ken tsurezure

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2006.11.11
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カテゴリ: 音楽あれこれ
 1995年にいわゆる「オウム真理教」の一連の事件が起こった。教祖は裁判中何も話さなかったし、事件の実行犯達も多くを語らなかった。だからあの事件の総括はまだできていないといってもいい。しかしどちらにしろ、あの事件は「テロ」という失敗に終わったと断言してもいいだろう。
 オウム真理教は信者の勧誘に尾崎豊だとかナウシカだとか、いわゆる「サブカルチャー」を巧みに使ったことで知られている。またサリン事件の実行犯が尾崎ファンだったとか、教祖も尾崎が好きだったとか、あるいはブルーハーツのファンクラブ会員が入信していたといった情報も乱れ飛んだ。
 こうした一連のオウム騒動に対して、例えば忌野清志郎はタイマーズの復活でオウムを徹底的に茶化すという反応を示した。日本のロック草創期に活動していた彼のその活動はとても痛快であった。
 しかしその下の世代、つまり信者達と同世代のアーティストはそうした反応を全く示さなかった。またオウムを真剣に受け止めて何かの歌に結実させた。そうしたストレートで真面目な反応はなかった。その点で9.11の時と温度差が違う。
 なぜ9.11でそういう反応ができるのにオウムの時はできなかったのか。それは興味深いテーマではあるけど、ここでは触れない。

 1995年という年はブルーハーツが解散し、ハイロウズが結成された年でもある。今になって思うとそれはブルーハーツにとってのオウムに対する責任の取り方だったのではないか。そんな気がする。
 宮台真司氏的な言い方をすると、ブルハ―ツは「相互浸透型」の「ロック」の典型例である。「彼らだけは私達をわかっていてくれる」。そしてわかってくれない世の中の方が悪くて僕らが正しいのだ。相言う形で思い通りにならない世界を無害化するツール。ブルーハーツ自身の真意とは裏腹に、そうした受け取られ方をしかねない危うさが僕達の方であるファン側にあった。
 ブルーハーツデビュー当時の日本ロックの状況を見ると、ブルーハーツはそれまでの「ロック」に対するアンチテーゼだったことがわかる。ファッションとは言い難いズタボロの服装。英語をほとんど使わない歌詞。その歌詞の内容は「いじめられっ子の逆ギレ」(音楽誌がかかないJ-POP批評)と評されてしまうようなもの。それなのにやたらと激しく、衝動をそのままぶつけたような音楽。それは何だか「カッコよく」なってしまったロックに対する異議申立てだった。
 しかし「ドブネズミみたいに美しくなりたい」といったイメージがあまりにも大きくなりすぎて、それは結局僕のような自閉的ブルハファンの自閉ツールに利用される危険も大きかった。そして実際にオウム真理教に入信したファンクラブ会員まで出してしまった。
 そうした苛立ちがハイロウズ結成につながったのだと思う。ハイロウズはブルーハーツにならないようにしたい。だから「優しさ」だとか「ドブネズミみたいに美しくなりたい」とか「少年」と言った言葉を禁じ手にした。そのかわりにロックの瞬発力にこだわった。
 ロックファンならわかることなのだけれども、初めてロックを聴いて世界がひっくり返ったような衝撃を受けた時、「この曲の歌詞は?」だとかそういった事は眼中にない。極端に言うと、言葉が全くわからなくても「ベイビー」とか「イエー」といった叫び声だけで「わかって」しまう。それを再現しようとすること。それがハイロウズだった。だからハイロウズの歌詞はブルーハーツに比べると真意がわかりにくい。
 そういうスタートを切ったハイロウズだが、ついに「14歳」でロックという音楽への信仰を告白してしまう結果になった。それからハイロウズの音楽は減速し始めた。
 そして今回、またクロマニヨンズとしてヒロトとマーシーは再デビューした。クロマニヨンズとハイロウズの音楽はそれほど変わりがない。あえていえばクロマニヨンズの方がギターのディストーションの歪みが大きい気がする。その程度だ。
 その一方で歌詞の方を見てみると、ハイロウズの頃よりもその歌詞のナンセンス度が深まっている。「歩くチブ」はほとんど言葉遊びだし、「人にやさしく」を笑い飛ばすナンセンスナンバー「土星にやさしく」という曲まである。歌詞の無意味度が徹底された。そんな印象だ。
 それはシングル曲「タリホー」にも表れている。非常に切ないメロディーに乗せてヒロトは叙情的な風景を歌う。しかしそれは決してひとつの像に結びつかない。その風景はどんどん拡散されていき、結果として何について歌っているのかが全くわからない。ただそれが何かの「叙情」を示しているのだ。それだけがわかる。
 つまり、クロマニヨンズはロックへの信仰を告白してしまったハイロウズに対するアンチではないだろうか。ロックを信仰の対象にしてしまうと、それは結局オウムを信じるのと変わらなくなってしまう。どっちを選ぶのか。そんな選択の問題になってしまう。それにヒロトとマーシーは限界を感じてハイロウズを休止させたのではないだろうか。
 そして彼らは再び原点に戻った。初めてロックを聴いた時のあの「世界がひっくり返るような」ドキドキを再現したい。そのためには何か意味のある歌詞なんていらない。もっというと意味なんてないほうがいい。
 そんな彼らの解答がクロマニヨンズの音楽を独特にしている。今まで誰も使ったことがないような意味不明で思わず笑ってしまうようなナンセンスな歌詞。それはまるで幼児の鼻歌のように出鱈目だ。それなのになぜか異常にドライブ感のあるサウンド。それが結びついて「クロマニヨンズ・ロック」としか言いようのない純然たる「ロック」が成り立っている。
 彼らの新しいロックはどこへ転がって行くのだろうか。それに興味が尽きない。なぜなら「初めて」ロックを聴いた時の衝動感の再現をいつまでも創り続けていくことは、文字通り矛盾した音楽を創りつづけようとする事であるのだから。





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Last updated  2006.11.12 00:55:39
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trainspotting freak@ Re[1]:世界の終わりはそこで待っている(06/19) これはさんへ コメントありがとうござい…
これは@ Re:世界の終わりはそこで待っている(06/19) 世界が終わるといってる女の子を、「狂っ…
trainspotting freak @ Re[1]:ある保守思想家の死 西部氏によせて(03/02) zein8yokさんへ このブログでコメントを…
zein8yok@ Re:ある保守思想家の死 西部氏によせて(03/02) 「西部氏の思想家としての側面は、彼が提…
trainspotting freak @ コメントありがとうございます aiueoさん コメントありがとうございます…

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