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1843(天保14)年
越後村松藩の第9代藩主・堀直央(直寄の末裔)が
大仏を新鋳して再建、仏殿を修復。
その間、212年間。
先祖の気持ちを忘れないって、すごい一族だわ~。
関東大震災(大正12年)で被災し、頭部が落下。
胴部以下は寛永寺が保管しますが、資金難で再建できず。
昭和15年、軍への金属供出で胴部も失われてしまう。
それでも、顔は残す、という執念がすごい。
昭和42年、大成建設の寄進により
パゴダ様式(ミャンマー様式の仏塔)の
祈願塔(大仏パゴダ)が建立。
昭和47年、寛永寺に安置されていた大仏の顔面部を
レリーフとして安置。
これです。顔だけ残った仏像。
画像お借りしました。 ありがとうございます。
関東大震災で顔が落ちる前の上野大佛。
大き目の鼻とか、面影ありますね。
あ、同一人物(?)でしたね。
優しいお顔立ちです。
これからも、どうか受験生をお守り下さい。
大佛の顔の絵馬、なんだかこわ~い。
散策を再開!
見ているのは、銅像ではなく、桜の花。
なんと、河津桜でもないのに、桜が咲いていました。
因みに、銅像は、小松宮彰仁親王(1846〜1903)。
日本の皇族で陸軍大将。
なぜここに銅像があるのか不明ですが、
戊辰戦争(後半に、上野戦争)で指揮を執ったから?
上野は、パンダで大はしゃぎ。
工事のカバーでさえ、パンダ柄。
奥に見えるのは、東京国立博物館。
「あ! これ観たい!」
会には、美術館・博物館好きが多くて、嬉しい限り♪

旧因州池田屋敷表門。
現在の丸の内にあったものを、昭和29年(1954)移築。
東京は、特に上野は、
ちょっと歩くだけで、歴史に触れることができます。
右手に見えるのは、「博物館動物園駅」。京成電鉄本線の駅。
1933(昭和8)年、開通
1997(平成9)年、営業休止
2004(平成16)年、廃止。
本日のメンバーの中に、
「乗ったことがある!」という方がいらしたので、
「え! 戦前?」と思わず聞いてしまいました (*_*)
帰宅して調べましたら、
平成9年まで営業していたのですから、十分に乗れます。
メンバー様、ごめんなさい!
今度詳しく聞かせて下さいね。
地下の壁には、芸大の学生が描いた絵などが、
営業中の当時のまま、今も残っているそうです。
見たいな~。
やっと到着。「国際子ども図書館」
この看板が、後で話題になります(^-^)
ここが、本日のメインの目的地。
ここまでが、長かったわ~(@_@)
ガイドさんに館内を案内して頂く
ガイドツアーに参加いたします。
え~、ただの図書館でしょ?
なんのガイド?
ふふふ・・・
国際子ども図書館は、ただの図書館ではないのですよ。
受付を済ませて、ガイドさんをお待ちしているところ。
ガイドさん到着!
お若い女性で、ちょっと驚き。
ガイドさんも、着物の方をご案内するのは初めて!と
喜んで下さいました。
参加証を受け取り、ガイドツアースタート!
