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雪から入換作業を守る「カンテラ」国鉄時代の私の履歴が残って言います。それによると、何と、高校卒業の年、昭和57年4月1日を待たずして、2月16日から臨時雇用員として採用されたことになっています。これは、当時わが母校から東京三局(東京北・東京西・東京南鉄道管理局)だけで144名もの大量な人数が採用となったため、おそらく研修手配の関係でしょう、早めに関東鉄道学園に入所するためだったと思われます。鉄道学園での勉強は2~3週間程度で、既に私は大宮操車場に研修生として配置されていました。もちろん、採用予定の各操車場や駅へ散らばっていった同級生たちも居ました。それはさておき、大宮操車場では正式な職員の配置ではないため、指導助役のもと、貨車の入換のノウハウや安全指導を受けます。しかし、必ずしも入換作業の研修ばかり出来るわけもないので、時に別作業を与えられたこともありました。そこで一番印象に残っているのが「カンテラ磨き」です。私の知っている限りでは、鉄道用語で「カンテラ」とい名称は2種類使われていました。一つは、駅で車掌に出発指示合図を出す際、昼間の青旗・赤旗の代わって、夜間に使用する「合図灯」です。そしてもう一つは、ポイント(分岐器)において、降雪時に雪の抱え込みを防止するために用いる暖房器です。ポイントのトングレール(分岐部の先端の細いレール)部分を暖めることにより、レールへの積雪を防止し、すなわち、トングレールが可動した際に雪を挟み込まないようにするために設置されます。ポイントに雪を挟み込んでしまうと、トングレールが密着しなくなることにより、①フランジが隙間から外れて脱線する。②レール同士が触らなくなり、信号電流が伝わらなくなる。という危険、不都合が生じます。これを防止しなければ、鉄道そのものが機能しなくなってしまうわけですね。構造はアルコールランプの灯油版を想像していただければ良いと思います。ただ、揮発性の高いアルコールでさえ、物体に当てると煤(すす)が付くものですが、灯油であるだけにこの煤の量がハンパではありません。写真の線路下にモクモクとはみ出してこびりついているのが煤の塊です。この「カンテラ」は、雪が降る前又は降り始めには設置します。積雪してからでは、線路下のスペースの雪を退かさないと「カンテラ」が入らなくなってしまいますし、積雪してからではレールを暖めるのに時間が掛かってしまいます。積雪前にあらかじめ着火しておき、雪を積もらせなくすることが肝要なんですね。ですから、逆に雪が止んでしまえば、「カンテラ」の効果でポイント付近の雪がなくなっていますから、直ぐに消すことが出来るわけです。首都圏では滅多に積雪することがありませんので、除雪機能と言うのは装備していません。ですから、突然の積雪に対応するためには、「カンテラ」は欠かせない大切な道具なのです。ちなみに、大宮操車場でも本線のポイントは電熱器が設けてありました。やはり、最初に止めてしまう訳にはいかない、灯油の補充に危険が伴うという理由からなのでしょう。そして、大宮操車場に2千個以上もあると教えられた「カンテラ」。約20人の研修生でぼろきれ持って灯油を浸けながら磨かされたのでした。研修生が居なかったら、信号係がやっていたのでしょう。下りの発着線です。線路の所々に転がっている白いものは、おそらく雪に備えたカンテラがビニール袋入れて準備してあるものと思います。冬に備えて準備されており、間もなく実際に使用されることになります。忘れていましたので追記します。先般、東武博物館に訪問した際、カンテラが展示してありました。キレイにしてありますが、使用しているものは素手で触りたくないくらいに煤で真っ黒になります。
2026.01.31
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EF510-511・512牽引:寝台特急「北斗星」今回は、511号機と512号機が牽引する「北斗星」を集めました。特記以外は、上り2レ「北斗星」で、南浦和~蕨~西川口間の撮影です。平成22年10月16日 EF510-511平成24年5月13日 EF510-511平成24年5月27日 EF510-511平成24年7月28日 EF510-511ここまでは511号機牽引です。511号機は第一弾の譲渡組でしたので、あまりコマ数がありませんでした。平成22年10月17日 EF510-512平成24年3月20日 EF510-512平成25年1月2日 EF510-512平成26年9月17日 EF510-512平成27年1月12日 EF510-512平成27年2月7日 EF510-512平成27年2月11日 EF510-512平成27年3月13日 EF510-512 1レ最終日512号機以降は第2弾の譲渡組となっていますが、何故か「北斗星」に関しては臨時化以降撮影されていませんでした。下り定期最終日は512号機が充当されました。次回は513号機からのご紹介となります。
2026.01.30
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国鉄旧型電機 EF57(宇都宮運転所編)EF57は、昭和15年から18年に掛けて製造された急行列車向けの電気機関車。東海道線の主要列車に使用され、後に高崎第二機関区、宇都宮運転所へと異動しています。昭和15年に製造された1号機は、EF56後期車と同様のスタイルで誕生しましたただし、当時の出力アップ型のモーター(MT38:275kw×6)を搭載したことにより大幅に出力が変わったため、EF57という新型式として誕生しました。昭和16~18年に掛け、2号機以降15号機までが製造されましたが、1号機とは大幅にスタイルが変わり、パンタグラフが車端に大きく離れたものとなりました。これは、通風機の増設による通風能力の向上、中心部に2基のパンタグラフが寄ったことによる架線の押上げ力緩和のためと言われています。いずれも蒸気暖房装置を搭載し、暖房車の連結を不要としました。その後、東北・北陸地区の客車電気暖房化に伴い、全機とも電気暖房装置に載せかえられています。《宇都宮運転所における休車風景》EF571EF576EF579以上3点は、昭和51年に宇都宮運転所で撮影したもの。1号機のみはテールランプが埋め込み式に改造されています。6号機と9号機はこのときが最初で最後の対面であり、このまま廃車となってしまったようです。EF571EF574EF577EF5711全ての営業運転から外れた昭和52年の年始輸送後。最末期は、1・4・7・11号機が残っていました。昭和51~52年の年末年始輸送における機関車不足から、休車になっていたEF57の運用が復活しましたが、年始の輸送が終るとまた休車となり、二度と復活することはありませんでした。《おまけ》11号機だけは、他の車両と違って白Hゴム化されていました。パンタグラフの真下は、火花が落ちてきて結構危ない。撮影は走行中に行っており、非常に危険です。よいこのみんなは真似をしてはいけない。と言っても、今さらそんなことができる機関車なんて残ってはいません。EF57牽引 10系寝台客車:寝台急行「北星」EF57牽引:急行「津軽」EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」
2026.01.29
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EF8182牽引:寝台特急「北斗星」EF81牽引寝台特急「北斗星」シリーズで、今回はEF8182号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっています。平成21年10月4日平成22年2月6日82号機は、昭和48年9月14日生まれの日立製。75~93号機に属するグループの年度に属しますが、他のカマが酒田、富山第二、田端の各機関区に配属されて以後それぞれ同じような動きでしたが、この82号機だけ田端機関区に初期配置後、敦賀第二機関区→富山第二機関区と動き回り、最終的にはEF80置換用として田端区へ所属を移し、JR東日本に継承されて「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などに充当されました。EF510-500番台の導入に伴い、平成24年1月21日付で廃車となっています。「北斗星」としての出会いはあまりなかったようです。
