坂をまっすぐ下るとすぐにトレッキングコースに出て、その後は快適に歩き続けられる。もちろん花にも出あうが、登りの道で撮ったものばかりなのでスマホの出番がない。トレッキングコースと登山道の出会いの広場で、「今日の空」を写したきりでスマホの出番は終わった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.05.16
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また戸神山である。小旅行に出かけたりして2週間ほど筋トレ散歩をしていないので筋トレ散歩とカメラ散歩と山歩きをいっぺんに済まそうと思い立った。昨年は6月7日、先日は4月11日に戸神山を歩いた。前回から17日、さらに5月15日くらいに行ければ春の戸神山の定点観測になりそうで、心が動いている。ただ、初夏からは少し高い山の花を見に行こうと思っていて、戸神山定点観測は春限定にしたい。 戸神山は自宅から国道1本で少し入ればすぐに登山口という便利さと、504.4mという高さも高齢者には手ごろな山である。登山はもちろんだが、南面の山麓を辿る古い林道跡のトレッキングコースもある。ほんとうに人の少ない山だが、昨年の下山時にはトレッキングコースを歩く私と同年代の3人組に出合ったし、今日も登山路とトレッキングコースの分岐点の手前で出会った高齢のご夫婦はトレッキングコースへ入って行った。戸神山の最大の欠点は、登山口に近い道沿いにたくさんのゴミが捨てられていることである。林道を車が入れた時代に棄てられたと思われる。車が通れない今となっては回収が不可能な大型のゴミもある。 登山道に入って最初に見つけたのはムラサキケマンである。ずいぶん昔に七ツ森でこの花の群生を見てからのお気に入りである。昨年の四月から終活として山歩きを再開して最初に行ったのが七ツ森だった。時季がずれていたようで叶わなかったがムラサキケマンが見たかったのである。 ムラサキケマンは登山道の初めに見られただけで、その後はまったく見当たらなかった。小さな白い花を見つけて写したが、オオバタネツケバナという花だった。よく見るタネツケバナは見過ごしてしまうことが多いのだが、花を見ようと歩いていれば目に入るのである。近郊の雑木林でよく見かけるチゴユリも見つけた。小さな花ながら姿かたちの凛とした良い花である。 先日やっと見つけたショウジョウバカマが咲いていたところに、堂々とした濃色のイカリソウが咲いていた。山に入ればイカリソウは珍しくない花だが、この大きさと花の色の濃さはあまり見た記憶がない。近くには白色に近いあわいイカリソウもあり、その中間の色合いのものまでポツポツと咲いていて少しばかり興奮した。 山を行けばヤマツツジと言えるほど珍しくないのだが、山中で見かけた花の咲いているヤマツツジはこれ1本だけだった。ツツジの種類は多いけれども花の色でヤマツツジを見間違うことはない(レンゲツツジも似た色をしているが)。いい色である。ヤマツツジを見た後は、ウシハコベ、ニョイスミレ(ツボスミレ)と小さな白い花を続けて撮った。 小さいけれど黄色で目立つ花は、ヘビイチゴだろう。花を見ただけではヘビイチゴかヤブヘビイチゴか私には見分けがつかない。昨年6月の戸神山でヤブヘビイチゴの実をマクロレンズで撮ることができてとても良い写真になった。実がなれば種類の同定は容易だろうと思う。 イチゴはイチゴでもキイチゴの白い花があちこちに見える。葉の形からニガイチゴと見当をつけた。眼を上げると鮮明なトウゴクミツバツツジの花が見えた。40年以上も前、戸神山の近くの丘陵を歩き回った時に花が咲いているこの木をたくさん見て感動したことがある。しかし、ヤマツツジと同じように花が咲いているのはこの木だけだった。 雑木林が切れるあたりに休憩所(跡?)になる小さな場所がある。かつては休憩所らしく自然木の椅子(ベンチ?)が円形に並べられていた記憶がある。