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2024.12.02
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今回もリュウちゃん盛りだくさんで素晴らしい日記です(*^-^*)

リュウちゃんいつも(人''▽`)ありがとう☆です

奈良の2大コスモスの名所、
斑鳩町と藤原宮跡のコスモス、
今年も行くことが出来た。


(斑鳩町、法起寺五重塔とコスモス)


(藤原宮跡、畝傍山とコスモス)

​11月4日、久々にリュウちゃんの住んでいる
斑鳩(いかるが)の里 のコスモス見物に
出掛けてみました。​
ブログでは、過去に何回か斑鳩の里の
コスモスのブログをアップしたことがあります。

​​​​​以前は、法隆寺の西側にある 「藤の木古墳」
の周辺や、「斑鳩三塔」の一つ、 「法輪寺」
の傍にもコスモス畑があったのですが、
数年ほど前から「藤の木古墳」や「法輪寺」
周辺のコスモス畑は、次々と稲田や宅地に
代わってしまい、現在では、 「法起寺
(ほうきじ、ほっきじ)」
周辺と、新たに
「コスモスの名所」としてオープンした
「中宮寺跡地」 の2か所のみが 「斑鳩の里の
コスモスの名所」
となってしまったのです。
​​​​​
今は亡き
「藤の木古墳」と「法輪寺」周辺の
コスモスが懐かしい!


(「藤の木古墳」とコスモス、2016年撮影)


(「法輪寺」とコスモス、2016年撮影)

​なので、今回の「斑鳩町コスモス巡り」は、
いきなり 「法起寺周辺のコスモス」 から始まります。
「法起寺」周辺のコスモスも、
以前と比べると、作付面積が1/3位
減ってしまった。













​​「法起寺周辺のコスモス」と云えば、本ブログ
冒頭の写真のように国宝の 「法起寺三重塔」
とコスモスのコラボです。毎年、斑鳩町の
「秋の観光ポスター」 には、必ずこの図柄が
使われるのです。
​​
斑鳩の里の秋のシンボル、
「法起寺三重塔」とコスモスのコラボ、
久々に撮ることが出来た。











​「藤の木古墳」、「法輪寺周辺」に代わって、
斑鳩の里の新しいコスモスの名所に躍り出たのが
「中宮寺跡地」のコスモス」 です。
「中宮寺跡地」は、「法起寺」から県道を
500m程、南に行った所にあります。





「中宮寺跡地」???
「中宮寺」は法隆寺夢殿の裏手に在る!
「跡地」って、何なのだろう???

​<「中宮寺跡地」について>


(中宮寺弥勒菩薩)

​​​​本尊の 「木造菩薩半跏像(弥勒菩薩)」
(国宝)で知られる「中宮寺」は、現在は
法隆寺東院の「夢殿」の裏手にありますが、
江戸時代以前 は、現在の場所から500m離れた
「跡地」 にあったのだそうです。
「跡地」の発掘調査は昭和30年代から始められ、
2018年(平成30年)、 「中宮寺跡史跡公園」
として整備されました。
​​​​
発掘調査の結果、以前の「中宮寺」
には、
「三重塔」が存在していた
ことが判った。
現在は、「斑鳩三塔」だが、
江戸時代以前は「斑鳩四塔」
だったのだ!


整備された「中宮寺跡史跡公園」の周辺には、
コスモスが植えられ「法起寺三重塔」と並ぶ
「斑鳩町のコスモス名所」となったのです。

本日のコスモス、
やや盛りを過ぎて、
しかも11月2日の強風で、
かなり倒れていたが、
天候に恵まれて、
まずまずの写真が撮れた。
























​<藤原宮跡のコスモス>
​​
​11月8日、今回もリュウちゃん一人で、
「藤原宮跡」 のコスモスを観に行ってきました。
​​午前9時過ぎ、家を出発、電車を乗り継いで
近鉄 「畝傍御陵前駅」 に着いたのだ午前11時
ジャスト、当初の予定通り、駅前の
「餃子の王将」 に入り、早い昼食、
​​
プファ~、ビールが旨い!
定番の「餃子」、「エビチリ」、
少量だけど、ビールのツマミには
これで充分なのだ。



駅前から「藤原宮跡」までは徒歩15分位です。

​「餃子の王将」から徒歩5分の所に、
「本薬師寺跡地」 があります。
この辺りから、この地特有の
古代のアトムモフィア(雰囲気)が
濃厚になってくる。



「藤原宮跡」が見えてきました。

​​ まだコスモスは咲き残っているかな?



コスモスが見えてきました。

良かった!
まだコスモスは咲き残っていた!





​<「藤原宮跡」について>
​​
​「藤原宮跡」は、持統天皇8年(694年)に
造営された 「藤原京」 の跡地です。​
​「藤原京」は、古代中国の「唐」の都を参考
にして作られた日本初の本格的な 「都」 です。
​​和銅3年(710年)に 「平城京」 に遷都
されるまで、16年間に渡り 「日本の首都」
だった場所なのです。​​
​「畝傍山」、「耳成(みみなし)山」、
「(天の)香久山」の、所謂 「大和三山」
トライアングルの中心部に宮殿が築かれ、
その壮麗さは、後の「平城京」「平安京」
を上回ったと推定されています。


(「藤原京」復元図)

コスモス畑に入ります。

例に拠りまして、背景の「大和三山」と
コスモスというコンセプトで写真を撮り
ましたので、本ブログも、そのコンセプト
に従って写真をアップします。

​<畝傍山とコスモス>
​​
大和三山の中では、「藤原宮跡」から一番
遠くにある山です。
​​​「畝傍山の背後に霞んでいる山並みは、
右から、 「二上山(にじょうざん)」
「葛城山」 「金剛山」 です。














​<耳成山とコスモス>
​​
​「耳成山」は、「藤原京」の宮殿の背後に
ある山です。
持統天皇が宮殿の玉座に座った場合、
完全に 「背後の山」 となり、玉座から見る
ことは出来なかった筈の山ですね。​
​「耳成山」の遥か背後に、710年に造営
された 「平城京」 があるのです。













​<天の香久山とコスモス>
​​​「天の香久山」は、百人一首の持統天皇の
和歌で有名になった山です。
この山の右側の道は 「明日香村」 に続いて
います。
背後の山は、「大化の改新」で中大兄皇子
(後の天智天皇)と中臣鎌足が談じ合った
「談山神社」 のある 「多武峰(とうのみね)」
なのです。













​​本来だったら、「藤原宮跡」から3キロ東に
ある 「安倍文珠院」 まで歩いて 「コスモス迷路」
を観に行くのですが、足の調子が悪いので、
今回は諦めました。
​​
足の具合が悪いため、
行動半径が狭くなってしまったが、
今年も奈良のコスモスの2大名所を
歩くことが出来た。
少々満足。

​​ <藤原宮跡、世界遺産に登録か?>
​​
​​10月15日に更新した 「明日香路の彼岸花
2024(2)」
のラストに、 <明日香村と
隣接する藤原宮跡、世界遺産に登録申請>
というトピックスを書きました。
​​
順調に行けば、今回、コスモス見物に訪れた
「藤原宮跡」も、2年後に世界遺産に登録
される筈です。

そうなると観光客が激増して、
「藤原宮跡」独特の
「古代のアトモスフィア」が
失われてしまう恐れがある。
痛し痒しなのだ!







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Last updated  2024.12.02 06:00:00
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