2026.01.28
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大宮操車場 ハンプ入換(散転・カーリターダー編)大宮操車場 ハンプ入換(引き上げ編)に続き、入換が始まります。ハンプ入換の組織は上りと下りの班が分かれており、作業もハンプ山と呼ばれる切り離し・操車担当、信号担当、連結担当があるため、細かく言うと6つのセクションになります。操車担当がDEの機関士と通告を行いながら、本線に行って分解する編成を受け取り、大宮駅方面にある上下各2本の引き上げ線へ誘導してきます。ここで上下2本の編成が待機することができ、上下各1本が大宮方向からハンプへ向けて押し上げられます。編成長が50両以上ありますから、入換合図が見えなくなりますので、合図はハンプ専用の入換合図器により行われます。大きな四つ葉クローバーのようなものが入換合図器で、大宮方向に表示されて機関士から見えるようになっています。また、入換が始まると切り離し場所まで距離が短くなりますので、この合図器も100mくらい間隔で確か4組ぐらい設置されていたと記憶しています。入換が始まると、ハンプ山で担当が連結器を外します。また、同時に分解する貨車ごとに1両はブレーキが利くかどうかの検査を実施にブレーキを掛けて検査します。切る位置を指示する役、連結器を外す役、ブレーキテストをする役と、3人で一体の作業を行います。ちなみに・・・編成を分割する際は、この分解票によって行われます。これは、東部・西部にある組成担当より、行き先別に分解位置を指定した情報が送られてきます。機能的にはFAXと同じで、この分解票に基づいて切り離されて坂を落とされ、各番線を担当する連結士が無人の貨車に飛び乗り、次々と連結していきます。見方は、左が分解する順番、次は収容番線、両数(無記は1両)、貨車の特性になります。詳しくは→ハンプ入換 分解票(大宮操車場)切り離された貨車は、ここから下り坂を利用して無人で転送されます。これを「散転」と呼びます。「突放」と同じ使い分けです。突き放さないから突放とは言いません。押されてくる速度は歩くくらいですから4km/hくらいで、あまり急坂ではありませんが、スピード制御を行わないと、30km/hくらいまでスピードが上がってしまいます。坂を下るに当たり、スピードを制御するために用いられるのが「カーリターダー」です。カーリターダーにはいくつかの種類があるようですが、国鉄で使われていたのは空気をシリンダーに込め、両側のブレードで車輪を締め付けるタイプが使用されていた筈です。カーリターダーの制御は上下各サイドに設けられた信号扱い所で操作され、ここではカーリターダーの制御担当、ポイントの切り換え担当、貨車の動きや群線での入換状況を監視する3つの担当が一体となって作業します。編成の長さや重量によって掛ける圧力が大きく違いますので、腕の見せどころとなりますが、たまに間違って止めてしまったり、締め損なって暴走貨車が発生することもしばしばありました。これは上から見た様子です。大宮操車場のハンプでは、最初に1基、3分岐した後にそれぞれ2基、それが上下入換で×2の合計14基が設置されていました。分解された貨車の長さや重量、利き具合を目視しながらスピードを調整し、連結士の安全を守ります。もし入換時に緊急事態が発生した場合、連結側の組長が停止指示を送ることにより、カーリターダーを最大限に締め、貨車を停止させます。押し上げ続ける列車も停止させないと次の貨車が激突してしまうので、ハンプ山の操車に停止指示を出し、機関士に非常停止を指示します。そしてカーリターダーを通過した貨車は、設定された番線へと向かって行き、これに連結士が飛び乗って貨車のスピードを制御、次々と連結させていきます。つづく
2026.01.27
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115系豊田車:快速「おさんぽ川越号」※本記事は、2013-03-27に投稿したもので、当時の表現になっています。川越線に武蔵野線から直通する歴史上も大変珍しい臨時列車が走りました。平成25年1月26日と、同年2月9日の2日間だけ設定された快速「おさんぽ川越号」で、新習志野~川越間の運転となりました。使用車両は115系豊田車6連で、大宮~日進間は旧川越線に位置する短絡線が使用されています。この短絡線は、川越車両センターで実施されるフェスタに展示するための車両や、ごく稀に運転される団体列車に使用されることぐらいしか無い経路でもあり、115系が一般営業として乗り入れること自体も初めてのケースとなり、注目を集めました。2日間の運転ですが、初日のみ撮影に行きましたのでご紹介いたします。※撮影は、平成25年1月26日、川越線日進駅にて。短絡線をゆっくりと進んできた115系 9621M。ヘッドマークはなく、行き先も「臨時」表示。ちょっとガッカリしました。ここ日進駅から単線となる川越線では、密度が低いとは言え各駅での行き違いが必要となります。ここ日進駅でも南行快速列車と交換です。ちょっとモタモタ感がありますが、ここで115系が発車です。交換したりんかい線車両の快速の姿はもうありません。そこそこのスピードを出して、珍客の115系営業車が川越線を走り抜けます。歴史的にも稀な経路の設定であったということで、鉄道ファンの乗車が大変多く、賑わったようです。運転日 平成25年1月26日、2月9日豊田~新習志野 回9520M~9721M新習志野~川越 9620M~9621M川越~南古谷 回9622M南古谷~川越 回9623M川越~新習志野 9624M~9625M新習志野~豊田 回9726M~9627M※この列車が契機となったのか、様々な形式の臨時列車が設定されるようになりました。
2026.01.26
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DD15ディーゼル機関車:DD1514国鉄DD15形ディーゼル機関車は、DD13形入換ディーゼル機関車を母体とし、ラッセルヘッドを取り付けて除雪車として使用できるようにしたカマです。それまでの除雪は蒸気機関車が除雪車を連結して行っていた関係で、終端では入換が必要となっていましたが、両端にラッセルヘッドを取り付けて作業できることから終端での入れ替えや機回しを省略でき、折り返し設備の無い駅間でも往復作業ができる画期的なものとなりました。しかし、軸重が大きくなるDDに車輪のないラッセルヘッドを装着することにより、軸重がさらに増大することとなったため、線路規格の低いローカル線への入線に制限が掛かってしまいました。その後、ラッセルヘッドに車輪を装備したDE15形が誕生したため、その時点で生産が終わっています。※撮影は、平成27年1月25日、富山機関区にて。DD1514ちょっと停まっている場所が悪いんですが、贅沢は言っていられません。なんと言っても、DD15を写真に収めるのが初めてですから。その昔、D51を撮りに毎冬訪れていた会津で、夜間の会津機関区はファンに開放してくれて、DD14やDE15なんてゴロゴロ居て撮り放題だったんですよね。しかし、当時は動いていないカマになんて魅力を感じなくて、D51のバルブやって直ぐ帰ってしまうようなことしてました。そんな舐めた態度いたため、除雪車は全くと言って良いほど撮影していませんでした。あの時、バルブでも撮っていれば良かったな・・・と、我が鉄道趣味人生でも悔いの大きなワースト3に入ります。とにかく、障害物が多く、しかもこんな時には晴れてド逆光・・・せめて曇っていて欲しかったシーンです。このDD1514号機は、平成29年3月に廃車になってしまったようです。
2026.01.25
