1

E257系0番台:集約臨中央東線の特急「あずさ」「かいじ」がE353系化され、交代余剰となったE257系0番台は、房総地区で捻出された500番台の一部と合わせて、特急「踊り子」及び185系に変わる波動用として活用されることになりました。捻出されたE257系は、「踊り子」用及び波動用についても改造により番台区分が新たに設けられることとなったため、廃車となってしまった付属編成を含め、0番台は消滅することになってしまいました。改造に当たっては、作業スケジュールについて労使問題にまで発展し、完全竣工とならずに運用に入ったり、作業が間に合わずに0番台のまま新たな職場で働く車両もありました。※撮影は、平成30年9月24日です。E257系 集約臨 8583M185系に代わってE257系の運用が始まってから早1週間。やっとその姿を捉えました。改造が間に合わない編成が発生し、特に「踊り子」に運用されない波動用の編成は0番台のまま運用された期間がありました。基本編成を使用しているので、前後で顔が変わってしまうのですが、その後は非貫通側の姿を捉えることが出来ないまま、すべての編成が改造されて0番台は消滅してしまいました。0番台の姿で集約臨に運用されたのはわずか2~3年程度であったと思われます。183系・189系:特急「あずさ」189系 M11編成(松本車):特急「あずさ」189系:臨時特急「あずさ銀嶺」183・189系 H81編成:団体列車「長野行き 懐かしのあずさ号の旅」E257系:特急「あずさ」E257系:特急「かいじ」253系1000番台:臨時特急「むさしのかいじ」
2026.05.14
閲覧総数 62
2

国鉄 直流型電気機関車:ED62(その2)国鉄 直流型電気機関車:ED62(その1)からの続きです。昭和58年2月23日 伊那本郷~飯島間にて ED628昭和58年7月1日 ED6212すでに旧型国電も終焉といった時期で、1日に2往復程度しか運用が残っていなかったと思います。定期運行の旧型国電にも、さよなら旧国のヘッドマークが取り付けられていました。それでも、貨物輸送については大合理化の前なので、定期スジの貨物はちゃんと走っていました。昭和58年7月1日 ED6217こちらも同じ場所で、比較的同じ時間に上下列車が交錯していたようです。写真の17号機は、廃車後も大宮総合車輌センターで保存されていました。昭和57年8月10日 ED625 大沢信号場にて時期が前後していますが、初めて大沢信号場を訪れた時の写真です。昭和57年8月10日 ED627こちらも同じ行程で撮った写真ですが、場所が特定できません。飯田線は、全線に渡り駅間距離が短いため、1回の撮影で5駅~10駅近くも歩いてしまうことが多いんです。ですので、細かい区間の特定が非常に困難であり、記録の残っていない今となっては、旧国データ泣かせとなっています。平成21年5月23日 大宮総合車両センターにて現在も同センターで保存されているED6217です。確か、ED62として最後まで残っていたカマだったと記憶しています。平成21年8月22日 佐久間レールパークにて佐久間レールパークにて保存されていた14号機。詳細な情報は確認できませんが、同園の閉園後に現地で解体されてしまったようです。マイナーな機関車にもかかわらず、保存車があると言うのは嬉しいことでしたが、大宮の17号機も博物館には収蔵されず、2021年3月に解体されてしまったそうです。国鉄型直流電機:ED60(大糸線)
2026.05.13
閲覧総数 115
3

祝 2,000,000PV2024年12月31日、引っ越しによるブログの立て直しから2年9か月くらいで1,000,000PVをいただきました。あれから1年半弱ですが、2026年5月14日未明に2,000,000PVを超えました。ブログネタを復刻するのに丸3年は掛かるという意気込みで1日1記事を処理してきましたが、ネタは順調に消化しているものの、国鉄形電気機関車やJR貨物のDE引退等により、アーカイブ数が細分化されて増えてしまいました。また、客車列車の廃止され、転職→退職により出歩く機会もなくなり、写真ネタも激減してしまった一方、また鉄道模型に比重がシフトしてしまったこともあり、以前よりネタ作りが多くなってしまいました。趣味として楽しまなければ意味が無いのですが、負担に思ってしまうこともあり、残念な気持ちです。さらに、また悪質ユーチューバーによる無断使用が明らかになったため、これの対策・手続きも必要になってアタマの痛いところ。こんなクソ相手になぜこちらが頭を痛めなければならないのか?本当に腹が立ちます。絶対に攻撃します。廃止になった車両を中心に、またしばらくは更新してまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
2026.05.14
閲覧総数 40
4

103系:赤羽線赤羽線は、東北本線赤羽駅と山手線池袋駅を短絡する路線を指します。元々は赤羽~池袋~新宿~品川間において「山手線」として開業した経緯があり、のちに池袋~田端間が開業したことで池袋~赤羽間が支線のようなかたちで残りました。赤羽線は営業規則上の正式な名称ではなく、山手線として定められていましたが、昭和47年に正式に「赤羽線」という独立した路線名になりました。前記事で赤羽線の101系をご紹介いたしましたが、今回は103系化後の写真をご紹介したいと思います。昭和54年8月頃 赤羽駅にて 103系 カナリヤイエロー編成赤羽線は比較的早くに103系化されました。編成が少なかったこともあったのでしょう。101系時代にも103系ウグイス色車が代走されたのを見たことがありますが、オールウグイス色が普通であり、このようなオールカナリヤイエローの編成はこの時代以降くらいでした。昭和54年8月頃 赤羽駅にて 103系 混色編成むしろこんな混色編成の方が一般的だったような記憶があります。中間車は全部非冷房車。埼京線と直通運転が始まるまでは8両編成でした。違和感がありますが、フツーに走っていました。昭和56年 赤羽駅にてこの頃になると、新幹線関連の工事が始まって来たようです。赤羽線は5番線のみの1本折り返し使用であり、反対側の6番線は、赤羽線を経由して大宮方面に抜ける下り貨物列車の専用通過線として使用されていました。しかし、この写真を見る限り、昭和54年には既に貨物通過線は撤去されているため、おそらく昭和53年10月ダイヤ改正辺りで貨物の通過扱いは解消されてしまったものと思われます。この後、東北新幹線の工事と共に、埼京線としての直通運転を行うため、赤羽駅として最初の高架工事が行われることになります。
2022.09.05
閲覧総数 2436
5

153系:急行「東海」(サハ164・サロ163)「東海」は、東京~静岡・名古屋地区を結んでいた急行列車です。元々は準急列車であり、その後、戦後初となる長距離用電車80系電車を導入した列車としても有名です。新車として153系も導入され運転本数も増えますが、東海道新幹線開業後にはやはり徐々にその勢力を縮小せざる得ませんですた。それでも新幹線の停車しない中間都市への利便性もあってか、比較的に遅くまで存続しました。昭和52年頃 東京駅にて 隅田川~品川間の荷物列車を牽引しているEF1530と並ぶ急行「東海」です。153系が当たり前の時代であり、165系といえばサロだけが使用されていました。昭和54年3月 東京駅にて 急行「東海」列車番号札が321になっていますが、これは直し忘れですね。朝の5時前半の訳がありません。夕方発の急行「東海」です。153系「東海」も終盤に近づき、サロ以外にも中間車に165系が連結されてくるようになりました。昭和54年頃 東京駅にて サロ163-1 急行「東海」珍形式である163系・・・163系って何?昭和54年3月 東京駅にて サハ164-2急行「東海」に連結された、165系の中でも随一の珍車です。これは別立てでご紹介したいと思います。153系~165系時代に至るまで、途中の国府津までは急行「ごてんば」を併結していました。153系の撤退と共に165系化され、さらに165系が老朽化してくるとこれを淘汰し、特急へと格上げされることになります。
2022.10.19
閲覧総数 2478
6

キハ58系:急行「おが」「おが」は、上野~秋田間を奥羽本線経由で結んでいた急行列車です。東北の昼行急行は、奥羽本線の全線電化開業後も気動車急行として存置され、他の急行「いいで」「ざおう」や「出羽」とも複雑な共通運用を組んでいました。昭和52年1月 大宮駅にて 急行「おが1号」こちらはキハ28800番台を先頭にした秋田行き急行「おが1号」です。まだ国鉄の塗装合理化が始まる前でしたので、修学旅行指定の解除後、一般運用に共通使用されていた頃もしばらくは修学旅行色のままでした。昭和52年というと、運用から外れたEF57を追って宇都宮運転所へ何度か出掛けたことがありましたので、電車待ちで偶然撮ったものと思いますが、運が良いと先頭に修学旅行色を見ることが出来ました。新幹線などまったく想像も付かなかった時代で、広々とした空を見ることができました。昭和55年7月23日 蕨~南浦和間にて 秋田行「おが1号」ブレちゃってます・・・。既に塗装合理化後であり、グリーン車の帯は消え、修学旅行色も消滅しています。こちらは冷房準備車となった後期のキハ58と思われますが、東北急行はグリーン車を除き、晩年まで非冷房車で大勢あったことも特筆されます。昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて 秋田行「おが1号」東北・上越新幹線開業に伴う57・11改正を迎える晩年の頃の写真です。東北の気動車も多少の冷房化が進んできたのか、先頭車のキハ58冷房車となっています。中間にも2両並んで冷房車が連結されていますが、1両はグリーン車でしょうね。下りの「おが1号」は上野発が7時過ぎでしたので、撮影の時間帯は良かったのですが、夜行群の到着が終わった後の上り通勤時間帯となっていたため、撮影する機会が非常に少なかったですね。ヘッドマークが付いていれば、格段に撮影回数も上がっていたと思います。昭和51年11月に奥羽本線全線が電化したにも拘わらず、昭和57年11月のダイヤ改正前日までディーゼルのまま走っていた、架線の下の気動車急行の代表格であった列車と言えると思います。
2022.05.22
閲覧総数 3895
7

165系:急行「よねやま」(サハ164)上越線急行としての「よねやま」は、昭和47年10月の改正で誕生しています。運転区間は、上野~上越線経由で直江津までと、それまでの特急「はくたか」とともに、昼行列車としては長岡~直江津へ乗り換え無しで直行する数少ない優等列車でした。編成は、新潟運転所(後の上沼垂運転所)所属の165系13連を使用し、急行「佐渡」と共通運用となっていました。ビュッフェの営業廃止及びサハシの運用離脱により12両編成となり、さらにサハの連結廃止、サロの1両減車により、末期は10両編成とりました。昭和56年頃 蕨駅にて 3602M 上り「よねやま」上越新幹線の大宮暫定開業を控えた前の年で、特急「白山」とのすれ違いシーンです。すれ違い写真なので残念ながら後部編成は写っていませんが、末期の10両編成と思われます。終始ヘッドマークが掲示されませんでしたが、列車番号の札が整備されていたため、列車番号から判別ができました。昭和52年頃 蕨~西川口間にて サハ164-2サボが急行「よねやま」になっていますが、写真から判断すると朝の上り列車のようなので、東大宮から上野への回送列車のようです。サハシではなくサハ164が連結されていました。サハ164は、昭和41年に中央東線急行「アルプス」等の増発に対応するため、ビュフェ車サハシ165に代わる車両として2両のみが誕生した車両。形態的には中間付随車のサハ165に似ていますが、車端に売店を設置し、さらに荷捌き用の扉を設置しているため、165系群の中では唯一の3ドア車となっているのが特徴でした。中央東線の急行列車で活躍しましたが、最後までビュフェを営業していた中央東線では列車の統一性を欠くことなどから新潟区のサハシ165と交換のため転出、「佐渡」「よねやま」などに使用され、さらにサハシ165の運用離脱とともに活躍の場を失うと大垣区へ転属となり、東海道本線の「東海」や間合いの普通列車としても利用されました。上越新幹線の暫定開業時点においては、乗り換えの利便性確保から辛うじて存続した急行「よねやま」でしたが、昭和60年3月の新幹線上野開業により乗り換えの不便が解消されたと判断、これをもって廃止となっています。
2022.05.20
閲覧総数 1384
8

