90年代懐古の亡霊が闊歩しているような気がする。 2012年のストーンローゼズの再結成から始まって、小沢健二の復活。そして90年代を舞台にした映画の上映。 ストーンローゼズの再結成ライブを見て感じたのは、僕のような40代の大台に乗ってしまった人間にとって、そのライブが非常に楽しいということだ。もう誰もストーンローゼズに2018年現在の最先端のリアルロックを期待しないし、過去のストーンローゼズの評価も定まっている。あとは「I Wanna Be Adored」をどれだけ大きな声でシンガロングできるか。「I Am The Ressurection」にどれだけ個人的な思いを託すことができるか。 はっきり言うと僕はもう現在のロックに共感できなくなっている。ラッドウィンプスやテイラースウィフトを無理に聞くよりも、再発されたInspiral CarpetsのCDを買う方を選んでしまう。年を取るとはそういうことだ。そう思わざるを得なくなる。 僕が90年代に20代だったころ、70年代懐古ビジネスが嫌だった。まだ若かった僕にはそうした近過去を懐かしいと思う精神構造が全く理解できなかった。 でも40代を過ぎて、わかるようになってしまった。20代、30代を駆け抜けるように後も振り返らずに生きて、それなりに決着がついて、自分に残された資産や負債の清算をとりあえず突きつけられるとき。それが41歳くらいのときだ。そして厄年を境に一気に生命力や勢いがガクンと下がる。自分はもはや若くない。下手をしたら老年期の初期段階に入ろうとしているのではないか。そんな疑念すら感じられるようになってから、自分が若かったころを懐かしいと感じてしまう。自分がその頃若かった。それだけでその時代が良かったと思えてしまう。そのとき90年代を懐古するマテリアルがあれば、それなりに金があるから買ってしまう。 そうやって僕は広告代理店の仕掛けた罠に嵌るように、90年代懐古の亡霊に取りつかれてしまう。