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DD51牽引 50系客車:磐越西線(その1)磐越西線は郡山~新津を結ぶ路線で、スイッチバックとなる会津若松を起点に運転形態が大きく変わります。また、郡山~喜多方間は交流電化されている関係で、会津若松~喜多方間は郡山からの電車と新津からの非電化列車が同居しているという、変化のある路線となっています。現在は全線から定期客車列車が撤退してしまったため、郡山方の電車運用と新津方の気動車運用が中心となりますが、かつては全線を通して客車列車が運転されていました。会津若松~新津(新潟)間の客車普通列車は、無煙化からDD51が牽引機として活躍し、昭和50年後半頃までは旧型客車が使用されていましたが、東北本線とは違い、磐越西線では早くから50系客車が使用されました。私が友人と非電化区間へ良く通うようになった頃には既に旧型客車が撤退しており、当時新型であった50系客車は興味の対象外となっていましたが、東日本ではディーゼル機関車が牽引する客車列車が殆どなかったためか、地域別に捉えてみると、一番多く通った路線でした。今回は50系客車時代の客車普通列車の写真を集め、1回目として昭和時代に撮影したものをアーカイブしたいと思います。昭和62年5月3日 山都~喜多方間にてこれは初めて非電化区間に撮影に行ったときでしょうかね。GWなのにまだ冠雪がみえます。昭和62年6月13日 山都~喜多方間にて DD51781牽引昭和62年6月13日 喜多方~山都間にて DD511182牽引 運転免許取得後で、ED77の記録も兼ねて訪れていたようであり、足を延ばした程度の感覚で初訪問となったようです。昭和62年6月14日昭和62年6月14日 DD51793牽引昭和62年6月14日 塩川~会津若松間にて DD51757牽引昭和62年6月14日 塩川~会津若松間にてこの時もED77絡みですが、ED77牽引普通列車の写真を撮らずに、山奥まで入っていたようです。50系客車は、基本的にオハフ+オハ+オハフ+オハ+オハフの5両編成が基本となっていたようでした。昭和62年11月22日 山都~喜多方間にて 昭和62年11月22日 喜多方~塩川間にてこちらは晩秋となります。バックは飯豊連峰でしょうか、既に積雪があったようですね。通勤通学の列車は、ご覧のような8両編成という長い編成が使用されていました。昭和63年2月13日 喜多方~山都間にてこちらは青函連絡船の廃止前、北海道渡道への訓練を兼ねて訪れたもの。客車列車を撮るというより、12系お座敷客車を牽くDD51745を撮るためにわざわざ訪れた時に撮影したものです。平成時代になってからの写真も何枚かありますので、別の機会にご紹介したいと思います。
2026.01.24
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:キハ54系:釧網本線最後に渡道してから既に30年の月日が経過してしまいました。大好きであった北海道も、結婚してからは1度だけ。これほど旅に出ない人生を送ることになるとは思いませんでした。この間、数々の世代交代があり、特急列車で言えばキハ281系やキハ283系、新型の気動車も721系より後に誕生した電車も実物を見たことはありません。北海道の中でも撮影レベルだと「C623ニセコ」関連の函館本線山線と釧網本線の訪問数が多かったと思います。SLは別として、混合列車のインパクトが強かった釧網本線の印象が非常に強く残っています。昭和の時代は客車列車がメインであったこともあり、魅力的な路線でした。そんな釧網本線も、キハ22が全廃となって以降は永らくキハ54とキハ40系の牙城となっておりましたが、令和6年3月のダイヤ改正に合わせてすべて新型のH100形になってしまったそうです。平成2年3月11日 北浜~原生花園平成2年3月15日 細岡~塘路間にて30年以上前のこの時点においても、殆どの列車がキハ54形でした。北海道形であるキハ54500番台は、国鉄末期に誕生した形式であり、言わば国鉄の置き土産です。ですので、この撮影時点ではまだ登場したばかりの新車と言える時代。道内各地域で活躍していたようなイメージですが、29両しか製造されていないそうで、相次ぐローカル線の廃止、大量投入されたキハ40の余剰も手伝って、こんな量数でも足りていたということなんでしょうね。北海道気動車初のステンレス車両ということで、外観からの老朽化は感じられないと思いますが、気動車であるがゆえにエンジンの換装は余儀なくされてしまうため、コスパの関係でそろそろ後退させた方が良いとなったのでしょう。北海道もいよいよ「国鉄」が消えてしまいます。初代「オホーツク流氷ノロッコ号」国鉄 釧網本線:混合列車国鉄 釧網本線:普通列車(客車列車)DE10(DE15)牽引 貨物列車:釧網本線キハ40系:釧網本線 普通列車
2026.01.23
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JR貨物 EF81453EF81シリーズで、今回はJR貨物所属のEF81453です。EF81450番台は、本州~九州間における貨物列車の増加に対応するため、400番台改造よる運用をさらに保管するため、民営化後の平成3年にから増備されたグループに属します。この増備に当たっては、一般仕様の500番台(配置は富山)6両が計画されたそうですが、これを3両のみ計画に変更し、500番台を基本とした関門トンネル仕様とした450番台を5両追加して誕生しています。形態としては、EF81最終増備車を基本としており、のちのJR貨物色となるカラーが採用され、新たな時代を感じさせる風貌となりました。また、飾り帯を廃し、ナンバーの表示位置もオフセットされ、それまでのEF81の国鉄スタイルとは一線を画していました。500番台ではヘッドライト・テールライトの配置がそれまでのEF81と同様でしたが、450番台の2両(451号機・452号機)ではコンビでボックスライトとなり、車体下部に配されています。しかし、453~455号機の3両については、500番台と同様に従来の顔となっています。これは、先に発注予定だった500番台のボディを流用したことによるものらしいです。また、450番台については、ボディ下部にもラインが入っているのも500番台との識別ポイントになっています。平成27年1月24日 小杉~越中大門間にて EF81453牽引 1074レ初めて出会った450番台がうれしくて、2コマ撮ってしまいました。453号機は、平成4年7月28日落成の日立製。門司機関区の配置となりますが、富山機関区へ転属し、日本海縦貫線で活躍しました。しかし、のちに門司機関区に戻っています。これは454号機・455号も共通した動きのようです。ともすれば、この撮影時に偶然捉えることができた453号機の記録としても、大変貴重であったものと思います。この記事作成現在、5両のうちこの453号機のみは2023年度に廃車になってしまったようであり、他の仲間もEF510-300番台の増備によってはそれほど長くはないかもしれません。
2026.01.22
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西武鉄道 多摩湖線:新101系(白色編)過去ログ西武鉄道 多摩湖線:新101系(黄色編)に続き、今回は無塗装というか白塗装の新101系をまとめてみます。ラッピング用に登場したと思われる白塗装車でしたが、その後何故かラッピング等が行われない期間が長く、何のための塗装なのか良く分からない存在になっていました。平成24年9月10日 国分寺駅にて何の現場だったか忘れましたが、初めて会った白編成。当時は季節のラッピング車が居ましたが、これは無地で違和感が凄かったですね。平成29年11月28日 257F 運転台現場仕事を離れましたが、久し振りに事業所指導で多摩湖線に乗りました。ガラガラを良いことに車内を撮影。 平成29年11月28日 萩山駅にて 257Fしかし、来た電車に駆け込みで乗ったものの、運悪く萩山駅止まりで接続待ち。10分のロス。平成29年11月28日 萩山駅にて 259F反対側に来た列車も白1色。平成29年11月28日 萩山駅にて 編成番号不詳平成29年11月28日 運転台からやっと来た次列車。こちらも通勤とは逆方向でガラガラです。これも白1色で、途中ですれちがったオールM車の263Fのみが唯一見た黄色い電車でした。平成29年11月28日 八坂~武蔵大和間にてやっと10分待って5分で目的地の駅へ到着。待ち合わせ時間まで沿線で撮影していましたが、本数が少ないためあまり撮ることができず。もうちょっと早い時期なら紅葉がキレイだったかもしれません。単線の駅に入るため、中間の複線区間で行き違い待ちをするという珍しいシーンに初めて立ち合いました。平成29年11月28日 武蔵大和駅にて帰り掛けに来た電車は反対方向へ。この電車が折り返して来るまで乗ることができません。そのための記念撮影をしておいたのですが、この写真が過去のものになるにはあまり時間が掛からなかったですね。この後、懐かしの塗装や伊豆箱根色、台湾塗装などバラエティーな塗装が出現し、この白1色の期間はなんだったの?という状況になってしまいました。多摩川線にはまだ新101系がもうちょっと残りそうなので、1度くらいは訪問しておきたいですね。
