マックの文弊録

マックの文弊録

2009.08.04
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カテゴリ: 小言こうべえ
◇ 8月4日(火曜日) 旧六月十四日 辛巳(かのと み) 先勝: 京都北野天満宮例祭

四十数年ぶりに会った中学校時代の女の子に、「○△×さんには随分ひどい言葉で苛められました。」と云われた。
高校時代の友人が、有名国立大学の教授を辞し、小さな無名に近い田舎の私立大学に転職した。彼は、「君に高校時代こう云われた。その言葉に従ったんだよ。」と話してくれた。
後悔しようにも、また自慢しようにも、どちらも僕には全く記憶がない。
「一言百解」はとっさに自作した四文字熟語だが、言葉は受け手によって百通りもの解釈の仕方がある。僕の言葉は彼女や彼の中に、僕自身のイメージを長期間固定してしまったのだ。言葉にはそういう面がある。相手の真意を一言で測るべきではない。

麻生さんは「老人は働くしか才能がない」と云った。
マスコミも反対党も、自民党の身内までその言葉を問題にしている。しかし、前にこの稿で書いたように、僕は麻生さんが同じ講演の中で言った「だって老人が働けば税収が増えるじゃないですか」という方に彼の真意が有ると思う。これも、一言のリスクである。

政治家の発言には、一言がクローズアップされて一人歩きしてしまうというリスクが特に多い。だから老練な(ずるい)政治家になると、何も云わなくなったり、禅問答のような訳の分からない事しか云わなくなったりする。昔、言語明瞭意味不明と云われた政治家が居た。「あー」「うー」を連発した政治家もいた。今の自民党の幹事長氏などは、無表情で無機質な言葉しか吐かない。
その点麻生さんは、どんどん外にお出ましになって、方々で闊達にお話しになる。公示以後は候補者の応援演説に麻生さんが呼ばれる事はなさそうだから、それまでが勝負と、水害の被災地や新潟に出向いて活躍されているのはいじらしいほどだ。
最近は麻生さんのアドリブを封じるために、色々周りの工夫もあるようだが、それでも興が乗ってくるとポロポロ本音をおっしゃってしまう。このアドリブは貴重である。
麻生さんのことを「アホウ総理」と揶揄する人も多いけれどとんでもない!あの人は賢くはないかもしれないけれど、根っからの善人で正直者ですよ。決してアホウどころじゃありません。自民党の他の胡散臭い「実力者」などより遥かに好感が持てます。

言葉にはリスクが有るけれど、我々有権者は、政党や政治家を選ぼうとする時には、やはり言葉に頼らざるを得ない。我々と政治家の間には、対話や会話の機会は殆どないから、サシで真意を問い質す事は無理だ。それだけに我々の側では言葉に対する「感度」を上げておかなければならない。それはつまり、「一言」に囚われることなく、時間や場所を異にしての発言と繋ぎ合わせて「本音」を掴み取ろうとする事である。

暫く前からマニフェストを云々するようになった。これは、本来は「積荷目録」とか「乗客名簿」と云う意味だ。マニフェストは、つまりは言葉の羅列、リストである。今までのように云いっ放しではなく、政治家や政党の民草に対する約束を書き物として記録しておく意味はある。後になって我々の側からチェックが出来るという意味はあるが、選ぶ前には余り意味がないように思える。
だから、やはり政治家の発言に、公示後は候補者の生の発言に注意しなければならないと僕は思う。

今回の総選挙の結果、政権交代の可能性がある。
有権者としては、自民党と民主党のどちらにこれからの(最大)4年間の日本の政治をやらせるかと云う選択になる。
ところが自民党も民主党も、大目的は殆ど変わらない。
自民党は安心社会の実現をいい、民主党は友愛社会の実現をいっている。我々の側からすれば、この二つはどちらかを選ぶようなものではない。どちらも良いじゃないか。両方実現して欲しい。

現代の日本の政党や政治家は、国や国民のために良かれと政治を行おうとしている。と、まぁそう信じる事にしよう。そうでないと考える前提がなくなってしまうし、それこそ革命でも起こさないといけなくなる。これは日本人には無理だ。日本は民衆による暴力革命を経験した事はないし、争いごとを嫌うのは日本人の世界にも稀な美風であると、僕はそう思っている。

そうなるとマニフェストの目標リストを実現させる根本を問うた方が良い。つまりは政策実現の為に必要なカネと、その入手に対する作戦である。

麻生さんは、民主党の政策はバラマキ財政であり、財源の手当てがないとおっしゃる。バラマキ財政は自民党のお家芸だったのに。田中さんや竹下さんはアチラでこそばゆい思いをなさっているだろう。しかし、君子豹変はあり得ることだし、今頃になって自民党がバラマキ財政を批判するのは、まぁいい。

麻生さんは「我が党は、景気の拡大を通じて財源を求めていくのだ」とおっしゃる。僕はこの点が自民党の本質だという気がする。
景気の拡大というのは、突き詰めれば富の偏在化と同じ事だ。
世界の総資産を一定と考え、保存則という真理に則れば、わが国の景気の拡大とは「日本が儲けて何処かに損をさせる」という事だ。ミクロに見れば、日本国内で同じ。富は局所に偏在する。つまり国内的には所得格差が増大し、大企業はいよいよ大規模化し、小規模零細の企業は淘汰される。

