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暖かな師走です高島屋の溶解ケーキ問題は、原因究明、釈明ともあまりにひどい対応だと思いませんか?元冷凍機屋、現在スケーリング(相似)を生業にしている者として一言言わねばなりません。・例年2週間冷凍し出荷していたが、今年は一日だった問題はそこにあると思うのが普通ですね。・同じように冷凍してみたが全く問題は無かった同じように3,000個並べて実験したのでしょうか。話の内容では一個か二個のようですね。ケーキの大きさを縦横高さ20cmだとすると、3,000個で2.4立米、一辺約3mの塊になります。どういう積み方をしたか知りませんが、密に並べて置いたなら表面が-20℃でも奥まで同じ温度になるには、かなりの時間を要すと素人でも考えますよね。冷凍庫や冷蔵庫は冷却器があり、そこを通過した空気を冷やし庫内を所定温度にします。ですから表面から冷やされることになります。おまけにケーキの梱包は空間が多く、更にスポンジは完全に断熱材です。熱が伝わり難いのです。冷凍冷蔵ショーケースの試験をする場合、熱容量、熱伝導率とも食品に近い模擬負荷を使います。表面に置いたものと、その下の物では温度に数度の差が出るのは常識です。ナイショの話ですが、あまりお客さんがいないところで冷凍食品を買う場合、私は表の物を避け一つ後ろの物を買います。この問題は伝熱の専門家に聞けば計算だけですぐに判明すると思います。(私は実験屋なので計算は苦手)一日か二日、関係者から聞き取っただけで原因は不明と結論付けるのは、いくら何でも無責任。高島屋の暖簾に傷が付くでしょう。ある家庭の冷凍庫一度温度が下がってしまえば、ぎゅうぎゅう詰めの方が温度変化は少ない
2023/12/29
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またまた変なメールが来た【ヤマト運輸】サービスをご利用頂き、誠にありがとうございました。 シンガボールからの国際郵便物が配送されますが、宛先と電話番号に誤りがありましたため、配送できないことになっています。下記通り、配送情報をご補充ください、1~2営業日以内に改めて配送を手配いたします。 ゠゠>クリックしてから配送情報をご補充ください <URL削除> *また、100円の再配送料がかかります。 ご迷惑をおかけして申し訳ございません。「誠にありがとうございました」最初から過去形庄内近辺にこう言う地域は確かにある「配送できないことになっています」何か法律でもあるのだろうか「配送情報をご補充ください」ご丁寧に「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」お前が謝ることではなかろうあんまり添削指導すると片棒を担ぐことになるから止めておくが、日本語が上達したら困るのは確か。
2023/02/09
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税務署から税金の督促メールが来た国民の義務を十分に果たしているから、督促なんて来たことが無い(地方税の督促は来たことがある(^^;)ざっと目を通すとそれらしく書かれている。しかし、じっくり読むと突っ込みどころ満載稅:日本の普通のPCでこんな字は出て来ない計算した客勛 :客勛で額と読ませたいらしい売掛金などの值権:債権のことか?税法のきめるところにより:普通、「税法の定めるところにより」 だろ本メールは、【e-Tax】国税電子申告?納税システム(イータックス)にメールアドレスを登録いただいた方へ配信しております。本物:本メールは「国税電子申告・納税システム(e-Tax)」にメールアドレスを登録いただいた方へ配信しております。詐欺メールか? として同文のメール内容がネット上に溢れている。この程度の日本語では詐欺と看破するのは簡単。もう少し利口になってしまったら、多少は面倒なことになるかもしれない。ご用心、ご用心
2022/09/10
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17時14分、家の固定電話に「表示圏外」と示されて電話が来た。発信者表示が無い時は、不愛想に電話にでる。「もしもし」「こちら区役所の保健福祉課ですが」と若い女性が言ったと思う。後で調べるとそんな課は無い。考えてみると、17時過ぎに区役所から事務連絡が来るのも変だ。「○○さんのお宅ですか?」 という確認も無かったと思う。区役所からなら愛想よく応対しなければ、と思ってしまった。「3月に医療費の書類をお送りしているのですが、ご覧になりましたか?」「すみません。 覚えていないけれど、たぶん見ていると思いますよ」「回答していただくことがあり、返信用封筒も同封していますが、どなたかご家族がご覧になったと言う事はありませんか?」家族が見ると問題があるのか? 家族構成を聞き出そうとしていたのかもしれない丁寧な物言いなので、こちらも恐縮し「大変申し訳ございません」というと「キャハハハハ、そんなことはございません」と公務員らしからぬフレンドリーな対応「書類をもう一度お送りいたしますが、月末で急いでおりますので、いつも連絡がとれる電話を教えていただけませんか?」「この電話(家電)でいつでも連絡できますよ」「何度か電話いたしていますが、お出にならないことが多いようで」「発信者非表示の電話には出ませんので」ここでいきなり電話を切られ、二度とかかって来なかった一連のやり取りを思い出してなんとも怪しい。私の携帯の番号を聞き出し、還付金があるとATMまで連れ出し、振込させようと言う詐欺に違いない。家電にはナンバーディスプレイがある。たまに「非表示」と出ることがあるが、「表示圏外」と言うのは初めてだ。調べてみると、海外電話、一部のIP電話などの場合だそうな。区役所から非表示で電話をかけてくるはずがない。とにかくご用心、ご用心 ナンバーディスプレーは必要だ。
2022/07/30