2026.01.21
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EF510-510牽引:寝台特急「北斗星」今回は、「カシオペア」用として用意された銀ガマこと510号機が牽引する「北斗星」を集めました。特記以外は、上り2レ「北斗星」で、南浦和~蕨~西川口間の撮影です。平成22年9月26日平成24年4月29日 平成24年6月2日平成24年7月29日平成25年5月4日平成25年6月22日平成26年3月14日 東十条駅付近にてここまでが定期列車としての「北斗星」になります。平成27年5月16日 8007レ平成27年3月ダイヤ改正において臨時化され、JR東日本持ちの編成となり、列車番号も臨時列車となります。スジも「カシオペア」と共通になり、「カシオペア」「北斗星」が交互に運転されることになりました。そのため、下り列車が16時半過ぎの明るい時間の通過となったため、「北斗星1号」時代よりも撮りやすくなりました。510号機も509号機と同様に「カシオペア」の運転が残存したことによりJR貨物への売却が少し遅くなりましたが、「北斗星」に関しては臨時化後で1コマしかありませんでした。次回はからまた青ガマ511号機以降に続きます。
2026.01.20
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大宮操車場 ハンプ入換(引き上げ編)さいたま新都心駅の横に貨物の発着線をご存じの方は多いと思います。今でこそ立派なビルが立ち並び、さいたまスーパーアリーナなど著名な施設もあり、一大都市を形成していますが、かつてはすべてこの土地が貨物ターミナルでした。その名は「大宮操車場」。現在においても、さいたま新都心駅横の発着線は大宮操車場となっていますが、国鉄時代の貨物大合理化前は「大宮操車場駅」となっていました。これは、貨物営業(貨物の受け入れ・引き渡しを)を行っていたため、旅客を扱わない「駅」だったのです。ターミナル間の直行列車(急行コンテナ列車や専用貨物列車など)は大宮操車場すら通過してしまいますが、通常の車扱い貨物は基本的にこの大宮操車場に停車して、入換によって次の行先に都合の良い列車に組成されていったのです。流れを簡単に申しますと、①本線到着→本務機の切り離し②入換機(大宮操の場合はDE10又はDE11)の連結、貨車間のエアホースの切り離し③阪阜(ハンプ)への引上げ④散転→坂の上から方向別に貨車の切り離し・連結をする⑤阪阜(ハンプ)の群線から方向別入換又は駅別入換への引上げ⑥方向別入換又は駅別入換から列車への組成⑦入換機により出発線への転線⑧出発線でエアホースの連結及び本務機の連結⑨発車という感じです。これ以外にも、営業を行うセクションや、貨物列車の分解や組成を司る通信部門、駅の所掌を行う駅事務所(現在も大宮駅寄りに残っている)があったりしました。もしかしたら、私が知らない細かい部署があったかもしれません。これら全ての作業を経由して出発するまでは相当な時間が掛かりますから、貨物輸送が如何に時間が掛かるものであったか想像がつくと思います。国鉄末期にコンテナ中心の貨物へと体制を変えたのは、できるだけ入換をなくして拠点間をより早く移動し、小回りは自動車に頼るということで、時間と人員コストを減らすために他ならないわけです。本来説明するならば、ホースの切り離しのシーンとかも撮っておけば良かったのですが、こういった作業は部署別に分業されているため、私の部署から出向くにはそれなりの苦労もあったことから、残念ながら撮っていません。私が所属していたハンプ部に関係する部分になってしまいますが、何回かに分けてご紹介したいと思います。今回は、ハンプ入換の取っ掛かりとなる引上げのシーンをご紹介いたします。DE1140の牽引する下りハンプへの引上げ列車です。ハンプの高さはそれほどではありませんが、やや勾配のかかった線路であることがお判りいただけると思います。今や貴重な存在となったDE11で、しかも思いっきり初期車です。ちなみに、DE11は入換専用機として製造され、本線上で客車を引く可能性は皆無ですから、おそらく走行写真を捉えることは非常に難しい機関車だったと思います。次位に連結されたワキ5000も既に消滅してしまいました。こちらは、DE10533が牽引する上りハンプへの引上げ列車です。やたらタンク車ばかりで編成されていますが、車扱い貨物ですので形式はバラエティーに富んでいますね。大宮機関区のDE10は2桁の初期車が主でしたが、500番台も何両かいたようです。バックに写っている583系は何でしょう?今見ると気になります。これらの写真のように、到着した列車は全てハンプから切り落とされ、次の目的地へと仕分けがされます。
2026.01.19
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ED750番台牽引 旧型客車:普通列車(東北本線)国鉄時代、交流電化区間では幹線と言えども普通列車は電車化されておらず、電気機関車牽引による旧型客車或いは気動車による普通列車が当たり前でした。特に東北本線の黒磯口では、東北新幹線開業における急行形電車を普通列車へ転用することを見込んでいたようで、50系客車や12系客車の投入は見送られ、昭和59年度くらいまで旧型客車が活躍していました。母親の実家が福島県であったため、これら旧型客車に触れる機会が多く、その思い入れは非常に強いものでした。今回はED75が牽引する旧型客車による普通列車のうち、0番代が牽引するものをまとめてみます。昭和53年1月? 白河駅にて ED7586 上り普通列車昭和62年2月7日廃車。長町機関区。昭和56年1月5日 豊原~白坂駅にて ED7580 下り普通列車昭和63年11月21日廃車。長町機関区。→JR貨物譲渡 平成13年8月6日廃車。昭和56年1月5日 白坂駅にて ED75107 上り普通列車長町機関区 → JR貨物 平成15年2月12日廃車 仙台昭和57年1月4日 白坂駅にて ED7590 上り普通列車長町機関区 → JR貨物 平成20年3月14日廃車 仙台昭和57年1月4日 豊原~白坂駅にて ED75102 下り普通列車長町機関区 → JR貨物 平成20年4月1日廃車 仙台昭和58年10月5日 黒磯駅にて ED7578昭和62年2月6日廃車。長町機関区。昭和59年10月14日 矢吹~泉崎間にて 番号不明田舎に行く途中で白坂駅で下車して撮っていることが多かったようですが、本線と言えども普通列車の本数が少なかったためか、あまり撮影枚数は多くありませんでした。当時のED75の運用など知る由もありませんでしたが、この時代に700番台は羽越・奥羽本線のみの運用であり、0番台か1000番台が貨物列車と共通で使用されていたようです。
2026.01.18
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長野電鉄 2000系:D編成(りんご塗装)本記事は、2019-05-18に投稿したもので、当時の表現になっています。前記事2000系:A編成(マルーン塗装)に続き、長野電鉄の2000系特急型車両です。C編成から5年遅れて誕生したD編成は、スタイルや編成そのものはA~C編成と変わりませんが、台車が空気バネになるなどの仕様が変更されています。A編成が引退した平成23年は、JR東日本から購入した元253系が特急運用に充当された時であり、旧型として残ったD編成も既に特急運用からは撤退し、普通列車への充当で細々と最後の活躍をしていたようです。※一時的には代走充当があったようです。1度だけしか訪問していなかった長野電鉄ですが、須坂駅ホームで撮影中に、偶然にも普通列車に充当された2000系D編成に遭遇することができ、現役を記録することができました。※撮影は、平成23年5月4日、長野電鉄須坂駅にて。長野駅からの運用で須坂駅に到着したD編成。個人的にはやはりこちらの塗装が好きです。折り返しまでの間合いが長いため、乗客のいない車内も撮ってみました。後方側も撮っておけばよかった。先発の長野行が発車。元東急8500系との並びは不思議だけど、年代的にはそれほど変わらない世代。例え普通列車としてでも、現役として出会うことができたのはラッキーでした。この後、途中駅間で走行写真を撮っているのですが、リバーサルを露出オーバーに現像されてしまい、画像化していません。
2026.01.17
