2003/02/04
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 文庫本裏表紙紹介文に添えられた「埴谷雄高」という重苦しい名前、話の中に頻出する「虚空」という単語、良い意味で隙間の多い「聖耳」を読んだ後では装飾過多に見える文章、それらに触れていると埴谷雄高を読んでいるんだか古井由吉を読んでいるんだか分からなくなる瞬間が結構あった、気がしたがそれほど理性は弱くなく、そうでもなかった。ただ「虚空」という文字を見るたびに竜巻に巻き込まれてクルクルと宙を舞う蛇が頭をよぎった(埴谷雄高の短篇『虚空』の一場面)。これも嘘だ。埴谷雄高と古井由吉の組み合わせが面白くてコロコロ転がすといくらでも転がるから放っておいたら、読んでる最中に本当に思っていたことを忘れてしまった。
 商業誌デビュー前の『木曜日に』を含む初期短篇五編。『先導獣の話』も収録。安部公房『名もなき夜のために』を読んでいる時のような、若い筆に引きずられての高揚感が身に湧く。と同時に、と同時に、33歳のデビューとはいえ、その始めからの技術の高さに舌を巻く。


 つぎの木曜日のひけ時、私は急に懐かしげに近づいてきた同僚の誘いを断るだけの気力をまだ取り戻していなかった。またつぎの木曜日、私は真直にねぐらに向かったのに、何気なく足をとめた本屋の店先で、何年ぶりかである女友だちに出会ってしまった。そしてまたつぎの木曜日・・・・・・。まるで何かに脅えて硬直してしまったみたいに、私は木曜日のほかにも手紙は書けるという単純な事実にすこしも思いつかなかった。それゆえ木曜から木曜へ、時間はすさまじい勢いで流れ落ちていった。そして流れの上には虹のようにあの木目の姿がつねにかかり、その不気味さと奇妙な美しさでもって、私の記憶を萎えさせた。こうして私は、呆然と見まもる私自身の前で、都会の無恥の中へ逃げこんで便りもよこさないあの獣たちの一頭になってしまった。
『木曜日に』より


 読むのに手間取る気がし、随分と時間が経った気がし、それでいて顔を上げて時計を見ると前回見た時より数字が3つ大きくなっているばかり。10分のような3分を、1時間のような3分を繰返し、読み終えて後鑑みるにいつものペースより少し遅いという程度。
『先導獣の話』を飛ばし『円陣を組む女たち』。他のものに比べればそれほど特筆するべきこともなかった短篇に思えたが、今思うと後々内に湧くことになる笑いの萌芽を見てとれた。『不眠の祭り』では時間だけでなく、今本を読んでいる場所がどこなのか、誰の本を読んでいるかを忘れるほどの忘我の境に身を追いやられ、物語を食うことはこんなにも楽しかったのだとしょっちゅう忘れてしまうことを思い出さされた。これとそっくりな気分を後藤明生『人間の病気』を読んだ時にも味わった。この気分は、いいものだ。しかし説明は出来ない。


 その翌日、火曜の夜、いつものように寝床についたとき、私の心はすでに祭りに対する嫌悪で満たされていた。
 祭りは最後には必ず人を欺く。しかも見えすいたやり方で欺くのだ。人はあまりに露骨な誘惑にかえって惹きつけられて、困惑しながら、シニックに構えながら集まってくる。しかしどんな祭りにも、いわば太鼓の乱打のような瞬間があって、その時、人は困惑していれば困惑したまま、シニックに構えていれば構えたまま、心ならずも熱狂していく。もっとも冷静な人間たちでさえも、これほどの昂奮に馴染めない自分に嫌悪を覚えて、なぜここで心楽しい瞞着に手足を突っ張ってあらがうのだろう、祭りに対して戦々兢々と構える人生は人生と呼ぶに値するだろうか、と自己嫌悪から熱狂の中に飛び込んでいく。しかしやがては現実が、熱狂の中で肥大した夢想にも思い及ばぬ醜怪な姿で、襲いかかってくる。その時、祭司どもの姿はもう見えない。われわれは無数の足を持ったひとつの恐れと羞恥になって、偶然という猛獣に捕まるまで、声も立てずに疾駆するのだ。
『不眠の祭り』より


 感想の体を成さずとも、重要と思えることは話を読んだ時の気分、行き所のない無駄に溢れる高揚感、つまりはただ己が感じたことの全体であるから、誰かに何かを伝えるような、あるいは後で自分で読み返した時にその物語の詳細を思い出すよすがとなるようなことを書くというような気分は吹っ飛んでしまっている。この話の粗筋を面白そうに書く自信もない。
 そうして『董色の空に』で自制がきかなくなったらしく身の内で笑いが止まらなくなる。笑いが外へ洩れたのは出鱈目な九九を叫ぶ子供が出てきた時だけだが、何がこれほどおかしいのか自分でもよく分からず、発狂などというありきたりな言い訳じみた単語まで浮かび、生まれて始めて桂枝雀の落語を見た時咳が止まらなくなったことまで思い出した。

 どんなにつまらない物でも、持物をわけのわからないやり方で失うのはあまり愉快なことではない。ことに素肌につけていたものとなればなおさらのことだ。と、はじめはその程度の気持でしかなかった。物をよく紛失するのはもともと賀夫の悪い癖だった。子供の頃にはそのことでだいぶ思いわずらったものだった。しかし年をとるにつれて、彼は物を失うことにそれほど神経質な怖れを抱かなくなった。苦心して集めた研究の資料でさえも、ある日、彼の手もとから忽然と消えてしまうこともあるかもしれない。そんなことを彼は平気で思うことができた。そればかりか、紛失しうると思うことも、現に紛失してしまうことも、そう違うことではないのかもしれない、とそんな途方もない思いをもてあそんでいる自分に、ときおり気づくことさえあった。それも、彼がまるで力満ちた独楽のように研究に没頭しているその真最中にである。
『董色の空に』より


 風邪を誘い込むように「聖耳」を読んだ時とは違い、熱気は物語の中でだけに充満し、こちらの体がどうこうなることはない。元々そんなことはあっては困る。ただ気持ちだけがどうしようもないほど体を抜けて先走る。冬で良かった。

古井由吉「円陣を組む女たち」(中公文庫 絶版)





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Last updated  2003/02/04 12:28:40 AM
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