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伯母に、あることを頼まれました。しかし、そのことだけは、私には、できません。やりたくないのではなくて... その頼まれたことは、伯母のある友達の娘さんをカウンセリングしてあげることです。それが、私の今のスクールカウンセリングの勉強に役に立つことと思ってくれて、その友達の娘さんも助けたいという気持ちは、本当に良く分かります。そして、感謝しています。 しかし、今まで、持っていたケースは、ほとんどADHDと軽度自閉の子どもです。それも、M2の先輩と一緒に一つのケースをボランティアとして持ってきました。本格的なカウンセリングをすることは、私にとってまだ力不足と自分ではそう感じています。 が、それを聞いた伯母は、私にこう言いました。 「聞き流したら良いから!」 その一言、私を困らせました。何故か言うと、これからは伯母にカウンセリングに関する基本知識を簡単に説明してあげないと駄目だから。それが、長くて、理解しにくいものです。私が4年間も勉強してきて、分かったカウンセリングの世間の知らない真実を。 話せば、話せるほど、真剣になってしまって、話をどんどん進んでしまいました。が、伯母はやっぱり分かっているようで「だから、聞いてあげるだけで良いからって言ってるんでしょう?」と説明にうんざり感じているようで、とうとう怒ってしまいました。 私にとって、上手に説明できなくて、自分の思いを理解してもらえなくて、心の中には、とても悲しくなりました。 「伯母さん、クライエントにカウンセリングをするということは、その相手に責任を持つことです。伯母さんは、水商売をやっていて、お客さんの色々な話を聞いてあげて、聞き流していますが、カウンセリングはそれとは違うのです。カウンセラーとして、クライエントのなかなか他者に開こうとしない心を見せてくれた以上、クライエントに責任を持たなければなりません。聞くことは、最初私も簡単に思いましたが、実際は、とても難しいことです。そこにも、技能が必要とするのです。それによって、クライエントとのラポールを作り上げて、クライエントの自己解決に辿り着くまで、時間を掛けて、カウンセリングしていくのです。ケースを受けた以上、責任は重大です。私は、その力がまだ足りないので、友達として、そばにいてあげることしかできないですが、」と伝えました。 どうも気分がまだなおっていないみたいです。あれから、20分ぐらい掛けて、色々と話を掛けて、やっと伯母がいい気分になりました。 ふう~!これで、私はやっと肩から力が抜いたように気楽になりました。 あぁ~!本当に、大変でした!<終>
Jan 31, 2005
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人生は、何回ぐらい人と出逢うのだろう?そして、何人ぐらいと出逢うのだろう? その出逢った人々とは、どうのように接していくのだろう?ただの通り過ぎの一人の人間?挨拶程度の友達?ちょっと喋れる友達?信頼できる友達?それとも、親友? 生の自分を生の相手に、打ち上げることは、そんなに簡単なものではない。心と心との出逢い、本音を言えることは、どんなに素晴らしいもの、どんなに難しいもの、そして、どんなに危険なもの。それは、カウンセラーが一番良く知っていること。 カウンセリングは、みんな思っているよりも、ずっと大変な仕事で、いかに理論知識、技術能力、そして、頭と心の必要とする仕事なんだ。 ただ、そこに座って、話を聞いてあげて、たくさんのお金をもらうのではない。もし、そんなに簡単なら、誰だってできる。 そんなこともっと多くの人を知ってもらいたい! <終>
Jan 30, 2005
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今日と明日は、「学校臨床心理学特論演習」の集中講義です。そのために、昨日の午後に、学校に戻ってきました。 昨夜は、もちろん学校の寮に泊まったが、しかし、学校は田舎にあるので、寮はとても寒くて、暖房を付けたら、乾燥するし、電気代が高いし、布団の中に入って、勉強をするしかできないのです。でも、考えてみれば、学校の寮に住んでいない学生たちと比べたら、私の方がずっと幸せです。こんな寒い時、毎日、朝早く起きて学校に来て、本当に大変と思います。私なら、きっと起きられないのでしょう。Zzz... そして、日本人の学生の寄宿寮と比べたら、私達留学生の国際交流会館の寮の方が、ずっと良いのです。一人部屋で、中には、すべての設備が揃っています。DVDまであります。本当に贅沢な寄宿寮です。同じゼミの日本人の友達が遊びにくるたびに、「良いなぁ、良いなぁ!」と羨ましく、言っています。 そうですね!こんな待遇で、勉強を頑張ってもらわないとね!こうして、私も頑張って集中講義に出て、ちゃんと講義を聞いて、感想文或いはコメントを書いています。明日もきっとこのように過ごすのでしょう。 奈良教育大学から来られている教授先生で、講義は本当にずっと聞いても飽きないほど立派なものでした。明日の講義をもっと楽しみに待っています。 もう寮に戻らないと、お腹がもうぺこぺこです。<終>
