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昨夜、鍵のことをばかり考えていていた。どうしたら私の鍵を返してもらえるのか?考えれば考えるほど、嫌になって、眠られなくなって…ついに、伯母さんに助けのメールを送った。メールが送信できて、やっと眠りに着くことができた。しかし、午後になっても返事は来なかった。もしかして、もう一個のメールアドレスではないかと、もう一回同じ内容を伯母さんに送った。そして、20分後、伯母さんからの電話が入った。「実は、昨夜のメールが入ってからすぐ読んだ。でも、どう返事したら良いか分からなくて…」「有難うございます!難しい事を頼んでしまって、本当にごめんなさい!」「伯父さんの性格は、あなたもよく分かるでしょう?」「うん!すごく怒りっぽいので、自分から言うと、伯父さんは絶対にキレてしまって、怒り出します。ですから、怖くて、自分からはどうしても言えなくて、伯母さんに助けを求めました。すみません!」「しかし、私の口から伯父さんに言うと、私はもちろん、あなたも怒られるんだよ!あの性格!きっと、『何故、あの子は自分から私に言わなくて、あなたを通して言うの』って言う。そこから、更に怒り出してしまう。この前もそうだったじゃない?」「うん…伯母さん、どうしたら良いのですか?私、本当に言えないです。その日、家に帰ってくる日を伯父さんに教えたら、いきなり『何もしないから』って、すごく機嫌が悪そうな口調で言われて…」「もう本当に、その性格は…あなたの気持ちは良く分かるけど、でも、私も言えない。…あぁ~どうしたら良いかなぁ~?どう言えば良いかなぁ~?」「どうしたら良いのですか?もし、伯父さんが本当に母が来るまで、ずっと鍵を持っているなら、いつか家に入ってくるかを思って、昼も夜も安心に休めなくて、神経がずっとピリピリになって、可笑しくなりそうです。…」「あぁ~どうしよう?もう…困った人だね!」「…伯母さん、すみません、悩ませてしまって。」「どのように伯父さんに怒られないように、無事に鍵をあなたに返らしてあげるかを考えてみるわ!」「有難うございます!ごめんなさい!」「じゃ、また電話するわ!」「はい!すみません、宜しくお願いします!」電話を切って、二人の会話を考えてみたら、何というかわいそうで、情けない二人大人の女性の二人なのだろう?私達が間違っている訳でもないのに…伯父さんと聞くと、すぐ顔色も変えてしまうほど、伯父さんの事を怖がっている。今まで、伯母さんは私達の知っている以上に、こうやって常に伯父さんの機嫌をとったり、あの何とも言えない性格を耐えてきた。今日は、再び伯母さんは伯父さんと離婚して良かったと思った。やっと、伯父さんから解放された。しかし、ずっとこのように伯父さんが間違ったりしてもはっきりと自分の意見を言えなかったり、許してあげたりするからこそ、伯父さんのあの悪い性格は更にエスカレートにさせてしまって、とうとう今のように、急に怒り出したり、モノを投げてきたりするようになった。一番反省すべきなのは、もちろん伯父さん。でも、そうさせた周りの私達にも反省が必要。いつか分かってくれるのだろうとか、今日は嫌な事があったからとか、本当は優しい人だからと…信じれば信じるほど、期待すれば期待するほど、また同じようにされたら、すごく落ち込んでしまう。このような伯父さんを選んだ新しい嫁さんは、何故伯父さんを選んだのだろう?あんな13歳も年下の優しい彼女が…もしかして、彼女なら伯父さんの性格を変えることができるのかもしれない。本当にそうなって欲しい。少なくとも、結婚したばかりの時の伯父さんの喋り方はいつもより優しかった。伯母さんは私の気持ちをうまく伯父さんに伝えてくれるのかなぁ?私が家に帰る日には、伯父さんは私の鍵を返してくれるのかなぁ?<終>
Jan 31, 2006
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2月15日に、伯父さんと伯母さんが今住んでいる家から伯母さんが借りたマンションに引っ越しすることになった。というのは、もう離婚した2人は、今の住んでいる家を売ることにして、別々に家を借りて生活することに決定した。この前に、私が上海に帰ってから、今の私の家具をそのままに使い、私の家を借りて住みたいと伯父さんからの相談があった。そして、昨日学校に帰る前に、お正月の挨拶をしに、伯父さんと伯母さんを訪ねた。その時に、伯父さんのあることを頼まれた。「2月15日に引っ越しするので、あなたが上海に帰ったら、今の家は私が住むし、とりあえず、あなたの古い本棚を捨てて、私の本棚と机を置かせてもらうね!」「荒ゴミの日は2月7日で、できるだけ今の本棚の本を全部箱詰めして上海に送ります。」「うん。じゃ、家の鍵を私にちょうだい。」「えっ!?」「本棚と机の置く場所をあなたの家へ測りに行くので、何もとらないから、そんな心配はしないで。」「…は…い、分かりました。」「じゃ、あなたのお母さんが日本に来た時に返すからね!」「えっ!?お母さんは、3月19日頃に来るのですが…」「分かっている。その時に、あなたのお母さんに渡すから。それと、3月と4月は、店が忙しいと思うので、あなたのお母さんが来てから、店に手伝ってもらうね!」「… …」その時は、怖い伯父さんに逆らうことができなかった。しかし、後で、よく考えたら、やっぱり、自分のプライバシーが勝手に入られたら嫌!いくら伯父さんだからと言って…昔のように、私の家の鍵を今回のように強制的渡されて、好きなように入られたりするのは、すごく嫌!もう昔のように私の保証人だからって、言いなりにはなりたくない。何かが盗まれるとかではなくて、急に私の家に表れたりとかするのが、嫌!そして、男性と女性の違いもあるし、そこに遠慮して欲しい。でも、返してと伯父さんにいうと、すぐ怒られたりするので、あの怖い顔、きつい言い方はもう二度と見たく、聴いたくない。なぜ、これぐらいのことも理解できないのだろう?私の鍵を返して!私の鍵を返して!早く返して!場所を測るならすぐできるのだろう?今、私がまだ住んでいるので、自分の好きな部屋の間取りをしたい。勝手に、家具を動かしたりするのは嫌!4月になって、私が帰ってから好きなように家具を置いたりすれば良いでは?残り3ヶ月もないから、自由にさせて欲しい。今更、伯父さんだからって、私の私生活に入られたりするのは嫌!お母さんも、伯父さんの店に働かせたくない!いくらお母さんは伯父さんの実のお姉ちゃんと言っても、伯父さんはきっと機嫌が悪くなったら、お母さんを叱ったりする。だって、実際にも、お婆ちゃんとお母さんにも大声を出して叱ったりしていただもの。店が忙しくなって、お母さんがミスを起こしたりすると、どんなに言われるのが目に見える。だから、この件に対しては、絶対譲ったりしない!!!早く私の鍵を返して!渡してしまう自分に怒りたい!渡した自分がバカ!あぁ~!こんな嫌なこともあったが、良いこともあった。朝、早く研究室に来て、午後に発表する「時代、上海と人々」のパワーポイントの再チェックをして、発表ノートを印刷しておいた。それが終わって、友達に知能検査のレポートの書き方を教えていたら、早くも11:50になった。中国語講座があるので研究室からでないと、と慌てて、荷物を整理して、待ち合わせの場所へ行った。今日は、数字の勉強だった。思った通り、2の2つ読み方、使い方の区別を教えることが、大変難しかった。なかなか覚えられなくて、初めて困った様子が見られた。それもそうだけど、中国人すらこの2つの2の使い分けが分からない人がたくさんいるだもの。それに、日本語の数字の数え方と中国語の数え方がほとんど違うので、本当に難しいと思う。精一杯教えて、次回まで数字の読み練習をしておいて下さいねと宿題を出した。それなのに、参加されている10名の方はすごく真剣に私の口の動きを見て真似したり、そして、私の発音を聞いて真似したりして、その一生懸命さにとても嬉しく思った。中国語講座が終わると、今度は4限の発表。今日は、ゼミの先生の最後の講義でもあり、私の在日の最後の講義、最後の発表となった。詰まった詰まった思いは一杯一杯。先生も、私も。幸い、私の発表は言い評判をいただいて、先生もすごく喜んで下さって、最後、花束を先生に贈って、みんなが先生に「お疲れ様でした!有り難うございました!」と拍手で自分の気持ちを表す時に、思わずナミダが…本当に、有り難うございました!そして、お疲れ様でした!これからも、新しい大学での新たな素敵な人生を送れますように。そして、もう一つの嬉しいことは、先生から9冊の本をいただいた。しかも私が好きな専門書ばかりで、もう口から言えないぐらい嬉しくて嬉しくて…Yeah!!!これから、大好きな「名探偵コナン」もあるし、良かった!もう嫌なことはとりあえず、忘れよう!<終>
Jan 30, 2006
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一夜を明けて、今日は旧暦のお正月の一日。昨日、3時ぐらいに寝たので、今日は11時に目覚めた。私は、学校に戻ってこなければならないので、先に起きて、家に帰った。Rainbowの家と私の家は歩く10分ぐらいの距離。昨日、帰らなかったので、洗濯物を畳んだり、支度したりしたら、時間はあっという間に過ぎた。彼女たちは、今きっと南京町で遊んでいるのだろう。私は、もう研究室に戻ってきて、明日4限の発表内容を書き直している。一緒に行きたかったけど…でも…研究室は、私一人だけ。窓の外は、もう暗くなっていた。ちょっと寂しいけど、かえって良かったのもかもしれない。そろそろ頑張ろう。ゼミの先生の最後の講義、私の最後の発表。花丸が点けられるように。<終>
