リタイヤ ガーデニング

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June 21, 2011
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カテゴリ: トラウマ

【送料無料】いやな気分よ、さようなら増補改訂第2版

p159抜粋
 確かにいやなことはいっぱいあります。でもそのことに対する感情はそれをどう解釈するかによって違うのです。怒りは両刃の刀ですからその解釈を吟味する必要があります。怒りは爆発すると長引きます。たとえ自分が悪くなくとも怒りの感情に変わりはありません。・・・
・・・ほとんどの場合怒りは微妙な認知の違いで起こってきます。抑うつ感情は知覚がずれていたり、一方的であったり、単純に間違っていたりするものです。このずれた感じをもっと現実的で機能的なものにする方法を身に付ければイライラをなくし自分をコントロールすることができるようになります。

 怒ったときにはどのような<ずれ>が起こるのでしょうか。最も犯しやすい間違いは「レッテル貼り」です。ある人のことをばか扱い、無能扱いすれば、その人を否定的にみていることになります。この一般化のしすぎを「拡大化」「巨大化」と呼びます。人に裏切られたとき、その人の裏切りに憤慨するのは当然です。その反対にその人をこういう人だと決めつけてしまえば、その人を悪い人だと色眼鏡で見ていることです。怒りを「その人となり」に向けているのです。
 人をこのように思うときは心の中では嫌な点ばかりを見ていたり(心のフイルター)無視したり、良い点を値引き(マイナス化思考)したりしているのです。これが怒りを間違った方向へ向けさせる原因です。実際、人間は良い点も悪い点も複雑に合わせ持っているものなのです。

 人を決めつけてしまうことは好ましい考え方ではなく必要以上の憤慨を引き起こします。以下のようにして自分のイメージを壊します。人を決めつけるとどうしても他人に小言が多くなります。仕返しを我慢しなくてはならず、その相手と同じような態度をとってしまいます。人を決めつけても自己満足にしかならないのです。そして相手と対立して戦争状態になってしまいます。
 どんな戦争になるのでしょうか?たぶん自尊心を守ろうとする戦いでしょう。・・・・・・・人を落しめることで自己満足はできるかもしれませんが、自己評価は高くならないのです。この世の中でたった一人自尊心を脅かす人_それは自分自身なのです。自己評価を下げた時だけが、価値観が低くなるのです。本当の解決はあなたの心の中にあるのです。

 二つ目の怒りの原因は「心の読みすぎ」です。相手がなぜそうしたのか自分が満足する説明を考えてしまうのです。しかし、相手は実際にそう考えているわけではありません。他人を見て「筋が通っている」「インチキだ」「まったくそのとおり」「ばかだ」「あいつらは子供だ」などと考えることがあるでしょう。こんな情報は正しい情報に基づいていないことが多く、実際たいてい間違っています。

 怒りを生ずる三つ目の歪みは「拡大解釈」です。もし嫌なことを悪い方にばかり考えれば悪感情はより強く、より肥大していきます。

 「すべき思考」が四つ目の怒りの原因です。他人が思うように動いてくれないとき「そんなことをすべきでない」とか「すべきである」などと思うでしょう。・・・・・もし完全さを求めれば、イライラし、動きがとれなくなってしまいます。「すべき思考」は、あなたがいつでも満足できるという仮定に基づいていて、自分の気に入らない場面でパニックに陥ったり怒ったりします。それはあなたがあるものを手に入れることができないからです。(あるものとは恋愛であったり、愛情、地位、尊敬、迅速さ、完全さ、であったりします)いつも自分が満足するような主張ばかりしていると怒りの原因になり、結局自分の損になります。怒りっぽい人は自分の希望をこんなふうに言います「もし自分を評価する人がいれば目の肥えた人だ」

 人は自由な意志を持ち、あなたの気に入らないような考え方や行動をとります。人をあなたの希望に従わせようと思っても思うようになりません。むしろ、その反対のことの方が多いでしょう。他人に支配されたい人はいませんから、怒ることで問題解決にはなりません。不正だと考えることこそ怒りの原因です。実際、怒りは自分が不正に扱われたという認識と一対一に対応する感情です。

 公正さも相対的なものなのです。

 ある人にとって公正に思えることもほかの人には全く正しくないことなのです。ひとつの文化の中の社会規範や道徳ですらも他の文化では受け入れません。自分の道徳観こそが普遍的だと主張することはできます。でも受け入れられないでしょう。

 証明しましょう。

 ライオンが羊を襲います。これは不公平でしょうか?いったい誰がハンバーガーを食べる時に不公平だと思うでしょうか。牛にしてみれば確かに不公平かもしれません。絶対的な正しい答えなどないのです。

 「絶対的な公正さ」が存在しないかわりに道徳概念は重要で有効なものです。

 日々の怒りの原因の多くは、自分の「希望」と「道徳規準」の混同にあります。人に腹を立てて「正しくない」と言います。そんなときその人はあなたと違う価値基準のなかで「正しく」行動しているのです。自分の価値基準では自分の行動は「公正」なのです。他人に公正であってほしいですか?ならば自分の好みでない行動でも認めなくてはいけません。なぜならそれは彼の価値観で行動しているのですから。

 ウエイン・ダイアー「誤りの地帯」より
 われわれは公正を求めるようにできている。それが見つからないと怒ったり、不安になる実際、永遠の若さなどの神話の探究と同じようなものだ。公正などいまだかつて、そして永遠に存在しない。コマドリは虫を食べる。虫にとっても不公平ではない。自然界に公正さが存在しないことを示しているのだ。嵐や、洪水、大津波、かんばつなどすべて不公正だ。





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Last updated  June 21, 2011 11:15:49 PM
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