Jan 29, 2005
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一年ぶりに、心臓発作を起こした。 昨日のバイトの帰りに、発作したが、幸いに、今回は気が失わなかった。 家に着いたら、すぐに、浴室に入って、シャワーを出して、温かい水を胸に当てて、落ち着くまで、手で心臓マッサージをした。 家で発作した時には、母はいつも、砂糖を入れた温めのお湯をのましてくれた。何故そうするか、私はいまだに分からなくて。 しかし、今はそばに誰もいない。自分で自分を看病しないと駄目なんだ。 去年の流行語の「負け犬」は、今年からは「お一人様」になったらしい。でも、病気になった時は、やっぱり一人になるのはちょっと辛い! 体が結構弱い私には、国にいる母に常に心配を掛けていて、悪いなぁと思っていても、色々な病気をしてしまう。そして、いつも、病気になった時に、国にいる母を思い出して、母がそばにいて欲しくて、寂しく感じてしまって、子どもみたいに弱くなってしまう。 やっぱり、一人いるのは、そんなに素敵なものではないと思う。むしろ、外国にいる時。 みんなは、私がとても強い子と思っているみたい、しかし、本当はそうではない。実は弱いものなんだ! あっ!もう学校に戻らないと。明日からの二日間は集中講義だ。毎日一限から四限まで。頑張ろう!<終>
Jan 28, 2005
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2月のシフトを提出すると同時に、伯母に新学期が始まったら、「新天地」でのバイトを辞めることを伝えた。とその時、伯母の顔には笑顔が見えなくなった。 私がバイトを辞めて、店には新しいバイトを探さないと駄目ってことは良く分かっている。また、伯母の相談相手になれなく、寂しくさせることも分かっている。そして、責任があって、信用できる人を探すのが大変ってことも分かっている。 しかし、昼もバイト、夜もバイト、ずっとこんなバイトばっかりしたら、勉強と研究が全然進めなくなるはず。それは、私の来日の理由なんかじゃない。何よりも、勉強を大事なんだ。そして、バイトよりは、勉強がずっと楽しいんだ! 「そんなに忙しいの?」 「何でいつもレポートがあるとかばっかり言ってるの?」 「今どこなの?」 「出勤できる日少ないね?」 「後は、頼むね!」 ...... と、このようことの繰り返しのばかりだった。何故、勉強を応援していると言っているのに、私の気持ちが分かってくれないのだろう? ... 1998年10月1日の深夜、バイトの帰りに、引ったくりされた。日本に来たばかりの私は、日本語で助けを求めることさえできなかった。合鍵を求めに、伯父の家を行ったが、 「あなたの外国人登録書に私たちの家の住所が書いてるでしょう?」 「私たちの家の鍵もあなたの鍵と一緒でしょう?」 「私たちの家の鍵も換えなければならないのでしょう?」 「凄く高いのよ!」 「なんてことした!」 ...... やっと鍵を手に入った。ドアが閉められ、中の電気が消えてしまった。 歩いて20分が掛かる帰り道は、とてもとても長く感じていた。また、秋になってないのに、とてもとても風が冷たく感じていた。そして、涙が止まらなかった。 自分が可哀想で泣いているよりも、もうこれから自分しか頼られないんだよ!亡くなったお父さんの代わりに私を世話してくれると言うことはあくまでもたてまえのことで、その一言で甘えたりするのは駄目なんだ!人生は、そんなに甘く行くはずがないんだ! その日から、夜の帰り道に、バイクの音を聞くと、怖くて怖くて、何回も何回も、走って逃げたり、隠してバイクが去っていくから出てきたりしていた。 その日、永遠に忘れられない。 その日から、私は強くなった。感謝すべきことだと良く見せようと思ったら、言えるんだが、しかし、それは本当に経験しない方が良いことなんだ。もう二度と経験したくない! 伯母の気持ちは本当に分かっているが、しかし、親戚だからと言って、ずっと言いなりに行動してはならない。他人のことをばかり考えてしまうと、本当に自分が失ってしまう。そして、最も大事なのは、相手は本当に私のことを理解し、私の立場になって物事を考えたりしているのかを判断すべきだと言うことだ。正直に、自分のこの気持ちをぶつけて、もっとお互い関係が作れるが、でも、何回も何回も同じようなことを説明するのは、言い訳しか取られなくて、とても疲れる。肉体的よりは精神的に疲れる。 私はもう何も言わないことにする。 上海から戻ってきたら、勉強と研究に集中する決心をした。<終>
Jan 27, 2005
