ken tsurezure

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2008.05.04
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カテゴリ: 音楽あれこれ
 ジーザス&メリーチェインのファーストアルバム『サイコキャンディー』が発表されて2年後に、僕はそのアルバムをレコードで聴いた。セックスピストルズ以来の衝撃。ギグが始まると必ず暴動が起こってしまう問題の新人グループ。レコード帯に書かれているそんな過激な新人グループという宣伝文句を真に受けて僕はそのレコードに針を下ろした。
 しかしA面を聞いてみて感じたことは「何が何だかよくわからない」ということ、それだけだった。よくわからないままB面にレコード針を下ろしてしばらくしたら、針が折れた。耳障りなノイズの中、僕はしばらくの間針が折れたことすら気がつかなかった。それ以降ジーザスのレコードを聴こうとは思わなかった。
 その年の暮れにジーザスはセカンドアルバム『ダークランズ』を発表する。それまでその音楽全編に覆いかぶさっていたノイズが消え、メロディーの美しさが前面に出されたアルバム。そのアルバムを聴き、僕は初めてジーザス&メリーチェインがそのファーストアルバムであの耳障りなノイズを奏でなければならなかったのかわかった気がした。『ダークランズ』はジーザスの本来のたたずまいを何の飾りもなく表現したそんなアルバムである。
 「エイプリル・スカイズ」「ハッピー・ウェン・イッツ・レイン」「ダウン・オン・ミー」。それらはある行き止まりのところから発せられた音楽だった。この先に未来はなく現在いるところには希望がない。そんな場所で、絶望するでもなく怒るわけでもなく、ただ現在の状況に茫然自失としながら脱力感に赴かれるままに音楽を奏でてみた。何の感情もなく、何も感傷もない荒野の真ん中から発せられたゼロ地点の音楽。
 そんな『ダークランズ』を聴いてようやく理解した。彼らのファーストアルバム『サイコキャンディー』は「過激」とか「怒り」とか「暴力的」とかいうべきものではない。彼らはそんなことを表現したくてそのアルバムをフィードバックノイズで覆い尽くしたわけではない。
 その時代に活躍していたザ・スミスやキュアーといったバンドと比較すると彼らの立ち位置の独特さがわかる。スミスは非常に屈折した形ではあるけれど、その頃の労働者階級の怒りをその時代状況に合う形で表現していたバンドだった。キュアーはロバート・スミスという類まれな才能に導かれるかのように内省的でメランコリックな表現を得意にしていたバンドだった。それに対してジーザス&メリーチェインは、スミスのように怒りの表明はなく、そしてキュアーのような過剰な自意識もなく、そして内省的な表現もしなかった。

 あの娘の言うことを聞きなよ
 世界の半分は彼女のもの
 近づけば感じるはずさ
 彼女の甘い罠にかかったことを
 ゆっくりと
 知らないうちに
 いいね すごく素敵さ
 最高さ
 なんて素敵なことだろう
            『ジャスト・ライク・ハニー』

 フィードバックノイズの彼方から聞こえてくるメロディーに耳を澄ますと、ビーチボーイズや60年代ポップスやサーフミュージック直系の甘い調べが聞こえてきた。その歌詞はちょっと聞き流すと普通のラブソングだ。それは攻撃的でも過激でもなく、また一見しただけでは屈折とも無関係だ。
 それに何かの文字的表現を与えるとしたならこんな感じかもしれない。彼らの表現しているものは倦怠感だ。土曜日のパーティー明け日曜日の遅い朝に、まだアルコールが抜け切れずに偏頭痛をひきずりながらモーニングコーヒーを飲んでいるときの、気だるい虚脱感。フィードバックノイズはそのときの耳鳴りや偏頭痛を思い起こさせる。パーティーが終わった後の虚脱感とまた明日から始まる日常生活を嫌でも思い起こさせる日曜日の朝の訪れ。幸せとも不幸とも、そして希望だとか絶望だとかいった大げさな表現があまりふさわしくない普通の日常の一断面。
 熱烈な愛。激しい怒り。強烈な感情。そういったものは確かに僕らの日常生活の中にあるかもしれない。しかし僕らはそんなドラマチック生を毎日生きているわけではない。その生の大部分はドラマチックとは無関係な倦怠や退屈やその他のルーティーン。
 それをこそ、ジーザスは表現しようと思ったのではないだろうか。生の大部分を占めている倦怠や退屈について。そして強烈な感情から程遠く見える日常生活のゼロ地点を。
 そのためにあの耳障りなフィードバックノイズが必要だった。退屈や倦怠に巻き込まれて頭が真っ白になってしまったその状態を最もふさわしい形で表現するにはそれしかない。その倦怠を否定するのでも肯定するでもなく、それに自分が取り囲まれていることを状態としてそのまま表現すること。それにはあのフィードバックノイズが最もフィットしていた。
 そのフィードバックノイズはまず聞き手に違和感を与える。しかしそのアルバムを聞き込んでいくうちにそのフィードバックノイズは不思議な陶酔感を聞き手に与え始める。その陶酔感は彼らの作る甘いメロディーとノイズとの化学反応から起こる。
 その作用は「日常」の罠のようだ。まず「倦怠」は違和感として聞き手に差し出されるが、それを聞き込んでいくうちに「倦怠」が陶酔感になって戻ってくる。「日常」の巧妙な詐術。
 そういう形でジーザスは「日常」や「倦怠」を音楽の形にした。それはその後のイギリスのギターバンドだけではなく、遠く日本のロックバンドにまで影響を与えた。

 サードアルバム以降のジーザス&メリーチェインは、そんな彼らが開発した新しいロックを完成に近づけていく作業だった。
 シュガーレイだとか「ジーザスみたいに死にたい」だとか、彼ら独特のロック語法が並んだ『ハニーズ・デッド』は彼らの音楽の完成形でもある。
 そして一九九八年に彼らは解散した。

 彼らの消息はしばらくつかめなかったが、最近再結成したらしく、今年のサマーソニックで彼らは来日する。あれから20年のときが過ぎた。彼らは今何の音を鳴らすのだろうか。


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Last updated  2008.05.04 21:52:06
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trainspotting freak@ Re[1]:世界の終わりはそこで待っている(06/19) これはさんへ コメントありがとうござい…
これは@ Re:世界の終わりはそこで待っている(06/19) 世界が終わるといってる女の子を、「狂っ…
trainspotting freak @ Re[1]:ある保守思想家の死 西部氏によせて(03/02) zein8yokさんへ このブログでコメントを…
zein8yok@ Re:ある保守思想家の死 西部氏によせて(03/02) 「西部氏の思想家としての側面は、彼が提…
trainspotting freak @ コメントありがとうございます aiueoさん コメントありがとうございます…

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