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2月28日に辞書にも掲載されていない意外な表現をご紹介した。(過去の記事はこちら)前回に続いて今日も英和学習辞典に掲載されていない意外な表現を紹介したい。このような表現を見つけるたびに英語は刻一刻と生きていて変化を遂げていることを実感するし、その変化を常に追いかけている研究者への畏敬の念が込み上げてくる。今回紹介したい表現はOBOというabbreviated word(短縮語)である。住んでいるアパートメントの掲示板を読んでいると以下のように使われていた。読者の皆様は意味が想像できるだろうか。I am selling a small dining room set (small table with 4 chairs) in great condition.Details: Standard height, antique gray finish, solid wood$150 or OBO値段の後にorと書かれているので価格の上下に影響を及ぼす表現のようだ。Collins Online Dictionaryによると以下の記載があった。In advertisements, obo is used after a price to indicate that the person who is selling something is willing to accept slightly less money than the sum they have mentioned. obo is a written abbreviation for `or best offer. 'URL:Collins Dictionary交渉次第では少し安くするという意思を表明する表現のようだ。ここで気になったのはOBOにorがすでに含まれている点だ。OBOを省略せずに表記すると $150 or or best offerとなってorが重なってしまうのだ。きっとここでは$150 OBOとするのが適切なのだろうが、OBOという表現が一つの単語として認識され、OBOの正しい表記を意識せずにOBOという表現が使われ始めているのだろう。上記のような現象はたまに日本語でも見られないだろうか。例えば「馬から落馬する」や「頭痛が痛い」といった重ね言葉は日本語でも見られる現象である。両言語における重ね言葉の変遷を調べていくと面白い研究の題材になりそうだ。続きを書くと長くなりそうなので今日はここで終えたいと思う。写真:アパートメントの掲示板それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.05.25
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昨日に引き続き四日目のエンリッチメントセミナーの様子をお届けしたい。セミナー四日目(3月24日)のスケジュール5:00- 6:00 Pre-Dawn Meals8:00- 9:30 Breakfast(Optional)- 11:00 Hotel Checkout午後は飛行機の出発時刻まで自由行動最終日は朝食を各自済ませた後、チェックアウトをして解散となった。主催者の発表では当日120名、50もの国と地域のフルブライターが一堂に会したという。これだけ大規模なセミナーを実施できる奨学金財団はきっとフルブライト以外ないのではないだろうか。改めてフルブライトネットワークの凄さをこのセミナーを通じて肌で感じることができた。各国の将来のリーダー達と繋がることができたので、今回の旅で築いたネットワークをこれからも大事にしていきたい。フライトまで多少時間があったので、バスツアーをした時に通りがたったMartin Luther King, Jr. National Historical Parkに行くことにした。この施設はNational Park Serviceに管理されており、予約不要かつ無料で施設内に入ることができる。アトランタを訪れる機会があれば是非訪問したい場所である。Martin Luther King Jrの遺体を運んだとされるワゴン(caisson)を拝むことができる。決して豪華ではなく、農具を運ぶようなワゴンである。このワゴンが貧困にあえぐ人々のために人生を捧げたキング牧師を象徴しているしているようである。ミュージアムでは私利私欲のためでなく、人々の自由のために心血を注いだキング牧師が歩んだ人生とその時代背景に迫まることができる。写真:キング牧師の遺体を運んだワゴンまた、キング牧師が暗殺された時に泊まっていたホテルの鍵や所持品までミュージアムでは見ることができる。小さなアタッシュケースに必需品を詰め込み全米各地を移動していたらしい。キング牧師は必要最低限の物しか所持しないミニマリストだったのかもしれない。写真:キング牧師の所持品(真ん中にあるのがホテルのルームキー)ミュージアムの入り口にはキング牧師の名言が写真と共に掲げられていた。“It is no longer a choice, my friend, between violence and nonviolence. It is either nonviolence or nonexistence.”(もはや暴力か非暴力の二者択一ではないのです。非暴力か無のいずれかなのです。)※筆者訳しかしながら、近年アメリカで起こったBlack Lives Matter Movementで見られるようにアメリカ国内では人種違いによる暴力は根強く残っている。また、人種、宗教の違いによる分断は以前よりも深まっている気がする。様々な思想や宗教、利害関係が複雑に絡み合う今日の高度情報社会だからこそ、今一度キング牧師の言葉に耳を傾ける必要があるのかもしれない。あからさまな人種差別の経験はないが、私もmicro aggressionと呼ばれる小さな目に見えないアジア人差別のような扱いを受けたことがある。日本国内では経験する機会はないかもしれないが、日本国内を飛び出すと大抵日本人はマイノリティーグループである。どこか心細さを感じるのは自分が常にマイノリティーの立場にいるを強いられるからかもしれない。キング牧師の言葉は寂しさを感じている心に寄り添ってくれるものばかりであった。今回のアトランタへの旅を通じて、多様性を受け入れて認め合うことの素晴らしさと今日の多様性に至るまでに先人達が経験した苦悩を垣間見ることができた。エンリッチセミナーのグループ発表で印象に残った言葉がある。“Freedom should not be taken granted. It is something that must be earned with a collective effort.” 「自由」は与えられる権利(given rights)ではない。各々が弛まぬ努力の末に獲得する権利である。我々が今日享受している自由は先人達の努力によって成り立っている。我々も未来の世代のためにこの自由のバトンを繋げなければならないと感じた。久々に清々しい疲労を感じながら私はどこまでも続く広大な大地を飛行機の窓から眺めていた。大学に戻ったら大量の課題が待っている。また明日から頑張る英気を養った気がした。写真:今回のエンリッチメントセミナーに参加したフルブライターの出身地をまとめたものこれでエンリッチメントセミナーのシリーズは終了である。明日以降はまた通常運転に戻りたい。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.05.21
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昨日に引き続き三日目のエンリッチメントセミナーの様子をお届けしたい。セミナー三日目(3月23日)のスケジュール5:00- 6:00 Pre-Dawn Meals7:00- 8:00 Breakfast8:00- 8:15 Agenda Overview & Community Service Briefing8:15-9:00 Depart for Community Service11:30- 12:30 Return to Hotel12:15-13:30 Lunch14:00- 15:00 Fulbright Grant Benefits & Responsibilities15:00- 15:15 Break15:15- 16:30 Seminar Reflection Workshop17:30- 21:00 Closing Dinner21:00- 21:30 Return to Hotel三日目の朝はコミュニティサービスから始まった。数ある選択肢の中から私はTree Atlantaというボランティア団体が行なっている植樹活動に参加することになった。他にも低所得者層の地域住民に家具を作ったり、近所の公園を清掃する活動など様々なコミュニティサービスが用意されていた。家と図書館の往復ばかりしていて日光を最近浴びていないような気がしたので、運動をしながら地球に貢献ができる植樹活動は魅力的に思えた。朝食を済ませた後に部屋に戻って汚れても問題がない服装に着替えた。前日までずっと雨が降っており地面がぬかるんでいないか心配したが、現場のhighwayの近くに着くと思ったより地面は濡れていなかった。ちょうどよく水分を含んでいて植樹をするには絶好の状態のようである。一通り植樹の仕方を教わった後に3人1組で早速木を植え始めた。穴の深さ、根っこの向き、植えた時の木の角度が木の成長に大きな影響を及ぼすという。3人で手順を確認しながら木を植えた。作業を進めていくうちにどんどん握力がなくなっていることに気がついた。また、普段全く使わない筋肉を使っているせいか体の節々にだるさを感じる。私のチームは合計8本近くの木を植樹した。最後に大きなスギの木を植えて、2時間近くのコミュニティーサービスが終了した。正直、想像を遥かに超える重労働だった。チームを組んだメンバーと労いの意を込めてhigh fiveをしてバスに戻った。微力ながらアトランタの街と地球の環境保全に貢献していたら嬉しい。バスの座席に戻って着ていたTシャツは汗でびっしょりになり、足がガクガク震えていることに気づいた。そのままシャワーを浴びて一眠りしたい気分だったが、スケジュールより遅れていたため部屋で一休みすることもできず昼食会場に急いだ。写真:植樹している様子昼食後はフルブライトのアドバイザーから奨学金制度の説明とQ&Aセッションが設けられた。内容は奨学金受給者のみ関係する話なのでこちらのブログでは割愛したい。セミナーの締めくくりとして最後に振り返りのワークショップが行われた。本当にあっという間の3日間であった。Civil Rights Movementの中心地Atlantaで世界中から集まったフルブライターと人権について議論することができて非常に有益な時間となった。Martin Luther King Jr.の時代からずっと人種差別の問題はアメリカ社会に影を落としている。そしてこの人種差別の問題はアメリカに限った話ではない。移民の話題になると「日本はなぜ移民をそんなに制限しているんだい?日本は難民を受け入れる気はないの?」と聞かれることがある。最近ではバイデン大統領が「日本、ロシア、インドは外国人嫌い(xenophobiac)だ」と発言し波紋が広がった。確かにバイデン大統領がそのように発言したことは遺憾に思うが、そのような考えを日本に対して持っている人々が一定数いることも知っておかなければならない。多文化社会と共生はグローバルな世界で生きる我々にとって避けては通れぬ道である。法整備も重要かもしれないが、それ以前に我々一人一人のマインドセット(心の持ち方)が問われているような気がする。この三日間で出会ったフルブライターは私が日本からやってきたことを伝えると、彼らのお気に入りの漫画タイトルを嬉しそうに話してくれた。ナルト、ワンピース、呪術廻戦、ドラゴンボール、東京喰種トーキョーグール、名探偵コナン、鬼滅の刃などたくさんの漫画のタイトルを耳にした。漫画で登場する日本語のセリフを披露していくれるフルブライターまでいて大変驚いた。日本のサブカルチャーは世界に受け入れられていることを肌で感じた次第だ。海外の文化に興味を持つと同時に自国の文化や歴史、(サブカルチャー)についてももっと勉強しなくてはならないと痛感した。最終日の夜はRay’s on the Riverという川の畔のレストランで夕陽に照らされながら夕食を楽しんだ。この夕食でもDepatment of State(米国国務省)の方とご一緒する機会を得た。”Thank you for choosing me as a Fulbrighter.”と感謝の意を伝えると、”No. We did not choose you. You earned the position.”と言われた。奨学金の選考は抽選ではない。自分で道を切り拓いた者だけが得られる権利のように私には聞こえた。後日メールでお礼を伝えると”Stay active wiht Fulbright!(フルブライトと関わりを持ち続けなさい)”と激励の言葉を頂戴した。この貴重な経験を今後の人生にどう繋げるかが大きな課題となりそうだ。写真:最終日のディナー会場(夕陽が非常に美しかった)最終日の様子についてはまた後日綴ることにする。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.05.16
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昨日に引き続き二日目のエンリッチメントセミナーの様子をお届けしたい。初日の記事はこちらセミナー二日目(3月22日)のスケジュール5:00- 6:00 Pre-Dawn Meals7:30- 9:00 Breakfast9:00- 9:30 Seminar Kick-off9:30-10:30 Make Big Talk Workshop10:30-11:00 Break11:00- 12:30 Panel Discussion- Honoring a Legacy: Remembering the Civil Rights Movement and Building a Future12:30-13:30 Lunch13:30- 14:00 Depart for Site Visits16:00- 16:30 Return to Hotel16:30- 18:30 Advising Office Hours18:30- 21:00 Dinner at a Local Restaurantちょうどエンリッチメントセミナー期間がイスラム教のラマダンと被っていたため、日中断食をしている参加者のために日の入り前の朝食が用意されていた。また、祈りを捧げるmeditation roomもホテルに準備されていた。多様な民族が集まるイベントではこのような配慮も必然的に求められてくるのであろう。改めて多様性とは言うが易く行うは難しと感じた次第である。朝食、キックオフセミナーで諸注意を聞いた後に最初のワークショップに参加した。Make Big Talk WorkshopではKalina SilvermanがZoomに登場した。Small talk(小さい雑談)ではなくあえて大きな話題(Big Talk)を投げかけることでその人の人格や本質が見えてくるという内容であった。また、時に我々は瑣末なことに気を遣いすぎて本来話すべきことから逃避をしているらしい。最初にBig talkをする際のtipsを学んだ後に実際に各テーブルでbig talkをしてみるという流れになっていた。テーブルに並べられた質問(big talk questions)をいくつか紹介したい。What is one of the kindest things that someone has ever done for you?/ What gives you hope?/ What are you curious about lately?/ How are you making a difference in the world?/ What do you fight for?どれも初対面の人とするトピックではないことは明らかである。しかしKalina Silvermanは初対面であってもこのようなbig talkをすることは相手のことを知る上で重要だと述べていた。彼女が通りすがりの人にbig talk questionsを投げかける動画がYouTubeに上がっているのでそちらもご覧いただければと思う。彼女がこのプロジェクトを始めた理由もこの動画を見ればお分かりいただけるのではないだろうか。↓リンク↓こちらパネルディスカッションではCivil Rights Movementを研究されている4名の教授がいらっしゃった。堅苦しい講義というより、1890年あたりから始まるCivil Rights Movementの長い歴史をエピソードも交えて紹介するものであった。パネリストの一人が途中で「普段決して泣くことがなかった父が唯一泣いた日がマーティンルーサーキングジュニアが暗殺された日だった。キングJr.の死亡を伝える速報が流れた瞬間に父は泣き崩れた。」と話されていて出来事のインパクトの大きさを物語っていた。私が知っているのは事実としての情報のみであり、その背後にある人々の感情やその時の様子は欠落している。当事者のリアルなボイス(声)を聞けたのは非常に有益だった。午後のフィールドワークでは当初Martin Luther King’s Jr.の母校であるMorehouse Collegeに訪問予定だったのだが、諸事情によりアトランタの歴史保護区のツアーに変更になった。個人的にはMorehouse Collegeの訪問を楽しみにしていただけに非常に残念であった。また、この日は生憎の天候で予定されていたツアーは変更を余儀なくされ、バスで歴史保護地区を回るという簡素なツアーになってしまった。ツアーガイドがバスで回りながら建物の説明をしてくれるのだが、雨で視界が悪く一体何について述べているのかイマイチわからなかった。最後に回ることができたMartin Luther King Jr.の生家と墓石を見学してツアーは終了となった。改めてこのアトランタの地でCivil Rights Movementが始まったのだと肌で感じることができた。ホテルに戻った後は自由時間となった。夕食は各自25ドルまで使えるカードを渡され、好きなレストランで済ませるというものであった。私はルームメイトが誘ってくれたグループに参加することにした。ブラジル、イタリア、カナダ、そして日本からきたフルブライター8名でホテルの裏にあるハンバーガー屋さんで大きなチーズバーガーを頬張った。そのまま市内のバーに流れ込み、日付が変わるあたりまで会話を楽しんだ。ホテルの部屋に戻ると疲れがどっと襲ってきた。朝からスケジュールが詰まっていて一息つく暇もないほどであった。急いでシャワーを浴びてベットに潜り込んだ。目を閉じると気づけば翌朝になっていた。2ヶ月前の出来事の記憶を呼び起こしながら日記を書くのは非常に難しい。もっと早い段階で下書きだけでも残しておくべきだったと今更後悔している。残りの二日間は後日アップすることにする。Martin Luther King Jr.が通っていた教会:Martin Luther King Jr. の生家:King夫妻が安らかに眠るお墓:降りしきる冷たい雨はキング牧師の死を悲しむ追悼の涙のようにも思えた。静寂を切り裂く水面を打つ雨音はいつまでも絶えることなく続いた。お墓の近くには次の言葉が刻まれていた。"The Dream Lives, The Legacy Continues."(夢は生き続ける。そして、遺産も残り続ける。)それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.05.15
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春学期の後半はフルブライトのエンリッチセミナー、家族の渡米、そして学期末の試験と立て続けにやってきて深呼吸をするのを忘れそうになるほどの慌ただしさだった。春学期最後の授業を終えて、少しずつ穏やかな日々を取り戻しつつある。記憶が薄れる前に3月下旬に行われたフルブライトエンリッチメントセミナーについて綴ることにする。世界中から集まった各国のフルブライターと過ごす4日間は刺激に溢れていた。エンリッチメントセミナーはフルブライト奨学生1年目に行われるフルブライト奨学金財団主催のイベントである。イベントは3月21日(木)〜3月24日(日)にかけてジョージア州アトランタで開催された。渡航費、滞在費、食費は全てイベント主催側が負担してくれるため、自己負担は空港までの交通費だけであった。奨学生の学費の支払いだけでなく、このような大規模なイベントが開催できるのは米国の政府予算がついているからであろう。フルブライト奨学金と聞くとどうしても学費・滞在費補助に目が行きがちだが、このようなイベント参加も本奨学金の大きな魅力の一つと言えるだろう。言葉では説明しようがないほど素晴らしい4日間であった。セミナーのことを綴ってもあまり読者の役に立つ情報はないかもしれない。半分備忘録を兼ねているため、ご興味のある方のみお読みいただけたらと思う。それでは忘却に争いつつ記憶を呼び起こしたい。エンリッチメントセミナーは基本的に日程と場所を選ぶことができない。突然決定通知が送られてきて参加の可否を問われる。NOにするとまた別の場所のwaiting listに登載されるらしいが、繰り上がる可能性は低いという。中には抽選に外れてセミナーに参加できなかったフルブライターもいるらしい。なるべくセミナーの案内が来たらとにかく参加をお勧めしたい。私の場合、セミナーが春学期のど真ん中で開催されたため授業を一つ欠席しなくてならなかった。授業を担当している教授に事情を説明して欠席を認めてもらった。幸いその週は提出課題がなかったため、課題の締め切り変更の依頼をする必要はなかった。課題の締め切りが複数セミナーの期間にあったらもっと丁寧に教授とコミュニケーションを図らなければならなかっただろう。セミナー初日(3月21日)のスケジュール11:00- 16:00 Arrivals and Registration12:00- 14:00 Refreshments and Advising Office Hours15:00- 17:00 Hotel Check-In18:30- 21:00 Dinner at Atlanta Botanical Gardens21:30 Return to Hotel最寄りの空港から3時間ほど飛行機に乗ってAtlantaにあるHartsfield-Jackson Atlanta International Airportに降り立った。イベント主催者が準備してくれたシャトルバスに乗り、そのまま市内にあるホテルへと向かった。チェックインを済ませ部屋に入ると、ルームメイトがすでにベッドの上でくつろいでいた。ルームメイトは私に気づくと”Are you my roommate?”と笑顔で声をかけてくれた。私のルームメイトはブラジル出身でハーバード大学にてcomparative literatureを専攻しているドクターの学生であった。エンリッチメントセミナーでは基本的に二人一部屋で過ごすことになる。最初は見ず知らずの他人と4日間過ごすことに抵抗があったが、ルームメイトと4日間過ごす中でブラジルや彼の研究分野についても話を聞くことができ、一人で過ごすよりよっぽど有意義な時間を過ごすことができたと思う。チェックインを済ませて部屋でゴロゴロしているとあっという間にディナーの集合時間となっていた。ホテルのロビーで集合してそこからバスに乗って近くの植物園に向かった。ちょうど花が見頃を迎えており、初日で初対面であるにも関わらず世界中のフルブライターと肩を組み写真をたくさん撮った。ディナーテーブルにはなんとU.S. Department of State(米国国務省)の方とご一緒する機会にも恵まれた。彼女もフルブライトブログラムに参加してフランスに行った経験があるのだという。フルブライトプログラムを米国側で運営している方だから知っているプログラム内部のお話も伺えて非常に有意義な時間となった。また、このディナーテーブルで日本から参加しているフルブライター2名とも約8ヶ月ぶりに再会を果たした。二人とは出国直前の米国大使館で行われたSend-off Party以来の再会であった。異国の地で奮闘するもの同士、元気な姿をお互い見せ合えただけでも励みをもらった。特にこの物価高、円安で日本からの留学生を取り巻く環境は厳しいものがある。正規留学は語学留学と異なり求められる水準が高い。お互い弱音は吐かないが、全員どこかで何らかの苦労をしている。どこか同じタイミングで厳しい境遇にも負けずに戦い続ける戦友のように思えた。久々に日本語を使って会話をしてホッとしている自分がいて母語の有り難みを実感すると同時にいつまで経っても英語は自分にとって第二言語なのだと突きつけられたような気がした。英語が無意識に出てくる状態とはどんな領域なのか一度経験してみたいものだ。キーノートスピーカーはMartin Luther King’s Jr.の出身校としても知られるMorehouse Collegeの教授のレクチャーであった。彼女の話を聞いて、Atlantaがthe Civil Right Movementの中心であり、この地からアフリカ系アメリカ人の自由を求める戦いが全米に拡大して行ったことを学んだ。ホテルに戻るとルームメイトは「これから友達と近くのバーで飲みに行くけどくるか」と誘いを受けた。若い頃はきっと軽快な足取りで参加していたと思うが、アラフォーに近づきつつある私の体は長旅とその後のディナーテーブルで疲れのピークを迎えていた。「お誘いありがとう。夜遅いし、今日はパスしておくよ。」とやんわり断ってベッドに滑り込んだ。その日に起きた出来事を振り返り、心地よい疲れとともに深い眠りについた。初日のキーノートプレゼンテーション:Botanical Gardensではチューリップが満開だった:ホテルに向かう道中で撮ったアトランタの景色:二日目以降はまた後日書くこととする。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.05.14