Jan 29, 2006
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今日は、旧暦のお正月の大晦日。中国では、春節という。日本語学校の友達や大学の友達のほとんどは、大学を卒業してから帰国してしまい、結婚した友達以外の独身の友達は片手で数えられる。2週間前に、Rainbowに誘われて、4人で鍋パーティーをしようと。朝、洗濯中に、メールがあって、話があるから3時に家に来てと言われた。やっぱり、彼氏のことでの相談だった。4時、一緒に買い出しへ行って、帰ってきてからすぐ、Rainbowの日本人の彼氏が現れた。彼女から彼についてのことを色々聞いていたら、正直に、あまり会いたくなかった。だけど、Rainbowが彼ともう一回に付き合ってみると言った以上、私は何も言えない立場にいる。人生観、価値観、そして、性格の完全に違う2人は、これからどう付き合っていくのだろう?今日みたいに、また喧嘩したりするなら…結婚したいからと言って、自分を無理に他人に合わせてしまって、ストレスをたまってばかりで、これって、良いことなのだろうか?本当に、訳を分からなくなった。;)2人のやりとりを見るだけで、ちょっとひいていた私が、とても居づらいと感じた時に、ちょうど土曜日も出勤したRainbowの友達が来た。助かった!!!彼女とは、初対面だけど、お互いに昔からの友達のような感じだった。どっちかというと、彼女のはっきりした性格が好き。何とかして、この恋人同士を仲良くさせて、終電まで、無事にわいわいと楽しいキムチ鍋パーティーをした。とても美味しくて、お腹が一杯になった。11時頃、彼が帰ってから、残った私達女性3人は、再びRainbowの2人の彼氏との関係について、話をしていた。結局、私達2人ともRainbowの家に泊まることになった。中国の12時になって、それぞれに、中国にいる家族に新年挨拶の電話をした。やっぱり、お正月は、中国にいたい。あの春節の雰囲気を味わいたい。「来年には、一緒に過ごせるからね!4月、早く帰ってきてね!」と電話の向こうにいるお婆ちゃんが言った。親戚が、みんな私の家に集まってきていた。決して大きな家ではないが、一家団欒で、電話のこっちにいる私の心をもうそこに飛んで行っていた。あれから、再び前の話に戻って、3時過ぎに、就寝。ちょっと、大変な大晦日だったけど、楽しかった。後、もうちょっとで、上海に帰れる。今年の目標は、まず自分の夢の叶えられる職場に就いて、8年ぶりの上海生活を慣れるように。<終>
Jan 28, 2006
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昨日と今日の2日間で、どこへも行かずに、2つのレポートを完成した。フ~~~やったね!良い出来と自己満足中!パチパチパチ!休憩してから、メールボックスをチェックすると、一通のメールが入っていた。ここで出逢った会ったこともない友達のSkyさんからのメールだった。「朋友」という中国語の歌の歌詞を日本語に訳して欲しいということ。中国語の「朋友(peng you <パン ユウ>と読む)」は日本語の「友達」Skyさんも私も友達の大切さを感じているいいえ、感じると言うより、実感している友達がそばにいてくれる感謝の気持ち人は、自ら頑張らなければならない。でも...人は、一人だけでは生きられない。早速、送ってきたサビの部分の歌詞を自分の持っている限りのある日本語能力で訳してみた。本文は4行しかなかったが、日本語に訳して、詞のように訳したらこのようになった。;)この何年間、一人で風の日も、雨の日も、涙を流したこともあった 過ちを起こしたこともあっただけど、今もはっきりと堅持すべきことを覚えている。本当に愛したことがあるから、はじめて分かる寂しさを耐えることができる振り替えてみることができるいつまでも夢があるいつまでもあなたがいるこころの中に。友達とは、一生一緒に歩むことあの頃の日々は、もう戻ってはこない一つの言葉 一生の人生に一生の友情 一杯のお酒に。友達がいるから孤独にならなかった友達という一声で、あなたは分かる傷があっても痛みがあっても歩き続けなければそこに、私もいる。どうかなぁ...読んだら分かるかなぁ...*アドバイスがあれば、ぜひ教えていただきたいのです。*<終>
Jan 27, 2006
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帰国するまで、3カ月をきった。このせいか、この頃は、なかなか寝付きが悪くて、熟睡ができなくなっている。昨日も、欠伸はしていたが、寝る気はまったく出なかった。色々な事について、考えていた:2つのレポートのこと修士論文の口頭諮問のこと学校での実習のこと寮から退居する際荷物の整理、郵送することこの部屋をいつどのように片付けたら良いかのこともう既に始まった上海の就職活動と採用面接のこと自分の思い通りの職場を見つけるかのこと帰ったら、今まで慣れた一人暮らしの生活のこと自分の部屋のない小さな上海の我が家での生活のこと3人もの友達に教えられた恋愛と結婚の違いのこと賑わう春節のこと土曜日のRainbowの家での春節の大晦日ホームパーティーのこと私と会いたがっているMoeちゃんのこと...本当に、次から次へとドンドン出てきて、脳神経がピリピリしていた。幸い、頭痛は起こしていなかったので、良かった。考えてみれば、自分が色々考えすぎている。気分をリラックスするためには、あまり深く考えないように、先先と考えてしまわないようにした方が良い。だって、考えても変わらないものがあるし、変えようとしても変えられないものもあるし、未来の事についていくら不安を持っていても現時点ではどうしようもできないものがある。考えれば考えるほど、自分を困らせてばかりで、何の得もない。時間の流れに、身を任せという言葉は、それなりの意味がある。計画性があることは、良いことだが、あまりにも先先と考えてしまうと不安を及ぼすだけ。今は、ただ一番目の前に解決しなければならないことだけを考えれば良いのだ。そう!まずは、今書いているこのレポートを仕上げること。そうするんだ。一つずつクリアしていこう。こころにゆとりを持たせよう。頭で考えるのではなく、こころで自分を見つめ合おう。...<終>
Jan 26, 2006
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今日の実習は、WISC3の「下位検査の評価点分布―レベル3」についての勉強に変更した。大学では、プロフィール分析表を用いた分析方法をしか勉強しながった。去年の夏に、帰国するためにWISC3の勉強会に参加できなかったことにすごく残念に思っていた。そして、まさか先生はその勉強会の資料をファイルにして、私に下さった。本当に、とても意外で意外で、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。先生が勧めて下さった2冊のWISC3についての本を読んでいるが、「下位検査の評価点分布―レベル3」のプロフィール分析表の記入と分析方は自分で読むとなかなか難しかった。と、まさか先生は、下さったファイルを参考に、この前に実施した被検査者のプロフィールを参考に、すごく丁寧に一つ一つ教えて下さった。より一層レベルアップしたこの分析方法は、本当により良く被検査者の日常生活に近付いき、これからの手立てをもっと操作しやすくして、被検査者の個人内の良さを生かして、弱いところを補い、改善していくことができる。更に、講演者先生が「<最終仮説シート>仮説とそれを支持する証拠」を記入する前により操作しやすいように「仮説候補リスト」を下さって、記入し方を一つずつ用語の説明から教えて下さった。もう嬉しくて、天に登った気分。本当に、本当に、有難うございます!帰りに、旧暦のお正月を前に、カットへ行ってきた。この日本語学校から通っている留学生に安くしてくれる美容院は、とても馴染めのやすい所になって、店長と店の同じ年のスタッフの女の子とはとても仲良くなっている。今日も店長に、前の髪型とちょっと変わったスタイルにして、気分転換でと勧められた。仕上げてから、鏡から見る自分はちょっと可愛くなったなぁと自己満足していた。本当は、自分の口で言うのは何だけど、でも、切って良かった。今夜は久し振りに自炊した。また、一杯作ってしまった。;)今日、先生は私に「毎月2万円ぐらいの食料費って、何を食べているの?」と聞いていた。安い食材で、外食せずに自炊で節約すれば、一月は2万円ぐらいでいける。実際に、今は日本語学校の時と比べたら、贅沢になっていると言える。その時には一つの缶ジュースも買わないようにしていたが、今ではそんなにケチケチしなくても良くなってきた。大きな鍋で作った大根とスペアリブのスープは、少なくとも3日間は食べられる。そして、韮肉水餃子を60個作って、冷凍庫に入れておいた。ご飯は、炊飯器で炊いてから、ラップで一つずつ自分の食べる量で均等に分けて、冷凍庫に入れおいた。この節約方法は友達から教えてもらった。電気代も安くなるし、チンしたら出来上がった時と同じように美味しくて、そして、もう一つの利点は一々ご飯を炊かなくても、一人暮らしの人にとってはかなり楽。病気で、今日は3週間ぶりにちゃんとした晩御飯を食べられた。明日の食事は楽しみに。今日の収穫は、本当に一杯で、最高!こんな素敵な一日、やはり先生に感謝すべき。おかげで、明日も良い一日になれそう。マルちゃんに勧められ、買ってきたラベンダーの芳香剤をベッドの近くに置いた。今夜は、きっと良く寝られる。マルちゃん、有難うございます!<終>
