全54件 (54件中 1-50件目)
第237突撃砲大隊第二中隊所属のIII号突撃砲G型、指揮官ボド・シュプランツ大尉(中隊長)Hauptmann Bodo Spranz と乗員たち。1943年9月17日時点で戦車76輌を撃破したとされる突撃砲のエース。一回の戦闘で戦車15輌を撃破してアドルフ・ヒトラーより柏葉付騎士鉄十字章を授与される。ボド・シュプランツ大尉の右袖に戦車撃破章が四つ見え、車外での戦闘でも擲弾など携行火器で戦車4輌を撃破している。この写真(1~2枚目)の撮影時点(1943年夏頃スモレンスク近郊と思われる)での砲身の白いキルマークは34本見える。終戦時はヴァルター・ヴェンクの第12軍に所属しベルリン救出作戦に参加、その後エルベ河を渡り1945年5月にアメリカ軍の捕虜となり、兵士としての任務を終了した。戦後はハンブルク大学で民俗学を学びその研究で著名となり、1962年6月フライブルク・イム・ブライスガウ Freiburg im Breisgau の民俗学博物館(自然と人間の博物館)の館長に就任し、1984年に引退。2007年9月1日にブレーメンで87歳で亡くなる。タミヤ TAMIYA 1/48 ドイツIII号突撃砲G型 (初期型) 32540ボド・シュプランツ大尉 と乗員たちキルマークが34本見えるボド・シュプランツ大尉 Hauptmann Bodo Spranzアドルフ・ヒトラーより柏葉付騎士鉄十字章を授与されるボド・シュプランツ大尉※テクノロジー犯罪被害は現在も受け続けています。■テクノロジー犯罪被害の記録4(2024.5.23~)へ
2023年12月28日
コメント(2)
ギリシャ・アテネのアクロポリスにあるエレクテイオン神殿の前で記念撮影するドイツ第12軍の兵士。ギリシャ進攻に手間取っていたイタリア軍支援のため、ヒトラーはバルカン半島攻略のため機甲師団4個を含む15個師団からなる第12軍をバルカン半島方面に投入した。強力なドイツ軍の前にギリシャ軍は撃退され、ギリシャはドイツ、イタリア、ブルガリアの占領下におかれた。しかしこの戦いで間近に迫っていた、ヒトラーのソ連進攻(バルバロッサ作戦)の開始が数週間遅れ、この遅れが冬将軍早期の到来により、モスクワ攻略作戦失敗の原因の一つとなってしまう。ナチスドイツの占領下におかれたギリシャでは、考古学的価値をもつ多くの品々や美術品が持ち去られた。ドラゴンモデル 【再生産】1/35 WW.II ドイツ軍 山岳戦闘工兵 ギリシャ...
2023年01月01日
コメント(3)
1943年12月初頭のウクライナ西部・ジトミール付近で撮影された第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」所属のティーガーⅠ、S33号車。車上に降下猟兵を乗せている。S33号車は車体に「福」の漢字を上下逆さまにして描いたマーキングが有名で、ティーガーⅠの模型では、よく逆「福」のデカールが付属している。この時期、第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」は師団名(Panzer-Division "Das Reich")ではなく、戦闘団「ダス・ライヒ」(Kampfgruppe"Das Reich")と呼ばれていた。プラッツ ガールズ&パンツァー 最終章 1/56 おてごろ模型戦車道 テ...
2022年01月01日
コメント(2)
グロースドイッチュラント師団のSd.Kfz.250車内の兵士と猫。東部戦線1942年7月16日、ヴォロネジ市における撮影とされる。MG34の取り付け基部や潜望鏡型の射撃用照準器の様子がよく分かる。右側に無線機が見えているのでSd.Kfz.250/3と思われる。タミヤ 1/35 動物セット【35128】 プラモデル
2021年01月02日
コメント(2)
Randschaufei Panzer ランシャルフ パンツァー。Ⅳ号突撃砲の車体にドーザーブレートを取り付けた装甲工兵車。戦闘中に敵の塹壕を埋めたり、障害物を除去して突撃路を確保することや、雪の除雪などを任務とする戦闘工兵車両。この手の車両は地味だが、戦場では有益な活躍をすることが多かった。☆スクラッチビルド参考HPタミヤ【プラモデル】1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ No.87 ドイツ ...
2020年01月03日
コメント(2)
ツィタデレ作戦(クルスクの戦い)で弾薬の補給を受ける第503重戦車大隊のティーガーⅠ。第503重戦車大隊は1943年2月の第三次ハリコフ戦参加後、5月のツィタデレ作戦に参加したが45両のティーガーⅠを保有し、そのうち42両が稼動状態にあった。ツィタデレ作戦中の損失はわずかに3両だったという。この時期の第503重戦車大隊のティーガーはゲペックカステン(雑具箱)にⅢ号戦車用のものを装備している。【2023年6月】 プラッツ|PLATZ TANKS OF THE WORLD ...