大宮操車場 ハンプ入換(散転・カーリターダー編)大宮操車場 ハンプ入換(引き上げ編)に続き、入換が始まります。ハンプ入換の組織は上りと下りの班が分かれており、作業もハンプ山と呼ばれる切り離し・操車担当、信号担当、連結担当があるため、細かく言うと6つのセクションになります。操車担当がDEの機関士と通告を行いながら、本線に行って分解する編成を受け取り、大宮駅方面にある上下各2本の引き上げ線へ誘導してきます。ここで上下2本の編成が待機することができ、上下各1本が大宮方向からハンプへ向けて押し上げられます。編成長が50両以上ありますから、入換合図が見えなくなりますので、合図はハンプ専用の入換合図器により行われます。大きな四つ葉クローバーのようなものが入換合図器で、大宮方向に表示されて機関士から見えるようになっています。また、入換が始まると切り離し場所まで距離が短くなりますので、この合図器も100mくらい間隔で確か4組ぐらい設置されていたと記憶しています。入換が始まると、ハンプ山で担当が連結器を外します。また、同時に分解する貨車ごとに1両はブレーキが利くかどうかの検査を実施にブレーキを掛けて検査します。切る位置を指示する役、連結器を外す役、ブレーキテストをする役と、3人で一体の作業を行います。ちなみに・・・編成を分割する際は、この分解票によって行われます。これは、東部・西部にある組成担当より、行き先別に分解位置を指定した情報が送られてきます。機能的にはFAXと同じで、この分解票に基づいて切り離されて坂を落とされ、各番線を担当する連結士が無人の貨車に飛び乗り、次々と連結していきます。見方は、左が分解する順番、次は収容番線、両数(無記は1両)、貨車の特性になります。詳しくは→ハンプ入換 分解票(大宮操車場)切り離された貨車は、ここから下り坂を利用して無人で転送されます。これを「散転」と呼びます。「突放」と同じ使い分けです。突き放さないから突放とは言いません。押されてくる速度は歩くくらいですから4km/hくらいで、あまり急坂ではありませんが、スピード制御を行わないと、30km/hくらいまでスピードが上がってしまいます。坂を下るに当たり、スピードを制御するために用いられるのが「カーリターダー」です。カーリターダーにはいくつかの種類があるようですが、国鉄で使われていたのは空気をシリンダーに込め、両側のブレードで車輪を締め付けるタイプが使用されていた筈です。カーリターダーの制御は上下各サイドに設けられた信号扱い所で操作され、ここではカーリターダーの制御担当、ポイントの切り換え担当、貨車の動きや群線での入換状況を監視する3つの担当が一体となって作業します。編成の長さや重量によって掛ける圧力が大きく違いますので、腕の見せどころとなりますが、たまに間違って止めてしまったり、締め損なって暴走貨車が発生することもしばしばありました。これは上から見た様子です。大宮操車場のハンプでは、最初に1基、3分岐した後にそれぞれ2基、それが上下入換で×2の合計14基が設置されていました。分解された貨車の長さや重量、利き具合を目視しながらスピードを調整し、連結士の安全を守ります。もし入換時に緊急事態が発生した場合、連結側の組長が停止指示を送ることにより、カーリターダーを最大限に締め、貨車を停止させます。押し上げ続ける列車も停止させないと次の貨車が激突してしまうので、ハンプ山の操車に停止指示を出し、機関士に非常停止を指示します。そしてカーリターダーを通過した貨車は、設定された番線へと向かって行き、これに連結士が飛び乗って貨車のスピードを制御、次々と連結させていきます。つづく
2026.01.27
閲覧総数 283
9

20系寝台客車:寝台特急「北星」昭和38年10月ダイヤ改正で誕生した夜行急行列車「北星」ですが、その列車スタイルが幸いし、昭和50年3月改正からは20系寝台客車の使用により特急列車化されることになります。急行列車の特急化というのは、白紙ダイヤ改正の都度に行われてきたものですが、山陽新幹線博多開業による山陽・九州特急の動きが非常に大きかったため、特にこのダイヤ改正では顕著に特急化が実施されたように思います。同時に、金沢行きの急行「北陸2号」も同様に20系化のうえ特急列車に格上げされています。なお、20系客車は「はやぶさ」「富士」「出雲」「日本海」の24系24型化により余剰となった車両を活用しています。昭和50年夏頃 EF58牽引 ワサフ8800を連結した「北星」写真は、ポケットカメラ、列車の引き足らず、絹目写真と悪条件の揃った画像で、大変見づらく、公開するような写真ではないのですが、これだけしかないため敢えて投稿させていただきました。小学6年生のときだと思いますので、腕前はご勘弁ください。これくらいが精一杯です。急行「北星」時代から続く新聞輸送の関係があり、P型引き通し管を設備したワサフ8800が運転開始から約1年間連結されていました。当形式は言わば「北星」専用車両とも言えるものでしたが、その活躍は僅かであり、その後は一般の荷物列車に転用されています。昭和52年 上野駅にて早朝の「北星」は、高感度の無い時代、撮影するのも結構大変なものでした。昭和52年頃 大宮駅にて EF5884牽引 上り「北星」かなり薄暗い時期の撮影ですので、おそらく冬休みに撮ったものではないかと思われます。ヘッドマークが付いていないことから、後に20系化された急行「天の川」や「新星」と区別が付かないところが悲しいです。昭和52年 蕨駅にてこれから写真を撮りに行こうというとき、目の前を通過した「北星」。時間的には午前10時を回っていると思いますが、おそらく途中で運転が打ち切りとなり回送されて来たものでしょう。なんといっても驚いたのは、EF58の次位にカニ22が連結されていたことでした。昭和52年 尾久客車区にて カニ22 「北星」上の写真を撮った後、撮影の予定は急遽変更され、尾久客車区まで出向くことになりました。カニ22の「北星」を撮らせてもらおうと頼み込んだのですが、頑なに断られてしまいました。これはふて腐れて帰る途中、建物の陰から撮影したものです。当時、一眼レフではありましたが、レンズは広角しか持っておらずかなり小さくなっていました。スキャニングして「北星」が判るくらいまで拡大することができました。20系客車が特急車両としての活躍も晩年となった頃、進んだ廃車よる影響でしょうか、客車区間での車両のやり取りが行われたようです。そしてイレギュラー的な動きも見られるようになり、ナハネフ23「北陸」や、さらにはカニ22が「北星」「北陸」に使用されるようになったようです。昭和53年3月20日 上野駅にて カニ21こちらは下り最後尾となるカニ21。上野駅では到着後推進回送となるので、このカニ21は夜の下りを撮るしかありませんでした。もっとも、昭和50年3月の特急「北星」運転開始から1年間、最後尾にはワサフ8800が連結されていましたので、このカニ21の姿を撮ることはできませんでした。昭和53年9月頃満を持して誕生した軽量客車でしたが、それが仇となって老朽化が顕著であり、誕生からそれほど経っていないにもかかわらず、早くも淘汰が始まってしまうことになります。「北星」も昭和53年10月改正からは14系化されることになってしまいました。14系寝台客車:寝台特急「北星」
2022.10.24
閲覧総数 3155
10

189系:臨時特急「あずさ銀嶺」「あずさ銀嶺」という臨時特急は、181系時代にほんの短期間のみ運転された実績があったようですが、189系になってからはもちろん運転されたことなどありません。私としても、そのような列車があったことさえ知りませんでした。昭和52年 上野駅にて 189系 「あずさ銀嶺」??私が未だ中学生のとき、上野駅で列車を撮影していると、方向幕がグルグルと回っていたんです。そしたら、「あずさ銀嶺」なんて当時は聞いたこともない列車名が出てきたので慌てて撮ったのがこの写真です。前述のとおり、189系になってからは「あずさ銀嶺」の運転実績は無く、特に中央本線方面へは夜行急行「アルプス」が頻発されていたために、あまりスキー列車的名称の設定は無かったように思います。のちに「シュプール白馬」といった一連のシリーズでは運転されたことがありましたが・・・。昭和53年10月改正でイラストマーク化された際には、当然にして「あずさ銀嶺」が図案化されている筈も無く、まさしく『幻のヘッドマーク』になってしまった訳ですね。
2023.02.17
閲覧総数 869
11

EF80牽引:寝台特急「ゆうづる」寝台特急「ゆうづる」は、昭和40年10月1日ダイヤ改正で誕生した、上野~青森を結ぶ寝台特急です。1年早く誕生した「はくつる」とは異なり、常磐線経由となっているのが特徴。登場当初は20系客車を使用していましたが、その後24系、25形化も行われています。また、583系電車寝台との複合体系を持ち、最盛期には7往復が設定されていました。上野発では取手~藤代間で交直セクションがあり、都心からの距離も近いため、EF80により水戸又は平(現いわき)までを牽引していました。昭和51年 大宮駅にて50・3ダイヤ改正により、客車「ゆうづる」は4往復の設定となりました。そのうち2本は尾久客車区への推進回送後、カマを付け替えて東大宮操車場まで送られました。写真はナハネフ21を次位に連結した回送列車。昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8015牽引 回送列車昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8034牽引 回送列車尾久客車区の収容能力の限界により、東大宮操車場へ回送される客車「ゆうづる」。この2本は非常に近接した時間に次々と送られました。それだけ緊迫していたと言うことでしょう。客車は「はやぶさ」「富士」「出雲」の25形化により玉突きとなった24系に代わっています。東北線の地元でも見ることが出来たラッキーな存在でしたが、かなり早朝での時間帯であり、ヘッドマークも付いていないことから、あまり執着することはありませんでした。昭和52年 上野~尾久間にて EF801牽引 推進回送「ゆうづる」の客車編成は、全て推進回送が行われていました。ラッキーにも1号機でしたが、突然でしたのでこんなロケーションでした。昭和55年8月13日 上野駅にて EF8033牽引 「ゆうづる7号」お盆輸送の時期なので、夜行急行を待つ帰省客でごった返す上野駅。この時代でも、まだまだ特急列車・寝台列車は高級な乗り物でした。それを物語るシーンですね。昭和56年3月9日 上野駅にて EF8010牽引 24系25形「ゆうづる」北海道へ旅立つ前に撮った写真。私は何故か夜行急行「佐渡」に乗りましたが・・・。「ゆうづる」には、関西における相次ぐ廃止で余剰となった24系25形も使用されるようになりました。20系時代からも通して、ブルートレインらしい編成美を保っていた良き時代です。その後、ヘッドマークが復活し、EF80の最後を飾ることが出来たのですが、残念ながらその時期の写真は撮っていませんでした。そして、交直接続の任をEF81に譲り、EF80は幕を閉じることになりました。オマケ画像平成22年5月22日 大宮総合車両センターにて EF8036公開された保存車には、期待どおり「ゆうづる」のヘッドマークが掲げられました。昭和40年代半ばまでと、EF80牽引の最末期には、このようなヘッドマーク付きのEF80が実際に見られました。保存されるものと思いきや、この36号機もあっけなく解体されてしまいました。
2024.08.10
閲覧総数 648
12