Jan 25, 2006
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今日は、火曜日。いつもこの日には、たくさんの人が研究室に集まってくる。履修している講義の関係もあって、とにかく、研究室は賑やか。久々に、2限の講義が終わってから、いただいたおにぎりを持って、みんなと食堂へ昼ご飯を食べに行った。食堂は、月に一回行くか行かないか程度で利用している。考えてみたら、来週の月曜日(2月6日)にすべての講義が終了するので、火曜日の「心理教育アセスメント」の課題打ち合わせが終わってから、みんなと最後に食堂へ行って、それでこの大学、日本の大学の食堂での食事は最終になる。3限の講義が終わって、研究室に戻ってきたら、10人ぐらいそこにいた。それぞれ本を読んだり、文書を書いたり、パソコンを使ったり、お話をしたりしていた。最終の講義終了後、レポートがたくさん待っているので、再びみんなの顔から焦りが見えた。もちろん、私もその中の一員。今週中に、とりあえず2つのレポートを仕上げて、時間があったら、国際交流授業の資料を探して、まとめて、パワーポイントを作ろう。今週は、木曜日と金曜日の実習がなくなったので、この二日間を有効に使って、レポート作成に集中しよう。と、そこで、マルちゃんは疲れ果てた私に簡単なヨガを教えてくれて、肩をもんでくれたり、背中を叩いてくれたりしてくれた。本当に、楽になった。とにかく、軽い感じがした。さすがのマルちゃん!しばらくして、ふっと見たら、研究室には4人しか残っていなくなった。やっぱり、最近はみんな学校での用事が終わったらささと帰る。寒いからって理由もあって、早く帰りたいのだろう。私もそろそろやるべきことをやろう。やっぱり、みんなと一緒にいると、気分が良くて、 私達の研究室にいると、気持ちが安らぐ。 *** 大好き ***<終>
Jan 24, 2006
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偏頭痛は、今ひとつ治っていなくて…例会と中国語講座、そして、講義を出て、やっとゆっくりできるようになった。研究室には、4人がいる。RieとNanaは楽しくお喋りしている。一人男の子は、インターネットで探し出した因子分析の資料を読んでいる。そして、もう一人は、無口な私。もうこれ以上喋り気力がないので。;)土曜日の日記に、大切な友達からのこのような書き込みがあった:お大事になさって下さいね。「強い女であること」を期待される寂しさ、強い女でいるのが疲れても、結局一人で立ち上がるしかないという慢性的な疲れって ありませんか?頼りにしたかった人からも、結局自分が頼られてしまう。自分はそんなに「強い」んじゃないけど、相手が苦しんでいる時は、何か支えたい。好きな人だったらなおさら。でも、ますます、相手には頼られるようになり自分を必要としてくれるのは嬉しいけれど自分が相手に頼れる事はどんどんなくなってゆく。自分が辛い時、相手を頼りにしたくても相手は自分の事で精一杯。相手の助けを待っていても疲れるだけ。こうなったら結局、一人でまた頑張るしかない。そんなことが、よくあります。本当に、その通り。人間って、矛盾だらけだねぇ…環境って、こんなに人を左右できるものだねぇ…どっちかというと、私は、「あっ!この子は、守ってあげないとだめだなぁ~」っていうような人ではなく、「この子は、きっとできる」っていう印象を与えてしまう人らしい。良いか?悪いか?言えない。弱々しい女性、女らしい女性と思われないのは、ちょっと損かもしれない。だから…とりあえず、現時点では、自分で強くならないとだめ。4月に上海に帰ると、お母さんにはちょっと甘えられると思ったら、ちょっと嬉しくなる。やっぱり、いくら年をとっても、誰だって幼いところや甘えたいこころを持っている。今日も、パソコンに向かう時間が長くなるのだろう。とにかく、寮に戻って、晩ご飯を作って、薬を飲もう。先週見られなかった大好きな「名探偵コナン」は、今日こそ見よう。五月になったら、もう見られないだもの。(;_;)<終>
Jan 23, 2006
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寝ているうちに、Rainbowからの電話があった。「来週の木曜日、28日は旧暦の大晦日。一緒にご飯を食べよう!」「どっちの彼氏が来る?」「いいえ、私達二人だけ。」「えっ?!誰も来ないの?」「実は、今週中に、色々な事があってね...」「えっ?!何かあった?」「うん!二人とも別れた。」「えっ!?ニュージーランドの彼氏とすごく仲良かったじゃない?」「うん!今年のカウントダウンの時に、今年の願いを聞かれて『結婚したい』と答えたら、独身主義の彼は、この前に、私と別れを告げきた。私の願望は、彼には実現できないと分かっていて、これ以上私と付き合ったら、私は永遠に他の男性に目を向かないので、別れようと。」「そうね!やっぱり、彼は紳士だね!彼を好きになることは本当に分かる。って、日本人の彼氏は?」「この前、彼は香港へ出張に行った時に、私が使うアイシャドーを買ってくるように頼んだが、帰ってきた彼はさっそく、アイシャドーの値段を書いたメールを送ってきた。ビックリした。彼氏と思って、頼んだのに…彼氏なら、普通はそれはプレゼントとしてくれるのに…こんな彼にガッカリした。前の話はまったく聞いていないみたい。…」「上海の男性なら、そうするもんね!でも、彼は日本人だからね…」「彼は、泣いたって。もう一回チャンスが欲しいから、明日最後でも良いから、私と会って、話をしたいって。」「そうか、いよいよ最終交渉か。」「でも、私は、もう何も喋らないことに決めた。これ以上二人一緒にいても辛い思いばかりで、普通の同僚として接した方が一番良い。」「そうね!いくら結婚前提として付き合うといっても、無理に合わせたり、自分を苦しめたりしない方が良いもんね!」「やっとすべてが終わった。」「終わったから、始まりがあるね!」「うん!あなたって良いなぁ~もうすぐ上海に帰って、良い男性と出会って、家族に恵まれて…私は、日本にいると、何か日本の男性と付き合って結婚するのがすごく難しいと感じた。…私も、そろそろ上海に帰ろうかなぁ~」「あなたは、日本が好きだから、上海に帰りたくないもんね。私は、やっぱり上海に帰りたい。日本も好きだけど…」「うん!あまり帰りたくないね!」「今は、ちょうど落ち込んでいるからね。失恋の痛みが治ったら、普通の生活に戻って、もしその時に、もう家に帰ろうと思った時でも、上海に帰れる。来週の土曜日は、一緒に大晦日を過ごそう。」「ごめんね!病気しているのに、こんなに一杯喋って。来週の土曜日、私の家に泊まって、日曜日に学校に帰れば良いからね。」「うん!分かった!そうするわ!」「とにかく、明日は彼の話を聞きに行ってくる。」「うん!話だけでも聞いてあげてね。何かあったら、電話かメールをしてね!」「うん!そうする。有難う!早く休んで、気を付けてね!」と、電話が切った。42分も喋ってしまった。電話料理というより、彼女のことを心配する。ニュージーランドの彼氏との別れはきっと彼女をひどく痛みつけた。一人でこもらずに、電話して一杯喋って、それだけでも、ちょっとは痛みを減軽するのだろう。失恋から立ち直るのは、一番時間が掛かりそう。早く、Rainbowのこころに、虹が現れるように。<終>
Jan 22, 2006
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昨日、1時ぐらいにはもう寝てしまった。今朝は、気分の悪さで目覚めた。ちょっと休んだら、大丈夫だろうと思って、また布団の中に入った。が、...11時ごろに、耐えられない頭痛と吐き気で、救急で病院へ行くことに決めた。もうこれ以上、待ってられない。2週間以上も続く偏頭痛は深刻になる一方。市民病院の診察券を引き出しから出して、タクシーで病院へ。土曜日と日曜日は救急しかないが、仕方がない。若い先生から色々な質問されて、周りはざわざわしていて、頭が余計に痛く感じてしまった。周りの音に対して、通常以上のボリュームに聞こえ、イライラになって嫌になってくる。「典型的な偏頭痛ですね!」と先生に言われた。「若い頃は、ひどい人が多いけど、年をとってくると段々良くなりますよ。」という話を聞くと、まったく慰めになれず、嬉しくなかった。「家族の方が偏頭痛があると、医学的に子どもも偏頭痛になりやすいです。やはり予防した方がいいと思います。今度、外来で神経内科へ見てもらって下さいね!」と勧めて下さった。点滴を打ってもらったら早く良くなると思うが、断れて、薬をもらったら、家に戻ってきた。頭痛と吐き気の時にだけ飲む一番効くと言われた薬を飲んで、寝ていたが、しかし、今になってもまったく良い傾向がなかった。頭は朝と同じように痛くて、枕に背もたれしようと思ったら、吐き気がする。気持ちが悪い。その吐き気は。それで、気分が悪い。そんな時に、Honaからの電話が入った。ナオくんを連れて家の近所にいるって。残念ながら、今日は会えないと病気中のことを告げた。暫くして、Honaからの一通のメールが入った。「今まで、一人で頑張って来ているから、自分が強くなることが何よりも!」と書いてあった。確かに、他人に自分の弱さを見せられるようになってから、弱くなったかもしれない。寂しがり屋で、頼りたい人を以前よりも求めていて、しかし、このような人はここになくて、それでもっと寂しく感じてしまって、弱くなっているのかもしれない。どんな辛さも悲しさも自分で耐えてきたのに、今更弱くなったらどうするの?言われたとおり。もう頼れる人がいないと思ったら、自分は強くなる。矛盾なことだけど、事実でもある。「後2ヶ月、頑張ってよ!昔のあなたに戻って、強くなりなさい!」うん!そうする!自分で強くならないと。お粥を食べて、もう一錠薬を飲もう。明日は、学校に戻る。講義は休めたくない。Jacqueline、 頑張るのよ!!!<終>
