2004/11/09
XML
カテゴリ: 詩集感想
「石がキリン」と読めば詩的を通り越して破壊的。
 飯島耕一の時も思ったが、これまで読んできた色々な詩のアンソロジーの中で紹介されていたものが、やっぱり良い詩なので、まるごと一冊詩人一人のものを読んでも、衝撃的な出会いには残念ながらぶつからない。15年経っても海に辿り着かない、崖から飛び込んだ女を書いた『崖』がやっぱりこの人の一番だ。
「生活詩」を書く人として知られているが、あまりそういう印象が私にはなかった。夜中に、砂抜き中のシジミを想い、鬼ババの笑いを笑う『シジミ』あたりがその代表なんだろうが、そういう類のがこの人の本質であろうと、それが一番優れているとは思えない。
 そういうわけで、今までは知らなかった、病んだ父とそれを看病する「四番目の母親」を書いた一連の、若い頃の詩が新鮮に響いた。


  貧乏

私がぐちをこぼすと
「がまんしておくれ
じきに私は片づくから」と
父はいうのだ
まるで一寸した用事のように。

それはなぐさめではない
脅迫だ と
私はおこるのだが、

去年祖父が死んで
残ったものはたたみ一畳の広さ、
それがこの狭い家に非常に有効だった。

私は泣きながら葬列に加わったが
親類や縁者
「肩の荷が軽くなったろう」
と、なぐさめてくれた、
それが、誰よりも私を愛した祖父への
はなむけであった。

そして一年
こんどは同じ半身不随の父が
病気の義母と枕を並べ
もういくらでもないからしんぼうしてくれ
と私にたのむ、

このやりきれない記憶が
生きている父にとってかわる日がきたら
もう逃げられまい
私はこの思い出の中から。


「家にひとつのちいさなきんかくし/その下に匂うものよ/父と義母があんまり仲が良いので/~略~/いやだ、いやだ、この家はいやだ。」『きんかくし』のこの最後の叫び、詩を書く技術身に着けておきながら敢えて幼児退行したように工夫なく叫ぶところに、真実味がある。一読して笑い、二読して笑えなくなり、三読したまた笑ってしまったけれど。


  行く

木が
何年も
何十年も
立ちつづけているということに
驚嘆するまでに
私は四十年以上生きてきた。

草が
昼も夜も
その薄く細い葉で
立ちつづけているということに
目をみはるまでに
さらに何年ついやしたろう。

木は
木だから。
草は
草だから。
認識の出発点は
あのあたりだった。
そこから
すべてのこととすれ違ってきた。

自分の行く先が
見えそうなところまできて
私があわてて立ちどまると
風景に
早く行け、と
追い立てられた。


 俳句を始めてから、花や虫や田畑に目が向くようになった。街路樹が裸にされているのを見て寂しくなったのは人生初めてだ。どうして今まで気付かなかったんだろうと思う事物が多すぎる。何もかも捉えようとすれば広すぎる風景の中にただ居ることさえ恐ろしく。
 だから気を抜くことも覚えた。


中央公論社 1983年





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2004/11/10 01:29:57 AM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Comments

nobclound@ Vonegollugs &lt;a href= <small> <a href="http://hea…
Wealpismitiep@ adjurponord &lt;a href= <small> <a href="http://ach…
Idiopebib@ touchuserssox used to deliver to an average man. But …
HamyJamefam@ Test Add your comments Your name and &lt;a href=&quot; <small>…
maigrarkBoask@ diblelorNob KOVAL ! why do you only respond to peop…

Profile

村野孝二(コチ)

村野孝二(コチ)

Keyword Search

▼キーワード検索

Archives

2026/05
2026/04
2026/03
2026/02
2026/01

Calendar


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: