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にほんブログ村 名古屋の中心部で化石探し、第7回目。第6回目の東桜会館の真北へ300m。徒歩5分ほどの場所に、民間の印刷会社があります。民間起業ですので社名は伏せておきます。【東区 印刷会社での化石探し】 〇探しやすさ: ★★★★★ 〇化石数: ★★★★ 〇アクセス: ★★★ 〇人の往来; ★★建屋外壁に化石があります。石材は「ジェライエロー」です。アンモナイトが目立ちます。石材は少々傷んでいます。民間企業で詳細が書けないのが残念です。【記事のリンク】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編1)【記事のリンク】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編2)【記事のリンク】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編3)【記事のリンク】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編4)【記事のリンク】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編5)【記事のリンク】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編6)【 貨幣石 化石 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.27
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にほんブログ村 「名古屋市 中部電力 東桜会館で化石探し」の続きです。【前回の記事】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編6)ハプニングは、私が不審者視されたこと。東桜会館の着き外壁の写真を撮り始めますと、すぐに職員がやって来ました。職員:「何か御用ですか?」kopa:「いえ、化石を撮影に」職員:「どうぞお撮りください」これで職員は立ち去り、撮影続行。しかし、間もなく警備員がやってきました。警備員:「どうされました?」kopa :「化石がたくさんあるので……」警備員:「どれが化石ですか?」kopa :「例えば、これがアンモナイト……」アンモナイト程度では、警備員は納得しない様子。それならば……。kopa :「これがベレムナイトで、こちらは海綿で……」kopa :(しめしめ、ようやく信じてくれたよう……)kopa :「で、こちらはトカゲで……」警備員・kopa :「えっ??」外壁にたまたま生きたトカゲがいました。現地は笑いに包まれ、和やかに。kopa :「建屋内の玄関ロビーも撮影して良いですか?」警備員:「それはちょっと……」 「小学校の野外学習など、予約してくださればOKですが」小学校の化石ツアーなどもあるようです。後にネットで見ると、ロビーも皆さん撮影されていました。しかし、不審者kopanda06はNG……。不審者には厳しい中部電力さんでした。【 不審者じゃないもん! (ふて寝) 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.25
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にほんブログ村 名古屋の中心部で化石探し、第6回目。今回は名古屋でも有名な化石スポットです。場所は名古屋市東区の中部電力 東桜会館。【東桜会館での化石探し】 〇探しやすさ: ★★★★★ 〇化石数: ★★★★★ 〇アクセス: ★★★ 〇人の往来; ★★★外壁全面に化石があります。石材は「ジェライエロー」です。まずは化石をご覧ください。屋外にあるため、石材はやや傷んでいます。この場所では、ちょっとハプニングがありました。注意喚起も兼ねて、それは次回の記事で。【次の記事】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編6 続き)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【記事のリンク】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編1)【記事のリンク】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編2)【記事のリンク】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編3)【記事のリンク】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編4)【記事のリンク】 【化石】名古屋の街中で化石探し(初級編5)【 サメの歯の化石 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.23
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にほんブログ村 連休が近いので、化石の記事を書きましょう。そこで石について勉強中……。……のはずが、あちこち寄り道。珍しい石といえば、メキシコのナイカ鉱山のクリスタルの洞窟。この洞窟には、巨大な透明石膏(セレナイト)が無数にあります。(画像出典:Wikipedia)画像の人の大きさから、クリスタルがいかに巨大かわかるでしょう。最大のクリスタルは、長さ 11m、直径 4m、重さ55トン。一度見たい風景ですが、この洞窟は危険すぎます。洞窟内は58℃で、湿度はほぼ100%。冷却装置付きの耐熱服、防水マスクなしでは洞窟には入れません。その装備でも、20分が活動限界と言われます。美と危険は、共にあるものなのですね。【 黒猫 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.21
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にほんブログ村 先日の行方不明の高見観音。所在地は善勝寺ではなく、来迎寺との情報訂正を頂きました。●来迎寺 (長野県飯田市伝馬町1-54)(画像出典: 4travel.jp)引き続き情報を募集しています。【 招き猫 陶器の振り子時計 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.19
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にほんブログ村 先日の高見彰七作品の情報募集。善勝寺にあるという高見観音が見つからないという声が挙がっています。2)善勝寺 (長野県飯田市伝馬町2-31) 高見彰七の観音像あり。 (画像出典: 4 travel.jp)ここで善勝寺の高見観音を紹介されたブログがあります。その運営者の「MARUKADOさん」に交渉して、ブログのリンク許可を頂きました。高見観音の写真は掲載できませんのて、リンク先をご覧ください。【善勝寺の高見観音情報】 「MARUKADOさんのブログ」善勝寺の高見観音は撤去されたのか?単にわかり難い場所にあるのか?引き続き情報を募集したいと思います。【 瀬戸 陶器製の時計 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.17
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にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像 第3集「その他」編、更新しました。専照寺 釈迦如来像を追記しました。ご協力頂いた「LimeGreenさん」、「MR2さん」、ありがとうございました。●【リンク集1「神馬」編】 「高見彰七 神馬編」●【リンク集2「観世音菩薩」編】 「高見彰七 観世音菩薩編」●【リンク集3「その他」編】 「高見彰七 その他」●【年表】 「高見彰七 製作年 (年号記述があるもののみ)」今日のこちらは雨と黄砂の残念な日でした。みなさんは、ゴールデンウイークの予定は、もう立てられましたか?(画像出典: MR2さん)【 江戸風鈴 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.15
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にほんブログ村 ブログのトップページのリンク集を整備しました。●【ブログ】 「トップぺージ」現在、下記がリンクされています。【リンク集1】 「高見彰七 コンクリート作品」【リンク集2】 「戦時金属供出 愛知県の代替梵鐘」 【リンク集4】 「名古屋の街中の化石」今後もゆっくり、整備を進めます。【 音色が気になる「瀬戸・赤津焼 風鈴」 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.12
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にほんブログ村 先日募集していました「長野県飯田市 専照寺の高見彰七作品」。新情報を頂きました。その経緯からお話しします。私のブログの募集を見て、LimeGreenさんがネットで呼びかけて下さいました。●【LimeGreenさん】 「LimeGreenさんのブログ」そのおかげで、MR2さんが専照寺まで調査に行って下さいました。MR2さんはフォト蔵を運営されています。●【MR2さん】 「MR2さんのフォト蔵」なんとMR2さんは専照寺まで自動車で2時間半かけて行かれたそうです。その貴重な写真を許可を得て掲載させて頂いています。【専照寺 (長野県飯田市伝馬町2丁目)】桜も綺麗です。表情もよくわかります。座像は「釈迦如来」です。この座像は、桜に守られて幸せですね。LimeGreenさん、MR2さん、ありがとうございました。おかげでリストの整備が進みました。【 切子 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.09
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にほんブログ村 長野県 専照寺の座像は、製作年が判明しています。高見彰七の作品年表に加えました。少しずつ整備が進んでいます。【 ガラス製フィギュア 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.05
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にほんブログ村 桜が散り始めた。散り始めた桜は、静かな場所で見ていたい。小さな公園でよい。でも暖かな陽射しがあたる場所なら、それがよい。散る桜は、終戦の日の想いへとつながる。争うことで失ったものㇸの悔いや悲しみ。争いの日々に許されなかったなみだが、その終わりとともに開放される。悲しみも、喜びも、抑えていたその気持ちが、素直に、自由に、表わせるように。今年の桜は、早く散る。遠く、いまなお争う人々が、早く解き放たれるように。桜が散る。花びらは春風を伝って流れ、地に落ちてなお白く輝く。暖かな春の陽射しに抱かれて、静かに想う。桜の花びらは、ひとのなみだに似ている。【 さくらの紅茶ティーパッグ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.04.03
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にほんブログ村 何年も前から、高見彰七の作品があると知りつつ、いまだに確認できていない情報があります。この際、ネットを通じて、情報や写真の提供をお願いしたいと思います。提供頂いた写真などは、高見彰七のリンク集の作成に使いたい。希望する情報は下記の2箇所。1)専照寺 (長野県飯田市伝馬町2丁目) 昭和36年 高見彰七作の仏像(座像)あり。 仏像のみではなく、台座の銘板の写真も希望。 写真中央の座像が高見彰七の作品。 (画像出典: じゃらんNet)2)善勝寺 (長野県飯田市伝馬町2-31) 高見彰七の観音像あり。 同じく観音像と銘板の写真を希望。 (画像出典: 4 travel.jp)ぜひ情報提供をお願いします。【 たち吉 ハローキティ & 鳥獣戯画 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.31
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にほんブログ村 愛知池の観音像の製作年が判明したことで、新たな疑問が湧いてきました。それは、高見彰七の創作活動の年表を見るとわかります。年表では、高見彰七は突然に愛知池の観音像の作家になります。無名の作家が、突然に最大級の観音像の作家になれるものでしょうか?実績がなければ、施工元の大手企業が作家を任せるとは思えません。私はこの高見彰七の空白期、つまり高見彰七のミッシングリンクを埋めるのが、妙楽寺の57体の作品群ではないかと推察しています。妙楽寺の作品群の造形には、技能や作風に経時的な変化が見られます。これらの作品群は、以前は道路沿いに並べられていました。初めは交通事故の被害者の供養のために観音像が建てられ、それから次々と交通安全を願い作品が並べられたのではないでしょうか?その間に高見彰七の技能も向上し、作風も安定したのでしょう。そしてこれらの実績から、大手企業から作家を任せられたのではないでしょうか。高見彰七の作品の原点は、妙楽寺の作品群の中にある。私はあらためて、そう思い始めています。高見彰七の観音像は、交通安全祈願のものが大半です。そしてその願いの強さは。尋常ではありません。高見彰七が供養したかった、初めの交通事故の被害者は、彼にとって、とても大切な人だったのかもしれない。あえて想像が許されるなら、そう考えることによって、彼が残した作品の本当の意味が、真に理解できてくるように思えるのです。【 有田焼 豆皿 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.29
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にほんブログ村 新情報です。「リンク集No.2‐8」の観音像の解説が水資源機構のH.P.にありました。●【水資源機構】 「愛知池の観音像」そのH.P.には下記が記されています。「東郷調整池の観音像」 形 体: コンクリート製立像 作 者: 豊田市宮口町在住の彫刻家(詳細不明) 施工者:鹿島建設(株) 所有者:水資源機構 管理者:恵日山清峯院観音寺住職作者不明となっていますが、作家は高見彰七で確定です。また施工者や管理者もわかりました。さらに製作年を水資源機構愛知用水総合管理所に問い合わせました。丁寧に御対応頂き、下記が判明しました。 ・愛知池の整備時に、池の小島に祠があった ・小島は展望台の目前にある、鳥の巣になっている小島 ・祠を展望台に移し、観音像を建てた ・観音像は昭和35年の建立であるこの情報から、年表を見直しました。この愛知池の観音像が、最も古い観音像となりました。また一歩前進しました。【 九谷焼 豆皿 33種コレクション 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.26
