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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2013.04.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 ドイツ文学は18世紀末、ゲーテ、シラーの二人によって頂点を極め、一般にドイツ古典主義と呼ばれています。

 古典主義は、ギリシャ・ローマの古典古代を理想と考え、その時代の学芸・文化を模範として仰ぐ傾向で、均整・調和などがその理想とされます。

 1786年9月、ゲーテはワイマルでの煩瑣な生活からのがれるため、長年の憧れの土地イタリアへ駅馬車を駆り出しました。

 この旅で詩人ゲーテが完成し、ドイツ古典主義を確立させるきっかけとなりました。

 ”ゲーテ『イタリア紀行』を旅する”(2008年2月 集英社刊 牧野 宣彦著)を読みました。

 生涯の大きな転機となった、ゲーテの約2年わたるイタリアへの知の旅を巡り体感しています。

 牧野宣彦さんは1945年生まれの旅行作家で、早稲田大学文学部ドイツ文学科卒、旅行会社に就職して各種のツアーを企画し、その後、シエナのレストランで修行し、今はボローニャに在住しています。

 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、1749年にドイツ中部フランクフルト・アム・マインの裕福な家庭に生まれ、1765年にライプツィヒ大学法学部に入学しました。

 3年ほど通いましたが、その後病魔に襲われ退学を余儀なくされました。

 故郷フランクフルトに戻り、その後1年半ほどを実家で療養後、改めて勉学へ励むため、1770年にシュトラースブルク大学に入学しました。

 この地で多くの友人を作り、作家、詩人としての道を成す上での重要な出会いを体験しました。

 1771年に無事に学業を終えて、故郷フランクフルトに戻りました。

 弁護士の資格を取り書記を一人雇って、弁護士事務所を開設しました。

 当初から仕事はそこそこあったそうですが、次第に仕事への興味を失い、文学活動に専念するようになりました。

 文学活動は大きく3期に分けられ、初期のゲーテはヘルダーに教えを受けたシュトゥルム・ウント・ドラングの代表的詩人であり、その後ヴァイマル公国の宮廷顧問となりしばらく公務に没頭し、そして、シュタイン夫人との恋愛やイタリアへの旅行などを経て古代の調和的な美に目覚めていきました。

 1786年にアウグスト公に無期限の休暇を願い出、9月にイタリアへ旅立ちました。

 7歳年上の人妻、シュタインとのかなわぬ恋に疲れた上、納得のいく詩が書けなくなったこと、政治家として限界を感じたことから、現実から逃避するような旅でした。

 父がイタリア贔屓であったこともあり、イタリアはかねてからの憧れの地でした。

 出発時、アウグスト公にもシュタイン夫人にも行き先を告げておらず、イタリアに入ってからも名前や身分を偽って行動しました。

 まずローマに宿を取り、その後ナポリ、シチリア島を訪れるなどし、結局2年もの間イタリアに滞在しました。

 1788年にイタリア旅行から帰り、芸術に対する思いを新たにし、宮廷の人々との間に距離を感じるようになりました。

 帰国してから2年後の1790年に2度目のイタリア旅行を行ないましたが、1回目とは逆に幻滅を感じ数ヶ月で帰国しました。

 イタリア紀行は、30年後の1816から1817と、1829年に旅行記としてまとめたものです。

 日誌や書簡を下敷きにしていますが、フィクションに近い部分も少なくないようです。

第1章 イタリア出発までのゲーテ
第2章 ブレンナー峠からヴェローナまで
第3章 ヴェローナからヴェネツィアへ
第4章 ヴェネツィア
第5章 ヴェネツィアからローマまで
第6章 第1次ローマ滞在
第7章 ローマからナポリへ
第8章 ナポリからシチリアへ
第9章 第2次ローマ滞在






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Last updated  2013.04.02 18:01:42
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