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前回はアメリカで流行っているアイスのMochiを紹介した。(過去の記事はこちら)今日は同じく行きつけのTrader Joe’sで見つけた面白い日本食の商品を紹介したい。1. Mochi Rice Nuggetsまず最初にご紹介したいのはMochi Rice Nuggetsである。お餅のナゲットとは何を指すのか最初全く理解できなかった。日本ではナゲットをチキンナゲットの略と解釈してしまいがちだが、実はナゲットは元来小さく切られた塊という意味がある。つまり、お餅を小さく切って揚げた「あられ」のことである。パッケージをご覧いただければお分かりいただけるはずである。2. Vegetable Bird’s Nests直訳すると「野菜で作った鳥の巣」。一体何の和食を指しているかお分かりだろうか。正解は「かき揚げ」である。確かに衣を纏った野菜が高温の油に触れて広がっていく姿は鳥の巣に見えなくもない。なかなかかき揚げと鳥の巣は結びつかないのではないだろうか。発想力豊かな人がこの商品名を考案したに違いない。まだ食べたことがないのだが、いつか食べてみたい一品である。アメリカでの健康食ブームと相まって日本食はアメリカで幅広く受け入れられているようである。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.05.13
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今アメリカでは和食が非常に流行っている。カフェに行くと必ずMachaがメニューに掲載されている。かなり大きめの都市に行けばラーメン屋を見つけるのもそんなに難しくはない。Ramen, Sushi, Machaあたりの英単語は市民権を獲得している印象を受ける。この間行きつけのTrader Joe’s(通称トレジョー)に行ってみると面白い商品を見つけた。パッケージにはMochiと書かれているが、我々が普段想像するお餅ではない。ロッテから発売されている「雪見だいふく」のような商品がMochiとして発売されているのである。X(元Twitter)でバズっているのを見てからずっと気になっていた。店内を探し回るもなかなか見つからないので、近くにいた店員に”Where can I find Mochi?”と聞いてみると、”Like icecream?”と確認された。きっと日本で「お餅はどこにありますか」と尋ねても「アイスのお餅ですか?」とはまず確認されないだろう。それほどアメリカ人の間ではMochi=(雪見だいふくのような)もちもちしたアイスと認識されているらしい。日本でも海外から入ってきた言葉が独自の進化を遂げて使われることを和製英語と読んだりすることがあるが、同じような現象がアメリカでも起きているようだ。和製英語の逆パターンになるため、米製日本語と命名すれば良いだろうか。英語圏でMochiを使う際は思わぬ誤解を招く可能性があるため気をつけていただきたい。写真:購入したMochi(抹茶味)パッケージに書かれている”Green tea ice cream surrounded by sweet rice dough”という英語の説明文もなかなか面白い。また、左下には6 mochiと書かれていて、ここでのmochiは不可算の名詞として扱われている。それでは今日も良い1日を。次回はTrader Joe’sで売られている面白い日本食をご紹介したい。きたろう
2024.05.12
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春学期の怒涛の日々が終わりを迎えようとしている。今学期は秋学期よりも一つ多い4つの授業を履修したため秋学期とは比べ物にならないほど慌ただしかった。今は成績のことは一旦忘れてとことん心と体を休めたい。記憶を遡りながら印象に残っていることを綴っていきたい。—————————4月22日(月)は長男の現地校登校日の初日だった。スクールバスの許可が下りていないため初日は電車と歩きで学校に向かった。学校に向かう途中、「アメリカの学校に通うのどう?」と質問してみると「ふつう」と短い答えが返ってきた。言語も風習も全く異なる学校に通うのだから小さい心は不安でいっぱいだろう。しかし、新たな環境に一歩踏みだすその勇気が今後の人生の糧になるはずである。長男の心の成長をそばで見届けたい。学校に到着にして受付を済ませると、奥の部屋に通され学校のパンフレットやスクールカレンダーを手渡された。ポータルサイトのIDとパスワードも渡され、後ほどアカウントを作成するよう指示を受けた。家庭と学校の間のコミュニケーションは基本的にオンラインで行われるらしい。書類を一式受け取ると副校長の部屋に通された。”Welcome!”と笑顔で握手を求められ、温かい歓迎を受けた。その後担任の先生と英語をサポートをしてくれるELDの先生の紹介を受けた。二人ともこの学校に長く勤めていらっしゃるベテランの先生のようだ。二人とも満面の笑みで緊張気味の息子を温かく迎え入れてくれた。この地区には私が通う大学の研究者が多く住んでいるらしく、私のような短期滞在者のご子息の扱いにも慣れているようだった。短期滞在である旨を伝えると”We have many families from the university”と笑顔で話されていた。校舎案内で校舎を練り歩いていると教職員の方々が笑顔で挨拶をしてくれる。息子は緊張で目が合わないし、相手の勢いに押されて一言も発することができないのだが、この温かい雰囲気であれば言葉と文化の壁も越えられるのではないかと思った。この留学は家族を巻き込んだ壮大なプロジェクトである。自分だけ研究に励んでいても帯同している家族がハッピーでなければ意味がない。長男が新たな学校生活を始めることができて胸を撫で下ろした。学校の中に入ってからずっと強く私の手を握っていた長男だが、担任の先生が優しく手を差し出すと息子は私の手を離して担任の先生の手をとった。教室の奥では同級生が”Is he a new student?”とざわざわ騒いでいる。当たり前だが、肌の色や目の色、髪の毛の色や服装まで多種多様だ。とてもカラフルで多様性に満ちているのがアメリカの学校の特徴なのかもしれない。教室に入っていく息子を見届けて学校を後にした。あまり日本では意識していなかったが、4月22日は地球の日(Earth Day)らしい。そう言えば学校で教職員とすれ違うたびに”Happy Earth Day!”と声をかけられた。地球の日にちなんで学校では特別カリキュラムが組まれていたようだ。写真:学校初日に長男が持ち帰ってきた作品「日常」を築くために奔走する日々はこれからも続く。それでは良い1日を。きたろう
2024.05.11
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家族が到着してから目が回るような忙しい日々を過ごしている。自身の研究は勿論だが、それと並行して住環境の整備、子供の入学手続きを進めなくてはならない。不器用な性格である自分はマルチタスクに苦手意識があり同時に進めようとするといずれかが疎かになってしまう。焦り出すとどれから手をつけていいかわからず戸惑いさらに効率が悪くなるという悪循環に陥ってしまうのだ。いつかこんな忙しい日々を懐かしく思える日がくるのだろうか。家族が入国するだいぶ前に子供の入学手続きをするために住んでいる地域のschool registration officeに連絡を入れた。兎に角全てオンライン化しているからそこから手続きを開始しなさいと指示を受けて電話を切られてしまった。ホームページを確認するとどうやら以下の書類が必要になるらしい。・居住を証明する書類2通・免疫摂取証明(英文)・健康診断書(英文)・歯科検診診断書(英文)・成績証明書(英文)「居住を証明する書類」はその地域に住み始めていないと発行できないため、手続きはその後でないと開始できないことが判明した。それ以外の書類については妻に連絡をとって日本の医療機関、子どもが通う学校に発行を依頼することになった。ワンオペ育児で大変な中、書類発行のために奔走してくれた妻には感謝に耐えない。なお、必須書類は州や学区によって異なるため各学区の必要書類を確認されたい。4月の1週目に手続きをしたのだが、1週間経過しても何の音沙汰もない。督促のメールを出すとようやく返事が返ってきて、こちらのlease agreementにlandlordの署名欄にサインが書かれていないことが判明した。急いで最新版のlease agreementをお送りして手続きが完了となった。上の子どもは今も「アメリカの学校には行きたくない」と言っているが、行き始めたら楽しくなるのではないかと思っている。先日は学校の体育館で開催された催しに家族で参加して各国の伝統料理を楽しんだ。このようなイベントを開催できるのも世界中から人々が集まるアメリカだからできることである。(イベントについては後日詳細を書くこととする。)先日いただいた校長先生からのメールの最後にはこのように記されていた。When you can’t find the sunshine, BE the Sunshine!(光が見えなければ自らがその光となれ)他人が照らす光をあてにすることなく、自分自身が未来を照らす希望の光であり続けたい。写真:校長先生から送られてきたWelcome Letterの冒頭今日も良い一日を。きたろう
2024.04.19
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最近のキャンパス:あと1ヶ月ほどで春学期も終わろうとしている。円はその後も下落を続けていていよいよ155円に到達しようとしている。(2024年4月17日現在)この円安水準で留学をするとどれほどの出費が見込まれるのか計算してみたいと思う。勿論、進学する大学院によって学費は異なるため、あくまで私の例は一つのサンプルにすぎない。また、ドルと円の為替レートも日々変化しているのでご注意いただきたい。秋学期の学費内訳Tuition $22,242General Fee $1,901Clinical Fee $344Health Insurance $2,105Meal Plan(Optional) $700秋学期合計 $27,242春学期の学費内訳Tuition $29,656General Fee $1,901Clinical Fee $344Health Insurance $2,105Meal Plan(Optional) $700春学期合計$34,706秋学期と春学期合計$61,9482024年4月17日現在のドル円の為替レートは1ドルあたり154.35円であるため、$61,948は9,561,673円(小数点切り捨て)となる。日本円で約950万円近くの学費がかかっていることに驚きを隠せない。実際にはこの金額の上にさらに生活費が上乗せされる。続いて1年目に私が受給している奨学金の内訳をご紹介したい。大学院からの奨学金(merit-based scholarship)$25,000スポンサーからの奨学金(stipend from a sponsor)$40,000奨学金合計$65,000(2024年4月17日のレートで10,032,750円)幸い一年目は奨学金が学費を上回ったため現時点で自己負担額はないが、2年目に関しては奨学金が激減する予定だ。それなりに貯蓄はしてきたが、この物価高騰と円安のダブルパンチは正直想定外であった。関係各所と連絡を取り合いながら、資金不足で強制送還にならないように最後まで足掻き続きたい。これからアメリカに留学を予定されている方は奨学金獲得が非常に重要になってくることを強調したい。留学の2年〜3年前から奨学金獲得も含めて計画的に進めることをお勧めしたい。繰り返しになるが、上記の金額は現在のレートと私の大学院の学費をもとに算出したものである。その時のレートと通う大学によって学費は大きく異なることを留意していただきたい。今日も良い1日を。きたろう
2024.04.18
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3月下旬から目まぐるしい日々を過ごしておりブログの更新がなおざりになってしまった。3月21日〜24日までフルブライトのエンリッチセミナーがジョージア州のアトランタで開催された。このセミナーについては時間が確保できたらゆっくり綴ることにしたい。アパートの退去日が3月29日(金)となっており、アトランタから戻ってきてそのまま引越しの準備に取り掛かった。引越しをしてから一週間後の4月5日(金)に家族と8か月ぶりの再会を果たした。税関でトラブルに巻き込まれないかずっと心配していたが、ゲートから笑顔で出てくる家族を確認できて今までの不安が一気に吹き飛んだ。きっとこれから数えきれないほどの苦労が待ち受けているだろうが、この笑顔を絶やさないようできる限りの努力をしようと心に誓った。アメリカで仕事の用事があった義父がわざわざスケジュールを調整してアメリカまで家族の付き添いをしてくれた。羽田空港には私の両親、義母も家族のお見送りに駆けつけてくれたという。改めてこの家族留学は多くの人々に支えられて成り立っているのだと痛感した。沢山の声援を力に変えてアメリカでの研究の原動力にしていきたい。4月5日〜7日まで車をレンタルして土日で必要なものをIKEAとTARGETで購入した。右側交通、左ハンドルということを除いて日本で毎週見ていた光景が蘇った。家族がいると常に会話が溢れている。上の子は入国初日に不安から「アメリカが嫌い」と言って泣き出してしまった。きっと本人なりに心労が蓄積していたのだろう。このマイナスの状態からどうプラスに持っていけるだろうか。言葉の壁よりも心の壁の方がもしかしたら厚いのかもしれない。週末家具を揃えていたら課題が山のように溜まってしまった。日曜日の夜にまとめて文献を読み込んだが、疲れと眠気で内容が全く頭に入ってこない。ページだけなんとなくめくっているような状態になり諦めて布団に入ることにした。そんなバタバタの日々を過ごして今日を迎えている。義父には別れ際に「まぁ長いアメリカでの家族旅行だと思って楽しんでください」と声をかけてもらった。義父は約30年ほど前に家族を連れて米国西海岸の大学院でMBAを取得された人生の先輩のような存在だ。家族留学の計画を打ち明けた際も「いいんじゃない?楽しみですね」と前向きなアドバイスをくれた。普通であれば「何を考えているんだ!家族の養育費は?働かないでどう生活するんだ?」とお叱りを受ける場面だろう。この年になっても挑戦を容認してくれる家族と両家の両親には感謝してもしきれない。何もない空白の家から我々の生活が始まった。ここから「自由」を獲得するために奔走する日々が幕を開けようとしている。歴史的な円安と物価高で家族留学を取り巻く環境は非常に厳しいものがある。けど、どんな厳しい場面に直面しても生き抜いてやろうじゃないか。この厳しいサバイバルゲームに生き残れることを身をもって証明したい。このブログはそんな旅を続ける家族の様子を書き記した記録である。ようやくタイトルである「家族留学奮闘記」に沿った内容を書けそうだ。写真:超大型スーパーのTARGET。かなり安く日用品を購入できる。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.04.10
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日本で3月14日といえばバレンタインのお返しをするホワイトデイが頭に浮かぶだろう。しかし、アメリカではホワイトデイは存在しない。そもそもアメリカでのバレンタインデイは男性が女性にバラを渡すのが一般的だ。日本のような「女性」が男性に「チョコ」を渡すという文化は西洋にはないらしい。3月14日の朝、SNSには友人がこのような投稿をしていた。“Happy Pi Day! A good day to remind yourself you can’t measure a circle’s circumference with its diameter, no matter how clever you are. It is, still, today, a stunning and marvelous and beautiful thing to learn.”なるほど、円周率3.14と日付の3.14が一致しているため3月14日はアメリカではPi Dayとされているらしい。大学のキャンパスではPiと同じ発音であるPieが無料で配られていた。友人の投稿がなければなぜ大学でPieが配布されているのか理解できていなかっただろう。Pi Dayに無料でPieを配るアメリカのユーモアが伺える。Leap Dayもそうだが、アメリカのこのようなクスッと笑えるユーモアが個人的に好きだ。こんなユーモアを日本に帰っても持ち続けたいと思う。写真:大学で配布されていたアップルパイそれでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.15
