きつね婦人の徒然草
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皆様、如何御過ごしですか?神道の教え~社殿の鏡・あなたの中に神様がいるんだよ~と云う事で、本日は神社の社殿の鏡についての御話で御座います。まず軽く、わたくし自身のスペックを御紹介致しますと、父の家系が、宮大工から始まり、現在は寺院関係の商品を作成・販売しております材木屋を営んでおります。母の家系が、代々神社の宮司であり、神明社で御祀り致しますは天照大御神であります。わたくしの1つ下に妹が居るのですが、生まれた頃より身体が弱く、原因不明の病気が発生し、家族全員が仕事に励み、母は商いをしながら病弱な赤子を見る事に手一杯でしたので、わたくしは1歳の頃より、月単位で母の実家に預けられており、4歳で幼稚園に入るまでは、大半を母の実家で生活致しました。母方は神道ですが、父方は仏教徒(真言宗)です。母の実家は代々神職でありますので、わたくしは、古事記の八百万の神々の話を日常的に聞いており、それが寝かし付けの御話でもありました。幼少期は特に、神道の中に浸かり生活して参りました次第で御座いますが、これから御話いたしますは、わたくしが祖父母に教えて頂いた神社の鏡の御話で御座います。まず、神社に行きますと御神体の前に必ず鏡があります。その鏡には、何が写りますか?遠い場合や置いてある位置などで、覗き込めない場合が多いですが、鏡を覗き込めば、自分が写ります。鏡は、「あなたの中に神様がいるよ」と教えてくれています。神殿に手を合わせる時に、手を合わせている自分が写ります。それは、自分の中の神様にも手を合わせていると云う事です。悪い事をする時、「誰も見てないからいいや。」など思っても自分は見てるよと。誰にも悪事を知られていなくても、自分が知ってるのです。悪い事をすると、モヤモヤした気持ち、罪悪感が残りますよね。その罪悪感は、自分の中の神様が悲しんでいる証拠だと。だから、悪い事をしてはいけないよ。そして、自分の中に神様がいると云う事は、他人の中にも神様がいると云う事だよと。人も同じ神々がいるのだから、自分がしてもらったら嬉しい事を人にしなさい。自分がされたら嫌な事は人にしたらいけないよ。と教えて頂きました。悪い事を続けると罪悪感も薄れてきて、それは罪悪感に鈍くなり気付いていないだけですが、本当は自分では気付いているのです。悪い事を続けていると、生活が荒れてきますよね。酒に逃げたり、快楽に逃げたり、ドラッグに逃げたり、本当は罪悪感から逃げたいのです。どうぞ逃げて下さい。罪悪感の原因から。そうすれば、逃げるのも終わりますから。そして、自分を大切にしてあげて下さい。神社に鏡が置いてある理由と致しましては、まだまだ沢山の説がありますが、わたくしが教わりました一説を御紹介致しました。今こうして文章にしたためますと、自分の中の神様とは、潜在意識の事なのではないかと思いました。ちょっと、深く掘り下げて見よう。わたくしも、ずぶずぶに闇に呑まれた時期がありまして、その時期でさえも心に引っ掛かり、芥川龍之介の蜘蛛の糸の様な教えの1つでした。何かの気付きになれば幸いです。心に染みる、明治天皇御製を御紹介致します。目に見えぬ 神にむかひてはぢざるは 人の心の まことなりけり略:目に見ることのできない神様に向かい、少しも恥ずかしくない清らかな正しい心境というものは誠の心で、それは私達にとって最も貴いものです。目には見えない、神様に向かい合った時に(自分と向かい合った時に)、何の後ろめたさも無く、恥ずかしい事も無く、誠の心を持って真っ直ぐ向かい合える様、清く正しくを心掛けて日々生活致そうと、褌を締めなおす格言として御世話になっております。それでは皆様、御機嫌よう☆Twitter マダムfox(@madamefox369)さん Instagram https://www.instagram.com/madamefox369/Twitterでは同じ記事を搭載しておりInstagramでは御店の情報を発信しておりますのでどうぞ御覧あそばせ☆
2023.09.17
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