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玄関前にある家のシンボルツリー、金木犀の花が終わった。早速脚立を立て地上1.5m程に上り剪定を始めたところ、バランスを崩し脚立が傾き、あえなく横向きに落ちた。そのまま落下すれば庭石に激突、幸いなことに岳父から貰った40年物の皐月の鉢植えがあり、その上に落ちて助かった。鉢は吹っ飛び土もこぼれたけれど実害なし。 物音に驚きカミさんが飛んできた。腰をしたたか打ったようで、しばらく動けないほど痛い。骨折が無いことを確認しながら、ゆっくりだが立ち上がれた。一日経過し腰の痛みは少し残っているが、手をすりむいた程度で出血も無し。 ふつうは脚立を固定し、バランスを崩しても倒れないようにしてから登るのだが、家の玄関先の事で油断した。庭仕事をしていると、たまにこういうことはある。安全第一で注意しなければ道路より約1m高いところに植えられた金木犀。手前側に落ちたが向こう側に落ちれば地上2.5m右のカエデに抱き着いてしまえば良かったのだが、そういう機転は利かなかったサルスベリが満開
2021/09/26
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ここ一週間ほどこのブログのアクセス数が一日数千件に跳ね上がった。2008年に書いた「硫化水素の作り方くらい自分で考えたら?」にアクセスが集中しているようで、その原因が見当も付かず落ち着くまで放置していた。ようやくプロレスラ―木村花さんの死と関係があるようだと気付いた。「硫化水素、作り方」で検索すると、私のブログが4番目に出てくる。なるほど、これがアクセス急増の原因だったか! 2008年ころ硫化水素による自殺が急増し、その作り方がネットに氾濫していたため、それに対して苦言を呈したつもりだった。作り方のヒントになりそうな事も載せていたが、その時も異常なアクセス数でヒントになる部分はすべて削除した。それから12年、再燃したのに自分でも驚いている。報道では花さんは市販の物で硫化水素を発生させたと書かれている。ムトウハップも石灰硫黄合剤も販売禁止になり、それでもなお簡単に原料になりそうなものが流通しているのだろうか。しばらく考え思い当たるものがあった。それを買い集め、ちょっとした処理をすれば、たぶん発生するはずだ。それをここで書くのは止そう。やったことが無いので正確にはわからないが、硫化水素の自殺は悲惨なことになることが多いらしい。止めた方が良い。
2020/06/01
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同窓生なら右でも左でも学校で括れば「同類項」になってしまう。同じ学校を卒業しただけで、同類とみなされるのははなはだ迷惑だ。自分の出身校を名門だとは思っていないが、恥ずかしくない程度には思っていた。最近、さりげなく出身校名を消した。
2015/05/15
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11月4日仙台駅前仙台に楽天イーグルスが来た9年前、寄せ集めチームと揶揄されで年間97敗した。観戦帰りのしょんぼりした子供をどれだけ見ただろう。私の生があるうち、日本一とは言わない、せめてリーグ優勝くらいはしてほしいと願っていた。Bクラスに低迷しても、仙台のチームとして皆暖かく見守ってきたと思う。そして震災、選手が被災地に何度も足を運んでくれた。そんな時代を経て、かつてのあの弱小チームが、あの巨人を倒し日本一なった。みんなで涙し歓喜にわいた。この瞬間、仙台市民でいられた幸せをかみしめている。 そんなことを皆思ってか、今日仙台の人は気が抜けています。24日は仙台の目抜き通りでパレードがあります。どれだけの人が押し寄せるか? 娘の会社はコース沿いにあり、2F,3Fは絶好の見物席になるはず。大混雑を予想してか、24日はビルへの立ち入りは禁止にしてしまいました。穴場の見物スポットを考えているところ。
2013/11/05
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歳とともに感受性が鈍くなり、感動とも縁遠くなったと思っていた。しかし、昨夜は感激した。楽天イーグルスが仙台に来てくれ、仙台の街は華やいだ。コンクリートのあちこちにひび割れが目立つ、築50年の宮城球場が見違えるように綺麗になった。しかし、年間100敗以上と揶揄されながらのスタートだった。電車で試合観戦帰りの親子と乗り合わせると、子供がしょんぼりしている。「今日もまた負けたか」と思う。そんなことが何回かあった。3.11で球場も大きな被害を受けた時、選手たちは懸命に復興支援をしてくれた。そんな時代を見てきただけに、優勝にカミさんは涙を流し、私も胸を熱くした。地元にプロの球団を持っている都市は幾つあるだろう、その中で優勝の美酒に酔えるのはJリーグを入れても3つしかない。そんな経験ができるのは幸せなことだ。私は特別野球ファンと言うわけではない。しかし、ささやかな地元球団に対する応援として、それほど使い勝手が良くないこの板にブログを書き続けている。地元紙 スポーツ紙に非ず
2013/09/27
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少々前の話になるが、福知山の花火大会でガソリンが爆発的に燃焼し、3人の方が亡くなった。少々心配になり家の携行缶を確認すると完全に使い切っていた。 ガソリンを保存したくはないが、震災のときはこれでずいぶん助かった。当地ではガソリンが供給不足、岩手で車を満タンにし、携行缶も満タンにできた。 なかにはこれを20缶、200Lも乗用車に積み、山陰から運んだ兵もいるが、無論違法行為。 使った事のある人ならわかるはずだが、いきなり栓を開けるとガスが勢い良く噴出す。写真左のガス抜きバルブを少しずつ開けて大気圧にしてから栓を開ける。しかし、携行缶には何も書かれていない。「開栓前に、このガス抜きバルブを必ず開けること」とシールでも貼っておけば防げた事故かもしれない。「消防法適合品」なんてシールよりもそっちが優先だろう。
2013/08/31