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まず最初に本ブログは映画の内容に深く踏み込むため映画の視聴を予定している方は読まれないことを強くお勧めする。是非映画を観た後にお読みいただければと思う。写真:映画オッペンハイマーのポスター画像引用元:オッペンハイマー公式ウェブサイト前回は映画オッペンハイマーのあらすじについて触れた。(前回の記事はこちら)今回は映画のレビューを書きたいと思う。私はこの映画は原子爆弾開発者の懺悔だと思っている。大量殺戮兵器を開発したOppenheimerだからこそその恐ろしさを熟知していたのだろう。映画の後半に進むにつれてmoral(道理), qualm, scruple(どちらも良心の呵責という意味)という単語がよく登場することからもそのことが伺える。広島と長崎に原爆を投下後に行われた祝賀パーティでOppenheimerの本音が溢れるシーンがある。“I just wish we had it in time to use against the Germans!” (ドイツ人に対してそれ(原子爆弾を)使えたらよかったのに!)つまり、原爆はそもそもナチスドイツをターゲットに作られていたのだ。アウシュビッツで多くのユダヤ人を殺されたことに対する憎悪を垣間見ることができる。しかし、原爆が投下時点ではドイツはすでに全面降伏しており、ターゲットは自然と当時まだ降伏していなかった日本に変更されたのだ。この映画では足音の重低音がOppenheimerの心的ストレスを表している。英雄視されると同時に彼は自分の手で多くの命を奪ってしまったことに対する途轍もない罪悪感に苛まれていたのだ。それはTruman大統領に“I feel that I have some blood on my hands”(私の両手は血で染まっている気がする)と告げていることからも想像できる。Gran Torino(2008)の主人公であるWalt Kowalskiも終盤に全く同じセリフを言うのである。彼もまた、ベトナム戦争で多くの兵士を殺してきた過去を持つ。また、ヒーローと称賛されながらもアフガン戦争帰還後酷いPTSDに悩まされた兵士を描くAmerican Sniper(2014)にもOppenheimerと通ずるものがある。第二次世界大戦、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争とアメリカが「世界の警察」として支払った見えざる大きな代償があることをこれらの映画は我々に教えてくれる。前回の記事でも書いたが、もし広島と長崎の原爆投下シーンが削除されて原爆による被害が適切に表現されていないと批判する日本人がいたら、この映画のテーマに立ち返えると溜飲が降りるのではないか。これは戦争に関わった人物の一人称の視点で語られる「伝記」であり、戦争の被害を描いたドキュメンタリーではない。勿論、Oppenheimerは広島、長崎の原爆投下時にはアメリカにいるためその様子を肉眼で確認する術はない。軍から原爆投下後の広島、長崎の様子についてブリーフィングが行われる場面があるが、ここでもあえてその様子は映されない。Oppenheimerも深刻な表情をして俯いており、現実を直視できずにいるようにも思える。Nolan監督は原爆を作っておきながら実際に起きた現実を直視できない人間の矛盾やエゴを忠実に表現したのかもしれない。広島、長崎の投下シーンを入れる入れないという議論をするとパールハーバーを入れる入れないという議論が必ず付きまとう。勿論今回の映画ではPearl Harborという言葉は劇中に登場するが、パールハーバーの戦艦が壊滅的ダメージを受けているシーンは一切入っていない。過去の人類の過ちに対する責任の所在を問う映画ではなくこれからの人類の核兵器との付き合い方を問う映画だと思って見るときっと納得できるのではないだろうか。それがChristopher Nolan監督がこの映画に込めたメッセージのような気がする。EinsteinがOppenheimerに最後伝えた言葉が今も心に突き刺さっている。「十分な罰を受けてようやく自らが成し遂げた偉業と向き合うことができる。メダルは自分のためでなく周囲の人のためなのだと。」つまり偉大な功績は自己顕示のためであってはならないとEinsteinは主張しているのだ。自国最優先で考えることと軋轢と分断を生む現代社会に対する警鐘のようにも思えてしまった。今回のアカデミー賞授賞式でのアジア人に対する差別が話題になっているが、これも現代社会が抱える分断の象徴ではないだろうか。Einsteinはまたclearanceが通らなかったOppenheimerにこうアドバイスもする。「私は祖国を捨てた。これがアメリカがあなたの功績に対する仕打ちなのであれば背を向けるべきだ。」このセリフからもChristopher Nolan監督が原爆投下成功と第二次世界大戦勝利を巧みに利用してアメリカの愛国心を聴衆に植え付けようとしているわけではないことがお分かりだろう。また、Los Alamosの原爆完成祝賀パーティーでOppenheimerは原爆の影響で肌がただれ落ちる女性の幻想を見るのだが、この女性はNolan監督の実の娘なのだという。Nolan監督は国の枠組みを超えて人類が抱える喫緊の課題を提示しようとしたのではないだろうか。主演俳優賞を受賞したCillian Murphyはアイルランド人初のアカデミー受賞者だそうだ。彼は授賞スピーチで「我々はオッペンハイマーが作り出した(核の)世界に住んでいる。このメダルは世界中のPeace Makers(平和を構築しようと尽力する人々)に捧げたい」と言葉した。まさにEinsteinがOppenheimerに告げた“It (the medal) is not for you. It is for them.”に通ずるような気がしてならなかった。アメリカの視点から核兵器の誕生秘話を描いた“Oppenheimer”と日本の視点で核兵器の脅威を間接的に描いた“Godzilla Minus One”が同時に今年度のアカデミー賞を受賞したことが個人的には非常に嬉しい。山崎監督は「オッペンハイマー」に対するアンサーの映画を日本人として制作しなくてはならないと話されていたが、「ゴジラマイナスワン」のゴジラを通じてその問いの答えを提示しているようにも思えた。「オッペンハイマー」を視聴した後に「ゴジラマイナスワン」の焼け焦げて全てを失った日本がゴジラ(核兵器の象徴)襲来によってマイナスに突き落とされる様子を見たら見事に点が線で結ばれるのではないだろうか。戦後80年を迎えようとする中このような映画が出てきた意義は大きいと思う。1967年にOppenheimerはこの世を去っているが、彼は今世界で起こっている核競争の最初の預言者だったのかもしれない。もし今日Oppenheimerが生きていたらロシアとウクライナ間の戦争、パレスチナ・イスラエルの紛争をどう思うだろうか。核の脅威は間違いなく日に日に増している。3月29日にいよいよOppenheimerが日本に上陸する。アカデミー賞受賞者の壇上での炎上で意図せず話題性は十分だろう。アメリカの地からOppenheimerが賞賛されるのか、それともボロボロにこき下ろされるのか見届けたいと思う。 私の春休みもあっという間に終わろうとしている。またここからギアを上げて研究に励みたい。オッペンハイマーとレビューだけでなくゴジラマイナスワンのレビューも併せて参照していただきたい。(過去の記事はこちら)きたろう
2024.03.13
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まず最初に本ブログは映画の内容に深く踏み込むため映画の試聴を予定している方は読まれないことを強くお勧めする。是非映画を観た後にお読みいただければと思う。写真:オッペンハイマーアカデミー賞受賞を祝うイラスト画像引用元:アカデミーX公式アカウント(@TheAcademy)より借用前回のみどころに続き、今回はオッペンハイマーのあらすじについて書きたい。(過去の記事はこちら)3時間にも及ぶ長編映画をうまく纏められる自信がない。細かい部分は省き大きな枠組だけ説明することとする。このOppenheimerという映画はJ. Robert Oppenheimerが米国の安全保障に関わる聞き取り調査されている中で知られざるマンハッタン計画の事実が明らかになっていくストーリーだ。そこにLewis Strauss(Oppenheimerの上司)という別の人物の上院での国会聴取の回顧も含まれるため常に時系列が乱れる。最後にOppenheimerとStraussの回顧が重なり一致した時に視聴者は衝撃の事実にたどり着く。最初はOppenheimerと量子物力学との出会いつについて描かれている。ドイツのゲッティンゲン大学で博士号を取得後、UCバークリーで研究室を持つとOppenheimerは共産主義の会合を開き始める。同僚に何度も会合の中止を促される場面があるがOppenheimerは全く気にする素振りを見せない。そこに米国の軍幹部であるGrovesがOppenheimerに近づきマンハッタン計画のディレクターの職を打診する。ナチスドイツによるユダヤ人弾圧が結果としてアメリカにいる物理学者を一致団結させることとなる。彼らは「ナチスドイツよりも早く大量破壊兵器を開発して戦争を終わらせる」という大義の元、New MexicoにあるLos Alamosという何もない荒野に研究施設と街丸ごとを作ってしまう。研究者とその家族をLos Alamosに閉じ込め(映画ではcompartmentalizationと呼んでいる)、極秘に兵器の開発に乗り出す。米国国民にも知らされず水面下で進められたマンハッタン計画の始まりである。ここで研究者たちは3年間、総額20億ドルという巨額の予算を投じて原子爆弾の開発に着手することになる。この映画では研究者のリクルートプロセスも緻密に描かれていて非常に面白いと感じた。ある研究者は「3百年にも及ぶ物理学の結集が大量破壊兵器になることを望まない」と吐露する。それに対してOppenheimerは「我々がやらなければナチスドイツに先を越されるだけだ」と言い放つ。このシーンはその数十年後に起こるロシアとの冷戦を予期しているようだ。広島と長崎に原爆が投下される前に米国で行われた原子爆弾の実験はTrinityと名付けられる。これは日本語では三位一体と訳されキリスト教の教義として知られている。父(Father)、息子(Son)、聖なる魂(Holy Spirit)のに支えられて神(God)が存在すると考えられている。実験を20マイル(約32キロ)離れたところから自らが作り出した兵器の閃光を見た瞬間にOppenheimerは言葉を失う。そして、目の前に広がる閃光と炎を目の当たりにしてインドの聖典に書かれた言葉が過ぎる。“And now I am become death. The destroyers of worlds.” (我は死なり、世界の破壊者なり)人類が自身の存在すら脅かす大量破壊兵器を生み出した瞬間である。原子爆弾の成功により、OppenheimerはLos Alamosの英雄となる。Oppenheimerが担がれた背後になびく星条旗は原爆実験成功を象徴するようなシーンである。しかしながら、原爆投下後のOppenheimerの表情は浮かない。広島に原爆が投下される8月5日(日本時間6日)、Oppenheimerは一人テーブルで考え事に耽っている。きっと自分が開発した兵器がもたらす結末(consequence)を知っている者のみが味わう罪悪感に駆られているのだろう。Truman大統領の原爆投下成功のラジオ放送でLos Alamosの住民は熱狂の渦になっているにも関わらず、Oppenheimerには笑顔が全くない。ホワイトハウスでTrumanに労いの言葉をかけられてもOppenheimerは表情ひとつ変えない。それどころか大統領に対してこのように言うのである。“I feel that I have blood on my hands.” (私の両手は血で染まっている気がする)この血はもちろん兵器で命を失った日本人の血である。大統領の決断を非難するような発言でTrumanは気分を害したようで、Oppenheimerが部屋を離れるされるに以下の捨て台詞を吐く。“Don’t let that crybaby back in here!”(あんな泣き虫を2度と招くな!)その後、水素爆弾の開発を推し進めようとするLewis Straussと何度もOppenheimerは衝突する羽目となる。OppenheimerはRoosevelt大統領が立ち上げた国際連合(The United Nations)による核縮小を支持していたが、彼の望みも虚しく1945年以降ロシアとの冷戦によって核は抑止するどころか拡大し続けた。欧州へのアイソトープの輸出をめぐりOppenheimerによって大勢の面前で恥をかいたStraussはOppenheimerが共産主義者と繋がりがある点に漬け込み、彼に関する機密書類をBordenに渡して起訴するように唆す。それによってOppenheimerは冒頭に出てきた安全保障に関する聴取に晒されるのだ。最後はOppenheimerとEinsteinがプリンストン大学で池の湖畔で談笑するシーンで映画が終わる。二人の会話の内容は是非映画かDVDでご確認いただきたい。次回はこの映画の評価について書く予定だ。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.12
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アカデミー賞の候補に上がってからずっと映画Oppenheimerを観たいと思っていた。最近ようやくまとまった時間が確保できて映画を観ることができた。鬼才Christopher Nolan氏の最高傑作とも噂されるOppenheimerは期待を裏切らない作品に仕上がっていた。原爆被害の描写が現実と離れすぎているという批判がすでに出ているが、これは原爆の生みの親であるOppenheimerの半生に迫る作品である。マンハッタン計画(Manhattan Project)の舞台裏とその後の開発者たちを取り巻く人間模様が主に描かれているため、原爆被害に関する過度な演出をあえて避けたのではないかと思われる。私は地球上で唯一原爆の被害に遭っている「日本人」だからこそアメリカの視点でどのように原爆が作られて、どのような経緯で日本に投下されたのかその一端を知るべきだと思う。原爆被害を受けた日本の立場からすると勿論ショッキングなシーンも含まれているが、戦後80年が経ち戦争の記憶が薄れていく中でそこから目を背けてはいけないような気がする。Nolan監督が指揮を務めたInception(2010)、Instersteller(2014)といった作品は全てストーリープロットが複雑で非常に難解なイメージがある。今回も3時間近くの超大作ととなっていて正直1度見ただけでは何が起きているのか把握しきれなかった。日本公開が3月29日でまだ約三週間ほど時間がある。このブログでは「予習編」、「あらすじと個人的な評価」の2本だけでお届けしたい。ちなみに「あらすじと個人的な評価」はネタバレも含まれているため、是非映画を視聴するまではご覧いただかないようにしてほしい。オチを知ってしまうと当日の感動が半減してしまうからだ。まずこの映画はOppenheimerという物理化学者の伝記である。予めお伝えしておきたいのはこの映画は”Fission(分裂)”と”Fusion(融合)”という2部で構成されていることだ。Fissionではカラー映像で描かれ主人公Oppenheimerの一人称的な視点で描かれる。原爆開発後に浮上した共産主義思想に基づくスパイ疑惑に対する取り調べの様子が描かれる。それに対しFusionはLewis Strauss(原爆開発後のAtomic Energy Comissionの所長でOppenheimerをアドバイザーに任命する)の視点から上院での聴取の様子が描かれている。白黒映像とカラー映像で複雑に状況や時系列が変化するのでここについていかないと話についていけなくなってしまう。あと、もう一つ大前提として押さえておいてほしいのはこの主人公であるOppenheimerはユダヤ系アメリカ人であるということだ。そして第二次世界大戦中にユダヤ人を厳しく弾圧したナチス政権とその主導者であるヒトラーがアメリカの敵であったという構図である。Oppenheimerがハーバード大学、イギリスのケンブリッジ大学で学んだ後にドイツの大学で量子物理学を学んでいることもポイントだ。ドイツが最初から嫌いだったらわざわざ博士課程をドイツで取得しないだろう。第二次世界大戦とナチス政権による支配によってドイツや共産主義に対する考えが変化していったと思われる。第二次大戦時、日本は日独伊三国同盟を組んでいたため、Oppenheimerの視点からすれば日本もドイツ同様敵対国となる。常に居場所を追いやられ世界各地で弾圧され続けてきたユダヤ人の歴史を踏まえないとこの映画はいまいち理解できない。第二次世界大戦と資本主義と共産主義の対立構造、アインシュタインの相対性理論及び量子物理学がFusion(融合)した結果、宇宙を巻き込んだ壮大なスケールで描かれる究極の文理融合映画が誕生した。天才的科学者アルバートアインシュタインと映画中にも登場するサンスクリットで書かれたインドの聖典「バガバッド・ギーター」の一節も映画の鍵を握る。是非以下のリンクを一読の上で映画館に足を運んでほしい。映画に深みが出ることは間違いない。↓リンク↓American Center Japan: 核兵器のない世界ーはじめにこの映画は世界を滅ぼすほどの兵器を持った人類が核と今後どう向き合うべきか問い続けている。衝撃の話題作が3月29日以降日本でどう受け入れられるかが気になる。オッペンハイマーは第二次世界大戦をテーマにした映画部門、自伝映画部門で歴代最高興行収入を記録しているという。Christopher Nolan監督のファンであればきっと心に刺さるはずだ。大迫力のテクノミュージックと映像を劇場でご覧いただきたい。画像引用元:オッペンハイマーオフィシャルサイトそれでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.11
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A breaking news came in this morning from Japan, reporting that a legendary Manga creator Akira Toriyama passed away on March 1st at the age of 68. According to major news sources, he suffered from sudden cerebral blood clots. His major Manga works are Dragon Ball and Dr. Slump. Some legendary video games, "Chrono Trigger" and "Dragon Quest" series, are also known as his major works. Dragon Ball was translated into numerous languages and has become one of the most well recognized Japanese Manga titles around the globe. As one who grew up watching Dragon Ball on TV, I cannot thank Akira Toriyama for his tremendous contributions to the development of Japanese Manga industry. Akira is definitely a Manga pioneer who has increased the international recognition of the term “Manga” and influenced many of Japanese boys comic artists who became quite popular after Dragon Ball. Dragon Ball stays forever in my heart. R.I.P., Akira Toriyama. I recently used a term “the Hyperbolic Time Chamber (Seishin To Toki no Heya)” to describe the library on campus. To see the blog entry, please click on the link below.HEREBBC NEWS: Dragon Ball creator Akira Toriyama dies at aged 68HEREImage Cited from Dragon Ball Official Homepage:HERE
2024.03.10
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かなり遅れての投稿になってしまったが秋学期中に参加したコミュニティーサービスについて綴りたい。結論から申し上げると非常に有意義な経験で研究の傍らまた参加したいと思える活動であった。簡単に活動内容とそこから学んだことを備忘録として残しておきたい。コミュニティーサービスに参加するための手続きについては過去の記事を参照していただきたい。(過去の記事はこちら)10月の下旬から12月末まで週に2回、1回1時間大学の近くにある現地の小学校に行って学習支援をしてきた。Grade1〜Grade3までの生徒に対しone-on-oneで一人30分間算数や読み書きを教えるというものだ。私はGrade 3の男の子2人を担当することになった。ただ勉強を教えるだけではつまらない。学習支援をしながら日本の文化を伝えつつ、児童と一緒に楽しめるものはないだろうか。悩みに悩んだ挙句、折り紙を一緒に折ることにした。急遽日本にいる家族に連絡をとり100円ショップで売っている折り紙用紙を送ってもらった。(なかなか正方形の薄紙はアメリカでは売っていないことがこちらにきてから判明した。日本ではどこでも売っているようなものがアメリカでは売っていないのは盲点だった。)コーディネーターにもCan I do some Origami with my students for an icebreaker?と相談すると”that’s a great idea!”とすぐに許可をもらうことができた。A君は初日から懐いてくれてウォーミングアップ活動で行った折り紙も毎回興味を示してくれたのに対し、もう一人のB君なかなか口を開けてくれなかった。担任の先生からもらったコメントにも”Can shut down when frustrated”と書かれており、積極的に話しかけてきてくれる生徒ではないことはこちらも事前に把握していたのでそこまで驚くことはなかった。A君は明るくて”Can we do Origami again?”とこちらが提示する教材に興味津々だ。しかし、A君はたまにテンションが高くなりすぎて収拾がつかなくなることがあった。サイコロを投げるのがA君はどうしてもサイコロを上に投げてしまう。廊下にコロコロ転がるサイコロを眺めて喜んでいる。ある日サイコロを高く放り投げて、サイコロが廊下に当たった衝撃で真っ二つに割れてしまったのは今となってはA君との良い思い出だ。写真:A君が好きなレインボーフレンズのキャラクター、B君は白紙だった。きっとskaryはscaryのスペル間違いと思われる。B君は基本的に無口で口を開こうとしてくれない。”How are you?”とか”How’s your weekend?”と話しかけてみても”good”とか”nothing”とか反応は非常に薄い。A君と比べて目が合う回数も極端に少なくなかなか接点を探すのに苦労した。どんなに研究機関で理論を学んでも理論通りには絶対行かない。頭でっかちになってはいけないことをB君は私に教えてくれた気がする。B君はホワイトボードに延々と円を描くのが好きで、30分のうち5分〜7分ほど息抜きの時間を作ると集中が続くことがわかった。写真:B君の描いた円二人の共通点はまだまだ読み書きの基礎がまだ備わっていないことだ。私の勝手な先入観で「ネイティブ」は幼い頃から文字と音声を一致させられることができると思い込んでいた。実際に読み書きを教えてみると、ノンネイティブの私でも読み書きに関しては教えられることが沢山あることに気づいた。知らぬうちに日本で「ネイティブ信仰」に陥ってしまっていたのかもしれない。ノンネイティブで所謂「純ジャパ」(個人的には差別的にも聞こえてあまり私はこの用語は好きではない)の私が「ネイティブ」に英語を教えている光景は日本で育った人からしたら非常に新鮮で映っただろう。写真:最終日に渡した鶴の折紙我々が抱く「ネイティブ=英語のプロ、純ジャパ=海外経験がなく日本で育った(英語が苦手な)日本人」は一体何なのだろうか。ノンネイティブの私が現地の小学生に英語を教えているとアメリカ人のコーディネーターの方は毎回”Thank you so much for your great work”と褒めてくれる。ネイティブ、ノンネイティブなんて括りは実は最初から存在しないのではないだろうか。どこからがネイティブでどこからが非ネイティブが定義できる人は実は非常に少ない。アメリカに長年住んできる方ならお分かりだろうが、漢字が覚えられない日本人がいるように数学や読み書きが弱いアメリカ人も沢山いる。ネイティブというアンブレラタームで全てを括ってしまうのはリスクを有していることをお伝えしたい。コミュニティーサービスは非常に有益な時間であった。折角わざわざ日本からアメリカに来ているのだから研究だけでなくアメリカの実社会との繋がりを忘れずにいたい。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.09