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帰国するチケットの支払いために、昼間のバイトを休ましてもらった。 久々の朝寝坊はとても贅沢なものだった。昨夜、学校から戻ってきて、深夜まで頑張ってレポートを完成させた。これで、研究課題の本調査のアンケートの作成に集中できるんだ。もうあとわずか2週間しかなくて。 朝の10時に目が覚めた。「もうちょっと寝よう」と思って、再び目を閉じたが、今度目覚めたのは11時前だった。「わぁ~起きないと」と慌てて起きて、日中青年旅行者へ向かって、時間通りに支払いを済ました。 チケットは来週、学校から戻ってきた時に、取りに行くことになった。その日、早く来て欲しいなぁ...そして、チケットがもらったら、もう帰国するまでわずか。 カレンダーや手帳を見ているうちに、自然と目線がその日に行く。帰りた~い!もう帰る気持ちで一杯で。 待って、待って、その日まで。 楽しみに待っている。 ...<終>
Jan 26, 2005
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今日と言う日を、ずっと待っていました。 … 10:10に集合して、車に乗った私たち6人の留学生がS小学校へ向かいました。その小学校の5年生の子どもたちの国際理解と交流のためでした。 校長先生と短い挨拶が終わって、音楽室へ移動し、そこには子どもたちが私たちを待っていました。ドアの前に着いたとたん、音楽室の中から大きな拍手が沸いてきました。 子どもたちの瞳から、期待が感じてきました。その期待に答えるようにと心に思いました。 とても素晴らしい中国についての発表と音楽演奏を聞いて、7年前の教え子達の姿が頭に浮かんできました。その楽しくて充実していた子どもたちと一緒に過ごした4年間、とてもとても懐かしくて、目が熱くなりました… 竹組の子どもたちに教室まで案内されました。実際に、教室へ移動する途中、もうすっかり子どもたちと仲良くなっていました。 「やっぱり、子どもたちと一緒にいる時のあなたの輝きが違うわ!先生と言う仕事は、本当に一番あなたにあってるわ!」と国際交流会館の先生に言われました。 「そうですね!私もそう思っています。だから、中国に帰ったら、また教師の仕事を続けようと思っています!」 40分の中国についてのお勉強は、とても順調で、反応も凄く良くて、しっかりと聞いてくれて、一杯一杯質問をしてくれて、本当に嬉しかったのです!まさか、チャイナドレスまで持って行って、見せるのは思わなかったように担任の先生も子どもたちもちょっとビックリして、それについてまた質問をしてくれました。 そして、初めて日本の子どもたちと一緒に教室で給食を食べました。先生とワイワイと色々会話をしながら、昼ご飯を食べられるのは、ちょっとビックリしました。私が勤めていた小学校ではマナーを守るため、ご飯を食べながらお喋りするのが禁止されていたので。こうして、先生との良好関係を築くためには良いなぁと思いました。 … チャームがなって、労働する時間になって、私たちの今日の使命もこれで終わりました。温かく接してくれた子どもたちと別れるのが、辛かったのです。この3時間は、凄く短く感じました。 … 5年竹組は、本当にとても明るくて、賢くて、素直な子どもたちでした。私が子どもたちに中国について色々を教えてあげたというよりは、私は子どもたちから、一杯一杯エネルギーをもらいました。 * みんな、本当に有難う! * とてもとても充実で、有意義な経験でした。今度、このようなチャンスがあれば、またしてみたいです!<終>
Jan 25, 2005
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久々に、こんなに腹が立った! 昨日、学校の寮に戻ったら、偶然に、友達から、ある男の留学生が、公のところで、私の噂をしていた。 「…彼女は、開放的な人だよ!私は開放したくても、開放できないんだ!…」 「うん~、あなたは保守的な人だね!無理!…でも、そんなならない方がいいと思うけど…」 私のことが何も分かってないくせに、何でこんな評価をするのだろう?凄く失礼で、むかつくんだけど! 「開放的」と「明るい」、この二つの言葉は全然違うのに、私より年が上で、人生経験が豊富なはずなのに、しかも学校の教師をしていたのに、何でこんな責任のない言葉を口にするのだろう? 私たち、私費留学生の大変な生活は、交換留学生や国費留学生彼らには理解できないみたいだが、しかし、「他人のことを噂にしない」と言った基本的なことも守られないのが、信じられない! 多額の奨学金を政府からもらったのに、まともな勉強もできなくて、人の噂や私生活に頭を突っ込んで、本当に…! 一月3万円の奨学金しかもらってないので、バイトしないと、学費も生活費も払えないので、やらなければならない状態。しかし、学校は凄く田舎にあるので、バイトがなくて、「一宗」でのバイトを続けられるために、その近くで家を借りらなければならない。でも、家を借りると毎月4万円もの家賃を振り込まないと。しかも、学校と借家の間の往復の交通費は4千円ぐらいも掛かる。結局、一ヶ月、学校の講義や用事のない日に頑張ってバイトをしたが、学費と家賃を除いたら、2万円ぐらいしか残らない。そのお金は、一ヶ月の生活費。それでも、毎日バイト終わったら朝の2時3、時ぐらいまで勉強して、また次のバイトへ行かなければ。 だから、集まりやパーティには参加できなくて、寮にはいなくて。それが何で私が私生活乱れてる人と判断したのだろう? 正直に言って、もし私が毎月18万円の奨学金ももらえたら、もっと自分の勉強に取り組んでいて、買いたい専門書が一杯買って勉強すると思う。 (笑)その人たちに聞きたいが、 「何のために日本語に来たか?」って。 どう答えてくれるのだろう? やっぱり、ムカツク!腹が立つ! でも、そんな人のために腹が立ってもねと自分に聞いて、こうやって、この気持ちを日記として書いて、気晴らしするには最高だ! もういいんだ!気にしないようにする!噂は噂!私は私!他人が私をどう見てるかは、その人の勝手!やりたいことがまだ一杯あるから、勉強に戻ろう!(^0^) <終>