E257系:特急「あずさ」平成31年3月ダイヤ改正ににおいて、中央本線(中央東線)の特急列車がE353系に統一され、中央東線におけるE257系定期特急列車が消滅しました。平成20年10月11日 初狩駅構内にて 「あずさ12号」平成20年10月11日 大月~初狩間にて 「あずさ17号」平成21年3月28日 勝沼ぶどう郷駅にて 「あずさ17号」平成23年11月13日 市ヶ谷~四ツ谷 「あずさ2号」回送平成29年11月29日 豊田~日野間にて 「あずさ16号」平成30年4月25日 神田駅にて 「あずさ25号」平成30年11月28日 立川駅にて 「あずさ24号」その後もしばらくは臨時列車としてE257系を見ることができ、現在も少ない本数ながら多客に設定が残されていますが、松本駅での増解結のシーンは見ることができなくなり、塗装も変わってしまいました。また、付属編成はしばらく処遇が保留されていましたが、全車とも廃車されてしまいました。波動用車両が足りないと言っておきながら、なにも活用せずに解体してしまったことについては、今でも強い疑問が残っています。183系・189系:特急「あずさ」189系 M11編成(松本車):特急「あずさ」189系:臨時特急「あずさ銀嶺」183・189系 H81編成:団体列車「長野行き 懐かしのあずさ号の旅」E257系:特急「かいじ」253系1000番台:臨時特急「むさしのかいじ」
2025.11.26
閲覧総数 161
13

253系:特急「成田エクスプレス」(地元編)成田空港アクセス専用の特急車両として誕生したJR東日本253系電車。平成3年3月19日のダイヤ改正より運行を開始しました。登場当初は3両編成で、後に中間車を増備したことにより6両編成と3両編成の併結運転が行われるようになります。成田空港から東京駅までの区間をメインに、大船行や新宿・池袋行の併結運転が行われ、一部の列車は八王子や大宮までの区間も設定されています。登場当初から全く縁のない列車でもあったため、撮影する機会はありませんでした。ちょうど結婚とも重なった時期であったため、写真から離れていたこともあって3+3編成の頃の記録は全くありません。板橋在住から地元に戻り、近場での撮影を再開したことで、1日に2往復だけ設定されている253系による「成田エクスプレス」を撮る機会に恵まれました。平成19年6月17日 「成田エクスプレス5号」平成20年2月10日 「成田エクスプレス15号」 川口駅にて平成20年5月17日 「成田エクスプレス5号平成20年5月18日 「成田エクスプレス5号」平成20年10月18日 「成田エクスプレス15号」平成21年4月19日 「成田エクスプレス5号」平成21年5月5日 「成田エクスプレス15号」平成21年5月23日 東大宮操車場にて平成21年7月20日 「成田エクスプレス5号」平成21年9月21日 「成田エクスプレス15号」「成田エクスプレス5号」は3+6の9両編成、「成田エクスプレス15号」は6両編成の単独編成でした。いずれも寝台特急「あけぼの」や「北斗星」の直前に通過となるため、撮影機会は非常に多い列車でした。今回は、同じアングルが多数のために枚数を割愛しましたが、実際には撮影しないことも多くありました。
2026.03.17
閲覧総数 147
14

EF641000番台牽引:東北本線訓練運転地元でまだブルートレインが辛うじて健在だった時代、少なくなっていた客車列車の運転のため、予備のブルトレ車両を使用した訓練運転が頻繁に行われていました。殆どはEF81によるものでしたが、時折EF651000番台が充当されることも有り、EF510の登場に伴ってこれに代わって行きました。平成25年9月、何故かこの期間に限ってEF641000番台が訓練運転の先頭に立つ姿が見られるようになりました。訓練運転の主体は田端区であることから、牽引機には「あけぼの」の牽引で上京したカマを間合いで使用する形態が取られたようで、毎回ナンバーの違うカマが充当されたようです。平成25年9月14日 EF641051牽引 回9502レ平成25年9月15日 EF641031牽引 回9502レ訓練運転の日数は飛び飛びですが、比較的に長い期間行われたようです。平日の設定が多いため、記録できたのはこの2日間のみ。「北陸」や「あけぼの」でも金帯車を牽く機会のあった同機ですが、金帯が揃った編成を牽くことはなかったので、非常に貴重なシーンです。これで編成端にカニが連結されるとより良い画になったのですが、私が記録している限りでもそのような編成は殆ど無かったので、贅沢を言えるものでもありませんでした。
2026.04.17
閲覧総数 131
15

私が遥かむかしに手に入れた、国鉄時代の交番検査票?と思われる紙切れをご紹介しています。国鉄で連結手をしていた時代、希少な車両などから記念に持ち帰ったもので、今となっては貴重なものです。鉄道部品というのは、大体が鉄やアルミなどの金属製又はプラ製で、サボ類で紙製のものを集めている方と言うのはまずいないと思います。まして、全体の大きな貨車にこのような検査票を取り付けていること自体が鉄道ファンでも知られていない筈ですので、これを持っている方と言うのは全国を探してもあまりいないと思われます。そんな「どうでも良い」鉄道の記録をご紹介してまいります。まだシリーズとしては途中ですが、ここまでコレクション館に公開したものをこちらでもご紹介いたします。是非リンク先をご覧ください。交番検査票? 国鉄貨車 オトキ23908: マル鉄コレクション館手に入れた経緯は、この記事でご紹介しております。交番検査票? 国鉄荷物車 ワサフ8800形(ワサフ8801): マル鉄コレクション館交番検査票? 国鉄客車 スエ3179: マル鉄コレクション館交番検査票? 国鉄貨車 トキ21004: マル鉄コレクション館
2026.05.12
閲覧総数 57
16

国鉄 マニ30:現金輸送車マイクロエースからマニ30が発売されるそうです。マイクロエース マニ30形・スユ15形 販売「マニ30-2007」[品番:A1498]、「スユ15-2008」[品番:A7252]過去にも発売実績がありますが、セット販売であったため購入していませんでした。マニ30は、日本銀行所有の現金輸送車で、マニ34として6両が製造されました。マニ34は昭和23年製の旧型客車で、車体も茶色塗装でしたが、外観は他の荷物車とは一線を画す様相をしていました。後にマニ302001~2006に改番されています。高校通学時に1度だけ尾久客車区に停まっているのを見たことがありましたが、残念ながら写真には撮っていませんでした。そして、元マニ34(2001~2006)の老朽代替車として誕生したのがマニ302007~2012で、昭和53年~54年にかけて製造されました。昭和56年 蕨~西川口間にて EF5859牽引のマニ30この列車がどのような状況の下に運転されたのか、経緯はわかりませんが、高崎第二機関区所属のEF5859号機がマニ30とスニ40を連結した回送列車です。もしかしたら、スニ40が連結されておりことから、大宮工場出場のシーンかもしれません。昭和56年1月頃 上野駅にて EF5888の牽引する回送列車東北新幹線の東京乗入れ工事が始まる以前、品川客車区から尾久客車区への回送は東京~上野間の回送線(現在の電留線)を使用していました。現在では、山手貨物線経由で東大宮操車場まで行き、折り返して尾久へ持ち込む経路となっています。マニ30における現金輸送は、荷物列車への併結が大半だったようですが、列車密度のが濃い区間では、客車急行への併結もあったそうです。客車列車の場合は全てに言えるのですが、単独で暖房設備を持たない旧型車や50系客車は、原則として電気暖房又は蒸気暖房装置を搭載した機関車が限定で運用されます。したがって、首都圏ではEF58、EF62、EF64、DD51又はDE10のEGやSG搭載車といった機関車でないと、マニ30のような客車を牽引できないわけです。この点については、原則暖房を要しない夏季期間についても限定されていたことが多かったようです。晩年は荷物列車が廃止されたため、高速コンテナ列車に併結されたそうですね。ちなみに、私は目撃したことはありませんが、冷房電源を持っていたところからディーゼルエンジンを搭載しており、暖房も単独で使用できるように改造されたかもしれません。その後、コンテナ列車への併結については最高速性能の差が生じたため、自動車輸送に切り替わり、廃車となりました。マニ30 2012のみが小樽市に保存されているそうで、機会があれば会いに行きたいものです。
2022.10.18
閲覧総数 1397
17

455系:急行「あづま」「あづま」は、上野~福島間を結んでいた急行列車です。東北本線の急行列車は行先によって名称を使い分けていましたが、「あづま」の夜行列車については、福島から各駅停車となり、仙台まで足を伸ばしています。急行列車区間としては、上野~福島間を結んでいた急行列車と言って良いでしょう。急行「あづま」は下りが夜発夜着の1号と、夜行列車の3号となっており、上りも4号が夜行列車であることから、撮影可能時間帯の列車としては、上りの「2号」だけとなります。その分、大変撮影しにくい列車であったといえます。また、途中の郡山~上野間は、会津若松からの急行「ばんだい2号」を併結していました。昭和57年1月4日 白坂~豊原間にて 急行「あづま2号」「ばんだい2号」フィルムスキャナをもらってからは大きく画像を観察することができるようになり、列車番号札の表示されていた時代の列車は判別が可能となりました。この写真の列車番号を当時の時刻表で確認したところ、上りの「あづま2号」「ばんだい2号」」であることが判明したと言う訳です。福島にED71を撮りに行った時にも夜行利用したことのある列車でしたので、東北本線の急行の中でも一番地味な列車ではありましたが、思い出深い列車名でもありました。KATO 455系 急行まつしま・ばんだい 販売
2023.03.12
閲覧総数 2315
18

日本油脂㈱武豊工場専用線その昔、現JR東海武豊線の終点武豊駅から日本油脂㈱武豊工場に向かう専用線がありました。昭和61年、当時の国鉄武豊線にSL「C56160」が走るということで、国鉄職員時代ということもあり、友人数人と示し合わせて休暇を申請、愛知県まで行ってまいりました。もちろん、目的はSLのみですから、特に他の車両などを狙っていたわけではありません。撮影2日目は、イベント気分を盛り上げるために終点の武豊駅まで出向いています。SLをバックに記念集合写真を撮ったり、窓口で入場券を買ったりと楽しんでいたのですが、武豊駅構内の奥に何やら車両が居るのを発見し、近寄ってみたのです。当時、そこに鉄道が、まして電化鉄道があるなんてことは全く知らなかったので、驚きあり、そして新鮮でもありました。※撮影は、昭和61年4月23日、日本油脂㈱武豊工場専用線跡地にて。※ 私も武豊線の存在すら良く知らなかったので、正直、解説できる立場ではないんですが、目撃者としての立場で報告します。最初に目に飛び込んできたのがこのような無残な風景。中途半端に線路が剥がされ、倒された架線柱が切断されたりと悲惨な姿になっていました。しかし、まだ廃止になったばかり、というのが明らかに判る状況でもありました。デ2形国鉄武豊線側の貨物輸送廃止に伴って、専用線も役目を終えざる得なくなったのでしょうか?かつては貨車を牽いて、輸送の玄関となる武豊駅と工場の間を往復していたようです。武豊駅寄りのボンネット上は、パンタグラフの下ということもあって油汚れが酷いですが、全体は比較的キレイで、整備されてそれほど時間は経っていないように見受けられました。モ101元西武鉄道の2代目モハ103ということですが、そのルーツは、大正11年製元西武軌道202形と、かなり古い車両が母体となっています。ク102こちらも元西武鉄道の2代目クハ1113で、やはり大正10年に製造された初代モハ102の電装解除改造車となっています。ク102 台車こちらはク102が履いていた台車で、当時は0系の古い気動車の実物を見たことが無かったため、このスタイルの台車を見て非常に驚いた記憶があります。もっとも、当時から鹿島鉄道とかを訪れていれば、現役車がほんの数年前まで居たわけですから、それほど驚くことも無かったでしょうけど。このような風景に出くわしたことは偶然にしても、良い資料が撮れて良かったと思いましたね。しかし、人間欲が出るもので、走っているシーンを撮りたかった、と思ったのは、私だけではなかったと思います。受け渡し先の武豊線が全線非電化であるにも拘わらず、その先の専用線に電化区間が存在するだけでも異色だと思ったのですが、さらには社員通勤輸送に電車まで存在していたとは・・・絶句でした。そして、専用線は廃止になってしまいましたが、これら3両の車両は1つ漏らさず保存されているということで、マイナーな専用線の割には幸運だったなと思います。西武鉄道の前身を物語る、大切な車両でもありますから・・・後世に大事に伝えてもらいたいもんですね。送料無料◆10-898 KATO カトー 郵便・荷物列車「東北」 6両セット Nゲージ 再生産 鉄道模型 【9月予約】10-898 郵便・荷物列車「東北」 6両セット(再販)[KATO]【送料無料】《09月予約》[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-898 郵便・荷物列車「東北」 6両セット[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3070-2 EF56 1次形
2023.05.02
閲覧総数 1619
19

