1月12日から4月7日まで開催されていた、東京国立博物館の特別展「飛騨の円空――千光寺とその周辺の足跡」。引っ越し騒動で日程調整がうまくいかず、最終盤の4月5日にやっと鑑賞できました。
連日大混雑で、入場制限がかかり、2時間待ちの日もあると聞いたので、開館早々に入場。落ち着いて数々の仏像と対面できました。
東京国立博物館
円空というのは、江戸時代初期の1632年、美濃(今の岐阜県)に生まれた行脚僧で、
生涯に約12万体の仏像を彫りました。独特の作風から「円空仏」とよばれる作品は、北は北海道・青森、南は三重県、奈良県まで広く分布し、現在までに5000体以上が発見されています。
木を割った時の切断面、節や鑿跡がそのまま見える像が多く、その簡素化されたデザインとゴツゴツとした野生味、不可思議な微笑は、江戸時代から民衆に愛され親しまれつづけてきました。行く先々の庶民のために(求めに応じたのかも)、木っ端を利用してザックリと顔かたちを刻んだだけの彫像が多いのも特徴です。
円空仏に対面していると、仏たちは木に彫りつけられたのではなく、円空によって木の中から彫り出されたのだと実感します。
円空展図録。表紙の仏像は三十三観音
今回の展覧会では、岐阜・千光寺(せんこうじ)所蔵の円空仏61体など中心に岐阜県高山市所在の100体が展示されました。円空とその仏たちに魅了されている私にとって、またとない機会。特に、「両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)」の実物に初めて対面できるのですから、気分は最高です。
以前、冬の飛騨・高山を訪れた際、両面宿儺に対面するため千光寺に立ち寄りました。雪の山道をノロノロ運転で登りつめ、山門をくぐって目にしたのは、完全に閉ざされた本堂。冬季閉鎖中だったのです。全く調査不足でした。
2度目に千光寺を訪問した時は、両面宿儺像は「出張中」で、またしても空振り。高山は冬に行くことが多いので、その後は訪問することもありませんでした。
今回、やっと対面が実現したのです。
両面宿儺(りょうめんすくな)は、日本書紀に登場する飛騨の「大悪党」。
書紀によると、仁徳天皇の時代、飛騨に現れた両面宿儺は、1つの体に、前と後に2つの顔を持ち、手足は4本ずつ、敏捷で左右に剣を帯び、4本の手で弓矢を自由自在に扱う異形の男。身長は3メートル、50人力の怪人で、朝廷に従わず反逆し、住民を略奪していました。天皇は難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を派遣して宿儺を討伐したと、されています。
慈愛と憤怒の両面宿儺像
ところが、飛騨や美濃各地の伝説によると両面宿儺は住民の英雄。飛騨の丹生川村(いまは高山市に併合)の伝説では、異形の巨人が法螺貝を吹きながら岩壁の中から突然現れ、村の鍾乳洞(実際にあります)に住みながら、神を祀る者として地域を統率し、住民に信仰や農耕を指導したとのこと。千光寺は1600年前に両面宿儺が創建したといわれています。
大和朝廷の圧制に抵抗しつづけて住民を守ろうとした古代の英雄を、地元の人たちはいまも「宿儺さま」と崇拝し大切にしています。
円空は、飛騨の人たちの宿儺への崇敬の気持ちを大切にして、独特な両面宿儺像を彫りました。民を思う慈悲に満ちた心を「柔和」な顔として正面に刻み、大和朝廷と戦った荒々しい心を「憤怒」の表情として脇に刻みました。また、腕には弓矢ではなく斧を抱いているのも、開拓者としての宿儺をイメージしていたような気がします。
両面宿儺のように、自らを省みず圧制に抗い、他者のために働く、そんな生き方をしたいと願いつつ、何ごとも為しえないまま人生が終わっていきそうな感覚にとらわれながら、両面宿儺像の前に立ち尽くしていたのでした。
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