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大学院ではディスカッションボードといってオンライン上の掲示板に書き込めるスペースが存在する。各々500語程度の短いレポートを書き込んでそこにクラスメイトが後からコメントを残してくれる。アメリカの大学院では授業以外でも学びが広がるようにデザインされているような気がする。他人の英文も可視化されて大変勉強になるし、気になる点や疑問点があればコメントを書いて相手に質問することすらできる。クラスメイトの英文を読んでいて気になる表現があった。“The lessons are divided into bite-sized modules.“私が気になったのは文中にあるbite-sizedという表現だ。直訳すると「一口サイズに切り分けられた」という意味だが、どうやらもっと深い意味が隠れていそうだ。家に戻ってジーニアス英和辞典第6版を開いてみると「《略式》(小さく[短く]て)理解しやすい、扱いやすい」という意味があった。食べやすくて手頃な感覚を想像すればこの意味への転用も理解できる。どうやら理解のしやすさと消化の良さは相性が良いようだ。消化しやすいというdigestibleという単語にはbite-sized同様「要約しやすい、理解しやすい」という意味が含まれている。日本語でも「消化不良」というと理解しきれなかったことを指す場合がある。英語にもこれに似た表現が存在する。例えば、“There’s a lot to digest!”と言えば、内容が多すぎて消化するのが大変(理解しにくい)という意味になる。上記からお分かりの通り、言語は非常に柔軟性に富んでおりダイナミックだ。単語帳で英語をマスターしようとしてもなかなか思うようにはいかない。言語は常に進化をし続けているからだ。本日の写真:週末のコーヒーこの記事が皆さんにとってdigestibleであったなら嬉しい。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.08
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春学期の中間地点に差し掛かり授業の内容も段々と専門性が高くなり、課題の質と量も増してきている気がする。起床→授業→アパートで夕食→再度大学に戻って勉強→アパートに戻って就寝というサイクルを繰り返している。夜9時過ぎに学部棟の個室で勉強していると友人が声をかけてくれた。彼は質的研究のインタビュー課題に追われているらしく遅くまでキャンパスに残っているのだという。お互い受講している授業や課題について10分くらい話した後にふと友人がこう言った。“It’s a part of the process.”つまり、これは人生の試練であり今後の人生を歩む上で突破しなければならない壁なのだと。直訳すると「手続きの一部」なのだが、文脈の使われ方によっては上記のような捉え方が可能だ。楽な人生なんてない。それは渡米する前からも分かりきっていたことだ。それでもそれを覚悟の上でこちらに挑戦しにきたのだから最後までとことんやり抜く覚悟だ。“I totally agree. This is a part of the process and I know that there is a wall for a reason.”私もRandy Pausch(2008)のLast Lectureの言葉を引用しつつ上記のように友人に伝えた。きっと一つ一つの試練には意味があるのだと。まるで自分にも言い聞かせるように。辛い時こそ地中深くに根を張っている最中だと受験期に家族から昔言われたことがある。地中に根を深く張れば嵐が到来してもそう簡単には倒れなくなるのだという。今はそのプロセスの真っ只中だ。着実に、一歩ずつそのプロセスの歩むだけだ。写真:バルチモアの教会それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.07
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スーパーボールが行われる日の朝にTrader Joe’s(通称トレジョー)に買い出しに行くと恐ろしいほどレジが混んでいた。みんな夜のパーティに備えて買い出しをしているのだろう。駐車場は車で溢れかえり、場外まで車の列ができている。レジも大変混雑していて店内を一周してしまうのではないかと思うほどの列ができていた。「今晩はスーパーボールがあって大盛況ですね。」と店員さんに話しかけると、“Yeah, there will another bomb in the afternoon.”と笑いながら返してくれた。そして、そのまま次のように彼は言い放った。“Last year was mayhem.”“I can imagine that.”と笑いながら会話を楽しみにつつその場を後にしたが、このmayhemの使われ方が面白かったのでこちらのブログでも紹介したい。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「(通例暴力行為または衝撃的な出来事による)大混乱、パニック(chaos)」と定義されている。まさにスーパーボールという全米が注目する一大イベントによるスーパーの混雑はmayhemがぴったりかもしれない。まさに言い得て妙なり。「午後に『爆弾』が投下されるだろう」という表現もユーモアに溢れていて非常に面白い。英検1級の実際の試験にもmayhemは登場していたような気がする。頻度は決して高くないが、日常生活にもこのように登場するし知っていて損はないような気がする。それでは皆さん今日も良い1日を。写真:北米限定のスタバ商品。きたろう
2024.03.06
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Morite2(もりてつ)氏(@morite2toeic)が掲載した難関大学の入試問題に挑んでみた。Xからお写真を拝借してこちらにも自分の作文をまとめて残しておきたいと思う。赤本を長年眺めていないため詳細はわからないが、このような英作文には模範解答がないため赤本にも模範解答は掲載されないのではないだろうか。受験生の参考になれば幸いだ。(採点基準が公表されていないので知りようがないが、私と同じように書いても満点になることはないだろう。その点ご注意いただきたい。)早稲田大学法学部(2024)の問題の一部※Morite2氏(@morite2toeic)の2024年2月17日の投稿より借用試訳:In this mural art, a janitor is wiping out some graffiti on a wall with a hydro-jet cleaner. It seems, however, that the mural art has some hidden implications with a closer look. The graffiti he is trying to erase show an ecological relationship that humans used to have. The man is simply doing his duty to keep his town clean, but it could be said that he is a main culprit that is wiping out the ecological diversity and is trying to exert the human dominance on the earth.京都大学(2024)の問題の一部※Morite2氏(@morite2toeic)の2024年2月28日の投稿より借用試訳:Every once a while, you realized how ignorant you once were. These moments provide you with opportunities to reflect on your intellectual path that you went through. Paradoxically accepting your ignorance can teach you that you have become wiser than what you were yesterday. Much remains unknown in this world. Acknowledging this simple fact is a starting point of learning, and there would be no endpoint in this process.慶應義塾大学理工学部(2024)の問題の一部※Morite2氏(@morite2toeic)の2024年2月12日の投稿より借用試訳:Some are incessantly gravitated towards their home town, and others feel that they can no longer return home for some reason.コメント:万有引力のように引き戻される感じはgravitateがしっくり気がします。戻ることができないはno longerで哀愁を漂わせてみました。美しい文章を英訳するのは難しいですね。最近の入試問題は難化していると痛感した。文法の問題が消えて今後はこのような自由英作文の比率が大きくなっていくのだろうか。文法書を丸暗記しているだけでは太刀打ちできない日がやってくるような気がしている。それでは良い一日をきたろう
2024.03.03
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閏年は4年に1度だけやってきて、その年だけ1年間の日数が366日となる。4年に一度だけ追加される日が2月29日だ。CASIOのHPによると「閏年は、グレゴリオ暦(西暦)において、以下の条件を満たす年」を指すらしい。1. 西暦年号が4で割り切れる。2. ただし、西暦年号が100で割り切れる年は、通常は平年で過ごす。3. しかし、西暦年号が400で割り切れる年は、閏年となる。 詳しくはCASIOのHPを参照していただきたい。↓リンク↓こちら英語では閏年のことを”leap day”と呼ぶ。こちらでは年ではなく2月29日という日に注目されるのが興味深い。Happy Leap Dayと書かれたポスターにはなぜかカエルのイラストがある。不思議に思い、近くにいた見知らぬ人になぜカエルが描かれているのか聞いてみると”Oh, it’s probably because of the word ‘leap’. I know it’s silly.”と答えてくれた。”I see. The frog is a symbol associated with February 29. Thank you.”と知らない人に感謝の念を伝えてその場を離れた。 日本に住んでいると閏年とカエルはどうやっても結びつかないが、英語圏では閏年にはカエルが付き物らしい。閏年一つをとっても文化の違いが垣間見れて非常に面白い。Groundhog Dayにしてもそうだが、現地で暮らしてみないと気づかない文化的背景知識は沢山ある。現地の人々にとっては当たり前すぎて気にもならないことなのだろうが、私のような日本で暮らし育ってきた人間にとってはこのような経験一つ一つが新鮮に思える。(Groundhog Dayの記事はこちら) 大学院生専用のスタディスペースにはこのような展示まで発見してしまった。どうやら折り紙はOrigamiとして市民権を獲得しているようだ。抹茶もmatchaとして通じるし、日本の文化資本は充実していることをアメリカにいて痛感している。実はleapには「飛躍」という意味もあって願いことをLeap Dayに書くというイベント?まで開催されていた。4年に1度だけやってくる日本でいう七夕の短冊のような感覚だろうか。”Take a leap on Leap Day”というダジャレがアメリカっぽくて好きだ。日本に戻ってもクスッと笑えるユーモアを大切にしていきたい。きっと日本だったら「閏年にカエルが登場するのはなんでですか」と知らない人に質問することなんて到底できないだろう。しかし、こちらの人々は嫌な顔を一つもせずに質問に答えてくれる。私も日本で海外の人から日本のことについて質問を受けたら嫌な顔をせずに堂々と答えられるようになりたい。今の日本人に必要なことは英語運用能力ではなく、英語の使用に対する「心構え」のような気がしている。無意識の内に「英検⚪︎級以上じゃないと話しちゃいけない、TOEIC⚪︎⚪︎点以下は恥ずかしい」という固定観念を抱いていないだろうか。変な偏見に囚われずにもっと言語は身近な存在であればいいのにと思う。今日も良い1日を。きたろう
2024.03.01
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以前辞書にも掲載されていない日用英単語をご紹介した。(過去の記事はこちら)前回に引き続き辞書に掲載されていない意外な日用表現に出会ったので本ブログでご紹介したい。それは大学院の講義を受けている時であった。その授業は今受けている4つの授業の中で一番難解で苦労している授業だ。課題で出される記事もわからない上に量が多いため授業前後にクラスメイトからつい不満が漏れる。教授が講義を始めて30分くらい経過した時に、“This is inside baseball, but….”と急に言い放った。今までずっと専門分野の話をしていたのに急に「野球(baseball)」という単語が登場したのですぐにノートの隅に”inside baseball”と書き殴った。自宅に戻ってジーニアス英和辞典、スーパーアンカー英和辞典で調べてみたが、メジャーな学習英和辞典2冊にも掲載されていない。Merrian-Websterオンラインディクショナリーにはしっかり以下の定義の記載があった。“known or understood only by a small group of people”↓リンク↓Merrian-Webster Online Dictionary-inside baseball直訳すると「少数の人間にしか知られていない」となる。なるほど、教授は「ここからちょっと専門的な話になるんだけどね」という前置きをしていたのだった。肝心なThis is inside baseballの後は何を話されていたのか忘れてしまったが、新たな表現を学んだだけでも一歩前進したと思いたい。改めてまだまだ自分の知らない世界が広がっているし、英和辞典は全ての単語を網羅しているわけではないことを感じる瞬間だ。英語は実に奥が深い。研究の傍ら辞書に掲載されていない英語表現をどんどん探し出してまだ英語辞典のカバーできていない領域を明らかにしていきたいと思う。写真:春の到来を知らせる植物それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.02.28
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写真:よく勉強するラウンジ(丸いユニークな照明と自然光が心地良い)日本の大学もこんなスタディスペースを図書館以外にも沢山設けて欲しい。この間アメリカ人の友人と談笑していて面白い表現で出会したのでこのブログでも紹介したい。春学期に履修している授業の中で一つだけとてもユニークなクラスがある。テクノロジーが発達したこの時代に珍しくその教授はパソコンやプロジェクターを一切を使わない。毎回分厚いノートを持ち込んでそのノートをベースに講義をするのだ。板書もほとんどないため基本的には耳から得る情報に頼らざるを得ない。リスニングをしながら重要な箇所をノートに残していく。日本語でも講義をずっと聴いているのは疲れるが、言語が英語になるとその疲れは比べものにならない。その友人はその教授の授業をとったことがあるらしく、私の悩みにすごく共感をしてくれた。私の悩みは留学生に限ったことではなく、現地の学生も抱いていた共通の悩みだったらしい。顔に笑みを浮かべながら友人が教授をこのように表現した。“He is old-school.”私の脳内でビビッと何かが反応するのがわかった。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「[限定]古風な;古めかしい;伝統的な」と定義されていた。昔気質(むかしかたぎ)の人々のことをこちらではold schoolというらしい。映画界の巨匠Clint Eastwoodが監督、主演を務めたGran Torino(2008)の映画にも確かこのold schoolという表現が登場したのを覚えている。主人公であるWalt Kowalskiは戦時中のトラウマを引きづりつつ晩年をデトロイトで過ごしている。デトロイトは自動車産業の中心地として栄えたが、日本車が80年代から90年代に流行りだし一気に衰退してしまった。もぬけの殻となって治安が悪化した都市に住むKowalskiは自身の愛車であるGran Torinoを磨きつつ、変わり果てたアメリカをどこか憂でいる。そんな老人を若いアジア人女性がこういうのである。“You are old-school.”しかし、このold-schoolにネガティブな要素はなくむしろ褒め言葉のようにも聞こえる。どこかこの言葉には古き良き時代の古めかしさがあるような気がする。この単語が保守派を意味するconvervativeとは同義にならないのはそのためだ。なんとなく”He is old-school.”と言い放った彼女からも教授に対するリスペクトの心が垣間見れる。こんな英語表現に出会うたびに実に英語は奥が深いと思い知らされる。英語を15年以上触れていても私にとって英語は常に得体の知れない謎に包まれた生き物のようである。ベトナム戦争とその余波で追い出された民族の歴史、アメリカでの自動車産業の衰退、デトロイトという都市の荒廃、アメリカで根強く残る人種差別を意識しながらこの「グラン・トリノ(Gran Torino)」を視聴すると作品は単なる自動車好きの老人の話ではなくなる。16年ほど前に友人に誘われてグラン・トリノの試写会に行ったが、当時大学生の私はそこまで時代背景を理解できていなかった。10年後に再度DVDを見て深く感銘を受けたのを覚えている。アメリカの社会情勢にご興味がある方は是非ご覧いただきたい。後半から脱線して映画のレビューになってしまい大変恐縮である。留学を希望する未来の誰かにこのブログが届くことを願って今日も研究に励みたい。それでは皆さん今日も良い1日を。きたろう
2024.02.27
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「精神と時の部屋」とはドラゴンボールで登場する部屋の名称である。神様の神殿内にある空間でドラゴンボールの主人公である孫悟空が修行した場所として知られている。地球とは異なり時間の流れ方が異常に早い、重力も地球よりも何倍もある、空気も非常に薄いといった特徴がある。精神時の部屋で修行した悟空は一気にパワーアップをする。私にとって大学の図書館はまさに「精神と時の部屋」と呼ぶにふさわしい場所である。時間を忘れて深夜まで文献に耽る場所だ。そこには雑音が存在しない。聞こえてくるのはページをめくる音とキーボードを打ち込む音だけだ。この空間だけは時間の軸が歪んでいるようだ。気づけば3時間4時間とあっという間に経過している。以下の写真をご覧いただきたい。日曜日の夜だというのにこれだけの学生がいる。こちらは同日別フロアの写真日本の大学(院)では考えられないことだ。そもそも日本の大学は日曜日の夜9時に開館していない。文献にもオンラインで24時間アクセスできるようになっていて日本の大学との差は歴然である。PDFを専用のアプリに読み込むと画面上にannotationを簡単に加えることができる。勿論、大学がライセンス料を支払っているため文献のダウンロードから文献保存アプリまで学生は無料で利用できる。(高額な学費に含まれていると表現した方が適切だったかもしれない。)アメリカの大学は非常に勉強熱心な学生が集まる。知識を得ることに貪欲な学生に囲まれていると自然と私もモチベーションが沸々と湧いてくる。日本にいた頃は仕事で疲れていて日曜日の午後に「机に向かおう!」と思わ(え)なかった。日本にいた頃は全てスケジュール管理されていてタスクを期日までに終わらせることに全力を注いでいた。今も忙しいことは日本にいた頃と一切変わらないが自分でスケジュールを組み立てている印象がある。今は時間があれば積極的に図書館に向かう自分がいる。同じ人間なのに環境が違うだけでこれほど人間の行動力は変わるものかと自分自身驚いている。勿論、長時間文献に立ち向かうのは労力を要するし、決して楽しいと断言できる作業ではない。しかし、推敲に推敲を重ねたレポートにいい評価が付いた時の快感は言葉に形容し難いほど嬉しい。精神時の部屋での修行を経て自分がどのようにパワーアップしているのか今から楽しみだ。アメリカの大学図書館については以前の記事でも述べた。米国の大学図書館についてさらに知りたい方は過去の記事も参照されたい。↓リンク↓こちらそれでは良い1日を。きたろう
2024.02.26
