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Feb 6, 2008
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『団塊世代向けビジネスの展開』 を特集していました。その中で、昭和の音楽だけを集めた店が人気になっているようです。

店内で見ず知らずの他人が振りを合わせながら歌う・・・。


昭和といっても幅広いのですが、同世代の共有の歌があるというのは(しかも振りまで)歌までもが日常的に消費して忘れられている現在ではとてつもないことである気がします。


 現在の時代の歌ってあるんでしょうか? 生まれる土壌はあるんでしょうか?

単純にいって歌い手等、歌の送り出し手は相当な増加を遂げていると思います。
先日吉永小百合さんのことを書きましたが、時代を代表するような芸能人(圧倒的に芸No人が多いですが)なりそうな人たちも異性関係を中心にスキャンダルに追い回され 、「幻想」 「理想」 を見るものが乗せるのが難しくなっている気がします。

「知る権利」 をマスコミがおおっぴらに振りかざしてから 「プライバシー」 との兼ね合いで多くの裁判が行われてきました。また、芸能人ごとの得意分野というものの仕切りが非常にあいまいになり(芸人が俳優になったり、歌を出したり・・・、元スポーツ選手の芸人化etc.)多方面で「タレントの個性」を発表する機会が生まれています。

 歌と歌い手、また作詞家や作曲家の個性との相関関係は、本来『歌』というものの『不可分な裏方』 だと私は考えています。

他にも俳優がドラマや映画で演じる『役』も同じです。

 『歌』や『役』に視聴者じは感情移入する段階で 

「あぁ、あの不倫している人ね。」

とか

「何年か前に薬でつかまった人でしょう?」

とかの前提条件があったらその歌や役の印象をそのまま受け入れることは出来るのでしょうか?

 送り出し手の個性(タレント)が歌や役に厚みを持たせることによって「名曲」や「名作」が生まれることは全く否定することではないのですが、余りに表に出て「個人」の印象をつけてしまえば、結果として作品に余計な印象を付加してしまうのは避けられないことです。

 例えば 羽賀容疑者が「誠意」という言葉を使ったときに、本人への偏見やさげすみ(当時です)から、「誠意」という言葉自体が軽く見られていた時期があります。これなどは「不可分の裏方」が影響してしまっている例ですし、もし、この時羽賀容疑者が何らかの作品で「純愛」や「誠実」等のテーマにかかわっていれば、その『役』及び『作品』は失敗となるでしょう(実際はそんなキャスティングはされませんけどね。)

 他にもドリカムの吉田さんが事実婚にとどめたのは「失恋ソング」のイメージを崩さないためだとか、声優で自分の顔が画面上に出てくるのを拒んでいる人がいるのも、『 作品へのこだわり』 『作品に対する送り手のイメージが与える影響』 を示しています。


『大衆』から『分衆』 への移り変わりも影響しているのかもしれません。
この『分衆』というのはとある本で見た社会学者の造語です。大衆という国民総中流意識から個人主義への移り変わりの中で、日本では完全な個人主義、つまり自分のみの価値観に移行したわけではなく、集団の中に共通の価値基準を置きながら個人ごとの意見を出す機会を得た状態というようなことが主たる意味だったと記憶しています。

 当然興味の対象が多岐にわたれば 、『共通してよいもの』『共通の代表』 というものが数字で示せないもの(※2)、感覚的なものでは共通項として意識しにくくなっても仕方ないのかもしれません。




 よくスポーツ選手は「フィールドで全部答えを出します」とか「私の演技を見てもらえばわかります」等といいますし、画家で「私の作品は製作過程を見てもらうものだ」という人はいないでしょう。

 全て 「発表する舞台」上で見せるからこそ価値がある とされています。

 であれば、 舞台に上がるまえの稽古や控え室をのぞこうとするのは『無粋』(※) ですし、作品とCMなどとのタイアップが日常化している現在では 、『作品自体の評価として』時代の代表的なものと見るのは難しい といわざるを得ません・・・。



 もう10年か20年の後、冒頭の店のお客達のように、同じ時代を感じることができるようになればいいな、そう願っています。贅沢な望みなんですけどね。


(※)このところでは例外があると考えています。それは自称「タレント」の人たち。
   この人たちはどの舞台が自分の『作品』を見せる場か決まっていないと感じる人たち(マルチタレントなんて   言葉を使っているのもいますね)は別途考察したいと思います。

(※2)音楽や映画などでは売り上げや入場者数など、『数字で表せる』『各賞受賞等評価がある』といわれそうなものですが、冒頭の歌のように「共通意識になるもの」という意味では、商業的な競争に数字が宣伝の一部として使われたものは比較基準には出来ないと考えます


青春歌年鑑 80年代総集編
世代的にはこれより後のはずなんですが・・・・
懐かしいって言うとこの辺りが連想されてしまいます





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最終更新日  Feb 6, 2008 12:31:13 AM
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