Jan 24, 2005
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修士論文の中間発表以来、一度もスーツを着たことがなかったが、今日は、久々に私を堅苦しくさせるあのスーツを着ていました。 やっぱり、スーツを着ると、別人のように見えます。―キャリアウーマンみたいにビシーっとなります! でも、1時50分に、奨学金の面接があるので、スーツが嫌いと言っても、着るしかありませんでした。 今まで、学校の面接とか、バイトの面接とか、奨学金の面接とか色々と経験してきたが、やっぱり、いざとなると緊張が走ります。そして、今回の面接は私にとって、本当にとてもとても大事な面接なので、家を出てから、もうドキドキしました。 ... 面接の場所に着いたら、中にももうすでに4人の面接者がいました。そして、みんなの手元には、用意した資料を黙々と目を通していて、シーンとなっています。 その雰囲気は何も準備していなかった私に、緊張を与えてくれました。しかし、考えてみれば、大体の質問内容はこのようなもので、その他に、どんな質問がされるのかが分からないので、準備をしてもと思っていたので、そのままに、ジーと座って、時間が来るのを待っていました。 ある意味で、自信が有ると思うが、でも、やっぱり、不安もありました。実際のことを面接官に伝えたら良いので、正直に自己アピールをしようと心に決めました。 ... 「一番の方」と呼ばれた時に、「落ち着いて、頑張ろう」と自分によび掛けました。 面接官は6名がいて、面接者は私一人でした。 ...1分、2分、3分... 時間が経てば経つほど、緊張感が弱まってきて、どうどうとあっちこっちから来た質問に適切に答えるようになりました。「大丈夫だ!この調子!」とまた自分を励ましていました。 10分ぐらい、面接がすべて終わりました。面接官の方々に礼をして、退室しました。 それで、面接が終わって、後は結果を待つばかりです。 「幸運を祈ります!」と案内係に言われて、自分自身の心の中でもこの言葉を言い繰り返しました。 * 今回の面接が合格できますように! *<終>
Jan 23, 2005
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昼のバイトが終わって、帰ってきたら、BBSにこのような書き込みがありました。「偶然このHPまで辿り着いた♪ もしかして貴方も留学生で、そして中国人ですか? 阿杜の歌が好きだと言いましたね!私もです♪ 天使の涙か~ 綺麗なHPですね! また遊びに来ます☆ (Jan 22, 2005 08:49 AM) 」 * とても嬉しいです! * 早速、Ocean.NetさんのHPを開いてみました。Ocean.Netさんはきっと可愛い女の子でしょうねと思いました。そして、このような返事を書きました。Ocean.Netさんへ、 メッセジー、有難うございます! こうして、他の留学生と出逢って、本当に嬉しいです!Ocean.NetさんのHPも拝見させていただきました。可愛いHPですね!日記も頑張って書いてますね!♪ 私も中国からの留学生ですよ!Ocean.netさんは2001年に日本に来たが、私は98年の春に来ました。プロフィールには結構詳しく書いているので、良かったら見てみてくださいね! 7年近くも日本にいると、中国で流行っている歌手や歌はほとんど知らなくて、田舎もんみたいねと国の友達に笑われたこともあります。 一番知っていて好きなのは、阿杜です。本当に素晴らしいですね!同じ好みがあって、嬉しいものですね! また遊びに来てね!☆ (Jan 22, 2005 04:51 PM) このような友達ができて、とてもとても嬉しくて、これからも一杯素敵な友達ができますように。…<終>
Jan 22, 2005
