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ブログをずっとサボり続けてたついでに(?)、メートル・ド・テル連盟のホームページの更新もおろそかになっております。(ホームページはこちら)申し訳ございません 昨年の春から全然更新が出来てませんでした。 m(__)m実は更新を怠っている間も、何回かセミナーは開催されており、当ブログで紹介できていなかったのです。で、来月、3月に「第41回 サーヴィス基礎セミナー」が開催されます。講習テーマは「フロマージュ(チーズ)について」、場所は大阪・福島において開催です。以下、開催のお知らせをご紹介いたします。 記日時: 平成20年3月26日(水) 17:45 セミナー 受付開始 18:00 講義開始 フロマージュの基礎知識 (製造方法・保存・サーヴィス方法等) 19:00 フロマージュとボアソンとのマリアージュ 質疑応答 20:00 セミナー終了 *20:00以降は一般営業になります。場所: バー 「イル・ド・サンク」 大阪市福島区福島5-12-22 紅和ビル 3F Phone: 06-6451-2080参加費用: 会員 \ 5,500 一般 \6,500 *フロマージュ、シャンパーニュ、ヴァン・ルージュ*資料コピー代を別途頂戴いたします。(\100)講師: 谷川 勇明 氏イル・ド・サンク オーナーお申し込み: 全日本メートル・ド・テル連盟関西本部事務局宛*今回は、会場の都合により定員12名とさせて頂きます。フロマージュにご興味のある方は特におすすめだと思います。お問い合わせなど、どうぞこのブログ宛にメールを下さい。折返し申し込みの案内を送ります。
Feb 21, 2008
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イギリスの作家にジェフリー・アーチャー(Jeffrey Archer)という人がいます。ベストセラーになったものでは「ケインとアベル」「百万ドルを取り返せ!」などが挙げられますが、いくつかの短編小説集も発刊されています。 ジェフリー・アーチャーはその小説群もさることながら、その人の人生においても波乱万丈でした。元英国上院・下院議員。また、一代限りの貴族である、ロード(lord)の称号をも持っています。29歳、史上最年少で下院議員になり、34歳で詐欺に遭い全財産を失い、作家に転身。何回か政界に出たり入ったりしながら59歳の時には偽証罪で投獄されると言った憂き目も経験しながら執筆活動を続けている作家です。 アーチャーの、それも短編集はユーモアに溢れており、また、イギリス・ジェントルマンの生活様式や考え方が垣間見られる部分もあり、興味深い作品も多々ありました。 で、今日の日記の表題の「ア・ラ・カルト」1988年に発表された「A TWIST IN THE TALE」(邦題:十二の意外な結末)に収められた一編です。…将来は父と同じ職業、つまりトライアンフのタイヤを取り付ける仕事に就きたいと考える少年マーク。父であるアーサーは息子には一生そんな職業は就かせたくないと考え、個人教授さえ付けるといった熱の入れ様。しかし、マークは頑なに父と同じ職業に就くことを願う。そこでマークの母は妥協案を出してマークを承知させます。「一年間、他の仕事で働いて気が変わらなければ父と同じ道を歩んでもよい」と。さて、マークが就職した先はイギリスでも最高級のホテル「サヴォイ」このホテルにおいてマークは紆余曲折がありながら、その才能を見出され料理人として腕を振るうようになりました。いづれ故郷に戻り、父と同じ職場で働くことを夢見るマークでしたが、シェフと共にフランスへ渡ります。次の職場は「ホテル・リッツ」何年かの修行の後、再びロンドンに戻り今度は自身の店を開くマーク。マークの店はたちまちロンドンはおろかヨーロッパ中の評判となり、ミシュランから三つ星を与えられるまでに至ります。三ツ星を与えられた日、テーブルに着くのはグランシェフ・マークの両親…と、まぁ、こんなあらすじなのですが、我々のように飲食業に勤める者には非常に面白く読める一編だと思います。ホテル・レストラン小説としてもお勧めですね。
Oct 12, 2006
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そこそこのフランス料理店などになると、料理を出し下げする方向などにも決まりがあるように思われます。新しくアルバイトを雇ったりすると、「料理は左から出した方がいいのでしょうか?右からの方がいいのでしょうか?」尋ねてくるスタッフもいます。 「どっちでもいい」ように思えます。「どっちでもいい」といえばどっちでもいい事です。 しかし、若いスタッフに教育する際にはプロの仕事において「どっちでもいい」はありえない事を伝えます。第一に安全であること、第二に見た目にスマートであることは心掛けねばならないと。 これがサーヴィスのコンクールや、レストランサーヴィスの検定試験ともなると、ちゃんとした規定を設けています。 ドリンクのサーヴィスはお客様の右側から右手で、料理を出す時は左手を用いてお客様の左側から出す。料理を下げる時はお客様の右側から右手で下げる。 と、あります。実は古くからのレストランサーヴィスにおいて、この方法が安全かつスマートであり、規定を設けなければならない必然性があったからなのです。 古来の貴族社会の会食や、フランス革命後のブルジョアの食卓において、列席者が一列に並んで会食すると言うスタイルはまま見られます。さらに、ブルジョアですからお客様一人に、一人のサーヴィスマンが付くというような贅沢も行われます。そうなると、料理を一度に出す場合、お客様の後ろに全員が立ち並んで一斉に出すわけですから、どちらかの方向に決めておかねば隣同士のお客様の皿が目の前で激突するとなりかねません。まずこれが左右のいづれかに決めた第一の理由。 お客様のほとんど、人間は圧倒的に右利きの人が多いのも確かです。では、ワインなどのグラスを持つ時は?右手で持ちますのでグラスは必然的にお客様の右側に位置します。ここへワインを注ぐわけですからドリンクは右側から注ぎます。 注意せねばならないのはボトルの口が通る位置です。何かの拍子に口から雫が垂れた時に、お客様のお召し物を汚してしまう位置を通っていませんでしょうか?また、料理の真上を通っていないでしょうか?1滴でも雫が垂れたら、そのお皿ごと替えて新しい料理をお出しする覚悟が必要です。 ドリンクが右側からサーヴィスされていますので、料理は左側から提供します。左側から提供するのでこの時は左手で皿を持ちます。右手で左側から入ると、お客様に背を向ける格好になるからです。サーヴィスマンも実際には右利きが多いですから、少々練習が必要ですが、左手で出すことによって体の正面はお客様の方向を向いたまま、「抱きかかえるように」料理をお出しすることができるのです。 さて、下げる時は右側から右手です。今回は右手で結構です。お客様の方向を向いていますから。右側から下げるのは、お客様の使用したシルバー類、ナイフ・フォークが食事を終えて揃えられる時に、お客様も右利きですから右側に揃えられることが多いからです。ナイフ・フォークを食事の終わりの合図に揃えることはお客様にとってのマナーのように捕らえられがちですが、宴席を潤滑に進めるためのサーヴィスマンと列席者の暗黙の了解でもあったのです。 料理は左から出して、右側から下げる。昔からあるルールだからといって、若いスタッフに押し付けるのはあまり好きではありません。そういったルールが出来上がってきたいきさつにはいろんな意味があるのです。 第一に考えられたのは安全であることでした。物騒な社会では安全に食事出来ることがサーヴィスでもあったのです。 グラスにワインを注ぎます。さて、雫が垂れたとしても雫が落ちるのはクロスの上だけでしょうか?お皿を下げた時に、ナイフが滑って落ちた時にお客様の上では無いでしょうか?「安全」であることも、サーヴィスのひとつです。人気blogランキングへ
Aug 2, 2005
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例えば、フランス料理店を訪れたとします。コースで料理を注文していざ魚料理の段になると、スプーンに似た什器が添えられます。「スプーンに似た」と申し上げたのは、本来スプーンでは無かったからです。しかし、現代ではフランス語では「ソース・キュイエール」英語でも「ソース・スプーン」と呼ばれている食器です。 本来の魚用のナイフと呼ばれていたのは、写真右側のような形状をしています。この「魚用のナイフ」は肉用のナイフ、また肉用のナイフの形状をそのまま小さくしたオードブル・ナイフ、デザート・ナイフとはいくつかの点で相違が見られます。 ひとつはナイフの刃の先端が尖っていること。もうひとつはサイズの割りに肉厚の印象を受け装飾が施されていることです。 実は先端が尖っているのは、本来調理された魚に残った小骨を取り除く為でした。また、什器の様式というのは18世紀以降、現代のような「コースメニュー」のように順番に料理を出す「ロシア式サーヴィス」の発展の経緯とともに肉用、魚用、デザート用と分化されました。 料理によって食器、シルバー類を変更するという点において、魚の身は肉に比べてデリケートであったのです。現代の様にステンレスと言う合金が生まれる以前、ナイフフォークの芯は鉄か、あるいは錫の合金でした。そのため白身の魚は食事をしているうちに金気が魚の身に付いて味が変わってしまいます。 味に影響を及ぼさない金属とは、当時知られたもので「金」と「銀」でした。双児のおばあさんではありません。きんさん、ぎんさん、…生きていらっしゃれば今年で齢120才くらいでしょうか。 話がそれましたが、金銀は現代でも歯の治療に使われるように味に変化を起こしません。現代においては同様に味に変化を起こさないもので、さらに強度なものとしてはチタンがあります。 金は比較的軟らかく(時代劇などで小判を噛んで、「本物ンだ」と確かめるシーンがありますが、アレは歯形が付くのです。)食事の道具に使うのは不向きでした。そのため、銀を表面にコーティングしたのです。西洋料理の食器、ナイフ・フォーク類をシルバーと呼ぶのはどうもここからのようです。 というわけで、魚のナイフには肉用のナイフに比べて、表面のコーティングにに多くの銀を用いました。その分、当時のブルジョア達は贅沢さをアピールする目的もあって魚用のナイフにはより多くの装飾を施したとも言えます。 さて、時代が下ってきて1960年代後半になるとフランスのフランス料理業界には新しい波が訪れました。「新フランス料理=ヌーベル・キュイジーヌ」の登場です。ヌーベル・キュイジーヌと今ではすっかり聞かれなくなりましたが、現代のフランス料理はこの「ヌーベル・キュイジーヌ」の洗礼を受けたものがほとんどですので、だからあえて言わなくなったというのが現状のようです。 ヌーベル・キュイジーヌはそれまでしっかりと重々しかったフランス料理を、軽く軽く仕上げるようになりました。魚料理においても大きな骨と格闘したり、力を入れて魚の肉を切る。というような事が食卓で繰り広げられる事は無くなって来ましたので、魚用のナイフも大きくて太い「柄」は必要無くなったのです。 また、軽くなった料理に合わせて、「魚に残った小骨を骨抜きで抜く」といった「丁寧な作業」も厨房で行われるようになりました。推察ではありますが、これは日本の調理におけるやり方だったと思います。情報の伝達がヨーロッパまで行き届いた事に発し、日本の寿司における「小骨を抜くという作業」また、骨抜きという道具が伝わったのでは無いかと考えられます。 そのため、魚用のナイフは小骨を除ける作業というものが無くなり、先端は丸くなって行きました。また、緩くなったソースをすくって口に運べるよう、その形状は、ナイフ・フォークが生まれる前に存在した什器「スプーン」にどんどん近付いていったのです(写真左側)。 ソース・キュイエールはその側面にナイフと同じようなくぼみが造られています。これが、もともとソース・キュイエールがナイフであった証として、今でもわざわざ刻まれているのです。
Nov 3, 2005
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この1週間ほど、少々忙しかったのです。また1週間ほどブログを更新して無かったのですが、ちょとちょこと書きためていたり、他所に掲載していたコラムがありましたので、 あらためて日を遡って記事を書き上げてしまいました。 どうもこの楽天ブログには、管理ページに「日記記入率」なるものがあって、あんまり下がり過ぎると癪に触る(笑)ので、何かと書いていきたいと思っています。 良かったらまた覗いてみて下さい、 さて、当ブログを愛読(?)してくれている知人から、「プロフィールに使われている画像は何?」という質問がありました。…そういえば、なんだか分からないそうです。地図の様にも見えますし、ただの模様のような、、、フォトショップのソフトを使って加工してあるのですが、アレは「サモトラケのニケ像」なんです。 「サモトラケのニケ」をご存知でしょうか?ルーブル美術館所蔵のこの像はギリシャのサモトラケ島で発見されました。「ニケ」をローマ字で書くとNIKE、英語読みのナイキはいつの間にかシューズメーカーとしての名前の方がすっかり有名になってしまいました。 ニケは「戦いの女神」とされています。ギリシア神話に登場する女神で、 ローマ神話ではウィクトリア(ヴィクトゥ-リア、Victoria)とその名を変えます。ギリシア神話ではアテナに仕える随神として、一般には翼のある女性像として表されます。 私が初めてフランスを訪れた10何年か前の事。私にとっては初めてのフランス旅行、観光で一週間ほどパリに赴きました。エッフェル塔、凱旋門、ルーヴル美術館とひととおりの観光地をめぐりました。 当時はまだ、ルーブル美術館がグランルーブルでなく、片翼だけで展示を行なっていた頃です。 ルーヴルはオデオンとサリュウと呼ばれる、長廊下と回廊の2箇所に分かれていました、ひととおりの知識はガイドブックで仕入れて来ました。「モナ=リザ」「ミロのヴィーナス」、ドラクロワ、、、ルーヴルの長い廊下を進むと、突然、それは現われました。階段の踊り場にあたる場所に「サモトラケのニケ」の像が。息を飲む、神々しさでした。背後から差し込む陽光が、翼に映えてあまりにも美しかったのです。「真理の美は不完全なものの中にある」 ニケ像は、胴体と翼のみの像で、頭部も腕もありません。しかし不完全な石像であったが為に、「人間の想像力」がさらに美しいものを生みだすのです。想像力を膨らませる余地があってこそ、真に完成されたものが生まれるということでしょう。頭部を失っても、両腕を失っても、羽ばたく為の翼を無くさなかったその姿に私は心を打たれたのです。(↓写真は私の手許にある「ニケ」の石こう像です。同僚のSくんがフランスにいった時に買って来てくれたものです。)
Feb 21, 2006
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