理系一筋夕子のブログ
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「独断運動音痴のオートバイ操縦法」など村松「こんな形で、お前さんの言うバイク個人教習リメイクのプロローグに入るなんてのは、余り気に入らないかなぁ」夕子「ううん、形は気にしないよ。ただね、改めて、あなたのバイクへの思いの歴史みたいな話も読みたいなぁ。・・・・・それとね、今まで書いたのがいくら脚色交じりって言っても、逆に言えば事実の再現は、かなりむずかしいんでしょ」村松「うん、まあ確かにむつかしいけど・・・」夕子「でもね、あなたが前に書いた指導の話の中のさ、私にイジワルしてわざと厳しくしたってのは完全に脚色だから、あれを訂正して欲しいと思ったのよ」村松「ああ、あれか。了解」夕子「じゃあ、まずあなたとバイクとの出会いから。これ、初公開よね」村松「中学のとき、兄貴の親しい友人で、同じ高校にかよう人が家(うち)に来てさ、その時乗っていたのが、ホンダのスーパーカブ。お前さんは自転車のペダルが取れて、アクセルだけで走れるバイクに憧れたって言ったじゃん。でも俺は、カブをペダル無し自転車とは見なかった。やっぱり別物だね」夕子「そこはあたしと考えが対立するね。あたしはのぼり坂でくたくたになってる横を、オートバイが楽々走って行くのを見るたびに、バイクに乗りたいって憧れたから」村松「で、その兄貴の友達が、試しに乗ってみなよと勧めたんで、こわごわ、一速だけで、官舎の中の未舗装路を一周してそれでおしまい。ところでちょっと自慢になるけど、俺ものちに入った兄貴と同じ高校はね、条件を満たした沼津市の生徒は、バイク通学許可してた。死亡事故もあったけどね。ただし今はバイク禁止」御殿場市の自衛隊官舎の雪景色。この官舎は現存しません。今は団地のような建物に変わりました。夕子「家庭教師始めた時は自転車だったのよね」村松「これは当時割りと売れっ子だった家庭教師のバイトに不利だと思ってね、翌年の昭和54年早々だったかな、原付免許取ってギヤ・チェンジ無しの原付買った。妙に印象深いことだけど、あの頃原付は自転車屋にもかなり置いてあってね、今もそうかどうか、わからないけど、先にバイクの予約して、するとさ、自転車屋の奥の部屋へとおして、そこで原付の学科試験の特訓やってくれるの。それから試験日を決めて、当日自転車屋さんが車で、試験場まで運んでくれるの。あの頃は静岡まで行かなければならなかったな。原付は自転車が不便だから取っただけで、学科だけの試験受かった時もうれしくなかったし、本格のオートバイにはまるっきり興味が出なかった。重そうで大きくてご苦労さんって思ってた」夕子「あそこまで行かなきゃならなかったの。近くに安倍川(あべかわ)があったところね。で、中型免許はいつだっけ ? 」村松「同じ昭和54年の春ごろかな。俺の免許の取り方、一番能率が悪いわけだよ。原付で、すぐ中型。それからしばらくおいて普通免許。最後が平成12年の大型二輪。ああそれで、一台目の250cc買ったのが6月。で、その秋の半ばにお前さんとひょんなことから出会った」夕子「あの頃、初めは文芸部のまる子ちゃん(仮名)と仲が良かったのにね。彼女、チャーミングだったし。さてと。個人教習開始ね。この話は長くなるから、改めてのアップ、楽しみにしてるね。それでも、チョットだけどお ? 」 村松「短距離やるほどのお前さんが、バイクだとクラッチ・ミート苦手なのがチョット意外だったな。転んでばっかいて」夕子「初日で、右のミラー割って、ブレーキ・ペダル引っ込んじゃって、迷惑かけたわね。でも、あの時あなたが顔色一つ変えなかったのは驚きだったし、うれしかった」 富士市五貫島(ごかんじま)富士川(ふじかわ)河口付近の舗装路。