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本日某キーTV局の取材あり。10時から16時まで。飲まず食わず。おまけに昨夜は準備で4時間しか眠れず。最後はお腹が空いて機嫌が悪くなり、低血糖で頭が回らず。変なことを言っているかも知れないのでお知らせはしません。今日徹夜で編集し、明日放送との事。体力がないとマスコミと付き合うのは大変です。雨の中長時間のインタビューで熱が出て来て、現在37.7℃感染したのはもう少し前でしょうけれど、季節の変わり目、皆さまもご用心ください。
2012/09/23
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なになに、多数派工作をして、相手を寝返らせて、不信任決議とやらをやって・・・・・フムフム、キツネさんとタヌキさんのやってるゲーム、面白そうだな。写真と記事は関係ありません。
2011/06/02
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連夜の余震と雨模様の天候に気分は鬱、憂鬱、melancholy. 本震以上の余震は来ないと信じていたのに、7日に同じ震度6が来て、被害が広がってしまった。これで私のように参った人が多いことが次第にわかってきた。まったく泣きたくなる。 この先もう揺れない保証でも得られればよいが、いつまた大地震が来るか判らす、疑心暗鬼の状態。安心して家も空けられない。 そこにまた腹立たしいニュースが入った。仙台市内の小学校は修学旅行で会津に行くのが慣例だが、ここに来て盛岡方面に変更が相次いでいるらしい。 会津は原発と同じ福島県と言うだけで関係ないじゃないか。同じ被災県同士で助け合わないでどうする。 だいたい会津と原発のある福島県浜通りは本来なら別の県で然るべき。明治政府が「にっくき会津」で福島に併合したのではなかろうか。 本当に「福島」と付くだけで風評被害を生み、差別され、恐れられるのは理不尽としか言いようが無い。 地理的関係がわかっていれば原発が影響するのは浜通りの一部で、中通りや会津は関係ないと簡単に理解できると思うのだが、世の中には位置、距離関係がまったくわからない人が多いようだ。 埼玉県の隣に宮城県があると思っていた東京人が居たのにはあきれた。高校地理は選択ではなく、必修にすべき。 歴史的に見ると戦国時代、米沢に居た伊達政宗が会津の芦名氏を滅ぼしているし、幕末には会津だけが貧乏くじを引いた※と思い込み、仙台嫌いの会津人が居ることも確か。しかし、私は会津の独特な文化と風土が嫌いではない。 「福島原発」と名付けられたのが拙かった。もっと限定的な地域名なら誤解も少なかったと思う。 原発被害者の我慢強さは大変なものだと思う。少しでも気が晴れるなら、もっと怒っても社会的に許される。 今日少しはうれしいニュースもあった。ベガルタ仙台と東北楽天イーグルスが揃って勝ったこと。応援している人を見ると、地域をまとめるにはスポーツが一番だなとつくづく思う。私でさえ胸が熱くなった。※戊辰戦争では白虎隊の悲劇が有名過ぎ、会津だけが戦ったように思われがちだが、奥羽列藩同盟の伊達藩も数多くの死者を出している。
2011/04/23
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今、震災の被災者に対し「がんばれ」の大合唱。軽症ながら被災者の一人として思うのは、「声援はありがたいけれど、何をがんばれば良いの?」 心にダメージを受けている人に対し、「がんばれ」は禁句と言われています。「がんばれ」は、肉体的な挑戦に対しては効果的でしょう。 高校のマラソン大会のとき、ゴール前に女生徒の「○○君、がんばってー」の声援を聞き、残り50mで5人抜きをやった事がありました。(我ながら単純) 反対に、私がより大きな被害を受けた人に対して何と言えば良いか、やはり「がんばって」しか思い浮かびません。寂聴さんに「無常とは常ならずと言うこと。同じ状態が人生で続くことはありえましぇん」と言われれば、「そりゃそうだ」と妙に納得し、安らぎます。何度も修羅場を潜り抜けた人にしか言えない言葉。「それほど堪えていないよ」と思うほど優しく心配してくださっても、「何をぼやぼやしてる。大したこと無いんだろ」と一見冷たく言われても、どちらも「ちょっと違うな~」と感じてしまいます。それではどうして欲しいのかというと、何も言わなくて良いのです。ただ、「あなたのことを忘れていない」と言うサイン、これだけで十分なのです。「がんばれ」もそのサインの一つなら、心から感謝し、ありがたく受け取ります。
2011/04/20
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ちょっと古い話だが、原発に収める実験装置の開発に係わったことがある。 その折、ある施設の見学に電力会社の人と同行した。私は孫受けの立場だったが、電力会社の社員が下請けの会社に堂々と接待を要求するので、あきれ返ってしまった。 公務員なら手が後ろに回る可能性もある。民間同士の接待はよくやっても、要求する人を見たことは無い。 またある人は下請け(と言っても日本を代表する大企業)の設計が気に食わないと、図面を投げつけたそうだ。 ご記憶だろうか? 事故直後に記者会見に現れた東電の偉い人は、ネクタイをきりりと締めた立派なスーツ姿だった。この感覚が信じられなかった。 まったく何様のつもりだろう。事実上競争相手もいない独占で、公務員を縛るような法律も無く、やりたい放題。退職金だって普通の民間企業の倍は貰っているのではないだろうか。 電力会社のこうした体質から、今度のような大事故を起こすのは予想されないことではない。一応書いておくが、無論電力会社にも尊敬できる立派な人も居る。 実を言えば私は、原子力発電に関係する企業に就職しようとしたことがあった。勤務地が僻地なので止めたが、若い頃は原子力推進派だったと思う。しかしその後の度重なる事故を聞き、反原発では無いが推進派では無くなった。 今、人間が制御できないことに手を出してはならないと思い知らされた。今回のことを教訓に二度とこのような事故は起こさず、絶対に安全だと言い張る人が東電管内に居るなら、東京湾内に原発を作れますかと問いたい。
2011/04/18
