【西洋陶器を求めて】 0
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テーマ日記「パラッとした 特性チャーハンの作り方」私が美味しくチャーハンを頂くには、西洋陶器の出番しかありません。百歩譲っても、陶器でチャーハン。まずは、フライパン。この、たち吉のお鍋で。陶器の温かみがしっかり伝わって。次に、盛り付け。先ほどのお鍋からでも良いですが、ご家族なら盛り付けて。西洋陶器のナルミから。レンゲも付いています。こちらのイッタラのお皿も良いかもしれません。西洋陶器でチャーハン。・・・・・・。なんという、テーマでしょう。なんともピンポイントで、私にはきびしい・・・。ちょっと私には無理があった、今日のテーマでした。*楽天以外のブログの方へのご訪問で、昨日は時間がかかりました。楽天ブログの皆様へは、コメント未完になり、すみませんでした。
2010.06.10
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テーマ日記「お勧め商品」これは時には、西洋陶器,洋食器の話も書きなさいとの指示なのでしょう。しかし西洋陶器の話は、キリがありません。気になる西洋陶器,洋食器,陶磁器の話を書きましょう。洋食器には、歴史的にいわれのある物が多くあります。例えば、フロッグサービス。ウェッジウッドのフロッグサービスは、エカテリーナ2世が注文した洋食器。エカテリーナのチエスメ宮殿にちなんで、カエルの模様が付けられました。チエスメ宮殿はカエルの住む池があり、カエルの宮殿とも呼ばれていました。いわれとはいえ、洋食器にカエルの模様は異色です。ましてや、良くも悪くもロシアの「女帝」であったエカテリーナの注文とあっては。カエル好きのエカテリーナ2世。女帝のイメージが、変わる気がしませんか?その他にも、リモージュの洋食器のデザインになったポンパドゥール夫人。西洋陶器の歴史を支えた、協力なパトロンでした。シャーロット王妃に愛された、クイーンズウエアなどは、身近な洋食器です。まだまだある、西洋陶器、洋食器の由来。みなさんも洋食器を手に、歴史の旅を。【過去の日記】 クィーンズウェア ―エカテリーナとウェッジウッド―
2010.06.06
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最初の合成宝石は、ルビー。量産的な合成ルビーの製造は、1905年。フランスの化学者ベルヌイが発見。2500℃以上の高温で、クロムを混ぜたアルミナを溶かす単純な手法で得られます。また色の悪い天然ルビーを、加熱して着色する方法もあります。さらに技術の進んだ合成ルビー。これを加熱処理した合成ルビーは、天然ルビーとの見分けはきわめて困難。意外に海外の産地で多い、合成や加熱処理。スリランカ、タイでは、加熱処理が盛ん。戦前戦後のアンティーク品には、合成ルビーが多くあります。天然の高品質ルビーは、1カラット150万円。しかし、合成ルビーは、1カラット24円。価格差は、実に100万倍。産地だから安心する。アンティーク品だから、本物と思う。その安心からのスキを見逃さない、偽物の罠。加熱品、合成品ほど色が良いルビー。本物はルビーは、しばしば色が悪いもの。見かけに惑わされない、真価を見抜く力。宝石は、いつもあなたを、試しています。【参考】 近山 晶,鉱物・宝石の不思議,ナツメ社,2005年.222P
2010.05.24
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ルビー、その成分は酸化アルミニウム(アルミナコランダム,Al2O3)。ルビー(紅玉)の名にふさわしく、アルミナのうち、赤いものだけをルビーと呼びます。サファイア(青玉)も、成分はルビーと同じアルミナ。青玉というものの、赤以外のアルミナコランダムは全てルビー。つまり、青以外、黄色、緑、ピンク、紫などのサファイアもあります。色の違いは、わずかな不純物で生まれます。ルビーの赤はクロム。サファイアの青はクロムと鉄、黄色や緑は鉄によります。イギリスの、戴冠式の王冠インペリアル・スイート・クラウンがあります。その中央の石は、ルビーと信じられてきました。イギリス王室所蔵の、361カラットのティムール・ルビー。王冠の石も、ティムール・ルビーも、今ではルビーではないことがわかっています。王冠も、英王室所蔵の石も、その正体はスピネル(MgAl2O4)。あきらかに、ルビーとは異なります。誤りと、混乱は、宝石の世界では絶えません。人の判断を狂わせる魔力。それが宝石と、普通の石の違いなのでしょう。
2010.05.23
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私の手元に、一枚の古い絵葉書があります。1910年頃の大英博物館の絵葉書。そこに写るのは、ポートランドの壷。ポートランドの壷。ジョサイア・ウェッジウッドが、ジャスパー開発のモデルとした古代ローマの壷。しかし、その絵葉書の壷は、こなごなに割れています。1845年、大英博物館のこの壷は、酔っ払いに破壊されました。そして、37の破片が失われました。長い月日が流れ、1987年、ようやく修復が終わります。140年の月日が流れていました。この絵葉書は、破壊直後の貴重な姿。ジョサイアのジャスパーのみならず、ポートランドの壷自体の修復にも長い月日がかかりました。これほどこの壷は、人を魅了した芸術。【ポートランドの壷】 現在のポートランドの壷【過去の日記】 私のブログを 支えてくれた -ウェッジウッド-
2010.02.10
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明治から盛んに作られた貧乏徳利。酒屋から借り、中味の酒を小売してもらうための通い徳利。それが貧乏徳利。東日本は美濃高田製、西日本は丹波立杭製、九州は肥前波佐美製の徳利でした。非常に多く製造され、今でも骨董市などではよく見られることでしょう。よく売れた貧乏徳利。特に関東大震災で徳利が破損され、特需に沸いたこともあります。しかし世界恐慌の不景気で、貧乏徳利の窯元は販売不振に陥ります。さらに打撃を与えたのは、ガラスの普及。透明で中味が見えて、安価で、大量生産できるガラス。第二次世界大戦の戦乱で、陶磁器やガラスが破損しても、貧乏徳利はその市場を取り戻せませんでした。貧乏徳利の生産性は、あまりにガラスに劣ったためです。完全に、世の中から消えたはずの貧乏徳利。しかし骨董好きの家には、知らず知らず集まってくる力強い生命力を持っています。貧乏徳利。貧乏の名に共感し、中味のない徳利をなげく。そんななやましい、酒に集まる居候なのです。【参考1】 貧乏徳利【参考2】 興倉伸司,矢島吉太郎,とっくりのがんばり,紀伊国屋書店,1998年,244P
2009.07.17
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少し変わった陶磁器を入手しましたので、ご紹介します。古いロイヤルウースター「Blush Ivory」です。Blush Ivoryは、赤味を帯びたアイボリーの磁肌が特徴。そしてアイボリーの磁肌は、丁寧に描かれた花の図柄で覆われます。1900年から25年間作られたとされますが、1800年代の製品もあります。古いものだけに、擦れ、汚れがあるのは残念。(高さ17cm、幅15cm)外蓋と内蓋。内蓋は汚れが良くわかります。古い西洋陶磁器には、歴史に裏づけされた包容力を感じます。(下中央にもBlush Ivoryをご紹介しましたが、ヒビがあります。その分、お安くなっていますが、ご注意ください。)* ******ブログのお休み中に、25万ヒットを迎えました。しかし奇跡的に、キリ番は確認済み。25万ヒット目も楽天ユーザでしたが、常連さんではありません。ニアピンは、249,999番目のしいな☆pinkroseさん、そして250,002ヒット目のLimeGreenさんでした。いつもありがとうございます。ブログ名「西洋陶器を求めて」らしく、25万ヒット目は陶磁器のご紹介でした。しかしこれからも、タイトル名と離れた話が続くことでしょう。迷走するブログ、これからもよろしくお願いします。