そこから先はやや平坦な道が杉林の中に続いている。日があまり当たらない杉林の中には、ウラシマソウ、ニリンソウ(ニリンソウなのになぜかほとんど一輪しか咲いていなかった)、エイザンスミレが次々に見つかる。 黄色い花が目に付いて近づいてみるとヤマブキソウに見える。しかし、かつて見たヤマブキソウの大群落はもっと明るいところだった(今、その群生地は人間の住む場所になってすっかりと消えている)。帰ってから調べると葉の形からホソバヤマブキソウらしい。林の中に生えるとも書いてあった。 花を撮るのに夢中になって山中を歩き回っていたら、気がつけば11時30分である(9時に歩き出した)。12時まで帰宅して昼食の準備をすると宣言して家を出たのだが、山を下るだけで12時を過ぎてしまう。急ぎ足で下ったのだが、道の途中、急ぎ足で下ることができる自分に驚いたのである。あまり疲れていないのだ。山道だろうが何だろうが花の写真を撮りながら歩くのは、圧倒的に休憩時間が多いということで疲れないらしい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.04.28
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昨年の晩秋に山形県米沢市と福島県会津若松市にそれぞれ2泊3日の小旅行に出かけ、その程度の旅行ならこれからも計画できるだろうと自信(体力的にも経済的にも)を深めた。冬の間は冬眠して、冬が明けたら動き出そうと考えていた。 旅行先の次の候補は、山形県酒田市、岩手県盛岡市、青森県弘前市あたりだろうとそれとなく思っていたが、春はまた桜の季節で弘前などは観光客が多いだろうと諦めた。観光旅行に違いないが、どちらかと言えば、行ったことのない(馴染みのない)街でのんびりしたいというだけの旅行なのだ。 弘前は桜の季節が終わってからということにして、車で2時間ちょっとの酒田市に行くことにした。酒田市にも桜まつりのイベントがあるらしいが4月15日頃には終わるということだった。ただ、ネットでいくら探しても私たち夫婦がぜひ行ってみたいと思う場所がなかなか見つからないのだった。私は、ぶらぶら街並みを眺めながら歩くだけで十分楽しめるのだが、グーグルマップのストリート写真で探しても、市街中心部と思われるところも含めて似たような街並ばかりにしか見えないのである。日本海に面した平野部に広がる酒田市は、行政が行き届いて道も区画もきちんとされ(過ぎ)ているという印象である。 出発日の23日は仙台も酒田も雨降りだった。というよりも、2泊三日のほとんどが小雨模様なのだった。最終日の午後、北の空の下の方に一筋の狭い青空が見えただけだった。何をどんなふうに観光するかは、その場その場で考えようということで旅は始まったのである。 昨秋の小旅行は、いずれも食料品買い出しと日帰り温泉入浴が主目的のような観光旅行だった。今回も酒田に行く途中で2ヶ所の道の駅に立ち寄った。「道の駅 にしかわ」には温泉入浴施設があり、昼前に入浴した。この道の駅には買いたいものがけっこう並んでいた。 道の駅から見ると、低い山並みの谷あいに雪がたくさん残っている。月山山麓を越えて鶴岡、酒田に向かう山中の道からは残雪の山ばかりになる。大木の根元ばかりが雪解けが進んで、冬から春への移り変わりが印象深い。 もう一つの道の駅にも寄ったが、まだ雪深かった冬の名残が続いているようで半分ほどの施設が閉まっていた。ここで昼食をとる予定だったが諦めて、おそらく酒田ではいちばん有名な観光地の「山居倉庫」にまっすぐ向かった。 山居倉庫にも観光客はまだ少なく、出会ったのは外国人を含む10人ほどの団体だけだった。山居倉庫は明治時代に造られた12棟の巨大な木造倉庫で、「山居米」と呼ばれる米を貯蔵してここから酒田港を通じて出荷していたという。観光写真で見かける写真は倉庫の裏側で、米の出し入れなどの荷作業をする表側の方がその巨大さがよく実感できる。 