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写真:よく行くコーヒーショップの壁画(なぜか左上に日本が描かれている)ブログの更新がめっきり途絶えてしまった。ここ最近は大学院の課題が途轍もなく兎に角文献を読み漁ってレポートを書く作業を延々と繰り返していた。留学はどこかきらびやかなイメージがあるが、大学院留学は1年〜2年と非常にスパンが短いのでカリキュラムがパンパンに詰め込まれている印象だ。なんとか春休みに到達するまで集中を切らさずに走り切りたい。学業を続けながら常に気にしているのが円ードルの為替レートだ。2024年になってからさらに円安傾向が強まりとうとう先日150円の大台に乗ってしまった。2024年2月25日現在円ドルの為替は1ドル150.48円となっている。これが160円、170円と上がっていったら自分のアメリカ生活はどうなってしまうのだろう。ただでさえアメリカはインフレの状態が続いていて食品、ガソリン、家賃の値段が上がり続けている。以前にも円安について記事を書いた記憶があるが、その状況が改善しているようには思えない。(過去の記事はこちら)自分の大学院留学で子供達の将来の養育費を使い果たすわけにはいかない。自己投資をしつつも家族や老後のために貯蓄が求められるため、舵取りは正直非常に難しい。また、為替レートは私がコントロールできる部分ではないため現時点でできることは辛抱強く待つくらいだ。学部生で渡米しようとしている学生にとってもドル円の為替レートは死活問題であろう。なんとか財団や進学先の大学から給付型の奨学金を獲得して学業に専念できる環境を整えてほしい。コロナ以降日本人の留学生の人数は下降し続けている。海外観光客からすれば日本は商品が格安で購入できるバーゲンセール状態であるが、日本人からすれば海外への壁はこれまでにないほど高くなってしまった。私はこの日本の現状を「令和の鎖国状態」と名づけることにする。日本の若者が留学したくても経済的な事情で飛び立てなくなっている状況はなんとかならないものだろうか。優秀な人材が高待遇を求めて外資系企業に流れ、賃金が一切上昇せず円の価値すら下降の一途をたどる日本の産業がどんどん空洞化していかないか心配である。政治も党内の不祥事の火消しで精一杯で本来の政治が果たすべき責務を果たせていない印象を受ける。どうにかこの超円安の状況を是正していただきたいものだ。これからアメリカに留学する学生に向けておすすめの節約術をお伝えしたい。1.自炊するこれはもう節約の基本のキである。自炊に勝る節約術はない。アメリカではTrader Joe’s(通称トレジョー)というスーパーが安くて品質も良くおすすめである。2.固定費を抑える家賃、光熱費を抑えるのが次にできることであるが、注意も必要だ。家賃が異常に安い物件はなんらかの問題を抱えている可能性が非常に大きい。安全・安心はお金で買うのが資本主義アメリカという国である。ケチりすぎて痛い目に遭わないよう物件は下見をすることをお勧めする。(個人的にお勧めなのが大学のすぐ近くの物件を探すことである。大学の近くは大学の警備が行き届いており治安が良いことが多い。また図書館に夜遅くまでこもっていてもすぐ帰宅できるため利便性を考えてもお勧めだ。)3.大学の食事付きイベントに積極的に参加する大学が催すイベントには食事が付いてくることが多い。しかも食事が余ればこっそり持ち帰ることも可能だ。私の大学では頻繁にこのようなイベント(学会発表)があるのでなるべく足を運ぶようにしている。人との交流もできて人脈も広がるため一石二鳥だと言える。円安の影響で渡米してから一人でレストランやバーに行ったことはまだ一度もない。どうしても値段がちらついてしまいたとえ行ったとしても楽しめない自分がいるのである。旅行であれば奮発するのだろうけど、まだまだ長いアメリカ生活が残っているため不必要な場面で少ない預金残高のお金を使う気には全くなれない。美味しそうなレストランの横を通り過ぎても贅沢をするためにアメリカに来ているわけではないだろうと自分に言い聞かせている。この海外での厳しい生活が今後の人生の起爆剤になるような気がしている。海外で貧しい生活をしていると「生きる力」が研ぎ澄まされていく感覚を覚える。日本の会社人時代には絶対に感じることはなかっただろう。こんな海外での貧乏学生生活もいつかいい思い出になることを願っている。では課題に励むことにする。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.02.25
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写真:スーパーボールの中継スーパーボールとは:読者の皆さんはスーパーボールをご存知だろうか。NFL(National Football League)の各カンファレンスを勝ち抜いたチームがアメリカンフットボールリーグの全米(世界)1位をかけて戦うのがスーパーボールだ。世界大会は存在しないが、アメリカのNFLよりも規模が大きなリーグが存在しないため実質世界一を決めるトーナメントリーグとなっている。全米各地のメジャーな都市には大体その地域を代表するアメフトのチームが存在する。その地域のプライドをかけてプレイヤーたちは毎年スーパーボール優勝を目指してリーグを戦うことになる。こちらのサイトに詳しくNFLの概要が掲載されている。↓リンク↓こちら(NFL日本語版)スーパーボールの人気:競技名に国名が入っているだけあってアメリカでのアメフトの人気は日本とは比べものにならない。アメリカではfootball=アメフトを指すのでわざわざ”American Football”と呼ぶアメリカ人はいない。現地の人にとってfootballはサッカーではなくアメフト一択なのだ。スーパーボールの注目度は非常に高く視聴率は40%を超えるというから驚きだ。まさにアメリカ国民が熱狂する国民的スポーツイベントなのだ。視聴率40%を超えるコンテンツだけあってCMやハーフタイムのショーの規模も桁違いだ。30秒単位のCMに10億円ほどのお金が注ぎ込まれているらしい。しかもCMに出てくるのはハリウッドやスポーツのスーパースター選手ばかりだ。今年のCMにはなんとメッシが登場していた。今年はコロナワクチンを開発したファイザー、格安通販で業績を伸ばしているTEMU、映画の宣伝が目立った気がする。ハーフタイムショーもスーパーボールの目玉である。今年はラッパーであるアッシャーが出演した。個人的にはアシリア・キーズとのコラボに鳥肌が立った。過去にはビヨンセ、マドンナ、エアロスミス、U2、マイケル・ジャクソンなど世界的アーティストがステージに立っている。アメフトのルールが分からない人でもCM、ハーフタイムショー目当てにスーパーボールを見る人もいるだろう。ビアポン:アメリカのホームパーティでよく行われるのがビアポンだ。大学生間の飲み会では頻繁に行われるし、アメリカの映画でも若者がよくビアポンで負けてお酒を飲まされているシーンが登場する。勿論今回参加したホームパーティでもビアポンが開催されていた。これからアメリカの学部もしくは大学院に留学予定の方は知っておいて損はないかもしれない。今年のスーパーボールの結果:今年のスーパーボールは2月11日にラスベガスで行われた。カンザスシティのチーフスがサンフランシスコを拠点にする49ers(フォーティナイナーズ)を25-22で破り優勝を果たした。延長戦にもつれ最後の最後でチーフスがタッチダウンを決めて49ersを退けた。友人はサンフランシスコに10年ほど住んでいて大の49ersファンだったようで劇的な幕切れにショックを隠しきれない様子であった。最後までどちらに転ぶか分からない展開で非常に見応えのある試合であったことは間違いない。テイラースウィフトの彼氏がチーフスのプレイヤーらしく10分おきにテイラーがテレビ画面に登場していた。テイラースウィフトはこの直前までジャパンツアーを行なっていたようでトンボ返りで帰国したらしい。疲れを画面から一切感じさせないのがスターの証だろうか。私には到底真似できない。スーパーボールパーティでの会話について:大学院の授業の英語はなんとなくわかるのだが、雑音が混じった中でのネイティブの英語は本当に難しい。TOEFLやIELTSのリスニングの難易度とはまた違った難しさだ。そもそも現地の会話には選択肢がないし、絶対的な正解があるわけでもない。難しさの質が根本的に違う気がする。お酒が影響している可能性も否めないがどんなに集中を研ぎ澄ましてもうまく会話の内容が入ってこないのだ。この異次元のスピードの英語を理解できるようになる日は来るのであろうか。ネイティブ同士の会話にうまく入れず見事撃沈したが、自分のコンフォートゾーンを抜け出して新たな輪に入ろうとした自分をささやかながら誇りたい。若者たちは深夜2時を過ぎてもテレビを見て見ていたが、私は1時ごろに限界を迎え一人静かにソファーで眠りについた。植物が光合成をして少しずつ成長するように私もアメリカの地で少しずつ根を張ることができてきている気がする。ほんのわずかだけれども。きたろう
2024.02.18
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学期が始まる前に米国人の恩師にカフェに連れて行ってもらう機会に恵まれた。久々の再会を楽しんでいるといつの間にか話題は仏教思想の話になっていた。彼女は中国に数年住んでいた経験があり、日本のみならずアジアの文化や風習に精通している。彼女は仏教の「諸行無常」の考え方がとても気に入っていると話してくれた。まさかアメリカのカフェで仏教思想について語り合うとは誰が想像できただろうか。仏教思想の話をしている時にどうしても聞き取れなかった単語があったので、帰り際に「さっき言っていた引用をここに書いてもらってもいいですか。あとでちょっと調べてみたいんです。」と打ち明けると彼女は快く私の手帳に綺麗な筆記体で書いてくれた。その手帳にはこう書かれていた。“Thanks to impermanence, everything is possible.”その時はimpermanenceの意味がど忘れで抜けており、何のおかげで全てが可能になっているのかわからなかった。3時間ほどみっちり会話をしてカフェを後にした。恩師との会話は非常に楽しく3時間英語で会話をしていても一瞬のように感じる。IELTSやTOEFLのような時間の制約もなく肩肘張らずありのまま思うことを英語で表現できる環境があるのは有難いことだ。心地よい夕日を浴びながら歩いてアパートに戻り、手帳に書かれた引用をインターネットで検索してみるとすぐに以下の引用がヒットした。“We are often sad and suffer a lot when things change, but change and impermanence have a positive side. Thanks to impermanence, everything is possible.” –Thick Nhat HanhThick Nhat Hanh???日本人の名前のようには思えないし、全くピンとこない。さらにネットで検索してみるとベトナム生まれの有名な仏教者であることがわかった。ダライ・ラマ14世と並んで20世紀から平和活動に従事する有名な平和活動家でもあるらしい。ティク・ナット・ハン(Thick Nhat Hanh)氏はベトナム戦争を経験後、渡米してマインドフルネスを西洋に持ち込んだ人物として知られているだ。プラムビレッジというサイトに彼の半生を紹介するページがあった。ご興味がある方はどうぞそちらを参照されたい。どうやら市民運動を指揮したキング牧師も交流があったらしい。↓リンク↓こちら先ほど登場したimpermanenceだが辞書によると"The state of fact of lasting for only a limited period of time”(Oxford Languages)と定義されていた。日本語に訳すと「儚さ」が一番近いだろうか。どこかで出会ったephemeralityは脳内に蓄えてあったが、impermanenceは抜け落ちてしまっていた。“Thanks to impermanence, everything is possible.”「儚いおかげで全てが可能となる」そう、我々は命を含め有限であるからこそそれらに有り難みを感じ愛おしく感じることができるのだ。恩師が”Nothing stays the same”と会話中に繰り返していたが、この引用は見事に諸行無常の概念をズバッと表現していたのだ。筆記体で美しく書かれた言の葉が胸に焼き付いてしばらく離れなかった。この手帳は一生捨てられる気がしない。アメリカに来てアメリカの言葉や文化を吸収しに来ているのに自分の日本の文化の無知さに気付かされる。長年日本でいながら自分は日本を知らなすぎである。いや、きっと長年住んでいて自分は日本のことを熟知していると思い込んでいたのだ。日本に興味があるアメリカ人に日本のことを質問されてうまく回答できていない自分がいる。英語力ではなく自分には日本に関する基本的な知識が不足しているのだ。日本で生まれ育って築かれてきた日本人としてのアイデンティティが揺らぎ始めていることを感じている。私は長年日本に住んできたことを根拠に日本人であることに一種の「奢(おご)り」があったのではないだろうか。アメリカから「日本」を見つめることで私の価値観に大きな変化が起きている気がする。さて、そろそろパソコンを閉じて明日の授業に備えたい。写真:恩師が書いてくれた言葉追伸、本記事が記念すべき100本目となる。心の中で静かな祝福を味わっている。まさか飽きやすく長続きしない自分がここまでブログを続けられていることに大変驚きを隠せない。日々の気づきや雑念を綴っているどうしようもない独り言のはけ口を読んでくださっている読者の方に感謝したい。気づけばカウンターも14000手前まで回っている。(2024年2月7日現在)インターネットを介して母国と唯一繋がっているのがこのブログである。私の留学の足跡が次に留学する人への道標や指標になれば幸いである。(お分かりの通り失敗だらけの道なので私を反面教師だと思っていただきたい。)※学期期間は研究に専念するため更新頻度を下げています。ご理解のほどお願いします。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.02.08
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自宅と図書館の往復ばかりしているとどうしても運動不足になってしまうため定期的にアパートのジムで運動をするようにしている。2月2日(金)の朝にテレビをつけるとなぜかどのチャンネルもリスのような動物を抱えたタキシード姿の男性が映っている。テレビ画面の下部のキャプションには”GROUDHOG DAY”と大きく表示されている。暫くテレビを眺めていたが状況が全く理解できない。何故このリスにそんな注目が集まっているのだろう。部屋に戻って辞書を引いてみると以下のように掲載されていた。「聖燭(せいしょく)節の日《2月2日;ウッドチャックが冬眠から目覚め、春が来る日とされる;「啓蟄(けいちつ)」に当たる》」(ジーニアス英和辞典第6版より引用)しっかりこのような文化的側面まで網羅している点は素晴らしいと思う。学習英和辞典を侮ってはいけないと感じた瞬間だ。さらに調べてみるとこのウッドチャックが春の訪れを予想していることがわかった。Punxsutawney Philというウッドチャックがshadowを見ると六週間さらに冬が続き、Philがshadowを見ないと早い春の訪れを意味するだという。Punxsutawney Philの過去10年の予想的中率は40%とかなり低めだが、アメリカ人はこの恒例行事と迷信(superstition)を楽しんでいるようである。Pennsylvaniaではウッドチャックの予想を生で見るためのイベントまで催されているようである。興味がある方は以下のYouTubeビデオをご覧いただきたい。↓リンク↓こちら恥ずかしながら啓蟄の意味を知らなかったのでここに定義を載せておきたい。外国語を通じて日本のことを学んでいる今日この頃である。啓蟄(けいちつ)「二十四節気の一つ。太陽暦の三月六日ごろ。▼冬ごもりしていた虫が地上にはい出る意。」(明鏡国語辞典、大修館書店)なるほど、アメリカではウッドチャックが冬眠から目覚めるタイミングが春の到来とされるが、日本では虫が春の訪れを教えてくれる生き物になっているらしい。因みに今年はPhilが早い春の訪れを予想したらしい。今年のアメリカの冬は非常に寒かった。春の訪れが今から待ち遠しい。写真:終末のカフェラテそれでは今日も良い1日を。きたろう
2024.02.04
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写真:NYの安い宿の充電スペースにあった面白いメッセージ自分自身渡米してから半年が経過していることに驚いている。渡米してから二週間後に開設したこのブログの記事もいよいよその数が100に到達しようとしている。できればこの記事を記念すべき100回目の記事にしたかったが、大学院の課題の量が凄まじくその目標は叶いそうにない。ただこの日々足掻いている様子を気取ることなく記録に残せていけたらと思う。日々何かに追われていてこの半年を振り返る余裕もないというのが率直な感想だ。この留学が終わった時にブログの記事を読みながら日本でアメリカでの日々を振り返りたいと思う。今は自分を信じて前を歩み続けるしかない。留学が終わった時に家族と飛行機から見える光景を楽しみにがむしゃらに挑み続けよう。最近、感動した動画をこのブログで紹介したい。お勧めしたい動画はスコットランドでラグビー選手として活躍されている忽那健太選手のドキュメンタリー動画だ。彼の未知の世界に挑戦する姿勢にいつも刺激を受けている。面識は一切ないのだが、年齢が近く同じタイミングで海外挑戦している者同士非常に親近感が湧いている。2021年に癌を患い長らく入院生活を送られていたが、そこから癌を克服し現在はラグビー発祥の地イギリスでラグビーをしている。体格で勝る欧米の選手たちに恐れずことなく体をぶつけて、倒れても何度も立ち上がる忽那さんの姿に目頭が熱くなる。僕は動画に流れるキャプションがとても好きだ。----------僕はあの時「死」を覚悟した人はいつ死ぬかわからない当たり前の事実を目の当たりにしたとき僕は「死」が惜しくなったたった一度しかない人生「自分が本当に歩みたい道を進むんだ」----------忽那選手のYouTubeビデオ「スコットランドラクビー挑戦 2023年ダイジェスト」より一部抜粋↓忽那選手の2023年ドキュメンタリー動画↓こちら海外での生活は試練の連続だ。日常生活でさえ日本とは違う部分が多々ありうまくいかないことがある。相談できる友人も少なくマイノリティー集団の中で孤独を感じる場面すらある。そして大学院の研究もまた時に非常に孤独な作業だ。自分で選んだ道なのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、自分で選んだ道だからといって全てが花道なわけではない。むしろ、自らイバラの道を選択したといっても過言ではないかもしれない。厳しい道を選択したのはそこから人生の糧となるものが得られると思ったからだ。現時点では自分が求めているものに近づいているのかさえもわからない。手応えはなく迷路の中を手探りで走り回っているようだ。不安は本当に尽きないが、今は自分を信じて歩みを進めたい。ふと立ち止まった時に何度も見たくなる動画である。何回見ても彼が人生をフルスイングしようとする姿勢が伝わってくる熱いドキュメンタリー映像だ。お時間がある時に是非ご視聴いただきたい。私はこの動画を見て留学する意義だったり、目標を持つ大切さを再認識することができた。海外生活をしているこの時期にこの動画に出会えたことに感謝したい。私も彼のように自分のやりたいことに素直になりたいし、一度きりの人生を「フルスイング」したいと思う。こんな記事を書いている間にも課題の締め切りが近づいている。筆を置いて文献を読むこととしたい。それでは良い1日を。きたろう
2024.02.01
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アメリカの大学院は春学期を迎えキャンパスは活気に満ちている。秋学期の第1週目は緊張のあまり常に落ち着かずソワソワしていたが、春学期は友人も増えて冬休み明けの再会を楽しむまで余裕が生まれている。授業前にお互いの冬休みの出来事を話していて面白い言い回しに遭遇した。“How was your winter break?”“Nothing much. I was hibernating at home.”“Haha, I admit this year’s winter was particularly cold.”<以下略>ベトナムで幼少期を過ごした後、ハーバード大学の修士を終えてこちらのPh.Dプログラムにやってきた彼女は日常会話もどこか知的な感じがする。なんとなくhibernateと聞くと動物が冬眠するイメージがあるが、人が寒さをしのぐために家にこもる際にこの表現はぴったりだと思った。きっと私なら“I was staying at home all the time because it was freezing outside.”とか言っていたと思うが、hibernateを使うことで以下のことを一語で網羅できてしまう。家の外は非常に寒く、出歩く気分にならなかった。家の中は温かく、食べ物があって快適であった。活動はせずにゆったりと自宅での時間を満喫していた。今年の東海岸は冷え込みが激しく日中でもマイナス8度を記録した。また近年では稀に見るほどの積雪もあって20センチ以上しっかり雪が降った。人間も冬眠したくなる気持ちはよくわかる。とある学習英和辞典にはしっかり「(人が)避寒する」と定義されていたが、学習英和辞典の定番とされているジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「<動物が>冬眠する;冬ごもりをする」としか記載がなく、比喩的な使い方について記述がなかった。「<動物が>冬眠する;(比喩的に)<人が>冬ごもりする」とした方がhibernateが持っている意味を的確に捉えることができるかもしれない。言葉の運用は非常に柔軟で自由闊達だと気づかされる。30代に突入して凝り固まった頭脳を英語を通じてほぐしたい。写真:NYの格安ホテルのトイレにあったポスター。今日も良い1日を。きたろう
2024.01.31
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春学期が始まり文字通り研究に忙殺されている。冬休み期間は学期中の慌ただしさが少し恋しくなっていたが、いざ学期が始まると年末年始のスローライフが少しだけ恋しくなる。改めて人間は常に自分にないものを追い求め、無いものをねだる自分勝手な生き物なのだと実感する。オレゴンの旅を続いていた頃だ。友人の自宅にお世話になってアメリカ南部の伝統料理であるSalisbury Steakを振る舞ってもらった。(過去の記事はこちら)具材を買い込むためにオレゴンを中心に展開している大型スーパーであるFred Meyerに行った。明日の朝食のために卵を探していた友人がふと「お前が来ているからこれを買おう」とニコニコしながら手に取った商品があった。普通の鶏の卵パックのように見えたが、よく見てみると“Duck Eggs”と書かれている。アヒルの卵が売っているとは大変驚いた。鶏の卵と比べてみると幾分大きく少しだけ青みがかっていた。翌朝、友人がアヒルの卵の目玉焼きを作ってくれた。見た目は鶏卵の目玉焼きと一切変わらないのだが、食べてみると下に纏わりつき、コクが強かった。なんとなくバーミヤンで食べたことがあるピータンに似ているような気がした。食べた感想を求められこの独特のえぐみをどう表現したらいいのか悩んでいると友人たちが会話を始めた。“Duck eggs are really gamy!”“Yeah, that’s musky, you know.”私の脳内は知らない単語に出くわすとすぐに反応してしまう。「ゲイミー?」「マスキー?」知らない単語と味わったことのないえぐみで私の脳内は大混乱を起こしパンク寸前に陥っていた。オレゴンから自宅に戻ってきてから自宅の辞書で調べてみることにした。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「<狩られた鳥獣たちの肉が>(調理前にしばらく吊るしておくうちに)匂いが強くなった《主に食通が好む》」と書かれていた。スーパー・アンカー英和辞典(学研)にも「(鳥獣肉が)傷みかけてにおう(一部の食通が好む状態)」と記載があった。どちらも似たような記載なのだが、今回のネイティブのgamyの感覚とは若干ズレがあるようにも感じられる。私が感じた違和感は両方の辞書ともに鳥獣の「肉」に限定している点だ。今回の件からすると肉に限定するのは正しくないように思えた。二つ目の違和感は両方の辞書ともに「腐らせる(発酵させる)」プロセスを経ていることだ。今回のアヒルの卵は炒めただけで腐らせる手続きはとっていない。両方の辞書に共通している「食通が好む状態」という記載を最大限尊重して「(発酵や調理などを経て)えぐみがある、独特の風味がある(一部の食通が好む状態)」くらいが適訳なのではないかと思った次第だ。因みにmuskyも同様に2冊の辞書で調べてみたのだが、「ジャコウ[ムスク]の(ような)香りの」としか記載がなかった。辞書の字面通り記憶していたらアヒルの卵の感想を求められてもgamyやmuskyはきっと出てこなかっただろう。これらの単語は英検やTOEICのような資格試験にも出てこないだろうし、IELTSやTOEFLのようなアカデミックな試験にもなかなか登場することのない穴場英単語である。以上、アメリカで出会した新たな単語とその単語と英和辞典にあった定義の若干のズレについて述べてみた。非常にマイナーな英単語をアメリカで暮らす現地の視点から述べてみた。記事を楽しんでいただけたら嬉しい。さて、現実逃避をやめて課題に励むこととしたい。写真:アヒルの卵それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.28