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EF8179牽引:寝台特急「北斗星」EF81牽引の寝台特急「北斗星」シリーズで、今回はカシガマ色ことEF8179号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっていますが、特に「カシオペア」については専用の塗装機が登場しており、「北斗星」の運用に就くことも度々ありました。平成21年1月17日平成22年4月18日平成22年6月27日平成22年7月4日79号機は、昭和48年8月25日生まれの日立製。79~81号機は共に富山第二機関区配置で主に北陸本線で活躍後、やはりEF80置き換え用として内郷区へ異動、さらに田端区へ所属を移し常磐線を中心に運用されました。民営化に際しJR東日本に継承され、「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などに充当されましたのも同様ですが、カシガマとなってからは専ら「カシオペア」牽引に特化して使用されました。「カシオペア」がEF510化され、さらにEF510-500番台の導入に伴い、平成23年6月4日付で廃車となっています。
2026.01.16
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国際興業バス:いすゞキュービック(ステップ車)今回は、国際興業バスで、もう既に懐かしい部類になってしまったいすゞキュービックのうち、ステップ車の写真を集めて並べてみます。7650 平成19年3月14日 蕨駅西口 戸田営業所 95年式地元はキュービックだらけでしたが、エルガの勢力がかなり強くなってきました。7681 平成19年7月1日 大宮公園内 95年式 娘の水泳大会の送迎で待機中に撮影したものです。大宮競輪開催の際に運行される無料送迎バスです。9061~75もご参照を。8038 平成18年11月4日 赤羽駅東口 赤羽営業所 94年式 8040 平成18年11月4日 赤羽駅西口 赤羽営業所 94年式8041 平成19年1月7日 蕨駅西口 戸田営業所 94年式8072 平成18年11月4日 赤羽駅西口 赤羽営業所 95年式まだ旧塗装のキュービックがバリバリに活躍していた頃ですが、既にノンステップ車どころか、エルガまで登場して来ており、退役も近くなってきていることを予感させていました。8081 平成20年2月10日 川口駅西口 鳩ヶ谷営業所 95年式一般営業からは既に退役したキュービックで、戸田ボートレースの無料送迎車に充当されていたところを偶然にキャッチしたものです。ワンマン営業仕様の機器類は撤去されているようです。8091 平成18年11月4日 蕨駅西口 戸田営業所 95年式8091 平成18年11月4日 蕨駅西口 戸田営業所 95年式95年式までは、アイドリングストップ車になっていなかったようでした。9004 平成18年11月4日 赤羽駅西口 志村営業所 96年式アイドリングストップ車です。9022 平成18年11月4日 赤羽駅東口 赤羽営業所 96年式9023 平成18年11月4日 赤羽駅西口 赤羽営業所 96年式9024 平成18年11月4日 赤羽駅東口 赤羽営業所 96年式9025 平成18年11月4日 赤羽駅西口 赤羽営業所 96年式以上の4枚は、偶然にも連番となっていました。9025だけ塗装が新色に更新されているのが分かります。アイドリングストップのマーク(行先幕の左右)の付き方が4車ともバラバラなのがユーモラスです。9061 平成20年7月6日 大宮公園内9074 平成20年7月6日 大宮公園内9075 平成20年7月6日 大宮公園内大宮競輪の無料送迎専用に充てられているらしく、パスネットやパスモが使えるステッカー類が外されたような痕があります。運転手さんがいたのでジックリとは見ませんでしたが、おそらく、料金箱等の設備も撤去されていると思われます。9079 平成20年5月18日 北浦和駅西口 西浦和営業所 94年式9080 平成20年5月18日 浦和駅西口 西浦和営業所 94年式以上、2枚とも浦和駅高架工事で借り出された鉄道代行バスです。既に一般営業路線からは旧塗装のキュービックは見られ無くなっており、この日の代行車両も大勢がエルガになっていました。9097 平成18年11月4日 蕨駅東口 鳩ヶ谷営業所 96年式このバスは塗装更新済みでした。特徴的なデザインのキュービックで、初期のノンステップ車にもこのデザインが継承されましたが、その期間はわずかで、エルガへと発展・解消となりました。
2026.01.15
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国鉄 直流型電気機関車:EF66901EF66シリーズで、試作機の901号機です。EF66901号機は、当時最強だったEF63をも上回る出力で、さらに110km/hを超えるハイスピードで走れるように設計された、次世代の高速・強力貨物機として「EF901」という名の下に誕生しました。各種試験から良好な結果が得られ、EF90はEF66と名を変え、量産されることになりました。昭和57年10月4日 山陽本線 八本松~瀬野 EF66901牽引の下り貨物列車EF66の量産に伴い、試作機として製造されたEF901についても、標準化の改造を受けるとともに「EF66901」として量産機の仲間入りをする事になります。国鉄時代は貨物列車を中心に運用され、ブルトレのEF66牽引化に当たっては901号機もブルトレを牽引したことがあります。民営化に当たってJR貨物に引き継がれ、比較的長く活躍したのですが、平成8年に保留車となり、平成13年2月9日付で解体されたとされています。写真の901号機は、瀬野八にEF59の写真を撮りに行った際、踏み切りで待機しているところに偶然来たものです。ナンバーを見て901が見えて慌てて撮ったため、大変良くない構図だったのですが、当時自分で写真現像をしていたので、都合の良いようにトリミング・プリントしてあったものをスキャニングしたものです。引き伸ばした上でのプリント→スキャニングですので、画像が荒くなってしまったのが残念。
2026.01.14
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以前にもここで報告していますが、また新たに当ブログの写真をパクったyoutuberを見つけました。新たなものについては現在対応中なので伏せますが、前回警告を行った動画について、未だに掲載を続けていることが判明しました。本日、コメントにて抗議を行ったところ、そのクレームコメントを削除するという暴挙に出てきました。改めまして、これを悪質YouTuberとして告発します。当該サイト → ニートレイン【スズキン】 https://www.youtube.com/@suzukin/shorts当該画像なお、このブログにある画像について、他の方からの提供写真を除き写真の使用を許可することがあります。過去にもテレビ・書籍等のメディアや、youtubeの作品製作のためにご連絡のあったものについて、複数の許可実績があります。もし使用したい写真がありましたら、当該写真が掲載されているエントリのコメント欄からお問い合わせください。採否については個別判断になります。なお、近年流行しているショート動画については許可する予定はございません。過去にオークションの説明画像として無断使用されたことがあり、抗議の上当該案件を削除させた実績があります。極めて悪質と判断した場合は法的処置も有り得ますので、覚悟してください。お互いに気持ちよくご利用いただけますよう、ご協力をお願いいたします。
2026.01.13
