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昨年7月のブログで書いた元天下壮士金英賢。217cm 150キロの体躯を誇る。崔洪万(218センチ 158キロ)と粗同じサイズである。シルムの実績は崔を凌ぐ逸材であった。 ■韓国は格闘家の宝庫■シルム天下壮士キムヨンヒョン(*^-^)ノ [ ■韓国教養一般■ ] ◆k1崔洪万とアイドルSUGARとの戯れ写真◆崔洪万のでかさ実感せよ!( ゜ 。 ゜ ) [ ■韓国教養一般■ ] 然し、シルムの人気の衰退と共に所属する団体が解体され白手(無職 プータロー)に成ってしまった。【PD手帳】では巨体を持て余し、合宿所である寺で手持ち無沙汰の様子でTVを見ている姿が映し出されていた。格闘技界に進出した、今後の金英賢の目覚しい活躍を期待する。やはり、日本屈指の韓国通の視点は正しかった。先見の明があったのである。^-^b
2007/06/21
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父親姚明の身長を抜く可能性があるという見方もあるが、女子だから其処迄は行かないだろう。父親、母親の身長計算式では将来の身長は205cmと予測される。男子= (両親の身長の合計+13)/2+2女子= (両親の身長の合計−13)/2+2この数値は、あくまでも目安となる値。此の写真を見る限りお母さんの叶莉は190cmの長身の女性に感じることが出来ない。170cm位に見える。幼児が大きいのだろう 祖父が208cm、祖母が188cm、父親229(226)cm、母親190cmから小学校卒業時に副島淳195cm,ダルビッシュ196cm,藤浪晋太郎197cmと同じ位に成ってくると見る。女子の成長は速い。然し,小6からは排球,籠球選手でも10cm未満の伸びに成っている例が多い。最終的に祖父と同じ208cm程度か、或いは成長が進めば巨神兵セームシュルト212cm位に成る可能性も有る。【参考】ekaterina lisina 206cm(父196cm、母185cm,兄198cm)赵蕊蕊197cm(父200cm、母180cm)小6時188cm袁心玥203cm(父193cm,母180cm)赵蕊蕊与袁心玥合影将来此の2人を超えてくると予測する。→袁心玥(203cm)同じく小1時160cm,小6時190cmいずれにせよ,姚沁蕾ちゃんから目が離せない。昔2m超える女性は末端肥大症だったが姚沁蕾ちゃんには美形の儘成長して欲しい。【参考】左から韓国の巨象金英姫205cm一人♂おいて朴賛淑190cm,中国の陈月芳208cm姚明一族が平均身長より30cm位高い家系なのでは。祖父178、祖母158、父親199(196)、母親160とすると子供は籠球をやり170‐185位に成っても不思議ではない。姚明15歲2米1,姚沁蕾8歲1米6,姚沁蕾未來能超越姚明嗎?生活,從來不是你想要什麼,就給你什麼:好的壞的,真的假的,暖的冷的,你都要一一經歷;生活,從來不是你希望怎樣,就能怎麼樣:有酸也有甜,有悲也有喜,有笑也有淚,你都要慢慢品味。只有嘗盡生活的苦悶,才能體會生活的真諦!Shaquille Rashaun O'Neal216㎝姚明和葉莉女兒姚沁蕾可以說是熱點比父母都要高了,不為別的,只因為父母的身高夫妻倆本身都是運動員出生,而且姚明又是籃球運動員。大家關注的肯定就是姚沁蕾的身高了。3歳で130cmをマークしている。就在最近有網友在杜拜機場遇到姚明一家三口,年僅8歲的姚沁蕾身高就已經到了媽媽葉莉肩部的位置了,而媽媽葉莉的身高高達1米90,也就是說,姚沁蕾的身高已經快接近一個成年女子的高度了。要知道姚明在15歲的時候也才2米1,現在小姚沁蕾才8歲,身高就已經1米6,將來會到長到什麼程度,不得而知,超越姚明也是有可能的。而作為姚明夫婦的女兒姚沁蕾過去出現在媒體面前都會成為焦點,特別是她的身高,有的網友看到姚沁蕾的身高之後表示8歲的孩子升高都快趕上自己了 ,而且姚沁蕾現在才8歲,以後的身高不知能否超越母親葉莉。都說父母的基因是最重要的,姚明和葉莉兩人基因都不是一般好,而姚沁蕾看起來也繼承了父母良好的基因。未來以姚沁蕾的身高,不知能否找到比自己高的男生。中國有13億人口,前世的五百次回眸才換來今生的擦肩而過,一定是你我前世有緣才能讓你在幫忙之中看到我寫的文章。謝謝你長得這麼帥還能來看我的文章,或許這裡的文章能讓你暫時忘記生活的煩惱,讓你看到不一樣的火花。過去の行った動作,行為の繰り返し形容詞結果補語用法(比較の意味有)状況,状態の変化(時制ではない)【また(以前と比して)でっかくなった!】という語感。📚 追記 📝( ..)φメモメモ既に175㎝が射程圏内に入った🏀又长高了!姚明9岁女儿近照曝光,网友猜测身高已达1米75北京时间8月2日消息,姚明女儿姚沁蕾近照曝光,虽然只是坐着,但很明显,姚沁蕾个子已经很高了。和身边的一位阿姨对比,姚沁蕾也不比对方矮。网友猜测,姚沁蕾已经有1米7了!姚沁蕾出生于2010年5月22日,只有9岁,她是美籍华人。由于姚沁蕾是在美国出生,所以她暂时是美国籍。不过,姚明此前曾公开表态,等到女儿年满18周岁的时候,他将把决定权交给她,让姚沁蕾自己选择国籍,届时姚沁蕾有权利选择成为一名中国公民。姚沁蕾身高引人关注,因为父亲姚明身高2米26,母亲叶莉1米90,因此,姚沁蕾比同龄人高出很多。如今,姚沁蕾近照曝光,身高再次引人关注。姚沁蕾穿着运动装,虽然坐着,但修长的双腿很明显,坐在椅子上,姚沁蕾甚至不比旁边的阿姨矮。因此,网友猜测,姚沁蕾身高该有1米7了!还有网友表示,“应该超越郭敬明了吧,有可能,姚沁蕾已经1米75了!”事实上,早在3年前,专家就预测过姚明女儿身高,将会达1.945米—2.085米之间。当然,姚沁蕾身高超过2米,不会让人意外。因此,姚沁蕾未来打篮球和排球,都是理想选择。2021.06.25
2019/07/16
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時代が流れているな。。。2017年正月吉原で姫始めで付いて貰った女性と一戦を交えた。事後彼女と一緒に湯船に浸かり、背後から抱きしめながら、此の事件の消息を語っていた事を思い出した。👠💍体験的ソープ論💙💋💛Y嬢💚💄💜間違いなし🛁🧼.。o○💞検察が求刑した終身刑には成らなかったが禁固28年の有罪判決が鬼畜外道ニコラス.セペダに下された。渡仏し裁判を見守った故黒崎愛海さんのお母様と妹さんの執念が実ったと言える。ブザンソン近郊ショーの森2万ヘクタール※の樹海の何処かで放置されている黒崎愛海さん21歳(当時)。此れで愛海さんも少しは浮かばれると思う。ご冥福をお祈り申し上げます。 ※ km² = ha 100.00仏・邦人留学生不明 元交際相手のチリ人に禁錮28年の有罪判決 日テレNEWS 2022/04/12 22:066年前、フランスで日本人女子留学生が行方不明になった事件の裁判で、殺人の罪に問われている元交際相手のチリ人の男に対し、裁判所は12日、禁錮28年の有罪判決を言い渡しました。殺人の罪に問われていたのは、チリ人のニコラス・セペダ被告です。検察当局によりますと、セペダ被告は6年前、フランス東部のブザンソンで、留学していた元交際相手の黒崎愛海さんを計画的に殺害したとされています。これまでの裁判で、セペダ被告は「全力でこの起訴を否定します。裁判で真実が明らかになることを期待しています」と無罪を主張していました。一方、検察側は、セペダ被告に対し、新しく交際相手ができた愛海さんへの嫉妬などから犯行に及んだとして最高刑の終身刑を求刑していました。セペダ被告は12日、「私は殺人者ではない。愛海を殺していない」と改めて無罪を主張しましたが、ブザンソンの裁判所は、禁錮28年の有罪判決を言い渡しました。筑波大生不明事件、捜査報告書に残るチリ人容疑者の「偽装工作」と「脅迫ビデオ」2021年02月08日 デイリ―新潮女性の言葉遣いで「さらに報告書には黒崎さんの失踪時の状況やセペダの行動が明記されており、黒崎さんが行方不明になった直後の12月5日から12日かけて、セペダは彼女が生きているように偽装工作をしていたことがわかっています」(広岡氏) セペダには2016年11月30日から12月7日にかけ、ブザンソン周辺でクレジットカードを複数回使用した形跡があり、5リットルの可燃性製品、マッチ箱、洗剤噴霧器などを購入していた。また、返却されたレンタカーは非常に汚れており、「森の中に入るのに使用された形跡」があったというのだ。「レンタカーの位置情報から、ブザンソン近郊の『ショーの森』に移動したことも判明しています。計画的な殺人を行った疑いがありますが、2万ヘクタールにもおよぶ広大な森林ですから、遺体をそこに埋めたとしたら、探し出すのは困難でしょう」(同) そして、12月5日には、黒崎さんの身を案じたボーイフレンドのアルチュールがショートメールを送信したところ、黒崎さんの携帯電話から〈あなたは私にあまりにも多くのプレッシャーをかけた〉と、意味不明の返信があったという。「黒崎さんの家族や友人もアルチュールがショートメールを受信したのと同じころ、黒崎さんの携帯からメッセージを受け取っています。〈私に新しいボーイフレンドができた〉〈1人で出掛ける〉といった内容でしたが、セペダが日本人の女子学生に、英文を女性の言葉遣いで翻訳するよう依頼したことがわかっています。この女子学生には依頼したときに交わしたメールのやりとりなどを削除するよう、しつこく要求しています」(同) 加えて、セペダは12月7日から12日までスペイン・バルセロナに滞在した際、現地に住むいとこらに、父親とトラブルになっていると嘘をつき、ヨーロッパに来ていたことを黙っているように頼んでいたという。ナルシストで女たらし 報告書を検証したチリ最高裁は2020年5月18日、「十分な証拠がある」としてセペダをフランスへ引き渡すことを決定、同年7月24日にフランスへ送致した。現在、彼はフランス警察の拘置施設に勾留されている。「地元の『レスト・レピュブリカン紙』は今年の1月7日、セペダの精神鑑定の結果を次のように報じています。彼はナルシストで女たらし。相手をマインドコントロールし、自分自身を高く評価する傾向がある。もっとも、ちょっと怒りっぽいものの、衝動的に暴力をふるう人間ではない、と。刑事責任能力については特に問題ないそうです」 フランスの検察は、恋愛感情のもつれからセペダが黒崎さんを殺害したと見ており、公判には自信を持っているという。「証拠が山のようにあると言っていますからね。フランスの裁判所は3審制で、破棄院(最高裁)まで行くと審議に5~6年かかるでしょう」(同)デイリー新潮取材班2021年2月8日掲載筑波大生不明、終身刑求刑「計画的犯行」 チリ人被告は無罪主張2022/4/12 07:14 産経新聞2016年にフランス東部ブザンソンに留学していた筑波大生の黒崎愛海さん=当時(21)=が行方不明になった事件で、殺人罪に問われた元交際相手のチリ人、ニコラス・セペダ被告(31)の論告求刑公判が11日、ブザンソンの裁判所で開かれた。検察側は「計画的犯行だ」として終身刑を求刑した。フランスでは死刑がなく、終身刑が最高刑となる。セペダ被告は3月29日に始まった公判で「黒崎さんを殺していない」と一貫して無罪を主張。審理している陪審制の重罪院は、今月12日に判決を言い渡す予定。弁護側は最終弁論で、セペダ被告が殺人を計画していたと認められるものは何もないと主張した。黒崎さんは16年12月、チリからフランスを訪れたセペダ被告と夕食を取り、学生寮の自室に一緒に戻った後、行方不明となった。検察は、恋愛感情のもつれから黒崎さんを殺害したとしてセペダ被告を起訴した。遺体は見つかっていない。(共同)
2022/04/13
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何やってるんだよ”!馬鹿共が”!ヽ(`Д´)ノ此の儘暫し営業停止、廃業になるのかヽ(´Д`;)ノ600余名の吉原オレンジグループの女性達の今後は。。(つд⊂)病床の親の介護の為に働いている娘もいた。お店を持つ為に頑張っている女性もいた。胡座をかいて生きてるんじゃねぇ彼女達は裸一貫体を張っているんだ西成の生活保護受給者,人間の屑共と違うぜ近い内に哀悼の散策しよう (´・ω・)後、関東大震災で吉原の郭で逃げ場を失い非業の焼死を遂げた多くの遊女を祀った吉原弁財天【神社】、 江戸時代貧しい農家の娘で吉原に身売りし、劣悪な環境で酷使され命を削り落とした挙句、廃棄物のように境内に投げ捨てられた数多数千名の吉原の遊女を慰霊する浄閑寺を参拝する東京都台東区の吉原地区のソープランドで違法に売春場所を提供したとして、警視庁は29日、同区のソープランド運営会社「サン・ワールドホールディングス」代表・小松崎伸男(67)(台東区西浅草)とグループ会社社長・蓮川利一(51)(墨田区京島)の両容疑者ら男21人を売春防止法違反(場所提供業)容疑で逮捕したと発表した。発表によると、小松崎容疑者らは今月27日、台東区千束のソープランド「11チャンネル」で女性従業員に売春場所として個室を提供した疑い。風営法に基づく都公安委員会への届け出で認められているのは性的サービスだけで、小松崎容疑者らは調べに容疑を認めている。小松崎容疑者らは2009年5月から、別々の法人が運営していた8店を一括管理。635人の女性従業員を雇い、これまでに100億円以上を売り上げていた。風営法上、ソープランドの運営権を引き継ぐことはできないが、一括管理で事実上の運営権がサン社に移ったため、同庁は無届け営業とみて捜査を進めていた。(2012年10月29日15時34分 読売新聞)
2012/10/29
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マイナリの家族( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノお前の親父はネパールのど田舎から多くの在日チョンと同様、金目的の為に出稼ぎに来た序、買春し斯様な憂き目にあった。勿論真犯人は別のネパール人の外道の可能性は高い。然し、妻子持ちでありながら異国で買春を繰り返してきたカスの救済とは言え、良く衆目に晒すことが出来る( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ不法滞在し、再三再四違法買春を犯して来た貴様達の父は犯罪者であることには変らない早くネパールへ消え失せろ”!ヽ(`Д´)ノ尚 恥知らずの娘達は折角来たのだから日本に残って売春でもして金を稼ぐと良いだろう。今再び愚行とは言え非業の死を遂げた被害者女性の御冥福を祈りたい”!
2012/06/08
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恋はドンファン♬♩♫♪紀州のドンファンこと野崎幸助の馬鹿面を見ると条件反射で浜田朱里を想い出す。浜田朱里はアイドル全盛時代の1980年ポスト山口百恵と目された美形歌手。ルックスは松田聖子を凌駕していた浜田の歌のフレーズ。浅学菲才、無知蒙昧、ただ金を持っているだけの色情狂野崎幸助(77)。女を見る目が全く無く自業自得の感を否めない。被害者だがどうしても同情できず,無様な最期を見て思わず哀れで苦笑してしまう輩だった。実母がご存命と言うから,無学早婚の家系としても100歳近いか。此奴は長寿の家系だから日野原重明先生を引き合いにして120歳まで生きると法螺を吹いたらしい。喜寿で殺害されなければ、何十年も馬(愚)齢を重ねていたかもしれないね👻変身前変身後世間に恥を撒き散らしながら地獄の底へ落ちて行った野崎幸助はいい晒し者であり笑い者だ。後世まで語り継がれる馬鹿だろう。二度の脳梗塞の後遺症でステテコ姿で糞を漏らす為、常時オムツを着用している醜悪極まりない小男の爺。此奴に毎晩迫られる女も堪ったものではない。此奴に対して生理的な嫌悪感を感じる人が多いのも頷ける。中卒、無学で苦労の末財を成したが,ただ其れだけの成金。齢八十に届く人間とは到底思えぬ極めて品性下劣で幼稚な言動が際立った。下種な欲望を剝き出しで見かけで女を選び、札束で頬を叩き、恰も物を揃えるかのように手に入れて来た。当然そんな男に靡く女は性的には魅力だが人間性は曰くつきの女しか寄って来ない。野崎の馬鹿はまさか自分の最期がこのような形で幕を下ろすとは思いだにしなかっただろう。殺された元妻須藤早貴(25)に清水寺で「君と結婚できなかったらボクはここから飛び降りますよ」というプロポーズを吐いたらしい。斯様迄して口説いた女房に殺されたのだから本望だ。野崎よ、無学で文才もない貴様がゴーストライターに書かせた屑本、ブックオフでもう少し安くなったら送料無料との兼ね合いで購入し読もうかと思う(現在300円もする)1941年、和歌山県田辺市生まれ。酒類販売業、不動産業などを営む実業家。地元の中学を卒業後、鉄屑拾い、コンドームの訪問販売、貸金業など様々な商売を手がけ、裸一貫で億単位の財を成す。2016年2月に50歳下の愛人に6000万円相当の金品を盗まれワイドショーなどで話題となり、同年12月に上梓した『紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男』(講談社+α文庫)がベストセラーに(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)『紀州のドン・ファン 野望篇 私が「生涯現役」でいられる理由 講談社プラスアルファ文庫』より紀州のドン・ファン不審死、25歳の元妻を殺人容疑で逮捕読売新聞 / 2021年4月28日 12時4分和歌山県田辺市で2018年5月、会社経営者野崎幸助さん(当時77歳)が急性覚醒剤中毒で死亡した事件で、県警は28日、元妻の会社役員須藤早貴容疑者(25)(東京都品川区)を殺人と覚醒剤取締法違反容疑で逮捕した。県警は須藤容疑者の認否を明らかにしていない。野崎さんは資産家として知られ、自身の半生や多数の女性との交際をつづった著書から「紀州のドン・ファン」と呼ばれていた。 発表によると、須藤容疑者は18年5月24日、当時一緒に住んでいた田辺市の自宅で、何らかの方法で野崎さんに覚醒剤を飲ませて急性覚醒剤中毒にさせ、殺害した疑い。 野崎さんは同日正午頃、自宅近くの会社から帰宅。午後10時半頃、2階寝室のソファでぐったりしているのを須藤容疑者と家政婦の女性が発見し、通報で駆けつけた救急隊員が死亡を確認した。 県警が遺体を司法解剖したところ、血液や胃などから致死量を超える覚醒剤成分が検出され、死因は急性覚醒剤中毒と判明。野崎さんの遺体に注射痕など覚醒剤を使用していた痕跡はなく、県警は何者かが口から覚醒剤を摂取させたとみて殺人容疑で捜査していた。 捜査関係者によると、野崎さんが覚醒剤を飲まされたとみられる時間帯に家政婦が外出し、室内に須藤容疑者しかいなかったことなどから、須藤容疑者の関与を調べていた。 野崎さんは酒類販売会社のほか、不動産業や消費者金融業を手がけ、1990年代には高額納税者としてたびたび公示されていた。須藤容疑者とは2018年2月に結婚していた。須藤容疑者「死んだら私にお金が入るの?」 資産家殺害事件 朝日新聞社 2021/04/28 20:31和歌山県警の捜査員が、東京都品川区の高層マンションで須藤早貴容疑者(25)を殺人などの容疑で逮捕したのは28日早朝だった。逮捕時は自宅に1人でいたという。 東京から和歌山への移送中、報道陣の前を通った車の中では、須藤容疑者は後部座席に座り、ほぼうつむいたままだった。 須藤容疑者は札幌市で生まれ育った。実家の近隣住人らの話では、3人きょうだいの2番目で、子どものころは、活発な姉や弟と比べておとなしい印象があったという。 札幌の美容専門学校を出た後、東京で暮らしていた須藤容疑者が55歳上の野崎幸助さんと結婚したのは事件の3カ月前だった。 野崎さんの親戚の80代男性によると、野崎さんが「やっと籍を入れてくれる女性が見つかった」と喜んでいたという。男性は野崎さんの葬儀で初めて須藤容疑者と会った。スマートフォンをいじる姿が印象に残ったという。野崎さんと50年来のつきあいという女性(69)は、初めて須藤容疑者と会ったとき、「野崎さんが死んだら私にお金が入るのか」と聞かれたという。祭壇の写真を見ると、ビール瓶と一緒に供えられているのは「20円引き」のシールが貼られたサンドイッチ。自宅には小さな祭壇が設けられ、遺影と遺骨、位牌が置かれているが、位牌に書かれている戒名は6文字と短いものだ。法道玄幸居士「戒名の一番上に院号を付けると料金は高額になるが、僧侶に頼めば誰でもつけることができる。それがついていないので、ごく一般的なランクの戒名のようです。生前、寺に貢献した方には院号がつくことが多いので、お寺とは縁がなかったのでしょう。地域の名士の方にも院号がつくことが多いので、大金持ちといわれる人の戒名としては意外ですね。55歳年下の元妻は「涙も流さず、困った様子もなかった」親族拭えぬ不信感[2021年4月28日19時25分]和歌山県田辺市の資産家、野崎幸助さん=当時(77)=を殺害したとし元妻の須藤早貴容疑者(25)が逮捕された事件で、野崎さんの親族の中には55歳も年下の結婚相手を当初から不審に思う人もいた。発生から3年後の急展開に「真相を明らかに」と話す。 同市内の親族男性(69)は野崎さんとは疎遠だったが、通夜には参列して須藤容疑者の姿を見た。「田舎にはいないモデルみたいな人で派手な印象だった」と振り返る。容疑者は通夜の間、ずっと携帯電話の画面を見ていたといい「涙も流さず、困った様子もなかった」。男性は不信感が拭えなかった。「どのような証拠で警察は逮捕に踏み切ったのか。亡くなった経緯や理由について、本当のことを知りたい」 別の親族男性も「真実が明らかにならないと(野崎さんが)浮かばれないだろう」と語った。 須藤容疑者と同じ札幌市内の専門学校に通っていた女性は、容疑者が学生時代にホストクラブに通っていたことが記憶に残っているという。女性は「年上の男性を好きになるタイプじゃなかったから、なぜ(野崎さんと)結婚したんだろうと思っていた」と眉をひそめた。 須藤容疑者の祖母は札幌市北区の自宅でインターホン越しの報道陣の取材に応じ「何もお答えできません」と話した。(共同)《紀州のドン・ファン事件》「月100万円の小遣い」を条件に老資産家と結婚した元妻が「殺人容疑」で逮捕されるまで「週刊文春」編集部 2021/04/28 17:30早朝5時半過ぎ。大崎駅近くにそびえるタワーマンションの駐車場から、須藤早貴容疑者(25)を乗せたワンボックスカーが姿を現した。カメラのフラッシュが一斉に焚かれると、3列シートの最後尾に座っていたスッピンの早貴は、俯いて素顔を隠す。その身柄は、羽田空港から午前7時30分発の南紀白浜空港行きの空路を使い、事件の舞台である和歌山県田辺市の田辺警察署に移送された。3回目の命日を前に、“紀州のドン・ファン”事件が大きく動いた。2018年5月24日夜、和歌山県田辺市の資産家・野崎幸助氏(当時77)が、急性覚醒剤中毒で変死していた事件。 4月28日朝、和歌山県警は野崎氏の3番目の妻・早貴を殺人などの容疑で逮捕した。「1週間前の4月20日、和歌山県警捜査一課の捜査員10名が都内に入り、早貴の行動確認を続けていました」(捜査関係者)家政婦が自宅を離れる“約3時間の空白” 事件発生当初から、最も疑わしかったのが、第一発見者の早貴だった。野崎氏が死亡していたのは、自宅2階の寝室。当日午後10時過ぎ、寝室に上がった早貴が、ソファで全裸のまま息絶えた野崎氏を見つけ、自ら119番通報している。 野崎邸には、東京から月に10日ほど通っている家政婦の女性も寝泊まりしていたが、夫婦水入らずの時間帯を捻出すべく、必ず自宅を離れる時間帯があった。その日も家政婦は、午後4時頃から7時半頃まで外出。つまり、早貴が野崎氏に覚醒剤を盛るには十分な、約3時間の空白が存在しているのだ。「容疑者候補のアリバイを1人ずつ潰していき、その夜、自宅で野崎氏に覚醒剤を経口摂取させられたのは、自宅で2人きりだった妻しかないという結論に至った。野崎氏に覚醒剤使用歴や自殺の可能性も認められない一方、押収した早貴のスマホから覚醒剤について調べた形跡も確認できた。“凶器”の覚醒剤の入手経路についても、すでに早貴と関わった密売人を聴取済。あとはいつ逮捕するかだけだった」(同前)犯行が可能だったのは早貴しかいない 事件から1年を過ぎた時点で、捜査当局はXデーを見据え、関係者の調書を次々と完成させている。捜査に協力した野崎氏の知人もこう証言する。「早貴のことを中心に聞かれました。調書作成の際、検事さんから『もし裁判(公判)になったら同じことを証言してくれるか』と聞かれ、了承しました」 だが、そこからしばらく捜査は停滞。別の捜査関係者が明かす。「任意聴取の様子からも、早貴は徹底的に否認すると思われ、覚醒剤を入手したことが分かっても、その日、殺意を持って野崎氏に覚醒剤を摂取させたことを、どう立証するのか、公判の難しさも想定できた。一方、現場がもたもたしている間に早貴が海外逃亡する可能性も出てきた。状況証拠の積み重ねによる消去法だが、犯行が可能だったのは早貴しかいない。そこで、昨年夏に就任した、前警察庁捜査一課長の親家和仁・和歌山県警本部長と警察庁が主導するかたちで、今回の逮捕に至ったのです」「殺人容疑で逮捕」の舞台裏 当初は“入口”を詐欺容疑とする方針もあったが、いきなり殺人本件に。それにはこんな舞台裏があった。「早貴が知人から借りた5000万円を返してない金銭トラブルの立件も検討されたが、早貴の方も、逮捕される日に備えて、腕の立つ弁護士を雇い、入念な打ち合わせをしている。別件で逮捕しても否認は目に見えており、殺人容疑で逮捕すれば、空港で弁護士が来る前に話を聞く時間も確保できる。それなら最初から本件で行こうと」(同前) 裏を返せば、捜査当局はそれだけ殺人の立件に自信を持っているともいえそうだ。死亡する直前に起きたある“事件” 2017年暮れ、知人の縁を通じて野崎氏と知り合い、翌2018年2月には入籍した早貴。その頃、東京に住んでいた早貴は、結婚の条件として「月に100万円の小遣いをもらうこと」を上げ、野崎氏もこれを了承。55歳年下の美女を娶り、周囲に戸籍を見せびらかすなどして3度目の結婚を大喜びした。だが――。 野崎氏が経営していた会社の元従業員が語る。「早貴が田辺の野崎邸で同居するようになったのは、4月に入ってから。一日中スマホを見て過ごし、何もしない早貴を目の当たりにして、気の短い(野崎)社長は同居してすぐ『あの女はあかん。離婚や』と言い始めました。お金のために一緒になったと言い切っていた早貴も動揺するでもなく、『それならしっかり慰謝料をもらうから』と。亡くなる当時、社長はすでに別の女性にゾッコンになっていました」 死亡する直前の時期、野崎氏の会社内では、ある“事件”が起きていた。「早貴が出演しているAV作品を、若い社員がネットで見つけたんです。社長が死んだのは、ちょうどその話題で持ち切りになっていたさなかでした。早貴はAV出演の過去が社長にバレたら、社長からたいした慰謝料が取れなくなると考えたんじゃないでしょうか。早貴はファッションモデルという触れ込みでしたから」(同前) セレブ生活に憧れて北海道から上京。老資産家と入籍して105日で未亡人となった早貴は、さらに1000日余りを経て、夫殺しの容疑者となった。(「週刊文春」編集部/週刊文春)紀州のドン・ファン事件 喪主挨拶する須藤早貴容疑者の姿、通夜では怒号も2021/04/28 16:15newsポストセブン“紀州のドン・ファン”事件は、3年近くが経って大きな転機を迎えている。和歌山県田辺市の実業家で野崎幸助氏(享年77)が自宅で急死した事件。和歌山県警が55歳年下の元妻・須藤早貴容疑者(25)を殺人の疑いで逮捕した。週刊ポスト取材班は、2018年5月に行われた野崎氏の葬儀に出席していた須藤容疑者の姿を捉えた映像を入手していた。 動画は、葬儀会社がまとめたと思われるもので、葬儀中の写真がスライドショーのような形式で映されていた。その中には、須藤容疑者が喪主挨拶をする姿もあった。 2018年5月30日に営まれた告別式の参列者は20人ほどだった。同年2月に野崎氏と結婚した須藤容疑者は黒いパンツスーツのような服装だったが、足元はグレーのハイヒール。真っ赤な口紅にマスカラをつけ、手鏡で頻繁にメイクの確認をしていたという。「本日はお忙しい中、故人のために参列してくださりありがとうございました。また、生前は故人がご厚情を賜りありがとうございました。これからも、故人と変わらず、ご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます」と参列者が驚くほど短い喪主挨拶を淡々と行なった須藤容疑者。当時、参列者のひとりは取材にこう語っていた。「挨拶前には近くにいた従業員に挨拶のメモを見せながら、『コレなんて読むの?』と聞いていました。誰かに作ってもらった文章だったのでしょうか」 野崎氏が急死したのは2018年5月24日。遺体は解剖されたため、通夜は5日後の29日、葬儀は30日に執り行われていた。遺体からは大量の覚醒剤成分が検出されていた。通夜に出席した関係者はこう明かしていた。「(野崎氏の)親族のひとりが怒鳴っていて。『いくらなんでも、おかしいんじゃないか』って。別の親族は『通夜の場でそんなこと言うものじゃない』となだめていましたが、早貴さんはヘラヘラ笑っていたんです。 それを見て先ほどの親族が『挨拶もないんかい』『なんで笑うんや』『死んで嬉しいんかい!』と怒鳴っていました。それを見ても早貴さんはスマホをいじっていた」 怒号が飛ぶ通夜──翌日の葬儀でもスマートフォンをいじる姿が目撃されていたというが、棺に花を入れる時には、周囲の泣き声とともに、須藤容疑者も鼻をすすって目に涙を浮かべていたという。 和歌山県警は、何者かに覚醒剤を摂取させられた可能性があるとみて捜査を続けていた。入念な捜査の結果、須藤容疑者が関与した疑いが強いと判断した模様だ。 今後は須藤容疑者がどのように覚醒剤を入手したのか、動機や覚醒剤を摂取させた方法などについて、詳しい捜査が続けられる。「紀州のドン・ファン」近隣住民「この辺の人はもう関心ない」…元妻逮捕に和歌山・田辺市の自宅周辺反応 報知新聞社 2021/04/29 06:00和歌山県田辺市の資産家で「紀州のドン・ファン」と呼ばれた酒類販売会社の元社長、野崎幸助さん(当時77)に2018年、致死量の覚醒剤を口から摂取させて殺害したとして、県警は28日、殺人と覚醒剤取締法違反(使用)の疑いで、元妻の須藤早貴容疑者(25)を逮捕した。須藤容疑者の身柄がある県警は認否を明かしていないが、覚醒剤は容疑者が入手したとみており、動機などについて取り調べを進めている。 事件現場となった田辺市の野崎さんの自宅前はこの日、報道陣約30人が駆けつけたが、ピンク地に白いタイルの派手な外壁とは裏腹に、家主を失い3年、時が止まったようにひっそり。近所の住民によると、財産が市に寄贈されているため「たまに市が草刈りに来る」が、監視カメラが向けられた空き地は荒れ放題だった。 近所に住む会社経営の男性(83)は、かつて野崎さんの運転手を務めていた。野崎さんが白浜のホテルで開いた誕生日パーティーに招かれ、須藤容疑者と並んでうれしそうな姿を見たという。「背伸びしてチュー(キス)をする姿は目も当てられなかった」と振り返った。 近所の女性は「数日前に週刊誌が取材に来ていたので、逮捕は驚かなかった。この辺の人はもう関心がないよ」。別の若い主婦は「静かな街ですので、ホッとしました」と安どの表情を見せた。紀州のドン・ファン」元妻が遺産相続に執着 和歌山カレー事件と同じ消去法で立件 2021/04/29 12:00 AERA dot. 「紀州のドン・ファン」と呼ばれた和歌山県田辺市の資産家、野崎幸助さん(当時77)が2018年5月に覚せい剤中毒で怪死した事件で4月29日午前、和歌山県警は殺人容疑などで逮捕した元妻の須藤早貴容疑者(25)を送検した。 事件当初から野崎さんが死亡した現場には、須藤容疑者と家政婦しかおらず、「疑惑の人物」と和歌山県警にマークされていた。「須藤容疑者が覚せい剤を入手していたという接点がしっかりと得られたことが重要だった」(捜査関係者) しかし、和歌山県警はこれまで数十回にわたり事情聴取してきたが、須藤容疑者は容疑を否認。発想を転換し、須藤容疑者しか犯行に及ぶことができない、動機があるという「消去法」で捜査をしてきたという。 