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「大辞泉」で眉唾物(まゆつばもの)を調べてみると「だまされる心配のあるもの。真偽の確かでないもの。信頼できないもの。」と定義されていた。秋学期の終わりにあったワークショップで眉唾物に近い英語表現に遭遇したので紹介したい。時間が経過してしまったのでどのような文脈で使われていたのかすっかり忘れてしまったのだが、スピーカーが話の途中でこのように言ったのだ。“We must take the information with a grain of salt.”なぜこの文脈で「塩」が登場したのかよくわからなかったが、その場で調べて謎が解けた。Cambridge Dictionaryには以下の記載があった。to not completely believe something that you are told, because you think it is unlikely to be true:Cambridge Dictionary: a grain of saltつまり、情報の真偽がわからないときにこのgrain of saltという表現が使われるらしい。情報を鵜呑みにしないよう警告する際によく使われるようである。英語圏では「ひとつまみの塩」には思いもしない意味が隠されていることに驚きを隠せない。英語を10年以上学んでいる私でも日々わからないことだらけだ。学んでは忘れ、忘れてはまた学んでの繰り返しである。今日扱った表現を使って本日の記事を締めくくりたい。“What I write in my blog is not 100% true. You should take my word with a grain of salt.”マンハッタン北部の写真:それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.23
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以前の記事で書いた通り、最近は引越しに向けて幾つも物件を見て回っている。物件を回りながら気づいたことがある。(物件探しの記事はこちら)築100年近く経っている古いアパートでも管理会社がしっかり管理を行なっていれば部屋はしっかり綺麗に保たれていることだ。外観は少し古びて見えても部屋の中に入ると新築物件のようになっている部屋もある。しかし、管理が行き届いていない物件はカーペットに幾つもシミがあったり、壁が汚れていたりと日本では考えられない部屋も存在する。衛生面が非常に整っている日本から来ると水回りの汚さにちょっとがっかりすることがしばしある。不動産仲介業者の方も物件の見極めは築年数ではなく管理会社のきめ細かさだと教えてくれた。とあるアパートの部屋を見に行った時に大家さんが、このように言った。“This is a model room and it’s clean, but all the kitchens in other rooms are also renovated.”大家さんは客寄せのためにモデルルームだけ最新設備にしているのではなく、他の部屋も同様に新しいキッチンコンロを設置していると説明してくれた。壁紙も新しくまるで新居のような状態であった。駅近の物件で日本円にするとかなりの高額だが、インフレを起こしているアメリカでは1ヶ月これくらいしてしまうらしい。ボストンやNYは1ベッドルームでも4000ドルを超えると聞く。すごいタイミングでアメリカに来てしまったとつくづく思う。後日、私のアメリカでの恩師と電話をしている時に恩師がこのように言った。“My daughter is having a lot of redos in the kitchen. I visit her house and help her out.”聞き慣れない単語であった。「ハビン ァロット ヴ リドゥー?」最初は固有名詞かと思ったが、rの音がはっきり聞こえたので携帯で調べてみると“redo”を名詞で使っていることがわかった。つまり、娘さんがキッチンの模様替えをしていてキッチンの物を全て外に出している。その散らかっている間、子供の面倒や模様替えの手伝いで忙しくしているということが言いたかったらしい。棚や機械の交換を含めた内装工事はrenovateで配置交換や気分転換のための模様替えはredoが好まれるらしい。細かいがネイティブは無意識にこの使い分けをしている。日本でずっと生活してきた私のような英語学習者はまだまだ日用英語に弱いと痛感した一日であった。ネイティブの日常会話が聞き取れないのはもしかしたら難しい単語ばかり学びすぎて基本的な日常会話がすっぽり抜けているからかもしれない。残念ながら中学校、高校の単語帳にこんな簡単なredoを見たことがない。※手元の辞書で英和辞典を引いてみたが、名詞的用法の記載はなかった。東海岸では20センチほど雪が積もっている。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.22
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昨日カフェで課題に励んでいたところ急に銀行からメールが届いて飛び上がるほど驚いた。メール送信主は詐欺防犯チームで至急対応が必要なのだという。携帯を確認したら知らない電話番号から数回不在着信も入っていた。以下が銀行から届いたメールである。—————————-(一部変更済み)Dear Customer: It is very important that we speak to you today concerning recent activity on your account ending in ###. Please note that this is not a solicitation email. We were unsuccessful in reaching you earlier by telephone. Please call the Retail Fraud Team at ###-###-####-## option #. Representatives are available to assist you Monday through Friday, 8:00 am until 8:45 pm, eastern standard time. If we do not receive a response from you by #:## pm, EST ##/##/2024, our bank will have to make a decision on how to process the transaction. When you call us, please use sequence number #####, so we can access your information quickly. Thank you for banking with our Bank.———————————-急いでオンラインバンクで口座を確認したが、お金を抜き取られた形跡は全くない。状況が理解できぬまま、このまま放置するのは不味いと思い一先ず支店銀行に足を運ぶことにした。銀行に到着して窓口で先ほどのメールを見せたら早速口座の調べてくれた。奨学金スポンサーに返金する際に作った小切手(check)に不備があったらしく、正しく送金ができずにいることが判明した。所定欄に全て情報を記入したし、送付先も何回も確認した郵送した。どこに手続きの不備があるのか全く理解できなかった。見かねた銀行員がスキャンされた私の小切手を表示してどこかいけなかったのか教えてくれた。銀行員:“You should have put the amount of money in words here as well.”私:「あ、しまった。」確かに小切手のサンプル用紙には数字だけでなく、Payee(受取主)の下に金額を再度書く欄があった。私は右上の数字のみを書いて送付したため詐欺防犯チームから電話がきてしまったのだ。オンラインでの決済が増えつつあるが、それでも物件の初期費用の支払いなどチェックでの支払いを指定される場面がアメリカではしばしある。サンプル用紙:(私が今回記入し忘れた場所を蛍光ペンでマークしておく。)こんなミスを繰り返しながらアメリカの地で逞しく成長していけたらと思う。これから留学や駐在を予定されている方は私の二の舞を踏まないよう気をつけていただきたい。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.21
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東海岸は現在猛烈な吹雪に見舞われている。交通機関への影響も懸念されている。春学期は始まったのだが、本日は大学は病院等の医療機関を除き閉鎖されるらしい。大学からは今朝以下のような連絡があった。(一部変更済み)——————-Alert: Normal University operations are suspended due to weather. Essential University staff and all Health System physicians and staff are required to report to work. See the webpage for details. ———————-朝起きると確かに雪が激しく降っている。大学の図書館もしまっているためこんな日はアパートに篭って課題に耽るほかない。学業と同時進行で私にはもう一つやらなければならないことがある。それは冬休みから始めた新居探しだ。現在住んでいるアパートの契約がもう少しで切れるため、春先に向けて新居を探さなくてはならない。不動産のマネージメント会社とやりとりをしていると以下のメールが届いた。———————-Attached please find the maps I inadvertently left out of my email. Please let me know if you have any questions.———————-注目したいのはこのinadvertentlyである。この副詞を文中に入れることによって、意図せずにやってしまったこと、つまりうっかりミスであったことを表すことができる。地図の添付し忘れたことに対する謝罪と誠意の気持ちがこの"inadvertently"にはある。文法的には"Please find the attached maps I inadvertently..."となるはずなのだが、"Attached please find the maps I inadvertently..."となっている。決して打ち間違いではなさそうだし、これもネイティブの感覚というやつだろうか。この倒置現象?を解説していただける方がいたら是非お願いしたいところだ。寒さのあまり木の枝の上にある雪が凍って氷柱になっている。自然が作り出す氷の彫刻のようだ。それではみなさん今日も良い1日を。きたろう
2024.01.20
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前回に引き続きNYの旅について綴りたい。今回はニューヨークの歴史的建造物をいくつかご紹介したい。Castle Clinton:昔の砲台のようである。現在は自由の女神、エリス島行きのフェリーチケット売り場となっている。Flatiron Building:三角形の建物で非常に有名なNY初期の摩天楼である。ニューヨークの超高層ビル群の第1号と言っても過言ではないだろう。1903年当時は世界で最も高い建物だったという。今では超高層ビル群に追い抜かれ小さく見えてしまうが、貫禄は他のビルに負けていない。Rockefeller Tower:巨大な富を築いたJohn Rockefellerが建てたビル。ホリデーシーズンになると巨大なクリスマスツリーとスケートリンクが設置され観光客で賑わう。テレビドラマや映画の撮影地としても何度も使われている。The Plaza Hotel:ニューヨークの老舗の中でも老舗のホテル。確かF. Scott Fitzgeraldが書いたThe Great Gatzbyにも登場するホテルだ。ホテルの中にはThe Gitzgerald Suiteというスイートルームまで存在するらしい。歴史が好きな方はドル高を是正するために為替レート安定化に関する合意がなされた「プラザ合意」も開催場所となったプラザホテルからそのように呼ばれているらしい。New York Stock Exchange:ウォールストリート沿いにある金融業界の中心地である。1929年10月29日火曜日に起きた世界恐慌がここから始まったとされる。“We are the 99%(我々は99%だ)”と掲げた集団がウォール・ストリートを占拠し一時騒然とする事件が起きた場所でもある。1%の富裕層が富を独占していて、貧富の格差が拡大していることを批判した運動だ。映画The Wolf of Wall Street(2013)の舞台でもある。ジョーダンベルフォートという人をモデルにした映画で主演はレオナルドディカプリオだ。ドラッグ、性的な描写などかなり刺激が強いので見る際には注意が必要な映画だ。Times Square:NYのシンボルと称されるTimes SquareはNYにきたら訪れたい繁華街だ。劇場も沢山あってミュージアムを楽しむのもいいだろう。今回は時間の制約で訪問できなかったが、MoMAなどNYは美術館や博物館の宝庫でもある。訪れる者をエンターテインしてくれるものがあるだろう。NYに訪れたら是非9/11ミュージアムも訪れてほしい。過去にミュージアムのレポートを書いている。過去の記事はこちら。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.19
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エリス島は自由の女神が建っているリバティ島のすぐ近くにある小さな島とその上にある移民局(Immigration Office)を指す。1892年から1954年までの62年間の間、Ellis Islandが移民がアメリカに到着後最初に通過するゲートウェイとして機能していた。ここを通過した移民の数は約1200万人とも言われ、アメリカ人の約半分はこの移民局で先祖を辿ることができると言うから驚きだ。移民局の外観:現在の移民局は国が定めた博物館として観光客で賑わっている。世界でも類を見ない移民の流入がなぜ起きたのか、当時の資料を見ながら学ぶことができる。インパクトは勿論自由の女神の方があるのだが、エリス島もアメリカの歴史を学ぶ上で非常に貴重な資料が並び決して侮れない。自由の女神、エリス島を含めて少なくとも半日は確保しておきたい。当時の人々がなぜアメリカに渡る理由は多岐に渡る。宗教の迫害から逃れてきた人々、政治的対立により追い出された人々、より良い雇用機会を求める者、単純に冒険心に駆られた人々と目的そして人種も多種多様だ。ヨーロッパで勃発しその後世界に飛び火した第一次世界大戦、そしてその後起こった第二次世界大戦と政治的に非常に不安定な時期だったこともあり、現在の移住とは動機が大きく異なることがわかった。中には所持金がゼロで戻るお金もなくまさに背水の陣でアメリカに渡った人々もいることがミュージアムでわかった。この島に上陸したら是非2階のRegistry Room(もしくはGreat Hall)を見学したい。当時はこの大きな広間が受付所となって移民が呼ばれるのを数時間も待っていたという。このGreat Hall以外にも健康診断所や許可が下りなかった者が滞在する勾留所の展示もあって非常に面白い。飛行機で移動が容易になった現代では考えにくい当時の移民の困難と覚悟を垣間見ることができた気がする。アメリカの移民の大移動(Great Migration)はこの場で始まったのか思うと身震いがした。きっと当時の人は自由の女神を見てアメリカの象徴である自由に心を躍らせ、祖国とは全く異なる未知なる生活に夢と希望を抱いていたのだろう。気づくと時計は自由の女神行のフェリーに乗ってから4時間ほどが経過していた。次の予定が刻々と近づいていたため後ろ髪を引かれるような思いで急いで帰りのフェリーに飛び乗った。ニューヨークの旅はまだまだ続く。きたろう
2024.01.18
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フランスからアメリカに送られた自由の女神(Statue of Liberty)はニューヨークのランドマーク的巨大建造物だが、アメリカの「自由」の象徴でもある。フランスの彫刻家であるFrederic August’s Bartholdiによってデザインされ、21年の歳月をかけて建築されたという。土台にはEmma Lazarusの詩が彫られている。Give me your tired, your poor,Your huddled masses yearning to breathe free.南北戦争が終わり、奴隷制も廃止され、新たに建国された国は次の100年を見据えていた。激動の時代にこのフランス革命を経て独立したフランスからアメリカにこの自由の女神が与えられた意義は当時の時代背景を考慮すると非常に大きい。完成した1886年当時、自由の女神はニューヨークで一番高い建造物だけでなく、世界一高い建造物であったとされる。93mの巨大な像はフェリーで近づくにつれて丘で見るよりずっと迫力があり、着物のシワまで緻密に表現されており見る者を圧倒する。自由の女神とエリス等にはフェリーでしかアクセスができない。事前にオンラインでチケット購入したい。チケットはクレジットカードで購入が可能だ。私はフェリーの運賃、Ellis Island National Museum of Immigration, Statue of Liberty Museum, Statue of Liberty’s Pedestalの入場券込みで$24.8であった。The Battery Parkの近くにはStatue of LibertyとEllis Islandのフェリーを勧誘する悪徳業者がいる。彼らは正規料金より高い金額を観光客に請求して、小さいボートで自由の女神やエリス島を回るのだが、島には一切上陸できずそのままLower Manhattanに帰港してしまう。高額なお金だけ支払わされ、それよりも安いチケットが提供するサービスを一切受けられないのだ。必ず自由の女神を見たいのであれば公式サイトから事前購入するか、The Battery Park内にある発券場で購入されたい。↓↓リンク↓↓Statue City Cruises自由の女神のモデルは設計したBartholdi’sの母親らしい。王冠から発せられている七つの光は七つの海と七つの大陸を表しているらしい。デザインに込められたBartholdiのメッセージが非常に興味深い。一部Pedestalの展示より抜粋:“‘Liberty’ was a controversial idea in the 19th century. To many people it suggested violence and revolution. Laboulaye and Bartholdi agreed that their monument should not be seen as leading an uprising, but rather as lighting the way, peacefully and lawfully. A key element was the name they gave to the Statue: Liberty Enlightening The World”日本語の意訳(筆者による)「『自由』は19世紀において物議を醸す考えであった。多くの人々にとってそれは暴力や革命を意味した。LaboulayeとBartholdiはこのモニュメントが紛争を扇動するものではなく、むしろ平和と法によって道を切り開くものとして見なされることを願った。名付けられた像の名前を見ればそれは明らかだ:世界を啓蒙する自由」昔は自由の女神の王冠(Crown)まで行くことができたが、ニューヨークで起きた同時多発テロ以降閉鎖一時的に閉鎖されていた。私がネットでチケットを検索した時はCrownへの入場券は表示されていなかった。私が予約した時にはすでに売り切れになっていたのか、それともそもそもクラウンはテロ以降解放されていないのかその真相はわからない。Liberty Islandまで行く機会があれば、是非台座(Pedestal)の内部やStatue of Liberty Museumも併せて訪問されたい。土台部分の内部がちょっとした博物館になっていて女神の建築過程や自由の女神を題材にした美術品を眺めることができる。また、Statue of Liberty MuseumにはOriginal Torchが展示されている。現在女神が握っているTorchは1986年の大規模補修工事の際に交換された新しいものである。写真:Original Torch個人的にはこのフェリーツアーは非常におすすめだ。家族連れであればフェリーでの移動は子供が大変喜ぶだろう。また、Liberty Islandからニューヨークの超高層ビル群を臨む景色は格別である。Ferry Dockを降りてそのまま直進するとManhattanの超高層ビル群を背景に写真を撮影することが可能だ。ニューヨークの旅を彩る思い出の写真になることだろう。次回はEllis Islandについて書くこととしたい。きたろう
2024.01.17
