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2026.05.09
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カテゴリ: 生物学
 シフゾウ、と考古学の文献で見て、初めは絶滅ゾウの一種かと思った。その後、ある研究者からシカの仲間だと教えられた。だから「シフゾウジカ」だと理解すればよかったのだ。それでも、教えられた時は絶滅したシカだろうと思っていた。何しろ旧石器関連の文献に、化石として名が出てくるのだ。

◎中期更新世には日本島にもいた
 和名を漢字に当てれば、「四不像」となる。蹄がウシ、頭がウマ、角がシカ、体はロバに似ているからこの名がついたといわれる。絶滅種と思っていたのは、あながち間違いではなかった( 写真 )。



 たしかに一時は野生絶滅していたのだ。中期更新世までには日本島にもいたが、日本島にホモ・サピエンスがやって来た時まで生きていたかは分からない。
 濃密な個体群のいた中国では、19世紀半ばには野生絶滅した。体長約2メートルの大型のシカで、1頭狩ればかなりの人たちが肉にありつけるので、乱獲された。しかもシフゾウの生息環境も畑地化などので無くなった。

◎19世紀半ばに新属新種として初めて記載
 初めてその存在が学術的に注目されたのは、フランスの宣教師のアルマン・ダヴィド( 写真 )が1865年に清朝皇帝の狩猟用施設であった「南海子麋鹿(びろく=シフゾウのこと)苑」にいた個体を発見した時だ。ダヴィドは、パリの博物館へ毛皮を送ってその毛皮が模式標本となって新属新種として記載されたのだ。



 ところが、細々と生き残っていたシフゾウも、1890年代に南海子麋鹿苑の南苑が洪水に遭い、残存個体群は溺死・餓死し、生き残った個体も周辺の住民に狩られて、遅くとも20世紀初めの清朝滅亡期までには野生絶滅した。

◎中国に再導入されて今では数千頭にまで増える
 シフゾウにとって幸いだったのは、清朝末の混乱期にヨーロッパに持ち去られた個体が、ヨーロッパ各地で生き延びていたことだ。イギリスの貴族ハーブランド・ラッセル( 写真 )が所領地ウォバーンで放していた個体群や各国の動物園の飼育個体が飼育繁殖が進み、ウォバーン個体群は中国の同胞が絶滅した頃の1901年には20頭以上、1907年には30頭以上に増えた。



 これらはロンドン動物園やニューヨークのブロンクス動物園にも売却され、そこでも数を増やした。さらに1956年にはウォバーンで飼育下繁殖されていた個体4頭が北京の動物園に里帰りした。
 その後、中国政府はヨーロッパ各地の動物園生まれの仔のシフゾウを積極的に再導入し、各地の自然保護区に放している。現在では、こうした各地の保護区に数千頭が暮らしていると見られる。
 日本では、一時、各地の動物園で広く飼われていたが、現在では広島市安佐動物公園と熊本市動植物園の2カ所で飼育されている。

昨年の今日の日記 :「黒部立山アルペンルートととなみチューリップフェアの旅(5):関電の電気バスで『破砕帯』通る」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202505090000/





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Last updated  2026.05.09 05:38:05


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