Jan 21, 2006
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今週の金曜日から、午後の一時半から小学校へ実習することになった。卒業式の3月23日まで、後2ヶ月しかないけど、今まではずっと幼児部だけの指導しているが、これからは小学部の指導もできるようになった。今日は、初めての小学部の指導だった。時間通りに、職員室に入って、担当の先生から色々な話を聞いておいてから、早速教室に入った。金曜日の午後は二つのグループがあるのが、後で知った。やっぱり、小学部と幼児部は全く違う。子どもたちを見送りして、片付けて、他の先生とお茶を飲みながら、情報交換をした。着替えて、小学校に出たのは、6時だった。しかし、先生達はまだ残った仕事があって、8時ぐらいなる。さすがの日本の小学校と思った。電車に乗ったら、小学部の指導の大変さが体で感じた。朝の頭痛のせいもあって、もうクタクタになってしまった。最近は、よく偏頭痛がする。お婆ちゃんがお母さんに、お母さんは私に。仕方がないこと。自分の意志ではコントロールできないこと。でも、できるだけ気をつけよう。<終>
Jan 20, 2006
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今日は、実習が終わってからHonaの家へナオくんを会いに行った。ナオくんは、一月一日から十日までお母さんのHonaとお父さんと一緒にHonaの故郷の杭州へ行ってきた。ナオくんとは、3週間ぶりだった。嬉しいことに、私のことを覚えてくれていて、今日もいつもより良い子でいてくれた。私とナオくんを家に残して、Honaの仕事で出掛けて行った。幸い、ナオくんはとても大人しく、一回も泣かずに、私とずっと楽しく遊んでいた。「おばちゃんもうすぐ上海に帰っちゃう。ナオくん、どうしよう?」お母さんの言っている言葉は、一歳8ヶ月のナオくんにはまったく分からないと思ったが、手を左右に振って、嫌って自分の気持ちを表してくれたとHonaはそう言った。「ナオくんと会えなくなったら、おばちゃんも寂しいよ!」...5時ぐらい、ナオくんとバイバイして、バスに乗った。ナオくんは、私と一緒にバスに乗るかと勘違いして、すごく喜んでいたが、バスの窓ガラスから見るナオくんのガッカリした顔は、寂しかった。...家に着いたのは、6時ぐらい。去年の暮れに、学部の先生と今日新年会しようと約束していたが、多忙な先生は忘れたではないかと昨日から思っていた。6時半に、先生に電話を入れた。やっぱり!忘れられていた。私の名前を見て気付いて下さって、すぐ謝って下さった。でも、夜6時まで講義をして、大学院生の指導などをしたら、こんな遅くなるのが仕方がないし、むしろ先生も疲れていると思って、「先生、母のビザが下りてきました。今度、母が上海から遊びに来た時に、先生の都合の良い日に会うことにしましょうね。」と自分を責めていた先生にこう言った。「いや、いや、7時半に必ず着きますので」と先生は慌てて口調で言った。「先生、また隣に先生を待っている学生がいるのでしょう?今日はすごく寒いし、先生の家もすごく遠いから、また今度にしましょう。」ということで、今日の約束はまた今度にすることになった。それよりも、先生の体調が心配。二つの大学の講義とカウンセリングのケース、そして、色々な他の仕事、手帳には常に一杯。体調の不調を告げて下さった先生を心配。もっと余裕と休養を増やさないと。大切な体を大切にして欲しい!<終>
Jan 19, 2006
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Kenny・Gが日本でコンサートをやるという情報が入った。KENNY・G JAPAN TOUR 2006中学校頃から、すごく好きになって、もう10年以上も月日が経つ。最初、買ったテープに「ジャスミン花(Jasmine Flower)」という中国の民族曲を演奏した曲が入っていた。一番ポピュラーになった曲はもちろん好きが、この故郷の風景人物を思い出させてくれる、そして、私の名前とも関わりのある曲の方がもっと好き。音楽のない人生は考えられないとよく口にする私にとって、クラシックミュージックとは違った味の音楽として、Kenny・GはSecret Garden、Richard Claydermanと同じぐらい好き。二年前には、Richard Clarydermanが神戸でコンサートをやると聞いたら、節約して、何とかそのコンサートへ行ってきた。やっぱり、私が弾いたものとはうんと違って、あの臨場感、あの迫力は、あの素晴らしさはいまだに頭に浮かぶ。今度は、Kenny・G。やっぱり、ネットで調べてみたら、S \8,500;A \7,500...高っ!すごく!!!私にとって、三週間の食費。しかも、1月18日、今日だけ。場所は、神戸国際会館 こくさいホール。夜の7:00から。どうしよう...行きた~い!すごく!!! 悩む!どうしよう...週に三回のボランティアの交通費は結構かかるもので、今では交通費だけでも一ヶ月は2万円ぐらいかかってしまう。食費以上。あぁ~!こんなに悩まされるとは...今は、やっぱり留学生であって、コンサートはやっぱり贅沢。やっぱり、諦めるしかない。諦めたくなくても、諦めざるを得ない立場。そう!諦めるんだ!諦めることも、一種のこころの力。生きていく上で、必要となる力。ただいま。さぁ~、着替えてから履歴書を書こう。やっぱり、我が家にいると一番落ち着く。<終>
Jan 18, 2006
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体調は、大分良くなってきて、明日の実習をすごく楽しみにしていた。が...午後の5時半ぐらい、先生からのメールが入った:明日はなしで、来週の水曜日になります。えっ?!...ないの?すごく頑張って元気を取り戻して、よし、明日頑張るぞっていう時に、このようなメールが入ったら、笑った顔がすぐ泣きそうになった。「どうした?暗い顔をして?」とRieに聞かれた。よく私の表情を見破った。さすがというか、自分の感情があまりにも顔に出してしまっているからというか...「明日、実習がなくなってしまった。」「え~!なくなった?すごく楽しみにしていたもんね!」やっぱりRieは私の気持ちを良く分かってくれる。「体調をしっかり元に戻して下さいね!」と最後に先生はそう書いてあった。あぁ~明日は、やっぱり家に戻ったら大人しく休むしかないんだ。まぁ~、Linaから中国語の履歴書の書き方を教えてもらったので、明日でも自分で書いた履歴書を書き直そう。大人しくね!木曜日と金曜日の別の実習もあるし。そのためにも、体力をしっかりとつけよう。<終>
Jan 17, 2006
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今日は、やることが一杯。元気を出していかないと。履歴書を何とかまとめたが、やはり覚えていないものがあって、完成には果たせなかった。中国の友達に頼んで、調べてもらうことになった。急いで、「教授学習援助論」の講義へ。今日もいつものように、講義の内容がパワーポイントで提示されながら、講義を聞いた。普段なら、速記のようにとにかく内容と自分の理解とまとめた要点を必死にノートに書いていたが、今日は余裕があった講義だった。さっき、ノートを整理したら、A4の2枚だけだった。しかし、化学に関する子どもに教え方を考える宿題は難しいものだった。頭の中から、中学校からの化学の元素記号と化学式と化学反応式があっちこっちから出てきた。何年ぶりだろう?結構ヤバイ! ;)5:15、国際交流会館へ280人の高校一年生を対象とする授業の打ち合わせ。最初は、一クラスと思ったが、後で話を聞くと全学年。ビックリ!!!まさか280人の高校生の前でパワーポイントを使って授業をするなんて…2月22日まで、後一ヶ月。頑張ってみよう!外は、雨が降り出した。明日も雨かなぁ~もう寮に戻ろう。ゼミの先生に言われたように、完全に治させないと。やっぱり、何よりも健康は第一なんだ!!!健康でいこう~<終>