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4月14日(34日目) やっと仙台空港に民間機が飛んできた。好むと好まざるとに係わらず、東京と繋がる事により世界中に行けるルートが確保されたことになる。 被災地にやってくる見物人が問題になっている。道路渋滞のため輸送に時間がかかり、作業者の邪魔になるのだと言う。しかし、私が見た限り、野次馬のような見物人は見当たらなかったし、そのために渋滞が起きているかどうかは判らない。 現地の人の迷惑にならないと言う前提付きで、私は絶対に現場は見るべきだと思う。自然の猛威、人間の恐怖、悲しみ、TV画面からでは読み取れないものがあり、脳裏に焼き付け、次世代に伝える責務がある。 ただし、被災地に暮らす人々の日常があり、その方々をこれ以上傷つけないためにも、最低の気遣いは必要だ。写真は東松島市東名地区。 昨日書いたように遠戚の消息を尋ねた。家があり生活の痕跡はあるのに誰一人おらず、復興の槌音も聞こえない静寂が支配するゴーストタウン。怖い。 長く居れば物取りと間違われるか、あるいは犯罪に巻き込まれる可能性すら感じた。 遠戚の家はあまりの様変わりで見つけられなかった。結局Googleマップの地図と衛星写真を見比べるのが一番確実で、捜し求めた家は跡形も無かった。どこかに避難していると良いが。
2011/04/13
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4月11日(32日目) ちょうど1ヶ月たった。長かったと思う。この逆境をチャンスに変えて行く元気な人たちが居る。広島までダンプの買い付けに行った友人は、西日本の重機、ダンプが東北に大移動中だという。 新車は間に合わず、皆お金が無いから中古の価格が高騰しているそうだ。今ダンプを持ちリースすれば、一年くらいで元は取れるらしい。 確かにうまい話だが、乗用車ならいざ知らず、2tonとはいえダンプを2,000kmも運転する気にはなれない。 不動産業界も動き出した。家を失った人と要修理の家に居た人が、大挙住まいを求めているようだ。買い手市場が一気に売り手市場に激変してしまった。 住宅の多くは傷つき、無傷で即貸せる借家は少なく、供給量も不足しているらしい。 この時機をビジネスチャンスにすれば、経済の牽引役になれるわけで、白眼視するのは間違いだろう。 写真の部屋、せっかく整理したのにまた3月11日に戻ってしまった。天井近くまで書籍を積み上げていたので、崩れるとこの有様だ。 一つ一つ本を拾い、また棚に戻さねばならない。しかし、上部棚に戻すには踏み台が居る。その踏み台が右奥にある。どうやって持って来る? 原発の汚染水のように、ここにあるものをあっちにやって、あっちのものをそっちにやって、手順を考えねば踏み台一つ取り出せない。 気力が萎えているので、今面倒なことをする気になれず、また揺れるかも知れないのでしばらく放っておく。 昨日の「日記」には「時は春」と記した。ロバート・ブラウニング 上田敏訳の「春の朝」と言う詩の冒頭。最後はこう結ばれている。「神、空にしろしめす。 すべて世は事も無し。」
2011/04/11
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4月9日(30日目) 7日の震度6強、それだけでも名前が付きそうな大地震だったのに、3月11日の余震で片付けられている。ローカル放送ではそれなりに報道してくれても、全国放送だと単なる余震だ。 これはもう多重被災だ。地震+津波+原発のトリプル被災よりは良いけれど、地震+地震のダブル被災だ。本当に萎えてしまう。 沿岸で津波にやられた人のことを考えれば、もっと元気にならなくてはと思うけれど・・・ 家内は「また揺れるかも知れないから片付けない」と開き直っている。いざとなれば女の人の方が強いのかも知れない。
2011/04/09
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4月8日(29日目) 昨日の地震には驚いた。本震とあまり変わらない余震があろうとは思いもしなかった。この前大丈夫だから次も大丈夫、と家人には言っていたのに。規模、死傷者の数など報道から7日深夜の地震は大したことないのだろう、と思われるかも知れませんが、震度が示すように揺れの酷さは3月11日とほぼ同じ。倒れた家具、飛び散った什器も同じです。仮置きのものが多く、整理中だったため散らばり具合は先月より酷いかも知れません。 この4週間でこつこつと片付け、元に戻したところがすべて無に帰した。床に落ちたもの全部、家の前の川に放り込み、禁断のリセットボタンを押したくなる。 3月11日は興奮し、何とかしなければ生きて行けない悲壮感もあった。今回はとにかくがっかりし、力が抜け、応えた。建物を直した直後にまた同じような地震が来ることを考えれば、一度の修理で済み良かったと考えるべきなのだろうか。その場合でも、それに続く地震がないとは誰も言い切れない。 このところずっと問題無かった持病の逆流性食道炎が、今朝から再発し、とうとう胃・食道をやられた。おまけに流行の花粉症で、鼻づまり、喉が痛く、頭まで痛い。 トリプルパンチではさすがの私も参ってしまう。本当に何もやる気が湧いて来ない。それでも仕事は進めなければならないから辛い。大地が揺れないところに行ってしまいたいと思っても、社会的責任があるからそんなことはできない。あしたまた考えることにして、寝よう。
2011/04/08