2009.06.14
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ガラスの長い歴史。様々な種類のガラス。それは、古代メソポタミア、エジプトなどの、ソーダ石灰ガラスに始まりました。紀元前1,400年のエジプトのガラスは、30%以上のソーダ(Na2O,CaO)を含みます。そして現代のガラスも、大部分はソーダ石灰ガラス。大きな違いは、ソーダが24%に減ったこと。ソーダを入れすぎると、温度を上げると融けやすくはなりますが、水に腐食されるから。古代中国の鉛ガラスは特殊です。43%もの酸化鉛(PbO)、13%の酸化バリウム(BaO)を含みます。身近なクリスタルガラスも24%以上の鉛を含み、高い光の屈折率を保ちます。カットグラスや、眼鏡に使われます。食器で役立つパイレックス。ホウ酸(B2O3)を含む耐熱性の高さは、皆さんも食器で重宝されていることでしょう。陶器の釉薬もガラスですから、ガラスなしには食器の世界は語れません。ますます種類を増やすガラスは、これからも私たちの生活を支えてくれることでしょう。虹色の輝きで、私たちの生活を包みながら。*「参考:ガラスの成分」・エジプトソーダ石灰ガラス: 63%SiO2‐20%Na2O‐9%CaO‐5%MgO・古代中国鉛ガラス: 34%SiO2‐43%PbO‐13%BaO・現代のソーダ石灰ガラス: 70%SiO2‐10%CaO‐14%Na2O‐3%Al2O3‐2%K2O (成分の合計が100%にならないのは、微量成分を省略したため)・クリスタルガラス: SiO2-PbO-K2O・パイレックス: SiO2-Na2O-B2O3【参考】 作花済夫,トコトンやさしいガラスの本,日刊工業新聞社,2004年,159P
2009.03.28
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ノリタケの森が、失われませんように。昨年末に、本社移転を決定したノリタケ。当初は「ノリタケの森」の存続を表面していましたが、少し揺らいでいます。原因は株価の急落。本社の土地の予想売却価格200億円で、ノリタケの株式の半分を購入できるとか。企業買収防止のためには、この200億円はとても魅力的。ただし本社の土地は売却ではなく、賃貸の方針。土地の活用として有力なのは、ショッピングモールの建設です。世界一とも思われる、貴重なオールドノリタケの博物館、ノリタケの森。日本の西洋陶磁器の歴史を語るノリタケの森が、これからもあり続けますように。【関連情報】 ノリタケの森ノリタケ 本社工場閉鎖 5年後めどに 国内外へ生産移管ノリタケカンパニーリミテドは19日、工業用砥石を生産する本社工場(名古屋市西区)を、5年後をめどに閉鎖する方針を明らかにした。工場の老朽化に加え、周辺の住宅地化が進んだためで、国内外に新設する工場に生産を移管し、本社は管理部門のみを残す。1904年(明治37年)以来、1世紀以上にわたる創業地での生産を終えることになる。 現在の本社工場の生産設備は、稼働から40年以上が経過し、設備の更新時期が迫っている。さらに、名古屋駅に近い1等地なので、工場として存続させるよりも再開発した方が有効活用できると判断した。また、工場周辺が住宅地になったため、騒音などの問題にも配慮せざるを得ないことなども、閉鎖の大きな要因だ。 本社工場の従業員は、他の工場への配置転換などで対応する方向だ。また、生産移管後の本社工場跡地は、マンション建設などを念頭に、都市開発業者に貸すことで、土地の賃貸収入を見込んでいる。本社敷地内の旧食器工場を利用した産業観光施設「ノリタケの森」については、規模縮小や廃止の可能性もあるが存続させる方向で詰める。 ノリタケは1904年、前身の日本陶器合名会社が食器の製造を始めた。1907年からは、食器製造の技術を生かして工業用砥石の生産を開始し、現在の主力事業となっている。一方、本社工場での食器生産は78年に中止している。 (2008年12月20日 読売新聞)
2009.03.20
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ローゼンタールが破綻しました。ドイツの陶磁器メーカ、ローゼンタールは、デザイナーの育成を目指した名窯。次々と、デザインの優れた陶磁器を生み出しました。しかし半面で、ブランドイメージが一定しない気もしていました。この様な、新しいねらいの名窯の破綻は、残念でなりません。救済されることを願います。昨日の日記は掲載が遅れましたので、少し様子をみてお返事させていただきます。独ローゼンタール:経営破綻 グループの高級食器不振で ドイツの大手陶磁器メーカー「ローゼンタール」は9日、南部バイエルン州の裁判所に破産手続きの開始を申請したと発表、事実上経営破綻(はたん)した。金融危機をきっかけとしたグループの世界的な高級食器の販売不振が響いた。 同社によると、親会社の大手陶磁器メーカー「ウォーターフォード・ウェッジウッド」(本社アイルランド)の破綻が直接の原因となった。ローゼンタール経営陣は融資先を探したものの、交渉が不調に終わり、資金繰りに行き詰まった。 ローゼンタールは1879年創業で、個性的なデザインで急成長した。1997年にウォーターフォード傘下に入り、日本も含め約100カ国で高級食器などを販売。しかし、安価な東欧製品などに押され業績が悪化し、人員削減などのリストラを図っていた。従業員は約1600人。 今後は売却先を探すとともに、地元バイエルン州当局にも支援を要請していく。(ベルリン共同)毎日新聞 2009年1月10日 20時15分
2009.01.12
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1月5日、衝撃の破綻を迎えたウェッジウッド。まさに250年の記念の年、ひとつの時代が終わりました。ジョサイアが夢を託したウェッジウッド。その英国を象徴する古窯の破綻は、英国経済そのものの破綻にも思えます。吸収合併が多い、陶磁器の世界。ウェッジウッドのブランドが消えることは考えにくく、他の陶磁器メーカに吸収合併されることでしょう。しかし現在、ウェッジウッドに吸収されているコールポートなどは、存続が難しいかもしれません。昔の日記を懐かしんでいました。ウェッジウッドでも「クィーンズウェア」、そして蛙の図柄の「フロッグサービス」は、エカテリーナ大帝が発注した伝統の図柄。【日記1】 クィーンズウェア ―エカテリーナとウェッジウッド―最もハンドペイントの手間がかかると言われるフロレンティーンターコイズは、1880年から続くグロテスク模様。【日記2】 未来は あやかしを呼び寄せる ―グロテスク模様―創業者ジョサイアは、月を愛するルナティック・ソサイエティの会員でした。【日記3】 月に 知識に 酔うほどに -ルナティック・ソサイエティ-進化論のダーウィンも、ウェッジウッド家。【日記4】 進化論とともに -ダーウィン展-ジョサイアの息子も、非凡な才能の持ち主。【日記5】 ジョサイア・ウェッジウッドの息子 -チャールズ・ダーウィンの伯父-コールポートの日記は、私のブログのコメントが0~1名の頃に書かれたもの。【日記6】 コールポート まだ兵庫県で開催中の、ウェッジウッド展はどうなるのでしょう。あの初日の壷なども、差し押さえでしょうか。【日記7】 日本初公開 初日の壷 ―ウェッジウッド展―今はただ、ウェッジウッドの復活を願います。****御返事の日記の予定を急遽変更しました。コメントの御返事日記は、後日掲載いたします。急な事件ゆえ、ご容赦ください。