まるで教習コース。村松「お ! ノロケに入ったな。お前さんさ、ギヤをローに入れた時、教本通り、左足着いて、右足をステップに乗せただろ。あれでエンストして、重心が右に寄ったって、すぐわかったね。でも俺の時はもっとひどかったから、仕方ないって思ったんだよ。俺の時はいきなり教習所だろ。両足着かせてくれないんだよ。スズキのGS400十回くらい倒したよ」夕子「あなたのクラッチ・ミートのヒント、とてもわかりやすかった。教習所の教官を批判したものね」村松「ハッキリ悪口言うけど、実技の教官はバカぞろいだ。エンストの結果に対してだけ注意するんだからね。『アクセル吹かし過ぎだぞ ! 』とか『クラッチ放すのが早過ぎる ! 』とかね。車に比べて、バイクのクラッチ・ミートは、感覚が足より敏感な手でやるんだから、要領というかコツを教えれば、誰でも発進感覚がつかめるのにね」夕子「ね、蒸し返すようで悪いけど、初日さんざんだったって話、もう少し聞かせて」村松「バイク・ブームの始まりだったかな。実技の時は、だいたい俺を含めて8人くらいいてね、その中で初日、外周一周も出来なかったの、俺だけ。で、遅ればせながら気づいたね。ここは教えてくれる場所ではない。みんな、どこかで無免許で乗ってるって。帰宅して親父に泣きついたら、すぐに当時親父が勤めてた会社の人のバイク借りてくれてね。今でも鮮烈に覚えてる。ヤマハのチャッピーっていう原付で、しかも何んと、クラッチはレバーとリターンのペダル式の、完全なオートバイ形式。これで、日曜の半日、小雨の降る中で、猛特訓やった。次の実技の日、あっさり発進出来て、あとはトントン拍子」夕子「でもその時は、コツなんてわからないまま、がむしゃらにやったんでしょ。どうやって、あたしにコツを教える方法つかんだの ? 」村松「俺はトコトン運動音痴なんだね。スズキの400ccでようやく卒検受かって免許取って、お袋に250cc買ってもらって乗ったら、このカワサキのバイクで、またエンストばかり出るの。記憶に自信がないけどこの時かなぁ、クラッチ・ミートを体得出来てないことにガッカリして、自己流でコツをつかみ直したのは」夕子「あたし、この感覚は忘れないわ。ギヤをローに入れてアクセルを少し吹かしてクラッチ・レバー放し始めると、バイクの車体がブルブル微動し出すから、ここで何んの操作もしないでしばらくそのままにしてると、少しずつバイクが前進を始めるっていうの」村松「多分この時、無意識にアクセルとクラッチ・レバーを操作してるのかも知れないけどね。とにかく、無理につなごうとしないでじっと待ってると、車体が少しずつ前進して加速する。こんなの、慣れた人にはかえってピンと来ないことかも知れないけどね」夕子「だからまたノロケに聞こえるかも知れないけど、初日から教え方がソフトだったのよ。いきなりエンストして転倒させた時、右のミラーも割れてもちろんあたしはドキッとしたけど、あなたは自分の時はもっとひどかったって言って、続けさせてくれたでしょ。あれで一気に気持ちがリラックス出来たわ」村松「何しろお前さんにほれ始めてたからね、部活のジャージ姿の時はたいしたことなかったけど、制服姿見た瞬間、今までと違ってみえた。本心は『マズイ ! ほれると、フラレたあとがつらくなる』って思ったけど、もう遅かった」夕子「このごろヤケにノロケるわね。年かしら・・・」村松「もう少し生き延びると60だしね。図々しくなったのかもな」夕子「オチもつかないし・・・」村松「お下劣ネタならつくよ」夕子「またこれだ。じゃオチ無しで結構よ ! 」村松「お粗末でした」
2010.03.23
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