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今日はシャワー室の歴史。今のシャワー室は3代目。(一番最初の「掘っ立て小屋」での露天シャワー室は除いて)
「露天シャワー室」を思い出したついでに少し書いておきましょう。
当時住んでいた家(その横にプレハブを建てて合宿を行いました。)には,シャワーは(当然)1台しかありませんから,人数をこなすことが出来ません。
家のシャワーはやはり女子優先で(女子は甘やかされていますねぇ・・・),男子を一挙にシャワーをさせようということで,「掘っ立て小屋」の屋根に子供用のプールを載せて,太陽熱で温水にし,そこから サイホンの原理 で,「湯」を落とすという計画を思いつきました。(そうすると一挙に5~6人できるぞ!と。)
ところが,その狭い空間に詰め込まれた男子たち,キャーキャー言いながらも結構楽しんでいる様子。
それから随分仲良くなったことは言うまでもありません。(何も隠すものがなくなったからかも?)(これが「水シャワー」です。)
さて,それから3年目(1983年),もと校舎の「払い下げ」があって,巨大なプレハブが手に入りました。(4間×10間ですから、40坪、80畳!)
そのプレハブを,実家の田んぼをつぶして建てました。その横にシャワー室を作ったのです。もちろん手作りです。
原理は「水シャワー」と同じです。違うのは,屋根にはタンク,湯はボイラーの湯。しかしこのボイラーが「曲者」で,もちろん中古品ですから,湯量が少ないのです。
屋根の高さも低かったので,水圧は推して知るべし。しかもタンクが小さかったので,よく「湯切れ」になりました。それでも,一度に3~5名ができたのです。
身体中に(時には頭に)泡がついているとき湯切れになって泣いた人もいることでしょう!
そして,抜本的な改革を図るべく,それから4年後(1987年),新シャワー室を設計しました。タンクを大きく,高さを高く,そして一挙に10名がシャワーできるというものでした。
しかし,せっかく,タンク台を作ったのにタンクが上がりません。ロープで引っ張ったり,棒でつついたり・・・ロープで支えていた子(これが何と高3)の腕は棒になっていたそうです(今小3の子がいるとか)。
しかし「はしごを使う」ということを考え付き,あっけなくタンクは設置できました。
このシャワー室はみんなに感動を生みました。3分間からその倍にシャワー時間も延びましたし。
ただ,一つだけ難点がありました。純粋の個室ではなかったのです。間仕切りはありましたが(ということは,それまで,間仕切りは・・・・),使った湯が足元を流れていくのです・・・。(途中でボイラーは新しいものに変わっています。)
そして1993年,本格的な合宿所設備の整備に入りました。この年に合宿所本館・トイレ棟とともに,新シャワー室ができました。もちろん,完全個室(一つ一つの個室に排水溝がある!)です。
しかしタンク台(鉄骨で出来ている)を人力で運ぶのは大変でした。今思えば,よく怪我をしなかったとしか言いようがありません。
ところが,シャワー室の格好は出来たのですが,中の間仕切りが間に合いません。私一人ではどうにもならない時に,強力な援軍が現れました。K君です(当時京大生)。彼の手助けもあって,何とか合宿初日に間に合ったのです。
そして,K君に釘を渡していた(間仕切りをするということは,コンパネ等の釘打ちが必要になります。)のが,Mさん。今,2人は2児の親!そうです。 ここから始まった とか。
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