Jan 16, 2006
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今日は、日曜日。学校に戻る日。学校に戻ってきたのは午後の3時頃だった。さすがの旅疲れで、寮に着いた途端、息が急になってきた。実習先の先生がマルちゃんから貸してもらったビデオを明後日の講義に、マルちゃんに返さないといけないので、普段よりは重く感じた。先生に、マルちゃんに私が貸してあげられる韓国ドラマのビデオあるかなぁと聞かれたが、「ない」と答えてしまった。韓国ドラマの大好きなマルちゃんは、きっと先生より一杯見てるし、一杯とっておいていると思う。私は、韓国ドラマ好きのみんなと比べたらほんの何本しか見ていなかったが、強く印象に残ったのは、「秋の童話」だった。ナミダがこぼればなしだった。多分、今度見ても泣くのだろう。ナミダのすごく脆い人間だから。「あなたって、よ~泣くなぁ」って言われたことが何回もあった。本当に、感情的なもの。久し振りのシャワーは、すごく気持ち良いものだった。4日間ぶり。臭~~い! ;)恥ずかしい!まぁ、仕方がないと分かっている。シャワーを浴びて、それ以上風邪を引かないようにと暖房を点けて、布団の中に入った。もうずっ~と寝ていたので、テレビをつけて、サスペンスドラマを見て、休むことにした。そして、いつの間にか、また眠ってしまった。本当によく寝るなぁ…多分、風邪薬の睡眠効果が出たからかも。…起きたら、もう8時前になっていた。豆腐スープを作って、食べて風邪薬と頭痛薬を飲んで、就職用の履歴書を書き始めた。難しいなぁ~バイト募集用の履歴書は何回も書いたことがあったが、さすが就職用の履歴書は書いたことがなかった。すべての種類を集めるだけでも大変だった。受賞とか資格とかを思い出すのは苦労するもの。でも、書かないにはいかない。明日は、「教授学習支援論」の講義。ノートが一杯になるだろうね…<終>
Jan 15, 2006
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昨日は、何時に寝たか?今日は、何時に起きたか?まったく覚えていなかった。この三日間は、ひたすら寝て、起きて、薬を飲んで、休んで、そして、また寝て...やっと今日は、ベッドに座れるようになった。そして、頭痛はもうしなくなった。眩暈は、もうちょっと残っていて、立つとふらふらに。でも、頭痛さえしなくなったら、ベッドで仕事ができる。先生のアドバイスをいただいて、依頼人に送る検査報告書を作成した。結構時間を掛けてしまったが、今日中にできて良かった。ネットに上がったら、MSNのメッセンジャーで、実習先の先生と逢った。私の病気をとても心配していて、良くなったと聞いたら、とても喜んで下さった。後で、携帯に電源を入れたら、先生ともう一つ実習先先生からメールが入っていた。でも、こんな夜中には、もう返事できないので、明日に返信を送ろう。携帯がなくても、大丈夫だった。携帯依存症ではなくて、良かった。先生に、検査報告書を送って、依頼人に送る前に是非先生にチェックしていただきたくて、メールで送った。やっと充実感が得られた。もう薬を飲んで、寝よう。まだ完全に治っていないし、明日、学校に戻るために力をつけなければならないし。明日のために、もう休もう。<終>
Jan 14, 2006
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外は、雨だろう?周りは、とてもとても静かで、風と雨の音しか聞こえてこない。金曜日というのに...いいえ、街の中はきっと賑やかだろう?ここは、住宅ばかりだもの。のどはもう痛くない、鼻水ももう出てこない、しかし、頭痛と眩暈はまったく治っていなくて、逆に、ちょっと背もたれしたら、頭が重たくて、まるで金属が中に入っているようで、眩暈と吐き気がして、辛いしか言えない。まったく食欲がなくて、水を飲み気もしない。このまましてはいけないと分かっているが...実習先の先生からの打ち合わせのメールが来た。心配して下さっている。でも、考えることさえできなかった。落ち着いてから返信させていただくようにお願いした。今は、このどころではなかった。もうこれ以上、座っていられない。頭が爆発しそうで、気が失ってしまいそうで...<終>
Jan 13, 2006
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今日は、8時50分から実習があるため、普段よりも早めに起きた。ちゃんと化粧をして、トレーナーを入れているバックを持って、家を出た。電車の中で、本を読もうとしたが、何故か今日は読む気は出てこられなかった。手に持った本をバックの中に入れて、目を閉じて、ただ、ただ駅に着くのを待っていた。快速に1分遅れたため間に合わなくて、普通車に乗って、一駅、二駅...いつもよりも多く、長く感じていた。駅に着いて、階段を下りようとしたら、眩暈が急に襲ってきて、転んでしまうところだった。幸い、みんなの目の前に自分に恥をかけなかった。薬を飲んで、実習に取り組んだ。いつもの笑顔、いつもの元気、いつもの子どもの目の中の先生...でも、やっぱり、しんどかった。来週から、金曜日に小学部の実習もできるようになった。本当に、明日から行きたかったが、先生が私の体を心配して、「来週からお願いしますね!」と気を使って下さった。嬉しいわ!幼児部も小学部も実習のチャンスが下さるだもの。私って、本当に、幸せなもの。帰りの電車の中、すっかりくたびれた。それもそうだけど、何も食べていなかっただもの。もう喋る気力もないぐらいしんどかった。電車の席に腰を下ろして、頭の中から、実習先の先生の声が浮かんできた:「風邪?気をつけてよ!倒れたりしたら、困るからね」って、冗談と分かっていた。「もし、熱が出たりしたら、電話してね!見舞いへ行くからね!だって、私が一番近いから」って、温かい言葉でナミダが出そうだった。家に着いて、早くもシャワーを浴びて、化粧を全部落として、すっきりして、布団の中へ。頭が空っぽになって、ひどい眩暈が襲ってきた。何故だろう?熱を測ってみたら、36.6℃だった。なのに、何故こんなに辛いのだろう?分からなかった。いつの間にか、寝てしまった。寝ているのに、夢で更に頭が痛くなってしまった。吐き気で起こされた。一体どうしたのだろう?風邪で、こんな辛くなるなんて...そばには誰もいない。こんなに気分が悪くて、誰かそばにいて欲しかったのに...やっと、電話が鳴った。誰だろう?期待していたが、国際交流課の先生からの電話だった。ある高校からの依頼があって、国際交流ための授業をして欲しいと。打ち合わせの時間が決定して、電話を切った。もう誰からの電話もないのだろう?かけてきて欲しいけど、電話があっても、喋る気力が出ない。一人ぽっちと感じさせられたら、余計に辛くなるから、嫌!と、その時、水曜日の実習先の先生からのメールが入った。「体調大丈夫ですか?」短いけど、暖かかった。辛いよ!すごく!と、返信をしたかったが、電話がかけてきたら、泣いてしまいそうで...返信をやめることにした。そして、つい、上海の実家に電話した。結局、お母さんに心配をかけてしまったらどうしようと無理して笑いながら、16分も喋った。いいえ、喋ったと言うより、聞いた。あっ!明日ゴミの日。ゴミ、自分では出せない。もう来週に出すしかない。明日、良くなるように。お父さん、私のそばにいて、私を守って。<終>
Jan 12, 2006
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今日は、2006年1月11日。去年の1月11日に、このブログを始めた。まる一年となった。毎日毎日、ちょっとだけでもここに日記を書き続けてきた。面倒臭いと思ったことは一度もなかった。下手でも、エッセイを書くのが好きだから。日本にいる最後の一年間を一日一日と、日本語で一文字一行をここに残そうと、こうやって一年が経った。本当に、短かった一年間だった。が、色々あって、喜怒哀楽の満ちたイキイキトしたカラーフルな一年間だった。というのは、去年の今日から、今日まで366篇の日記が書かれている。結構大変な数となった。いつか、年をとって、自分が歩いてきた道を振り替えて、人生を整理しようと思った時には、このブログは記憶を甦らせてくれるのだろう。その時は、きっと髪の毛が真っ白になって、お婆ちゃんになっているのだろう。あぁ~素敵なお婆ちゃんになりたいなぁ~年をとったとしても、今のようにイキイキトとしていたい。こころは、年をとらないように、ずっと若々しくいて欲しい。今朝は、ひどくなった風邪と腹痛になかなか起きることができなかった。午後の2時に、実習があるので、こんな体調で、どうしようと強い焦りに襲われていた。しかし、いくら焦っても、体は言う事をきかないものだった。時間が一刻一刻近付いてきた。どうしても、行きたいんだ。先週の事例記録を書いて、是非やってみたいことがあって、もう上海に帰ったらこのような実習のチャンスはなかなか見付からないと、そう思っていたら、更に焦りが出てきた。遅刻しそう、急がないと。ちょっと駅まで走ろう。でも、力が出なくて、お腹が痛くて...やっと駅に着いたら、もう背中に汗が出た。残念なことに、地下鉄はちょうど出たところだった。もし走れたらきっと間に合ったのに...どうしよう。遅刻は絶対許されないのに...やっと地下鉄が来た。速く走ってくれないからと、心の中で叫んでいた。着いた。速く行こう。インターホンを押して、先生に名前を言おうと思ったら、声がいつものように出られず、息が切れそうになっていた。エレベータに乗って、上に上がって、何とかギリギリ間に合ったが、申し訳ない気持ちで一杯だった。幸い、大丈夫だった。部屋に上がって、鞄を肩から下ろして、床に座った途端、体の力が抜けてしまって、机に伏せてしまった。「あらら、どうしたの?珍しいね!」と先生はそう言う。確かに、あまりにもの痛さで、辛くて、しんどくて...さすが、今日は隠そうとしても隠せなかった。2時間の実習が終わって、家に戻ってきて、重たい荷物を置いて、着替えて、すぐにもベッドに。いつの間にか、寝てしまった。友達からのメールがなかったら、このままに寝ていたのだろう。何とか、起きて晩御飯を食べて、薬を飲んだ。WISC知の検査とバウム・テストの連携考察を整理して、書いていくうちに、時間が普段よりも速く経って行った...今夜はちゃんと休まないと、明日の実習は行けなくなる。何人かもの子どもを相手に、それなりのエネルギーと元気がないと。寝る前に、もう一回薬を飲もう。こうやって、今日の一日の幕が閉じた。<終>