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キハ401000番台:烏山線平成29年3月4日ダイヤ改正において、烏山線ではそれまで活躍してきた気動車から、蓄電池式の電車「ACCUM(アキュム)」に置き換えられることになりました。私の記憶のある中では、EF57が終焉となる昭和52年初頭ぐらいはキハ10系が活躍していましたが、老朽気動車の置き換えのためにキハ40系が新製され、烏山線でも昭和54年から導入されたようです。烏山線の置き換え当初はキハ402000番台車でしたが、昭和61~62年に掛けて便所撤去等の工事が実施され、1000番台となって統一されました。※撮影は、すべて平成25年1月13日です。滝~小塙間にて 334D滝~烏山間にて 333Dこの時は日光線の撮影と絡めていったのですが、デジイチを家に置き忘れるという大失態を冒してしまいました。さらに、撮影場所が分からずに道に迷うなど散々な目に遭ってしまったのですが、偶然にも良い撮影場所に出くわし、サブカメラにてなんとか記録に残すことができました。当時は再訪を考えていましたが、あっという間に時が過ぎ、結局撮影はこの時限りとなってしまいました。置き換え導入から38年の時間を過ごしたキハ40も、いよいよ終焉を迎えることになりました。そして、それは関東からもキハ40系が消滅してしまうことも同時に指すことになりました。キハ402000番台:烏山線『ミステリー列車:銀河鉄道999(初代)』『DD51842:快速「烏山山あげ祭り」』
2026.01.13
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マル鉄回顧録にて、年末年始の撮影をアップしています。よろしければ各リンクからどうぞ!2025/12/30 臨時特急「水上」 新宿発で運転2026/1/3 臨時特急「水上」ほか東北貨物線2026/1/10 臨時特急「下田水仙まつり号」
2026.01.12
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西鉄バス 三菱ふそうエアロキング:「はかた号」三菱ふそうエアロキングシリーズです。新宿~博多を結ぶ長距離高速夜行バス「はかた号」。バスコレで初めてその存在を知り、一度は見てみたいと思っていたのですが、まだその頃はその存在を良く知っておらず、デジカメにより夜間撮影ができるようになって初めてその姿を見ることができました。しかし、バスコレであのインパクトのあるデザインを纏ったハイデッカーバスは既に運行を終えてしまったようで、私が目にしたのは全く違ったデザインのダブルデッカー三菱ふそうエアロキングを使用した「はかた号」でした。※撮影は、平成22年1月22日、新宿西口バスターミナルにて。三菱ふそうエアロキング 西鉄バス「はかた号」「はかた号」は、平成21年12月からエアロキングによる運行となったそうなので、写真はまだ導入間もない頃ということになります。残業帰りに偶然に目にしたエアロキングを撮ったのが偶然「はかた号」であったという程度の記録で、家に帰って調べるまでは何ものかも分かっていなかったという記憶があります。この頃はカメラを持ち歩くことはなかったので、ケータイでの撮影でした。新宿のバスターミナルがバスタに移転してからは夜行バスを捉える機会もなくなってしまいましたが、エアロキングによる「はかた号」はわずか5年で終了し、平成26年12月からは新型のハイデッカー車両に移行してしまったそうです。
2026.01.12
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EF510-509牽引:寝台特急「北斗星」今回は、「カシオペア」用として用意された銀ガマこと509号機が牽引する「北斗星」を集めました。特記以外は、上り2レ「北斗星」で、南浦和~蕨~西川口間の撮影です。平成25年10月1日平成26年2月11日 東十条駅付近にて平成26年2月23日平成26年3月15日平成27年3月3日ここまでが定期列車としての「北斗星」になります。平成27年4月25日 8008レ平成27年5月30日 8007レ平成27年7月26日 8007レ平成27年3月ダイヤ改正において臨時化され、JR東日本持ちの編成となり、列車番号も臨時列車となります。スジも「カシオペア」と共通になり、「カシオペア」「北斗星」が交互に運転されることになりました。そのため、下り列車が16時半過ぎの明るい時間の通過となったため、「北斗星1号」時代よりも撮りやすくなりました。何故か509号機は「カシオペア」の運転が残存したことによりJR貨物への売却が少し遅くなったため、やや多めのコマ数がありました。次回はから銀ガマ510号機が続きます。
2026.01.11
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東武鉄道 20000系(20070型):伊勢崎線前回からの続きで、これで完結です。東武伊勢崎線における地下鉄日比谷線直通用電車2000系の後継として、昭和63年から導入が始まった20000系電車。平成8年に増発用として3編成の20000系が増備されました。この3編成についてはまた全車両が3扉に戻され、20000型と同様のスタイルになります。ただし、方向幕はLED化、パンタグラフはシングルとなっています。東武鉄道ではこれを20070系(20070型)と区別していました。平成24年8月1日 谷塚駅にて 21872F平成22年11月2日 五反野駅にて 21873F本番台は元々3編成しかなかったために2枚しかありませんでしたが、確率の割に押さえてあったのは奇跡です。誕生から20年ちょっとしか経っていませんが置換えの対象となってしまいました。ただし、こちらも車齢が若いためか20400型に改造され、短編成化からあぶれてしまった車両は残念ながら廃車となってしまったそうです。東武鉄道 20000系(20000型):伊勢崎線東武鉄道 20000系(20050型):伊勢崎線
2026.01.10
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3分岐ポイント:大宮操車場(ハンプ入換)鉄道に使用するポイント(分岐器)にはさまざまな種類があることは勿論ご存知かと思います。特に鉄道模型を楽しんでいる方は、レイアウトにどんなポイントを使用しようか悩むのも楽しみと言えると思います。実際の鉄道におけるポイントは現地に合わせた手作りですが、規格が決まっている模型では複雑な分岐形態を表現するのは難しく、複雑なものほどとんでもない金額で売られています。もう4年以上も前ですが、仕事の帰り掛けにIMONに寄り道した際、TOMIXで3分岐のポイントが発売されているのを知りました。元々はTOMIXで揃えていたのですが、レイアウトの作成をやめてからは線路の発売状況など知る由もなく。形は違いますが、大宮操車場ハンプ入換で使用されていた3分岐(三枝分岐)ポイントをご紹介したいと思います。大宮操車場では、限られた線路延長の中で多くの群線を分けなければならないため、このような3分岐ポイントが多用されていました。ご覧のようにキレイな左右対称の3分岐器となっており、下りハンプでは3分岐~3分岐×3で9本に分かれ、さらに2分岐で18本の入換線(このほかに1番線の外方へ20番線が分岐)がありました。上りハンプは3分岐~3分岐×2+2分岐×1でさらに2分岐の合計15本でした。つまり、この狭い範囲で同じ構造の3分岐ポイントが7対もあったことになります。実はこのポイント、エアー式なんです。マニアの方でも殆ど知らないと思います。ポイントの切り替えといえば、転轍テコを使用した手動式とモーターによる継電式が一般的ですが、このようなエアー式が存在するということを大宮操車場に配属になって初めて知りました。次々と坂の上から貨車が転がってくるわけですから、人力に頼るだけの手動式なんて危険過ぎますし、モーター式は力は要らないものの切替えに10数秒掛かってしまいますので、いずれもハンプ入換には不適なんですね。で、安全性と作業性を優先した場合に有利だったのがこのエアー式だったのではないでしょうか。切替えは2秒ほどです。『シュー、バタン』。口で表わすとこんな早いんです。解かるかな?(笑)何故このようなエアー式が可能だったかというと、カーリターダーと関係が深いのです。カーリターダーはエアーがないと作動しませんので、ポイントを動かすためのエアーも供給が可能なわけです。もちろん、数が沢山ありますので、相当強馬力のコンプレッサーが使われていたものと思います。これらの一連の動作は、高い位置の設けられた信号所(3枚目の写真の右下)の中で全て操作されています。カーリターダーを操作する担当と、ポイントを操作する担当、そして入換間隔を見張る担当がコンビで作業を行っていたと記憶しています。スピード感にある入換も無くなってしまった時代、このようなエアー式のポイントが設置されることはもうないでしょうね。模型ではその小ささ故にこの左右対称のこのタイプはちょっと難しいかもしれません。狭いスペースで群線を作るには持って来いのポイントなんですけれども。歳をとってレイアウトを製作する見込みもなくなってしまった今、このようなポイントを製作してほしいという願望もなくなってしまいました。