2009.01.07
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古九谷焼の産地は、いまだに揺れています。1991年、東洋陶磁学会は、伝世古九谷は初期の伊万里焼との見解を示しました。つまり古九谷焼は、石川県で作られたのではなく、佐賀県の有田で作られたとされました。理由は、次の2つです。1.有田の窯跡から、古九谷焼に似た破片が出土すること。2.古九谷焼の土の分析結果が、有田の土と一致すること。また九谷古窯1、2号窯跡,さらには九谷A遺跡が石川県で発見されています。しかし例えば2号窯では、九谷焼の磁器は焼くことができないといわれます。それでも今日の本「古九谷の神秘」の著者の様に、「古九谷焼は石川産」を支持する人も多くいます。九谷焼は石川県。九谷焼の長い伝統は、今更、有田と言われても、急に変わらない気もします。産みの親より、育ての親。産地がどこであったとしても、陶磁器の素晴らしさは変わりません。【参考図書】 久藤豊治:「古九谷の神秘」,北国新聞社出版局,(2008年)277P******かずたく68さんのブログで、珍しいコペンハーゲンのイヤープレートの御紹介がありました。彩色のイヤープレートは珍しいので、ぜひご覧ください。○ カズタク68さんのブログ
2008.10.22
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陶磁器2話。*** 1話 ***私は中国の陶磁器は、基本的にはコレクション対象ではありません。理由は、あまりに偽物が多いから。それでも持っているものは、図柄が面白い陶磁器です。下の写真は、古い紹興酒の容器。手描きの図柄が面白い。裏面には、美術品の輸出許可印もあります。 こちらの陶磁器も、図柄は楽しい。しかし価値は、二束三文です。 今年は特に、あらゆるものの中国製品の信頼性が揺らいでいます。真面目に作れば、高い技能を持つ中国製品。もう一度、あの高い技能を、安心して堪能することはできないのでしょうか。*** 2話 ***カズタク68さんから、来年のコペンハーゲン、イヤープレートの情報を頂きました。101枚目のプレートは、いつもと違い生活感があります。2009年、フィギュリン情報もあります。早くも来年を意識することになりました。***今日27日と、明日28日は里親会。良いしらせが、ありますように。● 救いを待つ子達 ●
2008.09.27
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陶磁器の歴史に、万博は大きな影響を与えました。今日のお話は、西洋陶磁器と万博の歴史。【ヘレンド】1851年のロンドン万博。この万博でヘレンドはヴィクトリア女王に認められ、御用達となりました。この時、コーヒーセット「ヴィクトリアヒストリック」が作られました。1867年のパリ万博。ナポレオン3世の妃ウジェニーに、ディナーセット「インドの華」を買い上げられます。【ミントン】1851年ロンドン万博。ミントンも、青と緑の2個の巨大な花瓶を出品します。【ウェッジウッド】1851年ロンドン万博には、やはり大きな花瓶を出品しています。ロンドン万博には、ジノリの出品しています。いずれも、日本が始めて出品した1867年のパリ万博、そして薩摩・伊万里が大成功した1878年のパリ万博以前の話。【バカラ】ガラスのバカラは、1855年パリ万博でグランプリを獲得します。さらに1867年パリ万博には、高さ7.3mの大噴水や重さ100キロのシャンデリアを展示。作家ジャン・バティスト・シモンがデビューします。そして再度、グランプリを受賞。さらに1878年も、ジャポニズムを取り入れた作品を出し、三度グランプリを受賞します。【クリストフル】1855年パリ万博に、銀器を出品。グランプリ獲得。ナポレオン3世は、1,200人分の銀食器をクリストフルに注文します。1867年パリ万博に小サロン出展、1878年パリ万博でジャポニズムの作品を展示します。万博と深い関わりのある、西洋のメーカ。それにしても、1878年パリ万博のジャポニズムの過熱ぶりが偲ばれます。今日は、ちょっと変わったお話でした。でもたまには良いでしょう。ここは、西洋陶器のブログなのですから。【参考図書】 久島伸昭:「万博」発明発見50の物語,講談社,2004年,246P
2008.09.10
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8月は日本人にとって、戦争の思い出の月。軍盃を整理していました。軍盃は意識して集めているわけではありませんので、特に変わったものはありません。軍盃は、支那事変除隊記念など、やはり初期の戦争の物が多く見られます。敗戦色の濃い太平洋戦争末期では、軍盃どころではなかったのでしょう。盃には、様々な言葉が書かれています。「軽き刃に重き任務」、「守れ満州 起きよ国民」など。なかには、「色々とお世話になりました」と、お礼が書かれた盃も。人との別れが、そこにはあります。ある盃に、目が留まります。その盃には、「幹部候補生(氏名)」とあります。軍隊で昇格することが、この時代の若者の誇りだったのでしょう。たとえそれが、理不尽な命を賭した戦いだとしても。薄く壊れやすい盃に託された、数多の若者の声。その儚く、脆い盃は、たしかに彼らの声を、今に伝えてくれていました。 【過去の日記1】極めて効率的 - 原爆の正当化 -【過去の日記2】戦場から妻への絵手紙
2008.08.04
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突然ですが、この湯呑をご存知でしょうか?左が上から見たところ、右が裏の高台です。 1年ほど前に入手した、この湯呑。シーサが面白いものの、使いにくい湯呑として保管していました。底の穴は、焼成時の割れを防ぐためと思っていました。しかし、この湯呑の正体が、突然に判明したのです。話は変わりますが、紀元前1世紀ごろの古代ギリシアに、ヘロンという偉人がいました。数学のヘロンの公式や、蒸気機関を利用した自動ドアなどの数々の発明を生み出した人。まるで200年以上生きたかのように語られる、謎の人物でもあります。そのヘロンの発明のひとつに、「戒めの盃」があります。それは、サイフォンの作用を持つU字パイプがついた盃。ある深さまでは、水を注いでも何も起きません。しかし水を入れすぎると、一気に水が流れ出し、盃が空になります。サイフォンの原理によるこの盃。面白いので、ストローと紙コップで自作しようかと考えていました。しかし、そこで「八分茶碗」という名を知りました。沖縄の「八分茶碗」は、別名「教訓茶碗」と呼ばれます。写真を見て驚きました。まさにそれが、私の持つ謎のシーサの湯呑だったのです。さっそく、水を注ぎます。ある深さで、急に底からあふれ出し、空になってしまいます。そして、これが「八分茶碗」であることが、実証されたのです。用途の分からない物を持っていること。今までシーサがサイフォンであることに気づかなかったこと。八分以上に水を入れたことがなかったこと。ご指摘の箇所は、満載ですね。もし知らずに、お茶やお酒をたくさん入れていたら大惨事になるところでした。何事も八分目が良いという、戒めの茶碗の教え。コレクションも、ほどほどにということなのでしょう。しっかりと教えられ、そして危うくだまされるところでした。2000年以上を越えた、ヘロンの悪戯に。【参考】 「戒めの盃の原理」