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最近は、本当に忙しくて忙しくて、凄く疲れを感じている。 学校の研究とレポートに忙しくて、二つのバイトも忙しい。学校に戻ったら、毎週必ず一つのレポートがあって、そして、自分の研究課題も本調査のアンケートの検討と再作成に取り組んでいて、物凄く忙しい。 借家に戻ると、毎日昼間のバイトと夜のバイトがあって、帰宅したら、勉強をしなければならなくて、とてもとても忙しくて疲れる。 友達と一緒にお茶と飲む時間さえなかった。付き合い悪いと言われたが、それも仕方がないことで。 本調査のアンケートは、日本でも上海でも行なうので、できるだけ、帰国する前に出来上がらないとと思って、どんどんどんどん自分をせめている。そして、バイト先はどっちも人手が足りなくて、休んだら迷惑を掛けるのでと思って、なかなか休みが取れない。 自分のこの性格は、変えようとしないが、でも、やっぱりたまには、しんどいなぁと思う。 ゼミの他の日本人の友達は予備調査もまだできてないのに、私はもう本調査に取り組んでいる。そして、彼らよりも焦っているように見える。しかし、それでも、自分を前へ前へと進めさせようとする。 帰国する日がもっと早くも来ないかなぁと思いながら、研究課題でやることが一杯で、時間がゆっくり経てたらいいなぁと思ったりする。そんなおかしいな私だった。 「勉強にはきりがないよ!」と友達に言われて、分かっているが、やり出すとすぐ没頭してしまう自分を止められない。あぁ~! 私って、勉強が大好きかなぁ?それとも楽しく勉強している自分、そして、その空間が大好きかなぁ?(笑) <終>
Jan 21, 2005
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日本に来て、もうすぐ7年になるが、旧暦のお正月には一度も上海に帰ったことがなった。学校の都合で、凄く帰りたくても、なかなか帰れなかった。授業をサボって帰るのは、自分の性格に許せない!(だから、融通利かない、くそ真面目とかいわれているのかもしれない?;)だって、せっかく日本に勉強しに来たのに、お正月のために授業をサボることはないのだろう?何よりも、勉強が一番大事だから! 日本に来たばかりの頃、よく伯父に「一、勉強ができる;二、バイトが頑張る;三、健康である」と言った3つのことが守って欲しいと言われた。そして、逢うたびに、この3つのことをチェックされていた。伯父は、亡くなったお父さんの変わりの存在のような人なので、この3つの要求はずつと真面目に守ってきた。一度もがっかりさせたことがなかった。 しかし、唯一伯父の期待に答えなかったのは、毎年必ず一度は上海に帰ることだった。記憶の中で、帰りたくて帰りたくて、泣いたこともあった。そして、伯父が母へ国際電話を掛けて、母まで私の帰国のため怒られたこともあった。 毎年の旧暦のお正月は、私も友達のみんなと同じように休みを取らず、バイトしていた。しかし、いくら遅くて、必ずみんな揃って私たちの本当のお正月を2時間でも、お祝いしていた。一番印象に残っているのは、留学に来たばかりの後輩に「常回家看看」という歌を教えてもらって、そして、この歌を歌っているうちに、国にいる家族や友達などのことを思い出して、逢いたくなって、泣き出してしまったことだった。…凄く素敵な家族思いの歌で、私たちを感動させる一曲だった。そして、今も! 日本のお正月は、中国の元旦で、みんなはとても静かに過ごしている。日本では、「寝正月」という言い方まである。しかし、中国のお正月といったら、とてもとても賑やかで、楽しい祝日で、そして、最も長い祝う期間だ。小晦日、大晦日、お正月、…元宵まで、半月以上も続く。この期間、中国のどこへ行っても、その雰囲気が感じられ、味わえる。そして、自分も楽しい気分になれる。 今度の旧暦お正月の大晦日は2月8日だが、授業がこの日までなので、11日に帰国することに決めて、そして、無事にチケットも押さえてもらった。やった!ちょっと遅くて、帰れることで、幸せで一杯!今回こそ、楽しい旧暦お正月を過ごそうと! その日まで、後もうちょっとだ!頑張ろう!体を壊さないように、勉強もバイトも頑張ろう! 帰れるから、頑張れるんだ!そして、帰ったから、日本に戻ってきたら、頑張れるんだ!それが、留学生活! 早くその日が来て欲しいなぁ~…P.S.: 中国へ旅行に行こうと思っているなら、旧暦のお正月がお勧め!賑やかだし、あっちこっちセール、バーゲンがやってるし、そして、往復の飛行機のチケットも安い!是非是非!<終>
Jan 20, 2005
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昼のバイトは大変でした。お客さんが次から次へと店に入ってきて、わずか3時間の間に91人のお客さんも店に来ました。ホール三人では、本当に猫の手も借りたいぐらい忙しくて忙しくて… しかし、夜の「新天地」は、昼の「一宗」と全然違って、お客さんが少なくて…伯父はものすごく困っているようです。考えてみれば、それはそうですね。年末のあんなに忙しかったのに、今になるとこんなに暇になってしまいました。もし、私が店長なら、私も不安で一杯のでしょう。来られているお客さんがみんな美味しい、美味しいと元町の中華料理屋さんより美味しいねっておしゃってくれたのに…何故なのでしょうと不思議に思っています! やっぱり場所が良くないじゃないかなぁと思って… 今夜来られている二人のお客さんは、中国語ができるのです。そして、私たちにびっくりさせるぐらい上手でした!しかも、一人のお客さんはちょっとした上海語も喋られるので、伯父ととても仲良くお喋りをしていました。 もちろん、厨房が忙しいので、伯父が厨房に戻ったら、私が彼らと喋るようにと伯父に言われました。 