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にほんブログ村 静岡県の八幡野観音は高見観音か?検証編です。高見観音に雰囲気が似た八幡野観音。ただ違和感もあります。その疑問点を考察してみます。1)静岡県に高見彰七作品はあるか 高見彰七作品は西三河・尾張地域の多くあります。 しかし静岡県であれば、十分可能性があるでしょう。2)昭和57年開眼。高見彰七の活動時期か 在銘で最新の高見観音は昭和46年製で 刈谷市の昌福寺にあります。 八幡野観音が高見観音であれば、 さらに11年活動時期が広がりますが……。 3)造形の違い 雰囲気は似ているが造形が異なる。 ブログでもそういうコメントが多くあります。 最も製作年が近い昌福寺の観音像と比べても違いがあります。「昌福寺の高見観音」●【リンク集 2‐2】 「昌福寺 観世音菩薩」4)高さ12メートル,重量60トンの像をひとりで作り得たか それについては情報があります。 基本、八幡野観音像の後ろには立ち入れない様子です。 しかし観音像後部を確認できた頃もあり、 そこには下記を記した銘板があったそうです。 (銘板) 群馬県前橋市下細井町 設計施工 関東緑土工業株式会社 荒井 桓輔 協賛者 井出 高徳 さすがにこの大きさとなると、一人では作れません。 また協賛者も書かれているのに、作家名がありません。 となると、作家は群馬県の会社の「設計者」と考えるのが 自然かもしれません。考察は以上です。集めた情報からは、高見彰七作品と断定するのは難しい状況でした。ただ「設計者」が高見彰七の影響を受けた可能性は十分にあります。今回は、力不足ですみませんでした。これに懲りずこれからも、高見彰七作品の情報提供をお待ちしています。よろしくお願いします。【前の日記】 「八幡野観音は高見観音か?(その1)」【 萬古焼 魚焼き 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.25
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にほんブログ村 高見彰七作品に似た観音像がある。その情報を「猫碑さん」から頂きました。。【猫碑さん】 「猫碑さんのブログ」情報は、静岡県の「八幡野観音」です。「やわたのかんのん」、通称「赤沢観音」です。画像出典: 「タビオモ!」たしかに高見観音に似た雰囲気があります。一方で、細部には違いがあります。ヒントとして、八幡野観音には、次の説明書きがあります。「大江院 住職」による説明書きです。全高 12メートル重量 60トン開眼 昭和57年2月18日建立者 明治35年12月19日生 明和ゴム工業株式会社 会長 坪井賢次 氏高見観音であれば。今までで最大級の観音像。次回、高見観音であるか否か、検証します。ぜひ皆さんもご考察ください。【 信楽焼 花瓶 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.23
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にほんブログ村 妙楽寺の推定・高見彰七作品について、情報を頂きました。情報は「じぇりねこさん」からです。【じぇりねこさん】 「じゃりねこさんのブログ」情報は下記のニュースです。妙楽寺の推定・高見観音は、交通事故供養のための像ではないかというものでした。【朝日新聞デジタル】 「墓石の墓:縮まる社会を映し出す 山にびっしり2万基 2019年3月16日」記事には、「交通事故で亡くした子どもを供養したコンクリート製の観音像」という記述があります。たしかに在銘の下記の高見観音は、明確に「交通安全祈願」とされています。【リンク集No.2-2 刈谷市 寿永山 昌福寺】 「昌福寺 観世音菩薩」【リンク集No.2-3 豊田市 古瀬間御嶽神社】 「古瀬間御嶽神社 交通安全観音」他の無銘の推定・高見観音も多くは道路沿いにあります。妙楽寺の推定・高見観音も以前は道路沿いにあったと伝わります。妙楽寺の推定・高見観音が、朝日新聞の記事の観音像と考えて良いでしょう。じぇりねこさん、情報ありがとうございます。【 伊賀焼 香合 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.21
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にほんブログ村 高見彰七の観音菩薩像に新発見のニュースがありました。連絡は「FDG公式さん」から頂きました。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」FDG公式さんからは、愛知池の大観音菩薩像に続き2度目のご連絡です。愛知県の隠れた文化財にお詳しく、とてもアクティブな方ですから、当然の新発見かもしれません。新しく見つかったのは、愛知県豊田市の高林寺の裏手。2体の推定・高見観音がありました。今回の写真もFDG公式さんからご提供頂いています。如何にも見つけ難そうな場所にあります。身を捩るようなスタイル、典型的な高見観音の特徴です。表情は稚拙とも言える造形。典型的な高見観音のお顔立ちではありません。それでもこれを高見観音とみなすのは、妙楽寺の推定・高見彰七作品群の子安観音に類例があるからです。「妙楽寺の子安観音」私はこれを、高見彰七の初期作と推定しています。今回の高林寺裏の観音菩薩像も高見彰七作品とみなして良いでしょう。高見彰七作品リンク集に登録させて頂きます。FDG公式さん、ありがとうございました。【 瀬戸 馬の目皿 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.18
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にほんブログ村 妙楽寺の推定・高見彰七作品、続きです。④龍を背負った観音(後列右から1番目)⑤大仏(後列右から2番目)⑥多肢の仏像(後第2列右から1番目)⑦子安観音(後第2列右から2番目)⑧十一面観音(後第2列右から3番目)【 犬山焼 色絵雲錦手茶碗 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.16
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にほんブログ村 妙楽寺にある57体の推定・高見彰七作品。(うち1体は、愛知県みよし市森下交差点から2023年10月頃移設)高見観音と呼んでいますが、観音像ばかりではありません。他にはない特徴的な作品をご紹介します。①妙楽寺最大の観音像②天女(一対)➂地蔵? 手前に子供?【 織部 掛花入 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.14
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にほんブログ村 奈良県の石棺仏のリンク集です。石棺仏とは、古墳の石棺の石材を再利用して、仏像として利用した石仏です。もっと多くをご紹介したつもりでしたが、過去の記事が見当たりません。奈良は文化財が豊富なので、ご紹介できていなかったかもしれません。いずれ機会を見てご紹介するかと思います。◆石棺仏◆●【石棺蓋石】 「奈良県 長谷寺 弥勒石棺仏 (鎌倉時代)」●【石棺石材多数】 「奈良県香芝市 阿弥陀橋石棺仏」【 奈良 赤膚焼 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.12