それじゃぁ、世界の総資産を増やせば良いとなる。しかしその増加分の出所は、結局は地球である。地球と云うのは、資源と云う観点では現在は閉じた系である。つまりこの場合には、「地球に損をさせる」事になり、環境の保全とかエコロジーの考え方には相反する。
要するに経済というものは、「誰かが得をすれば、必ず誰かが損をする」という事に他ならない。
これは物理の法則から云ってもそうだ。
こういう政策を実践すればどうなるかは、アメリカではブッシュ前大統領の時代、そしてわが国でも小泉首相や竹中平蔵大臣の例を見れば明らかである。

まとめると、自民党が現在掲げる政策では、所得格差の拡大は不可避であり、本質的に反エコロジーであり、大企業主体の経済運営も必然であり、外交面では対米追従も当然の事になる。
これはアメリカになぞらえれば、共和党に近いといえる。
従って、自民党が日本のための政策として意を配り、「安心社会」の実現のために実践していくべきは、社会保障制度をどう充実させるべきかと云うことになってくる。所得格差はさておいても、生活格差をどうやって小さくしていくかが最大のチャレンジになる。この点、今後の麻生さんの「本音」発言に注目しなければならない。

一方の民主党は、「無駄遣いを無くす」ことで財源の手当てをするそうだ。民主党が経済の拡大をどの程度真剣に現実的に考えているかは、僕は寡聞にして良く知らない。しかし、積年の無駄遣いの慣習・制度とそれによる国費の浪費は、霞ヶ関を中心に相当累積しているであろうことは素人でも想像できる。だからそれは分かり易いし、すぐ出来るはずだ。是非とも断行推進して欲しい。
しかし、その他の外交面での方向付けや、そもそも日本と云う国が世界の中でどういう地位を目指していくのかに関しては、どうもはっきりしたイメージが見えない。
由紀夫さんは最近事あるごとに、「四年後に公約が実現できていなければ責任を取って辞める」とおっしゃる。これは、はっきり云って無責任だ。国レベルでの政策は四年程度では完結しない。今の政策は数年後、場合によっては十年以上後に大きなインパクトを与え得るものだ。現に今の自民党政権は、小泉さんの時代の政策の影響を受けて四苦八苦しているのだ。
政治家は、特に政権党の政治家は四年程度で辞めますなどというのは無責任だ。悪く取れば、四年間好き放題にやって、そのツケは後世に回しますよ、と放言しているようなものだ。

まとめれば、民主党は自民党政権への反対勢力としては成功しつつある。無駄遣いを無くすという、政治家としての内省を前面に出したのも好感が持てる。しかし、一方で軟弱である。国としての方向付けがはっきりしない。国民として誇りを持てる国を彼らが実現できるのか、それだけの決意と実行力があるかどうか。何となく不安である。誇りを持てない国民の中に友愛社会などは実現しないであろう。
再びアメリカになぞらえれば、我が民主党はかの国の民主党に近い。現在アメリカ議会で民主党が優勢なのは、ブッシュ前大統領に対する批判と共に、何よりもオバマさんのリーダーシップとカリスマ性によるものだろう。リベラルなチームには、その本質的な軟弱さを補う意味でも、傑出したリーダーが必要になる。
ところで我が方の由紀夫さんには、「ET由紀夫」などと揶揄される如く、目がうつろでリーダーとしての風貌に欠けるところがある。演説では「皆さぁーん、××○○しようじゃありませんかぁ」とおっしゃる。あれは断固として、「我々に××○○させてください!」とか、「我々こそは××○○を実行します!」と断言すべきところだ。
選ばれる側の人間が、ちゃっかり選ぶ側に混じって座ってしまうのはずるい。こっちは未だ仲間に入れてあげた積りもないのだ。
今後は由紀夫さんに対してはリーダーとしての資質如何に、民主党に対しては国の方向付けに対するビジョンと覚悟に注目していかなければならない。

最後に;
こうして何度かにわたってブログに書いてきて、政治家は我々が(僕の)理解していた以上に強大な権力的存在であることが分かった。今の日本の制度では、三権分立は運用上の制限であって、それぞれが対等に独立して牽制しあうものではない。現行の間接民主制、議院内閣制では、我々が選挙で選ぶのは、立法府のメンバーであることになっている。しかし、その結果間接的に行政府も選択されてしまう。行政府は立法府の解散権も持っている。更に行政府には司法府の選択権もある。
そうなると、投票に際しては余程信頼できる、高潔で実行力を持ち、国や国民の将来に確固たるビジョンと理念を持った人物や政党を選ばなければならない。そんなのは無理だ。

麻生さんは「五年や十年先の事を考えてどうなりますか!?今のことでしょう!」とおっしゃる。由紀夫さんは「四年経って公約が実現できていなければ辞める」とおっしゃる。
昔は「国家百年の計」という言葉が有って、政治家の資質としてこの点が問われ、政治家自身もそういう覚悟でいた。今は「国家数年のやりくり」でしかないらしい。
僕の知っている範囲では、戦後の政治家で良くも悪くもそういう理念、覚悟を持っていたのは吉田茂とその側近である白洲次郎だけだ。
そして今の政党には、どこであれ吉田茂も白洲次郎も、薬にしたくとも見あたらない。

そうなると自民党にも民主党にも一人勝ちさせるのは危険だ。
本来の主権者としての国民が、間接的にしろチクチクとその権利を行使できるためには、その他の野党にもここぞと云う時にはキャスティングボードを握れるほどの勢力を持たせることが重要だ。

そうなると、やっぱり【総選挙に向けて考える】(2)(7月27日)に書いたように、

其の二: 衆議院の勢力分野は、なるべくバラケているほうが良い!

となってしまう。

さて、基本的にバラけた存在でしかない我々有権者が、これを実際にどうすれば実現できるか。その方法が未だ分からない。





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最終更新日  2009.08.04 16:44:13
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