2026.01.09
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ED751035牽引:荷物列車34レ昭和の時代、当たり前のように走っていた荷物列車。手荷物輸送として優等列車に併結したもの、ローカル輸送として普通列車に併結していたもの、そして地域間の定期輸送で専用に仕立てられた幹線の急行荷物列車などいろいろありました。列車そのもののスピードや荷扱い停車の関係から夜行列車が多かった幹線の荷物列車でしたが、走行区間の関係で昼間を堂々と走る荷物列車も一部見られることができました。昭和56年1月5日 白坂駅付近にて ED751035牽引 荷34レ東北本線の仙台~大宮間では、早朝の44レと午後の34レが撮影可能であったようです。写真の34レは仙台~隅田川間の比較的に短距離の急行荷物列車。不思議なことに、仙台~福島間は無停車でありながら、なぜか普通列車扱いの1044レとなっています。時刻表を見ると、仙台~福島間は普通列車として客扱いをしていることになっていることが判りました。おそらく、2~3両程度の客車を併結し、福島で開放、他の荷物車をさらに増結していたのではないかと想像します。写真の列車は末期に近いということもあり、マニ50形が半分を占めています。東北本線の荷物列車は、本来ならば半数にワキ8000やスニ40といった銀箱客車が連結されていたものですが、かなり車両構成が変わってしまっているようです。荷物列車は結構撮っていますが、私が社会人(国鉄入社)になって3年で荷物列車自体が全廃になってしまいましたので、雪景色の中を行く荷物列車の写真というの数があまりありません。まして交流区間では、ということになりますと、 私的に大変貴重な1枚となっています。ED751035昭和49年 3月16日 東芝製 青森運転所昭和61年 3月 1日 青森東運転所昭和62年 4月 1日 JR貨物へ継承平成 8年 7月 5日 青森機関区 廃車?1035号機は、事故廃車を除き1000番台の中でも一早く廃車になってしまったようです。
2026.01.08
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東武鉄道 30000系:日光線(栗橋~新古河)※本記事は、2020-06-18に投稿したもので、当時の表現になっています。現場回りや1800系の撮影などで、ある期間東武鉄道に接する機会がありました。基本的には銀色を撮る気はないのですが、この時代、そんなことを言っていると全ての記録を失ってしまうことになります。今ではどんな時でもカメラを持ち歩き、できるだけ記録するようにしています。これもデジカメ時代のお蔭です。東武鉄道の30000系。半蔵門線への乗り入れ用として平成8年から150両製造された、東武でも新しい方の部類に属しますが、その存在が何故か地味で中途半端な気がします。半蔵門線は10両編成ですが、東武伊勢崎線では工場の関係で6両+4両で製造されており、運用では10両固定となります。これがどうも増備されなかった原因のようです。(その後、50050系では10両貫通編成が実現。)使い勝手の悪かった30000系は、50050系の登場により3年強の使用で地上線専用となり、伊勢崎線や日光線で運用され、さらに改造を受けて次々と東上線に転属。運転台使用停止により10両編成化され活躍しています。現在は20両が伊勢崎線系統で使用されているのみになってしまったということです。平成24年5月5日 栗橋~新古河間にて30000系 31607編成 区間急行前記事と同様、現在はワンマン化されてしまった区間。もちろん30000系の運用は撤退となってしまいましたが、当該編成も既に東上線へ転属となっています。平成24年8月1日 新越谷駅にて30000系 31614編成 区間急行 北千住行き外回りの際、乗り継ぎ時に撮影した30000系。特に意識していませんでしたが、良く見ると行先が北千住でした。平成29年3月12日 杉戸高野台~東武動物公園間にて30000系 31606編成 急行 中央林間行き最後に撮影した30000系は、半蔵門線乗り入れの10両編成でした。2020年現在、半蔵門線直通は1編成のみとなっているそうですが、当該31606編成か、31609編成なのか分かりません。東武の銀色車両の中でも、30000系のデザインは洗練されており、一番カッコイイと思いますが、ちょうど過渡期の登場となった影響で損したなぁと感じます。東上線ではまだまだ活躍すると思われますが、伊勢崎線や日光線、乗り入れている半蔵門線や東急においては超レア種となっています。
2026.01.07
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EF8178牽引:寝台特急「北斗星」過去ログで1度だけEF81133牽引:寝台特急「北斗星」にてEF81牽引の寝台特急「北斗星」をご紹介したことがありました。後任のEF510-500番台牽引による「北斗星」の記事についても進行中ですが、並行してEF81シリーズも記事にしていきたいと思います。今回はEF8178号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっています。78号機はこの「北斗星」指定機の中でも最若番のカマでした。平成20年2月10日 「北斗星2号」まだ2往復が設定されていた時代で、上り2号はJR北海道編成でした。平成21年3月21日平成21年9月20日平成21年9月23日1往復化され、編成はJR北海道とJR東日本の混成編成になりました。78号機は、昭和48年8月20日生まれの日立製。過去ログEF8177牽引 旧型客車:お召訓練運転と同様に、酒田機関区配置で羽越本線で活躍後、EF80置き換え用として内郷区へ異動、さらに田端区へ所属を移し常磐線を中心に運用されました。77号機とは異なりそのままJR東日本に継承され、「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などに充当されました。EF510-500番台の導入に伴い、平成22年12月26日付で廃車となっています。
2026.01.06
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JR東日本 E995形:クモヤE995-1(スマート電池くん)※本記事は、2019-12-21に投稿したもので、当時の表現になっています。JR東日本小山車両センターに所属していた「スマート電池くん」ことクモヤE995-1ですが、令和元年12月18日、長野車両センターへと配給回送されたそうです。廃車回送のようです。平成15年にJR東日本とJR総研との共同開発によりハイブリッド気動車キヤ991としてた誕生した車両ですが、平成19年に一旦廃車となります。平成20年に燃料電池車へ改造後、さらに蓄電池駆動車へ再改造、小山車両センターに所属され、烏山線などで試験が実施されました。平成22年に車籍が復活、形式も電車であるクモヤE995形となってます。平成23年10月15日 大宮総合車両センターにて東日本大震災の影響で10月にずれこんだ公開にて。初めてクモヤE995-1が展示されました。車両の両端前面には「スマート電池くん」ではなく「ne@train」となっています。PRとしては全く記憶に残っていませんが、neはNEW ENERGYを略したもののようです。車体のセンターに「スマート電池くん」のイラストとロゴが表現されていました。平成26年5月24日 大宮総合車両センターにて3年後の公開において、また展示の機会がありました。この時点においては、EV-E301系電車が烏山線で運用を開始しており、一定の役割を終えたところのようです。我が地元は生まれた頃から既に電化されている地域なので、一部の急行列車を除いては気動車とは無縁ですから、このような試験車に出会う機会というのはまずありません。同車もわざわざ情報をキャッチして出掛けなければ撮影する機会が無かった車両ですが、このような展示だけでも出会うことが出来たのは幸いでした。なお、同車は令和元年12月19日付で廃車になり、翌年2月に解体されてしまったそうです。
2026.01.05