2008.07.20
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少し前に、すずめのお話を書きました。その時に、私もスズメ柄の陶磁器を持っているとは思いつつ、整理の悪さからご紹介できませんでした。今回、コレクションを整理し、無事、発掘完了しました。写真が、そのコレクション。編み篭、ハンドル付きの菓子鉢です。メーカーは東洋陶器会社(現TOTO)のハンドペイント。蟻の様な虫を与える母鳥と、その餌を待つ雛の表情がかわいいでしょう。ノリタケではなく、東洋陶器というマニアックさも、私らしいでしょう。今日は、まるで陶磁器のブログの様な日記でした。時にはこういうのも良いでしょう。 【過去の日記】 「追い続ける 憧れを - スズメ -」
2008.06.22
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1760年代、イギリスに生まれた文化団体。その名は、ルナティック・ソサイエティ(ルナー協会)。協会員は自らを、ルナティックと呼びました。陶磁器のジョサイア・ウェッジウッドは協会員。ジェームズ・ワット、エラズマ・ダーウィンも協会員。ワットは蒸気機関の発明者。エラズマ・ダーウィンは、進化論のチャールズ・ダーウィンの祖父。一流の知識人が集うルナティック・ソサイエティ。そこでは、専門を越えた知識の交流がありました。ルナティック、その意味は狂気。月の光に惑わされるように、知識に深く陶酔する協会員。ルナティック、月の光に翻弄されて。導かれ、得るものは、天の啓示か、狂気の調べか。【過去の日記】 ルナティック - 月に恋 -【参考】 「私の英国物語」,講談社,1996年
2008.06.18
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ターコイズ、つまりトルコ石は、かつてはタイルや陶磁器の釉薬にも使われました。その色は、青味がかるほど高価です。青は含まれる銅による色。鉄が含まれると、緑がかり価値が下がります。トルコ石とは言いますが、トルコでは産出しません。大半はペルシャ(イラン)や、シナイ半島産。その後に、トルコを経由して運ばれたため、トルコ石と呼ばれます。偽りの名で呼ばれる、トルコ石。トルコ石は、最愛の人の危険を色の変化でしらせる。古代ペルシャ人は、その様に魔除けの力を信じました。危険を知らせるトルコ石。しかし、私にとってはお節介。もしウェッジウッドのターコイズが変色したなら、それこそ、私にとっては危機ですから。【参考】 トルコ石
2008.05.30
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白。マイセンの白。アウグスト1世に囚われたベドガーが、命乞いのため完成させた白い陶磁器。陶土に混じる鉄分は、陶磁器を赤く汚す。カオリンの発見で、錬金術師ベドガーが手にしたマイセンの白。監禁されたまま、酒と水銀で38歳で亡くなった彼が求めた白。赤。マイセンが求めた柿右衛門の赤。マイセンの白い陶磁器が嫌った鉄分から得られる赤。赤の原料、ベンガラは酸化鉄Fe2O3。これ以上、酸化することない究極の酸化鉄。このベンガラを石英,鉛から成る花浮(はなうき)と混ぜ得られる赤。青。中国汝官窯の青磁、雨過天青(うかてんせい)の青。究極の酸化ベンガラと対極の、酸素が不足した還元焼成の青。酸素が足らないことで得られる、美しい青。マイセンは白のために、鉄を嫌い、柿右衛門は赤のために、鉄と酸素を求め、汝官窯は青のために、酸素を嫌った。白と、赤と、青と。カオリンと、鉄と、酸素と。求め、嫌い、命をかけ。人を狂わす、陶磁器の世界。【懐かしい関連日記】 マイセンの歴史
2008.05.29
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天才時計技師、アブラアン=ルイ・ブレゲ。彼が考案した時計のメカニズムは、今日の時計部品の3/4。200年は、時計の技術を進めたとも言われます。その彼が、マリー・アントワネットから注文を受けた懐中時計。当時の先端技術の全てを投じ、費用と製作期間にいとめをつけなかったその時計。あまりのこだわりから、製作期間が長引きます。完成は、1827年のブレゲの息子の世代。マリー・アントワネットは既に、フランス革命で命を落としていました。彼女も目にすることができなかった時計。その時計は、その後に盗難に遭いつつも、私たちは見ることができます。本当に良いものを知る人。それを作る人、求める人。人は消え、やがて品物だけが残る。アンティークは、そこに残る、人の想いに魅せられて。【参考】 ブレゲ作 マリー・アントワネットの懐中時計【過去の日記】 私は何者か? ― マリー・アントワネット ―
2008.05.22
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古代から男女を問わず、顔に泥や顔料を塗ることが行われました。化粧には、古くから土や石が使われてきたのです。現代でもファンデーションに加えられる絹雲母。光沢や肌触りのよさを与えます。クレオパトラがアイシャドーにしたのは孔雀石。緑色にまぶたは、私にはなじめません。本来、アイシャドーは魔除けのためとも言われますので、よいのかもしれませんが。日本古来のおしろいは、とても有害なもの。原料が鉛ですので、深刻な鉛中毒を起こします。そのため、昭和9年に禁止されました。どうやら、女性は昔から石が好きなご様子。オイルや化学薬品を使う男性より、ずっと地球環境に優しいのかもしれません。だからといって、高価な宝石をねだるあなた。それは、いかがなものでしょうね。【参考1】 孔雀石【参考2】 絹雲母
2008.05.18
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にほんブログ村スプーンやフォークなどのカトラリーの材質。皆さんは、どれがお好みでしょうか?【ステンレス】最もポピュラーで、信頼性も高い材質。ステンレス(stain-less:さびない)の名のとおり、さび知らず。スプーン等では18‐10ステンレス、つまり18%のクロムと10%のニッケルを含むステンレスが多いかと思います。性能的には18‐8ステンレスで十分でしょうが、ニッケルをより多く含む高級ステンレスが使われます。ニッケルが多いと、さびがより発生しにくくなります。ラッキーウッドさんなどでは、18‐12ステンレスも使われていますね。【銀】銀のスプーンは、高級感や口当たりの良さから好まれるかと思います。湿度の多い日本では、長期間保管すると黒ずむのが難点ですが。銀や食器に使うと、抗菌作用があるとも言われます。もっとも、銀のスプーンが西洋で使われたのは、毒殺防止のため。中世の王族間では、毒殺が横行しました。しかし食事の中に青酸カリがあると、銀の食器が変色するので分かります。その毒の識別のために、西洋ではよく使われました。【洋銀】洋白、あるいはニッケルシルバーとも呼ばれます。20%前後の亜鉛と、5~30%のニッケルを含む、銅合金。やわらかく、加工がしやすいので、装飾性の高いカトラリーに使われるように思います。最近のニッケル原料の高騰で、価格も上昇気味です。難点は、やはりやわらかいことでしょうか。実際は、ステンレス、洋銀の上に、さらに銀めっきか金めっきが施されることが多いかと思います。今日は、理系の人が書く、西洋陶器のブログの様になりました。(笑)皆さんは、どれがお好みでしょう。私はやはり銀でしょうか。毒殺が、恐いですからね。< ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2008.03.27
