伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2017年08月13日
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伊賀市久米町にある山渓地蔵尊


寛永年間に飢饉があったとき農民は年貢米の供出に苦しみ、免租の嘆願
したが取り上げられなかった、その状態を下友生の粕屋純次郎(忠兵衛と
の記載もあり)より聞いた禅師が上訴状書き純次郎に託しました、同じ友
生村の江戸藩邸勤めの甚三が安藤老中の駕籠に直訴しました。
事が露見して、藤堂藩公は激怒し、純次郎捕らえられ死罪、敬叟禅師は
投獄され、久米川原で打ち首になった。

寛政四年(1792)十二月二十一日、敬叟和尚四十二歳。

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上野小唄の最後の十一番の歌詞

逢いとなったら 白紙送れ
敬叟禅師もあの久米川原
書けば文字があだとなる


「上野小唄」を作詞した野口雨情の孫の不二子さんを招いた講演会を聞
きにいってこの歌詞を初めて知り興味を持ちました。
久米町のどこのことかと思い検索すると近く(よく盆踊りなどの催し物する場所)にありました。


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民草に
露の命は消える共
恵む心はよろず世のすえ

と辞世の句を詠んだ。

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地蔵尊の裏に 敬叟禅師の墓碑がありました。

敬叟禅師は青山地区の出身で山渓寺の住職でした。
この事件の記載は「伊賀史亅「上野史」「青山町史」に見あたりません。
藩にとっては残したくない事柄だったのでしょうか。

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今は地蔵尊や盆踊りをする場所になっていはす。
敬叟禅師の墓碑はこの後にあります。





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Last updated  2017年08月31日 15時56分33秒
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