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にほんブログ村 今回も愛知県常滑市の松栄寺。天井絵もありますが、傷んでいます。鳥の絵です。かつては参拝者も多かったのでしょう。奉納額も傷みが激しく残念です。奉納、明治30年10月になっています。日清戦争 鴨緑江(おうりょくこう)の戦いは明治27年。貴重な戦争遺産だと思うのですが……。【 備前焼 火襷 花入れ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.10
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にほんブログ村 愛知県常滑市の松栄寺。海が近く、潮風の影響か、痛みが激しく見えます。寺の前には道祖神さんがおられました。こちらで道祖神さんにお会いするのは久しぶりです。少し和みました。【 常滑焼 一輪差し 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.08
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にほんブログ村 みなさんのブログへのご訪問ができておらず、すみません。遠方へ移動していました。写真は途中の駅で出会った大黒天さん。備前焼です。今週はみなさんのブログへのご訪問を優先します。そのため、今酒の私のブログ記事はショートになります。よろしくお願いいたします。【 備前焼 花入れ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.06
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にほんブログ村 名古屋市の建材に見られる化石のリンク集です。まだ追加の予定です。◆化石◆●【No.1: 名古屋駅地下街】 「ゲートウォーク」【ゲートウォークでの化石探し】 〇探しやすさ: ★★★ 〇化石数: ★★★ 〇アクセス: ★★★★★ 〇人の往来; ★●【No.2: 栄地下街】 「セントラルパーク」【セントラルパークでの化石探し】 〇探しやすさ: ★★★★★ 〇化石数: ★★★★★ 〇アクセス: ★★★★ 〇人の往来; ★★★●【No.3: 矢場町】 「松坂屋南館7F 松坂屋美術館」【松坂屋美術館での化石探し】 〇探しやすさ: ★★★★★ 〇化石数: ★★★★★ 〇アクセス: ★★★ 〇人の往来; ★★★★●【No.4: 栄】 「松坂屋本館1F」【松坂屋美術館での化石探し】 〇探しやすさ: ★★★★★ 〇化石数: ★★★ 〇アクセス: ★★★ 〇人の往来; ★★★★★●【No.5: 栄】 「栄大野ビル1Fロビー」【栄大野ビルでの化石探し】 〇探しやすさ: ★★★★★ 〇化石数: ★ 〇アクセス: ★★★ 〇人の往来; ★★★★★【 化石標本30種類 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.04
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にほんブログ村 愛知県常滑市。先日、この地にある東龍寺の代替梵鐘をご紹介しました。●【コンクリート製の梵鐘】 「愛知県常滑市 東龍寺」この常滑市でも戦時中の金属供出の被害は大きかった様です。そのことは、東龍寺の近くの齊年寺でも知ることができます。立派な山門を潜ります。本殿はコンクリート製です。本殿の右に鐘楼があります。その説明書きに、金属供出の歴史が記されています。齊年寺でも昭和16年に、梵鐘が供出されました。その後、昭和35年の再鋳造まで、梵鐘が失われていた様です。戦争では多くのものが失われます。本当に戦争は愚かな行為であると、つくづく思います。【 常滑焼といえば朱泥 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.03.01
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にほんブログ村 次の様な洋食器をご覧になったことはおありでしょうか?「アウガルテン マリアテレジア」(出典: ル・ノーブルH.P.)ハンドル(持ち手)のないカップ。これをボウルと呼びます。そして、深さのある丸みを帯びたソーサ。これをラウンドディッシュと呼びます。当初は、これは特殊な紅茶の飲み方から生まれた洋食器でした。オランダから始まった特殊な紅茶の飲み方の流行。それは、ボウルからラウンドディッシュに紅茶を移し、ラウンドディッシュから紅茶を飲む作法でした。なぜその流行が始まったかはわかりませんが、当時はお洒落とされました。現代では、ラウンドディッシュ&ティーボウルは日本茶用に使われることが多いかと思います。何が流行になるか、わからないものですね。【 アウガルテン マリアテレジア ラウンドディッシュ&ティーボウル 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.27
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にほんブログ村 紅茶を飲むティーカップ。その形は様々です。ティーカップの形で、紅茶の味が変わる。そのことを考慮して、みなさんはカップを使い分けられているでしょうか?飲み口が広く、背が低いティーカップがあります。「エインズレイ オーチャードゴールド」(出典: エインズレイ公式H.P.)このカップで紅茶を飲むと、カップを大きくは傾けられません。そのため舌の上を、ゆっくり紅茶が流れます。「広口低高のカップ」 ・舌の上に紅茶が長く留まり、紅茶の味わいが増す ・紅茶の香も堪能できる ・紅茶の透明感も増し、紅茶の色の違いも楽しめる ・一方で、紅茶の”苦味”も強く感じる ・苦味の苦手な人には適さないそれに対して、飲み口が狭く、背が高いティーカップもあります。「エインズレイ エリザベスローズ」(出典: エインズレイ公式H.P.)このカップで紅茶を飲む時は、カップを大きく傾けなくてはなりません。そのため紅茶は、口に早く注がれます。「狭口背高のカップ」 ・紅茶が舌の上を早く流れ、紅茶が水っぽく感じる ・紅茶の色の違いが分かり難くなる ・紅茶の”苦味”も感じ難い ・紅茶のすっきりとした切れ味を楽しめる2種類のティーカップ、みなさんはどちらがお好みでしょうか?【 ロイヤルアルバート オールドカントリーローズ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.25
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にほんブログ村 18世紀、フランス革命前夜の激動の時代。その時代のフランスを彼女は生きました。彼女の名は、マドモワゼル・リア・ド・ボーモン。彼女は外交官であり、フランスの女スパイでもありました。当時、フランスとロシアは敵対関係にありました。フランスはロシアとの関係改善を望みますが難攻。そこでロシアの女帝エリザヴェータを個人的に味方に付けることでした。【マドモワゼル・リア・ド・ボーモン】(画像出典: Wikipedia)美しさで知られたエリザヴェータは、フランス貴族の社交界に強い憧れを持っていました。そこでロシアに、スパイとしてボーモンが送り込まれました。ボーモンの一流の貴族夫人の身のこなしに、たちまちエリザヴェータは魅了されました。彼女はエリザヴェータのフランス語教師にまで任命されました。そしてボーモンはエリザヴェータをとりこにし、両国の友好関係を回復しました。実際、ボーモンの貴婦人としての素養は卓越していました。マリーアントワネットも彼女を気に入り、ドレスをプレゼントしたほどです。そればかりか彼女は武芸にも長け、フェンシングも一流でした。【右: マドモワゼル・リア・ド・ボーモン】(画像出典: Wikipedia)しかし、彼女には大きな秘密がありました。マドモワゼル・リア・ド・ボーモンは偽名でした。本名は、デオン・ド・ボーモン。実は男性だったのです。ボーモンは「ベルサイユのばら」のオスカルのモデルです。(オスカルは男装の女性)【 フランス リモージュ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.22