写真OKの場所、NGの場所など確認。
建物はOKなので、バチバチ撮ります。
1906(明治39)年、
レンガ棟(本館)は、
帝国図書館として建設されました。
1929(昭和4)年に増築。
ルネッサンス様式の建物として、
東京都の歴史的建造物に指定されています。
2015(平成15)年、アーチ棟(新館)が完成。
レンガ棟も耐震補強しました。
こういったタイル張りの、ノスタルジックなレンガ棟エリアから・・・
現代的なアーチ棟エリア。 地下2階の書庫へ向かいます。
この青いマットは、履物の下についたチリやほこりを取ります。
貴重な本を傷めてはいけないので、
丁寧に、ペタペタ・・・
ここから先は、撮影禁止エリア。
右の奥にちょっと見えるのが、巨大な書庫の一部。
ズラ~っと並んでいます。
指先一本で、軽々と動かすことができました。
ここにあるだけで、約65万冊。
すごいわ~。
レンガ棟の地下にも、約40万冊の書庫があります。
これからも本はどんどん出版されていくのに、
今後はどうなるのでしょうか。
またレンガ棟へ。
ここは今、室内ですが、当初は外壁でした。
今は、外壁を守るカバーのように、廊下を追加しています。
この窓は、飾りではなく、当時は本当の窓でした。
消防法上、木枠の窓というのは、現代では許されないそうです。
そのため、木枠を外してアルミやステンレスにする
という方法もありましたが、
上からガラスをもう一枚掛けて、
窓として使えないようにしたそうです。
そのお陰で、当時の雰囲気を知ることができます。
木枠の窓って、いいと思うのにな~。
でも、日本は火災が多いから、しょうがない。
大階段
照明は、復元したものが多い中で、
この階段のシャンデリアは、当時のものだそうです。
天上の漆喰や、意匠がステキ。
ドアに書いてある説明
「おす登(と)あく」→ 押すと開く
それまでの日本には扉がなく、
戸といえば、引き戸だったので、
ドアの前で、どうしていいかわからず
立ち往生する人が続出したとか。
そこで、「おすとあく」と、説明がついたそうです。
そういう説明をして下さるガイドさん、かわゆい♡
ガイドさんなしでも、ここは自由に歩ける場所ですが、
説明なしでは、こんなに楽しめませんよ。
散歩ネコたちが、いちいち
「え~!」「すご~い!」と反応すると(本心)、
ガイドさんはにこやかに微笑んでいて下さました。
広間 コンサートホールにもなるそうです。
どのお部屋も、天井の高さに目を奪われます。
昔の図書カードの管理箱!
学校の図書館は、これでした。
今はないでしょうね~。
建物の模型もあり、全体像がわかります。
当初、この看板を入り口(屋外)に置いていたそうです。
その後、この木が屋久杉であることがわかり、
慌てて屋内へいれて、別の看板を作り直したとのこと。
素人が見ても、高価だと思います。
なんだか、いい時代・・・
ガイドさんと♪
せっかくだから、屋久杉の前で撮りましょう、
となったのに、
その屋久杉はまるで見えず。
数種の図書室(世界の部屋、子供の部屋など)がありますが、
本の背表紙など写り込むと、著作権などの問題が発生するので、
撮影できないのが残念。
明治時代の建物としても、未来ある子どもたちの場所としても、
素晴らしいところです。
是非、直接いらして下さいませ。
ガイドさんとお別れして、個人撮影会。
お一人目のモデルさん、ご協力ありがとうございました。
美しいキモノに出ていそう♡
やっとお茶休憩。
館内のカフェテリアへ。
「クリームソーダ」をポチリ!
食券を提出。
カフェテリアと名乗っていいのか。
でも、人も少なくて、意外と穴場。
なんのお話しかな~(^-^)
お帰りは、芸大の建物を見ながら。
あの緑の地球のような物体が気になってしょうがない。
でも、このメンバーの中に、知る人はおらず。
いつか、芸大散策の時の宿題に。
「自由な女神」 「の」ではないの。「な」なの。な。
パチンコ屋さんの看板として作られたそうですが、
そのパチンコ屋さんが倒産。最初は全身像だったらしい。
2010年、宮城県石巻市の公園に置かれたそうです(なぜ?)。
2011年3月11日の津波で、腰から下の一部がえぐり取られるが、
倒れず、津波に耐えた「希望の象徴」と言われたことも。
津波の後に、残った像。 画像ありがとうございます。
なんというか・・・言葉がでません。
その後、被災地では、何を残すか否かで論争があり、
この像は、
「震災の遺構としてふさわしくない」とされたようです。
芸大大学院修士1年の村上さんという女性が、
所有者と交渉し、無償で譲り受け、
大学の卒業制作として発表。
この像にふさわしい移転先を求め、
震災から7年になる3/11まで、提案を募集しているそうです。
う~む、芸大生の卒業制作でしたか。
「自由な女神プロジェクト」
という名で活動を見ることができます。
本当に安らげる場所が見つかるとよいね。
はぁ~、今日は長い長~いお出掛けでした。
皆さん、頑張りました。
ブログも頑張りました。
そうそう、後ろ姿も忘れずに。
日差しが夕方になってきました。
上野公園では、大道芸が賑やかです。
新旧とりまぜて、歴史豊かな上野です。
次回はなんと、お出掛け会、番外編。
定例会でもなく、特別会でもなく?
一体、どんな会なの~!
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