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1880年から続く、ウェッジウッドのフロレンティーンターコイズ。その模様はドラゴン、フェニックスなど、洋食器に似つかわしくないデザイン。それは、あの伝統あるグロテスク模様。ルネサンスの新しい芸術が花開いた時代、グロテスク模様は描かれました。ラファエロがバチカン宮殿に描き、新しい装飾として定着します。あやかしの獣、幻とも思われる人ならぬもの。華やかな新時代に、それらは闇から現れます。光は常に、影をともなう。未来への期待は、過去の郷愁を呼び起こす。ルネサンスは、まさにその象徴でした。フロレンティーンターコイズ。鮮やかな洋食器の世界に忍び込む、グロテスクの獣たち。人の持つ、光と影が交錯する、午後のひととき。私は、そっと考えます。ルネサンスに似た、21世紀の未来の世界。その未来に忍び込むのは、如何なるあやかしなのでしょうか。
2008.03.22
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へなちょこを見たい。もちろん、未熟者の意味の「へなちょこ」ではありません。その語源となったという「へな猪口」です。明治14年か15年ごろ、新聞記者の野崎左文が「へなちょこ」の言葉を使ったといわれます。彼が手にした猪口は、へな土で出来ていました。へな土は荒壁を塗るときに使う耐火度の低い土。この土で作った猪口は高品質とは言い難く、そのため「へなちょこ」の言葉が生まれたといわれます。もっとも俗説ではありますが。野崎左文が見た猪口には、外側に鬼の面、内側にはお多福の面が描かれていました。そして酒を入れると、じゅうと音がして酒を吸い込んだと言います。この猪口を見てみたい。低音焼成のへな土。上物とはいえなくても、楽焼に相応しく、土味のある猪口なのでしょう。お酒を頂きます。へなちょこに、飲まれる前に。お多福様に、飲まれる前に。
2008.01.17
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明治末から大正、そして昭和初期に、たくさんの変わった道具が考案されます。それは特許制度の整備に伴った、アイデア商品の数々。「道具の謎とき」(INAX出版、1997)には、不思議な道具が謎ときで紹介されていて面白い。海外の道具もあり、新しい発見もあります。年末の大掃除の合間、この本をご覧になられて、休憩されてはいかがでしょう。ネットでは、残念ながら、この本にあるような珍品は見かけません。仕方がなく、骨董市では良く知られた「蠅取り器」をご紹介します。最近では、インテリアに使われる方も多い様ですね。道具。それは、積み重ねた知恵の証。そして、人が人であることの証。道具と共にあるとき、私は人であることを感謝します。○蠅取り器
2007.11.30
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茶碗という言葉は、うかつに使うといつも混乱します。結局は、お茶を飲む茶碗とか、ご飯を食べる茶碗とか言い直すはめに。抹茶碗も飯茶碗も同じ言葉なのは、本当に紛らわしい。日本人は陶磁器好き。食卓もインテリアも陶磁器に囲まれています。さすが世界最古の土器、縄文土器を、1万2千年前に生んだ国だけあります。海外最古7千年前のメソポタミアの土器を、遥かに凌ぐのですから。しかし磁器では遥かに中国に遅れ、室町時代まで日本にはありません。そして国産で磁器が作られたのは、1616年の伊万里焼。それまでは、磁器に憧れ、様々な陶器が生み出されました。白い長石釉をかけた志野焼は、白い磁器に憧れて作られた陶器です。伊万里焼の磁器の量産は、上流社会でのみ使われた磁器を庶民にも普及させます。そして上流社会の茶会で用いられた「茶碗」をまね、人々は一番大切なコメを「茶碗」で食べるのでした。そうして、庶民のとっての「茶碗」は、飯茶碗となったのです。今日も食卓に置かれた茶碗。私にとっての茶碗は、やはり飯茶碗です。ご飯を茶碗で頂きます。庶民であることに感謝して。
2007.11.22
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「徳利・盃図鑑」を眺めていました。骨董としては人気薄になっている酒器ですが、こうして眺めると面白いものです。面白いと思う一方で、警告する声も聞こえてきます。酒器の人気のなさは、日本酒離れが原因でしょう。しかしそれ以上に、「勝手はいけないもの」が多いのも原因かもしれません。【私が思う買ってはいけないもの(1)、貧乏徳利】価格が安く、見た目も面白い貧乏徳利。酒屋が客に小売用の酒を、貧乏徳利に入れて販売しました。貧乏徳利自体はレンタルですので、通い徳利となります。徳利には酒屋の店名も書かれており、宣伝効果もあるのです。しかしあまりに数が多く、その安さもあり、買いだすときりがありません。買いすぎに注意。購入は計画的に。【私が思う買ってはいけないもの(2)、備前焼 人形徳利,角徳利】価格は比較的高いが、面白い徳利。しかし備前焼特有の贋作が問題。多量に流通する中国製贋作に加えて、国内にも備前焼に似た陶器も多い。つくりは贋作も悪くはなく、土味,細部のつくりで区別が必要。備前焼と言えば、販売価格が高くなるのが問題。【私が思う買ってはいけないもの(3)、九谷の徳利】赤絵や五彩など種類も多く、図柄も面白い徳利。しかし吉田屋などの多くの窯元が、現在も新作を作り続けている。それ自体は良いことだが、新作が古九谷として売られることが多すぎる。裏に「角福」があれば、なんでも高く購入する消費者が多いも一因。時代を読む力が必要。書き出すときりがない警告の声。とはいえ、真作はやはり面白い。そのジレンマに、今日も本を眺めては、ため息をひとつ。
2007.10.14
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先日、ショップで花瓶に出会いました。それはイギリス コールドン窯の花瓶。特有のあまての陶質、無傷で、直径15cm、高さも15cmの手頃な花鳥柄。バックマークから、1963~1977年の製品と分かります。コールドン窯は1977年に廃業。マニアックですが、今は製造していないアンティーク品。自称1652年創業のイギリス最古窯ですが、一般には否定されています。さて、気になるお値段は・・・・52円!なるほど、私ぐらいしか欲しがらないわけですね。わかりました。それでは、保護することにいたしましょう。*さて、買い物の話をもうひとつ。いつも楽しい3ねこさんの会話を拝見させて頂いていますスコにゃんさんが、ねこさんのクッションを購入されました。私のブログからご購入頂いたとのこと。ありがとうございます。これからも、楽しいねこさんの会話を楽しみにしています。*皆さん、最近、何か面白い物を購入されました?