和歌山県警の逮捕時の記者会見では、須藤容疑者の認否については明かされていない。「これまで3年近く否認してきたわけや。逮捕されたから、すぐやりましたなんて、まあ喋らんよ」(前出の捜査関係者) 覚せい剤という凶器を使っての密室での犯行。目撃証言もないことで捜査は何度も暗礁に乗り上げた。しかし、和歌山県警では過去にそっくりの事件があった。 1998年7月、和歌山市園部の夏祭りの屋台に出されていたカレーにヒ素が混入され、4人が死亡、67人がヒ素中毒となった和歌山カレー事件だ。 カレーの調理現場には複数の住民がかかわり、足を運んでいた。逮捕されたのは、林眞須美死刑囚(死刑判決確定)で、立件のポイントなったのが、一般には流通していない、猛毒のヒ素を所持していたこと。カレーの調理現場で林死刑囚が一人になる場面があった、近所との折り合いが悪く、トラブルが多々あり、カレー調理時も険悪な雰囲気だったことで激高したことなどが動機とされた。つまり、林死刑囚しか犯行に及ぶことができなかったという「消去法」で立件したのだ。 和歌山県警は須藤容疑者が覚せい剤を入手していたことは認めている。 野崎さんが自宅で急死した時、須藤容疑者が第一発見者で、妻として食事を作るなど、覚せい剤を混入する機会が多くあったとみられる。そして動機もあった。野崎さんが経営していた会社の元社員の証言だ。「野崎さんは東京から和歌山になかなか戻らない須藤容疑者に『もう離婚や』と怒っていた。遺産は長く飼っていた愛犬のイブに相続させると話していた。須藤容疑者には毎月100万円がお手当で払われていたが、『和歌山に来ないなら払うのは、もうやめや』とも言ってましたわ」 須藤容疑者は野崎さんが死亡後、経営していた会社の役員に就任し、4000万円近くの報酬を得ていた。また、会社の預金口座から、多額の金が須藤容疑者に入金されていたとの情報もある。「須藤容疑者が55歳も年上の野崎さんと結婚したのは、カネでしょう。野崎さんが死亡後、事情聴取で100万円のお手当が結婚の理由の一つと話しています。離婚されたら、カネがもらえなくなる。野崎さんが愛犬、イブに全財産を相続させると言っていたのは、元社員たちが証言している。財産を手にできるのは、野崎さんかイブかとなる。野崎さんが殺害される前に、イブが急死、次に野崎さんが亡くなった。動機はカネでしょう。和歌山カレー事件と共通点が多いのは間違いない。あの時は夏祭りで、多数の人が現場に出入りしていた。しかし、今回は現場にいたのが、須藤容疑者と家政婦さんのみで捜査はより慎重にならねばなりません」(前出の捜査関係者) 野崎さんは遺言書を残し、遺産は和歌山県田辺市に寄付する意向を示していた。その遺言に従って田辺市が野崎さんの預金や不動産などを算定した「故野崎幸助氏による遺贈に関する報告書」という内部文書によると、遺産総額は約13億5千万円だった。 報告書によると、須藤容疑者が野崎さんの死後、弁護士を通じて民法で規定されている相続財産の配分を受ける意向を田辺市に示していた、と記されている。 報告書には、野崎さんの現金の遺産についてこのような記載がある。<現金については、配偶者側からの申出額が300万8千円であった。(中略)その後、市独自の調査により、配偶者側から513万2千円であると申告されている。(中略)野崎氏の死後における現金化の管理は相続管理人においても現物を確認することができている状態にない。金額が流動的であるため、相続財産として価値は無きものと考えるべき> つまり、須藤容疑者側の現金管理がずさんで当てにならないと指摘しているのだ。 そして、相続財産管理人が選任された理由を<野崎氏の相続財産が配偶者によって費消されるおそれが高いと考えた>とも記されてあった。 須藤容疑者が遺産を使ってしまう懸念が示されているのだ。「カレー事件でも林死刑囚は周辺者に保険金をかけていた。林死刑囚が自白しないことを前提で捜査していた。今回も事件から3年と長く捜査している。須藤容疑者が否認したままでも起訴できるだけの捜査は尽くしている」(前出の捜査関係者)覚せい剤殺人のトリックの全貌は明らかになるのか。元妻、覚醒剤を密売人から入手か スマホ情報一致、資産家不審死 共同通信社 2021/04/29 15:508和歌山県田辺市の資産家野崎幸助さん=当時(77)=が2018年に不審死した事件で、県警に殺人容疑などで逮捕された元妻須藤早貴容疑者(25)が同市内で密売人に接触し覚醒剤を入手した疑いがあることが29日、捜査関係者への取材で分かった。2人のスマホの位置情報を解析し、一致する時間帯があったことが判明した。 野崎さんの死因は急性覚醒剤中毒。県警は須藤容疑者が密売人から覚醒剤を手に入れ、野崎さんに飲ませて殺害した可能性があるとみて捜査している。29日、須藤容疑者を送検した。 また野崎さん宅の掃除機から覚醒剤が検出されたことも分かった。ドン・ファン元妻 須藤早貴容疑者を送検 マスクをつけうつむいたまま 東スポWeb 2021/04/29 11:44〝紀州のドン・ファン〟こと和歌山県田辺市の資産家・野崎幸助さん(享年77)が変死した事件で、殺人容疑で逮捕された元妻の須藤早貴容疑者(25)が29日午前、勾留先の和歌山県警田辺署から送検された。午前11時、警察車両に乗せられた同容疑者は、後部座席でうつむいていた。マスクもしていたため、韓国で整形手術を受け、以前とは完全に別人のように変わってしまったといわれる顔は、はっきりと認識できなかった。同容疑者は2018年5月、田辺市の自宅で、当時夫だった野崎さんに致死量の覚醒剤を口から接種させ、急性覚醒剤中毒で殺害した疑いが持たれている。「紀州のドン・ファン」殺人容疑の元妻 “幻の花嫁姿”と“挫折”の原点 「週刊文春」編集部 2021/04/29 22:10純白のウエディングドレスに全身を包み、スポットライトを浴びる長い黒髪の女性。やや緊張した面持ちで、右手にブーケ、左手は隣に立つ白タキシードの男性の右腕をしっかりと掴んでいる。 写真の中で花嫁姿を披露しているのは、19歳当時の須藤早貴容疑者(25)。“紀州のドンファン”こと野崎幸助氏(当時77)を殺害して逮捕された幼な妻の、知られざる“晴れ舞台”である。野崎氏には「結婚式をするくらいなら離婚する」 2018年2月。早貴は知人の紹介を経て知り合った資産家の野崎氏と入籍した。その実態は、入籍の条件を「月100万円の小遣い」とする“愛人婚”。それでも、55歳年下の妻を得て有頂天の野崎氏は、地元の世界遺産でもある闘鶏神社での挙式を望んだ。ところが、早貴が「結婚式をするくらいなら離婚する」と拒絶したため、式の予約はキャンセルとなっている。 早貴の友人によれば、本人が語っていた好きな男性のタイプは「お金持ち」。ただ、年の離れた男性は恋愛対象外で、40代男性らと遊んだ時も、裏で「ジジイはムリなんだよね」と毒づいた。著名人では、ジャスティン・ビーバーとKAT-TUNの亀梨和也のファン。 なるほど、ウエディング写真の中で早貴が腕を組むのは、Kis-My-Ft2の玉森裕太に似た、1つ年下の美男子である。花嫁役に自ら立候補 撮影されたのは2015年頃。北海道札幌市出身の早貴が、地元の高校を卒業後、市内の美容専門学校に在籍していた頃のものだ。「あれは早貴ちゃんが専門学校2年生の時、高校生を招いたオープンキャンパスで行われた模擬挙式のものです。ブライダル専攻の催し物で、彼女は美容師科の別の専攻でしたが、自ら立候補して花嫁役を務めたんです。学校が休みの日で、オフを返上して参加していました。相手役は学内でも評判のイケメンくん。登場前の舞台裏で、早貴ちゃんに悪戯っぽく下半身をボディタッチされたそうです」(専門学校の後輩) その頃の早貴は、どんな将来を夢見ていたのだろうか。美容師の仕事は「心が折れた。向いてない」「美容室の体験実習をやって、『心が折れた。向いてない』と言っていました。仕事の大変さを思い知り、『給料が割に合わない』と。美容師の仕事は、店舗にもよりますが、最初は手取りが13万円から14万円くらい。休みの日は講習もあるので、完全オフも少ないです。『ラクしてお金が欲しい』と言っている子でしたから、途中でこの職業に見切りをつけたようでした」(同前) 一方で、虚栄心だけは人一倍あった。SNSでは、ドレスコードが必要な高級店でワインを傾ける画像などを投稿。趣味でもあった海外旅行先からは、世界遺産を巡る優雅な姿を見せつけた。日頃はブランド物で身を固め、セレブ感を演出していたが、その原資は水商売のアルバイトだったという。日本有数の歓楽街「すすきの」でも、その姿がよく見かけられていた。「ニュークラの“体入(体験入店)”を繰り返したりして、夜のアルバイトではかなり稼いでいたみたい。金回りがよさそうで、派手であか抜けている印象でした。シャネルの白いバック持ち、ルブタンのハイヒールを履いていた。夜なのにサングラスして颯爽と歩いている。ホストクラブにもよく出入りしていました。本人は『(料金の安い)初回荒らしなんだよね』と話していたそうです。ホストと付き合っていた時期もあった」(水商売関係者)「セフレが欲しいな」と恥じらいもなく… あけっぴろげな性格で、性欲を持て余すと「セフレが欲しいな」と恥じらいもなくつぶやいた。後年、「早貴がアダルト📹ビデオに出演した」という話も出回ったが、それも事実だった。 2016年3月に専門学校の美容師科を出た後も、早貴はその道に進むことはなく、しばらく地元に残ってニート生活を続けた。 当時、交流があった知人女性の話。「専門学校を出ているのに『なぜ美容師にならないの?』と聞いたら、『手に職をつけて親を安心させたかっただけ。資格は取れたけど、美容師になるつもりはないんだ』と。そのうち東京で暮らしたいって。将来はどうしたいのかも聞いてみましたが、『今のところニートかな。今もニートなんだけど。働きたくないんだよね。なんとかなるよ』と能天気に話していました。 母親からは『美容師をやらないんなら語学留学にでも行きなさいよ』と言われていたそうで、その頃、英会話教室に通っていました。でも、本人は語学を身に付ける気がなさそうで。『留学したら自由がなくなるし、東京でプーをやりたいんだ』と。海外旅行に行っても、グーグル翻訳があれば大丈夫だと考えていたようです」 予告通り、ほどなく上京を果たした早貴。そして、野崎氏と出会う約1年前の2016年11月、都内の高級デートクラブに登録をし、“パパ活”を始めるのだった。〝ドン・ファン妻〟須藤早貴容疑者が出演ビデオで語っていた「高飛びドバイ愛」東スポWeb 2021/04/30 11:46〝紀州のドン・ファン〟こと和歌山県田辺市の資産家・野崎幸助さん(享年77)が変死した事件で、和歌山県警は29日、元妻の須藤早貴容疑者(25)を送検した。このタイミングの逮捕は須藤容疑者が近く、中東のUAE(アラブ首長国連邦)のドバイへ高飛びする計画を立てていたため、と言われている。実は同容疑者、UAEとの接点を大胆に告白していた。県警は今月に入って、須藤容疑者の行動確認に入り、27日に都内で逮捕した。実は今年1月に「FRIDAYデジタル」が、同容疑者が4月に海外移住計画があるとスクープ。「(須藤容疑者は)かつて『何度もドバイに行ったことがある』と本誌に語っていた。馴染みのある土地で悠々自適な生活を送ろうとしているのだろうか」と報じていた。須藤容疑者は海外旅行好きで、SNSでも渡航先の写真を掲載。さらに過去、出演していた複数のビデオ作品でも熱くUAE愛を語っていた。3年前に発売されたビデオでは、これまで15か国ほどの海外渡航歴があるとし、一番良かった国には真っ先にオイルマネーで沸くUAEと挙げていた。中東では新年を迎えるカウントダウンで、男性は高級車で繰り出し、街中は狂乱の宴となるのが恒例。須藤容疑者もその瞬間に立ち会ったそうで、その時にランボルギーニを乗り回すアメリカ人にナンパされたという。その時は連絡先を交換しただけだったというが日本に帰国した後も交流が続き、渡航・滞在費無料で友達とともに招待され、大豪邸で一夜をともにした話を赤裸々に話していた。話を盛っている可能性もあるが、他の作品でも「(外国人に)黒髪は受けがいい」と、黒いロングヘアが目立つ須藤容疑者のチャームポイントになっていたという。捜査の手が及ぶ中、須藤容疑者はかつて知ったるUAEに高飛びして、再び大富豪を捕まえる自信があったのか――。【独自】ドン・ファン元妻、事件直前に覚醒剤密売人と接触か…口論絶えず離婚迫られる読売新聞 / 2021年4月30日 5時0分2018年5月、和歌山県田辺市の資産家で「紀州のドン・ファン」と呼ばれた会社経営者野崎幸助さん(当時77歳)が急性覚醒剤中毒で死亡した事件で、殺人などの容疑で逮捕された元妻の須藤早貴容疑者(25)が、結婚後に覚醒剤の密売人と接触を始めていたことが、捜査関係者への取材でわかった。須藤容疑者は新婚3か月で離婚を迫られており、県警が関連を調べている。 県警は29日、須藤容疑者を殺人と覚醒剤取締法違反の両容疑で和歌山地検に送検した。送検される須藤早貴容疑者(29日午前、和歌山県田辺市で)発表では、須藤容疑者は同年5月24日、田辺市内の自宅で何らかの方法で野崎さんに致死量を超える覚醒剤を飲ませて急性覚醒剤中毒にさせ、殺害した疑い。 捜査関係者によると、県警が須藤容疑者のスマートフォンを解析するなどした結果、インターネットで覚醒剤について検索するようになったのは結婚後で、実際にSNSで覚醒剤の密売人とやり取りし、田辺市内で会ったのは事件直前だったことが判明した。 また、関係者によると、野崎さんは須藤容疑者に毎月100万円支払う約束で結婚しており、この「契約」に須藤容疑者は満足した様子だったという。その後、須藤容疑者が家に寄りつかず、頻繁に東京へ出かけることなどから口論が絶えなくなり、事件前には不満を募らせた野崎さんが離婚を持ちかけていたという。 野崎さんは預貯金や有価証券など約13億円の資産を保有しており、野崎さんが亡くなれば、須藤容疑者には半分の約6億5000万円の分与を求める権利があった。県警は須藤容疑者が離婚で毎月の100万円や遺産が受け取れなくなることを恐れたことが背景にあるとみている。紀州のドン・ファンと元妻、死亡前の約4時間2人きりに 朝日新聞社 2021/04/30 20:39和歌山県田辺市で2018年5月、「紀州のドン・ファン」と呼ばれた資産家の野崎幸助さん(当時77)が急性覚醒剤中毒で死亡した事件で、野崎さんが死亡直前、4時間前後にわたって元妻の須藤早貴(さき)容疑者(25)=殺人と覚醒剤取締法違反容疑で逮捕=と自宅で2人きりだったことが、捜査関係者への取材でわかった。2人は夕食も一緒にとったとみられる。県警は須藤容疑者がその時間帯に致死量の覚醒剤を摂取させた疑いがあるとみている。 捜査関係者らによると、事件当日の5月24日、野崎さん宅には野崎さんと須藤容疑者、野崎さんの身の回りの手伝いをしていた女性の3人がいた。手伝いの女性はこの日、夕食用に鍋料理を作った後、午後3~4時ごろに外出した。 女性が午後7~8時ごろに野崎さん宅に戻ったとき、2人はすでに夕食を済ませ、野崎さんは2階の寝室、須藤容疑者は1階の居間にいたという。 午後10時半ごろに野崎さんが寝室で倒れているのを須藤容疑者が見つけ、女性に知らせた。解剖の結果、野崎さんの胃の内容物から致死量を超す覚醒剤成分が検出され、死亡したのは午後9時ごろと推定された。 県警が薬物中毒の専門家に意見を求めたところ、致死量の覚醒剤を口から摂取した場合、死に至るまで3時間ほどかかったとしても矛盾はないとの助言を得た。逆算すると2人が夕食をとったとみられる時間帯と重なる。詐欺容疑で元妻を告発=資産家死亡後、3800万円送金―和歌山 2021/05/01 11:27和歌山県田辺市で2018年、「紀州のドン・ファン」と呼ばれた会社経営野崎幸助さん=当時(77)=が死亡した後、会社の口座から計約3800万円を自身の口座に送金したとして、元妻の須藤早貴容疑者(25)=殺人容疑などで逮捕=が詐欺容疑で告発されていたことが1日、関係者への取材で分かった。県警は告発を受理し捜査している。 関係者によると、告発人は野崎さんの会社の元監査役で、昨年7月に県警が受理した。 告発状では、須藤容疑者が野崎さんの死亡後に違法な手続きで会社の代表取締役に就任。全財産を田辺市に寄付するとした野崎さんの遺言書の存在を知りながら、金融機関に告げずに18年9月、会社名義の口座から約3800万円を自身の口座に送金するなどしたと主張している。 “元従業員”が証言「愛情感じられなかった」死亡した資産家男性と逮捕の元妻の関係性 毎日放送 2021/04/30 19:25「紀州のドン・ファン」と呼ばれた資産家の野崎幸助さん(当時77)を殺害したとして元妻の須藤早貴容疑者(25)が逮捕された事件。野崎さんが須藤容疑者に「離婚する」と伝えたことが犯行のきっかけとなった可能性があることがわかりました。 野崎さんと須藤容疑者が和歌山県の那智山へ行った際に運転手として同行した野崎さんの会社の元従業員は取材に対して次のように話します。 (元従業員) 「(須藤容疑者の)優しいところはほとんど見たことがない。愛情はまず感じられなかったですね。(野崎)社長は足が悪いから、普通だったら手を引いたり腕組んだりして行くじゃないですか。(須藤容疑者は)自分だけ先にスタスタと。社長が足悪いと言うと『いいのいいの』とこんな感じだった。はぁ?って思いましたよ」 また須藤容疑者が別の従業員に送ったとするメッセージは以下のようなものでした。 『正直、褒めるとこなさすぎて困ります。何かあるたびに握手求められるの面倒くさいんですよねー。稀に握手からの手にキスとかしてきますけど、ただただ、きしょい』 須藤容疑者は2018年5月に野崎さんの口から致死量の覚せい剤を摂取させて急性覚醒剤中毒で殺害した疑いなどが持たれています。野崎さんは、須藤容疑者が結婚後も東京のマンションに住み続けたことなどに不満を募らせ、「離婚する」と伝えていたということです。 (元従業員) 「『もう別れるんや』なんやと(野崎)社長が言ったり。『東京に新しいええ女がおるんや』と。『今度はそれと結婚するや』と」 関係者によりますと、須藤容疑者は毎月100万円を受け取る条件で結婚していたということで、警察は離婚話が事件の動機になった可能性があるとみています。そして、須藤容疑者は野崎さんが亡くなった後には、次のようにも話していたということです。 (元従業員) 「日本でこれだけ顔が売れてしまったらいられないから、顔も整形して外国へ行こうと思っていると。海外へ行って、海外の外国人と一緒になるのが私の将来だって、自分で言っていましたからね」 警察は覚醒剤の入手ルートなどについて詳しく捜査しています。東野幸治、逮捕された“紀州のドン・ファン”元妻とのツーショットが物議 2021/05/01 16:05 NEWSポストセブン“紀州のドン・ファン”と呼ばれた和歌山の資産家・野崎幸助さん(享年77)に、覚せい剤を摂取させ、急性覚せい剤中毒で死亡させた疑いで逮捕された、元妻の須藤早貴容疑者(25)。その須藤容疑者と大物芸能人とのツーショット写真が報道関係者の間で出回り、物議を醸している。 和歌山にある野崎さん宅と見られる邸宅のソファーで、須藤容疑者と笑顔で写真に収まっているのは、芸人の東野幸治(53)。壁に掛けられたカレンダーの日付は2018年9月、野崎さんが殺された4か月後であり、須藤容疑者の関与の有無についてメディアでも盛んに報じられていた頃だ。調べた限り、この2ショットがテレビで放送されたことはない。番組のロケではないとすれば、いったい何のために東野はここを訪れたのだろうか。「デヴィ夫人も須藤容疑者と写真を撮っていましたが、彼女の場合は亡くなった野崎さんと親交があり、その縁で紹介されたときのものでした。東野さんの場合は、日付が確かなら野崎さんの死後。いったい何のためにわざわざ和歌山まで来たのかと報道関係者の間で噂になっています」(スポーツ紙記者) 実は東野は、生前の野崎さんと“接点”があった。2017年11月に放送された『アメトーーク』(テレビ朝日系)の「読書芸人」に東野が出演した際、お気に入りの一冊として野崎さんの自伝『紀州のドンファン 美女4000人に30億を貢いだ男』を挙げ、それがきっかけとなって同書がベストセラーになった経緯があるのだ。「野崎さんや関係者はそのことに大変恩義を感じていたらしく、東野さんに是非御礼がしたいと言っていた。東野さんは生前の野崎さんに会うことはありませんでしたが、亡くなった後、関係者に誘われて野崎さん宅まで伺い、お線香をあげたそうです。写真はそのときに須藤容疑者にお願いされて撮ったものでしょう」(事情を知る芸能関係者) 義理堅いことで知られる東野だけに、わざわざ和歌山まで弔問したのだろう。このときに撮った須藤容疑者との2ショットが、思わぬ破門を呼ぶことになろうとは。 経緯について吉本興業に問い合わせたが、期日までに回答を得られなかった。東野は5月2日放送の『ワイドナショー』に出演、このときの真相を話すかどうかに注目が集まる。紀州のドン・ファン事件 キーマンの元家政婦「これで私の疑い晴れた」NEWSポストセブン / 2021年5月1日 16時5分“紀州のドン・ファン”と呼ばれた和歌山の資産家・野崎幸助さん(享年77)に、覚せい剤を摂取させ、急性覚せい剤中毒で死亡させた疑いで逮捕された、元妻の須藤早貴容疑者(25)。事件の当日、彼女と共に自宅にいたもうひとりのキーマンの重要証言が、週刊ポストの取材で明らかになった。 その人物とは、野崎氏に20年以上付き添った家政婦のAさんだ。もともと東京で飲食業に携わっていたAさんは、野崎さんに請われる形で家政婦に。東京から月に10日ほど野崎邸に通い、そこで寝泊まりしながら掃除や料理など野崎さんの身の回りの世話をしていた。 実は和歌山県警は、このAさんにも疑いの目を向けていた。 野崎さんが亡くなった日、家にいたのは野崎さん、須藤容疑者、そしてAさんの3人。Aさんは夕食用に鍋料理を作った後、午後3~4時頃に外出し、午後7~8時頃に戻ってきた時には、野崎さんと須藤容疑者はすでに夕食を済ませた後だった。野崎さんは2階の寝室、須藤容疑者は1階の居間にいたという。しばらくして、Aさんは須藤容疑者と共に居間でテレビを観ていると、上から「ドーン、ドーン」と物音が聞こえ、須藤容疑者が2階に上がったところ、野崎さんが変わり果てた姿で見つかった。「須藤容疑者とAさんは、野崎さんにとって文字通り“最後の晩餐”となったこの夜の出来事を知る立場にありました。Aさんも事件後、捜査員から何度も事情聴取、家宅捜査を受け、さらにウソ発見器にまでかけられています。県警が、重要参考人として見ていたのだと思われます」(全国紙社会部記者) ところが、そのAさんは須藤容疑者が逮捕された前後で、忽然と姿を消していたのだ。「事件後はマスコミの取材に答え、『私は何もやっていない』『潔白を証明しないといけない』などと語っていました。今回も各社コメントをもらうためAさんに連絡を取ろうとしたのですが、携帯電話は解約され、住所も変わっていてどこもコンタクトが取れない状況です」(前出・全国紙社会部記者) 行方知れずと見られているAさんだが、今はごく限られた人としか連絡を取らないようにしているのだという。最近、彼女と電話で話した人物が明かす。「野崎さんが亡くなった時、家には須藤容疑者とAさんしかいなかったわけだから、お互いが犯人だと思っていたのかもしれません。Aさんはお金にはシビアだけど、人を殺せるようなタイプじゃないと思っています。事件後、彼女は家政婦の仕事がなくなり、再び東京で水商売のお手伝いをしていたぐらいだから、野崎さんが死んで、むしろ困る立場だった。 実は、(須藤容疑者が)逮捕された直後、彼女に電話したんです。『ついに逮捕されたね』って言ったら、『うん、今ニュース見てるよ』って。落ち着いた様子で、『これで私の疑いが晴れたのは間違いないね』と言っていました」 捜査当局は、これから立証を進めることになる。現在、須藤容疑者の認否は明らかになっていない。紀州のドン・ファン元妻が知人に打ち明けた〝整形〟の裏にある「やむにやまれぬ事情」とは?まいどなニュース 2021/05/01 19:50和歌山県田辺市の資産家で「紀州のドン・ファン」と称された酒類販売会社元社長、野崎幸助さん=当時(77)=に2018年5月、多量の覚醒剤を摂取させて殺害したとして、元妻の須藤早貴容疑者(25)が和歌山県警に殺人と覚醒剤取締法違反の疑いで逮捕、送検されたことを受け、元神奈川県警刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平氏は1日、当サイトの取材に対し、現場で接した須藤容疑者の人物像や、本人が知人に明かした整形手術についての見解、さらには離婚を危惧していた可能性など、事件の背景について言及した。須藤容疑者は18年5月24日、田辺市の野崎さん宅で致死量の覚醒剤を口から摂取させて死亡させた殺人と覚醒剤取締法違反(使用)の疑いで今年4月28日に都内の自宅マンションで逮捕された。捜査関係者によると、須藤容疑者は事件前にインターネットで覚醒剤について検索し、SNSを通じて覚醒剤の密売人と田辺市内で接触していたという。 小川氏は事件発生当初から、現場となった田辺市の自宅周辺などでも取材を続けた。そこで、須藤容疑者に質問する機会もあったが、本人は一貫して無言だったという。 同氏は「現場では私が声をかけても、返事どころか振り向きもされなかったのですが、テレビでこの事件について発言したことに対して、弁護人を介して『言っていることが違う』という内容証明が来たこともありました。一部を除いて、大半のメディアに話をしていなかった須藤容疑者ですが、報道に関しては非常に細かくチェックしていて気にしていた」と明かした。 また、小川氏は「韓国で整形をしたという報道もありましたが、本人は親しい者に『これだけ自分の顔が売れてしまったので、整形でもしないとこれから生活できない。日本では無理。どこに行っても周囲に言われる』と話していたということです。きれいになるということだけではなく、周囲の目を気にして顔を変えるという、やむにやまれぬ事情と逃亡後のことも考えていたことがうかがえます」と須藤容疑者の心情を分析した。 須藤容疑者は野崎さんが経営する会社の社長に就任し、高額の報酬が口座に入ったという。都内では複数のマンションに移り住んでいたが、逮捕時は品川区在住だった。小川氏は「逮捕時の自宅は大崎方面にあるタワーマンションですが、真ん中より下の低層階で家賃は20数万円でした。また、都内で別の場所にもマンションを借りていたことがあり、事件発生時に野崎さんの自宅にあった和歌山ナンバーの高級外車が止まっているのを見かけて驚きました」と明かした。 須藤容疑者は結婚後も、都内のマンションと田辺市の野崎さん宅を行き来する生活で、田辺市の家に戻ってこない妻に対して野崎さんが離婚を切り出していたという報道もあるがそれは事実。実際に野崎幸助さんが弁護人に離婚の慰謝料について相談していた話も聞いている。 小川氏は「離婚したら、財産も相続できなくなる。何かいい方法はないかとなると、これは推測ですが、『こういう方法で殺害するといい』などと教えられた…という可能性も否定できないのではないか。共犯関係か否かは別にしても、覚醒剤を含め、関与した人物がいても不思議ではないと思います。容疑者が単独の実行犯であったとしても、実際に犯行に至るには、とうてい1人ではできません。覚醒剤の入手を含め、その知識もそうですし。殺害に覚醒剤を使うという発想は、当時22歳の女性1人のものとは思えないです」と、改めて第三者の存在を予測した。ドン・ファン元妻、夫の死後に社長就任 独断で報酬決定、不審点も 毎日新聞 2021/05/02 15:33「紀州のドン・ファン」と呼ばれた和歌山県田辺市の資産家、野崎幸助さん(当時77歳)が急死した事件で、殺人容疑などで逮捕された元妻の須藤早貴容疑者(25)は事件の約2カ月後、野崎さんが経営していた会社の社長に就任し、自ら報酬額などを決めていた。同社の元監査役は手続きに不審点があるとして刑事告発し、県警が調べている。 野崎さんは2018年5月24日、自宅で急性覚醒剤中毒で死亡。須藤容疑者は何らかの方法で覚醒剤を飲ませ、野崎さんを殺害した疑いが持たれている。県警は認否を明らかにしていないが、逮捕前の任意聴取では関与を否定していた。 野崎さんが社長を務めていた金融・不動産関連会社の登記簿によると、須藤容疑者は事件から約2カ月後の7月30日、野崎さんの後任として社長に就任した。 元監査役の代理人弁護士によると、須藤容疑者は7月4日付で、野崎さんが保有していた同社の全株式の相続や株主総会での議決権行使について、8日に協議したいという文書を相続権のある親族に送った。 しかし、他の親族は協議に参加しなかったとみられる。須藤容疑者は同30日、親族から一任されたとみなし、野崎さんの自宅で臨時株主総会を開いたとする議事録を作成。須藤容疑者のみが出席して議長役を務め、自らを代表取締役に選任した。役員報酬の総額を「年額1億7000万円以内」とする議案も可決した。 弁護士によると、同年9月、会社の口座から約3800万円が須藤容疑者の口座に送金されており、報酬の一部とみられるという。 会社法によると、株主総会は取締役会が招集を決議するか、株主が裁判所の許可を得て招集する。 元監査役は、須藤容疑者がこうした手続きを踏まずに株主総会を開き、社長就任を装って会社資金をだまし取ったとして、詐欺の疑いで告発。県警は20年7月に受理した。 一方、株式を含む野崎さんの遺産を巡っては、「全財産を田辺市に寄付する」と書かれた文書が死後に見つかっており、その有効性を巡って訴訟が続いている。「紀州のドン・ファン」元妻が入手した覚せい剤ルート 新たに詐欺容疑で刑事告訴も判明2021/05/02 16:402018年5月、「紀州のドン・ファン」と呼ばれた和歌山県田辺市の資産家、野崎幸助さん(当時77)の怪死事件で逮捕された元妻の須藤早貴容疑者(25)。事件から3年近くを経て凶器となった覚せい剤の入手ルートが明らかになりつつある。「和歌山県警は野崎さん急死後、全国の警察に宛て、野崎さんの事件で使用された覚せい剤に関与がありそうな人物が逮捕されたら、何でもいいから情報提供してほしい、という依頼をしていました」(捜査関係者) 約2年半前に覚せい剤関連事件で、近畿地方のある警察で逮捕された元密売人がこう話す。「覚せい剤売買の疑いで逮捕された時、取り調べ中に『和歌山のことは知らないか』『野崎さんの絡みで、妻に覚せい剤を売ったりしていないか? その売買にかかわった密売人は知らないか』と何度も聞かれました。私の事件は処分保留で釈放となったのですが、その後も何度か警察から電話で同じ内容のことを聞かれました。一人、噂になっていた密売人の情報を得たので、警察に伝えました」 こうした捜査の成果もあり、和歌山県警は須藤容疑者の覚せい剤の入手経路や日時を特定することができたという。 須藤容疑者は野崎さん急死の直後、覚せい剤の密売人とやり取りしたSNSを削除。インターネットで覚せい剤について検索した履歴も消していたことが、和歌山県警の捜査でわかっている。「事件後すぐに須藤容疑者の携帯電話を任意提出してもらい、調べていた。そこから、密売人や検索履歴の削除がわかった。削除していた検索履歴には、病死や事故死に見せかけるなどという検索用語も含まれていた。その当時から犯行は須藤容疑者でほぼ間違いないとみていた。しかし、密室の事件で証拠がない。捜査を進め、須藤容疑者が覚せい剤を密売人から買ったことが特定できたので逮捕となった」(前出の捜査関係者) 野崎さんが急死した同じ時期、和歌山県警は携帯電話の検索履歴が重要証拠となる事件の捜査を手掛けていた。 2017年7月、和歌山県白浜町の海水浴場で水難事故を装い、妻の野田志帆さん(当時28)を溺死させたとしたとして和歌山県警は18年4月に夫の野田孝史被告(29)を逮捕。AERAdot.で既報のように3月に野田被告へ懲役19年の判決が言い渡された。 和歌山地裁は野田被告が<シュノーケリング死亡事故><事故死 保険金><完全犯罪 海水浴>などの検索を繰り返していたことを、実刑判決の決め手の一つと認定していた。 野崎さんの事件との共通点は、目撃者がいないこと、携帯電話の検索内容が犯行と酷似していることがあげられる。「確かに野田被告の殺人事件は、須藤容疑者の逮捕の参考になった」(別の捜査関係者) 逮捕前から「私は疑われているが、やってない、私は知らない」と一貫して容疑を否認していた須藤容疑者。野崎さんの会社の元従業員はこう証言する。