三十路で徒然・・・

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Nov 10, 2009
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カテゴリ: 毒(?)書感想文


 押尾学の事件の経過を見ると 、「死人に口無」 を利用しているのは押尾なのか、それとも死んだ女性の遺族なのか分からなくなる。
私は以前 押尾、女性ともにどちらも『悪』と判断した。

 遺族は女性が死んだから、言いたい放題できている。仮にこれで普通に生きていたら遺族までバッシングの対象であったであろう事は容易に想像できる。 死ぬか、再起不能に近い状況だから

 そして、 この姿勢は『死』が尊厳あるものとしてではなく、『取引の道具』に落ちてしまっていることを示している。


 押尾被告の問題で争点になっていたのは、女性の異変が起きた後、救助する(救急車を呼ぶなど)ことなく放置して逃げたこと。

 これまで書いてきたことを前提にすれば、女性はまだ死んでいなかった(死亡が確定していなかった)のだから救うのが道理だし、善き事というのが社会の通念なのだろう。
 この 『社会通念』がこのような事件を通しても『正しい』と判断されてしまうのが、私には納得がいかない。

当然に死のリスクがあることに、安易に手を出しているのだ。

仮定の話では・・・
 押尾被告が彼女を拉致し、性的快感を得んがために彼女に無理矢理服用させたという前提でなら彼女は全面的に被害者だ。
 しかし、この事件では度々建物内での警備カメラの映像が流れるが、二人が拉致のような異常な状態で部屋に入ったという情報は無い。同意の上、なんの争った様子も拉致した様子も無く部屋にはいったからだろう。
 遺族が争えるのは薬を自分の意思で服用したか、無理矢理飲まされたかという点だけだ。

無理矢理飲ませたと言うのなら頬などに擦り傷、内出血などが出来る。何か混ぜて騙して飲ましたと言うのなら警察が発見するだろう。

 そう考えたから私は少なくとも薬を飲むこと自体には女性は同意したと判断している。追加服用分は判断能力が無かったにせよだ。一粒なら問題ないなど薬は個人ごとの置かれた状況により効能が変わるのだから経験則でしかない。

 言ってしまえば、不法行為であるし、一粒の時点で死のリスクを負っているのだから『自殺』だ。
 死ななければ『幸運』であり、快楽が手に入る。そして『幸福』は当たり前のものと思われがちだ。


「死人に口無」とは使い古された言葉だが、実際には死の状況から死因や経過がでてくる。
 少なくとも頭髪や内臓などから薬物反応は見られただろうし、今回限りかどうかも判断できたことだろう。
 医師が『死を看取る存在』 『死を確定させる存在』ならば、確かに求められているのは『客観的事実』であるし、原因が分かろうが、それを 事件性を持って語る必要はない。

ここに矛盾がある。


 嫁の伯父のケースでは『変死』という事件性を前提にした見方をするからこそ検死をしている。それは医師が看取っている時であれば、心拍の停止などの条件で死亡時間を確定させるだけの作業にもかかわらず、 医師が居なかったという事で『やましいことが有る』 → 『事件性』という法的・社会的な見方が透けて見える。

馬鹿馬鹿しい話だ。

 これまでも述べてきたように、患者が『医師の決して手出しできない状況』こそが『死』であり、『死を前提に自宅に戻った嫁の伯父』に犯罪性を前提にすること自体が馬鹿げている。別に保険金で死因について争っているわけでもないのに・・・。絞殺したかどうか、薬殺の可能性は? そんなのも 腑分けしなければならないほどの状況があるならまだしも、「医師のその時点での不在」を理由に行う必要はない。

百歩譲って現状の制度を尊重したとして 医師が訪問し、最低限の検査をその場で行えば済むことだ。何故病院からやっと戻った人間を再び手術台の上に戻すのか・・・。

 警察が変死を疑うことを死者への尊厳より優先していることは明らかであり、医者もその判断に従う形になっているのが今の制度だ。医師の判断で自宅に戻ったことを考えれば、医療の『手立て』は終わっているのだ。仮に医師が訪問して違和感があれば初めてそこから遺族に説明・合意の上検死するべきだろう。


 現在の制度は人の死を診断書の記入事項の一つくらいにしか考えていない。
 優先順位がおかしいのだ。

 そして、一方で、『制度が疑わなければ成らない犯罪行為』が度々起きてしまっていることがおかしいのだ。

 『完全犯罪』なんて言葉に酔う人も沢山居る。
 ”ばれなければいいんだ。”
 自分の心まで偽るどす黒い感情が、多くの死者を冒涜している。

 本書は『命を救う医師』としてブラック・ジャックを紹介している。しかし、ブラック・ジャックでもこのどす黒い病巣は取り除けない・・・。
 まさに死に至る病に人は罹っている。








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最終更新日  Nov 10, 2009 08:20:13 PM
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