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また震度6に襲われました。 揺れは先月くらいあったものの、時間が短く、ライフラインもすべて生きていて、被害ははるかに軽微です。 落ちたものをもう一度元に戻さなければならないけれど、建物の修理は一度で済みます。 先月の東日本大震災では、想定された宮城県沖地震の震源域が滑っていないという研究者もいて、気がかりでした。 今回の地震は震源からおそらく宮城県沖地震でしょう。これで少なくても30年は枕を高くして眠れそうです。 長町-利府断層という直下の活断層もあるけれど、そこまで気にしたらかえって寿命を縮めてしまいます。 家族全員怪我も無く元気にしております。地震直後の電話は緊急連絡の妨げになりますから、どうかご心配なく。メールをいただいても返信に少々時間がかかるかも知れません。4月9日追記 今朝の新聞に、7日の地震はプレート内部の地震で、想定されたプレート境界型の宮城県沖地震ではないとの記事がありました。コメントにも書いたとおり、私自身78年の宮城県沖地震とは振動方向が違うと感じておりました。 これからまた新たに宮城県沖地震が発生するのでしょうか? その前に宮城県沖地震が、78年と同メカニズムで発生するという仮定は正しいのでしょうか? その「想定」自体間違っていると考えられないのでしょうか。確かに理科年表を紐解くと、ほぼ同じところで37年程度の周期で地震が起こっています。しかし、精密なデータが得られたのは1978年からで、それ以前の測定精度ははるかに劣るものだったと推察されます。 7日の地震が、まともに測定できなかった江戸時代に起きたとすれば、宮城県沖地震に含まれていた可能性があります。 78年の地震とメカニズムが違ったとしても、37年周期の宮城県沖地震の一つである可能性も考えられるのです。3月11日の地震で「想定される」宮城県沖地震のアスペリティが滑っていることも考えられ、素人がなんだかんだ言うよりも専門家による今後の精査を待ちましょう。 と言っても11日の大地震を予測できなかったり、50年も東海大地震が来る、来ると言い続けた専門家の能力にも限界があるのは確かです。
2011/04/07
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4月5日(26日目) 親戚の家では未だガスが出ない。ガス局のホームページで調べると、ガス管補修工事に手間取っているようだ。外のガス管の点検が終わり、家の中のガス器具を一通り調べてガス開栓となる。 不在の家は後回しにされ、次にいつ来るか分らない。このため家を空けられない。 昨日、地震当日の11日に配達され、開封していない封書が出てきた。仕事の重要な書類で要返信だった。あわてて詫び状と共に送り返したが、3週間以上放り出していたことになる。ビジネスチャンスを逃したわけではないので一安心。 何しろあの日は本棚の書類が机上、床上ところ構わず散乱し、とりあえずの空間確保のため分類もせず書類を積み上げていた。 反対に探していたものが出てきた。どうしても見つからなかった物が四散した書類の上に落ちていた。棚の上の方に他のものに紛れて置かれていたのだろう。 大事な友人から貰った最後の手紙、少しは思い出せよと言っているのかも知れない。 今日の花粉症は最悪。鼻水ぽたぽた、のどはイガイガ、目はしょぼしょぼ、頭はホワホワ、こんなものが書けるのだから大した事ないだろうと思われるかも知れない。まったく仕事をする気になれないのが困る。いつもの怠け癖ではない。写真:拙宅南側斜面に出来た地割れ。こんなものは雨が降って一年もすれば埋まるので、気にすることは無い。
2011/04/05
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4月3日(24日目) 家内と娘が買物に街へ行き、いつものように電車で帰ってきた。仙台市内の交通網は一部を除き復旧。 今回の地震、原発事故では何度も「想定外」と聞かされた。しかし、そもそもこの「想定」とやら、誰が、いつ、何を根拠に決めたのだろう。 気仙沼で写した写真、「津波進入想定区域」。多くの人が「これより上に津波が来ないことを、行政が保証しているんだな」と思ってしまうだろう。 ところが実際はこれよりかなり高いところまで浸水しているし、看板の下の家は完全にひっくり返っている。 今回の津波は自治体が定めた指定避難所をも飲み込み、自主判断でより高い場所に逃げた人だけ、助かった所もあるらしい。 多くの想定基準は、1960年の波高6m程度のチリ地震津波と思われる。記憶している人も多く、基準にし易いのだろう。 しかし、1933年の三陸地震津波では波高28.7m、1896年の明治三陸地震津波では波高38.2m、もっと遡れば、今回の地震と震源域が似ているとされる869年(貞観11年)の地震でも大津波が記録されている(理科年表)。 これだけの記録があるのに、同程度の今回の津波が想定されなかったのは何故だ? 自治体の防災予算との兼ね合いだろうか。それは分らないでもない。千年に一度の災害を想定するなら、日本の一部に人は住めない。 しかし、原発は違う。限りなく「絶対」に近い安全性が要求される。現に津波の危険性を指摘していた研究者もいると言う。 東電関係者でも監督官庁でも、誰か一人この可能性を考慮すれば、少なくとも原発事故だけは防げたはずだ。
2011/04/03
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4月2日(23日目) ガソリンスタンドから給油待ちの列がほとんど消えた。それでも夕方には100m程並んでいる。 ガソリンに余裕ができ、震災以来初めて妻の実家に行く。どこの家も多かれ少なかれ傷が付いている。それでも何も失わなかったのは、幸いだったという他は無い。 運が良かったとか悪かったとかで片付けられる問題では無いけれど、この件に関しては日を改めて。 いつもの土曜日なら渋滞知らずの幹線道路も、あちこちで渋滞が起きている。ガソリンが手に入り、みな買物や知人訪問に繰り出したのだろう。少しずつでも、ここでは日常が戻りつつある。写真:JR気仙沼線大谷海岸駅付近。左はJR線路のトンネル。建物の二階まで津波で浸水している。ここの場所に来て水面の位置を想像すると、言いようの無い恐ろしさを感じる。
2011/04/02
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4月1日(22日目) ちょうど3週間が経った。遠い日の夢のようにも思えるし、「もう3週間」と言う思いも強い。 仙台市内では未だガソリン不足が続いている。今日現在、市内のガス復旧率は20%足らずだという。今週日曜に回復した拙宅は非常に早かったようだ。ガス局が近いのが幸いし、開栓作業員は歩いて来てくれた。 気仙沼の写真を見ると、改めて戦慄を覚える。人間なんて地球の上でひっそりとささやかに生かしてもらっているのだと思う。