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にほんブログ村 愛知県常滑市大野町の東龍寺で代替梵鐘に出会いました。コンクリート製の代替梵鐘です。側面には銘板を外した様な凹みが2か所あります。しかし、肝心の鐘楼が見当たりません。後日、google mapの写真を見ると、鐘楼は代替梵鐘を吊り下げた状態で掲載されていました。たしかに、鐘楼を撤去した作業らしき痕跡はありました。代替梵鐘の傍には、石造物が並べられていました。石仏前にはゴムロープが置かれ、現在も作業中にも思えました。鐘楼が載っていたかもしれない基台には、まだ新しい釈迦如来像が建てられていました。戦時中、梵鐘の金属供出に、人々は涙しました。そして代替梵鐘の重さでバランスを保ち、鐘楼の崩壊を防ぎました。人々は戦争を恨み、平和を願い、代替梵鐘を残しました。戦時中、あれほど存続を願い、守り続けた鐘楼。それが鐘の音がうるさいと、今では自由に打つこともできません。今では鐘楼がない寺院も珍しくはありません。戦争でもなく、災害でもなく、人々の心が離れることによって、今、鐘楼が消えてゆこうとしています。私達はなにか大切なものを、忘れてしまってはいないでしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・◆代替梵鐘◆●【陶器製の梵鐘】 「愛知県瀬戸市 法雲寺」●【コンクリートおよび石製の梵鐘】 「愛知県安城市 石川山 蓮泉寺 ・ 松誉山 本楽寺」●【コンクリート製の梵鐘】 「愛知県安城市 泉流山 本龍寺 ・ 明専寺」●【コンクリート製の梵鐘】 「愛知県西尾市 養寿寺」●【コンクリート製の梵鐘】 「愛知県みよし市 大覚寺」●【石製の梵鐘】 「名古屋市東区 松嶋山 圓明寺」●【石製の梵鐘】 「愛知県刈谷市 泉正寺」【 常滑焼 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.20
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にほんブログ村 名古屋市内の公園で、しばしば見かけるものがあります。シロクマ形公園名称板。名古屋市内の公園で、私達を出迎えてくれます。写真の名称板は、正木南公園。よく見かける名勝板ですが、写真撮影は初めて。皆さんもご近所の公園に出かけてみませんか?楽しい出会いがあるかもしれませんよ。【 名古屋 小倉トーストチーズケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.18
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にほんブログ村 「水子弘法の謎を追って」、最終回です。なぜ多くの場合、立像の作家は、その名を作品に残さないのでしょうか。一方で、寄進者の名は作品に刻まれます。寄進者はなんらかの想いを持って、立像を発注します。そして、その想いが具現化されたのが立像です。寄進者の想いを残すことが重要ですから、寄進者の名は作品に刻まれます。一方で、作家は想いを立像に変える「通訳者」にすぎません。通訳者が目立てば、立像が持つ本来の想いがぼやけます。だから、通訳者である作家は、作品に名を刻まないのでしょう。*豊明市の神社散策中に、毛受善市氏の名を寄進者の中にみかけました。阿野八剱神社でのことです。善市氏がどの様な想いで、各地で寄進したかはわかりません。残すべき想いさえも、こうして消えてゆきます。水子弘法像も、私有地にある性格上、長期の保存は難しいでしょう。作家名は忘れられ、作品も失われ、想いさえも消えてゆく。すべて人の営みは、儚いものなのです。全9回に渡り続いた「豊明市 水子弘法の謎を追って 最終章」、これで終わります。長くお付き合い頂き、ありがとうございました。(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」【 記事 4】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 4) 」【 記事 5】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 5) 」【 記事 6】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 6) 」【 記事 7】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 7) 」【 記事 8】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 8) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 サクラビスク 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.16
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にほんブログ村 瀬戸の原型師 稲垣勝美氏。その存在は、哀しい報せとともに知ることになりました。稲垣勝美氏のアトリエは、家族の皆さんにより保存されていました。しかし、2021年12月の公開を最後に、アトリエは解体されてしまったとのことでした。詳細は下記にあります。【瀬戸ノベルティ文化保存研究会】 「瀬戸ノベルティの名原型師・稲垣勝美アトリエ、最後の見納め見学会」アトリエは、資料館として保存されても良いレベルかと思います。研究会の皆さんの努力があっても、保存されませんでした。原型師が、その名を遺すのは難しいことでしょう。それでも知名度を得た稲垣勝美氏は、如何に優れた技能を有していたか、推し量ることができます。それでもなしえなかった、アトリエの保存。文化財を守ることの難しさを再確認した、哀しい出来事でした。次回、ついに最終回です。【次の記事へ】 「最終章 9 最終回」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」【 記事 4】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 4) 」【 記事 5】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 5) 」【 記事 6】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 6) 」【 記事 7】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 7) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 雛人形 有田焼 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.14