スロ81系:お座敷客車(グリーン帯)国鉄時代末期、余剰となった客車から改造され、団体列車用として数々のジョイフルトレインが誕生しました。JRになると運用に不便な客車列車が淘汰され、電車や気動車から改造される例が多くなると共に、生活嗜好の変化によってお座敷列車から欧風客車や乗り心地の良い列車へとスタイルも変わっていきました。その昔は畳に座って旅することができることが高級であると認識されており、いわゆるお座敷列車が誕生することになります。初期は非冷房であったこれらの車両も冷房化された車両に変化。昭和47年代後半、グリーン車スロ62系をお座敷客車化したスロ81系が誕生し、金沢運転所を皮切りに、6連7編成が誕生しました。今回はスロ81系のグリーン帯時代の写真をご紹介いたします。昭和51年 東京駅にて EF58牽引 お座敷列車私が中学に上がったばかりの頃の写真だと思います。当時はまだ、お座敷列車の配置というのは極限られた客車区にしかなく、目にするのも珍しかった時代でした。当時の配置状況からして沼津区の「いこい」かと思われます。スタイル的にはグリーン車のスロ62系と変わらない外観であり、判断するには窓から見える障子くらいだったですね。詳しくは憶えていませんが、全国でもいち早く沼津区に余剰12系を改造したお座敷車(2代目いこい)が誕生し、旧型客車は淘汰されてしまいました。写真は指が入ってしまい、ハーフ判特有の画像の悪さで見苦しいですが、気になるのは牽引機のEF58です。良く見るとヒサシがついており、浜松区の区名札が見えます。当時の詳しい記録はありませんが、52号機(EF5852)がヒサシ付きだったようです。昭和54年3月23日 別府駅にて 留置中のお座敷列車中学の卒業旅行と称し、初めて九州に上陸した際の写真です。着地駅は別府で、いきなり出迎えてくれたのがお座敷列車でした。関東でも珍しくは無かったですが、当時は臨時ダイヤが公表されていませんでしたので、なかなかじっくり撮ることはできなかったですね。誕生当初はグリーン車としてグリーンの帯が入っていましたが、昭和53年頃から合理化によりグリーン帯が省略、さらにブルトレのような2本帯にしたもの、茶色化したものなどに変化していくことになります。
2023.04.16
閲覧総数 1616
20

EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」随分前に『EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」』にてEF58が牽引する臨時特急「踊り子」をご紹介いたしました。数年後、再度運転の機会を捉え、東海道ブルトレを撮りがてら、撮影に出掛ける機会がありました。既に『EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」』でご紹介した写真の翌日、伊豆急線内で挑戦した写真があります。結果的に14系客車による臨時「踊り子」を撮影した最後の写真となりました。※撮影は、昭和62年2月14日、撮影場所不詳。EF5861牽引 14系客車 「踊り子55号」前回のEF65牽引「踊り子」の翌日でした。こちらの日は、確か事前にEF5861牽引の情報が公表してあったように記憶しています。やっと来た!という感じでした。今のようにブログでご紹介することが分かっていれば、もっとアップで撮っておけば良かったと思いますが、当時はSLを含む景色重視の写真に拘っていた時代であったため、こんな写真しか撮っていませんでした。今だったら終着まで追い掛けて、これでもかっていうほど記録を残していたことでしょう。
2024.02.14
閲覧総数 564
21

183・189系 H81編成:団体列車「長野行き 懐かしのあずさ号の旅」平成25年6月22日、大宮総合車両センターH81編成を使用した団体列車「長野行き 懐かしのあずさ号の旅」が運転されました。設定は「長野行き」となっていますが、「あずさ」は松本行きか大糸線乗り入れ運用が定番であるため、行程が長野までとなっていることから、あらかじめ「断り」を入れているように思います。H81編成は、平成25年3月のダイヤ改正前まで田町区所属となっていましたが、田町区の解消により大宮総合車両センターの配置(常駐)になっています。このため、今回の団体列車運転にあたり、我が地元を回送ながらも特急色の「あずさ」が走ることとなったわけです。そもそも、この手の団体列車で8両編成が使用されることは稀であり、同編成がこのようなリバイバル列車に起用されるのも大変珍しいことと思います。平成25年6月22日 H81編成 回9550M 「長野行き 懐かしのあずさ号の旅」写真は、始発となる新宿駅までの送り込み回送となります。元田町区の車両には「あずさ」のヘッドマークが常備されていませんので、ステッカーによる表示となっています。オリジナル色時代はすべての車両に特急マークがありましたので、やはり違和感がありますが、これは止むを得ないでしょう。このH81編成はこの6月一杯で運用を外れる可能性が高いということで、最後のななむけ仕業となったようです。
2024.06.22
閲覧総数 272
22

国鉄 ED751028牽引:「サロンカーなにわ」国鉄時代末期の1983年(昭和58年)に相次いで誕生した欧風客車のジョイフルトレインたち。その口火を切ったのが東の「サロンエクスプレス東京」と西の「サロンカーなにわ」でした。ほぼ同時に登場し、同じようなコンセプトで誕生した両者ですが、外観・内装とも全く違った造りで、好対照な存在でした。しょっちゅう見ることが出来た「東京」に比べ、なかなか関東にはやってくることが無い「なにわ」は、関東人には憧れの存在であったと思います。その「なにわ」が、東北を1周して関東を通るということで非常に注目されたのが写真の列車です。昭和58年10月5日 黒磯駅にて ED751028牽引 サロンカーなにわこのときは仕事が非番だったので、黒磯まで出かけて交流機牽引を撮影し、新幹線で宇都宮、大宮と2回追い越して写真を撮りました。その後も「なにわ」が東北地方まで遠征する機会は大変少なく、彼の歴史上でもED75は貴重なパートナーとなっています。「サロンエクスプレス東京」が早々にお座敷列車に改造され、「ゆとり」として再出発を図るも、既に引退・廃車となって久しいですが、「サロンカーなにわ」もリニューアルはあったものの、誕生から既に40年を経過しました。ここに来てラストランとなったそうで、今までの活躍に拍手を送りたいです。
2025.06.24
閲覧総数 499
23

481系 ボンネット型:特急「みどり」現在は主に博多~佐世保を結ぶ特急列車として運転されている「みどり」ですが、現在の運転区間は昭和51年の長崎本線・佐世保線の電化開業に合わせて誕生したもので、485系による「かもめ」との併結で運転され、当時としては珍しい運転形態として注目されていました。それ以前、昭和50年3月の新幹線博多開業までは、新大阪・岡山と大分を結ぶ特急として運転されていました。それ以前についても遍歴が長い列車なのですが、詳細は省略いたします。昭和49年8月 大阪駅にて大阪へ撮影に行った際、帰りの「銀河2号」を待っていたときに偶然隣のホームに到着したので撮影したものです。ポケットカメラでの写真なので、かなり画像が悪いのが勿体無いですね。当時、赤スカートのクハ481は憧れの車両であり、フィルム枚数の制限の中で唯一撮ることが出来た1枚として、非常に思い出深い写真です。その後、まさか復活するとは思ってもみませんでしたが、その後2度ほど九州に行く機会があったにもかかわらず、行程の都合で逢うことができなかった列車です。昭和52年頃 上野駅にてこれはウソ写真です。「白山」から「そよかぜ」に幕が変わるときに現れる現象として、当時は結構有名でした。イラスト化による幕交換で、このような現象もなくなってしまいました。新幹線博多開業前は、山陽本線が最も賑わっていた時代。こんな華やかな時代は二度と戻ってはこないでしょう。
2022.09.27
閲覧総数 500
24

旧型国電 80系:信越本線(高崎駅)私がまだ中学2年生くらいのときでしょうか、EF12の写真を撮りに両毛線へ行き、帰りに立ち寄った高崎駅で偶然にも80系電車に遭遇しました。後で知ったことですが、信越本線に1往復のみ80系の運用が残っていたらしいです。撮影は、おそらく手元に残っている乗車券の日付の昭和52年3月12日ではないかと思われます。高崎方はクハ76300番台でした。後期車でシルヘッダーのない美しいデザインです。飯田線でもこのタイプが使用されていました。2両目がモハ80300番台で、その他のモハ・サハ3両は0番台だったようです。0番台は旧型客車と同様のスタイルのまま電車化されたデザインで、やはり古さを感じさせます。この写真を見て初めて気が付いたのですが、0番台と300番台はドアの下辺の位置が違っており、おそらく台枠の厚みが違っているのではないかと思われます。上辺の高さが揃っていることからドアの大きさが異なっているのは明らかで、互換性が無いことが判ります。模型化されるとこの辺りもポイントになりそうですね。長野方は改造車のクハ85300番台になっており、こちらはカラーで撮っていました。フィルムが無くなってチェンジした後なのかもしれません。こちらも拡大して見てみるとドア下辺の高さの違いが判ります。高崎駅も新幹線の開業によって大きな連絡橋ができてしまいました。ホーム自体は面影があるようですが、空の広さがすっかり変わってしまいましたね。こちらは6×6判で撮った写真です。隣には両毛線の70系も写っていますね。この写真は編成が異なっているので、別の日に撮影したもののようです。両毛線の70系がもう一度撮りたくて、単独で高崎まで行ったような記憶があります。時期的には同じ昭和52年だと思われます。跨線橋も木造で、大宮駅も同様でしたが、新幹線の建設で大きく変わりました。この頃から既に旧型国電の淘汰のために115系1000番台の製造が始まっており、70系新潟色を皮切りに置換えが進められました。当時は碓氷峠や未だ新型電機の部類であったEF63自体に興味がありませんでしたので、もちろん碓氷峠を行く80系の写真はありません。もう4~5年くらい残っていれば、間違いなく横軽に行っていたことでしょう。横軽を行く80系も見てみたかったです。
2022.11.21
閲覧総数 2014
25