Jan 11, 2006
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冬休みが終わって、今日から講義。寮を出て、講義棟へ行く途中には、人影が少なかった。あまりにもの静かさに、ビックリした。今朝の8時前に、ナナちゃんから、メールが入った:「今日、事情があって、学校へ行けないです。授業何かあったら、今度教えて下さい!(^_^;)」修士論文を提出してから、講義をとっていない人はもう学校に来なくても良い。その中の何人かは、何をしたら良いか分からないという。確かに、修士論文を作成する時の忙しさと比べると、2月7日の修士論文口頭諮問までのこの期間は、一番やることがなくて暇からもしれない。でも、講義をとっている私達は、早速今日の心理アセスメント2の演習が終わったら、先生から宿題をいただいた。でも、今回はとても簡単なデータの入力と集計だけだった。15分もかからずにできたが、来週と再来週の2回の演習が終わってからは、レポートを書いて提出しなければならない。レポートに関しては、全然苦痛ではない。そして、今月中に他の2つ講義のレポートを作成して、提出しなければならないので、実習とかを入れたら、私は暇にならない。お正月には、十分にこころも体も休めたので、これからの毎日もすることがあった方が良い。1月10日から2月6日までは、日本での最後の講義期間で、本当に短い期間だけど、充実した毎日を送りたい。他の良い講演会があったら、参加して勉強していきたい。毎日、そして、今の生きている自分を大事にしていきたい。講義が終わって、みんなさっさと家に帰って行った。残っているのは、私とテーブルに置いてある7種類もあるみんなが持ってきたお土産だけだった。静かな研究室。ただ、キーボードを打っている音と暖房が出している音が聞こえてくる。外は、もう暗くなってきた。今日の学校での一日は、これで終了。私もそろそろ寮に帰ろうと。<終>
Jan 10, 2006
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いよいよ明日から学校。冬休みは今日で最後となった。講義をとっていなかったら、もう学校へ行かなくても良いけど、私は後3つの講義があるので、今日中に学校に戻らなければならなかった。久し振りの学校へ旅は、思ったよりドキドキするものだった。去年とは同じ風景はずなのに、何故かあっちこっちを見ると、新鮮感が湧いて来た。やっぱり、旅は好き!やっぱり、学校は好き!やっぱり、勉強は好き!やっぱり、生きることが大好き!学校の寮に着いて、荷物を置いてからすぐLinaに電話した。「約束通りに、帰ってきたらすぐ電話したよ!」「やっと帰ってきたね!」「ごめん!」「Cocoはね、昨日、昨日私のところに遊びに来て、あなたのことをずっと聞いていた。いつになったら帰ってくるのとか、もう寮には戻ってこないのとか、一杯聞いていた。」「ごめんね!今からあなたの部屋に行くからね!」Linaは私と同じM2なので、今年3月卒業したら中国に帰って、仕事を探さなければならないので、彼女はもうこのことについて色々な悩みを持ち始めた。ずっと話を聞いていくと、やっぱり彼女の悩みは私の悩みとは似たようなところがあった。喜びと不安を、両方を持っている。この心境は、こんな私達同士しか体験できなくて、しか理解できないもの。特別の身分の私達同士しか...そして、今夜一緒にお鍋することにした。良かった。早速、買ってきた食材を持ってきて、後は時間を待つだけ。こんな一緒にお鍋をする日は、これからはきっと少ないのだろう。無いかもしれない。だけど、今日は、今は、私達はここにいる。一緒にいる。<終>
Jan 9, 2006
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WISC知能検査の報告書を完成させて、風邪にも拘らず、出かけてきた。行き先は、神戸市立博物館だった。2005年12月3日(土)~2006年3月19日(日)まで博物館は、「ナポレオンとヴェルサイユ」展が開催されている。去年の年末には、忙しくてなかなか行く機会が見付からなくて、今日は、やっと念願の「ナポレオンとヴェルサイユ」展と対面する事ができた。ナポレオン関係のコレクションでは、世界有数の規模を誇るヴェルサイユ宮殿美術館の全面的な協力によって、皇帝戴冠200年を記念する「ナポレオンとヴェルサイユ」展を開催している。フランス革命からナポレオンが皇帝として活躍し、退位を余儀なくされる歴史を縦軸にして、激動の時代に開花した新しい美のスタイルを展観している。 ヴェルサイユ宮殿美術館のコレクションを中心に絵画、彫刻をはじめナポレオンが使用した家具や工芸品、また皇妃ジョゼフィーヌやマリー=ルイーズゆかりの宝飾品、食器など多数の日本初公開作品を含む150点を展示するとともに、ナポレオンが執務し、生活した宮殿室内を内装や「だまし絵」で再現している。ヴェルサイユ宮殿美術館が、日本のために企画した展覧会である。 この展覧会内容は、ナポレオンの生涯を縦軸に11章で構成されている。革命、総裁政府と第一統領、戴冠式、戦い、家族、新しい社会、皇后マリー・ルイ-ズとの結婚、ナポレオンの最後と伝説など、テーマ別に展示し、ナポレオンとその時代を浮き彫りにしている。 ・アントワーヌ=ジャン・グロ《アルコル橋のボナパルト将軍、1796年11月17日》イタリア遠征軍の総指揮官に任命されたナポレオンを叙事詩的に描いた最初の重要な作品。戦いに参加した画家グロは、オーストリア軍に対して勝利をおさめたアルコル橋での決定的瞬間を象徴的に描き出した。兵士たちの勇気を奮いたたせるため軍旗をつかみ前進するナポレオンの姿を表現している。グロは、ナポレオンの妻であったジョゼフィーヌに頼んで実際にポーズをとらせることができた。その写生をもとに敢然と共和国のために戦う若き英雄のイメージを作り上げた。本作のための下絵がルーヴル美術館にあるが、当作品はその完成作で、グロの代表作として知られている。・フランソワ・ジェラール《戴冠式の正装の皇帝ナポレオン1世》 1805年本図は、1805年頃に制作された公式の肖像画で、皇帝の威厳を象徴している。パリのノートル・ダム大聖堂での戴冠式のために用意された正装で、これを着用するのにナポレオンは、1時間を要したといわれる。白テンの毛皮で裏をつけた緋色のビロードのマント、白のサテンでできた半長靴、アランソンのレースで作られた胸飾りなど当時のフランス服飾、工芸の粋を集めた豪華さを示している。胸には、レジオン・ドヌール勲章をつけている。・ギヨーム・ギヨン、通称ギヨン=ルチエール《正装の皇妃ジョゼフィーヌ》 1807年袖の短いドレスをまとった皇妃ジョゼフィーヌ。緋色のマントには、ナポレオンが使った意匠である蜜蜂が金糸で刺繍されている。ジョゼフィーヌは、マルティニック島の港長の娘で、パリに出てボーアルネ子爵と結婚、フランス革命で夫が処刑され、その後、社交界に出てナポレオンと結婚、彼が皇帝となると、皇妃になった。・ロベール・ルフェーヴル《皇妃マリー=ルイーズ》1814年ナポレオンが、ジョゼフィーヌと離婚して、二度目の妻としてハプスブルク家から迎えたのがマリー=ルイーズだった。彼女は、オーストリア皇帝のフランツ1世の娘で、ナポレオン2世を産む。本図は正装の肖像図。彼女は、エルバ島にナポレオンが流されるとオーストリアに帰り、その後、二度の結婚をしている。・マリー=エティエンヌ・ニト《マリー=ルイーズの宝飾品》パリ、ショーメ・コレクションダイアモンド、白サファイア、ガーネットが金、銀の素地にはめこまれた宝飾品。当作品は、1811年1月16日に皇妃マリー=ルイーズのために納められたオリジナルの宝飾品と並行し、ニトによって自社保存用に作成されたものである。そのオリジナルは、1887年にフランスからロシアに流出し、ロシア革命の際に行方不明となったため、当作品は貴重。ニトは、ショーメ社の創始者で皇妃つきの宝石細工師の称号を得た。・セーヴル製作所《皇妃マリー=ルイーズの昼食セット》1485年頃1810年6月2日にグラン・トリアノンの皇妃マリー=ルイーズの寝室に納められたセーヴルの硬質磁器のセット。もとは皿つきのカップ6点、ティーポット1点、鉢1点、ミルクポット1点、砂糖壷1点で構成されていた。これらの食器は、寝室の内装に使われていた絹織物の色と調和させるため緋色の地とし、輝く金色の唐草文様とパルメット文様が施されている。第一帝政末期の重厚な様式を示しているところが特徴。そして、ナポレオンが実際に使っていた机も、おなじみのナポレオン肖像も、同時代のセレブも、大画面の絵画で集合。その他に、グラン・トリアノン「午餐の間」と「皇妃の寝室」が再現されている。2時間半ぐらいで、今回の展示会を満喫できた。頭も胸も一杯になった。いつかできたら、ヴェルサイユ宮殿へ行って見たいなぁ~本物のヴェルサイユ宮殿を実感したいなぁ~<終>