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にほんブログ村 豊明市 水子弘法像の謎を追い、手掛かりを得た毛受家照像。善市氏も寄付をしたという、その銅像の作家は「稲垣勝美」氏でした。稲垣勝美氏は、瀬戸ノベルティの有名な原型師です。1913年に生まれ、1995年に他界されています。あの彫刻家・北村西望に師事し、名古屋製陶所や大倉陶園で勤め、その後は、丸岡陶器など、多くの原型作りを手掛けられました。瀬戸ノベルティとは、瀬戸で作られた陶磁器製の置物や装飾品。輸出用を中心に人気を博し、瀬戸の産業の振興に大きく貢献しました。豊明市の水子弘法像の作家が、稲垣勝美氏という記録はありません。ただ、水子弘法などの顔立ちは、陶磁器の人形の顔立ちにも似ています。私が毎回、ビスクドールをリンクしていたのは、そのためでもあります。謎を追い、たどり着いた稲垣勝美氏。ただその調査では、哀しい出来事を知ることになります。【次の記事へ】 「最終章 8」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」【 記事 4】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 4) 」【 記事 5】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 5) 」【 記事 6】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 6) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 サクラビスクドール 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.11
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にほんブログ村 豊明市 水子弘法像の謎を追い、たどり着いた別の立像。それは愛知県尾張旭市の文化会館前にあります。毛受家照の銅像です。(画像出典:https://www.asuka-tobira.com/dozo/album/index.html)毛受善市氏はこの像を建てる際に寄付されたそうです。毛受家の子孫としての立場から。この像は、昭和63年に建てられています。豊明市の水子弘法が建てられた昭和57年の6年後。時期も近く、関連性がありそうです。(画像出典:https://www.asuka-tobira.com/dozo/album/index.html)次回、この像の作家のお話をしましょう。【次の記事へ】 「最終章 7」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」【 記事 4】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 4) 」【 記事 5】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 5) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 ノリタケ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.08
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にほんブログ村 豊明市 水子弘法像の謎を追い、毛受組を探しました、毛受組は当初予想した国道1号線沿いではありませんでした。毛受組は豊明幹部交番の近くにありました。しかしコンビニの壁の陰になり、県道239号線からは見えません。毛受組の場所は、少しわかり難くなっています。毛受組で聴き込みし、下記の情報が得られました。●水子弘法を建てた毛受善市氏は、ご夫婦ともに他界されている。●善市氏にはご子息がおられるが、話を聴ける健康状態ではない。つまり、水子弘法の作家は、まだ解明できませんでした。しかし新情報が得られました。善市氏が関わった別の立像があるというのです。その立像から、一人の作家につながります。【次の記事へ】 「最終章 6」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」【 記事 4】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 4) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 Made in Japan 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.06
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にほんブログ村 謎の水子弘法像、その後、日を改めて再調査しました。調査方法は、弘法像近所での聴き込み。その結果、下記がわかりました。水子弘法の横には祠があり、内部に千体弘法(身替り弘法)があります。●祠の中の千体弘法はもともと山中の別の場所にあり、 初代毛受組(毛受善市氏)がこの地に移設した。●千体弘法は「江戸時代後期の瀬戸の名陶工 弘法善治」が製作。まず千体弘法の由来はわかりました。次に水子弘法です。●水子弘法は昭和57年に、初代毛受組 毛受善市氏により建てられた。●毛受善市氏は他界。 水子弘法の経緯を知る人はいないだろうとのこと。まだ水子弘法の調査は続きます。次回からは、未公開の新情報です。【次の記事へ】 「最終章 5」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」【 記事 3】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 3) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 ビスクドール 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.04
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にほんブログ村 謎の水子弘法像、調査の経緯を振り返ります。まず現地では、石碑に書かれた説明書きが参考になりました。「毛受兄弟四百年祭に當 昭和五十七年四月 十五代毛受善市建也」「昭和五十七年癸亥年正月 初代毛受組建之」この説明から、下記が分かりました。 ・水子弘法は「毛受(めんじょう)兄弟400年記念」で建てられた。 ・建てられたのは、昭和57年4月である。 ・建てたのは、初代毛受組の毛受善市氏 (毛受家15代目)。ネットでは、有名なコンクリート像作家の作品とも噂されていました。しかし、像は昭和57年(1982年)製。作家は、後藤鍬五郎(1976年没)や浅野祥雲(1978年没}ではあり得ません。また作風から、高見彰七でもないでしょう。まず、この時点では作家の謎は深まった形となりました。【次の記事へ】 「最終章 4」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」【 記事 2】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 2) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 ビスクドール 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.01