「やってないと言いつつ(野崎)社長の預金がいくらあるかとか、所有する貴金属類はいくらで売れるかなど、怪しい言動もあった。須藤容疑者がやったのかと思いつつ、社長に覚せい剤を盛って殺したら、そんな話を人前でできないのではないかとも思った。須藤容疑者はどこか抜けた感じがあった。AVに出演していたことも社内でみんな知っていた。須藤容疑者が逮捕されて、やっぱりあの女の仕業と思う反面、本当に一人で考えて犯行に及んだのかとも疑問を感じます。誰かに入れ知恵されたのではないでしょうか」 だが、和歌山県警は今のところ、須藤容疑者の単独犯で協力者はいないとしている。 須藤容疑者は怪死事件後、野崎さんが経営していた2つの会社の社長に就任し、会社の口座から約3800万円を現金で引き出していた。この件で昨年6月、野崎さんの会社の元監査役が須藤容疑者を詐欺容疑で刑事告発していたことも新たにわかった。 覚せい剤の入手ルート、携帯電話の履歴の捜査、野崎さんの会社資金の流用問題と外堀が確実に埋められつつある須藤容疑者。 野崎さんは生前、自身の遺産、約13億5千万円を地元の田辺市に寄付する意向を示していた。だが、妻だった須藤容疑者は、その2分の1にあたる約6億7千万円を受け取る権利があると主張していた。 田辺市が作成した「故野崎幸助氏による遺贈に関する報告書」という内部文書に野崎さんが残した有価証券の中に「芝浦機械」「三菱地所」「三菱UFJフィナンシャル・グループ」の3銘柄が含まれるという記載があった。3つの銘柄とも今年になって株価は上昇。野崎さんは株式以外にも投資信託なども保有し、金融商品の評価が上がれば、受け取れる遺産が増える可能性もある。 しかし、須藤容疑者が野崎さんを殺害したと確定すれば、相続する権利を失うこととなる。和歌山県警は、今も須藤容疑者の認否を明かしていない。「白浜の保険金殺人でも自供は得られなかったが、検索履歴がポイントとなり、裁判で実刑判決を勝ち取れた。こちらは3年近くも捜査をしており、須藤容疑者の自供がなくても起訴できる材料を十分に揃えて逮捕している。取り調べで材料を出して行けば、須藤容疑者はいつまでも否認はできないと思う」(前出の捜査関係者) 事件の全容が解明される日は来るのか。死亡直前の約4時間は家で2人きり その時間に覚醒剤を摂取させたか 資産家殺害事件毎日放送 2021/05/02 12:56和歌山県田辺市で「紀州のドン・ファン」と呼ばれた資産家の男性が殺害された事件で、男性は死亡する直前、逮捕された元妻と自宅で約4時間にわたり2人きりであったことがわかりました。 須藤早貴容疑者(25)は2018年5月に夫の野崎幸助さん(当時77)の口から致死量の覚醒剤を摂取させ殺害した疑いが持たれています。 捜査関係者によりますと、事件当日の自宅には2人に加え家政婦がいましたが、家政婦は夕食を作り終えた後、午後3時から午後4時ごろに外出。戻ったのが午後7時から午後8時ごろで、この間、防犯カメラの映像には家政婦以外の人の出入りは映っていなかったということです。野崎さんの死亡推定時刻は午後9時ごろで、警察は、須藤容疑者が野崎さんと2人きりになった約4時間に覚醒剤を摂取させたとみて調べています。元妻、会社資金を不正移動か 和歌山の資産家殺害事件 朝日新聞社 2021/05/02 21:08和歌山県田辺市で2018年5月、「紀州のドン・ファン」と呼ばれた資産家の野崎幸助さん(当時77)が急性覚醒剤中毒で死亡した後、元妻の須藤早貴(さき)容疑者(25)=殺人、覚醒剤取締法違反容疑で逮捕=が野崎さんから引き継いだ金融会社から、自身の口座に約3800万円を移した疑いがあることが関係者の話でわかった。県警は詳細を調べている。 会社の元監査役の男性が昨年6月、詐欺容疑で須藤容疑者を県警に告発した。県警は告発を受理しており、野崎さんの死亡事件との関連も含めて捜査する。 男性によると、野崎さんが死亡してから4カ月後の18年9月、会社の口座から約3800万円が須藤容疑者の口座に移された。 須藤容疑者は同7月に代表取締役に就任。男性は「須藤容疑者は取締役会の決議などを経ずに代表取締役を引き継ぎ、法人登記を変更した。正規の手続きとは言えない」と問題視する。 男性によると、18年2月に野崎さんと須藤容疑者が結婚して以降、会社の事務員が同年5月まで月100万円を須藤容疑者の口座に振り込んでいたという。 須藤容疑者は結婚後も、和歌山にいないことが多かった。野崎さんは男性らに「もう離婚する」と漏らしており、用意している離婚届を見せられたこともあったという。県警は周辺捜査を進めている。 田辺市によると、野崎さんの遺産は預貯金や有価証券などで約13億円。妻だった須藤容疑者には半分の分与を求める権利があるが、今のところ分与には至っていない。資産家殺害、夕食に覚醒剤混入か 胃から検出、計画的可能性も 共同通信社 2021/05/03 15:31「紀州のドン・ファン」と呼ばれた和歌山県田辺市の資産家野崎幸助さん=当時(77)=を2018年に殺害した容疑で逮捕された元妻須藤早貴容疑者(25)が、野崎さんと2人きりで夕食を取っていたことなどから、県警がこの際に覚醒剤を混入し摂取させた疑いがあるとみていることが3日、捜査関係者への取材で分かった。事件が計画的だった可能性があるとみて調べている。 捜査関係者によると、須藤容疑者は逮捕後の取り調べに、淡々とした様子だという。 野崎さんは18年5月、自宅で急性覚醒剤中毒で急死。解剖の結果、致死量を超える覚醒剤が胃の内容物から検出された。ドン・ファン事件、捜査急展開のわけ 元妻の「海外移住」に関心も 毎日新聞 2021/05/04 18:46和歌山県田辺市で2018年5月、資産家の野崎幸助さん(当時77歳)を殺害したとして元妻の須藤早貴容疑者(25)が逮捕され、5日で1週間となる。事件は野崎さんの自宅という「密室」で起きた。直接的な証拠が乏しい中、捜査当局は状況証拠による「消去法」で裏付けを進めている。発生から3年を目前に、捜査はなぜ急展開したのか。 須藤容疑者は18年5月24日、何らかの方法で多量の覚醒剤を野崎さんに飲ませ、急性覚醒剤中毒で死亡させた疑いが持たれている。県警は認否を明らかにしていないが、逮捕前の任意聴取には関与を否定した。 県警が立証の柱に据えるのが、覚醒剤との接点だ。須藤容疑者は事件前、インターネットで覚醒剤について検索していた他、密売人とみられる人物と同じ時間、同じ場所にいたことがスマートフォンの解析などで判明した。 また、野崎さんが覚醒剤を飲まされたとみられる時間帯は家政婦の女性が外出。夕食時で、須藤容疑者と2人きりだったとされる。 野崎さんは事件後に愛犬の葬儀を営む予定で自殺の動機がなく、覚醒剤を常用していた痕跡もなかった。県警は「須藤容疑者以外に覚醒剤を混入する機会がある人物はいなかった」と立証する方針だ。 ただ、目撃者がおらず、覚醒剤の摂取方法などの核心も判然としない中、捜査は足踏みを続けた。ある県警幹部は20年、「捜査は尽くしたが、検察などのゴーサインが出ない」と漏らしていた。 21年1月、須藤容疑者が海外移住を計画していると週刊誌が報道。県警幹部は今回、逮捕に踏み切った理由を「より確かな裏付けが取れた」と話すが、別の捜査関係者は「(海外移住について)逃げられたら大変なこと。関心を持っていたのは事実だ」と明かした。もしやと思い韓国サイト💻で検索をしてみたら韓国でも話題に成っていたか…日本の恥を海外へ輸出し晒していたようだ。👍401 韓国人も小生と同じ考えをお持ちの方が多いようだ。野崎に生きる価値無し、逝って良し‼그래서 니가 준 아픔 생각해~🎶💃너 때문에 흘린 눈물 생각해~🎵💃野崎おめでとう🎉死してworld famous personに成った。自己顕示欲が旺盛の貴様も予想だにしない結果だ。全裸で大音を立て悶え苦しんだ甲斐があったな。強烈な苦み、「覚醒剤どう飲ませたか」が焦点…ドン・ファン元妻は殺害否認 5/5(水) 13:05配信 読売新聞オンライン和歌山県田辺市の資産家で「紀州のドン・ファン」と呼ばれた会社経営者野崎幸助さん(当時77歳)が急性覚醒剤中毒で殺害された事件で、殺人などの容疑で逮捕された元妻の須藤早貴容疑者(25)が県警の調べに、容疑を否認していることが、関係者への取材でわかった。元妻の逮捕から5日で1週間。直接証拠に乏しい中、県警がどうやって殺意を立証するのか、注目が集まる。取り調べ淡々と 捜査関係者によると、須藤容疑者は淡々とした様子で調べに応じているという。ある県警幹部は「確実に証拠を固めるため、3年の捜査を費やした」と自信を見せるが、状況証拠の積み重ねでの立証には困難が予想される。捜査の大きなポイントの一つが、覚醒剤を飲ませた方法の特定だ。 事件は2018年5月24日に発生。死亡推定時刻は午後9時頃で、県警が依頼した薬物の専門家は「死亡する3時間前に覚醒剤を飲んだとして矛盾はない」と判断した。野崎さん方には家政婦も住んでいたが、午後4~8時頃に外出しており、摂取が推定される時間には夫婦2人きりだった。 野崎さんに覚醒剤を常用していた形跡はなく、県警は「須藤容疑者以外に覚醒剤を飲ませることはできなかった」とするが、摂取方法は明らかになっていない。 佐藤喜宣・杏林大名誉教授(法医学)によると、覚醒剤を食事や飲料に混ぜて直接口に含ませた場合、強烈な苦みでのみ込むのは困難といい、「カプセルなどを使った可能性はある。サプリメントと言って渡せば、警戒心は薄れるだろう」と指摘する。同一性の証明は? 須藤容疑者は事件前、SNSを通じて覚醒剤の密売人と接触していたが、密売人が扱っていた物と野崎さんの体内にあった覚醒剤が同一かどうかを裏付けるのは不可能に近いという。 沼沢聡・昭和大教授(毒性学)は「一般的に同一性を証明するには、結晶に含まれる不純物を比較するが、国内で出回っている覚醒剤は純度が高く、違いが出にくい。しかも体内に入ると結晶が溶けるので、科学的な立証は難しい」と話す。殺意の立証にも高いハードルがある。覚醒剤を服用死させた過去の事件では、殺人容疑で逮捕しても、起訴時はより法定刑の軽い罪名が適用されたケースが少なくない。 警視庁は19年3月、知人女性に覚醒剤を飲ませて殺害したとして、不動産会社役員の男を殺人などの容疑で逮捕。しかし東京地検は「殺意を積極的に認定できない」として、男を傷害致死罪などで起訴した。12年には、大阪府東大阪市のホテルで少女に覚醒剤を投与し殺害したとして、大阪府警が逮捕した男について、大阪地検は「殺意を問うに足る証拠がない」と重過失致死罪で起訴している。 県警は野崎さんの体内から検出された覚醒剤が致死量を超えていることなどから、殺意を立証できるとみているが、ある県警幹部は「乱用目的などの可能性を完全に排除する必要がある」と詰めの捜査を急ぐ。事件直後、絵画売却試みる 県警は野崎さんが死亡した後の資産を巡る動きにも注目する。野崎さんの遺産は預貯金や有価証券などで約13億円。他にも会社や土地、絵画などの資産を保有していた。 野崎さんが社長を務めていた酒類販売会社の元監査役の男性は昨年6月、須藤容疑者が正規の手続きを経ずに同社の口座から自身の口座に約3800万円を移したとする詐欺容疑で県警に告発、受理された。告発状では、須藤容疑者は事件2か月後の18年7月、取締役会の決議を経ないまま同社の社長に就任。同9月に金を移したほか、自らの役員報酬を年最大1億7000万円にすることを決めたとしている。 また須藤容疑者が事件直後、画商に電話し、野崎さんの絵画を売ろうとしていたことも判明。野崎さんの死後、会社は休眠状態となり、須藤容疑者は東京都内などを転々とし、逮捕時は東京・品川区の高級マンションに住んでいたが、県警は資産を生活費に充てていた可能性もあるとみている。 死別の場合、須藤容疑者には約6億5000万円の遺産を受け取れる権利があったが、事件前、自宅に寄りつかないことなどを理由に野崎さんから離婚を迫られており、県警は事件解明の鍵になるとみて、捜査を進める。ドン・ファン元妻の須藤早貴容疑者、風俗業界復帰策の裏に“歌舞伎町ホスト”との蜜月 週刊女性PRIME / 2021年5月11日 5時0分「うちのバーに来てくれたことがあります。お金をバンバン落としてくれる、いいお客さんでした。彼女はお気に入りのホストを連れてきていて、“私の彼氏なのよ”って自慢げに紹介されましたよ」 そう話すのは、新宿二丁目にあるバーの店主。容疑者の“金への異常な執着” “彼女”とは、連日メディアを騒がせている“紀州のドン・ファン”の元妻・須藤早貴容疑者(25)のことだ。彼女がこのバーを訪れたのは、'17年の冬ごろ。「彼女は“自分がアダルト作品に出演していたこと”をあっけらかんと話していました。周囲の人に“お金を稼ぐ方法なんていくらでもある!”と豪語していましたよ」 その約1年後、事件が起きた──。'18年5月、“紀州のドン・ファン”こと資産家の野崎幸助さん(当時77)が和歌山県田辺市の自宅で突然死。死因は急性覚醒剤中毒によるもので、彼の体内からは致死量を超える覚醒剤の成分が検出された。真っ先に疑われたのは、3か月前に結婚したばかりの55歳年下の妻・早貴容疑者だった。決定的な証拠は何ひとつ出てこないまま、3年の歳月が流れていたが、「4月28日、和歌山県警が早貴容疑者を殺人と覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで緊急逮捕しました。彼女がドバイへ高飛びする可能性もあったため、逮捕に踏み切ったんだと思います。ただ、今も決定的な証拠はないので、殺人の立証は難しいのではないかともいわれています」(全国紙社会部記者)容疑者の過去を振り返ると、“金への異常な執着”が見えてきた──。 彼女は北海道札幌市の出身。地元の中学校、高校と特別に目立つような存在ではなかったようだ。高校卒業後、地元の美容専門学校に進む。「彼女は友人には“実家が医者で金持ちなんだ”と言っていましたが、父親は一般的な会社員。金持ちでもなんでもなかった」(同・記者) 専門学校を卒業すると、上京。東京へやってきた容疑者の様子について、「北海道時代からホストにハマってて、東京に来てからも続いていました」(容疑者の知人)デリヘルと並行していた仕事 ホストクラブはひと晩で、1万5000円くらいが相場。さらに少しいい酒を飲むと4万〜5万円くらいはかかってしまう。専門学校を卒業したばかりの二十歳そこそこの容疑者が容易に支払える金額ではないが……。風俗業界関係者はこう話す。「彼女は4、5年前、渋谷の高級デリヘルで働いていました。女性のレベルが高いのが売りの店で、人気キャバ嬢や現役レースクイーンも在籍していました。でも、彼女はデリヘルでは大して働いていなかったと聞いています」 理由は、デリヘルと並行していた仕事があったからだ。「容疑者はアダルト📹ビデオにも出演していました。“ゆりか”“平美咲”などの名で数本の作品に出演しています」(AV業界関係者、以下同) セクシー女優といってもピンキリで、「きちんとした女優名をもって活動する“単体女優”はランクが高く、素人設定で出る“企画女優”はランクが低い。いろいろな名前で作品に出ていた容疑者は、後者に当てはまります」 彼女が出演した作品は、ウェブ配信がメイン。「“ウェブのみ”となると、DVDになるものよりも販売範囲が狭まるので、収益も小さい。彼女へのギャラなんて、せいぜい7万、8万円程度でしょうね」 金のためなら、何でもする。そんな容疑者がより割のいい仕事を求め続けて、たどり着いたのが“交際クラブ”だった。いわゆるパパ活で、金持ちの男性と知り合ってお小遣いをもらうようになっていったという。「'17年末、彼女は野崎さんとそこで知り合ったと聞いています。“毎月100万円の小遣いをあげる”と言われて、結婚を決めたんです」(前出・容疑者の知人) だが、容疑者の奔放さがあだとなる。「野崎さんにAV出演のことがバレてしまったんです。彼は激怒して、容疑者と離婚しようとしていました」(スポーツ紙記者)約3800万円の詐欺罪で告発される その矢先に、野崎さんは謎の死を遂げる。さらに、「事件後、容疑者は野崎さんが経営する酒類販売会社の代表取締役に就任するのですが、会社の資金約3800万円を自身名義の口座に勝手に送金しています。この件は野崎さんの友人で同会社の元監査役の男性が詐欺行為として刑事告発して、受理されています」(同・記者) 金への執着を抑えることができない容疑者。その裏には、ひとりの男の存在が噂されている。それは冒頭に登場した、彼女と新宿二丁目のバーを訪れたあのホストだ。「彼は歌舞伎町で有名なホストです。その彼が昨年から“もうすぐ店をやめる”と周囲の人に漏らしていた。“お金持ちの女の人に水揚げしてもらうんだ”って喜んでいました」(前出・風俗業界関係者) 容疑者は、野崎さんと結婚後もこのホストとつながっていたのか──。月100万円の小遣いが途絶えて金欠状態に陥った彼女は一発逆転を狙って、あの業界にカムバックしようと画策。前出のAV業界関係者によると、「彼女はいくつかのAVメーカーとコンタクトをとっていて“またアダルト作品に出演させてほしい”と言っていました」 事件後であれば、容疑者には“ドン・ファンの元妻”というネームバリューがあり、「話題性もあるので、手を挙げるAVメーカーはあると思いますよ」(同・AV業界関係者、以下同) だが、容疑者のセクシー女優としての再デビューは実現しなかった。「彼女がメーカー側の提示した出演料に納得できなかったんじゃないかな」 今の自分なら昔と違ってもっと価値があると意気込んでいたのか──。「著名な芸能人やアイドルが出演料1億円でセクシー女優になるなんて話はありますが、彼女にそこまでの価値はないですよ。しかも、逮捕されたらお蔵入りになるリスクもあるので、大した金額にならないんじゃないかな……」(芸能プロ関係者) かつては7万円という激安のギャラでアダルト作品に出演した容疑者。常に自分の価値を高めてきた彼女も、最後に“自分の値段”を見誤ったようだ。一部報道によると、早貴容疑者は一貫して否認し続けているという。ドン・ファン元妻を起訴 殺人と覚醒剤取締法違反 和歌山地検 毎日新聞 2021/05/19 14:30和歌山県田辺市で2018年5月、「紀州のドン・ファン」と呼ばれた資産家、野崎幸助さん(当時77歳)が急性覚醒剤中毒で死亡した事件で、和歌山地検は19日、元妻の須藤早貴容疑者(25)を殺人と覚醒剤取締法違反(使用)の両罪で起訴した。 須藤被告は18年5月24日夜、田辺市の野崎さん宅で致死量を超える覚醒剤を飲ませ、野崎さんを殺害したとして逮捕された。関係者によると逮捕後に容疑を否認する趣旨の供述をし、その後黙秘を続けているという。 捜査関係者によると、須藤被告のスマートフォンには、殺害方法や覚醒剤の入手方法を検索した形跡があった。密売人とみられる人物と同じ時間、同じ場所にいたことを示す位置情報も残っていた。 須藤被告は事件3カ月前の18年2月に野崎さんと結婚。死後は旧姓に戻していた。“ドン・ファン”元妻・須藤早貴被告に「芸能人の影」? 犯罪ジャーナリストが指摘 東スポWeb 2021/05/23 15:32元神奈川県警刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平氏(60)が23日放送の読売テレビ「そこまで言って委員会NP」に出演。“紀州のドン・ファン”変死事件で起訴された被害者の元妻・須藤早貴被告(25)についてコメントした。事件の現場となった和歌山県・田辺市に自費で何十回も取材に行き情報を収集したという小川氏は、須藤被告がホストにはまっていたという報道について「ホスト通いしてますけど、そんなにお金使ってません。どこに行ってるか、だれを指名してるかも知っているが、たいして上客じゃない」と指摘。「お金が使いたいのはほか理由があった」としてこう続けた。「それは、今最後に住んでいたマンションです。実は、被告は半年に1回ぐらい引っ越してるんです。なぜかというと引っ越すたびに警察から嫌がらせのように家宅捜索をされていた。しかも大々的にやるから周りに広まるんです。今はタワーマンションに住んでるんですが、そこからはたぶん引っ越さなかったと思う。そこにはとある芸能人が住んでます。駐車場もその人の隣を借りたりとか。ですからドバイなんか行く場合じゃないんです」これに共演者から「その芸能人のおっかけ?」と質問が飛ぶと「おっかけどころか、おっかけのちょっと上」。さすがに実名は出さなかったが、須藤被告がその芸能人と接触しているかについては「これから話しかけようとしたのか、すでに話しているのか…」とした。これらの情報を「どこでも話してない。起訴されるまでしちゃいけないと思ってましたから」と明かした小川氏。まだ起訴されたばかりとあって「殺意とは結び付かない。(これらの情報は)事件と直接的なあれはないです」と付け加えたが、その芸能人と金が必要な理由が強く“関係”していることを示唆した。紀州のドン・ファン殺害事件 早貴被告またも詐欺で再々逮捕へ7/3(土) 10:02 FRIDAY「早貴が逮捕されて以来、警察と検察には10回近く呼ばれています。取り調べは当初、早貴の人柄や社長(野崎氏)との関係についての質問がほとんどでした。しかし最近になり、その流れが大きく変わったと感じています」そう語るのは、元畑眞氏。’18年5月に怪死した「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助氏(享年77)が経営していた酒類販売会社『アプリコ』で、ゼネラルマネージャー兼監査役を務めていた人物だ。今年4月28日に殺人容疑で逮捕、5月19日に詐欺容疑で再逮捕された須藤早貴被告(25)に、別件での再々逮捕の可能性が浮上している。再々逮捕に向けて警察が捜査している容疑は、またしても詐欺だという。元畑氏が続ける。「6月中旬に警察に呼ばれたんです。そのとき、刑事は『刑事告発について捜査している』とはっきり口にしました」元畑氏は昨年6月に「刑事告発状」を和歌山県・田辺警察署に提出、同年7月に受理されていた。告発されたのは、早貴被告や弁護士、会計士だが、それが今になって捜査され始めたというのだ。「社長が亡くなってから2年間、コツコツと証拠資料を集めてようやく刑事告発にたどり着きました。詐欺が疑われる行為があったのは、社長が怪死を遂げてから約3ヵ月が過ぎた’18年9月6日です。この日、『アプリコ』のゆうちょ銀行から早貴の口座に、3834万6278円の振り込みがあったのです」(元畑氏)『アプリコ』の法人登記を確認すると、早貴被告は’18年7月30日付で野崎氏の後を継ぐ形で同社の代表取締役に就任している。就任からわずか2ヵ月で約4000万円とはかなりの大金だが、役員報酬としてなら罪には問えないように思える。これが詐欺に当たるのはどういうわけか。元畑氏が怒りを露(あらわ)にする。「問題なのは、早貴が代表取締役に就任した経緯です。彼女は正式な手続きを無視して社長に就任し、勝手に会社のカネを引き出したのです」「刑事告発状」にある詐欺容疑の内容は少し複雑なので、整理して説明しよう。’18年5月に野崎氏が怪死し、早貴被告はその2ヵ月後に臨時株主総会で決議され『アプリコ』の代表取締役に就任したとしている。『アプリコ』は取締役会設置会社。この場合、臨時株主総会は取締役会の決議で招集される。野崎氏の死後、『アプリコ』の取締役は家政婦の木下純代さんと、野崎氏の友人M氏の2名だった。つまり、木下さんとM氏が臨時株主総会を開かなければ早貴被告は代表取締役に就任できないわけだが、木下さんらが株主総会を招集した形跡は一切ない、というのだ。実際、木下さんも本誌の取材に、「取締役会の話なんて聞いたことがない」と答えている。「取締役ではない早貴自身が臨時株主総会を招集したのだとすれば、裁判所の許可を得なければなりません。しかし、彼女はそれもしていません。正式な手続きを経ていなかったにもかかわらず、早貴は自分が社長であるかのように見せかけ、ゆうちょ銀行を騙(だま)してカネを振り込ませた。だからこそ、詐欺容疑で告発したのです」(元畑氏)早貴被告への「刑事告発」については、野崎氏の実兄である豊吉さんも元畑氏と同時期に取り調べを受けている。刑事の机の上には『アプリコ』に関する証拠書類がうずたかく積まれていたというから、警察の本気度は高いようだ。この先、早貴被告の余罪はいくつ出てくるのか。〈独自〉紀州のドン・ファン事件、元妻のスマホに説明と矛盾の記録 死亡直前に接触か 産経ニュース / 2022年4月27日 6時0分「紀州のドン・ファン」と呼ばれた和歌山県田辺市の資産家、野崎幸助さん=当時(77)=が4年前の平成30年5月、急性覚醒剤中毒で死亡した事件で、殺人などの罪で逮捕、起訴された元妻の須藤早貴被告(26)が、自宅2階にいた野崎さんが死亡する直前に、単独で接触していた疑いのあることが26日、捜査関係者への取材で分かった。スマートフォンアプリの解析で判明した。被告は逮捕前の任意の取り調べで2階との行き来を否定していたが、和歌山県警は供述と矛盾する解析結果を重要な証拠と捉え、逮捕に踏み切っていた。28日で逮捕から1年。被告は逮捕後に黙秘に転じたとみられ、動機の詳細は不明のまま。和歌山地裁で公判前整理手続きが続いており、初公判の期日は決まっていない。事件が起きたのは30年5月24日。県警などの調べではこの日、野崎さん宅に野崎さんと須藤被告、家政婦の3人がいたが、家政婦は夕食を準備して午後3~4時ごろに外出。2人きりとなった。約4時間後の午後7~8時ごろに家政婦が帰宅。午後10時半ごろ、須藤被告と家政婦が、2階寝室のソファで倒れていた野崎さんを発見し、119番した。死亡推定時刻は、家政婦帰宅後の午後9時ごろだった。捜査関係者によると、資産家だった野崎さんは、事件前に離婚を切り出したとされる。県警は、不満を抱いた須藤被告が、2人きりの時間帯に致死量の覚醒剤を口から摂取させ、殺害したとの疑いで捜査。ただ直接的な証拠が乏しく、任意の事情聴取でも関与を否定され、捜査は難航した。膠着(こうちゃく)状態を破ったのは、須藤被告が提出に応じたスマホの解析記録だった。須藤被告は任意段階で、夕食後に野崎さんが1階から2階へと上がり、倒れた状態で見つかるまでの間に「2階に上がっていない」と供述。ところがスマホの健康管理アプリには、供述と矛盾する形で、被告が1階と2階との間を行き来した記録が残されていた。また事件前、田辺市内で覚醒剤の密売人と接触したことや、殺害する方法をスマホで調べていたことも確認。県警は、供述内容の矛盾や密売人と接触した事実を状況証拠の柱に据え、事件から3年近くたった昨年4月28日に逮捕。和歌山地検が同5月19日、殺人と覚醒剤取締法違反の罪で起訴した。
2021/04/28
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無差別テロだ。未必の故意を以て高層ビルから飛び降り自殺を図った自己中心的男子高校生よ。お前は其れで気が済んだだろう。屑男子高校生の巻き添えと成って若く尊い命を落とした被害者女子大生は余りに不憫で胸が締め付けられる。ご冥福をお祈りいたします。転落に巻き添えの女子学生が死亡 大阪・梅田産経ニュース / 2020年10月24日 15時52分大阪・梅田で23日夕、商業施設「HEP FIVE(ヘップファイブ)」(10階建て)から転落した男子高校生(17)とぶつかり、意識不明の状態で搬送された兵庫県加古川市の大学2年の女子学生(19)について、大阪府警は24日、死亡したと明らかにした。 府警などによると、高校生は23日午後6時前、大阪市北区角田町のヘップファイブから転落。下を歩いていた女子学生の背中付近にぶつかった。2人は病院に搬送されたが、高校生は死亡し、女子学生も意識不明の重体となっていた。 府警は高校生が屋上から飛び降り、女子学生が巻き添えになったとみて詳しい状況を調べている。梅田転落死、巻き添えの女性が死亡 買い物中の大学生朝日新聞社 2020/10/24 17:39大阪市北区の阪急大阪梅田駅近くの商業施設「HEP(ヘップ) FIVE(ファイブ)」で23日夕、大阪府立高校の男子生徒(17)が転落して死亡し、下にいた通行人の女性にぶつかった事故で、大阪府警は24日、意識不明の重体だった女性が搬送先の病院で死亡したと発表した。府警は、男子生徒が自殺を図って屋上から飛び降り、女性が巻き込まれたとみて捜査している。 曽根崎署によると、亡くなったのは兵庫県加古川市の大学2年生、古川賀子(かこ)さん(19)。古川さんは当時、買い物のため、知人の女性と施設の出入り口付近を歩いていたという。落ちてきた男子生徒の体が古川さんの背中付近を直撃したとみられる。 「HEP FIVE」は10階建てで、事故当時は1~9階の店舗などが営業していた。10階は従業員の専用フロアだが、男子生徒とみられる人物が従業員用のエレベーターを使って10階で降り、フロアを歩く姿が防犯カメラに映っていたという。 屋上は非常時以外は立ち入れず、屋上に通じるドアの内鍵は普段、プラスチック製のカバーで囲われているが、23日に警備員が駆けつけた時には壊されていたという。屋上に男子生徒の学生証が入ったバッグが残されていた。転落巻き添えの女子大生死亡 男子高生が直撃、大阪・梅田 共同通信社 2020/10/24 18:54大阪・梅田の商業施設「HEP FIVE(ヘップファイブ)」屋上から飛び降りたとみられる男子高校生(17)に直撃され、意識不明の重体だった大学2年の古川賀子さん(19)=兵庫県加古川市=が24日、死亡した。曽根崎署が明らかにした。路上で2人が倒れていた現場付近=23日午後7時32分、大阪・梅田 古川さんは23日午後5時50分ごろ、ヘップファイブ前を知人と歩いていたところ、大阪府立高校に通う府内在住の男子高校生が屋上から転落してきて巻き添えになった。意識不明の状態で病院に搬送され、治療を受けていた。 男子高校生も転落直後に病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。屋上に残されていたかばんに遺書はなかった。転落巻き添えで女性死亡 「あまりに気の毒」知人ら沈痛産経ニュース / 2020年10月24日 21時37分大阪・梅田で23日夕、商業施設「HEP FIVE(ヘップファイブ)」(10階建て)から転落した男子高校生(17)とぶつかり、兵庫県加古川市の大学2年の女子学生(19)が死亡した事故。「かわいらしくておとなしい子だった。あまりにも気の毒で言葉もない」。女性と娘が同級生だったという50代女性は、突然の悲報に沈痛な表情を浮かべた。 たまたま繁華街を歩いていて巻き添えになり、命を落とした女性。大阪府警や知人らによると、兵庫県加古川市のマンションで両親や妹と暮らし、兵庫県内の大学に通っていたという。近所の50代の女性は「妹の面倒をよく見ていて、感じの良い子だった。本当なのかと驚いている」と信じられない様子だった。 一方、大阪・梅田の中心部にあるヘップファイブ周辺は、24日も大勢の買い物客らが行き交い、上空を見上げる人の姿もみられた。 女性が巻き添えになったのと同じ午後6時前、友人と待ち合わせをしていた女子大学生(19)は「ニュースで知って助かってほしいと思っていたので、本当にかわいそう」と話し、「ヘップ前は待ち合わせの定番なので、誰もが被害に遭う可能性がある。注意して歩いていても防ぎようがないし、理不尽だ」と心境を吐露した。 大阪市内の女子高校生(18)は、「週末は梅田に来ることも多いし、ヘップファイブも利用するので恐ろしい」と話していた。大阪 大学生巻き添えの飛び降り 屋上へのドアカバー破壊か2020年10月25日 7時22分23日、阪急・大阪梅田駅近くの商業施設の屋上から男子高校生が飛び降りて死亡し、巻き添えになった女子大学生も死亡しました。警察の調べで高校生が屋上に出る際、ドアが開かないように付けられていたカバーを壊したうえで、直後に飛び降りたとみられることが分かり、詳しいいきさつを調べています。23日、大阪・北区の阪急・大阪梅田駅近くの商業施設「HEP FIVE」の屋上から飛び降りたとみられる17歳の男子高校生が死亡し、兵庫県加古川市の大学生、古川賀子さん(19)が巻き添えになって死亡しました。この日は知人と買い物に来ていたということです。男子高校生は従業員専用の通路を通って屋上に出たことが分かっていますが、その後の警察の調べで、部外者に開けられないよう、屋上へのドアの内鍵を覆っていたプラスチック製のカバーを壊していたことが分かりました。ドアが開けられるとブザーが鳴る仕組みで、すぐに警備員が駆けつけましたが、屋上には誰もいなかったということで、警察は屋上に出た直後に飛び降りたと見ています。遺書などは見つかっておらず、警察は高校生の周辺から話を聞くなどして詳しいいきさつを調べています。巻き添えで死亡 過去にも建物から飛び降り自殺をしたとみられる人の巻き添えになり、死亡するケースは過去にも起きています。平成19年11月には東京・池袋の商業施設の8階の屋上から25歳の女性が飛び降り、歩道を歩いていた38歳の会社員の男性が死亡しました。平成16年の8月には兵庫県西宮市の12階建ての市営住宅で30歳の男性が飛び降り、住宅前の通路で友人と話をしていた20歳の男性が死亡したほか、12月には東京・武蔵村山市の都営団地の12階の廊下から42歳の女性が飛び降り、下にいた54歳の男性が巻き添えになって死亡しました。梅田の転落巻き添えの女子学生 死因は頭部損傷産経ニュース / 2020年10月27日 11時47分大阪・梅田の商業施設「HEP FIVE(ヘップファイブ)」から大阪府立高の男子生徒(17)が転落死し、兵庫県加古川市の大学2年の女子学生(19)が巻き添えになって死亡した事故で、大阪府警曽根崎署は27日、司法解剖の結果、それぞれの死因が、女子学生は頭を強く打ったことによる損傷、男子生徒は多発外傷だったと明らかにした。 同署によると、屋上から転落してきた男子生徒が女子学生の頭部付近を直撃。女子学生は意識不明の状態で病院に搬送され、治療を受けていたが24日午後に死亡した。 同署は男子生徒が屋上から飛び降りた詳しい動機や状況を調べている。