山居倉庫を出て、近くの酒田ラーメンの店で遅い昼食をとった。酒田ラーメンはどの店も伝統的にワンタンメンが主力ということらしく、私たちもそれを食べた。魚介系のダシがよく効いていて、魚嫌い(だった)の私にはどうかと思ったが食べていくほどおいしくなるのだった。ラーメン店から日和山公園に行ってみたが、雨と低く垂れこめた雲で展望は一切ない。日本最古級の木造六角灯台と背景の酒田港(の一部)を記念に撮っただけでホテルに入り、しばらくゆっくりしてから、夕食は日本海の魚ということにして車で街に出て寿司を食べた。 2日目も小雨ながらやはり雨降りで、ぶらぶら歩くことは諦めて、酒田市美術館と土門拳記念館を回り、昼食は日和山公園にあるレストランでパスタの昼食とした。 土門拳の写真はじつに見ごたえがあった。「土門拳のスナップショット!」という企画展が開催されていて、戦中、戦後の子供たち(多くが私の子供時代と重なっていた)の躍動する遊びばかりではなく、その子供たちの幸不幸までも写し取っている写真に圧倒された。常設の「古寺巡礼」に含まれる写真には「黒潰れ」や「白とび」など写真では嫌われるものが、仏像の陰翳表現として用いられていた。明るいところはひたすら明るく、闇は闇のまま、そのあわいで仏像の存在感が際立っていた。高齢になってカメラを志した身には恐れ多すぎるのだが、写真集を2冊購入して少し勉強してみることにした。 昼食後は、小旅行恒例の日帰り温泉である。酒田市を出て「庄内町ギャラリー温泉 町湯」は日和山公園から20分ほどの近くだった。入浴後は、昨日と同じようにホテルで居眠りしながらのんびりと過ごした。夕食は予約していたフレンチレストランで、ワインも飲みたくてタクシーで出かけた。このフレンチは本当に満足できるフルコースだった。 3日目、何も計画していなかったが、せっかくの酒田なので日本海を見に行こうということになった。さいわい、雨は次第に小降りになり、ホテルを出るころには上がっていた。ホテルの部屋を出る直前、さっきまで雲に隠れていた月山と鳥海山が姿を現していた。7階の東向きのホテルの部屋の窓ガラス越しに二つの山の姿を撮ったことでカメラを持って行った甲斐があった、そんな気がした。 初めに「酒田北港緑地展望台」に行って、日本海ばかりか酒田の展望を見たいと思ったのだが、行ってみたら「4月の開館は11時から」という張り紙があって入ることができなかった。仙台を出る前は、ここも日和山公園も日本海に沈む夕日を撮ろうと心ひそかに決めていた場所だった。 閉館中の緑地展望台を出て、海沿いに湯野浜海水浴場に向かった。地図では海沿いの道だがずっと黒松の砂防林や人家があって海は湯野浜海水浴場についてようやく見ることができた。雨は上がったものの風が強烈に吹き始めていた。その風を利用するのか、ウインドサーフィンの帆が二つほど海面に見えた。左手には先端近くに加茂水族館があるらしい山稜が海に突き出ているように見え、右手には酒田港近辺の発電用風車の立ち並ぶ姿が遠望できる浜だった。 考えていた予定はここまでだったが、加茂水族館の看板を見た妻が行きたいということで寄ることにした。ここはクラゲの展示で有名で、嫌になるほどの数と種類のクラゲを見ることができた。水族館を出ると風はいっそう強烈に吹きまくっていて、妻とスクラムを組み、なおかつ妻は手すりにつかまってようやく車に辿りつくありさまだった。 帰り足、「道の駅 にしかわ」によって少しばかり買い出しをして、2泊3日の小旅行は終わった。雨は雨でそれなりに楽しめるという旅行だった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして
2025.04.25