Jan 8, 2006
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今日の午後2時に、第27回学校心理学会の研修会が開かれた。今回の講演会は、東京学芸大学の松村教授を招いて、「教師と児童・生徒の関係づくり」というテーマで行なわれた。20何年間「学級集団の理解」について研究をして来られた松村先生は、2時間という短い時間で私達80名ぐらいの参加者に紹介して下さった。特に、学級集団理解の方法について、事例を提示しながら6つの方法を紹介して下さった:(1)ソシオメトリックテスト(2)学級風土質問紙(伊藤・松井)(3)学級満足度尺度(河村)(4)教師の指導態度認知【AD尺度】(嶋野ら)(5)子どもを捉える教師の視点―教師用RCRT(近藤邦夫)(6)KJ法による指導目標・行動の検討(松村)AD尺度については、初耳だったが、他の5つは他のコースの先生の講義をとったので、既に知っていた。担任として、科目を教える事だけではなく、やはり学級作りもとても大事と思っているので、前から興味があった。やっぱり何事も好きって言う気持ちが大事。好きだから、興味があるから、好奇心があるから、自ら前へ前へと進められると思う。そして、好きだから、色々な困難を乗り越えることができて、エネルギーがどんどんと湧いてきて、更に好きになる。しかし、恥しいことに、昨日から風邪で、今朝起きたら熱が出たことに気づいて、薬を飲んでから学会に来たので、その風邪薬は眠気を誘う薬だった。ついに、5分ぐらい寝てしまった。手に持っていたプリントが落ちたお陰で目が覚まされた。恥し~い!学会が終了して、マルちゃんと一緒に椅子と机を片付けて、一緒に中華街へ行ってきた。講演会の時から、寒気がずっとしていて、申し訳なかったが、やっぱり最後までマルちゃんの伴にはなれなくて、冷凍水餃子と中華料理の食材を買って、まっすぐ家に戻った。料理を作る気はしないけど、何かを食べないと薬は飲めないので、緑豆と白くらげの中華スープデザートを作った。栄養補給のためよくお母さんに作って呑んでいたが、自分で作るのはこれで2回目だった。確かに、前も病気になった時に、自分に作って飲ませた。しかし、お鍋に一杯作ってしまって、一人ではどうやって食べ終わるのだろうということに気付いた。まぁ~、他にも色々な食材を入れているので、お粥よりは良いので、飽きたりもしない味なので、ずっと食べでも良い。病気になったからって、ずっとベッドに寝たままじゃ、反って病気が治れなくなって、こうして学会へ参加して、ちょっとした買い物して、好きな料理を作って食べた方が良い。だけど、やっぱり、病気になったら、そばに家族がいて欲しくなるなぁ~さぁ~、バウムテストの解釈をしよう。こんなに考えても仕方がないし、このままじゃ、薬によってまた眠たくなってしまって、何もできなくなる。よし!元気を出して、やろう!<終>
Jan 7, 2006
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今日の10時半からWISCを実施するために、9時半前に家を出た。検査を実施する学校までは、電車は30分ぐらいで、バスは7分ぐらい、そして、バス停に着いたら学校まで徒歩2分ぐらい掛かると地図にはそう書かれていた。しかし、地図にそう書いたとしても、一回も行ったことのないところなので、場所を探すのにきっと時間が掛かると思って、一時間前に出た。駅に着いて、やっとバス乗り場を見付けて、ちょっと安心して歩いていこうと思ったところ、一階に泊まっていたバスが急に出発出した。また2階にいた私は、どうしようもなかった。次のバスで、何とか時間通りに着いた。ホッとした。初対面の小6の女の子とは、検査をする前に、ラポールを作るため、楽しくお喋りをしていたら、お互いに気に入った。それからの2時間20分間は、一回も休憩せずに最後まで実施できた。途中で3回「ちょっと休憩しましょうか」と彼女に聞いてみたが、「いいえ、大丈夫です。面白いから」と微笑みながら断った。ここまで検査を楽しみに受けるなんて、今まで初めて見た。「私、大きくなったら養護学校の先生になりたいのです。」「えっ!すご~い!何で養護学校の先生になりたいのですか?」「小さい頃(今もまだ子どもなのに...)は、デザインナーになりたかったが、ちょっと大きくなったら、先生になりたいなぁと思って。だけど、普通学級の先生の中に、素直な先生が少ないから、養護学校の先生の方が素直で障害のある子どもたちを大事にするから、養護学校の先生になりたいと思ったのです。」その理由を聞いた私は、思わず小6の彼女に感心してしまった。また12歳なのに、ここまで大人を見て感じたり、考えたりできるなんて!ビックリされた。そして、心から嬉しくて嬉しくて...検査は、とても順調に進み、無事に終了した。良かった!検査だけではなく、この女の子との出会いで、私は感動された。検査後のちょっと遅くなった昼食は、とても楽しいものだった。彼女を紹介して下さった先生は、お弁当を私達に買って下さって、終了するまでずっと待っていて下さった。三人で、ワイワイと話をしながら、お茶を飲みながら、昼食。そして、まさか私に「あなたが生まれてきた理由」という本をプレゼントをして下さるなんて、すごく嬉しかった。その本のブックカバーにこのような言葉が書いていた。「 本にのって 夢を追って 見知らぬ世界に 旅をしています あなたに会いたい 」とても気に入った言葉だった。結局、学校を出たのは2時半ぐらいだった。まっすぐに家に帰ろうかなぁと思ったが、途中でこの勢いで長い間行っていない喫茶店へデータを計算整理しようと決めた。本当に、自分はわがままに生きているなぁと思っている。自分のフィーリングに従って...これで、良いかなぁとたまに思ったりもしている。まさか私がいつも座っている席が空いていたなんて、すごく嬉しかった。まるで、私を待っているように。こんなに人が一杯だったのに...このまま記入と計算に没頭して、ふっと気づいたらもう1時間半以上も座っていた。わぁ~「申し訳ない」と265円の一杯のカフェオレでこんな長い時間座っていて、反省していると、心の中で店に誤った。5時ぐらい店を出て、食材を買って家に帰ってきた。ちょっと休憩してから、晩御飯を作るのに、我が家の小さな厨房へ。今日は、ちょっと風邪気味で、熱々の韓国スープを作った。夕食を食べて、しばらくWISCの分析に取り組んでいたら、やはり風邪って確定した。しまった!!!熱が来なければ良いが...明日、学校心理学会があるというのに...とにかく、今日は超ハッピーな一日だった。先生の方々のお陰で、そして、あの女のこのお陰で。有難うございました!こころから。<終>
Jan 6, 2006
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何とか、自分の精神状態を乗り越えて、深夜の2時ぐらいに実習のケースレポートをまとめて、メールに添付して、先生に送った。朝、8時前に夢で、目覚めた。どんな夢を見たかは、まったく覚えていなかった。覚えていない夢は実現する夢と聞いたことがあるが、本当かどうかは分からない、目は、覚めたが、外の風は窓ガラスを強く叩く音を聞くと、起きる気がなくなってしまった。もうちょっと布団の中にいよう。もうちょっと布団の中にいよう。...その繰り返しは、何回も続いた。寝てはいないが、ただ起きたくなかった。10時になって、もしかして、「名探偵コナン」をやっているかもと期待しながら、テレビを点けた。やった!コナンだ!まさか!前編と後編が、終わったら、時刻は11時に回った。Honaに郵便局へ支払いの件が頼まれたので、行かないと、と起きたくなくても、暖かい布団の中から出なければならなかった。やっぱり、今日は昨日より3℃ぐらい寒い気がした。郵便局の帰りに、近くのスーパーへ、寄った。いくらこころが不安定の状態になってるといって、ちゃんと食べないと。さっさと料理を作って、食べてから再びベッドへ。寝るのではなく、電気代を節約するためにも、暖かい布団の中に入った方が、暖房を点けなくても済むから。明日のWISC検査に備えて、一人芝居みたいに練習していた。一回だけは足りない。二回も足りない。やっぱり、何回練習しても自分の練習不足と感じていた。検査者として、熟練しなければならない。被検査者になってくれたこどもに、感謝の気持ちを込めて、ちゃんと責任を持たないと。明日の検査は、無事にできるようにこころから祈る。<終>
Jan 5, 2006