2020/10/24
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ニ率会会長代行小金井一家八代目総長堀尾昌志の情婦と書かれている。ニ率会は1990年の山口組との八王子抗争後消滅した。ところで溝口敦の『細木数子 魔女の履歴書』でトコトン叩かれている細木氏。。。青線地帯で育った幼少期,援交の先駆け、実兄からも『パン助』呼ばわり、スケコマシの詐欺師にハマリ多額の負債を負った経緯、ニ率会の堀尾昌志との深く永い契り。。。でもなぁ、俺も数多の韓国のアガッシチブの女と遭った経験からか水商売の女に甘いのかもしれん。否、女が細腕で苦界というか泥沼から這い上がることが如何に困難なのかを知っているからだ。男の方が甘い奴が多いぜ。玉付いている割に根性が無くてな。。。亦この頃彼女の行動を見ると寄付など贖罪基隠匿を積んでいるしな。未だ、敬慕の念は払拭されずだ。^-^bところで銀座のママの時代の写真は綺麗だね。未だ読書中だが溝口敦の筆致も読者をぐいぐいと引き込ませる。先日借りた渡辺淳一の『鈍感力』よりも面白い。尚、ニ率会については2ちゃんねるで基本知識を入手してみた。以下抜粋。住吉よ・・・ニ率会を助けてあげろよ! せっかく住吉の代紋をほしいって言ってるんだぜ! このままでは、ニ率会が稲や菱に見殺しになってしまうぞ! 西口しっかりしろ!名門二率会も消えるのか… かつては新宿歌舞伎町もシマにしていたのに。 幕末の博徒・小金井小次郎を祖にする小金井一家と八王子一家が合体して 結成された組織。 やはり菱との抗争が痛かったか。 ニ率会は山口に完敗して八王子に進出されてしまった。 まだ、懲りてないのか。 住吉の後ろ盾があるから強く出たのか。 本日(3/18)稲川会執行部と二率会執行部の両者間において話合いが行われた。その席上で稲川会側から二率会に対し出された条件とは「二率は解散すること」、「解散しない場合は抗争も辞さない」というものである。この二つの条件の意味するところは、神奈川には一切住吉の代紋はかけさせぬということであり、またそれを飲まないのなら二率の後ろにいる住吉会とも事を構える覚悟があるという意味である。これによりこの件で稲川会は住吉会相手に一歩も引かぬという姿勢を打ち出したことになる。また、例の二代目宅見組と二率会とのいきさつを暗示する意味からか「住吉会が前へ押し出すなら稲川・山口連合で打って出る」とも稲川会側からの発言があったらしい。また、住吉会としても16日の二率会への最初のカチコミがあった直後に、住吉会内きっての武闘派組織である馬橋一家・共和一家らの幹部たちが五代目山口組の関東の主だった組織とその関係者らの住居等の確認作業までしていたのである。つまり住吉会の最高幹部たちは当初よりこのような状況になることを想定していたのだ。 今月は21日に関東二十日会の会合が行われることになっているが、この席での話合いがこれにより更に難航することは必至であり、稲川会側ははっきりと明確な姿勢を打ち出してきたわけだが、これに二率会というより住吉会として如何なる答えを出すかが今後の流れを大きく左右することになる。 いずれにせよ対山口組対策として発足した関東二十日会ではあるが、現状を考えるとその機構そのものが機能しなくなるおそれがある。
2007/07/29
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良子~・゜・(ノД`)・゜・57歳..若すぎる謹んで御冥福をお祈り致します 坂口良子さん急死 女優、「池中玄太80キロ」 57歳2013.3.29 07:26 [有名人の訃報] 27日に急死した坂口良子さん(2007年1月撮影) ドラマや映画などで活躍した女優、坂口良子(さかぐち・りょうこ)さんが27日に死去していたことが28日、分かった。57歳だった。 今月12日には体調不良を伝える一部報道が出たのを受けて、自身のブログを更新。「昨年、腸閉塞(へいそく)を患い、それとほぼ同時期にインフルエンザから肺炎になってしまったりと、体調を少し崩しておりました」「現在は、栄養を補給する為、点滴等の治療をしながら、ゆっくりと静養しております」などと記していた。 坂口さんは北海道出身。昭和46年、「ミス・セブンティーンコンテスト」で優勝し、芸能界入り。モデル、女優として活動し、47年のドラマ「アイちゃんが行く!」で主演デビュー。「たんぽぽ」「前略おふくろ様」「池中玄太80キロ」などの人気ドラマや、映画「犬神家の一族」「人間の証明」などに次々と出演してきた。 私生活では61年に不動産会社社長と結婚し、1男1女をもうけたが、平成6年に離婚。24年8月にプロゴルファーの尾崎健夫さんと結婚した。長女の坂口杏里さんはタレント
2013/03/29
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先日7月30日ソウル東大門区典農洞の遊里、通称清涼里588で殺人事件が発生した。被害者は朴某氏31歳(数え)であり、痴情の縺れからタクシー運転技師シンマルソク(52)に殺害された。申(辛)は8月2日に公開手配された後8日振りに10日に逮捕された。申(辛)が執心し、経済的な援助もしていたようだが、彼女にその気が無かった様だ。処で此の朴嬢は通常588で働く女性と違い、置屋へ自宅から通い日中働いていた。理由は両親共に病気(母親は脳出血で倒れ、父親は癌闘病中)であり、その入院費を稼ぐ為である。尚、事件が起きた通りはやや主流から外れた場所であり、年季が少し入ったアガシが居るシマである。 取材で昼夜を問わず588界隈を徘徊ししたので、被害者の女性とは恐らく会った事があるだろう。【最近 通いの女性らしく7時頃引き上げる女性を見た事があった。588は居稼ぎの色街であり、珍しいなぁと思ったものである。】 謹んでご冥福をお祈り致します。2010/08/03 公開手配http://news.kbs.co.kr/society/2010/08/03/2138454.html#//2010/08/10容疑者 検挙http://news.kbs.co.kr/society/2010/08/10/2141985.html
2010/08/15
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普通人が無残に殺されたならば憐憫の情が沸くのが自然だが、霜見誠、美重夫妻の死の消息を聞いても何も情が沸かないのだ。(*∠_*) ダカラドーシタAlgeriaで予期せぬテロに因り日揮の方々が尊い命を絶たれたのとは全く質が違うからである。・゜・(ノД`)・゜・欲に眩んだ者同士の恨みの成れの果てであり自業自得の感を抱くのだ。勿論霜見夫妻を殺害した渡邉剛が外道であることは間違いない。奴の凶行を是認はしないが、他人の褌である莫大な運用資産に応じた報酬、利鞘を稼げば相応の手数料を受ける美味しい金転しの生業だ。自分は安定しているが、多額の損をさせられるとクライアントから恨みを買う可能性は十分に有るだろう (゚д゚)ところで霜見よ”!お前は税金逃れもあってスイスに拠点を移し都合の良い時に祖国に戻り贅沢三昧をして来たようだが、熊本【宮崎】のど田舎に居るご両親に会って親孝行をしてきたのか?お母さんは粗末な身なりで息子に全く会っていないと仰っていた。犬に趣味の悪い服を着せたり、不相応で高額なもの喰わす余裕があるならば、帰国序に会う位の孝行して遣れ。粗末なジャケットを着て気丈にもマスコミに応対してくれた親父さんにはモンクレールのジャケット位買って遣れよ ヽ(`Д´)ノ都心に不動産物件を所有し、フェラーリを購入出来る資力のある霜見、お前にとっては車のガス代にも満たないから (沙*・ω・)遺体で発見されたスイス在住の金融会社役員の霜見誠さん(51歳)の自宅マンション(東京都中央区銀座3丁目 2013年02月01日) 【時事通信社】☞東京都中央区銀座3-11-19 スペーシア銀座(現エステメゾン銀座)資産家夫婦、意識失わせ絞殺か 「数億円損で恨み」スイス在住の金融会社役員霜見誠さん(51)と、妻とみられる女性の遺体が見つかった事件で、遺体にはいずれも抵抗した形跡がなく、意識を失わされた状態で殺害されたとみられることが1日、捜査関係者への取材で分かった。 死体遺棄容疑で逮捕された会社役員渡辺剛容疑者(43)は「夫婦の首を絞めて殺した」と供述。警視庁築地署捜査本部は、渡辺容疑者が霜見さん夫婦を連れ去った後、薬物などで意識を失わせ首を絞めたとみている。捜査関係者によると、渡辺容疑者が「(霜見さんに)数億円の損をさせられた」と供述していることも判明。捜査本部は多額の金銭トラブルが動機とみて調べている。
2013/02/03
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容疑者の段階では外道♀”!と言えないがな。驚いたのは木嶋佳苗の人心掌握術、演技、そして自身の強みを熟知している事である。男より一枚も二枚も遥かに上だ。まして女性との交際【性】経験が無い童貞親父ならイチコロだ。結婚紹介サイトで知り合った男性達が篭絡されてしまうのも分かる(不幸にも■を落としてしまったとは未だ書けない)俺の感ではホームヘルバーとして取り入った80歳の安藤建三さん以外は童貞だと思う。53歳の寺田隆夫さん、41歳の大出嘉之さんもだ。。。。他にも未だ何人か木嶋と交際を続けていた男が居たそうだが大出さんの件が明るみに成って難を逃れた。少しでも女の経験があり女の良さだけでなく狡さ、恐ろしさ、見栄虚実、女の扱い、駆け引きを知っていれば、金の無心に対してあの様な毟られ方をされない。俺ならそうなる前に木嶋の馬鹿しこめを叩き出しているぜ。但し、684人の女を抱き、多少女の扱いに慣れた俺でもヤバイのは安藤建三さんのケース。将来此れは他山の石とは出来ない。爺に成って親身に相談に乗って甲斐甲斐しく世話して貰ったりすれば俺も平常心で居られるか?危ういだろう。安藤さんは木嶋と一緒に風呂に入っていたらしい。ただSEXが出来ていたかは疑問符(将来の俺は女を抱ける爺でありたい!)だが、尺八、裏筋舐め、玉吸いは絶対にして貰っていた筈だ。(流石に菊門舐め迄踏み込める女は少ないが、木嶋の此れまでの言動を見る限り、奴ならば平気で遣れる玉だろう)木嶋のような男の扱いに慣れた手錬れの■道♀なら朝飯前だ。幾ら激ブスとは言え34歳で自分の子供より遥かに年下の女に身の上、下迄世話に成れば、おかしくなる。人間心理に長けた木嶋は巧みに孤独な老人の心の隙間に入っていた。安藤さんも木嶋の胸が肌蹴た画像をPCの壁紙にして楽しみ、来客の女性に見せ,「俺の女だ‼」喜んでいたと云う。来客の女性は其れを見てヤバイ、犯罪の匂いがすると女性の直感、感の鋭さで感得し同性として危惧していたようだ。。。今と成っては一瞬でも安藤さんが幸せだと思える時が有った事を祈らざるをえない。 (外道豚木嶋の毒牙の餌食に成った男達とは未だ断定出来ないが)木嶋と拘わり不審死した男達よ 安らかに! 合掌(-人-)■木島佳苗裁判員裁判初公判■哀悼大出嘉之■ [ ■外道、邪悪な奴ら!■ ]
2012/02/26
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【印象に残った場面】江尻がまだ決まってないね by 星野侑奈(26)江尻 慎太郎1977年4月30日生まれ37歳。宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)福岡ソフトバンクホークス。野球以外何も出来ない元巨人星野真澄を献身的に支える世話女房侑奈さん。健闘虚しく星野のプロ野球界復帰は叶わなかったが,第2の人生のstartを切った夫を此れからも健気に支えていくだろう。お二人の今後のご多幸を祈念します。 【 TBS放送 プロ野球戦力外通告 2014 】
2015/01/04
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目と頬は確実に整形して居るのは素人目にもハッキリ分かる。 あと鼻と唇も整形しているのではないか? そして、学生服からはハッキリ分からないが、胸も可成り福与かになっている。 ほしのあき同様に豊胸の疑いは大である。 インターネットで様々なサイトにアクセスしている内に発見してしまった! 彼女の学生時代の写真である。 化粧っ気がなく、垢抜けていないとは言え、数年後こんなに変わるものであろうか? 韓国の整形技術の水準の高さを物語っている。 (目、鼻、口、頬等専門分化しており、ネットワークでそれぞれの整形のエキスパートで分業するという) 真実を知らなかった方が幸せか..........
2006/06/09
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誠に見事な英断だった。此のままでは第2の岩崎隆一に成る引き籠りのドラ息子を成敗した。水際で第2の川崎登戸カリタス学園児童殺傷事件を防いだのだ。ドラ息子英一郎は日頃から家族にDVを働き、近頃は隣接する早宮小学校の音が五月蠅いと激高していたという。此奴を此の侭のさばらせていれば何れは人様に危害を及ぼす。そう危惧した熊沢英昭氏は将来に禍根を残す元凶を断ち切った。令和の偉人、熊沢英昭心より尊敬いたします。【補遺】今殺らないと将来自分が殺られる。体力的に今がラストチャンス,80代に成ると余程の好機が訪れない限り此の人間の屑,ドラ息子に逆襲され殺られる事は必至だろう。そうでなくても他人様に危害を加え不幸に陥れる。熊沢氏に去来したのは絶望と危機感である。〒179-0085 東京都練馬区早宮4丁目13−27元農水次官、自宅で長男刺す 東京・練馬、容疑で逮捕 搬送先で死亡 1日午後3時40分ごろ、東京都練馬区早宮の民家から「息子を刺し殺した」と110番通報があった。駆け付けた警察官が血を流している男性を発見。警視庁練馬署は殺人未遂容疑で、この家に住む元農林水産省事務次官で無職、熊沢英昭容疑者(76)を現行犯逮捕した。調べに「長男を刺したことは間違いない」と容疑を認めている。 同署によると、男性は熊沢容疑者の長男で無職、英一郎さん(44)。搬送先の病院で死亡が確認された。同署は容疑を殺人に切り替え、トラブルの有無などを調べている。 逮捕容疑は1日午後3時半ごろ、自宅で英一郎さんの胸など複数箇所を包丁で刺すなどし、殺害しようとしたとしている。 熊沢容疑者は岐阜県出身で東大卒。昭和42年に農林省(現農水省)に入り、経済局長などを経て平成13年に事務次官に就任したが、牛海綿状脳症(BSE)問題の責任を問われる形で14年に退官した。その後、駐チェコ大使を務めた。 現場は東京メトロ有楽町線平和台駅の南約650メートルの閑静な住宅街。熊沢容疑者は妻と英一郎さんの3人暮らしで、近所の男性(86)は妻と出掛ける姿をよく見掛けたといい、「10年ほど前に引っ越してきたと思うが、息子の姿は見たことがない」と驚いていた。元次官「引きこもりで暴力も」 長年家庭内トラブルか4歳の長男を刺したとして逮捕された元農林水産事務次官熊沢英昭容疑者(76)が、死亡した長男英一郎さんについて「引きこもりがちで家庭内暴力もあった」と供述していることが2日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁は、長年にわたり家庭内のトラブルがあったとみて、詳しい経緯を調べている。 捜査関係者によると、熊沢容疑者は「周囲に迷惑を掛けるといけないと思った」との趣旨の供述もしている。英一郎さんが倒れていた布団に大量の血痕が付着していたことも判明。周囲に引きずったような跡はなく、警視庁は熊沢容疑者が布団の上で刺したとみている。「近くの小学校騒音うるさい」で立腹の長男注意でトラブル 逮捕の元農水次官、殺人容疑で取り調べへ 東京都練馬区の自宅で長男を刺したとして、殺人未遂容疑で逮捕された元農林水産省事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が事件の数時間前、「近くの小学校の騒音がうるさい」と腹を立てていた長男を注意し、トラブルになっていたことが捜査関係者への取材で分かった。警視庁練馬署は家庭での口論の積み重ねが事件の原因になったとみて裏付けを進める。 同署によると、刺されたのは熊沢容疑者の長男英一郎さん(44)。1階和室の布団の上で胸などから血を流して倒れており、収容先の病院で死亡が確認された。 熊沢容疑者は妻と英一郎さんの3人暮らし。「(長男は)仕事もなく、部屋にこもることが多かった。家庭内暴力もあった」という趣旨の供述もしているという。同署は殺人容疑に切り替えて調べる。 近所の女性は「息子の姿は全く見たことがない。(熊沢容疑者は)あまり近所では話をしない人だったが、腰の低い印象だった」と話した。「運動会うるさい」騒ぎ始め…書き置きに「殺すしかない」東京都練馬区の民家で起きた殺人事件で、無職の長男(44)を刺したとして、殺人未遂容疑で逮捕された元農林水産省事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が調べに対し、「周囲に迷惑をかけてはいけないと思い、長男を刺した」と供述していることが捜査関係者への取材でわかった。日常的に家庭内暴力を繰り返していた長男を「殺すしかない」と記した書き置きも発見され、警視庁練馬署は、熊沢容疑者が将来を悲観して事件を起こしたとみている。 発表によると、熊沢容疑者は1日午後3時半頃、自宅で、同居する長男の胸などを室内にあった包丁で刺した疑い。長男は搬送先の病院で死亡が確認され、練馬署は容疑を殺人に切り替えて調べている。 捜査関係者によると、長男は以前、別の場所で暮らしていたが、最近になって実家に戻っていた。仕事はせず、自宅に引きこもって、長時間、インターネットをしていたという。近所の住民も姿を見たことがなかった。 熊沢容疑者は調べに対し、長男を刺したことを認めた上で、「長男から日常的に暴力をふるわれていた」と供述。妻も長男から暴力を受けていたといい、自宅からは「息子を殺すしかない」などと記された熊沢容疑者の書き置きが見つかった。 事件当日は近くの小学校で運動会が行われていたが、長男が「うるさい」と騒ぎ始め、熊沢容疑者と口論になったという。練馬署は、家庭内暴力で精神的に追い込まれていた熊沢容疑者が、口論をきっかけに長男を刺したとみて、詳しい経緯を調べている。中2から家庭内暴力、5月に練馬の実家戻り両親に暴力 東京都練馬区の民家で起きた殺人事件で、無職の長男(44)を刺したとして、殺人未遂容疑で逮捕された元農林水産省事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が調べに対し、川崎市で私立カリタス小学校の児童ら20人が殺傷された事件を挙げ、「長男も児童らに危害を加えるのではないかと心配した」という趣旨の供述をしていることが警視庁幹部への取材でわかった。警視庁練馬署は、川崎の事件が長男を刺したきっかけの一つになったとみている。 捜査関係者によると、長男は約30年前の中学2年の時から家庭内暴力をふるっていた。実家を離れた時期もあったが、5月下旬に実家に戻ると再び、両親への暴力を繰り返すようになった。仕事はせず、家にひきこもって長時間、インターネットをしていたという。 事件前には、自宅に隣接する小学校の運動会の音がうるさいと騒ぎ出し、熊沢容疑者と口論になった。熊沢容疑者はその後、自宅にあった包丁で長男を刺したとされる。1階和室で倒れていた長男は胸や首など上半身を中心に10か所以上の刺し傷があり、搬送先の病院で死亡した。 調べに対し、熊沢容疑者は長男を刺したことを認め、動機については「周囲に迷惑をかけられないと思った」と供述。事件4日前の5月28日に川崎市多摩区で起きた51歳の男による殺傷事件の報道を見て、長男も事件を起こすおそれがあると危惧したと話しているという。 長男の家庭内暴力については、「身の危険を感じた」と供述しており、自宅からは「息子を殺すしかない」と記された書き置きも見つかった。練馬署は、熊沢容疑者が家庭内暴力によって精神的に追い詰められ、将来を悲観したとみている。 熊沢容疑者は東大卒業後の1967年に当時の農林省に入省し、農水省審議官などを経て、2001年に事務次官に就任。退官後の05年から08年までチェコ大使も務めた。 練馬署は3日、容疑を殺人に切り替えて熊沢容疑者を東京地検に送検するとともに、司法解剖を行い、長男の死因を調べている。 何時でも減刑嘆願書に署名する準備は出来ている。 熊澤英一郎は 「ドラゴンクエスト10」という有名なオンラインゲームのプレイヤーで、父が官僚であることを笠に着せた発言で女性プレイヤーを口説くなどしていたようだ。また殺される直前までツイッターをしており、死を予見するかのようなツイートも残されている。名前:熊澤英一郎(くまざわえいいちろう)ハンドルネーム:神崎弘海(かんざきひろみ)生年月日:1975年3月20日年齢:44(享年)住所:東京都練馬区早宮家族:父親は元農林水産省事務次官の熊沢英昭、母親については調査中職業:無職学歴:駒場東邦中,高校卒 日本大学中退、流通経済大学卒、同大学院修了 代々木アニメーション学院アニメーター科卒軍隊式暗殺八極拳の達人も素人で老人のお父様には敵わなかったようだ。■熊澤英一郎まとめ ■・40歳過ぎて無職ひきこもり ・外に出ない、働かないことに罪悪感を感じていないどころか正当化している ・官僚である父親の権力を盾にTwitterでイキりちらす ・母親に恨みを持ち暴力をふるう。理由は「中2のときにエルガイムMk-IIのプラモを壊されたから」 ・母親に暴力を振るってそのことをTwitterで自慢 ・親のクレジットカードを毎月30万以上使い込む ・一日中ネットゲームとTwitterで不規則な生活 ・代々木アニメーション学院出身だが自称院卒で学歴煽り ・「在日は死ね」「チ●ンは人間以下」ほか中韓ヘイト発言連発 ・「野党はなくして自民党だけで政治しろ」「慰安婦は捏造」などとネトウヨ発言を繰り返す自民信者 ・テレビを見ながらマスゴミ批判 ・親の資産管理者という名目=地主だからニートじゃないとニート煽り ・院でワード、エクセル、パワーポイントを使ったことを自慢 ・「HTML難しいのにホームページ作れる俺すごい」とホームページビルダー製のソースを開示 ・1枚3万円で絵が売れる自称イラストレーター ・アスペルガーかつ統合失調症という知的障害者 ・障害者なのになぜか植松を支持 ・二言目には「貧民」や「庶民」 ・「院では彼女がいたから童貞じゃない」という童貞・「大学で軍隊式八極拳を習ってた。素人がナイフ持っただけじゃ俺に勝てないよ」とイキるも、素人で高齢の父親にナイフでメッタ刺しにされる ・仕事は即ドロップアウトを繰り返す ・5ch、Twitterに本名を書きこみ父親の素性、資産を明かす ・フレンド申請でも相手が断ると本名と父親の肩書き自慢 ・リアフレと話すときも父親の肩書き自慢してイキリ散らす ・重課金厨で「スクエニのバイトは俺に養われてる!」と豪語 ・リアル友達がいないどころかネトゲで固定パーティーすら築けない ・死後のログアウト申請を送ってくれる相手もいない ・親の金と自分のあまりある時間 すべてをかけたネトゲの中でも雑魚装備の低レベル(2回ほど垢BANされた為) ・しらたきア■ル オ■ニー 愛好者 ・死ぬ直前の最後のツイートが「誰も1人では生きられない」 ・最期は自慢の親に刺殺される ・アニメの学校へ行ってこれ ↓ 100>>87 ひでぇ 10厨二臭すごいな 28ヒキ無職は無駄にお絵描きうまい奴多いからな それで飯食えるレベルには程遠いんだろうけど 29育てかた失敗なのか、先天性・後天性の脳障害なのか、凄く気になる マスコミはそこんとこ偏向無しで調査宜しく 123>>29 どう見ても育て方の失敗にみえる だって教育がうまくいかず放置して、 その事が公になる可能性が高くなったから殺したんだよw 33中学生の創作ノートみたいな絵柄 自分も小学生の時に似たようなことをやっていたけど、 もし実家に残っていたら処分しないと 44これは晒してあげないほうが良くないか? 71被害者をここまで掘る必要ないだろう 可哀想に 102>>71 犯人の動機が被害者にあるからなあ 94フリーのイラストレーターだったのか 糖質患ってもちゃんと働いてたのにこの最後は悲しいな 父親の動機も身勝手で本当に上級国民には腹が立つ 95
2019/06/02
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また一つの時代が流れた。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。中山秀征が見舞いに訪れたらしいが惜別の意味も有ったのだろう。今晩は恋人だった大滝裕子の歌をYouTubeで聴こう。Yuko Ohtaki - ミリオン・キス志村けんさん死去、70歳 新型コロナウイルス検査で陽性 人工心肺で治療も… 報知新聞社 2020/03/30 09:55 タレントの志村けん(本名・志村康徳)さんが29日、入院していた都内の病院で亡くなった。70歳だった。新型コロナウイルスに感染し、20日から入院していた。 志村さんは17日に倦怠(けんたい)感があったため自宅療養。19日には呼吸困難となり、翌20日に自宅を訪問した医師の判断で都内の病院に搬送され、重度の肺炎で入院した。新型コロナウイルス検査で陽性が判明した23日に病状が悪化。25日に港区から新宿区の病院に転院し、人工心肺による治療を続けていた。志村けんさん、新型コロナ肺炎で死去 悲しみと「怖い」の声広がる - 記事詳細|Infoseekニュース30日、コメディアンの志村けん(本名・志村康徳)さんが、亡くなったことが報じられた。70歳だった。志村さんは、今月20日から新型コロナウイルスに感染し入院していたことを、25日に所属事務所が公表、闘病を続けていた。■20日より入院、闘病続けていた志村さんは今月17日から倦怠感などの症状を訴え、19日…【全文を読む】東証午前終値、1万8762円 志村さん死去で売り加速 - 記事詳細|Infoseekニュース週明け30日午前の東京株式市場は、新型コロナウイルスの感染拡大で、東京都が都市封鎖されかねないとの警戒感から売りが強まり、日経平均株価(225種)は大幅反落した。下げ幅は一時800円を超え、1万9000円を割り込んだ。感染を公表していたタレントの志村けんさんが29日死去したと伝わると、感染拡大への危…【全文を読む】日本のチャップリンでなく、ロビンウイリアムズだったか…(失礼)m笑いに疎く、知識見識不足でした。💉武漢virus🏥志村けん🛏意識混濁💊志村けんさん死去 世界主要メディアも速報「日本のロビン・ウィリアムズが…」 デイリースポーツ 2020/03/30 12:01 新型コロナウイルスに感染したタレントの志村けん(本名・志村康徳)さんが29日に亡くなったことが30日、分かった。70歳だった。志村さんは今月23日に陽性と判明。東京都内の病院で懸命の治療を受けたが、力尽きた。日本が誇るコメディアンの新型コロナウイルスによる死去の衝撃は大きく、世界の主要メディアも速報した。 ロイター通信が速報したことを皮切りに、米「ニューヨークタイムズ」、英高級紙「ガーディアン」、英「デイリースター」電子板などが一斉に報じた。「デイリースター」は「トップコメディアンの志村けんが入院後、数日でコロナウイルスにより死亡」という見出しで報じ「日本で最も有名なコメディアンの1人。世界がその死を悼んでいる」と、綴った。 また、米CNNのアジア担当の記者はツイッターで「有名な日本人コメディアン、志村けんは日曜日の夜にコロナウイルスによる肺炎で亡くなった」と説明し「彼は『日本のロビン・ウィリアムズ』と呼ばれている」と、その偉大さを表した志村さん21日麻酔で睡眠「それから意識なかった」 日刊スポーツ新聞社 2020/03/30 20:26 ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの志村けん(本名・志村康徳=しむら・やすのり)さんが29日午後11時10分、新型コロナウイルス肺炎のため亡くなった。所属事務所が30日に発表した。「東村山音頭」「カラスの勝手でしょ」「アイ~ン」など数々のギャグを生み出し、国民的な人気タレントとして活躍した。葬儀・告別式は近親者で行う。 ◇ ◇ ◇あまりにも突然の訃報だった。所属するイザワオフィスによると、志村さんは今月17日に倦怠(けんたい)感があったため自宅静養に入った。19日に発熱と呼吸困難の症状が出て、20日に訪問診察を受けた。医師の判断で東京・港区内の病院に搬送され、重度の肺炎と診断されてそのまま入院した。その後、23日に新型コロナウイルス検査で陽性と判明し、24日に新宿区内の国立国際医療研究センターに転院して治療を続けていた。同院では、新型コロナウイルス重症者の治療に効果が期待される体外式膜型人工心肺(ECMO=エクモ)を使用しているとみられていた。事務所関係者によると、志村さんは今年1月に定期健診で胃のポリープが発見され摘出手術のために6日ほど入院していた。また、愛煙家として知られ、関係者によると多い時には1日60本吸っていたが、「16年に肺炎で入院した以降は禁煙していた」。一方で、飲酒は続けており「毎晩のように飲んでいた」というが、関係者は「基本的に通院するような持病もなく体調は良かった」と話した。志村さんはTBS系「8時だョ!全員集合」の「少年少女合唱隊」のコーナーで地元の「東村山音頭」を歌ったことでブレーク。加藤茶(77)とのコンビの「ヒゲダンス」などが大流行し、国民的な人気となった。俳優としても活躍し、30日放送開始のNHK連続テレビ小説「エール」、年末には初主演映画「キネマの神様」への出演が予定されていた。日本中を笑いと感動に包んだスターがまた1人、旅立った。◆志村けん(しむら・けん)本名・志村康徳 1950年(昭25)2月20日、東京・東村山市生まれ。ザ・ドリフターズの付き人を経て、74年、正式メンバーに。TBS系「8時だヨ!全員集合」で「東村山音頭」のギャグでブレーク。加藤茶との「ひげダンス」、「カラスの勝手でしょ」「アイーン」など次々にギャグを生む。主なキャラクターは「バカ殿様」「変なおじさん」「ひとみばあさん」など。166センチ、血液型A。
2020/03/30
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錦里古街
2020/10/20