2011/04/01
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3月31日(21日目) 盛岡より気仙沼経由で帰宅。災害現場は見なければならないと強い意志で行ったにもかかわらず、言葉が出ない。考えるべきことが多過ぎる。
2011/03/31
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3月28日 (18日目) 出張 仙台市内で給油しようとしても、どこのスタンドも長蛇の列。あきらめて、ほとんどあり得ない事だが法定速度で巡航し北上。 高速道路SAのスタンドも休業中の表示ばかり。岩手県に入って最初の前沢SAで、やっと給油待ち車列の後尾に着く事が出来た。係員が左に寄れと書かれたボードを持っており、確実に給油できそう。 こんな時もカーナビは役立つ。自車とスタンド間の距離がわかる。200m足らずだと思うが50分待ち。3,000円分のみの補給。看板の表示と違い、在庫で変動するらしい。 こんな中途半端な給油なら帰りにもう一度補給しなければならない。全車満タンにすれば給油待ちの車は減るはず。しかし給油できる車も減る。数学的にはどちらの方が得策なのだろう? 給油ポンプの左右両側を使い、少しでも早く送り出すため、右側給油口車だけ割り込みさせて給油していた。眺めていると圧倒的に左側給油口車が多い。 いったいどんな設計ポリシーか事情で給油口の位置が決められるのだろう。私自身は給油作業を確認できる右側の方を好む。緊急車両も優先給油。どんな基準で緊急になっているかも、すこぶる怪しい。
2011/03/28
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3月27日(17日目) 11時頃"静岡ガス"の人が室内のガス器具点検に来てくれた。「遠くからわざわざご苦労様です」と満面の笑み。やっとガス開通。 昼間から風呂を沸かして入った。17日ぶり。これだけ風呂に入らないとどうなるかと言うと、足はなにやら白っぽく粉っぽくなっている。肩の筋肉痛に湿布薬を張ろうとすると、ピタリと粘着しない。 寒い時期だから我慢できたが、夏なら我慢できなかったのは確実。行水と言う手はある。 相変わらずガソリンの供給が追いつかない。今日は家の前まで車が並んでおり、先頭のガソリンスタンドがどこか見当もつかない。 明日は仕事で遠出しなければならない。片道分の燃料で行くしかない。特攻隊みたいだ。注:特攻隊は片道燃料と言うのは嘘。いくら帝国陸海軍とは言え、標的も見つけられずに、そのまま燃料切れで死なせるようなことはしない。
2011/03/27
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3月26日(16日目) 庭の散水栓に通じる水道管破裂を修理したのは良いが、盲栓で塞いだ応急処置のため庭に掘った穴を埋められなかった。 ホームセンターの補修部材は品切れ、かといっていつまでも落とし穴を放置しておくわけにも行かず、ありあわせの材料で水道管を繋いだ。 90度の屈曲が3箇所増え、平時のプロなら絶対にやらない工事ながら、とにかく自力で地震の復興を一つ成し遂げた。これだけ深いと体が曲がらず、辛かった。 今日、大阪ガスの人が屋外のガス漏れ検査に来た。屋内のガス漏れが無いことを確認できれば、晴れて開通となる。明日か、明後日か? いつもガス局には大半の作業車がいつも駐車しており、余剰人員を抱えているのではないかと思い続けていたが、この際そのことは言わないことにしよう。大阪からわざわざ来てくれ、本当にありがたい。 変な音の救急車が行くので、見ると「長野市消防局」と書かれていた。このほかにも「旭川市消防局」等々。今仙台にくれば日本中の救急車が見られる。 救急車のサイレンは全国で統一されているわけではないようだ。音で仙台の救急車ではないことがすぐ分かる。デザインもいろいろ。斜めのストライブ入りもあった。 できれば明日風呂に入りたい。明後日は出張、迷わず温泉に泊まる。あまり汚い体では、恥ずかしくて温泉に入れない。 未だ余震が続き落ち着かない。揺れていなくても揺れているように錯覚するのを「地震酔い」というのだそうな。家内は「気持ち悪くなった」と言ってしばらく寝ていた。
2011/03/26
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3月25日 (15日目) 娘の初出社日。電車も動かずバスも不定期なため、初日から遅刻するのもみっともないので、親馬鹿ながら送って行った。幼稚園入園式以来6度目。まさか社会人になってまで送る破目に陥ろうとは。 ガソリン不足で渋滞知らず。いつもなら30分かかるところ、15分で着いてしまった。(写真:仙台市中心部午前8時) 街は特に地震の爪あとも見当たらない。建物一つ一つを良く見なければ、何百年もそのままそこにあったような、いつもと変わらない街だ。 あちこちに車の行列ができている。スタンドの給油待ち。市街地の1ブロックを左折、左折で連なり、最後尾が先頭車に届きそうな行列だ。 300台待ちで一台当たり7m占有すれば、2kmの行列になってしまう。何時間も待って、結局今日は販売しないことが分かったり、列の最後に付いて果たして在庫があるかも分からず、今日の給油は止める。とにかくガソリンが無ければどこにも出かけられない。 地震以来家族揃って食事をすることが多くなった。数年振りのような気がする。食事が済むと二人と一匹は炬燵の回りで眠ってしまった。 このため息の出るような、なんとものんきな風景の、なんともいえない安心感。何もないことが、いつもと変わらないことが一番のしあわせだと痛感する。
2011/03/25