2007.10.02
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どうも私は、物をしまい込むのが好きなようです。それが証拠に、家にはたくさんの小引き出しがあります。しかも少し古い小引き出しが好きだから、手に負えません。たくさん積み重なった、黒ずんだ、少し歪んだ小引き出し。これほど小引き出しを買うなら、なぜ大きな箪笥を買わないのか。それは小引き出し自身が、コレクションの一部だからです。大きいもの、小さいもの。木彫りに、漆塗り。金具付きに、螺鈿細工。それらの引き出しには、おもに土人形や木彫りの小さな人形がぎっしり。引き出しにしまいこまれた人形たちは、どこにおられるか私も忘れています。ですから、時々、引き出しを開きます。そして引き出しの中の住人に、ご挨拶をするのです。今日もいくつかの土人形たちが、取り出されました。そして、いくつがしまわれました。しまわれた土人形たちに、次にお会いするのはいつでしょうか。小引き出しに空きがあるから、人形を買う。そして人形を買うから、それをしまう小引き出しを買う。この悪循環、人形たちの策略に、はまっているのかもしれません。
2007.09.23
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お盆の頃には欠かせないろうそく。しかし日本はもちろん、西洋でもろうそくはかつては高価なものでした。19世紀前半まで、ろうそくの原料はミツバチの巣からの蜜蝋、あるいはクジラの頭部の脂肪を原料とする鯨蝋でできていました。そのため多くの人は、臭いのきつい獣脂ろうそくで我慢していました。また芯は木綿などが使われたため、芯を切りながら使う必要がありました。これは後に綿撚糸の芯の発明により、芯切りの必要がなくなりました。本格的なろうそくの普及は、19世紀半ばに、原油からのパラフィンを原料とした蝋が使われ、価格が安くなってからです。ろうそくは、燃えて、融けて、消えてゆくもの。日本では、その様なろうそくにも絵を描きました。絵蝋燭には、蝋燭に絵が描かれています。また日本の和蝋燭は、原料をハゼ(櫨)蝋を基本とします。いつかは消えていく蝋燭の絵柄。つかの間の絵を愛でながら、日本の夏を感じようではないですか。
2007.08.11
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昨夜、雷雨の中、停電になりました。明かりが消えて、初めて明かりの大切さを知ります。昔の明かりは、灯火器で油を燃やして得ました。油に灯芯を浸して燃やす道具に、「ひょうそく」があります。また丸い壺に灯芯を立てる形の灯火器は「たんころ」。私はこの丸くて親しみやすい「たんころ」の方が良い。ろうそくが高価だった当時、シンプルなたんころも貴重な油灯火器。飾りも何もないたんころからは、当時の庶民の生活を窺い知ることができます。停電に理由をつけて、かすかな明かりを楽しむのも一興。台風、地震、雷雨。そんな自然の脅威との語らいは、明かりを消した夜にのみ可能だから。「たんころ」
2007.07.17
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「フランスのかわいいアンティークと雑貨たち」という本を眺めていました。ページを彩るリモージュの陶磁器、そしてアールヌーヴォーのガラス。エナメル彩色の香水入れに、小物入れ。ギリシアの神々を描いたカメオに、落ち着きのあるジュモーの人形たち。いつも不思議なのはシンブルの人気。シンブルとは指貫のこと。以前にも書きましたが、海外ではシンブルは人気のコレクターズアイテム。日本の骨董で言うと蕎麦猪口の収集と似ています。しかし日本ではあまり人気を感じません。私自身もシンブルは持っていないのです。ショップにも多くのシンブルがありますが、どなたか収集されている方は見えますか?
2007.07.04
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備前 常滑 丹波に 信楽越前加わり 見分けつかず伊万里 黄瀬戸に 朝鮮唐津織部 瀬戸黒 萩 薩摩新しかったり 古かったり仁清 乾山 なぜ多い楽焼見分けは 楽できず浜田庄司は 無銘の作品おれのはどれかと 問いかける寛次郎に 唐九郎お願い 銘を 入れてください魯山人は 恐いから今日も遊ぶ 陶磁器と欠けた壺の 何が良いそんな あなたに 画家猫カーチャ猫が生きていくには 幸せがいっぱい必要なんだ!