103系 京浜東北線:クハ103「京浜東北線」HM京浜東北線103系の続きです。旧型国電73系から置き換えられ、スカイブルーがトレードカラーになった京浜東北線。既に懐かしい時代の京浜東北線の103系低窓車ですが、何の問題もないスカイブルーの車両に何故か「京浜東北線」と書いたヘッドマークが付いている変な写真があります。昭和51年頃 蕨~西川口間にてお見せするのに気が引けてしまうようなしょーも無い写真なんですがね・・・リコーオートハーフで撮った写真。大体ブレちゃうんですよ。この時代の1年間はこんな写真ばかりで・・・。1枚目の写真を見てお判りのとおり、行先は表示されていません。なんでこんなに変な設定の103系が走ったのかずーっと謎だったんです。運が良いことに、2007年3月号の鉄道ピクトリアル誌で京浜東北線の特集があり、ここにその経緯が記されていました。簡単に解説いたしますと、昭和50年度第3次債務により阪和線置き換え用の103系冷房ATC準備車を製造、これを下十条電車区へ配置、余剰となる103系非ATC準備車を冷房改造施工後、阪和線へ転出させることになりました。2枚目の写真で冷房改造が行われた様子がハッキリ判ります。この冷房改造完成後に直ぐに転出しなかった組が、転出するまでの間に再度京浜東北線に使用されたのですが、冷房改造と同時に方向幕(行先表示)を阪和線用に交換してしまったため京浜東北線として使用することが出来ず、已む無くステッカーを表示して走ったということです。同誌の記述によれば、ラインカラーが合っているのに、このようなステッカー表示をするのは大変珍しいとされています。ウ~ン確かに。もうちょっとちゃんとしたカメラで撮っていれば・・・と悔やまれる写真ですが、こんなんでも貴重な記録なため、捨てることなく取ってありました。ちなみに、京浜東北線の103系低運転台を撮っておかなければと思った時には既に大量のATC車が投入されており、付属3両側のクモハは遅くまで残っていましたが、クハ側は早めに居なくなってしまったため、低運転台のクハ103の写真はこれ位しか撮っていなかったようです。
2022.11.26
閲覧総数 1228
26

Fw:KATO 455系「まつしま」「ばんだい」と旧製品457系KATOから発売された新製品455系「まつしま」「ばんだい」セットと旧製品457系に関する記事をアップしました。KATO 455系「まつしま」「ばんだい」と旧製品457系
2023.08.10
閲覧総数 1691
27

DE10(DE15)牽引 貨物列車:釧網本線国鉄時代、釧網本線における貨物輸送も普通に行われていたわけですが、駅間距離が長く単線では多くの列車を走らせることができず、輸送量もそれほど多くはなかったため、客車列車との混合列車によるものが一般的でした。昭和59年2月の貨物大合理化において、釧網本線における一般貨物列車が廃止となり、混合列車の運転が消滅してしまいました。しかし、石油輸送などの専用貨物列車は少ないながらも存続したため、平成になってから1度だけこの貨物列車を撮影に行ったことがあります。平成2年3月15日 釧網本線 遠矢~細岡間にて釧網本線を行く石油輸送貨物列車ですが、プリントからのスキャンで画像が良くなく、DE10かDE15か判別できません。両数が多いときは重連運転もあったようです。釧網本線における専用貨物列車が廃止になるというアナウンスがあったため、急遽友人と撮影を強行してきました。結局はこの後、平成9年まで走り続けたらしいですが、私自身も結婚してからは同線を訪れる機会がなくなってしまい、JR貨物の列車としては最初で最後の1枚となってしまいました。初代「オホーツク流氷ノロッコ号」国鉄 釧網本線:混合列車国鉄 釧網本線:普通列車(客車列車)
2024.02.08
閲覧総数 831
28

209系3000番台:川越線・八高線平成31年3月、川越車両センターで最後まで残っていた209系3000番台ハエ64編成が運用から外れたそうです。平成8年3月16日に電化開業した八高線への乗り入れに際し、不足する電車運用に対応するため209系4連が4編成増備されました。基本性能は京浜東北線用0番代と同一ですが、ドアの半自動対応など仕様が異なるため、それまでの所属車と同じ3000番代が与えられました。川越線や八高線はあまり乗ったことが無いため、特に電化されてからの写真と言うのはあまり撮ったことがなく、ほんの少しだけ撮った写真でまとめにしたいと思います。平成20年9月6日 八王子駅にて ハエ64編成今回引退となったハエ64編成。臨時特急などの撮影で遠征した際にたまたま八王子駅で撮影したもの。このときがハエ209系初めての撮影でした。平成23年11月22日 川越車両センターにて ハエ63編成「川越車両センターまつり」で展示されたハエ63編成。行先は「箱根ヶ崎」。平成23年11月22日 川越車両センターにて ハエ63編成こちらも同じ日ですが、時間が変わって「立川」になっています。八高南線の電化当初は、103系や209系が拝島から青梅線へ乗り入れを行っていたのですが、いつの間にか無くなってしまったようです。短区間とはいえ4両編成は厳しかったのでしょうかね。そう言えば201系の4両編成も八高線高麗川まで乗り入れしていたような。平成30年8月26日 川越駅にて ハエ61編成209系3000番台の撤退が始まったため、防災体験の帰り道に大きく逸れて川越駅へ。30分に1本の過疎ダイヤで、3500番台が連続できたために心が折れかけたのですが、3本目に3000番台が入った運用があることを知り、やっと1本だけ撮影ができました。到着の「川越」と折り返しの「八王子」を撮れると思っていたのですが、既に折り返しに設定に。距離的には遠くない路線ですが、あまり訪れる機会もなく、現場でもたまには八王子辺りまで行くことはあるのですが、なかなか捉える機会の少ない車両でした。『205系3000番台:川越線・八高線』『八高線:キハ35系・20系』『キハ38:八高線』
2024.05.16
閲覧総数 524
29

183系・189系:特急「あずさ」「あずさ」は、昭和41年、新宿~松本間に誕生した特急列車です。登場当初は田町電車区の181系が使用され、特急「とき」と共通運用となっていました。その後、181系は新潟運転所に所管替えとなりましたが、昭和48年から上野~東京間の回送線使用した定期旅客営業が廃止されたため、長野運転所の所管となっています。同時に、特急「あずさ」に幕張電車区所属の183系0番台も投入され、自由席車両付のL特急となります。昭和52年頃 中野駅にて 183系0番台中野駅に居て何故こんな写真を撮ったのか全く記憶の無いシーンです。おそらく28mmの広角レンズですが、ホームにカメラを置いてシャッターを切っていると思われます。この頃は既に189系が誕生しており、181系が撤退した後でした。「あずさ」は、幕張区の183系0番台に出逢う方が多かったように思います。昭和52年頃 新宿駅にて 189系こちらは同じ頃に新宿駅で撮影した新鋭189系。どうやってか、特別改札のあるホームに潜り込んで撮ったようです。当時の新宿駅は結構な規模の操車場があり、貨車の入換が行われていました。右に見える貨車の位置は、埼京線1~4番ホームの新南口~サザンテラス口の旧跨線橋が掛かっていたところですね。上に跨っている道路橋は国道20号線(甲州街道)です。昭和53年2月19日 新宿駅にて 183系0番台こちらは新宿駅で撮影した183系0番台。特別改札の無い中央線快速ホーム発着なので撮ることが出来たのでしょう。左側に1つ目のDD13もチラッと写っています。昭和58年1月12日 川岸~辰野間にて飯田線の旧型国電を撮影に行った際に撮ったもの。上越新幹線の開業により大量の183系1000番台が長野区や幕張区に流れ出したため、0番台は「あずさ」の運用から撤退することになります。この写真も183系0番台が「あずさ」で活躍する末期の頃となるでしょうか。また、特急列車の経路がみどり湖駅経由の新線に切り替わってしまったため、この区間を特急列車が走ることはなくなってしまいました。昭和58年3月26日 西国分寺駅にて 189系「さよならED16」列車を撮るために陣取ったホーム端で待機中に撮影したものです。この頃の「あずさ」は、長野区の189系が12連で運用されていました。在来特急としても最も貫禄のあった頃ですね。そして、183系1000番台の流入、グレードアップ車両やリニューアル車両(あずさ色)が導入されると同時に、オール9連化されることになります。しかし、その変な塗装に影響されてしまってか、これ以降、特急「あずさ」の写真を撮ることは全く無くなってしまいました。平成20年11月11日 189系あさま色 「あずさ81号」20年以上の時が過ぎ、JRになって初めて189系「あずさ」の写真を撮ることができました。「あずさ」は多客期の需要が大きいため、シーズンに何本かは波動用車両を使用した国鉄車が使用されます。この時代になってあさま色の車両が使われると言うのも皮肉ですね。この列車については、JR化後の変遷が非常に複雑なため、記述は省略いたします。189系:臨時特急「あずさ銀嶺」
2024.05.23
閲覧総数 880
30

国鉄 オハ35系:オハフ332309国鉄オハ35系は、戦前から戦後にかけて製造された急行用客車です。それまで大型客車として製造されたスハ32系はボックスに小窓2つ1組が標準であったスタイルに対し、ボックスに1mの大窓とされたのが特徴で、これ以降の標準スタイルになりました。初期車は昭和14年に製造が始まり、屋根は絞りがある標準的なスタイル。※登場時の形式呼称は異なります。戦況の悪化により一時製造が中断され、終戦後に製造が再開されており、車体に絞りがあるタイプは、戦前型と戦後前期型が存在しました。※オハフ33は戦前型のみ。昭和58年10月5日 黒磯駅にて オハフ332309硬調プリントからのスキャンなので、下回りも潰れてしまっており、形式写真としては失格です。黒磯口の普通列車に連結されたオハフ33で、オハ61系の淘汰から進んでいったため、最終期はオハ35系の比率が高かったように思います。オハ35系の体質改善車もありましたが、ここの普通列車では旧型然とした茶色の車体が多く見られました。2515 TOMIX トミックス 国鉄客車 オハ35形 (戦後型・折妻・青色) Nゲージ 鉄道模型(ZN120834)2515 国鉄客車 オハ35形(戦後型・折妻・青色)(再販)[TOMIX]《発売済・在庫品》2516 国鉄客車 オハフ33形(戦後型・青色)(再販)[TOMIX]《発売済・在庫品》[鉄道模型]トミックス 【再生産】(Nゲージ) 2516 国鉄客車 オハフ33形(戦後型・青色)(1両)
2024.06.29
閲覧総数 444
31

24系寝台客車:寝台特急「日本海」20系寝台客車 ナハネフ21:寝台特急「日本海」でご紹介いたしました20系寝台客車による特急「日本海」ですが、50・3改正で20系客車から14系化され、所属も早岐客車区となりました。このことから、遠く九州の車両が長崎・佐世保~東京はもとより青森までの超ロングラン運用となりました。しかし、冬季遅延や運休などによる運用の問題が顕著となり、早々にこの運用は解除されました。昭和55年3月 青森駅にて オハネフ24使用 「日本海3号」次に出会ったのは、高校生になって初めて渡道した際、乗り継ぎの青森駅でした。昭和53年10月ダイヤ改正で、「日本海」は2往復体制となります。早岐区の14系寝台客車による運用は解除され、宮原区と青森区がそれぞれ1往復を持つことになり、青森区は24系24形、宮原区は24系25形を使用していました。ブルトレのイラストマーク化は、電車に比べて1年遅れとなりましたが、既にこの写真を撮った時はイラスト化されていたため、文字サインの時代の写真は記録できませんでした。昭和57年8月8日 富山駅にて オハネフ25使用 「日本海4号」宮原区持ちの1・4号は、24系25形客車が使用されていました。この編成は当初からA寝台を連結しない、銀帯編成でした。この後、57・11ダイヤ改正から2往復とも宮原区持ちとなり、全てが25形化されたようです。昭和61年9月8日 羽越本線 下浜~道川間にて 「日本海3号」昭和59年2月ダイヤ改正から再び1往復が青森運転所持ちとなります。この時点においては、関西で余剰となった24系25形が青森区へ転属してきており、「ゆうづる」にも使用されていました。また、需要の低迷によりA寝台車も連結が廃止されており、写真からも判るように、オハネフ25が電源車の次位に連結されています。本来の25形は両向き仕様となっていますので、関西のオハネフ25は両端に車掌室を出していましたが、青森車は分割併合がないため、写真のように車掌室を青森向きに方転していたようです。最後部はカヤ24(←マヤ24)が連結されています。本来は関西用に投入された24系用の電源車マヤ24でしたが、荷物需要に応えるために荷物スペースを確保、この際に荷重が増えたためにカヤ24になっています。昭和55年頃、合理化によって余剰となったカヤ24が大挙して青森区に配置されたため、「ゆうづる」やこの「日本海」での運用が目立つようになりました。平成24年3月11日 青森駅にて 上り「日本海」民営化を前後として、渡道の際に青森駅へ寄ったことはあるものの、駅撮りをしなくなったこともあって「日本海」を撮ったことが無く、青函トンネル開業後は青森駅すらスルーしてしまうことに。引き続き2往復が存続した「日本海」は、西日本、東日本がそれぞれ1往復ずつ担当し、1往復の函館乗り入れやモトとレールの連結など、青函トンネル効果で需要があったようです。また、閑散期には修学旅行の団体客にも需要があったようで、運行区間と時間距離が不便な割には2往復体制が堅持されました。平成20年に西日本運用が廃止されて1往復となり、需要の低迷に歯止めが掛からず、平成24年3月のダイヤ改正をもって、その生涯に幕を閉じました。電車特急の新製による継続運転などのウワサもありましたが、北陸新幹線開業による北陸本線の分断、北海道新幹線開業による旅客流動の変化などを考慮すると、その実現性は皆無であろうと思われ、趣味的発想からだけでは難しいことが、今になって納得でき、仕方のないことだったと諦めもつきます。物心ついた頃に鉄道に興味を持ち、その興味をより強くしたのがこの寝台特急「日本海」だったように思います。いつでも逢える列車ではなかったことが、余計にそういう存在になっていた。地味ながらも自分の中では大きな存在だったブルートレイン、それが寝台特急「日本海」だったのだ、と改めて思います。ED75700番台牽引:寝台特急「日本海」EF81牽引:寝台特急「日本海」20系寝台客車 ナハネフ21:寝台特急「日本海」
2024.09.25
閲覧総数 1305
32