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3月24日(14日目) 写真は屋根瓦が落下した近所の家。50mほど離れたところで落下の瞬間を見ていた。屋外の駐車場にいたため、震度の尺度が得難かったが、この瓦の落下を見て、ものすごい地震だと知った。 拙宅も33年前の宮城県沖地震で棟瓦の一部が落下した。慌てて外に飛び出し、落ちてきた瓦が頭を直撃するというのは良くある話。 2年前に耐震補強を行い、最低でも瓦屋根をやめたかった。ざっと数えて2,000枚。4トンほどの重さになり、それを支えているだけでも柱の負担は大変なものだ。 銀鼠瓦から鉄板(いろいろとメッキや塗装処理してはあるが、所詮鉄板)に換えるのは明らかにグレードダウン。雨音もうるさく夏暑くもなったけれど、瓦を降ろして本当に良かったと思う。 朝、近所のガソリンスタンドを偵察してきた。「在庫なし休業中」の張り紙。地震直後に給油に来たら何とかなったかというと、よく考えれば停電でポンプは動かない。 親戚も取引先も電話でガソリンの話題ばかり。ものすごい人もいたもので、山陰からガソリン200リッター乗用車に積んで来た人が居るらしい。無論危険物取締法?違反。 前日に開業予定店を公表すると、路上駐車で収拾が着かなくなるためか、開いている店は当日朝まで非公表。4時間並んだと言う情報もあり、それまでして入れたくも無い。
2011/03/24
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3月13日(13日目) 新潟からのパイプラインが生きていて、復旧に数ヶ月要すと言っていたガスが今月中に出そうだ。 仙台駅と近郊を結ぶJRも来週からは走りそうで、東北自動車道も全線開通、これでガソリンが行き渡れば復興も、経済活動も勢い付くはず。 一方未だに電気も水道も通らない地区がある。何かできることは無いかと考えるのだが・・・・・・ 数十年音信の無かった小中学校の同級生から、お見舞いの電話が来た。私が被災した情報がe-mailで回っているらしい。 何十年も何百kmも離れていても、気にかけてくれる友人がいることがうれしく、心が温もる。 皆さん「何かできることがあれば言って」とおっしゃってくださり、とてもありがたいけれど、お気持ちだけで十分です。欲しいものはガソリンだけ。 避難所の人が入浴できずに辛いと言う。こっちだって10日以来風呂に入っていない。入浴できるスーパー銭湯や中小の温泉もあれど、芋の子を洗うような入浴はしたくない。 この節だし、シャワートイレもあるからそれほど不自由ではない。しかし、体が温もればゆっくり休めそうな気がする。 近所でもオール電化の家が増え、普通の生活に戻ったと言う。誘ってくださる方が居ても、貰い湯は大いに遠慮だ。 拙宅は一昨年電気温水器からガス湯沸かし器に換えた。たとえ深夜電力でも電気のジュール熱でお湯を沸かすなんて効率を考えればとてもできない。 と言うのは表向き。単に電気温水器のスペースを他に利用したかっただけだ。 深夜電力は割引になるが、省エネになるわけではない。高い電気料金を払えば普通の100Vでも風呂を沸かすことができる。 計算してみると600Wのヒーターを直接風呂に放り込めば、断熱の問題があるにしろ約8時間で入浴可能になる。昼間の節電に協力するなら夜やれば良い。ガスが2ヶ月も3ヶ月もかかるなら、本当にやろうかと思った。ただし、ヒーターは防水のものに限る。(素人は絶対しないこと。感電の危険があります。上記は戯言で何かあっても当方は一切責任を負いません)写真:倒壊した石灯籠。大谷石を削ったもので安定が悪く、大きな地震で倒れるのは確実と思っていた。倒れるどころか吹っ飛んだ。 もう再建はしない。この空いたスペースに何を植えようか? ツゲやツツジは根が浅く、耐震性は良くない。直根が発達するのはブナ科のナラ類、赤松など。どちらも雑木林でお馴染みの木で、庭に植えるのは難しい。
2011/03/23
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3月22日 (12日目) 倅が津波で浸水した友人宅へ後片付けの手伝いに行って来た。私の友人は津波で被災した沿岸部を見てきた。報道されない、あるいは報道画面からでは分からない、悲惨な現状を目の当たりにしてきた。 異口同音に言うには、同じ仙台市内でも津波が押し寄せた地域と、そうでない地域では今回受けた災害に対する思いに、かなりの温度差があると言う。 そしてまた、被災現場は見るべきだ。記録して後世に伝えるべきだとも言った。これは私の災害現場は可能な限り見るべき、と言う信念とも一致する。生々しい現場を私も見なければならないと思う。ガソリンが無いのでしばらく動けない。 午前中に女性陣が、夕方私が買い物に出た。これが欲しい、あれが欲しいと言わなければ、満腹になるくらいの食材は調達できる。 電気も水道も不通の避難所があると言うのに、同じ被災地でありながらかなりの温度差がある。 拠点を作り、そこからより末端の地域に補給するため、時間差ができてしまうのは、ある程度やむを得ない。 家の片付けも同じ。床が見えるように道を作り、ある場所を足場にしてその周辺を片付けて行く。 橋頭堡を確保し、周囲に進行して行く戦争と同じだな、とふと思う。 理髪店が再会し始めた。水が通ったのだからプロパンガスでやっている店は、すぐにでも再開できる。 無洗髪記録は12日で潰えた。頭が軽くなり、すっきりした。こんなことができない人が、未だたくさんいる。写真:沈下した庭 左側のコンクリート上面と、中央地面の高さは同じだった。コンクリートの方はおそらく動いていないので、地面が約30cm沈下した。この部分は盛り土のためある程度は仕方ないと思う。 地盤が固くなったなら良しとしなければ。コンクリートの擁壁が左側に倒れたり、右側の大石が転がらず胸を撫で下ろす。
2011/03/22
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3月20日(10日目) 煮炊きに使っていたカセットコンロのガスが残り1本になってしまった。このまま尽きるとえらい事になる。IHヒーターなんてしゃれたものは無いが、ニクロム線むき出しの電熱器が確かあったはずだ。 押入れや天袋、心当たりを片っ端から探すも、何とか焼きの陶器や、何とか塗りの漆器ばかり出てくる。こんなものは非常時に何の役にも立たない。 半日がかりでやっと天井裏で見つけた。40年以上前粗品で貰い、ほとんど使うことも無く新品同様で仕舞われていた。安全装置もスイッチさえも無く、きわめて単純な作りでも非常時は役に立つ。火力はコンロに劣るが、十分調理に使える。 さすがに頭が痒くなってきた。お湯を沸かせば洗髪くらいはできても、どうにも面倒だ。ふとシャワートイレが使えるのではないかと考えた。ちょっと細工をすれば何とかなりそうだ。まだまだそんな勇気は湧いて来ないが。
