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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2006.03.30
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 サヨンの鐘

 「司馬遼太郎短編集」(司馬遼太郎著)と「良寛のこころ」(松原哲明著)を読みながら、台湾の各地を旅した。故宮は見応えがあったし、タロコ渓谷は絶景であった。一番印象的だったのは、台湾東北部宜蘭県の山奥にあるタイヤル族のリヨヘン社の少女、サヨン・ハヨンの話であった。1938年に、当時この地の学校の教師を勤めていた日本人警官のもとに出征の命令が届き、山を下りることになった。引っ越しに村の青年達が荷物運びを買って出て、その中の一人に当時17歳の少女サヨン・ハヨンがいた。その日は悪天候でリヨヘン社から麓まで行く途中の川に掛かった丸木橋を渡るとき、荷物を背負ったサヨンは足を滑らせて川の激流に飲み込まれ帰らぬ人となった、という。他説もあるようである。日本統治時代には愛国美談としてサヨンの村に記念碑と鐘が作られたが、第二次世界大戦後に碑は川捨てられ鐘は撤去された。その後、地元住民によって引き上げられ、新しい記念碑と鐘が建てられた。現在、金洋村を結ぶ橋は「サヨン橋」と名づけられ、武塔村にはモニュメントと鐘を配したサヨン記念公園が作られている。良寛さまには、1828年の新潟三条大地震に関して、「災難に逢時節には災難に逢がよく候」と書いた手紙がある。この点について、以前読んだ本には、末法の時代の災いの必然とあるがままに受け入れることが書かれていたが、松原氏は、良寛の言をすべてよしとすべきではなく、ここは良寛の誤りという指摘がある。サヨンにはいろいろな災いが及んだが、災いについてのどちらの解釈にも理があるように思える。「サヨンの鐘」の作詞は西条八十氏、作曲は古賀政男氏である。

嵐吹きまく峰ふもと
流れ危うき丸木橋
渡るは誰ぞ麗し乙女
紅きくちびるああサヨン

晴れの戦いに出てたまう
雄々しき師の君懐かしや
坦う荷物に歌さえほがら
雨は降る降るああサヨン

散るや嵐に花ひとえ
消えて哀しき水けむり
蕃社の森に小鳥は鳴けど
何故に帰らぬああサヨン

清き乙女の真心を
誰か涙に偲ばざる
南の島のたそがれ深く
鐘は鳴る鳴るああサヨン

司馬遼太郎短編総集

良寛のこころ(松原哲明さんの著作一覧の中に出ています)

なぜ台湾はこんなに懐かしいのか
なぜ台湾はこんなに懐かしいのか

私の今回の旅路とよく似ています。






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Last updated  2006.03.30 20:00:05
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