話してみたら、本当に私が教えていた日本人の偏りずっと上手で、その理由を聞いてみたら、納得できました。4年間も上海で滞在して、仕事をしていたからです。それで、流行している上海語も分かるんだと心の中でそう思いました。 … … 親しく喋っていくうちに、やっぱりあんなことも喋りだしました。 「やっぱり、上海の女の子は一番いいね!」 「カラオケへ行ったら、一杯チップをやったわ!」 「彼は、真面目に見えるけど、ものすごくスケベだよ!彼女があっちこっちで作って…」 「この子に、電話番号を聞いたら…」 「良いじゃないか!また一年ぐらいこっちにおるから。仕事にもいいじゃない?」 … と二人の会話が段々味が変わってきました。 本当に、残念でした! やっぱり、私は見る目のない人間なんだと思いました。もし、こんな人なら、真面目に中国語と上海語を教えてあげなかったのにと思ったりもしました。凄く残念…! …<終>
Jan 19, 2005
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昨日、寮に戻ってから、やっぱりまた2時まで勉強してしまいました。昨日の朝は早起きだったから、今夜こそ早く寝ようと心から決めたのに、またまた、やり出すとなかなか終われそうもなくなってしまいました。もう癖で、仕方がないと自分でこんな自分をあきらめました。(*ー*) 今日は、講義がないけど、でもアンケートの集計で、研究室へ行かなければならなかったのです。何故かというと、SPSSのソフトは凄く高いため、我々学生にとってはとっても手が届けないもので、研究室の共用パソコンにしか入っていません。本当に、もし、自分のパソコンに入っているなら、わざわざと研究室へ行かなくても、どこでもデータ集計できるのに…幸いに、私はこの研究室での唯一アンケートを作成し、実施して、集計を行なう人です。それで、いつでも、自分の時間のある時に、そのパソコンを使って、SPSSで集計できます。そして、研究室の友達も、そこで使っていても、私が集計すると聞いたら、必ず譲ってくれます。凄く有難いことです! もし、みんな春にアンケートを実施し、データを集計しようとするなら、一台の使えるパソコンしかなくて、どうなるのでしょうね?今は、私にとって、幸いなことであっても、本調査の倍以上ものデータ集計は、どうやって行なうのでしょうね?みんな時間を分けて使うしかありません。 あぁ~、何故このソフトはこんなに高いのでしょうね??買えないんですよ!!! 何時間も、データを集計したら、それに、心理統計学は大変難しくて、頭がフラ~フラ~になってしまって、頭の中に数字やグラフとかで一杯です。考えないようにしようとしても、自然と浮かんできます。おかしくなりそうです! 今夜は、もう集計ができないから、レポートを書くことにしましょう!来週の水曜日まで提出するが、できるだけ早くできるように頑張りましょう! ファイト!!!加油!<終>
Jan 18, 2005
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久々の学校で、久々の講義! 一限から講義があって、頭が痛くなる「SCT」の検査で、もうふらふらです。でも、問題は、検査報告書を来週まで提出しなければならないことです。先生自身も判断の基準が良く分からないのに…しかし、文句を言っても、結果は自分で締め切りまで終わらせないと。 普通は適当で書いて、ぎりぎりまで出せばいいのに、私の性格は、それを許すことができません。いくら難しい課題でも、ちゃんとそれについて勉強して、考えて、立派に完成させたいのです。 最近は、色々な講義で色々な心理テストをやって、自己診断をしたりすることによって、自分については本当によ~く知っているようになりました。本当の自分を。 苦労するタイプだなぁと思いながらも、変えようとはしない私でした。それも、私の頑固なところです。 そして、久々の研究室で、久々の友達! 今日はみんなそれぞれの講義や用事があるため、早く来たた人もいれば、遅く来た人もいます。しかし、14人揃えられるのは、月曜日の今日だけです。 何人かおやつを持ってきて、みんなで美味しいおやつを食べながら、ワイワイとお喋りをして、すごく賑やかでした。私たちのコースは【さわやか】と名付けるのが、最適だと思います。本当にそれぞれ違うが、それぞれ素敵なところ一杯持っています。私は自分がこの中の一員であることを幸せに感じています。大好きです! 研究で、苦しんでいながら、楽しくやっています。やっぱり、人間関係の良いところで勉強や、仕事が順調で、効率もよくできますね!(笑) 相変わらず、忙しいけど、でも楽しいです! ふっと考えたら、昔手紙を書く時、最後には「祝:忙」と書いていました。暇よりは、やっぱり忙しい方が良いです。もちろん、今もそう思っています。 あっ!もうこんな時間です。レポートを書かないと…<終>
Jan 17, 2005