ED75牽引:寝台特急「ゆうづる」寝台特急「ゆうづる」は、昭和40年10月1日ダイヤ改正で誕生した、上野~青森を結ぶ寝台特急です。1年早く誕生した「はくつる」とは異なり、常磐線経由となっているのが特徴。登場当初は20系客車を使用していましたが、その後24系、25形化も行われています。また、583系電車寝台との複合体系を持ち、最盛期には7往復が設定されていました。EF80からバトンを受けた「ゆうづる」は、常磐線~東北本線をED75に牽引され、一路青森を目指しました。昭和55年3月 青森駅にて ED751015牽引「ゆうづる」一夜を明かし、青森に到着した「ゆうづる」。24系の整った編成でした。ただし、ヘッドマークがなかった時代ですので、魅力には欠けました。昭和62年8月初旬 撮影地不詳 ED75729牽引「ゆうづる1号」昭和62年8月初旬 撮影地不詳 ED75716牽引「ゆうづる3号」翌年の青函トンネル開業を控え、車両の動きが活発になっていました。「北斗星」に使用する車両を予備車から改造するため、改造が終るごとに「ゆうづる」の編成へと充当されるようになり、この時期の「ゆうづる」にも一部金帯車が登場しました。昭和63年2月23日 千曳~野辺地間にて ED75牽引「ゆうづる」せっかく雪景色の中を走る良いシーンだったのですが、何を血迷ったかメチャクチャ早いタイミングでシャッターを切っており、これでもかなりトリミングして大きくしています。しかも、カラーバランスが非常に悪く、修正があまり利きませんでした。青函トンネル開業間近で、直前にはA寝台「ツインデラックス」さえ連結され、「北斗星」への移行準備がなされました。平成21年11月14日 尾久車両センターにてこちらはおまけですが、東北本線の非電化時代、DD51が「ゆうづる」を牽引していました。確か重連仕業だったと思います。EF80牽引:寝台特急「ゆうづる」24系寝台客車編:寝台特急「ゆうづる」EF81(展示):寝台特急「ゆうづる」
2024.10.15
閲覧総数 2900
33

国鉄 交流型電気機関車:ED71(その2)ED71は、東北本線交流電化用として誕生した交流電気機関車で、国産の量産としては北陸本線電化用として誕生したED70に次ぐものです。誕生当初から重連運転が考慮されていたため貫通扉を設置しており、その姿は新性能直流電気機関車の奔りであるED60・61(後のED62)に非常に似たスタイルとなっていました。形態は、大きく分けて1~3号機の試作車(それぞれに大きな特徴がある)、4~44の1次形量産車、45~55の2次形量産車となります。晩年の運用となっていた一ノ関以南において、南福島~金谷川間に連続勾配が存在し、上りの貨物列車に限って後補機の運用が残っていました。これには最晩年となるまでED71が運用されていました。今回は、枚数は少ないですが、この後補機の運用に就いていたED71をご紹介いたします。昭和55年8月14日 福島駅にて ED7145補機仕業のため連結のタイミングを待つ45号機・・・ですが、この写真じゃただ単なる単機ですね。昭和55年8月14日 金谷川~南福島間にて ED7146単機回送金谷川で開放された後補機は、単機でゴロゴロと坂を下りてきては、また福島駅から別の貨物列車に繋がって押し上げていきます。せっかく300mmを付けて構えていたのに、やってきたのは単機回送でした。昭和57年6月22日 福島駅にて ED7130今まさに貨物列車の後補機に連結するため、入換信号によって誘導されてきた30号機。単なる単機でも操車係が添乗していることで、味わいのある写真になりました。昭和57年6月22日 福島駅にて ED7130上の写真と下の写真は別々の列車への連結シーンです。1台のカマが何度も行ったり来たりしているので、何回か同じようなシーンを撮ることができました。こちらは後補機として連結が完了し、出発を待つシーン。このような時間に特急列車の退避を行ったりします。本当は駅間で先頭と後補機が見えるようなシーンが撮れれば良かったのでしょうが、勾配区間は山肌を走っており、足場が無かったですね。しかも本線級の貨物列車は編成が長いので、本務機と後補機を1枚の写真に入れ込むのまず不可能だったのではないかと思います。国鉄 交流型電気機関車:ED71(その1)国鉄 交流型電気機関車:ED71(その2)国鉄 交流型電気機関車:ED71(その3)ED7114牽引:12系臨時急行列車ED7114牽引 旧型客車:東北本線普通列車
2024.12.29
閲覧総数 856
34

国鉄 交流型電気機関車:ED71(その3)久し振りにED71形交流機関車です。過去ログは文末でご紹介いたしますが、今回は貨物列車牽引編を中心にアーカイブしたいと思います。昭和53年3月 白河駅にて ED7124画面左側に客車が写っていることから、121レの白河回転車の入換中に待避線停車中のED71牽引貨物列車を撮ったものと思われます。当時はまだ黒磯駅で入換を行っているED71を良く見ることができましたが、中学生ながらもED71の交代期を察しており、この時も喜び勇んで撮影したと記憶しています。写真はタキ43000等を中心とする専用貨物のようですが、機関車次位のワフ22000も今となっては貴重な写真です。昭和53年頃 白河駅にて ED717こちらも同じ時期、同じようなアングルですが、背景が違うので停車位置がかなり違うところかもしれません。当時としても1ケタの番号はあまり見る機会がなかったので、この時もすごく喜んで撮影したように記憶しています。やや後ろにワム90000らしき貨車も見え、この頃から比べると急速に旧型貨車の淘汰が進んだように思います。昭和55年8月14日 金谷川~南福島間にて ED7114牽引 下り貨物列車ED71が終焉を迎えるという情報があり、夜行列車に乗ってキャッチできる可能性が高い福島近辺まで遠征した時のものです。以下2カットととも同じ状況で早朝から撮影したものですが、お盆休みに入っていたためか、あまり貨物列車は通らなかったように記憶しています。この列車は、何故か遭遇率が高かった14号機です。昭和55年8月14日 金谷川~南福島間にて ED7133ほか重連牽引 下り貨物列車通過順は分かりませんが、こちらは待ちに待った重連牽引の貨物列車でした。しかし、何故かこの時は短いレンズを装着していたため、ちょっと雑な構図となってしまいました。昭和55年8月14日 金谷川~南福島間にて ED7147牽引 下り貨物列車こちらはタンク車を連ねた専用貨物のようです。形式は判りませんが、今となっては稀少なタンク車だったかもしれません。昭和57年6月22日 桑折~藤田間にて東北新幹線の開業前日、最後の特急「やまびこ」を撮影するために東北本線の撮影に訪れた際、待機中に撮影したものです。当時はED71の運用も激減しており、福島~金谷川のホキ仕業以外は殆ど目にすることができなかったのですが、不意に背後から襲われた重連貨物に、三脚ごとカメラを持ち換えて咄嗟に撮影したもので、非常に勿体ないことをしました。昭和57年6月22日 福島駅にて ED7129ほか重連 工臨?明日から営業列車が走り出す東北新幹線の高架橋をバックに停車する、ED71重連が牽引する貨物列車。ホキ800が見えることから、工臨でしょうか?次位となる29号機はパンタグラフが下がっており、もしかしたら郡山工場から福島機関区に帰着した配給列車だったのかもしれません。昭和57年6月22日 福島駅にて ED71×2+ED75確か、撮影の帰りに乗車する特急「やまびこ8号」を待っている最中に福島駅で目撃した列車だったと思います。場外からED71が入って来たのですが、ED75形1両を含む3重連となっており、初めて見る3重連機関車に慌ててM645を取り出し撮影したように記憶しています。操車係か連結士が写っているところを見ると、ここから連結して組成すると思われますが、全機ともパンタグラフが逆向きに上がっているため、ちょっと状況説明に困ってしまう写真です。母親の実家が福島県で小さい頃から馴染みのあったED71も、この時を最後にその姿を見ることはできなくなってしまいました。国鉄 交流型電気機関車:ED71(その1)国鉄 交流型電気機関車:ED71(その2)国鉄 交流型電気機関車:ED71(その3)ED7114牽引:12系臨時急行列車ED7114牽引 旧型客車:東北本線普通列車
2025.07.02
閲覧総数 674
35

253系1000番台:臨時特急「むさしのかいじ」平成26年度秋臨において、武蔵野線経由の中央線直通臨時特急「むさしのかいじ」が設定されました。使用車両は東武直通用車両である253系1000番代で、一般営業列車として東武直通以外の特急運用は初めてであり、武蔵野線内を走る特急列車としても初として注目の列車となりました。平成26年9月27日 新座駅にて 臨時特急「むさしのかいじ」武蔵野線らしい構図として西浦和で撮ろうと思いましたが、既にかなりの人数が居たため新座駅としました。こちらは先着で私1人、その後も含めて3名と少数でした。武蔵野線では退避ができないため、スピードは抑えているようです。新座駅でも45km/h程度の速度でした。このような状態のため、従来も通過列車を急行にしていたものと考えられます。ヘッドマーク付き車両であることから「むさしのかいじ」又は「かいじ」などを掲出するのでは?と期待しましたが、残念ながら「特急」のみの表示となりました。臨時特急「むさしのかいじ」運転日平成26年9月27日及び28日の2日間のみ9162M~9165M 大宮 8:14 甲府10:219166M~9167M 甲府17:07 大宮19:07同列車は、平成26~28年の3年間のみ運転され、その後運転された記録はありません。485系:東武鉄道直通特急「日光」189系彩野編成:東武鉄道直通特急「日光」485系:東武鉄道直通特急「きぬがわ」189系彩野編成:東武鉄道直通特急「きぬがわ」
2025.09.27
閲覧総数 266
36