2007.06.09
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陶磁器に割れや欠けは付き物。割れた陶器を、悲しんでいても仕方がありません。「やきもの修理法」では、瞬間接着剤を併用した金なおしの手法などをやさしく解説。パズルの様な陶片を、接着剤の厚みに注意しながら貼り合わせる。割れた悲しみが、再生の喜びに変わる時。悲しみを喜びに変えるのは、あなた次第。ある場所に豪華な食事がありました。そこにいるのは飢えた人々。食事は食べても良いですが、必ず箸を使わなければ、恐ろしい拷問が待っています。しかし箸は背丈より長いのです。誰も食べることができず、飢えと拷問の日々をすごします。そう、そこはまさに地獄。別の場所にも、同じ食事と長い箸がありました。しかしそこでは誰も飢えていません。ふたりずつが仲良くお互いに、長い箸で食事を与え合っているからです。そうです。そこは天国です。天国と地獄。どちらも大きな違いはありません。ただ違うのは、そこで過ごす人々の気持ちに他ならないのです。天国と地獄。あなたが地獄と思う、その場所を、工夫次第で天国に変えることはできませんか。
2007.05.24
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北原照久さんの著書をご紹介します。価値があるというより、自分で楽しむために集めるもの。それを我楽多と呼びます。我楽多、それは時代の記憶。我楽多、それは個人の思い出。我楽多、それは職人のこだわり。我楽多、それはコレクションの楽しみ。子供時代のあの頃を思い出す、楽しい思い出がそこには詰まっています。雑誌の付録、貯金箱、人形、時計、ブロマイド、・・・・。思い出は、様々な我楽多に姿を変えています。日本が未来に夢見ていた時代。そんな時代を懐かしく思います。その時代の夢は我楽多に姿を変えて、今の私に活力を与えてくれるのです。
2007.04.18
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横浜にオープンした「ららぽーと横浜」に、マイセンのパイプオルガンが登場しました。恥ずかしながら、私はこのことを知らず、Erik Satieさんの日記で知りました。プロフィールのマイセンの孔雀の写真も頂きました。ありがとうございます。このオルガンは、カリヨン広場にあります。これはまさしく、ケンドラーも夢見たあのパイプオルガン。高さ5m、40鐘の白磁カリヨンと49本の白磁パイプオルガンからなります。規模こそはアウグスト王の夢より小規模ですが、これが日本にあることは特筆すべきでしょう。是非、本物を拝見したいと思います。演奏は1時間毎です。どなたかご覧になられたら、また感想を教えてください。感動で何か、日記のまとまらない私でした。
2007.03.25
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コレクターの世界は面白いものです。今日はなじみのない世界ですが、怪獣ソフビの本をご紹介します。空想雑貨店主 神谷僚一さん著の「怪獣玩具の冒険」。かつてのソフビメーカ マルサン。1966年に怪獣ソフビを発売し、1968年12月20日には倒産してしまいます。1967年7月には、会社名を株式会社マルザンに変更していますので、マルサンのソフビは特に貴重。現代のソフビと異なり、マルサンのソフビは不恰好。大きすぎる頭に、短足でバランスの悪い体形。元のキャラクターに似ていない独自のデザインの怪獣。分厚くて重いソフビに、違う地肌に塗装して色調整。こだわりのある好き嫌いの分かれるぼかし着色。必ずしも綺麗とはいえないこれらの特徴が、マニアの心をくすぐります。マルサンのソフビの時代、日本は急激に成長していました。日本が限界に挑戦していた時代でしょう。それに比べ、今の日本は何に挑戦しているのでしょう。奈良から愛知へ、そして東京への出張の新幹線で、そんなことを思っていました。東京に到着し宿泊。静かな東京で、休日だったことを思い出します。ソフビを眺める様な休養が少し必要かな。日記を書きながら、ふと、そんなことを考えたのでした。
2007.03.22
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岡山県備前市伊部の備前焼の作家のお宅には、以前によく御訪問しました。木村玉舟さんもそのひとりです。大変に造形に勢いがあり、置物などは見事な作品を作られます。昔、ご訪問した時も、窯出しの忙しい時でしたが、対応頂きまして、感謝しております。その時は、帰りに魚(カレイ)の壁掛けを購入させて頂きました。今日は置物が見つからず残念ですが、花瓶をご紹介します。伊勢崎純さんも人間国宝になり、相変わらず勢いのある備前焼。今後の進展を期待します。
2007.03.15
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中島誠之助さんの本に、骨董で贋作を騙されて買う人のタイプが載っていました。「騙されやすい人」1. 欲が深い人2. 出発点のレベルが低い人3. 適度に小金があり、教養もある人「欲が深い人」は、純粋に品物が気に入ったのではなく、この品物で儲けようという気がある人。「出発点のレベルが低い人」は、有名な骨董店ではなく、小さなお店ばかりを探して買う人。露天の骨董市やフリマ好きの方も注意です。「適度に小金があり、教養もある人」は、お役人や学者タイプの方で、退職金で適度なお金ができた人。このタイプの人は、特に大きな落とし穴にはまる可能性があります。露天の骨董市やフリマ好きの私は注意ですね。皆さんはいかがでした。中島さんの本は非常に多く、また重複した内容が多くの本に見られるのが難点です。この本も、今までの本を3~4冊分まとめて収録した様な内容です。ですから、中島さんに関しては、なるべく新しい本をご覧になるべきでしょう。ちなみに先日の永仁の壺事件についても、少し記載があります。皆さん、骨董,アンティークは贋作を購入しない様、ご注意ください。もっとも、そういう私が危ないのですが。
2007.03.12
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有名な永仁の壺事件を、今あらためて整理したいと思います。愛知県の道路工事現場から、鎌倉時代の永仁の銘のある古瀬戸の瓶子が発掘されます。それと同じくして、加藤唐九郎さんが古窯松留窯からの出土品として、古瀬戸の破片を根津美術館に寄贈します。文部技官の小山富士夫さんは、その破片と永仁の壺の一致から、この壺を鎌倉時代の古瀬戸と認めます。この騒ぎの中、2個の壺のうちの1個が海外に流出します。海外への壺の流出を恐れた小山氏は、文化財保護委員会に推薦して、壺を重要文化財に指定させます。1960年のこと。しかしその翌年、加藤唐九郎さんが、それは本人が過去に作った贋作であると告白します。また、あの松留窯も架空の窯跡でした。その結果、小山氏の権威は失墜し、自ら引責辞任します。しかし、石油会社の出光興産は、小山氏の才能を評価し、出光美術館の顧問に迎えます。今日の出光美術館の充実には、小山氏の影響も大きかったことでしょう。世間的には悲劇の主人公 小山氏に対して、加藤唐九郎さんは悪玉です。しかし唐九郎さんも、一度受けた人間国宝の称号を取り消されています。あまりに謎の多いこの事件。私が気になるのは、この騒ぎの渦中で消えたもうひとつの永仁の壺。おそらくかなりの高額で、海外に売られたのでしょう。この事件が、壺の高額販売の宣伝になったことは間違いありません。また唐九郎さんは、なぜ戦前に作った自らの作品を、嘘の窯跡まで利用してPRしたのでしょう。永仁の壺自体は、戦前の苦しい時代に、やむなく作った贋作です。さらにこの壺の偽造は、当初は唐九郎さんの息子の仕業とされていたのです。これは本当に唐九郎さんの作品でしょうか。人の真贋判定力が問われたこの事件。今では真贋の判定に、蛍光X線分析器が導入されています。後に再開した小山氏と唐九郎氏は、お互いに笑顔で握手したそうです。この事件の真相は何でしょうか。お二人が亡くなった今では、これ以上のことは分からないでしょう。あまりに有名なこの事件の後も、骨董界に変化はありませんでした。真作と贋作の違いは何か、その答えは今も捨て置かれたままです。
2007.03.10