2018年12月29日
コメント(2)
ドイッチャーフォルクスシュトーム Deutscher Volkssturm ドイツ国民突撃隊 ドイツで1944年9月に国家総動員法が制定され、すべての国民を戦争へと駆り出した。当初は18歳から50歳までが徴兵対象とされたが、16歳から60歳まで軍事能力ありと判断される男子すべてを徴兵対象として拡大し国民突撃隊が組織された。訓練もままならず装備も微弱、軍服さえない。銃が極端に不足し弾薬もない、武器の大半はパンツァーファーストぐらい。これで少年と初老の男に迫りくるソ連軍に立ち向かえという。用兵も最悪で指揮は軍人ではなくナチ党の地域指導者が指揮し、名前ばかりの国民突撃隊を激烈な戦区に送り込んだ。犠牲ばかりで効果はない。最悪とはこういうことだ。スターリングラード 1/35 第二次世界大戦 ドイツ 国民突撃隊の死闘 1945 息絶えた戦友と救えない重傷者(2体セット) レジンキット ST3213★youtube 1945: Das letzte Aufgebot: Der "Volkssturm"
2017年12月31日
コメント(0)
撃破したT34脇の壕のドイツ兵。スターリングラードでの撮影。 1941年6月のバルバロッサ作戦開始時期には、多くのドイツ兵にM40ヘルメットが支給されていたがこの兵士はM35を被っている。M35ヘルメットとM40ヘルメットの違いは材質がモリブデン鋼からマンガン・シリコン鋼に変わったことだが、外見上はヘルメット側面の通気孔が別部品からプレスの一体成形に変わっただけで殆ど見分けがつかない。M40は通気孔がM35より僅かに大きい。ドイツ軍のヘルメットの特徴は独特な外見もあるが、内側の革張りがしっかりしており、頭に密着しずれないようにできていた。視界を確保しつつ頭部を広く防護できるデザインは現代の軍隊でも広く採用されているデザインで当時のドイツの先進性を感じさせる。私の友人でかつてファッションデザイナーをしていた人から、ドイツ軍のヘルメットは日本の力士の髪形が強そうにみえるので、力士の髪形からヒントを得て当時デザインされたものだという話を聞いたことがある。彼は多くの海外デザイナーと接点があった。力士の髪形がヒントになった・・・本当かどうか分からないが。★タミヤ 1/35 ドイツ歩兵 迫撃砲チームセット★
2016年12月31日
コメント(4)
グロースドイッチュラント師団のMG42とそのクルー。1942年7月東部戦線ヴォロネジ市での撮影とされる。兵士たちの真剣な表情から戦闘の緊迫感が伝わってくる。武装親衛隊は腕賞を左袖に着用していたが、グロースドイッチュラント師団では陸軍の部隊であることを示すため右袖に腕賞を着用していた。ドラゴン 1/6 WW.II ドイツ MG42機関銃 w/専用三脚?(ラフェッテ) DR75017★タミヤ 1/35 ドイツ歩兵 機関銃チームセット★
2015年12月31日
コメント(2)
軽駆逐戦車ヘッツァー Jagdpanzer 38(t)写真はヘッツァーの上面装甲を外した状態。狭い車内である。ここに4名が乗車したのだから乗員には不評だったというのも無理はない。小林源文さんの黒騎士物語にも黒騎士中隊の隊員がヘッツァーに乗車して最初のセリフが「なんて狭いんだ最低だぜ!」と。乗員配置は主砲の7.5cm Pak 39 (L/48)の左側に前方から操縦手、砲手、装填手。主砲の後ろに車長という配置だった。砲手の後ろに乗車した装填手って砲弾を装填するときどんな姿勢で装填したのだろう。右手伸ばして押し込むように装填したのだろうか。右側の死角は本車の最大の欠点とされる。視界の悪さと機動力の低さが突撃砲との違いである。ただ本車は価格が4号戦車の半額という低コストに加えて量産性に優れていたため大戦末期の最優先生産車両に指定された。38(t)という名称がついているが車体はneuer Art 軽偵察戦車を流用しておりシャーシサイズや転輪、誘導輪のサイズも大型化され、サスペンションも改良されており38(t)とは全くの別ものである。今年ももうまもなく終わります。早い、時間の流れが年々早くなっていく。1/35 38式軽駆逐戦車 ヘッツァー前期型w/フルインテリア プラモデル[TA...
2014年12月29日
コメント(0)
機甲部隊は戦車、歩兵、砲兵、航空機を組み合わせた総合的な戦力によって始めてその力を発揮する。装甲擲弾兵は戦車に随伴し機動攻撃力あるいは防御の中核としてなくてはならない存在だ。一兵種のみでの攻撃、防御は、その弱点を突かれ敗退する。総合力こそ戦いの定石だ。戦闘教義としての電撃戦の代表的な実践者と研究者にはフリードリヒ2世、ナポレオン・ボナパルト、ヘルムート・フォン・モルトケ、アルフレート・フォン・シュリーフェン、ハンス・フォン・ゼークト、ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー、リデル・ハートなどがいるが、近代兵器を使った機甲部隊と電撃戦の教義はハインツ・グデーリアンによって確立される。今年は私的には様々なことがありました。来年は何があるのだろう。Panzergrenadier 装甲擲弾兵のように粘り強く戦い生き抜きたい。☆装甲擲弾兵の歌 Lied der Panzergrenadiereタミヤ【プラモデル】1/35 No.195 ドイツ ハノマーク装甲兵員輸送車 D...