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にほんブログ村 まず初めに、謎の水子弘法像の場所と注意点からお話します。この像は、愛知県豊明市にあります。豊明市から名古屋市に抜ける県道220号線。その道の「皿池」の交差点を北東に折れ、300mほど進んだ場所です。写真の様に細い道沿いに、誰でもお参りできる場所にあります。開放されてはいますが、おそらくは私有地。その点を配慮して、豊明市沓掛町荒畑とだけ場所を記します。ネットには、より詳細に書かれた情報もありますが……。また、皿池から北東は住宅街で、道幅も広くはありません。弘法像付近に、路上駐車できるスペースもありません。自動車で直接アプローチするのはお止めください。例えば、近くの二村山展望台には、広い駐車場があります。この展望台で景色を見てから、水子弘法を見に行かれては如何でしょう。二村山には、身代り地蔵、鎌倉街道、歌碑、神社などもあります。良い散策ルートになると思います。くれぐれも、住宅街に車で押しかけ、地域の方に迷惑を掛けたり、路上駐車で通行の障害とならぬよう、お願いします。まずは注意事項とお願いでした。【次の記事へ】 「最終章 3」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最新記事)【 記事 1】 「豊明市 水子弘法の謎を追って (最終章 1) 」(過去分)【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 ビスクドール 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.30
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にほんブログ村 愛知県豊明市の水子弘法。この作家不詳のコンクリート像(セメント像)を覚えておられますか。実は、2022年の初夏には、一人の作家にたどり着いていました。しかしそれは、消えてゆくものの寂しさを感じざるを得ない結路でもありました。全調査の内容を振り返りつつ、一人の作家へ。「豊明市 水子弘法の謎を追って 最終章」、始めます。【次の記事へ】 「最終章 2」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【 以前の記事 1 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像」【 以前の記事 2 】 「毛受兄弟記念の謎のコンクリート像 2」【 以前の記事 3 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 1」【 以前の記事 4 】 「謎のコンクリート像の情報収集をしました 2 」【 ビスクドール (陶器製の人形) 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.28
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にほんブログ村 強力な加湿の助っ人を呼びました。十分な水を蓄えた助っ人です。その助っ人とはkopanda06、私自身です。予想外でしたか?人体からは、1日に900mLの水分が自然蒸発します。1リットル近い水分量、なかなか多量です。これを1時間当たりに換算すると37.5mL。ダイソーの加湿器には勝りますが、加湿に必要な1時間あたり600mLには足りません。う〜ん、惨敗です。ダイソーの加湿器、加湿能力は足りません。でも安価でしかもかわいいので、許すことにしましょう。【 大容量5L 加湿器 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.26
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にほんブログ村 では、加湿器には、どの程度の加湿能力が必要でしょうか?例えば10畳間で考えましょう。10℃から20℃に暖房する時、私の計算では156mLの水が必要でした。しかしこの計算は、密閉された部屋の場合です。空気も出入りがあり、換気する場合、エアコンメーカは10畳間では、1時間当たり600mLの加湿が必要としています。1時間当たり600mLの加湿!とてもダイソーの自然蒸発式加湿器では足りません。1時間で全て蒸発しても、水量は20mLや100mLですから。このままでは駄目ですね。そこで加湿能力が高い助っ人を呼ぶことにしました。【 7色に光る加湿器 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.23
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にほんブログ村 ダイソーの100円自然蒸発式加湿器、続きです。まず気になるのは、加湿器内の水の量。容量20mLはとても少なく思えます。その加湿性能を検討するには、まず知らなければならないこと。それは「なぜ暖房すると空気は乾燥するのか」ということ。少しだけ難しい話をします。空気中に含まれる水分の限界量は、温度によって変化します。その水分量は、20℃では空気1立方メートルあたり17.3gです。一方で、10℃では9.4gと少なくなります。この空気中に含まれる水分の限界量が飽和水蒸気量です。そして実際の空気中の水分量と飽和水蒸気量の比が湿度。10℃の空気を、20℃まで暖房したとします。10℃の空気1立方メートルには、4.7gの水分があれば湿度は50%です。ところが20℃に暖房すると、飽和水蒸気量が増えます。そのため、4.7gの水分量は同じでも、湿度は27%に乾燥します。暖房すると必ず湿度が下がるので、加湿しなくてはなりません。では100均の加湿器がどう役立つかは、次回のお話。【 在庫処分で値下げ 超音波式加湿器 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.21
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にほんブログ村 ダイソーで100円の加湿器を購入しました。素焼きの人形に入れた水の蒸発を利用して加湿します。もちろん無電源です。ハスキー・タイプもあります。素焼きは水が漏れるので、釉薬で防水されたトレイに乗せて使います。パンダ・タイプもあります。昔、流行った”素焼きの置物型の芳香剤”と同じですね。水の容量は20mL。100mLの大容量型も100円でありました。現在、投資金額は税込み440円。”買い過ぎ注意”の100均の罠にはまりつつあります。並べてみると、なかなかかわいい。では次回から、加湿性能を評価します。・・・・・・・・・・・・ご心配をおかけしています。通信障害、仮復旧しています。・・・・・・・・・・・・【 出来の良さはこちらが勝ります 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.19
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にほんブログ村 みなさんは、千手観音の腕の数を数えた経験はありますか?いざ数えようとしても、なかなか難しいものです。仏像が遠く、暗い場所にあるので、なおさらです。「千手観音座像」(画像出典: 三十三間堂H.P.)一般的には、千手観音の腕の数は42本とされています。前で合掌する本手が2本、背後の脇手が40本です。仏教には地獄など、25の世界があります。脇手は1本で、その25世界を救います。だから25×40本=1,000。つまり、千手観音となります。えっ、何か腑に落ちませんか?それならば、「千手」ではない?「千世界観音」か、「四十二手観音」とすべきですと?声が大きいですよ、お気を付けて。そんなことを言っていると、救ってもらえないかもしれませんよ。【 幻想的ですが、42本ないのでは? 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.15