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以前洒落た英語の広告をご紹介した。その後も何度か面白い英語の広告表現に出くわす機会があった。(過去の記事はこちら)まずはニューヨークで見つけた巨大広告をご覧いただきたい。Apple社が最近リリースしたiPhone15の広告である。iPhone15の機体の上に大きく“Newphoria”と書かれている。この単語が目に入った瞬間「あぁ、なるほどな」と思わず頷いてしまった。勿論newphoriaなんて単語は存在せず、Apple社が勝手に作った造語である。この単語をよく眺めてみると二つの解釈ができるのだ。読者の皆様にも是非写真をもう一度よく眺めてから下にスクロールをしていただきたい。一つ目が解釈が新発売の電話であることを意味する“New Phone”である。二つ目がスペルは異なるもののNewphoriaという音から自然と連想されるeuphoriaという英単語だ。Collins Online Dictionaryには“Euphoria is a feeling of intense happiness and excitement.”と定義されていた。Collins Online Dictionary-Euphoriaまた、ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)にも「(一時的な)強い幸福感[興奮]」と定義されていた。つまり、このiPhoneの最新作を手に入れた時に押し寄せる幸福感をこの造語たった一語で表しているんだ。革新的な商品を次々と世に出すApple社らしい粋な英語表現だ。さて次はホリデーシーズンにテレビで流れていたCMからご紹介したい。まずは以下の写真をご覧いただきたい。CMの制作主はお菓子の老舗であるGHIRARDELLIである。このシーズンになると大手ショッピングモールの目立つ場所には必ずこの会社のお菓子が所狭しと並んでいる。さてCMの最後に流れたCaptionが非常に凝っていて思わずクスッと笑ってしまった。Captionには“Makes the holidays a bite better”と書かれている。ただ、ここには誤りが一箇所あるのだがお分かりだろうか。再度この画像を眺めていただき一度考えてから下にスクロールをしていただきたい。正しくは“Makes the holidays a bit better”でbiteのeを削除しなくてはならない。これでようやく「ホリデーシーズンを少しだけ良くします」という意味が成り立つ。制作者は意図的に間違いを犯して視聴者に強いインパクトを残そうとしているのだ。“a bit”は「少しだけ」という副詞なのだが、eを加えることで全く異なる意味になる。ここでは”a bite”で「一口」という意味に大変身を遂げるのだ。つまり、本来は非文法的な文であるが、「(GHIRARDELLIのチョコは)はホリデーシーズンの一口を彩ることができますよ」と暗に仄めかしているのだ。以上、学校では教えてくれない英語の洒落た広告シリーズをお楽しみいただけただろうか。きっと一つ目の広告にあるeuphoriaは入試との関連性が低く学習単語帳から弾かれてしまうだろうし、二つ目に関しても学校で学ぶことはきっとないであろう。しかし、このような洒落た広告に英語の楽しさが隠れていたりする。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.16
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ここ最近sickにも様々な種類のsickがあることに気づいた。1. heart-sickニューヨーク滞在中にお世話になるはずだった友人がコロナ陽性になってしまい直前で宿泊することができなくなってしまった。お見舞いの言葉を送ると以下のメッセージが届いた。“I’m heart sick about this. I should have been more careful while being out. It’s my fault.”日本の受験ではbe sick of/ aboutで「〜にうんざりする」と覚えるが、そこにheartを付け加えることでかなり強い失望を表現することができるようだ。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)にもしっかり「≪文»しょげた、気の滅入った;ひどく不幸な」と定義されていた。2. sea-sickこちらも同じくニューヨーク滞在中に出会した表現だ。フェリーに乗って自由の女神(Statue of Liberty)とエリス島(Ellis Island)を訪問することにした。前日は夜中も目覚めてしまうほど雨と風がひどく翌朝も案の定、海面は濁り三角波が沢山立っていた。フェリーは定刻より40分遅れての運行開始となったのだが、近づいてくる船はだいぶ揺れている。隣にいた観光客が笑いながら以下のように話していた。“Wow! Look at that. I am gonna get sea sick!!”辞書で調べるまでもなくここでのsickは「海の病気」ではなく、「船酔い」である。なお、車酔いの場合はcar sick、飛行機酔いはair sickという。面白いのは日本語では酔った時に乗っている乗り物の名前が入るのに対し、英語では乗り物を揺らすものに焦点が置かれることだ。船を揺らすのはもちろん海(sea)で飛行機の場合だと大気(air)が機体を揺らすことになる。車の揺れはエンジンによって動いている車なのでcar sickとするのが適切なのだろう。以上見てきた通り、sickの守備範囲は非常に広く、「病気」だけで語義を捉えると思わぬ落とし穴があるようだ。なんとなくsickが使われる時は「外的な要因によって気分/体調が悪くなる状態」くらいに捉えておくといいのかもしれない。写真:Statue of LibertyとEllis Island行のフェリーそれでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.15
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アメリカで家族向けの家探しをしていることは前回の記事でお話した。過去の記事はこちら。仲介業者の方と車の中で会話している時にある英語表現に出会った。郊外の方にでて古き良きアメリカの住宅風景を眺めていた時、この地域の奥にはさらに有名な高級住宅街があると教えてくれた。本当に大きな家は大きなゲートがあって外から家が見えないようにようになっているのだという。そのような人々は現地の人は"old money"と呼ぶらしい。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)にも「(昔からの)財産家」と記載があった。Old moneyの家は大抵丘の上にあってプライベートプールと広々した芝の庭が完備されている。入ったことがないのでわからないが、きっと日本では考えられない広さの部屋がいくつもあるのだろう。数百万ドルを超える物件がこの州の郊外にはいくつもあるというから驚きだ。似たような表現にはbe born with a silver spoon in one’s mouthがある。直訳すると「銀のスプーンを咥えて生まれてくる」となる。起源は調べたことがないのでわからないが、これで「お金持ちの家に生まれる」という意味なる。日本だと御曹司(おんぞうし)がこれに一番近い表現だろうか。後日、ニューヨークでタクシーに乗って暫くすると気前のいい40代の男性タクシードライバーが話をし始めた。彼の話によるとこのあたりは富裕層が沢山住んでいるらしい。やはり彼の口からは"There are a lot of old money(s) in this town.(加算だったか不加算名詞だったか記憶が定かではない)"と以前不動産仲介業者と話していた時に登場した単語が再び出てきた。しかし、今回はold moneyの他になんと"new money"という新たな単語が出てきたのだ。彼の説明ではold moneyが何世代も続くお金持ちを指すのに対し、new moneyは90年以降たった一代で富を気づいた富豪をnew moneyと呼ぶのだという。さらに面白かったのが、old moneyはお金持ちであることを悟られないように少し古びた高級車(ベンツなど)を乗るのに対し、new moneyは煌びやかな高級車(フェラーリなど)を乗り回す特徴があるのだという。彼は"They don’t know how to spend money.(奴らはお金の使い方をわかっていないのさ)"と皮肉めいた口調で話していた。その真否はわからないが、その地域に数十年住んでいて日頃から車を眺めている彼だからこそわかる鋭い洞察(astute observation)なのかもしれない。日本語でold moneyが「御曹司」であれば、new moneyはまさに「成り金」が適訳だろうか。アメリカの郊外に行く機会があれば、庭の手入れ具合や家の大きさにも是非注目していただきたい。アメリカ社会の断片がそこから見えてくるかもしれない。追伸、写真:ニューヨーク、タイムズスクエア近くのカフェ暫く外出をしており、ここ数日ブログの更新が滞ってしまっていた。旅先での出来事については明日以降順次ご紹介していくつもりだ。それでは今日も良い一日を。きたろう
2024.01.14
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先日物件を探すために不動産仲介業者と一緒に郊外のエリアに行った。ドライブをしながら気づいたのが、同じ通りでも街の景観が虹色の如くどんどん変わっていくのである。場所によってはゴミが散乱していて荒れている地域、浮浪者やホームレスがフラフラ歩いている地域、窓が割れた車、タイヤがパンクしたまま放置された車がある地域も存在する。都市部外れの少し荒れた地域を抜けてさらに郊外の方に進むと一軒一軒の家が大きくなり、各家庭にはガラージとドライブウェイと呼ばれるガラージに通じる私道までしっかり整備されている。万華鏡(kaleidoscope)のように変化する景色を眺めながら大学の先生が以前このように言っていたのを覚えている。“Our community is one of the most deeply segregated areas in the United States.”(私たちのコミュニティーは全米で最も格差によって分離されている地域の一つだ。)友人にもあの通りの向こうとあの地域は治安が良くないから絶対一人で夜歩かない方がいいとオリエンテーションで忠告を受けた。面白半分でも絶対に行ってはいけないとネイティブが言うのだから相当危険な地域なのだろう。大学の地域は大学によって雇われた警備員が24時間体制で警備にあたっているため、学内コミュニティの安全は守られている。警備を雇うお金はどこから来ているかというと勿論我々が支払っている学費である。安全はお金を払って自分で守るというのがアメリカという国なのかもしれない。銃社会のアメリカでは100%安全な地域は存在しないのかもしれないが、安全とされる地域の物件はそれなりに値段が高く設定されていて、ある程度所得のある人しか落ち着いた地域には住めないようになっている。自然と似通った所得の人々が集まり、その学区の教育の水準が高まるとその地域の家賃がさらに高くなる。貧困層はその地域に住めないため質の高い教育には最初から手が届かないようになっている。このような図式を見るとやはりアメリカは資本主義国家のメッカなのだと思わずにはいられない。因みに家賃がどんどん高騰して住んでいた住民が家から追い出される現象がアメリカでは起きている。このようにして貧しい人々を追い出してそのコミュニティを浄化しようとすることを英語ではgentrificationという。 ※以前Carlos Lopez Estrada監督のBlindspotting(2018)という映画を視聴した際にこのgentrificationという現象がアメリカ各地で起きていることを知った。生々しくアメリカの人種差別やgentrificationによる悲惨な現実が描かれている。かなり激しい銃撃や暴力シーンがあるので視聴する際はご注意いただきたい。安全な地域に住もうとすると毎月高額の家賃を固定費として支出しなければならないし、支出を抑えようとすると今度は住む地域の治安が気になり始める。英語ではこのような状況をcatch 22と言ったりするが、まさに板挟みの状況である。また、住む地域によって人種のバランス(demographic balance)が異なるのがさらに厄介だ。黒人、白人、アジア人、ヒスパニックのコミュニティが存在して何も知らずに家を選ぶと自分たちだけその地域で浮いてしまうなんてことも考えられる。アメリカではこんな光景を目の当たりにすることもある。窓は木材の板で塞がれ、目の前にはゴミの山ができている。家のメンテもされていないため外観もボロボロである。(上部に焦げたあとがあるので火事が以前起きたのかもしれない。)日本は利便性と築年数で家賃が決まることが多いような気がする。アメリカの家探しは検討事項が多すぎて色々考えているだけで頭がパンクしそうになった。手数料が発生してしまうが、アメリカで住む際はその地域に精通した仲介業者を介して契約すると良いだろう。冬休み期間になるべく足を運んで、自分の目で物件だけでなく地域の様子も見ながら家探しをしたい。それでは皆さん今日も良い1日を。きたろう
2024.01.10
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今回が秋学期の振り返りの最終回となる。週ごとに学習事項をまとめるだけでもかなりの時間を要した。改めて自分で読み返しても非常に濃い秋学期だったと感じる。きっと春学期はこれまで以上に濃密な時間になることだろう。どんなに忙しく大変であっても心の奥底に困難を楽しむ余裕を持っていたいと思う。余裕がなく追われるだけの日々はどこか虚しい。秋学期の反省を生かして春学期はさらに飛躍したいと思う。授業名:Approaches to Teaching English and Other Modern Languages Week 1 Course Introduction自己紹介、授業の概要、授業の進め方、成績の付け方、生成AIツールの扱いについて確認。Week 2 Historical Overview of Language Pedagogy I教科書(2冊)チャプターリーディング。文法訳読式授業(通称GTM)からコミュニカティブアプローチ(CLT)までの通史を扱った。各方法の背景を眺めると当時の外国語の在り方や学習目的を垣間見ることができた。言語教育はその時代を映す鏡のように思えた。日本では急速にスピーキングのニーズが高まっているが、それはビジネス界で外国人との交流が増えているからであろう。しかし、高校入試や大学入試に変化の兆しは見られない。社会の変化に入試システムが追いついていないようだ。Week 3 Historical Overview of Language Pedagogy II教科書のチャプターリーディング(7章)。グループに分かれて、各教授法を分析した上で発表するという授業だった。こちらの授業では各個人の貢献(contribution)が求められる。また各グループの発表に対して質問やコメントをせねばならず自分たちの発表だけでなく他者の発表にも集中を切らさずに見なければならない。まさにstudent-centered learningが実践されている。Week 4 Communicative Language Teaching I教科書のチャプターリーディング(3章)、ビデオレクチャー1本。教授がコロナ禍で作成したビデオを視聴して知識を得た上で授業に臨むスタイルだ。英語では同期型授業をsynchronous session、非同期型授業をasynchronous sessionというが、この授業は2つのタイプをうまく組み合わせた授業となっていた。つまり、授業外ではビデオを視聴し、授業中はビデオで出てきた用語を使ってディスカッションをする形となっている。ビデオはコロナがなければ存在していなかったと思うが、非常によく授業がデザインされている。Week 5 Communicative Language Teaching IIビデオレクチャー1本、論文1本。Dell Hymesが提唱したCommunicative CompetenceをベースにCommunicative Language Teachingの基本理念を学んだ。またその強みと弱みを授業中に議論した。非常に大きな可能性を秘めているが、教師に英語の運用能力が求められる気がした。また、パフォーマンス評価にはそれなりのトレーニングが必要となる。ペーパー試験が重視されるアジア諸国にはなかなか馴染みにくい教授法なのかもしれない。Week 6 Lesson Planning I教科書(2冊)チャプターリーディング(3章)。授業計画に関する授業であった。授業をデザインする上で必要な基礎知識を学んだ。Week 7 Context Shaping the Language Classroom論文2本、ビデオレクチャー1本。教える上で様々な文脈が存在する。年齢、教える人数、国、EFL/ESL、教材、カリキュラムなど数えだしたらキリがない。一つ一つの要素がどのような影響を与えるか教室内で議論した。年齢の特性なども踏まえた上で教えることで教育効果を最大限に引き出すことができるはずだ。Week 8 Teaching Interaction教科書のチャプターリーディング(3章)、ビデオレクチャー1本、論文1本。主に外国語のスピーキング、ライティングの指導法について学んだ。Week 9 Teaching Vocabulary教科書のチャプターリーディグ、ビデオレクチャー1本。語彙の基本的な習得理論と語彙の提示方法について学んだ。語彙をimplicitもしくはexplicitに提示することで生じる学習者の認知力の差についても議論した。日本では単語帳を用いてexplicitに提示することがメジャーだが、ここももしかしたら改善の余地があるかもしれないと授業を受けながら思った。Week 10 Teaching Grammar教科書のチャプターリーディング、ビデオレクチャー1本、論文1本。Week 11 Teaching Literacy教科書のチャプターリーディング(2章)、ビデオレクチャー1本。Week 12 Assessment教科書のチャプターリーディング(2章)診断的評価、形成的評価、総括的評価の違いやそれぞれの特性について学んだ。個々の特性に応じて評価を下すことができれば理想的だが、日本の一斉授業のスタイルできめ細かな評価をするのは困難だと思ってしまった。Week 13 Lesson Planning II論文1本。この授業ではアメリカの外国語の教室を3つ見学してその様子をレポートにするという課題が出されていた。本から理論を学ぶだけでなく実践から学ぶ機会があったのは非常に有り難かった。Week 14 Workshop for Final Paper2000ワードのレポートについて教授に質問できる日となっていた。教授が焼いてくれたクッキーや各自持ち寄った飲み物や料理を味わいながら秋学期を振り買った。教授が履修者に寄り添って授業を進めてくれて非常に学びの多い授業であった。理論と実践を繋げようとする姿勢が窺え大変プラクティカルな内容であった。グループで議論した内容をオンライン掲示板に毎週アップロードするという課題が出され、毎週末ズームでクラスメイトと議論した。個人での作業だけでなくグループでの作業が求められるのが印象的だった。毎週末議論を重ねる過程でクラスメイトとの仲も深まった気がする。やはり授業のデザインの仕方次第でクラスの雰囲気が変わることを実感した。学びの雰囲気作りの重要性をこの授業を通じて再認識した。有難いことにこの授業でもAをいただくことができた。ただ、このAは私個人に起因するものではなく、グループでの作業を評価してもらった結果だと思う。グループワークの比率が他の授業と比べて大きく、そこでの高評価がAにつながった。グループでの作業は勿論時にストレスを伴うが、グループワークを通じて他者と協調するために必要なコミュニケーション能力が高まった気がする。
2024.01.09