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学校は、11日から始まっているが、講義がなかったため、今週は学校に戻らなかったのです。でも、来週からは講義があるので、今日は、もう学校に戻らないと駄目です。田舎にある学校にね! バスで2時間以上も掛かるところで、周りには本当に畑や山や民宿しないありません。でも、それでも、自分で選んで選んで、決めて入った学校だから、もう一つの楽しみです。というか、勉強の好きな私にとっては、本当に場所です。(でも、やっぱり、遠い過ぎるのが、嫌いです!;_;) 寮に戻ったら、同じ寮に住んでいる留学生友達が遊びに来て、一杯一杯楽しくお喋りして、「来年卒業するまで、後一年間、無事に卒業できるように、一緒に頑張ろう」と互いに励ましました。こうやって、私たち支え合って、日本での留学生活を送っています。 友達らが帰って、ふっと思ったら、研究室に行かないと日記が書けないということに気付きました。しかし、センター試験のため、全館立ち入り禁止になっていて、そして、外は暗くなって、寮から研究室まで結構遠いので、そのままに寮に引きこもって、テレビを見ながら、資料を整理しました。 でも、やっぱり、「ちびまるこちゃん」と「ささえさん」と「ビフォー&アフター」を見たいので、本調査のアンケート資料を整理、まとめながら、ついつい見てしまいました。でも、決して、勉強の質が落ちることはないので、それで良いとこの昔からの習慣をいまだに保っています。 …… ...... Zzz ...... これで、私の充実した日曜日が終了しました。(笑)大満足で~す! <終>
Jan 16, 2005
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1月15日、毎年この日が近づくと、自然とStephenのことを思い出します。初めて好きになって、6年間も付き合っていた元彼の誕生日です。自分に忘れさせようとはしません。 長く長く、6年間も付き合って、心から愛し合っていた人だから、もう別れたといっても、彼のことをすべて忘れる必要はないのでしょう? それは、今付き合っている相手に不公平で悪いではないかと言われるかもしれないが、しかし、それは違うと私はそう思います。自分が昔このような人に愛されて幸せだったということだけ覚えたら良いのではないでしょうか?そして、それは、決して後で付き合っている人に不忠や悪いことをしている訳ではないので。 …「今度はいつ帰ってくるの?」と彼からのメールが入ったが、実際には聞かなくても、春休みには必ず帰国するということは彼が良く知っているはずです。「何故聞くのでしょうね?」と私は不思議に思いました。 そして、前回帰国した時に、彼からの一本の電話を思い出しました。 …「やっぱり、君が一番いい!今の子と違って。」 「母が私に聞いた、二人はどうなったのって。」… そう言われても、もうより戻すにはできません! 「私たちは、もう大分前に別れたのでしょう?確かに、別れるとことで、凄くショックで、立ち直れないぐらいだったが、でも、私はあなたを恨んだりしてない。遠距離恋愛は10カップルのうちに1カップルぐらいしか長続きなんかしないと言われたが、しかし、私は精一杯頑張ってきた。だから、それで自分には悔いがない。…ほら、こうして友達のように喋られるのでしょう?…」 「別れて初めて相手の良さが分かる」・「失って初めて相手の大切さが分かる」。 それは誰もが知っているが、しかし、…<終>
Jan 15, 2005
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「新天地」でのバイトが終わったら、伯母が出した「やすらぎ」という店へ遊びに行った。1月5日、店がオープンしてから、何回も誘われたが、バイトやレポートでなかなか行けなかった。明日は、久々の休みの日なので、「今夜は行けるよ」と伯母に伝えた。 「来たら、懐かしい人と会える!彼はいまだにかたごとの日本語で喋っていた君のことをはっきりと覚えてるわよ!」と伯母は私にそう言った。 でも、やっぱり、行く前に「泉さん」だと言うことを私に教えてくれた。本当に、懐かしい方です!もう何年間も前のことで。 「やすらぎ」に入った途端、泉さんの懐かしい姿が目に入った。昔より、顔が痩せた。「何かあったのだろう?」と疑問を持ちながら、昔話をずっとしていた。 …「泉さんは、2年前に自分の会社をたたんで、1年間、引きこもり状態になってたが、今はゆとりのある自分らしい生活を送ってる。…今は、本当にナミダが脆くて、すぐ感動したり、泣いたりする。年のせいかなぁ?やっぱり。…でも、もう二度と灰色の季節に戻りたくない、戻らない。」 …「その時、この子は弱弱しくて、大丈夫かなぁと心配していたが、今の君を見たら、本当に安心した!凄く明るくなって、強くなって、本当に良かったわ!伯母さんからいつもあなたの話を聞いてる。よく頑張ってるね!…泉さんも君の伯母さんと同じように、博士を受験する君に応援したい。頑張ってもらいたい!…辛かったらいつでも、話を聞いてあげるわよ!口が堅いからね!」 …「これが、私の娘が書いてくれた手紙。良かったら、読んでみて下さい!」→ 凄く感動して、つい、ナミダが…そこには、娘さんのお父さんへの感謝の気持ち、尊敬の気持ち、愛する気持ちが一杯綴られている。それは親子の絆というもの!羨ましくて、羨ましくて、亡くなった父のことを思い出して、逢いたくなって… …「泉さんは、本当に自分が幸せと思ってる!君も幸せになるように祈ってあげる!頑張りや!自分で頑張らなくちゃね!」… そして、久々に歌を楽し~く歌っていた。 泉さんとのこの再会は、本当に良かった!お互いに、相手から一杯パワーとエネルギーをもらって、そして、これからも「焦らず休まず怠けず」という言葉を心に置いておいて、困難や挫折などに向けて、前向きに、プラス思考で、自分らしく留学生活を送っていこうと決めた。 励ましてくれて、本当に有難うございます!― 泉さん!このように再び逢えて、本当に良かったのです!<終>