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ご冥福を心よりお祈りいたします。松田聖子さんのお嬢さんが此のような形で自ら命を絶つとは思いだにしませんでした。35歳の短すぎる人生でした。神田沙也加さん急死 札幌のホテル高層階から転落12/19(日) 1:24配信 スポーツ報知 女優の神田沙也加さん(35)が札幌市内のホテルの高層階から転落し、死亡したことが18日、分かった。北海道警は自殺を図った可能性もあるとみて調べている。関係者によると、神田さんは18日昼頃、体に血がついた状態でホテルの14階の屋外スペースに倒れていたところを発見された。意識不明の状態で病院に搬送されたがその後、死亡が確認された。 神田さんはこの日、主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の札幌公演(札幌文化芸術劇場)の昼公演(正午開演)に出演する予定だった。午前11時頃まで神田さんと連絡がつかなかったため、ダブルキャストで主人公イライザ役を演じている元宝塚宙組トップスターの朝夏まなと(37)が急きょ代役を務めた。スタッフや共演者には「神田さんは転落して現在重篤な状態です」との説明があり、神田さん以外の主要キャストも変更された。 今作では11月14日の東京・帝国劇場から始まった同公演は全国を巡り、来年1月28日に福岡・博多座で千秋楽を迎えるはずだった。 神田さんは1986年、歌手の松田聖子(59)と俳優の神田正輝(70)の間に生まれた。2002年5月に「ever since」で歌手デビュー、翌03年に映画「ドラゴンヘッド」で本格的に女優デビュー。両親譲りのルックスと歌声で人気を博した。 その後はミュージカルなどの舞台に軸足を移し、14年のアニメ映画「アナと雪の女王」で主人公の王女アナ役の日本語吹き替えを好演。劇中歌「生まれてはじめて」の評価も高くブレイクした。来年4月からのミュージカル「銀河鉄道999」でもヒロイン・メーテル役に決まるなど、仕事も順調とみられていた。 私生活では17年に俳優の村田充(44)と結婚を発表したが、19年に離婚した。神田沙也加が重体 札幌市内のホテル高層階から転落2021/12/19 00:18 スポニチアネックス 女優の神田沙也加(35)が札幌市内の宿泊先ホテルの高層階から転落したことが18日、分かった。入院治療を受けているが、重体とみられる。関係者は「予断を許さない状況」と話している。飛び降り自殺を図った可能性もあり、警察が詳しい経緯を調べている。1986年に俳優神田正輝(70)と歌手松田聖子(59)の長女として誕生し、近年はミュージカル女優として活躍を見せていた。札幌には主演ミュージカルのために滞在しており、上演日に衝撃の出来事となった。 関係者によると、神田は午後1時すぎに宿泊先ホテルの14階にある屋外スペースで倒れた状態で発見された。道警には消防無線で「転落」と連絡が入っており、宿泊していた20階以上の高層階から転落した可能性がある。近隣の病院に緊急搬送されたが、別の関係者は「重体で予断を許さない状況」と話している。 神田は18日正午から札幌文化芸術劇場hitaruで上演された主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」に出演を予定していたが、入り時間になっても会場に現れなかった。公演関係者が連絡を取ろうとしたものの、電話連絡もつかず、劇場スタッフが「行方が分からない。失踪した」と慌てた様子で話す姿も目撃されている。 捜査関係者によると、事件性はないとみており、どのような状況で転落したのか、神田が自ら飛び降りた可能性もあるとみて詳しい経緯を調べている。 神田が来なかった昼の公演は、ダブルキャストで主演する朝夏まなと(37)が急きょ代役を務めた。共演者には「神田さんは体調不良のため休演。新型コロナウイルス感染ではない」との説明があったという。神田は18日と20日に同所の公演に出演予定だった。 神田の身に何があったのか。関係者は「もともとメンタルは強いタイプではない」と明かす。私生活では2017年5月に俳優の村田充(44)と結婚。だが結婚生活は長続きせず、19年12月に離婚を発表。子供が欲しい村田と、前向きではなかった神田と折り合いがつかなかったことを理由としていた。 昨年には、黒崎真音(33)と音楽ユニット「ALICes」を結成したが、黒崎が今年9月の配信ライブ中に倒れた。硬膜外血腫と診断され、ユニットの活動は休止となっていた。音楽関係者は「自分の目の前で倒れたことにショックを受けていたようです」と話している。 神田は2001年に「SAYAKA」の芸名で芸能活動を開始。母親譲りの歌唱力を武器に、ミュージカルを中心に活躍していた。来年4月上演の「銀河鉄道999 THE MUSICAL」にもヒロインのメーテル役での出演も決まっており、仕事は順調そのもの。関係者は「何か悩みがあったのか。とにかく回復を祈るばかりです」と話している。 ◇神田 沙也加(かんだ・さやか)1986年(昭61)10月1日生まれ、東京都出身の35歳。02年にシングル「ever since」で歌手デビュー。映画「アナと雪の女王」「アナと雪の女王2」の日本語版でヒロイン・アナの声を担当。私生活では17年に俳優村田充と結婚して19年に離婚した。1メートル57、血液型A。神田沙也加さん、急死直前に父・神田正輝と電話していた 報知新聞社 2021/12/19 02:12女優の神田沙也加さんが札幌市内のホテルの高層階から転落し、急死したことが18日、分かった。北海道警は自殺を図った可能性もあるとみて調べている。関係者によると、神田さんは18日昼頃、ホテルの14階の屋外スペースに倒れていたところを発見された。 沙也加さんに近しい関係者によると、転落する直前に父で俳優の神田正輝に電話していたという。正輝は18日にテレビ朝日系「朝だ! 生です旅サラダ」(土曜・朝8時)に生出演。番組終了後の午前10時頃、沙也加さんから正輝の誕生日(今月21日)を前祝いする電話があり、会話をしたという。 神田さんはこの日、主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の札幌公演(札幌文化芸術劇場)の昼公演(正午開演)に出演する予定だった。午前11時頃まで神田さんと連絡がつかなかったため、ダブルキャストで主人公イライザ役を演じている元宝塚宙組トップスターの朝夏まなとが急きょ代役を務めた。スタッフや共演者には「神田さんは転落して現在重篤な状態です」との説明があり、神田さん以外の主要キャストも変更された。 神田さんは1986年、歌手の松田聖子と俳優の神田正輝の間に生まれた。2002年5月に「ever since」で歌手デビュー、翌03年に映画「ドラゴンヘッド」で本格的に女優デビュー。両親譲りのルックスと歌声で人気を博した。 その後はミュージカルなどの舞台に軸足を移し、14年のアニメ映画「アナと雪の女王」で主人公の王女アナ役の日本語吹き替えを好演。劇中歌「生まれてはじめて」の評価も高くブレイクした。来年4月からのミュージカル「銀河鉄道999」でもヒロイン・メーテル役に決まるなど、仕事も順調とみられていた。 私生活では17年に俳優の村田充と結婚を発表したが19年に離婚した。神田沙也加さん、ホテル22階から転落死 松田聖子のディナーショーは中止へ 2021/12/19 03:10 週刊ポストセブン歌手で女優の神田沙也加さんが12月18日、札幌市内のホテルから転落して亡くなった。35歳だった。神田さんは同日、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』札幌公演に出演予定だったが、会場入りせず連絡も取れないまま、急きょ「体調不良で休演」と発表された。ダブルキャストで主演する、元宝塚歌劇団宙組トップスターの朝夏まなと(37)が神田さんの穴を埋めた。「神田さんは、滞在先のホテルから転落しました。札幌の景色を一望できるのが魅力のホテルですが、その高さが仇となったようです」(芸能関係者) 神田さんは22階から転落した。捜査関係者が語る。「22階から転落して病院に搬送されました。地上まで落下したわけではなく、建物14階のせり出した屋外スペースに落ちたのですが、意識不明の重体となり、そのまま亡くなりました。 当日の札幌は、1999年に統計開始して以来1位の値を更新するほどの大雪で、24時間降雪量は55センチに及びました。それでも転落した神田さんのクッションにはなってくれなかったようです。自殺の可能性もあると見られています」 神田さんは、2019年12月に俳優・村田充(44)との離婚を発表してからも精力的に活動を続けていた。来年4月には『銀河鉄道999 THE MUSICAL』でメーテル役を演じることが決定して注目を集めていたが、こちらの舞台が上演されるのかは現時点では不明だ。 愛娘を亡くし、父親である俳優・神田正輝(70)、母親である歌手・松田聖子(59)の悲しみは計り知れない。「松田聖子さんは19日、グランドプリンスホテル新高輪・大宴会場『飛天』にてクリスマスディナーショーの東京公演最終日を迎える予定でしたが、そちらの公演は中止になるとみられています」(前出・芸能関係者) ディズニーの大ヒットアニメ映画『アナと雪の女王』アナ役の日本語版吹き替え声優という大役を掴むなど、“松田聖子の娘”という立場を打破し、ミュージカル女優としての地位を確立していた神田さん。自殺だとしたら、なぜ──。なぜ神田沙也加さん転落死?母・聖子にすぐ伝わらなかった訳 複雑な親子関係と孤独 スポーツニッポン新聞社 2021/12/19 04:03◇神田沙也加さん死去 札幌公演中にホテルから転落し、死去した女優神田沙也加さん(享年35)はミュージカルを中心とした舞台を主戦場に活躍していた。母親の歌姫・松田聖子(59)譲りの伸びのある歌声、可愛らしい衣装の似合うビジュアルで根強いファンも多く、体調不良を理由にした18日の急な休演に「どうしたのか」「早く良くなってほしい」と心配する声がネット上に相次いでいた。 聖子は18日夜、都内のホテルでディナーショーを行っていたが「普段と変わらない様子で、いつもの可愛らしい聖子ちゃんだった」(訪れた客)。芸能関係者は「偉大すぎる母親と一人娘の沙也加さんとは微妙な関係」とし「この日も沙也加さんの容態が聖子さんに伝わっていなかった可能性がある」と話した。 沙也加さんは2001年、中学3年の時に聖子が決めた芸名「SAYAKA」でデビュー。最初のシングルはヒットしたが、その後は続かなかった。聖子からは米国留学を勧められたが、反発。12歳年上のギタリストと交際すると、猛反対する聖子と絶縁状態になった。だが、ミュージカル女優になることを決意した沙也加さんが本名の「神田沙也加」として活動するようになると雪解け。2011年のNHK紅白歌合戦では母娘で仲良くデュエットした。それでも17年に俳優村田充(44)と結婚した際「無名の俳優とゴールインしたと聖子さんは思ったようで反対し、また溝ができた」とテレビ関係者は語る。 19年12月には村田と離婚。最近では大手事務所と業務提携して仕事面での再スタートを図っていたが、芸能関係者は「相談できる相手がいなかったのではないか」と心配していた。俳優・神田沙也加さん急死 35歳、札幌のホテルで転落か 毎日新聞 2021/12/19 03:26俳優の神田沙也加さん(35)が18日、札幌市のホテル敷地内で倒れているのが見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。北海道警札幌中央署によると、関係者から連絡が付かないとの110番があり、宿泊先周辺を捜索したところ、午後1時ごろにホテル14階の屋外スペースで倒れているのが発見された。神田さんはこのホテルの高層階に宿泊していたとみられ、転落した可能性がある。同署は事件性はないとみている。 神田さんは同日正午に主演ミュージカルに出演予定だった。 神田さんは母が歌手の松田聖子さん、父が俳優の神田正輝さん。2001年、CMで芸能界デビューした。02年に歌手としてシングル「ever since」をリリース。ミュージカル「Into the Woods」で舞台初出演し、その後も「ピーターパン」「レ・ミゼラブル」「マイ・フェア・レディ」などミュージカルを中心に活動していた。最近は声優としても、大ヒットしたディズニー映画「アナと雪の女王」日本語吹き替え版でアナ役を担当するなど、活躍の場を広げていた。相談窓口・いのちの電話0570-783-556=ナビダイヤル。午前10時~午後10時。0120-783-556=フリーダイヤル。午後4時~同9時。毎月10日は午前8時~11日午前8時、IP電話は03-6634-7830(有料)まで。・日本いのちの電話連盟https://www.inochinodenwa.org/・全国のいのちの電話(一覧)https://www.inochinodenwa.org/lifeline.php・東京自殺防止センター(NPO法人国際ビフレンダーズ)03-5286-9090=年中無休、午後8時~午前2時半(月曜は午後10時半から、火曜は午後5時から)。https://www.befrienders-jpn.org/神田沙也加さん死去…所属事務所が報告 午後9時40分急逝「受け止めることができない状況」 スポーツニッポン新聞社 2021/12/19 04:09女優の神田沙也加(かんだ・さやか)さんが18日、死去した。19日未明、所属事務所が公式サイトで報告した。35歳だった。 「神田沙也加に関するお知らせ」として所属事務所「株式会社 ローブ」の代表取締役で、神田さんの母で歌手・松田聖子(59)の実兄である蒲池光久氏の名で報告。「これまで神田沙也加を支えてくださった皆様にご報告させていただきます。2021年12月18日午後9時40分、神田沙也加(享年35歳)が急逝いたしました。応援してくださったファンの皆様、お世話になった関係者の皆様にこのようなご報告を差し上げることは大変残念でなりません。私共もまだ信じ難く、受け止めることができない状況でございます」とし、詳しい状況は現在調査中とつづられている。 神田さんは18日、札幌市内の宿泊先ホテルで倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。ホテルの14階部分の屋外スペースで見つかり、宿泊していた高層階から転落したとみられる。飛び降り自殺を図った可能性もあり、警察が詳しい経緯を調べている。1986年に俳優神田正輝(70)と歌手松田聖子(59)の長女として誕生。札幌には主演ミュージカルのため滞在しており、上演日の衝撃的な悲報となった。 関係者によると、神田さんは18日午後1時ごろに宿泊先ホテルの14階にある屋外スペースで倒れた状態で発見された。道警には消防無線で「転落」と連絡が入っており、宿泊していた20階以上の高層階から転落した可能性が高い。近隣の病院に緊急搬送されたものの、息を引き取ったという。 神田さんは18日正午から札幌文化芸術劇場hitaruで上演された主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」に出演を予定していたが、入り時間になっても会場に現れなかった。公演関係者が連絡を取ろうとしたものの連絡もつかず、劇場スタッフが「行方が分からない。失踪した」と慌てた様子で話す姿も目撃されていた。 捜査関係者によると、警察は事件性はないとみており、どのような状況で転落したのか、神田さんが自ら飛び降りた可能性もあるとみて詳しい経緯を調べている。 神田さんは2001年に「SAYAKA」の芸名で芸能活動を開始。母親譲りの歌唱力を武器に、現在はミュージカルを中心に活躍していた。来年4月上演の「銀河鉄道999 THE MUSICAL」にもヒロインのメーテル役での出演も決まっており、仕事は順調そのものだった。関係者は「何か悩みがあったのか。信じられない」とぼうぜんとした。〈神田沙也加さん急死〉芸能活動休止してアルバイト…19歳の神田さんを救った大女優の一言 近藤 正高 文春オンライン 2021/12/19 11:35女優の神田沙也加さん(35)が18日、札幌市内のホテルの高層階から転落し、同日午後9時40分に亡くなった。警察は現場の状況などから、自殺の可能性もあると見て調べている。神田さんは、俳優の神田正輝(70)と歌手の松田聖子(59)の長女。この日はミュージカル「マイ・フェア・レディ」の札幌公演に出演予定だったが、18日の公演は体調不良を理由に休演していた。 14歳で芸能界デビューした神田さん。高校卒業後に芸能活動を休止した理由や活動再開のきっかけとなったある出来事を、33歳の誕生日の際に報じた記事を再公開する。(初出:『文春オンライン』2019年10月1日 ※日付、年齢等は公開時のまま)◆◆◆ 10月1日は、歌手・女優・声優と幅広く活躍する神田沙也加の誕生日である。33年前のこの日、歌手の松田聖子と俳優の神田正輝というビッグカップルのあいだに生まれた彼女は、そのときからマスコミに追われることになる。父・正輝によれば、彼女が最初に話した言葉は、パパでもママでもなく「マチュコミ」だった。父は、《意味も分からず話した言葉がそれじゃ、あまりにも不憫だと思ってね。だから、父親としてできることは少ないけど、沙也加のために100%できることをしようって決め》、運動会やバザーなど、仕事よりも娘とすごす行事を優先するようにしたという(※1)。高校卒業後に芸能活動を休止した理由とは? 沙也加は2001年、14歳で菓子メーカーのCMに出演し、SAYAKAの芸名で芸能界にデビューする。同年のカンヌ国際映画祭では、その2年前、米国留学中にオーディションを受けて出演した短編映画『Bean Cake(おはぎ)』(デビッド・グリーンスパン監督)が短編パルムドールを受賞している。翌2002年にはシングル「ever since」をリリースし、歌手デビューも果たす。その後、ドラマや映画に出演し、女優としても活動するようになった。2004年にはミュージカル『INTO THE WOODS』で初舞台を踏む。舞台との出会いは大きかったと、のちに沙也加は語っている。《自分でオーディションを受けに行き、選ばれて、お稽古をして、努力を重ねてキャストと一緒に舞台を作っていく。それは自立を意味します。『INTO THE WOODS』に出演したとき、うまく自分を解放できずにいた私に向かって、演出家の宮本亜門さんは「あなたはあなたでいいんだ」とおっしゃった。その言葉が心に響きました》(※2) 舞台出演は新鮮で、その「生」感に緊張と喜びを感じてすっかり魅せられる。それと同時に、《ここできちんと自己形成をしないと何をやっても中途半端になる、先に進めない》と切実に感じるようになった(※3)。2005年、高校卒業を機に芸能活動を1年半休止したのは、そうした危機感からだった。自分を見つめ直すべく、研修旅行と称してニューヨークやロンドンへ舞台を観に行ったほか、ある店でアルバイトも始めた。このとき、《毎日同じ時間に起きて失礼じゃないメイクをして、奇抜じゃない格好をして制服に着替えて働く》という普通の人にとっては当たり前であろうことを、《19歳で初めてやった自分にぞっと》したという。それでも続けるうちにその仕事が楽しくなってきて、このまま就職しようかとまで考えた(※1)。「もったいない!」大女優からのオファー だが、彼女を心配して店に来てくれた女優の大地真央にその考えを話したところ、「もったいない!」と言われてしまう。後日、あらためて連絡があり、大地主演の舞台『紫式部ものがたり』への出演をオファーされ、芸能活動の再開を決める。復帰にあたっては、名義も本名(当時)の神田沙也加に改めている。 復帰後も順調なときばかりではなかった。2013年には、体調不良のため決まっていた舞台をすべて降板せざるをえなくなり、仕事が激減する。そこで生活費を稼ぐため、こっそりダイニングバーでアルバイトを始め、《平日は終電、土日はラストまでいて、ファーストフード店で100円のドリンクを飲んで始発を待ち、明け方帰宅する日々》をすごすうち、《これで芸能界から身を引いていくんだな》とぼんやり思うようになっていたという(※1)。米アニメ映画『アナと雪の女王』の日本語吹替版の声優オーディションを受け、合格したのはそんな時期だった。『アナ雪』で母から自立 2014年に公開された『アナと雪の女王』は大ヒットし、吹替版でヒロイン・アナを演じた沙也加は、その演技と歌声で一躍話題を呼ぶ。同年にはギタリストのBillyとのユニット・TRUSTRICKを結成し、アルバム『Eternity』をリリース、女優としてもドラマや舞台にあいついで出演した。さらには大晦日のNHK紅白歌合戦にも出場する。紅白では、ニューヨークからの中継で『アナ雪』本国版でアナの姉・エルサを演じたイディナ・メンゼルと同作の挿入歌「生まれてはじめて」をデュエット。さらに主題歌「Let It Go~ありのままで~」を2人と一緒にNHKホールにいる歌手全員で合唱した。そのなかには、同年の紅白で初めて大トリを務めた母・松田聖子が涙する姿もあった。沙也加が紅白に初出場したのはその3年前だが、このときは母と一緒に「上を向いて歩こう」を歌った。だが、『アナ雪』への出演を機に、沙也加は名実ともに母からの自立を果たしたといえる。それでも本人にとっては、『アナ雪』はようやく到達した出発点にすぎないという。《自分がやりたいと思う一つのことを続けていたらどうなるか……という試みが引き寄せた『アナと雪の女王』。この仕事を経て、やっと地に足がついたというか、自分が目指していた出発地点に到達することができたと感じています。いよいよこれからが本番です》(※2) 以来、沙也加は精力的に仕事をこなし、とりわけミュージカル女優として著しい成長を遂げる。昨年2月に刊行した著書ではこんなことを語っていた。《私には一つだけ欲しいものがあって、それは演劇界での何かの賞。それを取れたら「よくできました印」が[引用者注:自分の]選んだ道筋に押される気がするんです。誰にも強制されず何の影響下にもおかれない、自分で探したジャンルだから、そこで評価されたら「これで良かったんだよ」って証明が自分にも周りにもできる気がして。それが今一番欲しいものですね》(※1) この直後、彼女は菊田一夫演劇賞を受賞する。それは、前年の2017年に出演したミュージカル『キューティ・ブロンド』の主人公、エル・ウッズの演技が評価されてのことだった。同作の稽古中、彼女が演出の上田一豪に《なぜ私を?》と訊ねたところ、《僕はこの作品を神田沙也加の当たり役にして、神田沙也加のキャリアの中でも代表作にしようと思っています》との答えが返ってきたという(※4)。その言葉どおり、沙也加は同作で大きな賞を手にし、今年2月から3月にかけて再演も実現した。昨年には、ミュージカルの不朽の名作『マイ・フェア・レディ』で、恩人・大地真央の当たり役でもあった主人公のイライザを初めて演じている。来月22日には日本語吹替版で再びアナ役を演じた『アナと雪の女王2』の公開も控える。母が選んだ道を歩む? 仕事での活躍の一方、私生活では2017年、俳優の村田充と結婚した(後に離婚)。先述の著書のなかでは、《女性としてのプライベートとお仕事の良い配分を知りたくて、いろんな職業、年齢の方にお話を聞いているところ。どこかで勇気を持って仕事をストップして、親になるっていう経験を私はしたいから。その目標に向かって、自分の中でベストのタイミングを探し中です》とも語っている(※1)。思えば、1980年代、山口百恵をはじめ結婚を機に引退する女性歌手が目立つなかで、当時トップアイドルであった松田聖子が結婚・出産後も子育てをしながら芸能活動を継続したことは注目を集めた。母がかつて選んだ道を、娘の沙也加も自分なりのスタイルを模索しながらまた歩もうとしているのが興味深い。※1 神田沙也加『Saya Little Player』(マガジンハウス、2018年)※2 『婦人公論』2014年7月22日号※3 『婦人公論』2006年9月22日号※4 「SPICE」2019年2月13日配信神田沙也加さん急死…ファン絶句「頭が追い付かない」「松田聖子さん大丈夫かな…」2021/12/19 14:27 産経デジタル歌手で女優の神田沙也加さんの突然の訃報はネットにも大きな衝撃を与えた。このニュースが伝えられた19日、ツイッターでは「神田沙也加さん」などのワードがトレンドに入り、ネットユーザーたちからさまざまなコメントが寄せられた。事務所の公式HPによると、神田さんは18日に亡くなった。19日のサンケイスポーツ(電子版)によると、18日午後1時ごろ、滞在していた札幌市内の22階建てホテルの14階屋上部分で倒れているのが見つかった。北海道警は転落した可能性があるとみて、自殺と事故の両面で調べる。神田さんはミュージカル「マイ・フェア・レディ」に出演するため、札幌市に滞在していた。制作を担当する東宝によると、神田さんは18日昼に行われた同市での公演に姿を見せなかった。17日の稽古には参加していたという。 神田さんは1986年に歌手の松田聖子(59)と俳優の神田正輝(70)の長女として誕生。2001年に芸能活動を開始し、ミュージカルを中心に活躍していた。映画「アナと雪の女王」の日本語吹き替え版でヒロイン・アナの声を担当して話題になり、NHK紅白歌合戦にも出場した。 SNSには、「何でこんなことに…」「意味が分からない」「突然のことで頭が追い付かない」「ショックすぎる…」「この前舞台で見たばっかりだったのに…」などの書き込みが相次ぎ、多くのファンが驚きと悲しみの声をあげた。 生前の神田さんと言えば、ミュージカルなどで大活躍。その美声で多くのファンを魅了した。ツイッターには「もうあの歌声聴けへんのか」「彼女の声に何度力を貰ったことか…」「母親を超えた天使の歌声、女神の美声で歌手の中で一番、だと思っていただけに…」といった投稿も目立った。 また、子を持つ親の気持ちをつづるネットユーザーも多く、この日、「松田聖子」もトレンドに入る事態になった。松田の所属事務所はHPでコメントを発表し、「松田は、未だこの現実を受け止めることが出来ない状態です」などと説明。一時、サーバーがダウンし、アクセスしにくい状態が続いた。SNSには「子どもに先立たれる親の気持ちを思うと心が張り裂けそうになる…」「神田正輝さんと松田聖子さんの気持ちを考えるとたまらない」「今、一番悲しんでいらっしゃるのはお母様でもある、松田聖子さんのはず…」といった声も目立った。 松田を心配するファンも少なくなく「松田聖子さんの心中を考えるといたたまれない。心配」「松田聖子さんも大丈夫かな…」というつぶやきも見受けられた。松田は19日、ディナーショー「SEIKO MATSUDA Christmas Dinner Show2021」を開催予定だったが、会場となる東京・グランドプリンスホテル新高輪がHPで中止を伝えた。神田沙也加さん訃報受け主演舞台が公演中止 NNN24 2021/12/19 11:4118日に急死した神田沙也加さん(35)が主演を務めていたミュージカル『マイ・フェア・レディ』が、公演の継続は困難という主催者の判断により、19日、20日の公演が中止されることが発表されました。ミュージカル『マイ・フェア・レディ』は現在全国ツアー中で、17日から北海道公演がスタートしていました。神田さんは18日正午からの公演に出演予定でしたが、体調不良のため急きょ代演で開催されると発表されていました。20日以降の全国ツアー公演については、後日改めて舞台の公式ホームページなどで発表されるということです。舞台主催の東宝は「広く日本のエンタテインメント業界に多大な功績を残された神田沙也加さんに敬意を表し、心からの哀悼の意を捧げます」とコメントしています。画像:『マイ・フェア・レディ』に出演していた神田沙也加さん神田沙也加が35歳で死去 音楽ナタリー 2021/12/19 10:02神田沙也加が昨日12月18日に亡くなったことを、所属事務所の株式会社ローブが発表した。35歳だった。 一部報道によると、神田はミュージカル「マイ・フェア・レディ」出演のため訪れていた札幌市内のホテル敷地内で倒れているのを発見され、病院に搬送されたものの死亡が確認されたとのこと。所属事務所は公式サイトにてファンや関係者に対し「このようなご報告を差し上げることは大変残念でなりません。私共もまだ信じ難く、受け止めることができない状況でございます」とコメントしている。 神田は2002年に「SAYAKA」名義で歌手デビュー。2006年より現在の名義での活動を開始し、歌手以外にもミュージカル女優や声優としても活躍してきた。2014年には映画「アナと雪の女王」日本語吹替え版でアナ役を好演し、2018年には第43回菊田一夫演劇賞を受賞。2020年には黒崎真音とのユニット・ALICesを結成している。神田正輝 仲良かった「パパ」に衝撃 誕生日直前に悲報 スポーツニッポン新聞社 2021/12/20 05:30◇神田沙也加さん死去 正輝にとっては、デビューから所属した芸能事務所「石原プロモーション」が解散した年の瀬に、それとは比較にならない衝撃に見舞われた。 この日、都内にある自宅マンションはひっそりと静まりかえった。正輝は沙也加さんが転落する直前の18日午前、テレビ朝日系「朝だ!生です旅サラダ」に生出演。終了後、21日の誕生日を出演者やスタッフから祝われ、沙也加さんからも同様の電話があった。悲報が入ってきたのは、その直後。正輝のショックは計り知れない。 一緒に暮らしたのは聖子と離婚した97年まで。沙也加さんが10歳の時までだった。聖子は98年に歯科医男性と再婚したが、2年半で再び離婚。沙也加さんが継父と深い関係性を築くこともなく、父親と呼べるのは正輝しかいなかった。 確執など紆余(うよ)曲折があった聖子に比べると関係は良好だった。芸能活動を始めた沙也加さんがライブや舞台に出演するとまめに観覧。プライベートでもよく食事に出かけていた。 2017年に開かれた沙也加さんの結婚式では、聖子が不在の中、新婦の父として一緒にバージンロードを歩いた。沙也加さんの著書「Saya Little Player」には「パパが何処(どこ)に居ても 見えなくても 沙也加を愛しているよ」と直筆メッセージを寄せていた。 毎年10月1日の沙也加さんの誕生日に、電話で「ハッピーバースデー」を歌うのが恒例。音程が外れて「オリジナルメロディー」と冷やかされたこともあったが「パパありがとう」といつも喜んでくれた。電話がつながらない時も留守番電話にフルサイズで歌声を吹き込んだ。父の愛情がこもった歌声を届けることはもうできなくなってしまった。神田沙也加さん急逝、「マイ・フェア・レディ」を主催する東宝も声明「謹んでご冥福をお祈りいたします」 中スポ 2021/12/20 11:23女優や声優として活躍した神田沙也加さんが18日に死去した。35歳だった。所属事務所が19日、公式サイトで同日発表した。18~20日には札幌市内でミュージカル「マイ・フェア・レディ」の公演に臨む予定だったが、18日はダブル主演を務める女優朝夏まなとが代役を務め、19日、20日の公演は中止となった。 「マイ・フェア・レディ」は1963年に日本初公開されたブロードウェーミュージカル。2018年から神田沙也加さんと朝夏とのダブル主演で上演されてきた。全国公演は11月14日に始まり、今後は山形、静岡、愛知、大阪と巡り、来年1月28日に福岡で千秋楽を迎える予定だった。 主催する東宝は19日、「公演に関する重要なお知らせ」として文書を公表。神田沙也加さんの急逝に触れて「謹んでご冥福をお祈りいたします。現在全国ツアー公演中の『マイ・フェア・レディ』札幌公演につきましては、公演の継続は困難との主催者の判断により、12月19日(日)、20日(月)の公演の中止が決定されました。お客様には大変ご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございません」とした。全国ツアー公演については今後主催者ホームページなどで通知する。神田沙也加さんとユニット結成の黒崎真音、相方の訃報に悲痛「もっと一緒にいられるって勝手に…」 2021/12/20 16:54 サンスポ18日に亡くなった女優の神田沙也加さんと昨年9月に音楽ユニット、ALICes(アリセス)を結成し、活動していた歌手、黒崎真音(33)が20日までにツイッターを更新。沙也加さんの訃報を受け、悲しみに暮れた。 黒崎は19日夜、「ALICesは解散しません さやはわたしの中にいる」とツイート。突然の別れが信じられず「さや 早く帰っておいで 寒いでしょ ずっと言ってたよね さやを一人にしないって 寂しかったら一緒に住もうって いつでもどこでも会いに行くって ねぇ さや さや LINEしても既読さえつかないよ」と悲痛な思いを記した。 