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今日の午後1時から、実習があった。昨日から、ちょっとうつ気味の私は、普段より元気がなかった。と、その時、先生の口から「私もちょっと」と聞いた。それでも、お互いに自ら乗り越えなければならなかった。責任があるだもの。先生の紹介で、帰りに、ジュンク堂へ行ってきた。前から行きたかったが、やっぱりついつい買ってしまうと自分の癖が分かっているので、今までずっと我慢していた。でも、今日は行った。いつものように、まっすぐ三階の心理学分野の本棚へ。やっぱり、2ヶ月ぶりのジュンク堂は、またまた新しい本が置かれていた。興味のある本を一冊一冊に手にして、読んでいるうちに、大きな女性の笑い声を聞こえてきた。「サラダ...」「後何分?...」「(大きな携帯の着音)...」...うるさい!誰?何で本屋さんでこんなに大きな声を出してお喋りしているのだろう?と、声に辿って、探してみると、四人の中高年女性だった。このジュンク堂は、ここで本を求めるお客さんに、ゆっくりと自分の好きな本が探せるために、日差しの一番良い窓のところにちょっと座れるところを作ってくれた。とても有難いこと。だが、その四人の女性は、本も買わずに、その場所を喫茶店のように利用しているなんて...暖房もあって、座るところもあって、注意されないし、お茶代もいらないし、確かにメリットは一杯だった。が...と、その時、また他のところから大きな声を聞こえてきた。えっ?!また?!一人も、二人も...確かに、普段なら気にせず、ここまで腹を立てたりしないで済むのだろう。が、今日は、自分の精神状態とも関連していると思うが、それがすごく大きな迷惑と捉えてしまった。その女性たちの前へ、足を運んだが、結局、やめた。日本の本屋さんでは、こういうことは許されているかもしれないから。そして、自分の気分で人に八つ当たりしたりするのは良くないから。その女性の隣に座って、静かに本を読んでいる人々は、誰も彼女たちを阻止しようとしていないためか、彼女の声はどんどん大きくなってきた。あぁ~!うるさい!自覚がないかなぁ...私は、本屋さんと図書館とは同じようなものと思っている。つまり、静かになるべきと考えている。喋りたかったら、小さな声で話すべき。上海の本屋さんは、このようなマナーが自然とみんなに守られている。今日見た風景は、本当に、ちょっと残念だった。<終>
Jan 4, 2006
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Rainbowと久し振りに会おうと思って、電話を掛けたら、日本人の彼氏とSOGOでショッピング中だった。ということは、クリスマスの時に、この彼氏とは別れなかった。もうストレスたまってばかりで、別れようとこの日本人の彼氏に告げたが、しかし、やはり彼はRainbowに自分にもう一度チャンスを下さいと頼んだ。惚れた者は、負け。確かに、そうかも。その彼女は、こころからもう一人のニュージーランドの彼氏を愛していることも知らずに。かわいそう。すごく。ニュージーランドのその彼氏、本当に彼女の思ったように彼女のことを愛しているのだろう?もし、本当に愛するなら、彼女と一緒になりたいと思うはずなのに...私には、理解できない。何故???何故、愛していると言いながら、自分は独身主義だから結婚はできない、いつか彼女の元から離れていく何か彼女に言ったのだろう?現代の男性は、何故男性としての責任から逃れようとするのだろう? 何故自分の愛する人を守ることができないのだろう? 何故愛していると言いながら、自己中心なのだろう?笑っている彼女は、本当にこころから笑っているのだろう?愛する人と一緒にいる時に、ちょっとだけでも悲しみがこころから湧いてくるのではないか?そして、愛していない人と一緒にいる時に、ちょっとだけでも彼がかわいそうと思っているのではないか?...一体、Rainbowの恋の行方はどうなるのだろう?本当は、誰よりも愛する人に尽くし、誰よりも家庭を持ちたいのに...電話の向こうから聞こえてきたRainbowの言葉、私の質問にちょっと避けたようだった。もうこれ以上、聞かない。彼女が、私に言いたい時まで...<終>
Jan 3, 2006
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昨日は、まさか11時前に寝てしまった。今まで、12時前に寝たことがなかったのに...どうしたのだろう?あっ!もしかして、大晦日の日に、ナオくんと一緒に遊び過ぎたのかもしれなかった。やっぱり、子どもの元気さには負けるわ。友達から、どんな初夢を見たと聞かれたが、見たのは確かだが、しかし、まったく覚えていなかった。去年からは、本当によく夢を見るようになった。以前は、グッスリ眠って、例え地震が起きても起きなかったのに、何故今は...多分、あまりにも忙し過ぎて、色々な思いがあったので、そこまでグッスリ眠られなくなったのかもしれない。ちょっと、悲しいなぁ...夢を見ずに、昔みたいに寝たいなぁ...今日は、どこへも行く気がないので、このままに家にいて、ゴロゴロすることにした。一人だけでも、ご飯はちゃんと食べないと、と料理を作った。いつも中華料理をばかり作っていたが、今日は、自然の薬と言われている冬の大根を煮込んで、田舎味噌をつけながら、食べることにした。日本料理は大好きだが、自分で作るのは、やっぱり難しい。特に、和食に一番大事と言われている出汁と味付けが、私にとってとても難しいもの。日本料理を習いたいなぁと、何回も思ったことがあったが、しかし、いまだに実現されなかった。残り4ヶ月、習うことはできるのかしら?どこへも行かずに家にいることも良いこと。ゆっくりできて、本当に良かった。<終>
Jan 2, 2006
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実は、大晦日の晩に、ナオくんの家から帰ってきてから、家の近所の神社へも行ってきたが...例年の大晦日は、バイトの終わりに、休んで、深夜の12時になってから、友達とみんなで一緒に初詣をしていた。毎年、初詣の人が多くて多くて、神社に入ることも出ることも大変だった。幸い、一緒に初詣へ参る友達には、男の友達2,3人はいたので、私達女性を守ってくれる役を担当していた。今年は、あの友達たちはもういない。それなら、今から神社へ行こうと率直決めた。自分のフィーリングの従って。神社に着いたのは、夜9時だった。さすが、また早いので、人の姿は少なかった。だけど、屋台はもう既に営業していた。お腹が一杯で、美味しいと思うが、何を見ても、食べる食欲はなかった。買わないのに、屋台巡りをした。そのうちに、続々と人が入ってきた。神社に入ろうと思ったが、ドアは閉めていた。えっ?!「開いていないの?」と心の中で不思議に思った。「あの~、すみません!ここは、何時からですか?」私をお巫女さんに間違えて入れようとしてくれたガードマンが私の質問を聞いて、笑いながら「あっ!12時からです。」と答えてくれた。12時からって、初めて知った。考えてみたら、以前はずっと12時過ぎてから来たから、何時からかは思ってもみなかった。早目の初詣をしようと思ったが、こうなったら、帰るしかなかった。神社を出て、神社のすぐ斜め前にあるゲームセンターに、たくさんの若者が時間つぶしで、色々なゲームに挑戦していた。12時になるのが、まだ先というのに...街をうろうろして、家に帰った。今朝、起きたら、やっぱり、日本での最後の初詣には、行きたいので、ちょっとみんなと時間をずらしてから行こうと決めた。テレビを点けても、バラエティ番組で一杯だった。仕方がない。ネットニース情報でも見ようと、時間になるのを待っていた。午後の2時なら、もう大丈夫だろうと思って、家を出た。少ないと思ったが、神社の前には、人で一杯一杯だった。わぁ~!す~ごい人!それはちょっと...しかし、もうここに来たら、入らないにはいけない。それにしても、本当に人が多過ぎて、入るには、苦労をした。みんな真ん中へ真ん中へと行こうとしているので、行列は、礼儀正しい日本人と知られている日本人でも、こういう時には、さすが、ちょっと...でも、中国よりはスムーズに行けたことは事実だった。真ん中でも、横でも、良いのではと、私は人の少ない横へお祈りした。やっと、人の流れに、本堂から出て、今度はやっぱり、おみくじを引こうとおみくじの行列に並んだ。待つ時間15分ぐらい、やっと私の番になった。外に出た私の表情は、きっと私の前にいただいたおみくじを見る前の人々の顔の表情と同じように見えた。やっぱり、ドキドキした。そして、そのドキドキは、やがてガッカリに。ちゃんと内容を見て、おみくじを神社の木の枝に結んだ。冷静に、焦らずに、そうだね!今年は、私にとって本当に大事な大事な年である。何事も慎重に。自分は、思ったよりプラス思考で、前向きの人と実感した。あまり、くよくよしていない自分にビックリした。それもそうだけど、くよくよするよりは、いただいたアドバイスをちゃんと念頭に置いて、そして行動することは大事なのでは?良し!今年は、良い年でありますように。<終>
Jan 1, 2006
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