EF641000番台:EF641006EF64シリーズで、今回はJR貨物の1006号機です。平成22年5月16日 2073レ平成22年12月4日 8592レ平成22年12月4日 単2073レ?平成22年12月25日 ????レ平成23年2月25日 赤羽駅にて 2085レ EF641006+EF641016平成23年3月6日 2073レ平成23年8月14日 田端機関区にて平成24年4月29日 3055レ平成24年7月17日 8592レ平成24年7月28日 遅2080レ平成24年8月8日 2082レ平成24年10月13日 3055レ平成24年12月15日 8592レ1006号機は最後まで原色でした。そのためか、他に比べて多く撮影していました。1980.8.29 新製2016年度 廃車
2026.05.10
閲覧総数 103
37

E233系 中央快速線:武蔵五日市・箱根ヶ崎行きjR東日本における2022年(令和4年)3月のダイヤ改正では、ワンマン化やこれに伴う新型車の導入が目を引き、さらにはその影響で運転区間の分断も目立ちます。前記事の相模線もそうですし、東北本線の宇都宮駅おける分断も。さらに、八高線~高麗川~川越線も新型車の導入はありませんが、やはりワンマン化によって運用範囲が固定化されることになり、中央快速~青梅線~八高線への乗り入れが廃止になってしまうようです。2年間、大手町勤務に変わった際、定時で帰宅する時間が「青梅ライナー」の撮影時間帯となっており、ちょうど廃止間際に当たったために良く撮影していました。その前走りになる列車が武蔵五日市行きと箱根ヶ崎行きを併結した快速電車となっていることを初めて知り、ネタ的に面白さがあったため撮影していました。平成29年6月2日平成29年6月6日平成29年6月19日平成30年8月1日いずれも東京駅17:57発の武蔵五日市・箱根ヶ崎行きの1705Hを撮影したものです。時間が時間だけに夏場限定の走行写真。しかし、E233系のLEDは行先表示をキレイに撮ることがなかなか困難です。しかも「快速」と交互表示。ラッシュ時間のためにカブられ易いなど、撮影が難しい列車です。平成31年1月11日 東京駅にて 1705H結局は納得いく写真を撮ることができず、「青梅ライナー」などを撮影に行ったついでに東京駅で撮影することになりました。ついでに撮っていたレアな列車がなくなってしまうとは、まったく予想がつきませんでした。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-1 EF61価格:5860円(税込、送料別) (2022/3/8時点)楽天で購入[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 2016-A D51 498 蒸気機関車(副灯付)価格:10419円(税込、送料別) (2022/3/8時点)楽天で購入[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 2245 国鉄 DD51 500形ディーゼル機関車(暖地型)価格:6756円(税込、送料別) (2022/3/8時点)楽天で購入送料無料◆98786 TOMIX トミックス 近畿日本鉄道 80000系 (ひのとり・8両編成) セット (8両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】価格:19880円(税込、送料無料) (2022/3/8時点)楽天で購入[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98744 小田急ロマンスカー70000形GSE(第2編成)セット(7両)価格:19544円(税込、送料別) (2022/3/8時点)楽天で購入
2022.03.08
閲覧総数 390
38

485系:特急「日向」特急「日向」は、大阪~宮崎間を結んでいた関西~九州間の連絡列車です。昭和43年10月改正からそれまでの「いそかぜ」を改めて誕生し、特急「なは」を併結した82系気動車による運転となっていました。昭和49年4月、日豊本線の南宮崎電化により485系を使用した電車特急となり、この際に単独編成によって同区間を運転するようになっています。昭和49年8月 大阪駅にて 特急「日向」写真は大阪駅にて出発を待つ特急「日向」。隣に停車中の12系臨時急行「但馬ビーチ」も懐かしいですね。せっかく電車特急としての地位を獲得した「日向」でしたが、昭和50年3月の新幹線博多開業によるダイヤ改正により、僅か1年にも満たない電車特急時代に終止符を打つことになりました。その後、平成12年に特急「ひゅうが」が誕生していますが、この沿革とは全く別の列車と言って良いでしょう。
2022.05.31
閲覧総数 595
39

JR九州 キハ47:香椎線2018/12/24に投稿した記事で、当時の表現になっています。JR九州の香椎線は、西戸崎と宇美を結ぶ路線です。JRになってからはキハ40系の牙城となっていましたが、平成31年3月のダイヤ改正において新鋭の蓄電池車BEC819系が導入され、現在使用中のキハ40系が全て置き換えられるということです。今までまるで縁のない路線でしたが、九州へ1泊で撮影に行き、鹿児島本線の九産大前駅の近くで撮影した際、直ぐ近くを走る香椎線の列車を撮ることが出来ました。※撮影は、平成24年9月23日、香椎線 香椎~和白前間にてキハ478065キハ479051時間の都合で撮影できたのは1本のみ、景色がイマイチでしたので、前後を撮影しておきました。この列車はキハ47×2連を2本合わせたもので、本線の撮影中に聞いた走行音からすると、2連のみの運用もある様でした。未だ非電化区間の多い九州ですが、福岡市を中心とした都市部からエンジン車の追い出しを図る構想のようで、必要車両数もそれほど多くないことから考えると、製造から40年を経過するキハ40系の先行きは、他の路線でもそれほど長くないものと思われます。
2022.05.21
閲覧総数 496
40

EF58牽引:急行「津軽」EF57牽引:急行「津軽」に続き、今回はEF58が牽引する急行「津軽」を集めてみました。古い時代から付き合いがあるにもかかわらず、特急列車の本数が少ない時間帯でもあったためか、EF58牽引の写真が見つからず、座席車が12系に切り替わってからのものしか見当たりませんでした。昭和57年5月 浦和~南浦和間にて EF5884牽引 上り急行「津軽2号」ずぅ~と時代が流れて、東北新幹線開業直前です。寝台車は10系が存置されましたが、座席車は12系化されています。荷物車・グリーン車は既に外されていますが、A寝台車はまだ連結されています。昭和57年11月6日 上野駅にて EF5889牽引 上り急行「津軽2号」上越新幹線開業直前、上野駅へ時代の変遷の様子を収めに行きました。標準塗装時代のEF5889の牽引で上野駅に到着した上り「津軽2号」。たった半年後なのに、A寝台車もとうとう運用から外れてしまいました。新幹線の開業により、東北方面の夜行列車は完全に冬の時代と化してきました。昭和57年 上野駅にて EF58122牽引 上り急行「津軽4号」上の写真と同日か、記録が曖昧です。やはりA寝台がなくなり、わずかにマニ36とB寝台が1両だけ残った寂しい姿です。新幹線が開業すれば、客車急行列車も殆どが消滅し、EF58の運用も縮小することが目に見えていました。しかし、上の89号機やこの122号機は誰もが予想しないほど長く生き残ったわけですね。昭和60年1月5日 栗橋~東鷲宮間にて EF58154牽引「津軽」昭和58年7月のダイヤ改正で1往復が廃止、同時に20系化された「津軽」。ナロネ21を改造した自由席車ナハ21を3両連結してグレードアップを図りましたが、自由席車が少ないことから苦情が殺到、間もなくオール14系座席車に変わります。しかし、今度は寝台車が連結されていないことへの不満が出てきたため、14系寝台車を併結することとなりました。写真は、そんな過渡期を越えた14系寝台車+座席車の時代で、結局は、この姿が最後の客車急行「津軽」となり、後に電車化→臨時列車化→廃止という運命を辿ることになりました。せっかく良い時間帯を走っていた列車なのに、本当に撮った数が少ないです。これは「津軽」以外にも、「はくつる」や「あけぼの6号」にも共通して言えます。14系ハザ時代や、20系時代、そして電車時代。全く撮っていません。
2022.06.02
閲覧総数 1340
41

583系:特急「ふるさと」昭和57年6月、東北新幹線が大宮始発の暫定開業となりました。この際、在来線「やまびこ」は全廃、「はつかり」は盛岡~青森のアクセス特急に変わってしまいましたが、乗換え不便の救済策として、上野~青森間の直通臨時特急「ふるさと」が設定されました。昭和58年8月17日 大宮駅にて大宮駅にて出発を待つ下り臨時特急「ふるさと」。当時としては珍しく、専用のイラストマークがセッティングされました。東北新幹線開業により583系の運行範囲が変わるため、行き先表示の整備にあわせてヘッドマークも用意されたのではないかと推測します。昭和58年8月17日 大宮駅にて上の写真と同日、上り「ふるさと」も撮影していました。上り到着はかなり遅い時間で、上野まで行かずに大宮止まりとなっていました。これは、夜行列車として折り返す間合いが確保できなかったための措置だったようです。上り臨時特急「ふるさと」は、3番線に到着後、東大宮操へと引き上げとなっており、上野方の先頭には既にテールランプが点灯しています。昭和60年1月5日 栗橋~古河間にて唯一撮ってあった走行中の下り臨時特急「ふるさと」。編成は583系ですが、まだ食堂車サシ込みの13両という堂々とした編成でした。昭和60年3月、東北新幹線の上野開業によりこのような臨発措置も解消となり、何も無かったように設定が無くなってしまいました。上野開業が春休み前でしたので、この写真がひょっとすると運転最終日であったかもしれません。
2022.12.30
閲覧総数 2089
42

EF5889牽引旧型客車:団体列車「はくつる」?昭和59年の鉄道記念日、東北本線(上野~日光間往復)にイベント列車が走りました。列車は旧型客車6両で組成され、牽引機は当時人気のあったEF5889でした。昭和59年10月14日 与野駅にて勤務明けの日、仕事中だったのですが助役に数分間仕事を交代してもらって撮ったような記憶があります。この頃は、数が激減して最後の活躍をする宇都宮区と東京区のEF58が頻繁に運転されており、局報でダイヤも捉えることができたので、必ずカメラ持参で出勤していました。昭和59年10月14日 日光線内にてこの列車がミステリーだったかどうかの記憶はないのですが、行先は日光でした。宇都宮からはカマを前後付替えての入線となっています。この日は明けの助役が「日光線まで行ってみる?」なんて声を掛けてくれて、ご自宅で食事までいただいて、さらにクルマで現地まで撮影に連れて行ってくれました。クルマでいった関係で撮影区間が不明なのですが、そんなに奥までは行っていなかったような気がします。国鉄末期の時代となりますが、旧型客車の残党がまだ少数ながら残っていました。赤字経営脱却のために様々なイベント列車が仕立てられるようになったのもこの頃からで、「はくつる」のヘッドマークを掲げられたこと自体が驚きの現象でした。今では基地イベント色々なヘッドマークを掲げた勇姿を見ることができますが、当時としては極めて珍しいことでした。
2023.10.14
閲覧総数 746
43