今年9月、黒崎は配信ライブ中に倒れ、搬送先の病院で「硬膜外血腫」と診断され緊急手術を受けた。沙也加さんは「大切な相方へ。公演後にALICesのマネージャーから慌てて聞いて、立ち上がれなくなって、泣きました」とツイッターで明かし、その後も「いつも想ってるよ、双子じゃないのに双子みたいなあなたの事を。その日を信じているよ、だから今はゆっくり休んでね」などとメッセージを送っていた。 黒崎は“相方”について「大好きとかそんな言葉じゃおさまらない 大切すぎて もっと一緒にいられるって勝手に思ってた 双子だったから でもこれからも双子」と思いをつづり「ALICes さやが付けてくれた名前 大切にする さやはたくさん頑張ったから 少し休んでね」と呼びかけた。 一夜明けたこの日は「昨夜は取り乱したツイートをしてしまいすみませんでした」とフォロワーに謝罪。「さやが今少しでも心穏やかでいてくれたらいいなと思います」とした上で「わたしは大丈夫 これから わたしに出来ることはいくつかあると思うので それを全うするのみです さやが言ってた願いを叶えてあげたい ずっとずっと味方」と結んだ。■神田沙也加(かんだ・さやか) 1986(昭和61)年10月1日生まれ。東京都出身。2001年、SAYAKA名義でCM「アイスの実」に出演し、芸能界デビュー。02年に歌手デビュー。06年に芸名を本名にする。14年にTRUSTRICKを結成し、19年に解散。18年4月、第43回菊田一夫演劇賞を受賞。今年5月にはボカロカバー盤第3弾「MUSICALOID#38 Act.3」を発売した。157センチ。松田聖子、23日からのディナーショー大阪4公演全て中止 報知新聞社 2021/12/20 18:26歌手の松田聖子が、23日からホテルニューオータニ大阪で予定していたクリスマスディナーショー(26日までの4公演)を中止する。主催する同ホテルが明かした。 同ホテルはホームページで「予定しておりました『松田聖子クリスマスディナー&コンサート』は、諸事情により中止とさせていただきます」と説明。「ディナーショーをお愉(たの)しみにお待ちいただいた皆さまには、大変ご迷惑をお掛けいたしましたこと、心よりお詫(わ)び申し上げます」とコメントした。 松田は18日に娘の女優・神田沙也加さん(享年35)の急死を受け、19日に予定されていたディナーショー(グランドプリンスホテル新高輪)を中止。所属事務所は「いまだこの現実を受け止めることができない状態」と憔悴(しょうすい)ぶりを伝えていた。神田沙也加さん 死因は外傷性ショック 北海道警産経ニュース / 2021年12月20日 16時12分北海道警は20日、女優の神田沙也加さん(35)の死因が、高所から転落したことによる外傷性ショックだったと発表した。関係者によると、神田さんは18日、滞在していた札幌市内の22階建てホテルの14階屋上部分で倒れているのが見つかった。厚生労働省は悩みを抱えている人に対して相談窓口の利用を呼び掛けている。同省のホームページ「まもろうよ こころ」では、こころの健康相談統一ダイヤルなどの連絡先を掲載している。神田沙也加さん“空白の3時間”に何が 父・正輝と最後の電話 松田聖子は憔悴、NHK紅白辞退の可能性も 主演ミュージカルの稽古で不安漏らす 2021/12/20 11:02 zakzak 札幌市内の病院で死去した女優、神田沙也加さんは滞在先の札幌市内の22階建てのホテルから転落したとみられる。35歳だった。前日には主演を務めるミュージカルの通し稽古にも参加していたが、のどの不調を漏らしていたとの情報もある。母親である歌手、松田聖子(59)も大きなショックを受けており、今年大みそかのNHK紅白歌合戦への出場も危ぶまれている。 北海道警は現場の状況から事故と自殺の両面で捜査している。沙也加さんが発見されたのは、22階建てホテルの14階屋外スペースで、血を流して倒れていたという。 滞在していた22階の部屋から転落したとみられるが、ホテルの窓は新型コロナの感染対策で、宿泊者が最大15センチほど開けられるように仕様が変更されていた。また転落防止用ストッパーを壊せば、さらに窓を大きく開けることは可能という。 沙也加さんは公演関係者にのどの不調を訴え、手術をする可能性にも言及し、不安を漏らしていたという情報もある。 さらに18日午前10時には父親で俳優の神田正輝(70)に誕生日を祝う電話をしていたと一部メディアが報じている。そこから転落した姿が発見される午後1時までの約3時間に何があったのか。この空白の時間が注目されている。 娘の急死を受けて、聖子の所属事務所はレコード会社を通じてコメントを発表。「松田は、未だこの現実を受け止めることが出来ない状態です」と聖子の憔悴(しょうすい)ぶりを伝えている。聖子は19日に東京で予定されていたディナーショーを中止。23~26日には大阪でも予定されているが、こちらの開催も不透明な状況。 さらに出場が決まっている大みそかのNHK紅白歌合戦でも、今週中に予定されていた曲目発表が延期されることになったという。「曲目や演出についても再考されることになったが、最悪の場合、出場辞退ということもありえる」と音楽関係者は話す。急死の沙也加さん、心の闇と男の影 共演男性との交際で悩み…心療内科に通院も 松田聖子、神田正輝“悲痛の対面” 2021/12/21 11:00 zakzak18日夜、札幌市内で急死した女優、神田沙也加さん(享年35)の死因はホテルからの転落による外傷性ショックだったことが明らかになった。事件性はないとみられ、警察は沙也加さんが自殺を図った可能性もあるとみて捜査を続けている。そんな中、沙也加さんが抱えていた心の闇がクローズアップされている。そして、両親も札幌入りし、無言の対面を果たしたという。沙也加さんは18日午後1時ごろ、22階建てホテルの14階屋外部分で倒れているところを発見されたが、靴も履かず、雪に埋もれていた状態だったため、転落からある程度の時間がたっていたとみられる。 遺書のようなものは残されていなかったが、現場の状況から自殺の可能性も含めて捜査が続いている。21日付スポーツニッポンは、沙也加さんが心療内科に通院し、処方薬を服用することもあったと報じている。さらに沙也加さんが舞台で共演中の男性との交際に悩んでいたとも報じた。「沙也加さんは離婚後、元ジャニーズJr.の男性と親密な交際が続いていました。そのときもかなりバッシングを浴びましたが、その男性とは今年春には別れたそうです。その後、共演男性との交際が始まったといいますが、この交際をめぐっても少なからず批判があったそうです。のどの不調も含めて沙也加さんが精神的に弱っていた可能性は高い」と芸能関係者は話す。 そんな中、父親で俳優の神田正輝(71)が20日、札幌入りし、沙也加さんと悲しみの対面を果たした。沙也加さんは死の直前、神田に誕生日を祝う電話をかけている。それだけに神田の悲しみは計り知れない。 そして母親の歌手、松田聖子(59)も極秘裏に札幌入りしたという。聖子も憔悴(しょうすい)が激しく、23~26日に大阪で予定されていたディナーショーも中止となった。大みそかのNHK紅白歌合戦の出場も危ぶまれている状況だ。21日にも密葬が行われ、神田は沙也加さんの遺骨とともに帰京するとみられる。神田沙也加さんの死因を警察が発表、ホテル安全管理に問題なし…自室窓から転落か 読売新聞 2021/12/21 06:49札幌市中央区のホテルで倒れているのが見つかり、搬送先の病院で死亡した女優の神田沙也加さん(35)について、北海道警札幌中央署は20日、司法解剖の結果、死因は外傷性ショックと発表した。 ホテルの安全管理上問題はなく、同署は神田さんが自殺を図り、高層階の自室窓から転落したとみている。神田正輝が札幌で沙也加さんと悲しみの対面…聖子も札幌入りし対面を果たす2021年12月21日 6時0分スポーツ報知俳優の神田正輝(71)が20日、札幌市内で18日に急死した長女で女優の神田沙也加さん(享年35)と悲しみの対面を果たした。関係者によると、沙也加さんの母親で歌手の松田聖子(59)も極秘で札幌入りし、対面したという。北海道警はこの日、沙也加さんの死因を高所から転落したことによる外傷性ショックだったと発表。事件性はないとみられている。 まな娘の突然の悲報から2日たったこの日午前11時半ごろ、正輝は黒のロングコートにマスク、黒いサングラス姿で新千歳空港に到着した。報道陣に対し「ありがとうございます」と気丈に一礼すると、タクシーに乗り込んだ。 沙也加さんはダブルキャストで主演したミュージカル「マイ・フェア・レディ」の公演のため札幌市内のホテルに滞在していた。18日正午からの公演に出演予定だったが姿を見せず、その後、捜査員がホテルの14階屋上スペースで血を流して倒れているのを発見。病院に搬送されたが、死亡が確認された。 関係者によると、18日の転落直前に沙也加さんと電話で話したという正輝は、憔悴(しょうすい)しきった様子で無言の対面を果たした。聖子は報道陣の前に姿を見せることはなかったが、極秘に札幌入りし、悲しみの対面を果たしたという。正輝の誕生日である21日に荼毘(だび)に付した後、遺骨を持って帰京する予定という。 北海道警は20日、沙也加さんの死因を、高所から転落したことによる外傷性ショックと発表した。道警によると、18日午前11時01分、事務所関係者から「部屋に鍵が掛かっていて、中を確認したが神田さんがいない」と110番があった。駆け付けた警察官が捜索し、通報から約2時間後、靴を履かず雪に埋もれた状態の沙也加さんを発見した。 偉大な両親の間に生まれ、芸能界で葛藤しながら、ミュージカル女優として才能を開花させた沙也加さん。関係者によると、再来年まで仕事の予定で埋まっていた。道警によると、薬物の影響や首を絞められた痕などは確認されておらず、事件性はないとみられている。遺書などは見つかっていないという。神田正輝 まな娘・沙也加さんのもとへ 悲しみを覆い隠すように目元にはサングラス デイリースポーツ 2021/12/21 05:5918日に北海道札幌市で転落死した女優の神田沙也加さん(享年35)の父、俳優の神田正輝(70)が20日、空路、北海道に到着した。黒のロングコートにサングラスの黒装束で訃報後初めて報道陣の前に姿を見せた。21日は正輝の71歳の誕生日、悲しみの1日を迎える。 正輝は午前11時半に飛行機で北海道入り。スーツ、マフラー、ロングコートと全身黒で統一して到着ロビーに姿を見せた。深い悲しみを覆い隠すように目元にはサングラスがかけられていた。これまで沈黙を守っていたが、空港に集まった報道陣へ「ありがとう」と一言かけるなど気丈に振る舞い、タクシーで空港を後にした。 正輝が北海道入りする直前の午前10時45分ごろ、沙也加さんが安置されていた警察署には、葬儀関係者らが到着。午後12時に沙也加さんの棺を乗せたとみられる車両が出発し、その後、札幌市内の斎場に到着した。 沙也加さんは、正輝と元妻で歌手の松田聖子(59)との間にもうけた一人娘。97年に聖子と離婚した後も父娘関係は良好だった。17年に沙也加さんが俳優の村田充と結婚(その後離婚)した際、正輝は事前に報告を受け、ハワイ挙式にも出席していた。沙也加さんがSNSで正輝との2ショットを公開するなど絆は深かった。 正輝は18日の午前に司会を務めるテレビ朝日系「朝だ! 生です旅サラダ」(土曜、前8・00)に生出演。番組は北海道でも放送されていた。 21日は正輝の71歳の誕生日。だが、愛する娘から祝福の声を聞くことはできない。神田沙也加さんと最後の別れ…松田聖子が斎場に、助手席で位牌を手に[ 2021年12月21日 15:10 ] スポニチ歌手の松田聖子(59)が21日、長女で女優の神田沙也加さん(享年35)が18日に死去したことを受け、札幌市の斎場に入った。午後2時半すぎ、霊きゅう車が入り、助手席に位牌(いはい)を手にした松田が座っていた。 神田正輝(71)と聖子は前日20日に現地に入り、悲しみの対面を果たしていた。松田聖子と神田正輝が涙浮かべ会見 1人娘・沙也加さん葬儀報告 聖子「ありがとうございました」2021年12月21日 17:11デイリースポーツ 18日に舞台公演先の札幌市で亡くなった女優・神田沙也加さんの葬儀が21日、同市内で行われ、父の俳優・神田正輝(71)と母の歌手・松田聖子(59)が取材対応を行った。 正輝が白い箱を、聖子が位牌を持って並んで対応。正輝が葬儀を終えたことを報告し「あまり2人とも話すようなことではないので、しばらくの間、そっとしておいていただければ」と理解を求めた。聖子は「申し訳ありません、ありがとうございました」と深々と頭をさげた。2人とも目に涙を浮かべ沈痛な表情で声を絞り出した。 沙也加さんは、1985年に結婚した正輝と聖子の一人娘。正輝と聖子は97年に離婚した。【動画速報・会見全文】神田正輝さん 松田聖子さん 悲痛…娘・神田沙也加さんの死去に悲しみ語る 12/21(火) 17:14配信 TBS Newsきょう21日、北海道・札幌市で葬儀が行われた、女優・神田沙也加さん。父・神田正輝さん、母・松田聖子さんが葬儀後に報道陣の取材に応じ、その悲痛な胸の内を語りました。【会見全文】神田正輝さん「たいへん申し訳ございません。ありがとうございます。本当に身内の近親者のみで、お別れ…そして納骨というか、お骨にすることが出来ました。皆さんご協力ありがとうございました。ただ、あの…あまり2人とも話す様なことではないので、しばらくの間そっとしておいて頂けたら、ありがたいと思います。」松田聖子さん「本当に皆さんお寒い中申し訳ございませんでした。ありがとうございます」神田正輝さん「ありがとうございます。」【会見ここまで】【動画速報・会見全文】神田正輝さん 松田聖子さん 悲痛…娘・神田沙也加さんの死去に悲しみ語る神田沙也加さん 苦しみ抜いた末の母・聖子からの自立…ベテラン芸能記者が見た村田充との日々 日刊ゲンダイDIGITAL 2021/12/21 14:22「共に過ごした時間に感謝し、心から哀悼の意を捧げます。彼女の歌声は、まるで天使のようでした」札幌公演中にホテルから転落し、亡くなったミュージカル女優・神田沙也加さん(享年35)について、元夫で俳優の村田充(44)はこう哀悼の意を示した。村田は2017年4月に沙也加さんと結婚したが、19年12月に離婚を発表。当時、村田は「子どもが欲しかった私と、前向きになれなかった彼女とで折り合いがつかず」などと、離婚にいたった背景をブログで書いている。沙也加さんと村田はハワイのモアナチャペルで挙式、おそろいのTシャツで手をつなぐ仲むつまじい写真をSNSに掲載していた。その後、村田は活動休止し、1日24時間、365日とばかり沙也加さんに寄り添い、付き人かマネジャーのように甲斐甲斐しく世話を焼く姿が目撃されていた。ベテラン芸能記者の青山佳裕氏は言う。「沙也加さん出演のミュージカル制作発表の後、喫茶店で共演者の女の子とおしゃべりしていると、ベンツを運転して村田さんが迎えに来て、じっと待機していたのを覚えています。それから沙也加さんお気に入りの原宿のブティックに車を走らせ、女性服の買い物に1時間半、付き合う。沙也加さんは30センチ近く背の高い夫の腰に手を回し、ひとときも離れたくないという様子でした」沙也加さんは仕事に邁進する母、松田聖子(59)から祖母の一子さんに預けられ、最も親の愛情や庇護の欲しい幼少期、とても寂しい思いをして育った。離婚について、沙也加さんはテレビでこう語ったことがある。「両親ともに芸事で、子どもっていうのがどうしても抵抗があって、一緒にいてあげられない側面が出てくるだろうなと」母聖子との確執は結婚披露パーティーに聖子を呼ばず、聖子は聖子で祝福コメントを出さなかったことで表面化。沙也加さんは幼少期のトラウマからか、ファザコンのように甘えさせてくれる年上夫と自分の城を構え、聖子からの完全独立をはかったのだろう。しかし、それも破局に終わってしまう。スタバで一心不乱に履歴書を書く姿が…「子どもの件は、たしか『そのときは僕が家庭に入るよ。だから君は安心して外で仕事をしておいで』と村田さんに言ってもらえ、前向きになれたと沙也加さんはおっしゃっていたと思います」(青山氏)有名な母親からの自立。演出家の宮本亜門は「ミュージカルやりたい、本当にうまくなりたいんですって、本物になりたいって何回も言ってました」と、オーディション合格を告げても有名な両親だから受かったのかと食い下がる沙也加さんの姿を語っている。「ミュージカル女優で認められる前、沙也加さんが、駅前のスタバで一心不乱に履歴書を書く真剣な表情が印象に残っています。もう何枚も。時給900円でのアルバイト経験をご本人がテレビで語っていましたが、まず自活するために必死だったのでしょう」(青山氏)頑張り、頑張って、自分ひとりの力で自分の地位を築いた沙也加さん。天国ではどうか安らかに。そう祈るばかりだ。松田聖子、涙で声震わせる 元夫・神田正輝と取材対応「申し訳ございませんでした。ありがとうございます」 デイリースポーツ 2021/12/21 17:1218日に札幌のホテルから転落して亡くなった女優・神田沙也加さん(享年35)の葬儀が21日、札幌市内で行われた。葬儀を終え、午後5時すぎ、父の俳優・神田正輝(71)と母で歌手・松田聖子(59)が取材に応じた。 沙也加さんは、1985年に結婚した神田と聖子の1人娘。2人は97年に離婚した。 神田が骨壺を、聖子が位牌を手に報道陣の前に姿を見せた。2人はまず一礼。神田が「大変申し訳ありません。本当にありがとうございます」と声を振り絞り、聖子はその間、頭を下げたままだった。 神田は「本当に身内の近親者のみで、お別れ…納骨…納骨というか、お骨にすることができました。みなさんご協力ありがとうございました。ただ、今、あんまり、2人とも話すようなことではないので、しばらくの間、そっとしておいていただけたらありがたいと思います」と気丈に話し、聖子が「本当にみなさん、お寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」と深く頭を下げた。 2人は涙を浮かべ、聖子の声は震えていた。 最後に神田が「ありがとうございました」と口にし、2人で頭を下げ、聖子を促すようにして、会場を後にした。松田聖子さんと神田正輝さん、沈痛に「そっとして」 2021/12/21 17:21 産経新聞18日に急死した女優の神田沙也加さん(35)の両親である俳優、神田正輝さんと歌手の松田聖子さんが21日午後、札幌市内の葬儀場で報道陣の取材に応じた。沙也加さんの遺骨が入っているとみられる白い箱を抱えた神田さんは、近親者のみでお別れをしたと明かし、「話すようなことではないので、しばらくの間そっとしておいていただけたらありがたいと思います」と語った。位牌を持った聖子さんは「寒い中申し訳ありません。ありがとうございます」と述べ、深々と頭を下げた。2人とも目に涙を浮かべ、沈痛な表情をしていた。神田沙也加さん荼毘に 正輝さん「近親者で別れ」 共同通信社 2021/12/21 18:33札幌市中央区の宿泊先ホテルで転落し亡くなった俳優の神田沙也加さん(35)の遺体が21日午後、同市清田区の火葬場で荼毘に付された。火葬を終え、取材に応じた父で俳優の神田正輝さん(71)は沈痛な面持ちで「近親者のみでお別れできた」と述べた。母の歌手松田聖子さん(59)も震える声で「寒い中、申し訳ございません。ありがとうございます」と深々と頭を下げた。 厚生労働省は悩みを抱えている人に対して相談窓口の利用を呼び掛けている。同省のホームページ「まもろうよ こころ」では、こころの健康相談統一ダイヤルなどの連絡先を掲載している。神田沙也加さん 母・聖子と父・正輝の胸に ピンクの骨箱が涙誘う デイリースポーツ 2021/12/21 18:3018日に急死した女優・神田沙也加さん(享年35)の葬儀が21日、近親者のみで札幌市内の斎場で行われた。葬儀後、父の俳優・神田正輝(71)と母で歌手・松田聖子(59)が取材に応じた。沙也加さんは、1997年に離婚した2人の1人娘だった。 神田が骨壺を、聖子が位牌を、胸に抱えるようにして姿を見せた。2人は報道陣に一礼。聖子は深く頭を下げ、しばらく顔をあげられなかった。 神田は最後のお別れを済ませたことを報告し、「みなさんご協力ありがとうございました。しばらくの間、そっとしておいていただけたらありがたいと思います」と言葉を振り絞った。 聖子は震える声で「本当にみなさん、お寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」と深く頭を下げた。2人とも涙を浮かべていた。 骨箱も位牌も淡いピンク色の布で覆われていた。 ネット上では「位牌と骨壷を見たら、本当なんだって思って涙が止まらないです。可愛らしい位牌とピンクは、聖子ちゃんが選んだんだろうな。沙也加ちゃん、パパとママが揃って迎えにきてくれてよかったね。どうか、安らかに…」「ピンクの骨壷の中に沙也加ちゃんがいるなんて、信じられなさすぎて泣けてきた 本当は会見なんてつらいだろうに」「かわいらしいピンクの骨袋を見た途端、沙也加さんの愛らしい姿や歌声を思い出して涙が出た」「ご骨壷や御位牌も沙也加さんらしいピンクだった 親よりも先になんて考えられない程辛い 涙止まらない そっとしてあげてほしい」「沙也加ちゃんお骨になってしまったんだね ピンクの可愛らしい覆袋が余計泣ける」「ピンクが沙也加さんらしかったです」「沙也加ちゃんのピンクに包まれた骨壺みてさすがに涙止まんない」などのコメントが書き込まれている。神田正輝と松田聖子 悲しみの帰京 正輝は終始うつむき帰路に 会見で「暫くの間そっと」デイリースポーツ 2021/12/21 21:1018日に死去した女優・神田沙也加さん(享年35)の父で俳優の神田正輝(71)が21日午後9時前、空路で北海道から羽田空港に帰京した。 白いマスクに黒のコート姿。右手には黒いバックを持っていた。関係者らしき男性とともに職員に案内され、外へ。終始、うつむき加減だった。 正輝はこの日、沙也加さんの母で歌手の松田聖子(59)とともに札幌市内の斎場で沙也加さんと最後の別れをして会見。「暫くの間そっとしておいていただけたらありがたいと思います」と話していた。 聖子もこの日、帰京した。神田沙也加さん急死の衝撃 主演のミュージカルは衝撃的な幕切れに 中川翔子や小島瑠璃子らが相次ぎ追悼「悲し過ぎる」 2021/12/21 06:30 zakzak宿泊先の札幌のホテルで18日、女優、神田沙也加さん(35)が転落死したことは、自殺を図った可能性も言及されており、芸能界に波紋を広げている。神田さんにとってはこの日、Wキャストで主演を務めるミュージカルの初日を迎えるところだったが、衝撃的な幕切れとなった。 神田さんは18日昼頃、札幌市内のホテルの14階の屋外スペースに血を流して倒れていたところを発見された。意識不明の状態で病院に搬送されたが、その後、死亡が確認された。 神田さんはこの日、主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の札幌公演(札幌文化芸術劇場)の昼公演に出演する予定だった。しかし、開演直前になっても連絡がつかなかったため、Wキャストの女優、朝夏まなと(37)が急遽(きゅうきょ)代役を務めることになった。 俳優、神田正輝(70)と歌手、松田聖子(59)の長女である神田さんは2001年に芸能界入り。02年には歌手デビューも果たしている。その後は、本名で活動し、その歌唱力が認められ、近年ではミュージカルを中心に活躍。映画「アナと雪の女王」シリーズではヒロイン、アナの吹き替えを務めるなど幅広い人気を集めた。 今回の「マイ・フェア・レディ」は札幌の後、来年1月まで東京など全国で上演する予定だった。さらに来年4月上演のミュージカル「銀河鉄道999」でもヒロインのメーテル役が決定するなど、仕事は順調だった。「もちろん当初は松田聖子の娘という看板が先行していましたが、自分の力で現在の地位を確立して、ミュージカルでは欠かせない存在になっていました。それだけに彼女を失ったことは、ミュージカル界にとって非常に大きな損失となるでしょう」と演劇関係者。 神田さんの死が報じられると、タレントで歌手の中川翔子(36)やタレントの小島瑠璃子(27)らが相次いでその死を悼んだと思われる投稿をSNSにした。 中川は19日未明に「胸が痛いです 遺されたご家族も」と投稿。小島も「何て悲しいニュース。悲し過ぎる」とつづっている。 神田さんは私生活では17年に俳優、村田充(44)と結婚するも、19年に離婚に至るなど母親だけでなく自身も山あり谷ありの人生だった。 「3カ月前に、音楽ユニット、ALICesの相方である歌手、黒崎真音(33)が配信ライブ中に硬膜外血腫で倒れるという衝撃的な出来事がありました。その黒崎がこの18日にはブログを更新し、リハビリを頑張っていることを報告したところだったのですが…」と音楽関係者も肩を落とす。詳細はまだ明らかでないが、神田さんの死は芸能界に大きく影を落としている。神田沙也加さん密葬、事務所も報告 転落原因は公表控える「本人の名誉と周囲の影響を踏まえ」 2021/12/21 19:28 サンスポ18日夜に急逝した女優、神田沙也加さん(享年35)の所属事務所は21日、公式サイトで「本日、ご親族のご希望により、密葬という形で家族にて葬儀を執り行わせていただきました」と報告した。 北海道警による検証結果について「事件性はなく、転落による多発外傷性ショックが死因であるとの報告を受けました」と伝え「転落の原因につきましては、神田本人の名誉と周囲の方々への影響を踏まえて公表を控えたく、お含みいただけましたら幸いです」とした。 そして「私共は神田との突然の別れに混乱しながらも、その事実と向き合い、神田を守れなかったという責任を真摯に受け止めております。神田の逝去に関して様々な報道がなされると同時に、ご心配のお声も頂戴しております。このような事態となりましたことを、お詫び申し上げます」とファンや関係者に謝罪。最後に「ご親族やご友人のプライバシーに関わるような記事の掲載、過剰な取材行為、インターネット上での根拠のない誹謗中傷に関しまして、お控えいただけますよう改めてお願い申し上げます」と配慮を求めた。沙也加さんは17日から主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の出演のため、札幌市の22階建てホテルの高層階に宿泊。18日午前11時頃、関係者から「部屋に鍵が掛かっていて、中を確認したが神田さんがいない」と110番があり、警察官が午後1時頃、14階屋外部分で、心肺停止状態で靴を履かずに雪に埋もれた沙也加さんを発見。午後9時40分に搬送先の病院で死亡が確認された。■神田沙也加(かんだ・さやか) 1986(昭和61)年10月1日生まれ。東京都出身。2001年、SAYAKA名義でCM「アイスの実」に出演し、芸能界デビュー。02年に歌手デビュー。06年に芸名を本名にする。14年にTRUSTRICKを結成し、19年に解散。昨年9月には女性歌手、黒崎真音(33)とALICesを結成。18年4月、第43回菊田一夫演劇賞を受賞。今年5月にはボカロカバー盤第3弾「MUSICALOID#38 Act.3」を発売した。157センチ。神田沙也加さん急死 直前のディナーショーで母・松田聖子は娘に触れず…複雑な母娘の関係 SmartFLASH 2021/12/22 06:00葬儀を終え、報道陣の取材に応じる神田正輝と松田聖子。言葉少なに苦しい胸の内を明かした 12月18日に急逝した神田沙也加さん(享年35)。俳優・神田正輝と歌手・松田聖子は21日、北海道・札幌市内の斎場で報道陣の取材に応じた。 神田は骨壺を抱きながら「近親者のみで葬儀をおこなうことができました。皆さんご協力ありがとうございました。あまり2人とも話すようなことではないので、しばらくの間そっとしておいていただけたら」と語り、聖子は「寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」と言葉少なに話した。 聖子は12月19日に、東京・港区のグランドプリンスホテル新高輪で開催予定だったディナーショー「SEIKO MATSUDA Christmas Dinner Show2021」への出演を取りやめ、その後大阪で予定されていたディナーショーも中止を発表した。 沙也加さんが急死する2日前、16日のディナーショーに参加していた長年のファンが当日の聖子の様子を語る。「ここ8年ほど、毎年クリスマスディナーショーに通っていました。お酒が飲み放題で約5万円。料理もおいしいですし、相変わらずの歌唱力で感動しました。例年と変わらず、『皆さまよいお年を!』で締めていました。フリートークのコーナーで、娘さんを話題にすることはありませんでしたし、これまで8年間、一度もふれたことはありません。沙也加さんとの確執は続いているのかなと思っていました。まさか2日後にこんなことになるとは…」 聖子は、18日当日も沙也加さんの訃報を知ることなくディナーショーをやり切った。大スタ―の母とその娘・沙也加さん。2人の関係について、「とても複雑なものでした」と語るのは芸能記者だ。「14歳のころのインタビューで沙也加さんは、母・聖子さんについて“母”というよりも、なんでも話し合えるいちばんの“親友”のように感じると語っています。それぐらい親子関係が順調なころもあったんです。しかし、2017年に俳優の村田充さんと結婚した際、聖子さんは結婚に反対だったらしく、深い亀裂が走りました」だが、沙也加さんへの愛情が薄れていたわけではけっしてないという。「沙也加さんの急死の第一報を聞いたとき、聖子さんは相当ショックを受けていました。正輝さんが沙也加さんと対面するために、札幌に来るのはすぐにわかったのですが、聖子さんは精神的なショックを受け、札幌まで来るのも難しいという話も出ていたほどです。結果的に、両親揃って北海道で葬儀をおこなうことはできましたが、あまりに悲しい親子の再会となってしまいました」(スポーツ紙記者)子に先立たれた親の心痛は、計り知れない。神田沙也加さん 事務所が葬儀終了を報告「転落の原因は公表を控えたく、お含みいただけましたら」 東スポWeb 2021/12/21 23:2018日に急死した神田沙也加さんの密葬が21日に札幌市内の斎場で営まれた。所属事務所の公式サイトが報告した。所属事務所代表の名義で、「ファンの皆様、関係者の皆様」という文書をアップした。「本日、ご親族のご希望により、密葬という形で家族にて葬儀を執り行わせていただきましたことをご報告申し上げます」とした。沙也加さんは宿泊先のホテルから転落したとみられている。「警察による詳細な検証の結果、事件性はなく、転落による多発外傷性ショックが死因であるとの報告を受けました。転落の原因につきましては、神田本人の名誉と周囲の方々への影響を踏まえて公表を控えたく、お含みいただけましたら幸いです」沙也加さんの悲報は日本中に衝撃を与えた。「私共は神田との突然の別れに混乱しながらも、その事実と向き合い、神田を守れなかったという責任を真摯に受け止めております」とつづった。神田沙也加さん ホテルに書き置き 人生のさまざまな思いつづるスポニチアネックス / 2021年12月22日 5時33分18日に札幌市内の宿泊先ホテルの22階から転落し、後に死亡が確認された女優神田沙也加さん(享年35)。そのホテルの部屋に、書き置きがあったことが分かった。警察は「遺書は見つかっていない」としており、いわゆる遺書とは異なるもの。そこには、沙也加さんのさまざまな思いがつづられている。 沙也加さんは、札幌公演に向かう前日に不調だった喉に関する診断が出ていた。「手術をして歌えなくなったらどうしよう」という不安な思いに加え、愛犬の死、恋人との恋の行方の悩みなど、苦悩が重なった。そんな中でも、人々を笑顔にするために全力でミュージカルに打ち込んでいた。書き置きには悩みだけでなく、周囲のさまざまな人への思いなどが、沙也加さんらしい言葉で書かれていたという。 沙也加さんは昔からモノを書くことが好きだった。2002年元日付のスポニチ本紙で女優と歌手のダブルデビューを報じた際、読者に向けた年賀状をイラストを添えて書いた。インタビューで話すことも、文章に書いてまとめていた。「昔から出会った人への感謝の気持ちなどを、よく手紙に書く人だった」と関係者。その文章力の高さにスタッフも驚かされ、作詞を勧めたほどだった。 “デビュー”も作詞家としてだった。