路傍 〜メインは「桜隊原爆忌」

路傍 〜メインは「桜隊原爆忌」

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

KON助

KON助

カレンダー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

Farida@ Re:被爆68年 桜隊原爆忌 原爆殉難者追悼会(07/09) 初めてコメント致します。桜隊について検…
奥村 和子@ Re:被爆64年 2009年 桜隊原爆忌(07/17) 被爆64年 2009年 桜隊原爆忌 原爆殉難…
KONCON @ 発信する形 ねこままんさん、お読みいただいてありが…
ねこままん @ やっぱり我慢できずに・・・ やって来ちゃいました! ただ今 会社か…
ねこままん @ じっくり読みたい! ので、また今晩お邪魔します! これから…

フリーページ

2012年04月10日
XML
カテゴリ: 桜隊原爆忌

10 死しても女優であり続け=広岩近広
≪記事≫
          (毎日新聞 2012年4月10日 大阪朝刊)

 終戦の年の夏、六甲の坂道を新聞紙に包んだ氷を手にして、24歳の内海明子さんは走っていた。宝塚時代から可愛がってくれた園井恵子を助けたい一念だった。

 「熱が40度を超したというので額に手を当てると、それは燃えるような熱さでした。もう井戸水くらいでは役に立たないと思いました」。園井の本名・袴田トミから「ハカマちゃん」と言っていた内海さんは呼びかけた。「氷を買ってきてあげるから、ハカマちゃん、待っててね」

 園井は小さくうなずいた。ビタミン注射を打った左腕は倍以上に腫れ、皮下出血による紫色の斑点ができていた。

 兵庫県宝塚市の内海さんは、67年前に追憶の糸をたどる。「氷屋さんを探し当てても、ひとかけらも手に入らなくてね。断られ続けても、神様どうかハカマちゃんのために氷を与えてくださいと祈りました」。内海さんは句切って言った。「何軒目だったでしょうか、やっと1キロほどの氷を頂いたのです。解かしてはならないと新聞紙にくるんだ氷を持って、坂道を必死で駆け上がりました」

 園井がわずかに呼吸を保っていた中井志づさん宅に戻るや、内海さんはガーゼを氷で冷やした。そのガーゼを園井の鼻や口元にあてると、弱々しい声で応えるのだった。「あー、気持ちいいわ」

 内海さんはしんみりと続ける。「あのときは、うれしくてハカマちゃんの枕元で泣きました。この言葉が最後になろうとは思いもしませんでした」

 8月21日、園井は神戸で帰らぬ人となった。

 「心配のあまり脈をとっていたのですが……、ハカマちゃんの脈がかすかになって、プツッと切れてしまいました」

 一方、桜隊と同宿した珊瑚(さんご)座の女優・諸岡千恵子さん(84)は東京の自宅で、園井が死んだと聞かされる。「信じられないので、だって神戸で会ったとき、助かってよかったねと喜び合ったばかりよ--と言い返した覚えがあります」

 内海さんは園井に薄化粧を施した。「髪は少し薄くなっていましたが、苦しんだ顔ではなく、気品があって美しい、私の知っているハカマちゃんでした」

 園井は死に化粧までも映えていた。死してもなお女優であり続けた。

 一人息子の高山象三を骨揚げした俳優の薄田研二は、物言わぬ園井に手を合わせると、持っていたスケッチブックを開いた。園井の美しい顔を残したかったにちがいない。

 内海さんの夫で、宝塚歌劇団の演出家だった故内海重典氏は「私が愛した宝塚歌劇」(阪急ブックス)に書き留めた。

 <薄田さんはデスマスク(死顔)をスケッチしていた。(略)遺体を大八車に乗せ、六甲の焼け跡を縫って火葬場に運んだ。引き手は八田元夫さん、押したのは薄田さんと私だった>

 志づさんや内海さんら女性たちは、園井の遺体を乗せた大八車の後に従った。忍び泣きが六甲の坂道に降り注いだ。(次回は17日に掲載)

毎日新聞連載10PHO





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年05月31日 14時54分33秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: