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2023年06月18日
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カテゴリ: 風景・旅行など
​​ 6月の櫻井神社、櫻井大神宮
です。
先週 櫻井神社へお参りに参りましたのでお知らせします。
急に行きたくなりました。
↑↑↑に蝶が居ますが分かりますか?アゲハチョウ🦋が見えるか見えないか…

※ここで余談ですが、
少し前に吉野ヶ里遺跡で新たに見つかった「石棺墓」。“邪馬台国論争”を決定づけると話題になりましたが、結局なにも見つからずうやむやになりましたが、邪馬台国の場所に付いて少し。
然る方が仰るには、
・邪馬台国は最初 九州 福岡にある、伊都国からそう離れていない。
・伊都国があったとされる糸島周辺の遺跡では銅鏡がたくさん発掘されている。
・畿内説その根拠となる魏志倭人伝の距離は当時の中国にありがちな叙述トリック。
・が、後に奈良へ移動した、それは、古事記、日本書紀の神武東征ではっきりと書かれいる。
・東征は神武天皇(大王)を含め欠史八代でゆっくり100年~150年掛けて移動した、なお、移動は当時の中国を習っている。
・神武天皇一代にしたのは、神武天皇の神格性を高めるため、なお、アレキサンダー大王をモデルにしている。
・第7代孝霊天皇(大王)の時代は丁度岡山にあった、なので鬼伝説である温羅退治が伝わっている。
・なお、「四道将軍」と総称されている武将は、調査隊、次の移動の為の情報収集を任務としていた。
・10代崇神天皇(大王)の時、疫病が流行り人口が激減、人手不足となり大移動ができなくなった。
・平城京、いや、平安京が移るまで権力者が変わると都を移動していた。
・卑弥呼は比売神(ひめがみ)の事で当時は何処でも居た、なので九州でも奈良でも何処もある。
・邪馬台国=大和朝廷とは限らない、それは風習を見れば明らか、何故ならば邪馬台国は記紀に書かれてない。記紀では中国に反発した為わざと書かれていないとも、だから、もともと別のものが一緒になった可能性も。
・纏向遺跡には確かに各地より色々と集まっていた、しかし、理由は上記の通りである。実は卑弥呼の時代よりほんの少し後では。

なお、考古学的根拠がまるで無いし、九州の人間が考えた事が前提、色々な所からこれではと思う情報から集めており、この説はあってないようなもの 。それから、〇〇天皇は後の呼称、当時は大王と呼ばれました、分かりやすい様にしました。
なお然る方は皆さま名はご存じかも、敢えて伏せています。
※更に余談のつづきですが、
吉野ヶ里で今回は見つかりませんでしたが、実はそれはダミーで近くにあるのでは?ならば、かなり重要な人物ですね。伊都国の銅鏡の件は伊都国歴史博物館で周辺で発掘されたであろう鏡が大量に展示されてた事、これってスマホみたいだな、と思った…どうやら1人1枚以上あった様だ。作っていたのか、輸入した鏡の中継場所だった? 正、その鏡が卑弥呼の時代とは限らないですが。 だだ、論争に中継地点の伊都国を無視する事はちょっとないのでは?
※最後のまた余談ですが、
纏向遺跡(仮)は無人ではなく、元から村や町があった、それが後に重要性を増し各地から人が集まる都市となった。それは京都(平安京)の都が無かった時代から都市があった様に…村おこしで若い人が集まった様な成功例と思えばヨシ!トロイの遺跡の様に時代によってはっきりと変わっている訳ではない、まあ、トロイ等は国家が変わる度にぶっ壊している…纏向をはじめ、多くの村や都市はゆっくりと同化していった。そこはもう少し発掘の技術が進まないとはっきりしないだろう。将来的にどちらかはっきりするのでその時にどう考えるかその時の人による。…と、然る方が、 前述した通り、なにもかも根拠はありませんが。
以上です、
ここで『鬼滅の刃』の感想を入れますが、半天狗しぶとい、このしぶとさとイライラ感はこれは無惨戦を彷彿させる、ネタバレになりますが「逃げるな卑怯者」は猗窩座、半天狗と来ましたが、無惨戦でも見られるんですよね…、まじで卑怯者は無残。後の無惨の過去回想はそういう事か、1000年経っても頭無惨様、妙にセクシーでエロイのがなんとも。禰豆子ちゃんが太陽で焼かれいるのは結末わかっているのに、つらい…炭治郎ただ家族の為に必死でボロボロになりながらここま来たのに、やっぱり悲しすぎた。禰豆子ちゃんが太陽を克服生きていてようやく少しだけ報われる日が来たと思うと…真面目で一生懸命な人が報われないとね。後、鋼鐵塚さんが出番が多くてよかった、いつも通り終始キレ散らかしていたが…天目一箇神様です、あの人は、好きな神様でもあるのですが、性格もほぼそのまま。なお、本当の鍛治職人もその言い方に…イラっとする事もある、ガチプライドを持った職人気質なので現実の人を元にしているのがわかります。まあ、鋼鐡塚さんツンデレで良いですが。
最後に双六の上がりで次は"柱稽古"に怯える善逸、柱稽古編もちゃんとやる様ですね、声優の桜井孝宏さん復活、それでいいんだよ、それで。桜井さん絡みで櫻井神社紹介するとは思いませんでしたよ。
​櫻井神社​
ご祭神:与止妃大明神 神直日神、大直日神、八十枉津日神
島岡大明神 筑前二代国主黒田忠之公之神霊
八所産土大神 久保宮、西宮神社、熊野宮、伊牟田八幡宮、谷熊野宮、木浦神社、梅宮、末松神社

櫻井神社は何度か訪れてますが本年度は初です、絵馬のウサギがカワイイ。
パワースポットと言われ久しいですが、人が結構訪れておりました。
​八神殿・須賀神社​
↑↑なんだか綺麗に新しくなってます。
この裏には、 岩戸宮 があります、
二見が浦 の遥拝所、
​筑前二見ヶ浦​
ご祭神: 伊弉諾命、伊弉冉命
↑↑は帰りがけ写しました。今はだいぶ行きづらくなってますね…ここら辺は何か違った香りがする…
櫻井神社、櫻井大神宮の御朱印
そういえば、御朱印を頂くのは今回が初めてかと思います、何時も思うのですが御朱印は達筆な方が多いですね…櫻井神社のは特に好きな文字ですね、書かれている方によると思いますが、早く頂けばよかった。
いよいよ、大神宮へ向かいます。
此処に入ると空気がガラリと変わります、
人がけっこう来ていましたが、訪れた時は人がいませんでした、これは人払い、スピリチュアル的には良いそうです。
いよいよ中に入ります、
​櫻井大神宮​
ご祭神: 天照大御神 伊勢神宮(内宮)の御分神、豊受大御神 伊勢神宮(外宮)の御分神
櫻井神社ご祭神のご神託を受けられた黒田忠之公が櫻井神社創建前の寛永二年(1625)に岩戸神窟の西南の地、光寿山(こうじゅさん)へ神明造り茅葺の社殿を造営し、伊勢神宮の祀官橋本氏により、伊勢神宮の内宮・外宮の両宮のご分霊を奉じさせ、ご鎮座頂いたことがご創祀であります。
内宮・外宮を一宇に合祀されたご本殿の千木は向かって右が水平切りで内宮(天照大御神)を現し、向かって左が垂直切りで外宮(豊受大御神)を現している当宮独自の建築様式であります。
当宮も伊勢神宮のご遷宮に倣い、宮地を2か所に定め、20年ごとに式年遷宮を執り行っておりましたが、第13回目にして止まり、現在の社殿は慶応二年(1866)のもので、150年近く経っております。(櫻井神社公式HPより、)

150年前から変わらない希少な建物、天照大御神様と豊受大御神様が同じ場所に祀られている場所でも。
静寂で穏やかで優しくパワーが、まるでさっきまでと違います。
それでは、
6月の櫻井神社、櫻井大神宮 でした。





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最終更新日  2023年07月01日 20時53分25秒
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