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にほんブログ村 米食は日本に適した文化です。稲は極めて優れた農作物です。稲は1粒の種子から140個の種子、つまり米が採れます。これは小麦の1粒の種子から20個の収穫量と比較しても、驚異的な多さです。さらに稲には「連作障害」がありません。小麦には連作障害があり、毎年続けて同じ畑で小麦は作れません。稲は同じ田んぼで毎年収穫できる貴重な農作物です。収穫量が多く、連作もできる稲。小麦の様に広大な畑や休耕地を必要としない稲。平地の狭い日本に、稲ほど適した農作物はありません。稲にも欠点はあります。それは稲作には多量の水、水田が必要なこと。この水の課題も、湿潤な気候の日本では解決できました。稲作のメリットを理解した日本人は、米食を選び繫栄してきました。しかし今日、日本人は米食を捨てつつあります。日本に適しない西洋風の食生活を選んだ日本人。荒れ果てた休耕田は、私達の未来を暗示しています。【 農作業 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.13
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にほんブログ村 トウモロコシは、世界で最も多く作られている農作物です。小麦や稲よりトウモロコシは多く作られています。なぜトウモロコシはそれほど多く作られているのでしょうか。それはトウモロコシが、家畜の飼料として多量に消費されているから。地球上で最も繁栄しているトウモロコシ。しかし、トウモロコシは謎多き農作物でもあります。まず、トウモロコシは、そのルーツが不明です。トウモロコシはその先祖となる野生の植物が見つかっていません。まるでトウモロコシは、地球上に忽然と出現したかのようです。また、その花や実も不思議な姿をしています。トウモロコシの実には、細い糸の様なものが多量に付いています。実は雌花があった箇所ですが、雌花はそこから絹糸を伸ばしています。実の先端の雄花まで絹糸を伸ばし、受精し実ができます。あのトウモロコシの実の細い糸は、雌花の絹糸が枯れたものです。さらに不思議なのは、トウモロコシの実が葉に包まれていること。実は葉をヒトが取らなければ露出せず、葉を取っても実は落ちません。トウモロコシの実、つまり種子はヒトが取って育てなければなりません。トウモロコシは、ヒトに助けられて子孫を残す植物です。ヒトのためになり、ヒトに育てられて繫栄したトウモロコシ。祖先も不明で、特異な姿をしたトウモロコシ。地球は謎の植物トウモロコシに、征服されているのかもしれません。【 2023年 手帳 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.11
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にほんブログ村 遅くなりましたが、今年のブログを始めます。休止中にもブログにご訪問,コメント頂きありがとうございました。今回はまずは他のSNSでは書かない、ブログのみで昨年までの振り返りから。一昨年は久しぶりに学術論文賞を受賞。他の案件でも新聞発表があり、慌ただしくしていました。10社以上への新聞発表は、記者会見の質問も厳しく疲れます。昨年も学術団体から功績賞を頂きました。また20件近いネットニュースでも、私の業績が報道されました。新聞やネットでの実名報道はあまり気持ち良いものではありません。加えて第3者が作成した動画にも、いつの間にか私が実名で登場していたりします。どうせなら、ハンドルネームにして欲しいくらい。活動の機会もパンデミック前に戻りつつありますが、残念ながら難病の進行で、体の動きも悪く、すぐ疲れます。学会発表や講義も、座ったままで話す機会が増えました。今まで、世のため人のためと慌ただしくしていました。しかし病のことを考えると、いつまで今の生活が維持できるかわかりません。体の自由が利くうちに、自分のための自由な時間を増やすべきかもしれません。これからの時間をどうすごすべきか。思案しながらの1年になりそうです。みなさん、今年もよろしくお願いします。【 うさぎ ランプ 】Flying Tiger CopenhagenはRoyal Copenhagenとは無関係です < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.01.09
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にほんブログ村 1日早く、年末のご挨拶を致します。今年後半は宮口神社の神馬撤去事件以降、高見彰七の話題が中心になりました。高見彰七作品の情報を下さった皆様、ありがとうございます。私は高見彰七の神馬が好きなので、神馬の情報も期待しています。ただ私のブログでは、高見彰七の話題以外も書きたいと思います。特にツィッターでは特定のテーマのみを書くのがセオリーですが、皆さんが飽きますし、私も色々書きたいので。ですので、来年も私のブログは自由に話題が変わります。最後は、今は亡き宮口神社の神馬のアップで締めくくり。来年もよろしくお願いいたします。【 2023年 ウェッジウッド ジャスパー 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.12.30
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にほんブログ村 ヨーロッパで普及が遅れたジャガイモ。しかし、後にジャガイモは見直される様になりました。それはジャガイモが、飢饉の対策に有効だったからです。ジャガイモは比較的寒冷で、荒れた土地でも育ちます。さらに収穫までの期間も短く、多くの食料を確保できます。さらにヨーロッパは戦乱が多く、畑もしばしば踏み荒らされました。その際も地中にあるジャガイモは、ある程度の収穫を得ることができました。フランスでも、飢饉対策としてジャガイモが注目されました。そこで王室もジャガイモの普及に画策しました。ある日、貴族を集めた舞踏会に、マリーアントワネットが参列した時、彼女の髪は知られていない花で飾られていました。そのマリーアントワネットの髪飾りは、ジャガイモの花でした。「ジャガイモの花」たちまちジャガイモの花は、貴族の憧れの花になりました。貴族たちは、争う様にジャガイモの栽培を始めました。当然の様に、街の人々もジャガイモを求める様になりました。王宮はジャガイモ庭園を作りました。そして日中は庭園を厳重に警備させ、国民の注目を集めました。しかし夜間はわざと無警戒にし、ジャガイモを盗ませました。こうした王室の努力もあり、ジャガイモはフランスに普及しました。その結果、フランス国民は飢餓から救われるようになりました。マリーアントワネットは国民の飢餓を憂い、その救済にも努めました。しかし、不運な誤解と急進派の暴走からフランス革命が勃発。国民の飢餓を救ったマリーアントワネットは、断頭台の露と消えました。【 2023年 ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.12.28
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