13歳だった99年に、聖子のシングルのカップリング曲「恋はいつでも95点」をALICEの名義で作詞。歌手になることを当初は反対した聖子も、その才能を認めていた。レコード会社関係者は「沙也加さんは母親の偉大さを誰よりも理解していた。自身の詞を、偉大な母に歌ってもらえる喜びは大きかったのではないでしょうか」と振り返る。 芸能界を離れていた06年にも聖子のシングル「bless you」の詞、曲を上原純の名義で手掛けた。永遠の愛を歌ったバラード。♪時が流れても いつか眠る日も ずっと 君を想う I bless you――。母娘の永遠の愛はこれからも変わらない。「新恋人と正月恒例“結婚スクープ”のはずが何故…」神田沙也加さん(35)急逝 囁かれ続けた「母・聖子との微妙な関係」と「二股愛の悲しい結末」「文春オンライン」特集班 2021/12/22 06:10「雪がクッション代わりになって彼女を助けようと…」急逝した神田沙也加さん(35)が乗り越えてきた「壮絶ないじめの過去」と「恋愛トラブルの数々」 から続く 女優の神田沙也加さん(35)が急逝した3日後の12月21日、午後2時半頃、札幌市内の斎場に1台の霊きゅう車が入った。助手席には、位牌を手にした母・松田聖子(59)の姿があった。午後5時、聖子はかつての夫であり沙也加さんの父でもある神田正輝(71)とともに報道陣の取材に応じた。「あまり2人とも話すようなことではないので…」 愛娘のお骨を手にした神田は、「大変申し訳ありません、ありがとうございます。身内の近親者のみで葬儀を行うことができました。皆さんご協力ありがとうございました」「あまり2人とも話すようなことではないので、しばらくの間そっとしておいていただけたら」 と気丈に振る舞い、聖子もまた、「寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」と声を詰まらせ深々と頭を下げた。静まり返った会場では一部記者の心無い質問も飛んだが、2人を慰めるように、雪が深々と降り続けていた――。 北海道警は20日、神田さんの死因は外傷性ショックであると発表した。「『部屋の鍵が掛かっている。窓を開けたが人がいない』という神田さんの関係者からの110番通報があり、すぐに警察官が駆け付けました。しかし、既に窓下の14階の屋外スペースには雪が積もっており、部屋から下をのぞき込んでも神田さんの姿を確認できる状態ではありませんでした。 除雪後、神田さんが発見された時には通報から約2時間が経っており、神田さんは靴も履いておらず、既に心肺停止状態だった。警察は部屋にあった3カ所の窓のいずれかから転落したとみています。『コロナの影響で窓が開けられるようになっていた』との一部報道もありますが、部屋の窓は十数センチしか開いておらず、壊れてもいないことから、事故や事件性はないとみられています」(全国紙社会部記者) 「ママはよくて何故、私は駄目なの?」 昭和のアイドルの代名詞でもある松田聖子と、元石原軍団の神田正輝の娘として、生まれながらに注目され続けてきた沙也加さん。 スターの間に生まれた娘ということもあり、幼少期から苦労は耐えなかったという。沙也加さんは、2015年に出版した自著「Dollygirl」(宝島社)で過去に壮絶ないじめを受けていたことを告白していたことは #1 でも報じた。そして、母・聖子との微妙な関係もまた、これまで数多くのメディアが報じてきた。「自身は共演者と恋愛関係に発展することが多かった聖子さんですが、母であるが故でしょうか、娘の“職場恋愛”には厳しかった。沙也加さんからしたら『ママはよくて何故、私は駄目なの?』という気持ちは強かったのでしょう。『Dollygirl』では父である神田さんのプライベート写真が複数使われていたのに対し、母の写真は1枚も使われていないことが話題になりました」(スポーツ紙芸能デスク)苦しい恋愛も力に変えて女優として成長 思春期の頃からギタリストやミュージカル俳優など一回り以上年上の男性と恋をしてきた沙也加さん。周囲の反対を押し切り、一途に相手にのめり込んでしまうあまりに苦労をすることもあったという。「2015年頃交際したアイドル出身の年上俳優Aとの関係は不憫でした。彼の事務所マネージャーも公認の仲で、彼の稽古場にお手製のお弁当を差し入れする程でした。ですが、Aは沙也加さんとは別に、有名企業の社長令嬢とも付き合い、二股をかけていたのです。 Aはその社長令嬢と、内々で婚約を済ませ、ついには結婚してしまった。傷ついた彼女は酷く体調を悪くして、病院にも運ばれたことがあります。Aはその後、その社長令嬢とも離婚したと聞いていますが、沙也加さんが負った心の傷は深かったと思います」(Aの知人) 取材班は12月21日、Aに話を聞くため直撃した。だが、Aは「今、急いでいるので……」と答えるのみ。再度、質問を重ねると「いや、そういう事実はないと思っています」とだけ答えて、足早に去っていった。「恋をするたびに女優としてどんどん成長していった」 2017年4月には、舞台「ダンガンロンパ THE STAGE 2016」で共演した俳優・村田充(44)との結婚を発表。しかし、わずか2年で夫婦関係は解消され、2019年末に離婚が発表された。離婚発表後には元ジャニーズJr.の秋山大河(29)との交際が『女性セブン』に報じられた。「離婚発表後すぐの熱愛報道だったため、秋山のファンから不倫を疑われたんです。そのことによる誹謗中傷に悩んでいたものの、今年の5月ごろまでは沙也加さんと秋山は交際していました。一方、プライベートでは苦労も多かったけど、決して仕事の手を抜くことなく、むしろその度に女優としてどんどん成長していった気がします」(前出・スポーツ紙芸能デスク) 神田さんは2018年には日本演劇界最高峰の賞である菊田一夫演劇賞も受賞。”第二の母”と慕う大地真央がかつて主演をつとめた舞台「マイ・フェア・レディ」にも2018年に挑戦し、大地と同じイライザ役を見事に務めあげていた。結婚間近とも言われた“新恋人”の存在 そんな沙也加さんには「新たな恋人」の存在が囁かれていた。「今年10月ごろから『マイ・フェア・レディ』で共演する年下の若手俳優Bとの交際が噂され、あるスポーツ新聞はお正月恒例の大物芸能人が年内に『結婚する』というスクープを沙也加さんとBとでうつ予定をしていたほど注目を集めていました。 そうやって周囲が固唾を呑んで2人の関係を見守っていた最中の今回の出来事でした…。一見、交際は順調に見えていましたが、最近も2人の間に大きなトラブルがあり、それを解決するために沙也加さんが友人とともにいろいろ動いていたのですが、解決にいたらなかったようです」(舞台関係者) また、一部報道では、沙也加さんは喉を傷めていたこと、心療内科に通い、処方薬を服用していたことも伝えられている。 沙也加さんが宿泊していたホテルの上層階の部屋の窓からは札幌の街並みが一望できる。 テレビ塔や主演を務めるミュージカル「マイ・フェア・レディ」の会場となっていた札幌文化芸術劇場も目の前だ。35年というあまりにも短い生涯を唐突に終えた沙也加さんを悼むように札幌の街では21日夜も雪が静かに降り積もっていた。松田聖子、神田正輝が沙也加さんと最後のお別れ「親子3人の知られざる本当の関係」2021/12/21 20:32 AERA札幌市のホテルで急逝した女優の神田沙也加さん(享年35)。父で俳優の神田正輝(71)と母で歌手の松田聖子(59)が急きょ札幌入りし、亡き娘と悲しみの対面をした。 沙也加さんの遺体は20日、安置されていた警察署から札幌市内の斎場に運ばれていた。21日午後5時、松田聖子と神田正輝がそろって会見に現れた。 神田はお骨を持ち、「大変申し訳ありません。ありがとうございます。身内の近親者のみでお別れ、そして納骨というか、お骨にすることができました。みなさんご協力ありがとうございました。ただ、あまり2人とも話すようなことではないので、しばらくの間そっとしておいていただけたらありがたいと思います」 聖子は「本当にみなさんお寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」とだけ語り、深々と2度、頭を下げた。 2人とも涙をこらえ気丈に振る舞ったが、沙也加さんの死の真相については、一言も語ることはなかった。 沙也加さんは何か悩みを抱えていたのだろうか。 遺作となったミュージカル「マイ・フェア・レディ」は元宝塚歌劇団宙組トップスターの朝夏まなと(37)とダブルキャストで、舞台の主演をほぼ交互に務めていた。札幌公演は初日の17日、主演を朝夏まなとが務めた。翌18日は沙也加さんの主演の番で、正午から幕が上がる予定だった。ところがいつまで経っても現れなかった。 沙也加さんは18日午後1時頃、30センチほどの積雪がある中、高層階の窓から転落し、14階の屋外スペースで雪の中で発見された。同署によると、司法解剖の結果、死因は外傷性ショックだった。 なぜ22階建てのホテルの窓は開いたのか。ホテルにAERAdot.が取材したところ、経営幹部はこう答えた。「部屋の窓はコロナ禍で換気のために、最大15センチまでは開くようになっています。それ以上は開かないです」 一部では、転落防止用のストッパーを外せば窓はもっと開放できたという報道もあった。「いえ、ストッパーは普通では外れないですね。お客さまから窓を開けて欲しいというご要望をいただいても、15センチ以上開けることはしません。今回の件で、私どもも改めて検証しましたが、市販されているネジ回しやカナヅチなどの工具ではストッパーを外すことはできません」(同前) 自室以外から転落する可能性についても、ホテル幹部は否定した。「屋上へ行く階段は施錠してあったので入れないです。その他の窓は全て施錠してあります。お部屋の鍵で、自分の階しか入れないようにエレベーターもコントロールもされています。だから、他の客室階には基本的には入れないようになっています。他の階の人と一緒に行ったら別ですけれども……安全上の不備はありませんでした」(同前) 警察でも『ホテル側の安全管理上の問題はなかった』と発表した。窓に破損はなく、開いた状態だったという。 沙也加さんは何か悩みを抱えていたのだろうか。出演中の「マイ・フェア・レディ」の客入りを聞いた。同舞台は、東京・帝国劇場で開幕し、11月14日から28日まで東京公演が行なわれた。「日によりましたが、帝国劇場は満席になる日もございました。かなり多くのお客さまにご来場いただいておりました。空席のある日もあって、当日券の販売もしておりました」(東京公演関係者) その後、「マイ・フェア・レディ」は埼玉公演(12月4日)、岩手公演(12月10日、11日)を経て、17日から20日までのスケジュールで北海道・札幌公演が行なわれた。「17日の初日は朝夏まなとさんの主演でした。客入りは7割前後くらいでそこそこでしょうか」(札幌公演関係者) コロナ禍が収まっていない状況としては健闘していた。 親子3人の取材をしている芸能リポーターの城下尊之氏は、沙也加さんについてこう話す。「沙也加さんは最初、松田聖子さんに無断でアメリカに滞在していた時、短編映画に出て賞を獲ったんですよね。そこがスタートなんです。それで、聖子さんがこれはイケルというので、聖子さんがプロデュースする格好でデビューさせたんですよ。CMに出し、歌をうたわせ、その後、映画に出演させた。聖子さんは自分がスターになったのと同じような道を歩ませたんですよね」 神田一家はかつて、都内でも高級住宅街として名高い世田谷区成城付近で暮らしていた。近くには撮影スタジオがあり、芸能人が多く住んでいるところとしても知られている。 当時、その辺りに住んでいたという40代の会社員男性は、偶然、神田正輝さんと沙也加さんが歩いているところに出くわしたときを、こう振り返る。「もう25年以上前になりますが、幼かった沙也加さんと神田正輝さんが一緒に歩いているところを見ました。小田急線沿いで今は高架線になっている場所ですが、当時は電車が真横を走り、人がすれ違うのがやっとの線路沿いの脇道。薄暗い場所でしたがニッコリ笑って何か話していました。いまから思えば沙也加さんのために、あえてひと目が少ない道を神田さんが選んでいたのかもしれませんね」 実際、父娘の絆は強く、沙也加さんが亡くなった当日の午前10時にも、父親と電話で話していたと報道された。話は沙也加さんの幼少期に戻る。 最初の頃は母親の言うことを聞いていた沙也加さんだったが、そのうち聞かなくなったという。前出の城下氏はこう話す。「母親だから娘に対して、言い方がキツかったらしく、娘も母親に反発したそうです。母娘でいろいろやってみましたが、当初は、芸能活動がうまく行きませんでした」そんな中、沙也加さんの才能を見出したのが、演出家の宮本亜門さんだった。「亜門さんがオーディションで、沙也加は歌もできるし演技もいいというので、2004年に自分の舞台に抜擢したんです」 スターへの階段をのぼり始め、母親との関係がギクシャクするようになった。芸能プロダクション関係者はこう話す。「聖子さんはセルフプロデュースに長けていて、結婚、離婚でも何でも芸の肥やしというプロ意識の高い性格の人。対照的に、沙也加さんは地味な性格だった。聖子さんは何とか自分の娘を売ろうと、テレビ局や音楽関係者にプロモーションで売り込んだ。はたからは、沙也加さんに対してちょっと過干渉気味にも見えました」 沙也加さんは2017年に俳優の村田充と結婚したが19年に離婚した。聖子はこの結婚が気に入らなかったという。「聖子さんはとにかく無駄が嫌い。自分の結婚する相手は石原軍団の神田正輝さんだったり、お医者さんだったり、ある一定のポジションの人です。だから、村田さんとの結婚はお気に召さなかったんだと思います」(前出の芸能プロダクション関係者) 先の城下氏は、母娘の関係をこう言う。「言うこと聞かないからお小遣いをあげないみたいな親子ゲンカもあったようですよ。そういう状況の中、聖子さんはもう自分がプロデュースしていたらダメだと思ったんでしょうね。そこで、聖子さんのマネージャーだった人が、女優の大地真央さんのところにお願いに行ったのです」 2006年、沙也加さんは大地の舞台に出ることになった。「亜門さんの2004年の舞台から06年までの間、沙也加さんはアルバイトしたり、普通の生活をちょっと味わってみたりしていた。そして、大地さんの一級品の舞台に出られるようになり、歌もセリフも覚えた。沙也加さんは舞台漬けの生活で鍛えられ、開眼しました」(同) 大地さんの推しもあり、沙也加さんは次々に舞台に出るようになった。「本人もやる気で歌もうまいからミュージカルができる。ミュージカルができる舞台俳優はすごく重宝され、年に2本、3本と舞台に出るようになりました。目鼻立ちもハッキリしていて舞台にはプラス。セリフまわしもしっかりしていて、舞台の仕事が途切れることはありませんでした」(同) 舞台女優として順風満帆の人生のように見えた沙也加さんに、いったい何が起きたのか。沙也加さんを見てきたテレビ関係者は、こう話す。「松田聖子の娘というのは一生言われるので、沙也加さんもつらかったかも。ただ、35歳という年齢なので母娘の関係が原因ではないと思います」 成長してからの両親との関係はどうだったのか。「神田正輝さんは基本、放任主義ですね。親はいなくても子は育つというくらいの考えですが、何か相談されたら、できることはやるし、相談にも乗るというタイプです。母親とは村田さんの結婚に反対されて以降、距離ができたようですが、だからといって完全に途切れているわけではありません。適度に距離感を持って、何か必要な時には連絡とれる状態でした」(前出の城下氏) 沙也加さんは2018年発売した自著『Saya Little Player」(マガジンハウス)の中で、「マスコミから逃げている記憶も沢山ありますね。学校の外で待っているし、声もかけられる」などと辛い思い出もつづっていた。さらに、「私は数年に一度気持ちいいほどの伏線回収劇がある人生なんです。停滞に見えてた時間を『これがなかったらこうなってなかった』って答え合わせができるときが来る」とも。 そして、「最後に、私にとってファンの存在はすごく自慢!」と書いていた。ファンにたくさんのものを残して、沙也加さんは旅立った。神田沙也加さんと交際認めた前山剛久 亡くなる直前の「-レディ」で共演 「王家の紋章」でも デイリースポーツ 2021/12/22 17:01俳優・前山剛久(30)が22日、公式サイトで、18日に急逝した神田沙也加さんと「真剣なお付き合いをしており、将来を見据えたお話もさせていただいておりました」と明かした。所属事務所によると、前山は沙也加さんの死にショックを受け、憔悴しているという。2人は11月に開幕した沙也加さん主演の舞台「マイ・フェア・レディ」で共演していた。 前山は「-レディ」では沙也加さんと同じ『チームK』で、沙也加さん演じるイライザに思いを寄せるフレディ役だった。 今年8月に開幕した舞台「王家の紋章」でも沙也加さんと共演。ヒロインのキャロル(神田さん、木下晴香のダブルキャスト)の従者で実は間者というルカを演じていた。 沙也加さんは17年4月、俳優・村田充(44)と結婚し、19年12月に離婚を発表していた。 前山は1991年2月7日生まれ。身長172センチ。大阪出身。若手俳優集団「D-BOYS」のメンバーで舞台でも活躍している。《神田沙也加さん追悼》松田聖子が娘に願った「一番の親孝行」 過去インタビューで振り返る“母娘愛”の軌跡 2021/12/21 21:05 Newsポストセブン歌手・松田聖子(59)は、1985年に俳優・神田正輝(70)と結婚し、1986年10月に長女・沙也加さんを出産した。聖子がトップアイドルのまま結婚・出産を経たことは芸能史において革命とも言える出来事で、「ママドル」という新語まで生み出した。 1997年にリリースした『私だけの天使〜Angel〜』の歌詞は、聖子が愛娘である沙也加さんを想って書いたものだ。「天使」「宝物」「生きがい」と娘への愛情を歌う同楽曲のシングルのジャケットには、聖子と沙也加さん、母娘で繋いだ手の写真があしらわれていた。しかし12月18日、娘は母より先に短い生涯を終える。12月21日、聖子は北海道・札幌市内の斎場で沙也加さんと無言の対面をし、沙也加さんは荼毘に付された。 聖子にとって唯一の娘・沙也加さんの逝去はあまりにも早すぎる別れだった。聖子と沙也加さんが自ら答えたインタビューの内容から、母と娘の「絆」を紐解いていく。優しくてちょっと厳しい普通のお母さん まずは沙也加さんが8歳のころに行われたインタビューを振り返る。日本を代表するアイドル歌手である“聖子ちゃん”も、小学生の娘にとっては、優しくてちょっと厳しい普通のお母さんだったようだ。〈(沙也加ちゃんのお弁当は)変わらないですねえ。相変わらず卵焼きとかウインナー、アンパンマンのハンバーグ。(中略)お弁当に関してはいろいろいいますからねえ。『またピーマン入れるの』とか。『だったら持っていくのやめなさい』って。私、厳しいんです。まあ、リクエストも聞きますけど、基本的に“あれ作って”じゃなくて、“作ったものを持っていきなさい”のほうですから〉(『JUNON』1994年12月)〈(『母してる』と思う瞬間は)朝お弁当を作ってるときと、学校から帰ってきてもなかなか宿題や勉強をしなくて『まったくもう』って怒ってるときかなあ。でも、ときどき思うんです。これって、私が小さいころに母にいわれたのと同じだわって〉(同前) このインタビューで聖子は、インタビュアーから何気なく出た「セーラームーンソーセージ」という言葉にすかさず「そんなのあるの? どこに売ってるの?」と反応する場面もあり、娘の笑顔が見たい母親としての素顔を感じさせる。 しかし、沙也加さんが10歳の頃に両親が離婚。1998年に聖子が6歳年下の歯科医師と2度目の結婚(2000年12月に離婚)をすると、沙也加さんは米・ロサンゼルスの日本人学校に編入することになった。有名人の子どもということで、中学時代は壮絶ないじめも経験した。やがて17歳に成長した沙也加さんは、芸能界に興味を持った。芸能記者が語る。「1999年12月、沙也加さんは『ALICE』のペンネームで母・松田聖子の曲『恋はいつでも95点』に歌詞を提供しています。そして2002年5月、『ever since』で歌手デビューし、翌2003年には映画『ドラゴンヘッド』のヒロイン役で女優デビュー。実に華々しい芸能界入りでした。 2001~2005年ごろは音楽番組などで母娘共演することも多かったのですが、もともと聖子さんは娘の芸能活動には反対でした。それでもデビューするとなったら、母親として応援する気持ちに変わったようです」 しかし、鳴り物入りで芸能界デビューした沙也加さんは、「親の七光り」と大バッシングを受けることになる。苦悩しながら、なんとか自分だけの道を見つけようとする沙也加さんの姿は、母親である聖子の目にも眩しく映った。〈彼女の中には『母とは違う』という意識があるんだと思います。母はああやって、あんなふうに仕事をしてきたけれど、「私は私、私はこうなるんだ」という自分らしさのイメージがはっきりあるはず。それは、見ていてよくわかります。私にすれば、『すごいな、この人』と感心する部分をいっぱい持ってますもの(笑)〉(『LEE』2003年8月) 聖子は1990年に全米デビューし、母娘の時間がとれないことも多かった。同じ芸能界で沙也加さんの成長ぶりを間近で見て、自分の育児に一区切りがついたことをしみじみ実感したのかもしれない。〈子育てって、その人たちに合ったやり方があるから、どれが正しくてどれが間違ってるなんて、言えませんよね。たまたまうちはこうした形できて、ホントにいい子に育ってくれて、とてもいい関係です〉(同前) 悩み抜いた結果、沙也加さんは自分を見つめ直す時間が必要だと結論づけたようだ。2005年には所属事務所が〈高校卒業をひと区切りとし、この機会にゆっくりと時間をとっていろいろなことを勉強し、将来のことを考えたい〉と発表し、芸能活動を休止した。「私はひとりの社会人として母と向き合いたい」「彼女が本名の『神田沙也加』として芸能界に戻ってきたのは、翌2006年のこと。休止期間中は、『Lily』という名義でストリート系ファッション誌の読者モデルを務めたり、『上原純』というペンネームで聖子さんのシングル曲の作詞・作曲を行っていました。自分自身と向き合い、将来について考えていたようです」(前出・芸能記者) 2007年11月には、母娘の初ツーショットインタビューが『25ans』に掲載された。母親と同じ芸能という道を選んだ理由について、沙也加さんは〈あの環境で育って、表現することに憧れない、っていうほうが難しかったかもしれない〉と語っている。 当時の母娘はまるで友達同士のような関係で、仕事以外の話題では、しっかり者の沙也加さんが聖子の相談に乗ることもあったという。〈聖子「きっと沙也加が頼れるルームメイトみたいな気持ちになって、スイッチが入っちゃうのね」沙也加「そうそう。そんなときにふと、私も母と同じ顔して笑っていることに気がつくんです。ああ、母娘だな、って思っておかしくて。私もますます楽しくなります」(中略)聖子「最近はあなたが舞台に向かうとき、いつも“いってきまーす”って言うでしょ。そのときこそ、本当に楽しそうで、同時に頼もしいと感じるの。あんなに小さかった娘がこんなに成長したんだと、感慨深いですね」〉 2010年代に入り、沙也加さんの芸能人生は大きく動き出す。別の芸能関係者が語る。「もともとアニメ好きの沙也加さんは、2012年、テレビアニメ『貧乏神が!』で声優デビューを果たしました。女優業と並行して、1年以上前から声優の専門学校に通っていたそうです。そして2014年、ディズニー映画『アナと雪の女王』のアナ役の日本語吹替え声優を担当したのは、誰もが知るところです」 自信を得たことで、沙也加さんも母親と対等に向き合う意識が強まったようだ。〈私たちは母娘であると同時に、アーティストとして、そしてプロデューサーとして、先輩・後輩という関係。それぞれの立場、ファンの方々の層や扱い方がまったく違うからといって甘えるのは簡単かもしれないけど、私はひとりの社会人として母と向き合いたい〉(『JJ』2011年6月) その後も順調にキャリアを詰んだ沙也加さんは、人気ゲームを原作とした舞台『ダンガンロンパ THE STAGE〜希望の学園と絶望の高校生〜』で共演した俳優・村田充と2017年に結婚する(2019年に離婚)。「沙也加さんはようやく自分の歩むべき道を見つけられたようですが、この結婚をきっかけに聖子さんとの関係に溝が深まりました。結婚を機に沙也加さんは聖子さんの事務所から独立し、聖子さんも娘の結婚式に出席せず、『母娘の断絶』と世間の注目を集めました」(芸能関係者) 確執と和解を繰り返し、近年はメディアでお互いについて語る機会もなかった。しかし、聖子にとって沙也加さんが愛する娘であることに変わりはない。かつて聖子は、沙也加さんについてこのようにも語っている。〈究極には、心身共に健康であってほしいという、それだけなんです。心も体も健康であってくれれば、それが一番の親孝行〉(『FRaU』2006年7月) 我が子を失った母親の悲しみは計り知れない。神田沙也加さんが慕っていた大地真央はSNSに追悼コメント「さや やすらかに…… Love」報知新聞社 2021/12/22 19:12© スポーツ報知/報知新聞社 大地真央のインスタグラム(@daichimao_official)より 急死した神田沙也加さんが慕っていた女優の大地真央が22日、自身のインスタグラムを更新。思い出の写真を複数投稿し、追悼の言葉を記した。 大地のコメント全文は以下の通り。 「東京公演千秋楽 帝劇2階ロビーにて…後から送ってきてくれた写真 あったかい部屋でさ 寒さも忘れて… それが あたいのでっかい夢だよ チョコレートを食べて 暖炉にあたったら 胸も踊るよ すごく幸せ… 鳥の歌声で窓を開ければ 風やさしく吹いて 悩みも飛ぶ 誰かがあたいに 呼びかける言葉 あったかい優しい 愛の言葉を 夢みた 夢みた 夢みた 幸せ… 6代目イライザ・ドゥーリトル さや やすらかに…… Love 今年2月には舞台「ローズのジレンマ」で13年ぶりに共演し、神田さんは「近づいたとは思わないけど、萎縮はしなくなった。認めてくださっていたらうれしい」と話していた。 大地は高校卒業後、芸能活動を休止して飲食店でアルバイトをしていた神田さんを「芸事をやめたら、もったいない」と説得し、自身の主演舞台に誘ったこともある。「神田沙也加さんの取材、報道は冷静かつ慎重な対応を」協会が声明発表 日刊スポーツ新聞社 2021/12/23 14:55芸能人の権利を守る「日本エンターテイナーライツ協会」が22日、神田沙也加さんをめぐる一連の報道に関する声明を公式サイトで発表した。「私たちは、各報道機関、週刊誌、配信会社等に対して、神田沙也加さんの取材、報道または記事の配信について、冷静かつ慎重な対応をすることを求めます」と発表。18日に急死した神田沙也加さんの件について「その取材や報道方法、特に一部週刊誌報道等において、神田沙也加さんのプライバシーを侵害する報道もあり、行き過ぎである面があると考えています」とし「取材方法や報道内容については、大事な家族を亡くしたばかりのご遺族を苦しめるものも多くあります。国民の多くの方々は、各報道機関や週刊誌等に対して、ご遺族や関係者を苦しめるほどの取材も報道も一切期待していません。また、そのような記事の配信も期待しておりません」と訴えた。 続けて「各報道機関、週刊誌及び配信会社等に対して、ご遺族や関係者のために、冷静かつ慎重な対応をすることを求め、今後、芸能人が亡くなられた場合の取材、報道及び配信に関して、遺族やご関係者に配慮した一定のルールを作ることを強く期待します」と求めた。 また、神田さんの「プライバシーの権利」を強く主張し、「死亡に至った原因等は特に機微な情報でありプライバシー保護が強く求められますし、反論の許されない中での臆測に基づく報道は、死者の尊厳を侵害するおそれがより高まります。また、死者の尊厳への配慮を欠いた報道等は、死者のみならずご遺族の私生活上の権利や尊厳をも脅かすおそれがあります。事案によっては公益的要請から報道の自由がプライバシーの権利よりも優先される事態もあり得ると思いますが、少なくとも本件のような事案においてそのような公益性は見受けられず報道の自由はプライバシーの権利に劣後するものだと考えます」とした。「ずっと大好き」神田沙也加さんのインスタに集うファンたちの追悼…最後の投稿にはコメント1800件SmartFLASH / 2021年12月23日 18時35分12月18日に亡くなった女優の神田沙也加さん。21日には、父・神田正輝と、母・松田聖子によって葬儀が執りおこなわれた。同日、沙也加さんの公式HPでも、葬儀を終えたことが伝えられた。事件性はなく、死因は転落による多発性外傷性ショックだと警察から報告を受けたとしている。加えて「転落の原因につきましては、神田本人の名誉と周囲の方々への影響を踏まえて公表を控えたく、お含みいただけましたら幸いです」と綴られた。「2001年にSAYAKAとして芸能活動を開始した当初は、偉大すぎる親を持つことから、『親の七光り』と心ないバッシングを浴びたこともありました。葛藤を経て、2006年からは本名の神田沙也加として再デビューしています。以来ミュージカルを中心に活躍し、2014年の映画『アナと雪の女王』の日本語吹き替え版ではヒロイン・アナの声を演じ、多くのファンを獲得しました。近年では、実力ある舞台女優として自身の道を歩んでいましたから、若者の間ではむしろ神田さんの両親を知らない人も多かったほどです」(芸能ジャーナリスト)そんな沙也加さんの、あまりに突然の死に、ファンの悲しみは深かった。沙也加さんのインスタアカウントの最後の投稿は、1カ月前の11月18日。『マイ・フェア・レディ』の衣装に身を包む神田さんの笑顔があった。その投稿には亡くなってから5日がたったいまも、ファンたちが集い、コメントを寄せている。《沙也加ちゃんのアナが本当に好きでした。これからもずっと大好きですし、ずっと忘れません》《さやかちゃんの表現力に、いつも心動かされていました。ありがとう》《神田沙也加という女性が生きた事を一生忘れません。本当に素敵で魅力的な方でした!今もまだ信じられません》《どうかどうか天国では笑っていてください これからもずっとずっとずーーっとさやかちゃんの歌聞きます 大好きです》寄せられた追悼コメントは1800件を超えている。【日本いのちの電話】ナビダイヤル 0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル 0120-783-556(午後4時~午後9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)神田沙也加さん「自裁」の動機と遺書…恋人との確執、愛犬の死、母との断絶 日刊ゲンダイDIGITAL 2021/12/23 14:35公演先の札幌市内のホテルで急死した女優・神田沙也加さん(享年35)の葬儀が21日、父・神田正輝(71)、母・松田聖子(59)らによって営まれた。同日、沙也加さんの公式HPでは「ファンの皆様、関係者の皆様」と題した文面を掲載。事件性はなく、死因は転落による多発性外傷性ショックだと警察から報告を受けたこと、そして「転落の原因につきましては、神田本人の名誉と周囲の方々への影響を踏まえて公表を控えたく、お含みいただけましたら幸いです」とつづられていた。その動機を巡る報道が相次いでいる。発売中の「週刊文春」は、沙也加さんが今年10月から交際を始めた5歳年下の舞台俳優、前山剛久(30)との関係について悩んでいたと報じている。前山とは公演中だった「マイ・フェア・レディ」でも共演しており、部屋には、事務所宛てと前山宛ての2通の「遺書」が残されていたという。記事では、沙也加さんは、前山とその元カノのアイドルA子と三角関係にあったと報じている。彼女自身、前夫の俳優の村田充(44)と19年12月に離婚した後も、ジャニーズJrの秋山大河(29)との交際が発覚するなど、“恋多き女”とされてきたが、前山と同居するために内覧を済ませていた勝どきのマンションは、契約直前の12月中旬になって前山が同棲を白紙に戻したいと言い出し、ショックを受けていたという。■喉の不調も…さらに、母・聖子との7年に及ぶ断絶や、札幌行き直前、喉の病気が手術が必要なほど悪化していたのが判明したことにも触れている。そしてA子や前山の所属事務所に確認をしているのだが、回答はなく、沙也加さんの所属事務所も、前山との交際は認めたものの、「三十歳を超えた大人同士による恋愛でしたので、本人たちに任せておりました」としている。それらが事実だとするならば、沙也加さんは人知れずさまざまな悩みを胸に秘めていたことになる。■時薬に頼りすぎることなく一方、沙也加さんが飼っていた愛犬が最近、死んだことを報じたメディアもあった。さらに沙也加さんが、心療内科に通院し、処方薬を服用していたことは複数で報じられている。ベテラン芸能ジャーナリストの二田一比古氏はこう話す。「芸能人の自殺を疑われる事件では、マスコミは動機を巡り一斉に取材し、男女関係や家族関係、健康問題、借金問題まで、動機に至る諸説が出てくるのが常ですが、決定的な真相は最後まで分からないことがほとんどです。なんらかの悩みや問題を抱えていたとしても、それは本人のみぞ知ることなのです」11月9日には、沙也加さんは自身のインスタグラムにこう意味深な投稿をしていた。〈不甲斐なくて後悔で哀しくて、聴けなかった曲が、やっと聴けた。こればかりだったのに今日まで歌えることもなかった。新たに引き締まる気持ちもあるけれど、時薬に頼り過ぎることなく、今度こそ誠実に向き合いたい〉(※編集部注「時薬」とはどんなに困難があっても、時間がすべて解決してくれるという意味)胸の奥底に何らかの問題を抱えながら、突如、あまりにも短い生涯の幕を下ろしてしまった神田沙也加さん。今は冥福を祈るばかりである。NHK紅白も危うい松田聖子に「歌手活動危機」どん底憔悴、“ぶりっ子”を貫けるか日刊ゲンダイDIGITAL / 2021年12月24日 9時26分転落死した神田沙也加さんが「遺書」を残していたと週刊文春が報じ、ファンや関係者に衝撃を与えている。 沙也加さんが亡くなった18日、彼女の泊まっていた部屋の机には2通の封筒が置かれており、一通は事務所宛て。もう一通は舞台を通じて知り合い、交際していたという俳優、前山剛久宛て。沙也加さんは感情の浮き沈みが激しく、最近も精神安定剤を服用するなど、不安定な様子だったようだ。「沙也加さんは芸能界デビュー後も、聖子さんの自分本位な仕事ぶりに愛想を尽かし、この7年間は絶縁状態に。結婚式にも呼ばず、その報告すらしなかったというのですから母娘の断絶は相当だったのでしょう」(スポーツ紙芸能デスク) 聖子からの連絡には一切応じず、聖子は弁護士を介さなければ会話もならないほどだったと週刊文春は知人の話として、伝えている。そんな聖子を振り切り、芸能界でミュージカル女優としての地位を確立していった沙也加さん。聖子ファミリーを長く取材しているベテラン芸能記者の青山佳裕氏が言う。■「再びステージでマイクを握れるのか」「来年3月で還暦を迎える聖子さんは、いつまで『ぶりっ子』で通せるのか未知数な上、沙也加さんの悲報を受けた今、再びステージでマイクを持つエネルギーがあるかどうかも難しいように見えます。これまでどんな逆風や逆境にも屈することなく、セルフプロデュースを貫いてきた強気な聖子さんなのだから、また不死鳥のごとく蘇り、ファンを楽しませるはずだという声を関係者から聞きました。しかし、聖子さんは周りが声をかけるのもはばかられるほどの憔悴ぶり、どん底状態だといいます。このまま、きらびやかな世界から身を引いてしまうのではないかと心配するファンの声がよく分かってしまいます」 聖子は予定されていたディナーショーをすべてキャンセル。紅白出場も危ぶまれているが、愛娘を失った衝撃が癒えることはない。10歳の沙也加さんの前で母・聖子は仏頂面…神田正輝との“愛情格差”をベテラン記者は見た公開日:2021/12/22 13:50 更新日:2021/12/22 14:08 日刊ゲンダイデジタル35歳の若さで亡くなった神田沙也加さんの遺骨を手に、揃って会見した神田正輝(71)と松田聖子(59)。ふたりは憔悴しきった様子で言葉少なだったが、沙也加さんは、幼い頃からふたりの間で揺れ続けた人生をおくっていた。 1997(平成9)年に松田聖子と神田正輝は12年の結婚生活にピリオドを打ち、「聖輝の離婚」との見出しがスポーツ紙一面に躍った。このとき、沙也加さんは10歳。ベテラン芸能記者の青山佳裕氏が振り返る。「あれは聖子さんご夫妻が別居中のことです。神田正輝さんが外車のハンドルを握り、都内一等地の聖子さん邸へ。今や遅しと待っていたのでしょう、真っ先に飛び出してきた沙也加さんは満面の笑みを浮かべていました。そして大好きなパパの胸に飛び込むと、『ママ、早く早く』と玄関を振り返りました。そこでようやく現れた聖子さんは仏頂面を隠そうともしないでいたのです」 やがて向かったのが都内の寿司店。「久しぶりに両親が揃っての外食だったのか、沙也加さんは小さな手をパパの大きな手とつなぐと、もうひとつの手でママの手を握り、引っ張るようにして店内へ。はたから見ると、仲良し親子のようでしたけど、沙也加さんの姿が痛々しく、かわいそうでしたね」(青山氏)■“青い目の愛人”の前では一転して笑顔 聖子は当時、ニューヨークで知り合った「青い目の愛人」との関係を取り沙汰され、暴露本も出て、連日ワイドショーや芸能マスコミのカメラに囲まれていた。本人もそれを楽しんでいたのか、成田空港で取材エリアが過ぎ、階段を下りる途中で振り返った顔はそれまでの仏頂面が嘘のような笑顔、白い歯を見せていた。「神田さんも、同じ区内の高級マンションで優雅なひとり暮らしをしてらして、銀座とか赤坂のクラブのママさんらと浮名を流していました。両親とも、好き勝手に生きて、沙也加さんはその間で幼い頃から傷つき、悩んできたのだと思います」(青山氏)「沙也加を愛しているよ」 沙也加さんは2017年の結婚式に、母聖子の参列がなかったことで、確執の深さが表面化。一方、パパ神田正輝とは良好な関係を続けたようで、正輝はハワイ挙式にも出席しバージンロードを共に歩いたほか、沙也加さんがSNSで正輝とのツーショットを公開するなどしてきた。沙也加さんの著書「Saya Little Player」には「パパが何処に居ても 見えなくても 沙也加を愛しているよ」と直筆メッセージを寄せていた。 毎年10月1日、沙也加さんが誕生日を迎えると、電話で「ハッピーバースデー」を歌って祝福、音程が外れてしまい「オリジナルメロディー」と言われたりしながらも、愛情を示していたのだろう。「パパありがとう」と、お礼を言われていたそうだ。 そんな愛娘も、もうこの世にいない。両親を前に、沙也加さんは天国で何を思うのか。また、夭逝した娘に聖子は、神田正輝は何を語ったのか――。「次に生まれるときは、普通で平凡な家庭に生まれてきて欲しいと思ってしまいます、本当に」と青山氏は言っている。神田沙也加さん「しっかり一人暮らし」を送った”家賃10万円”マンション…派手さはゼロ、周囲に溶け込んでSmartFLASH / 2021年12月24日 6時0分「えっ、神田沙也加さん、このマンションに住んでいたんですか。神田さんの顔は見たこともないですし、そんな話は聞いたこともありませんでした。賃貸も分譲もある普通のマンションですよ。若い家族連れも多いですし」そう話すのは、とあるマンションの住人。本誌記者の質問に対し、神田沙也加(享年35)の訃報を知っていた住人は驚いた様子だった。神田が住んでいたマンションは、東京中央区の築地にある。賃貸部分の家賃は平均して約10万円。目の前には老人向けのデイケア施設があり、送迎用のバンが行き来している。このマンションに神田が一人住まいを始めたのは、`19年10月のことだったという。夫だった村田充氏(44)との結婚生活がうまくいかず、家を飛び出して住み始めたのがこのマンションだった。別の住人も驚いた様子で話す。「ここには長く住んでいますが、神田さんのことは聞いたことはありませんでした。亡くなられたんですよね。驚きました。まさかこんな庶民的なマンションに住んでいたとは…。派手な暮らしをしている様子はなかったので、まったく気づきませんでした」このマンションに入居した19年当時、神田は舞台で共演したジャニーズJr.のメンバーとの交際が報じられていた。そのメンバーは神田のこのマンションの徒歩圏内にワンルームの部屋を借り、二人は徒歩で行き来する姿も目撃されている。親の援助を受けることもなく、一人で生きていこうとする姿がそこにはあった。22日、悲しみの会見を終えた神田正輝(71)と松田聖子(59)の2人は、1時間差で別々の便で帰京した。娘の遺骨を大事そうに抱えていたのは松田だった。飛行機から降りた松田は母親に先導され、崩れ落ちそうになりながら紫の袋を慈しむように持っていた。これまで言われていた母子のすれ違いなど、微塵も感じさせなかった。神田が最後の日々を過ごした単身生活者用の部屋に、人が帰ることはもうない。松田聖子が紅白出場辞退、NHK発表 「周囲の人に迷惑かけられない」 日刊スポーツ新聞社 2021/12/25 17:58歌手松田聖子(59)が大みそかの「第72回NHK紅白歌合戦」の出場を辞退することが25日、分かった。この日、NHKが発表した。聖子は25回目となる紅白出場が発表されていたが、NHKは同番組公式サイトで「紅組で出場予定の松田聖子さんは、このたび出場をご辞退されることになりました」とした。18日、聖子の娘で女優の神田沙也加さんが35歳の若さで急逝。聖子は憔悴(しょうすい)し悲嘆にくれたといい19日、聖子の所属事務所が「松田は、未だこの現実を受けとめることが出来ない状態です」とコメントしたNHKは21日、紅白出場歌手の曲目を発表。しかし、聖子が歌う曲に関しては「後日改めてお知らせします」として出場可否、曲目ともに明らかにされなかった。22日に行われたNHKの放送総局長定例会見でも、担当者が出場について「聖子さんサイドのお気持ちを最大限尊重していく」と話していた。音楽関係者によると、「娘のためにもしっかりしないといけない」と、仕事に前向きな思いを口にしていた聖子だが、紅白のステージには多くの歌手が参加することから「周囲の人に迷惑をかけることになってはいけない」と、最終的に辞退を決めたという。 聖子は21日、沙也加さんの密葬が執り行われた札幌で最後の対面をし、斎場で沙也加さんの父で俳優の神田正輝(71)と気丈に取材に応じ「皆さん、お寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」と話した。三船美佳『旅サラダ』共演の神田正輝を気遣う「心でずっと寄り添っています」ORICON NEWS 2021/12/25 14:38タレントの三船美佳(39)が25日、自身のインスタグラムを更新。同日に放送されたABCテレビ・テレビ朝日系『朝だ!生です旅サラダ』(毎週土曜 前8:00)に生出演した三船が、長女・神田沙也加さん(享年35)を亡くした同番組MCの神田正輝(71)を気遣った。 三船は「言葉が見つからないまま神田さんにお会いしました」とし、「何も言えなかったけどお顔を見られて安心したと共に気丈に振る舞われてるお姿、、、旅サラダファミリーとして心でずっと寄り添っています」と支えになると誓った。そして「ご冥福を心よりお祈りいたします」と沙也加さんを追悼した。 この日の放送で神田は番組冒頭、正輝は「いつも僕が皆を守る立場で、今日は守られている雰囲気がある。ありがとうございます。僕は元気ですよ」と語り、笑顔を見せながら気丈に進行。スタジオに用意されたクリスマス装飾にふれ、向井亜紀が「この番組は30年かけて手作りで積み上げてきたものがあるので、きょうは普段どおり」と言うと、勝俣州和も「楽しいね(番組にしよう)」と呼びかけた。 沙也加さんについては、19日に所属事務所が「これまで神田沙也加を支えてくださった皆様にご報告させていただきます。2021年12月18日午後9時40分、神田沙也加(享年35歳)が急逝いたしました」と報告。その後21日には「本日、ご親族のご希望により、密葬という形で家族にて葬儀を執り行わせていただきましたことをご報告申し上げます」と伝えた。神田沙也加さん死去後初めて「マイフェアレディ」上演 ロビーに出演者のコメント掲出デイリースポーツ 2021/12/25 17:15 18日に急逝した女優で歌手の神田沙也加さん(享年35)が主演していたミュージカル「マイ・フェア・レディ」が25日午後5時、山形市のやまぎん県民ホールで、神田さんの死去が明らかになってから初めての公演が始まった。© デイリースポーツ 会場には朝香まなとらのメッセージが置かれた 神田さんが演じたイライザは、Wキャストの女優、朝夏まなとが務め、ヒギンズ教授役の別所哲也など、チームAが出演した。神田さんと同じチームKには、神田さんと交際していたことを明らかにした前山剛久やヒギンズ教授役で寺脇康文らが出演していた。 ロビーには朝夏と寺脇のコメントが掲出された。コメントはすでに発表したもので、朝夏は「生き生きとイライザを演じるさぁちゃんが眩しくて、歌声も大好きでした」、寺脇は、「イライザとヒギンズの二人三脚で作ってきたこの作品をこのまま続けることは今の僕には難しく」と出演をキャンセルする苦渋の思いをつづっている。神田正輝「僕は元気ですよ」気丈に振る舞う 「旅サラダ」生出演 2021/12/25 10:52 サンスポ俳優、神田正輝(71)が25日、大阪市福島区のABCテレビでレギュラーを務める「朝だ!生です旅サラダ」(土曜前8・0)に生出演。一人娘の女優、神田沙也加さん(享年35)を18日に亡くしたばかりだが、気丈に振る舞った。オープニングで神田は「おはようございます。2021年12月25日土曜日の朝です」といつも通りあいさつすると、周りを見渡し、「なんかいつも僕はみんなを守る立場。きょうは守られているような雰囲気あるな。ありがとうございます。僕は元気ですよ」と右手を振り、悲しみを隠す素振りを見せた。その後はいつも通りの進行に務めた。沙也加さんが札幌市内のホテルで転落死した後、3日後の21日には同市内で密葬が執り行われ、母で歌手、松田聖子(59)と神田が喪服姿で2人そろって公の場に現れたが、多くは語らなかった。番組終了から20分後にはタクシーで同局を後にした神田。外には多くの報道陣が集まったが、対応はなかった。向井亜紀 神田正輝の隣で「普段通り楽しく」も目が真っ赤「泣くの我慢してるの見て涙出た」 デイリースポーツ 2021/12/25 16:18タレントの向井亜紀が25日、サブMCを務めるテレビ朝日系「朝だ!生です旅サラダ」(土曜、前8:00)に出演。メーンMCの俳優、神田正輝の気丈ぶりに瞳を潤ませた。 神田は元妻で歌手の松田聖子との間の長女、神田沙也加さんが18日に急逝してから初めての生放送。オープニングから「いつも僕はみんなを守る立場だけど、きょうは守られている雰囲気」と話し、「僕は元気ですよ」と手を振って見せた。 その横でうなずく向井は目が真っ赤。「この番組は手作りで積み上げて来たので、きょうも普段通りで楽しく」と精いっぱい明るく盛り上げた。 その後、1時間半の番組が滞りなく進み、エンディングに。ゲストの女優・南果歩が「旅サラダは、神田を中心にすごいアットホームで癒されます。大ファンです」と話すと、神田は「旅サラダにはファミリーがいっぱいいるんです」とオープニングの話を受けるように、家族に支えられて生放送を乗り切った思いを吐露。向井はその話を聞き、目をしばたたかせ、涙を必死にこらえた。 ツイッターでは「向井さんが泣きそうで我慢しているの見て、涙が出た」「わかるよ、私だったらこらえきれない。プロってすごい」「最後、泣くのをこらえていた感じがします」「いまにも涙がこぼれそう」「私なら泣いてしまう」「向井亜紀が最後うるうるしちゃって話せなかったのは神田正輝の姿に感極まっちゃったんだろうな」「ただただすごいわ」と気遣う声が多かった。神田正輝がテレ朝番組に生出演「今日は守られているような雰囲気が」 日刊スポーツ新聞社 2021/12/26 05:00神田沙也加さんの父で俳優の神田正輝(71)が25日、司会を務めるABCテレビ制作のテレビ朝日系旅番組「朝だ! 生です旅サラダ」(土曜午前8時)に生出演した。沙也加さんの訃報には直接触れなかったが、冒頭で「いつも僕はみんなを守る立場。今日は守られているような雰囲気があるな。ありがとうございます。僕は元気ですよ」と笑顔で右手を振った。その後は悲しみをこらえ、気丈に進行した。この日は年内最後の放送。ゲスト南果歩(57)らとともにクリスマスの話題もまじえ番組は進んだ。終盤で神田は「来年はまた旅を続けたいと思います。俺ずっと旅しているんだけど」と笑わせ「旅サラダ、また来年です」とカメラに向かって両手を振り続けた。午前9時半、番組が終了。神田は同10時前、白いマスクをつけタクシー後部座席に座り、じっと前を見つめたままスタジオのある大阪市の朝日放送を後にした。© 日刊スポーツ新聞社 「朝だ! 生です旅サラダ」に出演しタクシーで引き揚げる神田正輝神田は18日朝も、同番組に生出演。その後同日午後9時40分、沙也加さんが急逝した。21日には札幌で執り行われた密葬で沙也加さんと最後の対面。斎場で沙也加さんの母、松田聖子とともに取材に応じ「しばらくの間、そっとしておいていただけたらありがたいと思います」と話していた。神田沙也加さん 支えるように手を握りしめ…恩人の死に憔悴の聖子救った気遣い 女性自身 2021/12/26 15:50「本当に皆さん、お寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございました」。12月21日、札幌市内で行われた神田沙也加さん(享年35)の葬儀後、報道陣の取材に応じた松田聖子(59)は声を震わせて、深々と頭を下げた。沙也加さんのお骨を納めた骨箱はピンクの骨袋に覆われて、聖子の隣に立つ神田正輝(71)の胸に抱えられていた。沙也加さんと聖子の関係は、これまでさまざまに報じられてきた。だが、記者が2人の関係性を考えるとき、思い起こされる場面がある。© 女性自身 2013年、通夜で亡くなった相澤秀禎氏と対面する聖子の肩に沙也加さんが手を置いて2013年5月。芸能プロダクション、サンミュージックの創業者である相澤秀禎氏(享年83)の通夜に、聖子と当時26歳だった沙也加さんが参列したときのことだ。相澤氏は聖子にとって、芸能界の“育ての親”で大恩人。10代だった聖子はデビューのために福岡から上京し、相澤氏のもとで下宿生活をしていた時期もあった。‘89年に聖子がサンミュージックから独立して一時は絶縁状態になっていたが、’06年から再び交流を深めるようになっていた。相澤氏は’11年の沙也加さんの10周年コンサートに聖子と並んで客席に姿を見せていたといい、沙也加さんにとっても縁のある存在だったようだ。通夜の日、数々のスターを輩出した相澤氏だけあって、著名人や報道陣が多く集まった。聖子は夜8時ごろに参列に訪れたが、その隣にはぴったりと沙也加さんが寄り添っていた。沙也加さんと聖子は、しっかりと手をつないでいた。そのつなぎ方は、沙也加さんのほうが母を支えているような様子だった。大切な人を亡くした母のことが心配だったのだろうか、ときおり、聖子の顔を心配げに伺い、自身も泣きそうな表情を浮かべていた沙也加さんが印象的だった。通夜の間には、故人と対面する母の背中に沙也加さんが優しく手を置く場面も。母に寄り添う沙也加さんの愛情が感じられた日だった。その5年前、『婦人公論』2008年4月7日号のインタビューで、聖子は沙也加さんについて次のように話していたことがある。《娘には、よく話を聞いてもらいます。彼女はとても慰め上手。私はすごく心配性で、たとえば直前に「歌詞を間違えたらどうしよう」とか心配になってくる。それを娘に言うと、「何を言っているの。歌は全部頭に入っているから大丈夫!」と背中を押して送り出してくれます。励ましてもらったり、教えてもらったり。なんだか母娘逆転気味です。(笑)》また、同じインタビューで聖子は、自身の母親との関係にも触れ、母と聖子、沙也加さんの3人の時間を次のように話していた。《沙也加と私は、まるで母の“娘たち”のような関係です。私と娘が一緒に、母に怒られるんですよ(笑)。夜遅くまでおしゃべりしていると、「二人ともいい加減にしなさい」と叱られるし。》温かい時間をともに過ごした家族との別れはあまりにも悲しい――。神田正輝「僕は元気ですよ」、沙也加さん死去後初めて生番組出演「みんなに守られている」 スポーツニッポン新聞社 2021/12/26 05:30神田沙也加さん(享年35)の父で俳優の神田正輝(71)は25日、司会を務めるテレビ朝日系情報番組「朝だ!生です旅サラダ」(土曜前8・00)に生出演した。沙也加さんの死去後、初めてのテレビ出演。番組冒頭「いつも僕がみんなを守る立場なのに、今日はみんなに守られているような雰囲気がするな。ありがとうございます」と共演者に語り掛けた。「僕は元気ですよ」と笑顔も見せ、カメラに向かって小さく右手を振った。共演の向井亜紀(57)は「この番組は30年かけて手作りで積み上げてきたものがあるので、今日は普段通り」と気遣った。 正輝は試食コーナーでは「久々にちゃんとしたご飯食べたんだけど。『旅サラダ』来て良かった。ご飯食べられた」と話し、しっかり食事ができない状態だったことをうかがわせた。女優・歌手・神田沙也加 誰もが納得するような理由を探るよりも…残した映像に静かな気持ちで向き合う 2021/12/27 15:30 zakzakその日の札幌は、最高気温が氷点下4度で今年初の真冬日。24時間積雪量は55センチと、1999年の統計開始以来、1位の値を更新しました。真っ白な雪世界に誘われるようにして、彼女は旅立ってしまいました。12月18日、女優で歌手の神田沙也加さんが、札幌市内のホテルで転落死の報。享年35。警察は事故死と自殺と両方の可能性から捜査を進めているとのこと。死の数時間前には、父親である神田正輝さん(71)にお誕生日を祝う電話をしていたといいます。主演を務めていたミュージカル『マイ・フェア・レディ』の公演中の出来事。来年以降も仕事はびっしり詰まっていたとのこと。仕事に脂がのって人生が一番充実しているであろうこの時期に、一体なぜ? 一体何が? と誰もが悲しみ、驚いたはずです。神田沙也加 急逝直前に恋人から罵倒されていた《音声が存在》 「週刊文春」編集部 2022/01/05 16:10昨年12月18日に急逝した女優の神田沙也加(享年35)。亡くなる直前に、交際相手の俳優と激しく口論する音声が存在していることが、「週刊文春」の取材でわかった。中には、「死ね」などと罵倒を受ける場面もあった。最初から結婚を前提とした交際だった 沙也加が交際していたのは、主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」でも共演していた俳優・前山剛久(30)。前山も沙也加の急逝を受け、「真剣なお付き合いをしており、将来を見据えたお話もさせていただいておりました」とするコメントを発表した。 2人は、昨年8月から上演されたミュージカル「王家の紋章」で初共演。交際をスタートさせたのは、9月下旬の千秋楽から間もない10月初旬のことだった。「沙也加さんが告白する形で交際が始まりました。最初から結婚を前提とした交際だった。精神的に不安定な面がある沙也加さんを、前山は支えていました」(前山の友人)当初は順調だった2人の交際。ところが、次第に前山と元カノの関係、将来の結婚などを巡って、口論が絶えなくなる。前山からの繰り返される厳しい言葉に… 問題の音声は、同棲生活を始めることを決めていたにもかかわらず、前山が沙也加に無断で契約した別のマンションを巡って、2人が口論する様子を収めたものだ。 音声には、「死ね」という表現も複数回出てくる。前山からの繰り返される厳しい言葉に、沙也加は涙声で応じていた。 前山の所属事務所に事実関係の確認を求めたところ、期日までに回答はなかった。 なぜ前山は、恋人だったはずの沙也加に罵るような言葉を浴びせるようになったのか。沙也加はそれをどう受け止めたのか――。 追記:前山が所属する所属するワタナベエンターテインメントは、1月5日、公式サイトで前山について「昨年末より心身に不調をきたし」、「治療に専念するため、当面は活動を休止させていただく」と発表した。 1月5日(水)16時配信の「 週刊文春 電子版 」及び1月6日(木)発売の「週刊文春」では、沙也加と前山が口論する音声データ、沙也加と前山が口論に至った経緯のほか、沙也加と母・松田聖子との紆余曲折、聖子と距離を置いた沙也加が最も信頼する男性の存在、前山の妹が明かす兄が育った環境、沙也加の恩人が語る彼女の素顔などについて報じている。
2021/12/19
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609は海雲台の佑洞の街の日常に溶け込んでいる。しかし、一歩郭内に足を踏み入れると人の流れが変わり、非日常的と隔絶した異質な空間が広がる。ただ、排他的ではなく情感豊な郷愁を醸し出す空間である。当ても無く609の郭内を行ったり来たりする。時々私の存在に気付いたアガッシが秋波を送ってくる。アガッシと軒先で世間話をしてみるとどこか懐かしさが込み上げて来る。^-^気が向けば登楼するが、無理にはしない。極めて狭隘だが、この人情味豊な空間に身を投じる時に幸せを感じるのである。再び戻って来れた喜びを噛み締め、609の姿を記憶に留める。暫し、佇んだ後この遊里の安寧なる存続を祈念し海雲台駅へ踵と返す。http://plaza.rakuten.co.jp/kohtei/diary/200607310000/ http://plaza.rakuten.co.jp/kohtei/diary/200607060005/ http://plaza.rakuten.co.jp/kohtei/diary/200607070001/【写真】は2000.3月当時の609である。屋根は青色に塗装されていない。近隣地域は未だモーテルは林立して居らず郭内にモーテルが建っていない。地下鉄2号線も未開通である。
2006/11/12
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姜保紅は、どうしてわずか14年間で平の科員から権力を持つ副市長へと飛躍的な出世が出来たのか。メディアは彼女を“火箭式幹部(ロケット式出世の幹部)”と呼ぶが、そこには隠された秘密があった。その秘密とは彼女が40人以上の上級役人と性的交渉を持ち、彼らにその肉体を賄賂として贈ることで出世を図ったことだったが、そのうちの17人は指導者クラスの人物だったことが確認されている。人々は姜保紅が自ら進んで己の肉体を上級役人に提供し、それと引き換えに彼らの推薦を受けて立身出世を果たしたことから、「“床上培養女幹部(ベッドで女性幹部を養成する)”」という中国共産党の伝統的なモデルを塗り替えたと面白おかしく噂し合ったものだった。昔の姜保紅を知る旧友はメディアの取材に答えて次のように語った。「姜保紅の頭には官界のことしかなく、関心があるのはより高い官界内の秘密情報と自身の出世だけで、明確で強烈な権力への欲望を持っている。ミスキャンパスであった時代には飾り気も何らの計算もなかった姜保紅だが、今では純粋な官界人間となり、“名利(名誉と利益)”に心を惑わされる人間に変わってしまった」。2019年1月26日付の「中国財新ネット」によれば、甘粛省の官界では、姜保紅が、その肉体を賄賂として提供することで出世を図っている、という噂は早くからささやかれていたという。とりわけ、武威市においては、その美しさが一際目立つ女性副市長の姜保紅と、当時は市党委員会書記として武威市の最高指導者であった火栄貴が、昵懇(じっこん)であいまいな関係にあり、火栄貴が密かに姜保紅の出世を後押ししていることは公然の秘密となっていた。1月21日に姜保紅と共に逮捕された56歳の火栄貴は、2010年1月に武威市党委員会書記、武威市人民代表大会常務委員会主任に就任し、7年以上の歳月を武威市の最高指導者として過ごし、2017年4月に突然免職となった。その3か月後に甘粛省政治協商会議「農業・農村工作委員会」副主任に任命されたが、2018年7月13日に失脚し、その1カ月後の8月10日に姜保紅も失脚したのであった。火栄貴がその権力を振りかざして収賄、公金横領、職権濫用の罪で処断されたことは文頭に述べた通りだが、調査によって火栄貴がその地位を利用して姜保紅以外にも多数の女性と肉体関係を持っていたことも明らかになったのだった。姜保紅女性漢族1974年4月15日生まれ出身:黒龍江省ハルビン市呼蘭区学歴:在職研究生を経て法学博士1997年7月:仕事に参加2008年12月:甘粛省維穏辦公室第2処副処長 2012年 1月:武威市招商局党組書記兼局長2012年 4月:武威市招商局党組書記兼局長、武威市政府副秘書長、市政府弁公室党組員2013年10月:武威市発展・改革委員会党組書記兼主任 天祝チベット族自治県党委員会副書記 県党委員会常務委員2016年11月~2018年8月:武威市政府党組成員、副市長 (商業・貿易・流通、教育、衛生、計画出産担当)
2019/12/31
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ご冥福をお祈りいたします。何度もためらった末に……玉川学園前駅「魔のホーム」から飛び降りた80代50代の母娘 2020/12/17 20:20「娘さんのものだと思いますが、青いリュックが落ちていました。停止した列車の下から、警察関係者がジーパンのような厚手のズボンを引きずり出すのも見えました」(目撃した男性) 11月28日午後11時7分、80代と50代の母娘は、猛スピードで駅を通過する新宿行きの特急ロマンスカーの前に、2人ならんで身を投げ出し、命を絶った――。防犯カメラには何度もためらう2人の姿が 現場となったのは、東京都町田市の小田急線玉川学園前駅の上りホーム。都心から電車で1時間弱の郊外にある、小さな駅だ。近隣に住む女性が語る。「ものすごいサイレンの音で目が覚めました。5台くらいの消防車と数台の救急車が、駅までずらりと並んでいました」 土曜の終電に近い時間帯の事故は、多くの帰宅客を直撃。新百合ヶ丘駅と町田駅間の上下列車が止まり、運転が再開されたのは1時間50分後、約2万4000人に影響が出た。 母と娘がホームに姿を見せたのは、事故の1時間ほど前。北風が強く吹きすさび、気温は10度を下回っていた。防犯カメラには、何度も飛び込もうとしてはためらう2人の姿が映されていた。週末の土曜日ということもあり、深夜の上りホームには人影も少なく、気づかれにくい状況だった。 都内では今年に入って自殺者が増えており、10月の自殺者は去年より85人増の255人を数える。玉川学園前駅が「魔のホーム」と呼ばれる理由 自殺防止活動を行うNPO法人「アプローチ会」の勝瀬烈氏は「高齢者は外出する機会が減ると、孤立と孤独を深めて自殺に繋がっていく。今年はコロナで働き口がなくなった女性の自殺も増えています」と話す。 実際、昨年10月の女性の自殺者数は全国で466人だったが、今年は851人とほぼ倍になった。 実は玉川学園前駅は、飛び込み自殺が多いことで知られている。近隣住民の中には「魔のホーム」と呼ぶ人もいるが、ホームドアもいまだ設置されていない。「各駅停車と準急しか止まらず、特急や急行がかなりのスピードを出して通過していく。上りも下りもホームに入る直前にカーブがあって、運転士からは見通しが悪いんです」(住民の男性)駅員も「今年は事故が多い」 今回の母娘もわざわざ別の駅から電車で来てこのホームを選び、上り列車が入ってくる側のホームの端から飛び降りている。 駅前のクリーニング店に勤める女性は同駅でのこんな体験を明かす。「7、8年前の夏に、下りホームで電車を待っていると、目の前で中年の女性がホームの線路ギリギリのところに座り込んだんです。片手に写真を持っていたので、誰かの後追い自殺を考えていたのではないでしょうか。私は震えて動けなくなってしまいました。すると学生さんが無理やり引っ張って助けたんです」 同駅の近辺では2010年以降、18件の人身事故が起きている。今年に入ってからはホームで3件の飛び込み自殺が発生しており、隣駅との間の事故を含めると4件に上る。駅員も「今年は事故が多い」と認める。“魔のホーム”の早急な安全対策が望まれる。(「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年12月10日号)
2020/12/18
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