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昨日のお話が少し重かったので、今日は洋食器のお話で一息入れましょう。今週、リモージュから、アビランドはご紹介しました。しかしリモージュには、多くの窯が存在します。そのひとつはベルナルド。1863年創立の王室御用達です。パリ万博で金賞を受賞した名窯です。もうひとつはレイノー。1849年創立の長い歴史があります。大量生産ではなく、注文生産を取る希少性が特徴です。今回もご紹介する商品がありませんでした。日本ではまとめてリモージュと呼ばれますが、それぞれに特徴や味わいがあります。一度、手にとって、洋食器との時間をお楽しみください。
2007.03.09
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Haviland、読みづらいこのリモージュの窯はアビランド。フランスを代表する名窯です。ニューヨークの貿易商デヴィッド・アビランドは、フランスの高品質の磁器に目を付け、アビランド窯をリモージュに開きます。1842年のことです。リモージュはルイ15世の時代には、あまりに多いセーブルの磁器の受注を補うために、セーブルの下請工場として稼動します。しかしその後にまた独立し、独自の磁器窯として活動します。そのリモージュに乗り込んだデヴィッドは、パリで行われていた絵付けもリモージュに統合します。その後、鋳造成型の採用、フランス初の石炭焼成窯の採用など、革新的な活動を行います。代表的なパターン、アンペラトリス・ユージェニーは、ナポレオン3世の后ユージェニーへのプレゼント。フランスの国賓接待ではセーブルが使われますが、唯一、このユージェニーは例外的に使用されます。アビランドは、まさにフランスを代表する名窯です。久しぶりに洋食器の話題でした。
2007.03.06
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最近では、オールドノリタケが購入しにくくなりました。価格が高くなったからではありません。中国からの贋作が多量に輸入されているからです。中国からの贋作はノリタケのみでなく、他の品物にも多くあります。そうなると、実際に手にとって見ないと、なかなか購入できません。ある程度信頼できるところから買う。これぐらいでしょうか。本来、中国製品の技巧は優れています。しかしながら、贋作はひどく乱雑な造りが多くあります。そのために、良い中国の陶磁器まで、安価に売られています。今日では、景徳鎮は雑陶器に近くなりました。せっかく中国は、国際的な地位が高まっています。贋作を止め、特許の盗用も止め、本来の中国の高度な工芸品を生み出して欲しい。切実に、そう思います。
2007.03.03
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備前焼。私にとって、最も身近な焼き物です。無釉の素朴な味わいからは、悠久の時間を感じます。今日は備前焼のお話で、一息つきたいと思います。中村六郎さんの徳利がありました。六郎さんは、大酒飲みで有名です。酒をこよなく愛する六郎さんの作品といえば、やはり徳利です。人間国宝 金重陶陽に師事した経歴もありますが、その経歴よりもその人なりが魅力です。中村六郎さんの陶印は、魯山人に良く似ています。間違える人がいないかと心配です。もっとも焼きで分かりますが。その中村六郎さんも、今はもういらっしゃいません。平成16年に亡くなられました。昨日は備前のぐい呑みでお酒を頂きました。悠久の時間を感じつつ、すごした時間でした。
2007.02.28
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日本には古い鍵、つまり和錠として4つの代表的なものがあります。徳島の阿波錠は、装飾が豪華。高知の土佐錠は、大型で頑強。鳥取の因幡錠は、大型で薄手。鳥取の安芸錠は、大型鍛造製。今日はねこさんも錠前になっているけど、きみは除外するよ。和錠は実用品ですが、美術品でもあります。しかしその装飾は、錠前が富の象徴であることから、権力のあかしとして生まれたものでもあります。豪華な錠前は、そのために作られました。今日でも錠前や鍵の役割は、一層高まっています。私たちの安全を守る大切な道具として。役割を変えながらも、私たちにとっての鍵の重要さは変わりません。道具は使う人によって、良くも悪くもなります。錠前になって、私たちを守ってくれるねこさん。きみたちが泣かないように、道具は正しく使うことにするよ。
2007.02.26
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浮き彫り彫刻を施した宝石は、カメオと呼ばれます。カメオ、それは2色の宝石を意味します。沈み彫りの宝石、その呼び名はインタリオ。カメオはその美しさとは裏腹に、多くの戦火を経験してきました。その貴重さゆえに、戦利品として略奪されてきたためです。カメオを愛したナポレオンと、その王妃ジョセフィーヌ。ふたりは愛し合いながらも別れ、悲劇的な死を遂げます。今日、大英博物館のコレクションには、貴重なカメオがあります。それはアゲート(メノウ)でも、シェルでも、サファイアでもなく、ダチョウのたまごに彫られたカメオです。名もない農夫がたわむれに彫ったと思われるこのカメオは、争いを知らない純粋な美しさを今日に伝えます。私たちは、カメオを前に考えなくてはなりません。私たちが後世に残すもの。それは、ジョセフィーヌの悲しみでしょうか。それとも農夫の微笑みでしょうか。 ">
2007.02.19
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洋食器によく見られるラスター彩。白釉の上に金属酸化膜を薄く塗り、特有の虹色の模様を発色させる技法。虹色の模様は、タマムシ等の昆虫でもみられます。虹色の模様は、自然にも多くある色彩。反射する基材の上に薄い膜があると、膜の表面で反射した光と、膜を通過し基材で反射した光とで干渉が起きます。つまり見る向きよって、特定の色の光が強まったり、弱まったりするのです。その強め合う光の反射率は8%程度。それでも他の単一色より強い光で、自然界では注目を集めます。そのため昆虫も、虹色の模様を採用してきました。人もそんな輝きに魅かれたのか、ラスター彩を古くから使いました。今日もまだ使われるラスター彩は、人類の光への憧れを伝えているのかもしれません。
2007.02.16
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ヘキスト。マイセンに次ぐドイツ第2の古窯。マイセンが守り続けた陶磁器の秘法を、レーヴェンフィンクが裏切り流出させた。彼が開いた工房では、当初はファイナンスを製作する。ファイナンスとは粘土表面に薄い釉薬を塗ったもの。レーヴェンフィンクでは、磁器は作れなかったのでしょうか。1746年のヘキスト設立のわずか4年後に、レーヴェンフィンクは解雇される。その後のウィーンからの技術により、ヘキストはようやく磁器の生産を開始する。ヘキストの代表的な図柄には、小さな青い花と葉のやぐるま菊の模様がある。小さく散らばる花や葉は、当初は劣った技術による白磁表面のしみを隠すため採用された。ヘキストの全盛期は、18世紀後半に天才造形師メルヒオールによって築かれる。宮廷お抱え造形師として庇護されるが、選帝侯が交代後は冷遇され、ヘキストを去る。しかしその後の二つの工房で、彼がかつての輝きを見せることはなかった。またヘキストも、彼を超える人材は得ることはできなかった。メルヒオールが得意とした子供のフィギュリンは自然体。そのフィギュリンは、可愛さよりも、やんちゃないたずらっ子。子供の傍に置かれた玩具のフィギュリンには、彼の亡くした実子たちへの思いがある。自然に、あるがままに。その伝統は、今もヘキストに引き継がれている。
2007.02.13
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1773年、ロシア・ロマノフ朝のエカテリーナ大帝は、ウェッジウッドに952点のディナー・サービスを注文した。その一点、一点には、英国の風景を手描きするという条件で。3年はかかると言われたこの注文を、ウェッジウッド社は1年でこなす。クィーンズウェアの名を許されたウェッジウッド 社の躍進のきっかけ。紋章の様な蛙の図柄が入ったこの洋食器は、「フロッグサービス」と呼ばれた。なぜ、かえるか? それはこの食器を使う宮殿のそばに、蛙のたくさんいる沼があったから。おしかったね、ねこさん。きみたちが宮殿のそばに居れば、今頃は「キャットサービス」だよ。でも無理だね、きみたちはじっとしていないから。それにこの名前は宅配便みたいだから、やっぱり蛙でよかったよ。
2007.02.07
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