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3月22日に春の花が見たくて仙台城址のある青葉山丘陵の散策路を歩いたのだが、咲いていたのはセリバオウレンだけだった。4、5日前のローカルニュースで、その青葉山散策路でカタクリの花が咲いていると報じていた(と妻が教えてくれた)。少し季節が進んだので、また山の花を見に行きたいのだが、同じ青葉山散策路では面白みがない。というわけで、馴染みのある戸神山に行くことに決めた。 昨年の6月7日に戸神山に行って、その翌日に両足が急にむくみ出してネフローゼ症候群というありがたくない病名をいただいて病院暮らしをすることになった。その戸神山である。3時間ほどの山歩きを考えているのでどこで引き返せばよいかよくわかっているのが安心なのだ。だいたいあの辺から戻れば、疲れもそこそこだろうと想像できるのがよい。 6時に家を出て6時半に歩き出した。すぐにでもなんかの花は見つかるだろうと高を括っていたが、どうもそんな雰囲気ではない。この辺りでは珍しくもないカタクリの花も見つからないのだ。花どころか葉も見えない。そう言えば、何度も登った山だがカタクリの季節には登った記憶がない。つまり。この山でカタクリの花を見た記憶そのものがないのだった。 地面に大きな毛虫のようなものがたくさん落ちている。見上げると大きなバッコヤナギの木があった。地面に咲く花ばかりを探して歩いていたので木の花までは気が回らなかったのである。少し行けばキブシの花も咲いていた。道を少し逸れたところにはショウジョウバカマが咲いていた。この花は花期が長いのか、山ではよく見かける花である。 登山道が泥濘路にさしかかるとネコノメソウの群落があり、曇天の中の林の中に明るい黄緑色が広がっていてとても目を引くのだった。泥濘路を過ぎたあたりで斜面に咲くちいさなスミレの花を見つけた。スミレは見分けるのが難しいが、花の大きさ、葉の形から(帰宅後の写真検索で)ヒメスミレだろうと推定した。近くには、ナガハシスミレが咲いていた。これも写真検索で同定した。もう少し後では、タチツボスミレも見つけた。タチツボスミレはよく見るスミレである。 カタクリの花も葉も見つからないと思っていたが、雑木林と杉林の境目付近にカタクリの群落があったものの花は一輪も咲いていなかった。仙台中心部と奥羽山脈の中間ぐらいにある戸神山では、青葉山丘陵よりだいぶ春が遅いということらしい。少し先にはアズマイチゲが咲いていたが、すべて蕾のままだった。日が高くなれば開き出すのかもしれないが。 1時間半ぐらい登って引き返す予定だったが、もうちょっと登れば頂上という誘惑に悩まされた。それに打ち勝ったのは、帰り足の広瀬川の岸でセリを摘もうというもう一つの誘惑だった。杉林のなかのじめじめしたところで蕗の薹を摘んでから山を下った。 登る道でも日本春蘭がぽつぽつと咲いていてカメラに収めたが、3輪の花が立ち上がっている大株があったのでそれも撮った。これぐらいでだいたい花の写真は終わりかなと思っていたら、低い鳴き声がしてカモシカが逃げていくのが見えた。少し先の斜面が低くなっているあたりで消えたのであきらめていたが、私のすぐ横の斜面の上で私を眺めおろしている。体の半分以上が木のかげになっているので、体がよく見えるように私が道を少し後戻りしてカメラを構えたが、花を撮るためにマクロレンズを装着していたので望遠が効かない。そのままマクロレンズで写してトリミングした。 予定の30分オーバーで10時ちょうどに車に帰り着いた。すぐに広瀬川まで下り、セリが生えている岸まで雑木林の中を下って行ったら、斜面に群生するカタクリが一面に花を咲かせていた。もう少し下ると、キクザキイチゲも花を開いていた。2種類の花をカメラに収めてから、ゆっくり芹を摘んだ。あとは家に帰って、芹と蕗の薹をどのようにして食べるか考えるだけである(蕗の薹は一部を残して、あとは漬物にする予定である)。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.04.11
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