2012年12月31日
コメント(0)
ティーガーの箱型の車体に転輪の取り付け作業を行っているところ。複合転輪は作業工程が多くなり、取り付け作業も手間がかかる。効果は労力の割りには、あまりなかったようだが。ティーガーの転輪は、3枚一組みとなった転輪なので一番内側の転輪を交換する場合、9枚の転輪を外す必要があった。前線でメンテナンスにあたる整備兵や戦車兵は大変だっただろう。戦闘用キャタピラと鉄道用のキャタピラを交換する作業もめんどくさそう。列車に乗せるには外側の8個の転輪を外して、キャタピラを交換して、目的地に到着したらその逆の作業を行って・・・ドイツ人ってまじめで努力家だな~と思う。ティーガーは重装甲と強火力で戦闘能力は高かったが、金と資材と手間がかかる戦車であった。でもよく生産を続け運用したと思う。困難な状況でがんぱった人々に敬礼!楽天ルシファーさん励ましのお言葉ありがとうございます。MatoToys Tiger1用メタルホイールセット(1/16 German T...
2009年03月29日
コメント(2)
You Tubeでドイツ軍のカラー映像を見つけた。自分のサイトに掲載していた記録写真がフィルムの一部だったことも分かった。白黒は記憶としてのイメージが強いが、カラーはリアリティーを持って伝わってくる。当時と現代が繋がる思いがした。☆German army color video☆World War II German Tanks in Actionカラーではないけれど珍しいので、E-100試作重戦車☆Lost to the Scrapyard, the E-100 | Cursed by Design掲載中の写真です。☆ドイツ軍カラー写真1へ【中古】カラーで記録した第2次世界大戦 アメリカ編 第1回 広がる戦火 1919...写真:東部戦線のドイツ軍
2008年09月16日
コメント(2)
ドイツ、イギリス、フランスの博物館や展示施設に可動状態で保存されているキングタイガーが数両ある。60年以上前の伝説の車両が生き残っている映像をYou Tubeで見た。マニアックで恐縮だが、かなり感動した。あなたも見てみては・・・☆Kingtiger☆Kingtiger☆Kingtiger☆tiger1☆tiger1☆You Tubuドイツ軍の映像へ★タミヤ 1/35 ドイツ重戦車 キングタイガー(ヘンシェル砲塔)★写真はプロパガンダ映像の撮影の為、集結した501重戦車大隊のティーガーの群れ
2008年07月17日
コメント(4)
髪の毛を刈られるフランス人女性。ドイツ軍撤退後、ドイツ兵と親密な交際をしていた女性はレジスタンスによって報復の対象となり、丸狩りにされ晒し者にされた。またナチ協力者はドイツ軍撤退後、殺害されたり報復の対象として過酷な状況に置かれた。占領下に置かれた人々は占領軍が去った後、今度は自国民同士で憎しみ合うようになる。戦争は何も生まない、怒りと憎しみを増幅させ人を狂気にさせる。戦闘終了後も悲劇は延々と続く。
2008年06月07日
コメント(2)
左翼を損傷し、片翼で飛んでいる。パイロットの腕前も良いのだろうが、頑丈に作られた機体にも驚かされる。日本の艦上攻撃機なら火災を起こして墜落だろう。TBF/TBMアヴェンジャー雷撃機は、ミッドウェー海戦を初陣に大平洋戦線に投入されたが、大西洋で対Uボート作戦にも投入された。雷撃機は海面近くを低空飛行して敵艦に魚雷を放つため、直掩戦闘機や対空砲火の餌食になりやすいが、アヴェンジャー雷撃機はグラマン社伝統の頑丈な機体や、基本性能の良さに支えられ多くの枢軸国艦船を撃沈した。童友社 1/72 アメリカ海軍 雷撃攻撃機 TBF-1 アヴェンジャー プラモデル
2008年05月06日
コメント(3)
米軍の捕虜になったドイツ兵。この兵士どう見てもアジア系に見えるのだが。写真のキャプションには『japanese_dday』とだけあった。日本人?まさか。ノルマンディー上陸作戦のときの撮影と思われるが、詳しいことは一切分からない。★ドイツ軍戦車の模型★【中古】ラドミニチュア 1/35 第二次世界大戦 ロシア/ソ連 ドイツ軍陣地からドイツ戦車兵を連行するロシア赤軍偵察兵 1944-45 (3体セット) レジンキット
2008年04月28日
コメント(9)
連合軍の爆撃を受けるドイツ海軍潜水艦U-848、1943年11月5日の撮影とされる。下写真・前の一弾は着弾し、水柱を上げている。命中はしていないが、水中爆発の圧力により船体は被害を受けていると思われる。艦船にとって至近弾による水中爆発は魚雷と似たような被害を与えるという。Uボートの外殻の鉄板の厚さは20ミリしかない。もう一発が水面に着弾しようとしている。Uボートは面舵をとり回避運動中だが、的確な爆撃に殆ど効果がないようだ。U-848はこの後沈没した。
2008年04月04日
コメント(2)
ソビエト軍の女性兵士、かわいいので掲載してしまいました。仲間由紀恵に似てない!?☆仲間由紀恵グーグルイメージ検索★ソビエト軍 女性フィギュア★【Facepoolfigure】FP005B Discover History ...
2008年03月27日
コメント(2)
戦艦ティルピッツの艦上でティルピッツの模型を製作する乗組員。よく出来ている、田宮の1/350ティルピッツと同じくらいのスケールだろうか。☆ドイツ軍戦場カラー写真(海軍)タミヤ 1/350 ドイツ 戦艦 テルピッツ【78015】 プラモデル
2008年02月26日
コメント(0)
第三帝国の崩壊とともにヒトラーの側近の多くが手のひらを返したように裏切っていった。狂気に賛同し、その政策を実行した多くの者が最後は自己保身に走っていった。絶大な権力を行使した者の多くが単なる小市民だったのだ。権力に頼る者はいずれ腐る。
2008年02月24日
コメント(0)
列車砲ドーラ Dora 口径80センチの巨大列車砲、ドイツ陸軍最大の大砲である。重量1.350トン、全長42.9メートル、全高11.6メートル、砲身重量だけで400トン、とにかくでかい。最大射程距離は47キロ、戦艦大和の46センチ砲より5キロ長い。砲弾重量は榴弾4.8トン、徹甲弾7.1トン。砲の操作、整備、警備には砲兵少将指揮の基5.000人以上が必要というから、これも戦艦大和の乗員数3.000名よりはるかに多い。実戦参加は数回程度、特にセバストポリ要塞攻略戦が有名。このときの砲撃で地下30メートルにあった要塞弾薬庫を1発で爆砕したという。(砲のスペックはウィキペディアによる)☆ドーラ写真☆列車砲写真☆参考HP☆YouTube ドーラ映像【中古】ホビーボス 1/72 ファイティングヴィークルシリーズ ドイツ列車砲 80cmK E ドーラ プラモデル 82911写真:中央はヒトラー、右はシュペーア軍需相
2007年12月25日
コメント(2)
パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス Paul Joseph Goebbelsヒトラー政権の宣伝啓蒙大臣、ナチス幹部には珍しくハイデルベルグ大学で文学博士号を取得した高学歴のインテリ。総力戦演説、1943年2月18日、ベルリンスポーツ宮殿でゲッベルスが行った総力戦を訴える演説。ゲッベルスの演説の中で最も有名な演説です。ドイツ週間ニュースでこの映像を見てみた。演説に引き込まれ、素直に見入ってしまった。間合いの取り方、声のトーン、クライマックスに向かって昇りつめていく演出、オペラの興奮にも似ている。この演説でスターリングラードでの大敗北を率直に国民に伝え、国民は真実を伝えるヒトラー率いる政府を再び信じ始めたのである。この演説にはヒトラーも感銘を受けたという。ゲッペルスではなくゲッベルスが正しい発音(Goebbels)。ゲッベルスとナチ宣伝戦 一般市民を扇動する恐るべき野望 新装版/広田厚司【3000円以上送料無料】☆YouTubu Goebbels ☆YouTube 笑えるゲッベルスベルリン・スポーツ宮殿 総力戦演説ベルリン・スポーツ宮殿 総力戦演説
2007年12月18日
コメント(4)
ゲルマニア計画 de Welthauptstadt Germania、ヒトラーが世界の首都として夢想した幻のベルリン大改造計画。かつて芸術家志望だったヒトラーはこの計画に強い思い入れがあり、ソビエト軍の迫るベルリンで最期まで気にかけていたという。映画『ヒトラー最期の12日間』でも、ヒトラーが破滅を目の前にしてゲルマニアの模型を見つめ、シュペーアに語りかけているシーンがあったが、多くの犠牲者が出ている中、夢想の中に逃避する姿は、建築に求める人間本来の胎内回帰のような心理状態を感じた。芸術的欲求はあくまで芸術の中で完結するものであり、壮大な夢想が政治の世界に向かい、絶大な権力と結びついたとき恐ろしい状況が生まれた。ゲルマニアというヒトラーの夢想は、廃虚の中のベルリンで彼の死とともに消滅したのである。☆ヒトラーの芸術☆世界首都ゲルマニア Wikipediaヒトラー戦跡紀行 いまこそ訪ねよう第三帝国の戦争遺跡[本/雑誌] (単行本・ムッ...写真:ゲルマニア計画の国会議事堂
2007年12月15日
コメント(4)
Otto Skorzeny オットー・スコルツェニー、オーストリア出身の武装親衛隊士官。顔に学生時代の決闘で受けた大きな傷跡がある。アイヒ作戦(ムッソリーニ救出作戦)でのムッソリーニ保護の指揮を執り一躍有名となる。急襲部隊の指揮は降下猟兵(パラシュート部隊)のハラルト=オットー・モルス少佐が指揮していた。「ヨーロッパで最も危険な男」として呼ばれたのはグライフ作戦の時、ドイツ軍偽装部隊の目的は、「アイゼンハワーの暗殺」とデマを流したことにより、連合軍から最も危険な人物と恐れられたため。戦後、捕虜となり戦争犯罪裁判で無罪判決を受けるが脱走してスペインに渡り、エンジニアとなる。さらにSS同志会を運営しセメント業で成功するなど異才ぶりは戦後も続いたようだ。功名心も人一倍強かったようで、アイヒ作戦時、ムッソリーニと一緒にシュトルヒで脱出したが、ヒトラーに真っ先に報告する功名が目的だったともいわれる。☆ムッソリーニ救出作戦写真ドラゴンモデル 1/16 WW.II ドイツ武装親衛隊 オットー・スコルツェニー...
2007年12月05日
コメント(4)
ナチス政権時のヒトラーのポスター。絵画のように見えるが、写真を修整し彩色したもののようにも見える。どちらだろうか。Ein Volk ein Reich ein Fuhrerは 『一つの民族、一つの帝国、一人の総統』という意味。ナチスが最も好んで使ったスローガンの一つ。他に有名なスローガンとして。Deutschland erwache!ドイツよ目覚めよ!Es lebe Deutschland!ドイツ万歳!Fuhrer befiehl, wir folgen!総統よ命令を、我らは従う!Hitler aber ist Deutschland wie Deutschland Hitler ist!ヒトラーはドイツであり、ドイツはヒトラーである!Meine Ehre Heibt Treueわが栄誉は忠誠なりNun, Volk, steh auf und Sturm brich los!今こそ民族よ立ち上がれ、そして嵐を巻き起こせ!Sieg Heil!ジーク・ハイル!「万歳」「栄光あれ」Der Sieg wird unser sein!勝利は我らにあり!Wir werden kampfen bis zum letzten mann!我らは最後の一人まで戦う!☆ナチスポスター1ヒトラー ポスター【TX-1807 】
2007年11月30日
コメント(3)
ドイツ軍東部戦線の4号F2型。車体側面の師団マークから第14機甲師団の所属車両。☆Panzerlied☆ドイツ軍戦場写真【中古】(未使用・未開封品) プラッツ ガールズ&パンツァーシリーズ I...
2007年11月29日
コメント(0)
撃破されたDAKの4号戦車F2型ないしG型。側面に徹甲弾が貫通したのか装甲がもげたような穴が見える。砲塔側面のハッチが開いているが、乗員が脱出して開けたのか爆発によるものかは分からない。ドライバー用のハッチが開いていない、ドライバーは戦死だろうか・・・塗装がアフリカ戦線向けのダークイエローではなくダークグレーのままのように見える。☆4号戦車の写真35378 1/35MM ドイツIV号戦車G型 初期生産車
2007年11月26日
コメント(0)
88ミリ砲の高射砲弾。砲弾部分が黄色は榴弾をあらわしている、先端部は時限信管。担いでいる兵士は空軍の高射砲兵。【中古】タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ No.189 ドイツ陸軍 タイガーI型 88mm砲弾セット プラモデル用パーツ 35189
2007年11月24日
コメント(0)
レマゲン鉄橋、正式名称はルーデンドルフ橋。(Ludendorff Brücke)トンネル側から見た鉄橋は、有名な戦争映画のワンシーンを思い出しますね。米軍占領後の撮影。☆参考HP☆映画レマゲン鉄橋DVDレマゲン鉄橋 ロバートボーン 映画 写真 輸入品 8x10インチサイズ 約20....
2007年04月16日
コメント(2)
夕日の中を航行するUボートVIIC型。戦争であることを忘れさせるような一枚である。このような美しい光景の中で地獄の潜水艦戦が行われていた。対空、対水上警戒はしっかり行われるが乗組員もしばし夕日に心和む一時だろうか。VIIC型データ* 排水量:769t* 水中排水量:871t* 全長:67.13m* 全幅:6.17m* 全高:9.6 m* 最高速度:17.7kt * 水中:7.6kt* 主機:ディーゼル機関2機(出力3200hp)、電動機1機(出力750hp) 2軸推進* 航続距離:10ktで15740海理 * 水中:4ktで80海理/2ktで240海理* 燃料搭載量:重油114t* 安全深度:100m * 最高潜行深度:220m* 兵装:533mm発射管5門(艦首4・艦尾1)魚雷14本又は機雷26個搭載 * 備砲:88mm単装砲1、37mm機関砲1、20mm連装機関砲1* 建造数:628隻* 乗組員数:44人★【灰色】 タルガ 1/144 鋼密度模型 U-BOOT/Uボート VII C型 灰色塗装 全8部位セット 通常版 潜水艦 ミニチュア ドイツ海軍 軍艦 半完成品★
2007年03月26日
コメント(2)
Fritz X(Ruhrstahl/Kramer X-1)ドイツは第二次世界大戦中に様々な超兵器を開発したが、このフリッツXもその一つである。目視による無線誘導爆弾であるが、現代の誘導爆弾の元祖といえる。1938年から開発が始り、1943年ごろより実戦配備された。爆撃機から5000m~8000mの高高度で投下し、目視により無線誘導で目標に命中させる。初戦果は降伏後のイタリアの戦艦ローマを一発で撃沈した(二発という説もある)。無線誘導中母機は、目標付近の飛行を続けなければならず、制空権を失った戦争後半は活躍する機会が無かった。性能諸元・全長:3.26m・全幅:1.35m・胴体直径:56cm・最大速度:1.035km/h(諸説あり)・重量:1.570kg・炸薬量:320kgyoutubeフリッツXプラッツ|PLATZ 1/72 ドイツ空軍 ウェポンセット3 モデルコレクト爆沈する戦艦ローマ
2007年03月22日
コメント(4)
DAK Graveyard1941年6月北アフリカ、トブルク包囲戦時トブルク近郊での撮影。風にはためくハーケンクロイツのドイツ軍旗だが、航空機からの敵味方識別用の車両に乗せられる旗を転用して軍旗にしているのではないかと思われる。☆北アフリカのドイツ軍☆参考:FLAGS on German tanks Aerial Recognition Markings on the Panzer タミヤ 1/35MM ドイツ8輪重装甲車 Sd.Kfz.232「アフリカ軍団」【35297】 プラモデル
2007年03月20日
コメント(0)
パンターは正式名称をPz.Kpfw. Panther(豹戦車)といい、第2次世界大戦後半のドイツ軍戦車の中核となった戦車である。製造価格が12万5000ライヒスマルクと4号戦車の10万3500ライヒスマルクよりやや高い程度であり、価格面から見た場合、割安な戦車といえる。コスト削減の結果、ステアリングトランスミッションは安価な方式を採用していたため、扱いづらく故障が多かった。初期のD型ではギヤーやシャフトの損傷、燃料チューブのガソリン漏れなどの故障が続出した。A型G型と改良されるにつれて改善されていったが、操縦しづらいという点はそのまま残ったため、戦車兵はパンターよりティーガーに乗りたがったという。多々問題もある戦車ではあったが、700HPのエンジンによる高機動力、適度な装甲、高性能の砲など、総合的には優れた戦車であった。装備する70口径75ミリ砲は56口径88ミリ砲に匹敵する威力があり、短距離における装甲貫徹力は88ミリ砲を上回っていた。写真のパンターA型は道路上で撃破され、戦闘終了後道路障害となるため脇にどかされたようだ。火災が発生したのか砲塔が黒焦げになっている。砲身の黒ずみは火災によるものではなく、発砲を多数繰り返したためにおきる黒ずみ。ライフィールドモデル 1/35 ドイツ軍 パンターG型+インテリアセット w/カットモデル車体と砲塔パーツ プラモデル★パンターの模型★
2007年02月08日
コメント(0)
洋上で会合するドイツ海軍潜水艦Uボート(U-Boot)。手前はVII型、遠方のもう一隻はXB型。VII型はドイツ軍潜水艦の中で最も多く生産された型で、A型からF型まで700隻以上が生産された。当時のドイツの造船所16ケ所全てを総動員して生産された。XB型は機雷敷設艦として開発されたが、補給艦としても使用された。生産数は少なく8隻のみである。写真のVII型の艦橋上には360度見張りが配置され、対水上対空監視を行っている。補給潜水艦から洋上補給を受けるVII型の一場面といったところか。U-Boat(ユーボート)は英語のUndersea boatの略。ドイツ語ではU-Boot(ウーボート)Unterseeboot。【送料無料】 プラモデル 1/700 世界の潜水艦 No.07 ドイツ海軍 Uボ...☆uboat.net★Uボート模型★
2007年02月07日
コメント(1)
ドイツ軍88ミリ砲 Flak36/37 高射砲として開発されたが野砲・対戦車砲としても使用できる万能砲。1500メートル先の100ミリの装甲板を打ち抜く威力があった。ドイツは光学器機の製造技術に優れており、低進する砲弾と高性能の照準器のおかげで命中精度も高かった。Flak37には「コマンドゲレーテ」という対空射撃指揮用の機械式アナログコンピュータと組み合わせて、観測点から砲に射撃データをリアルタイムに伝送することができた。制式名:Flak36/37砲身長:4930mm重量:6861kg口径:88mm発射速度:15~18(分)最大射程:10600m~14860m製造:クルップ社タミヤ MM ドイツ88mm砲 35017【送料無料】ホビー 模型車 車 レーシングカー ブロンコモデルドイツテレメーター...コマンドゲレーテ
2007年02月06日
コメント(0)
Jagdpanzer 38(t)ヘッツアーは、38(t)neuer Art軽偵察戦車の車体を用いて製作された軽駆逐戦車。1943年11月26日のベルリン空襲により、アルケット社の3号突撃砲の工場が破壊され、突撃砲の生産が中断してしまう事態となり、急遽チェコスロバキアのBMM社にて代替車種として生産された。アドルフ・ヒトラーはヘッツアーを最重要生産車種として指定し、設計段階で大量生産を命じていた。主に歩兵師団の戦車猟兵中隊に配属され、東西両戦線で対戦車戦闘に従事した。運用方法さえ誤らなければ、大変有効な対戦車戦闘が可能だった、JS2を撃破したという記録もある。切迫した戦況において自ら最重要生産車種として命じたヒトラーは、視察で初めて見たこの車両をどのように感じていたのだろうか。ヘッツアーとヒトラーとは全く関係ない話だが、最近まで私は倖田來未コウダクミをコウダライミ?と読んでいた・・・音楽や芸能話とは全く無縁の自分に多少危機感を感じている。^^;☆ヘッツアー写真☆★ヘッツアー模型★1/35 38式軽駆逐戦車 ヘッツァー 後期型w/フルインテリア写真:右から3人目がアドルフ・ヒトラー
2007年01月28日
コメント(0)
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。ちょび髭はいわずと知れたヒトラー。ヒトラーの右側の人物は軍需大臣のアルベルト シュペーア。砲弾の種類は左2本がパンターの75ミリL/70用の砲弾、左が徹甲弾、右が榴弾。真ん中の2本がティーガー2の88ミリL/71用の砲弾、左が徹甲弾、右が榴弾。右端の1本はティーガー1の88ミリL/56用の徹甲弾、画面には写っていないが徹甲弾の右側には榴弾が設置されていると思われる。ティーガー2の88ミリL/71用の徹甲弾(Pzgr 39ないし43、43は高速徹甲弾)と榴弾(Spgr43)がいかに大きいかがよく分る。砲弾の向こうには、ティーガー2の模型も見える。新型重戦車の主砲弾の視察といったところか。タミヤ 1/35 キングタイガー用 88mm砲弾セット(真ちゅう製)【35166...★砲弾セット 模型★
2007年01月09日
コメント(4)
1943年7月12日のクルスク戦南部戦区プロホロフカの戦いは、史上最大の戦車戦として有名だが、ドイツ軍の守護神ともいうべきティーガーは僅かに12両しかなかった。12日早朝時点のドイツ側『LSSAH』『ダスライヒ』『トーテンコプフ』の3個SS戦車師団の可動戦車数は下記の通りです。各師団とも可動ティーガーの数は数両。少ない!■第1SS戦車師団(LSSAH)・2号戦車4両・3号戦車5両・4号戦車47両・ティーガー4両・指揮戦車7両・突撃砲10両・7.5センチ自走Pak20両■第2SS戦車師団(ダスライヒ)・3号戦車38両・4号戦車20両・T34(捕獲車両)12両・ティーガー2両・指揮戦車10両・突撃砲25両・7.62センチ自走Pak9両・7.5センチ自走Pak3両■第3SS戦車師団(トーテンコプフ)・3号戦車45両・4号戦車25両・ティーガー5両・指揮戦車7両・突撃砲25両・7.5センチ自走Pak7両SS戦車軍団もこの時点ではかなり消耗していたのだろう、3個師団合計で戦車は2号戦車も含めて230両しかない。この他に突撃砲60両、自走Pakが39両。合計329両。ドイツ側の全戦車戦力におけるティーガーの割合は、27両に1両ということになる。対するソビエト軍、第5親衛機甲軍はT34だけで約300両、T70クラス約200両、この他にチャーチル、SU76が35両。合計約535両。ドイツ側は3号と4号戦車が主力でT34相手に戦車約300両の損害を与えたことを考えれば、やはり善戦したのはドイツ軍ということになるでしょう。ドイツ軍強し。ドイツ軍の12日のプロホロフカの損害は3個師団合計で約60両。★ティーガーの模型★★3号、4号戦車の模型★【2023年6月】 プラッツ|PLATZ TANKS OF THE WORLD ...
2006年06月09日
コメント(5)
1ライヒスマルクは現在の日本円で1400円~2500円くらいの価値があったようです。■戦艦ビスマルク :1億9680万ライヒスマルク■戦艦ティルピッツ :1億8100万ライヒスマルク■巡洋戦艦シャルンホルスト :1億4347万ライヒスマルク■巡洋戦艦グナイゼナウ :1億4600万ライヒスマルク■ポケット戦艦ドイッチュラント :8000万ライヒスマルク■ポケット戦艦アドミラルグラフシュペー :8200万ライヒスマルク■ポケット戦艦アドミラルシェーア :9000万ライヒスマルク■重巡洋艦アドミラルヒッパー :8580万ライヒスマルク■重巡洋艦ブリュッヒャー :8785万ライヒスマルク■重巡洋艦ザイドリッツ :8409万ライヒスマルク■重巡洋艦プリンツオイゲン :1億0449万ライヒスマルクやはり軍艦は高い、建造に時間もかかるし。ビスマルク一隻の価格でティーガーが656台買える、4号戦車なら1900台。ビスマルクの2番艦ティルピッツは、量産効果が出ているのか1番艦ビスマルクより安くなっている。★ドイツ海軍模型★モンモデル 1/700 ドイツ海軍 戦艦 ビスマルク 色分け済みプラモデル写真は戦艦ビスマルク
2006年04月29日
コメント(4)
価格は下記の通りです。単位はライヒスマルク。(1ライヒスマルクは現在の日本円で1400円~2500円くらいの価値があったようです)■3号戦車:9万6200■4号戦車:10万3500■パンター戦車:12万5000■ティーガー1:30万■ティーガー2:35万■3号突撃砲:8万2500■ヘッツアー:5万4000ティーガーがダントツで高いですね。ヒトラーがティーガー1個大隊は、機甲師団1個と同じ価値があるのだと言ったそうですが、本当ですね。アカデミー 1/35 ティーガーII重戦車 後期生産型【13229】 プラモデル
2006年04月20日
コメント(6)
1943年7月10日、米第7軍と、英第8軍がイタリアのシチリア島に上陸を開始した。連合軍のヨーロッパ大陸への反攻作戦の第一歩である。イタリアの沿岸師団は連合軍の大部隊上陸に戦意を喪失、ドイツ軍はヘルマン・ゲーリング師団を中心に反撃を開始した。この当時、シチリア島に配備されていたティーガーは第504重戦車大隊第2中隊(同大隊第2中隊は北アフリカのチュニジアに渡り損ねた部隊、大隊主力は5月12日までにチュニジアで全滅)であった。シチリアに残された第504重戦車大隊第2中隊は1943年5月10日にティーガー2両の補充をうけ、この時点でティーガー11両を保有、その後も順次補充をうけ、連合軍上陸の7月10日時点のティーガー保有台数は17両程度、可動車両は15両ぐらいだったようだ。反撃したヘルマン・ゲーリング師団と第504重戦車大隊はティーガーを先頭に海岸線まで進出、ハイム少尉のティーガー小隊は、連合軍の上陸用舟艇を砲撃した。洋上で艦砲射撃を行っていた連合軍駆逐艦とドイツ軍戦車の間に、戦史上稀に見る『軍艦対戦車の砲撃戦』が行われた、このとき英駆逐艦ペタードが独軍車列を砲撃中に敵戦車からの反撃を受け、徹甲弾が艦体を貫通して穴があいたという。写真のティーガーはシチリア海岸部で撃破されたティーガー。ドラゴン 1/35 WW.II ドイツ軍 ティーガーI ’131’号車 第504...
2006年03月14日
コメント(9)
シュトルムティーガー38センチ臼砲砲弾。海軍が対潜用に開発した臼砲を陸用に転用したもの。それにしてもデカイ砲弾です、これを車内に14発搭載したというから信じられない。射程は4600メートルとも5670メートルともいわれ、臼砲らしく短射程である。命中精度は当然ながら悪いが戦艦なみの125kgの高性能炸薬の破壊力は絶大だったようだ。ちなみに陸上自衛隊が保有する75式自走155mm榴弾砲の砲弾炸薬量は6.96kg。★写真★ライフィールドモデル 1/35 ドイツ軍 シュトルムティーガー With フルインテリア プラモデル★
2006年02月26日
コメント(2)
撃破された4号G後期型ないしH型。道路上で撃破されたものを戦闘終了後、道路の脇にどけたもののようだ。撃破された戦車の写真というのは独特の魅力がある(戦死した戦車兵には申し訳ないが)。何か廃虚の写真を見たときと似たような気持ちになる・・・☆4号戦車の写真ボーダーモデル 1/35 ドイツ陸軍 IV号戦車H型 初期/中期型 (2in1キ...
2006年01月31日
コメント(9)
ドイツ空軍降下猟兵(パラシュート兵)。パラシュート部隊は何処の国でも運動神経のよいものを選別した精鋭部隊であることが多く、ドイツ軍降下猟兵も例外なく精鋭部隊であった。降下部隊はクレタ島攻略作戦での大損害以降、歩兵部隊として投入されることが多くなったが、彼等は東部戦線、北アフリカ、イタリア等全戦線で獅子奮迅の戦いぶりを見せた。写真の降下猟兵はMP-40サブマシンガンをはじめ、空軍兵に支給された弾薬パウチ、P-08ホルスター、柄付き手榴弾等典型的な装備をしている。【中古】【輸入品・未使用】アルパインミニチュア 1/35 第二次世界大戦 ドイツ軍 降下猟兵 アルデンヌ戦2 レジンキット AM35248
2006年01月14日
コメント(0)
1943年の秋に制定された防寒服。東部戦線の陸軍向けに製作されたもの。服の裏面はツェルトバー(テント兼用のポンチョ)と同じ3色迷彩になっていて、状況に応じて白色面と迷彩面を使いわけた。服のボタンは10個あり、寒風が入り込まないようになっている。写真の兵士はなかなかカッコイイ。ドラゴンモデル 【再生産】1/35 WW.II ドイツ軍 第2降下猟兵師団 キロボグラード 1942/43 冬【DR6157】 プラモデル
2005年12月29日
コメント(3)
ティーガーはパンターより高価なトランスミッション(油圧式のプリセレクターギアボックスとセミオートマチックトランスミッション)を搭載していて操縦がしやすく、戦車兵はパンターよりティーガーに乗りたがったという。傾斜のない垂直の装甲は防御上不利だが、敵に対して45度の車体角度をとることにより、傾斜装甲と同様の効果を得た。ビットマン、カリウス等のエースは、ティーガーの特性をよく把握し戦い大戦果を上げた。★ダス・ヴェルク 1/35 VI号戦車 ティーガーI 後期型 Sd.Kfz.181★
2005年11月28日
コメント(6)
美しい。背景と艦形美、グレーの塗装、全てがバランスよく溶合っている。軍艦という戦闘兵器だが、一種の芸術品といえるのでは。★ティルピッツの模型★★ティルピッツの書籍★青島文化|AOSHIMA 1/700 ドイツ戦艦ティルピッツ
2005年11月12日
コメント(2)
戦艦ティルピッツ、ビスマルクの2番艦。航続距離を伸すため、ビスマルクより1000t基準排水量が大きい。活躍の機会もほとんどなく、アルタ・フィヨルド内に退避していたが、1944年11月12日、イギリスのランカスター爆撃機の12000ポンド爆弾3発が命中し転覆着底した。写真は戦後の解体作業中のもの。青島文化|AOSHIMA 1/700 ドイツ戦艦ティルピッツ★ティルピッツ模型★
2005年10月31日
コメント(0)
何処の国の兵隊であろうとも、一つしかない命を失うのは同じである。彼等は何の為に尊い命を捧げたのだろう。自分の命も一つしかない。大切にしたいと思う。☆戦場写真1
2005年10月15日
コメント(2)
全54件 (54件中 1-50件目)