Jan 14, 2005
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今日、バイト先の女の子と「愛情&金銭」について口論した。と言っても、私の主張と説得力が圧倒的に弱かった。 「…愛情って何?空想の世界!それだけであなたは幸せになれるの?」 「あの頃、あんなに彼に尽くして、お金も自分も、私のすべてを彼に捧げてあげたのに。結局、…」 「愛情は現実じゃない!…私は今まで、色々と経験してきた。結論から言うと、愛情を追求する女性はほとんど失敗者となる!幸せになれない!」 … … 元の旦那さんに心をぼろぼろされて、傷付けられて、彼女のこの心境は、その訳は、理解できる。しかし、それは、共感ができていても、このような主張は私には賛成できない!そして、彼女の感情が激しくなるにつれて、もっとはっきりと分かったのは、私の考えを彼女にいくら伝えようか、ぶつけようか、彼女は受け入れられない! … … 彼女の主張、(というより私を説得しようとしている)長く長く続いていて… 私は、口数が少なくなって、そして、いつのまにか静かになった。 ……<終>
Jan 13, 2005
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「相手を選ぶなら、愛する人を選ぶ?それとも愛してくれる人を選ぶ?」という聞かれたことが誰でもあると思いますが、もちろん、私もあります。それも、一回や、二回ではなく、今まで色々な友達から何回も聞かれました。(~-~) 私の答えはずっと同じでした。そして、何人かに笑われ、何人かに現実を見た方が良いと勧められました。 そして、いつか、私も友達に聞いたことがありました。何故聞いてしまったのだろうと今になって、自分に問い掛けました。 …恋で、迷った時、 愛で、迷った時、 自分を失ってしまいそうな時… Jeffからの連絡がありました。半年振りに。 「父が亡くなって、今は一人ぼっちになった。それで、上海から離れて、香港で暮らしている。…」と悲しそうな声で私に色々と自分のことを話してくれました。 そして、…「僕は今もあなたを待っている」と告げてくれました。… * 出会った時のJeffは明るく振舞っていたが、そこにいるたくさんの人の中で、しかし、何故か私には彼の心の奥底に悲しそうな何かを感じていました。 …いつか私はJeffの相談相手になりました。一時間、二時間、三時間、時には半日も彼の色々な話を聞いていました。友達として。はっきり言うと、同情な気持ちでした。 しかし、Jeffはそんな私を愛してしまいました。… * 愛してくれて、本当に感謝していますが、しかし、私は自分が愛する人を選んでしまったから、Jeffは私にとって友達です。これからも。 今の私は何故か心がちょっと揺れて~…<終>
Jan 12, 2005
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日本に来て、6年半も経ちました。日本語専門学校のYMCAで一緒に日本語を学んでいた同級生のほとんどが帰国して就職しました。もちろん、日本で就職した人もいます。彼らにとって、やっと大変な留学生活が終わって、安定した生活が送れるようになったが、私はまだまだ今までと同じような生活を送らなければならないのです。 「あなたっていつまで勉強する気?」とよく彼らに就職や帰国を勧められたりします。しかし、頑固な私は彼らの考えを分かっていながら、勉強と研究を進めています。自分に苦労をさせてばかりで! 留学生活って、本当に中国にいる人々に想像できないぐらい大変なものです。...嫌々と思いながらも、自分の目標に向かって、我慢して、我慢して、耐えれなくなったら、もうちょっとだと自分に言い聞かせて、もう一度我慢させ、それの繰り替えです。 みんながそうだから、私もそうしないとってことは決してないから、わがままと言われても、私は今のままの自分でいいです。今の自分こそ、私自分自身なのです。そして、これからも。 5年前の半年間の間に、ボランティアの日本語の先生に毎日日本語で日記を書かされ、週に一回チェックされました。その先生のお陰で、こうして日本語で日記を書けるようになって、きっと正しくないところもあるが、でも、それでも書き続けたいのです。<終>
Jan 11, 2005
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