東武鉄道 7300系・7800系東武7300系は、昭和22年に導入された東武鉄道初の20m級電車で、戦後の混乱期に運輸省が各私鉄に割り当てた国鉄63系電車と同型車の東武鉄道における形式です。導入当初は63系そのものといったスタイルだったようですが、その後各種車体更新が実施され、後の標準型となる7800系と同様のスタイルとなります。また、東武7800系は、7300系の実績を元に、昭和28年に登場した東武鉄道における戦後初の独自設計による通勤形電車です。いずれの形式も後の標準型で現在も活躍している8000系が登場するまで、東武線の支線を除く幹線で活躍していました。外観からは区別の付けづらい形式ですが、例外を除き、グローブ型ベンチレータが7300系、押し込み型ベンチレータが7800系となります。また、7800系には仕様の違いにより番台区分があるようです。私が写真を撮った頃には既に活躍が末期となっており、枚数はそれほど多くありませんが、とりあえず並べてみます。昭和53年3月12日 東武宇都宮線車内より 7800系との交換私が撮影した唯一の宇都宮線です。すれ違うのは7800系で、乗っている車輌は旧5000系(のちの3000系となる車輌)だそうです。写真が傾いてしまっていますが、古き良き時代の写真です。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 7800系 準急写真は7800系準急列車で、「準急」の種別サボが付いています。行先札も時代を感じさせます。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 7800系 普通こちらも準急浅草行き。国鉄で言うとクモハ42の4扉改造車「クモハ31」に似たイメージです。昭和56年6月6日 春日部電車区にて 7800系 モハ7865(事故復旧車)モハ7865は、踏切事故により破損した前面を、復旧に際して高運転台化された車輌。他の7800系では見られないスタイルで、同系随一の異端児でした。昭和58年4月頃 東武東上線 朝霞台~朝霞間にて 7800系2連+7300系4連東武の7300系と7800系が少数ながら最期の活躍をしていた頃です。もうほとんど運用がなくなってきており、7800系2両と7300系4両の計6連のパターンで運転されていました。昭和58年では風前の灯状態で、確かこの東上線だけになっていたと思います。現在は武蔵野線効果で大発展を遂げた朝霞台付近ですが、写真は複々線化の工事が始まった頃で、武蔵野線北朝霞駅との乗換えすらできない状況でした。今となっては貴重な時代の記録になりました。
2023.11.08
閲覧総数 3073
44

711系:急行「かむい」「かむい」は、元々は札幌を基点として旭川から各方面へ足を伸ばす準急列車でした。電車急行としての起源を捉えた場合、昭和43年10月の函館本線の小樽~滝川間の電化に際して設定された711系使用の急行「かむい」が最初となります。その後、旭川電化に際し、札幌(小樽)~旭川間の急行列車としての地位を築いています。ちなみに、他の急行列車を併結するため、気動車急行として設定が残された「かむい」もありましたが、今回は711系の急行「かむい」に限定してアップいたします。昭和55年3月 札幌駅にて 711系 急行「かむい」昭和55年ですので、バリバリの地上時代の札幌駅です。昭和56年3月 旭川駅にて 急行「かむい」1年後、偶然にも出逢った901編成を使用した急行「かむい」。901編成と902編成の試作車が居ましたが、外観的に特徴があるのが901編成。1編成しかないだけに、良いタイミングで出逢うのは難しい車両でした。一時期は本数もかなりあった急行「かむい」ですが、徐々に特急列車に格上げされ、昭和61年11月のダイヤ改正をもってその愛称が消滅しています。しかし、その後「スーパーカムイ」として返り咲くことになるとは予想もしていませんでした。
2024.01.23
閲覧総数 811
45

国鉄 70系・80系:名古屋駅にて生まれて初めて名古屋駅に降り立ったのは昭和52年。まだ中学1年の春休みでした。名古屋と言えば日本でも東京・大阪・京都と並ぶ大都市ではあることは当然に知っており、当時、485系・583系「しらさぎ」、583系「金星」、キハ80系「くろしお」「ひだ」、日本初の振り子式特急381系「しなの」など、それまで逢ったことのない憧れの特急列車が発着する夢の場所でした。初めて乗車した大垣夜行(当時347M)、そして初めて降り立った名古屋駅。最初に出迎えてくれたのは憧れの特急列車ではなく、都心部では見られなくなった70系と80系という、ローカル然とした旧型国電たちでした。昭和52年3月30日 名古屋駅にて当時も既に111系や113系は走っていたでしょうし、中央西線の普通列車はスカイブルーの103系が幅を利かせていたように記憶しています。しかし、この時間に見られた光景は、東海道線の80系と中央西線の70系という、別の意味で憧れのシーンでした。都心では既に旧型国電が撤退し、神奈川・千葉でのみ73系が見られた時代。首都圏で70系と80系が顔を合わせることがあったのは、当時では高崎駅だけだったように思います。そんな珍しい光景が、しかも80系が2本も居るわけですから、旧型国電ファンになる前の自分としても、これには興奮したものでした。あれから50年近くが経過、113系はおろか後発の117系でさえも世代交代となり、さらに211系すら終焉を迎えた今となっては、夢のような光景となってしまいました。
2024.03.31
閲覧総数 937
46

大宮操車場 ハンプ入換(夜景編)昭和58年頃、間もなく大宮操車場の入換が廃止になるということを知り、我が職場の記録を残そうと、写真を撮るようになりました。今回は少しだけですが、夜景の写真です。ハンプ山(貨車の切り離しを行う坂のサミット)とカーリターダー。この辺りの地上設備は無くなり、今は湘南新宿ラインが高速で通過する。前日に降った雪がまだ残っていた。下りハンプの群線。右側は出発線と本線が、上空には高架の通過線があった。さらに高架線の外側では、新幹線と埼京線の工事が始まった。広い構内は数十mの高さから強烈な照明で照らされていたが、目が慣れるまでは想像よりは遥かに暗い。目が慣れてやっと入換に集中できる。現在のさいたま新都心駅方向を見ており、今ではさいたまスーパーアリーナがこの上に乗っている。上りハンプも下りハンプもほぼ同じような時間帯で入換作業を行っていたため、入換の合間の手待ち時間では、広大な空間に暫し静寂な時間が訪れる。
2026.02.21
閲覧総数 200
47

EF641000番台:EF641005EF64シリーズで、今回はJR貨物の1005号機です。平成23年8月14日 田端機関区にて平成25年5月12日 2082レ昭和61年10月9日 蓮田~東大宮間にて 上り荷物列車 最後の写真は、荷物列車末期の運用です。短期間ながら、EF58の運用を受け継いで荷物列車牽引の最期を飾りました。1980.8.20 新製2022年度 廃車
2026.04.21
閲覧総数 104
48

183系1000番台:特急「とき」(遠征編)「とき」は、言わずと知れた上野~新潟を結ぶ特急列車。『183系1000番台:特急「とき」(地元編)』に続き、遠征して撮影していた183系1000番台の写真からご紹介いたします。昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にてこの頃は景色を重点に撮る写真が多かったです。柱ド~ンさえなければ結構お気に入りのアングルなのですが(笑)。昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にて写真はリバーサルからのダイレクトプリントをさらにスキャンしたもので、退色した写真と言うわけではありません。ヘッドマークがイラスト化された際、多分ですが、1編成だけハッキリ黄緑と言えるヘッドマークを搭載した編成があったのです。写真はバリ順で色が定着してしまっているので、緑が薄ボケたように感じますが、夜間にヘッドマークの行灯が点ると、明らかな黄緑色となります。昭和57年9月6日 土合~越後中里間にて遠征でスキー場に無断で登って撮った写真。(すみません。)これだけの大俯瞰だと、12両編成の「とき」も短く見えます。時間帯が悪く、181系の写真は撮れませんでした。昭和57年11月6日 上牧~水上間にて利根川の上流「諏訪峡」を行く183系1000番台「とき」。紅葉にはちっと遅かったようで・・・。昭和57年11月6日 湯檜曽~水上間にて天気も良くないようで、スッキリしない写真ですね。ここの鉄橋は水上駅から徒歩で10分くらいで行けるので、もっと撮っておけば良かったなと思いました。この日の撮影の帰路では、181系として最初で最後のさよなら乗車をしてきました。昭和57年11月14日 上野駅にてところ変わり、上野駅にてこちらは183系1000番代も含め特急「とき」として最終になった日。他にも多数の列車が愛称を消すことになり、多くの鉄道ファンで大混乱となりました。右側に写っているのは、同じ日に消滅した寝台特急「北星」です。翌日からは、上越新幹線「とき」に生まれ変わります。
2022.11.01
閲覧総数 1011
49

キハ56+キハ22:急行「大雪」石北本線といえば、当時日本で唯一のカタカナ特急「オホーツク」と長躯函館~網走間を往復していた「おおとり」が花形であった訳ですが、両列車とも1往復のみの設定で、庶民としてはやはり急行「大雪」がメジャーな優等列車であったと思います。昭和55年の時刻表を見ると、1日5往復の「大雪」が設定されており、4往復が昼行のディーゼル、1往復が寝台車を連結した夜行急行でした。テツとしては昼間のディーゼル急行よりも夜行列車を多用した、と言いますか、夜行しか乗ったことがない方も多いのではないでしょうか?急行「大雪」は、その多彩な運用面からも大変興味深い列車です。1往復は釧網本線経由で釧路~網走~旭川~札幌を走破し、下りでは名寄本線の興部行き、さらに驚くことは、上りの名寄発~名寄本線~遠軽~札幌なんてとんでもないコースを走破する列車もありました。さすがに好んで乗るような列車ではありませんが、ちょうど9時間も掛かるこの列車は通しで乗る人なんてまず居なかったのではないでしょうか。昭和56年3月 遠軽駅にて 急行「大雪4号」右側のキハ56とキハ27の2両編成を組んだ急行ですが、あまりにもショボイ編成ですので、『うさぴょんのマル鉄回顧録』でアップしたときは急行「天都」かもしれない、としていました。しかし、昭和56年の時刻表を確認したところ、この時点で既に急行「天都」は廃止されていました。そこでさらに時刻表を追ったところ、渚滑線の乗りつぶしから遠軽へ戻ってくるのが9:40。特急「おおとり」と特急「オホーツク」が10:50を前後として交換が行われるのでこれを撮影。駅へ戻ってから列車に乗ろうとすると、網走方面、旭川方面とも12時を過ぎるまで列車が無い。網走発の558Dが遠軽12:11着。折り返し12:42の網走行き559D。名寄発の1623Dが12:02着、そのまま12:38に旭川行き514D「大雪4号」となります。そのときの私の行動と時刻表上の時間の相関がピタリと一致しました。つまり、写真で言うところの左側が558D~559D、右側が急行「大雪4号」。さらに、昼行の急行「大雪」はほとんどがグリーン車連結であるのに対し、この旭川行き「大雪4号」のみグリーン車は連結されていません。以上のことから、全ての状況が一致し、写真のローカルな急行列車が「大雪4号」であることが判明いたしました。ヘッドマークの無い気動車急行と言うのは、私的には撮影対象外だった筈ですが、北海道と雪景色、極寒の風景は、普通の気動車ですら魅力的に感じさせてしまうんですね。ですので、本州ではあまり撮影実績の無い一般型車両たちも、沢山記録に残すことができたのだと思います。
2022.12.29
閲覧総数 3926
50

583系:急行「シュプール蔵王」かつては一世を風靡したシュプール号。さらに時代を遡ると、「○○スキー」や「○○銀嶺」といったスキー列車が多数運転されていました。昔は自動車の免許取得率が低く、スパイク&スノータイヤでクルマ移動なんて、多少お金持ちじゃないと出来なかったかもしれませんね。高速網も発達していませんから、列車が一番合理的な移動手段だったのでしょう。そういう意味では、格安シュプール号の時代は既に高速バスに客を奪われ始めた国鉄~JRの対抗手段、いわゆる苦肉の策だったのでしょう。その中でも、583系を使用したシュプール号は、座席車としても寝台車としても使用できる万能車で、定期列車では入線しなかった上越線や信越本線、奥羽本線にまで顔を出すようになり、ファンからは注目を集めていた列車だったと思います。平成2年2月18日 奥羽本線 庭坂駅にて 583系「シュプール蔵王」改軌前の奥羽本線福島~山形間に入線していた583系「シュプール蔵王」。この区間を走った583系定期列車は無く、私的にはこの区間の583系列車に違和感があります。「シュプール蔵王」は、同区間が新幹線の改軌工事により通行が出来なくなるシーズンまで、板谷峠を越えて運転されてました。この撮影の帰り道、庭坂から乗車した福島行きはなんと715系1000番台。人生の行先を変えさせられてしまった兄弟が、同じ線路でそれぞれの運命を歩んでいました。
2023.01.23
閲覧総数 1146

![]()
![]()