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前回の記事に引き続き秋学期の振り返りをしたい。うろ覚えの部分もあるため内容に誤りが含まれている可能性があることを予めご容赦いただきたい。授業名:Linguistics in EducationWeek 1 Introduction教科書のチャプターリーディング。自己紹介、コースの概要説明、評価の仕方、課題の説明。Week 2 Lexicon and Morphology教科書(2冊)のチャプターリーディング。論文1本。語彙の分類や生成方法について学んだ。接頭辞、接尾辞については学部生の頃に学んでいたので少しアドバンテージがあったのが大変助かった。改めて英語の語彙の形成プロセスは多様でかつダイナミックであることに大変驚かされる。Lexical rulesを用いて語彙学習をすると非常に効率よく覚えられるような気もするが、いかがだろう。backformationやblendingといった語彙形成プロセスについてもこの週に学んだ。Week 3 Phonetics教科書(2冊)のチャプターリーディング。論文1本。この週から英語の音声学の分野を学んだ。自然に身につけた音も科学的な視点から学ぶと新たな発見が沢山あった。口腔図(口の中の断面図)は大学生の頃から何度も眺めてきた図である。こちらも大学生の頃の知識が大変役立った。卒業して10数年経過しても染みついた知識は脳内にしっかり記憶されていたことが嬉しかった。努力して獲得した知識は決して無駄ではないらしい。母音と子音の違い。そして一つ一つの音声の出力方法を学んだ。Labiodental, fricatives, affricatesといった基本的な音声学の用語もこの週に学んだ。課題1提出:インタビューを行いその発言を書き起こした上で分析するという課題であった。発話の形態素や語形変化(inflections)を詳しく見ることで発話者の誤りや癖を見つけ出すことができた。Week 4 Phonology教科書のチャプターリーディング、論文3本。前週に続き言語の音声について学んだ。音声学は物理的な側面に焦点を当てるのに対し、音韻論は実際の発話に焦点を当てているように思えた。詳しくphonological rulesについて学ぶのは初めての経験だったが、大変有益だった。この2週だけでだいぶIPA(International Phonetic Alphabet)の正確な表記方法について学ぶことができた。Week 5 Syntax教科書(2冊)チャプターリーディング(3章)、論文2本。Syntaxはいわば文法構造の学問分野である。学部生の頃にも散々学び既習事項であるもののかなり苦手意識のある分野でできれば避けたかった箇所である。特にTree structureと呼ばれる文の分析(parse)は非常に難解でほろ苦い大学生の頃の記憶が一気に蘇ってきた。卒業しても苦い記憶は脳裏の奥底にしっかり残っていて自分でも驚いてしまった。この辺りもNoam Chomskyの生成文法(Generative Grammar)についても学んだ。課題2提出:インタビューを行いその発言を書き起こした上で分析するという課題であった。書き起こす作業にかなり手こずったが様々な分析方法を学ぶことができ大変参考になった。Week 6 Semantics教科書チャプターリーディング、論文3本。MetaphorやModalityについて学んだ。言語によって比喩の使い方、指示語の使い方が異なるのは非常に興味深かった。Week 7 Pragmatics教科書(2冊)のチャプターリーディング、論文2本。この週は文脈が発話に与える影響について学んだ。新出情報と既知の情報を相手にどう提示するか、それによって発話のイントネーションや文の構造にどのような変化が生じるのか文献を読みながら学んだ。英語を外国語として学んできた身としてはまさに目から鱗であった。また、とある研究によると英語学習者はpolitenessがネイティブ話者より低いという結果も出ているようで教育的示唆に富む内容であったと思う。課題3提出:3人にインタビューを実施して、そのインタビュー結果を元に分析を行うという課題だった。10個の文を与え、文法的に許容できるかできないかを判断してもらう。ネイティブと非ネイティブで文法の寛容度に大きな乖離があり非常に興味深い結果が得られた。研究の大変さと楽しさを垣間見た気がする。Week 8 Speech act and Conversation教科書のチャプターリーディング、論文3本。この辺りからだんだん言語学から社会言語学の色彩が強くなってきた印象がある。最初の5週は古典的な言語学を学んだが、後半に行くにつれて社会の中で言語がどのように機能しているか学んだ印象がある。相手によってどのように話し方が変わるか考察した。言語のformalityやpolitenessについて知識を深めることができた。Week 9 Digital Tech and Language Use論文4本。機械翻訳やテクノロジーの進歩が言語学習にどのような影響をもたらしているか学んだ。機械翻訳の歴史や生成AIの基本的な仕組みについて学ぶことができ、非常に知的好奇心をそそられた週であった。この週で中国からの留学生と一緒にグループプレゼンテーションを行った。オンラインで入念なリハーサルもして本番を迎えたが、発表時はやはり緊張した。なるべくアイコンタクトを取って、英語の発話ペースにも気をつけるようにした。教授からは”Thank you for your great presentation!”とお褒めの言葉をいただいた。課題4提出:自分で作文した文章を機械翻訳にかけて、その正確さを評価するという課題であった。昨今はChatGPTやDuolingoの台頭で外国語教育の意義そのものが問われつつある。機械翻訳もまだまだ改善の余地があることがこの課題から判明した。Week 10 Age factors in Language Acquisition 教科書チャプターリーディング、論文2本。臨界期仮説(The Critical Period Hypothesis)に関する論文を読み込み授業内でディスカッションをした。言語はとにかく早期に始めるのが良いという考えがあるがそこには問題がいくつもあることがわかった。家族をつれてアメリカに住む者としては大変興味深かった。自分の子供たちが言語をどのように吸収するのか近くで観察したいと思った。Week 11 Language and Thought教科書チャプターリーディング、論文2本。この週ではSapir-Whorf Hypothesisという有名な仮説を文献を読みながら検証した。言語が思考にどれほど影響を与えているかという問いだが、決定的な答えがまだ導き出せていないというのが個人的には興味深かった。詳しく調べるためには被験者を隔離して言語との接点をなくす必要があり、倫理的な問題があるようだ。英語ではよく”Which came first: the chicken or the egg?”ということがあるが、言語と思考の関係を学びながらこの質問がふと脳裏をよぎった。Week 12 Language Variation教科書チャプターリーディング、論文4本。この週のトピックは言語の方言だった。英語学習者は「スタンダード英語」を学んでいるが、実は英語の方言は多種多様で奥が深いことがリーディングで明らかになった。また、ネイティブスピーカーの文法への寛容度も年代によって変化をしていることも大変興味深かった。またこの週でKachruのWorld Englishesについても学んだ。African American Vernacular English(AAVE)についても学んだのもこの週だ。※エッセイ課題1を提出した。Week 13 No ClassWeek 14 Language Acquisition教科書チャプターリーディング、論文2本。第一言語、第二言語問わず「言語の習得プロセス」について学んだ。babblingから始まり、赤ん坊がどのように言語を学んでいくかを学んだ。まさに自分の子供が言語を学んでいる真っ最中で重なる部分が多々あった。言語習得には特殊なインタラクション(交流)が必要であることもわかった。テレビの前に置いておくだけでは言語の習得はなかなか促進されないらしい。これは大人の言語習得にも同じことが言えるような気がした。 ※エッセイ課題2を提出した。Week 15 Presentation and Discussion最終週は自分が作成したレポートについてプレゼンテーションを行った。最後の方は意識が朦朧になりながら課題に取り組んでいたため、正確に自分が何をしていたのかあまり正確に覚えていない。※エッセイ課題3を提出した。最終的にこの授業の成績でAをいただくことができた。読み込む論文の量も他の2つに比べて一番多く最も苦労した科目であったのは間違いない。そんな大変な科目でAをとれたことは自分にとって大きな自信となった。サイのツノのように一歩ずつ進めばゴールに辿り着けることがわかった。春学期以降も今回得た教訓を胸にどんな困難が待ち受けようとも一歩一歩確かな歩みを続けたい。上記からお分かりの通り、大学院では扱う文献の量が桁違いに多い。授業は3つしか取らないのだが、とにかく一つの授業の課題の量が日本とは比べ物にならないのだ。文献を読んだことを前提に授業が展開するため、文献をスキップした上で授業に臨むとディスカッションにうまく入っていくことができない。
2024.01.08
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春学期を迎えるとまた目まぐるしい日々が始まるだろう。来学期は秋学期よりも1つ授業科目を多く取ることが決まっていため秋学期よりも慌ただしくなることは必至である。備忘録として秋学期に履修した授業3つについて書き留めておきたい。シラバスを見ながら書いているが所々うろ覚えの箇所がある。教科書や論文を一つ一つ照らし合わせながら書いているわけではないので不正確な箇所があることはご容赦いただきたい。授業:Introduction to Applied LinguisticsWeek 1 Orientation自己紹介、授業の概要、授業の進め方、成績の付け方、Plagiarism など違反事項の確認、Week 2 応用言語学という学問とは?論文3本、オプションでもう1本の計4本。全て応用言語学に関する論文である。全て違った角度から応用言語学を定義しており、すべての論文を読んだ上でどのようにこの学問を定義するかという授業であった。従来の言語学、また教育言語学(Educational Linguistics)とどう異なるのか議論するのは非常に面白かった。Week 3 応用言語学が扱う問題論文2本。論文を読んだ後にリスポンスをCanvasに提出しなくてはならない。抽象的な描写が多くなかなか具体化していくのが難しかった。Week 4 応用言語学者の活動論文2本、オプションでもう一本の計3本。応用言語学というより社会言語学(sociolinguistics)に近い内容出会った。言語学者がどう問題を見つけ出し、その問題にアプローチしているか学んだ。Week 5 言語学習の概念化論文2本、オプションでもう一本の計3本。談話(discourse)という枠組みの中で言語学習がどう体系化されているか学んだ。言語と文脈は切り離そうとしても切り離せない。文脈が与える影響について学んだ。課題:初めて長めのレポートを提出した。自由度が非常に高い課題で、自分で問題を提起してその解決策を模索しなくてはならずかなり時間を割いてレポートを仕上げた。論文のフォーマットも慣れておらずスタイルを合わせるのにも苦戦した。結果的に100点中95点を獲得することができた。教授からもお褒めの言葉をいただき自分の投資した時間と努力は無駄でなかったと実感できた瞬間であった。Week 6 Academic Discourse Socializationとそのプロセス論文3本、教科書のチャプターリーディング。この辺りからリーディングがかなり重くなってきた印象だ。読む内容の難易度もかなり難しくなってきて一度読んだだけでは内容が頭に入ってこないことが多々あった。Week 7 議論の提示方法論文2本、ビデオ1本、オプションの論文1本の計4本。論文の書き方を再度学んだ。引用の方法や出典の書き方を復習した。特にPatchworkとPlagiarismの微妙な違いは興味深かった。知らぬうちにAcademic Dishonestyに手を染めないようこれから気をつけたいと思った。Week 8 学術論文でのコミュニケーション方法論文2本。レトリカル・シチュエーション(読む人の背景知識、目標、目的)を意識した論文の書き方を学んだ。アカデミックな論文であっても読み手を意識したわかりやすい文体を心がけたい。Week 9 応用言語学との関わり方論文1本、教科書約60ページ。Week 10 言語とアイデンティティ論文4本、オプションで1本の計5本。アイデンティティ、人種について深く扱った。日本のような比較的homogeneousの国家ではこのようなトピックは扱われたことがなかったので非常に新鮮であった。raceとethnicityの違い、Raceとracismの違いについて授業中に議論をした。アメリカ国内で人種差別を受けたクラスメイトもいて聞いていて心が痛む場面もあったが、アメリカ社会の現実を目の当たりにしたような気がした。自分が日本で育ちそのようなトピックに関心がなかったせいかもしれない。人種問題に対して無知すぎる自分に少しだけ腹が立った。Week 11 リサーチメソッドこの辺りから論文の課題は無くなった。その代わり自分で図書館に行き興味のある論文を探すようタスクが与えられた。与えられたリーディングをこなすのも大変だが、自分の興味に関連する論文を探し出して読み込む作業もそれはそれで非常に大変だ。Week 12 論文課題準備、Week 13 論文課題準備と教授からのフィードバックWeek 14 最終試験に向けて復習課題:レポート提出自分で課題を見つけ、論文を引用しながら解決策を探るという課題であった。いくつか与えられたパターンに応じて書き方を変えなくてはならず、最終的には3000〜4000ワードほどのレポートになった。Canvasに提出したあと両手を天井に突き上げ、心の中で大きく叫んだ。それほど時間をかけたし、達成感を感じた瞬間であった。成績のことはひとまず置いておいて次週やってくるファイナルに向けて机に向かうことにした。この時期は他の授業でも課題が山場を迎え、休む時間がないほど勉強した。授業が終わったら図書館へ、そしてアパートに戻って睡眠をとって、また翌朝図書館に向かう生活を続けた。時間を惜しんで書物に耽り、勉強したのは何年ぶりだろうか。学生時代の懐かしい思い出が蘇ってきた。Week 15 最終試験最後に2時間のテストが待ち受けていた。10数年ぶりに受けるテストはこれほど緊張するとは思わなかった。いくら勉強しても頭の片隅には常に不安が付きまとうのである。どんなに今までの論文を読み込んでも自分が完璧から程遠いように思えてしまう。軽く負のスパイラルに陥っていたが、友人からのアドバイスもありなんとか前向きになり試験を乗り越えることができた。最終的にこの授業はAをいただくことができた。最初は課題のペースについていくのに必死で苦労したが、後半は授業内でのディスカッションにもなれ自分からどんどん発言できるようになっていた。教授や友人が自分の発言の後に頷いてくれると自分の自信につながった。教授がディスカッションがしやすい環境を用意してくださったのも非常にありがたかった。発言をすると”Thank you.”/“I appreciate your remark.”など言ってくれるのだ。自己肯定感を高めるような助言があるとクラス内の発言はより多くなる気がした。あとはクラスのサイズの問題だろうか。私の大学では最大でも人数が17人ほどになっている。教授は17人でも「人数が多すぎる」と不満を漏らしていた。日本ではいまだに30人~40人での一斉授業が当たり前に行われている。そこでディスカッション中心の授業をしろというのにそもそも無理があるようだ。一人一人の発言に耳を傾けるためにはクラスのサイズを15名程度まで減らさないと物理的にディスカッション中心の授業は成立しないだろう。きたろう
2024.01.07
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アメリカの東部もだいぶ気温が下がり朝方は水溜りが凍る日も出てきた。また雪が散らつく日も増えてきた。毎日のように通うため、図書館の警備員と世間話をするようになった。その日は雪がかなり降っていた。お気に入りの図書館に入って雪を振り払い、かじかんだ手を温めてから図書館のゲートを通過した。いつもの警備員がいつも通り座っていて僕が入るとニコッと笑顔を送ってくれた。私が”It is snowing hard outside.”と話しかけると以下のように返事があった。“Yeah, it is a squall! They say it is gonna taper off around noon.”一瞬私の頭に”??”が浮かんだ。「ん?スコール?」私の聞き間違いのような気もしたが、彼女は確かにスコールと発していた。家に戻って辞書を開いて納得した。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「(時に雨や雪を伴う)突風、スコール」と書かれていた。スコールというと東南アジアで突発的に発生する熱帯地域の大雨を想像していたが、冷たい地域でもスコールは使えるらしい。私はずっと寒い地域の大雪はblizzard一択だと思っていたが、squallという選択肢もあるらしい。ちなみに2文目にあるtaper offには「徐々に弱まる、(弱まって)次第に止む」という意味がある。天候を表す際に使える便利な表現だ。併せてチェックされたい。それでは良い1日を。きたろう追伸、ついに本ブログのカウンターが10,000を突破した。今後とも海外の英語表現や留学の手続きなど有益な情報を発信していきたい。今後とも温かく見守っていただけたら幸いである。
2024.01.06
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「心の支え」を英語にするにはどうしたら良いだろうか。先日ピッタリの訳に偶然遭遇した。英語にしにくい日本語の表現は実は日常の中に埋もれていると日々感じている。私の友人は現在男手一つで生後2ヶ月の子供を育てている。子供の母親は子供には一切暴力を加えていないが警察官によって逮捕され現在拘置所にいるらしい。事前の調査もなく現行犯で生後2ヶ月の子供の母親を逮捕できるのだからアメリカの警察の権力は日本に比べて非常に強いようだ。銃社会であるが故に警官の権力を高めておかないと治安が維持できないというアメリカならではの事情もあるようだ。(私は逮捕された現場に居合わせたわけではないので、どのような経緯で彼女が逮捕されたのか全くわからない。友人の話では母親が自分で911に電話をして警察を呼んだ張本人が逮捕されてしまったのだという。それほど彼女は産後ホルモンバランスが崩れ錯乱状態の上、アルコールを大量に摂取しまったらしい。それが児童虐待と勘違いされたのではないかと私は勝手に思っているが、真相は正直わからない。)母親は誰とも接触できない上、子供との面会とも許されず精神的に参っていると友人は複雑な心境を打ち明けてくれた。食後の短い夫婦の電話が家族の絆を保っている唯一の手段なのだという。I am a mental spot for her right now. (今は僕が彼女のメンタルスポットなんだ)友人はさりげなくmental spotと言っていた。日本語にするとまさに「心の支え」がしっくりくるだろう。心が落ち着かせられる隠れ場のような意味合いだろうか。きっと声を聞くだけでも母親には大きな救いになっているだろう。母乳がないため、友人は粉ミルク(英語ではformulaという)を与えているが母乳と味が違うためかすぐに赤ん坊は吐き出してしまう。吐き出してはミルクを飲ませ、飲ませてはミルクを吐き出す。その繰り返しである。今は給料が出た状態で仕事を休めているが、ずっとは休めないらしい。アメリカの警察は母親を逮捕できてもその後のことは全く考えていないらしい。友人もこの制度には憤りを感じているらしく、警察に家族を引き離す権利があるのかと不満を漏らしていた。この大きな試練を乗り越えて家族がまた一つになれる日がすぐに訪れることを願っている。きたろう
2024.01.05
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ペットの後始末を英語で訳そうとしてもなかな的確な役が見当たらない。うまく訳せない時はうまくPhrasal Verb(日本語では句動詞と呼ばれる)で処理してみるとすんなりいくケースが多い。道を歩いていると以下のような標識に出くわした。Clean Up After Your Pet、つまり「ペットが歩いた後を片付けろ=あと始末をしろ」となるわけだ。 「犬のフン」という直接的な表現を避けた美しい婉曲表現(euphemism)ではないだろうか。出会った時に一人で立ち止まって感動してしまった。婉曲表現といえば足が早い食品に使われるperishableという表現を紹介した記事が記憶に新しい。(過去の記事はこちら)英語にはこのような婉曲表現が多々存在するのである。例えば、トイレ(toilet)はあまりに直接すぎるためにrestroomやbathroomが好まれる。ペットのフンはdropping(s)と言われたりするが、フンを「落下物」と呼ぶことも立派な婉曲表現だ。カフェに入って店内が混み合っていたとする。テーブル席が数席空いているが隣には見知らぬ人が座っている。このような状況で”I want to take this seat.”と言うとかなり高圧的な印象を相手に与えてしまう。文法的に誤りは全くないし、意味は通じるが英語圏の人は決してこのような英語を発しないのである。英語圏に一定期間生活したことがある人であれば”Is this seat taken?”/“Is someone sitting here?”/ “Do you mind if I sit here?”と言うだろう。自分が座りたいことを主張する前にこの席の利用状況を周囲の人間に確認するのである。ネイティブが習わずに自然と身につけるサバイバルスキルの一つである。このような言い回しを研究している学問がPragmatics(語用論、意味論)と呼ばれる分野である。学んでみると非常に面白いのだが、日本の英語教育は残念ながらこの分野まで行き届いていないような気がする。語用論を学んだところでなかなかテストのスコア向上に直結しないため授業内容から切り落とされているようだ。日本の言語教育が無味乾燥で文脈がないと批判されるのはこのような側面を無視し続けたからである気がしてならない。人が言語を生きるために用いてコミュニケーションをとっている以上、Pragmaticsは避けては通れないと私は考えている。しかし現実に目を向けるとどうだろうか。日本ではテストのスコアによって合否の結果が決まるテスト至上主義の風潮が非常に強い。Pragmatics(語用論)は教育産業のPragmatism(実利主義)によってその価値がかき消されてしまっている。語源は一緒で両者のスペルは非常に似ているが、内包する意味は全く異なる。言語を学ぶ際はその文法、単語がどのような文脈で使われるのか意識してもらいたい。なぜなら言語は文脈のない「真空(vacuum)」では存在できないからだ。ちなみに住んでいるアパートのキッチンにもこのclean up after〜という表現が使われている。今日も良い一日を。きたろう
2024.01.04
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I woke up in the morning of the New Year’s Day in the US to see the news that a powerful earthquake hit Noto peninsula region in Ishikawa, the north west coast of Japan on January 1st. The magnitude is reported to be 7.6 with seven in the Japanese seismic scale. There is a high risk of tsunami in the coastal area and subsequent earthquakes for the next couple of days. The evacuation order has been issued for the local residents. The casualty number is not yet available at this point and much remains unknown amid the ongoing confusions.The new year’s festive mood was suddenly disrupted by this natural disaster. We humans are all immune to the uncontrollable power of the Earth.An image of CNN reporting the earthquake as a breaking news. The world is deeply concerned about Japan. I pray for people in Ishikawa and those who are affected by the disaster.
2024.01.03
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