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EF510-506~508牽引:寝台特急「北斗星」今回は、506号機~508号機が牽引する「北斗星」を集めました。平成23年1月16日 EF510-506平成24年12月24日 EF510-507平成23年2月12日 EF510-508平成23年8月13日 EF510-508平成24年4月30日 EF510-508平成24年6月24日 EF510-508何故か505号機は1枚もありませんでした。他にもここの号機はやはり何故かコマ数が少なかったようです。次回はから銀ガマが続きます。
2026.01.04
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日野セレガGT(シアターシート):(有)豊栄観光現場仕事で、昼食後の移動の際、見つけたバスです。かなり前に撮影したものですが、当時としても既に珍しくなっていました。交差点で右折信号待ちをしていたバスが、結構違和感があったんです。目が悪いのでカメラを取り出し望遠で覗いてみると、なんか客窓が斜めなんですよね。それで、右折して来るまで交差点でカメラ構えて待っていました。平成23年11月7日 八重洲南辺り 日野セレガGTバスに興味をもって写真を撮っていた頃ですが、観光バスタイプはあまり区別が付かなくて・・・家に帰ってから調べてみました。最初は外国製かと思っていましたが、画像を拡大してみたら「日野セレガ」の文字が見えました。調べてみますと、どうも「日野セレガGT」という車種らしいです。この車両、「シアターシート」といって、映画館のように傾斜した床構造となっており、1993年(平成5年)で製造が打ち切られているらしいです。ということは、最低でもこの時点で既に18年以上も経過していることになります。事業者は川越の(有)豊栄観光という会社で、HPがないらしく、詳細が良く分かりません。都心部にこのような古いバスを乗り入れているとすれば、当然「自動車NOx・PM法」に適合させているということなのでしょう。当時としても既に貴重なスタイルであったバスが記録として残りました。
2026.01.03
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EF65500番台牽引:寝台特急「はやぶさ」「はやぶさ」は、昭和33年10月の改正により東京~鹿児島を結ぶ夜行特急列車として誕生しています。誕生当初は旧型客車が使用されていましたが、昭和36年7月の改正により20系寝台客車が導入され、運転区間が西鹿児島行きに改められています。昭和43年10月の改正においては、博多回転車となっていた付属編成が長崎行きとて延長され、2階建て列車となります。昭和50年3月の改正において、長崎編成は分割併合に利のある14系寝台客車を使用した「みずほ」に役割を変更し、「はやぶさ」は元の運用に戻ります。この際、関西で余剰となった24系24形を使用するようになり、さらに約1年半後には新製による24系25形ににグレードアップされています。牽引機は、他のブルトレと同様にEF58、EF60500番台、EF61などが使用されましたが、長距離を走る定格速度の関係から、EF65500番台が使用されるようになりました。昭和51年頃 東京駅にて EF65529牽引 上り「はやぶさ」長躯、西鹿児島からの旅を終えて東京駅に到着した「はやぶさ」。写真は13番線で、現在は東北新幹線の発着ホームに変わってしまいました。写真の「はやぶさ」は、24系24形を牽引しています。昭和52年頃 東京駅にて EF65503牽引 下り「はやぶさ」こちらは下り「はやぶさ」の東京駅13番線への入線シーン。当時は全ての列車が本務機に牽かれ、本務機が機回しを行ってからの出発になりました。写真の「はやぶさ」は、神田方面へ一旦引き上げてから機回しを行い、準備が整ってからの入線となっていたようです。既に24系25形化されています。※入線後ホームで機回しを行う列車もありました。503号機は、下関に配置された機関車。牽引機の不具合時などにしか登板してこない、希少なシーンとなります。昭和52年頃 田町駅にて EF65512牽引 下り「はやぶさ」東京駅では折からのブルトレブームに沸き、鉄道少年等で写真が撮りづらくなり、ここ田町駅へ撮影場所を移動してくるファンも多くなってきました。横を新幹線が通っているため、すれ違いや併走のシーンも度々見られました。昭和52年頃 品川駅にて EF65528牽引 上り「はやぶさ」撮影場所がマンネリ化し、撮影場所を移動している様子が分かります。写真は品川駅を通過する上り「はやぶさ」。この直後、機関車に思いっきり汽笛を鳴らされ、通過ホームで写真を撮っていた高校生らしき少年が駅員に首根っこを掴まれ、事務室へしょっ引かれて行きました。あの頃は駅員さんも怖かったんですよ。昭和53年 東京駅にて 14系「さくら」と並ぶカニ24「はやぶさ」「さくら」の15分後に発車する「はやぶさ」は、作業ダイヤの都合か、品川から回着したまま一旦神田方向へ引き上げ、機回しを済ませてから13番線に入線する方法をとってました。そのため、写真のように毎日「さくら」と「はやぶさ」の並びを見ることが出来ました。昭和54年3月 東京駅にて 13番線で出発を待つ「はやぶさ」オハネフ25100番台を最後尾に停車中の「はやぶさ」。電車特急は昭和53年10月よりイラストマーク化されましたが、ブルトレは1年以上遅れてのスタートとなっていました。したがって、昭和54年の撮影ですが、まだ文字テールマークのままです。平成22年5月22日 おおみや鉄道ふれあいフェア2010にて30年を経てこんなイベントでしかお目に掛かることが出来なくなってしまいました。昔は良いカメラではなく、落ち着いて撮るわけでもなかったので、大人になってじっくり撮れる写真は安定感があります。この時代は小学校6年~中学3年くらいでしたので、20系や24系24形も目の当たりにしていましたが、なぜか写真は撮っていなかったようで、記録に残せなかったのが残念です。
2026.01.02
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EF66牽引:寝台特急「富士」「富士」は日本初の特急列車で、明治の終わりに東京~下関を結ぶ客車特急として誕生しています。『EF65500番台牽引:寝台特急「富士」』『EF651000番台牽引:寝台特急「富士」』の続きで、今回は、昭和60年3月ダイヤ改正から置換えの始まったEF66による寝台特急「富士」をご紹介したいと思います。昭和62年2月14日 三島~函南間にて EF6640牽引 上り「富士」 富士山をバックに写し込める有名な区間。当日は晴れていたのですが、富士山は雲に隠れてなかなか姿を現わしませんでした。しかし、何故かこの「富士」が通過するときだけ雲がどいてくれたのです。ただ、短焦点レンズの画角を合わせるためズームレンズに2×テレコンを使用してしまい、結果として眠たい残念な写真となってしまいました。昭和62年2月15日 根府川~早川間にて EF6651牽引 上り「富士」 翌日は撮影場所を変え、カーブ写真を撮りました。まだ編成の長かった「富士」を写し込むことは出来ませんでしたが、食堂車やロビーカーを連結していた堂々とした姿を残すことが出来ました。ちなみに、「富士」のヘッドマークが富士山型になったのは、EF66の牽引に変わったときからです。平成6年8月20日 金谷~島田間にて EF6650牽引 上り「富士」東海道ブルトレの衰退が目に見えてきた頃です。既に蒸機の撮影に移行していたのですが、大井川鉄道撮影の現地集合までの合間、時間があったので金谷駅近くの踏切で「みずほ」の撮影のためにカメラを構えていました。丁度「みずほ」の廃止が決定された頃だったと思います。しかし、「みずほ」の時間に現れた列車は、なんとこの「富士」だったのです。1時間くらい遅れていたようです。寝台特急の需要低迷を打破するため、ロビーカーという新たな旅の需要を見込んだ結果、編成重量増の解決策として誕生したのが貨物用機関車であるEF66牽引でした。EF66牽引によるブルトレは、昭和50年頃に鉄道ファンが憧れた夢の組み合わせでした。まさか10年越しで実現するとは思ってもみませんでした。しかし、空路の実質格安化などの競争に勝てることはできず、衰退はさらに進み、「はやぶさ」との併結化により単独「富士」はここで終焉を迎えることになります。
2026.01.01
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