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『ヤンキー、弁護士になる』
著者 金崎浩之氏が、所謂『不良』から弁護士になる過程を振り返ったもの。
金崎氏は、『不良』というモノを『自分の黒歴史』とは考えていない。鑑別所に送られるのも勲章でこそあれ、マイナスにはならないと言う。
その理由は 『勉強が出来るやつは勉強で、スポーツが出来るやつはスポーツで目立つように、自分には喧嘩が目立つ手段だった』
と言い切る点に凝縮されている。
文庫化に際しての前文は、私の目からは本分以上に意味があるものに読めた。少年犯罪の弁護などを精力的に行い、更正を促し、弁護活動では更正させる事が殆ど出来ていない苦悩。それが少年院から、この本を読んだ少年が更生したという知らせを受け、更正の一助になることを実感。より精力的な活動を行っているという。
彼の言う『更正』とは、暴力行為や暴走行為を若年期に行わないことではない。
その後の人生に『自分の足で立つこと』だ。
正直に感想を書けば、彼は札付きの不良であり、家庭の不和を抱えてはいたが恵まれている。高校受験のあたりまでの記述では『親が自分を疎んでいる』様子をしつこいほど書き連ねている。
しかし、柔道をやりたいといえば通うことが出来、空手をやりたいといえばやり、喧嘩を繰り返して両親が菓子折りを持って謝罪行脚していても彼は実家に居て、
フリーターをやりながらとはいえ三〇まで司法試験に受かっていない期間親は待ってくれているのだ。
そうした意味では彼が『誰でも頑張れば・・・』という存在でないのもハッキリしている。
しかし、 本書で重要なのはそうした背景よりも、家庭・学校問わず 教育や人生に方向性を見出せなくなってしまった時に自分がどれだけ我武者羅に努力できることが大事か、努力を重ねることで実力はつくという事実を認めることだ。
各所のレビューに見られるように、彼が現在目的を持って社会貢献しているとはいえ当時迷惑した人間にはほぼ還元が無いし、普通に生活する市民の目から見れば問題も多い。
それでも彼は家庭内暴力に走っていない(正確には父親がバットを持って先制攻撃してきたために迎撃する下りはある)。それは本分の中での『幼い頃に父に遊んでもらった暖かい思い出が・・・』というところに、 実
際に家庭内暴力に苦しむ家庭に足りない物
が見えてくる。
そして・・・
あくまで 『自分の存在を示すため』のツッパリ
であるから陰湿さは無く、ギャラリーの居ないところで戦うようなことはしない。そういう意味では『今の不良』の有り方にも一石を投じているといえる。
それを踏まえて・・・・(後半に続く)
そーいえば、こんな格好した芸人さん、最近見ませんね。
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