2011/03/20
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多くの方からお見舞いをいただき、ありがたく心から感謝いたしております。なかなか個別に返信できないことをお許しください。3月19日 (9日目) 今日はあの日のような快晴。いくらか気分も良くなり、気晴らしにどこかへ行きたくなるが、何しろガソリンが売っていない。 食料品の補給もいくらか円滑になり、並ばないでも野菜や果物は手に入るようになった。 大手スーパーよりも個人商店に物があり、大量仕入れ、大量販売の大手よりも、小回りが効く個人の方が、物を集められるのだろう。こういう店をつぶしてはいけない。 近所の小さな自転車屋さん、完売。適正在庫を持つことは緊急時のビジネスチャンスを生かせるし、消費者にも喜ばれる。 仙台市のガスも港に生産拠点を集約したため、再開には数ヶ月要すると言う。規模を大きくしてスケール効果を高めるのがコストダウンの常道だが、単価が高いプロパンガスもこんなときには便利だ。東電の原発もあれほど集中させなかったらと思う。 じっとしていられない元気な人から電話があった。何か役立とうにもガソリンを調達できないのが行動の足かせだ。 確かに私自身、ちょっと遠出をして温泉にでも入ってくれば、もっと元気が出るだろう。 写真は私の工作室。この部屋の片付けが最後になり、あと2m前進すれば未踏領域は無くなる。本が積み重なってしまうと、一つずつ取り除いて行かねば前進できないので難儀する。 本棚上の段の本が下、下の段が上に積み重なっている。上の段から先に落ちるから考えてみれば当然。整理も分類も無く、ただただ並べるだけ。そうしなければ進まない。
2011/03/19
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3月18日(8日目) あの日から一週間経った。あまりに多くのことがありすぎ、はるか昔のことのような気がするし、未だに悪夢のような気もする。 やっと人の事に目が届き始め、通信状態も改善してきたのであちこちの知人に電話した。本人はみな無事だけれど、親戚に不明者がいる人が多い。 実家が三陸沿岸にある人は、往復のガソリンを確保できないまま駆けつけているとの事。再会を果たせればよいが・・・・・ 今日は気分転換に私が食料調達に出てみた。店頭販売をしていた大手スーパーは在庫が切れたか閉店中。ドラッグストアは朝早く並んで整理券を手に入れなければならない。 酒屋が開いていたので入ってみたら、チョコレートがあった。大喜びで二袋購入。最近甘いお菓子が人気なのだそうだ。みな同じ嗜好になるらしい。タバコはほとんど品切れ。愛煙家はどうするのだろう? 娘が「売っていた」とケーキを買ってきた。こんなものは普段でもそうそう食べない。ケーキをスイーツとしてではなく、食料として食べるのも変な感じだ。マリー・アントワネットじゃあるまいし。 冷蔵庫を開けるとずいぶんすっきりし、デットストックが日に日にさばけてくる。いよいよとなったらドックフードがあると言いつつも、米のストックがあるのは幸いだった。 今日は鶏肉入りのハヤシライス。いまどき肉が食べられるなんて贅沢な話。「肉が食べられず力が入らない」と言う友人がいる。みなそろそろ気力が尽きかけている。 何日風呂に入らずにいられるか記録更新中。エアコンのみの暖房で十分温まらないのは辛いが、この節だから風呂も我慢できる。 近郊の温泉は休業で、山形まで行けば温泉に入れるらしい。しかし、往復で温存しているガソリンを15litreも使ってしまう気になれない。 もう1週間がんばれば何とかなるのか? 犠牲者や避難所の人のことを思えば贅沢は言えないけれど。下写真: 13日の大手スーパー。2時間並んで籠半分も買えない。この列を見たとき、自分も被災者になったのだと実感した。
2011/03/18
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3月17日(7日目) 何もこんなときに雪が降ることは無かろう。トイレに行く度、外に出て水道の元栓を開閉するのは堪らない。何としても漏水部分を見つけねば。 庭に出現した泉の下と確信を持ってひたすら掘った。60cmを超えたあたりでようやく管の一部を見つけた。やはり土が動き管を引っ張ったようだ。 割れた管を止めるには専用部材が必要で、ホームセンターに買いに行くのも面倒だし、開店しているかも分からない。有り合わせの材料で盲栓を作り切断された管に取り付けた。ピタリと漏水は止まり、家人から尊敬のまなざしで見つめられた。 きょうはとにかく寒い。ここまで冷えるとエアコンだけでは力不足で、石油ストーブを併用したくなる。しかし今、石油なんてどこにも売っていない。温存しなければ。ガス欠になった避難所の寒さはいかばかりだろう。 「地震に遭遇したら三日間は自力で耐えて欲しい。その後は外からの支援が届く」と言われていた。もう一週間だ。災害が広域になって、外も被災地になってしまうとは誰も考えなかったのだろうか。 とにかく復興の足かせになっているのは補給だ。業者に修復工事を頼んでも、職人さんの車にガソリンが無く、来てくれぬのだという。 「日本は大災害に遭っても整然とし、略奪も起こさない」と海外メディアが伝えている。そんな徳のある国民なら、関係ない地域の買いだめ、買いあさりは止めてくれ。お金を払ったとはいえ物が無くなるのは略奪と同じではないか。気楽にチョコレートかキャラメルが食べたい。下写真 曲がってしまった新幹線架線支柱 何本かに数本、このように曲がっている。運転再開なんてまだまだ先。5日に「はやぶさ」が走ったばかりなのに、タイミングが悪すぎる。
2011/03/17
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